不審の目を気にすることもなく

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黄色を敷地の片隅に置くと縁起がいいと耳にしたことがあります。ナスタチウムのオレンジとイエローを東の端に置いて見ました。何か縁起のいいことでも起きましたら、ご報告いたします。それにしても、朝のうっすらとした日差しにこの色の映えることと言ったらありません。実に気持ちいいものです。



 いつだったか、ちょっと寒かった時期のことです。

 由緒ある神社が鎮座まします道筋を散歩していた時のことです。
 畑で一人作業をしているおばさんがいました。きっと、自宅で食する野菜の収穫をしているのでしょう。
 私はそのおばさんに、こんにちはと、声をかけました。

 誰彼なく挨拶をするのは、言うなれば、私が罹患している一種の職業病というものなのです。

 すると、そのおばさん、どこそこの誰々かと、きつい茨城訛りの言葉で私に言います。
 いや、ちょっと散歩している者ですと、私は返答します。

 そのおばさん、かがめていた腰を伸ばし、寒いなぁと語尾を下げて、私に言います。
 そして、白菜を持って行けと言って、自宅用に栽培しているであろう、食べごろになっている白菜を包丁で切り取り、外側の葉っぱをむしり取り、白くみずみずしい白菜を私に手渡すのです。

 いただいたまま、そのまま無愛想に去って行くのもなんだと思い、いろいろな野菜を植えていますねと私は声をかけました。

 そしたら、そこから、おばさんの聞いていて心地よい茨城訛りでの話が始まったのです。
 ご主人が脳卒中で倒れたこと、今は一人でと、ゴツゴツした指で差した大きな屋根の広い庭の家で、暮らしていること、子供たちはそれぞれ独立して滅多に来ないことなどを語ったのです。

 おばさんの話を聞きながら、きっと、この人は独りになって、人と会話することが少なくなっていたのではないかと私は思いました。
 こうして、会話をしていると、相手の目を見て話をしますし、そうすると、親近感とか、信頼感とか、境遇に対する共感みたいなものが生じてくるのは確かなことであると実感できます。
 
 このおばさんが散歩をしている知らない男から挨拶されて、近所の誰かと間違えて声を返して、それがきっかけで会話をすることになったのです。
 でも、そんなこと、私の子供時代には普通のことであったと思うのです。

 近所の床屋のおばさんは、客がいないときは店のソファーに座って、街で起こるちょっとした事件に目を凝らしています。それが、客との会話につながるからです。
 子供が道端で転べば、すぐに駆けつけます。
 知り合いが店の前を歩いていれば、出てきて天気の話や噂話に耽るのです。

 隣にあった駄菓子屋のおばさんも同じです。
 街を歩いていたり、垣根を刈っていたり、あるいは、公園のベンチで新聞を読むおじさんたちも、ちょっとしたことで子供たちに声をかけていました。
 時には、悪さをする子供たちを叱り、良いことをする子供たちを褒めていました。

 こうしたごく普通になされる、この手の会話がなくなったのはいつの頃からだったのだろうと思うのです。

 街で子供に声をかければ、ともすると、不審者扱いをされてしまうご時世です。
 電車内で、ちょっと大きな年齢になった子供たちの不届きな行いを注意をすると、改めるどころか、変な人というように嫌な顔をしてしまわれ、周りの人も見て見ぬ振りをする時代です。
 
 会社や学校では、余計なことを言わないこと、空気を読めと諭され、言葉に対して萎縮してしまう現象が見られるのもよくあることです。
 
 そんな面倒な世の中だから、人々は内向きになり、手のひらにスマホを持って、独り自分だけの世界に没入するのです。
 街角でこんな光景に出くわしました。

 若者たちが数人集まって話をしています。
 彼らの誰もがスマホを手にして、会話に興じていました。
 観察していると、スマホから会話の材料を取り出しているようです。お互いに見せ合い、微笑んでいます。
 なんだか、薄っぺらい会話のありようだと失礼ながら思ったのです。
 
