「ことば」が持つ方向を決める力

ebnpa;waem;kl/,d
江ノ島を望みます。湘南で一番綺麗だと思う景色です。何年も前に、この海岸を歩いて、江ノ島、さらに江ノ島から鎌倉へと歩いたことがあります。見所もあり、風も清々しく、いい旅でした。また、そのような旅をしてみようと思っています。


 教師をしていると、相手によって、言葉や導く方法を変えると言うことが往々にあります。

 取手の学校にいるときのことでした。
 教師に悪態をつき、クラスの生徒ともぶつかるなど、その言動があまりにひどいので、ついに退学を命じられた生徒がいました。
 人のものを取ったとか、相手に大怪我を負わせたわけではないのですが、彼は、心に納得のいかないことがあると、反抗的な言動が強く出てしまう青年のようでした。

 その生徒が退学を言い渡されたあと、私は面談をしました。
 保護者も退学を言い渡す席に来てくれませんでした。
 保護者からも見放されたのですから、この青年の気持ちはいかばかりかと、若い私は同情心も少なからず抱いて、この最後の面会に臨みました。

 その生徒が、先生っていうのは、間違ったことは絶対しないのか、と私に詰問します。
 自分を退学させた校長先生に対してばかりではなく、いつも彼を叱る先生たちに対しての素朴な彼の疑問であったと思います。

 平生の私であれば、先生であっても人間なのだから、間違いはすると言います。
 でも、この時、そういえば、この青年は、「間違いを犯すかもしれない教師」という資格を持った者から退学という命令を受けたと考え、この先、もっと大きな取り返しのつかない過ちをするのではないかと考え、私は「先生というのは間違いをしないから先生なんだ、まして、校長先生であれば尚のことである」と言ったのです。

 その言葉を聞き取った青年は、無言でしたが、私が意図する幾分の一かは理解したものと思いました。私は、彼を校門まで送り、そこで彼を見送りました。

 この私の教師としての行為に対して異論を挟む方もいるかと思います。あるいは、教師としての言辞のあり方に批判をする方もいるのではないかとも思うのです。
 でも、私は、決して間違った指導をしていないと今でも思っています。

 孔子にまつわる話があります。

 孔子の周りに、子路、曾晳、冉有、公西華という四名の弟子たちが侍っていました。
 孔子は、自分が先生だからと言って、何も遠慮することはない、忌憚のない意見を聞かせて欲しいと、就職口のない不遇を嘆く弟子たちに問いかけたのです。

 まず、でしゃばりの、よくいえば積極的な子路(しろ)が答えます。
 私は大国に挟まれた小国に雇われたいと思います。
 戦争や飢饉に際して、私であれば、正しい道を指し示すことができます、と言いました。

 孔子先生は、微笑まれながら子路の言葉を聞いていました。そして、冉有に、君だったどうすると尋ねました。

 冉有(せんゆう)は、謙虚な人柄です。
 悪くいえば、どっちつかずで優柔不断な一面のある弟子です。
 私は礼楽といった方面には疎いので、大きな国に雇われることは望みません。せいぜい、方六、七十里程度の小国で、人々の生活の安定をさせるくらいは可能ですと答えました。

 孔子先生はその意見聞き、次に、公西華に対しても問いかけました。
 公西華(こうせいか)は率先して振る舞うタイプの性格ではありません。しかし、儀式や物事の常識には卓越したものを持っていました。
 私は国から雇われることはないでしょう。でも、機会があれば、一つやってみたいことがあります。自信があるわけではないのですが、宗廟の祭祀とか、隣国との会合での段取り役とかをしてみたいと思っていますと述べました。

 孔子先生は最後に、ちょっと離れたところに座り、静かに瑟を鼓していた曾晳に問いました。
 
 曾晳(そうせき)は、後年、歴史に名を残す曾子の父親です。
 彼は楽器を床に置いて、私は少々皆と考え方が違いますと言います。
 孔子先生が、皆、自由に意見を述べることが大切だから言いなさいとうながします。

 曰く、春の夕暮れに、仕立てたばかりの服を着して、青年五六人、少年六七人と連れ立って、川で水浴びし、涼んで、詩でも詠じて帰りたいと思っているのです。

 孔子先生はそれを聞いて、大きくため息をして、私も連れ立ってそこに行きたいものだと言ったのです。

 孔子にまつわる話はさまざまに解釈が可能です。
 大国に雇われて国家を経営したいと思うことも、小さな国で自分の力を試したいと思うことも、人それぞれの思いがあって、それはこうしなくてはいけないというものではないということだと解釈を私はするのです。
 つまり、教師は、角を矯めて牛を殺すようなことをせず、その人が心に抱くことに寄り添うことが大切であるということです。

