ウエストミンスターブリッジのたもとにて

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まもなく、夏に向けての鉢植えの準備です。ウッドデッキに並べられた鉢に、夕日が差し込み、美しく照らしています。日も伸びました。気温も次第に暖かくなります。


 イギリスに、滞在していた時、私が特に関連づけて訪問していた場所があります。
 それが大英帝国の遺産ともいうべき「軍事」に関する場所です。

 一つは<ポーツマス>という軍港です。
 百年戦争でフランス軍の攻撃を受けて破壊され、その後、黒死病の影響もあり、衰退の道を辿ります。が、要衝地としては変わりなく、歴代の王により、再建への取り組みがなされました。
 その後、スペイン無敵艦隊との海戦にネルソン提督がここから出航したこと、そして、第一次大戦では飛行船ツェッペリンの爆撃を受け、大きな被害にあい、第二次大戦では、ノルマンディー上陸作戦のための連合軍本部が置かれた場所でもあるのです。

 余談ではありますが、ポーツマスを訪問した時の出来事を、私は『ポーツマスの旅』として発表していますので、お読みいただければ幸いです。(リンク欄からアクセスが可能になっています。)

 もう一つは、<ダックスフォード帝国戦争博物館> (Imperial War Museum Duxford) です。
 ここは、滞在していたケンブリッジの駅からバスでわずかのところにあるかつての飛行場で、第二次大戦でのバトル・オブ・ブリテン(Battle of Britain)、つまり、ドイツ空軍とイギリス上空で壮絶な空中戦を戦ったイギリス空軍の基地が置かれていた場所です。
 この博物館の意義は、イギリスの戦いの歴史を国民に知らせるものであり、同時に、アメリカ空軍が所有し、戦勝へと導いた航空機の実物が展示されていることです。
 
 そして、三つ目が、ロンドンにある、その建物の前には巨大な艦砲が配置された<ロンドン帝国戦争博物館>(Imperial War Museums)です。
 夏といえども、涼しいロンドンですが、私が地下鉄ベーカールー線のランベスノース駅を降りて、かの博物館に歩いて向かった日は、首元に暑さを感じる天候の日でした。
 1機のエンジン部分のない、被弾したのであろう何個かの穴の空いた機体がそのまま展示されていたのが印象的でした。その形から明らかに零戦とわかるそれは機体でした。
 それが日本のものを示す数少ない展示品だったのです。

 三つのイギリスの場所を訪問して感じたのは、戦争に勝った国のありようであり、展示であるということでした。そこは、勝利の栄光に満ち溢れ、イギリスの誇りが充満していました。
 しかし、かつての敵国への侮辱とか、敵対した勢力を愚弄する下品な展示はありませんでした。イギリスという国の品位がそこには醸し出されていたと私は感じたのです。
 
 その日、私はロンドンの帝国戦争博物館を出て、地図を片手に、テムズ川の方向に歩くことにしました。二階建バスにも乗らず、地下鉄にも乗らず、歩くことにしたのは、ロンドンという街の観光地でもない街並みを歩いてみたいという欲求が地図を見て増してきたからに他なりません。

 しばらく歩くと、そう、隅田川を浅草方面に向かって歩いているかのような錯覚を覚えました。大きな橋が前方に見えてきて、土地が緩やかに隆起しているのがわかるのです。
 意外にも早く、私の目指すウエストミンスターブリッジが見えてきたようです。

 テムズ川は隅田川よりも幾分広く、茶色の流れを見せてそこにありました。
 大きな橋です。左手にはビックベンが聳えています。それを先頭に英国国会議事堂の威容が川面に影を落として、その雄大さをさらに大きくしています。
 その建物の向こうには、ウエストミンスター大聖堂があり、ロンドン警視庁があるはずです。

