いっぱいのことを教わっています

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この象は、基本のレゴに加えて、もう一箱の増設のレゴを使って作ります。高さは30センチ程度、長さは40センチくらいになる大型のロボットです。前進と後進、鼻を巻き上げてパオーンと泣き声をあげ、その鼻を使って、物を掴み、そして、置きます。自分でさらに、どのような動きをさせるかは、プログラミングで自由にできます。私は、まだそこまでできませんが……。


 その日の朝、彼は、一階の私の寝室に顔を見せました。
 いつものように、私は着替えを終え、二階にあるキッチンに行くところでした。
 彼は、私の顔を見上げて、私の歩き出すのを待って、嬉しそうに声をあげて、階段を登って行くのですが、この日はそうでありませんでした。

 彼は、必死の形相で、一声あげて、私を待たずに、一挙に階段を登って行ったのです。

 何だろう、いつもと違うと思ったものの、私は毎日するように、階段の途中にあるガラス窓を少し開けて、二階に行きました。
 応接間を抜けて、キッチンに入って、私が見たものは、彼の横たわっている姿でした。
 すでに、彼の息は止まっていました。

 あの必死の一声は、彼の別れの挨拶だったんだと、私はその時初めて気がついたのです。
 
 彼とは、我が家に共に暮らしていたオスのシェルティです。
 取手の学校から土浦の学校に移るゴタゴタした中、横須賀の知人から貰い受けた犬です。
 知人は、人間に邪険にされた犬を保護し、里親を見つけるということをボランティアでしていたのです。
 精神的にちょっと苦しかった私は、横須賀まで出向き、ラッキーと名付けるこのシェルティと出会います。
 
 つくばについたその日、ラッキーは家出をします。
 ただ、首輪に住所と電話番号を書いておいたので、翌日、2キロほど離れた農家から連絡があり、ラッキーを引き取りに行きました。
 その後も、ラッキーは住まいとした一階の部屋の壁を体当たりで破り、順調に花々が育っていたウッドデッキ上のプランターをひっくり返し、散歩に行っては、私の言うことを聞かないという暴れっぷりを見せました。

 壊れた壁を修理する姿を見せ、プランターを整える姿を見せ、散歩では右につけて一歩でも私より先に行けば叱り、守ればご褒美をあげました。

 胃が弱いのか、下痢をよくしました。
 そういう時は、腹をさすってやりました。
 犬は、痛くても何も言わないのです。

 ラッキーが来る前に、私の家には、アンというシェルティがいました。
 二人の娘がまだ小学生の時です。
 その娘たちにゆくゆくは出産というものを見せようと思って、ペットショップで購入してきた犬です。
 一年後、アンは、玄関で、4匹の子犬を出産しました。
 そして、足の悪いケーシーだけが我が家に残り、2匹の母子犬は、我が家の一員として、十数年を共に生きることになったのです。
 
 アンよりケーシーの方が先に逝くことになりました。
 ケーシーはシェルティにしては体が大柄で、事情を知らない人はコリーだと思うくらいでした。私と一緒に散歩に行くことが多く、アンよりは厳しく育てられたと思います。
 ですから、ケーシーは私が怖く、いつも、私の前では、「恐縮」する姿勢を取っていました。
 反対に、アンは、私が怒ろうが、何をしようが一向に構いません。
 時には、ケーシーを誘って、別の部屋に行ってしまうのです。
 それも、私の方を一瞥してです。

 そのケーシーの体が弱ってきました。
 獣医さんは、手の施しようがないと言いました。かなり、重篤な病を患っていたようです。
 ですから、ご家族で、一緒に、時間を過ごしてやってくださいと言われ、家に戻ってきたのです。 
 その夜、私は、今までしなかったことをケーシにしました。
 一枚の犬用のせんべいをケーシーにあげたのです。
 ケーシーはそれを口にしました。でも、もう一枚欲しいというそぶりはしませんでした。
 そして、朝方、アンが冷たくなったケーシーの口元を舐めている姿を見たのです。
 
