命の価値

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書斎のマックの上で揺れ動くヤジロベイ。疲れた目を和ませ、頭を柔らかくしてくれます。さて、私たちのちょっと先の未来。こんなことも私はヤジロベイを見ながら考えるのです。



 もうちょっと時代が進んだ、その頃のことです。

 歳をとった私は、いよいよ、足の関節が痛み出し、歩くのが億劫になりました。
 あぁ、母とまったく同じだ。
 医者に相談して、母がしたように、人工関節にして、金属の関節器具を埋め込んでもらおう。
 
 こんなに楽になるなら、早く手術をしておけばよかったと亡くなった母は言っていました。
 だから、私も、母と同じように、そうしようと決断をしたのです。
 
 近所の大学病院に、久しぶりに出かけて行きました。

 ここで、私は脳下垂体周辺にできた腫瘍の除去を行ったのです。
 あれから、かれこれ、20年も経ってしまいました。
 大病をすると、人は用心深くなり、より健康になるといいますが、まさにその通りで、私は傍目にも若く、この膝の関節が痛まなければ、それこそ健康体そのものでありました。
 
 数日後、私は殺風景な診察室で医師と向かい合いました。
 昔のように、医師の横に座るのではなく、医師の前に座るのです。
 テーブルの上には、医師と同じ型の幾分大きなディスプレイが置かれています。
 医師も私も、このディスプレイを見て対話をします。
 
 既に私は、別の部屋で、AI医師と面談し、自分の症状を根掘り葉掘り聞かれ、必要に応じて、検査を受けていたのです。
 私の足は、レントゲン室に行くことなくその場で撮影され、採血することもなく、また、尿を取る必要もなく、基本的な検査がなされていたのです。

 この20年で、医学はこんなにも進歩したのだと驚きながら、私は診察室に入っていたのです。
 そして、私の体のデーターが今、このディスプレイに映し出されているのです。 
 
 私は、私の目の前にいる医師が、本当の人間だろうかとそっと目を遣りました。
 若く、はつらつとした表情を持つ、確かに人間の医者であると私は思いました。
 なぜなら、そっと伺ったその私の目を、その医者も同じようにそっと伺ってきたからです。

 医者が口を開きました。
 「ご要望は、人工関節で痛みをなくしたいということですね。」
 私は、ちょっと関西訛りのある医師の言葉に小さな声を出し、頷きました。

 「でも、今の病院では、どこも、それはやっていないですよ。その方法は、随分と昔の処方でね。今は、足をすっかり取り替えてしまんです。AIの埋め込まれた義足です。あなたが20歳の頃の足になりますよ。で、そのためには、幾分弱った肝臓、それに、あなたは腎臓が一つありませんね。初期のがんによって切除されていますね。これも人工肝臓や人工腎臓に替えましょう。」
 困惑する表情をする私の表情は、どうやら医師のディスプレイに映っているようです。

 「心配は要りませんよ。個人負担は一切かかりません。すべて国が面倒を見ますから。でもね。」
 医師はそういうと、しばらく、間をおきました。
 「でもね、了解してもらわなくてはいけないことが一つあるんです。」

 私は、さらに困惑をした表情を見せたのでしょう。医師が、今度はディスプレイの画面ではなく、その横から顔を出し、私の表情を見ていたのです。
 私は、その若く、はつらつとした表情の医師の動きを察知し、同じようにディスプレイの横に顔を差し出しました。
 医師の浮かべた笑みが印象的に私の視野に入りました。

 「これを施術すると、あなた。寿命がグーンと伸びるんです。自然死をお望みなら、膝の痛さを和らげる薬をお渡しします。和らげると言っても痛みはすっかりとなくなりますよ。自然死を選ぶか、寿命がグーンと伸びる手術を行うか、と言っても、すぐには選ぶこともできませんから、別室でAI医師と面談をしていただき、お決めください。すぐにお決めになる必要がありませんから、今日はとりあえず、痛みをなくす薬は出しておきますからね。」

 医師はそういうと、AI看護師に指示を出し、私を別室に誘導して言ったのです。
 個人情報の規制強化で、ありとあらゆる情報が発信を許されなくなって久しくなっていました。情報は必要な人に、必要なだけしか与えられない時代になっていたのです。
 テレビや新聞で高齢化社会を生きる健康生活のあり方などと盛んに伝えられていた情報が、今はすっかりなくなり、私は大学病院にきて、今の医学がこんなにまでなっていることに驚いたのです。

