来るべき未来への備えを

canbofnalskmdmf,p;w/
タイであったか、カンボジアであったか、かの地で休暇を過ごした際の記念品です。部屋の片隅に置かれ、たまに、目に入り、はてさて、どこでどうして買ったものかとしばし悩む飾り物なのです。



 取手で教師をしている時、上司に口うるさく言われたのは、20年後にくる少子化に備えて、学校を変革させなくてはいけないと言うことでした。
 15歳人口が減少する時になって、手を打っていては、学校はたちかなくなると言うことです。
 
 若き日、教師としての私は、このことのために邁進していたと言ってもいいくらいです。

 そのために学校が打ち出した手が、制服の変更、海外修学旅行に長期滞在型英語学習といった教育の国際化、そして、ITを使った教育実践、つまり、コンピューターを導入し、ネットを使った先端教育の実践でした。

 同時に、それらを支え、成功に導くための入学試験でのレベルアップです。
 それはつまり、合格者の偏差値アップ、いわゆる難関校への仲間入りをすると言う、できたばかりの学校としては、壮大な事業であり、それを達成してこそ、先に示した実践の数々が結実するものであると言うことです。

 簡単に合格者のレベルアップと言いますが、これがなかなかに大変なことなのです。

 公立の中学校間では、やはり、地域のトップレベルの公立高校に生徒をどれだけ入れるかが評価の目安みたいなものがあります。
 高校がどれだけ東大に生徒入れたかが、その高校のレベルの一つの目安になるようにです。

 新しくできた学校というのは、そうした流れの中では、まったく逆の立場にいる生徒を受け入れる場として機能するよう、公立の先生たちによって位置付けられるのです。
 しかし、私がいた学校は、末端の学校となることを良しとせずに、受け入れた生徒に可能な限りの学習を強烈にさせ、加えて、人間的な心得を教授し、社会人として後ろ指を指されることなく、反対に、後ろを振り返させるような人間になるように、これまた指導を強烈に行ってきたのです。

 そうした公立の先生の思惑の中で、入学時のレベルを上げますとやるのですから、当然、それではこれまで通り生徒を送れませんと、公立は国際政治のような対抗処置をとってくるのです。

 では、そうした仕打ちに対してどうしたかと言いますと、これまで通り公立の先生たちが受け取って欲しい生徒を受け取り、同時に、特待生クラスなるものを作り、そこに、勉強のできる生徒を少しづつ集めていき、3年後の実績を目指していくようにしたのです。
 いろいろ意地悪な批判も受けながら、20年後にも生き残る学校になるんだという気持ちが、そうした批判に耐えさせてくれたのだと思います。
 
 これまでの人間教育の成果は、生徒の立ち居振る舞いに次第に出てきました。それがなくて、成績ばかりを大切にする学校であれば、この試みは失敗していたかもしれないと思っています。
 そのおかげで、地域の評判は次第に良くなっていったのです。
 加えて、特待生クラスの成果は、数年後に出てきました。
 念願の東大合格者を出すことに成功したのです。

 こうなると、公立中学の先生方の姿勢は一変しました。
 先生たちというより、むしろ、保護者たちが変化したといったほうがいいでしょう。
 公立にやって、塾に行かせて、だらしない格好で街を歩かれるよりは、学校で特別課外をしてくれ、生活面でもうるさいくらいの指導をしてくれるから横道にそれる心配もない、海外での体験も、ネットを使っての先端教育もしてくれる、そして、東大に入学できるチャンスもあるのだからと進学先に選んでくれるようになったのです。

 こうなれば、地域のトップ校となるのは時間の問題です。
 つまり、学校が少子化の時代でも生き残り、地域の高等教育をハイレベルで担える学校としての責務を果たせる存在になったということなのです。

 少々、自賛めいた話になりましたが、何も、偉ぶってこういったことを縷々書いたわけではないのです。
 人口減少に突入した日本が今直面している問題を考える一つの手立てのヒントしてし欲しいからなのです。
 
