ある日の図書館にて

kasamanomaturi
笠間のつつじ祭りでの一コマです。観音さまのお顔が少々小さくなりました。


 大学病院に行った帰り、散歩がてら、公園通りを少し歩いて、図書館に寄りました。

 私は、図書館では、いつも「立ち読み」です。
 なぜ、座って読まないかと言いますと、隣の人の動作が非常に気になるからなのです。
 神経質ということではないのですが、ページをめくる音(自分のも含めて)、筆記している時の音(これもそう)、ましてや、隣席の人がうつ伏せになっていると、どうでもいいことなのに、気になって仕方がないのです。

 もう一つ、図書館で座って読まない理由があります。
 それは、書架と書架の間のデッドスポットが好きだということです。そこの壁にもたれて、好き勝手に本をめくるのです。デッドスポットと言っても、まるきり、誰からも見られない、誰も来ないという場所ではありません。しかし、そこにもたれかかっていると隣人の振る舞いも気に障る雑音にも悩まされないで済むのです。

 それにしても、図書館というのはここ何年、いや何十年も、何ら変わっていないと思いませんか。

 私が、”今よりもずっと若く”、そして、幼かった時、「移動図書館」というのがありました。
 それが軽快なメロデイーを流してやって来ると、公園での遊びをやめて、水飲み場で手を洗って、半ズボンのお尻で手を拭いて、その大きな車内に入って行ったものです。
 そして、当時夢中になっていた「画報」を手にして、車のそばの地べたに腰掛けて読んだものです。
 宇宙旅行のこと、エジプトのピラミッドのこと、アスカの地上絵のこと、超常現象など、あの時に読んだことが大人になっても、「興味関心の対象」になっているのですから素晴らしいことです。
 書物というのは、やはり、人に影響力を持つものだと言えます。

 その大切な意義を有する図書館に変化がないということは問題です。

 ついこの間、旅先のゴールドコーストで、地元の図書館に出かける機会がありました。
 驚きました。
 図書館が活況を呈しているのです。本を読み、調べ物をしている人のそばで、乳飲み子を集めて、司書が歌を歌い、ゲームをして遊ばしています。そこには、祖父母もパパもママも来ています。
 きっと、その他の活動もおこなっているはずです。
 小学生対象の集い、老人対象の集い、あるいは、障害を抱えている人、問題を抱えている人、そうした人のために、図書館としてできる何かをしているのだと思います。
 図書館としてのあるべき姿を逸脱していると考える向きもあるかと思いますが、一人一人が寛容でさえあれば、多少のざわつきなど気にしないということなのでしょう。
 それより、地域の図書館が活況を呈する方が素敵なことなのでしょう。
 
 活況を呈するようになれば、多少の音は我慢しなくてはならないし、ページをめくる音など気にならなくなります。ましてや、うつ伏せになって眠る人など図書館にはいなくなります。

 日本の公共図書館は、今、過度期にあると言われています。
 豊かになった日本では、皆が書物を買うようになれたこと。また、ネットの普及で本を読む人が減ってしまったこと。それゆえ、図書館に税金をかけることに異論も出ているということです。

 書物は、学校と同じように、人に力をつけてくれるものです。

 ですから、図書館が活況を呈することは、その国の文化の度合いを示すものであるばかりではなく、公共施設として価値ある場となる基本の姿なのです。

 日本の図書館で、小学生たち、老人たちを集めて、ビデオを見せたり、朗読を聞かせたり、あるいは、母親たちを集めて、子供たちに読ませる本の紹介をしていたりする光景を、私は書架のデッドスポットで、ちょっと想像してみたのです。

 移動図書館がやってくる、あのワクワクした気持ちが、ここにもあったらいいのにと。
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歴史はそれを誤用したものに仕打ちする

asanoasano
夜が明けます。太陽が東の空から間もなく顔を出します。こういう時を「かぎろ日」というのでしょうか……
下線文
 『米国と日本は「同盟関係」を築くだけでなく、
  戦争を通じて得られるものよりももっと多くのものを国民にもたらす「友情」を築いた。』

 広島でのオバマ大統領のスピーチの一節を聞いて、言葉に敏感な中国政府は「衝撃」を新たにしたのではないかと思います。

 どういうことかと言いますと、アメリカは「謝罪」を公式にはしない。そして、日本も「謝罪」を公式には求めない、その上で、アメリカ大統領は『友情』という言葉を使ったのです。
 政治家が語る希薄な「謝罪」より、「友情」という言葉は、どれだけ強く大きかったかということです。
 それを中国政府は確認し、「衝撃」を受けたのです。その証拠に、王毅外相のトンチンカンな発言が報道されました。

