知性は育まれた言葉によって宿る

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図書館での幼児教室。母親も父親も、祖父母も参加している。皆で、赤ちゃんを大切にする気持ちが見える。もしかしたら、日本が失ってしまった一つかもしれないと思った。静寂な図書館で、司書が幼児のためにあれこれする。来館者もしばしのざわつきに協力する。職を固定するのではなく、役たつことを行う。これは日本が参考にしなくてはいけないことであると思う。


 私の基本言語は、言うまでもなく日本語です。
 日本で生まれ育ち、小学1年の時、ひらがなも読めなかった子が、文章を書くのが好きになっていく過程には、日本の学校教育の偉大な成果を思わないではいられません。
 おまけに、成人してからは国語の教師にまでなるのです。

 今、ゴールドコーストの街で生を受け、ここを故郷に成長する孫を見ていると、この子はいったいどういう言語を基本とし、成長していくのだろうと考えてしまいます。

 観察をしていると、日本語での反応の方が、今は良いようです。こちらが日本語で言っていることを理解しているようです。
 時折、英語で語りかけてみます。
すると、じっとこちらを見つめて、考えを巡らしている様子を見せます。

 保育園に通っていると言ってもまだ週に2日です。
来月末からはそこでの生活が家での生活より長くなるはずです。
 娘がいよいよ職場に復帰するからです。
 そうなると、1日の大半、英語の世界にどっぷりと浸かることになります。

 耳も口も英語のそれになるはずです。
 もちろん、こちらの小学校に通い、こちらで将来仕事を得ていくことになるのですから、そうあらなくてはいけないことは確かです。ご近所の友達と裸足で遊ぶのにも英語は必需品です。
 この国では、日本語は確かに重要な言語ですが、それだけでは職を得て、生活をしていくことは困難です。
 英語を扱う脳と日本語を操る脳と、そのふたつを無理なく手に入れる機会を得た孫は、いったいどう成長し、知性を育んでいくのか。辛くはないのかと無用な心配をしてしまうのです。
 何年後かに会った時に、コニュニケーションが取れないということも十分に考えられます。そうなると、心配では済まされません。悲劇です。

 しかし、なんであれ言語を習得することは知性の獲得に他ならないのです。それはかつての私の言語習得とその後のあり方からそう確信します。
 英語であれ、日本語であれ、そこから得る言葉の、<聞く・読む・話す>の三要素からきっと何か知性に通じるものを得るに違いありません。

 抱っこしてと両手を突き出す孫を見て、安心を得るのですが、抱き上げた孫が将来、この国の若者がやるように、タトゥーを腕や足や首に入れて、でかいピアスを耳や鼻に入れたらどうしようかと……。

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I envy Australian school teacher!

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仲良しの仲間たちが集まってきました。道をトラックにこれから徒競走です。皆、裸足です。賑やかです。



 イースターにようこそとオーストラリアの人に挨拶をされても、たまたま来ただけであって、イースターの存在自体を知らなかったというのが実情です。
 
 クリスマス休暇が25・26日の2日。正月休暇は元旦の1日だけ。
 それに対して、イースター休暇は4日もあります。それだけ、欧米の人々がイースターを重要視しているということでしょうか。

 イースターは、毎年決まった日に祝うというのではなく、アジアの旧正月同様、毎年日にちが変わります。基本的に、春分の日のあとの最初の満月から数えて最初の日曜日と決められているのです、
 そして、その日曜日の前の金曜日がGood Fridayです。

 Good Fridayは、キリストが十字架に架けられ処刑された日です。
 「聖金曜日」とか「受難日」とか訳されます。そして、キリストはその3日後、つまり、日曜日に「復活」します。そこで欧米の人々はキリストの復活を祝うのです。
 そういうわけで、イースターは『復活祭』とも言います。

 ちなみに、土曜日は通常の土曜日扱いで、オーストラリアでは多くの人が休みになり、月曜日はイースターマンデーと呼ばれ、これも休日になりますが、この日は多くの店がオープンし、人々は食料品などを買いにマーケットへ繰り出します。

 また、卵やウサギがイースターの象徴としてあちこちで見かけられます。いずれも満ちる意味、多産の意味をもたせています。
 私の孫も、保育園でウサギの髪飾りを作ってきていました。

