不審の目を気にすることもなく

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黄色を敷地の片隅に置くと縁起がいいと耳にしたことがあります。ナスタチウムのオレンジとイエローを東の端に置いて見ました。何か縁起のいいことでも起きましたら、ご報告いたします。それにしても、朝のうっすらとした日差しにこの色の映えることと言ったらありません。実に気持ちいいものです。



 いつだったか、ちょっと寒かった時期のことです。

 由緒ある神社が鎮座まします道筋を散歩していた時のことです。
 畑で一人作業をしているおばさんがいました。きっと、自宅で食する野菜の収穫をしているのでしょう。
 私はそのおばさんに、こんにちはと、声をかけました。

 誰彼なく挨拶をするのは、言うなれば、私が罹患している一種の職業病というものなのです。

 すると、そのおばさん、どこそこの誰々かと、きつい茨城訛りの言葉で私に言います。
 いや、ちょっと散歩している者ですと、私は返答します。

 そのおばさん、かがめていた腰を伸ばし、寒いなぁと語尾を下げて、私に言います。
 そして、白菜を持って行けと言って、自宅用に栽培しているであろう、食べごろになっている白菜を包丁で切り取り、外側の葉っぱをむしり取り、白くみずみずしい白菜を私に手渡すのです。

 いただいたまま、そのまま無愛想に去って行くのもなんだと思い、いろいろな野菜を植えていますねと私は声をかけました。

 そしたら、そこから、おばさんの聞いていて心地よい茨城訛りでの話が始まったのです。
 ご主人が脳卒中で倒れたこと、今は一人でと、ゴツゴツした指で差した大きな屋根の広い庭の家で、暮らしていること、子供たちはそれぞれ独立して滅多に来ないことなどを語ったのです。

 おばさんの話を聞きながら、きっと、この人は独りになって、人と会話することが少なくなっていたのではないかと私は思いました。
 こうして、会話をしていると、相手の目を見て話をしますし、そうすると、親近感とか、信頼感とか、境遇に対する共感みたいなものが生じてくるのは確かなことであると実感できます。
 
 このおばさんが散歩をしている知らない男から挨拶されて、近所の誰かと間違えて声を返して、それがきっかけで会話をすることになったのです。
 でも、そんなこと、私の子供時代には普通のことであったと思うのです。

 近所の床屋のおばさんは、客がいないときは店のソファーに座って、街で起こるちょっとした事件に目を凝らしています。それが、客との会話につながるからです。
 子供が道端で転べば、すぐに駆けつけます。
 知り合いが店の前を歩いていれば、出てきて天気の話や噂話に耽るのです。

 隣にあった駄菓子屋のおばさんも同じです。
 街を歩いていたり、垣根を刈っていたり、あるいは、公園のベンチで新聞を読むおじさんたちも、ちょっとしたことで子供たちに声をかけていました。
 時には、悪さをする子供たちを叱り、良いことをする子供たちを褒めていました。

 こうしたごく普通になされる、この手の会話がなくなったのはいつの頃からだったのだろうと思うのです。

 街で子供に声をかければ、ともすると、不審者扱いをされてしまうご時世です。
 電車内で、ちょっと大きな年齢になった子供たちの不届きな行いを注意をすると、改めるどころか、変な人というように嫌な顔をしてしまわれ、周りの人も見て見ぬ振りをする時代です。
 
 会社や学校では、余計なことを言わないこと、空気を読めと諭され、言葉に対して萎縮してしまう現象が見られるのもよくあることです。
 
 そんな面倒な世の中だから、人々は内向きになり、手のひらにスマホを持って、独り自分だけの世界に没入するのです。
 街角でこんな光景に出くわしました。

 若者たちが数人集まって話をしています。
 彼らの誰もがスマホを手にして、会話に興じていました。
 観察していると、スマホから会話の材料を取り出しているようです。お互いに見せ合い、微笑んでいます。
 なんだか、薄っぺらい会話のありようだと失礼ながら思ったのです。
 
 そして、仲間でありながら、一人一人が孤立感でいっぱいであると私はその様子を見て思ったりもしたのです。

 これが現代のありようであるなら、早急に改めないと人間的なあたたかい交流がこの世の中からなくなってしまうのではないかと心配になったのです。

 学校という場は、挨拶をとにかく大切にします。
 まだ未熟な子供たちを教育する学校では、挨拶ができない子供たちがたくさんいます。
 そういう子供は家庭でも挨拶がないのです。そんな子供たちに挨拶が日常的になされるようにする唯一の教育手段は、そこにいる教師が率先して挨拶をすることなのです。

