人間すべからくART

akirakanadahu
キャベツ畑の向こうに青い山並みが見えます。天気のいい日に、こうして山を見ると、この地を選んでよかったなと思うのです。この日の筑波のお山は、ことの外、青く輝いていました。


 一個性が、何らかの美を生みだし、それを圧倒的に多くの人々が鑑賞し、愛でるという構図は、決して間違ったことではありません。

 美術館に行って、思うことはそのことです。

 ですから、チケットを持っていても、3時間並ばなくては美術館に入れないという事態が発生するのです。今年、若冲展で私が遭遇した驚愕の事態です。

 そして、思うのです。

 確かに、一個性が発する強烈な美、時代が遺した犯しがたい美は、人類を代表する美であるに違いないと。しかし、本来の美とは、自らが「美」なるものを体現する、あるいは、自らの上で表現してこそ、美しいものではないのかと。

 何を理屈をこね回しているのか、もっと、はっきりともの申せという声が聞こえてきます。

 秋の夕暮れ、西の空が見せるあの荘厳な輝き。
 蝶の羽の、幾何学的な模様と太陽の光が透けることによって起こされる色彩の微妙な変化。
 浜辺で拾った巻き貝の、波にあらわれ、中の構造が丸出しになり、見せる螺旋の美しさ。

 これらは、一個人が作ったものでもないし、時代が作ったものでないのです。
 自然が、意図なく、ありのままの姿をさらけ出しているだけなのです。

 まだ、あります。

 子供の無邪気な表情。
  何の意図もなく、何の欲もなく、純粋に物事を見つめる表情にハッとさせられるのです。
 老人の達観した表情。
  見るべきほどのことは見つ、という覚悟が伝わってくるあの表情に、我もかくありたいと思うのです。
 
 自然が持っている美しさについては、科学の進歩とともに、数学的に解明されてきました。
 例えば、先ほどの巻き貝の螺旋の形と、宇宙にある銀河の螺旋、あるいは、台風の形、そして、花弁が密集する花の形です。
 黄金比とか、フィボナッチ数列とか、理論で説明されますが、私たち人間も自然の中の一員として、その形を内部に持つことを知らされるのです。
 それが、人間を存在させている根源としての形としてのDNAです。

 自然を作ったのは「神」であるとは言いません。
 しかし、何か偉大なるものがそこに介在し、あの夕暮れを描き、対称的な模様と陽光を受けてのきらびやかさを演出し、恐るべき、そして、得体の知れない自然の中に共通する形を創り出したとしか思えないのです。

 人間には、表情があります。
  欲望をたぎらせ、脂ぎった表情。
  失望の中で、虚ろな目を中空にやる表情。
  怒りや、悦楽、喜びや、悲しみで見せる諸々の表情です。

 生きているから、人間が見せる表情です。
 それゆえ、人間も自然の一部なのだと気がつくのです。

 ART、芸術という意味のこの言葉の語源は、いうまでもなく、ラテン語からきています。
 原義は、「術」、つまり、何かを手でいじくりまわし、創り上げることを意味します。

 人間は、石器を作り、土器を作り、青銅器を作り、鉄器を作りました。
 やがて、産業革命が起こし、今までにない力を獲得し、飛躍的な技術革新を果たしました。 
 今、微小な機器を寄せ集め、手のひらですべてが賄える機器も作り出しました。

 これらの人が作ったものを「Artifact(=人工物)」と言います。

 時に、生活に役立つものばかりではなく、人は黒曜石の断面に美を見出し、土器に縄目をつけて、青銅器や鉄器に模様を刻み込みました。
 大きな力を発する機械にも、手のひらに乗る機械にも、デザインで形を与えました。

 それこそが、人間が常に「美」とともにあった事実なのです。

 そう、人間は誰しも、ARTと直結しているのだということです。
 ですから、それに、いち早く気がつくことです。

 そうすることで、絵を描くこともできるし、詩を書くこともできるのです。
 あるいは、家具を作り、庭を作ることもできるのです。

 自らの手で、何かをなすこと、それこそが「ART=芸術」であると私は思うのです。


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30年学び、30年働き、そして、あと何年楽しむことができるか

ranntanndaflk
秋の青い空に、一つのランプが浮かんでいます。人の命も、こんな姿をしているのかもしれません。ランプの仕事は輝くことです。あたりを明るく照らし、そこにいる人に豊かさを与えることです。だったら、人の命をランプにたとえて、おかしいことはありません。


 最近、テレビを見ていると、あまり見ない顔だなと思える学識者が出ていて、その見解や意見に、新鮮な感じを受けることがあります。

 時代が、一皮むけていったな、と感じるのです。

 世の中で、そうした若い世代、新進気鋭の世代、真っ当な、年配者も若いのに結構やるじゃないかと得心する世代がでてきていることは確かなようです。

 仮に、こうした世代を「進次郎世代」と呼ぶとします。

 というのは、彼は今、「2020年以降の経済財政構想小委員会」なるもので、提言を出しているからなのです。
 随分と難しい名前の委員会ですが、要は、人生100年をいかに生きるかを、同世代の若者たちに提案し、考えてもらおうとしている会なのです。

 私たちの世代は、あちらこちらにわんさか同じ世代がいました。
 そして、「受験戦争」なる厳しい関門を経て、さらに、激烈な就職競争を経て、ひとかどの人物になっていくという成長の姿が、学校でも、家庭においても構想されていたのです。
 しかし、若さゆえ、当然、その道から外れる人も出て来るわけです。

 自由なる精神を標榜し、ヒッピーになったり、あるいは、ベトナム戦争に反対し、体制批判に力を入れたり、あるいは、ヘルメットをかぶって機動隊とガチで対峙したりしたという若者たちです。
 
 それもまた、青春のいっときの熱でありますから、燃えないより燃えたほうがいいと思います。
 燃えたまま、年を重ねて、今に至る人も当然います。
 そこから足を洗い、激烈な競争のある社会への復帰を果たした人もいるはずです。

 それぞれが納得の上で、自分の人生に誇りを持って、胸を張っていきているはずです。
 どっちが得だとか、損だとかは、考えても詮無いことですし、それを承知で、あの若き日の分岐点に各自が立ったはずです。

 時代が変わって、今、若者たちが作り出す「人生のレール」は、かつて以上に、実に様々なのです。

 今の若者に対して、政治家である「進次郎さん」が、現状を分析し、未来を創造するという作業こそ、まさに「政治」そのものと言えます。

 私たちの世代のように、一本のレールの上を、圧倒的多数の子供達が乗っかっていくという時代ではなくなった今、いくつものレールを若者たちが作り、それを社会が認知していく時代が現代です。

