手の中にあるのは「今日と明日」

二つの星


 今現在と未来。誰にでも,与えられているものだ。
 
 自分が偉かったとか,金持ちであったとかいうものは,たいして意味はない。
 役職などというのは,人を勘違いさせる厄介ものである。
 人は,「役」にたいして頭を下げているのに,当人は自分が偉いと思ってしまい,あらぬ振る舞いに出てしまう。滑稽なり。
 お金,これも厄介ものである。あればそれに越したことはないとよく人はいうが,こんなものないほうがいいのだ。この世にある言葉で最も美しい言葉は「清貧」という語である。
 
 今現在と未来。
 誰にでも与えられているものであるが,人によっては,それに気がつかないで,無為に日々を過ごしてしまっている。それに気がつくということは,その心に何か未来を想定するものを育むということである。
 それを鼻っから諦めてしまう,愚の骨頂。
 それさえも思いつかない,うつけ者。
 
 ささやかであっても,夢を持ち,自分に正直に,騙すことなく,まけずに,不屈にやり通すこと。それがあって,人は,その掌中に,「今日と明日」をおさめることができる。

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何をやるともなく,何かをしている

わび


 ちかごろ,
  退職して,何をしているのかと必ず聞かれる。自分もあと1年,参考にお聞かせ下さいと。
 このところ,
  入院する時など,職業欄を無職とすると,必ず事情を聞かれる。

 前者には,「何をやるともなく,何かをする。」と煙に巻く。
 後者には,事情を丁寧に説明する。そんなことはないだろうが,手抜き治療をされたら困るから。
 
 何をやるともなく,何かをしている……
 
 まさに,自分自身の今の真実の状況である。退屈もしないし,むしろ,煩わしいことがない分,精神衛生上,殊の外,爽快である。加えて,何かが起こるワクワク感がある。

 きっと,生涯の中で,最も幸福感に満ちた時間を今過ごしているのだと思う。貴重な一瞬を過ごしていることに感謝する。


父の手紙

科学の門


 遥かにだいぶ前のことである。
 父が亡くなって,しばらくして,娘たちに父からのハガキが届いた。
 父が,つくばで行われた科学万博で,十年後に配達されるハガキを娘たちに認めていたのである。
 もらった娘たちは,驚くやら,嬉しがるやら,はたまた,悲しがるやら,大騒ぎになった。

 今日,その万博跡地にロードバイクで行ってきた。周辺を車で通ることはあっても,じっくり中に入ってのは初めてである。

 つくばは多くの公園,広い歩道,また,自転車道もあり,気持ちがいい。中には,自転車に寄せてくるマナーの悪い運転手もいるが,大方は,自転車と共存する気持ちを持っている。横断歩道で,人が立っていれば,車を停止させ,歩行者優先を実践する。そういう街のあり方が,次代を担う青年を作ると確信している。こちらが止まれば,反対車線の車も止まる。善の波及効果である。

 動く歩道,小型の携帯電話など,当時出品された実験的産物も今や人皆手にするものとなった。いかにあの万博が日本の発展をリードしてきたか,今更のごとく懐古する。
 
 今,この地に,当時の面影はまったくなし,ただ,歩くのに飽きない道が美しい空の下にある。


雨の日に想う



 朝から,どんより。2ヶ月にも及ぶ梅雨の季節。
 
 降る雨をぼんやり見ながら,映画の一場面を思い浮かべた。
 黒澤明監督の『羅生門』。その冒頭のシーン。
  ……破滅的な都,門の形さえもないその羅生門に天をひっくり返したような雨が降る。
これから起こる得体の知れない物語を暗示するかのように……
 これも黒澤明監督の『七人の侍』。野武士が村を襲う場面。
  ……黒澤はここでも天をひっくり返したような雨を降らした。戦闘は,かような状況下でなされる。雨と泥水の中で,いっそう真実味を帯びてくる。

 もう一つ,映像が浮かんできた。
 ジーン・ケリーが歌い踊るシーン。『雨に唄えば』である。
 土砂降りの雨の中,樋からの水を頭から浴び,水たまりを革靴で蹴飛ばし,街灯に手をかけ,くるりと回る。なんとも気持ちのいいシーンだ。

 しかし,映画とは裏腹に,現実の雨は忍びない。

 雨の降らない国もある。半年も雨の降り続く国もある。たった,2ヶ月の雨の季節だ。のんびり眺めよう。

フィッシュ哲学



 上海やアンコールワットでは,「まとわりつき」攻撃,あるいは,「ワンダラー」攻撃を受けて辟易した。こちらが話を聞こうものなら,周りから何人もやっていて,これ買え,あれ買えである。
 先だって,オーストラリアで遊んできたが,レストランとアートショップを兼ねた店では,明るい元気な女性店員の挨拶とニコリと微笑むその笑顔で,随分と気持ちのいい時間を過ごすことができた。結局は買わなかったのだが,また来てくださいという声にさらに気分を良くした。