 月曜日、ご近所さんが続々戻ってきました。
 隣家の親子は、荷台を連結した車で郊外の山でキャンプを楽しみ戻ってきました。
 道を挟んで真向かいの家族も両親を訪ねてメルボルンから戻ってきました。
 それに伴い、子供たちの賑やかな声が通りに満ちてきました。
 
 皆、男の子も女の子も裸足で遊んでいます。元気な声です。
 そのうちの一人が孫を訪ねてやってきました。と言っても、孫はまだ歩けないのです。ですから、ご近所の子供たちのお目当ては孫のおもちゃです。
 今日来た子は、お向かいの家の次男坊で、おしゃべりな男の子です。ボール遊びに、ロデイーでジャンプと外で歩き回った裸足のままで部屋中を走り回ります。きっと、数年後には私の孫もお向かいの家に入って同じようなことをするのだなと思って微笑ましく見ていました。

 イースターでも出かけない家もあります。

 定年退職し、夫妻で暮らすジョンストンさんです。
 昨年、ここにきている時に作り始めた庭がほぼ完成していました。彼はガレージで色々なもの作り、一日中外で活動しています。なんでも、日本のような風呂場を自分で作ったということです。壁をはがし、基礎を作り、すべてを夫妻で協力して作り上げたというからすごいです。

 国は違えど、同じ境遇の身どうし気持ちが通じ合うものがあります。
 なんでも自分でやるという共通の理念も共有しているようです。

 さて、連休の明けた朝、出勤する親たちを見送る子供たちがいました。聞くと、イースターの前後2週間が学校が休みだそうです。
 ということは、オーストラリアの教師たちも休暇が継続していることになります。

 I envy Australian school teacher!

「頑張らなきゃ」より「ダウンシフティング」

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曇天のハーバー。このようなところで船を走らせたらどんなにか気持ちがいいでしょうか。



 時代は人にある種の強烈な行為を強制します。

 もし、1940年代に生きていれば、愛国心を発揚し、戦争に命を捧げていたでしょう。
 また、1860年代に生きていれば、維新の動乱に巻き込まれ、上野の山で薩長軍と戦っていたかもしれません。
 しかし、幸運なことに、私たちの多くは太平の世の中に生を受け、戦争を知らない民族として生きてきました。
 
 もう少し卑近な視点で物事を分類してみると……

 人口が多く、大学に入るのも一苦労し、少し貧しく、世知辛い世代。
 そして、競争する必要もなく、望めばある程度の大学には入れ、豊かで、ほんわかした世代ということも、極端ではありますが言えます。

 私の世代など、1日12時間働くことなど何でもなかったし、むしろ、そうすることが当然であると思っていました。日曜日でも仕事が立て込めば出かけて行ったものです。

 しかし、幼児が少なくなり、子供達と親が別々に暮らすようになった日本では、生き方そのものにも大きな変化が出てきています。

 それは二人の婿殿を見ているとよくわかります。
 彼らはいずれも30代の青年です。

 日本で働く婿殿は、家族思いの優しい青年で、子供が病気になったり、祝い事があれば、ごく自然に会社を休みます。そんことくらいで休んで大丈夫なのとこちらが心配になるくらいです。

 オーストラリアで働く婿殿は、早朝、海に行ってサーフィンをしてから出かけます。つまり、ゆっくりと出社するのです。その分、帰宅は幾分遅いです。ゆったりとした時間の中で仕事をしていてうらやましい限りです。

 日本政府も、長時間労働は仕事と子育ての両立を困難にし、少子化や女性活躍を阻む原因になっていると断じ、働くことのあり方を法律面でも変えようとしています。

 それは大いに結構なことです。

 オーストラリアに居て感じることですが、ここでは働くものの権利が日常的に優遇されています。
 イースター休暇中、スーパーマケーットはほとんどが休業となります。そこで働く人の休日を確保するため、皆が協力と理解を示すのです。
 また、観光地のホテルや飲食店、土産物店では観光客のために店を開けていますが、彼らは平常の倍の給与が与えられることになっています。そうなれば、家族のため、がんばりますよね。そして、別の日に、ドカンと休暇を取ります。