 教育に関して発生する問題の多くが、心に寄り添うことができないことで起こっていることを見れば、それがいかに大切かがわかるはずです。

 瑟を鼓する曾晳に対しては、問いに対する答えになっていないと叱責するのではなく、きっと、国に雇われて、政治を行う上で大切なことは、つまり、その究極にある姿というのは、曾晳が語ったように、おしゃれをして、仲間と和気藹々、好きなことで楽しむという幸福感があるということだと孔子は思っていたからだと思うのです。

 政治も教育も、ことばが方向性を決めて行きます。政治の世界の先生も、学校の先生も、そのことばが持つ方向性を真剣に捉えていくしかないのです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

金でも、ものでもない

asahuniafqawhjdmsal
朝日が酒を飾ってある場所に差し込む季節になりました。壁を覆う木の板が、年を経るごとに、飴色になっていきますが、朝日を浴びて、一層いい色合いになっています。


 フィリピン人のドゥテルテは、ちょっと太り気味の体に似合わない小さい自転車に乗って出勤してきます。
 およそ30キロの道のりを近道を使って、1時間弱でやって来るのです。

 トロントから来て、日本の奥さんを娶り、家を建てて、永住する決心をしたハリスンは、台湾製のロードバイクで野宿をしながら日本各地を回っています。

 『猿の惑星』に猿の役で出たことと、アメリカ西海岸にある故郷の海岸に、あの震災の漂流物が流れ着いて来たことが自慢のヒューは、自慢のアメリカ製折りたたみ式自転車を職員室まで持って来ます。

 彼らは私の素晴らしきかつての同僚たちです。

 三人とも、皆、私と同じつくばの街に暮らしています。
 つくばセンターのショッピングセンターで会うときもありますが、そのときも彼らは大抵は自転車に乗っています。

 その彼らに共通する特色が、決まって仕事を定時に終えるということです。
 かといって、仕事をいい加減にしているわけではありません。
 
 ドゥテルテは、マニラの放送局でデイレクターをしていた経験を生かして、プロ並みの映像や出版物を作り、担当する生徒たちのやる気を引き出し、成果を上げていました。
 ハリスンは、外国人教師のまとめ役であり、トラブルが起きた時には、率先して対応に当たります。同僚や生徒からの信頼の厚い教師なのです。
 ヒューは、英語での音楽や演劇を通して英語を学習させ、県大会で賞を取らせるくらいの力を生徒につけさせることができます。

 ある時、玄関で彼らが退勤する際に、声をかけたことがあります。
 
 彼らは、口々に、自分は何々をするんだとかとこれからの予定を話していたようです。
 私の質問を受けて、ハリソンが言いました。
 「私は、地図とにらめっこです。日本語の勉強にもなりますし、日本のことがわかります。」
 ドゥテルテも言いました。
 「私は、生徒の宿題に目を通し、子供と妻と時間を過ごした後、大学院に出すレポートを書きます。」
 ヒューも言いました。
 「僕は、つくばで買い物をして、今日はアメリカから来た知り合いと情報交換をするために居酒屋に行きます。」

 それぞれが、何かをするのです。
 家に帰って、ゆっくりとのんびりと過ごすなんていう人がいないのです。

 彼らは、貴重な時間、つまり、生活費を得るために使う時間以外の時間の使い方が日本人とは違っていると私は思ったのです。
 どういうことかというと、生活費を得る「仕事」なるものに1日のエネルギーの全てを費やしてはいないということです。
 退勤した後の時間、仕事と同等、あるいは、それ以上のエネルギーを使って、するべきことを持っているのです。

 そういえば、私、若かりし頃、森鴎外という才能豊かな人物のあり方を見て、随分と羨ましいと思ったことがあります。
 それは、受験年齢を低く偽って東大医学部に入ったこと。
 そして、卒業時にはドイツ語の先生と一悶着を起こし、首席で卒業できずドイツ留学を逸したこと。
 陸軍軍医になってから、昼は軍人、夕暮れ時に銀座の酒場で文人と呑み交わし、夜、執筆活動をしていたこと。