 オーストラリアにしろ,どこにしろ,店員は客に無理な買い物を要求しない。これは,日本とて同じである。当たり前のことなのである。奉仕者たるものいかに接客するかがその国のレベルにつながってくると思う。

 恵比寿にある有名なホテルの有名なフランスレストラン「V」。
 長女が結婚式を挙げ,披露宴をしたところである。このレストランのウエイターの素晴らしいことはこれまで機会があるごとに書いてきた。なにしろ,煩わしさを感じないのである。気配り・目配りが行き届いている。料理の美味しさの三分の一はウエイターの方々の立ち居振る舞いであると思っている。

 その姿勢が一体どこから来るのか。そんなことを考えていると,「フィッシュ哲学」という奇妙な言葉に行き当たった。

 Be there:そこにいてください。あとは私が全てを行います。
 Make their day: 良い時間を過ごしてください。私たちの料理,配膳を堪能してください。

 そして,その哲学を支えるのが,そこで働く人々が持つ2つのキーワード。

 Play:楽しんで仕事をする気持ち。相手にそのウキウキ感が伝わり,良い雰囲気が作られる。
 Choose your attitude:プロのあり方。どうしたら最高のおもてなしができるかを自考する。

 これである。

 実は,先だって,入院した病院でも,先生方や看護の方々に,その哲学を見て取ったのである。さて,今度の病院はどうだろうか。また,しばらく,病院暮らしが始まる。


MLB



 ボストンに滞在したことがある。
 彼の地で世話になった女性は,熱烈なレッドソックスファンであった。
 当時,ヤンキースに松井秀喜選手が,レッドソックスには松坂大輔選手が在籍していた。松井選手は,甲子園以来のファンである。巨人時代よりヤンキースに入って,そして,ヤンキースを去った後の苦闘の数年間により興味関心を持って,応援をしていた。
 話の中で,私がヤンキースのファンであると知ると,彼の地の彼女は,レッドソックスの良さを口を尖らせて語り始めた。ヤンキースのように選手への規制がない自由さがあること。バンビーノの呪いがまだあった頃である。つまり,勝てない球団,しかし,だからこそ強烈なファン心理が働く。弱いが故に,ダメな球団であるが故に,ファンはその球団と選手を応援するのである。
 しかし,それでも,松井のいるヤンキースが最高だと言い張る私に,彼女は呆れ顔であったが,
実は,松坂は私の教え子に育てられた投手だと話をした。
 取手の学校にいた頃,授業中,よく居眠りしていたO君は,野球部の主将でキャッチャーであった。彼が3年の夏,県大会を制し,甲子園に出た。私が教師1年目のときである。彼が,卒業後,教材会社に勤める傍,地元足立のリトルリーグのコーチをしていたが,そこにいたのが,松坂少年であった。その話をすると,ボストンの彼女はホーと息を出して,ならば,ゆるそうと言った。
 そして,明日は試合がないから,時間があるなら,フェンエイ・パークの見学をしたらどうだと言ってくれた。
 そして,出かけて行った。
 あのグリーンモンスター,狩り込まれた芝生,ライトスタンドのテーブル席,鉄骨の柱が邪魔して見えない席がある内野席。どれも歴史を感じさせる雰囲気があった。
 
 その後,松井選手のプレーをヤンキースタジアムで見たいと旅行の計画を立てたが,残念なことに,あの骨折事故が起きてしまった。
 でも,あの開放的なMLBのスタジアムで野球を見てみてみたいといまだに思っている。


農耕民族の血が騒ぐ!

suika


 夏野菜の収穫が始まった。
 と言っても,わずかばかりの量であるので,収穫という大げさなものではない。
 それでも,とれたての枝豆はコリコリと歯ごたえがあり,甘みもある。唐辛子は一番花の下の葉を煮て,葉唐辛子にする。トマトに,ナスに,きゅうりと定番の夏野菜もたわわに実をつけている。
 今年は,成長期に,オーストラリアに行って,世話ができなかったが,そんなことおかまいなしに実をつけている。
 まことに,強い。

 我が家には,ハーブもある。
 ミントとカモミールはお茶にする。ラベンダーは花瓶に入れて香りと花色を楽しむ。
 ところが,今年はバジルが上手くいかない。バジルがなければ,夏は終わらない。そこで,新しい苗を買ってきて植え替えた。もちろん,処分したバジルからはいい葉を選らんで,電子レンジで強制乾燥をし,バジリコを作った。
 
