風向きは必ず変わる

kouchoushitu
狭い場所が好きで、座ったまま何でも手に届く位置に必要なものがあるのが好きというのは、典型的な日本人なのだそうです。机の上にも、そこにお茶があり、電話があり、パソコンがあります。椅子を立つことなく、何でもできる環境を作っているのです。



 日本では上映されることのない映画があります。
 中国や韓国で作られたある種の映画です。
 登場する悪者は、髭を生やし、柔道着を着ています。極悪非道の振る舞いをして、最後は主人公=正義の味方に倒されるというのがだいたいの筋書きです。
 明らかに、極亜非道の悪人は日本人なのです。

 先だって、新聞を読んでいたら、インドではその極亜非道の悪人が中国人であることがわかりました。

 インドの国民的映画スターであるラジニカーントという人が主演した『カバリ』という映画です。公開初日には会社が休みになるくらいだというのですから、日本では考えられないことです。
 映画のラストシーンで、華僑のボスが正義の味方のインド人主人公に打ち倒されると館内は歓声に湧いたというのです。

 私たちにとって、インドは少し遠い国で身近ではないのですが、少なくても、この映画からわかることは、中国や韓国の人が日本人に対して持つのと同じように、インド人は、中国人に対して、好意を持ってはいないということでした。

 利害関係や地理的要因・歴史的経緯があると、国同士がお互い反目し合うのは仕方のないことです。
 
 ラオスのビエンチャンで開催されたASEANの外相会議では、中国の王毅外相の活動が事細かに報道されました。北朝鮮の外相と同じ飛行機で、ビエンチャン入りし、2日間をかけて、ASEAN各国の外相と会談し、巨額の経済支援をちらつかせて、中国に不利にならないよう会議の方向性を定めたと言います。

 仲裁裁判所の判決は覆ることはないし、国際社会の懸念が厳然とあるにもかかわらず、それでも、あえて国家の意思を優先していく強硬な姿勢をとったと各紙は伝えています。
 
 中国の意を強く受け止めていたのは、カンボジア1国でした。
 ASEAN各国が、中国に対して、判決受け入れを強く求めたならば、カンボジアは「拒否権」を行使すればいいのですが、それはしませんでした。
 ということは、つまり、裏にいる中国がそうはさせなかったということです。

 これ以上の、「決定的な破談」が、ASEAN各国と生じることを恐れたからでしょう。

 フィリピン、ベトナム、インドネシア、シンガポール、マレーシアと言った中国に対して、幾分距離を置こうとする国以外に、これ以上の離反意識を醸し出すことを避けたのです。

 王毅外相は、記者会見において、得意満面の風で、中国はASEANを動かすことができると胸を張りましたが、これも、中国のプロパガンダに過ぎません。
 ASEAN諸国を生殺しの状態で利用するという魂胆を、一番見抜いているのは、何を隠そうASEANの国々だからです。きっと忸怩たる思いで、中国外相の記者会見を眺めていたASEAN外相が何人もいたことでしょう。

 小さな国には、小さな国の生き方があります。
 
 ミャンマーはこの3月にアウン・サン・スー・チー国家顧問主導の新政権が発足したばかりです。この小国は、一人の女性リーダーに国の命運を委ねたのです。
 軍政の頃から、ミャンマーは親中派に与していました。
 しかし、外相を兼務するスー・チーさんは、会議に代理を出すなどして、明確な旗を掲げないでいるのです。

 これも、小さな国が生きていくための、のらりくらり作戦の一環です。

 その一つが、王毅外相が求めたミャンマー国内のダム建設への同意留保の姿勢です。
 ミャンマー人は、開発が中国人によってなされ、富の多くが吸い取られていることに気がついているのです。ですから、ダムの開発がミャンマーのためではなく、そこで出来た電力を中国に持って行かれることを承知しているのです。

 「ミャンマーにある天然資源はいずれは枯渇するのです。それより、ミャンマーを作り、育てていく人材育成が大切です。」

 彼女の言葉は、経済的には中国とともにあらねばならないが、ミャンマーの真の発展を図るためには、中国には与せずという姿勢であることを暗に示しています。

 先月、中央アジアのウズペキスタンで、上海協力機構の首脳会議が開催されました。
 ここでも、南シナ海の問題を「国際問題化することに反対」とする言質を、中国は各国からとっています。ところが、ロシアだけは、裁判の結果について、見解を留保し、中立を堅持したのです。

 ロシアはクリミアで、中国は南シナ海で、国際社会と敵対をしているのですから、共闘してもよさそうなのに、それをしないのです。
 いうまでもなく、中国が推進する「一帯一路」戦略への危機感がロシアにはあるからです。

 中央アジアの小国もまた、ロシアから吹く風を見て、一方で、中国から吹く風を受け止めているのです。

 日本の戦国時代。
 関東では、今川がいて、北条がいて、上杉がいて、武田がいました。
 いずれも大大名で、天下を狙うにふさわしい武将もいただいていましたが、彼らは結局天下を取ることはできませんでした。
 天下を取ったのは、これら大大名の間で、あっちにつき、こっちにつき、時に、騙され、いくさにも負けていた小大名の徳川です。
 
 風の吹く方にそっと向きはするが、正対することはしない。風はやがて向きを変えることを知っているのが小さな国々なのです。

 そう思って、アジアに吹く、様々な風向きを見るのは実に面白いことです。


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アメリカという国の懐の深さ……

tokyobaysa
東京湾での釣りを終えて、釣果を手にして港に戻る時、見えるのが、この光景です。釣りは、釣り自体もそうですが、自然のあり様を目の当たりにできるという特権があります。海から見ることのできる素晴らしい光景です。


 卓球を終えて、蒸し暑い体育館から外に出ます。
 夏の太陽が気持ち良く照り、筑波のお山は青みがかって、夏空に映えています。
 
 私が通う体育館の周辺は、図書館や市役所支所、それにバスの発着所があります。近くには大型の商業施設がいくつもある、ちょっとした繁華街となっています。
 今日は、そこに何人かの若者の姿がありました。彼らはスマホとにらめっこしています。
 今、流行っているポケモンGOをやっているのです。それも真剣に。
 声をかけるのも憚れる、そんな雰囲気でした。

