マチュピチュと大玉

kiku1


 多くの姉妹都市要請を断って,あの空中都市マチュピチュ村が福島県の人口8000人の大玉村を姉妹都市に選んだという新聞記事を読んだ。
 何でも,ペルー移民として尽力した方がこの大玉村の出身というのが理由だそうだ。
 
 この話を読んで,何か嬉しい,そして,勇気付けられる思いを感じた。
 
 まず,移民としてペルーに渡った一人の日本人にマチュピチュの人が恩義を感じていることの
素晴らしさ。多くの名だたる都市との友好関係を蹴って,小さな日本の田舎の村を選んだマチュピチュ村の義理堅さ。
 一方,選ばれた大玉村は,平成の大合併に乗らず,独自路線で住民に最も近い村を標榜している村だそうだ。
 この二つの村の一本筋の通った清々しさ。これがこの記事が伝えてくれた素晴らしさであった。
 『地に足をつけ,信じる道を悠然とゆく。』
 新聞記事にあった言葉である。
  
 人もこうありたいものである。
 奇抜なこと,目立つことではなく,地道に日々を生き,着実に人生を生き抜く。地位とか名誉とか,金銭的な裕福とか,肩書きとか,そんな薄っぺらなものではなく,人を感動させる生き方,そういう人生を歩みたいと思う。
 それには,自分自身が自分の生き方に感動しなくてはいけない。単純な日々の中で,己の一本筋の通った生き方を標榜するのである。

スポンサーサイト

こんなに清々しい朝が

東空


 新聞を取りに二階にある玄関から一階の門のところまで降りていく。近所のアパートの住人が出勤前にゴミ捨てをしていた。目があって,「おはようございます」とお互い声をかける。
 青年はごみ捨て場からまっすぐ,私に近寄ってきて,新聞を取る私に話しかけてきた。
 「良いお家ですね。僕も,このような家を建てたいと思っています。」
 突然の言葉に,なんといって良いのかわからず,しかし,妙に良いことを言ってくれると嬉しくもあった。
 「頑張ってください。自分の好きなように家は建てるものです。」
 なんだか訳のわからない返答になった。
 
 こんな家でも,一人の青年が目標とするに足る家となるなんて嬉しいではないか。
 東京での借家暮らしから,つくばにやってきて,家を新築し,その後,好きなように増改築を行った家である。
 ベランダにデッキ,暖炉に,門扉と建売とは違った趣があるのだろう。
 新聞を小脇に抱え込み,車で出勤していく青年を見送った。

 男子たるもの生涯に3度家を建てるべしと誰かが言っていたのを覚えている。3度目の家を建てる財力はないが,自らの手で,修繕をしながら,自分で建てた家を大切にしていきたいと思う。

教育の需要者を考える

夜の灯


 受験戦争とか,学歴社会とか,そういう社会状況の中で,体制に反発をしながら,青春を過ごしてきた。
 当時の文部省の方針が『期待される人間像』である。大人社会から期待される人材になどまっぴらごめんだと鼻息が荒かった。私ばかりではない。私の周囲も同じように声を荒げて,批判を行っていた。そういう時代であったのだ。

 時は移って,教師になると,文科省は『ゆとり教育』を打ち出してきた。
 行き過ぎた受験競争は,子供たちの教育の機会均等と平等主義から始まっている。よって,学力試験の軽減を図り,入試科目の減少,学力試験によらない入学試験の導入など思い切った政策が実行に移され,個性ある教育のあり方が標榜された。
 現場は,それに伴い,「総合的な学習の時間」,週5日制の導入を本格化した。
 想定は,子供たちが自主的に考え,解決方法を導き出し,学習意欲や関心を高めるというものであった。しかし,思うようにいかないのが,人の世の常である。
 子供たちは,空いた時間を勉強ではなく,自主的に考える時間でもなく,ゲームに使った。学校も,「総合的な学習の時間」が受験勉強時間になり,土曜日は特別課外になった。

 どの時代も,需要者である子供のことをどうも考えていないような気がする。やる気をそいだり,前へ進もうとする子供をおさえつけたりしてしまうのは教育ではない。
 その点,すべてとは言わないが,一部の塾のほうが需要者としての子供の意思を的確に捉えているような気がしてならない。上からの押し付けがなく,自らの意思と希望と理想がそこにあるからだ。

生きる糧

フェイスライン


 自分の好きなことをするというのは結構難しいと思うようになってきた。今,自由な時間を得て,そう思うのである。
 仕事をしていて,忙しく,自分の好きなことをしたくても,疲れた体がいうことをきかなかったり,せっかくの日曜日,出かけることができても天候が悪かったり,そういう時に,自由だったらいいなとつくづく思ったが,その自由な時間を得てみると,そうそううまく人間が動かないのである。
 
