人間のワクワク感を担うもの……「建築」

arahinoao
嵐が去った夕方少し歩いてみました。北西の風が、思いの外気持ち良く感じました。湿気もなく、肌をさらりとさするような風です。研究所の森の向こうに山の姿がくっきりと見えました。


 ある学校が、川べりに建つ三階建ての校舎三棟を建て替え、そこにガラス張りの高層ビルを建てようと計画しました。
 周辺の自然を取り込み、開放的な空間の中で、生徒たちに勉強をしてもらおうというものです。

 生徒の教室移動は、すべてエスカレーターを使います。
 エレベーターのように、人間を閉じ込めるのではなく、雄大な自然を見ながら空間を移動させるのです。

 最上階には温水プールと体育館が設置されます。
 とりわけ見晴らしのいい階には、全生徒を収容できるレストランも作ります。

 どの教室からも、筑波や富士のシルエットをうかがい、眼下には利根川の流れが見えるのです。

 全館にネットワークが設定され、最新の教育機器が配置されます。
 最上階にはヘリポートを作って、地域の防災にも役立ててもらおうとしました。

 一千万円をかけて精巧な模型も作り、そこに約一千体の小さな小さな、生徒を形取った人形を配置しました。

 それを、新築したばかりの管理棟のロビーに展示し、新しい学校のイメージを在校生と保護者、そして、卒業生とその学校を目指す生徒たちに示したのです。

 極めつけは、この構想校舎を作るにあたって、寄付金は一切求めないというメッセージでした。

 近隣の私学に比べて、高額な授業料を取っているわけではありません。
 むしろ、近隣で最も高い授業料を取る学校よりも二万円も安い授業料です。
 修学旅行はカナダに行きますが、これとても保護者から文句が寄せられる金額ではありません。むしろ、格安旅行の代金と同額で、一流のホテルに宿泊し、飛行機は日本を代表する鶴マークでいくのです。

 経営は、すべて「やりくり」で可能なのです。
  生徒のためにすべてを行うという信念があれば、それができるのです。

 しかし、川べりに建てる高層校舎は、儚い夢と終わったのです。

 それを企画する学校の責任者とその配下の教師たちへの嫉妬がひたひたと迫ってきたのです。
  学校が乗っ取られるという危惧を抱く人も出てきました。
  次々と新しく打ち出される教育手法についていけないものもいました。
  高層校舎を建設をするために、経費を切り詰めることへの反発を持つものもいました。

 すべてを生徒のために行うということがいかに難しいことか……!

 残念なことに、その危惧や反発は、さまざまの弊害を学校に与えていきました。
  そこここで教員同士の人間関係の破綻が垣間見られるようになってきたのです。
  外部の力が、教員の一部に作用し、高層校舎の計画を公然と批判してくるようになりました。
  
 学校は、ついに三分されてしまったのです。
  新しい高層校舎を建て、世界のどこにもない新しい学校をつくろうとする者たち。
  外部の力を得て、金は働く者に還元せよとする者たち。
  どっちでもいい、私には関係ありませんとする者たち。

 素晴らしい夢を実現する建物であったはずのものが、果敢に前進していた学校を、蝕んでいったのです。

 建築物というのは、きっと、人間が心に描く夢を形にしていく最初の創造事項なのでしょう。
 ピラミッドしかり、長城しかり、世界の各所にある遺跡の背後には、この小さな学校の中で起きたような人間の争いがあったはずです。
 その争いを克服した建築物が今の時代に残っているのです。
 そうでない建築物は、跡形もなくなくなり、人の記憶にも残らないのです。


 今年末には完成する予定のある建築物が一年遅れぐらいで完成の運びになるというニュースを見ました。
 
 それは、4階建てのリング状の建築物です。すべてに曲面ガラスが使われます。
     広さは、二十六万平方メートル。一万人以上がゆったりと活動できます。
     建物を除く敷地には、7千本の樹木が植えられます。
     呼称は、「スペースシップキャンパス」

 2011年、ジョブスは建設予定地となるクパチーノ市の議会で、アップルの本社は、地上に降りた宇宙船のようになりますと述べました。

 ジョブスの頭にあったのは、環境はもちろんですが、そこで働く人たちが相互に顔を合わせやすくし、ちょっとした会話をし、そこからアイデアを導き出すことを可能とする空間です。

 そのために、七千本の樹木が必要であり、曲面ガラスの宇宙船のようなビルが必要だったのです。

 それはとりもなおさず、人間が持つ想像力、そして、それを形にする創造力を引き出すためなのです。

 机を列に沿って並べるだけ時代は終わっているのです。
 皆がひとところに集まって、時間を拘束される時代も終わりつつあるのです。

 ひとつの部署で問題を解決したり、固定された部署で先端的なアイデアを引き出す時代ではなく、異なった部署の人間が、自由に発言し、受け止め、あるいは、ネットで意見を開陳し、それをどう受け止めていくかの時代なのです。
 いろいろな観点、さまざまな見解、あっと驚くような発見をどれだけ早く的確に吸い取るかが分かれ目なのです。

 日本の田舎町での斬新な発想からチャレンジされた高層校舎の計画は流れましたが、ジョブスが発想した宇宙船は動きそうです。

 きっと、世界中の才能ある人士がそこに集い、新たなチェンジを果たしていくのかなと思うと心底ワクワクするのです。


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あまりに曖昧でへり下る日本語は国家存亡の危機を招く

kasumukeshiki
生まれてこのかた、台風が東北から上陸するという話は聞いたことがありません。地球が半世紀を経て、明らかに変化している証拠です。


 「ん」という表記があります。
 
 通常は子音として、単独では音節を構成しません。
 しかし、何かをいぶかる時の「ん?」の時のように、語頭に来る時は、単独で音節を構成します。

 次の単語を発音してみてください。

 「案内(あんない)」
 「案外(あんがい)」

 何かに気がつきましたか。

 あんないの「ん」とあんがいの「ん」の発音には違いがあるのです。
  つまり、あんないの「ん」は、舌が上の歯の裏について、発音されています。
  そして、あんがいの「ん」の時は、舌がそのままで、鼻から息が抜けていきます。