 そのどれも、自分にはおよそ不可能な出来事でしたが、教員をしながら、ものを書き続けることができたのは、少なからず鴎外さんのおかげでもあるのと思っているのです。

 その鴎外さんと同じあり方を、私は彼ら三人の異国の教師たちに見てとることができるのです。
 仕事は仕事として行い、帰宅してからも「仕事」がある、「すること」がある、つまり仕事とは別の「仕事」があるという人生です。
 もしかしたら、それこそが、人生の中で最も大切なことなのかもしれないと思うのです。

 もちろん、仕事をおろそかにするのであれば、そういう人はきっと「別の仕事」もおろそかにする人に違いありません。
 なんでも、一生懸命にすることで、人というのは実りを手にすることができるのです。

 そう考えると、鴎外さんにならって、真似事をさせてもらったことが今の少なくとも私の人生の上で大きな出来事となっていますし、異国からやって来て、日本で働くあの3人の男たちのあり方からも、私は影響を受けていると思っているのです。
 
 そういえば、思い出すことがあります。
 早稲田で学んでいた時、若き日の毛沢東に瓜二つの、それも毛沢東を専門に研究していた先生がいました。私の卒論のご指導をしてくれた先生です。
 その先生は、同時並行に複線的に、「仕事」はするべきであると、そのために、いかなる知識をも貪欲に吸収しておきなさいと言われていたのです。
 それも、私の未来を作った言葉であると、思い出したのです。

 そう考えた時に、生活費を得るための仕事だけではなく、自分の人生に向上をもたらす「仕事」をこそ私たちはすべきなのです。
 私たちがエネルギッシュに生きる源泉は、金でもなく、ものでもなく、私たち自身のあり方にあるということなのです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村

難しいことをわかるように話す

kagejjnaowikeldf
暖炉の上にある漆喰できた壁にパソコンの上に置かれた笠間の網代米が写っています。春先から初夏、朝日がちょうどいい具合に差し込む絶景なのです。


 子供の頃のことです。
 国会は、自民党と社会党が大きな勢力を保っていました。
 しかし、拮抗するというのではなく、一方は万年与党であり続け、他方は万年野党であり続けたのです。

 自民党は、政策を実行する力を有する現実的な党であり、それがために、政治に伴いがちな汚職などの良からぬ振る舞いも時にあったりしました。
 他方、社会党は、どちらかというと中途半端な理想を掲げ、一方が支配階級の党であるならば、こちらは被支配階級の党であると、与党に対してあらゆる反対策を講じてきたのです。

 選挙にあっては、常勝自民党であり、負けているばかりの社会党を応援したくなる判官贔屓みたいなものを感じる始末でしたが、いかんせん、選挙権がないのでどうしようもありません。

 自民党は、与党であり、国政を担う党ではありますが、党の中には「派閥」なるものがあり、親分が手下を集めて、金を配り、一党を形成していたのです。
 つまり、党内にはさまざまな考えを持つグループがあり、ともすると、党内に敵味方が混在しているという集まりでありました。

 田中角栄率いる派閥と福田赳夫率いる派閥が首相の座を争った時は、「角福戦争」などと新聞は囃し立てました。
 選挙での大敗北から大平内閣が成立するまでの「四十日抗争」では、バリケードを挟んで大演説をぶつ一匹オオカミ的な浜田議員も出て、ともかく、愉快な政党でした。
 
 その愉快な党の中でも、角栄や一匹オオカミ的な浜田議員に特に人気が出るのは、難しい話をわかりやすく、面白おかしく語りかけてくれたということに尽きるのではないかと思います。

 ことの是非はともかく、そりゃそうだと納得させられることが多かったのです。
 そして、それは、彼らのもう一つの特徴である、人の話をよく聞くことができる人であったということに及びます。
 選挙区では、偉ぶらずに、同じ目線になって、手を握り、肩を叩き、話を聞くそういった姿勢があったのです。
 ですから、選挙民が希望することを熟知し、琴線に触れる話ができたのです。

