自由の国ーニッポン

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トマトが色づき始めました。これが採れると夏真っ盛りという感がします。梅雨の雨をたっぷりと浴びて、夏の太陽の光を吸い込んで、甘く、どことなく酸っぱく、そして、香りを楽しむのです。


 シリアからの難民が海を越えて、あるいは陸伝いに、ヨーロッパの端にたどり着き、そこから各国を横切り目的地のドイツに至るという、そんな過程を追ったドキュメンタリー番組を見たことであります。

 ある国は国境に警備隊を配して彼らの入国を拒みます。
 そこを通れないとわかった彼らは迂回して、ドイツへの道をオープンにしている国を目指します。彼らが通るルート沿いにある村では、露骨に困惑を示したり、あるいは、宗教的義務で彼らを受け入れたりと様々な姿を見せます。

 シリアからすべてを投げ捨て難民になった彼らはどうやってルートの情報を得て、そして、目指すドイツの情報を得ているのかと、関心を持って映像を見ていました。
 女子供、それに年寄りを抱えての難民行の中で、元気に振舞っているのが若い男たちでした。
 そして、その手には、いつもiPhoneが握られていたのです。
 
 つまり、彼らはiPhoneで祖国に残った仲間から、あるいは、すでにドイツに暮らす仲間から、そして、信頼できる通信社のニュースソースを元に、情報を得ていたのです。
 得た情報から、ドイツに至る途中の国で施設に入るか、それとも、もうしばらく辛抱して、ドイツを目指すか、あるいは、条件が整えば、フランスに入るかの判断をしていたのです。

 私は、この人たちはどこの会社の電話回線を得ているのだろうかと思い続けて、番組を見ていました。

 シリアの携帯電話会社なのだうか、それとも、ヨーローッパ全土を網羅する大手の会社なのだろうか、銀行口座から引き落としができなければ、即座に、通信回線は遮断されるはずだから、ある程度のお金の融通がつく人々が難民になっているに違いないと思ったのです。

 そして、iPhoneを手にすることのできない人は、シリアから出ることもできないに違いないとそうも思ったのです。
 
 イランという国があります。
 ついこの間、5月19日に選挙があり、現職のロウハニ大統領が再選を決めました。
 彼は、穏健派の代表です。
 そのことが、イラン国民にロウハニを選ばせる大きなポイントになりました。

 そして、選挙の投票日にイラン国民が驚く事態が起きていたのです。

 イランは自国が唱える革命に対する批判的な意見を封じ込めるために、サイトの検閲を強化して、不適当なサイトはアクセスができないようにしていたのです。
 しかし、この日は、すべてのネットに自由につながったのです。
 そのことが、ロウハニ支持者たちに投票を促し、ロウハニの勝利につながったというのです。

 ネットのありようは、体制をもひっくり返す力を持ち、ネットから得た情報は無防備の難民たちに行くべき道を指し示しているのです。

 しかし、5月19日の選挙の日以外、ネットが規制される中で、イラン国民はどうやって「情報」を得ていたのでしょうか。
 それは、シリアの難民の通信事情と相まってますます疑問を私に与えるものとなりました。

 思い出すことがあります。
 それはポーランドにおける『連帯』運動のことです。

 東西冷戦で世界が分断されていた時代のことです。
 ポーランド当局は、西側世界は青年たちは髪を伸ばし、汚い服装で、自堕落な生活をしていると喧伝し、自分たちの社会こそが最上のものであると教えられ、疑うことを知りませんでした。
 食べ物の配給があれば長い列に並び、ないものは欲しがらないという、慎ましやかな生活に甘んじていました。

 ところが、誰が最初にしたのか、中華鍋のようなものを屋根に掲げ、電波を拾い始めたのです。
 その電波から、西側の世界の様子が映像で見えて来ました。
 バナナが山のように積まれ、そればかりではなく、それを得るために並ぶ姿もありません。
 確かに、若者たちは髪を伸ばし、薄汚れたジーンズを身につけていますが、あふれんばかりの笑みを浮かべて、街を歩き、恋をしている姿がそこにあったのです。

 パラボラアンテナから衛星電波を拾い、西側のナマの姿を目にしたポーランド人たちは、自分たちが騙されていたことに気がつくのです。
 それが『連帯」運動の高揚につながり、社会の変革につながっていったのです。

 シリア難民のiPhone、イランの選挙でのネットの開放というのは、あの世界を変えるきっかけとなったパラボラアンテナであると言えます。それも、高性能な<アンテナ>です。

