「国の歌」

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秋でもないのに、色づきも艶やかな葉が我が家の小さい庭の一角にはびこってきました。セダムやつるバラに混じって自分を主張しています。はて、この色づきの良い葉の名前、なんといったかしら……。


 自慢でも何でもないのですが、私は、三つほど、外国の国歌のメロディーを口ずさむことができます。

 一つは、「The Star-Spangled Banner」、つまり、アメリカ合衆国国歌です。
 あの<Oh, say can you see……>で始まる歌です。
 私は、冒頭のこの一節しか覚えていませんが、なぜ、アメリカ国民でもないのに、メロディーを口ずさむことができるのかと言いますと、たぶん、野茂選手や松井選手が活躍していた頃から、BSで中継されていた大リーグの試合を見ていたからだと思うのです。
 それ以外には、なぜ口ずさめることができるのか理由が見当たらないのです。

 さて、もう一つは、「La Marseillaise」です。
 フランス共和国のあまりに有名な国歌です。
 『カサブランカ』という映画で、酒場でドイツ軍士官たちが雄々しいドイツの軍歌を歌っている最中、踊り子やバーテンダーがその歌に反発して、La Marseillaise を大合唱するシーンがありました。
 でも、それだけでは、私の頭に、あのメロディーは入って来ません。
 
 「La Marseillaise」のメロディーは、いうまでもなく The Beatles の「All you need is love」なのです。
 全世界に衛星中継されたこの曲の冒頭に、「La Marseillaise」が高らかに響くのです。
 
 ところで、三つ目はというと、これが中華人民共和国の「義勇軍進行曲」なのです。
 中国語では、「行進」を「進行」とする場合がありますので、これは私の間違いではないことをまずお伝えしておきます。

 いうまでもなく、これは私が若き日、中国についての勉強をしていたことが大きな要因になっていて、アメリカやフランスの国歌の場合と大きく異なります。

 ただ、私が中国語の勉強を始めた時、教科書にも、あるいは、生の中国語を聞くために夜中、ラジオをいじって北京放送を探していた時も、「義勇軍進行曲」は聞くことがありませんでした。それより、毛沢東を讃えた「東方紅」という曲が、まるで、中国を代表する歌のように聞かされていたのです。
 ですから、「东方红,太阳升,中国出了个毛泽东。他为人民谋幸福,呼儿咳呀他是人民的大救星。」と歌詞を含めて、今でも歌えるほどなのです。

 私が中国の勉強を始めた頃、中国では文化大革命の真っ最中でした。
 当時、世界は中国で何かがおきていることは薄々はわかってはいましたが、その内容は厚いベールに包まれたままでした。

 中国国歌「義勇軍進行曲」を作詞した方は、田漢という方です。
 彼には日本留学という経歴がありました。
 筑波大学の前身である東京教育大学で学んていたのです。
 実は、そのことが文革の際に、問題になりました。
 田漢の芸術の根底には、日本文化があるというのが、それです。
 そのため、私が勉強を始めた頃、田漢の書いた「義勇軍進行曲」は封殺され、代わりに、毛沢東礼賛の「東方紅」が何かにつけて歌われていたのです。

 田漢の作詞した「義勇軍進行曲」は、文革もだいぶ過ぎて、1982年に国歌として認知されました。

 そんな中国の国歌のメロディーを何故口ずさめるのか、きっと、日中の国交が回復し、そのことで、私はかの国の「国の歌」を覚えたのだと思います。
 日本と中国が互いに手を携えて、アジアの未来を作り上げるという青年らしい純粋な思いで、かの国に敬意を持って、覚えたに違いないのです。
 
 それにしても、この3つの国の歌の内容をそれとなく調べて見ますと、強烈なものがあります。
 「砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中 我等の旗は夜通し翻っていた」は、アメリカ国歌。
 「子どもや妻たちの首を切るために奴らは我々のところへやってきているのだ!さぁ、武器をとれ、市民たちよ」と、これはフランス国歌です。
 