 だから、職業病になっているのですが、少なくとも、道端ですれ違う人に、ささやかな挨拶をすることが私の責務であると思って、バカの一つ覚えのようにそれをしていこうと思うのです。

 素晴らしいことに、私の家の前を通学で行き交う子供たちは、高校生はともかく、小・中学生は地域の学校の教育が行き届いているのか、あるいは家庭のありようが素晴らしいのか、必ず挨拶をしてきます。

 あの日、私は、ひととき畑にいたおばさんと会話できたことを嬉しく思い、大きなみずみずしい白菜を抱えて家に戻ったのです。

 すれ違うパトカーの中にいた警察官の、裸の白菜を抱える私の姿への不審の目さえも気にすることもなく……。


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来るべき未来への備えを

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タイであったか、カンボジアであったか、かの地で休暇を過ごした際の記念品です。部屋の片隅に置かれ、たまに、目に入り、はてさて、どこでどうして買ったものかとしばし悩む飾り物なのです。



 取手で教師をしている時、上司に口うるさく言われたのは、20年後にくる少子化に備えて、学校を変革させなくてはいけないと言うことでした。
 15歳人口が減少する時になって、手を打っていては、学校はたちかなくなると言うことです。
 
 若き日、教師としての私は、このことのために邁進していたと言ってもいいくらいです。

 そのために学校が打ち出した手が、制服の変更、海外修学旅行に長期滞在型英語学習といった教育の国際化、そして、ITを使った教育実践、つまり、コンピューターを導入し、ネットを使った先端教育の実践でした。

 同時に、それらを支え、成功に導くための入学試験でのレベルアップです。
 それはつまり、合格者の偏差値アップ、いわゆる難関校への仲間入りをすると言う、できたばかりの学校としては、壮大な事業であり、それを達成してこそ、先に示した実践の数々が結実するものであると言うことです。

 簡単に合格者のレベルアップと言いますが、これがなかなかに大変なことなのです。

 公立の中学校間では、やはり、地域のトップレベルの公立高校に生徒をどれだけ入れるかが評価の目安みたいなものがあります。
 高校がどれだけ東大に生徒入れたかが、その高校のレベルの一つの目安になるようにです。

 新しくできた学校というのは、そうした流れの中では、まったく逆の立場にいる生徒を受け入れる場として機能するよう、公立の先生たちによって位置付けられるのです。
 しかし、私がいた学校は、末端の学校となることを良しとせずに、受け入れた生徒に可能な限りの学習を強烈にさせ、加えて、人間的な心得を教授し、社会人として後ろ指を指されることなく、反対に、後ろを振り返させるような人間になるように、これまた指導を強烈に行ってきたのです。

 そうした公立の先生の思惑の中で、入学時のレベルを上げますとやるのですから、当然、それではこれまで通り生徒を送れませんと、公立は国際政治のような対抗処置をとってくるのです。

 では、そうした仕打ちに対してどうしたかと言いますと、これまで通り公立の先生たちが受け取って欲しい生徒を受け取り、同時に、特待生クラスなるものを作り、そこに、勉強のできる生徒を少しづつ集めていき、3年後の実績を目指していくようにしたのです。
 いろいろ意地悪な批判も受けながら、20年後にも生き残る学校になるんだという気持ちが、そうした批判に耐えさせてくれたのだと思います。
 
 これまでの人間教育の成果は、生徒の立ち居振る舞いに次第に出てきました。それがなくて、成績ばかりを大切にする学校であれば、この試みは失敗していたかもしれないと思っています。
 そのおかげで、地域の評判は次第に良くなっていったのです。
 加えて、特待生クラスの成果は、数年後に出てきました。
 念願の東大合格者を出すことに成功したのです。

 こうなると、公立中学の先生方の姿勢は一変しました。
 先生たちというより、むしろ、保護者たちが変化したといったほうがいいでしょう。
 公立にやって、塾に行かせて、だらしない格好で街を歩かれるよりは、学校で特別課外をしてくれ、生活面でもうるさいくらいの指導をしてくれるから横道にそれる心配もない、海外での体験も、ネットを使っての先端教育もしてくれる、そして、東大に入学できるチャンスもあるのだからと進学先に選んでくれるようになったのです。