 いつも思うのです。
 今の時代ほど、科学技術の恩恵を受けている時代はないのではないかと。

 とりわけ、私のような世代になると、「歴史的」と言っていい変遷を体験してきているのです。

 電球から蛍光灯、そして、LEDという変遷は、灯りががもたらす豊かさを感じ取らせてくれました。
 テレビも、白黒からカラーへ、そして、3D薄型大型画面へと、見た目にもはっきりとわかるように、変貌していくのを目の当たりにしてきたのです。
 洗濯機も、掃除機も、冷蔵庫も、それに、自動車だってそうです。
 どれもこれも、便利で、安全で、快適な生活を提供してくれるものばかりです。

 一番感謝しなくてはいけないのが、エアコンです。
 授業が一つ終わると、汗びっしょりとなりましたが、今は、そんなことなどありません。
 多くの学校で、快適な環境が整い、勉強することができるようになりました。おまけに、電子黒板に、パワーポイントを使って、多角的に授業が構成できるのです。


 きっと、未来の歴史授業では、20世紀後半から21世紀初頭の100年は、人類が最も科学の恩恵を被った最初の100年として教授されるはずです。

 第二次大戦を経て、国内に被害を受けなかったアメリカが、これまでのイギリスに取って代わり、世界のトップリーダーとして君臨するようになりました。
 その後、ソ連との冷戦にも勝利し、アメリカは、開発した新技術を惜しみなく民間に提供し、さらなる発展の機会を与えました、と教科書は記すはずです。

 その提供されたアメリカの技術の殆どが、実は、軍事部門での技術であることは今では多くの人の知るところとなっています。

 万が一、敵軍によって、通信手段が破壊された時、通常の通信手段以外に、物理的な圧迫を受けない通信手段をと、考え出されたのが「インターネット」です。
 アメリカはそれを軍だけのものとはしませんでした。
 人類にとって有益な通信手段を民間に払い下げ、さらなる有益なあり方を検討させたのです。

 そこが、アメリカという国の懐の深さであると思います。

 ポケモンGOを支えている技術もアメリカで開発されてきた最新鋭の軍事技術です。
 Augmented Realityというものです。
 略して、ARと言われ、日本語では「拡張現実」と言われる最新テクノロジーです。

 実際の風景の中に、デジタル情報を重ねて表示するという技術です。
 つまり、現実の世界を新たな情報を加えて(これが「拡張」ということです)、再現していせるというものです。

 アメリカ軍は、敵の軍事拠点を攻撃するときに、夜間でも、いかなる天候状況であろうとも、こちらの犠牲や損失を最小限に抑え、効果的にダメージを与えるという観点からこの技術を生み出しました。

 AH64というヘリコプターがあります。
 アメリカ陸軍が開発した「アパッチ」という攻撃ヘリだと言えばよくわかると思います。
 パイロットの片方の目には、特殊な装置が付けられ、暗闇でも画像が表示されるようになっています。まるで、ドラゴンボールのスカウターのように相手の戦闘能力をこれで見てとるのです。

 これこそが、「拡張現実」ARの軍事活用です。

 これを民間におろして研究をさせると、医学分野においては、手術の際、体内の臓器を投影することで、より安全な治療を可能にしました。

 私のiPhoneにはポケモンは入っていませんが、AR技術を使った、「星座表」が入っています。
 これが便利な代物なのです。

 現実の夜空にiPhoneをかざします。
 すると、そこに星々が重ね合わさるように、現実世界とまったく一緒に星の名前、星座の名前と構造、惑星や恒星がわかるようになっているのです。

 この技術は、今まで手にした、どのような星座表も、天体観測書にもできない理解促進を図ってくれるのです。

 日本は準天頂衛星を打ち上げ、ほぼ日本列島の真上にとどまらせています。
 これがGPSを使う上で大きな働きをしているのです。
 日本の衛星は、ほぼ列島の真上にあることで、電波が隅々までいきわたるようになっています。山間の谷でも、高層ビルの死角でも、GPSが作動できるのです。
 これにより、実用性を一層高めることができるようになりました。

 私の車のナビゲーションも、iPhoneの地図案内も、もちろん、星座表やポケモンGOも、これを使っています。このGPSも、もともとは米軍が軍事専用衛星として開発したものなのです。

 それにしても、アメリカという国は軍事開発にかけては、最先端をいっていて、人々の役に立ちそうだと判断すると、それを惜しみなく民間に開放し、新たな活用を促すということを盛んにしていることには驚きます。
 それだけ、技術のレベルが高く、深く、広いということなのでしょう。

 しかし、反面、私たちが想像もできない恐るべき技術をアメリカが持っているということも想像に難くありません。
 かつて、国を挙げて戦い、日本は完膚なきまでに負けてしまいましたが、今は国際関係の中でもとりわけ大切な同盟関係を築き上げています。

 今、この関係が長く続くことを、密かに祈るのは、日米の多くの人が望んでいることではないでしょうか。


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「2:6:2」と「64%」

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オックスフォードに近い小都市の駅です。ここは、2回程長期滞在した学校のある駅です。昔の日本の駅舎、ホーム、駅員がいる事務室がそこにあるかのような駅でした。もっとも、それは適切な表現ではありません。日本の方が、そのあり方を真似たのですから……


 教師をしていた時、進路指導の一環としての表敬訪問の折に、ある大学の学部長をしている方とお話をした時のことです。

 ひとしきり話が済むと、学部長さんがいきなりこういうのです。
 「上に立つと、物事は常に<2:6:2>で、考えていかなくてはいけません。そうでしょう。」と。
 
 こちらが、きょとんとしていると、こう言葉をつなげてきました。
 「今ね、ある一件で、職員の意見を聞いているんです。そうすると、反対ですという人、賛成ですという人、それに、意見を明確にしない人と分かれてくるんですよ。」