 そして、仲間でありながら、一人一人が孤立感でいっぱいであると私はその様子を見て思ったりもしたのです。

 これが現代のありようであるなら、早急に改めないと人間的なあたたかい交流がこの世の中からなくなってしまうのではないかと心配になったのです。

 学校という場は、挨拶をとにかく大切にします。
 まだ未熟な子供たちを教育する学校では、挨拶ができない子供たちがたくさんいます。
 そういう子供は家庭でも挨拶がないのです。そんな子供たちに挨拶が日常的になされるようにする唯一の教育手段は、そこにいる教師が率先して挨拶をすることなのです。

 だから、職業病になっているのですが、少なくとも、道端ですれ違う人に、ささやかな挨拶をすることが私の責務であると思って、バカの一つ覚えのようにそれをしていこうと思うのです。

 素晴らしいことに、私の家の前を通学で行き交う子供たちは、高校生はともかく、小・中学生は地域の学校の教育が行き届いているのか、あるいは家庭のありようが素晴らしいのか、必ず挨拶をしてきます。

 あの日、私は、ひととき畑にいたおばさんと会話できたことを嬉しく思い、大きなみずみずしい白菜を抱えて家に戻ったのです。

 すれ違うパトカーの中にいた警察官の、裸の白菜を抱える私の姿への不審の目さえも気にすることもなく……。


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女は賢くなり、男たちはただ老け込むだけだった

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我が家のハナミズキも地味な色の花を咲かせました。バラも蕾を膨らませ、ぶどうの枯れたような古色然とした枝からも新芽が出てきました。春が我が家の小さな庭にもやってきたのです。


 最近、老け込む男たちの姿ばかりが目に入ってくるのです。

 その昔、そう、力が唯一の解決手段であった時、鎧兜に身を包み、命をかけて戦場を跋扈した男たちの姿は、もはや世界のどこにも見ることもできなくなりました。
 そんな昔でもないちょっと昔のこと、スーツに身を固め、世界中を飛び回り、商売に精を出したあの男たちはどこへ行ってしまったのでしょうか。

 21世紀の世の中で、男たちは子供のまま、成長をすることもなく、iPhoneを手にし、あるいは、居酒屋で、パブで、バーで、たむろしているのです。
 そして、ありうべからず事件を前に、ただただ、おろおろするばかりなのです。

 イングランドが、EUを脱するなんて、ただ、賭けのために過ぎなかった国民投票がどんでん返しで、それが現実になったことに慌てても、それは後の祭りとなりました。
 まさか、あの言いたい放題の、タレント然とした、4年に一度の選挙を盛り立てるだけのトランプが、こともあろうに大統領に選ばれてしまったなんて、取り返しがつかない過ちをしてしまった時のように、男たちは頭を抱えたのです。

 そうした男たちをあざ笑うかのように、女たちがこう言います。

 「あんたたち男というのは、しけた酒場で一杯の酒を時間をかけて飲み、そして、昔のことばかり言っているのよ。」と。

 男たちが持って生まれた昔気質のありようは、そうそう簡単には変えられないのです。
 時代の変化に伴い、男たちの境遇も、姿かたちも変わってきているのに、それに気づこうとはせず、時代が見せるその変容ぶりにただただ驚いているばかりなのです。
 女は、しかし、そうした男たちを尻目に、大人になっていったのです。

 ニコラ・スタージョンは、スコットランド首相を務めます。
 イングランド首相テリーザ・メアリー・メイ に対して、イングランドからの独立の是非を問う国民投票を行いたい旨を告げました。
 かつて、イングランドとのいくさに敗れて併合された恨みからではありません。
 もちろん、16世紀のエリザベスとメアリーの確執を今の時代に持ち出したのでもありません。

 枯れた大地、ウイスキーとファッションを除けば、これといった産業がないスコットランドが生きていくには、イングランドの一員であるより、EUの一員としてある方が良いと考えるからです。
 二人の女は、それぞれ目の覚めるような赤と青のスーツを着て、にこやかな笑みを浮かべて、会談に臨むのです。