 再び、AI医師の元に案内された私は、このAI医師から驚くべき説明を受けたのです。
 <これから説明することは、政府が定めた第1級特別情報の秘守義務の管理下になされますので、説明を受けた内容を、家族はもちろん、他人に述べることは命に関わる刑罰を持って処罰されます。あなたの健康調査から、あなたは長期に命を永らえるにたる健康体であると判断されました。先ほどの診察で医師から説明がありました治療を施せば、あなたは最低200歳までの命が政府によって保証されます。自然死を望まないのであれば、どうか、手術を受けて、200歳の寿命をお受け取りください。もちろん、これまでの年金に加えて、長寿祝い金が毎月、年金の倍額でますからご安心ください。>
 というものでした。

 とすると、最近元気になって、いやに若いと思うようになっていたご近所の佐藤さんも、ネット仲間で、テレビ電話で話をする山川さんも若返ったようになっているのは、きっと、この手の手術をしたに違いないと、私は思うようになったのです。

 ……
 主人公がどのような決断をしたのか、仮に200歳の命を得たとして、どのような生活をしていくのか……。あなたならどうしますか?


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今一度、力を誇示してはいかがですか

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人間は思案をするごとに、物事を前へと進め、問題を解決してきました。思案は、いかなる思想よりも上にあるのです。その上にあるのが思案に基づく行動です。


 私のiPhoneに入っている無料アプリの一つに、<Flightradar>があります。

 つくば上空は、旅客機の飛行機ルートになっています。
 時間帯によっては、連続して、航空機が上空を通過していくのです。
 そこで、気になるのが、その飛行機の行き先です。

 そういう時、この<Flightradar>が活躍します。
 飛行機の音がしてくると、早速、iPhoneを取り出し、アプリを起動させます。
 すると、そこには、私のいる位置が青い丸印で示され、黄色の飛行機が移動しているのです。その黄色い飛行機をタップすると、便名はもちろん、離陸した飛行場から到着する飛行場、それに、飛行機の速度や高度までも示されるのです。
 しばし、私はiPhoneと上空を飛ぶ飛行機を見比べます。

 そして、なんとまぁ、素晴らしい世の中ではないかと感心するのです。

 先日、CNNのサイトを見ていましたら、妙な記事に出くわしました。
 『非武装のロシア軍機、米首都を飛行 国防総省などを「監視」』という表題がつけられていました。

 非武装とはいえ、アメリカにとって、ロシアはもっとも注意を払うべき国家にちがいないはずです。
 そのロシア軍機がよりによってワシントン上空を、それも、米連邦議会議事堂や国防総省、中央情報局(CIA)、アンドルーズ空軍基地上空を飛行したというのです。

 きっと、アメリカ空軍が緊急発進して、一触即発の危機に陥ったと思いきや、これは、アメリカとロシアが、お互いに上空を監視することを認めた<オープンスカイズ条約>に基づく、合法的な飛行であるというから、さらに驚きでありました。
 
 ロシアは、使用した機体はツポレフ154で、上空3700フィートを飛行し、ワシントン上空、キャンプディビット、トランプ所有のバージニア州にあるゴルフ場、そして、万が一の際、アメリカ政府が移転先にしているマウントウエザーにも飛行を行ったと明らかにしたのです。
 
 私は恥ずかしながら、CNNの記事を読むまで、<Open Skies Treaty>という条約があることを知りませんでした。
 
 この条約は、1955年、アイゼンハワーが核を持つアメリカとソ連が、相互に疑心暗鬼になって、思わぬ事態に至らないよう、非武装の航空機を使って、相手国の領域内の軍事活動、施設を監視しあい、軍事行動の透明性を高めよう、そして、相互の不信を取り除くことを目的に提唱したというものなのです。

 しかし、50年代は冷戦の時代です。
 そんな条約が結ばれるはずもありません。第一、理解されるはずがありません。

 ですから、両国とも、高高度を飛行する秘密偵察機を飛ばしたり、時代が進むと、宇宙空間から相手国の動向を探ったりして、警戒を強めていったのです。
 その間、撃墜事件があったり、本物の<スターウオーズ>が現実性を帯びるなど、その危機的状況に警鐘が鳴らされたことが記憶にあります。

 それを1989年にアメリカ大統領のブッシュが,この構想を米ソ2国間から多国間のものとして再提案したのです。
 そして翌年、カナダのオタワで北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ条約機構(WTO)の間で話し合いが持たれ、1992年、ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)で、調印に至ったというものです。