 さらに、なんのこちゃという目つきになると、顔見知りで、何度なくお会いしている学部長さんもこちらの不審を解こうと必死の目つきになって、言葉をつなげてきます。

 「絶対反対」だいう人が必ず出てくるんです。
 私の周辺の人たちの多くは、私に気を使ってくれるんでしょうね。「大賛成」だと言ってくれるんです。
  決定は私がしなくてはなりませんからね。
  だから、私は、絶対反対20%、大賛成20%と考えて。
 残りの60%の意見をこれから聞いて、その上で、最終決定をしようと思っているんです。

 なんでも、学部の新校舎の設計に関しての意見の取りまとめをするらしいのですが、それを進路相談に来た私に語るのですから、よほど、頭を悩ませていたのだ思うのです。

 学校に戻って、この「2:6:2」が気になって仕方がありませんでした。

 確かに、学校全体もそうですが、学年一つとっても、それを強力に率いる教師がいて、同時に、あれもこれもできない教師もいて、リーダーがせっつかないと動きを示さない教師が、確かにいるなと思ったのです。
 これを数値で示すと、ほぼ「2:6:2」になるなと。

 ヤンキースのように、金にものを言わせて、選手を集めても、必ず試合に勝てるとは限らない。
 つまり、極めて優秀な選手の集団を作っても、そこには必ず「2:6:2」が形成されて、集められた優秀な選手も、ヤンキースの中では、ダメな選手と普通の選手になってしまうということなのです。

 そんな数値のことを考えていると、新聞に盛んに出てくる「3分の2」という数値も気になりだしてきたのです。

 「3分の2」とは、つまり、「64%」ということです。

 日本国憲法第96条
「改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない」と示されています。

 そればかりではありません。
 多くの会社の定款でも、大学の単位取得条件としての出席日数でも、この「3分の2」つまり「64%」が生きているのです。

 国連などでは、物事を決定するにあたり、「3分の2」が得られるまで、何度も繰り返して採択がなされます。
 
 当然、「3分の2」は、「過半数」よりも、より難関というわけです。
 
 反対に、ある意見に対して、徹底抗戦をしようと思ったら、3分の1以上を確保しておけばいいわけです。つまり、「3分の1」以上あれば、その組織の中で、「3分の2」意見を封じ込めることができると言ってもいいわけです。

 そのため、賛成反対の二者択一ではなく、双方が納得出来る妥協点を見出す可能性がそこには内包されることになります。
 導き出されるいくつもの可能性を内包しつつ、より適切な可能性を探るというのがこの「64%」にはあるのだと思うのです。

 ちなみに、先ほど示した日本国憲法第96条には、次の文言が続いています。

 「この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。」

 イギリスでも、EUからの離脱を僅差の多数決で決めました。
 日本でも、国民投票が行われる可能性があるのです。
 
 でも、国の大切な方針を決定する最善の方法が、果たして、「64%」ルールで良いものなのかどうか、正直、一抹の不安を持ってしまうのです。
 もちろん、1億の国民が、選挙や国民投票に全員参加するはずもありません。

 仮にそうであっても、そこには、例の「2:6:2」があるのです。
 
 「64%」ルールこそ、人類が物事を決める際、民意を図る最良の策であると信じるのではなく、もっといい方法はないのかと、法曹界、ジャーナリズム界で検討する価値はあるのではないでしょうか。

 もちろん、一党独裁で、「お上のお達し」というのには大反対です。
 喧々諤々、口角泡を飛ばして、日本の行くべき道を誰もが納得する形を模索してこそ、いい形に近づくと思うのです。


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化外の地にて

river sngland
オックスフォードに滞在していた時の散歩コースです。川べりの小道は哲学するには最適の環境です。人が暮らすに、良い環境としての一つの模範だと思っています。この右手には牧場があり、その向こうにはあのクライストチャーチがあるのです。


 想像をはるかに超える僻地で、その土地の人々のために活動をしている日本人を取り上げるテレビ番組があります。
 文化や習慣の異なる地で活動するには、大変な苦労があるのではないかと思いながら見ています。
 
 番組を見ていて、気づくことがあります。
 それは、彼らが自らの技術は伝えても、日本的なものを強制していないということです。むしろ、反対にその土地のものを受け止めて、馴染もうとしているということです。

 素晴らしい日本人がいるものだと、私はひととき、テレビ番組に見入っているのです。

 日本はアジアで唯一植民地経営を行った国です。
 1895年、清国との戦争に勝利し、清から台湾が割譲され、総督府を置いて経営にあたりました。
 1910年には、ロシアとの戦争に勝利し、韓国を併合し、これも総督府を置いて経営にあたりました。
 1922年には、ベルサイユ条約によって、ドイツが統治していたミクロネシアの島々を日本が委任統治することになりました。パラオに南洋庁を置いて、統治にあたりました。

 これらの地域の統治にあたって、日本政府の方針は、欧米列強の植民地政策と同じような方策は用いないというものでした。

 過酷な取り立て、人間性を無視した対応、ともすれば、日本が列強から受けたかもしれない屈辱を、アジアの同胞に味わせたくないという気持ちが働いていたのです。
 ですから、これらの地域に対しては、「内地延長主義」という考えを取り、インフラ整備や暮らし向きの改善、教育活動に力を尽くしたのです。

 しかし、植民地というのは、所詮、他国から異国人が入ってきて、生まれ育った故郷を支配するのですから、支配される人々からすれば、屈辱以外の何ものでもありません。
 また、日本政府の施策を理解できない末端の役人や軍人もいたことでしょう。
 そういう人間に限って、威張り散らし、反日・抗日へと、かの地の人々を追いやって行ったのです。

 私は以前『風の島』という小説作品を出版しました。

 これは、まさに、日本が統治していた南洋の島で起こった話なのです。
 日本語を話すミクロネシアンの親子が日本海軍の飛行機を大切に隠しもっていたという話です。しかも、いつ飛んでもいいように整備がされていたのです。

 彼らは、日本に対する憎しみより、むしろ、日本の支配に対する感謝を強く持っているという設定にしました。
 もちろん、これには根拠があります。
 島の人々が、日本から来た観光客に日本語で話しかけたり、日本語そのものが彼らの生活に残っていたり、また、日本語の歌が歌われていたりしていたからです。