 そして、中国国歌は「起て!奴隷となることを望まぬ人びとよ! 我らが血肉で築こう新たな長城を! 中華民族に最大の危機せまる、一人ひとりが最後の雄叫びをあげる時だ。」となります。

 どれも、激しい戦いを経て、国を作って来た国のありさまがうかがえて興味深くあります。
 彼らは、イギリスから、王制から、列強からの圧政をはねのけて国を作り上げて来たことを、そして、その誇りを忘れないように、その「国の歌」に刻み込んでいるです。

 それに比べて、我が国の歌は、それらとは一線を画しています。
 
 中には、天皇礼賛であるとか、全体主義の兆候があるという方もいますが、私はそうは思いません。

 『古今集』の中にあった一首は、大切な人の平和で素晴らしい時代が永遠に続くことを願う最上の愛を歌ったものであると思うからです。

 敵を倒せとか、飢えたものよ支配者をぶっ倒せとか、そんな無粋な言葉など一切なく、ただ愛を述べている歌であるのです。
 その「国の歌」こそ、日本が大切にしなくてはいけない心がこもっているのだと思っているのです。


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自由の国ーニッポン

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トマトが色づき始めました。これが採れると夏真っ盛りという感がします。梅雨の雨をたっぷりと浴びて、夏の太陽の光を吸い込んで、甘く、どことなく酸っぱく、そして、香りを楽しむのです。


 シリアからの難民が海を越えて、あるいは陸伝いに、ヨーロッパの端にたどり着き、そこから各国を横切り目的地のドイツに至るという、そんな過程を追ったドキュメンタリー番組を見たことであります。

 ある国は国境に警備隊を配して彼らの入国を拒みます。
 そこを通れないとわかった彼らは迂回して、ドイツへの道をオープンにしている国を目指します。彼らが通るルート沿いにある村では、露骨に困惑を示したり、あるいは、宗教的義務で彼らを受け入れたりと様々な姿を見せます。

 シリアからすべてを投げ捨て難民になった彼らはどうやってルートの情報を得て、そして、目指すドイツの情報を得ているのかと、関心を持って映像を見ていました。
 女子供、それに年寄りを抱えての難民行の中で、元気に振舞っているのが若い男たちでした。
 そして、その手には、いつもiPhoneが握られていたのです。
 
 つまり、彼らはiPhoneで祖国に残った仲間から、あるいは、すでにドイツに暮らす仲間から、そして、信頼できる通信社のニュースソースを元に、情報を得ていたのです。
 得た情報から、ドイツに至る途中の国で施設に入るか、それとも、もうしばらく辛抱して、ドイツを目指すか、あるいは、条件が整えば、フランスに入るかの判断をしていたのです。

 私は、この人たちはどこの会社の電話回線を得ているのだろうかと思い続けて、番組を見ていました。

 シリアの携帯電話会社なのだうか、それとも、ヨーローッパ全土を網羅する大手の会社なのだろうか、銀行口座から引き落としができなければ、即座に、通信回線は遮断されるはずだから、ある程度のお金の融通がつく人々が難民になっているに違いないと思ったのです。

 そして、iPhoneを手にすることのできない人は、シリアから出ることもできないに違いないとそうも思ったのです。
 
 イランという国があります。
 ついこの間、5月19日に選挙があり、現職のロウハニ大統領が再選を決めました。
 彼は、穏健派の代表です。
 そのことが、イラン国民にロウハニを選ばせる大きなポイントになりました。

 そして、選挙の投票日にイラン国民が驚く事態が起きていたのです。

 イランは自国が唱える革命に対する批判的な意見を封じ込めるために、サイトの検閲を強化して、不適当なサイトはアクセスができないようにしていたのです。
 しかし、この日は、すべてのネットに自由につながったのです。
 そのことが、ロウハニ支持者たちに投票を促し、ロウハニの勝利につながったというのです。

