人に感動を与える

教育というのは,定められた期間,しかも,一人ひとりの貴重なある時期を預かる極めて重要な仕事である。教育の場では,その間に,いくつもの感動的な出来事を,こちらが設定するのではなく,子供たちが極めて自然に起こしてくれる。
 そうした出来事が「自然」に発生するには条件がある。
 それは,学校が明るく元気でなくてはならないということである。明るく挨拶をする環境,トラブルを糧として変化をさせていく環境,何よりも,児童生徒を第一に考える大人たち(=教師)がいなくてはいけない。それがあって,子供たちは,素晴らしい活動を展開し,自然に「感動」的な場面が生まれてくる。
 文学においても,感動は大切である。本を読んで,読者が感動の予感を感じながら,ページをめくっていく。期待通りの感動が次のページに組み込まれている。それは,時には,甘美な浪漫であり,時には激しい怒りであったり,静かな許しであったりする。
 ある作家が,人を感動させるには,自分を裸にしなければならないとし,人には知られたくない,伏せておきたいことを書き綴り,それが運良くベストセラーになったと言った。自らの筆舌に尽くしがたい体験を文章で綴るには,決死の覚悟が必要だったろう。それは敬服に価することである。読者は,それを読み,その作家の由来を知り,軽蔑することなど決してない。それより,そうした苦労を跳ね返し,大成したことを褒め称える。
 今,あらためて,「文学」について,考えてみようと思っている。
 ”人に感動を与える作品”をいかに書くか。ほんわかな人生とは言わないが,さりとてけたたましい人生でもない者が書く文学とはなんぞやと。
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師匠につかずとも……

 お父さんは,昔からなんでも独学なの。
 これは,上の娘が連れ合いに言った言葉である。最初の孫の命名書を筆で書いたときか,それとも,二人の娘に水彩画をプレゼントしたときかは忘れた。
 そう,私は教「師」ではあるが,その手の「師」匠を持ったことがないのである。興味を持つと,書籍を読み漁り,道具を揃え,実行する。それだけでいろいろなことをやってきた。
 水彩画,海釣り,木工芸,ロードバイク……。
 「師匠」がいなくても何の影響もない。本で得た知識を自分なりにアレンジして,それなりの形に仕上げるだけである。うるさい小言も,面倒なしきたりもない。自由に,想像を巡らせて作り上げるだけである。
 我が家には,自分で作り上げた机やテーブルがいくつもある。今は業者が作ったものが家にはあるが,幅1.8m,長さ7mのウッドデッキまで作った。この時は,アメリカから本を取り寄せ,英語を解き明かしながら制作した。実に愉快であった。
 最近のことだが,ある方が師匠についていないと世にでることはなかなか困難であるというようなことを言っているのを知った。師匠がいるから,仕事の発注を受け,一人前に稼ぎを手にすることができるというような内容であった。
 そういう点では,大学とよく似ている。大学も,卒業生を世に出すとき,進路先を決めてやることは大切なことである。
 師について,修行し,師の技を伝えていく。「名」を重んじ,「伝統」を継承していく心意気に,人々は信頼を寄せていく。確かに,そうした良い面があるのはよく分かる。それが,日本の工芸技術を引き上げて来たことも十分分かる。
 しかし,私は,「師」につかずに,自分の力だけで,何かを作り出したいのである。よって,今後も「師」につかない。いや,もうかなりいい年であるから,師につきたくとも,向こうから断られるに違いない。    

カスケード山と筑波山

 カスケード山は,カナダのバンフという街にある山である。 
 今朝,水戸に行くために,一路,東大通りを北上した。いつも,水戸に行くときは,千代田石岡インターまで一般道を進む。山を左に見ながらのドライブはとても気持ちがいいからである。
 その日,東大通りに出ると,中腹から頂上までうっすらと冬化粧した筑波山を見ることができた。実に美しかった。その冬景色の筑波の山には,個人的に連想させる光景がある。それが,バンフのカスケード山である。
 バンフの街は,カスケード山の麓にあり,そこから伸びた一本の道が町の中心を貫いている。町を見下ろすように,その山はそびえ立っている。バンフには4回ほど旅をしているが,その光景が故郷の筑波の冬景色を相まって脳裏に焼き付いているのである。
 バンフにはもう一つ思い出がある。
 教え子のひとりが,この地で,スキーガイドをして暮らしているのである。カナダ人の妻とともに,スキーのできない夏には観光ガイドをしながら,この地に溶け込んでいる。なんともたくましい教え子である。
 彼に聞くと,やはり,カスケードの山は,周りに大きな山もなく,バンフの街に寄り添うように,まるで,つくばの町の筑波山のようだと言っていたことを,冬化粧した筑波を見ると思い出すのである。
 つくばに暮らしている人はおわかりだろうが,国道6号,昔でいう水戸街道の荒川沖から北上する道が東大通りである。道は,筑波山に直接に向かって伸びていくかのような錯覚をあたえてくれる。時に,筑波山は大きく見えるときがある。時に小さく見えるときもある。台坪を過ぎたあたりから、筑波山はその美しい姿を右手にあらわす。東大通りと西大通りが交わる交差点を越えると,よりはっきりと遮るものもなく,筑波の山は迫ってくるのである。
 筑波の山は,石岡からの姿,真壁からの姿もいいが,この東大通りからの姿もまた格別である。  