 どうですか。
 同じ表記の「ん」でも、一方は、「n音」で、他方は「ng音」なのです。

 単独で音節を構成できない「ん」が、語頭に来ると音節を構成したり、発音が違うのに、同一の表記を使うのです。

 つまり、日本語は良く言えば、広く流動的な対応が可能な言語であるということです。

 なにせ、日本語とは形がまったく違う中国語を「訓読法(書き下し文)」という方法で、わかりやすく導入し、そこから知恵をいただき、ヨーローッパからの言語はカタカナを用いて、面倒な訳をせず、そのまま取り入れて、近代化に貢献させてきたのです。

 反対に、悪く言えば、日本語は曖昧なる言葉であるということになります。

 良し悪し、イエスノーを先に言う欧米語と違って、あれこれと言って、その後に、やっとイエスノーが出てきます。時には、イエスノーを示さず、察してくれというケースも多々あるのです。


 病院の待合室で、先生の診察の時間を待っていると、看護師さんがおもむろに出てきて、こう言います。
 「患者さまで、○○さま、いらっしゃいますか。」

 どうということのない日常的な言葉掛けです。
 しかし、「患者さま」という言葉に少しく違和感を感じながら、私は待合室に座っているのです。

 「○○さま、いらっしゃいますか。」でいいではないですかと、心の中で思いながら……。

 看護師さんがさらに続けて、同じ呼びかけをすると、「○○さま」でなくとも、「○○さん」でも、と、さらに思うのです。

 丁寧に、敬意を込めて呼びかけることは、それが過ぎると「慇懃無礼」になります。
 つまり、表面の態度はきわめて礼儀正しく丁寧だが、実は尊大で相手を見下げているということになるのです。

 病院で、そのようなクレームを言う人はいませんから「良い」では、すまされないのではないかと最近思うようになったのです。

 と言いますのは、先の選挙の折、候補者や候補者を応援する政治家の方々の発するある種の言葉が非常に耳障りだったのです。

 「〜と言うことを、お訴えをさせていただき、私の挨拶とさせていただきます。」

 「お訴えさせていただく」とは、いかなる日本語なのか、ということです。
 「訴えたいと思う」では、語調がきつくなるのなら、「訴えたいと思うのです」で良いのではないか。

 ここに政治家特有の、あまりに慇懃無礼な、へりくだった日本語があるのです。

 同じ、日本人なら、この政治家は、言っていることと行うことが違う人に違いない。だから、信用はできないくらいに思っていれば良いですが、国際政治の世界ではそうはいきません。

 第一、そのような遠回しな心根を斟酌するような外国の政治家などはいません。
 我が国の周囲には、「厄介で、面倒臭い国」が多いのですから、一刀両断にことを判断し、伝える言葉の力が必要なのです。

 そういう意味で、病院や学校で、患者や保護者に対して、あるいは、企業で消費者に対しての、行きすぎた丁寧すぎる言葉の使い方は、孫の代まで悪影響を及ぼすと考えるのです。

 ごく普通で、圧倒的多数の善良な患者も保護者も、そして、消費者も、意図的に盛られた言葉をかけられることを期待はしていません。
 患者や保護者生徒、消費者に、信頼される、ごく普通の言葉とその背景にある誠実な考え方があればいいのです

 ごく一部の、「厄介で、面倒臭い人々」に振り回される言葉のあり方は、結局は、国を失うことにもつながると私は懸念するのです。


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「土木・建築」に力点を置く歴史小説はいづこにありや

nozokimida
子供の視線は、探究心と遊び心に満ちています。その視線を、責任ある大人たちは意識していく必要があります。


 歴史小説は、当然のごとく、偉人や英雄の並外れた人物像に焦点を当てています。
 また、歴史に偉業を残した人物が、実際いかなる人物であるかは、歴史的事実を逸脱しない限り、作家の裁量にゆだねられているのです。

 そして、多くの知識を有する読者は、そこに「現代」が反映されていることを承知しています。
 仮に、承知していなくとも、今時の考え方や見方がそこに反映されていないと、結局は、その作品は面白くなくなってしまうのです。

 わたしが最初に読んだ歴史小説は、山岡荘八の『少年太閤記』でした。

 一介の百姓の小倅が、立身出世を夢見て、知恵を絞り、身を粉にして働き、天下人になっていく過程は、ちょうど、世の中に出る前の、まだ、夢見ごごちの少年であった私を夢中にさせてくれました。

 十代も終わりに近づくと、今度は、トルストイの『戦争と平和』を、夢中になって読み出しました。

 そこには、ナポレオンのロシア侵攻という歴史事実とトルストイの創作した物語が、巧みに織りこまれていました。
 歴史的人物の群れの中に、ナターシャやアンドレイ、そして、ピエールという架空の人物がいかにもそこにいたかのように動き回り、悩み、愛し、そして、あるものは死んでいき、あるものは生き続けていくのです。

 トルストイのこの作品は、歴史事実に立脚して、そこに、作家の創造する諸々を置いてもいいのだということを教えてくれました。

 自分で、歴史小説を書くようになると、ある事実に気がつきます。
 
 歴史事実を的確に押さえるために、年表を作ります。
 それは動かしがたい事実として、コンクリートされます。一日たりとも、それは動かすことができません。
 関係事項を埋め尽くして、年表が完成します。
 満足感と共に、その表を一瞥します。
 すると、歴史的事実というのは、起こるべく時に集中して起こることに気がつきます。
 ものがぶつかり、その反動で、次の衝突が起こるように、歴史も衝突を繰り返すかのように発生するのです。

 反対に、何も起こらない、そんな時が一年、二年と続くことがあります。

 歴史小説家は、その月日について、何も言及しません。あるいは、英気を養うとか、平和な日々とか、雌伏すると、言葉を濁します。

 歴史的事実のない日々、主人公は何をしていたのか、それを考えた時がありました。

 とりわけ、戦国時代の武将たちは、一体何をしていたのか。年がら年中、槍の鍛錬、武芸の上達に時を割いていたとは思えません。
 そう、彼らは、戦さ場で戦う武者であると同時に政治家でもあったことに気づかなくてはなりません。

 そして、政治家としての戦国武者がやることとは何かと考えます。

 領民の生活の安全か、税の取り立てとその活用配分か、隣国との安全保障のための交渉かと考えていくと、そのどれもであり、かつ、最も大切なのが、土木と建築であったのではないかということです。