 ネットのありようは、体制をもひっくり返す力を持ち、ネットから得た情報は無防備の難民たちに行くべき道を指し示しているのです。

 しかし、5月19日の選挙の日以外、ネットが規制される中で、イラン国民はどうやって「情報」を得ていたのでしょうか。
 それは、シリアの難民の通信事情と相まってますます疑問を私に与えるものとなりました。

 思い出すことがあります。
 それはポーランドにおける『連帯』運動のことです。

 東西冷戦で世界が分断されていた時代のことです。
 ポーランド当局は、西側世界は青年たちは髪を伸ばし、汚い服装で、自堕落な生活をしていると喧伝し、自分たちの社会こそが最上のものであると教えられ、疑うことを知りませんでした。
 食べ物の配給があれば長い列に並び、ないものは欲しがらないという、慎ましやかな生活に甘んじていました。

 ところが、誰が最初にしたのか、中華鍋のようなものを屋根に掲げ、電波を拾い始めたのです。
 その電波から、西側の世界の様子が映像で見えて来ました。
 バナナが山のように積まれ、そればかりではなく、それを得るために並ぶ姿もありません。
 確かに、若者たちは髪を伸ばし、薄汚れたジーンズを身につけていますが、あふれんばかりの笑みを浮かべて、街を歩き、恋をしている姿がそこにあったのです。

 パラボラアンテナから衛星電波を拾い、西側のナマの姿を目にしたポーランド人たちは、自分たちが騙されていたことに気がつくのです。
 それが『連帯」運動の高揚につながり、社会の変革につながっていったのです。

 シリア難民のiPhone、イランの選挙でのネットの開放というのは、あの世界を変えるきっかけとなったパラボラアンテナであると言えます。それも、高性能な<アンテナ>です。

 私たちはネットに接続するとき、IP接続というのを用いて、安全に通信をしています。
 しかし、彼らが使っているのは、それではなく、Virtual Private Networkというもので、日本語にすると「仮想私設網」となります。
 つまり、安全性には脆弱性があるも、既成の専用回線の隙間を使って、ネットに接続できるという抜道みたいなものなのです。

 国家によって、情報が遮断されても、その国の人々はこの「抜け道」を使って、自分たちが生きるための情報、自分たちが望む情報を獲得しようとしているのです。
 
 そんなことを思うと、ニッポンという国はありがたい国です。
 いろいろな意見を述べることができる国で、さまざまな意見を世界中から、何の規制もなく、手にいれることができるのです。
 このことは何としても守り通していかなくてはなりません。


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造反有理世代からゴールデン・ジェネレーションへと格上げ?

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枯れたと思い鉢置き場に放置していたひと鉢からこんな綺麗な花が咲きました。毎年、タネをとり、手をかけて、そこから花を咲かせてくれるアサガオが今年は随分と成長が遅いのに反して、何もせずにいた、名も忘れたこの花に謝りつつ、いちばん陽の当たる場所で、今、我が世の春を満喫してもらっているのです。


 若い頃のことです。
 世の学者は、今高齢者となっている私たち世代のことを「造反有理の世代」と呼びました。

 その世代の少し上、戦争の時期に少年時代を過ごし、戦争の実相を見知っていた世代に対しては、戦後すぐ流行ったジェームス・ディーンの主演作にかけて、「理由なき反抗の世代」と呼んでいましたから、その言葉のあやから「造反有理」と言う言葉が出てきたものと思われます。

 そもそも、「造反有理」とは、中国における文化大革命時に、反右派闘争に血眼になる若い紅衛兵たちの行為を正当化するために唱えられた言葉です。

 「造反有理の世代」とその後の世代は、おそらく、日本歴史の中で、もっとも豊かな時代を経験し得た最初の世代ではないだろうかと思うのです。
 
 戦争を体験していない世代であること。
 日本経済が着々と成長していくありようをまざまざと見てきた世代であること。
 産業革命にも匹敵するIT革命の中に身を置いたこと。

