バック・トゥ・ザ・フューチャー 

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道端の名も知らぬ草も種を宿し未来を作ろうとしているではないか!


 ロバート・ゼメキス監督の映画は、1986(昭和61)年に封切られ、36億円の興行成績をあげた。

 1986年---。

  重大な事件がこの年に起きている。

 一つは、ベトナムでのドイモイ(刷新)政策が実行に移されたことである。ベトナムはこの政策により、経済政策に成果を上げ、アジアでもずば抜けた成長と安定を遂げることができた。

 しかし、それはベトナム共産党の一党支配をドイモイするものではなかった。

 政治的に見れば、ソ連からの離脱を図ったという方が的確な見方であると思う。カムラン湾には強力なソ連軍が駐留していたのである。
 そのソ連軍は、海の向こうのフィリピンにあるアジア最大のアメリカ軍基地と対峙していた。

 そのフィリピンでも、1986年、重大な事件が起きている。

 2月25日、独裁政権を保っていたマルコス大統領が国外脱出へと追い込まれたのである。
 テレビで見る、マラカニアン宮殿に押し寄せる民衆の姿、イメルダ夫人の数え切れないほどの靴が散乱した様子は鮮烈であった。
 独裁体制はやがては崩れ落ちるということを改めて知らしめた事件であった。

 そして、この両極端にあった二つの国の政治的変動が、その後数年の間に、アジアの地政に大きな影響を与えていく。

 韓国では、軍事政権から民政へと移行する。
 ビルマ(ミャンマー)では、ネウィン政権が退陣に追い込まれ、激動の時代が始まる。
 台湾では、民進党が「合法政党」と認められた。
 中国では民主化運動が高まりを見せる。
 モンゴルでは、ついに一党独裁が幕を閉じた。

 あれから、
 中国は、一方で牙をむき出しにして民主化を弾圧し、一方で牙を隠して経済的成功を収める。
 ミャンマーは、紆余曲折を経て、民主化を果たしつつある。

 あの時、
 タイでは「インドシナを戦場から市場へと」というスローガンが唱えられた。アジアを覆っていたいがみ合いを捨て去り、皆で豊かさを追い求めようではないかというのである。

 以来、この地域は安定と繁栄が約束され、世界経済に影響を与えることが可能な一角となった。ところが、その地域にさざ波がたち始めているのだ。

 台頭する中国が起こしているさざ波である。そのさざ波は、きっと大きな波になる。

 ゼメキス監督ではないが、一旦、1986年に戻り、中国の民主化を成功させることはできまいか。人民解放軍が中国民衆を弾圧するのではなく、民衆を支援する本来の軍になるように……。
 そして、<バック・トゥ・ザ・フューチャー>して、「いがみ合いを捨て去り、皆で豊かさを追求める」ベクトルを持つ地域を作り出すのである。

 ……

 現実の世界では、映画のようにはいかないが、映画のように、未来に希望を持って取り組むことはできる。


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社会の非理解の中で孤立する芸術の誇りと驕り

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つくばの朝焼け。季節の変わり目を感じさせる雲の姿である。


 ジョン・レノンが映画のために切った髪の毛が相当な高値で売れたという。さぞかし、天国で、ジョンは腹を抱えて笑っていることだろう。

 一方、ロンドンではゴッホのドローイングが2億円余りで落札されたという。

 生前、売れた絵はたった一枚しかない画家の絵が、今は、100億、200億である。ゴッホの与り知らぬところで彼の描いた絵が想像を超える値で取引されているのだ。

 皮肉なことではないか。当の作者には一銭も入らない。払われたお金は一体誰がもらっているのか。ゴッホは貧しい暮らしの中で、弟テオの援助を受けて、創作活動に邁進したという。それが幸福であったという人もいよう。不幸だと考える人もいよう。

 人生の遇し方への評価は人それぞれである。

 本人が良い人生だと思えば、それが評価である。そうではない、俺は世界で最も不遇な男だと思えば、それが評価である。つまり、人それぞれの気の持ちようが人生の評価なのである。

 世の中に名を知られたいと思うのが芸術に限らず人の念願するところである。
名が知れ渡れば、いろいろなことをやれるチャンスが巡ってくる。持っている才能を如何なく発揮出来るチャンスにも恵まれる。