 こうなれば、地域のトップ校となるのは時間の問題です。
 つまり、学校が少子化の時代でも生き残り、地域の高等教育をハイレベルで担える学校としての責務を果たせる存在になったということなのです。

 少々、自賛めいた話になりましたが、何も、偉ぶってこういったことを縷々書いたわけではないのです。
 人口減少に突入した日本が今直面している問題を考える一つの手立てのヒントしてし欲しいからなのです。
 
 急転直下のごとく転回する国際社会の中で、日本の人口は21世紀の半ば過ぎには1億人を割り、働き手人口も5千万人を下回るのです。現在の人口は1億3千万人、働き手人口は8千万人ですから、その減少が何を意味するかを考えれば恐ろしいくらいです。

 50年後の困難に対処するために、今なすべきことは、経済成長力と国際競争力を維持するためのAIを使った効率的な作業及び経営のあり方であり、それを支える教育の高度化です。

 安易に外国から労働力を持ってくることは日本の歴史的背景から不幸な結果を招く要因が多いように思えます。
 ですから、AIを使った効率化で、人的資源の過少を補うのです。
 小売販売も、接客も、それまで人手に頼っていたものをすべてAIを介在させて行うのです。
 これは先進的な青年と自覚した企業によって着々と遂行されつつあります。

 そして、問題は教育の高度化です。
 現在、教育の無償化が議論されていますが、それはとてもいいことです。そして、無償化と合わせて、実務に適した教育、社会に出て役立つことを教える教育をすべきであると思います。
 綺麗事ではなく、世の中には失敗もあるということ、全財産を失うまさかの出来事があるということ、人間と人間との確執で争いがあるということ、そして、それらを避けて通るのではなく、精神的にも強く、それを克服していく力を養うという教育のあり方です。

 かつて、いま上位レベルで生き残った学校と同じように、精神的にタフな人間、勇気を持ってチャレンジし、うまくいかなかった人間さえもリスペクトし、再起を支援する制度を作る教育が高度化と言える教育であるということです。


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地面に伏せて 窓から離れて

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ドアーが開くたびに、心地よいメロデイーを奏でます。木工品であることもも木製のドアーにマッチしています。私の好きな「家具」の一つです。



 「地面に伏せて!」
 それをどう伝えたらいいかを真剣に考えた時がありました。

 それは、生徒をアメリカに連れて行った時のことです。
 バカなことと思われるかもしれませんし、大げさだと思われるかもしれません。
 でも、大切な他所様の子供をあずかって出かけて行くのです。
 万が一のことを考慮しておかなくてはなりません。

 この時、私たちは、バンクーバーからシアトルへ、陸路、アメリカへと入りました。
 日本人ならずとも、カナダ人以外の旅行者が、カナダからアメリカに入国するということはちょっと面倒なことのようで、随分と入国に時間を要したことを覚えています。

 そして、ニコリともしないアメリカの係官の腰につけている拳銃の大きさ、銀色に輝く銃の美しさにもびっくりしました。入国審査をパスして、アメリカに入ると、一挙に道路が広くなり、カナダとアメリカの違いを肌身に感じました。

 そして、銃の所持が認められているアメリカという土地で、何か不測の事態が発生した場合、いかに対処すべきかを、そして、生徒の安全を確保するにはどうしたらいいかを真剣に考えていたのです。

 銃での攻撃、あるいは、爆発から身を守るには、身を伏せるということが最初にすべきことであるということを知りました。
 しかし、それが命を守る唯一の方法でないことも読んだ書物には書かれていました。

 万が一にも、銃声が聞こえた時、あるいは、何らかの不測の事態が発生した時、生徒に恐怖を与えるのではなく、ほぼあり得ないことだけど、仮に、そんなことが身近で起きた時は、皆で地べたに伏せようと、生徒にしっかりと、しかし、笑みを浮かべながら伝えておいたのです。

 しかし、日本人が地べたに身を伏せるということは、かなり難しいことであることを私はわかっていました。
 生徒に言う以上、実際、それを私自身試していたからです。
 私たち日本人は、そのような事態が発生する環境下に暮らしていません。
 日々の暮らしの中で、身を守るために、衣服の汚れも気にせず、無様な格好で這いつくばることに慣れていないのです。

 ですから、竜巻がこっちに向かってくるのに、携帯のビデオを回し続けていられるのです。
 映画でよく見かけるあの危険を避ける行動として、地べたに伏せるということがそうそう容易にできないことに気がついていたのです。