 アンはその後一年、足を引きづり、目元はたるみ、まゆは白くなり、スーと息を引き取ったのです。

 そんなことがあったから、もう犬を飼うことなどやめようと思っていたのですが、学校を移るという心労から、私は横須賀にラッキーを求めたのです。
 
 私の、このつくばの家で、三匹の犬が、大して苦しむそぶりも見せずに息を引き取りました。

 私も、二階の日当たりのいい部屋で、ロッキングチェアに揺られながら死にたいと思っています。苦しむこともなく息をそっとしまいたいと……。

 それでも懲りずに、今、私の家には、キャラという名のコーギー犬が一匹います。
 7歳になりました。
 シニアの餌を与える時期になりました。

 私がロッキングチェアで息を閉じる前に、コーギーのキャラの末期の水を取らなくてはと思っているのです。

 実は、アンはアデレイドに暮らす知人の娘の名からとりました。
 ケーシーは、その知人が飼っていた犬の名前。
 そして、キャラは、娘たちととても仲の良かったイタリア系オーストラリア人教師の娘の名前です。
 ラッキーだけは、学校を移っても、私に幸運が続くようにと名をつけました。


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ありえない話ではないのです

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幼い子供たちが遊ぶレゴには、「教育レゴ」というレゴがあります。コンピューターを取り付けて、センサーを取り付けて、作ったレゴをロボットとして動かすのです。いいおっさんがこんなことをしてと笑ってはいけません。これが次代の学校教育に導入されているのです。子供たちは、小さな部品を組み立てると同時に、コンピューターにロボットを動かす記号を打ち込んで行くのです。英語とプログラミング、これが次代の教育の柱となるのです。



 このところ、日経やNHKで、スコットランドに関する、あるいは、そこを舞台にした記事や番組を見る機会が多くありました。

 私は、まだ、スコットランドには足を伸ばしたことがありませんが、スコテイッシュな町と知られているカナダのビクトリアという街には何度か行ったことがあるのです。
 しかも、カナダでも屈指のホテル、ビクトリアの町の中心にあるエンプレスホテルに宿泊しての訪問でした。

 ホテルからしばらく歩くとショッピングエリアがあります。
 そこへ行くと、当時まだ行っていなかったイギリスを、確かに私は感じていたのです。
 店々のあちこちに、カナダの国旗と同じくらいにユニオンジャックが飾られ、土産物には女王陛下のお姿がプリントされ、スコットランドキルトの本格的な店もありました。
 この町は確かにカナダの町なのかと疑うばかりのありようであったのです。

 また、ショッピングエリアばかりではなく、エンプレスの前の道路の向こうの橋の上には、バクパイプを演奏する男性が、例のスカートをはいて、スコットランドの正装をして演奏していたのです。

 その後、イギリスに出かけるようになり、イギリスという国が複雑な歴史を持っていることを知ることになります。
 グーレトブリテン島の北部に位置するのがスコットランドですが、南部のイングランドはレンガ作りの家、スコットランドは石造りの家、南部は平坦な土地柄で、北部は起伏のある風土とこれも異なるのです。
 言葉や習俗も異なります。
 そして、イングランドがスコットランドを征服し、配下に治めるのです。
 それはウエールズもアイルランドも同様です。
 つまり、イギリスという国は、イングランドが周辺の言葉も習俗も異なる国を征服して生まれた国であるということなのです。

 日本でいうならば、維新の折、幕府に最も忠実であった会津藩を、薩摩藩を中心とする官軍が大軍を組織し、攻め入り、会津を破った話が有名です。
 破れた会津人は、その後、酷寒の地の開拓者として送られ、辛酸を舐めることになります。
 しかし、薩摩憎しという声はさほど聞こえてきません。
 それは、方言の違いはあっても、同じ日本民族として、一緒にまとまろうという気持ちがそこにあるからです。

 でも、イギリスはそうはいきません。
 2014年、スコットランドに独立騒動が起き、住民投票が行われました。
 結果は、独立を否決しましたが、2016年のEU離脱問題では、スコットランドの意に反して、イギリスは離脱を決めました。
 スコットランド政府は、改めて、独立の是非を問う法案を通し、今度の国民投票では独立への道筋が立つのではないかと言われています。

 なんとも複雑な歴史です。

 先ほど、薩摩と会津の話をしましたが、日本だって、歴史の歯車がちょっとした噛み合わせの違いが出てくれば、関東と関西と分かれていたかもしれません。
 言葉だって、交易をするための貨幣でも、江戸と大阪では、金本位と銀本位というように違っていたのですから、天皇陛下を擁する西の日本と、将軍を擁する東の日本があっても不思議ではなかったはずです。

