心の繋がりがあってこそ未来が見える

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今年の我が家の蝋梅は、期待に反して、花の付きが悪いようです。木の花は数年に一回、そのようなことがあるのです。人間社会も同じです。今の混乱がいつまでもつづくことはありません。


 その日、私は一匹の猫と出会いました。
 その猫は、田んぼと散歩道の間に作られた水路の、ちょうどそこだけ蓋されているコンクリートの上に寝そべって、冬の日差しをいっぱいに浴びていました。

 よほど人の来ない場所であり、また、時間帯であったのかもしれません。
 猫は、のんびりと我が世の春と決め込んでいたのでしょう、私が近づくのを察知できず、しゃがんで見つめる私としばしにらめっこという具合になったのです。

 猫は、こういうとき、大抵は、隙を見つけて、一目散に、その場を離れるものですが、この時は、観念したのか、しばし、にらめっこをした後、猫から目をそらし、私の存在などお構いなく、また、我が世の春を決め込んだのです。

 私は、その姿を微笑ましく思いながら、その場をそっと離れました。
 しばらく行って、振り返ると、その猫は、小さな頭を思い切り伸ばして、こちらを伺っているではないですか。

 きっと、どこぞの家で大切に飼われていて、主人や家人から、いっぱいの愛情を受けているに違いないと、その時、私は思ったのです。
 時に、撫でられ、時に、じゃらされ、その気がなくても、人間の気持ちを慮って調子を合わせている、そんな猫であるに違いないと、その首をもたげた姿を遠目に見て思ったのです。

 誰ともすれ違うことのない私の散歩道。

 だから、時に、下手な歌を歌ったりしますが、大体は、愚にもつかないさまざまなことを考えて歩いています。

 この日は、あることを思って歩いていました。
 思うというよりは、何故、こういう風に世の中をしてしまったのかと慙愧に耐えない、やりどころのない悔しさで思いを募らせていました。

 人の心は、時に残酷になります。
 そして、利害で動くようになります。
 それは仕方のないことです。
 人の心は、まるで水のようなもので、高みに上るには相当のエネルギーを使いますが、下に流れる分にはわけはないのです。

 よそを向いて、人のことを悪く言っても、こちらを向けば、笑みを浮かべ、愛想を尽くすのが人間です。
 それが大人のすべきことと、正当化しても、下に下にと流れる水と同じ心であることには変わりありません。

 人間の心には、二つのありようが住まっています。

 一つは、誰にでも愛情をそそぎ、誰からも愛されていたいという願望です。
 言うなれば、善なる心持ちです。

 もう一つは、誰もが嫌がること、避けて通りたいこと、言うに憚ることを、自分がしなくてはいけないという使命感です。

 自分が偉大な存在であると、人は時に錯覚を持ちます。
 その時、人の心に宿るのは、後者の使命感です。
 しかし、それが自己犠牲を伴って発せられれば、この上ないことで、確かに、多くの人々は、その行為に対して、偉大であると評価を下すでしょう。

 でも、他者を犠牲にして、自分だけが得をするというのでは、それは使命感ではなく、横柄な、知恵のない実力行使でしかないのです。
 
 人類が叡智を絞って作り上げてきた数千年の歴史の中で、時に、横柄で、知恵のない実力行使があって、時代を混乱に陥れるという事態が幾度となくありました。
 その度に、人類は叡智を出し合い、そして、繋がり合い、その傷を癒してきたのです。

 150年前は、日本では、日本人同士がぶつかり合い、激しく、悶着を起こしました。
 そして、列強から国を守るという叡智で、国は繋がったのです。

 70年前は、日本はアメリカを相手にいくさに臨みました。
 しかし、完膚なきまでにやられました。
 今、あれだけ戦った国同士が、世界史に類例を見ないほどの同盟を結ぶに至ったのです。
 
