優れた経営者と教育

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子供の笑いほど無垢なものはありません。そこには、純粋に、楽しい、面白い、愉快だ、軽快だ、幸せだという気持ちがにじみ出るからです。お追従も、気配りも、魂胆もない笑いを大人も取り戻さなくてはなりません。


 ちょっと昔のことなので、今、あるのかどうかはわかりませんが、首都高速に乗って、竹橋から、一の橋、そして、品川方面へと抜けていく際、実際のヨットを使った看板がありました。
 なんでも、創業者の二代目を教育する経営者の学校というようなものだったと思います。

 父親が起業し、息子がその後釜に座る。
 しかし、甘く育てられたお坊ちゃんでは、先行きが心配、そこで、このような学校ができたんだと考えています。それにしても、ヨットが看板では、甘く育てられたお坊ちゃんが、本当にしっかり育つのかと不安視したことも覚えています。
 もっとも、最近の二世たちは、存外しっかりと父の業績を受けて努力しているのではないかと、あの会社、この会社を見て思っていますから、きっと、ヨットの看板の二世教育事業はもうなくなっているのかもしれません。

 専門家によると、経営者に求められる力とは、グローバル化の中での英語力、長期的な視点での経営判断力、そして、ビジネスシーンでの即断即決できる精神力であるということのようです。

 第一線で活躍する社長の英語力は、業績に大きく影響するというのは間違いではありません。
 英語が堪能であることは、グローバル社会での人間関係の構築、商売の駆け引きにおいて必要不可欠な要素であることは確かなことです。
 そこに、通訳が入るのでは、次に示された二点の「経営判断」「即断即決」に陰りが出てしまいます。

 長期的な視点での経営判断というのは、在任期間を超越して、100年の経営方針を打ち立てる意欲を言います。すでに、創業者がそれをなしていれば、その方針に沿って、経営基盤を盤石にする方策を打ち出すことなのです。
 つまり、トップにあるものは、ワンジェネレーション先の在りようを見据えよということです。

 ビジネスシーンでの即断即決というのは、これは日本の企業で、よく見られる「会社に持ち帰って検討」という判断保留のあり方ではダメだということです。
 つまり、それでは、スピード感に欠け、同時に、信頼感を失うのが今のビジネスシーンであるということです。

 すなわち、現代の経営者というのは、その場で、与えられた条件や情報を判断分析し、それが自社にどのくらい有益性を持って働くのかを即座に見極めなければならないのです。
 その結果、この話は受けることができないと伝えたとしても、なら、この条件ならと相手もまた折衷案を提示してくる可能性もあります。その場で折衷案がでなくても、この人は仕事ができるということが念頭に残り、次の素晴らしい仕事の芽がそこに生じるものです。
 こうしたことが、いわゆる国際ビジネスというものです。
 
 一部署の課長なり係長なりに、最高判断ができないのことは、誰もが承知しています。
 その課長が、はいわかりました、やりましょうと言ったとしても、相手は安心ができないでしょう。口先だけで、ある程度話が進んだら、その話はなかったことでは損失が出てしまいます。

 ですから、課長クラスには課長なりの判断、決断があるのです。
 例えば、提案を把握し、それへの前向きな意見を述べ、しかるべき日に上司とともに再訪し、話を進めたいといえば、それはそれで素晴らしい決断なのです。

 しかし、経営者になると、そうはいきません。
 その場で決断ができなければ、いけないのです。担当者ともよく話をさせてもらって、後日おしらせしますでは、その会社にもう二度と仕事は回ってきません。
 この話は、今回、我が社ではお引き受けできないときっぱりと断るか、反対に、力強い握手をしてプランを現実化していくかのどちらかなのです。

 日本に限らず、世界のトップに君臨する経営者は、常日頃、その判断を求められ、決断をしているのだと思います。
 
 せんだって、珍しく、つくばセンター近くの公園を犬を連れて散歩をしました。
 一人の外国人青年が、木陰のベンチに腰掛けて、盛んにパソコンのキーボードを叩いています。
 年頃からすると、院生か、もしくは、近隣にある研究所に勤務する青年のようです。

 この日に限って、iPhoneを忘れてしまい、時刻を知りたかった私は、その彼に時刻を尋ねました。拙い英語で問うたのですが、返ってきた言葉は流暢な日本語でした。

 この昼間に、パソコンの画面が見えにくくないですか、ずいぶん夢中になってパソコンに向かっていますね、小説でも書いているんですかと、見も知らぬ方に、普段はあまり言葉をかけることをしない私ですが、その青年の一生懸命さに心打たれて、声をかけてしまったのです。