 私の娘も、日本に戻って来る時は、一ヶ月近く滞在します。それだけ休んでも仕事が保障されるのです。ですから、生活に潤いが生まれます。

 私の世代は、「頑張らなきゃ」という世代で、いや、そうしなきゃいけない世代だったのです。まさに、時代に要請されたモーレツ世代であったのです。

 しかし、今の世代はそうではなくなりました。

 「ダウンシフティング」して、より豊かな心的環境を整え、精神的豊かさを優先するようになったのです。これは素晴らしいことです。

 それはさておき、孫の世代はどう変化していくのでしょうか。
 時代は彼らに何を要請するのでしょうか。

レタスはレタス、キューカンバはキューカンバ

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ゴールドコースト市が主宰するイースターのフェスティバル、コンサートに花火と盛りだくさん。子供達もいっぱいいました。



 大相撲に日本人力士がなぜ集まらないか。そんな記事が新聞に出ていました。
 日本人が高学歴になったからとか、東北などの地方が豊かになり、腹一杯食えるという誘いの言葉が通用しなくなったからとその理由を分析していました。
 そのため、モンゴルや東欧からハングリーな若者を集めるようにならざるをえないのだという結論でした。
 五郎丸選手が活躍した去年のラグビー国際試合でも、外国人選手が随分と多くいたことに驚かされました

 日本に3年間暮らして、他国の代表に選ばれていなければ良いというルールがラグビーにはあって、外国人選手がチームに加わっていたのです。これは日本だけのルールではもちろんありません。国際ルールです。
 ですから、全員が日本人以外でチームを編成しても問題がないということになります。

 しかし、プロ野球でもその他のスポーツでも、外国人選手の登録に制限を設けているのは周知の事実です。
 そうした中、日本の国技である大相撲で、どのスポーツよりも国際化がなされていることはなんとも皮肉なことです。

 大相撲で日本人力士が少なくなった原因の一つが日本の人口の減少にあることは自明の理です。
 とりわけ、年齢の若い人口が減っていることは将来にわたる大きな問題です。

 日本でも外国人労働者を受け入れるべきであるとの議論がなされていますが、遅かれ早かれ、そうしなくてはいけない状況下に、日本は置かれるに違いありません。
 コンビニの店員に、アジア人外国人留学生がいることはもはや不思議ではなくなりました。介護施設や農業でも同様です。
 これから多くの職域で外国人が働くことになります。

 そうした時に、当の日本人が、欧米人だけでなく、アジア人に対しても胸筋を開いて接することができるようにしなくてはなりません。
 さげすんだり、暴言を吐いたりはもってのほかです。
 人が大変だと思う仕事をしてくれる外国人に敬意を払うことのできる日本人にならなくてはなりません。

 オーストラリアには、様々な国から人々が働きにやってきています。この地に骨をうずめる気持ちで、しかし、自分を育ててくれた文化を大切にしてくらしています。
 それは当たり前のことです。

 一昔前、「人種のるつぼ」という言葉がありました。
  ……坩堝(るつぼ)とは、異なった金属を溶かして混ぜ合わせる道具です。

 でも、異なった文化を融合させることには無理があります。
  それを知った人々は、今度は「サラダボール」ではと考えました。
 レタスはレタス、キューカンバはキューカンバはとしてあればいいと考えたのです。

 人類の思考の偉大なる前進だと思いました。

思考や感性は、その世界から影響を受けるに違いない……

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青い空、緑の芝生、贅沢な住環境、散歩しながら、ただただ羨ましくなるのは心が小さいからか……



 今生きているこの空間 …… 時が刻まれ、縦横高さのある空間世界。
 その次元世界を不思議に感じるのです。

 私たちは何気なく、本当に何気なく自分のいる世界を普通に息をして、やることをして生活をしています。が、ちょっと空間を移動すると、時間までも普段のそれと異なります。
 つまり、私が、つくばで極めて規則的な時間を過ごし、思索し、生活をしていることが、空間と時間を移動するだけで、そこにまったく違った生活があるのです。