 そこにあったのは、恩讐を超えての、人との心の繋がりです。
 
 帰り道、田んぼと道の間の水路に差し掛かりました。
 あの猫がまだ腹を出して寝そべっています。

 もしかしたら、この猫は、私の心と繋がっているのかもしれないと思いました。

 <この男はきっともうしばらくすると道を戻ってくるに違いない。そして、猫である私を善なる心で、笑みを浮かべて見ていくに違いない。だから、私は何も心配せずに、ここで寝そべっていればいい。>

 心の繋がりが脆弱な関係には、危険がいっぱい詰まっている。
 なぜなら、脆弱なその関係は、人の感性を鈍くし、未来の予測を難しくするから。

 猫とは心の繋がりができても、人とはその繋がりができない時代になってしまうのかしらと、私は寝そべる猫を見て思うのです。


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米国人の無遠慮な詩

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センターの広場に出ているケバブの屋台。こういう屋台がたくさん出てこそ、都会であり、いい街なのでしょうが、そうもいかないのがつくばの現状です。でも、焼き鳥でもなく、たこ焼きでもなく、ケバブだけというのも「つくば」らしいとも言えます。


 1925年、大正14年に発表された新渡戸稲造の一文があります。
 1月15日付の『実業之日本』28巻2号に掲載された一文です。
 表題は、「真の愛国心」です。

 第2章の「米国人の無遠慮な詩」に、このような一文がありました。

 <国が亡びんとする前には、国が富みその兵が強くなる。国民が慢心して終には亡ぶるものである。米国は今まさにその轍を踏まんとしている。隣邦の人よ、しばし待て、汝に無礼するものは自から亡ぶ。>

 ここで、「隣邦の人」と呼ばれているのは、日本人を指しています。
 『Wait neighbour Japan』という詩を詠んだ米国人の行為に対して、新渡戸は、もし日本であるなら、自国のことを悪くいうこのような詩を書いたら、どのような非難を受けるか知れないと、かえって、米国の国のあり方を羨ましく思うと綴っています。

 この名も伝わらぬ米国人の、我が国に対して好意を持ってくれる詩人の一文を目にして思うことは、今現在の米国といつであるということです。
 
 大正末から昭和にかけて、日本もまた、富国強兵の最中にありました。
 国民は、自国のありように慢心し、日本の未来を安直に考える一部の軍人や政治家に好き勝手にさせてしまっていたのです。

 新渡戸は、また、「別の某国人」とぼかしていますが、明らかに米国人を意図した人物の言葉を引用しています。

 <我国が貴国に言語道断の態度を執とったのは、決して国民の大多数の意志を表わしたものでない、少数の政治家が選挙運動の都合からかの挙に出たものである。しかしいやしくも国家の大責任を有するものがああした態度に出たことは、そもそも我国の大に恥とするところである。>

 貴国とは、メキシコではありません。
 これも、日本です。
 アメリカという国は、選挙で権力を奪取する国です。国民をたぶらかし、敵を外に作って、その権力を奪取する国です。
 それが、国際協調に導き、自らの国の富を内外に分配する度量を持つことができればいいのですが、往々にして、その富を自らの懐に入れることが多いのです。
 1925年の状況も、2017年の状況も、そうした点ではまったく変わっていないと言えます。

 1925年の状況下で、新渡戸はこの状況の打開を次のように述べています。

 <非は非と明かに判断し、国が南であれ北であれ、はたまた東であれ西であれ、正義人道に適うことを重んずるのが真の愛国心であって、他国の領土を掠かすめ取り、他人を讒謗して自分のみが優等なるものとするは憂国でもなければ愛国でもないと僕は信じている。>

 それにしても、ここに述べられていることは、現代の状況とよく似ています。
 ロシアはクリミアを掠め取り、中国は二つのシナ海で横暴の限りを尽くしているのですから。
 そして、アメリカは指をくわえているだけです。