 そこに憎しみや恨みがあれば、そういうことは起こりえません。
 
 きっと、韓国を支配した一部の威張り散らした役人や軍人と違って、南洋庁で勤務した日本人が政府の意図をよく運用したと言ってもいいのかもしれません。
 
 暮らし向きをよくし、教育を施すことがなされなかったドイツとの支配の違いが明確に出てきたものと思われます。

 一方、台湾はというと、割譲に反対する中国人らとの武力衝突もあり、また、台湾人による抗日運動に対しては、「匪徒刑罰令」を発して、日本は弾圧さえも加えたのです。この件で、処刑された数は三千を下らないと言います。
 最後の抗日運動は、1915年に発生したと言いますから、割譲以来、20年近くも抵抗運動があったということです。
 
 その台湾から、最近、一つのニュースが飛び込んできました。
 それは、台湾人が最も好きな国として、「日本」を挙げたというニュースです。

 これは台湾の民間調査機関が定期的に実施している世論調査の結果です。

 これによると、2015年度の最新調査で、第一位は日本で、56%であったといいます。
 驚くべきは、その圧倒的な56%という数字なのです。

 なぜなら、第二位は中国で6%、第三位はアメリカで5%、第四位はシンガポールで2%だからです。
 圧倒的に、台湾では日本が好感を持たれているということがわかります。

 でも、なぜだろうと考えてしまいます。

 過酷な弾圧と処刑があったのも関わらず、なぜ、今、台湾では、日本に対して好感を抱いてくれるのでしょうか。

 台湾総督に任命された乃木希典は、「乞食が馬をもらった」と台湾併合を比喩したと言います。
 自国を乞食にたとえ、台湾を馬にたとえるなど実に謙虚な発言です。支配者として偉ぶったところが微塵もありません。
 これなども、日本の植民地支配の方針を的確に受け止めていると言ってもいいのではないでしょうか。

 日本の台湾支配を簡単に記述すると、
  オランダから持ち込まれた阿片の根絶。
  日本語を教授することで、部族間の言葉の違いからくる闘争をなくし、意思疎通を図った。
  日本から教育者を送り込み、学校を作り、子供達への教育活動を展開した。
  病院を各地に設立し、風土病の根絶と衛生観念を普及させた。
  日月潭に水力発電所を作り、全土に電気を行き渡らせ、生活改善及び産業発展の原動力とした。
  烏山頭にダムを作り、不毛の地をアジア有数の穀倉地帯に変えた。

 異国人が支配して、その地から搾取するのが植民地政策です。
  でも、これを見る限り、日本の植民地統治は少しく違うようです。

 太平洋戦争中、日本は韓国人を徴兵しましたが、台湾からは徴兵をしませんでした。
 戦争も末期になると日本の敗色も色濃くなってきます。支配される側が密かにその敗退を心待ちにするはずですが、台湾では少々異なっていました。
 台湾では「徴兵嘆願」の運動が起こったのです。

 異国の人間が他国の故郷を支配するという政策の愚は承知の上で、当時、これらの地を、自分の故郷のごとく思い、強制することなく、かの地のために尽力した素晴らしい日本人がいたことは顕彰していかなくてはいけません。

 今も昔も、化外の地で、身を投げ打って活動する素晴らしい、敬愛すべき日本人がいるということに、私は感動するのです。


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気楽な稼業

koreada
韓国の慶州は、かつて百済が国を置いていたところです。今も、古墳や寺院が大切に保存公開されています。のんびりと歩くだけで、その昔が偲ばれる気がしてきます。


 「サラーマンは気楽な稼業と来たもんだァ」と歌ったのは、ミュージシャンで、クレージーキャッツのメンバーであった植木等さんでした。

 ハチャメチャで、薄っぺらで、調子が良くて、大いにゴマをすって、適当に世の中を渡っていく。仕事を熱心にこなしているわけでもないのに、結構女性にモテる。
 そんなイメージが強く残っています。

 高度成長期、サラーマン稼業は、実際のところ、本当に気楽な稼業であったかどうかは、問うまでもありません。
 あれは映画の世界の話、ビールを手にして、夕餉を楽しむ団欒の場での与太話に過ぎないのです。
 実際は、胃を痛くするほどのプレッシャーを受けながら、多くのサラリーマンが日夜仕事に励んでいたのです。

 ところで、「サラリーマン」とは、一体どのような人を指すのでしょうか。

 日本で作られた「和製英語」であるこの言葉、実は、大正時代には使われていたと言います。
 それも、特定のエリートを指していた言葉であるということです。
 つまり、大学を卒業して、「民間」の会社に籍を置き、スーツとネクタイを着用している知識労働者というのがその姿で会ったのです。

 ですから、工場で働く労働者とは違うし、また、公務員や医療・法務・教育と言った専門職とも違う、新たな職域に入る新分野の人々であったことがうかがい知れます。
 
 今では、ちょっと薄汚れたスーツに着て、クールビズでネクタイはなくなり、同僚と安酒場でくだをまき、千鳥足で新橋あたりを歩く人を指すようですが、昔は、世界を股にかけて貿易を担い、外貨を獲得する優秀な仕事人だったのです。

 そんな激しい競争社会にあって、戦後の日本を立ち直らせる一翼を担ったのも彼らでしょう。
 彼らの中には、採用数が少ない公務員試験に落ち、仕方なく、民間企業に入ってきた人も多かったはずです。その彼らが、日本の再興に寄与するのですから、世の中は面白いものです。

 戦後となって、その彼らも、常に、会社のために一身を投げ打っていたばかりではありません。

 「脱サラ」という言葉があります。

 いつまで、会社のために働くなんざ、真っ平御免ということです。
 手に職をつけて独立する人、自ら会社を立ち上げて経営を行う人、さらには田舎生活で第一次産業に従事することを選ぶ人と多岐にわたって活動を展開し、自分の人生を大きく変革してきた人々がいます。