 私はこれらが「造反有理の世代」の特徴であると分析しているのです。

 造反有理、つまり、反対するのにはいささかの理由があると言うのですから、反対する理由がなくなれば、この世代は「造反」をやめて、社会を「肯定」的に見て、ものごとを積極的に行うことができる世代でもあると言えます。

 ヘルメットをかぶり、角材を手にした学生が、翌日には学帽をかぶり、角材を捨て鉛筆を握って勉強に集中することに何ら違和感を持たないのがこの世代の特質です。
 もっとも、中には、思想を先鋭化させ、武力闘争に突き進む人間もいます。
 最初から、「ノンポリ」で、ギターを手に、フォークソングを歌う人間もいます。
 そう言う雑多な人間が同時に生存できる時代に、この世代は青春を送っていたのです。

 ひと世代前の「理由なき反抗世代」とここが違うところです。
 彼らは、戦争を知っています。
 実際、戦場には出て行かなくても、B29が空を埋め尽くすように低空で飛来してくるのを目にしているのです。
 同時に、学校で、地域で、国のために命をかけることを教わり、自分たちもそうあるべきであると思って生きてきた世代なのです。
 
 ですから、70代になった彼らは、常に、倹約こそ美徳という精神構造を持っています。
 そして、筋が通っていないことに腹をたてるのです。
 
 日本が意気盛んに戦争に突入し、勝った、勝ったと喧伝され、それを聞いて、自分もやがては戦場に出てと思っていた彼らが、ある日突然、降伏という事実を知らされるのですから、その失望感たるや理解を超える衝撃であったに違いありません。
 でも、彼らは生き残ったのです。
 だから、戦後のあの時代を必死で生き、必死で働き、戦後の高度成長の礎を作ることができたのです。

 それに比べると、造反有理の世代は、実にあいまいであります。
 
 家に、洗濯機が入ります。扇風機も入ります。そして、テレビなる摩訶不思議な箱も入ってくるのです。
 高嶺の花であった車も、その後しばらくして、家の中に入ってきます。

 テレビは、アメリカの豊かな文化をこれでもかと私たちの目に焼き付けて行きます。
 英語を喋ることができれば、金を稼げるとわかり、学校の勉強としてではなく、金を稼ぐために英語をものにする人が出てくる反面、学校でこれでもかこれでもかと英語を突きつけられ、英語そのものが嫌いになっていくという相反する現象が同居していった時代でもあるのです。

 この同居現象は、その後のIT革命でも見られました。
 パソコンを積極的に駆使したものとそれを拒んだものとの併存です。

 今、造反有理の世代は、ゴールデン・ジェネレーションと名を変えて、5、60代を過ごしています。

 自分でプロヂュースする旅を好み、つまり、あり合わせの旅を拒み、一点豪華主義ではないですが、車に凝ったり、船をもったり、あるいは、流行りのスポーツに興じたり、歳いってもロックに心を焦がしたりするのです。

 若き日に、経済的な事情とか、家庭的な事情で、断念していたことを、今になってやりだしたのです。
 それが高齢者らしからぬありようとなり、子育て真っ最中の3、40代の次の世代以上に消費を続けるのです。
 皮肉なことに、高度成長期を傍目で見ながら、おいらには関係ないさと嘘ぶっていた世代が、今の日本のささやかな成長を支えているのです。

 ひと昔前のように、老後のために金をためておこうなどと謙虚で慎ましやかな心がけなど持たないこの世代は、「人生は短い」「金など残して何になる」とパッと使っているのです。

 若い時がそうであったように、何とかなるのがこの世の中であると知っているのです。

 どうやら、私たちの世代は、日本歴史の中で特質すべき世代であるようです。
 何せ、造反有理として、言いたいことを言い、好きなことをして、雑多なありようを目にして、それを受け止めてきたのです。