 その青年、私の問いかけに嫌な顔一つせず、自分は起業のためのプランを作っているというのです。日本で起業し、成功するのだと言っていました。この人は、アイルランドから来た青年でした。母国では立ちいかないので、世界最先端の国である日本で成功をしたいと活動をしているというのです。

 いやはや、立派というほかありません。
 大手の会社に入って、豊かな生活をしたいというのではなく、自分で会社を作って、苦労を覚悟で成功したいというのですから。

 経営者を育てる教育というのは、それ以前に、その人の中にある意欲、あるいは壮大な夢があって、初めて花開くものであると、その時私は痛感したのです。
 ですから、優れた経営者というのは、教育で作り出すものではなく、その人の中にある何か偉大な思いがあって生まれるものであると実感した次第なのです。


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あゝ、『煙』が目にしみる

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今の子供は、当たり前のように、電子機器を扱います。誰が教えたわけでもないのに、指をスライドさせて、画面を切り替えるのです。子供はじっと大人のやることを見ているのです。そんな風景を絵にして見ました。


 10日あまり前のことですが、超党派の日米国会議員連盟に与する議員たちがワシントンを訪問しました。その折、米国の議員たちと会談し、北朝鮮の一連の動きについて、「脅威が新たな段階に入っている」との認識で一致しました。

 さて、この「脅威」「新たな段階」とは一体何を、どう意味しているのでしょうか。

 現在、釜山の港には、第1空母打撃群の空母「カール・ビンソン」が入港しています。
 もちろん、これは毎年実施されている米韓合同訓練のためであり、朝鮮半島周辺での訓練を実施し、有事に備えるという、独立国家であれば、しかも、隣に好戦的な国家があれば、極めて当然の訓練対応でもあるのです。

 しかし、新聞を読んでいますと、尋常でない文言も、この米韓合同訓練には見られるのです。それは、「北朝鮮指導部を排除する作戦」というものです。
 米韓の精鋭部隊が平壌に潜入して、北朝鮮指導部の抹殺を図ると、私などは短絡的に考えますが、実はそうではないようです。

 というのがあって、これは、米軍のステルス機が平壌上空を飛行し、バンカーバスター弾を投下するというものです。

 昨日でしたか、サイパンからステルス爆撃機B−2が朝鮮半島に飛来したようですが、このB–2には、バンカーバスター弾GBU-28が8基搭載可能なのです。
 バンカーバスター弾というのは、地下50メートルまでを破壊することができる地中貫通弾です。
 本当かどうかわかりませんが、北朝鮮の核心なる人物は、米韓合同演習中には、地下50メートルに作られた防空壕で暮らしているといいますから、それを標的にしていることが明らかな爆弾なのです。

 これまで、アメリカは「戦略的忍耐」なる言葉を使って、北朝鮮に対してきましたが、先の日米国会議員連盟と米国の議員の会談での「脅威が新たな段階に入っている」との言葉のあり方からすれば、「戦略的忍耐」の放棄につながることは間違いないようです。

 もし、アメリカが平壌の爆撃計画を綿密に練っているとするならば、まず、日本の了解が必要です。いくつかのミサイルが放たれ、在日米軍基地、そして、東京や私の暮らすつくばにも落ちる可能性があるからです。
 ミサイルが着弾する前に撃ち落とすための、日米両軍のすり合わせが重要になります。
 日本政府の動きを見ていますと、アメリカの作戦遂行に同意をすることは間違いありません。

 そして、問題は中国です。
 今月4日、第7艦隊は、ニミッツ級空母「ジョン・ステニス」、誘導ミサイル駆逐艦「チャン・フー」「ストックデール」、誘導ミサイル巡洋艦「モービルベイ」、補給艦「レーニア」などの艦船が、1日から南シナ海東部に展開していると声明を出しました。
 
 そして、8日、全人代開催中に、日本は心の病を治せと偉ぶった記者会見をした王毅が、これも偉そうに、米朝は頭を冷やせと自制を求めました。
 その後、新聞はこれに対する日米の反応を伝えていません。
 日本は、心の病と言われても誰も反応をせず、一方、アメリカは自国及び同盟国防衛のため、王毅の言を一蹴したのです。

 南シナ海で、ついこの間、遼寧が発着艦訓練を行った海域で、それに数倍する、否、数十倍する発着艦訓練を米海軍空母打撃群は、あたかも見せつけるかのようにそれを行なったのです。