 お笑いタレントがいろいろな活動ができるのも、彼らが持っている才能に加えて、名が知れ渡ることで、次のステップへのチャンスをつかむことができたからである。

 芸術が多くの人を楽しませる、魅了するという役目を担っているなら、多くのチャンスを得て、思い切って、自分の才能をオープンにすることは素晴らしいことである。

 しかし、ジョン・レノンにしろ、ゴッホにしろ、今回挙げた事例は、芸術家としての彼らの才能とは無関係のところでなされていることに気づきたい。有名になりたい、自分のやっていることを多くに人に知ってもらいたいという思いと彼らの芸術活動はコンタクトされている。そして、その結果は当然異なっている。ジョンは生前彼の真髄を多くの人に伝えることが可能であった。ゴッホはそれが不可能であった、ということである。

 大切なのは、必死になって、自分の目指す芸術活動を行うことである。どんな形になるかわからないが、きっと、そうした活動は日の目をみると思う。

 理由などは分からない、ただ、そう思うのだ。
 誇りを持って、驕ることなく追求した芸術作品が日の目を見ないわけがない。



安永6年12月6日の母から娘への手紙

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豊かな水量、今では氾濫は制御された小貝川の流れである。


 ……秋稲のざんぎり干しをしまいたいと思っていたが夕立が来そうで気を揉んでいたところ、通りがかり二人の侍がお手伝いしてくれた。帰りがけに、この米で作った刈り上げ餅をどこへ届けたらいいかと尋ねた。

 刈り上げ餅とは、新米で作った餅を取り入れの際、手伝ってくれた人にお礼として渡すもので、そうすることが当時の社会のしきたりであった。

 ……お上のお屋敷の北の御門番に言うておくからというので、作った餅を三十三個持っていったところ、その方はお侍どころか、お殿様であった。腰が抜けるほどたまげた。

 お上のお屋敷とはお城をいう。
 あの手伝ってくれたお方は、何と殿様だというので、娘に文を綴っているのである。
 おまけに、勤勉であるというのでご褒美に銀5枚を拝領したと手紙は続いている。

 そして、このは母上、殿様のご恩を忘れないようにと、家族のために足袋を作ったから贈るという内容の手紙である。
 この殿様とは、米沢藩主上杉治憲公。出家して、鷹山となる名君であった。

 藩の財政立て直しを図るために、支出半減・産業振興に力を入れた。
  食用になるウコギの垣根の奨励、公娼制度の廃止などにも手を下している。

 鷹山公は34歳で家督を治弘に譲っている。その際に若い城主に「伝国の辞」なる3条項を申し送っている。

  一 国家は先祖より子孫へ伝え候 国家にして我私すべきものにはこれなく候
  二 人民は国家に属したる人民にして我私すべきものにはこれなく候
  三 国家人民のために立てる君にて君のために立たる国家人民にはこれなく候
 
 若い新君主に説いたこれらの言葉は、今の時代に書かれたものと思っても遜色ない。上に立つものがあるべき姿を明確に規定している。

 後年、ケネディー大統領が、日本の政治家で尊敬に値する人物として、Youzan Uesugi を挙げたのもうなづける。

 さて、34歳で隠居したのには理由がある。
 それは、参勤交代で江戸に詰め、その間改革を中断するのではなく、自分が国に残って徹底的に改革を行うという理由からである。

 どこまでも素晴らしい殿様ではないか。


教え子も、はや50歳になったという

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手前が男体山、向こうが女体山山頂。山は変わることなく人事を見てきた。