 私たちはネットに接続するとき、IP接続というのを用いて、安全に通信をしています。
 しかし、彼らが使っているのは、それではなく、Virtual Private Networkというもので、日本語にすると「仮想私設網」となります。
 つまり、安全性には脆弱性があるも、既成の専用回線の隙間を使って、ネットに接続できるという抜道みたいなものなのです。

 国家によって、情報が遮断されても、その国の人々はこの「抜け道」を使って、自分たちが生きるための情報、自分たちが望む情報を獲得しようとしているのです。
 
 そんなことを思うと、ニッポンという国はありがたい国です。
 いろいろな意見を述べることができる国で、さまざまな意見を世界中から、何の規制もなく、手にいれることができるのです。
 このことは何としても守り通していかなくてはなりません。


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アジアにはその芽さえも出ていません

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自然の意匠と言っては大げさですが、草花が世界に示す姿は人の心をハッとさせます。そして、それらが群れて、私たちの眼の前に現れると、ハッとする気持ちに、時に、ドキッとする気持ちが加わるのです。この薄緑の草も、こうしてみると、砂漠の姿にも、あちらこちらで爆発してる煙にも見えてしまうのです。


 1984年、フランス大統領ミッテランとドイツ首相コールが、第一次大戦の激戦地ヴエルダンを共におとづれて、仲の良い子供のように手をつなぎました。
 映画『西部戦線異常なし』でしか、その戦争のことを知りませんが、互いに憎しみあった仏独両国が手を握り合ったことは確かに歴史的価値のある出来事であり、その結果がEUという形で結実していることは素晴らしいことであると思います。
 そのコールが亡くなり、新聞は「偉大な欧州人を失った」と書きました。
 新聞は、彼を、ドイツ人ではなく、ヨーロッパ人と表現したのです。

 ヨーロッパは、二度の大きな戦争を体験し、国土は疲弊しました。
 国土が疲弊すれば、経済も衰退し、人心もまた荒廃します。
 欧州を支配していた<帝国>は瓦解し、古き良き懐かしきヨーロッパは過去の遺物となっていったのです。
 欧州の果てには強大な力を持ち、考え方のまったく異なる<ソ連>が台頭してきました。
 太平洋の向こうでは、自分たちヨーロッパ人に変わり<アメリカ>が大国としての位置を確固としたものにしてきました。

 ヨーロッパ人たちは、<ソ連>や<アメリカ>が脅威になる前から、自分たちの地域が近い将来、危機的状況を迎えることを察知していました。
 その焦りが、ヨーロッパ人同士の戦争を誘発してもきたのです。
 その中で、日本人を母に持つオーストリアの貴族クーデンホーフ・カレルギー(日本名・青山栄次郎)らが、「汎ヨーロッパ運動」を唱えるのです。
 ドイツの作家トーマス・マンはこれに同調して、「ヨーロッパ的ドイツたれ」と述べます。

 まさに、EUの基本的な考えがここに成ったのです。

 しかし、アメリカに端を発する世界恐慌が起こり、ソ連はソ連、ドイツはドイツという、体制は異なりますが、一種の保護主義が台頭してきます。
 ヨーロッパの理想は一時的に悲惨な中断を余儀なくされるのです。

 しかし、国と国が国境をなくし、通貨を共通にして、行き来を自由にするという夢のような仕組みをヨーロッパ人たちは捨てることはありませんでした。
 自由・平等・博愛を精神に持つフランスを中心にヨーロッパは夢の実現に向かって言ったのです。

 その担い手の一人が亡くなられたコールであったこと、その政治精神を受け継ぐのが、コールが見出した現在の首相メルケルなのです。
 そして、衝撃的な当選を果たしたフランスの新大統領マクロンと新たな役者が出揃いました。
 
 今、アメリカの金銭的保護主義、ロシアの新たな拡張脅威、加えて、イギリスのEUからの無気力脱退という困難を前にして、ヨーロッパは、独仏という両大国の指導者の手腕に、ヨーロッパの見果てぬ夢の実現に向けて、歴史的な歩みを始めたのです。