 とんでもない大統領に対して、世界の各地の指導者がご機嫌伺いに出向きます。
 腹の中はともかく、表面上は満面の笑みと握手したその手を軽く叩く、余裕の大統領の姿が世界中に配信されています。
 そんな中、あの大統領が握手を拒んだ首脳がいました。
 アンゲラ・メルケルドイツ連邦首相です。
 カメラマンの要請に対して、「握手をしますか」と大人の対応をするアンゲラに対して、まるで子供のように、両手を両足の間において、知らんぷりする大統領がいました。
 その時のアンゲラの姿は、一国の指導者としての威厳と政治家としての毅然とした姿勢を示したものでした。

 政治の世界ばかりではありません。
 一世を風靡したハンバーガーの老舗も、時代の流れの中で衰退の一途をたどりました。
 その立て直しのために、白羽の矢が立てられたのは、カナダのマクドナルドに勤務していたサラ・カサノバです。
 スピードを重視する欧米の店舗のあり方を改め、丁寧さや親切さを大切にする日本のあり方を尊重したこと、そして、マクドナルドで働くすべての人とお客を大切にすると言う原点に戻ったことが、マクドナルドの経営に転機をもたらしたのです。

 男たちができなかったことを、昔のままであり続けた男たちを尻目に、大人になった女たちが何かを動かしているのです。

 アジアをみてみます。
 韓国では、パク・クネ大統領が失脚をしました。
 ミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問も大きな成果を挙げ得ないでいます。
 中国では、国を動かす中枢に、かつて権勢を振るった毛沢東夫人江青や周恩来の妻鄧穎超のような敬愛を集めた女性の姿を見ることはありません。
 日本でも、都知事や防衛大臣に女性がなっていますが、いくつかの問題を抱えて、大きく前進する姿を見てとることができません。
 わずかに、インドネシアのスシ・プジアストゥティ海洋水産相のように、違法操業する中国漁船を拿捕しては爆破していく女傑もいますが……。

 仮に、東アジアに女性の優れた指導者が出てくれば、状況は大きく変化する可能性を持つことになると考えるのです。

 そこには、不毛な議論の繰り返しではなく、面子の鞘当てでもなく、張り子の虎とも言うべき軍事力を誇ると言う愚かな策もなくなるような気がするのです。
 あくまで現実的に、そして、未来を展望して、人々が望むであろう方向に物事が進んでいく期待があるのです。
 恨みとか、歴史的虚偽とかではなく、その地域地域の素晴らしを引き出し、人々が交流する歓びが生じる夢のような希望が見て取れるのです。

 中国大陸に、朝鮮半島に、そして、日本列島に、賢い大人の女性が一刻も早く登場することが、時代を一つ転がす契機になるのだと言うことです。


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私は怒っているのです

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つくばは飛行機の航路になっています。北極航路でヨーロッパに行く飛行機、北海道に行く飛行機、成田に着陸するために迂回している飛行機、そして、つくばヘリポートや土浦の自衛隊のヘリ、時たま、百里基地に行くのか軍用機が低空で爆音を響かせながら飛んでいきます。ですから、こうして電車の走る音を側で聞くと、かつて、竹ノ塚で暮らしていたことが思い出されるのです。


 私は<The British Museum>に徒歩1分の場所にあるホテルに宿泊します。

 ホテルの玄関を出ると、道を挟んだ向こうに<The British Museum>の正門が見えるのです。
 大都会の静寂に包まれた早朝の風景の中をゆったり散歩するのは気持ちのいいものです。時間の余裕に加えて、興が乗れば、交通博物館があるコヴェント・ガーデンまで歩きます。

 もちろん、<The British Museum>にもちょっとしたあき時間に出かけます。
 入場料はかかりませんが、私は常に幾ばくかの小銭を寄付箱に投げ入れます。それは、素晴らしい文物の保管に対する感謝の意を示すためです。
 そして、小一時間ほど、今回はあそこだけを見ると決めて入るのです。

 そんな<The British Museum>が、学芸員を辞めさせて成功させたと、日本政府の大臣がのたまわったと言うので、そんことがあったのかしらとネットで調べましたら、私と同じような人がいるもので、すでに、「まとめ」記事として立ち上がっていました。