 土浦に残り少なった料亭が一軒、今も営業を続けている。
 そこで飲むと、酒席の終わり頃、いつも女将が例の屏風を持ってきてくれる。

 それは、霞ヶ浦航空隊で厳しい訓練に明け暮れた士官たちが、戦況の悪化に伴い、特攻隊として死地に赴く際、送別の宴の折に、落書きをした屏風である。

 神州不滅。花櫻。解脱。万里飛。
 そう言った言葉の中に、馬鹿とか、女性の体の線を描いたもの、魚雷を吊った戦闘機の絵もある。

 酒を飲んで馬鹿話をし、最後にそれを見せられると神妙になる。

 この料亭には、のちに連合艦隊司令長官となる若き日の山本五十六も来ている。そのため、山本五十六を中心とする写真を集めたコーナーも廊下の一角に設えてある。

 「やって見せ、言って聞かせて、させてみせ、褒めてやらねば、人は動かじ」

 教師であった私はこの山本の言葉を自分の教育の根本としていた。
 教師は、なんでもできなければならない。手本を示す、理屈や原理を説明する、実際にそれをやらせる。そして、褒めてやる。これが教育では肝要である。

 しかるに、昨今、妙な事件で教師が取り上げられている。
 
 教えるのが下手なのは努力でなんともなる。
 しかし、心が教師になっていないととんでもない事件を起こすのだ。学校に入ったら、1分1秒でも教師としての自覚を忘れてはいけない。それを忘れたがために、解決のために何時間も何日間も苦しまなくてはならないのだ。

 もっとも、自覚のない教師はその苦しみも感じないのかもしれない。不幸なのは、そのような教師に出会った生徒たちである。

 今週末、50歳になった教え子たちと酒席を共にする。
 先生から勇気をもらえることばが欲しいと招待状には書いてあった。

 それはともかく、社会の荒波の中で奮闘する彼ら彼女らに会えるのが嬉しい。


日本の学校は、そういうことができる子を育てている。

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大きなパラボラアンテナ。つくばを特長付ける光景でもある。


 伸びる生徒とはどういう生徒ですかという質問に対して、私は「素直な子」というのが決まっていう言葉であった。

 教師の言うことを受けとめ、まっすぐに取り組む生徒ばかりではなく、疑問を持ち、何故ですかと問う子ももちろん「素直な子」の部類に入る。

 言い換えれば、「素直である」ということは、あるがままを受け入れることができるということでもある。
 知識がまだ十分にない子供の場合、教師の言うことを正しいと理解し、それを受けとめることが知識の積み重ねになる。だから、「素直」であるということは実に大切な要件なのである。
 知識が積み上がっていくと、当然、疑問点が生じてくる。よって、それを自然に問うてくるということである。

 世の中は常に対立軸があって、そのどちらも正しいということ。
  このわかりきった論理を、素直に得心することを、日本の学校では教わるのだ。

 学校では、子供たちが話し合い、相手の考えを知り、妥協することで問題を解決していくが、大人の世界ではそれが容易ではない。

 マンションの建築に不備があった。全面建て替えを希望する人たちもいれば、とりあえず自分の部屋は問題ないのだし、転居だとか転校だとか面倒臭いと希望しない人たちもいる。どちらかが間違っているということはない。どちらも正しいのだ。

 そういう場合、どうしたら良いのか?
  簡単である。
  ……すべてをあるがままに受け入れること、つまり、「素直に対する」の一点に尽きるのだ。

 つまり、「対立」は必ずあるのだから、解決のためには「調和」を見つけることに全力を尽くすということである。日本の小学校や中学校で行ってきたことである。

 そのために、「意見」を提案する能力がないといけない。また、全体を見て、事態を俯瞰する思考も必要である。

 日本の学校は、そういうことができる子を育ててきているのだ。

 しかし、大人になると、それがうまく作用しない。
  金銭が絡んでくるからか。
  メンツがあるからか。
  学校でちゃんと学んでこなかったからか。
  
 そうではない。
  「素直さ」を失っているからである。


素人目にもわかるロケットの打ち上げの様子 その称賛と非難

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紺碧の空にヘリが一機旋回している。つくばにはヘリポートがいくつもある。


 2月17日、H2A30号機X線天文衛星「ひとみ」が種子島から打ち上げられた。その10日前、北朝鮮からもロケットが打ち上げられた。

 その発射の際、二つのロケットエンジンの燃焼による煙の色の違いに目がいった。

 H2Aの場合、真っ白で豊かな量の煙が噴出されていた。
 それは、二つの補助エンジンがついているからであろうが、それにしてもその白い煙がロケットの発射の力強さを如実に示していた。
 