哲学散歩

 休みの日,自宅の裏一面に広がる畑の中を小一時間ほど歩く。健康のためでもあるが,自分の中では,これを『哲学散歩』と呼んで,考え事をするようにしている。何を考えるのではないが,明日の計画であったり,ちょっとしたアイデアも浮かんだりする。歩いていると,脳が活性化され,机の前であれこれ考えるよりずっといいようだ。
 毎日曜,だいたい同じ時間に歩くので,幾人かの人と声をかけ合うようになった。
 最初は,「こんにちは」程度であったのが,「今日は幾分あったかいね」「お孫さんですか」とか,そして,何より,お互いの笑顔がいい。
 今日,出会った人は,犬を散歩させていたが,こちらから声をかけると,満面の笑みで挨拶を返してくれた。たったこれだけで,私の哲学散歩はすこぶる気持ちが良くなる。
 こんなこともあった。畑で雑草を取っていた方に,挨拶をすると,誰だいという。散歩している者ですと返答すると,そうかいと安心したように微笑んで,白菜持って行きなとその場で包丁でもいでくれた。なんとも重い,瑞々しい白菜を頂戴した。おまけに,夫が半年前に他界しと身の上話しまで聞かされた。きっと,そういう話をする人もなかなかいないのだろうとしばし畑の端で立ち話をした。
 私にも老いた母がいるが,2週間に1度くらいは訪ねていって,しばらく話をする。同じ話を何度も聞くが,それでもはじめて聞くようなそぶりで話を聞く。人と人が話をするというのは大切な営みなのである。
 これから時間がいっぱいできる。よって,『哲学散歩』が毎日のようにできるはずである。せいぜい良いアイデアを出したいと思うのである。 

プラン64

 取手の学校にいるとき,「プラン64」なる計画書を作った。これは,定年後の自身の生活の楽しみ方をまとめたものである。50歳を目前にしてのことであった。
 当時勤務していた取手の学校の定年は60歳なのに,なぜ「プラン64」なのかといえば,ビートルズの曲の When I was sixty four からの「64」で,歳を取ってもいい感じでいたいよという切なる思いが込めたのである。それが,不思議なことに,取手から土浦に学校が移り,本当に「プラン64」になるのだから愉快である。
 この時,50の手習いで始めたのが海釣りであった。取手の学校は,その頃から土曜が休みになったので,釣りに行くには都合が良かった。もう,夢中になった。準備の段階からわくわくである。道具にもお金をかけた。北は那珂湊の磯崎漁港から南は銚子までがフィールドである。時には夜釣りで,明け方まで釣りをしていた。のめりこんでしまうと,良いのか悪いのか,徹底してしまう。50も半ばになる頃には,東京湾の沖釣りにも手を出していた。しかし,土浦に移ってからは,そうそうでかけることはできなくなった。土曜日は仕事である。移ったからにはしっかりと仕事したい。取手からきた教師はこんなものかと言われたくない。大任も任された。教師冥利につきる。そういうわけで,次第に釣りとは縁遠くなってしまったのである。
 そんな折,かつて世話になった釣り宿の主人からメールをいただいた。代が代わって,息子が船長になったということである。そして,釣りのお誘いである。むむっと気持ちが乗った。すぐにはいけないが,もう間もなく行くからと返信をした。
 早速,釣具の点検をした。リールもきちんと動く,竿もしっかりしている。良い道具を揃えておいて良かったと思った。春の東京湾は寒いが,アジやキス,根魚もいい。また,楽しみが増える。これからは,心底釣りを楽しみたいと心をときめかせている。