 今年は,嬉しいことに,巨峰が実をつけた。植えてから,三年目の木である。なんとも嬉しい限りである。
 
 夏の水やりと管理,折々の収穫,あきることのない日々が続く。

旗を持つ木

旗を持つ木


 散歩をしていたら,このような木に出会った。誰かがわざと形を作ったのか,それとも,偶然できたのかは知らない。
 私の目には,旗を捧げ持つ人物のように見えるのだ。
 
 ……我々は自然における多数の所産のなかに,あたかも我々の判断力のために殊更に工夫されているかのように思われるもの,換言すれば,我々の判断力に実によく適応するような種別的形式を含む所産のあり得ることを期待してよい。
 ……これらの形式は、その多様と統一とによって我々の心的能力をいわば強化し娯しませるのに役立つのである。そこで我々はこれに美的形式という名を付すのである。
                               カント『判断力批判』より
 
 カントのいう通りである。ある日,ある時の,「私」に起こった出来事をものの見事に論じているではないか。
 この旗を持つ木が今後どのような形に変化していくのか,「美」を継続していくのか,はたまた,新たな「美」への昇華を果たすのか。
 
 楽しみなことである。

李徴の思い

下妻筑波


 中島敦氏の『山月記』は,今読んでも,心に感ずるところがある。

 「今思えば,全く,己は,己のもっていた僅かばかりの才能を空費してしまった訳だ。人生は何事をもなさぬには余りに長いが,何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭う怠惰とが己の凡てだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら,それを専一に磨いたがために,堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。」

 特に,この一節は身にしみる。
 創作を志す人間は,必ずこの思いを一度ならず,何度も感じる。
 「卑怯な危惧」とは,「逃避」である。己と真正面から対せず,思わくと推測とうぬぼれだけに支配されている作家の哀れな姿である。

 才能は,人が認めるものもあるし,自分自身が認めるものもある。
 今,有名となっている作家たちの何人かは,死して後,家族や知人たちの努力によって,世にその存在が示された。存命中は,脚光をあびることもなく,しかし,熱心に努力するその姿は周囲の人間を動かし,ついに,その才能を世に示してくれたのである。
 一葉女史しかり,銀河鉄道しかりである。

 創作をする人は,「刻苦を厭う怠惰」の人ではなく,「乏しい才能を,それでも専一に磨く」人でなくてはならない。

雨樋の修理



 何年か前,北側の雨どいが詰まったらしく,雨が降ると,雨どいからぼたぼた,ジャージャーと雨水が滝のごとく落ちてきた。
 詰まっていることはわかっているが,いかんせん二階のさらに上の屋根に上ることができない。はしごはあるのだか怖い。そこで,近くのホームセンターに出向き相談をした。すると,その手の業者がいるとのこと。電話番号を教わり,来てもらった。
 大将らしき人は,巨漢である。
 その巨漢が,弟子らしき男に,階段をかけさせた。右手にはそこらへんで拾った棒切れを手にしている。はしごに手をかけ,足をかけ,あっという間に,我が家の屋根に登ってしまった。景色を眺めているようだ。
 いうまでもなく,樋は屋根の端にある。ちょっとバランスを崩したら,落ちてしまう。そこへ進み,棒でちょこちょこと樋を突っつく。
 弟子に,ホースを持って来させる。弟子はすでに我が家の蛇口から水をホースに流し込み,大将のところへと運びあげた。そして,水を流す。
 ホースを下にいる弟子に投げ落とすと,大将は屋根のあちらこちらを散歩し,樋を物色し始めた。
 しばらくして,軽快に降りてきた。その頃には,弟子がはしごを除くすべての道具を片付け終わっていた。
 詰まっていたのは枯葉です。少しはのけておきましたが,また詰まるでしょうと言って,一万円の請求をしてきた。作業時間は20分程度。
 いい商売だなと思った。

 さて,今度は1万など払えないので,自分でやるしかない。
 今回は,幸いなことに,2階のデッキから作業ができる。大将がやったように,棒でつつくと,詰まっている感触がある。何回かつつくと,どさっと落ちる音がする。やはり,詰まっていたのだ。さらに,ホースで水を流す。これも大将と同じだ。

 明日は雨の予報。修理は完璧か,なんだか雨が楽しみになった。

プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
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《8/22  Tuesday》

❣️<Puboo!>にて、『神様のおかげ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『The silhouette:The person who sits down in a seashore bench
It's covered with a green tree and give the shade of a tree to two people. Many waves are surging over the beach.A vast sea and the sky spread over it.
人影 : 卸下腰到海岸的长凳的人。绿的树木落到身上,将树阴给予二人。向海滨的对面几个也波浪涌来。并且,到那个对面汪洋大海和天空扩展着。』の絵を公開しました。

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