 人々の時間の過ごし方、人生への考え方、暮らし方の物差しも大きく違います。食べ物や美意識、ものの見方も、価値観すべてが違うのです。

 それは歩んできた歴史の違い、育んできた文化の違いによるものです。
 そして、その歴史と文化は今、大きな交わりの機会を得ているのです。移動手段の快速化はもちろんですが、それ以上に大きなことはネットの急速な進歩、つまり、つながりです。

 ネットは、人類の環境を明確に変えています。
  いったい誰がそういう世界を想像できたでしょうか。

 私は、人々は、人類史上極めて偉大な時代を生きているのだと思っています。

 テレビ放映が始まったその瞬間を目撃し、やがて、テレビ放送はカラー化し、それが日常となります。テレビ以外の電化製品も日常的に行き渡り、あらゆる生活が「文化的」になりました。
 それだけではありません。
 宇宙に人類が進出し、太陽系の外にまで踏査の域が広がりました。
 これは第二の「大航海時代」の到来となるはずです。

 そして、技術革新は社会主義を時代から排除しました。
 思想は、現実の豊かさと自由な精神の在所の下に降ったのです。
 軍用技術であったインターネットはその原点から離れ、すべての人類の共通の「手段」となり、それを恐れる一部の国家がネットを遮断するまでになりました。

 今、ネットを使って、地球の反対にきても、日常と同じ活動がいとも容易に展開できるのです。それも、特別な選ばれた人間ではなく、普通の人間が意志を持つことでなされるのです。

 このことで、人の思考や感性も、少なからず影響を受けるに違いありません。

 私の孫は今、保育園に行っています。
 まだ、1歳になったばかりで、親元を離れ、様々な国からやってきた子供たちとひと時を過ごしているのです。それも英語での世界です。

 きっと、世界からここに集う子供たちの思考や感性は、大きく影響を受けるに違いありません。

南十字星の星の下から

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娘の家の前にある、なんともオーストラリアらしい通りです。



 イースター休暇が始まったオーストラリアのゴールドコーストに今います。

 およそ1年ぶりの再訪です。
 サーフィンをやるとうわけではありません。サンクチュアリーでカンガルーやコアラを愛でる旅でもありません。
 この地で暮らす娘と孫を訪ねる滞在です。

 この歳になると、孫と一緒にいるのが一番癒されます。
  純粋無垢な姿と、どこか自分に似た面影が癒される一因だと思います。
 
 南半球のオーストラリアは、夏から秋に向かう季節の境目にあたります。
 街の人々はランニングシャツに半ズボン、そして、ビーチサンダルか何も履かずにはだしで街を歩いています。
 自由で、いいです。

 今日から来週の月曜日までがイースター休暇ということで、街中がほんわかとしています。
 イースター休暇で8割がたの店が休業しています。
 ここでは働く人も休暇を取る権利が保障されているのです。

 オープンしている店は幾分割高で客に対応しています。
 ゴールドコースト国際空港について、近くのカフェで朝食をとりましたが、ポーチドエッグとコーヒーで1人1800円近くも取られました。
 娘によると、休日にオープンする店で働く人は、普段の倍の給料をもらうそうです。この地には、ブラック企業はないようです。

 今日からしばらく、つくばの街を離れて、ロビーナの街を歩きながらいろいろなことを考えたいと思っています。

 白い鸚鵡の集団が今、奇妙奇天烈な鳴き声をあげながら屋根の上を飛んで行きました。
 人の笑い声に似た鳴き声で有名なクッカバルが道筋のゆうかりの木にいるようです。これも奇妙な声で鳴いています。

 土地柄が変われば、鳥も樹木も、その地域にあった雰囲気を醸し出します。
 この幸せが満ちる国柄、誰もが自由を謳歌する国柄、幾多の民族がお互いを理解しようと努力する国柄が満ちる土地で、どんな思いに巡らすのか、楽しみなことです。

野にある意義

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菩提寺の鐘つき堂。春のゆるやかな日差しを受けて佇んでいます。



 明治13年も押し迫る頃、慶応義塾の福沢は、明治政府の参議、伊東博文・井上馨・大隈重信の三名に呼び出された。そして、政府の法令発布を広報する新聞の発行を依頼された。