 人間は,忙しくしている中で息抜きに何かをやる。
 釣りをしたり,美味しいご飯を食べに行ったり,旅行に行ったりなど。これを「趣味」だとするなら,自由な時間を得た人間は,それらを「趣味」と呼ぶことはできない。

 自由な時間を得た人間が自らの時間の一部分を削って,絵を描く,文章を書く,体を動かす,これらは「趣味」ではなく,まさに「生きる糧」にならなければならないと思うのである。
 誰に見てもらうわけではなく,それによって金銭的な報酬を受けるわけでもなく,己の人生と対峙しながら,「生」を問う, まさにそれらは「生きる糧」なのである。
 ひたすら,一個の自分と対峙し,「生」を問う問いう,まさに「生きる糧」なのである。そういう点では,ものを作り出す「作家」であると思っている。

 一人の「作家」が,今日も暖かい日差しを背中に受けながら,机に向かって,想いを巡らす。

一家を見守ってくれたアンちゃん

みう


 自分の事実史である『歴程』を眺めていると,2005(平成17)年からが記述が多くなっている。
 この年の1月,私は長年勤めた取手の学校に退職届を出した。53歳であった。
 決して,望んだ退職ではなかったが,やむなしの出来事であった。
 人生にはこういうこともあるのだとしみじみ感じ入った日々を過ごしていた。
 人生は必ずしも順風満帆ではない。むしろ,荒波をけって,大波を乗り越え,静の海を目指す壮烈な戦いの場である。

 この年,我が家の変化は私ばかりではなかった。

 2月には,26歳になった長女が結婚したいという相手を自宅に連れてきた。嬉しさと寂しさが混在した不思議な気分を味わった。その長女も今,二人の男の子の母親である。
 そして,3月には,次女が日本での美容師の仕事を辞めて,オーストラリアで美容師になるという夢の実現のために成田を飛びだった。彼の地を旅し,生涯の伴侶と生涯の地を,今は得て,幸せに暮らしている。

 そうした一家の大きな変化の中で,その前年の11月1日に,我が家の最初のワンちゃん,シェルティのアンが16歳で亡くなった。
 妻が言う。
 アンちゃんがすべてを背負ってくれたんだと。

合言葉は「気楽にやれよ」

並木


 困難な問題に直面した時,容易に解決できない出来事にぶち当たった時,心の中で訴えるように叫ぶ言葉が「気楽にやれよ」である。
 人と人と人とがいれば,そのような問題は常に,確実に,必然的に発生をするものである。
 
 それゆえ,人は生きる上で,少なからずストレスを持つ。
 それは小学生でも,20代の青年でも,30代の最もはつらつとした時も,40代の壮年期でもおなじである。
 理不尽さと不合理さに怒りを覚え,それでも目をつむり,口を塞ぎ,手をかす自分を腹立たしく思う。しかし,その悔しさがあるから,50代になり,60代になった時に,そうではない方向性を打ち出せる人物になることができる。

 問題を解決する時に,自らの力不足を知ること,しかし,解決する可能性を捨てないこと。そして,問題の本質を見つめること。これが大切である。
 教師としての私は,常に生徒第一という考えこそが本質であると思ってきた。
 人の心を扱う教師の仕事に最も大切なのは「気楽に接し,気楽に対し,気楽に考えるよう」にすることであった。

それが人生さ!

ちょ


 私には,『歴程』という個人記録がある。
 日記ではない。ただ,自身にあったこと,事実だけを記録しているだけのものである。パソコンが変わるときには何よりも優先して記録を継続してきた大切なものである。
 この記録が始まったのが,1984年,昭和59年,取手の学校に勤めて4年目。33歳の時。このつくばに土地を買い,自宅を建て,東京から転居してきた年からである。
 人生で最大の買い物をし,25年ローンを組んだ年である。
 我が『歴程』が始まったのは,きっと若き日の私に思うところがあったに違いない。
 転居日は奇しくも結婚記念日と同じ11月2日であった。
 今でも覚えている。取手の学校から帰宅する時に道がわからなくなって迷ってしまったことを。 
 表計算ソフトに綴られた『歴程』を今改めてざーっと振り返ってみると,こんなに懸命に生きてきたんだと思わざるをえない。
 いい時もあれば,そうでない時もある。
 辛い時もあれば,楽しい時もある。
 飛ぶ鳥落とす勢いの時があれば,じっと耐え忍ぶ時もある。
 仕事に集中している時があれば,遊びを覚えて手を抜いている時もある。
 