 1945年、日本が太平洋戦争で降伏をした時も、アメリカの力が弱ければ、北海道はロシアに組み込まれていたでしょうし、中国は九州を、イギリスは四国を支配下に入れていたとしても、なんら不思議はありません。
 そうならなかったのは、昭和天皇はもちろん、当時の状況下で、将来の日本を的確に考察し得た政治家がいたからに他なりません。

 ヨーロッパ大陸を見てみますと、多くの言葉、それに伴う民族が入り乱れ、国を作っています。そのため、幾世紀にも渡って、争いが絶えませんでした。
 ヨーロッパの近現代史は、争いの歴史といっても差し支えないくらいです。
 その戦いに明け暮れた大陸が、最も先鋭的に戦い、憎み合ったドイツとフランスの手で和解を成し遂げ、共同体を作り上げたのは、人類が果たした歴史的な快挙として記録されるはずです。

 中国大陸でも、ヨーロッパと同じ状況であったと言っても差し支えありません。
 東北地方の言葉、上海の言葉、広東の言葉、四川の言葉、それぞれ異なります。それは、方言の違いでは済まされない違いがあります。
 ですから、この国も、歴史の歯車がちょっと違ってかみ合わさって入れば、おかしなことになっていたはずです。

 つまり、四川共和国があり、広東人民主共和国があり、上海杭州自由連合共和国があり、東北女真国がありと様々な国の形があったことも考えられるのです。
 今の中国政府には失礼かもしれませんが、その方が、あの国はより正常な形で、そして、より早く豊かになっていたような気もするのです。
 それぞれの民族や言語を共有する人々が、一緒くたにならずに、個性を輝かせて、それでいて、世界に冠たる国々として、尊敬を集めていたのではないかと……。

 しかし、それやこれやは非現実のありない話だと目くじらをたてることはありません。

 あのアメリカでさえ、分断する可能性を示しているのです。
 しかも、飛び地で国が分断されるのです。
 トランプを支持する州がよせあつまるアメリカ共和国とそれに反対するアメリカ民主国です。

 人間はありとあらゆることをやってのける動物です。
 ですから、アメリカでも、中国でも、日本でも、イギリスでも、このことは、まったくありえない話ではないのです。


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小さな一個の関係を誇りに

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昨年の秋、寄せ植えを作り、一階の書斎から見えるベランダに吊るしました。その一つの葉物から花が咲きました。思いがけない花に嬉しい思いをしました。


 オーストラリアの北にある都市ダーウィンで、2月19日にある式典が催されました。
 この日は、日本軍が、75年前の1942年に、空襲をした日なのです。
 
 チモール海に進出した日本海軍機動部隊、「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」の4隻の航空母艦から188機の戦爆部隊が発進し、連合軍の基地があるポート・ダーウィンを襲いました。
 これは日本がオーストラリアに攻撃を加えた最初の、しかも、最大の空襲となったのです。

 使われた爆弾は、二ヶ月ほど前に真珠湾に落とされた爆弾を上回っていたと言いますから、激しい爆撃であったものと思われます。
 そして、日本軍による空襲は、1943年11月まで断続的にですが続くことになるのです。

 オーストラリアへの最初の爆撃の日に、一連の攻撃で犠牲になった人々の慰霊式典が、毎年、ここダーウィンで行われているのです。
 真珠湾での首相とオバマさんが参加した式典ほど盛大なものではありませんが、オーストラリアと日本にとって、極めて重要な式典であると言えます。

 日米同様、今、オーストラリアと日本の間では和解がなされ、この式典にも、日本人の遺族が参加していました。
 先だって、トランプから会話中に電話を切られ、それでも、大人の対応をしたターンブル首相は「日豪は和解を経て、非常に強いパートナーシップを築いた」と、慰霊式典に臨んで語りました。

 オーストラリアとは関係浅からぬ私ですから、このような記事を日本の新聞で見るとホッとするのです。
 何せ、私の孫がこの国で学び、この国で暮らしていかなくてはならないのですから、なおのことです。