 歴史小説には、めったに描かれることのない「土木」工事であり、「建築」工事です。

 小田原の北条氏は、武田氏や上杉氏からの侵略を予想して、自らを守る城ばかりではなく、領民をも守るための「惣構え」という形態の城を作り上げました。

 秀吉が北条攻めをした時、家康もまた参戦し、難攻不落の「惣構え」の城の有りようを目の当たりにしました。

 それが、この後、江戸を開拓し、街を作るに際し、参考になったことは言うまでもないことです。
 時に、川を利用し堀にしたり、その川をさらに掘削して深くしたり、あるいは、川の流れを大きく変えたり、水道を作って、多くの人々が暮らせるようにしたりしていくのです。

 すべからく、武将たちは、山の位置、川の流れを認め、そこが城を築くにふさわしいかを判断しました。
 戦略的に重要な位置であれば、山を削り、堀を掘削し、そこに「曲輪(くるわ)」の位置を設計するのです。
 曲輪とは、本丸、二の丸という城内の建物を言います。
 その配置で、城は雄壮にも、優雅にも見えるのです。

 それができたら、今度は着工です。
 良質の木材を伐採させ、加工させ、時には、装飾を施させます。
 城を守る石垣も大切です。加工しやすく、硬い石を山から切り出し、運び入れ、石組みをするのです。

 さらに、植樹も大切な仕事です。
 松の樹皮も餅にねり混んで食べることができます。梅やくるみ、栗や柿といった、保存がきく食べ物を産する樹木を植えさせることも大切です。
 城内の各所に敷く畳の芯に芋茎を用いるのも、いざという時に食べられるからです。

 歴史小説では、そうした土木や建築に関する話は、残念ながら、書かれることはありません。

 それより、戦闘場面の方が、あるいは、権力闘争の方がはるかに面白いからです。

 しかし、武将たちが、武将として認められる所以、領民の信を得て、治めることを可能にしたのは、この土木・建築工事であったことは確かなようです。
 
 そんな歴史小説を書きたいと思っているのです。


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「教育」の適切なあり方

masogiwanoda
見舞いに行った病院の応接室にあった人形。きっと、入院した人が作ったのだろう。素朴で、優しさに満ちている。


 街で、スカウトされた女子生徒がいました。
 モデルから始めて、その間に、演技やダンスのレッスンを受けたいと許可を求めに来たのです。もちろん、学業がおろそかにならぬことを条件に親も同意しています。
 
 「君は、タレントという言葉の意味を知っていますか。」と、私はその生徒に質問しました。
 もちろん、その生徒は知りませんと悪びれずに言いました。
 
 知識を総動員して、あれこれ言うのではなく、余計なことは言わないという姿勢も、その子のタレントかなと思いました。
 その子が持つ美貌という魅力が多くの人を幸せにしていくのです。
 その後、幾つかのドラマの端役に出たり、モデルとして雑誌に出たりとそこそこ活躍はしているようです。
 人には誰にも、特別な力がある。
 私はそう信じています。

  才能のない人なんていないんです。

 才能にもさまざまあります。
 場を和やかにする力を持っている人が親戚にも、友人のグループの中にも、会社やスポーツグループにも必ずいます。気まずくなる人間関係の潤滑油として、重宝な存在の人々です。
 反対に、場を開けさせる人も必ずいます。これには、時には困り果てるということもあります。
 
 仕事上で、ピーンとはりつめる緊張感を醸し出す力を持っている人もいます。その人がいるだけで、場の雰囲気が変化していくのを身を以て体験した人も多いのではないでしょうか。

 これらは、その人に備わっている特別な力でなくして何でしょうか。

 私自身も、何人かの人から教えられてた「才能」なるものが幾つかあります。
 例えば、行きつけのレストランで、私が来ると、お客が多い日となると言われたことです。
 お世辞を言われるほど、そのレストランに貢献しているわけではありません。
 そう言われると、確かに、昼時の混雑が終わった頃、出かけていき、そのあと、複数の客が入るというのを私も知っていますから、もしかしたら、私には人を呼ぶ「才能」があるのかもしれません。

 占いの好きな知人がいます。
 今では、それなりの名前を持って、いくばくかの金銭をいただいて、仕事としてやっているということを何かの折に聞いたことがあります。

 その人が、まだ、「修行中」のことです。
 何かの用事で、結婚したばかりの我が家を訪れ、私たち夫婦の姿を見るや玄関で目を両手で覆って、座り込んでしまったのです。
 一体、何事が起こったのかと、二人して、肩を抱いて、部屋に招き入れました。
 
 「すみません。あなたからの光が強烈すぎて……」というようなことを言い出すのです。
 そして、用事も済ませず、玄関に戻り、帰って行きました。

 その時、私から出ていた光なるものはいまだにその正体を聞いていません。
 おそらく、「修行中」でしたので、精神的に気分が高まり、発作的に、何かを鋭敏に感じ取っただけでしょう。

 もし、レストランの主人や占いの好きな知人のいうように、私に特別な、スピリチュアルな力が宿っていたなら、私の人生は、もっと違ったものとなっていたはずです。

 しかし、私は途中寄り道をしながらも、堅実で、地道で、努力のしがいのある人生を過ごすことになります。
 スピルバーグの映画にあるような、宇宙からの使者に選ばれることもなく、街中でスカウトされることもなく、ごくごく当たり前の人生を過ごしてきたのです。

 でも、人の才能の素晴らしさを見せつけられる職業についたおかげで、私は、実に多くの才能の所在を確認することができました。

 子どもたちは、光り輝くダイヤモンドの原石ですとよく語っていました。
 世の中の水も甘いも経験してきた保護者からすれば、あまりに理想を語りすぎる教師と映ったでしょう。

 でも、私は本気だったのです。

 子どもたちは、何かをしたくてうずうずしているのです。だから、学校や家庭が、そのうずうずした気持ちを察知し、手を差し伸べてやることが大切なのです。

 それを、ダメな子だとか、勉強のできない子だとか、マイナスの面ばかりを見て、その子の才能をなくしてしまっているのです。
 あるいは、反対に、この子には才能があるんだとそればかりを主張し、顰蹙をかいながらも強弁することで子を潰してしまっているのです。