 急転直下のごとく転回する国際社会の中で、日本の人口は21世紀の半ば過ぎには1億人を割り、働き手人口も5千万人を下回るのです。現在の人口は1億3千万人、働き手人口は8千万人ですから、その減少が何を意味するかを考えれば恐ろしいくらいです。

 50年後の困難に対処するために、今なすべきことは、経済成長力と国際競争力を維持するためのAIを使った効率的な作業及び経営のあり方であり、それを支える教育の高度化です。

 安易に外国から労働力を持ってくることは日本の歴史的背景から不幸な結果を招く要因が多いように思えます。
 ですから、AIを使った効率化で、人的資源の過少を補うのです。
 小売販売も、接客も、それまで人手に頼っていたものをすべてAIを介在させて行うのです。
 これは先進的な青年と自覚した企業によって着々と遂行されつつあります。

 そして、問題は教育の高度化です。
 現在、教育の無償化が議論されていますが、それはとてもいいことです。そして、無償化と合わせて、実務に適した教育、社会に出て役立つことを教える教育をすべきであると思います。
 綺麗事ではなく、世の中には失敗もあるということ、全財産を失うまさかの出来事があるということ、人間と人間との確執で争いがあるということ、そして、それらを避けて通るのではなく、精神的にも強く、それを克服していく力を養うという教育のあり方です。

 かつて、いま上位レベルで生き残った学校と同じように、精神的にタフな人間、勇気を持ってチャレンジし、うまくいかなかった人間さえもリスペクトし、再起を支援する制度を作る教育が高度化と言える教育であるということです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

地面に伏せて 窓から離れて

rikanlaskjdm,p;a/s.d flak
ドアーが開くたびに、心地よいメロデイーを奏でます。木工品であることもも木製のドアーにマッチしています。私の好きな「家具」の一つです。



 「地面に伏せて!」
 それをどう伝えたらいいかを真剣に考えた時がありました。

 それは、生徒をアメリカに連れて行った時のことです。
 バカなことと思われるかもしれませんし、大げさだと思われるかもしれません。
 でも、大切な他所様の子供をあずかって出かけて行くのです。
 万が一のことを考慮しておかなくてはなりません。

 この時、私たちは、バンクーバーからシアトルへ、陸路、アメリカへと入りました。
 日本人ならずとも、カナダ人以外の旅行者が、カナダからアメリカに入国するということはちょっと面倒なことのようで、随分と入国に時間を要したことを覚えています。

 そして、ニコリともしないアメリカの係官の腰につけている拳銃の大きさ、銀色に輝く銃の美しさにもびっくりしました。入国審査をパスして、アメリカに入ると、一挙に道路が広くなり、カナダとアメリカの違いを肌身に感じました。

 そして、銃の所持が認められているアメリカという土地で、何か不測の事態が発生した場合、いかに対処すべきかを、そして、生徒の安全を確保するにはどうしたらいいかを真剣に考えていたのです。

 銃での攻撃、あるいは、爆発から身を守るには、身を伏せるということが最初にすべきことであるということを知りました。
 しかし、それが命を守る唯一の方法でないことも読んだ書物には書かれていました。

 万が一にも、銃声が聞こえた時、あるいは、何らかの不測の事態が発生した時、生徒に恐怖を与えるのではなく、ほぼあり得ないことだけど、仮に、そんなことが身近で起きた時は、皆で地べたに伏せようと、生徒にしっかりと、しかし、笑みを浮かべながら伝えておいたのです。

 しかし、日本人が地べたに身を伏せるということは、かなり難しいことであることを私はわかっていました。
 生徒に言う以上、実際、それを私自身試していたからです。
 私たち日本人は、そのような事態が発生する環境下に暮らしていません。
 日々の暮らしの中で、身を守るために、衣服の汚れも気にせず、無様な格好で這いつくばることに慣れていないのです。