 被爆した多くの方々は、アメリカ大統領が広島に来られたことに涙していたのです。被爆し、家族を失い、大変な思いをして生きてきた人が、笑顔で大統領を迎え、大統領はその話に耳を傾けたのです。そして、その姿は全世界の人々の目に届けられたのです。
 ですから、中国政府の方々がいくらコメントをしても、それは何の意味ものない言葉の羅列に過ぎなかったのです。

 中国政府は、広大な太平洋をアメリカと二分しようと持ちかけました。
 しかし、習近平主席の誘いにオバマ大統領は乗りませんでした。ついこの間なされたワシントンでの両者の会見の、とりわけ習近平主席の憮然とした表情が思い浮かびます。
 そうした経緯のある中、アメリカ大統領は、かつて、太平洋を二分し、当時世界最大規模の海軍力と航空兵力を使って、覇権を争った敵国日本との「同盟」の成果ばかりではなく、両国政府及び国民の「友情」にまで言及したのです。

 ここには、洗練された両首脳の国際感覚が見て取れます。

 人も国家も過ちを犯します。
 しかし、当時の情勢の中で、もっとも良いと思うやり方でことは運ばれたのです。それが、時代を経てよろしくないと明確に判断されてもです。それが「歴史認識』というものです。
 ですから、アメリカは「謝罪」をしないのです。
 そして、日本もまた、当時、無謀ではあるが、やむなしの開戦にいたり、悲惨な結末を迎えた「歴史」を持ちます。それゆえ、「謝罪」を求めないのです。

 過去の出来事をことさら歪曲して、執拗に「謝罪」を求めることがいかに下品で、醜いことかを中国政府は知る必要があります。

 天安門での虐殺事件は、自らの体制を維持するために行った悪行であることはひた隠し、自国の体制を堅持するために、アメリカに、日本は共通の敵であると吹聴し、肩を組むことを求め、内にあっては、教育を活用し、あるいは、大衆を扇動し、日本を悪者に仕立て上げようとしているのです。
 私にそうとしか思えないのです。

 一人のモンスター・ペアレンツを思い出します。

 その方は、ある有名なプロスポーツ選手のご親戚です。
 その方が、学校にねじ込んできました。自分の子はいじめられている。学校の責任で相手を処罰せよというのです。
 いじめがあるので、なんとか善処して欲しいというのならわかりますが、これはちょっと変な要求です。
 調べてみると、どうも、親同士で気に入らない何かがあったようです。ですから、学校を脅して、相手に相応の傷を与えようという魂胆であるということが分かってきました。

 学校はそのくらいのことはすぐわかるのです。なぜなら、子供達は正直ですから、ちゃんと話をしてくれるからです。

 スポーツ選手の親戚であり、ご主人は医師です。ここにも、この保護者の優越感が見て取れます。
 その医師である夫がやってきて、強硬にねじ込んできます。学校は対応を渋っている、あげくに、出るところに出るとまで言います。学校は実に困ったという顔をします。

 しかし、それは顔だけです。
 というのは、その医師が学校に来る前に電話をよこして、困った顔をしてほしい、そうすればあとは自分でなんとかするというのです。つまり、そういう癖を持った母親だったのです。
 医師である夫は、ほとほと手を焼いているようですが、どうにもならないようです。

 中国政府もその親と同じなのです。
 経済的優位性を手にし、かつての大国意識、中華思想がかの政府に優越性を与えているのです。端っこにあるちっぽけな国など蹴散らしてくれるわという勢いなのです。
 しかし、中国の国民たちは正直です。良い品物を求めに、この「小さい日本国」を訪問してくれます。

 つまり、この政府の日本バッシングは、正当な判断、一点の揺らぎもない確信があってしているのではないのです。何か魂胆があって、アメリカを使い、東南アジア諸国を使い、韓国を使おうとしているのです。それで、ダメなら、さっさと手のひらを返していくのです。
 対米、対韓国の扱いの変化を見ればそれがよくわかります。

 しかし、中国政府にもなだめる「医師」がいるはずです。

 それは、年若い「人民」たちです。
 人生を謳歌することを知り、可愛いものを愛で、自由にものを考え、好きなことに時を費やすことを知る人々です。そういう年若い、何億という人が将来「医師」となるのです。
 
 歴史は人類の将来を考える上で大切な分野です。しかし、単なる過去の出来事に過ぎません。
 それに拘泥すること、それを枷として相手を責めることは慎まなくてはいけません。そうでないと、「歴史」に仕打ちをされてしまいます。