 取手の学校にいた時、「国際化教育」推進のため、南オーストラリアのアデレイドにある公立学校と交換留学の契約を結びました。
 オーストラリアは日本語教育が盛んで、当時、学校現場では、フランス語を抑えて、第一外国語として日本語が受けとめられていた時です。

 また、「ウォークマン」が世界を席巻し、日本が経済的な全盛期を迎えていた頃の時代です。

 このとき出会った数家族とは、もうかれこれ数十年来に渡る交流が続いているのです。
 きっと、私は、日本国内よりもオーストラリアのいろいろなところに出かけている方が多いのではないかと思います。
 知人の中には、私がオーストラリアで永住していると思っている方もいるくらいです。

 時代も変わり、今、真夏のオーストラリアから日本にスキーを楽しむために多くのオーストラリ人が、家族づれで、来日してくれています。
 きっと、あの時、日本語教育を受けた子供たちが大人になり、自分の子供たちを連れて、やってきてくれているのだと思っています。

 そんな姿を見ると、教育の力のすごさを、私は思い知るのです。

 国と国、国民と国民との関係が構築された素晴らしい関係は、きっとこれからも続いていくことを、私は、あの一時期、オーストラリアとの国際交流に関与した人間の一人として確信しているのです。
 同時に、娘や孫が差別を受けたり、自分が暮らしたい街で暮らしていけない不自由を感じないように、この国があってほしいと思うのです。

 何せ、トランプが変なことをやらかす時代ですから、せせこましい考えがはびこり、かつての「白豪主義」がまかり通るような国になってほしくないと思っているのです。
  
 差別は、人の心のさもしさから生まれます。

 人間は、肌の色、言葉、習慣、そして、食事や着るもの、何から何まで、住む環境によって異なります。
 それは、至極当たり前のことで、それがあるから、世の中は面白いのです。

 しかし、せせこましい考えは、それを排除し、単一にすることこそ最良であるとします。
 日本も、そうしたことを国を挙げて、唱えてきた時代がありました。
 いや、その時代は、日本ばかりではありません。世界がそうであった時代なのです。当然、人々は自国を優先し、ついには、戦争というやり方で決着をつけようとしてしまったのです。

 しかし、どのような国も、自国の文化や習俗を大切にして、他国のそれを尊重するという、極めて当たり前の、自然な良心に基づく、あり方であれば、せせこましい考えがいかに野暮かはわかるはずです。

 そして、教育によって、差別は助長もされ、反対に、抑えることもできるということを知っています。
 もちろん、それは理不尽なことをする中国やロシアの政府を擁護することを意味しません。非道は非道として、声を挙げていく必要はあります。
 
 オーストラリアという国とその国民との間にできた小さな関係を、そして、それに関与できたことを誇りに思い、一人の人間として、大切にしていきたいと思っているのです。


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自由のない、青空のない世界では困るんです

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冬の何気ない光景です。しかし、日差しが幾分なりとも温んできています。樹の下には、どんぐりがいっぱい落ちています。空は、澄んであくまで青さを保っています。


 世界は、巧みに、かつ、計画的に世界戦略を果たした二つの国の勃興によって、三分されたと考えたら、それはありえないことと一笑に付されるでしょうか。
 
 衰えたりと言っても、アメリカは潜在的な経済力と軍事力を保持し続けます。
 しかし、この70年あまり、民主主義を世界の隅々に広げるという大命題をいとも簡単に放棄ししてしまいました。
 それは、かつて、大航海時代を制し、世界の隅々にキリスト教を布教するという大命題を掲げるも放棄したポルトガルの姿に似ています。
 それゆえ、トランプのアメリカは、自身の位置する北アメリカ大陸に閉じこもるのです。

 プーチンのロシアは、ロシア積年の野望をついに果たします。
 地中海・大西洋及び太平洋における不凍港を確保することに成功したのです。
 これにより、ロシアはその歴史の中で、初めてヨーロッパとアジアの二方面に、その地政学的優位を確立することになったのです。
 気候温暖化も幸いしました。
 人間が暮らすことのできる土地が天から降って湧いたように増えて、かつてのアメリカのように、ロシアは移民大国となり、アジア、ヨーロッパからの移民が、シベリアを中心に増加し、国力はこれまでになく大きいものとなっていったのです。