 冷戦時代に、それを提唱するアメリカの大統領の見識も素晴らしければ、時代を経て、それを相対峙するヨーロッパの二大勢力が受け止めたことも素晴らしいことです。

 さて、素晴らしいと諸手を挙げて喜んでいるのではなく、アジアにおいても、それができないものか、そして、それを日本が提言できないものかと思案するのです。

 アメリカ海軍は航行の自由作戦を展開しますが、中国は領有権のある島々への挑発行為であると厳しく批判をします。
 また、一方、日本の領土である尖閣には、自国領土であると強弁し、定期的に公船を派遣してきます。
 まさに、政治的な矛盾そのものです。
 さらに、習近平は自国の領土領海は力づくでも守り抜くと解放軍相手に演説を行う始末です。
 韓国では、政権が変わるたびに日本に対する要求が突きつけられます。

 これらの国々は、国際法、国際常識はもちろん、慣例など守る気さえもありません。

 日本はアジアでいち早く近代化を成し遂げ、それゆえの行き過ぎた政策もありましたが、日本が行動することで、アジアの国々はその多くが独立をしたことも事実であります。
 そして、今、アジアでもっとも国際常識のある行動を取れるのは日本しかいないのです。

 <Open Skies Treaty>という条約は、困難な時代に提唱したからこそ、価値を持って、受け止められ、後任の大統領によって実現へと導かれたのです。

 ここは自分の領土と、部分的にラインを引いての自己主張とか、70年も前の出来事を蒸し返して、それを金科玉条のごとく喧伝していく、そんな了見の狭い考えではなく、オープンに物事を考えて、両手を広げていかないと、アジアはそれぞれの国の妄想と我欲で滅亡することになるのではないだろうかと心配するのです。

 そうならないためにも、日本が今一度、アジアに向かって、その正当な力を誇示する時ではないかと思うのです。


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直立不動の人民解放軍兵士

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二階のバルコニーに置かれているテーブルです。ここで、朝、私は道向こうの森から聴こえて来るせせらぎと鳥の声に耳をすませていっときを過ごします。ともかく、つくばに暮らして、いいなあと思うひと時となっています。休暇中、ひと時は時に、ふた時にもなってしまうのです。


 1978年8月、私は、広州の街で一人の若い人民解放軍の兵士と話をしました。

 同年8月12日、日中友好平和条約が北京で締結されて直後の、日本で最も早い訪中団の一員として、私は香港から広州に入っていたのです。
 もちろん、羅湖辺りはまだ農村地帯で、深圳のような近代的な街は影も形もありませんでした。
 そんな広州の公園の一角に、複数の軍の車両が駐車し、兵士たちがたむろしていました。
 その端っこのベンチに腰掛けていた兵士に、私は何気なく近づき、挨拶をしました。
 驚いたことに、私から挨拶を受けた若い兵士は、それまで丸めていた背中を一気に伸ばし、さらに立ち上がり、直立不動となり、私に挨拶を返してくれたのです。
 そこへ、上官らしい兵士がやってきて、任務中であるとかなんとか言って、兵士を私から遠ざけたのです。

 訪中団に付いていた中国共産党から派遣された説明員に、彼らはこれからどこへいくのかと尋ねると、わからないと言ったきり、それ以上近づいてはいけないと鋭い目つきになって、私の腕を掴み、兵士達がたむろする一帯から私を遠ざけたのです。

 翌年、中国とベトナムの間で戦争が起こりました。
 カンボジアのポルポト政権を崩壊させたベトナムに対して、カンボジア支援をしていた中国が<懲罰>を与えると言ってベトナムに攻め込んだのです。
 当初、有利に戦いを進めていた中国ですが、アメリカとの戦争で鍛錬されていたベトナム軍に程なく大きな痛手を与えられ、追い返されたのでした。

 日本で、そのニュースに接した私は、きっと、あの時、広州の公園にいた兵士達は、まもなく始まるベトナムとの戦争の最前線に陣取る兵士たちではなかったかと思ったのです。
 だとしたら、あの直立不動となった若い兵士はどうなったのだろうとも考えたのです。

 中国のことを学び始めて、現代文学の勉強と同時に、私は新中国の歴史や社会にも興味を持っていました。
 とりわけ、毛沢東の思想には大きな関心を持っていたのです。

 その毛沢東が、人民解放軍の前身である「中国工農紅軍」の規律を守るために発した「三大紀律六項注意」を私は中国語を学ぶ教科書で知っていました。
 その後、これは「三大紀律八項注意」となり、人民解放軍に受け継がれるのです。