 これこそ、選挙を経て国会に出る政治家にとって、大切なことだと思うのです。

 さて、最近の国会での議員先生のありようを見ていますと、どうも、この辺に不足を感じるのです。
 簡単な出来事をやたら難しく言いたがるのには、どうも困ったものです。
 
 例えば、氏名も、月日もない文書を取り出してきて、首相と政府を責め立てていますが、首相も政府も涼しい顔でいます。
 それが、自分たちの立場を危うくするようなものであるなら、そんな涼しい顔はできるはずがありません。
 政治に関与していない、私が見ても、そのくらいのことはわかるのですから、政治家がそれを知らずに、あえて、問題として取り上げるのであれば、それを裏打ちする文書、あるいは証人をバックに控えさせてのことかと推測しますが、どうも、それらしきものもないようなのです。

 そういう、ある種の「怪文書」を取り上げて、政権批判をするのは、国民にとっては非常にわかりにくいことなのです。
 もっとも、政治的傾向を同じくする人たちにとっては、現政権を打ちのめすことが当然の政治課題ですから、同調するのは当然のことですが、そうした人たちの中にも、ちょっとなという思いがあるように思えるのです。

 政治にとって大切なのは、わかりやすいということです。
 それは国民がバカにしているという意味ではありません。
 そうではなくて、難しい問題も簡単に説明できて、それを実行するに困難を伴っていてもさりげなくやり遂げるのが政治であり、それを可能な政治家が国の代表であるべきであるという考えが日本国民にはあるのです。

 日本は共産主義の国ではありませんから、なんでも党のいうことを聞いていればいいというのでは国民は納得しません。
 問題をわかりやすく説明できて、それを形にできる政治家が信頼を得るのです。

 そうした意味では、昨今の野党が問題提起をし、論争を挑むありようは非常にわかりにくいと言わざるを得ません。

 かの田中角栄は、ロッキード事件で逮捕されましたが、それを命じたのは、野党ではありません。同じ自民党の三木武夫総理です。
 身内でも、決定的な証拠があれば、首相経験者でも法のさばきにのせるというわかりやすい論理、そして、そうではあるけれど、角栄人気は時を経て再び盛り上がるというのは、やはり、政治家としてのわかりやすい判断と行動があったからであると思うのです。

 簡単な話を難しくやると、歴史も事実も歪曲されます。
 歪曲された事実が、世の中を一人歩きすれば、それこそ国家的損失につながります。

 野党にも、優秀な人材がたくさんいるのですから、言葉汚く罵ったり、野次ったりせずに、また、取り上げる材料をあやまたぬよう、国民の大多数の考えを斟酌していって欲しいと思うのです。


にほんブログ村 哲学・思想ブログ 思想へ
にほんブログ村

面白くて水の撒きすぎ

falsijrn mfk,la.:;. wjh ejdnokpa
宅の朝顔は今年3世代目の芽を出しました。今年は色の変化があるのか楽しみです。このクレマチスは、鉄線のような無愛想な枝が枯れたのかしらと思わせておいて、春になるとこうして見事な花を咲かせてくれます。かれこれ、6世代目になっているのではないでしょうか。ともかく、命を繋ぐというのは素晴らしいことです。


 中国語を勉強してきたからというわけではないのですが、時たま、「漢字なるもの」に引っかかり、時間を費やしてしまうことがあります。

 夕方など、玄関先で水撒きをしていると、大きな声を出して会話をしながら自転車に乗ってくる男女二人連れと出くわすことがあります。
 その言葉を小耳にはさむと確かに中国語なのです。
 どこかの研究所に勤務する中国人らしいのです。

 その二人が、先日も私が水やりをしていると、通り過ぎて行きました。
 歩行者道を、ここでは自転車も通っていいことになっていますから、私はホースを下に向けて、水がかからないように、二人が通り過ぎるまで待ちます。
 向こうも、こちらも、目で挨拶をしますが、相変わらず大きな声で会話をしています。

 その日、私の耳に「イー・リャオ・リュー・ヨウ」なる言葉が飛び込んで来たのです。
 もちろん、彼らがいかなる会話をしていたのかは不明ですが、その発音から、彼らがある種の旅行について、その日の夕方、仕事を終えて、話をしていたことが推測できたのです。

 「イー・リャオ・リュー・ヨウ」とは、漢字に直せば、「医疗旅游」となります。
 つまり、日本に来る目的として、物見遊山ではなく、医療検査を受ける旅行のことです。

 私たち日本人が、何万円も何十万円もかけて、定期的に行う健康診断のことです。
 私たちの身体に巣食う病巣をいち早く発見し、大事に至る前に治してしまおうというあの検査です。
 今、ちょっと裕福な中国人に流行っていると聞いたことがあります。