 ビックベンの道を挟んで反対側には、商業施設があります。橋のたもとには多くの土産物屋が軒を連ね、観光客がひしめき合っているはずです。
 その商業施設の建物の向こうには、首相官邸のあるダウニング街10番地があり、衛兵交代式が11時に毎日なされるホース・ガーズがあります。バッキンガム宮殿の衛兵交代式は混雑しますが、ここは間近で、騎馬した衛兵の交代が見られるので、私などこちらの方へは二回も足を運んでいるのです。

 ロンドン時間の3月22日午後2時40分、この橋の上を一台の車が、ビックベン方面に向かって歩行者道を暴走し、さらに英国議事堂の庭先まで走り、警察官らにナイフで切りかかったのです。
 議会で執務中のメイ首相は、護衛官らによって、即座に安全な場所に移動させられ、その場にいた多くの議員は伏せるよう指示されたと言います。

 元ロイヤルグリーンジャケッツ(英陸軍歩兵連隊)の隊長であったエルウッド下院議員は、犠牲になった警察官の蘇生を試みましたが、その後、首を垂れてその場を立ち去ったと、ファイナンシャルタイムズは伝えました。
 彼の兄は、200名以上の死者を出したバリ島のテロ事件の被害者の一人でもあったのです。

 首相を守り、警察官の救命を試みるそんなイギリスの議員のあり方を読んで、私が旅したイギリスの誇りの数々が現実にそこにはあったのだと実感しました。

 一方、日本の国会では、教育者の仮面を被ったサイコパスのような人物が、欲の皮を突っ張らせて、大人物であるかのような振る舞いに出ていました。
 名指しされた議員及び諸氏はことごとくその発言の虚を伝えています。
 虚を実と信じているのは、何らかの意図を持った議員たちばかりです。

 こういう時、誇りある英国議会はどのような振る舞いに出るのだろうかと考えました。
 いや、振る舞いに出るまでもなく、そのような虚を吐く人士を国会に招致するはずがないのではないかと考えるのです。

 人には常識というものがあります。それが嘘なのか、そうではないのかを、司法とか、推理小説的推量の類で判断するのではなく、常識で察知しなくてはなりません。

 フランスで日本人女性が殺害された件といい、今回の件といい、サイコパスの振る舞いに対して、政府も司法も、国民も、明確な対応策を取らないといけません。
 彼らは、虚を使って、実を滅ぼす巨悪の元凶なのです。
 人類が培ってきた「常識」なる判断こそが、誇りある行為を支えるのです。

 そんなことをウエストミンスターブリッジの橋を渡った思い出とともに思ったのです。


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包囲せよ!海洋を守れ!

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冬の川の流れと春先の川の流れと、表向きはなんら変わらないように見えますが、そうではありません。水温むという言葉があるように、川の流れはささやかな水の温度の違いをその流れに見せているのです。写真ではそこまでは捉えることができませんが、確かに、流れは温さを持って流れているのです。


 自国の報道ではなく、他国の報道から、ある事実を知るということがあります。
 特に、軍事に関する情報において、それが顕著です。

 「環球時報」を読んでいて、こんな記事が目に入りました。

 『日本欲派准航母巡航南海,中国外交部回了六个字』
 <日本は準空母の南シナ海への派遣を望んでいる。それに対して、中国外務省の答えは6文字である。>

 <日本の準空母><南シナ海への派遣><6文字の回答>
 なんとも気をそそる文言ではありませんか。

 3月17日付の「環球時報」の記事は、読んでいくと、ロイター通信が出したものをベースにして書かれ、日本の新聞がほとんど取り上げていないものでした。

 ここで<準空母>と言われた護衛艦は、現在、海自最大の護衛艦である「いずも」を指しています。
 すでに、海自には、全通飛行甲板を持つ護衛艦としては、「ひゅうが」「いせ」がありますが、それを一回り大きくしたのが、この「いずも」で、同型艦に就役したばかりの「かが」があります。つまり、海自には、呼称は護衛艦ですが、いわゆる空母が4隻存在しているということになります。