 三大紀律とは、指揮に従って行動せよ、人民のものは針1本糸1筋もとるな、獲得したものはすべて中央(共産党本部)に提出せよ、という規律です。
 八項注意とは、寝たあとは戸板を上げよ、寝ワラにした乾草は縛れ、話し方は丁寧に、売買はごまかしなく、借りたものは返せ、壊したものは弁償しろ、婦女をからかうな、捕虜を虐待するなというものです。

 当時、私が学んだ中国語の教科書では、人民のものは針一本もとってはならないというのを、日本軍が人民からなんでも奪い取ったことと絡めて物語っていたと思います。
 もちろん、これは北京の出版社が編集した教科書で、英語で書かれ世界中に配られていたものです。
 ですから、この教科書で学んだ学生達の中には、毛沢東の教えは素晴らしく、それに対して、日本軍というのは残酷で、酷い仕打ちをしていたのだなと思ったはずです。

 しかし、じっくりと読み返せば、八項目のきまりを言わなくてはならないほど、その軍隊はだらしなかったということを示しているとも言えるのです。
 起きたら布団はたたむ、大きな声でまくしたてるなどは今時の中国人旅行者にもあてはまるのではないかと思うくらいです。

 さらに、偽物を作ったり、知的財産を無断で使ったり、自分のものでないものを自分のものであると言ったり、そうしたことを国レベルで行ったりするわけですから、毛沢東の教えを現代の中国が再学習しなくてはなりません。

 そして、三項の方はといえば、一方で針一本取るなと言っておきながら、他方でとったものは中央に差し出せと言っているのです。
 毛沢東には『矛盾論』という著作がありますが、これこそ矛盾そのものであるとも言えます。
 
 意地悪な見方をついしてしまいましたが、それでも、若い日の私は新中国の理想を受けとめるにたる柔軟な精神を持っていました。
 しかし、その柔軟な精神を覆したのが、1989年の「六四」すなわち、天安門事件です。

 人民に奉仕する解放軍が、人民に銃口を向け、戦車で踏みつけたのです。

 毛沢東はその「三大規律」で言っています。
 兵士たちは、指揮に従って行動せよと。

 しかし、私たちは見たのです。
 
 一台の戦車が、その前に立ちはだかった一人の青年を避けようとし、先に進めなかったことを。つまり、兵士は良心を優先させ、指揮には従わなかったということです。

 今、習近平が盛んに軍の閲兵を行っています。
 中国共産党の過去の例に見ることのできない閲兵の回数であり、ありようなのです。
 軍を掌握している証しであると中国の報道は伝えます。

 しかし、それを伝えれば伝えるほど、事態は反対なのではないかと……。

 あの戦車のように、あるべき姿に対して、軍が党の言う所の前進を渋っているのではないか、同時に、国内に鬱屈するあの戦車の前に立ちはだかった青年のように、それが幾百人、幾千人、幾万人となることを懸念しているように思えて仕方がないのです。
 
 歴史は、結局、行くところまで行くしかないのです。
 中国は、はて、どこへ行こうとしているのか、じっくりと見ていきたいと思っているのです。


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初々しき一礼

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このトマト、サントリーが開発したというミニトマトですが、皮も柔らかく、それに甘いのです。今年の夏、もいではまたなるミニトマトを食べています。タネを保存して、来年も育てようと目論んでもいるのです……。


 私は握手があまり好きではありません。
 相手のベトベトした手のひらの感触が苦手なのです。
 今まで、サラサラした手のひらでの握手というのはほとんどありませんから、向こうが握手を求めてくる気配を感じ取れば、日本風に頭を下げて、お辞儀をしてしまうのです。
 
 オーストラリアに出かけて言って、一番困るのは、彼らが肩を抱きかかえたり、頬を寄せてきたりする挨拶をしてくることです。
 なんのことはない、こちらも腕を相手の体に回して、同じような動作をすればいいのですが、それが照れ臭くてできないのです。
 
 そんな挨拶の場面を興味深く見ることが、先だってのアセアンの会合の場で見ることができました。

 日本の外相が、アメリカの国務長官に対して、にっこりと微笑み、姿勢を正して首をちょこんと下げて、そして握手をしたのです。
 アメリカの国務長官は、これまたにっこりと微笑み、親しげな様子でその挨拶を受け止めたと見て取れました。
 多分、若く、そして、大臣になったばかりの男に初々しさと親近感を抱いたにちがいありません。
 非常に微笑ましい光景ではありました。