 仕事も一流、遊びも一流をモットーにして、日本経済の安定的発展期を支えてきたのですから、この世代が、老いたからと引き下がるはずがありません。

 これからが「我らの時代」の総仕上げなのです。

 果たして、「ゴールデン・ジェネレーション」へと進化した「造反有理世代」は、これからの10年をいかに過ごしていくのか、大いに見ものではあります。


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男の足

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私はキャラと申します。主人の家に来て、かれこれ7年にもなります。暑い夏はエアコンを効かせて、冬は洋服を着せられ、なかなかっここち良い生活をさせてもらっています。あえて、クレームをつければ、ご主人様同様に太るという理由で食事制限をさせられているということです。公園で出会う私の仲間たち、とりわけコーギーは皆そこそこ太っているのに、私だけ痩せているのです。でも、健康であることが何よりです。そうそう、ついこの間、食事もシニアになったんですよ。


 夏は半ズボンに限る。
 とは言いながらも、半ズボンで電車に乗ることにはいささか抵抗があります。
 
 教師をしている時、そんな姿を保護者や生徒に見られたら、示しがつかないという危惧がありました。
 学校で、服装や、言葉遣いに対して口うるさく(生徒から見て)言う教師が、いかに、プライベートな時間だからと言って、半ズボンで、ビーチサンダルを履いて、電車に乗っていれば、それはちょっと違うんではないかと訝っていたのです。

 その考えは、教師を辞めたからと言って、すぐに改まるものではありません。
 やはり、不特定多数の人がいる場所に行くときは、それなりの服装でなければならないと言う強迫観念が強く働くのです。

 スーツを着て、ネクタイを締めて、革靴を履いて……、たったそれだけのことです。
 女性であれば、今日はワンピースがいいかしらとか、暑いから日傘もとか、色合いはどれがいいかしらとか、実際女性ではないのでよくわかりませんが、そのように、出かける際にはあれこれと悩むのではないかと思っているのです。
 それに比べれば、男など楽なもんだとも思っています。

 たまに、イギリスを舞台にした文芸作品なる映画を見ることがあります。
 あのイギリスの英語の発音や中世のイギリスの古い街並みや服装を見るのが楽しいからです。

 あの当時、具体的ではありませんが、例えば、ショエクスピアが描いた時代の映画では、男たちは、素足だか、あるいは、日本のももしきだかわからないようなものを着用していました。
 腰回りにはブルマのように膨らんだパンツをはき、しかも、色とりどりの生地が縫い合わされています。
 時には、股間がもっこりと、いうならば、体操選手が着用するような体にぴったりのパンツを履いているのです。
 そうした男たちが闊歩する中世の街に私が置かれたらと思うとゾッとするのです。

 一方、女たちは地を這うように長いスカートをつけて、それも数枚の布を束ねた、日本の十二単のようなスカートをはき、その美しかったであろう御御足を見せることはありませんでした。

 つまり、現代とは逆に、男は足を出し、女は足を隠していたということです。

 そういう意味では、男が足を隠すズボンを着用するようになったのは、なんらかの時代背景があったものを想像をします。

 そう、産業革命です。

 あのブルマで両足をニョッキと出した姿では、機械を動かし、油まみれになって働くのは難しいでしょう。
 
 日本が明治維新を経て、欧米の先進的な産業を受け入れた時に、袖のある着物、そして、裾が広がった袴を捨てて、ワイシャツにズボンになったことからもわかるように、生活の変化の要求から、服装というのも変化して行くものなのです。

 働き方改革で、自宅で仕事をしたり、子供を連れて会社に行ったりするようになれば、当然、服装にも変化が生まれてきます。
 今、社会の最先端にいるIT関係の人たちで、スーツにネクタイをしている人などいないと思います。
 そういう紋切り型の服装をしていては、先進のアイデアなど生まれ来ないのです。
 ジョブズがアップルの製品を紹介する際のジーンズ姿を見て、企業のトップが若者受けを狙って、あの姿になっているのかと最初は思っていましたが、そうではなく、心の解放がその姿に出ていたことを知り、教師であった私はその姿に憧れを持ったものでした。