 しかし、これは1925年の政治状況です。
 新渡戸は、当時の日米のありようについて、愛国者は多いが、憂国者は甚だ少ないと悲嘆しています。
 その言葉通り、日米両国は、それがお互いに愛国のみの一点張りで、憂国という観念がなかったが故に、太平洋を舞台に、文字どおり熾烈な戦いを繰り広げることになってしまったのです。

 まさに、新渡戸の憂いは的中してしまったのです。

 しかし、新渡戸は、将来、世界は、国の地位を判断するに際して、その国が、正義人道をもってする時が来ると予測もしているのです。

 苛烈な戦いを繰り広げたからこそ、小さな日本が生存をかけて、あの大国に向かっていったからこそ、正義と人道を柱とした関係が打ち立てられたのです。
 何故、日本人は自らの命を投げ打ってまでも、偉大な国アメリカには向かったのか?
 何故、あれほどまでに徹底的に打ちのめしたのに、日本はのし上がってきたのか!
 それが、アメリカの疑問であり、驚愕であったのです。
 そして、戦後70年の歴史が両国によって紡がれてきたのです。

 しかし、それも一つの歴史の句切りを迎える予感がしてなりません。
 
 1月28日の「環球時報」に『汉奸!』なる見出しが躍り出ました。
 「小日本」「鬼子」は日本を侮辱する言葉ですが、「漢奸」は、同じ中華民族を中傷する際に使う言葉です。
 もうこの手の言葉は使われないものと思っていましたが、中国ではそうでもないようです。

 台湾総統の蔡英文が、旧暦の大晦日(1/27)に、推特(Twitter)上で発信した文章に対しての侮蔑の言葉として、『汉奸!』なる言葉が使われていたのです。

 そこに、書かれていたのは、偉大的中国を誹謗する一文かと思いきや、

 <From the people of Taiwan, we wish everyone a bright and prosperous Year of the Rooster. 日本の皆様、今年は実のある素晴らしい一年となりますよう、心よりお祈り致します。 >

 英語と日本語で綴られていることに対して、『汉奸!』なる言葉が使われていたのです。
 あの<米国人の無遠慮な詩>を、今、この国とあの国に再度突きつけなくてはいけないのではないでしょうか。


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トンビの黒い石

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これだけ見ると、都会のビル街を想像します。しかし、つくばの町の中心は、視野が開けているのです。実際、来ていただけると、それが実感できます。県都水戸とも違うし、柏や松戸といった地方都市とも違うのです。ぜひ、来ていただきたいと思います。



 私が、二十歳かそこいらの時でした。
 紀州熊野を、一人で、旅をしました。
 名古屋経由で那智勝浦に行き、そこから奈良五条まで、バスでの旅です。

 途中の温泉宿で一泊をした時のことです。
 そこは河原に温泉が湧き出で、湯治客が川のせせらぎを聞きながら、湯に浸かるのです。
 私も、当然、その湯に浸かりました。
 大きな石を近くに寄せて、それを枕にゆったりと湯に浸かろうという算段です。
 
 「兄さん、そうして仰向けになって、湯に浸かっていると気持ちいだろう。」
 そう声をかけてきた老人のようなそうでないような男が私の顔を覗き込むようにして言うのです。
 うっすらと目を開けて、私は覗き込む男の言葉に対して、かすかな笑みを、返事の代わりとしました。
 
 「兄さん、でも、気いつけなくてはいけない。そら、あれを見てごらん。」
 男は、山と山が迫ってくる谷あいのかすかに見える空を指差しています。
 私は、男の指差す方に目をやりました。
 男は、自分が指差した方角に「それ」を視認していない私を確認すると、私の顔に覆いかぶさるのではないかと思うくらいに顔を被せてきました。