 試練は、理想を実現するエネルギーを与えてくれます。
 同時に、試練は、それを挫けさせ、夢をはるかかなたへと押しやりもします。

 アジアに目を移します。
 
 中国が圧倒的な人口を背景にして、アジア全体にその威を張ってきました。
 清王朝の眠れる大国は遥か昔の話、今は、経済をテコに、世界中にその力を誇示するまでに成ったのです。
 中国国内は、言うなれば、ヨーロッパと同じ状況下にあると言ってもおかしくはありません。
 まず、言語は、広東や四川、上海、北京とそれぞれ異なります。それは、ドイツ語があり、フランス語があるヨーロッパとまったく同じです。
 しかし、ヨーロッパにはないものを中国は持っていました。
 それは「漢字」という共通の文字です。
 もし、「漢字」がなければ、中国もヨーロッパと同じく、広東省ではなく、広東国であり、四川国であったに違いありません。
 それがユーラシアの定めであるかのようにです。

 中国が「漢字」を手にして、自国内で穏健にしている間は、アジアには波風が立つことはありません。
 しかし、中国が、経済力と中華民族の野望を露骨に出してくることで、事態は大転換をします。

 かつてのシルクロード沿いに加えて、明王朝の鄭和が航海したルートにも中国は、その影響力を行使しつつあるのです。
 それは、日本も、アメリカも抵抗できない強い力で推進されています。
 時には、国際法を否定してまでも、強硬手段に打って出てきているのです。
 しかも、政治体制が、著しく異なる中での世界進出です。

 あえて、それに異を唱えて、明確に対抗し、また、その力を有しているのは、アジアでは日本とインドだけです。
 日本が、国際法の遵守と力による現状変更をやめるよう、声高に発言しても、一向に耳を貸さないばかりか、一方的な見解による歴史事項を差し出し、歩み寄りを示してきません。

 ヨーロッパには、ヨーロッパ人の自分たちの土地と文化を守るための大同団結の風潮が生まれました。
 それは文化の成熟と人間が争いに走るのではなく、お互いを理解することで、平和と安定を保とうとする当たり前の精神がそこにあったからです。

 しかし、アジアにはまだその芽さえも出ていません。

 かつて、欧米列強に国土を奪われ、唯一アジアで、日本がその欧米に伍した記憶の反動として、そこには、必要以上に自国を優先する保護主義的な風潮がのさばっているのです。


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千年の王城の地と、300年の徳川恩顧の地

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公園の花壇に植えられていた小さな花、名はわかりませんが、寄り添って、梅雨空の下、見事に咲き誇っていました。道行く人の歩みを止める花のように……と思いながら、それを眺めていたのです。


 天皇陛下の退位に向けた特例法が、参議院本会議で可決成立したのを受けて、6月13日の閣議で特例法の公布が決定しました。
 これに伴い、16日には、その旨が官報に掲載され、遅くとも3年後の2020年6月までに今上陛下が退位されることが確定いたしました。

 天皇退位は、江戸期の光格天皇以来、およそ200年ぶりの出来事です。
 生涯、天皇であり続ける仕組みとなった明治以降ではもちろん初めてのこととなります。
 今上陛下は、ご退位後は「上皇」になられます。

 これを機に、「上皇」さまには、京都にお戻り願いたいと言う意見も、京都の街にはあるようです。

 文化庁が京都移転を企図していますから、政府には、天皇は東京に、上皇は京都にと言う腹づもりでもあるのでしょうか。

 現に、京都にある御所は今でも、いつでもお使いいただけるように整備されていますし、時折は、海外からの賓客にご宿泊いただいていると言いますから、「上皇」がお暮らしになるにあたっても、なんら差し支えないといえます。

 代々、長らく、歴代の天皇の御在所は、京の都でありました。
 京の都は、東京などと比べると、そして、アメリカ軍の空襲を受けなかったことから、日本の古くからの街の形が残っている場所でもあります。
 ですから、「上皇」が京都の街にお暮らしになることは、天皇家にとっても、日本民族のありようにとっても、意味のあることであるとも思えるます。

 日本は曖昧なままことを運ぶことに長けた国です。
 それは、決して悪いことばかりではなく、相手を傷つけないようにするために、物事を曖昧にしておくと言う一種独特の風潮を持っているものでもあるのです。

 京都と東京という「都」のあり方についても、曖昧なまま、ことを運ぶという風潮が反映されています。

 歴史的には、明治の維新の折、京から江戸改め東京への「遷都」が正式にはなされていないと言うのが定説になっています。
 
 慶応4年8月、15歳で即位した帝は、元号を「明治」と改め、9月20日に東京行幸に向かいました。警護の兵は、長州・土佐などの藩兵で固められました。
 一ヶ月後、江戸城に入り、即日、江戸城は東京城と名を改めたのです。