 ところが、中国の外交部長との場面ではそうではありませんでした。
 こちらの方に、中国の外交部長への偏見があるせいもありますが、その態度は横柄そのものに見て取れたのです。
 若く、初々しい日本の大臣は、アメリカの国務大臣にしたように、姿勢を正して、一礼をし、そして握手を求めたのです。
 まるで、後輩が尊敬する先輩に対して、あるいは、教え子が恩師に対してするようにです。

 政治の世界でも、どれだけ年数をそこで費やしているかは人のありように影響を与えるものです。そういうことは、スポーツの世界ばかりではないのです。

 日本の外務大臣にとって、アメリカの、そして、中国の担当大臣は「先輩」なのです。
 つい数日前になったばかりの大臣が、先輩の大臣に礼儀を尽くすのは、当たり前のことで、それは日本的でもなんでもありません。

 中国の外務部長も、そうした対応を受けて、随分と気を良くしたに違いありません。
 彼は北京第二語言学院日本学科を卒業し、その流暢な日本語を買われて日本駐在大使にまでなった人物です。
 ですから、日本式の礼儀作法には通じているはずです。
 後輩の大臣が、身を低くして、自分の前に立ち、一礼をして握手を求めてくる、その姿勢に満足をしたはずです。
 それが、あの時の彼の表情によく出ていました。

 日本の大臣が中国の大臣の前で頭を下げるなどとんでもないと批判が出てこないのは、それが我が国の礼儀だからです。
 中国の新聞の一部が、その際の写真を一面に出して、日本が頭を下げたという記事を出しましたが、日本人は誰もそれを歯牙にもかけませんでした。
 礼を尽くすことがいかに大切かを日本人は誰よりも大切にしているのです。
 
 そして、このなり立ての初々しい大臣のありようにも批判をさせないありようがありました。
 中国の外務部長が、会談冒頭、あなたの発言に失望したと述べたのです。

 共産党が支配する中国というのは、態度に裏表のない、率直な物言いをします。
 今回も、中国の支援を歓迎し、友好を謳うフィリピンとは会談を行う反面、アセアンで最も中国に対して批判的であったベトナムとは予定していた会談をキャンセルしてしまうのです。
 意見が異なるからこそ、会談をして、すり合わせをするというのではなく、力でもって相手をねじ伏せるという、いびつな大国主義の発露がそこに見て取れ訳です。

 それゆえ、日本の初々しい外務大臣があなたには失望したと言われただけではなく、あなたにはアメリカから与えられた任務があるようだと、例のいびつな大国主義を発露して、外交の席上では決して言ってはならない言葉をかけられても、冷静でいたことは評価に値するのです。

 さらに、この大臣は、南シナ海での日本政府の言い分を披瀝したばかりではなく、中国外務部長に、あなたの国は大国なのだから、大国らしく振る舞う作法を身につけなさいと釘まで刺したのです。

 これが、国内での中国外務部長に対する一礼への批判が起こらなかった大きな要因であるのです。
 そればかりではなく、中国のつんと澄ました外交部長の鼻っ柱を叩いたのですから痛快ではあります。
 さすがの外交部長も苦笑いをするしかありませんでした。

 外交は、言葉による戦いです。
 かっとならずに、相手の言葉を懐深く受け止めて、何気に相手に一言をお見舞いするのです。
 
 というわけで、久しぶりに、痛快な対中国外交を目にして、気分は爽快になった次第ではあります。


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てやんでい、喧嘩だぁ、喧嘩だ〜ぁ!

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我が家の玄関前に鎮座ましますわんちゃんも上目遣いで、何やら考え込んでいるようです。


 昭和も半ばのこと、夏はやはり暑うございました。
 
 おや、今日はえらい暑いぞと思って、家の寒暖計を見ると、30度を超えていて、これは大変だと思ったことが幾度もございました。
 世の母親たちは、子供たちが出かけるときは必ずと言っていいほど、巨人軍のマークのついた野球帽を被らせていたものございます。

 ところが、最近は35度オーバーという気温がざらにございます。
 35度ということは、実際に体感する気温はさらに3、4度高くなるはずですから、凄まじい気温ということでございます。
 NHKテレビが放映画面を小さくして、高温注意報の警告を盛んに発するのも致し方のないことでございます。