 「政治」は、そうした多様なレールを進む若者たちが、あまりに危険なリスクで、落とし穴に陥らないようにしていくというのを柱にすることは決して間違いではないのです。

 リスクに陥らないということは、何でもかんでも、政府や国がお世話をするということではありません。
 それはむしろ、私たちの世代の方が、お世話になっていることではないかと思っています。
 そうではなくて、若者たち一人一人が自立していくことを目指すということを意味します。

 人間50年の時代は終わり、将来、人は70歳でも、80歳でも、元気にしていられる時代がくるはずです。
 そのためには、人を「制度」で区切りをつけさせるのではなく、各自にあった在り方で、元気に働く、元気に遊ぶ、元気に楽しむという時代を迎えなくてはいけないのです。

 なんでも、今、半数近くの若者たちが国民年金の保険料を支払っていないと言います。
 このままで行けば、彼らが年を取った時に、年金がない、あるいは、かなり額の小さい年金しかもらえない事態が発生すると言われています。

 そんなことを思うと、海外で暮らす自分の子供のことが心配になります。
 おそらく、日本の国民保険料を支払っていない部類に入っていると思うのです。
 
 出産の折、病気になった時、娘と孫は、ゴールドコーストにある一軒の公立病院に通院します。
 あの国は、そこで暮らす人々に対して、医療費を免除する政策を掲げているのです。
 ですから、人々は公立病院に行って、治療を受け、出産をするのです。

 でも、政策は、いつ変わるかしれません。
 そうなったら、二進も三進もいかなくなるはずです。

 ですから、「進次郎さんの委員会」が出す提言に注目をしているのです。

 これからの日本の若者たちは、いろいろな『人生のレール』を歩んでいくことになります。
 その若者たちが、多様な生き方を選択し、人生を謳歌していくことが、「リスク」にならないような社会を実現していく、という政治の方向性は極めて大切です。

 チャレンジする人たちに対して、アメリカと日本の違いは、仮に財産を失っても、生活するために必要な家とか、土地までは取らないということだと聞いたことがあります。
 自己責任でやったのだから、責任は取れと、命を捨てた若者が、この日本に、戦後何人いたでしょうか。
 家族が路頭に迷い、進学もできないという悲しい出来事がいくつあったでしょうか。

 『20年学び、40年働き、20年老後を過ごす』という人生レールの中で、チャレンジし、学んでいく時間、また、チャレンジし、働いていく時間、そして、その60年で得た糧を使って、20年を生きるという人生設計を、今の若者たち、これからの若者たちが考えていくのです。

 「進次郎さん」の提言は、そうした新しい時代の新しい生き方を、自己責任でいき、それを支援する制度作りに寄与するはずです。

 さて、私はというと、勉強が好きだったわけではないのですが、28歳まで大学に通ってしまいました。
開校したばかりの学校に就職し、なんでも手作りで、試行錯誤の中で、生徒たちと時にぶつかり、時に肩を組み、時に毛嫌いされ、時に親しまれ、63歳まで働いてきました。

 大した人生ではありませんが、30年学び、30年働き、あと何年、この人生を楽しめるのか、「見もの」だと思っているのです。


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私の iPhoneSE は動かないのですから

kikunokjatachi
紅葉のような、葉っぱの形、今年の秋、門前を飾る植物です。秋らしく、ひっそりと燃える輝きを期待しているのです。



 2016年10月25日の午後、私の iPhoneSE がぶるぶると音を立てて、一通の知らせを伝えてきました。

 新しいシステムのインストールの準備ができたという知らせです。
 私は、アップルからのシステムアップには即刻応じるようにしています。

 システムアップが完了していたので、内容を確認すると、それは Apple Pay が使えるようになったという通知でした。
 ……iPhone7でなくても、Apple Pay が使えるんだと、少し嬉しくなって、早速作業にかかります。

 いとも簡単に、ついこの間、紛失し、再交付されたクレジットカードの情報が iPhoneSE に入りました。同時に、これまで使っていなかった指紋認証もセットしたのです。

 iPhoneSE では、外での買い物やスイカなど交通機関には使用できません。
 しかし、ネットでの買い物には使えます。

 私の今の環境では大いに満足ということです。

 それにしても、本当に便利な世の中になりました。
 現金がなくても、ものが買え、ちょっと敷居の高い寿司屋さんにも、財布の中身を心配せずに食事ができるのです。
 その昔、オーストラリアやカナダの小さな町の小さな店で買ったチョコレートやサンドイッチ代も、カードで支払ったことがあります。
 もしかしたら、あの店のおばちゃんから請求が来ないかもしれないと姑息にも思っていましたが、しっかりとわずか数ドルのものも、円建てで請求が来たので、カードおそるべしと、妙に納得したことがありました。

 それと、海外でのホテルでの宿泊やレンタカーを借りるときにも、クレジットカードが身分証明をしてくれたことにも感心しました。

 私が、プラスチックでできた、そこに磁気ストライプのあるクレジットカードを手にしたのはいつの頃だったのかすっかりと忘れていますが、当初は、そんなぺらぺらのカードに、少々不信感を持っていたことは覚えています。

 しかし、学校にも国際化の波が押し寄せ、とりわけ、私学が海外修学旅行や海外の学校との交流を促進させると、教師も海外に出て行かざるを得なくなりました。

 そうしたときに、このクレジットカードは見事にその威力を発揮してくれたのです。

 私が教師として勤務し始めた頃には、すでに給料は銀行振込になっていましたし、カードを使うようになると、私の財布からますますコインが消えて行きました。
 カードの使えない店で、札を出してお釣りをもらうと、1円玉、5円、10円、そして100円玉を、秘密の壺に放り投げておきました。
 500円玉は専用のケースを100円ショップで買ってきて溜め込みました。
 今、その壺のコインに重宝しているのですから、まったく愉快なことです。(意外にも、そこそこの額になっているのです。チリも積もれば……というやつです。)

 そのくらい、このプラスチックでできたカードは、生活の在りようを変えてしまったと言えるでしょう。

 今は破棄しましたが、「スイカ」なども2000円を切ると自動的に1万円がそこに入金されるという便利なカードも持っていました。
 飛行機にも乗ることが多かったので、自分のお金で搭乗したわけではないのですが、ポイントなるものもいただき、ありがたい思いをさせてもらったこともあります。

 そんなカードが、私の iPhoneSE に組み込まれて来たのですから、私はそれだけで幸福な思いに浸ったのです。

 そんなとき、北京では町のいかなる店でもスマホ決済がなされているということを知ったのです。

 店にはスマホ読み取り機器が置かれています。
 そこに、自分のQRコードをスマホ画面に映し出し、読み取り機にかざすのです。
 すると、ピッと音がして、決済が完了するというのです。