 一方、北朝鮮のロケットの発射時の煙には黒いものが混じっていた。
 燃料の純度の低さを示しているのかどうかは素人にはわからないが、量といい、豊かさといい不足を感じた。
 
 発射時の迫力は、断然H2Aの方が迫力があった。

 また、北朝鮮は衛星を軌道に入れたというが、地球へのデータ送信は確認されていないという。データのやり取りがないのに観測衛星とは何事かということである。
 つまり、かの地の科学者の自負心はいかなるものなのかということである。

 北朝鮮の科学者といえば、1996年に亡くなったリ・スンギ博士が有名である。彼はかの国の「核開発の親」として評価を得ている。

 リ博士は、実は、日本の京都大学で学び、化学繊維ビニロンの発明者に名を連ねてもいる。
 リ博士は金日成主席の招きに応じて祖国の科学発展に寄与しようと韓国を経て北朝鮮に渡って行った。祖国の発展と明るい未来を信じていたことだろう。

 彼の心情がどのようなものかを察知することはできない。
 しかし、科学者として、その技術が豊かな生活を築き上げる基盤となることだけは分かっていたと思う。
 それは、全世界の多くの科学者の念願でもあるはずである。

 それがデータ送信不可能な衛星を打ち上げて喜ぶようなレベルの科学技術では恥ずかしいと思わなけれないけない。

 かつて、リ博士を呼んだ金日成主席は「白いご飯を食べて、肉が入っているスープを飲み、絹の服を着て、瓦葺の屋根の家に住む」ことを民族の理想とすると述べた。
 その基本的な姿がなってからでもロケットを打ち上げても遅くはない。いや、その方が世界から賞賛を受ける。

 孫の金正恩第1書記は、「人民がベルトの穴をこれ以上増やさないようにしたい。」と述べたが、ベルトの穴を増やしたのは自分だけという不始末だ。それでは非難ばかりが起こるのも無理はない。

 ロケットという人類が作り出した乗り物は、暖かく、穏やかな生活の上にあって初めて輝きを増すと思う。


王毅さん、一体全体。何をおしゃっていますか?

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いつも見る筑波のお山を少し西側に回ってみると、あの特徴的なツインサミットも形を変えてくる。

 北京第二語言学院卒業のハンサム政治家、中国外相の王毅氏が、2月17日、西沙諸島での中国のミサイル配備について、西側のでっち上げと語り、その後、軍事施設建設は「国際法が認める主権国家の自衛権に完全に合致している」と強調した。

 まずは、知らされていないよ、でも、よくわらかないが、中国政府の流れからすればこういうとだとうまくまとめ上げたというところであろう。

 さて、その王毅さん、ドイツを訪問している。その折、記者団に、韓国でのTHAADの配備をめぐって質問され、秦末漢初の歴史事例を持ち出した。

 曰く、項荘が剣舞をした狙いは沛公の刺殺にあった。
    米国は何を狙っているのか。
    朝鮮半島の核問題を利用して、
     中国の正当な権益を侵害するいかなる国の行為にも断固反対すると。

 項羽のいとこ項荘は、鴻門の会で、沛公こと劉邦(のちの漢王朝高祖)を前に剣舞を披露し、乗じて殺そうと企図した。それを項羽の叔父の項伯が同じように舞い、沛公暗殺をさせなかったという故事である。

 王毅氏は、危機に瀕する沛公を中国になぞらえた。
 項荘はTHAADミサイル防衛網を導入し、中国を陥れようとする韓国にたとえている。
 では、この故事で、アメリカは誰か。
 それは、項羽から「亜父」と呼ばれ、項羽の将来の禍根を断とうと決意し、項荘を舞わせる「范増」その人である。

 残念ながら、中国を守ろうとする項伯は今の所、その役を担う国はない。

 この鴻門の会を契機に、命拾いした沛公は力をつけ、反対に項羽は力を削がれ、ついには四面楚歌の状況に置かれ、ついに、烏江のほとりで命を落とすことになる。

 王毅さんは、THAADの韓国配備がなされなければ、米国はますます東アジアから力を削がれ、東シナ海から駆逐されると考えているに違いない。

 剣舞を派手にやってのける項荘こと韓国は、これまで積極的に行ったことのない開城の工業団地からの引き上げを実施した。北の同胞に援助をくりかえし、その度に煮え湯を飲まされてきた韓国は、もはや手ぬるい手段では北朝鮮を黙らさせることはできない。徹底した締め付けで対応すると決断したのだ。