 「兄さん、ほら、あそこ。鳥が大きく円を描いて飛んでいるだろう。」
 なるほど、鳥がゆったりと飛んでいると私は思いました。
 「兄さん、あれは、トンビだよ。ピーヒョロロロロ…って鳴いて、地べたに光るものがあれば、サーっと急降下してきてそれを捕らえるんだ。兄さんが気持ちいいって、大きな目を空に向けて、開けていれば、トンビはそれを餌と思って、突っ込んでくるんだ。」
 
 男はそう言うと、私の顔のそばに、手のひらに乗るくらいの大きさの黒い石を置きました。
 「これ、この河原にある石だ。トンビの形をしている。いい石だから、持って帰りな。」
 そう言って、男は姿を眩ましたのです。

 私は、湯どこから起き上がり、あたりを見回し回しましたが、その男の姿はありませんでした。
 宿に戻り、湯治客相手の番頭さんに、先ほどの河原での話をしました。
 「へえ、あんたもその人から声をかけられたのかい。そりゃ、えらいこっちゃ。せいぜい、大切にしておきなさい。きっと、あんたが困った時に、助けてくれる石だから。」

 その男が誰で、なんで黒い石をくれるのか、その石の形がどうしてトンビに似ているのか、そして、他にどのような人がその黒い石をもらっているのか、それを聞きたかったのですが、番頭さんは忙しく動き回るばかりで、それっきり話もすることなく、その石はボストンバックに入れられ、我が家に持ってこられ、以来、私の歴代の書架の棚に、時に、手紙が飛ばないように重しになったり、時に、机上の端に置かれて目を和ませてくれる置物としてあるのです。

 東京からつくばに転居したときも、忘れずに持ってきましたから、きっと、心のどこかに、この石に対する畏敬の念を持っていたのかもしれません。 
 
 でも、時々、思うのです。
 あの時の、あの老人ともつかぬ男は一体何者だったのかと、そして、あの番頭の思わせぶりな言葉。
 このトンビに似た黒い石は、その後の40年の私の人生の困難を助けてくれたのであろうか、そして、これから何年生きるかわからないけれども、私の人生の危難を救ってくれるのだろうかと。むしろ、この黒い石は、私に困難や苦衷をもたらす元凶ではなかったかと思うときもあるのです。

 20日の朝、FBを通して、知り合った大阪の知人が亡くなっていたということを知りました。
 昨年後半、ベルギーに行くとか、広島で営業するとか、彼が編み出した独特の画材を広めるために活動をしていた方です。
 大阪の知り合いの方が、10日間も連絡がつかず、携帯にも出ないので不思議に思い、彼の住まいを訪ねたところ、病死していたというのです。
 私は、彼が独身であったことを、初めてこの時知りました。

 その彼が描いたという絵が大阪の友人の手により、FB上に掲載されたのです。
 
 私は、その絵を見て、目を疑いました。
 なぜなら、そこには、トンビが黒いものを加えて悠々空を飛んでいる絵があったからです。
 画像を大きくして、そのくわえている黒いものに目を凝らしました。
 確かに、私の持っている石と同じ形をしています。
 
 これは一体どういうことなのか、私の背筋に寒気を覚えました。
 この方とは、FBで、偶然知り合ったのではなく、何かの繋がりが、決められた繋がりのようなものがあったのではないかと私は思ったのです。

 彼と私は同じような年ごろです。
 きっと、あの時、彼もまた熊野に行っていたのだと私は思いました。
 そして、私がしたように、手頃な石を枕に山と山の間の狭い大空を見ていたに違いないのです。そして、あの老人ともつかぬ男に、その黒い石をもらったのです。

 私は、なんの根拠も、脈絡もなく、しかし、そうであるに違いないと思ったのです。
 そうでなければ、あのトンビの、そして、口にあの黒い石をくわえた絵を描くわけがないと思ったのです。