 コンビニや飲食店のように大きな店では、読み取り機の導入費用を使っても利益が付いて来るので、何ら問題がありませんが、零細店舗では導入に慎重になります。

 そこで、一銭も使わずにスマホ決済ができるシステムが考案されたのです。
 店に、所定のQRコードがあり、それを客は自分のスマホで読み取り、代金を打ち込み、支払うという方法です。
 あるいは、その店の店主のスマホに直接代金を振り込むという方法をとるのです。

 税制上の問題、信用度の問題などがあるので、日本ではそういう方法はできないと思います。

 そういうシステムを作り上げているのが、アリババ集団が運営する「アリペイ(支付宝)」という会社です。そこが発行するアプリを購入し、銀行口座を登録すればいいだけの話だそうです。

 ただし、北京は電波状況が悪く、そのため、その便利な決済方法が実はさほど効果を上げていないというのです。

 クレジットカードを紛失し、焦ったことのある私には、やはり、この手のカードを使うときには、安心が一番であると思います。
 多少の手続きがあっても、脱税や詐欺、なりすまし決済などに悪用されないことが何よりなのです。

 その点、外に出てカードで決済することが少なくなり、せいぜい、ネットでものを買うだけの身分になった私には、この Apple Pay は安心感たっぷりであると思っているのです。

 何せ、私の指紋でないと、私の iPhoneSE は動かないのですから……


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パンとワイン

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門をくぐると、このワンちゃんの置物が客人を迎えます。ちょっとはにかんだ視線とも、ちょっと愛嬌のある視線とも受け取れるところが気に入って置いてあります。


 「パンとワイン」を語るというと、真っ先にキリストの最後の晩餐を思い起こす人が多いかと思います。
 
 処刑される前日、キリストが12人の弟子とともに過ごした晩餐の折のことです。
 キリストは、パンとぶどう酒を弟子たちに与えました。
 これらは、人類の罪をゆるしてもらうため、十字架にはりつけられる自分の身体、そして流される血であるとしたという、あの話です。

 この話にどういう含意があるのかということについて述べる気はさらさらありません。

 あえて、宗教的に述べるとするならば、母方の家で天理教のお祭りの日に行われた「直会(なおらい)」と同じであるということだけです。

 供えられたお供物を、神様と一緒に、参列した皆でいただくのです。
 感謝と、神にお仕えしたという充実した気持ちで、酒を飲み、ご馳走をいただき、昔話に興じ、一時の間、日常の憂さや諸々の面倒なことを忘れるのです。
 
 そうした宗教的な活動でなくても、今日はレストランで食事だとか、親しい客人があるという日には、人々の気持ちも華やぎます。

 それは、その日が、「非日常」の特別な日となるからです。
 時に、そうした日を設けて、気分を転換することを、人類はおそらく、石器を使っていた時からしていたはずです。

 今日は大ぶりのイノシシを仕留めることができたとか、隣の部族と理解しあえ、誼を通じることができた日とか、真昼間に隠れた太陽が戻ってくれたとか、なんやかやと理屈をつけては「直会」を行なっていたはずです。

 食事をし、美味しい酒を飲むことは、そのための大切な「仕掛け」であったのです。

 米を食べる国では、ご飯を高く盛り付け、それを神に捧げます。
 麦を食べる国では、極上のパンをかまどを使って焼き上げます。

 米を食べる国では、残った飯を器に入れたまま、忘れてしまい、それがいつ間にか発酵し、美味しい「米の水」が作れることを発見しました。
 麦の国では、パンの添え物として食するため、野山で採ってきた山葡萄が、これも余ったものを桶に入れたまま忘れていたのが、いつの頃か、芳醇な香りを放つ液体に変化していることを知りました。

 人は、おそらく、偶然を経て、ものがいい方に変化することを知り、その飲み物を飲むことで、人が神に近づけることを知ったのです。

 日本は、いうまでもなく米の国です。
 その国で、米の消費が減り、それに伴って、酒の消費も減っているといいます。
 そのため、殊の外手間暇かけたジャポニカ種の米をアジアの裕福な人々に食べてもらおうと輸出に力を入れています。
 また、「大吟醸」という最高級の酒は、フランスを中心に、これもまた裕福な人たちに最高の贅沢として飲まれていると聞きました。

 そうなることに一抹の寂しさもありますが、私自身の生活を見ても、米や酒が日々供されるということはないことからも、実は大いに納得できるのです。

 たまに飲む酒は、オーストラリア産の紙の箱に入った赤ワインです。
 それも、グラスに一杯程度ですから、買ってきたボトルならぬボックスが、冷蔵庫に数ヶ月も置かれたままです。
 ご近所のイタリアンレストランで食事をするときは、2杯から3杯、酒をいただきますが、もちろん、それもワインです。
 酒を飲むという機会が、私に限っては、本当に減ってきているのです。

 米は、毎日一回は食しますが、三食和食でご飯を食べるというのは、この15年ほどありません。
 朝は、鳥の餌のようなものにミルクをかけたり、あるいはベジマイト(オーストラリアの朝食には欠かせない野菜のペーストです)をつけたトーストで済まします。
 夜は、軽食と決まっています。

 若い頃、オーストラリアで一ヶ月のホームステイを体験した時の朝食と夕食が今も続いていると言ってもいいかもしれません。
 さすがに、イージーティ(オーストラリアでは、簡単な夕食をとることを、こう言うみたいです。この時はパンプキンスープ一皿だけでした)だけと言うのは真似できませんが、それに近い食事形態をとっています。

 数年前、立て続けに手術をする羽目になってからはなおのこと体には気遣っているのです。

 つくばは「パンの街」とも言われているくらい、美味しいパン屋さんとかケーキ屋さんがありますから、その点困ることはありません。
 つくばのパンは、欧米のそれに劣ることはありません。
 むしろ、それらを寄せ付けない柔らかさ、麦の味を出す美味しさがあります。

 ワインは、さほど高尚な知識があるわけではありませんが、南オーストラリアのアデレイドの郊外にあるバッロサバレーというドイツ人が開拓したブドウ畑とワイナリーに行ったことがあり、そこで作られたワインが私の判断の基準になっています。
 価格も手頃で、というより、安いやつと行ったほうがいいでしょう。

 ワインというのは、目の玉の飛び出るような値段のものや、適度に気温を保つ必要がある高級なワインは好ましくありません。
 昼食時に、ちょっとグラスに入れて飲める、あるいは、価格の安いワインをいかに美味しく飲むかに工夫を凝らしたほうがまったく愉快であるのです。