 公立の学校などは、先生も生徒もジャージで過ごすことが普通ですが、私立学校にいた私には、生徒を指導する上で、容易に軽装になることは容認しがたいものがあったのです。

 最近のレストランは、ドレスコードもさほど厳しくなくなりました。
 だから、軽装でレストランに入ることもできますが、あまりに軽装、例えば、セーターだけだと、周りの客からはかえって浮いてしまい、美味しい料理を食べた心地がしないと言うことにもなりかねません。
 だったら、スーツとは言わないでも、ジャケットをつけていればなんとか、気まずい雰囲気は免れると、常に安全安心志向を持ってしまうのです。

 まあ、一種の職業病ともいうべきものなのでしょうが、その職業から足を洗ったのですから、半ズボンで、ビーチサンダル、それにサングラスをして、出かけてもいいのではないかと思うようになったのです。
 ロミオのように、ブルマを履いて、両足をニョッキと出して、先のとんがった靴を履くわけではないのですから、そのくらいの自由な服装をしても、なんの問題もないのではないかと。

 私はどうも、服装に関しては保守的な傾向が強いようです。
 ですから、今度、ゴールドコーストに出かけた折には、思い切り、自分を解放して、かの地に即した服装を試みてみようと思っているのです。
 
 そんなことしなくたって、つくばの街で、まもなくやってくる炎天下の夏に、やればいいではないかという声が聞こえてきます。
 それもそうだなと思うのです。

 さて、それでは両足を出して、サンダルを履いて、つくばの街を歩き、ついでに、つくばエクスプレスに乗って、浅草あたりにでも出てみようかとも思うのですが……。


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アジアにはその芽さえも出ていません

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自然の意匠と言っては大げさですが、草花が世界に示す姿は人の心をハッとさせます。そして、それらが群れて、私たちの眼の前に現れると、ハッとする気持ちに、時に、ドキッとする気持ちが加わるのです。この薄緑の草も、こうしてみると、砂漠の姿にも、あちらこちらで爆発してる煙にも見えてしまうのです。


 1984年、フランス大統領ミッテランとドイツ首相コールが、第一次大戦の激戦地ヴエルダンを共におとづれて、仲の良い子供のように手をつなぎました。
 映画『西部戦線異常なし』でしか、その戦争のことを知りませんが、互いに憎しみあった仏独両国が手を握り合ったことは確かに歴史的価値のある出来事であり、その結果がEUという形で結実していることは素晴らしいことであると思います。
 そのコールが亡くなり、新聞は「偉大な欧州人を失った」と書きました。
 新聞は、彼を、ドイツ人ではなく、ヨーロッパ人と表現したのです。

 ヨーロッパは、二度の大きな戦争を体験し、国土は疲弊しました。
 国土が疲弊すれば、経済も衰退し、人心もまた荒廃します。
 欧州を支配していた<帝国>は瓦解し、古き良き懐かしきヨーロッパは過去の遺物となっていったのです。
 欧州の果てには強大な力を持ち、考え方のまったく異なる<ソ連>が台頭してきました。
 太平洋の向こうでは、自分たちヨーロッパ人に変わり<アメリカ>が大国としての位置を確固としたものにしてきました。

 ヨーロッパ人たちは、<ソ連>や<アメリカ>が脅威になる前から、自分たちの地域が近い将来、危機的状況を迎えることを察知していました。
 その焦りが、ヨーロッパ人同士の戦争を誘発してもきたのです。
 その中で、日本人を母に持つオーストリアの貴族クーデンホーフ・カレルギー(日本名・青山栄次郎)らが、「汎ヨーロッパ運動」を唱えるのです。
 ドイツの作家トーマス・マンはこれに同調して、「ヨーロッパ的ドイツたれ」と述べます。