 大人は、そっと、適切に、子供の持つタレントを支えてやるだけでいいのです。
 あとは、その子が、歯を食いしばって、自分のタレントを伸ばしていくだけなのです。

 それこそが「教育」の最も適切なあり方であると思っています。


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日本人の名前

yuugudaa
土浦には、予科練がありました。その影響で、リンドバーグも、ツェッペリンもこの地に飛来しているのです。これは土浦にある公園の遊具です。こんなところにも影響を与えているのです。


 「きんぎんかねぶくろ」
 随分と景気のいい言葉ですが、実はこれ私の祖母の五人の男兄弟の名前を並べたものなのです。

 祖母の家に行くと、「エイタロウのコウちゃん」とか、「コンペイドウのオヤジ」とか、そういった言い方で、人物を特定していました。
 子供の私には、それがどういうロウで、どこのドウなのかさっぱりでしたが、長じていくに従い、それが「屋号」だとわかりました。
 狭い社会の中で、名前より、屋号の方がわかりやすく優先されていたのです。

 さて、その祖母の兄弟ですが、一番上が、きん、二番目がぎん、そして、三番目がかねです。
 金太郎か、銀次郎か、そして、金三郎か。
 実際、私には、この三人の記憶がありません。会ってもいないと思います。早世したか、遠方で生計を立てていたか。それすらもわかりません。
 ですから、この名前は、私が勝手に想像してつけているのです。

 「ぶくろ」という言葉には、二人の名前が入っています。

 福おじさんと六おじさんです。
 この二人にはあってもいますし、お小遣いなどももらった覚えがあります。

 祖母の父親は、きっと、江戸時代に生まれ、ちょんまげを結っていたのでしょう。
 新しい明治の御代となり、自分の子供たち、それも、男子だけに、景気の良い名を与えたのです。
 きっと、将来、金銭に苦労しないようにと願いを込めたのかもしれません。

 明治の時代に、子供に名をつけるにあたり、こうした面白いつけ方をしたところに、当時の日本の姿が垣間見えて面白いと感じます。

 教師をしていた私は、年を追うごとに、子供たちの名前が読めなくなっていったという不甲斐ない思いをしてきています。
 別に、私が耄碌して、漢字を読めなくなったというのではありません。
 
 意訳というのがありますが、最近の子供の名前のつけ方は、凝りに凝ってしまった「意読み」ではないかと思うくらい厄介なものです。

 「心愛」と書いて、『ここあ』。
 「希星」と書いて、『きらら』。
 「来桜」と書いて、『らら』。

 「月」と書いて、『あかり』とか『ルナ』とか読ませるとなっては、お手上げです。
 彼女たちが、おばあさんになった時、どうなってしまうのか心配になってしまいます。

 実は、人のことを心配ばかりしているわけにはいかないのです。
 自分の孫の名前も、将来を心配しなくてはいけないのです。

 その名を『悟空』と言います。

 その子は、オーストラリアのゴールドコーストに暮らしています。
 この子が、オーストラリアで学校に行き、そこで生涯暮らしていくことを想定して、娘たちが付けた名です。日本語の名前は、オーストラリア人には言いにくいのでしょう。
 しかし、日本人の血を持つ子に、ジョンとか、ポール・ジョージではうまくありません。まして、リンゴでは……。

 そこで、オーストラリアでもっとも有名で、人気のあるヒーローからと娘たちは考えたのです。

 それが、ドラゴンボールの「悟空」です。

 この春、その「悟空」に会いに行った時のことです。
 隣家のブラジル人の女の子が、「GOKU」と叫んで、毎朝、パジャマのまま上がり込んでくるではないですか。
 道の向こうにあるカナダから移民してきた家には二人の息子たちがいますが、彼らも「GOKU」と名前を呼びながら、はだしのまま上がり込んできます。
 どういうわけか、オーストラリアの子供たちは、外では裸足で遊び、家に入ってくる時もお構いなしなのです。

 ともかく、「GOKU」の名前は、少なくとも、ご近所の方々には、覚えやすく、いいやすく、親しみがあるようなので安心をしました。

 名は体を表すと言います。
 トラゴンボールの悟空がどういうキャラクターかはよくは知りませんが、おそらく、正義の味方でしょう。
 私の血を受け継ぐ、孫もそうあって欲しいと思うのです。

 ところが、最近、週二回通っている幼稚園で、「GOKU」が、お友達の頭を叩いたり、大きな声をあげたりすると娘が先生から言われたそうです。
 「悟空」の名前が、そうさせてていないことを祈るばかりです。

 そして、先生や友達に、拙い英語で「Sorry」というそうです。
 
 ともかく、私にとっては、心配と安堵とが繰り返し押し寄せてくる名前なのです。


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「闇」に光をあてられる度量ある人材が国と国を正しい方向へと導く

taikifuanteifa
台風一過、常は晴天があるけれども、この日、つくばの大気は不安定、この雲があの凄まじい雨の到来を告げています。



 官庁とか、一般企業には、表に出てこない深い「闇」の部分が必ず存在します。

 官庁で言えば、ある官僚が次官など省庁のトップに就くと、同期の者たちは、職を辞するという暗黙の了解があります。職を辞した者たちには、天下りでそれなりの職が用意されますから、生活に困窮するという心配はありません。
 これは、同輩の人士を退けることで、省庁内部の風通しを良くし、国民のために、より良い仕事ができるようにとほぼ慣習的になされていることです。

 ですが、そうした「表」の反対側で、人事をめぐる暗闘が当然のように繰り広げられます。
 その下に就く若い人たちにとっても、人事は、将来を左右する重大時ですから、省庁を揺るがす暗闘がそこには発生することになります。
 それこそがまさに官庁に内在する「闇」なのです。

 民間では、官庁よりもその「闇」がより汚い形で存在します。

 それは、「利」がそこに介在しているからにほかなりません。
 創業家がどうだとか、社長交代劇だとか、その他一連の確執を因とする問題が発生するのは、富の分配をめぐる争いにほかならないのです。

 しかも、その争いは、理事会とか、取締役会という密室で、表向きは法に則ってなされますが、内実は、露骨な権力争いという形で、暴言と侮辱といった精神的な戦いがなされているのです。