 ですから、竜巻がこっちに向かってくるのに、携帯のビデオを回し続けていられるのです。
 映画でよく見かけるあの危険を避ける行動として、地べたに伏せるということがそうそう容易にできないことに気がついていたのです。

 現在の日本でも、何か危険な状況が発生した時、おそらく、日本人の大多数が「伏せて」身を守るということができないのではないかと私は今も危惧しているのです。
 
 爆発音があっても、その場で立ち尽くしてしまう。
 どう行動したらいいのかわからないのです。そして、その音の発生した方角を凝視してしまうのです。
 それは、自分の命をあえて危険に晒すものであると言うことなのです。

 何か尋常ならざることが起きたら、有無も言わずに、その場に伏せ、じっとしているのです。
 爆風も銃弾も、その上を通過していきます。
 揮発性の人体に害を与えるガスもその上を通過していきます。
 たとえ、伏せることで誂えた衣服がダメになろうとも命は助かることができるのです。

 日本政府が、都道府県の危機管理責任者を招集したのは21日のことでした。
 北朝鮮のミサイルが着弾した場合の対処法を説明し、徹底したのです。

 <頑丈な建物や地下街に避難すること。>
 <物陰に身を隠し、地面に伏せて頭を守ること。>
 <屋内では窓から離れること。>

 これに対して、一部に、緊張感を誇張して伝えているとか、ありもしないことをあえて声高に述べて何か魂胆があるのではないかと勘ぐる声も聞こえてきます。

 しかし、私はこれこそ予測できる危険に対して、政府が取るべき最低限の対策であると思うのです。

 政府が担当者を集めた前日、アメリカ大統領がイタリアのジェンティローニ首相との共同記者会見の席上、「中国において、この2、3時間でいくつかの極めて異例な動きがあった」 と述べました。

 この「異例な動き」について、CNNは、中国空軍の巡航ミサイル搭載可能な爆撃機が高度な警戒態勢に入っていることを指していると報道しました。加えて、「異常な数の」戦闘機が集結し、整備点検作業に入ったことも伝えたのです。

 それに対して、環球時報は、中国国防部新聞局の言葉を極めて簡潔に伝えるだけでした。

 「上述报道不属实。中国军队在中朝边境保持着正常的战备和训练状态。」
   <報道は事実ではない。中国軍は国境付近で通常の配置と訓練状態を保持している。>

 では、アメリカと中国が言っていることのどちらを信じて、準備をするのかと問われれば、バカだとか、大げさだか言われようが、最も危険な情報に対応すると言うのが正解です。

 ですから、地面に伏せて、窓から離れて、身を守ることを真剣に受け止めなくてはいけないのです。


にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村

未来投資会議

kinenbdafsdhmoppa;d.@a:;
左の酒は、大先輩の教師が叙勲を受けた時にいただいたお酒です。彼は自衛隊にいた方で、戦時中は爆撃機に乗っていた方です。私学にはそうした方が結構多く働いているのです。真ん中は、ボストンレッドソックスの本拠地フェン上・パークに行った時、買い求めたサイン入りボールです。そして、右側がカナダのビクトリアにあるジ・エンプレスのビールです。かれこれ20年は経っているかと思います。はてさて、飲めるのでしょうか。


 こんなことを考えているのです。

 亡くなったら、かかりつけの医者に死亡診断書を書いてもらいます。
 そして、つくば市役所で、私が死んだことで生ずるさまざまな手続きをしてもらいます。
 その中には、臓器提供のための医療施設での処置も含まれています。
 そして、母の葬儀の際に知り合った葬儀屋さんを介して、直葬をしてもらいます。
 直葬というのは、面倒な行事を省いて、即、荼毘にふすことです。
 この間、私の死は家族しか知り得ません。
 遺骨は散骨用に細かく砕いてもらい、後日、東京湾に撒いてもらうのです。

 その折、あらかじめ用意しておいた案内状を、親戚や友人、ご近所のお世話になった方に送り、船上パーティを開催して、楽しくやってもらうというのが、「その時」の私のプランなのです。
 