 「歴史」に虚仮にされないように、まず、己が己の「歴史」を振り返る必要があるのです。

 オバマ大統領のスピーチが多くの感動を与えたのは、「歴史」の中に、悪者を作らずに述べていたからです。
 政治や経済での分野では物足りないとか、冒頭のスピーチでは主語が抜けて、誰が落としたのかが曖昧になっているとか、いちゃもんをつける方たちも当然います。
 人それぞれ考えがあるのですから仕方がありません。また、それを許容するのが私たちの社会です。
 
 歴史の刻まれた瞬間に居合わせてことに誇りを持ちたいと思うのです。

なんで、こうなのだろう。

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初夏、クモの活動が活発になります。クモは仏の使いと聞いたことがありますが、その形相は凄まじいものがあります。クモの巣も厄介です。なぜ、仏様の使いなのだろうかといつも考えてしまうのです。


 一旦は丁寧にしまいこんだ釣具ですが、ひょんなことからそれを引っ張り出しました。
 ロッドにリールをつけ、糸を通します。ロッドを軽く振ってみます。見事なしなりです。ガレージの棚に埃をかぶったままの小物ケースも引っ張り出します。おもりも、仕掛けも、高価なハリスも健在です。しかし、それにしても、こんなに多くの仕掛けを買って、使ってもいないなんて、随分と贅沢な遊びをしていたと我ながら呆れ返ります。

 夢中になって小物を整理していると、時間の過ぎるのを忘れてしまいます。
 お昼を食べてから始めた作業はもう夕刻になっていました。

 そうだ、釣りに行こう、と西日が差し込むガレージで、思いました。

 一旦思い込んだら、居てもたってもいられません。
 iPhoneで明日の天気予報を見てみます。
 雨はなし、気温はさほど暑くない。気になるのは風です。少し風力があるようです。数値は4です。東京湾で釣りをするには大して影響のない強さです。でも、今回は船には乗りません。私が整えたのは陸っぱりの道具です。

 さて、鹿島か、磯崎か、はたまた、大洗か。
 釣りをするには万全の天候とは言えませんが、止むに止まれず、明日、行くことを決めました。

 おにぎりを持って、ぶどうを持って、気持ちはピクニック気分です。
 霞ヶ浦大橋を越えるあたりで、車窓から見える樹木が風に吹かれている様が見えるようになりました。
 一抹の不安が心をよぎりしました。

 海の天気は、予報と違って、急激に変化するのです。
 この風は、釣り場の状況が決してよくないことを暗示しています。でも、おにぎりを持って出かけてしまったのです。行くしかありません。
 鹿島の工場群が、アントラーズのホームグラウンドを過ぎるあたりから見え出します。そこの煙突から上がるけむりは、真横になびいているではないですか。
 ああ!としか言いようがありません。

 今日は平日、港で釣りをするのは気が引けます。
 なぜなら、働いている人たちがきっといるからです。その人たちを横目にして悠長に釣りなどできません。ですから、今日は県営の釣り公園に行く算段をしていたのです。あそこなら、きっと風は吹いていないなどと非科学的な推測をして、車はその釣り公園に到着しました。

 先着の車が2台駐車しています。よし、やれるぞと思うものの、周辺に停泊している漁船のロープがブンブンと風で揺れています。嫌な予感がしてきました。
 車を降りると、事務所のガラス窓の向こうで、女性が両手を上に上げて、ばつ印を作っています。
 それでも、私は事務所に、向かっていきます。
 一縷の望みを託して……。

 「今日は風がこのようなので閉鎖です。今度来られる時はあらかじめ電話してきてください。無駄足にならなくて済みますから。」

 丁寧に言われました。

 なんでこうなのだろう。
 居てもたってもいられず、浮き足立った軽率な行動が、この結果です。

 風の吹き寄せる港で、漁船がゆらゆらと揺れるのを見ながら、一人、でかいおにぎりを頬張りました。

私は傘

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朝霧のかかったつくばの田舎の風景です。ほっとするような、懐かしみのある景色ではありませんか。



 私の生まれたところはロンドンです。
 もう少し詳しく言いますと、トッテナムコートロードに店を構えるスミスさんのお宅で生まれたのです。なんという家でもないのですが、道の角にあって、19世紀の中頃にはもうあったというからたいそう古い家なんです。

 そこへ、私のご主人がやってきました。
 私のご主人は、遠くアジアの東の果ての小さな国からやってきて、ブリティッシュ・ミュージアムの近くに宿を取り、しばらくここロンドンに滞在していたそうです。ご主人の国では、このミュージアムのことを「大英博物館」とたいそうな呼び方をしているそうです。笑ってしまいます。

