言葉の力

川久保先生は,元日本陸軍軍医である。足立区は竹ノ塚で医院を開業。
 と言っても,もう半世紀も前のことである。まだ,私が幼かった頃のことである。幼いころ,かなり身体が弱かったように思う。また,怪我も多かった。小学1年のとき,3学期ある中で,1学期は通学していなかったのではないだろうか。
 その先生が,母親に言ったそうだ。
 身体は華奢だが,こういう子は長生きをすると。
 いかなる根拠があって,どういう状況で言われたのかは一切不明であるが,『長生きする』という言葉だけが ,私の心に残っている。
 高校時代以来,多少の風邪ひきはあるが,入院や長期の通院をするようなこともなく,元気はつらつそのものである。人の見舞いにはよく行くが,自分が見舞われたことはただの一度もない。
 今,60を過ぎて,健康に留意しなくてはいけないということはあるが,それは年相応のあり方だと思っている。
 先生がこの子は長生きするという言葉が,暗示のように,自分の中に宿り,精神がそのように活発に動いているような気がする。
 言葉には確かに力があるのだ。
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狭いながらも楽しい我が庭

 🎶狭いながらも楽しい我が家,確か,エノケンが歌ったと思ったが,どうであろうか。戦後の貧しいが平和を取り戻した日本人の幸福感がにじみ出ていると感じるいい歌詞だと思う。 その狭いながらも楽しい庭が我が家にはある。退職したら,近所の子たちに勉強を教えたいという思いから,50代の時に,家を建て増しをしたので,庭らしきものはほとんどなくなった。
 しかし,だからこそ,その本当に狭い,これでも庭かというおもう地面を巧みに使うことはガーデニングをやるものの実力であると自負して取り組んだ。
 基本は,メインとなる樹木を配置,周辺につるバラ,ハーブを配置し ,高さと低さのバランスをとる。主木はアカシア,これが春に見事は花の群れを作る。周辺には,蝋梅と紅梅,その中をつるバラが花をさかせる。2階の物干し台を覆い隠すように ,モッコウバラが生い茂る。そして,いろいろなハーブが庭に香りを放つ。
 狭いながらも満足のいく庭である。

無の境地

 私がおこなっている活動のうちで,無の境地になれないものがある。それはボートとロードバイクである。ボートは言うまでもなく,事故を起こしたら死の危険がある。バイクもこれまで二度ほど転倒した。小貝川の土手から5mほど落下した時は,もはやこれまでと思った。こういうわけだから,到底,無の境地にはなれない。
 しかし,釣りと水彩画は違う。
 私の釣りの多くは東京湾で,寄り合い船での釣りだ。操船も,釣り場も船長任せ,私は,初めて会う隣人と話をしながら,釣りを楽しむ。竿を垂れて,海面を見ていると,時に何も考えない自分に遭遇することがある。憂さを忘れ,しがらみから解放され,最高の気分になれるのだ。おまけに,魚が釣れる。
 一方,私の水彩画は,まず,写真を撮り,それを元に下書きをし,色をつけていく。つまり,スケッチはなしである。いうなれば,工房での作業である。初めは,写真の思い出に慕ったり,色にこだわってみたり,意匠を凝らしたりと雑念に覆われるが,絵筆が走ると,そこで無の境地に達するのである。
 釣りも水彩も,準備が全てである。それがあるから,無の境地に達することが可能である。人生もそうだ。