 トップに立つというのは聞こえのいいことですが、要は、精神的に相手を愚弄し、誰でもが持つ相手の不備を完膚なきまで叩き、あることないことを吹聴して権力を握るということなのです。
 度合いは異なるでしょうが、多かれ少なかれ、そうした「闇」を内在するのが民間企業の一つの姿なのです。

 そして、多くの歴史がそうであるように、敗れたものの痕跡は、跡形もなく消されていきます。
 つまり、「闇」に光が当てられることは一切ないのです。
 大変、酷な出来事です。
 
 そういった観点から見ていくと、政治の世界は幾分異なった雰囲気がみられます。
 もちろん、政治の世界にも「闇」はあります。
  「利」もあります。
  「暗闘」もあります。
  「嘘」も、「裏切り」もあります。
  この世のすべての「闇」が、そこにあると言っても過言ではありません。

 しかし、違うのは、その「闇」が未来永劫葬られるということがないということです。
 
 役人や企業の幹部たちが煮え湯を飲まされ、表舞台から去っていくのと違って、政治の世界にあるものは、自分が去った時にも、その思いを斟酌してくれるある種の存在があるのです。

 それが、国民です。
 そして、その国民への情報提供者であり、代弁者であるのが、健全でまっとうなマスコミです。

 健全でまっとうはマスコミは、政治の世界に食い込み、情報を細大漏らさず収集し、国民に適宜公開してくれます。
 
 ところが、官庁や民間企業での「闇」を、健全でまっとうなマスコミはあまり伝えません。

 それは、とりもなおさず、そこに「欲望」に裏打ちされた「利」があるからです。
  公のためではなく、私のための利害活動に、優劣をつけることは愚の骨頂であるからです。

 しかし、政治の世界は異なります。
 彼らは、公の人です。
 国民から選挙で選ばれ、国家や地域のために力を尽くす存在です。

 ですから、リーダーの持つ凄さとか、人間の心の広さとか、器のあり方とか、そういう人に関するあり方を顕著に見ることができるという点で、官僚とか民間企業幹部とは違うあり方で捉えられることができるのです。

 オリンピックの最中、尖閣に中国公船と漁船が大挙して押し寄せました。

 中国が戦争を仕掛けてきたと大騒ぎするマスコミはありませんでした。
 健全でまっとうなマスコミは、これを冷静に捉え、あのような大型艦船を大海にとどめるのは一週間が限度と冷静に分析をしていました。

 その折のことです。

 業を煮やした日本政府は、抗議のレベルを上げ、外務大臣が駐日中国大使を外務省に呼びつけ、抗議をするという手に打って出ました。
 そのおり、8分間、大使を意図的に待たせたのです。

 同じ時期、自民党本部に幹事長就任へのお祝いのため訪問してきた待たされた中国大使と、二階幹事長は気取らない話をしました。
 それは、政府の対応とは大いに異なるものでした。

 「家庭でさえ、ぎくしゃくすることがあるのだから、国と国であれば、当然です。それを乗り越える度量と見識がなくては。」と応じたのです。
 
 かつて、北京を訪問した田中首相に対して、毛沢東主席は、「もう喧嘩は済みましたか。」と言って、田中総理と周恩来総理を自分の執務室に招き入れたと言います。
 とても、共通する部分があります。

 大使は、「魚が集まり、豊漁でした。」と話をし、二階幹事長は、相手の話を聞いた上で、「ルールがあるのだからそれにのっとってほしい。」とやんわりと釘を刺したのです。

 これは大変に大きな意味があります。

 政府は、政府の立場として、強硬に物言いをする必要があります。
 しかし、一方で、まったく違った角度からやんわりと物言いをする立場も必要なのです。

 両国の政権の、国家の面子をかけて主義主張の裏には、必ず政権が持つ「闇」が存在します。
  権力闘争という「闇」
  国内勢力に気を使うという「闇」
  権力を維持するために過酷な処断をなさなくてはいけないという「闇」

 ともすると、それらは国民を不安に陥れることにもなります。また、不要に、ナショナリズムを煽り、不測の事態を招くことにもなります。
 
 それに光を当て、やんわりとうまい方向に持って行くのです。
 かつて、毛沢東主席が日中関係を進めるために放った光同様、二階さんの一連の振る舞いは、その光となったと言ってもいいのではないでしょうか。
 願うことは、現在の中国側の政権にも二階さんと同じレベルの光をあてることが可能な材が出て欲しいということです。

 王毅外務部長から、外務官僚、中国マスコミまで、同じことばかり言っています。
 それではダメです。

 「闇」に光を当てる度量をもつ人材が、国と国との関係を正しい方向に導くのです。


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命、続くのか。

arashinomaed
明日、嵐がやってくるという前日の夕方、西の空がとても美しく輝きました。


 父が亡くなる年の春のことです。
 ふと、父と母を旅行に誘おうと思いました。

 以前、一度、両親を香港旅行に招待したことがあります。
 五日程度の小旅行です。
 両親にとっては、初めての海外旅行です。
 さぞかし、楽しい思い出をいっぱい作ってきてくれたかと思いきや、疲れ果てて帰ってきたので驚いてしまいました。

 なんでも、朝食がバイキングだということがわからなくて、二日もウーロン茶だけで、ホテルの食堂に二人して座っていたということです。
 不思議に思ったホテルマンが、手をとって、料理のある場所に連れて行き、手振り身振りで教えてもらい、ようやく、三日目の朝、朝食が取れたということです。

 私の両親は、バイキングも知らなかったのかと、私はそのことにも驚きました。

 帰国してから、旅の話を聞くと、決まっていうのは、ガイドの日本語が素晴らしいということでした。
 しかも、あちこちと連れて行ってくれるし、美味しいというレストランも紹介してくれたというので、相当な額のチップを渡した言います。
 まだ、カードのない時代です。
 腹巻きにお札を入れ、両替し、相当な金額を使ったのではないかと想像しています。

 当たり前のことをした香港人ガイドはきっと臨時ボーナスをもらったような気分であったでしょう。
 でも、両親が観光地やレストラン、土産物屋で親切にしてもらい、微笑ましい思い出を作ってくれたのであるならば、安いものです。
 一流のレストランで、ガイドも同伴で食事をしたというから豪勢なものです。