 どうやら、2002年に就任したニール・マクレガー館長の改革を言っているらしいと言うことに落ち着きました。
 落ち着いたと言うのは、その大臣がのたもうたこととは若干様相が異なるからなのです。

 まぁ、それはともかく、日本の大臣というのは、大臣になると、自分が大人物にでもなったような気になるのでしょうか。
 あの震災の時も、被害にあった県を訪問した大臣が県知事に対して横柄な言葉を使って、批判を浴び、辞任となりましたが、今回もまた、勘違いをしている軽率な大臣の発言であったようです。
 中野京子さんが日経に書いていたことですが、多くのヨーロッパの美術品というのは、結構ぞんざいに扱われてきたというのです。
 
 例えば、「最後の晩餐」です。
 教科書にも乗り、多くの人たちがその絵を思い浮かべることができる有名な絵です。
 そのダ・ヴィンチの壁画も、設置されていた修道院の台所と食堂との通路確保のために、絵の下を壊されて、そこに扉が設置されたというのです。
 また、ナポレオン戦争の折には、そこが軍馬を休ませる馬小屋にされたし、第二次大戦では連合軍の爆撃で屋根が壊れ、3年も雨ざらしであったというのですから驚きです。

 それぞれの時代に、文化財を保護する学芸員がいれば、人の便利のために歴史的価値のある作品を壊すことに異議を唱えたでしょうし、戦火から守るために八方手を尽くしたことでしょう。

 先日も、棟方志功の版画が貸出先で盗難にあい、盗んだ人間は、本物をカラーコピーと差し替えていたために、盗難の事実が久しくわからなかったと言います。
 私が読んだ記事では、専門家としか書いていませんでしたが、その方が、その版画を見て、これはレプリカではないかと疑義を申し出て、判明したというのですから、専門知識を持った方が、人類の芸術作品のそばにいなくてはいけないのは当然のことであるのです。
 そのために、学芸員や美術専門家は、膨大な時間と労力をかけているのです。
 たまたま大臣になった人物とは、おおよそ努力のあり方が異なるのです。
 
 こんなニュースもありました。
 警視庁捜査1課が、40代の中国人女性2人に逮捕状を取り、全国指名手配をしたというのです。
 上海から那覇を経て、空路関西に入り、新幹線で関東へ移動したこの二人の中国女は日本観光を楽しんだようですが、楽しむだけではなく、那覇の首里城で、京都の下鴨神社で、奈良の金峯山寺で、そして、東京の明治神宮、増上寺で、門や壁に油のようなものを撒いて、文化財に被害を与えたというのです。
 
 なぜ、そんなことをするのだろうかと不思議に思いました。
 早稲田で中国文学を曲がりなりにも学び、中国の歴史や文学、いや、中国そのものが好きな私ですが、今の共産党政権のありようには辟易しているのです。
 辟易していると言っても、中国へ出かけて行って、紫禁城や天壇、蘇州の運河で悪さをしようなどとは思いもしません。
 しかし、二人の中国女が、それをするということは、今の中国が間違った教育、独りよがりな政策を推進している証拠だと思うのです。
 そして、それは東アジアの平和を維持するためには非常に危険なあり方であるとも思うのです。

 朝鮮情勢が緊迫している最中、中国はアメリカと日本に対し、過激な言動を慎むよう、まるで、自分が子供をなだめる大人のような振る舞いに及びますが、その一方で、尖閣に公船を送り込み、領海侵入を行っているのです。
 もちろん、我が国の文化財を中国人が傷つけたことに対して一切の謝罪も同様の事件の再発を防ぐ手立ても表明はしていません。
 
 我が国の大臣も、犯罪者を野放しにする隣国もあてにはなりません。
 我が国の文化財は、教育を受けた専門家と国民が守るしかないのです。

 今月13日、1人の中国人が中部国際空港で逮捕されました。
 2年前に、中国で偽造された旧一万円札100枚を密輸した疑いで指名手配をされていたのです。
 日本の警察を甘く見ていたようです。中国では、抜け穴がたくさんあるようですが、日本ではそうではないのです。
 ですから、何の目的で、日本の文化財に損傷を与えたのか、犯人から直接話を聞けるのもそう遠くない時期に来るのではないかと思っているのです。
 