想い続けることの大切さ

 船舶免許を霞ヶ浦で取得したのが昭和61年の春。つくばに転居してから1年半後のことであった。年齢は35歳であった。自宅の場所を選ぶ時,筑波山と霞ヶ浦のほぼ中程,山に行くにも,湖に行くにも好都合という理由がそこにあった。実は東京を引き払って,ここつくばをついの棲家に選んだひとつの理由でもあった。
 元来,商船大学に進んで,船乗りになりたいというのが夢であったが,目の欠陥でそれは叶わなかった。その思いが,三十路をこえてもあったことは素晴らしい人間の思いであると思う。
 しかし,船などすぐ買える身分ではない。二人の子供の教育費,住宅ローンと出費はかさむ一方であった。せいぜい,免許証を拝みながら,いつの日か自分の船をという願いを込めながら,船に関する書籍を読みあさっていた。
 しかし,想い続けるというのは偉大なことで,ついに,船を手にするチャンスが訪れたのであった。
取手の学校から土浦の学校に移って,そこにあったヨット部の練習に少し関わらせてもらったことがある。それが縁で,土浦港の幾人かと知己を得ることになった。それが,船を手にする契機となったのである。平成20年の秋のことであった。年齢は57 歳となっていた。20 年越しの念願達成である。
 やはり,人は想いを持ち続けること,積極的に活動に当たることが大切である。何事も叶わないことはないのである。

学校の誕生

 明治の時代,西欧列強に追いつくべく,先人達は私財を投じて,学校を作った。賛美歌がこだまするキリスト教の学校,それまで英語で教授していた学校を日本語で教授すると謳った学校,反政府的な目標を掲げて警察から睨まれた学校,新時代の女子の自立のために裁縫を教えた学校,そろばんを教えた学校,それぞれが時代の要請を受け止め,小さな教室を開いたのだ。
 近代の草創の時,先駆者たちの意思を受け継ぐのは ,その子や孫たちである。今,それぞれが立派な学校となって,日本の未来を支えている。
 さて,21世紀の今,新しい学校を作るとすればどのような学校がいいのか,21世紀において,22世紀の時代にも価値ある学校とはどのような学校なのか。
IT,先端科学,宇宙科学,先端医療……,どれも出てくる単語はサイエンスばかりである。探検学,旅行学,宗教融和学,民族協和学……,ともすると,趣味的かつマニアックな学問になる。
 そうではないんだな。22世紀にまで残る学校というのは、奇をてらうものではなく、明治がそうであったように,ひとが生活していく上での基本となる勉強を教える学校だと思う。勉強とは,算数や国語ばかりではない,そこにはしつけや言葉遣いも入る。自信や誇りを持ち,自らを限らない強く美しい人間を作ることではないかな。
 そんなこと,もう,どの学校もやっているって。
 そうかなあ。 2015/1/26

「追想」という記事

取っている夕刊にこのような記事が連載されている。この一年内に亡くなった方の業績をたたえ,振り返る記事である。取り上げらる方々は,政治経済を中心に学問芸術分野で名を馳せた方々である。その業績もさることながら,一様に困難を克服してきている点が共通している。人間誰でも順風満帆であるわけがない。困難を,勇気を持って克服したからこそ,名を馳せる人材になったのだ。
ところで,その方々の亡くなった年齢を見て,気がつくことがあった。女性も男性も,八十が,命のありなしの大きな山場となっているということである。
医学の進歩で,人間の命は今後ますます伸びるということだが,それは孫子の時代のことである。八十と思った時,思わず,指折数えてしまった。あと二十年もないのだと。
命は,天から与えられたものである。この世に生を受けて,肉体が枯れるまで,人は困難を克服し,名を馳せないまでも,真剣に生きていかねばならないのである。
そう思うと,なんだか,自分の命,人生が急に愛おしくなった。

親は心配する

親は心配する生き物である。子供が病気になれば心配し,元気がなければ何かあったのではないかと心配し,勉強ができなければ将来どうなるのであろうかと心配する。子の生誕の喜びもつかの間,親の心配は始まる。それが親なのだ。
心配は,心配りである。心配をしてやることで,相手を元気付けてやるのだ。同じ気持ちになって,これからどうするかを考えてやるのだ。それが心配である。だから,心配はとても大切な心のあり方なのだ。
思えば,親として,随分と,心配をしてきた。教師としても同様である。教師は人様の子を心配するが,それは 自分の子とまったく同じである。いや,自分の子以上に心配りをする。
人生の中で,誇れることがあれば,我が子,人様の子を心配してきた大人の一人であるということである。
世界中の人が,子を,我が子に限らず,人様の子をも心配する気持ちで満ちあふれれば,きっと世界は平和になる。そう考えるのである。
2015/1/23