 成功した人も、そうでない人もきっといるはずです。
 たった一度の人生、思い切ってレールから飛び出した人たちです。

 会社の意のままに働き詰める人生、流行り言葉となったモーレツ社員よりいいかどうかは、きっと、その人の考えによりますから、いいとも悪いともいうことではありません。

 しかし、かつて安定した部類に属するサラリーマンも、今ではそうでもない状況になっています。

 合併によるリストラで身分の保証がままならず、怯えるサラリーマン。
 ブラックと呼ばれる会社の、その中心にいてブラックを実践するサラリーマン。
 かたや、そのブラックの犠牲となるサラリーマン。

 そこまでいかなくても、英語が社内語となったり、プロフラミング知識が要求されたりと、決して、気楽な稼業となっているわけではないのです。

 組織の中に入れば、人との軋轢も当然のごとく生まれてきます。ましてや、サラリーマンにとって厳しい環境となればなるほど、その軋轢は大きくなります。
 
 そうした環境を察知した学生たちは、かつて花形であったこの稼業を敬遠しつつあるというのです。
 また、現在サラリーマンと呼ばれている人たちも、会社におんぶに抱っこという姿勢をやめて、自己啓発に取り組み、危機に対処し始めているというのです。
 
 脱サラ第2期がきっと近い将来やってくるでしょう。

 ネットで、よく目にする素敵なページの中には、そうした方々の、実に愉快な、明るい、希望をもった記事を見かけることがあります。

 会社に頼るのではなく、自分が楽しく生活をする、生きがいを会社ではなく、自分のあり方に求めるという志向が、そこにはあるのです。
 自分が嫌なことを、それでもしなくてはならない生き方より、自分がしていて楽しいことをする方がいいに決まっています。

 「気楽な稼業」は、自分の心一つでいかようにも作れるものです。


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子は親より豊かであらねばならない

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オックスフォードから、ポーツマスまで、電車に、不安とともに乗車して出かけました。たった1日の休暇を素晴らしい日とすることができました。それを『ポーツマスの旅』と題して作品にしました。Pubooにて発信しています。この絵はその時見たポーツマスの一光景です。



 「成長」と言うものを可視化するとは、親よりは子、子よりは孫の世代が確実に豊かであるという事実を見せつけることです。
 それはもちろん、国においても、同様です。

 時代が進むにつれて、豊かになっていくことが「成長」を実感することにつながっていくのです。

 個人で言えば、親の代の狭いながらも楽しい我が家の時代から、子の世代の、技術革新による極めて便利で、豊かで、幸福な時代。
 そして、孫の時代は、さらに豊かで、グローバルな環境の中で、手にした豊かさを他に分かち与えることができる時代となっていくべきなのです。

 国としては、親の世代から子の世代にかけて、無謀な戦争によって、完膚なきまで国土が破壊され、しかし、世界史に残る奇跡の復興を成し遂げ、G7の一角に、堂々と名を連ね、経済でもトップレベルまでのし上がってきたのです。
 それだけでも目に見えてすごいことですが、孫の世代でも、国としての名誉と誇りを維持し、その豊かな富と高尚な精神を世界に与え、広めていかねばならないのです。

 しかし、親から子へと伝えられた「成長」は、今、子の世代で停滞してはいないだろうかと訝るのです。

 アメリカのある調査機関のレポートによると、先進国の70%の世帯で、この十数年の間で、所得の停滞もしくは減少に直面していると記されていますが、それが訝る何よりの根拠となります。

 「暮らし向き」という言葉があります。

 この言葉は、豊かで、贅沢で、有り余る資産を持て余すという暮らし方を意味しません。
 ささやかであるが、豊かさを感じる暮らし、金持ちではないが、それでも幸福を感じる暮らしを指します。それがちょっと下降するだけで、人々は「暮らし向きが悪くなった」と表現するのです。

 今、その「暮らし向き」が危機的状況を迎えています。
 政府もそれを良く承知して、アベノミクスで経済の立て直しを意欲的に図っています。
 しかし、雇用の問題は如何ともしがたい局面を迎えています。
 低賃金での労働、非正規労働での賃金格差、女性の職場での差別などです。

 それ以上に大問題なのが、少子高齢化とグローバル化です。
 少子高齢化により働き手がいなくなり、その結果、移民を受け入れざるをえないという問題が目前に迫っているのです。

 アメリカのトランプ現象も、イギリスのEU離脱も、この流れの中にあります。

 これが、アメリカの一般的白人やイギリスの中流層の収入にしわ寄せを与えた結果であることは言うまでもありません。そして、アメリカも、イギリスも、自分の国を「ファースト」とする考えが、熱狂をもって迎えられたのです。

 自分たちが苦しいのに、なぜ、他国から来た人間に富を分配しなくてはいけないというのです。
 そればかりではありません。
 社会保障も、安全保障も失ってしまうという危機感が、トランプ旋風であり、そして、イギリスは僅差ではありますが、EU離脱を決定したのです。

 世界が、親よりは子、子よりは孫の世代が確実に豊かになるという姿を維持するためには、「ファースト」という考え方では叶えることができません。

 成長するには、相互依拠の姿勢が何よりも肝心なのです。

 自国の成長のためだけに、二酸化炭素を撒き散らす時代は終焉を迎えたのです。
 経済では、一部の人の豊かさのための仕組みや課税逃れは、厳しく糾弾されなければなりません。
 政治では、国際協調が優先されなければなりません。一国の暴力的言動は慎まなくてはならないのです。

 目の前の凄まじい事例にも目を向ける必要があります。

 火災現場から二つの遺体が出てきました。
 その家の住人の80歳の父親と50歳代の息子と連絡が取れていません。

 この記事から、私は勝手に想いを巡らすのです。

 高齢となった父親の面倒を見るために、息子は会社を辞めて、いくばくかの退職金とその父の年金で暮らしていたに違いない。その父がいよいよ弱った。亡くなった後、どうやって暮らしていくのかと、そのことが心によぎったに違いない。
 