 あの二人、親にでも「医疗旅游」をプレゼントするのかしらとか、自分たちが勤務する研究所で「医疗旅游」を義務付けられていることに対する意見交換でもしていたのかしらと、私は水を撒きながら思っていたのです。

 そんなことを思っていると、「漢字なるもの」に私は引っかかり始めました。
 もちろん、「旅」と「游」という言葉です。
 
 「游」は「遊」でも同じですが、中国では「游」の字で書かれることが多いようです。

 ロンドンに遊学した漱石、などと使いますが、何故、学問しに行くのに、「遊」という字が使われているのか、それは「遊」に「動き回る」という意味があるからであることは、少し漢字を勉強した人なら誰もがよく知っているとことです。
 その地にとどまって学ぶから「留学」であり、かの地であちこち動き回って学ぶから「遊学」なのです。

 私の好きな野球でも、「遊撃手」というのがいます。
 ショートを守る野手のことです。
 アメリカの放送局のアナウンサーが、ヤンキースの名選手ジーターの守る場所を、<ショート・ストップ>と言っていたことを思い出します。

 かつて、野球では、各塁と投手の両サイドに守備する野手が計5人がいました。
 打者から近いということで、この二人の選手のことを「ショートマン」と呼んでいたのです。
 その名残から、内野手が4人になっても、塁につかずに自由に動けるあのポジションを「ショート・ストップ」と呼ぶようになったのですが、それをなんと日本語では「遊撃手」とします。

 つまり、各塁を守るのではなく、自由に行動でき、あちこちで守備につく役目の選手ということで、「遊撃」の言葉を与えたのです。
 この場合の「遊」も、「遊学」と同じで、自由にあちこち動き回るということでしょう。

 「旅」にも、「遊撃」と同じく、戦闘に関係する不思議な言葉があるなと思いました。

 それは「旅団」という言葉です。
 たまたま、数日前に、熊本に派遣されていた陸自の部隊の記事を読んだばかりだったのです。
 それが、第13旅団ことで、中国地方5県の防衛と警備を担当する部隊であったのです。
 
 散水しながら、なぜ、軍隊の組織に「旅」という漢字が使われているのかと、これまた気になりだしました。
 
 「旅」という漢字は、元来、兵士500人の部隊をさす言葉であったのです。
 つまり、「旅」という漢字には、<部隊を明示する旗に従う兵士の姿>が元になって作られた漢字なのです。

 教師をしている時、私は小さな旗を掲げて、自分のクラスの先頭に立っていました。
 その後を、クラスの生徒がぞろぞろとついてくるのです。
 教師は先頭にあって、生徒を導くべしと教わり、一人の迷子も事故者もなかったことは、若き日の私の誇りでもあるのです。
 
 あの旗のごとく兵士が付き随う様が「旅」であるのです。
 それが転じて、「旅」が今使われている意味になったとすればよくわかります。
 すると、芭蕉の「万物の逆旅」の「逆」とは何かと気になりだしました。

 もう、キリがありません。
 貴重な水を撒きすぎてもなんですから、今日は、この辺でやめるとします。


にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村

Unsung Hero

cabin adadakjk,dmamfsppef
キャビン、いい響きです。この中にこもって、波音を聞きながら過ごす時間は貴重なものです。波に揺られながら、ウトウトするのも一興です。これから季節が良くなれば、デッキに出て、そこで陽の光を浴びながらウトウトします。これまた一興です。


 取手の学校にいる時、私は何度か、運動部の臨時顧問になりました。
 臨時顧問というのは何かと言いますと、その部活が全国大会に行くときなど、予算の関係、あるいは、参加人数制限で連れて行かれない部員の面倒を臨時にみる顧問のことを言います。

 ある時はボート部の臨時顧問をし、夏のひと時、正選手たちが連戦するさなか、利根川にカヤックを浮かべ、居残りの部員たちの練習を見ていたのです。
 当時は、船舶免許も持っていなくて、万が一、生徒に事故があればどうしたのだろうと、今考えても怖くなります。
 しかし、川での練習に慣れた部員たちは、あやふやにカヤックを漕ぐ私が川で溺れたら大変だと心配をしてくれるのですから、何とも嬉しいかぎりでした。

 ある時、アメリカン・フットボールの特別顧問をした時があります。
 この部活、近隣にあまりなくて、試合はいつも、都内にあるアメリカンスクールとか、米軍基地内のチームとの交流戦であったのです。