 そんなことがありましたから、今度は海外ではなく、国内でということで、準備を始めました。

 JRの「踊り子号」の4人の座れるコンパートメント席を用意し、稲取温泉での一泊の旅行です。
 しかし、出かける一週間前、私の仕事上の問題が発生し、今までの経験から旅行への同行は無理と判断しました。
 そこで、娘二人に行ってくれるよう頼み、両親は孫娘二人と楽しい旅行をし、父は随分と酒を飲んだようです。
 子と行くより、孫と行った方が、きっと両親には良かったのではないかと思っています。

 今でも、娘たちが言います。
 携帯を金庫に入れたら、意味がないのに、と。
 祖父のトンチンカンで、面白い行動を懐かしんでいるのです。

 しかし、秋になると、父は、にわかに体調に異変を生じ、11月に、亡くなってしまうのです。

 人の死というものが、かくもはかないものかと思い知らされました。
 しかし、それにしても、なぜ、その年の春に、旅行をさせようと思ったのか、今思うと、私には「虫の知らせ」としか思えないのです。

 母もよく似たようなことを言います。
 一番上の兄のことを、私たちは「兵隊じいちゃん」と呼んでいます。
 もちろん、私は彼のことは飾られている写真でしか知りません。
 「兵隊じいちゃん」は、中国で戦死しました。
 なんでも、頭に敵の銃弾を受けて亡くなったということです。
 そのあと、二番目の兄が従軍し、中国大陸を歩き続けただけで帰ってきて、戦後は、その兄を軸に、母の家は形を成していくのです。

 その「兵隊じいちゃん」が、戦地で亡くなった時、母たち女は、縁側の陽の当たる場所で、繕い仕事をしていたと言います。
 トンボが、針仕事をしている場所に飛んできたので、軽く手で払いのけたと言います。
 そしたら、トンボが目の玉を落として、縫っていた着物の上にポトリと落ちたそうです。

 母は、今でも、それが「兵隊じいちゃん」が、中国で戦死し、その魂が帰ってきたんだと信じているのです。

 人は、ふと、科学では解明できない未知の超科学的な状況に納得するときがあります。

 台風の風雨を窓の外に感じながら、その日、私はリオのオリンピックの閉会式の様子を見ていました。
 東京のパフォーマンスの素晴らしさに感動しながら、2020年は東京か、と感慨に耽りながら、そして、1964年に引き続いて、二度も東京でのオリンピックを見ることができる幸運に浸ったのです。

 しかし、ふと、私の脳裏を一抹の不安がよぎりました。

  ……あと、四年、命が続くのかと。

 人には、何が起こるか、一寸先は闇なのです。
 若い頃、感じなかった「闇」を、私が、初めて感じた瞬間でした。


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兵士は戦争の記憶を持たない

turikozoudsa
釣りのモニュメントがありました。霞ヶ浦はバス釣りのメッカです。私は海の方が好きなので、ここでバス釣りをしたことがありませんが、近所の子供達にとっては楽しみで、思い出をつくってくれる湖です。


 私にとって、今年のお盆は、実にお盆らしくないお盆でした。
 母が入院をする羽目になってしまったこともありますが、時代の変遷と共に、身内が一堂に会するということがなくなったしまったのです。
 これで、母がいなくなれば、私の身内は、きっと集まることもなくなるのではないか、そんなお盆だったのです。

 むかし、母方の実家では、天理教を信仰していて、自宅がその分教会となっていました。
 そのため、定期的に行われる祭事に呼ばれ、食事をご馳走になっていました。その時は、親戚一同、ご近所や信仰している方々が集まり、それはたいそうにぎやかな集いであったのです。
 天理教はおおらかな宗教らしく、私の家のように信仰をしていなくても呼ばれ、飲めや歌えの大宴会をするのです。
 夏には、天理市にある本部へ出かけ、ついでに京都や奈良観光もさせてくれました。
 
 その母の実家での会で、子ども心に楽しみにしていたのは、おじたちの従軍の話でした。

 母の兄、つまり、実家の主人ですが、彼が中国戦線にいるとき、小高い丘の上で休憩をしていた時、近所の良平さんという方から声をかけられ、懐かしいなあと肩をたたきあったこと、そして、その良平さんが、実は、その兄の妹、つまり、母の姉と結婚したことを告げて驚かされたことなど、面白おかしく話をしていたことを思い出すのです。

 手榴弾を投擲する競争で、母の兄が優勝し、部隊長から賞状をもらったこと、戦争に行ったが弾を撃ったことがないこと、ひたすら列を作って、中国を歩いていたことなど悠長なものばかりです。

 むしろ、東京の下町で、空襲を受けながら、命からがら生き延びていた母の話の方が戦争を感じました。
 大根の方が多いご飯、豆を煎ってそれを食べては水を飲み、腹の中で豆を膨らませて、空腹を満たしていたこと。
 すぐに外に出て行かれるように、着替えることもなく布団に入る話、焼い弾で焼かれた死体が道端にあってもなんとも思わなくなってしまった話、用事で平塚に出かけた時、米軍戦闘機の機銃掃射を受けた時の恐ろしさ。 
 国内にいた母の話の方が戦争を感じたのですから、不思議なものです。

 父だけは、おじたちと住んでいたところも違い、当然、部隊も違って、中国戦線ではなく、シベリアのソ連軍と対峙する戦線に行かされ、結果、イルツークに抑留されてしまいました。
 そのため、おじたちの、中国戦線での話を、ニコニコしながら聞き、大好きな酒を飲んでいました。

 その父から、戦争の話を聞いたのは、さほど多くありません。
 騎兵に所属していたこと、ソ連との戦いではすぐに捕虜となったこと。幾分ロシア語ができたので生き延びることができたこと。
 聞いた話はそのくらいなのです。
 こちらも多くを聞かなかったし、父も多くを語らなかったのです。

 おじたちも、おもしろおかしいことばかり話をしますが、実際はどうだったのでしょうか。

 父が亡くなった時、父の弟にその話をしました。
 この方は、大学を出ていたので、陸軍少尉として、沖縄に派遣された経験を持っています。

 「兵隊たちは、何も知らされていないんだ。自分のような下っ端の将校だって同じだ。戦争というのは、皆目見当もつかない場所で、敵がどういう力を持っているかわからないで戦うんだ。」