 ワインの基本は、食事を美味しくするためにあるのです。
 肉の味を引き立て、海産物の味にもう一味を加えるためにあるのです。

 こうして考えをまとめて、文章にしていくと、分かることがあります。
 それは、どうやら、私にとって、パンとワインは、「美味しい」ことを堪能する原点であるようだということです。

 そこにあるワイン、そこにあるパンが、ご馳走なのです。


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学校の価値は生徒の偏差値ではなく教師の教育値

toukeisadafi
時計をこうして並べるのには勇気がいるのです。なぜなら、機械仕掛けの時計では、時間のズレが起きてしまうからです。ここでは、丹念に調整をして、時を合わせているようです・でも、ちょっとズレているかな。


 日本の学校では、生徒を体育館に集めて、年に数回、観劇会とか、講演会とかを開催します。
 私は、そうした活動をする方にもいたし、反対に、呼ばれて話をするという経験もしています。
 
 もっとも、私は「芸を磨く」というのではなく、学校の宣伝をしたり、役目で生徒のためになる話をしたりするくらいなのですが、呼ばれる芸人さんや役者さん、あるいは大学の先生などは、実に大変な仕事だと思うのです。

 そんな記事が新聞に載っていました。
 「落語家泣かせの学校寄席」という題の文章です。書いたのは、立川笑二さんという落語家さんです。

 落語さんらしくというのが正しいかどうかわかりませんが、面白い表現が並びます。
 ー半ば強制的に、落語に興味がない生徒に話をしなくはならない。
 ー盛り上がりの度合いは、その学校の偏差値で決まる。
 など。

 でも、学校関係者からすれば、これらは真摯に受け止めておかねばならないことなのです。

 学校によって違うのですが、話をする人に、すべてをおっかぶさせるという他力本願的志向を持つ学校と、お客様としてお迎えするのだがから、マナーをしっかり指導していく学校があります。
 
 私が話をするときでも、8割がたの生徒がこちらの顔を見ていれば、この学校では、きちんとマナー指導ができているなと思うようにしていました。
 最も、私の場合は、先ほども申し上げたように、自分の学校の宣伝をして、生徒募集をするのですから、あまりけったいな生徒の姿では、生徒を合格させてくれないという暗黙のプレッシャーが、生徒の側に無意識に働いているとも思えるのですが……。

 それが一般の講演者ともなれば、学校があらかじめ、どういう話があり、この方はどれだけ世の中のために力を尽くしている立派なのかを知らせておく必要があり、さらに、忙しい中を来てくれるのだから、失礼のないようにしなさいと生徒に釘を刺しておくことは、最低限しておかなくてはいけないことであると思うのです。

 つまり、生徒に「興味づけ」という教育活動の最初の味付けをしておくことが求められるのです。

 学校の中には、そんなことに無頓着で、校長さんの挨拶の時から、私語があり、そっぽを向いていても、当の校長さんもおかまいなしに話をし、周りに立っている教師たちも我関せずという姿勢でいるというのをお招きしたある講演者の方から聞いたことがあります。

 その方は、半ば呆れ、半ば怒りを持たれて、私にその話をしてくれたのです。
 これでは、生徒の偏差値ではなく、校長さんや教師の「教育値」の違いだなと思ったこともありました。
 
 その方が話してくれた時、私は取手の学校にいましたが、その方曰く、校長さんのお話も立派であり、それを聞く生徒さんの知性豊かな表情が忘れらませんと、こちらが赤面するくらいの褒めようで、こちらも半ば嬉しく、そして、半ばも誇り高い気持ちになったものです。

 極めつめは、一人一人の先生方の生徒への事前指導の見事さですというのです。
 生徒を引率して来て、委員長らしい生徒に後を託し、その生徒が自分のクラスを仕切っていると、そうおしゃるのです。

 この人はよく見ているなと感じ入った次第でした。

 さて、先ほどの笑二さんの記事に戻りますが、落語という日常と異なる言葉遣いで話される話芸は、やはり、昨今の子供達にはやはり難しいようです。

 笑うところで笑わず、なんでもないところで笑いが起きたりするというのです。

 教師たちもそうですが、子供達が興味を持つ出来事や今流行りのものやことにアンテナを張っていないと、子供達の気持ちを掴めないということが多々あります。

 話芸も教師の講義も、「掴み」というのがとても大切です。

 生徒の気持ちを引きつけ、本題に導き、完結していくという点では、両者は共に同じような境遇にあるのです。
 授業の下手な教師、生徒から人気がなく、ともすると、嫌悪される教師に共通することは、視線が生徒に置かれていないということです。
 彼らの目や姿を見れば、今話していることに対して、どう思っているかはすぐにわかります。

 面白くないのだなと思えば、すぐに転換をして、生徒の気持ちを繋げていかなくてはなりません。
 それを、自分本位で話を進めていけば、生徒の気持ちには、嫌気と反感、そして、やる気が失せていくばかりなのです。

 芸人さんは、その点、客の笑い声を聞いて、瞬時に反応し、話を次から次へと展開していきます。
 受けなかった話も受けさせるコツを持ってもいるようです。
 その表情や「間」で、客を引きつけていくのです。

 生徒から人気のない先生たちは、この芸人さんたちがプロとして、磨き上げているテクニックを学び取ろうとしなくてはなりません。

 今回の表題は、「学校の生徒は芸を磨くには最高の観客」ですが、目を転じれば、それは教師にも言えることなのです。

 それにしても、10月9日付の立川笑二さんの記事は面白かった、というより、私には、ためになった記事でもあったのです。


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日本はアメリカと肩を並べる現代の海洋国家

yuukarizafaak
ユーカリを玄関前の大鉢に植えています。大きくもならず、そこそこの大きさでこの淡い緑を楽しませてくれています。


 古来、海は、人間にとって、行く手を阻む大きな障害であり続けました。

 しかし、その海を、障害ではなく、交易の場とすることを意図した国々が、この世界に出てきます。
 アジアとヨーロッパ、そしてアフリカをつなぐ「地中海」でです。
 少しの勇気と確かな航海術を使って、人々は、海を舞台に、人と物との交流を活発化させていったのです。
 後年、アルフレッド・マハンは、海を通じてこそ国家が繁栄すると説きました。
 そして、交易を守るため、海のルートを守る海軍の存在を意義づけたのです。
 国家相互の繁栄を勝ち取るために、船舶のルートを確固として保護すること、また、それを阻害するものがあれば、確固としてそれを駆逐、破壊するのが海軍の始まりであると述べたのです。