 戒名も、墓も、私はいらないのです。
 別に、信仰心がないわけではないのですが、子供や孫たちにあまり世話をかけたくはないだけなのです。

 で、そのプランが抱える問題点はというと、本当に家で死ぬることができるかという点であったのです。
 一旦、考えるとどうにも止まらない性分なので、あれこれと心配をしてしまいます。

 今、私の健康保険の裏には、亡くなった時、すべての役立てる臓器を提供する意思が示されています。
 こんな身体でも必要としている人がいれば、用立てて欲しいと思っているのです。
 ですから、病気か事故かはわかりませんが、自宅で亡くなり、その後、病院で処置をしてもらうようになんとか関係者に伝えておく必要があります。

 でも、これは、なんとかクリアできそうです。
 葬儀屋さんがその点は抜かりなくやってくれるということでした。
 その代わり、散骨の際の船上パーティーの一切合切を取り仕切るという条件です。

 葬儀屋というのは、お寺には強く言えないようですが、病院には要望を出せるということですから、私の希望の第一はまずクリアしたと思います。

 さて、最も心を悩ますのが、私の「最期の場所」です。

 何も準備をしていないと、きっと私は意識の不明なまま、病院に送られ、あれこれと管を刺され、治療の甲斐もなく、病院のベットで亡くなってしまいます。

 そうではなくて、私が亡くなる時は、つくばの自宅の、建て増しした際に、自分で設計した二階の東側に面した、ログハウス造りの部屋の、ロッキングチェアで揺られた状態で、死にたいと思っているのです。

 最期の時は、自分の好きなように逝きたいと思うのは誰しも思うことですが、なかなかそうもいかないのが現実です。
 私は、両親を見届けていてそう思いました。
 だから、私は自分の思うような方法で、逝きたいし、それを子供や孫たちに見せておきたいと思っているのです。

 しかし、果たして、その通りにことが運べるか、当然、不安はあり、心を悩まし続けていたのです。

 そんな折、日本政府の「未来投資会議」なる作業部会で、日本国首相が、来年度の診療報酬・介護報酬の同時改定を踏まえて、電子機器を使って遠隔地からデータを集めるオンライン診療を優遇する方針を打ち出しました。

 加えて、高齢化によって必要不可欠になった介護の現場に、センサーやロボットの導入を積極的に導入する仕組みを構築するというのです。

 老いた体は、自由がきかなくなります。
 看護師さんの世話になり、あれこれをしてもらわなくてはなりません。そのためには、どうしても、病院に入らなくてはならなくなります。
 でも、「未来投資会議」の内容を見ると、自宅でロボットが私の不自由になった体の世話を焼いてくれることが可能になる目星がついてきたような気がするのです。

 医者の診断によって、必要なセンサーを私は自分の体につけます。
 私の体から発生するデーターがかかりつけの病院に送られます。
 データーにより分析された情報は、私の世話を焼いてくれるロボットに送信されます。
 それ受けて、私のロボットは、私の世話を焼いてくれるのです。

 誰に気兼ねする必要もなく、機械あいてに私は末期の水まで飲ませてもらうことが可能なのです。(そう、ありたいという強い願望でもありますが……。)

 日本医師会も、政府のこうした未来の医療のあり方に前向きに考えているということです。
 とすれば、近い将来、私は私が考えている最期の時を、理想の形で迎えることができるということになります。
 
 そんなことを思いながら、私は「未来投資会議」の記事を舐めるように読んだのです。

 2年前、入院をして、人生で初めての手術をした際、治療費や個室代、そのほかの経費は馬鹿にならない額でしたが、加入していた保険で、お釣りが来るほどの金額をいただきました。
 おまけに、病気の内容から、その後の保険料の免除までついてきたのです。
 日本の保険制度の仕組みは大変素晴らしいものだと思いました。
 
 だから、最期の時にも、私の思いを遂げてくれるよう動いて欲しいと思っているのです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村