 予算の関係で1台のバスしか手配できず、それに乗れない部員の面倒を、ここでも見ることになったのですが、これまたボートと同じくらいに危険なスポーツです。

 まだ、体が十分発達していない子供達がタックルしてぶつかり合うのです。
 ヘルメットや防具をつけているとはいえ、当たりどころが悪ければ、首の骨を折ることもあるというのですから、何も知らないとはいえ、それを引き受ける私の無知さ加減にも、今更のように呆れ果てます。

 でもまぁ、ここでも、部員たちは何も知らない私を気遣ってくれました。
 臨時顧問に迷惑をかけてはいけないという思いが私に伝わって来るくらいに安全第一に練習を進めてくれていたのです。
 椅子を用意してくれ、耳に無線レシーバーをつけてくれ、私は一丁前のフットボールコーチのような格好をさせてもらい、グランドに陣取っていたのです。

 臨時顧問になる部活というのは、甲子園や花園という有名な試合があるメジャーな運動部ではないことがお分かりだと思います。

 実にマイナーなスポーツであり、よって、配分される活動予算も極めて少ないのです。
 ですから、彼らはその限られた予算の中で活動しているのです。
 だからというわけでもないのでしょうが、私は、そうした部活の生徒だからこそ、華々しさとは縁遠い、ちやほやされることもない、ひたむきに好きなスポーツに打ち込む姿、そして、他者を思いやる気持ちが醸成されていくのではないかとも思ったのです。

 特に、アメフットは、実に知的なスポーツであり、それがアメリカで作られ、野球とバスケットに並んで人気のあるスポーツであることが、わずかの間、近くて見ていて、よくわかったのです。
 私は頭につけられたレシーバーが最初何を意味するのかがわかりませんでしたが、それはスタンドにいるスタッフからの情報を受け取るツールだったのです。
 チームの選手の動き、疲れが見えれば交代を促し、ラインの甘さが見て取れれば、その強化を促し、あるいは、相手チームの弱点を発見し、そこを突くといった情報が寄せられるのです。
 レシーバをつけたコーチは、その情報を取捨選択し、作戦を選手に伝えます。

 なんかまるで、敵陣地を攻撃する軍隊のありようと同じではないのかと思ったことがあります。
 偵察部隊がいて、攻撃部隊がいて、防御部隊がいる。
 試合になれば、それに喝を入れるチアーもいるし、応援する観客もいるというわけです。
 これらは、言うなれば、物資を補給する部隊といったところです。

 つまり、グラウンドで戦う選手ばかりではなく、あちらこちらに異なった形で試合を戦う人々がいるのです。
 これはすごいゲームだと思いました。

 ちなみに、アメフトの登録選手は最大で65人です。さらに、情報を収集するスタッフたちも最大60人となります。それに加えて、チアーがいて、贔屓の観客がいるのです。

 こんなことを若い時からやっているアメリカ人たちと太平洋の島々で、70年あまり前の日本人の若者たちは戦ったのだと思ったのです。
 とてもではないが、戦略とフォーメーションされた戦略に対して、それに抗うことは困難であったに違いないと思ったのです。

 <Unsung Hero>という言葉が英語にはあります。

 直訳すれば「歌わない英雄」ということになります。日本語に置き換えれば『縁の下の力持ち』になります。

 これこそ、アメリカが重要視する組織論ではないかと思うのです。

 勝つために、第一線の人々の体力と能力を強化養成すること、裏方を含めてチームの組織力の向上を期すこと、チアーなどと一体になってモチベーションを高揚し、ひたすら勝つことに傾注していくこと、その上で、個人の存在を尊重していくのです。
 軍隊ばかりではなく、会社組織にも、運用が可能なあり方ではないかと思ったのです。

 当時の部員たちも今は50代になっています。
 社会の中で、いろいろと苦労しながら、若き日に気遣った優しい気持ちを持って、世の中に貢献していることを、噂に聞くと嬉しくなるのです。


にほんブログ村 歴史ブログ 日本の伝統・文化へ
にほんブログ村
プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《6/28  Wednesday》

❣️<Puboo!>にて、『あけゆく空のごとく』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Paper in NY>で、『For the first time, I was facedown in the beach a wave brings near. Very comfortable.第一次,我变成了为波浪涌来的海滨为卧姿。非常心情舒畅』を公開しました。


⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスへの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

リンク
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
フリーエリア