 近代に入って、イギリスが七つの海を支配しました。
 小さなブリテン島を本拠とするイギリスは、通商の道を守るため、海軍を強化し、また、交易を積極的に推進していったのです。

 今、イギリスに、往時の面影はありません。
 しかし、カナダ、オーストラリア、ニュージランドを始め、英連邦として、一大勢力を持ち続けているのです。

 第二次大戦後、イギリスに取って代わったのは、そのイギリスから独立したアメリカ合衆国です。
 国境を接するカナダ、メキシコとは友好的な関係を維持しています。
 カリブ海の諸国とも、それは同様です。

 かつて、ソ連がキューバにミサイル基地を建設しようと企んだとき、時の大統領ジョン・F・ケネデイはソ連のフルシチョフ書記長に対して強硬な姿勢で臨みました。

 核戦争の危機をも辞さず、ことに対処するその勇気がソ連の野望を打ち砕いたのです。

 そのケネデイは海軍出身で、太平洋で日本海軍と戦い、乗っていた魚雷艇が攻撃を受けて、沈没するという経験を持っています。

 大西洋の戦いで、ドイツ海軍が気勢をあげえたのは、Uボートでの米欧間での貨物船への魚雷攻撃だけでした。
 しかし、太平洋では、人類がいまだ行なっていない、空母対空母、つまり、それまで人類が体験していない戦争を、日本とアメリカの海軍が行なっていたのです。

 真珠湾攻撃を果たした空母6隻を擁する南雲機動部隊は、南シナ海、インド洋でイギリス東洋艦隊の撃滅に当たっていました。昭和17年の春先のことです。
 そこへ、麾下の空母を南太平洋に向けよと南雲艦隊に命令が来たのです。

 アメリカ太平洋艦隊の2隻の空母が南方の日本軍部隊に攻撃を加え、損害を与えているというのです。
 日本は、アメリカとオーストラリアとの交易路を遮断するための作戦を実施していたのです。

 日米両国の空母部隊は、盛んに索敵機を飛ばし、敵空母部隊の位置を探し回ります。一刻も早く見つけ、攻撃をした方に勝利が訪れます。
 日本はタンカーを空母と間違え、アメリカも日本海軍機動部隊発見の誤報で航空部隊を飛ばします。
 呑気といえば呑気ですが、見えない敵に対する脅威を戦い続けるには、少なからず、「幸運」が必要です。
 その「幸運」を、最初につかんだのはアメリカでした。

 軽空母「祥鳳」が、アメリカ軍機の索敵に引っかかったのです。
 ここでいう軽空母というのは、正規空母ではないということです。
 「祥鳳」は元来が潜水母艦で、洋上で、食料や燃料、魚雷を供給する役目を持つ船で、対空防御も弱く、搭載航空機も旧式の96艦戦が主でした。

 そのため、たった20機の雷撃機の攻撃で、最初の攻撃から30分で撃沈させられてしまったのです。
 5月7日の正午前の出来事でした。

 その日の夕刻、「祥鳳」の敵討ちとばかりに、優秀なパイロットを抱える五航戦部隊が薄暮攻撃をアメリカ空母に仕掛けます。
 日本の攻撃機が、味方空母と間違えて、アメリカ空母に着艦するという笑えない出来事も起こるほどの暗さと近さの中での戦闘です。

 翌8日、両軍は早朝から索敵を開始、今度の「幸運」は、わずかの差で、日本海軍に微笑みました。

 五航戦の攻撃部隊は、はるか下を飛ぶ敵の攻撃機に目もくれず、アメリカ空母めがけて襲い掛かるのです。そこにいたのは、「レキシントン」と「ヨークタウン」です。
 上空防衛の米戦闘機が五航戦の雷撃機に向かって来ます。
 アメリカ空母は30ノットという高速で旋回をしますが、両空母は旋回の速度が大幅に異なり、そのため、対空防御陣形が崩れたのです。

 その隙をついて、雷撃機に続き、急降下爆撃機が、「レキシントン」に襲いかかります。
 「レキシントン」は魚雷2本、爆弾2発を命中させられ、火災を発生、エンジン停止に陥りました。

 一方、五航戦が見送った、アメリカの攻撃隊も、日本の空母部隊を発見します。
 しかし、よく訓練された日本海軍は、魚雷攻撃をことごとく回避し、命中した爆弾は2発、エレーベータを破壊されましたが、機関には損傷なく、この空母「翔鶴」は沈没を免れたのです。
 
 空母同士の、いわば、一騎打ちともいうべき、苛烈な戦闘を経て来た、日米両国ではありますが、それゆえにこそ、今、お互いを信頼しあえる関係になったとも言えるのです。
 激しく戦うも、相手に敬意を持って対することができる関係を構築し得たのです。

 海自の持つ戦闘能力と所有する艦船の優秀さについて、アメリカ海軍は高い評価を与えますが、あながち、それは外交辞令とばかりは言えないのです。
 海自はヘリ搭載護衛艦「ひゅうが」「いせ」、そして、これら2隻よりもひとまわり大きい「いずも」「かが」の4隻を配備しています。
 これらにオスプレイを搭載すれば、日本は最新型の「空母」4隻を持つということになります。

 これらの装備は、海洋国家日本が、日本の生命線であるシーレーンを守るためにあるのです。
 今、日米は太平洋において、敵ではなく、肩を組む最強の味方なのです。
 現代における、ふたつの海洋国家がタッグを組んでいるのです。


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国の色、さまざまなれど

tukuadsamofakda
筑波のお山は、色が変わるのです。雨が上がり、薄雲がかかる蒼い山は、それはそれは美しいものです。夕方、西日を浴びての紫に変じるお山もまた素晴らしいです。


 東南アジアの国々の防衛能力のあまりの低さに驚きました。
 
 フィリピンは、自国を守るための戦車やヘリを持っていないのです。
 海軍も、アメリカから払い下げられた沿岸警備艇程度の艦船で、自国を攻めてきた外国軍に対処するすべを持っていません。
 これでは、領土である島をいとも容易に奪われてしまいます。

 ベトナムは、フィリピンに比べると、自国を防衛するという強固な意思が明確にあります。
 60年代、アメリカと渡り合い、70年代には中国と一戦交え、いい戦いぷりを見せました。
 しかし、現在、ベトナムが所有する兵器は、旧ソ連から調達した旧式なものばかりで、近代戦で勝利するには厳しいものがあります。