海湖庄園之会

addams,ow;e;.,eh drakes;
ついこのあいだの光景がもう昔のように感じられるのです。花は散り、葉が茂り、太陽の日差しはますます力を帯びてきます。私たちがぼーっとしている間に、物事は移り変わっていくのだと、感じるのです。


 沛公旦日従百余騎、来見項王、至鴻門。謝曰……(司馬遷『史記』より)
 
 沛公とは、その後漢王朝初代皇帝になる劉邦のことです。
 項王とは、姓を項、名は籍、字を羽とする稀代の武将です。
 横暴なる秦王朝を打倒するため、楚国の懐王は、秦を滅ぼしたものを関中の王にすると宣言し、諸将を競わせました。
 知略と麾下の圧倒的な戦力を誇る項羽の軍と、百姓あがりの威勢のいい好漢、誰からも好かれるという幸運に恵まれた劉邦の軍が、最後に秦打倒の軍として残ります。

 そして、秦都咸陽に一番乗りをしたのは何を隠そう劉邦であったのです。
 しかし、懐王の約束通り漢中の王に、そうそう簡単になることができないのが政治の世界です。なぜなら、圧倒的な戦力を誇る項羽の軍勢がそこにあったからです。
 懐王の約束など、項羽の知略と軍の勢いからすれば、なんら意味のないものであったのです。
 そのため、劉邦はわずかに百騎ばかりの少人数で、項羽が待つ鴻門にでかけて行ったのです。
 
 前夜、項羽の叔父項伯が恩義のある敵将張良を密かに訪ねます。
 項羽が劉邦を謀反の罪で攻めるので、ともに逃げて欲しいというのです。しかし、張良は主人であり、人間的な魅力を感じている劉邦を裏切ることはできません。
 そこで、張良は項伯を連れて、劉邦の元にいき、すべてを話します。
 
 劉邦は、謀反などするはずがないとし、項伯に必死に言葉を尽くすのです。

 「咸陽に入ってこのかた、秦の宝物を奪う事もせず、ひたすら項羽将軍を待っていました。関に兵を置いたのは、盗賊と非常時に備えるためなのです。このことを項羽将軍に伝えて下さい。」

 項伯は、実直で裏表のない劉邦の人間性に触れます。
 それならば、明日朝、あなた自ら項羽に面会して、謝罪しなさい、私もあなたを守りますといいい、その言葉に従い、劉邦は鴻門に姿を見せたのです。

 これがかの有名な<鴻門の会>の発端です。

 時代は21世紀の今。
 ところは、美国佛罗里达州海湖庄園。
 時代の寵児、美国大統領の<特朗普>のもとを、中国の<核心>と呼ばれ、絶大な権力を持つ<周>が訪れました。
 国際関係上、本来は、美国大統領が中国を訪問するのが順としては妥当でありましたが、今回、<周>は、ヨーロッパ訪問から帰国の途次、立ち寄るとして、面子を保っての会談でした。
  
 美国は、為替操作嫌疑、貿易操作嫌疑、朝鮮への経済制裁逃れを問い詰めるために、中国主席を<冬の白宮>と言われるフロリダ州の海湖庄園こと<マール·ア·ラーゴ>に招いたのです。

 太平洋を二分割しようなどという傲慢な言い分、不当な価格設定で美国経済を貶める経済政策、自由と平等の旗印を掲げる美国のありようと体制を異にするかの国に対して、ぐうの音も出ないほどの会談にしなくてはならなかったのです。

 一計が案じられました。
 訪問客を歓待する夕食会、そろそろおひらきになる頃合い、食卓にはこの世界で最上のチョコレートケーキが出されました。
 美国大統領<特朗普>は、例のごとく、口端にちょっとした笑みを浮かべて、お知らせしたいことがあると、<周>の顔を覗き込んで言いました。
 素晴らしい歓待を受けて、人間関係ができたと信じる<周>は、明日の会議を、あの宿敵<安倍>と同じように高尔夫球(ゴルフ)でもやりながらやろうと誘いを受けるのではないかとほくそ笑んだのです。

