勉強塾!



 「勉強塾」ということばはあまり聞かない。もっぱら,「学習塾」である。

 勉強ということばには,『無理に,強制する』というニュアンスがあるからだろう。それよりも,『学び,習う』方が,いかにも民主的である。
 しかし,私は,「勉強」ということばの方が好きである。
 なぜなら,わからないことを,知りたいことを,自分のものとするとき,それなりの努力,困難に立ち向かう意思力が必要だからだ。だから,「学習」よりも「勉強」ということばの方が,適していると思うのである。

 吉田松陰先生が口癖のように言っていたということばの一つが,『勉強なさられませい』である。先生は,手取り足取り教えることはなかったという。塾生の個性をよく見て,知りたいことを得るためには何をどうしたらいいのかの手助けをしただけであるという。
 それこそが,教育の本質であると思う。
 そして,それゆえにこそ,塾生たちは,試行錯誤をしながらも,次代の新しい考えを自ら作り出すことができたのである。
 松陰先生が,学ばせ,習わせ,良い子を作っていたのなら,村塾の名は今の時代には伝わらなかっただろう。
 教えることの膨大なエネルギーを師が持つこと,そして,学生が大いに努め,苦しみながらも,智識を得て行って,初めて壮大稀有な教育がなされるのである。

 よって,私は「勉強」ということばとそこにある観念を大切にしていきたいと思うのである。

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傍楽



 教師をしていると,年齢よりも若く見える。よって,働いていないというと,勿体無いと言われる。若いのに,もっと働けるでしょうと。
 もちろん,ここでいう,「働く」というのは,賃金労働を指している。何がしかのお金を月々稼いで,それで生活をしていくというあり方である。

 今,そういう生活とは縁を切っている。
 「働く」というのではなく,『傍を楽にする』という意味での「傍楽」の方に重きを置いているのである。人間の価値や労働を金銭と代替するということは大切なことであるが,ある程度の年齢になったら,見きわめをしなくてはいけない。後輩に席を譲ることも大切であるし,より若い力を現場に生かすことも重要なことである。でないと,組織の進展がなくなる。

 最近,報道番組を見て,気がついたことがある。
 それは,「代替わり」が着々と進んでいるということである。特に,評論家たちの代替わりは大きい。かつて,何かあれば,引っ張り出されていた著名な方々に変わって,新しい言葉を持った若い優秀な方々が素晴らしい意見を述べているのである。頼もしい限りである。

 そういう若い声に耳を傾けることも,「老害」をなくするという点で,『傍を楽にする』ということにつながると思う。
 家庭内において,もっぱらやりくりをするのは妻であるが,それも楽しげにやっている。これも『傍を楽にする』ことにつながる(と思っている)。

 今,私は「傍楽」ことを毎日しているのだ。

P=0.34S

nyudo


つくばのある北関東は「雷の銀座通り」と言われている。
 何年か前,東京へ出かける予定があったが,雷が我が家の前の電信柱のトランスに落ちて,一帯が停電になってしまった。仮に途中で復旧した場合,冷蔵庫や冷凍庫は大丈夫かと心配になり,出かけることをためらったことがある。
 
 今日も朝から気温が上昇し,午後には雷雨があった。ゴロゴロと薄気味悪い低音を響かせている。

 Pとは,落雷地点までの距離である。
 Sとは,光ってから音が聞こえるまでの秒数である。
 定数0.34は,キロメートルであらわした秒あたりの音速である。メートルで表せば,340m/sとなる。

 雷がピカッと光ったあと,10秒後にドカーンと音が聞こえたとすると,
  0.34×10=3.4(km) つまり,3400m先で光ったことになる。

 書斎に座って,ストップウオッチを手にして,計算をしている。
 どうやら,今回は我が家には落ちそうにもないと判断した。

幸あれと祈るばかり

dappi


 早朝の散歩から帰ってくると,ちょうど犬の散歩を終えて,これもまた戻って来た妻が,私に家の壁の一角を指をさした。
 そこでは,蝉が脱皮をしている真っ最中であった。ほぼ全身が殻から抜け出し,体が乾くのを待っている時であった。蝉の体は白色を混ぜた薄い緑色であった。
 