 それが『人生』なんだと思う。

みすぼらしい女王の姿

35


 バブルの頃,ジャパンマネーがニューヨークのロックフェラーセンターを買い取ったニュースを見て,これはいかんと思った記憶がある。
 金の力に任せて,相手の懐深く入っていいことは少しもないからだ。
 一時の歓迎はあるかもしれないが,根強く反発も残る。

 時代は移り変わり,今回は,チャイナマネーが誇り高いジョンブル・スピリッツを買い取ったようだ。
 産業革命発祥の国が,後進の国から最新鋭の技術の提供を受ける。そのために,国を挙げて,その代表者を歓待する。
 これでは国民の誇りと自負心を喪失させるなにものでもない。
 美しく着飾った女王陛下がみすぼらしく見えたのは私ばかりではなかったと思う。

 その点,アメリカは素晴らしいと思うことが幾つかある。
 その一つが沖縄返還。
 土地というのは,不思議な力を宿すものである。それを返還することで,アメリカは日本の協力を得ることができた。
 アメリカは,小さな島を意固地にも占有している国々とは格が違うと思った。
 もう一つが,宇宙開発で,ロシアに先を越された時,諸手を挙げて降参するのではなく,拳を振り上げて,負けないぞ,アメリカは月に人類を運ぶぞと大見得を切ったケネディ大統領のような存在があることだ。教育改革を実施し,理数教育に力を入れ,見事,目標を達成するその意欲である。
 
 金でなんとかするあり方。その金にうごされる危うさ。
 そんな思いで,GBの姿を見ていた。

ワンちゃんの名

32


 キャラは我が家が現在飼っている犬の名前である。犬種はコーギー。
 我が家の初代からの飼い犬は代々シェルティであった。初代の飼い犬の名はアン。その息子がケーシーである。
 我が家のワンちゃんの名前にはちょっとした意味がある。

 キャラは,アデレイド大学を卒業し医師になっている娘たちの友人の名前である。
 キャラちゃんと二人の娘はお互いにアデレイドとつくばを行き来し,長逗留で異文化を体験した。こどもたちにとっては貴重な体験となった。
 ケーシーは私が最初にオーストラリアを訪問した時に,一ヶ月も自宅に泊めてもらい,お世話になったウエブスターさんの飼い犬の名前であった。犬種はボーダーコリー。
 そして,アン。ウエブスター家の次女である。日本に留学し,私とは縁の深い女性である。
 生徒を連れて,オックスフォードで研修をしている時,アンさんもちょうど故郷のロンドン近郊に戻って勉強をしていた。わざわざ車でオックスフォードまで来てもらい生徒にスピーチをしてもらったことがある。
 今,私は週に一回ないし二回,デジタルで描いた絵をニューヨークの「53」と「フェイスブック」で発表しているが,それを契機に,アンさんと再びつながりができた。
 アンさんが結婚する時,招待を受けたが,仕事が忙しく,オーストラリアまで行く時間が取れなかった。そこで,ゴースドコーストにいる次女夫婦に行ってもらった。それから,しばらく音信不通になっていただけに,嬉しい再会であった。

 我が家の犬は,オーストラリアと結構深いつながりがあるのだ。

落ち葉

イリュージョン


 自宅の前の並木道の樹木から葉が一枚一枚と散ってきた。
 先日,洞峰公園に散歩に行った。公園の落ち葉を清掃をしている人に,ご苦労様です,掃いても掃いても落ち葉はふんだんにありますねと声をかけた。
 毎年のことです。きりがないくらいですと笑って返答してくれた。
 禅寺では,落ち葉が降り積もるのがわかっていても,決まった時間に決まった区域を掃き清めるのだという。落ち葉が落ちっぱなしというのは人の心を悪い方向へと導くのかもしれない。
 また,落ちるとわかっていても,そこを掃き清めることで,新鮮な空間を創出し,新たな気持ちで日々の平安を願う。こういうのが人の営みなのだと思う。
 冬が確実に近づいている。
 門のところに置いてある花々は,9月に秋のために植えたものである。千日紅を中心に葉物をあしらったものである。千日紅も随分と伸び,葉物も大きな葉になりすぎたようだ。まだまだ大丈夫とけちらず,そろそろ替え時としなくてはいけない。
 さて,冬の門周りを彩る花は何がいいか。思案のしどころである。

プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《5/25 Thursday》
       
❣️<Puboo!>にて、『千年の哲学ー女は賢くなり、男たちはただ老け込むだけだった』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Paper in NY>で、『Hot night. People relax at a beach. And they buy food fried chicken. 热的夜晚。 人们,在海滨放松。并且,他们买干炸鸡。』を公開しました。


⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスへの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

リンク
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
フリーエリア