 陸軍少尉であった父の弟はそう言いました。

 何もわからない中で、命を張るのが戦争。
 兵士たちの目にうつり、心に去来するのは、今、敵弾を避けるために転がっている大地であり、生き残るにはどうすべきかということしかないのだ。

 だから、従軍中の記憶で、思い出してもいいのは、そして、笑いながら語り合ってもいいのは、くだらないものばかりなのだと、父の弟は言いました。

 沖縄は大変だったのでしょう。

 私の言葉を受けて、父の弟は、しばらく沈黙して、意を決したように言葉を出しました。

 沖縄に行って、よく生き残って帰ってこれたと思う。
 自害をせよとの命令が下った。
 将校はだいたいが拳銃を口に当てて、自害をする。
 でも、それができないんだ。自分は弱いと思ったね。
 
 しかし、父の弟は、米軍の捕虜にもならず、その後どうして生き延び、日本に帰ってきたのかについてはついに話をしてくれませんでした。
 ただ、彼の妻になる方と帰国の病院船で出会ったということは事実でした。
 それは、おばさんが話をしてくれました。
 おばは、日赤から派遣された従軍看護婦だったのです。

 お父さん、素敵だったのよ。長靴を履いて、軍服がよく似あっていたの。戦争中だったけど、大恋愛よとおばはあっけらかんと言います。
 それを聞いている父の弟も微笑んでいる。
 殺伐とした戦争の中で、この二人にとっては、素晴らしい恋愛体験であったに違いないと想像するばかりです。

 兵士は戦争の記憶を持たない……
  それが、おじたちと接して、私の感じとっていた感想です。

 寂しくなったお盆を迎えた日に、そんなおじたちのことを思い出したのです。
 良平さんと呼ばれていたおじがよく酒に酔って歌っていた春日八郎の『お富さん』の歌詞が頭に浮かんできました。

  粋な黒塀 見越しの松に
  仇な姿の 洗い髪
  死んだ筈だよ お富さん
  生きていたとは お釈迦さまでも
  知らぬ仏の お富さん
  エーサオー 玄治店


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新しい日本語を示してほしい

suishatofuusha
風車と水車。絶妙なアンバランスであり、しかし、不自然でないのがいいと思います。日本の近い将来の姿を暗示しているように、私には思えました。


 ラップという音楽ジャンルがあります。
 私のような年齢になると、若い男の子たちが、マイクを持って、腰をかがめ、体を振りながら、言葉を羅列していく姿を見て、ついつい辟易してしまうのは致し方のないことです。
 何せ、何を言っているのかわからないのですから……。
 
 ラップは、70年代のニューヨーク、お金のない黒人たちが公園や路上に集まって、そこで行われたのが始まりです。
 いうならば、路上パフォーマンスの一種ともいうべきものなのです。

 ラップには、鬱屈した青年の思いのたけを言葉に託して、あるいは、そういう状況に自分たちを置く政治状況を、痛烈に皮肉る言葉が充満しています。

 一昔前なら、ウエストサイド物語のように、ナイフで力を誇示して連中が、ここではラップで勝負をつけるのです。
 いかに、相手の言葉を受け止め、きり返すか、周りにいる仲間たちの共感を得られるキレのいい言葉を発することができるかが勝負の分かれ目です。

 もともと、ラップというのは、Rhyming(ライミング)が語源となっています。
 つまり、韻を踏んで、小気味好く言葉を切り返していくのです。

 そういった点では、路上で楽しむ黒人青年たちは、卓越した言葉遊びの達人たちであったのかもしれません。
 
 当然のこと、新しいもの好きの日本の若者も、このラップなる新しい表現方法を自分のものとしていきます。

 昔から、言葉遊びでは豊かな文化を誇ってきた日本です。
 掛け言葉・折句・回文と教科書に載るものから、しりとり・なぞかけ・早口言葉と子供たちが日本語を自然と学ぶ遊びまで、最近では、外国人がダジャレで人を笑わせるまでになっています。
 長い歴史の中で、雅俗共々、言葉の豊かさを誇ってきたのです。

 さて、現代の日本の若者たちが、ラップという表現形態を使って、いかなる日本語で、どのような歌詞を作っているのか興味が出てきました。

 例えば、こんなのがありました。

 『この氷河期じゃ能書きじゃなくてひねる脳がキー』(ICE BAHN)
 
 作者も聞き手も、意味はたいして重視していないと思います。「氷河期・能書き・脳がキー」という言葉の発する『音(オン)』が面白ければいいのです。

 その他、数字を織り込んだり、有名人の名前を織り込んだり、時には、昭和天皇を揶揄したり、政治的な発言を発したりと、実に若者らしい、乱暴であるけれども、新鮮な言葉の使い方がなされているのです。

 おそらく、平安の昔も、貴族たちは、思うようにいかない自分たちの思いを、言葉の修辞を凝らして書き残し、それが今に伝わっているのだと思います。
 ただ、一つだけ昔から伝わる日本語のカタチと違うカタチが、今の若者のラップには見て取れます。   
 
 それは、言葉の数が、伝統的な「五・七」ではないということです。

 英語や中国語と違って、日本語の場合、音(オン)の数で、言葉の響きをよくするという工夫がなされてきました。
 日本語は、一息で、息継ぎをせずに、発することができる音は、12音だそうです。
 だから、12音を途中で区切って、言を発するようになります。
 長い年月、何度かの試みを経て、<5音+7音>あるいは<7音+5音>という形が作られてきたのです。
 教科書的に言えば、『万葉集』に多く見られる、雄壮な趣をたたえる五七調。『古今集』に多く見られる技巧的な七五調という形態です。

 ラップの歌詞が、これら調子と同等の働きを示すにはまだまだ時間がかかると思います。
 英語の歌詞のように、押韻をしやすい言語と違って、日本語は押韻がしにくい言語です。そのため、さらなる工夫が必要なようです。

 200年後に、今の若者たちが歌っているラップが評価され、学校で取り上げられるためには、有能な若者たちのますますの努力と創造性が求められているようです。

 私のような歳になると、ジョン・レノンが『God』という歌で、彼と関係するであろう人物の名を叫び、決別を宣言したり、『Give peace a chance』で、権力に対抗したりするラップ的な歌詞に共感を覚えます。