 その最新鋭の空母「いずも」が、「環球時報」の記事によれば、今年5月に、3ヶ月の予定で南シナ海方面に派遣されるというのです。
 シンガポール、インドネシア、フィリピン、スリランカに立ち寄り、7月にはインド・アメリカ両海軍が毎年実施する「マラバール」に参加し、8月に帰国するというものです。

 「環球時報」の記事によれば、「安倍」は、南シナ海問題に口出し、これらの国々を丸め込もうとしているというのです。その証拠に、フイリピンでは、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領を空母「いずも」に招待する計画も立てていると言っています。

 そのことは、後でまた述べることとして、インド・アメリカ両海軍が実施する「マラバール」という訓練がいかなるものについて、少し、調べてみました。
 
 2007年に行われた「マラバール」では、米印の二カ国以外に、シンガポール・オーストラリア・日本が参加したのですが、これに対して、中国は反発し、インドは、今、中国が韓国のサード配備に対して嫌がらせをしているような、いわゆる「外交的攻撃」をインドに加え、インドはそれに屈してしまったというのです。
 以後、「マラバール」は、米印二カ国に限定した訓練となったのです。
 
 この内容は、中国が「マラバール」への警戒を強くしていることを意味するものです。
 
 また、インド国防省は、今年から、「マラバール」には、日本が常時参加して、三か国の合同演習になるとも伝えてもいます。
 過去、中国の外交的攻撃に屈したインドは、今、公然と中国に対抗するようになったのです。

 そこに、中国の張子の虎のような空母ではなく、ヘリ9機を同時投入可能な空母「いずも」を海自が投入するのです。その気になれば、オスプレイも、F-35B垂直離着陸戦闘機さえも艦載できるのです。
 海自にその気が無くても、中国が警戒するのはもっともなことなのです。

 インドが対中国への強硬な路線をひくようになったのは、中国の「一帯一路」政策への危惧を持っているからにほかなりません。
 中国はスリランカ、およびパキスタンで、港湾建設を援助し、モルディブに接近をしているのです。南シナ海で中国が好き放題をすれば、きっと次はインド洋に触手をのばしてくると考えるのは妥当なあり方です。
 つまり、日本とインドは、中国の膨張政策に対抗するという点では一致点を持っているのです。
 そして、中国外務省の6文字です。

 記者の質問に答えて、华春莹報道官は、「一点都不担心」(少しも心配していない)と回答しました。
 さすが、中国人です。女性報道官ではありますが、大人然とした振る舞いです。

 公海上を通過して、正常な国家間の交流であれば、文句はないというのです。
 しかし、日本に企みがあれば話は異なる。最近、日本はごたごたを起こし、この地域を扇動していると言葉を続けています。
 つまりは、先ほどの大人然とした振る舞いは見せかけで、内心は空母「いずも」の進出を脅威として受け止めているのです。
 かつて、米英と並ぶ海軍を持ち、6隻の空母を同時に運用した実績を持つ日本の空母運用に対する脅威を感じ取っているのです。

 先に述べた、ドゥテルテ大統領を「いずも」に招待して、丸め込もうなどという安直な考えは海自にはないし、ドゥテルテ大統領も、そのような単純な指導者ではないのです。

 中国の海洋進出に対して、日本も、インドも、東南アジアの国々も心配をしているのです。
 彼らが平和と安定と述べるたびに、そうではない、言葉は常に裏切られ、気が付いた時には、そこに基地があり、他国の船舶が近寄れない海域になってしまうという危惧があるのです。

 しかし、当事者の中国はそれに気づこうとしないのです。
 今、日本が踏ん張らなければ、人類共通の財産である大洋の平安は維持できなくなるのです。


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「時」に翔ける心の機微

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これは、ほぼ満開になったサクランボの花です。我が家の道路一本向こうにある研究所の桜はまだ蕾さえも固く閉じていますが、サクランボの木の花は、我が世の春と謳歌しているのです。木、それぞれ、人、それぞれ、なのです。