 そのご主人が好んで歩いていたのが、ミュージアムのあるカムデンからコベントガーデンまでの往復の道なんです。いくつもの、そして、ありとあらゆる店がそのルートにはあります。小さな八百屋まであるんです。それに所どころに大きな樹が植えられていて日陰もあります。そして、この樹にはいっぱいの鳥たちが暮らしています。夕方など賑やかさを超えて、うるさくさえあるのです。
 そんな中、ご主人はよくリンゴだとか桃を一つ二つ買って、かじりながら歩いていたそうです。

 コベントガーデンには、マーケットがあります。
 古本やアクセサリー、ハーブやちょっとした小物などが露店で売られています。そういうのが好きなんですね。それに、交通博物館もあるんです。
 きっと、ウインドーショッピングを楽しみ、露店の主人とさりげない会話をし、博物館で時間を費やして、ロンドンでののんびりとした生活を満喫していたのだと思います。

 そのご主人が私のいる店にやってきたのは天気のいい日の夕方でした。
 手にはかじりかけのリンゴを持っていました。いきなり、私の前に立ち、リンゴを床に置き、手をズボンでこすり、私を手に取ったのです。どうやら、私を気に入ってくれたようです。スミスさんはご主人に丁寧に私のいいところを説明してくれています。

 そうそう、私のことを少しお話しします。
 私は、ソリッドスティックアンブレラと言います。ヒッコリー、つまり、クルミの木一本を、曲げたり、穴を掘ったりして、丁寧に作られているのです。この国の紳士たちは、私たちをステッキ代わりにもお使いになります。それだけ丈夫ということです。

 どうやら、東の国から来られたご主人は私を引き取ってくれるようです。
 スミスさんの息子さんが私をご主人の身長に合わせて、少し長めの足、足と言ってもわかりませんね。「石突き」と言われる部分です。私たちはかなり長い石突きを持って店におかれているのです。それを引き取ってくれる方の身長に合わせてカットするのです。
 さて、私もご主人の背丈に合わせて、石突きが切られました。これで、私はすっかりご主人のものとなりました。

 以来、私は遠く西の果ての小さいが大きい国イギリスから、東の果てのこれも小さいが大きい国にやってきたのです。しとしとと降る国から、ザアザアと降る国へとね。

 今朝、私はウッドデッキの陽のあたる心地よい場所で日向ぼっこをしています。昨日、大変な雨の中、ご主人と出かけ、いっぱい働いてきたご褒美です。
 そして、広げられた私が作る日陰に、一輪の百合の花が清楚な花瓶に入れられておかれているのです。

 懐かしいなと私は思いました。
 実はスミスさんは百合の花が好きで、トッテナムコートロードの店によく飾っていたのです。
 
 シーボルトという人が日本の百合を欧米に紹介して以来、この花はロンドンの人たちの羨望の的となりました。細い茎に大きな花をつける百合は、きっと、小さな傘をさす貴婦人のようだったのでしょう。

 ですから、今、私、少し心をときめかしたいんです。
 大きく手を広げた私の中に小さな貴婦人がおられるのですからね。

 東の国の小さいが大きい国に来て幸せですかって、それはもちろんです。

それは神の使いだった。

kappabashino
若冲展に入れず、浅草界隈を歩きました。電線の本数のすごいこと、その向こうにあるスカイツリーのすごいこと。


 私はKFCが大好きです。だから、焼き鳥も好きです。オーストラリア人が言うところの「カラエイジ」なる唐揚げも好きです。
 つまり、鳥料理が好きなのです。

 宮崎に仕事にでかけたことがあります。
 土地の人に連れられて、市内の何ということもない店で、名物の地鶏料理をご馳走になりました。使われている肉は、地頭鶏(じとっこ)と呼ばれる宮崎特有の鳥だそうです。

 食してみて、その美味しさに驚かされました。
 炭で焼かれて、幾分黒くなっているその鶏肉は、串にささっていません。ゴロゴロと肉の塊で出てくるのです。まず、これに驚きました。
 食べてみてまた驚きました。脂も適度で、噛み応えもあり、噛めば噛むほど、味が深くなっていくのです。今まで食したどの肉よりも美味しいと私は感じたのです。

 ところで話は変わりますが、今、『一門』という作品を発信しています。
 それを書くにあたり、いろいろなことを調べていく中で、面白いことに記述に出会い、それがために、すこぶる時間を費やしてしまうということが何度となくありました。

 その一つに、私の好きな「トリ」の話がありました。

 壇ノ浦の決戦を前に、熊野別当の湛増は、源氏に味方するか否かについて、神意を問うべく、社前にて赤と白のニワトリを戦わせたというのです。その結果、赤のニワトリは白のニワトリを見て逃げ出したので、湛増は源氏に味方するとを決したというものです。