 かたや、中国は陸海空、そして宇宙にまで及んで、軍の近代化を図り、大陸国家でありながら、太平洋に打って出ようと空母艦隊編成を目論んでいます。

 古来、国にはその色があります。

 古代ギリシャにおける、アテナイとスパルタの違いを振り返ってみますと、それがよくわかります。
 スパルタは、ギリシャ北方に定住していたドーリス人が、スパルタ地域まで南下してきて、そこに暮らしていた人々を征服して作った都市国家です。

 都市国家「スパルタ」は、ペロポネソス半島の内陸部にあって、農業生産を基盤とする国家として、ここに成立したのです。
 2万5千人のドーリス人が、征服者として、市民階級を形成し、政治、経済、軍事を牛耳り、その地で暮らす22万人を支配し、食糧や都市建設、軍事関連作業に従事させたのです。
 
 市民階級であるドーリス人たちは、全員が軍事訓練を受けて、屈強な軍人として成長しました。
 もちろん、中にはそうでないものもいました。彼らは、そうであると判断されるやいなや、抹殺されていったのです。

 一方、アテナイは、地中海での貿易を通して栄えた都市国家でした。
 アテナイにも被支配階級がいましたが、彼らは、一部の支配者のためにこき使われる存在ではなく、支配者の手助けをするという位置付けがされていました。

 アテナイの支配者階級は、スパルタと異なり、「美にして善なる人」ということを、人間形成の理想像として掲げ、知恵と勇気を持つことが求められました。
 それが、スパルタとの被支配者階級への対応の違いとなって出てきたものと思われます。
 今も、アテナイの詩人、ホメロスの英雄叙事詩に、あるべき人間像が託され、伝えられています。

 前者のスパルタ的国家経営が、今、言うところの「大陸国家」です。

 自分たちと敵対するものが陸続きの場に存在している。
 自分たちが食べていくためには、その土地を守り通し、時には土地を広げるために、隣国に戦いを挑まねばならないのです。
 そのためには、強力な軍事力が必要であり、それを支える糧食と武器となる技術が必要なのです。

 私たちが暮らす日本の近くには、膨大な額の軍事費を調達できる中国があり、人民が飢えても、ミサイルに金をつぎ込む「スパルタ」によく似た国があります。
 
 歴史的にみても、広い国土を必要とし、強力な中央集権で国家を優先し、個人の権利をないがしろにする傾向を持つ国家がありました。
 ペルシャ帝国がそうであり、ローマ帝国もしかりです。
 ジンギスカンのモンゴル帝国も、19世紀の帝政ロシアも、そして、歴代中国王朝も同様です。
 
 アテナイに似た国家を、現代に求めるとすれば、それはどこでしょうか。

 社会的格差は多少あれども、民主制を取り、直接の武力行動あるいは威嚇行為ではなく、知性を背景に、言論によって議論をし,自分の考えを伝え,相手の意見を聞き取り、最も必要な政策を推進していくのです。
 
 言うまでもなく、日本を含む、欧米社会がそうなります。

 これらの国々の特徴は、選挙で指導者が選ばれると言うことです。
 そして、指導者としてふさわしい人材たらんと、子供の頃から教育を受けていることです。
 そのために、人々はすべからく自由を尊び、公平な交易を求め、あるいは、それを守るために必要な軍事力を有するのです。

 とりわけ、前者が陸軍を強大化させるのに対して、後者は海軍力を重視します。

 なぜなら、交易のルートを守るために、それを阻害する勢力に対抗する必要があるからです。
 この海での戦いは、絶対に勝たなくてはなりません。
 そうでないと、国家とそこに暮らす人々の自由が損なわれるからです。
 よって、この戦いは、実に完膚なきまでに、敵を駆逐するという作戦を持って実施されるのです。

 かつて、ベネチアがそうであったように、大航海時代のオランダがそうであったように、そして、七つの海を制覇し、今に英連邦を各地に残す大英帝国がそうであるようにです。

 今、その役割を負っているのが、アメリカであることは論を待ちません。

 そして、日本もまた、アメリカとともに、その戦いを進めていける力を十二分に有しているのです。
 かつて、米英と並ぶ海軍力を持ち、航空戦力の運用が可能だったという事実、そして、その運用と技術開発の力は、そっくりと「海自」に受け継がれているからです。


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海とは縁遠い国々……がたどる道

tsukubanoyujkdao
ニッポン晴れとはいかない天候が続きます。しかし、黒く重たい雲と薄く流れる雲が並存する日の夕暮れ時、お日様は、秋の日らしく、空を染め上げてくれます。ありがたいことです。



 国家は、その位置する地勢によって、あり方が決まります。

 例えば、欧州のように、フランス・ドイツ・イタリアと、大きな力が拮抗する国が隣にあれば、必然的に、陸上での交流、そして、陸上での軍事力への強化へと、国は動いていきます。
 経済共同体を作っていても、国を防衛するというベクトルは、どの国にも発生するのです。

 その経済共同体に隣接し、歴史的にも、それと一線を画してきたのがロシアです。
 この国が海岸線を持つ北極海、そして、オホーツク海は、太平洋や大西洋のように活発な活動を支える海とはなりえません。そこはあまりにも冷たい海だからです。

 つまり、ロシアは、西欧という高度に発展した国々、また、南には中国という膨大な人口を持つ国と接し、常に、その脅威と面と向かわなければならない国家なのです。

 それは、中国も同じです。
 北は、ロシアの広大な大地が、大きな寿司ネタのように覆いかぶさり、西は、東南アジアの小さな、しかし、厄介な諸問題をはらむ国々が数多あるのです。

 さらに、東南には、自国の名を冠した二つの海がありますが、南は、厄介な問題をはらむ国々との間に軋轢を生み、東は、日本という小さいが大きい国がそこに横たわっているのです。

 この二つの海は、ロシアのそれに比べれば、やりようによっては活発な活動を支える海となりうる余地を残してはいます。

 しかし、ロシアと中国、これはどう見ても、海とは縁遠い国々なのです。

 つまり、隣国と国境を接し、そのために、陸の交易を重視し、陸での軍事力を維持することに汲々として努めなくてはいけない国なのです。
 
 そういう国家の特性としていわれていることは、少しであっても「領土」は欲するということです。
 領土は、人を生活させ、産物を与えてくれる絶対的なものなのです。

 ですから、領土を確保するためには、隣国と争うことにためらいがないのです。

 ロシアが、話し合いでソ連時代からの黒海、地中海、大西洋への海の道を確保せず、力に訴えて、クリミアを併合するのは、海とは縁遠い国……として当然の行動なのです。
 そんな国が、一旦手にした北方の島々をやすやすと日本に返すとは、私には到底思えないのです。