 H・G・ウエールズの『タイムマシン』、あるいは、映画『バック・ツウ・ザ・フィチュアー』には、少なからず、心をときめかせた人が多いに違いないと思います。
 人が、過去や未来に自由に行き来できるという思いは、サイエンス・フィクションにおける最大のテーマであるのです。

 タイムマシンが現実にも可能と考える科学者の中でも、過去にだけは行けないとする人たちがいます。
 過去に人が行けば、過去の事実を歪曲する可能性があり、そうすれば、時間の矛盾を引き起こし、世界は崩壊するからだと説明します。
 
 それに反論する人たちは、過去にはいくつものパターンがあり、複数のパターンが並存しているのだから、過去に行って、事実を歪曲しても、そのパターンの時間が経過していくだけだから、問題はないと意見を述べます。

 未来に出向いて行って、自分のターニングポイントであった出来事を見つけ出し、そしてさらに、過去に戻って、そのターニングポイントに造作を加え、自分の未来を変えてしまうこともできるという人もいます。
 例えば、人類が天才だと評価する人たち、科学者だけではありません、エンターテイメントの世界でも、そういう人たちは、未来から知恵を授かり、自分を偉大にしたのだというのです。

 あるいは、歴史的事項において、例えば、織田信長がわずか三千ばかりの兵で、あの雷雨の中、桶狭間に突入して行ったのは、信長が未来でそのことを知り、確信を持って、攻め込んだものであるというのです。
 しかし、本能寺での悲惨な最期を、信長は未来で知りえなかったのかと言う疑問には答えようとはしません。

 そして、また、人類が手にしたわずか百年ちょっとの映像の歴史にも、未来の人間がそこに写っていると証言する人がいます。
 アメリカ開拓者の中にいるTシャツの男であったり、汽車を取り囲む群衆の中に、小型カメラらしきものを手にする男がいたり、これらを証拠に、未来からきたものたちであるとするのです。

 確かに、面白く、興味をそそる事柄ですが、未来人を証明する決定打にはなりません。
 なぜなら、Tシャツでも小型カメラでも、確かにそうだと断言するほどの明確な写真ではないからです。
 例えば、私が、子供の食べ残したピザのかけらを手にして、残してはダメだ、勿体無いではないかと差し出した写真があったとして、未来の人間が、この男が手にしているのは、未来に常識となっている、三角錐の形をした通信機だと思うかもしれないからです。
 (未来に、三角錐の通信機があるかどうかはわかりませんが……)

 しかし、「時」をめぐる思いは、尽きないものがあります。
 それは、人間に課せられた究極的な科学的命題なのかもしれません。

 私にはすでに両親がいません。
 それぞれが自分の人生を全うしてあの世なる世界に行ってしまいました。
 私は、自分がその時に遭遇した時、何十万円も坊さんに渡して、何文字かの戒名なる名称をもらうことを良しとしていません。
 直葬をしてもらい、つまり、亡くなったらそのまま焼き場で焼いてもらって、骨は散骨用に小さく砕いてもらい、後日、東京湾に撒いて欲しいと思っているのです。
 もちろん、その時は、盛大な船上パーテイを開くほどの財は残しておくつもりです。
 その業者も調べ、段取りは取っておこうと思っているのですが、なかなか、思いだけで動きは鈍いのが現状です。

 タイムマシンとか、散骨だとか、妙竹林な話をしていますが、私が問題視するのは、私たちの観念の中にある「時」と「時間」の概念の違いなのです。
 
 「時間」というのは、地球と月の関係、そして、太陽の関係から私たちに与えられた物理的な観念であることは言うまでもありません。
 物理的な観念であるから、共有が可能です。
 世の中の仕組みもこれを土台にして出来上がっています。
 時間差(時差)こそあれ、調整することで、地球上の人類はすべてを共有し、同じ「時間」を過ごすことができるのです。