 本来、親を大切にする孝行息子であるにもかかわらず、彼らは、原因不明の火災の中で、命を失っていくのです。

 こうした事例がニュースとして報道される世の中であってはならないのです。

 親の面倒を見る子が褒められ、頑張れるように支えてやるのが、名誉と誇りを維持し、豊かさと高尚な精神を世界に与え、広めていくということなのです。 
 
 日本はそれができる国であると思っています。

 まず、子が親より豊かになる経済的優位性を作ること、そして、多くの外国人をしっかりと受け止めていくこと。そのために、教育をしっかりと行うのです。
 
 私はそれができるのが日本だと思っているのです。
 日本流の新しい「共栄」のありようを推進していくのです。


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目には見えないことを慮る人がいればこそ

ichigayada
東京で宿泊するときはいつも市ヶ谷にある私学協会が運営するホテルでした。この日は、これから東京ドームで公演されるポール・マッカトニーのコンサートのための宿泊でした。


 今、卓球クラブに参加しています。

 30代の頃、つくば市のスポーツクラブに参加していて、そこのソフトボールチームで、右投げ左打ちの投手兼打者として ”活躍” していました。
 そこでのメンバーが中心となって、今、卓球クラブをやっているのです。
 その縁で、お誘いを受けて、参加している次第です。

 8月からは正式メンバーとして登録されるということで、愉快に卓球の時間を過ごしています。

 家で、活動をすることが多い生活ですから、1日、誰とも話さないという時があります。でも、卓球をやっていれば、そうはいきません。
 準備から、練習から、後片付けまで、いちいち声をかけてテキパキと行います。

 それは、かつてのソフトボールチームでも同じでした。
 そうすることで、怪我や人と人との交流を円滑にする仕組みになっているのです。

 まだまだ卓球が下手な私のプレーに対しでも「気にするな」とか、弱気な打ち込みに対して、「もっと思い切って打っていんだよ」とか、まぐれでいいショットがあると大騒ぎしてくれます。
 新参者として幾分遠慮気味の私への、また、まったくの素人でルールさえも知らない私への慮りにはただただ感謝するばかりなのです。

 人が人のことを慮るということは、人が持つ気持ちの中で、私はもっとも大切なことの一つであると思っています。
 
 教師をしていた時、私が心がけていたのは、自分が接する生徒のことを可能な限り情報収集しておくということでした。
 こちらの言葉、振る舞いで、生徒の心を悲しくさせるようなことがないようにと留意していたのです。

 軽率な言葉で、生徒を傷つけることが、実はいっぱいあるのです。教師はそれに気づかず、生徒を悲しませているのです。

 こんなことがありました。
 文化祭に卒業生がやってきました。在学中はブラスバンドで活躍し、明るい元気のいい子でしたが、勉強は嫌いで、そのため、成績はあまり良くなかったのです。
 ある教師が、生徒からもらったクレープか何かを食べながら、その生徒に近づいていきます。
 久しぶりの逢瀬を懐かしむ会話が二人の間で交わされています。
 
 そのうち、卒業生の様子に変化が見られました。
 幾分、頬を紅潮させています。

 食べ終わったクレーブを包んでいた紙をまるめながら、その教師は立ち去っていきます。

 どうしたと私は異変を察知して問いかけました。
 卒業生は、なんでもないというように、首を振って、職員室を出て行きました。
 私は、卒業生と話をしていた教師の元に行きました。

 いや、テストの話になってね、もう私には解けないって言うから、昔だって解けないだろうって言った、というのです。
 すぐに、謝りに行けと私は彼に勧めました。しかし、彼は席を立とうとはしませんでした。

 私は職員室を出て、卒業生を探し、声をかけました。
 気分を害することを言ってしまったって、あの先生言っていたけど、ごめんなと私は言いました。
 いや、そんなことありません。事実ですから。
 
 気にしないという態度で安心はしましたが、それは不自然な姿としか思えませんでした。

 私は、国語の教師でした。
 進学校であったので、教材は自分で選択することが多くありました。多くは大学入試問題から選ぶのですが、民族に関する話題、差別に関する話題、家庭に関する話題など、注意を払う点が、教科書の教材とは違って多々ありました。

 例えば、その教材が片親の話題であれば、教え子の中にそういう生徒がいれば、教材として取り上げないことも、内容によってはありました。

 子供たちに教えるには、そのくらいの慮りがないといけないと思っているのです。
 世の中に出れば、もっと厳しい待遇が待っているのだから、学校でそれを経験させるというのも一理あります。
 しかし、そういうことは彼らもよく知っています。
 だから、学校という場では、そういう思いをさせないようにすることも大切であると考えるのです。

 教師が、言うことを聞かない生徒を脅かして、言うことを聞かせたとしてもそれは何の意味もありません。人間と人間である以上、心と心が通じ合う慮りが、学校には必要なのだと私は強く思っているのです。


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ユートピアとリアリティとの相克

sky tokyosa
スカイツリーに上がりました。東京は地平の彼方まで東京でした。かすかに筑波のお山らしきものが見えました。


 先日、公立中学の教師であったという方から話かけられました。
 私が、私学の教師であったことをどこかで知り、声をかけてくれたのです。

 「先生の学校に、随分と生徒を送りましたよ。」と、その方が声をかけてきました。
 私も生徒募集をしていましたので、「それはそれは、ありがとうございます。」と、声を返しました。

 「先生は、途中で、学校を移ったんだって。」
 その方は、私学の教師が他の私学に移ることの不自然さを訝りながら、声を発しました。

 「そうなんですよ。いろいろあってね。」

 人が組織にいると、いろいろな出来事が起きて、いろいろな体験がなされるものです。
 私の場合も、そうした渦中に置かれ、さまざまな素晴らしい出来事を体験させてもらったのです。
 
 しかし、生徒を指導する立場のものが集まる学校という社会で、人と人とによるいがみ合いで、いろいろな出来事が起こるのは困ったのものであると、今更のように思います。

 私学は、「理想」を掲げて教育活動を行います。
 それが、その私学の教育目標であり、教育理念となるのです。
 ですから、私学にはその「理想」をめぐって、時に、ユートピアとリアリティとの相克が垣間見られるのです。
 もうちょっと、下衆な言い方をすれば、経営のあり方をめぐっての権力闘争がなされるということです。
 