 まさに、EUの基本的な考えがここに成ったのです。

 しかし、アメリカに端を発する世界恐慌が起こり、ソ連はソ連、ドイツはドイツという、体制は異なりますが、一種の保護主義が台頭してきます。
 ヨーロッパの理想は一時的に悲惨な中断を余儀なくされるのです。

 しかし、国と国が国境をなくし、通貨を共通にして、行き来を自由にするという夢のような仕組みをヨーロッパ人たちは捨てることはありませんでした。
 自由・平等・博愛を精神に持つフランスを中心にヨーロッパは夢の実現に向かって言ったのです。

 その担い手の一人が亡くなられたコールであったこと、その政治精神を受け継ぐのが、コールが見出した現在の首相メルケルなのです。
 そして、衝撃的な当選を果たしたフランスの新大統領マクロンと新たな役者が出揃いました。
 
 今、アメリカの金銭的保護主義、ロシアの新たな拡張脅威、加えて、イギリスのEUからの無気力脱退という困難を前にして、ヨーロッパは、独仏という両大国の指導者の手腕に、ヨーロッパの見果てぬ夢の実現に向けて、歴史的な歩みを始めたのです。

 試練は、理想を実現するエネルギーを与えてくれます。
 同時に、試練は、それを挫けさせ、夢をはるかかなたへと押しやりもします。

 アジアに目を移します。
 
 中国が圧倒的な人口を背景にして、アジア全体にその威を張ってきました。
 清王朝の眠れる大国は遥か昔の話、今は、経済をテコに、世界中にその力を誇示するまでに成ったのです。
 中国国内は、言うなれば、ヨーロッパと同じ状況下にあると言ってもおかしくはありません。
 まず、言語は、広東や四川、上海、北京とそれぞれ異なります。それは、ドイツ語があり、フランス語があるヨーロッパとまったく同じです。
 しかし、ヨーロッパにはないものを中国は持っていました。
 それは「漢字」という共通の文字です。
 もし、「漢字」がなければ、中国もヨーロッパと同じく、広東省ではなく、広東国であり、四川国であったに違いありません。
 それがユーラシアの定めであるかのようにです。

 中国が「漢字」を手にして、自国内で穏健にしている間は、アジアには波風が立つことはありません。
 しかし、中国が、経済力と中華民族の野望を露骨に出してくることで、事態は大転換をします。

 かつてのシルクロード沿いに加えて、明王朝の鄭和が航海したルートにも中国は、その影響力を行使しつつあるのです。
 それは、日本も、アメリカも抵抗できない強い力で推進されています。
 時には、国際法を否定してまでも、強硬手段に打って出てきているのです。
 しかも、政治体制が、著しく異なる中での世界進出です。

 あえて、それに異を唱えて、明確に対抗し、また、その力を有しているのは、アジアでは日本とインドだけです。
 日本が、国際法の遵守と力による現状変更をやめるよう、声高に発言しても、一向に耳を貸さないばかりか、一方的な見解による歴史事項を差し出し、歩み寄りを示してきません。

 ヨーロッパには、ヨーロッパ人の自分たちの土地と文化を守るための大同団結の風潮が生まれました。
 それは文化の成熟と人間が争いに走るのではなく、お互いを理解することで、平和と安定を保とうとする当たり前の精神がそこにあったからです。

 しかし、アジアにはまだその芽さえも出ていません。

 かつて、欧米列強に国土を奪われ、唯一アジアで、日本がその欧米に伍した記憶の反動として、そこには、必要以上に自国を優先する保護主義的な風潮がのさばっているのです。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《6/28  Wednesday》

❣️<Puboo!>にて、『あけゆく空のごとく』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Paper in NY>で、『For the first time, I was facedown in the beach a wave brings near. Very comfortable.第一次,我变成了为波浪涌来的海滨为卧姿。非常心情舒畅』を公開しました。


⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスへの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

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