 海軍は通常の派遣であり、通常の訓練を行っていると述べていますが、米国防総省は、この訓練を、「米国や他国の権利と自由を制限する行き過ぎた海洋権益の主張」に対抗することが狙いだとしているのです。

 さらに、15日、こんなニュースが出てきました。
 
 共和党のルビオ、民主党のカーディンの両上院議員が、東・南シナ海で不法行為に関与した中国の個人・企業などに制裁を科すための法案を提出したというのです。

 明らかに、南シナ海での人工島に軍用基地を建設していることを睨んでの法案提出であり、それを党を超えて出したということは、大変重要な意味を持っています。
 この不法な建設に関与した人物と企業に対して、制裁や査証の発給停止をするというのですから、対ロシア政策に近い強硬な対応と言えるでしょう。
 もっと、すごいのは、この法案に、東・南シナ海での中国の主権を認めた国家に対する米国の援助を制限することも明記したということです。
 これは、中国の金で動く、東南アジア諸国及びアフリカ諸国に対しての明確な圧力になります。
 つまり、アメリカは「本気」なのです。

 14日、朝鮮中央通信は、米韓演習を批判し、「われわれの自主権と尊厳を少しでも侵害すれば、わが軍隊の超精密打撃が地上と空中、海上で無慈悲に加えられる」と威嚇しました。

 でも、私は日本とかの国の『煙』に注目しているのです。

 護衛艦「こんごう」、イージス艦「きりしま」のミサイル発射映像を見て、そして、昨日17日、日本政府の情報収集衛星の打ち上げ映像を見ても、6日に発射された北朝鮮の4発のミサイルと大きく違うことに、誰でも気がつくはずです。

 それは、噴射の『煙』の違いです。

 あの『煙』の差は、如何ともしがたい彼我の「差」を示しています。
 噴出されるエネルギーの差、そして、発射技術のレベルの差です。

 きっと、かの国の核心なる男の目には、自国の安っぽい『煙』が、目にしみているはずです。


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診察室の中で

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ロンドンで買ってきた布にデザインされたロンドンの地下鉄路線図の一部です。キッチンの冷蔵庫の横に貼ってあるので、ちょっと立ち寄り眺めたりします。ひととき、ロンドンを旅した気分に浸れるからです。



 私は、3人のお医者さんに自分の体を見てもらっています。
 
 一人は、筑波大学の脳神経外科の先生。
 これは一年に一回、脳にできた腫瘍の、その後の状況を見てもらうためです。
三人の先生の中では、感情を表に出さない、プロフェッショナルな感じのする、いかにも「脳」を扱う先生という感じのするお医者さんです。
 
 今一人は、筑波大学の隣にあるメディカル病院の腎臓内科の先生。
 がんが見つかり、腎臓を摘出したため、5年間は転移等がないかの検査があるのです。
 大きな病院で、医師であるだけではなく、病院経営にも関与する、それなりの地位を持った方で、言葉や対応の端々に人徳がみなぎっている医師の中の医師という感じのする先生です。

 そして、三人目の医者が、二ヶ月に一回通う、自宅の近くにある街の医者です。
 この医者が、いい年になったのだから、肺の検査をしておかなくてはなりませんよと、嫌がる私にメディカル病院への紹介状をもたせた先生です。
 肺には異常がありませんでしたが、そこで、腎臓にがんが見つかったのです。
 もしかしたら、この先生、「命の恩人」、かも知れません。

 こちらの先生は、医者らしからぬ医者と言ったほうがいいでしょうか。
 大きな組織に与することを嫌って、医院を立ち上げ、小さい組織の中で、自分の意図する医院を作り上げているのです。
 二ヶ月ごとに出かけて行っても、看護師はもちろん、事務の女性たちにも、その顔ぶれに変化がないので、きっと働きやすい職場なのだといつも思っているのです。

 先日も、今年2回目になる検査に出向きました。
 1月の時より、数値が良くなっているねと、各種検査のデータと写真などをみて言います。
 そう言われると、いい年になっていても、嬉しいものです。
 では、そろそろ、通院も卒業ということでと言いたかったのですが、こちらが声を出す前に、この先生、私に言うのです。

 人間の年齢というのは、暦では測れないんだよな。
 同じ年でも、老けている人もいるし、そうでない人もいる。
 内臓は元気なんだけど、骨が弱くなってしまっている人もいる。
 かといって、人間一人ひとりを、生物学的に、あなたはポイント5の老化度なんていうのも、言われる方には辛いことだからな。
 そんなことしたら、今の時代、エイジズム、つまり、高年齢差別だと訴えられてしまうよ。