 しかし、程なく、同じ年の12月8日には、明治帝は東京を離れ、京都に還幸遊ばされるのです。京都に戻った若き帝は、先帝の三年祭と立后の礼を行ない、翌明治2年1月25日に再び東京への行幸がなされるのです。
 
 欧米列強の脅威を背に感じながら、同時に、千年の王城の地と300年培ってきた徳川幕府恩顧の地との力関係も視野に入れての若き明治政府の曖昧な思い、同時に、それは両者に思い入れを施す思いでもあったのです。

 しかし、京都から、刑部省・大蔵省・兵部省などの役所が廃され、着々と東京に政府の機能が移されていきました。
 それでも、天皇家の大切なまつりごとである「大嘗祭」は京都でなされることが定められ、また、大正、昭和と続く天皇のご即位式も京都でなされたのです。

 今上陛下がご即位あそばした29年前の出来事を覚えていますが、あれは、有史以来、初めて、京都を離れて、東京でなされた式典であったのです。
 おそらく、皇太子のご即位も、今上陛下にならって、東京でなされるはずです。

 このように見て行きますと、京都の街が「上皇」のご還幸を心底願う気持ちもよくわかります。
 千年の王城の地として、おつとめを終えられた天皇陛下が、ご存命中に、ご先祖がお暮らしになられた京の街にお戻りになられることは、何よりの名誉だからです。
 天皇陛下は、東京にあって、日本国憲法のもと象徴としてのおつとめをなされ、「上皇」になられたら、京の都で、ご研究やお好きなことを自由にされるのです。
 時には、京都の繁華街をご散策されていたり、あるいは、お車を運転されて、嵐山あたりにお出かけになったり、私たち日本人がするように、お好きになされるのです。

 きっと、そうした「上皇」のお姿は、これからの日本人の働き方、生き方、在り方にも大きな影響を与えて来るものと思われます。

 明治から150年が経過し、千年の王城の地と、300年の徳川恩顧の確執もありません。
 むしろ、大きくなりすぎ、何もかもが集中しすぎた東京から、京都・大阪に少しでも政府の組織が移ることは大きな価値があると思うのです。
 
 しかし、文化庁の京都移転は目標の2020年には難しくなったと言います。
 お役目につかれている方々には、ぜひ、今後100年の日本の形を念頭に置かれて、「上皇」がどこにお暮らしになられたらいいのかをご検討していただきたいと思うのです。

 しかし、よく考えて見ますと、「上皇」は、東京でお生れになり、疎開先も北関東、美智子さまとお逢いになられていたのも軽井沢となれば、京都で暮らすということに少なからず違和感があるかも知れません。

 はてさて、千年の王城の地と、300年の徳川恩顧の地がいいのか、勝手に議論することが憚れる次第ではあります。


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もっと、もっと、もっと、未来を!

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浜辺に横たわる子供。水を怖がり、波の音に驚き、それでも、浜辺に横たわり、いつもと違う光景の中で、じっと腕の中に囲い込んだ水を見つめています。大人だって、海を見たとき、波の音を聞いた時、心がワクワクするのですから、子供であれば、それは大人以上です。なりふり構わず寝転がりたがるものです。


 国会が閉会し、内閣支持率が下降しました。

 首相は、対応策として、この秋にも内閣改造を意図しているようです。
 一方、野党の議員たちは、この数字に、幾分溜飲を下げたものと思われます。

 経済では、日経平均が2万円台に一時的に届いたことが速報で報じられる程度の話題しかありません。
 TPPは影を薄め、IAABが影響力を強めつつあることも不安材料になっているようです。

 このような風潮の中、まるで日本がダメになっていくかのように、マスコミは、時代は混沌とし、閉塞感が漂っていると報道をしています。

 でも、私は「日本は大丈夫!」と言いたいのです。
 つくばでも、東京でも、これだけものが豊かにあるではないですか。

 美味しいパンも、珍しい日本海の魚も、オーストラリアからの柔らかいお肉も、つくばでは容易に手に入るではないですか。
 マッカートニーのコンサートも、京劇の公演も、プロ野球も、卓球もラグビーもサッカーも、東京ではやっているではないですか。