文字を綴る

一本の鉛筆があればなんでもできる。
 絵を描くことも,音符を五線譜に落とすことも,設計図をかくことも,なんでもできる。ただし,絵はさらに絵の具を塗る必要がある。音楽は演奏をしなくてはならない。彫刻家も,建築家も,描いたものを形にしていく必要がある。しかし ,鉛筆一本で事足りるのは『文学』だけだ。
 いや,一人の理屈屋は言うかもしれない。それを書物にして,本にする必要があると。別の理屈屋は言う。電子書籍の時代にその必要はないと。
 文字……人が作り出した最大の発明であることに異論はなかろう。その文字がない時,人は理解ができないと即座に戦いをして相手を打ちのめしてきた。文字はまさにもののふの心を和らげてきたのである。しかし,一方,日出ずるところの天子が日没するところの天子に対して文を送り,顰蹙を買ったっこともある。
 アメリカは今から70年ほど前,未知の文化を持つ国と戦争をした。その国の陸軍は,万歳と叫んで突撃をしてくる作戦を勇猛果敢なる作戦として採用していた。そして,その無謀でかつ無防備な兵隊たちを機関銃で撃破した。亡くなった兵士たちのポケットには手帳があり,兵の多くが文字を綴っていた。家族への思い,自分の境遇を嘆く言葉。あまりに感傷的で,文学的であった。アメリカ軍は兵士たちの手帳から大切な情報を引き出していた。
 文字を綴るということは,自分のこころとの対話である。綴ることで,心を落ち着かせ,怒りを抑え,喜びをかみしめる。だから,人は必然的に文字を発明し,それを使うことで,平安を作り出そうとしてきた。
 そう考えると,文字を軽々に使用してはならないと思うようになる。
 ひどい言葉で相手を,しかも,自分は覆面をして,罵倒する。それは子供達ばかりではない。大人たちもだ。
 文字の使い手は,自分が誰であるかを明らかにし,堂々と文字を綴らなくてはいけないのだ。

うきうき 春近し

 白梅がほころび始めた。
 我が家のアカシアも蕾をいっぱいふくらませている。自然とは「確かな」ものである。こうして,毎年毎年,忘れることなく春を感じ,花を咲かせるのだから。
 気温が幾分上昇してくると,人の気持ちも晴れ晴れとする。
 建国記念の日,夕方,散歩に出た。しばらく歩くと,暑くなってきた。これまで,コートの襟を立てて着ていたのが,この日は,邪魔になるくらいであった。
 ああ,気持ちいいな!
 しかし,この日の筑波山は,うっすらと霞がかかって いた。『朧筑波』である。キンキンと冷えた大気の中で,北からの風に大気が吹き飛ばされ,透明に輝く『輝筑波』とは趣が異なる。
 春も冬も,良い面とそうでない面を併せ持っている。
 人も同じだ。皆,良い面とそうでない面を持っている。それがあるから面白い。それに黒白をつけようとすること自体滑稽なのである。
 『朧筑波』にはそれなりの美しさもある。霞んだ山は幾分遠くに見え,薄い青色が映える。いうならば ,水彩画の趣である。『輝筑波』はくっきりとした稜線,それを際立たせる空の青と相まって,まるで,印象派の絵画のようである。光がキラキラしている。
 陽がのびたので,今日は遠回りをした。
 インド系の顔立ちの男たちが,白菜畠で収穫をしている。あたり一面の白菜畠もあとわずかで収穫が完了する。没する太陽が西の空一面に緋色の絵の具を撒き散らしている。
 コートを脱いで,襟元のボタンを外し,あと一息,歩を速めて,帰途を急いだ。

一人暮らし

 大学時代も家から通っていたので,一人暮らしなどしたことはありません。よって,料理も,洗濯も,掃除も,何でもかんでもやるというのは初めてのことでなのです。
 なぜ?ですか。
 二番目の娘が赤ちゃんを出産したのです。そして,その娘が今,オーストラリアのゴースドコーストに暮らしているのです。ですから,私の妻は,昨日から,10日間の予定で世話をしに行っているのです。
 まだ,仕事が残っている私は留守番というわけです。
 取手の学校にいるとき,アデレイドの学校と提携し,相互交流をしていました。それが縁で,友人ができ,彼ら家族との交流ももう何やかや二十年以上になります。次女はそうした交流の中で,オーストラリアへと導かれていったのだと思います。生涯を彼の地で暮らすことになるのかもしれません。
 それも,いいかなと思っています。自分ができなかったことを子供がやるのですから,嬉しいことこの上ないことです。
 さて,命名の書を託されて書き上げ,額をつけてもたせたのですが,その名前が『悟空』です。孫悟空の悟空ではなくて,ドラゴンボールの『悟空』だそうです。最初,呆れかえってしまいましたが,実は,名を書きているうちに,なかなかいいぞと思うようになりました。『空を悟る』のです。哲学的です。孫がどこまで名を体現できるかはわかりませんが,そう考えるとまんざらでもない気がします。問題は,第二子ができたときです。ドラゴンボールにはそのほか,どのような名があるのか興味をそそられます。まさか,猪八戒や沙悟浄もいるのでしょうか。
 さあ,そんなことを言っている場合ではない。洗濯をしなくては……。