 そういえば、書斎の書架にあった私のトンビの黒い石、今月の10日の深夜だと思いますが床に落ちていたのです。
 それに気がついたのはまだ明けやらぬ朝方のことでした。

 きっと、その時、彼は……。


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ほんわか家族経営。切羽詰まった縁故経営。

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つくばの街の中心にあるホール。コンサートや演劇が開催されます。そこにある広場では、いろいろな集いも開催されています。言うならば、ノバホールのあるここは「つくばの顔」とも言うべきところです。


 つくばには美味しいパン屋さんがたくさんあります。
 お父さんがパン職人で、お弟子さんを抱え、朝早くからせっせとパンを焼いています。
 そして、お母さんがパートさんを仕切り、お客さんに手際よくパンを売っていきます。とりわけ、ここの食パンは美味しく、焼きあがる時間を間違えて店に行ってしまうと、その美味しいパンを手に入れるまで数時間を要するということになってしまいますから、用心をしなくてはいけません。

 パンが美味しいのは、美味しいパンを焼く技術は当然として、お客の顔を覚えていてくれて、ちょっとした声をかけてくれるアットホームな店の雰囲気のあり方も大きく貢献しているのです。

 私がよくいくイタリアンレストランでも、ご主人が料理を作り、奥さんがデザートと飲み物を担当し、二人して、料理を運んでくれたりしてくれます。

 私は、どうやら、敷居の高い店ではなく、気軽で、家族的な雰囲気のある店が好きなようです。
 このようなお店を、ファミリービジネス、あるいは、家族経営とか言います。

 つくばにある私が通うパン屋さんやレストランも、接している限り、感じるのは、地道に、地域のために、懸命に働いている姿です。
 これから店を増やして大きくなるかもしれませんが、今は、少人数で、居心地のいい店つくりをしているといったところです。

 私は長らく、そして今も、ドイツのフォルクスワーゲンの車に乗っていますが、この大企業も、ポルシェ一族による同族経営の会社です。
 フォードは、フォード家。BMWは、クヴァント家。
 もちろん、トヨタは豊田家というように、大企業となった今も、創業者の一族がその経営に大きな影響を与えています。

 車ばかりではありません。
 ありとあらゆるところに、創業者の血筋の者がその経営を担い、影響力を行使している姿が見え隠れします。
 まあ、最も、日本をはじめ、欧米の企業体は、創業家の極端な影響力を排除するよう、執行役員制度を整えたり、外部役員を入れることを義務付けたり、あるいは、分社化して、グループ企業体を作ったり、さまざまな方法で、弊害の起こるのを避けています。

 私は私学で教師をしていました。
 日本の私学の多くが、戦前はお針子やタイプの打てる事務員を育てる専門学校であったり、海軍に学生を送る学校とか、船員を育てる学校とかそういった学校であったと言います。
 それが戦後、学制改革により、職業科とか普通科の学校へと様変わりしていったのです。

 私の友人が勤めていた学校は、戦前は洋裁学校で、戦後、法の恩恵を受けて、高等女子教育を行うようになり、理事長、校長、事務長の三役は皆、洋裁学校からの一族で占めていたと言います。
 ですから、どんなに頑張っても、教頭どまりで、それ以上は出世ができず、また、画期的なことを提案しても、一族の意向で潰されてしまうと、会うたびに不平を言っていました。
 その友人、程なく、他の学校に移り、自分の思うところの学校づくりができる立場になっていきました。
 そして、彼の勤めていた学校は、いわゆる底辺校と呼ばれ、今では入学生を集めるのも大変な学校になっている言います。
 こうなると、同族経営というのは考えものです。
 一族の利益のみを考え、社会的貢献というコンセンサスを失ってしまうからです。

 では、政治の世界ではどうでしょうか。
 安倍首相は、おじいさんがA級戦犯容疑者にもなり、しかし、60年には日米同盟の礎を築いた方です。また、お父上も、外務大臣までやった政治家でした。
 こうした係累を持つ政治家は日本では多いです。
 アメリカのブッシュさんも父子で大統領を務めましたから、蛙の子は蛙というやつでしょう。