 しかし、「時」となると、一概にそうとも言えません。

 3月になると、災害に関する番組や記事が多く出てきます。
 でも、私はそれらを見る気にはならないのです。
 なぜなら、あの地震災害をまともに受けたからです。
 私にとって、あの日の「時」は、そのまままだ残っているのです。
 動いてはいないのです。

 生徒たちの安全を確認し、帰宅したのは明け方近く、まだ揺れが続いています。それでも、私は倒れるように寝たのです。
 わずかの睡眠をとって、車で学校に出勤しました。
 通勤路のアスファルトは波打ち、路肩は崩れ、昨日の朝の光景とは打って変わって、そこには「色合い」が失せていたのです。
 地震は、この世から「色」まで喪失させていたのです。
 
 物理的な「時間」は過ぎ去っても、「時」は過ぎ去らないのです。
 言うなれば、「時」は、個人の中にあって、過ぎ去ることもあれば、じっとそこにある場合もあるものなのです。
 人類は「時間」を共有することで、社会を築き上げましたが、個々人は「時」を密かに持って、その「時」を自分の中で斟酌して生きているのです。

  「時」に翔ける心の機微を個々人が持っている限り、個々人は壮大な空想の世界を旅することができるのだ、私は考えているのです。


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「ものがたり」を「かたる」者たち

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浜辺で、二人の男の子が出会います。一人はこの浜辺によく来る男の子、いつも会う友人がいたのでしょうか、手を挙げて挨拶をしています。もう一人の男の子は不安そうに浜辺に立っています。初めて、海を見たのかもしれません。波の音のすごさも相まって、少々不安げです。……そんな絵なのです。


 「ものがたり」というのは、こども心に異様な世界を見せつけ、時に、恐れを抱かせ、時に、強い憧れを抱かさせるものでした。
 母、あるいは、祖父母が、添い寝をして、こどもにかたる「ものがたり」は、一瞬で、こどもたちを異界に誘い込んで行ったのです。
 
 こどもたちがもっとも異界なるものを感じたのは、異類婚姻の類の話でした。
 現実にはありえない話が、現実に起こるのだと信じるところに、日本人特有の精神構造のあり方を再認識するのです。

 というのは、デイズニーの映画などで見る異界は、例えば、『美女と野獣』などのように、本質的には異界のものではなく、主人公は、元来は人間であって、それが魔法にかけられ異獣になってしまっているというもので、根本的に、日本の「ものがたり」とは異なるのです。
 デイズニーに代表されるそれらのものがたりは、呪いを解いて、人間に戻ることで完結します。
 いうなれば、ハッピーエンドで、それを聞くこどもたちも安堵して眠りにつくのです。

 ところが、日本のものがたりはそうはいきません。
 『鶴の恩返し』にしろ、『雪女』にしろ、それらは人間ではない動物、または、異類なのです。
 こどもたちは、鶴が人間の女に変身すること、人間とは異なる世界にある特別な存在である霊魂が人間の姿形になって、目の前に現れることを、その小さな頭の中で思い巡らすのです。
 そして、思い巡らすことに、時には疲れ、時には慣れて、仕方なく眠りにつくのです。

 デイズニーの作品を見て、物事がハッピーエンドに終わることに慣れてしまったこどもたちにとって、考えることが厄介なくらいに複雑な日本のものがたりは、どこか情緒的で、哀しげです。

 私たちの世界観の中に、きっと、人間というのは自然の一部分であるという観念がしっかりとあるのです。
 それは宗教的様相に、端的に表れてきます。
 自然の一つ一つに命が宿しているという考え方です。
 石ころ一つにでも、樹木一本にでも、命が存しているのです。