 こんな小さな組織でも、あれこれあるのですから、国単位ではもっと大きな反応といろいろな出来事があるに違いありません。

 2016年6月23日、イギリスのEUからの脱退が、国民投票における51.9%の多数決で決まりました。

 ヨーロッパの理想は、第二次大戦中、ポーランド亡命政府のシコルスキによって、戦後ヨーロッパの再建を意図して提案された幾つかの項目が端緒となり、具現化されていきました。
 その後、紆余曲折を経て、1967年欧州共同体(EC)として発足しました。

 ヨーロッパでの戦いを永遠に終わらせようとの理想がそこにはありました。

 そうした理想に対して、一線を画していたのがイギリスでした。
 しかし、戦後の復興はダイナミックでした。
 まず、フランスのドゴール大統領が主導する自由貿易市場は活況を呈し、侮れなくなりました。
 そして、戦争の破壊をまったく受けなかったアメリカの台頭です。経済ばかりではなく、軍事でも、その力は圧倒的な威力を持って、イギリスに迫ってきたのです。
 加えて、かつてのイギリス連邦諸国の独立が、イギリスの経済を逼迫していきます。

 大英帝国としての理想を捨てて、現実に目を向け、ヨーロッパ共同体に参加せざるをないと判断するイギリスでしたが、そこに立ちはだかったのは、ヨーロッパの理想を軽視するイギリスに厳しく対応してきたドゴール大統領でした。

 イギリスの参加は、彼によって二度も拒否されたのです。
 イギリスがECに加盟できたのは、ドゴール大統領辞任後の1973年になってからのことです。

 その後、東西冷戦も終了し、ヨーロッパは新たな時代を迎えます。
 1993年、ついに、マーストリヒト条約発効によって、ヨーロッパ連合(EU)が誕生するのです。
 かつて、戈を交えた国々がともに同じテーブルについて、言葉を交わし、理想のあり方を追求するのです。 

 これは、人類史において特筆すべきことだと思います。
 戦争によらず、問題を解決する方法を見つけ出したのですから、至極当然です。

 ヨーロッパの秩序を保つためには、そこに健全な政治志向がなくてはなりません。健全な政治志向が存在するためには、ユートピアとリアリティが共存していなくてはなりません。

 ユートピアだけでは、物事は瓦解します。
 リアリティだけでは、各個のエゴが吹き出します。
 
 ユートピア志向が、あるべき姿を追い求めるアクションを促します。
 しかし、それを現実化する力、経済や安全保障がなければ、すなわち、リアリティが欠如していれば、それは単なる夢でしかないのです。

 イギリスの脱退で、EUは、新たな試練を迎えます。
 しかし、人類史上かつてない、ユートピアを掲げ、それをリアリステイックに運用するという画期的な行動には注目をしていく必要があります。

 そんなことを考えると、私が体験したユートピアとリアリティの、何と狭あいで、せせこましいことかと今更のように思うのです。


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富は一体どこにある

jazz in shanghai
上海は、外灘近くのホテルでのバーです。ここで、ジャズの演奏が毎夜なされています。上海が外国の強権下にあった頃も、こうして遠藤が繰り広げられていたことでしょう。客には、外国人に混じって、幾人かの上海人もいました。


 ウクライナにおけるロシアの振る舞い、南シナ海及び東シナ海での中国の振る舞い、これらは、かつて、そして、今、社会主義を標榜する国家が、おのれに有利な解釈で起こしている振る舞いであることは確かです。

 ヨーロッパも日米も、一方で、国家ぐるみのドーピング違反に対して、厳しい制裁を課して、オリンピックから締め出し、一方で、根拠のない九段線設置とそれに基づく埋め立て、また、それに伴う環境破壊に対して、全面的な否定の判決を仲裁裁判所から得て、溜飲を下げるだけにすぎないのです。

 彼らは、社会主義特有の計画経済を推進するかのように、「計画的政治決着」を着々と、今進めているのです。
 広大な国土と人口を持ち、当然、そこには豊かな天然資源があり、そして、優秀な人材を選抜し教育し、特権的な待遇を与え、さらに、先端的な科学技術を、軍事に、宇宙進出に使っているのです。

 いつの日か、ヨーロッパも日本も、アメリカも、ロシアと中国の支配下に組み込まれる事態が現実に起こっても不思議ではないくらいです。

 ヨーロッパ・日本・アメリカを支えている体制は、つまり、社会主義に対する資本主義は以前のように強大な力を維持し得るのでしょうか。
 それとも、人類の歴史から過去の遺物として、消え去っていってしまうのでしょうか。

 かつて、ヨーロッパは、閉塞の空気を孕んだ時、船を大海原に出し、それを一気に打開する手を打ち出しました。  
 即ち、大航海時代の到来です。
 彼らは、アメリカ大陸を発見し、オーストラリアやニュージーランドに人を送り込み、一気に時代を好転させました。

 作物を作ることのできない不毛の大地で貧しく暮らす生活を送っていた彼らからすれば、豊かな実りをもたらす豊穣の大地を、無償で手に入れることに成功したのです。
 そればかりではありません。
 明らかに、文化の未熟な、それゆえに、弱い、そこに住む人々を奴隷化し、その地で栽培されている物産を独占し、大きな富を手に入れたのです。

 狭いヨーロッパが世界の中心となり、彼らが新たに勢力下に置いた広大な土地から、ありとあらゆる富が手に入るようになったのです。
 その富の分配は、かつてのように、一部の貴族に独占されることはありませんでした。
 力を蓄え、意思を持った市民と呼ばれる新たな階級にも、応分の分配がなされたのです。

 市民たちは、自分たちの国家を整え、軍備を増強し、国としての意識を高め、より強固な形でさらなる富を追い求めていきました。
 その強固な形こそが、民主主義であり、資本主義であり、自由主義であったのです。

 その流れに乗れず、旧態依然とした体制の中で、広大な開発を寄せ付けない大地を持つ国が、ロシアと中国でした。彼らは、ヨーロッパとは違った方法で、より強固な体制を作り出そうとしました。