 現在の日本でも、何か危険な状況が発生した時、おそらく、日本人の大多数が「伏せて」身を守るということができないのではないかと私は今も危惧しているのです。
 
 爆発音があっても、その場で立ち尽くしてしまう。
 どう行動したらいいのかわからないのです。そして、その音の発生した方角を凝視してしまうのです。
 それは、自分の命をあえて危険に晒すものであると言うことなのです。

 何か尋常ならざることが起きたら、有無も言わずに、その場に伏せ、じっとしているのです。
 爆風も銃弾も、その上を通過していきます。
 揮発性の人体に害を与えるガスもその上を通過していきます。
 たとえ、伏せることで誂えた衣服がダメになろうとも命は助かることができるのです。

 日本政府が、都道府県の危機管理責任者を招集したのは21日のことでした。
 北朝鮮のミサイルが着弾した場合の対処法を説明し、徹底したのです。

 <頑丈な建物や地下街に避難すること。>
 <物陰に身を隠し、地面に伏せて頭を守ること。>
 <屋内では窓から離れること。>

 これに対して、一部に、緊張感を誇張して伝えているとか、ありもしないことをあえて声高に述べて何か魂胆があるのではないかと勘ぐる声も聞こえてきます。

 しかし、私はこれこそ予測できる危険に対して、政府が取るべき最低限の対策であると思うのです。

 政府が担当者を集めた前日、アメリカ大統領がイタリアのジェンティローニ首相との共同記者会見の席上、「中国において、この2、3時間でいくつかの極めて異例な動きがあった」 と述べました。

 この「異例な動き」について、CNNは、中国空軍の巡航ミサイル搭載可能な爆撃機が高度な警戒態勢に入っていることを指していると報道しました。加えて、「異常な数の」戦闘機が集結し、整備点検作業に入ったことも伝えたのです。

 それに対して、環球時報は、中国国防部新聞局の言葉を極めて簡潔に伝えるだけでした。

 「上述报道不属实。中国军队在中朝边境保持着正常的战备和训练状态。」
   <報道は事実ではない。中国軍は国境付近で通常の配置と訓練状態を保持している。>

 では、アメリカと中国が言っていることのどちらを信じて、準備をするのかと問われれば、バカだとか、大げさだか言われようが、最も危険な情報に対応すると言うのが正解です。

 ですから、地面に伏せて、窓から離れて、身を守ることを真剣に受け止めなくてはいけないのです。


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未来投資会議

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左の酒は、大先輩の教師が叙勲を受けた時にいただいたお酒です。彼は自衛隊にいた方で、戦時中は爆撃機に乗っていた方です。私学にはそうした方が結構多く働いているのです。真ん中は、ボストンレッドソックスの本拠地フェン上・パークに行った時、買い求めたサイン入りボールです。そして、右側がカナダのビクトリアにあるジ・エンプレスのビールです。かれこれ20年は経っているかと思います。はてさて、飲めるのでしょうか。


 こんなことを考えているのです。

 亡くなったら、かかりつけの医者に死亡診断書を書いてもらいます。
 そして、つくば市役所で、私が死んだことで生ずるさまざまな手続きをしてもらいます。
 その中には、臓器提供のための医療施設での処置も含まれています。
 そして、母の葬儀の際に知り合った葬儀屋さんを介して、直葬をしてもらいます。
 直葬というのは、面倒な行事を省いて、即、荼毘にふすことです。
 この間、私の死は家族しか知り得ません。
 遺骨は散骨用に細かく砕いてもらい、後日、東京湾に撒いてもらうのです。

 その折、あらかじめ用意しておいた案内状を、親戚や友人、ご近所のお世話になった方に送り、船上パーティを開催して、楽しくやってもらうというのが、「その時」の私のプランなのです。
 
 戒名も、墓も、私はいらないのです。
 別に、信仰心がないわけではないのですが、子供や孫たちにあまり世話をかけたくはないだけなのです。

 で、そのプランが抱える問題点はというと、本当に家で死ぬることができるかという点であったのです。
 一旦、考えるとどうにも止まらない性分なので、あれこれと心配をしてしまいます。

 今、私の健康保険の裏には、亡くなった時、すべての役立てる臓器を提供する意思が示されています。
 こんな身体でも必要としている人がいれば、用立てて欲しいと思っているのです。
 ですから、病気か事故かはわかりませんが、自宅で亡くなり、その後、病院で処置をしてもらうようになんとか関係者に伝えておく必要があります。