 そんなひどく暑い盛りの日のことでございました。

 喧嘩だぁ、喧嘩だ〜ぁとテレビも新聞も大騒ぎでございます。
 一体全体、何事かと耳をすましておりますと、北の御曹司がグアムに一撃を加えると騒ぎ立てているというじゃありませんか。

 さらに、耳をよくすましていますと、自慢のミサイルをぶっ放し、日本国の領空を通過させて、グアムの島の周りに落とすというのですから、開いた口がふさがりません。
 なんでも、この計画は北の若衆たちによって慎重に検討され、後は御曹司のご決断次第だというではございませんか。

 私なんど、そんなことしたら、お前さんの命はあっという間になくなるよと思うのですが、御曹司や彼を取り巻く連中には、どうもその辺がお分かりにならないようでございます。
 
 いや、よくよく、その言い分を聞いていると、その辺は分かっているような気配もあるような気もするのでございます。
 というのは、なんでも、その「包囲射撃」とかいう、聞きなれない言葉がそれなんでございます。 

 つまり、グアムそのものにミサイルを撃ち込んで喧嘩を売るのではなく、その周りに落として脅しをかけるということでござんしょ。
 御曹司たちの心を騒がすアメリカさんを懲らしめるために、その戒めのためにちょっかいをだす、まあ、子供の喧嘩みたいなもので、なんだかんだと言って、相手に蹴りを入れるのと同じようなことでございましょ。

 でもね、それが一番怖いことなんです、やはり、御曹司は分かっちゃいないということになりますかね。

 案の定、アメリカさんの頭領も言い返してきたから、さあ、大変だ。
 夏休みに入っている頭領は、御曹司の言いように、よほど頭に血が上ったらしく、御曹司のお株を奪うような言葉遣いで罵ったっていうじゃありませんか。

 「これ以上、俺様をバカにするのは許せん。いや、この俺様に対して脅しをかけるなど、お前などがすることではない。もし、お前がそんなことすれば、俺様は今まで見せたことのない炎と怒りを、お前に見せることになるが、それでもいいのか!」てっね。

 こうなりゃ、てやんでえ、喧嘩だぁ、喧嘩だ〜ぁ、ってなりますやね。

 喧嘩って聞いて、一番に反応したのは、あきんどたちですよ。
 世の中の金の動きに敏く、人の喧嘩で、てめえの金を減らされてはたまないと考えている奴らですよ。

 こういう時こそ、「円」は安心だ。
 だって、戦争をしない国の金だ、それに、正直で、信頼性があるからね。
 何処かの国みたいに、数字を偽ることもないし、偽物もないからね。
 だから、こういう時は、アメリカさんのドルを売って、円を買うっていうのが常道ってわけさ。

 喧嘩が始まって、わずか2、3時間で相場が動くなんざ、さすがに利に敏いあきんどたちでございますな。

 ところで、アメリカさん、今回は本気に喧嘩する気なんでございますかね。

 北の御曹司はすでに60発の核弾頭を持つミサイルを持っているとか、今月中に北に滞在する者たちに帰国を呼びかけたり、アメリカの民が北の御曹司を危険視する率が70パーセントを超えたとか言いだしたり、その気は十分にあるようでございますよ、いや、それよりむしろ、御曹司のやることなすことで気をやきもきさせられているお方たちが、どうだい、アメリカさん、ここらで一丁喧嘩をしておくれよと願っていることの方が大きいと思うのでございますよ。

 それにしても、この暑いさなか、よくやりますなぁ。

 北の御曹司、アメリカの頭領とも、なんと言いますか、愚かな指導者の、愚かな判断で、喧嘩なんどされては、暑さに加えて、とんでもないことになってしまいやす。

 さて、降りかかってくる火の粉を振り払うにはどうしたらいいのか、つくばに暮らす私も、少しは考えなくては思っているのございますよ。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《8/22  Tuesday》

❣️<Puboo!>にて、『神様のおかげ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『The silhouette:The person who sits down in a seashore bench
It's covered with a green tree and give the shade of a tree to two people. Many waves are surging over the beach.A vast sea and the sky spread over it.
人影 : 卸下腰到海岸的长凳的人。绿的树木落到身上,将树阴给予二人。向海滨的对面几个也波浪涌来。并且,到那个对面汪洋大海和天空扩展着。』の絵を公開しました。

❣️<Twitter>では、毎日の朝と晩『つくばの街であれこれ』の更新情報をつぶやいています。


⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

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