 そして、習近平の中国。
 一帯一路政策は、実を結び、中国はユーラシア大陸及びアフリカ大陸を結ぶ高速鉄道網を構築、人と物資の迅速な移動を可能にしました。
 首都北京、そして、商都上海は、歴史上いかなる中国王朝も果たしたことのない繁栄を築き上げ、北京には世界各地から人が集まるようになったのです。
 
 世界の大洋には、ロシアと中国の空母部隊が遊弋し、微妙な均衡を維持するようになりました。
 かつてのように、自由世界を標榜するあり方は影を潜め、責任ある国家が人民の最低限の生活を保証するあり方に変わったのです。
 食うに困らず、生きるに苦労せず、住む家も、欲しいものも贅沢をしない限りは手に入るようになったのです。

 人類は、ついに、究極の理想社会を手に入れたとプーチンと周は豪語しますが、その言葉の背後で、食うに困ることも、生きるに苦労することも苦にせず、好きなものを手に入れること、そして、何より、さまざまの情報を手にして、それを吟味し、自分にとって真実であるものを選択することを願望する人々が、ユーラシアの東の果ての島国のひっそりとした場所にはいたのです。

 そこから、新しい世界を標榜する動きは生まれて来たのです。
 それこそが、画期的な、人類の未来を照らす「人心の変動」というものです。
 新しい時代を生み出すマグマのようなうねりがそこにはありました。

 さて、空想する歴史の時間を、現代に戻してみましょう。

 ある宗教家は言います。
 一千年ほど前、日本では親兄弟が争い、殺しあう時代がありました。
 平氏一門は、そのために一族郎党みな殺しにあうのです。それを慰めるために、一門は山奥に身を潜め、隠れるように暮らしたと言い伝えられたのです。
 それでも、心は落ち着かず、鎌倉には、新しい仏教の教えが興り、やっと人々の心の傷が癒えた、と。
 
 それから、五百年もすると、人々はそのことをすっかりと忘れ、また再び戦乱の時代を迎えるのです。
 信長が天下を制するも、信頼していた部下光秀に寝込みを襲われ、それを秀吉が討ち取りと、血で血を洗う下克上の争いが繰り返されます。
 のらりくらりと戦国の世を生きぬかざるを得なかった家康がついに天下を平定し幕府を開いて、制度を作り上げて、人々の心はやっと安定したのです。

 ある評論家がいます。
 明治になり、時代の動きは急速に早まり、500年ではなく、100年弱の周期でめまぐるしく動いている、と。

 黒船がやって来て、日本は目を覚まします。
 家康が作り出した天下泰平の時代に終わりが来たのです。
 日本は、破竹の勢いで、発展を遂げて、世界にその名を轟かせます。
 しかし、あの黒船の国に、国土は破壊され、新たな出発を余儀なくされるのです。
 1945年のことです。江戸幕府が大政奉還をしたのが1867年ですから、78年が経っていることになります。

 そして、「現代」こそが、宗教家のいうあれから500年後、評論家の言うあの時から100年弱の年なのです。
 
 戦後の世界モデルは、まさに崩れ去ろうとしています。
 宗教家は、これは末法の世の始まりであると言い、新たな価値観の創出を訴えます。
 評論家は、かつて幸運にもあった黒船がもたらした社会改革と生き生きとしたアメリカ文化の受容が、今回はないと断言し、日本独自のあり方を求めていくことを声高に述べるのです。

 先に空想したような未来があっては困るのです。
 自由がない、青空がない、世界では困るのです。


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おぼろげなる損得勘定

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役目を終えたのか、それとも、旧式になったのか、筑波石のゴロゴロ転がる廃棄所に、一台の農機具が無残な姿で放置されていました。この農機具を使っていた農民の仕事ぶりはどうだったのかと写真を撮りながら思案しました。きっと……、そう思ったのです。


 新聞を読んでいると、時に、珍妙なデータに出くわし、そりゃもっともだと思ったり、いやいやちょっと違うなという話になることがしばしばあります。

 ちょっと違うなというものの代表格が、貯蓄額の調査データです。
 みなさん、そんなにたくさんのお金を持っているのかなと、私などは首を傾げっぱなしです。
 そして、私だけ、世の中の動きとは別のところにいるのではないかと、ちょっと寂しくなったりするのです。