 ですから、美しい鳥が、可憐な花が、海の奥底にある得体の知れないものが、人間に変身することもありうることなのです。
 しかし、私たちの祖先は、一生涯それらが変身しつづけることが可能とは考えませんでした。
 本性は、決して隠しおおせることはできないのです。

 ですから、変身した異界のものたちは、必ず、人間の元から去っていくのです。

 それも、突然にです。
 心を通わした人間の心には、大きな穴が空いたまま、その失った異界の者への愛着ばかりが残るのです。
 それが、「ものがたり」に情緒を与え、哀しみを誘うのです。

 最近、あることないこと、いや、ないことばかりをそうと思い込んで。「ものがたり」を「騙る」語り手が出てきました。

 彼らの目には、異界の、異類たちが映っているようですが、それが私たちには見えません。
 自分の頭が作り出す妄想だけが、先走っているのです。
 大抵は、そういう手の人間の妄想は、自己賛美の華々しい虚飾で満たされています。
 自分は何をしても素晴らしい存在であり、自分の行為は己のためではなく、国家・世界のための有意義なそれであり、誰からも批判を受けることはないし、賞賛されるだけであるという、自己中心的な観念に支配されているのです。

 不思議なことに、そうしたあり方は一部に熱狂的な同調者を生み出します。
 それは、一般社会とは異なったあり方への憧れであり、それは日本が生み出してきた「ものがたり」に通じるものなのです。
 同時に、「騙り手」は、その僅かな実相を、あたかも全世界が自分たちの「ものがたり」を受け止めているかのように錯覚していくのです。

 カメラを意識し、自分の言葉をこれ見よがしに騙るのです。
 大方は、それが眉唾だと知っていても、「ものがたり」を知る日本人は、もうちょっとその「ものがたり」を聴きたいと、知らず識らずに念願してしまうのです。

 そこには、「ものがたり」の末路への期待があるからです。
 この「ものがたり」には、この世からのいかなる去り方があり、哀しみがあるのかと。

 しかし、「ものがたり」が、「ものがたり」であるためには、美しくなくてはなりません。

 己の信念を貫き、いかなる批判に会おうとも、権力の無慈悲な弾圧を受けても、頑なに教育心情を実践していくのであれば、それは美しい「ものがたり」になります。

 ところが、今、私たちが目にするこの「ものがたり」には、それがないのです。
 そこにあるのは、異界のあの妖しげな姿ではなく、異類のあのおどろおどろしいありようではなく、下卑た人間が心の奥底に隠しもつえげつない「欲」でしかなかったのです。

 ですから、この「ものがたり」の主人公たちが、去った時に、人々の心に大きな穴の空いたような寂寥感も、愛着を覚えての哀しみも残らないのです。
 
 「問うに落ちず語るに落ちる」という言葉がありますが、なんともつまらない「ものがたり」なのです。


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Prove yourself right

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砂遊びに興じる子供を描いたものです。こういう時、子供は何を考えているのでしょうか。自分の記憶を辿っても、それが出てこないのです。でも、何も考えていないということはないという思いが強くあるのです。


 <Prove yourself right>とは、君の行なっていることが正しいことを証明せよ、という意味ですが、使い方としては、「おのれを信じよ」という、いわば、檄を飛ばす際のことばです。
 ことばには力があります。
 一つのことばが、人生の困難を乗り越えさせ、くじけそうになる気持ちを鼓舞してくれるのです。
 で、この<Prove yourself right>ということばは、どういう場面で使われてきたのかと言いますと、メジャーリーグのマリナーズの主力選手であるロビンソン・カノー選手が、チームの戦意を鼓舞するときに、よく口にしていたことばであるというのです。