 でも、これは、なんとかクリアできそうです。
 葬儀屋さんがその点は抜かりなくやってくれるということでした。
 その代わり、散骨の際の船上パーティーの一切合切を取り仕切るという条件です。

 葬儀屋というのは、お寺には強く言えないようですが、病院には要望を出せるということですから、私の希望の第一はまずクリアしたと思います。

 さて、最も心を悩ますのが、私の「最期の場所」です。

 何も準備をしていないと、きっと私は意識の不明なまま、病院に送られ、あれこれと管を刺され、治療の甲斐もなく、病院のベットで亡くなってしまいます。

 そうではなくて、私が亡くなる時は、つくばの自宅の、建て増しした際に、自分で設計した二階の東側に面した、ログハウス造りの部屋の、ロッキングチェアで揺られた状態で、死にたいと思っているのです。

 最期の時は、自分の好きなように逝きたいと思うのは誰しも思うことですが、なかなかそうもいかないのが現実です。
 私は、両親を見届けていてそう思いました。
 だから、私は自分の思うような方法で、逝きたいし、それを子供や孫たちに見せておきたいと思っているのです。

 しかし、果たして、その通りにことが運べるか、当然、不安はあり、心を悩まし続けていたのです。

 そんな折、日本政府の「未来投資会議」なる作業部会で、日本国首相が、来年度の診療報酬・介護報酬の同時改定を踏まえて、電子機器を使って遠隔地からデータを集めるオンライン診療を優遇する方針を打ち出しました。

 加えて、高齢化によって必要不可欠になった介護の現場に、センサーやロボットの導入を積極的に導入する仕組みを構築するというのです。

 老いた体は、自由がきかなくなります。
 看護師さんの世話になり、あれこれをしてもらわなくてはなりません。そのためには、どうしても、病院に入らなくてはならなくなります。
 でも、「未来投資会議」の内容を見ると、自宅でロボットが私の不自由になった体の世話を焼いてくれることが可能になる目星がついてきたような気がするのです。

 医者の診断によって、必要なセンサーを私は自分の体につけます。
 私の体から発生するデーターがかかりつけの病院に送られます。
 データーにより分析された情報は、私の世話を焼いてくれるロボットに送信されます。
 それ受けて、私のロボットは、私の世話を焼いてくれるのです。

 誰に気兼ねする必要もなく、機械あいてに私は末期の水まで飲ませてもらうことが可能なのです。(そう、ありたいという強い願望でもありますが……。)

 日本医師会も、政府のこうした未来の医療のあり方に前向きに考えているということです。
 とすれば、近い将来、私は私が考えている最期の時を、理想の形で迎えることができるということになります。
 
 そんなことを思いながら、私は「未来投資会議」の記事を舐めるように読んだのです。

 2年前、入院をして、人生で初めての手術をした際、治療費や個室代、そのほかの経費は馬鹿にならない額でしたが、加入していた保険で、お釣りが来るほどの金額をいただきました。
 おまけに、病気の内容から、その後の保険料の免除までついてきたのです。
 日本の保険制度の仕組みは大変素晴らしいものだと思いました。
 
 だから、最期の時にも、私の思いを遂げてくれるよう動いて欲しいと思っているのです。


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手掛かりにするもの

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会津には何度か足を運びました。その折、民芸品として、持って帰ってきたのがこれらの置物です。着物の切れ端を使ったのが始まりではないかと勝手に思っていますが、素朴で、壊れることもなく、部屋の片隅で自己主張をしっかりとしています。まるで、会津人のように。


 子供の頃、私には一つの楽しみがありました。
 それは、親が定期購入してくれている「画報」が我が家に届くことでした。

 いつも、確か白色の帽子をかぶったおばさんが届けてくれていました。
 そのおばさんが本屋さんなのか、それとも、「画報」を発行している会社の人なのかを今となっては確かめようもないのですが、私は帽子をかぶったそのおばさんが自転車のブレーキをかけて、家の前に停まるとドキドキしてたまらなかったことを覚えています。

 おばさんが届けてくれた「画報」には、素晴らしい絵と文章で、ピラミッドの秘密、イースター島の不思議、宇宙の成り立ちなどが示されていたのです。
 宇宙人の円盤の話、未来への空想、そして、人知を超越した時をめぐる話も書いてありました。
 「画報」に示された文章と絵画は、確かに、子供の私の興味関心を満足させてくれました。
 それは、私に何か<手掛かりになるもの>を示してくれていたのです。
 もしかしたら、私の原初の知性なるものを磨き上げてくれたのではないかとも考えています。