 もっともだと思ったのは、トランプの支持率が40パーセントを下回ったというデータ、そして、中国や韓国に対する日本人の好感度を示すデータなどです。

 トランプが安倍総理を歓待したことで、日本ではトランプへの支持率はともかく、好感度は幾分は高まるかと思いますが、実際のところはまだわかりません。
 それより、むしろ、王毅が先の外相会談で、トランプとの会合にいちゃもんをつけたり、あいも変わらず、公船を尖閣の接続海域に派遣したりして嫌がらせをしたりすることで、中国への好感度を下げていることには誰しももっともであると感じると思うのです。
 ましてや、慰安婦像をあちらこちらに作る市民団体を取り締まることができない韓国政府と韓国に対する好感度が低いことにも、もっともであると感じる日本人は多いと思うのです。

 珍妙なものには、ロシアの企業が行なった調査で、「SNSで嫌な気分になった」という調査結果には、微妙な気持ちにさせられました。
 つまり、嫌な気分になった理由の中に、自分以外の人が自分より良い人生を送っていたというのがあったのです。
 結婚や、子供のこと、休暇や旅行を、そして、日常の生活を楽しむサイトやブログを見て、嫉妬していたということです。

 私などは、ご夫妻で小旅行に出かけたり、退職して趣味を思う存分に楽しんでいたり、年頃の娘さんが悩み事を率直に述べていたり、時には、世の中に対して不満を述べていたりする人々のそれらを見て、感心したり、同感したりしていますので、そういう人もいるんだというちょっとした驚きがあったのです。

 人間には、人の不幸を喜び、人の幸福に嫉妬を感じるという妙な癖があります。
 それがあるから、人間はいわゆる芸術的活動を成せる技を持つことができたとも私などは思っています。

 ですから、ロシア企業の調査で、平和で楽しい生活をしている人の記事を見て、嫉妬するのはもしかしたら、極めて人間らしい反応の仕方であるともいえるのです。

 むしろ、偏屈な考えを持っている私など、SNSで、そのように楽しげで、誰もが羨ましくなる記事を書いている人は、本当はそうではないのではないか、そうありたいという願望が、そのような記事を書かせ、発信させているのではないかと勘ぐりを入れたりすることもあるのです。

 人間には、人の不幸を喜び、人の幸福に嫉妬を感じるという妙な癖があると先ほど書きましたが、それに加えて、人には、自分の幸不幸に対して、それを仲裁する本能もあると述べておきたいと思います。

 それは、私たちの中に、損得は順繰りに巡ってくると考える、言うなれば、仏教的な観念があるということを意味します。

 よくないことが立て続けに起きる時があります。
 不思議なことですが、同様の事件というのが連続して起きるのと同じように、個人的な出来事でも、それは極めて高い確率で起こるのです。
 
 そんな時、当事者であるその人は、これだけ悪いことが起きたのだから、次は良いことが起こるに決まっていると得心するのです。
 
 そこにはなんら根拠というものがありませんし、不幸が連続して起きたことすらも、なんら科学的立証があるはずもないのです。
 そこにあるのは、損得が等しく人にあるというおぼろげな感覚だけなのです。

 しかし、その感覚を、非科学的で愚かなものと一蹴することはできません。

 時には、非科学的なことも、理不尽なことも、人の心を救う大切な要件になりうるのです。
 悪いことがあれば、良いこともあると考えるあり方があるからこそ、人は、困難を克服できるのではないでしょうか。
 人が悩むときは、状況がマイナス的要素をふんだんに含んでいるときです。
 そこに執着ばかりしていると、容易にそこから抜け出せないで、心身ともに疲れ果ててしまいます。
 しかし、きっと、良いことがくると、一縷の望みをそこに持てば、人は、瞬間的に、気持ちを転換できるのです。

 案外、そうすることで、先のSNSで、人に対して嫉妬するということなども、この人はここに至るまで、きっと、相当の苦労をしてきたに違いない、だから、今、こうして幸福を受け止め、語ることができるのだ、素晴らしいことではないかと思えるようになると思うのです。

 そのことの方が、嫉妬して、自分を蔑むより、どんなにか良いかと思うのです。

 損得というのは、誰しも平等。
 自分をしっかりと見つめ、自分のなんたるかを得ていることが大切だと痛切に思うのです。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
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《2/25 Saturday》  
                   
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