 かつて、松井秀喜とともにヤンキースで活躍した二塁手であり、好打者でもあるあのカノーです。
 私は、松井選手がヤンキースに移籍して以来、今に至るまで、ヤンキースの大ファンであり、シーズンが始まれば、メジャーリーグの野球中継を楽しみにしている一人なのです。
 松井選手が活躍するメジャーリーグの野球が見たくて、ヤンキースタジアムでのチケットをなんとか取ってほしいと知り合いの旅行会社に勤務する方にお願いしたことがあります。
 残念ながら、その直後に、松井選手の例の骨折があり、ついに、ヤンキースタジアムには行かずじまいになってしまいました。
 が、実は、ボストンにあるレッドソックスの本拠地、あのグリーンモンスターという大きなフェンスがあるフェーンウエイパークには行っているのです。

 ボストン美術館を巡って、寮に帰るまで時間があったので、フェーンウエイパークに、その日私は寄ったのです。
 この日は、試合はありません。
 所在なく、球場の周りをブラブラとします。
 土産屋を覗き、スポーツバーでコーヒーを飲みます。
 すると、一人のうら若きアメリカ人女性が、日本語で声をかけてきました。
 
 「これから、スタジアムのツアーが始まりますよ。」

 彼女は、高校生の時に、交換留学で、日本の愛媛県で勉強したことがある方で、今は、この球場でツアーの担当をしているということでした。
 日本語が堪能なので、日本人観光客相手の説明を任されているということで、こうして、所在ない日本人を見ると、つい声をかけてしまうと言っていました。
 商売熱心というのではなく、むしろ、アメリカの野球をもっと知ってほしいという気持ちが彼女には強いように思いました。

 私は、彼女に案内されて、バックネット裏の入り口で、10ドルのチケットを買わされ、数人の予約していた団体客とともに球場に入ったのです。
 一塁側の内野から外野へ、そこには、座席ではなく、テーブルと椅子が用意され、観客はビールを飲みながら、頬杖をついて野球を見られるようになっているのです。そして、外野を巡り、あのグルーンモンスターのところに来ました。実に狭いところです。それに急な傾斜です。しかし、思いの外、さほど、ホームベースが遠いとは感じませんでした。

 彼女が申し訳なさそうに言いました。
 「今日は、選手が誰もグランドにいません。ごめんなさい。」
 後日、引率していた生徒たちが見学に行った時は、あの松坂選手と会えたと言いますから、本当に残念なことでした。

 小一時間の案内が終わり、私はほんのしばらく、この日本語が堪能なうら若きアメリカ人女性と立ち話をすることができました。

 野球は好きだけど、ずっとここで仕事をするつもりはないということでした。
 ボストンには名門の大学がいくつかあり、その院のどれかに入るべく、その準備をしているというのです。
 将来は、生物学を専攻し、研究者になりたいということでした。

 アメリカ人というのは、実にタフだと思いました。
 日本人はそのタフさを見習わないといけないと思ったのです。

 自分の行く道をしっかりと見据えている。一切ぶれることなく、そのために、時間を無駄にしない。誰かに頼ることもできないので、自分に実力が備わっていないと、何事もダメだというのでしっかりと力をつけて行く。

 日本に行ったことも、旅行ではなく、日本語と日本文化を学び、それが今、球場の案内という仕事で成果を上げているし、しかし、それが最終目的ではなく、本来の目的達成のために着々と準備を進めて行く。
 このようであれば、自分を見失うこともなく、充実した人生を歩んでいけると私は強く思うのです。

 日本の教育の目指すありようが、ここにあるのではないかと私はふと思ったのです。

 カノー選手がよく語るという<Prove yourself right>ということば。
 これは、物事が成るか成らないかを問う言葉ではなく、自分を信じ、自分が掲げた目標に対する真摯な向かい合いを示すことばなのです。
 
 自由というのは尊いものです。
 しかし、それを守るには、相当な犠牲も覚悟しなくてはなりません。また、不断の努力もまた求められるのです。

 <Prove yourself right>には、アメリカで活動する人びとの精神があるように思えたのです。


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プロフィール

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Author:nkgwhiro
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《3/25 Saturday》
              
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