 このことから、新熊野権現田辺の宮という社は「闘鶏権現社」と称されるようになったというお話です。
 なんともへんちくりんな社の名前ではないですか。

 しかし、こうした記事を見ていると、トリは食材というより神の使いとして、元来はあったのかなと思うようになります。

 さらに調べてみますと、平安の時代には、『鶏合(とりあわせ)』という行事が、宮中で旧暦3月3日の節句の行事としてありました。その他、春の行事の一つとして平安貴族の間に流行ったようでもあります。それが庶民にも伝わり、「闘鶏」という遊びが広く行われるようになったのです。

 そのニワトリの祖先は、南アジアに多く生息する「セキショクヤケイ」です。漢字で書けば、『赤色野鶏』とでもなるのでしょうか。

 読んで字の如し、赤い羽根を持つ鳥です。
 この鳥、闘争心の強い雑食の鳥です。飛ぶことは不得手で、樹上で休むために飛ぶくらいだと言います。きっと当初は、朝の時刻を知るために人間が身近くに置いたのでしょう。そのうち、オス同士の戦いが面白くなり、昔の人々はその勝ち負けを占いに活用し、そして、その上で、その肉のおいしさにも気づいたのでしょう。
 
 今の時代は、アメリカ式の養鶏が導入され、ニワトリの肉や卵は尽きることなく供給されていますが、私の母などに聞くと、昔は、その肉や卵は随分と貴重なものだったようです。きっと、ニワトリは農家で細々と飼われていたに違いありません。その肉も噛み応えがあったのではないかと思います。ちょうど、宮崎の地鶏料理のように。

 どうやら、私の好きなお肉であるニワトリにも計り知れない歴史があるようです。

程よい速さで……という哲学

asanohikaritokumo
早朝、散歩に出ていると、東の空に「天使の階段」が見えました。昔の人はうまいことを言ったものです。


 車に乗る機会が随分と減りました。

 VWのビートルが好きで、車検が来る前に新しいのに乗り換えるというディラーが喜ぶ乗り方をしてきたのですが、今は、そのビートルに乗るのは土浦の港に行く時くらいです。
 子供が小さい頃は、どこへ出かけるにも車でした。
 子供を連れての小旅行では、その方が安かったのだと思います。もちろん、運転することも楽しんでいました。

 今は、というより、ここ数年は、東京に行く時も、,湘南に行く時も、電車が主となっています。その方が、楽チンなのです。随分と横着になったものです。

 しかし、ちょっとした変化もあります。
 ちょうど車から電車へと移動手段が変化した頃のことです。私は何を思ったか、「自転車」が欲しいと急に思ったのです。思ったら制御がきかないのが私の欠点です。

 まず、「自転車」の種類から検討を始めました。
 結局、初心者が乗るクロスバイクは除外され、つくばの街の状況から山道を走ることはないということで、マウンテンバイクも除外され、残ったのはあの細いタイヤにドロップハンドルのロードバイクとなりました。もしかしたら、私の脳の中に潜在的に「それ」があったのかもしれません。
 そして、市内の専門店に行き、自分の身体にあったバイクを調整してもらい、それなりの服装も整えたのです。
 
 何をするにも、まずは、「形から」が私の原則です。

 ピンデイングペダルをつけて専用の靴をつけて走った時には、その操作に慣れずに、すぐに靴がペダルから外れずに、衆人環視の中、転倒するという恥ずかしい思いを何度かしましたが、今はイッパシのライダーとなっているから面白いです。

 車に乗る回数と反比例して、ロードバイクに乗る回数は増えました。
 風を切る心地よさはもちろんですが、程よい速さでものを見ることができることが一番なのです。

 つくばには現代的な街並みが整っています。そして、近代的な都市開発は今も続いているのです。ですから、そこを走ることは爽快そのものです。しかし、それだけではないのです。つくばには古い街も併存しています。風情のある街並み、歴史ある道があるのです。

 そこは車で走れば見落としてしまう場所です。ロードバイクはそうではありません。

 おや、あの社は……と気がつけば、引き返すことができます。そして、じっくりと見ることができます。随分とつくばとその周辺の村々を巡りました。それは実に新鮮な発見の連続でした。

 目的地へ急ぐという走りから街や道を楽しみながら寄り道する走りへと変化したのです。人はきっと自分の持つ力と相談して変化をしていくものなのでしょう。私は今の私自身の変化を楽しんでいます。

 程よい速さで何事も進めていきたいというのが今の私の哲学なのです。

今の時代、「有酸素」学習の重要性

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田に水が張られました。つくばでも美しい季節の姿の一つです。田に映る筑波のお山はひときわきれいです。