 きっと、今の若者たちも、いろいろと考えていることでしょうから、この日本から、世界をアッと言わせるラップの歌詞を発信して欲しいと思うのです。


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旅先で感じる食文化の不思議

hasunohanada
ハスの花が今の季節満開です。汚泥の中で育ち、これほどまでに美しい花を咲かせるハスは魅力的です。


 ディズニーの映画であったと思いますが、こんな場面がありました。

 ある古城のダイニングで、人々が大きな昆虫を食べているのです。
 甲羅の中に、舌を突っ込んで、その中のドロドロとした液体らしきものをすすり、甲羅の隅に残ったものを指でかき集め、それを指の平にのせて、美味しそうに舐めるのです。

 それを見て、私は眉をひそめました。

 しかし、よくよく考えてみると、それって、私たち日本人が、伊勢海老やロブスターを食する時にやっている動作ではないかと思ったのです。
 
 以前、仕事でボストンに滞在したことがあります。
 クインシーマーケット内のカウンターだけの、全部で10席ほどしかないオイスターバーのロブスターが美味しいと仕事仲間から教わり、出かけて行ったことがあります。

 注文は、目の前に縛られているロブスターの中からこれと思うものを指差し、それを煮えたぎった湯の中で茹でててもらい、食べるのです。
 大量の溶かしバターが添えられ、大皿に真っ赤に茹で上がったロブスターが、揚げたポテトとともに出てきます。
 私は、その歯ごたえのある身ばかりでなく、濃い黄色の味噌まで食しました。

 ふと、気付くと、いつの間にか席についていた、アメリカ人家族の視線を、とりわけ、その女の子の視線を浴びていることに気がついたのです。

 ほとんどのアメリカ人は、その身を殻から外して、添えられたポテトのそばに丁寧に置き、溶かしバターをかけて、厳かに食するのですが、私は両手を使って、ロブスターにかぶりついていたのです。
 しかも、彼らが気持ち悪いと思うようなロブスターの味噌までをすすっていたのですから、子供には残酷な姿に映ったのでしょう。

 考えてみると、エビ類も昆虫も、生命体として、同じような形質を持っているのではないかということに気がつきます。

 私たちがエビの腹部を美味しそうに食べるのであれば、昆虫の、そうゴキブリのあの黒々とした腹の中に詰まっているものを食しても、なんら不思議はないわけです。

 そんなグロテスクな話をしなさんなとお叱りかりを受けそうですが、なんでも、この地球を宿とする生命体の種類は、おおよそ140万種類いるそうで、そのうちの70パーセントが昆虫だというのですから、今後、人類が生き延びていくために、大量に生息する昆虫を食べていかなくてはいけないということもありうることなのです。

 オーストラリアの原住民であるアボリジニーたちは、今でも、蛾の幼虫である芋虫や蜜を持つ蟻を食べます。それを体験させるツアーもあるようですが、ロブスターならともかく、虫はちょっとと遠慮をしてしまいます。

 食文化とは、長い歴史と環境の中で育まれてきたものですから、芋虫を食べるアボリジニーを誰も軽蔑することはできません。砂漠に暮らす彼らにとって、それらは貴重なタンパク源なのですから。

 そのオーストラリア政府が、日本の鯨食文化を批判します。
 捕鯨反対の急先鋒シー・シャパードの一員として、太地にやってくる外国人の中では、オーストラリア人が最も多いという話を聞いたこともあります。

 我が家にホームスティした数名のオーストラリア人には、さすがに鯨肉を提供したことはありませんが、ある時、山梨の友人から送られてきた新鮮な馬肉を出したことがあります。
 さぞかし、驚き、気持ちわるがり、嫌悪されるのではないかと、恐る恐る、その肉のことを言い出したことがあります。

 彼女は、とても珍しがり、同時に、興味を示しました。
 日本語もでき、日本を良く知る彼女ですから、上手な箸さばきで、その肉をニンニク醤油をつけて食しました。
 食べたのはその一切れだけでした。
 美味しいとは言わなかったので、多少、気持ちが悪かったのでしょう。

 「オーストラリア人でも、カンガルーの肉や、アリゲータの肉を食べる人がいます。私は食べませんが。」と彼女は言いました。

 そういう経緯を考慮すると、彼女は意を決して、あの馬肉の一片を口に含んでくれたのだと、強制したわけではありませんが、少々、すまなく思ったことがあります。

 香港、広州へと旅行した時のことです。
 空を飛ぶものなら飛行機以外、四つ足なら机以外すべてを食するという広東料理を食するわけですから、こちらも興味津々です。
 しかし、それほど驚くような料理はなく、ごくごく当たり前の美味しい広東料理を堪能することができました。
 ただし、「龍」の字のついた料理は遠慮させてもらいました。
 それは蛇の料理だからです。
 
 香港では、驚きの出来事がありました。
 添えられた中国茶で箸を、料理を前にしたテーブルで洗うように勧められたのです。周りを見ると、皆がそのようにしています。
 箸が汚いわけではないのでしょうが、そうすることが半ば常識になっているということでした。

 ここは観光地にある高級な料理店ではなく、香港人が仕事を終えて立ち寄る一杯飲み屋のような店です。目の前に出てきた貝料理を見て、箸よりもこの貝にあたるのではないかと不安を覚えつつ食したのを覚えています。

 人は食べなくては生きていけない存在です。
 そして、地球上で唯一と言っていいほど雑多なものを食する生命体なのです。当然のこと、そこに文化が生まれます。その土地で食べられるものが、他ではとんでもないということも多々あるのです。

 欧米人はもとより、世界各地の人が、ところにあった食文化を認知できることが可能になれば素晴らしいことではないかと思うのです。


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nkgwhiro

Author:nkgwhiro
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《8/22  Tuesday》

❣️<Puboo!>にて、『神様のおかげ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『The silhouette:The person who sits down in a seashore bench
It's covered with a green tree and give the shade of a tree to two people. Many waves are surging over the beach.A vast sea and the sky spread over it.
人影 : 卸下腰到海岸的长凳的人。绿的树木落到身上,将树阴给予二人。向海滨的对面几个也波浪涌来。并且,到那个对面汪洋大海和天空扩展着。』の絵を公開しました。

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