 蝉は夏の風物詩である。
 夏休みが始まる,あのウキウキ感の中,「ミーン,ミーン,ミーン」とニイニイゼミが鳴く。
ああ,これから40日の自由時間が始まると一緒に喜んでいるようである。
 やがて,8月のお盆が近づく。アブラゼミが「ジー,ジー,ジー」と午後の暑い時間に鳴き叫ぶ。なんという暑さだと思わずにはいられない。
 そして,ツクツクボウシが鳴く。「ジー……ツクツクツク……ボーシ! ツクツクボーシ!」。夏が終わりに近づいてくる。なんだか,切ない思いにかられる。この40日,お前は何をしてきたのかと後悔の念も沸き起こってくる。
 極め付けは,ヒグラシである。夕方,「カナカナカナ…」と縁側あたりから声がしてくる。
 秋か。夏は終わったなと実感する。

 蝉は意外にも長命の昆虫だと最新の研究成果ではなっているという。
 地中では,幼虫として,短くて3年,長い種類だと10年以上も生きるという。そして,羽化の時を迎え,これまでの「蝉生」とは違った世界に飛翔する。そして,1ヶ月ほどの「蝉生」を謳歌するのである。
 今日,我が家から飛翔していった蝉も,「蝉生」最後の時を生きていくことになる。
 
 「蝉生」最後のひと時,幸あれと祈るばかりである。

図書館での憂鬱



 本は自分で買って,書架に置くというのを原則として,いままでやってきた。
 3・11の震災時には,書架から本が崩れ落ち,揺れで開いてしまった我がデスクの引き出しを壊してしまった。もし,そこで仕事をしていたらと思うとぞっとする。
 それがあるからというわけではないが,最近は,つくばの中央図書館に足を運ぶことにしている。自分の趣向で本を読むことより,雑多にある様々な本を手にし,立ち読みしたり,気に入れば,閲覧デスクでじっくりと読む。
 その日も,筑波大病院の帰り道に立ち寄り,二冊の本を読んだ。
 夏休みということもあり,随分と混んでいた。受験勉強をしている学生,宿題をしている学生,床にしゃがんで絵本を読んでいる子供や親,みな,感じがいい。
 ところがである。
 どうも,しっくりといかない種族がいた。
 どう見ても,自分と同じ境遇ではないかと思われる。あるいは,夏休みをとっている方々か。それは聞いたわけではないからわからないが,そういう方が,無遠慮に新聞をめくるのである。新聞をめくる音は,あの様な静寂な場ではそぐわない。隣の受験生がかわいそうである。傍若無人に振舞う無責任な大人の仕草にがっかりする。
 その方は,ひとしきり新聞をめくり終えると,手許に持ってきた書物を読み始めたので,ことさら文句を言わなかったが……。
 そんな同輩の仕草を見ていると,やはり,本は自分で買って,暑い盛りに,外で読むのがいいのかななどと思った。

万事,困難は己の中にあり


 このところ,暑い日が続く。ともすると,心がくじけそうになる。

 今日は暑いから,何もしなくていい。そして,だらだらと時間を無為に過ごす。
 あるいは,冷房の効いた喫茶店で,これまた無為な時間を過ごし,時間を浪費をする。
 
   ……そういうのが苦手である。

 夏は暑いに決まっている。日陰を探し,友と汗をかきながら外で遊ぶ。そんな子供時代を過ごしたので,冷房をつけて,家にいるのが大嫌いである。かといって,もう子供でもなし,体力的にも劣っているので,外で遊ぶというわけにはいかない。

 学校に勤めている時,夏休み期間,午後には帰宅できた。それ故,いまも,お昼過ぎは,外で日の光を浴びて,本を読んだり,文章を書いたりして過ごすのを常としている。蚊取り線香を焚いて,首筋に汗を滲ませ,大きな日よけの傘の下で過ごすのだ。
 
 これが,実に気持ちがいい。暑いとか,疲れたとか,己をマイナス方向に導くのは,心の中の弱さである。これを克服するには格好の時期である。

強気の「防衛白書」

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 7月21日の閣議で,15年度版防衛白書が了承された。
 曰く,『中国の艦船や航空機による東シナ海や南シナ海への進出で,不測の事態を招きかねない危険な行為もみられる。』とし,『公海での航行や飛行の自由が,不当に侵害される状況が生じている』と断じている。
 過去の白書がどうであるかを存知していないが,明確に相手国の名を示し,危機感と不快感を示した白書は,痛快であり,快挙といってもいい。
 さて,中国はどう出てくるか。
 これからの『環球時報』の記事が楽しみである。