 21世紀の鴻門の会の決着は、果たしていかなる決着を見るのか。
 よもや、項荘こと韓国は途中で舞をやめることなどないだろうが、心配だ。
 沛公こと中国を守るであろう項伯は果たして現れるのだろうか。

 興味津々である。

ものを書き始める前の、あのワクワクする気持ち

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ゴールドコーストでの朝の散歩 住宅街をめぐる小道を抜けた時 朝日がさーっとさしてきた……


 4月中旬に発表する予定の『一門』がほぼ完成した。そして、今、「坂東武者を書きたい」という思いが募って、彼らについて調べを進めている。

 なかなかの豪傑たちが関八州にはいる。

 忍の浮城で有名な成田長親。
 主の相続指示が気に入らず、鉢形城にこもる家宰の上杉景春。ゲリラ戦をしてでも抵抗する武者である。
 信玄を翻弄し続け、暫時の命を惜しみ不慮の横死をするなかれと信念を貫く箕輪城の長野業政、業盛父子。
 
 いづれも土地の百姓を大切にし、築城技術に長け、何よりも、信義を尊び、一本気なのがいい。
 平家一門のような優雅さはないが、面白い話が書けそうだとほくそ笑む。

 孫子が、上に立つものの器量はいかがあるべきかを記している。
 それが、『勇気・智謀・威厳・信義・仁慈』である。
 坂東武者もこのようなことを学んだに違いない。

 その孫子が、「九変篇」で次のように述べている。
 
 『将に五危あり。必死は殺さるべきなり、必生は虜にさるべきなり、忿速は侮らるべきなり、廉潔は辱しめらるべきなり、愛民は煩さるべきなりと』

 つまり、こうだ。

 武将には己を危機に陥れる5つの戒めというのがある。
  一、しゃかりきに戦えば、討ち死にするのがせいぜいだ。
    (勇気ばかりあってもいかん。)
  二、命を思い考えることは、囚われ人となり恥ずべきことである。
     (智謀は武人を弱くさせる。)
  三、短気で怒りっぽいのは、侮られ、敵の策に落ちることにつながる。
    (威厳ばかりでは勝つことはできない。)
  四、清廉潔白で人の良いということは、敵の挑発を受けやすい。
    (信義も時には捨てなくてはいけない。)
  五、百姓へのあまりの思いやりは、判断を鈍らせる。
    (勝利するためには、仁慈も時と場合による。)

 このような事例が、関八州、あちらこちらに点在する坂東武者の戦い方には見ることができる。それはまた、現代の会社社会に生きる男たちの指針にもなると思う。

 ものを書く前に起きるあのワクワク感が満ちてきたぞ。



あまりに愚かで、しかし大いにあり得る妄想

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春の訪れを告げる我が家の濃紅梅。次は黄色のアカシアの花が楽しみなる。


 香港の映画『十年』が、香港はもとよりアジア各国で大ヒットしているという。

 言論や政治活動を制約する法律を施行させるために、ギャングを使って新中国派の政治家暗殺を企てる話。
 開発の名の下に、住宅地が破壊されてしまう。そこで昆虫の採集をする男女の話。
 北京語の使用が義務付けられて、広東語しか話せない人がどうしていいかわからなくなる話。
 香港独立を求めハンガーストライキで亡くなった青年と英国領事館前で焼身自殺した青年とのつながり。

 そして、オプニバスの最後。
 中国で教育を受けた子供たちが香港の伝統的な文化を政治状況に合わせて改めるという話。

 どれも、今後十年以内に香港で起きてもおかしくない話である。
 日本のように発言の自由が保障された国ではない中国で、このような映画を製作するには命がけの勇気がいることと思う。

 このような妄想を抱くときがある。

 ある日、青い空の下、芝生の上で日曜の午後を楽しんでいるつくば市民が目にしたのは、幾つものパラシュートである。それは筑波山から風に乗って滑空するパラグライダーではない。幾つもの白いパラシュートが青い空に映えて、皆が皆、その美しさに見とれている。