自分の学校を創りたい

どのような教育スタイルがベストなのだろうと考えるようになったのは,7年ほど前からである。欧米の富裕層たちの中には,子どもを学校に行かせないで,家庭教師をつけて,それで成果をだすというケースもあるようだ。しかし,日本では教育を受けさせる義務が憲法で定められている。必然,子どもたちは保育園,幼稚園,小学校,中学,高校,大学へと進まなくてはいけない。もちろん,それを否定しているわけではない。明治5年の学制設置より今日まで,日本の教育は現状に則り,成果を上げてきた。識字率,計算能力,つまり,読み書きそろばんといった基本能力をつけさせる指導力には高いものがある。応用力にしても,有能は人材が輩出していることはいうまでもない。
教師をしていると,生徒に我慢を教えることが多い,また,協調することも多く教える。それは日本社会に入ってから,少なからず役に立つことだから,学校の種類を問わず,行われていることである。集団での個の位置付けを学び,人の気持ちを斟酌する能力に日本の子供たちの多くが長じているはずである。
でも,もう少し,子どもたちを自由に,大人が口を出さないでも,子どもたちが自分たちの力で前進していく場を学校に作れないものかと思案することがある。ボーとしている子を叱る場ではなく,この子は何を思案しているのだろうか,それを形にしていく手助けはできないものか,そう考える学校が今いくつあるだろうか。そして,家庭が何件あるだろうか。
我関せずという姿勢ではなく,教師として,そういう場を作れないかと真剣に思案するのである。

夕景

テレビに人の年齢が出ると,つい,比較をしてしまう。同じ歳だ ,しかし,それにしては老けているな,まだ,自分の方が若いやなどと,おとなげない満足感に耽ってしまう。
学校の先生というのは,若く見えるというのが,少なくとも,私の周囲では定説としてある。現に,私をふくめ,同年代の教師は実に若々しく活動しているものが多い。なにせ,何百人という子どもたちと接触しているのだ。エネルギーを毎日頂いているようなものである。
しかしである。
最近の写真は,実に人の顔の醜い部分を映し出す。科学技術の進歩は恩恵も多いが,困ったことも併せ持っているようだ。口元のたるみ,目のシワ,眉の一本長い毛,耳元の白髪,ものの見事に写し撮る。
若い若いと言っても,写真はそれを暴いていくのである。

老人……あまりいい響きではないが,そうした世代になったのだから,それを受け入れないわけにはいかない。
ゴルバチョフのハゲ頭,ショーン・コネリーの老人顔,老人には年相応のかっこよさがあるはずだ。そういう老人のかっこよさを求めていく。それが若さを示す秘訣かもしれない。

(写真は,いつもの散歩コースでのある日の夕景。つくばには,こんな景色もあるんですね。)

ある侍のはなし

どこで,誰から,何の書物から……そんなこと一切合切忘れたが,記憶に残っている話がある。
それは,何かの責任を問われて,いついつどこそこで切腹を命じられた侍の話である。そして,その日が来た。
ところが,その侍がいない。慌てたのは,監視をしていた侍たちである。青ざめた表情でその侍を探しもとめた。村を巡り,川筋をたどり,街道をひた走った。逃げおおせるものかと役宅に戻ってきた侍たちは,庭先で,掃き掃除をしているその侍の姿を目にして驚いた。
貴様,何をしているかと一喝する。
今日が刻限ですから,裏山に蓄えておいた薪を運びだし,今は,いつものように庭先を掃いておりますと,一体何事かといった風情て返答した。
その後,白装束に身を包み,決められた刻限に,見事,腹を召したというのである。

21世紀の現代では,理不尽この上ない話であるが,おのれの運命を受け入れ,最低限の務めを淡々とこなしていく……,人間はかくあるべきだと思う。
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