 有酸素運動というのは、ウオーキングや自転車を使っての運動を言います。
 この運動は、ある一定の時間、比較的弱い力を筋肉にかけ続ける運動です。その時、使われるエネルギーが体内に蓄えられている体脂肪です。そして、その体脂肪を燃焼させる時に酸素が用いられるから、「有酸素」という言葉が使われるのです。

 バーベルを持ち上げたり、腹筋を鍛える時、私たちは息を止めます。
 そして、筋肉にためておいた糖質の一種であるグリコーゲンを使って、瞬間的なエネルギーを発生させます。これが「無酸素」運動です。

 現代人の大敵である太りすぎを克服するには、瞬間的で強烈な「無酸素」運動より、ゆったりとした「有酸素」運動のほうがいいと言われています。

 それはまた、勉強を効率的に向上させる際にも、実は言えることだと思います。

 低学年ではよく勉強ができたのに、高学年でいきなり学力が失速するという事例がまま見られます。
 その原因は親や学校から強いられて、比較的長時間机に向かって勉強をしていたためであると思われます。4時間も6時間も勉強すれば、それは成績は上がりますが、何年もそういう状態を子供が続けるのは良くありません。
 この長時間机に向かって、しゃかりきに学習するスタイルこそ「無酸素」学習なのです。
 その直後の試験には極めて有効ですが、長期的な、かつ本質的な成長には役立たない学習の在り方です。
 むしろ、低学年の時は、少なめの学習時間で、高学年になるにつれて少しづつ伸ばしていくのがいいのです。それも1時間程度から3時間程度が最もいいのです。

 私たちの集中力というのは、さほど優れたものではありません。もちろん、努力で幾分は左右されることではありますが、最も効果的に成果をあげることができれば、それに越したことはありません。

 ハードな「無酸素」学習をすることで、素晴らしい成績を上げて、立派な学校への合格を勝ち取ることになるかもしれません。でも、確証があるわけではありません。受験というのは水ものですから。ですから、それが本当に良いことなのかと考えてしまうのです。

 勉強はよくできるが、何か一つ大切なことを欠いているという子を幾度か見てきました。
 仲間内でトラブルを起こしたり、いじめ行為の表面ではなく裏側にいたり、悪さをしてもそれを正当化したり、あるいは、自分の非を他に転嫁したりする子です。
 私は、「無酸素」教育が生んだ弊害だと思っています。

 一方、世の中には、勉強が嫌いでも、名のある学校に行っていなくても、立派に、むしろ、人のためにと活躍している人をたくさん見ることができます。
 この方達は、きっと「有酸素」学習をしてきたのではないかと思うのです。
 
 これからの時代、IOTとか、ITとかが子供たちの学習環境に大きな割合を占めてきます。
 なおのこと、「無酸素」学習では立ちいかなくなります。
 機械にはない「心」を大切にする意識をそれぞれが持たなくては、機械に負けてしまうからです。ですから、「有酸素」学習を心がけて、社会に出て役立つことができる人材にならないといけません。

 私の世代は「無酸素」学習全盛の頃でしたから、なおのこと、そう思うのです。
 孫の世代と同じ子達が人生をより豊かに生きていくために、「有酸素」学習は必要な勉強のあり方だと思うのです。

気がつけば、マッキントッシュだらけ!

tanokemuri
まだお寺の鐘のならない時から、働いている人がいます。地道な仕事をして、生活をして、笑顔を満面にたたえる人たちです。


 iPhoneSEを発注してから一ヶ月、やっと私の手元に届きました。これはシムフリーのiPhoneです。
 すでに我が家に送られてきていたDMMの3GBの通話シムを挿入します。
 あっという間に、すべてが完了しました。
 新しい携帯電話を、私は10か月ぶりに手にしたのです。

 さて、私の机の中には、3G・4S・5と三つのiPhoneが「秘匿」されています。これらは、すでに電話としての機能は消滅しているものです。

 さて、それらをどうするか……です。

 そこで、つくばセンターにあるiPhone買取店に持って行くことにしました。どうせ、使わないのだから、売ってしまおうという魂胆です。
 いったいどのくらいの値段になるのだろうか。ネットではかなり高額な値段が示されていました。期待に胸をときめかせながら車に乗り込みます。
 