 何をおっしゃっておられるのかと、診察室の丸い椅子に腰を下ろして、先生の独り言のような、つぶやきのような言葉を、私は聞いていたのです。

 あなたは、どう思う。
 教師であるあなたは、老化について、いかがな考えをお持ちですか。

 私よりは確実に若いその先生。
 姿かたち、色ツヤ、立居振舞、すべてにおいて、見てわかることですが、その若い医師が、かつて教師であった私に、なんという質問をするのかと訝りながら、あわせて、そのぶっきらぼうな問いかけに戸惑いながら、私は答えたのです。

 人は誰でも年をとります。
 これは経済的優劣、政治的見解の違い、趣味関心の違いを超えて、平等に、人に与えられている「真実」です。
 しかし、老化なるものは、その人の気の持ちようで、いかようにもなります。
 私より、年上の人でも、見た目も、動きもずっと若い人を知っていますし、年下の人で、なんでこの人の顔はしわくちゃなのだという人もいます。
 老化は、年齢とは別に、その人に備わった、いわば、「宿命的なタレント」であると思います。

 加齢は「真実」で、老化は「宿命的な才能」ですか。
 その医者は、そう言って、私を見ました。

 私は、自分の体に、予期しえぬ不測の事態が発生していて、それを説明するために、遠回しに言葉をかけているかと不審に思いました。

 いやね、医者が言うのもなんだけどね、将来、医者なんていう職業がなくなるのではないかと思ってね、というようなことを、この先生言いはじめるのです。
 医者も人の子、そんな未来のありように不安を持ち、自分の行なっている仕事への懐疑を持つのだと私は思いました。
 そして、この医者も、きわめて、人間的であると思い、しばらくは通うことにするかと思うようになったのです。

 私にはアルツハイマーの兆候はありますかと、私はおもむろに医師に言いました。

 いや、まったくない。
 加齢による多少の肉体的な老化は認められるが、あなたの体は、最新のコンピューターのように的確に動いている。

 医者らしからぬ、哲学者然とした言葉にあっけに取られながら、私はおいとまをしたのです。

 人間の体は、無駄のない仕組で作られています。
 ばい菌が入らないように、自ら補修する機能もあります。あの先生がいうように、人間の体は、コンピューターのように、意識外のところで働いているのです。
 この体の一部分が壊れたら、「機械」がそれにとって変えられるようになるのも、時間の問題なのでしょう。
 将来、医者は、機械を組み込む技術者になるのかもしれません。

 あの先生、そんなことを考えていたのかもしれないと、私は思ったのです。


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秋葉原のハゲ頭

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昨年の夏の台風の影響で、蝋梅とモッコウバラの根が水に浸かって、根腐れを起こしたらしく、蝋梅は花の付きが悪く、モッコウバラは蕾が見えません。そんな中、我が家の色濃い紅梅が満開になりました。朝方の気温も、零度を下回ることがなくなりました。いよいよ、春がそこまでというところにきました。なんだか、心がウキウキしてきます。


 竹ノ塚に暮らしていた学生時代、東京に行くには、日比谷線で秋葉原にでて、総武線に乗り換えてというパターンが最も多かったようです。
 今、つくばで暮らしていて、かつてのように、高速バスや荒川沖に出て常磐線でというルートはまったく使うこともなくなり、もっぱら、つくばエクスプレスの快速で一挙に秋葉原に出ます。
 私の人生は、よほど、秋葉原と縁があるのだと思うのです。

 その秋葉原を所在なくブラブラする時があります。
 まっすぐに帰らず、一人、居酒屋で酒を飲むこともあります。
 一番多いのは、電気街をあちらこちら巡ることです。オタク文化の店なども覗いて見るもの面白いものです。
 この文化が、世界に撒き散らされて、世界の若者が日本に興味を持ってくれているんだと思えば、上野の博物館巡りに匹敵する価値ある街歩きだと思っているのです。

 居酒屋さんでも、カレー屋さんでも、そこで働いている人たちが外国から来た若者であり、地方から来たらしい、それらしい訛りのある若者たちであることも、私にとっては活力がみなぎっていて喜ばしいものです。
 若いということは、なんでもできるのですから、その好機を逃さずに、やり遂げて欲しいと、私はカレーをほう張り、酒を飲むのです。