 しかし、<特朗普>の口から発せられた言葉は、<周>の心胆を奪うものでした。

 「たった今、59発の巡航ミサイル「トマホーク」を、シリア空軍基地へ発射した。可愛い子供達を毒ガスで殺すような政府を許すことはできない。それをあなたに知らせたかった。」

 <周>は、この華やかな場で、<特朗普>の口から楽しそうに放たれた言葉の意味を了解できませんでした。

 しばしの沈黙の後、<周>は、もう一度おっしゃってくださいと丁寧に言ったのです。
 21世紀、美国佛罗里达州でなされた『海湖庄園之会』での勝負の決着はつきました。

 しかし、思い出して欲しいのです。
 鴻門の会を乗り切った劉邦は、やがて、項羽を破り、中国歴史上画期的な帝国を築き上げるのです。劉邦に土下座させた会議の後、項羽は、劉邦の軍に取り囲まれ、<四面楚歌>の状況を嘆き、<虞や虞や汝をいかんせん>と寂しげに謳いあげたのです。

 <周>は、『海湖庄園之会』で辛酸を嘗めたことにひたすら耐え、美国<特朗普>のいうままに、平壌との定期航路を閉鎖し、石炭船を追い返すのです。
 しかし一方、朝鮮国境に、30万の人民解放軍を進出させ、国産空母を世界最強空母として海域に浮かべたのです。
 
 ですから、美国の<特朗普>は、項羽のように、<四面美歌>をきき、彼を取り巻く美しき妻子たちと別れることにならぬよう、細心の留意を彼の国に注がなくてはなりません。

 歴史は未来を写す鏡なのです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村

愛国教育って、なに、それ。

pidanlmoekm;a fvmf・+Ld
つくば市の体育館で、やっている卓球クラブ。ここに17人のメンバーが集まり、技を競います。準備も後片付けも、キビキビと、近くにある野球場ではソフトボールも、時間を有効に使ってスポーツに精を出すのです。一流のプレーを見ることは楽しいことですけれど、二流のプレーを自分で行うことはもっと素晴らしいことです。


 孫は、朝、幼稚園に一人置いて行かれるのを悲しんで大泣きをします。
そして、程なく、幼稚園で出されるクッキーと飲み物に騙されて、母親との切ない別れも忘れて、同じような境遇に置かれた子供たちとさりげなく時を過ごすのです。

 そして、夕方、たまたま、孫の暮らす街にいる私が迎えに行きます。
 遠目に孫の姿を見ると、無邪気に遊んでいるようです。だいぶお迎えが来てしまった後のようで、孫は一人でおもちゃを手にして遊んでいるようです。
 先生に目配せして挨拶し、そっと孫に近づきます。
 孫が私に気がつきます。
 すると、孫は嬉しそうに笑みを浮かべ、両手を高く差し出し、抱っこをしろとせがむのです。

 私は、先生に礼を言います。
 すると、先生は、孫が友達をプッシュし、3人ほどを泣かしてしまったというのです。日本人の癖で、私はすぐに申し訳ないと謝ります。
 先生は、大げさに両手を広げ、謝ることはないと言い、私は今日の様子を伝えているだけだと言います。
 そうか、オーストラリアではこうして預かった子供の様子を保護者に伝えることが義務なんだと悟り、日本的な軽率な反応を私は恥じたのです。

 アデレイドの学校で、ちょっとした事件が起きたことを思い出しました。
 それは、オーストラリア人の一人の男子生徒が、私たちが引率して行った生徒の一人に対して唾を吐き、退学を命じられたという事件です。
 私はびっくりしました。
 しかし、この生徒は、これまでにも、多くの生徒に迷惑をかけ、保護者にもその都度状況を伝え、生徒が心に宿す暗い影を医学の力で改善する道を取るように進めていた矢先の出来事であるので、まったく心配するなと言われたことがあります。
 日本で、生徒の行動が奇異な場合、医者に行けと言ったら一悶着あるだろうと思いながら、オーストラリアの学校では、学校のすべきこととそうでないことを明確に分けているんだと感心をしたことがあるのです。