 それでも、心配しなくてはいけないのが、無口な政府と独りよがりな野党の議員の噛み合わない議論の行く末です。

 政府は、国民が納得するように、雄弁にものごとを語らなくてはなりません。
 野党は自分たちがどのくらいの国民から支持を受けているかを知ることが肝要です。

 ある野党の有力議員が、自分が政府を執拗に追及するのは、自分を議員にしてくれた有権者への期待に応えるためであると述べました。
 一見、まっとうな見解のようですが、そのような考え方では政権を担える人材とは言えません。
 自分を支援してくれた人たちの利益を尊重することと、国の利益を尊重することを同等に扱うことは間違っています。
 後者を、前者より優先していくのが国会議員の務めです。

 市町村の議員ではないのですから、そんな了見の狭いことを言っているようでは国政を任せることはできないことを、有権者は知っているのです。
 それが、政党支持率に端的に出てくるものなのです。

 国会という場で、選ばれた議員は、もっと、もっと、もっと未来への展望を語って欲しいと念願するのです。

 仮に、彼らによって、なんらかの「未来」が話し合われていたとして、一部の野党が執拗に問いかけてくるつまらない出来事ばかりを表面化して、肝心要の議論が表立って出ないと言うのなら、それは明らかにマスコミの怠慢であり、責任のなさであると思われます。
 マスコミもまた、未来への展望を語ると言う役目を放棄していることになるのです。

 もっと、もっと、もっと、未来を展望していかなくてはなりません。

 この春、つくばで唯一の名のあるデパートが閉店をしました。
 銀座に行っても、あの名のある百貨店が消えて、何やら姿を変えて、そのため、大いに繁盛しているようです。
 品物の良し悪しを価格で決める、あるいは、買った場所で手にするものへの価値を評価する、そういう時代が終わったことを、どうやら多くのデパートの関係者はわからなかったようです。
 そればかりではなく、どこもかしこも皆、一様に同じにしてしまったことが、消費者の乖離を促してしまったことを悟らなくてはなりません。

 そんなことを考えると、学校もそうではないかと思うのです。
 生徒数は少なくなっているのに、どの学校も同じように百年一日のようなあり方に安住してはいないでしょうか。

 もっと、もっと、もっと個性を出さなくてはなりません。

 あのデパートに行けば、自分の欲しい帽子が、選ぶのに困るくらいある。
しかも、店員が自分のスタイルにあった帽子を選んでくれる、そんな安定感のある個性です。
 あの学校に行けば、生徒の考えていることを引き出してくれて、その生徒の行くべき道へのヒントを的確に指し示してくれる、そんな当たり前の個性です。

 ひとたび、そのありようが利益をもたらすとなると、皆、それを真似て、結果、皆が同じになって、つまらないものになり、飽きられてしまうのです。

 個性は、品物を売るだけではなく、また、学業を授けるだけではなく、文化を売り、感性とか未来を与えてくれるものなのです。
 だから、それらを持っている店や学校は大いに注目を集めるのです。

 私も高齢者の一人になっていますから、言いにくいことなのですが、今、もっとも溌剌としているのが、この高齢者ではないかと思うのです。

 高齢者にもいろいろありますから一様ではもちろんありません。
 しかし、先の見えるような年齢になっても、未来を語り、個性を出していくことにかけては、誰にも負けないくらいの意欲を持っていると思っているのです。

 ですから、もっと、もっと、もっと、ファッショナブルに装いをしていこうと思っているのです。自分も、住んでいる家も、やることすべてに、もっと、もっと、もっと、おしゃれになっていこうと、そう思っているのです。


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赤の広場でもなく、天安門広場でもなく、砂上の楼閣にて……

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梅雨の季節とはいえ、つくばは湿度も存外低く、晴れ間がのぞくいい日が続いています。そんな晩、ふと、空を見上げると、綺麗なお月様が中空にかかっていました。綺麗だなと思いました。


 随分と大袈裟な表題になってしまいました。
 と言うのも、昨今の新聞のニュースを見ていると、どうしてもそう言わざるを得ない状況にアメリカがなっているのではないかと危惧しているからなのです。

 赤の広場といえば、世界初の社会主義国として歴史にその名をとどめたソ連の首都モスクワにある広場です。
 赤の広場に面するクレムリンでのソビエト共産党の序列が新聞を賑わしていた時期もありました。
 強面のブルジネフ、人懐っこい表情のフルシチョフなど歴史に名を刻む指導者もこのクレムリンで権勢をふるいました。
 その彼らが、クレムリンから赤の広場を埋め尽くす歓呼の声に応える様に、威厳に満ちた社会主義の誇りを感じ取ることが、体制の異なる国の人間にもできたものでした。