 一軒の妙な店があります。
 妙というのは、時代が遅れている証拠です。
 そこには、うら若き女性たちがたむろしています。
 最も、そこへ入る勇気など毛頭持ち合わせていませんから、これは新聞で読んだことです。

 猫が、小鳥が、時には、亀とかそういった動物たちがわんさかいる店で、客は、それらの動物たちに癒されるためにやってくるというのです。
 飲み物代を払っての入場ですから、かつて私が入っていたジャズカフェや純喫茶と同じ手合いと考えればなんのことはないのですが、私はそこでジャズを聴いても、クラッシックと聴いても心を癒されることはありませんでした。
 むしろ、目つきは鋭くなり、思想は先鋭化し、およそ、将来役立つ人間になれるなんてこれっぽっちも思わない青年であったに違いないのです。

 まして、今、特別料金を払って、特定の動物を指名してしばらく過ごすなど考えもできません。

 彼女らは、どうして、もっと人間と付き合わないのでしょうか。
 ドロドロとした人間との関係に、反感を覚えて、それでも、我慢して、やっていこいうと思わないのでしょうか。
 人によって、流行の中で、作られた空間を、隠れ場とし、秘密の花園として位置付けるのでしょうか。

 居酒屋で一人酒を飲んでいると時、私は二つのことをします。
 一つは、iPhoneとにらめっこです。
 ニュースを一通り舐め回します。
 自分の書いた作品、描いた絵も見ます。

 それも、15分もすれば終わります。
 すると、今度は店の中の客たちの様子、ガラスの向こうに見える秋葉原の街を行き交う人の群れを見るのです。
 人の話す姿、歩く姿というのを見るのは、その人々の在りようを想像するためなのです。

 あの薄汚れたジャンバーを来たハゲ頭の男は、きっと、職もなく、なけなしの金を叩いて飲みに来ているに違いない、そして、共に来ている友人だろうか、結構若いそいつに、飲み代を払わせる魂胆に違いない。
 あるいは、大きな荷物を持って駅にいそぐ若者、きっと、アルバイトして貯めたお金を使って、念願のコンピューターを手に入れたのだ、あの急ぎ足、早く家について、設定をしてと気ばかりせっついている歩き方だ、とか思って、それを酒の肴にしているのです。

 あるいは、ちょっと日本語がおかしい店員に、中国語で話しかけるのです。
 キョトンとした顔をしています。
 申し訳ないと右手で敬礼し、改めて、日本語で注文を出したり、向こうに、私が入れば、このオヤジ、何を素っ頓狂なことをしているんだと思っているに違いありません。

 そんな自分を思うと、鳥のいっぱいいる店に入って、そこを隠れ場にする女性たちとなんら変わらないし、星の数ほどもあるオタク文化の店で、一体の人形に目に星をためて眺めている少年となんら変わりないのです。

 一人酒もいささか飽きて、店を出ると、先ほどのハゲ頭が前を歩いています。
 そして、ビルの端にある小さな出入り口に入っていきます。
 そのハゲ頭が入っていた入り口にしばし佇み、意を決して、そちらを見つめました。
 エレベータがあり、そこに表札とインターホーンが見えます。
 私は、おもむろに、上を見上げます。
 高いビルです。

 <あのハゲ頭、このビルのオーナーだったんだ>
 
 私の中で、またまた、想いが噴出します。
 先祖が残した土地、そこにビルを建て、若者たちのささやかな企業を助け、ビルの一室を貸しあたえている。
 自分の幸運なありようを社会に還元しようと、若者たちに格安でビルの一室を貸し出し、世界にオタク文化を広める役割を側面からになっているのだと、私の思いは至りました。

 なんだか、せせこましく、即物的に物を想像する自分が情けなくなりました。


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おぼろげなる損得勘定

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役目を終えたのか、それとも、旧式になったのか、筑波石のゴロゴロ転がる廃棄所に、一台の農機具が無残な姿で放置されていました。この農機具を使っていた農民の仕事ぶりはどうだったのかと写真を撮りながら思案しました。きっと……、そう思ったのです。


 新聞を読んでいると、時に、珍妙なデータに出くわし、そりゃもっともだと思ったり、いやいやちょっと違うなという話になることがしばしばあります。

 ちょっと違うなというものの代表格が、貯蓄額の調査データです。
 みなさん、そんなにたくさんのお金を持っているのかなと、私などは首を傾げっぱなしです。
 そして、私だけ、世の中の動きとは別のところにいるのではないかと、ちょっと寂しくなったりするのです。