 今、その二つの大きな体制が、それぞれのやり方で、残り少なくなった富の奪い合いをしているのです。

 未開の、豊かな富を内包した地は、もはやこの地球上にはありません。あるとしたら、それは宇宙空間か、地球の表面の7割を覆う海の上であり、海の中なのです。
 もっとミクロに見つめていくと、あるのは、見落としてしまいそうな小さな島であり、大海原に通じる港なのです。
 しかし、今は小さくても、この島や港は、敵対する勢力の、豊かな富へと通じる要所なのです。ゆめゆめ、おろそかにしてはいけないものなのです。

 しかし、一方の勢力は、中心に富をもたらす術を失ったことで、八方塞がりの閉塞感に苛まれているだけで、敵対する彼らの一直線で、なりふり構わない行動と方便に、右往左往するばかりです。

 かつて、容赦ない仕打ちで、富を簒奪してきた悪心は、なりを潜め、広い心と穏やかなスタイルで物事を収めようと必死になるだけなのです。

 体制を維持し、より発展させる富は一体どこにあるのかとただただ中空を見つめるだけなのです。
 せいぜい、狂信的なテロ行為に対して、口角泡を飛ばして非難するのが精一杯です。
 選挙という支配体制に参画させる活動で、不満のはけ口を与え、目先のちょっとした豊かさでごまかそうとしているだけなのです。

 かつて、富を求めて、大海原に出て行ったように、新たな富を見つけ出さないといけない時代が今なのです。
 今、富をめぐって、世界は二つの勢力が拮抗しているのです。
 ありとあらゆる手段を使って、それに勝たねばならないのです。
 綺麗事を並べていては、負けてしまうのです。
  あげくに、その支配下で辛酸を舐めることになるのです。


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空に描かれた五輪のマークはどこに行った?

navy port s
イギリスはポーツマスの港の風景です。重厚な建物が、歴史の重みを加えて、さらに重厚さを増しています。日本は、この地から幾多の国難を救う技術を手に入れたのです。


 竹ノ塚という、埼玉県と東京都の境目のところで生まれ、そこで暮らしていました。

 幼い頃、狭い借家の廊下から、庭先の向こう、東南の空を見上げると、そこにジェット機が描く五輪の輪が見えました。
 決して、綺麗な輪ではありませんでしたが、日本でオリンピックが開催されるなんてすごいことだと子供ながらに思ったものです。
 
 海外からも多くの人がやってきました。
 金髪で、鼻の高い人。ターバンを巻いた浅黒い人。細い体で背が高く、真っ黒な人。
 ハンドバックを腕にかけて、長い足で優雅に歩く人。
 
 初めて見る外国人の姿を見て、どこに目をやったらいいのか、そう思いつつも、じっと見つめてしまう自分がいました。
 
 東京の小中学校に通っていた子供たちは、皆、オリンピック競技を参観することができました。

 私たちの学校は、今年壊されたあの国立競技場で、サッカーの参観をさせてもらいました。
 当時、サッカーは人気のあるスポーツではありませんでした。
 ですから、子供達にとっては決して面白い試合ではなかったのですが、それでも、大きな競技場で、外国人同士が足でボールを蹴る姿をじっと見つめたのです。

 オリンピックが開催されるにあたり、東京の街は、いたるところで工事が始まりました。
 道路は砂利道からアスファルトに舗装され、さほど車も走っていないのに、首都高速が立ち上がりました。東海道新幹線も走りました。
 日本はこれで、世界に誇れる国になったんだと思ったものです。

 1964年10月10日に開会式を迎えた、東京オリンピックの思い出です。

 そして、今年、リオ・デ・ジャネイロでオリンピックが開催されますが、あの時とは、だいぶ様相が違っているような気がしてなりません。

 その第一が、選手の出場辞退です。
  国を代表し、自国の旗を背負って、競技に参加する名誉をいらないというのです。

 日本でも、他の国でも、出場辞退を公言する選手が出ています。
 その理由が、ジカ熱とリオの治安悪化です。
 政府が、代表選手が強盗に遭わないための方策、遭った時の対応を公表し、ずいぶんと驚かされました。
 それ以上に驚くのが、選手のさっぱりとした言い分です。

 1980年、共産圏で初めて開催されるモスクワオリンピックでは、ソ連のアフガン侵攻に抗議して、アメリカが参加ボイコットを訴え、自由主義陣営に属する国もそれに同調しました。
 つまり、日本は国として、モスクワオリンピックへのボイコットを決めたのです。
 
 あの時の、メダル獲得有力者を始めとする選手たちの、涙を流しての抗議は今も記憶に残っています。
 オリンピックで金メダルを取るという目標を掲げ、いっぱい練習をしてきた選手たちの悔しさは、筆舌に尽くしがたいものがあります。

 あれから36年、今度は、ソ連崩壊後、スポーツ大国を維持してきたロシアが、国として、リオへの参加が危ぶまれています。

 国家ぐるみで不正行為をしてきたというのです。
 ドーピングの問題です。
 自国のメダルが期待出来る有力選手のドーピング検査を、ごまかしていたというのです。

 世界反ドーピング機関(WADA)の調査結果によると、ロシアスポーツ省は有力選手に陽性反応が出ると、それを報告せず、隠蔽し、国際機関には陰性の虚偽報告をしていたというのです。

 2014年のソチ冬季五輪では、自国での検査ができないため、深夜に尿検査のサンプルを差し替えることまでしたというのですから悪質極まりないことです。
 2012年のロンドン大会でも、国家ぐるみの不正がなされたと報告しています。

 以上の報告から、ロシアのリオ五輪・パラリンピックへの全面的な出場禁止を勧告しているのです。

 世界の人々は、オリンピックに出られないロシア人選手をどう思うのでしょうか。
 かつて、国家の勝手で出場できなかった純粋な気持ちの選手たちへの同情心と同じ気持ちにはなれないでしょう。皆が皆、同じルールの中で戦ってこそ、スポーツです。ズルをしてまで勝って、何になるのでしょうか。

 かつて、竹ノ塚から、代々木の空に描かれた五輪のマークは、今、高いビルに遮られて、見ることはできないでしょう。


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