 時に、広場で友達と三角ベース野球をするよりも、ベーゴマで隣町のやんちゃと競うあうよリも、「画報」をみて、未知の世界に触れる方を圧倒的に好む時期があったのです。

 しばらくすると、「画報」から「岩波文庫」に、私が<手掛かりにするもの>は移っていきました。何の抵抗もなく、文字通り、自然なありようで移っていったのです。

 もう、そこに絵がなくても、文字だけで、私の頭は理解ができるようになっていたのです。
 そして、理解ばかりではなく、そこに思いを入れ、つまり、空想力を使って、イメージを浮かべることが可能なようになっていったのです。

 旅に出る時、文庫は必ずジーンズのお尻のポケットにしまわれていました。
 旅の最中に読むことがなくても、旅に出る前に、真剣に選んで、それはしまわれた文庫だったのです。
 時に、文庫の表紙や余白に、記録しておくべき事柄があればメモし、そしてまた、素晴らしい光景があれば、それをスケッチするのにも文庫は役立ったのです。

 文庫は「画報」の後に、ちょっと大人になった私の興味関心をつなぐ材となっていったのです。
 私の書架を見ますと、様々な種類の本が並んでいます。
 文庫もかなりの数、書架に収まっています。
 ところが、と私は気がつくのです。
 文庫ばかりではなく、本当いうものを買う機会が随分と減ったと……。

 私の<手掛かりにするもの>は、もはや、「画報」でもなく、文庫でもなく、そもそも、「本」というあの独特の匂いのするものではなくなっているのだと……。

 そのことを憂うる声を、私はいろいろなところで耳にします。
 知性と教養を鼓舞する雑誌が休刊もしくは廃刊に追い込まれている、そんな日本の未来はどうなるのかという悲劇的な声で危惧が囁かれているのです。
 また、若者たちの活字離れが進み、将来、漢字という文字はなくなるのではないかと極端な意見も耳にします。

 でも、私はそれらの危惧の言葉をあまり真剣には受け止めることはできないのです。

 それらの声は、例えば出版に関係する人の声であったり、物を書いてそれを生活の糧にする人の声であったりするからです。
 つまり、そこに「利害損得」があっての危惧だからです。

 私が「画報」に心ときめかしたように、今の子供たちは、両手に機器をもち、指で動作をして、情報を引き出し、いかにすれば新しい情報を見つけることができるかを模索しながら、興味関心、つまり、原初の知性を手に入れようとしているからです。

 私は、物を書き、絵を描くことが好きな人間です。
 ですから、今、それを思う存分にしているのです。
 そこには、これでお金を稼ごうとか、なんとかという賞を取ろうとか、そのような純粋で、無垢で、ひたむきな、そして、利を思う気持ちさえもないのです。

 子供が新しい機器を手にすることに、もっと言えば、「画報」や文庫、書籍を手にしなくてもなんの心配もしていないのです。
 むしろ、最新の機器を与えてやることに賛成をしているのです。

 <手掛かりにするもの>は、時代の変遷とともに当然変化するものです。

 私の親が、私に「画報」を買い与えてくれたのは、それが当時、最新の知性を養う道具だったからです。
 今の子供に、分厚い本を与えても、それは無用の長物になるだけです。
 今の子供たちは、手のひらに乗る小さい機器で、ちょっとした動作をすることで、最新の情報を得て、しかも、絵ばかりではなく、動画さえも、近い将来には香りや好悪を感触するなんらかの未知のサインを得ることのできる機器で、興味関心、知性を悟ることになるのだと思っています。

 ですから、当事者としての狭い了見で、未来の人間たちの知性を訝る意見には賛同はできないのです。

 冷酷なようですが、<手掛かりになるもの>としての本がその使命を終えるなら、それも人間の在り方だと思っているのです。
 本が、大英博物館に鎮座しているロゼッタ・ストーンのようになることはないにしても、<手掛かりとするもの>としての、一つの時代の役目を終えたとも考えることができるのです。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《4/25 Tuesday》
          
👀<Puboo!>にて、『秋葉原のハゲ頭』を発信しています。ぜひ、お読みください。

👀<Paper in NY>で、『”What kind of fish do you fish? ”The dog which seems worried and looks at a boy.钓怎样的鱼。看起来不安地凝视少年的狗。』を公開しています。


⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスへの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

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