 こんなことを書くと,お前は戦争でもしたいのかと思われそうだが,そうではない。
 『自由・民主主義・基本的人権・法の支配』という共通の言語を持たない国に対して,そのくらいの強気がないと外交では勝てない。我慢強く,相手と接するが,しかし,胸を張って,堂々と対する,そのくらいの胆識がなければならないと考えている。

free as a bird

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 夕方,裏道の田に,二羽のサギがいつも寄り添っている。きっと,田にいるであろうカエルや虫などを食べているのだろう。15メートルほどまで近づくと,しめし合わせたように羽ばたいて,低く飛行して,別の田に移る。 
 実りつつある稲の緑に映えて,その白い羽毛の,S字型に曲げた長い首が愛らしい。

 我が家の周りで,朝,騒々しい鳥たちは,烏も鳩もつがいであることが多い。鳥たちは,つがいであるとことを誇らしげに見せつける。
 その白鷺もつがいであった。
 ところが,その白鷺が毎朝,一羽だけ,東に向かって,我が家の上を悠然と飛行していく。いつも目にする田の鳥ではないのだろうか。あとから,もう一羽が追いかけてくるのかしら,別のルートを同じ方向に飛んでいるのかしらと見ているがそうでもないらしい。

 一体,あの白鷺は一目散にどこに向かって飛んでいくのだろうか。

 そういえば,あの白鷺が飛んでいく方向に,桜川のほとり,そこにサギの一大繁殖地があった。鷺山という,サギ独特の繁殖地形成である。そこへ行くのかしら。

 思いは尽きないが,確かめる術もなし。
 
 白い鳥の優雅な飛行を見ていると,実に羨ましくなる。
 なぜだろう。
 唯一の答えは,彼らが空を飛べるということであると思う。人間は,自らの力で,空を飛べることはできない。そこに,鳥への憧れがあるのだろう。

そう,考える。



 自分を見失ったら。自分がわからなくなったら。
 こういう時,「自分」を捨てるのがいい。
 「自分」が強くですぎて,何もかもがうまくいかないパターンである。
 
 そういう時に,大切なのは,「自分」以外の「他の人」のことを考える,とうことである。

 教師であれば,「生徒」のことを第一に考える。そして,生徒と勝負をする。そこに,集中するのである。

 今,自分ひとりになって,「自分」以外の「他の人」は,家族である。
 些細なことで怒ることもなくなった。思いやりを持って接することの大切さを,今更のように感じる。
 
 せめて,孫たちに恥ずかしくないよう,彼らが成人した暁に,少しは立派な「先祖」がいたと思われるような生き方をしなくてはならない。

 そう,考えるのである。

保守と革新

tokai


 1970年6月,私は御茶ノ水から日比谷方面に向けて,そぼ降る雨の中をひたすら歩いていた。日比谷公会堂で行われる日米安保条約の更新に反対する集会に出るためである。
 当時,大学2年。理想に燃え,日本の「いま」を良しとしない考えを持っていた。日比谷から赤坂あたりだろうか,記憶に自信がないが,デモにも参加した。
 いまから思うと,随分と青ちょろい考えで,社会主義を礼賛していたのだと思う。特に,中国の「自力更生」なる考えは,自らの力で何事も達成するという心意気に大いに心を震わせたものである。
 昨今,テレビのニュースで,若い女性が,戦争に反対し,憲法の遵守を声だかに訴えている声を耳にして,微笑ましく,かつ,頼もしく思った。若者は,そうでなくてはいけない。正義を貫き,まっすぐに前を見て,意見を述べるのだ。そして,青春の時を使って,己の考えをまとめていくのだ。それが変わらなければ,覚悟を持って生涯を貫けば良い。変われば変わったで,より良い思考へと自分を導けば良い。

 7月16日付の『環球時報』の記事を紹介する。
  『当自卫队进入南海的态度明朗时,中国也有可能在钓鱼岛等采取“报复性措施”』
 自衛隊がフィリピンやアメリカ軍と歩調を合わせて,南シナ海に出てきたら,中国は報復の処置をとると述べている。

 いまの私は,どうやら,革新より保守であるようだ。

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nkgwhiro

Author:nkgwhiro
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《8/22  Tuesday》

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❣️<Facebook>で、『The silhouette:The person who sits down in a seashore bench
It's covered with a green tree and give the shade of a tree to two people. Many waves are surging over the beach.A vast sea and the sky spread over it.
人影 : 卸下腰到海岸的长凳的人。绿的树木落到身上,将树阴给予二人。向海滨的对面几个也波浪涌来。并且,到那个对面汪洋大海和天空扩展着。』の絵を公開しました。

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