 店について、iPhoneを買い取って欲しい旨を告げました。

 そこにいたのは、若い今時の店員でした。
 今時の若い店員は、カーテンで仕切られた一角に私を案内しました。彼は厚いガラスで仕切られた向こうにいます。そして、iPhoneを一つ一つ手に取り、吟味を開始します。まず、水没した形跡がないかどうかの確認です。色のついた印が電源の脇にある丸い穴に出ていれば、それは水没した証拠です。私のiPhoneは無事検査を通過したようです。
 次に、本体に傷がないかどうかです。手で触り、感触からそれ探ります。特に角は念入りに行います。どうやら幾つかの傷があったようです。そこを何度もさすっています。傷の程度を図っているようです。
 そして、おもむろに、こちら側に大きな電卓を差し出し、合計でこんなものになりますと言ってきました。
 その間、30秒ほどの時間です。
 そこに示されていた金額は2300円という数字でした。

 今、値崩れが起きているんですよ。ついこの間まで、万単位でしたが……。さらに、言葉を続けた。
 今、売るより、持っておいた方がいいですよと。

 私は、若い今時の店員の言うとおりにしました。
 こうして、私の机の中に、3つのiPhoneがまた戻ってきたのです。

 パソコンを含めれば、マッキントッシュの製品は一体いくつ「秘匿」されているのだろう。古くなったのでもいいから欲しいと若い頃の娘にあげたものを入れれば、かなりの数になります。

 なぜ、これだけの数の製品を、私は購入するのだろうか。それには何かわけがあるはずです。

 まず、製品の質が非常にいいということは言うまでもありません。
 質がいいと言っても、今では他社も安くていいものをたくさん作っていますから、この方便は絶対的ではありません。
 とすると、何なのでしょうか。

 そうだ。あの変人ジョブスへの敬意……に違いない。

 そう、それに尽きます。
 便利なものを作ることにこだわり、何の意味もないそのケースまでこだわる彼のあり方。
 ガレージで試行錯誤しながらものを作る姿勢。
 友人とぶつかり、関係を破滅させるも、また、不死鳥のように戻って最高のものを作る姿勢。
 そうした彼の破天荒なあり方に敬意を持つからに違いありません。
 この方便には納得できます。

 つまり、私は「人」に惚れ込んで、その「物」をとことん使い込んでいるのです。

 しかし、よくよく考えてみますと、きっと、ジョブスという人は、そうした<人>を当て込んでいたのではないかと考えるのです。
 安くて良いもの、というより、高くても良いもの、他と違う<格>を有するもの、そういうものを作り、それをそういう<人>に売ると。

 そう考えると、ジョブスに、気持ち良く一本取られたと感じるのです。
 当時最新鋭のマッキントッシュは、技術の進歩の中で、今では何の意味も持たないものとなっています。過去の、一時の栄光を、誇らかに持って、今我が家で余生を送っているのです。

 私には栄光というのはないですが、なんだか自分を見ているような気がしてきました。
 そう考えると、売るなんてよこしまな考えを持ったことを恥じいるのです。

「小説」の形

asanoasano
朝の景色は、一日が始まることへの期待があるから美しいと思えるのだ。


 尊敬する小説家井上靖さんがお亡くなりになられて25年が経ったようです。

 私が、歴史小説に興味を持つ契機を作ってくれた人です。とりわけ、『天平の甍』『敦煌』などは夢中になって読んだものです。
 そして、彼の言葉が私にはとても印象深く残っています。

 現地に行かなくても、作品は書くことができます。作家が歴史舞台になった場所に時空を超えていくことなどできませんから、文献や地図などを使って、そこを想像するのです。

 というような言葉です。

 私が『福明と李福』を書いた時、彼の言葉が支えとなりました。
 川原郷・夫余・靺鞨・長安と作品の舞台となった場所に私は一度も行っていません。古代地図と文献だけが頼りです。
 奈良に暮らす読者の方から、その地理知識を褒められた時は嬉しく感じました。

 「小説」という芸術形態を考える時、時に、困惑することがあります。

 小説はどこまで人を高めていけるものなのかと。
 いや、小説は人を高めるものなどではない。小説は、作家の生き様を読者に提供するものなのだと。

 後者のそれは、日本では「私小説」という部類に入るかと思います。
 ヘミングウエイなども同じ部類にあると私は思うっています。
 つまり、自分の体験を主人公(「私」である時が多いですが)に仮託して、特異な体験、もしくは、まったく逆の、極めて日常的な出来事を綴っていくのです。
 作家は命がけで生きた人生、もしくは日々のありきたりの生活を読者に提供してくれるのです。

 人を高める「小説」は、歴史的事実基盤にして、そこに作家の想像を加え、人とはかくあるべしと伝えていくものです。古くは司馬遷の『史記』がそれであり、日本ではこの手の作品が好評を博します。
 事実を基盤にして、人の生き方、あるべき人の姿、処世や対処を学ぶことができるからです。