 ある時、朝大泣きする子を持つ娘が、数年後に転居を考えていると私にいうのです。
 理由は、今暮らしている街の小学校の評判が良くないというのです。ですから、いい評判のある小学校の学区に転居するというのです。
 オーストラリアには、私立の学校は大変少なく、いくつかある私学の学費は日本とは比べ物にならないくらい高額です。
 ですから、オーストラリア人たちは、自ら居を転じて、評判の良い学校に子供を入れるというのです。

 オーストラリアの学校のほとんどが制服を採用しています。
 それはイギリスのありようと同じです。同時に、それがアメリカとは違うところでもあります。

 同じ移民社会であっても、オーストラリアはイギリス連邦の一員であり、女王を仰いでいる国であり、そこもアメリカ社会とは違うものであります。
 ですから、教育においても、アメリカの学校が全生徒に、毎朝させる「忠誠の誓い」のようなことはオーストラリアの学校にはありません。
 
 「私は、わがアメリカ合衆国の国旗、すべての人々に自由と正義が存する、分かつことのできない、神の下での一つの国家である共和国に忠誠を誓います。」
( I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all. )

 この文言を、アメリカの生徒たちは、毎朝、我が胸に手を当てて、星条旗に向かって唱えるのです。英文をつけたのは、日本文ではわからない英文が持つ機微がそこにあるからです。

 この誓いは、アメリカ合衆国そのものに対して行なっているのではないことがわかります。では、何に、彼らは毎朝、胸に手を当てて誓っているのでしょうか。
 それこそ、英文の最後に出てくる二つの単語<liberty and justice>に対してなのです。

 ここが大切なことです。
 移民の国というのは、国民一人一人の原風景が異なっているのです。文化も、歴史も、考え方も感じ方も微妙に違っている人々の集まりなのです。
 それゆえ、バイタリティあふれる活動もできるのですが、ともすると、国が二つに、あるいは三つにと分断する可能性を持つものでもあるのです。
 ですから、アメリカ人は<自由と正義>を根幹とする国のあり方に対して誓約し、偉大な国の一員としての誇りを享受するのです。
 大統領が間違った命令を下せば、<自由と正義>の名のもとでそれを拒絶するのです。
 
 同じ移民の国オーストラリは、「誓約」をしなくても、女王陛下の御許で国がまとまるとしているのです。そして、世界に君臨するほどの力をつけようとは思っていません。
 緩やかに、穏やかに、人と人と人とが関係を持てる国なのです。

 日本では、大阪のとんでもない学校法人が嘘とでたらめと欲の突っ張りで名を貶めましたが、幼稚園児にあそこまで戦前の言葉を唱和させる異様さに、私は愕然としました。
 国ために戦争で命をなくした方のために靖国社をお参りする私です。ついでに、国立墓地まで歩いて、これもお参りする私です。
 しかし、戦前の言葉に対する歴史的価値は認めるものの、それを教育現場で叩き込むことを良しとは考えません。

 なぜなら、私たちの国は、昔から日本人がいて、文化を共有し、歴史を積んできているからです。そんなことをしなくても、私たちの大多数は、祖国を大切に思い、日の丸や君が代に愛着を持っているからです。

 緩やかに、穏やかに、人と人と人とが関係を持てる国が日本だからです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村

プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《4/25 Tuesday》
          
👀<Puboo!>にて、『秋葉原のハゲ頭』を発信しています。ぜひ、お読みください。

👀<Paper in NY>で、『”What kind of fish do you fish? ”The dog which seems worried and looks at a boy.钓怎样的鱼。看起来不安地凝视少年的狗。』を公開しています。


⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスへの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

リンク
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
フリーエリア