 しかし、野にあることを貫きたい福沢は、官につくことに乗り気ではなく、それを断ろうと考えていた。
 
 年が明けた明治14年1月、福沢は自らの気持ちを告げようと井上を訪ねた。
 井上は翻意を促すため、福沢に英国議院内閣制を採用する計画があることを内々に伝えた。日頃の主張と合致する計画が進められていることに感動する福沢は政府公報紙の発行を引き受ける。

 ところが、3月に大隈が突出する。

 建議書を独断で出すのだ。これを契機に福沢門下生も憲法私案を公表。自由民権論者からの意見も出始めめ、政府は困惑してしまう。
 
 憲法・議会開設は、薩長を中心とする政府の在り方を根底から覆す一大事であったからだ。

 その年の夏、北海道開拓使官有物払下事件が発覚する。
 そして、薩長藩閥政治を糾弾する騒ぎが起こる。数千万円という巨額の資金を使った官有物が薩長閥の会社にただ同然で払下られるのである。いい加減にせよとの声は燎原の火のごとく広がり、巷間は革命前夜と思うばかりの声に満つる。

 これにより、大隈と井上・伊藤の三人の結束は崩れた。
 井上・伊藤は保守派と結託し、明治14年10月12日、大隈は辞表の提出を迫られて下野する。
 また、慶応出身の官僚たちも解雇されていった。
 これが、かの有名な「明治14年の政変」である。

 下野した大隈は、都の西北の野っ原に「東京専門学校」、のちの早稲田大学を作る。当然、政府内からは反乱分子養成学校と目され、監視対象となった。

 福沢は、政府公報紙発行の準備活動を、不偏不党の『時事新報』発行に切り替え、明治15年3月1日にその初号を発刊した。

 官製学校からではなく、自由闊達なる人材を育成せんとする日本の二大私学は、こうして出発をし、発展をしていった。

 野にあって、ことをなす!
  これは日本の歴史の中で誇るべき出来事なのである。

果たして、自分は何をしたいのか……と思うあなたへ

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綺麗な蕾です。花はこういう時が一番綺麗だと思います。この蕾もこれから短い一生を過ごし命の種を残していきます。命って素晴らしいです。



 学生の頃、就職活動というのをした記憶がない。

 就職課に出かけて行き、そこの張られている掲示板にあった一文が理由の一つである。
 張り紙の一番下に「ただし、文学部を除く」文学部の学生は役に立たないと烙印を押されているような気がして萎縮してしまった。
 今では許されない差別的文言である。

 でも、友人と、代々木ゼミナールで行われたある新聞社のテストを受験しに行った覚えがある。
 出た問題は、月と地球の距離であり、日本が1日に輸入する石油は何バーレルかというもので、まったく歯が立たなかった。それもそのはずで、大多数の受験生が受験対策に、1年をかけて「新聞ダイジェスト」を読み漁り、傾向と対策を講じてきているのである。
 気楽に受験するなどもってのほかであった。

 果たして、自分は何をしたいのか。
  若いとき、誰もが問うありきたりの自問である。

 しかし、あの若さのときに、自分が生涯をかけてやれるものなど見つかるはずもない。

 縁があったところに行って、そこで揉まれ、苦しみ、ときに、いい仕事をして、初めて自分が何者かがわかるのだ。
 私が学んだ中国文学科では、私を含め、多くが教育界へと入っていった。
 中には、縁故で商社に行ったものがいるが、これなどは例外である。

 今、いい歳になって、年賀状のやりとりくらいしか付き合いがなくなったが、それぞれがそれなりのあり方で生き残っている。
 それぞれが自分にあった生活を楽しんでいるのだ。
 
 それでいいのではないかな。



大相撲中継を見ていて、ふと、爺さんのことを思い出した

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「サンシュユ」という木の花である。江戸時代に中国から渡来してきた花だそうである。つくばではこの木の花を見かけることが多い。



 むかしむかしのこと、NHKの相撲中継を爺さんが楽しみに見ていた。

 爺さんは、東武鉄道を退職し、退職金のすべてを一夜で使い果たしたという逸話を持っている。どこでどう使ったかは詳しくは聞かなかったが、一夜で使い果たすのだから、さほど多くはもらっていなかったのだろう。