 私は、この二つの「小説」のあり方を見て、時に途方にくれることがあります。
 どちらが「小説」の形なのかと……

 井上靖さんの没後25年を伝える新聞記事には、彼が日本陸軍の兵士として中国戦線に派遣されていた時の短編作品のいくつかが紹介されていました。
 彼は、ひ弱な日本兵であったようです。
 戦闘に従事する兵士ではなく、後方にあって運送に従事する輜重兵であり、おまけに、脚気を患い、日本に送還される兵士でした。それがゆえに、彼の中に一種の劣等意識が芽生えていたことは確かなようです。それがあったからこそ、彼に、困難の中でも、強く立ち向かう主人公への憧れがあったと思うのです。

 情けない自分を知ることで、そうではないまったく反対の他者を描くことができるのです。

 「小説」の形は、これだと決めることは難しいことです。
 しかし、小説を書く人は、それが惨めな人生であろうと、そうでなかろうと、そこから何か大切なものを得ているということです。そして、衒うことなくそれを文章にしているということです。
 そこに、読者は心を動かすのです。

 作品とそれをものした作家のあり方こそ、「小説」の形ではないかと。

スタイリッシュ・エイジング 

tatokagaku
田植えの終わった田んぼの向こうに巨大なパラボラアンテナ。これが「つくば」です。



 姿形は大切です。

 新米教師の時、私は、女子の長いスカート、そして、男子のダボダボズボンと格闘してきました。
 茨城という土地はあの「ルーズソックス」発祥の地と言われています。だらしなさにかけては他県の追随を許さないくらい過激な土地柄だったのです。
 また、ベテランと言われた頃には、今度は反対に、短いスカート、ワイシャツをスボンに入れないといっただらしない姿をする子たちと議論を大いにしてきました。

 そうした反抗期の若者が、だらしない姿を指摘されて、「人間は、姿や形ではない。心が大切だ。」と必ず反論をしてきます。中には、「親もそう言っています。」と付け加える子までいます。これは最近の子たちの現象です。教師が保護者に対して弱くなっていると察知する子たちが使う健気な方便です。

 こういう生徒たちは、自分の姿形が、正規の姿形でないことくらいは十分に承知している子たちですから、大人がしゃかりきになっても、はい分かりましたと変わることなどありません。
 彼らはやがてリクルートスーツを身にまとうことになり、「人間は、姿や形ではない。心が大切だ。」などいう言葉など忘れてしまうのです。
 こういう子たちにものを教えるのは、八分目の指導が肝要です。すなわち、『角を矯めて牛を殺す』ということのないように指導にあたるということです。

 先日、我が家のわんちゃんのトリミングの件で、素晴らしい店があるというのを聞いて、そこへ行くことになりました。
 ところが、そこは、土浦の学校時代に、保護者会の役員さんをしてくれた方のお店だったのです。
 双方とも、どこかであったなと思いつつ、私が必要書類に住所名前を書くことで、そうとわかりしばし談笑したのですが、彼がこういうのです。

 「いつもスーツでしたので、今日、ラフな格好をなさっていてすぐにはわかりませんでした。」と。

 そういえば、もうスーツを着ることも随分と少なくなったなと私も気づかされました。
 その時の姿は、ジーンズにピンクのポロシャツです。ジーンズにはサスペンダーをつけています。靴はグリーンのジョギングシューズです。
 たまたま、その日はオーストラリアで購入したオージーハットはかぶっていませんでした。

 だらしない格好ですみませんと一言言うと、「いや、そんなことないです。かえって、若々しくていいですよ」と言ってくれます。

 お世辞とはいえ、そう言われると結構うれしいものです。
 なぜなら、私は、年相応という姿はあまり好きではないのです。年相応という姿がどういう姿か説明するのは難しいですが、簡単にいえば、「年寄りっぽい」ということです。
 ロードバイクに乗るときはそれなりの姿形があります。
 船に乗るときもそれがあります。散歩する時ももちろんあります。
 そういう場での相応しい姿形を大切にしたいのです。

 でも、姿形だけ保っていてもダメです。
 そこには、マナーというか、老練な振る舞い、知的な包容力がなければならないと思っているのです。

 いつ何時、かつての教え子にあってもいいように、その心がけだけは持つことが真のスタイリッシュなことですから。
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《6/28  Wednesday》

❣️<Puboo!>にて、『あけゆく空のごとく』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Paper in NY>で、『For the first time, I was facedown in the beach a wave brings near. Very comfortable.第一次,我变成了为波浪涌来的海滨为卧姿。非常心情舒畅』を公開しました。


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