 文化財を軽々に論じる大臣は謝罪で済むかもしれませんが、危害を加えたこの2人の中国人は謝罪ではすまないと思います。

 そう、日本国民は、いや、私は怒っているのです。


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今、見ている風景にはあの日の転換点があった

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桜の花は、歩く人に向かって咲く、だから、人は殊の外、桜花に親近感を持つという話を聞いたことがあります。その花も、今日の雨で散ることでしょう。つくばの桜も今年は終わりました。



 今、見ている風景にはさまざまな趣があります。

 桜の花の季節、今も昔も、桜はその遺伝子に組み込まれた設計図に従って、蕾をふくらませ、花を咲かせ、そして、散ります。
 そこには不変の命の営みが継がれているのです。

 でも、それを鑑賞する人のありようはどうでしょうか。
 ニュース映像で見ると、今年は、殊の外、外国人が「花見」に日本を訪れているようです。
 わざわざ、この季節に、日本の美しい桜を見にやってきてくれるのです。ありがたいことですし、日本人の1人として、この上なく嬉しいことでもあります。
 
 そんな花見の最中、自らを坊さんと偽ってものを売り、高額なお布施なるものを外国人から受け取っているというニュースがありました。
 日本人の風上にも置けない、なぜ、警察は取り締まりをしないと、一人怒っていた私でしたが、そんな矢先、捕まえたその「偽坊主」が、なんのことはない、中国人であったというのです。
 日本人が関わっていたかどうかは今後の取り調べを待ちますが、とりあえず、私の怒りは、別の方向へと向かうことになったのです。

 金を容易に巻き上げられる状況があれば、世界中のどこにでも行って、組織的に対応してくる犯罪者集団がかの国にはいるのです。
 聡いというか、悪賢いというか、しかし、その実行力は大したものです。

 実行力といえば、ノーベル賞の選定が気にくわないとノルウエーのサーモンに、なんだか忘れましたがフィリピンの対応がよろしくないとしてバナナが、日本が尖閣を国有化したからとレアーアースを、韓国がサードのシステムを導入するからと韓国への観光と、何か気に入らないことがあれば、その国の根幹となる経済分野に圧力をかける政府が、きっと、この悪い奴らの悪賢さ、実行力のお手本に違いないと私などは意地悪く考えてしまうのです。

 今、朝鮮半島を巡って、あれこれと騒ぎが起こっています。
 きっと、デブッチョの若造の横柄な振る舞いが惨めな結末を迎えるのを、多くの人々が待ち望んでいるのだろうと、これまた私などは考えているのです。
 好き勝手にやるならそれはそれで誰も止めはしませんが、周りを巻き込んで、しかも、他国の空港で毒物で義兄を殺害したり、過去には爆弾を仕掛けて飛行機を落としたり、要人の殺害を目論んだりするのです。
 その上、日本人を含む外国人を拉致したまま返さないでいるのです。
 そして、今、ミサイルを放ち、原爆を運用しようとしているのです。

 国ぐるみで、犯罪行為を、自国を守るための自衛行為だと言い張るのですから処置なしです。
 だから、大半の人がアメリカの圧倒的軍事力の行使を期待しているのだと考えるのです。

 しかし、よくよく考えて見ると、中国人偽坊主の詐取事件にしろ、国ぐるみの朝鮮の横暴さにしろ、過去に何かしらの、それをもたらす原初的な動き、あるいは、変動があって、現在の状況が作り出されたと考えることができないでしょうか。

 そうでなければ、今、目の前に起こっている姿というのはあり得ないことなのです。
 つまり、今の姿は、過去のなんらかの転換の果ての光景ということになるのです。

 中国を観光したことのある人はお分かりだろうと思いますが、観光客がバスを降りると、数人の物売りがしつこくまとわりついてきます。
 ですから、観光客のほとんどはそれらの物売りの相手をしません。
 仮に、それらが坊さんであっても、それは胡散臭いものだと観光客は判断して相手にもしないのです。
 