 その爺さんには3人の男の子がいた。
 その3人の家をぐるぐる回って、爺さんは生活をしていた。だから、3ヶ月に1回、爺さんは我が家にやってくる。

 朝、廊下で立膝をしながら、新聞を時間をかけて読んでいた。
 普段はかけない眼鏡もこの時はかけていた。
 母がお茶を入れる。その茶碗は相馬焼の古めかしい二重湯のみであった。

 昼間は、庭にしつらえたひょうたん池の掃除や植木の手入れをしていた。
 もうしなくてもいいと子ども心に思うが、それでも、結構な時間をかけて、枝の一本一本に気を配っていた。夜、父が帰宅すると、テレビを見ながら、2時間ほどかけて、2人で晩酌していた。

 父は次男であった。
 長男は当時の国鉄で保線を担当し、三鷹で官舎暮らしをしていた。3男は板橋で事業を起こし、その時は羽振りが良かった。
 でも、晩酌が出来るのはお前のお父さんの家だけだと、何かの折に、爺さんから聞かされたことがあった。
 父だけが大学を出ていない。
 他の二人は大学を出ている。だから、戦争の時は二人は将校で、父は近衛騎兵の兵長であった。父はソ連抑留を体験している。爺さんは日露戦争に従軍している。
 だから、2人はウマが合うのだと、爺さんが言っていたような気がする。

 父が帰宅するまで、テレビでの大相撲中継を見るのが爺さんの日課であった。まるで、大相撲中継を見るために我が家にやってきたのではないかと思うくらいであった。
 そのため、子供の頃から相撲を見てきた。

 昭和の30年代であった。
 皆が貧しく、しかし、近所同士助け合い、いじめなどなかった平和な時代であった。
 人もさほど多くはなく、ただ、子供だけは周りにたくさんいた。だから、こどもの声があちこちから聞こえていた。
 いい時代であった。

 そんな時代もあったのだと懐かしく思いながら、郷土の力士稀勢の里の勝ち相撲を見た。



それもこれも人情というやつである。

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つぼみがぷっくりと膨れてきている。春の一番好きな光景である。



 争いが起こると、一党は与するものに忠誠心を求め、大いに活況を呈する。しかし、形勢が不利になると、人はあれこれ方便を使って、身を安全な場所に置きたがる。

 これが人情というやつである。
 誰だって、自分や家族に犠牲を強いてまでも、信念を優先させることに躊躇するものである。

 その事実を知っておくことは、人が世の中を生きていく上で極めて重要なことである。

 人の心の弱さ、移ろいやすさ、脆さ、そして、裏切ることへの正当性を見つける巧さ。まさに、人の心は日々の糧に傾くのである。だから、ことを起こす際には、人の心のあり方をよく知って動かなくてはいけない。

 それを知った上で、孤立無援の戦いに臨み、あるいは、信念に基づく戦いに挑むのだ。
 
 人が世の中で生きていく時、必ず心しない「争い」がおき、右か左かの選択をせまられる時がやってくる。また、自分がその争いの中心に位置するかもしれないのだ。

 若いうちは、その時のために、勉強をしていると思わなくてはいけない。
 テストに良い点を取るためではなく、人生を左右する一大事に身を置くために勉強するのだという気持ちが肝要なのだ。

 君子、危うきに近寄らずという言葉がある。
 争いに与しないという手もあるが、なかなかそうもいかないのが現実である。
 争いは、奪取するかしないかである。
 大きな一党でも、小さな一党でも、人が集まればグループが生まれ、奪取するかしないかのゲームが始まる。一党にある以上、それに我関せずにはいられない。

 それも人情というやつである。
 
 人という生き物は、争いが好きだ。争って、後悔して、あるいは、信念を貫いたことを誇りに思って、人生を振り返る。

 それやこれやも人情というやつである。




プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《5/25 Thursday》
       
❣️<Puboo!>にて、『千年の哲学ー女は賢くなり、男たちはただ老け込むだけだった』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Paper in NY>で、『Hot night. People relax at a beach. And they buy food fried chicken. 热的夜晚。 人们,在海滨放松。并且,他们买干炸鸡。』を公開しました。


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