 北に位置する文科省の高エネルギー研究所と南に位置する高層気象台、それに筑波宇宙センターに向けてのそれは降下であった。

 同時に、これまで数年かかって準備されたのだろう。
 郊外に設置された大きな敷地の太陽光発電所からは、重装備の軍事車両が整然とつくばセンターを目指して進み始めた。

 つくばの最先端技術の研究、および活動場所をその支配下に置くための強制的な威圧行動である。センターから南北に点在する公園で日曜の午後を楽しんでいたつくば市民は、聞きなれない言葉に威圧されながら、ノバホールや国際会議場に閉じ込められた。

 外部からの情報は遮断され、日本語での会話は全面的に禁止された。銃を持つ兵士の中には、市民が顔見知った男もいた。昨日まで共に働いていた同僚であり、ラーメン店の主人であった。
 
 抗議した市民の何人かが射殺された。その現実に直面した市民はことの重大性に気づいた。

 つくばの街は周到な準備の元、外国の軍隊により占領され、技術とそれを持つ科学者が連れ去られているのだ。
 技術を持たない市民は洞峰公園に移動させられている。一体、何のために……。

 捕縛を逃れた市民は密かに雑木林や山に隠れる。怒りと抵抗への決意を胸に託して……。



芸術的諸活動を愛する者がこの世界にいる価値・考

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我が家の濃い紅梅が金色の蝋梅の後に咲き始めた! 春だ。春がそこに来た!


 歴史小説を書き、水彩画を描き、合間に、船に乗り、ロードバイクに乗り、釣りに行く。たぶん、それだけを聞けば、多くの人は眉をひそめるに違いない。

 好き勝手にやっている嫌な奴、遊び暮らしているロクでもない奴と告訴されるだろう。
 でも、こうした人間がいてこそ、世の中もうまくいくのだとあえて言いたい。

  将来に根拠のない不安を持ちながら、社会に出ていった時代。
   やけに近いような姿で、がむしゃらに働きに働いた時代、
    後輩に立場を譲る時を、少し寂しげに経て、そして「今」があるのだと。

 社会の中で他者の存在、言葉を変えれば、岡目八目の立場に「今」はいる。
 それゆえに、当事者には見えないことも見える。
 だからこそ、そうしたことにささやかな警鐘を鳴らすことが役目であると思う。

 しかし、時として、私はこれまでの経験から、弾圧がなされることを恐れるのだ。
 あまりに勝手に「好き」をやっていることで恨みを買うのではないかと。

 若い人たちが多くの税金を払い、苦しい生活を強いられているがゆえに、また、若い世代に選挙権が与えられることで、姑息な政治の動きが、おもねるベクトルを変えようとするがゆえに。

 組織が全体主義的な傾向を持つと、必ずと言っていいほど、自由であろうとするものを弾圧するのは歴史が実証している。

 歴史小説を書き、水彩画を描き、合間に、船に乗り、ロードバイクに乗り、釣りに行くものが、社会では動きに逆らう他者であり、同時に、あれこれと余計なことを言う輩であり、そう言う輩は自由であろうとするものである。

  情報革命の時代が終焉を迎え得つつある「今」
   新たな時代の到来を模索する「今」
    世の中は混乱の中にある。

 性的な許容を理解できずに人々は立ちすくんだり、
  地政の確保に狂奔する国もあれば、
   人種や宗教で区切りをつけようとする地域もある。

 その混乱に示唆を与えることができる一つが、芸術的諸活動に心を砕くものである。
 その一つが、かつて将来に不安を抱きながらも、社会に出ていき、そこでがむしゃらに働き、後輩に立場を譲ってきたものに下されるのである。


プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
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《4/25 Tuesday》
          
👀<Puboo!>にて、『秋葉原のハゲ頭』を発信しています。ぜひ、お読みください。

👀<Paper in NY>で、『”What kind of fish do you fish? ”The dog which seems worried and looks at a boy.钓怎样的鱼。看起来不安地凝视少年的狗。』を公開しています。


⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスへの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

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