 また、天安門といえば、中国の首都北京にある清朝時代からの王城の門であります。
 中華人民中国建国の宣言はこの天安門上で、毛沢東国家主席によってなされました。
 その門の前にある広大な天安門広場に押し寄せる群衆に対して、鷹揚に手を振る毛沢東の姿に、若き日の私などは、まさに中国史に残る偉大な革命家の姿を見たものでした。
 
 そんな彼らも真っ青になるような出来事が、今、ワシントンのホワイトハウスで見ることができるのです。

 どの社会でも、上司に対する敬意を欠くことは非難されます。
 どんなに腹のなかでよく思っていなくても、表面には出さず、敬意を持って対すると言うのが、組織人としてのマナーであります。
 しかし、上司に対する敬意も度が越すと、その組織のありようは先が見えてしまうと言うことになります。

 例えば、歳を召されても、役職に拘泥し、新しい力を削ぐようなことをしている人材がいれば、その会社の先行きはないと言うことです。
 小さな組織社会の中で、絶対権力を保持する指導者に対して、甘言と世辞、追従と無能がそこに芽生え、はびこるからです。

 そのような危惧を抱かせる事態が、今、あのホワイトハウスでなされているのです。
 
 「あなたのリーダーシップに感謝する」と述べたのは、厚生長官のプライスです。
 「課題解決に取り組む機会をいただいた」と述べたのは、補佐官のプリーバスです。
 さらに、エネルギー長官のペリーは、パリ協定離脱のスピーチに脱帽するとまでいうのです。

 これは、上司に対する極めて当然の敬意の表現であると思ってはなりません。
 これは、マスコミに公開された20分間の中でなされた言葉であることに注目しなくてはなりません。

 トランプの記者会見の様子を思い起こしてください。
 側近や政権担当者、それに与する人々が列をなして座し、その一言一句に対して、大きな拍手をしていることに気がつきます。
 それを見逃せば、この大統領のスピーチには、要所要所で拍手が起き、スタンディングオベーションも起きている、これはすごいことであると見る人は錯覚をしてしまいます。

 トランプに厳しく対するマスコミは、仲間たちが列するその後ろに追いやられているのです。
 トランプは、質問にも答えず、万雷の拍手の中、会見場からホワイトハウスの執務室に姿を消していくのです。
 マスコミの映像は、拍手に見送られる大統領の姿をテレビに映し出すだけです。

 つまり、この記者会見でのセッテイングからわかるように、公開された20分間の閣議の模様もまたトランプを礼賛する演出であったことが容易にわかるのです。
 しかし、そうは言っても、テレビでそれが放映されれば、この大統領はすごいことをしているんだと思ってしまう人もいるのです。

 言うなれば、トランプはテレビの効用を熟知し、テレビの向こうにいる数千万の世界の人々に自分がどんなにか優れた指導者であるかと知らしめているというわけです。

 社会主義国のピラミッド型の組織であるなら、それも仕方がないと思いますが、民主主義の本家本元でのこのような行きすぎた礼賛の言葉の羅列は、この政権が決して長続きしないことを暗示するものだと思うのです。

 案の定、ペリーが脱帽したというパリ協定からの離脱に対して、ハワイ州は離脱を拒否する法律を制定し、連邦政府、つまり、トランプに従わないと宣言したのです。
 すでに、中東6カ国からの入国制限差し止めに対して、複数の州がそれに同調しています。

 つまり、自画自賛は演出するけれど、政権の方針に従わない、つまり、政権としての威厳に泥を塗られていることは厳然たる事実としてあるということです。

 赤の広場に立ったソビエト共産党のお歴々も、天安門上に立つ中国共産党の権力者たちも、社会主義建設という目標のために、反対するものたちに徹底した弾圧をしてきました。

 でも、アメリカではそうはいきません。

 よく言わないからと言って、新聞やテレビを弾圧することは至難の技です。
 まさか、彼らを砂漠地帯に作る思想改造所に送ることもできませんでしょう。
 だから、トランプは演出をして、誇大に自分と政権を糊塗するしかできないのです。

 まさに、トランプ政権は、砂上の楼閣の上で、手を振っているに過ぎないのです。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《6/28  Wednesday》

❣️<Puboo!>にて、『あけゆく空のごとく』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Paper in NY>で、『For the first time, I was facedown in the beach a wave brings near. Very comfortable.第一次,我变成了为波浪涌来的海滨为卧姿。非常心情舒畅』を公開しました。


⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスへの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

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