つくばという街との出会い


 小学生の頃であったか,東京に暮らしていた私は遠足で筑波山に登った。どこをどう行ったか,お弁当に何を食べたかは忘れている。ただ,頂上から関東平野が一望できると言われた言葉が記憶に残っている。
 あの頃,この辺鄙なところに,土地を買って,家を建てるなど想像だにしなかった。
 始めて,この街を知ったのは,弓道部の引率を終えて,水戸からの帰り道であった。どこをどう走ったのか,まるで,何かに導かれるように国道6号線(水戸街道)から外れていったのだ。
 細く曲がりくねった道,農家であろう大きな家,果樹園,肥やしの匂い,アップダウンのはっきりとわかる坂……,そんな道を南に向かって走っていた。
 そして,ふいに,その街は目の前に開けた。それが今の東大通りだった。並木あたりの集合住宅が,東京の団地のようにそっけなくはない,ユニークな形をしていた。ここはどこ? 桃源郷のようなところに迷い込んだのかしら?という思いであった。歩道は少し高いところに設定されている。街灯も,並木道もまるで欧米の街に来たかのような錯覚を覚えた。
 車窓からあたりの光景に目をやると,さほど高くないビルもある。国の研究施設や企業の研究所である。
 ここが学園都市か。住み良さそうだな。なんだか気に入ったみたいだぞ。何という並木道の美しさだ。道を北上していくと,美しい筑波の山のツインサミットが見えてきた。
 ここに暮らそう。生まれ育った東京を出て,この街で暮らそう。そういう思いが一気に高まってきた。それからしばらくして,幾つかの不動産を家族で訪れた。
 筑波山の中腹にある旧家にも案内された。大正時代風の建物で,2階からの眺望は素晴らしかった。しかし,そこは学園都市ではなかった。案内から戻った不動産屋さんでは,父と娘らしき2人が,東京からきたお客さんをなんで山に連れていくのかと言い合いをしていた。
 結局,センターの中にあった大手の不動産さんから今の土地を紹介され,そこに落ち着くことになった。今でこそ,周囲には家が建ち並んでいるが,その頃の自宅周辺は何もなかった。夕陽が綺麗に落ちて,朝日が眩しく上がってくる,そんな場所であった。
 ただ,一つ予測しえなかったことがあった。子供達が,地元の学校に通う間に,言葉のイントネーションが少しおかしくなってきたのである。しかし,それも良い。地元の子とも仲良くやっている証であると思えばうれしいことである。
 この素晴らしい街での家族の日々はかけがえのないものである。

Paboo


『Paboo』とは,ネットを使っての作品の発表の場である。ここに今,7冊の小品を発表している。いずれも,10年前に取手から土浦へ学校を変わった時に書き綴った作品である。
 『乙女の幻影』は,切ない想いを綴った不思議な恋物語である。
 『李白に憑かれた男』は,李白と杜甫の事績を綴った作品である。天才と努力家の違いを描いた。
 『侍の仕事』は,信義に生きる男の話である。
 『こころ』は,悲運な運命を受け止めた人々を描く作品である。
 『學の獨立』は,早稲田大学の草創期を綴った作品である。
 『王様とバッタ』は,現代の社会でともすると姑息に生きてしまう人間を描いた。
 『一の谷と真珠湾』は戦いの果てに宗教に帰依した二人の歴史上の男の話である。時代を超えて,戦う男に共通の思いを綴った。
 学校を移った時の,私自身の精神的な背景がよく出ている作品群である。
 土浦に移って,仕事がやたらに忙しく,以後の発表の機会はなくなった。しかし,また,書き始めようと思っている。時間は山ほどあるのだ。
 是非,ご興味があれば,Pabooにアクセスして,お読みいただければありがたい。
プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《6/28  Wednesday》

❣️<Puboo!>にて、『あけゆく空のごとく』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Paper in NY>で、『For the first time, I was facedown in the beach a wave brings near. Very comfortable.第一次,我变成了为波浪涌来的海滨为卧姿。非常心情舒畅』を公開しました。


⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスへの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

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