 中国も、インドと国境を争い続けています。
 いつの頃からか、自分勝手な歴史解釈を加え、南シナ海の岩を島として実効支配をしたり、東シナ海の尖閣に因縁をつけたりするのは、これも海とは縁遠い国であるが故の必然的な行為なのです。

 彼らにとって、土のひと塊りは、黄金ひと塊りにも匹敵するのです。

 このような国家を、学問的には「大陸国家」と呼んでいます。
 そして、その対極にあるのが、「海洋国家」と呼ばれるものです。

 アメリカの戦略家マハンは、彼の著書『海上権力史論』で、大陸国家が、海軍力を増強させれば、その国家は衰退すると述べています。
 もちろん、逆説もまた真であります。

 その証左が、二つあります。

 一つは、近代に至って、海洋国家に変貌した大日本帝国です。
 アメリカ、イギリスに並ぶ海軍力を持ちながら、強大な陸軍を創設して、大陸に打って出て、帝国を滅ぼしました。

 二つ目は、大陸国家のロシアです。
 帝政ロシアは、19世紀、ウラジオストックとバルト海に、世界に冠たる二大艦隊を所有しました。
 しかし、ウラジオ艦隊は、日本列島に阻まれ、太平洋に出ることは一切できませんでした。

 日ロ間で戦争が始まると、日本海軍は全国に散らばる艦船を集めて、「連合艦隊」を編成し、ロシアの大艦隊と対峙しました。
 ウラジオ艦隊に対しては、港を封鎖して、出てこれないように作戦を遂行し、バルト海から遠征してくる艦隊には、対馬沖で決戦を挑み、これを完膚なきまでに殲滅しました。

 連合艦隊司令長官東郷の名は世界に喧伝され、彼の艦隊戦法は、アメリカ海軍士官学校の教科書にも載るまでになっっています。

 しかし、この時、連合艦隊の勝利に寄与したのは、そればかりではなかったのです。

 海洋国家の条件には、より多くの国と誼を通じるという鉄則があり、それを日本が持っていたということなのです。

 日英同盟はその点で、大きな成果をあげたのです。
 バルチック艦隊は、イギリスの妨害にあって、ドイツ産の優れた石炭をついに手に入れることはできず、新鮮な食料までも安定的に手に入れることができなかったのです。
 加えて、艦隊の動きは、英連邦各所で掴まれ、逐一、日本にもたらされたのです。

 今、中国が海軍力を向上し、二つのシナ海ばかりか、太平洋をアメリカと二分しようと画策していますが、マハンの言う通り、大陸国家である中国が海洋国家ばりの海軍を運用することは不可能なのです。

 今の中国は近隣諸国との揉め事があまりにも多くありすぎます。
 「元」では、有効的な港も、貴重な情報も得ることはできないのです。
 どの国も、中国の艦船に対して、外交儀礼を除いては、反感と嫌気を持って、迎えているのが事実です。

 海洋国家である日本が、強大な中国の軍事力に対する突破口こそが、ここにあるのではないかと思うのです。


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相容れない秩序に対する危険な賭け

ranntanab
春咲いたランタナが、秋になってまた花を咲かせました。春よりも豪勢に、鮮やかに!


 第3回アメリカ大統領候補テレビ討論会において、両候補の非難合戦を面白く見させてもらいました。
 もし、私がアメリカ市民権を持ち、投票ができるのなら、クリントンさんに一票を入れることになると思います。

 それは、アメリカがロシアや日本などとどう向き合っていくかという議論を聞いていて、改めてクリントンさんの意見に賛同するに至ったからです。

 ウィキリークスがクリントン陣営のメール内容を公開していることについて、それはプーチン大統領の指示でロシアの複数の機関が行っていると、クリントン候補は明言し、ロシアのアレッポへの空爆、クリミアの併合について強い反感を抱いていることを述べました。

 それに対して、トランプさんは、プーチンを知らない(知っているとか知らないとかいう問題のではないのです)と議論をはぐらかし、米露が仲良く、ともに敵対する勢力に立ち向かえば良いと述べました。
 そればかりではなく、日本・ドイツ・韓国・サウジアラビアの名を挙げて、これらの国を防衛するために、多額の損失を被っていると述べたのです。

 相容れない秩序をもつ国と仲良くし、ともに理解し合える関係にある国への暴言は好ましいものとは言えません。

 ロシアは、この21世紀という時代に、クリミアに対して、武力でもって、その地を併合しました。そこにロシアの旗を立てたのです。
 プーチン大統領の心の中には、ソ連崩壊の折に失った地域を復活させようという魂胆があるはずです。
 
 バルト三国、中央アジアの国々、スラブ系のウクライナやベラルーシなど、かつてソ連邦を構成していた共和国をロシアの施政権の及ぶ国にしたいのです。
 
 日本は、中国に対しては、目先のこととして、南シナ海や尖閣のことで目くじらを立てますが、ロシアに対しては、少々甘く見ているような気がしてなりません。
 それは、安倍首相が、「ウラジミール」などと甘い声で呼びかけるのを聞いていたり、プーチン大統領が柔道をやっていたりすることから生まれる根拠のない安心感です。

 今、米欧はこぞって、ロシアへの経済制裁を行なっています。これに加えて、原油価格の暴落があります。
 ロシア経済は、マイナス成長を余儀なくされているのです。
 このままで行けば、来年には、オイルマネーを原資とするロシア政府の補填基金は底をつくことが確実視されているのです。
 
 そうした最中、10月22日の日経一面に、国際協力銀行(JBIC)が、米欧の経済制裁となっているズベルバンクに40億円程度を融資するという記事が載っていました。

 内容的には、ボストチヌイ港の石炭積み下ろし設備の購入に充てる、しかし、直接、業者への融資するのは貸し倒れリスクがあるので、例の制裁対象の銀行を使うという、よく見られる「ツーステップローン」という融資方法をとったのです。

 
 ロシアの経済不安定ばかりではなく、アメリカから睨まれるという理由も大きくあり、日本の有力銀行のロシアへの新規融資はほとんどない中で、JBICの今回の融資は、米欧のロシア制裁という政策に少なからずの影響と波紋を広げるのは間違いなさそうです。

 しかし、それでも、それを行うのには、日本なりの相当な理由があるからです。

 いうまでもなく、いわれなく奪われ、そこに暮らす多くの無垢な日本人が殺された、国後、択捉、色丹、歯舞の4つの島を取り戻そうという意図があるからです。
 
 それは歴代政権の悲願であり、日本国民のこぞって願うことがらです。

 しかし、プーチン大統領の頭はどうなっているのでしょうか。
 歯舞、色丹二島での決着でことを済ませる可能性は大であると推測するのが妥当であると思うのです。

 なぜなら、クリミアを強権で奪取する人が、平和裡に、相手国の悲願を理解するとは思えないからです。

 彼は柔道を嗜む人材でありますが、あれは「JUDO」であり、「柔の道」ではないと思うのです。
 あれこれ、手わざを仕掛け、時間を意識しながら勝負をしていく「JUDO」には、「人としての道」を求めようにも、それは不可能というものです。