 しかし、日本ではそういう物売りがいません。
 しかも、外国人観光客はあちらこちらで荘厳な寺社のありようを見聞してきたのです。
 ですから、坊さんの姿をした人から声をかけられると、つい、話を聞き、お金を出してしまうのです。
 中国では成立しえない犯罪が、日本では成立をしてしまうのです。

 社会主義中国でなぜこのような自国を貶めるような振る舞いが観光地でなされているのでしょうか。それは、何を隠そう、この国がいびつな社会主義国だからに他なりません。
 いびつというのは、偏った思想だけで、心が育っていないということです。 
 その根本にあるのが、鄧小平が掲げた「韜光養晦」、つまり、日本を利用し、日本から金を出させ、中日友好と唱えながら、裏で画策するあの手のやり口です。
 そこに、この犯罪行為の原点があるのです。

 また、21世紀の今、三代にわたって独裁を続ける国のあることが不自然でなりません。
 爆殺に、毒殺、騙して拉致し、人を人とも思わないありようが、その国の思想であれば、それは人類の名において、潰さなくてはなりません。
 
 平和が大切とか、なんとか話し合いでとか、それらの言葉は綺麗事でしかないのです。
 それらの言葉が、未来に、今以上の転換の果ての凄まじい風景を作るのです。
 ですから、こういう機会に一挙に物事を解決してほしい、これまでの憤懣やるかたない思いをすっきりさせてほしいと願う心が大半の人々の心にあり、それが思いや期待となって出ていているのです。

 豊かな知性を持ち、西欧的常識を携え、人間性が豊かであると自覚している人は、なんの根拠もなく、確たる証拠もないのに、爆撃を行い、その国の政権を崩壊させることは悪であると述べます。
 でも、私は、それこそが知性の横暴であり、常識の非理性化であると考えるのです。
 
 人類の豊かな未来のために、今、正しい転換の名の下に、素晴らしい風景を生み出すことこそが大切であると考えるのです。


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朝日を浴びて

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赤松の林の向こうに、桜並木が見えます。明日から、つくばは雨模様です。きっと、今日が桜の見納めでしょう。また、季節が一つ進みます。


 随分と世界各地を訪問させてもらいました。
 私学の教員をしていて、良かったことの一つがそのことです。
 取手の学校にいるときは、「海外修学旅行」の走りの時期でした。
 公立にはない、私学としての特色を出し、受験生の興味関心を引く活動の一環でもありました。
 ある年度などは、担当する学年の在籍が、驚くなかれ、千人を超えていたのです。今では想像もできない数の子供たちがいたのです。
 その千人を五つのグループに分けて、時間差でカナダへ送り込むのです。
 TBSテレビの取材を受けたりと大騒ぎでした。

 土浦の学校に移ると、今度は「海外長期研修」が私学教育の目玉となっていました。
 取手の学校は、かなり早くに、オーストラリアでの長期研修を行った学校として知られていると思いますが、土浦の学校では、イギリスでの名門大学での長期研修を一大特色としていました。
 また、海外にある日本人学校の生徒を対象にした「海外入試」も、国際化の波の中で、普通になされるようになり、そのために、アメリカはもちろん、アジア、ヨーロッパへと渡航する機会に、幸運なことにめぐり合わさったのです。

 散髪屋さんで、何かの拍子にカナダの話になり、もう4回も行っているんですよと言うと、随分と羨ましがられました。
 4回も行ったと言っても、ホテルのロビーで待機の連続、研修地(観光地とも言います)では、生徒の安全確保と、皆さんが考えている海外旅行とは違うんですよと言うのですが、それでも、羨ましがれたことを思い出します。