 もっともだと思ったのは、トランプの支持率が40パーセントを下回ったというデータ、そして、中国や韓国に対する日本人の好感度を示すデータなどです。

 トランプが安倍総理を歓待したことで、日本ではトランプへの支持率はともかく、好感度は幾分は高まるかと思いますが、実際のところはまだわかりません。
 それより、むしろ、王毅が先の外相会談で、トランプとの会合にいちゃもんをつけたり、あいも変わらず、公船を尖閣の接続海域に派遣したりして嫌がらせをしたりすることで、中国への好感度を下げていることには誰しももっともであると感じると思うのです。
 ましてや、慰安婦像をあちらこちらに作る市民団体を取り締まることができない韓国政府と韓国に対する好感度が低いことにも、もっともであると感じる日本人は多いと思うのです。

 珍妙なものには、ロシアの企業が行なった調査で、「SNSで嫌な気分になった」という調査結果には、微妙な気持ちにさせられました。
 つまり、嫌な気分になった理由の中に、自分以外の人が自分より良い人生を送っていたというのがあったのです。
 結婚や、子供のこと、休暇や旅行を、そして、日常の生活を楽しむサイトやブログを見て、嫉妬していたということです。

 私などは、ご夫妻で小旅行に出かけたり、退職して趣味を思う存分に楽しんでいたり、年頃の娘さんが悩み事を率直に述べていたり、時には、世の中に対して不満を述べていたりする人々のそれらを見て、感心したり、同感したりしていますので、そういう人もいるんだというちょっとした驚きがあったのです。

 人間には、人の不幸を喜び、人の幸福に嫉妬を感じるという妙な癖があります。
 それがあるから、人間はいわゆる芸術的活動を成せる技を持つことができたとも私などは思っています。

 ですから、ロシア企業の調査で、平和で楽しい生活をしている人の記事を見て、嫉妬するのはもしかしたら、極めて人間らしい反応の仕方であるともいえるのです。

 むしろ、偏屈な考えを持っている私など、SNSで、そのように楽しげで、誰もが羨ましくなる記事を書いている人は、本当はそうではないのではないか、そうありたいという願望が、そのような記事を書かせ、発信させているのではないかと勘ぐりを入れたりすることもあるのです。

 人間には、人の不幸を喜び、人の幸福に嫉妬を感じるという妙な癖があると先ほど書きましたが、それに加えて、人には、自分の幸不幸に対して、それを仲裁する本能もあると述べておきたいと思います。

 それは、私たちの中に、損得は順繰りに巡ってくると考える、言うなれば、仏教的な観念があるということを意味します。

 よくないことが立て続けに起きる時があります。
 不思議なことですが、同様の事件というのが連続して起きるのと同じように、個人的な出来事でも、それは極めて高い確率で起こるのです。
 
 そんな時、当事者であるその人は、これだけ悪いことが起きたのだから、次は良いことが起こるに決まっていると得心するのです。
 
 そこにはなんら根拠というものがありませんし、不幸が連続して起きたことすらも、なんら科学的立証があるはずもないのです。
 そこにあるのは、損得が等しく人にあるというおぼろげな感覚だけなのです。

 しかし、その感覚を、非科学的で愚かなものと一蹴することはできません。

 時には、非科学的なことも、理不尽なことも、人の心を救う大切な要件になりうるのです。
 悪いことがあれば、良いこともあると考えるあり方があるからこそ、人は、困難を克服できるのではないでしょうか。
 人が悩むときは、状況がマイナス的要素をふんだんに含んでいるときです。
 そこに執着ばかりしていると、容易にそこから抜け出せないで、心身ともに疲れ果ててしまいます。
 しかし、きっと、良いことがくると、一縷の望みをそこに持てば、人は、瞬間的に、気持ちを転換できるのです。

 案外、そうすることで、先のSNSで、人に対して嫉妬するということなども、この人はここに至るまで、きっと、相当の苦労をしてきたに違いない、だから、今、こうして幸福を受け止め、語ることができるのだ、素晴らしいことではないかと思えるようになると思うのです。

 そのことの方が、嫉妬して、自分を蔑むより、どんなにか良いかと思うのです。

 損得というのは、誰しも平等。
 自分をしっかりと見つめ、自分のなんたるかを得ていることが大切だと痛切に思うのです。


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プロフィール

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Author:nkgwhiro
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《3/25 Saturday》
              
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