 あれこれと威嚇をしてくる中国と違って、行動に躊躇がないのが、プーチン大統領の特質です。
 腹に一物持って、外交をすることに、安倍さんは、プーチンさんと比べてあまりに紳士的でありすぎると思うのです。

 日本国総理大臣として、最終決着を焦ることなく、我が国の悲願を達成する道筋だけでいいのですから作り上げて欲しいと思います。

 日本と相容れる秩序が、ロシアに生まれてきたときに、最終決着を図れればいいのです。
 70年も待っているのですから、あと30年は待てるはずです。

 30年という時間の間に、かの地に、自由で、建設的、民主的な秩序ができるようにするのが、真の国策というものです。

 クリントンさんがトランプさんに言っていました。

 「アメリカは、日本・ドイツ・サウジアラビアとの同盟によって平和を守ってきた。トランプ氏は同盟を破棄したいと思っているが、私はアジア、ヨーロッパ、中東などの同盟国と連携していく。これが世界をより安全にする唯一の道だ。」と。


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都会の中に「森」に暮らす人がいる

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二宮金次郎像は、学校から姿を消したと思っていましたが、この学校にはちゃんとありました。少し、懐かしく、この学校が何を意図しているかわかるような気がしたのです。


 ユニークで、突拍子もない「冒険」は、莫大な利益をうみだします。

 中世では、一隻の船を調達し、荒くれたちを雇用し、王と契約し、未知の黄金の国から持ってきたものから幾分の一かの利益を得た「大航海時代」の船長たちは、そのユニークで、突拍子もない「冒険」者の一人でした。

 ライト兄弟があの実験で、莫大な利益を得たかどうかは知りませんが、あれからの100年で飛行機の技術が飛躍的な発展を遂げたことを考えれば、人が機械で空を飛ぶという試みもまた、ユニークで、突拍子もない「冒険」であったと思うのです。

 誰もが使える使えるようにコンピューターを身近なものとしたジョブスもまた、その一人であると思います。
 なにせ、世界中で、彼の作ったMacが、ものを創る算段をしているのですから、大海原に出ていく船長や大空に飛び立つ兄弟と比しても遜色はないと思うのです
 いや、むしろ、それ以上だと言っても、私は差し支えないと思っているのです。

 ところが、最近、「冒険」とはとても言えない、こんなことがって思うようなことが、利益を生むことを知りました。

 その一つを行なっているのが、2008年、サンフランシコにできた「エアビーアンドビー(Airbnb)」という会社です。
  アパートを一晩でも借りられるというのです。
  そればかりではありません、お城を数日間、借りられるというのです。
 
 つまり、この会社は世界中の「空き部屋」をネットで紹介し、利用者を斡旋し、利益を得ているのです。

 もう一つあります。
 いま、若い人たちの中には、大きな家を共同で借りて、生活をするということをしている人たちもいるというのです。
 中には、夫婦でその一室を借りているというケースもあるというから驚きです。

 アパートというのは、数年単位で借りて、月々家賃を支払うものとか、お城は見るものであり、観光する場であるから泊まるなどもってのほかという固定観念がある私などには思いもつかないことです。

 また、共同生活といえば、少なからず、プライバシーが侵されたり、知らない人が同じ屋根の下にいれば、気を使ってしまうような私には、困惑以外のなにものでもないのです。

 時代は、とうとう、人々から「所有」するという観念を奪ってしまったのかしら、と思う始末です。

 現在、私たちは、一戸建て、マンション、あるいは、アパートの一室に居を構えています。
 それが持ち家であろうとも、借家や賃貸であろうとも、そこを「根城」として、いろいろな活動を展開しているのです。 

 言葉を変えれば、何らかの形で、居室を「所有」し、自分の思い通りに何かをしようと意図しているのです。つまり、私物化して、自分に都合の良いようにアレンジしているということです。

 もっとも、人間の本質は、決してそのようなものではなかったということは誰にもわかります。
 
 わたしたちの祖先、それも、まだ、樹木からおりたての頃です。
 彼らは、森に暮らしていました。
 そこは、何よりも、安全であり、食べ物がありました。
 安全と食べ物が確保できないとなれば、彼らは一族郎党連れ立って、森を移動します。
 数ヶ月か、数週間かはわかりませんが、それまでの「住居」には、未練はありません。

 新たな場所には、雨つゆを遮る樹木はたくさんあり、そこにはまた、食料がふんだんにあるのです。
 ですから、彼らは必要最低限の「もの」しか手にしません。

 つまり、「所有」するという観念が非常に希薄であったのです。

 ところが、そういう生活に、ゆっくりと「文明」なるものが入ってきます。
 あちらこちら移動するのではなく、ひとところに定住して、そこで生活をしていくというスタイルです。
 それが「農耕」という文明です。

 そうなると、もっとちゃんとした家が必要になり、お湯や料理に使う器も、着るものも、装飾品も、力を誇示するために、家畜もと、人間の「所有欲」は広がり続けたのです。

 そのうち、どうにかこうにか、うまく算段した一人が余剰品を手にするようになり、それを欲しいという人に与え、与えられた方はその代償にまた何かを与えるという「経済活動」が必然的に発生してきたのです。
 そんなことを考えていくと、世界の主なる都会では、ある種の人々によって、まさに、あの『「森」の意識』に戻っているのではないかと考えてしまうのです。

 そこに、「経済」関係が発生するので、まったく「森」とは言えませんが、「意識」だけはまったくそれといっても間違いではないと思うのです。

 この急速に広がり続ける「意識」は、社会にいかなる影響を及ぼしていくのでしょうか。

 私たちの世界から、プライバシーを優先したホテルがなくなること、あるいは、たった一人を乗せて、目的地まで運んでくれるタクシーがなくなること、それもありうることかもしれないと、かつてお世話になったホテルマンや運手手の顔を思い浮かべては、少々不安になるのです。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
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《5/25 Thursday》
       
❣️<Puboo!>にて、『千年の哲学ー女は賢くなり、男たちはただ老け込むだけだった』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Paper in NY>で、『Hot night. People relax at a beach. And they buy food fried chicken. 热的夜晚。 人们,在海滨放松。并且,他们买干炸鸡。』を公開しました。


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