 実際、生徒を引率して行くと、悠長な気持ちではいられないと言うのが私の実感でした。

 そんな中、唯一、自分の時間を持てるのがまだ夜が明けきらない早朝でした。
 私は、早起きして、宿泊するホテルや寮の周囲をよく歩き回りました。
 あの薄暗い街中を歩いていると、ジョギングをしている現地の人や道路を掃き清める清掃員、新聞配達や朝食販売の準備をする人たちと出会い、一言二言会話を交わすのです。
 挨拶程度の会話でも、現地の素の生活を垣間見た感じがして、私には豪勢な観光旅行よりも素晴らしい体験であったと思っているのです。
 そして、生徒たちが起きて来る時間には、ホテルや寮のロビーに陣取って、あれこれと仕事を始めるのです。

 先だって、イギリスの「ECAインターナショナル」と言う人材派遣会社が、「ビジネスマンにとって住みやすい都市」ランキングと言うのを公表しました。
 
 上位15位以内に、第5位の大阪を先頭に、名古屋・東京・横浜の順で4つの日本の都市が入っていました。

 確かに、日本の都市は便利で、清潔です。
 あれだけ街角に自動販売機が置いてある都市は世界のどこにもありません。
 どこの国だったか忘れてしまいましたが、物が入っていて、そこにお金もあるとなれば、レッカー車を使って、一晩の間に、すべての自動販売機が盗難にあうと言っていましたし、あるいは、自動販売機の仕組みがわからず、あれだけの箱がいたるところに設置されていて、雇われる学生アルバイトの数も相当なものだと冗談ともつかぬ発言もあったことを思い出します。

 さらに、公衆トイレの綺麗さは、これは群を抜いています。
 欧米では、だいたいが有料トイレですが、無料であって、しかも、温水シャワーのついたトイレを誰もが綺麗に使う国は、世界中どこを探しても日本だけであると思っています。

 この調査で、やはりそうかと思えることがありました。
 それは、中国本土の都市が一つも入っていないということです。
 一番順位が高かった上海でさえ107位なのです。
 上海には、プライベートでも仕事でも出かけましたし、好きな街の一つですが、ビジネスマンにとっては好ましくない印象だったようです。
 空気汚染ばかりではなく、下手にぶらぶらしていたりしたらスパイ容疑をかけられるおそれがあることもその一因ではないかと推測しています。

 街の素晴らしさは、どんな時間でも、どんな場所でも、自由に歩けることなのですから。

 そして、この調査では、すごいことを発見したのです。
 それは、シンガポールを第1位にして、第2位にアデレイド、ブリスベーン、シドニーというオーストラリアの街が同列で入っていたことでした。
 いずれの都市も、私が訪問し、それも長期滞在している街です。
 
 極端に豊かではありませんが、街の中に自然が溢れていると言う点、人々が穏やかで誰彼なく好意的に接してくれる点、それに、日本人に対する友好的な雰囲気が満ちている点で、ビジネスマンならずとも、この調査の結果には同感するのです。

 私の知っているオージーたちはみな素晴らしい人々です。
 アデレイドのオパール販売会社の社長は、私が長期滞在した学校の保護者のひとりでした。私たちが主催した焼き鳥パーティでジュースで「カンペイ」をしただけの仲ですが、以来、途切れることなく、クリスマスカードのやり取りを続けているのです。
 アデレイドからメルボルンに転居したオーストラリア在住の頑固なイギリス人は、娘さんの結婚式に私を友人の一人として招待してくれました。
 残念ながら、仕事で参加はできませんでしたが、ゴールドコーストに暮らす娘に行ってもらい、今では、その娘さんともFBで交流をしているのです。

 利害ではなく、友情でのみ付き合える関係構築の才能が、オージーにはあると私は思っているのです。
 それもまた、オーストラリアの街を好ましく思わせる一大要因ではないかと考えているのです。

 春の穏やかな日曜日の朝、そんなことを思いながら朝日を浴びているのです。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《4/25 Tuesday》
          
👀<Puboo!>にて、『秋葉原のハゲ頭』を発信しています。ぜひ、お読みください。

👀<Paper in NY>で、『”What kind of fish do you fish? ”The dog which seems worried and looks at a boy.钓怎样的鱼。看起来不安地凝视少年的狗。』を公開しています。


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