 しかし、今度大統領になった方は、安倍さんやブッシュさんとは少し違うように思えるのです。

 それは、娘婿のクシュナーを上級大統領顧問に据え、閣僚を、付き合いのあったゴールドマン・サックス関係者から招いているということです。
 言うなれば、広義でいうところの親族・同族政権ということが言えるのです。
 意地悪く考えれば、自分の見知った、気心の知れた仲間内の政権であるということになります。
 
 見知った、気心の知れた仲間だけで政権を運用していくのが、何が問題であるかと言えば、そのトップに君臨する「親分」に対して、NO!と言えなくなるからです。
 おそらく、親族はともかく、同族の部類から任用された幾人かは、意見の違いで政権を去るか、YES,SIR.と言いなりになるか、そのどちらかになることは目に見えています。

 骨のある人材がさり、そうでない人材が残れば、先ほど述べた一族が経営する底辺校といわれる学校とまったく同じになるのです。
 もっとも、アメリカ合衆国は、そうなる前に、弾劾動議を打ち出して、新しい大統領を選出する算段に出ることは明らかです。
 それがアメリカの正義というものです。

 しかし、動議さえも出せない同族経営をする国があります。
 
 第45代がワシントンでデビューした1月20日、北京でふたつの人事が発令されました。
 北京市長に昇格した蔡奇、上海市長に就いた応勇の人事です。

 蔡奇は、福建・浙江以来、応勇は浙江での、習近平の仲間であるのです。
 いうならば、子飼いの部下ということになります。
 中国の「核心」となった習近平にとって、寝首をかかれない部下が何よりも必要なのです。
 
 こう見てくると、アメリカも中国も、似たり寄ったりになってしまったなとがっかりします。


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ある「独裁者」の演説

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ご覧なさい。  異様な球体が、世界をいびつな形で映し出しています。 


 アメリカ大統領の就任演説に対訳を施して、そこに解説をつけて出版すると、そこそこの売れ行きがあると聞いたことがあります。
 出版社にとっても、若手の国際政治学者や英文学者たちにとっても、4年に1度配当される、これは新春のボーナスであったというのです。

 でも、今年の大統領就任演説は、ボーナス配当に繋がるのでしょうか。

 テレビでの報道のある一場面では、アメリカ人訪日観光客が記者の差し出すマイクの前で、世界に恥ずかしい、彼は長持ちしない、弾劾で早々に退陣させる、とかなんとか息巻いていました。

 新聞などでも、トランプ支持者には心地よい言葉の羅列であったが、立場を異にする人々からは、あれはレーガンのパクリであり、大統領上級顧問で保守系メデイアの「ブライトバート・ニュース」でスティーブ・バノンが言っていたこととまったく同じだと、誠に手厳しい批判を浴びせているのです。

 ”Make America Great Again” という言葉は、第40代大統領ロナルド・レーガンが最初に用いたフレーズだということです。
 レーガンを尊敬するトランプであれば、敬意を込めてそれを使うことは何ら問題がないと思いますが、それを自らが初めて使ったように振る舞うことが、どうも問題であるようです。
 おまけに、側近が、大統領自ら草稿を練っていると発言し、就任宣説は、大統領の哲学を全世界に示すことになると大見得を切ってしまったのです。

 ですから、いかほどの哲学が語られるのかと、NYやDCはもちろん、世界中の見識ある人士は、その哲学のありように期待を示したのです。

 世の常とはいえ、期待は大きければ大きいほど、裏切られるものです。

 英語力がさほどない私でも、ある程度、彼の言っていること、と言っても、あまりに興味が湧かず、全部をおさらいしているわけではないのですが、テレビで報道される部分だけは、いとも容易にわかるのですから、はっきり言って、演説というのは、それではつまらないのです。

 わかりやすい言葉で、丁寧にスピーチすることは何よりも肝要ですが、そこには、「内容」があることが前提になっています。

 「内容」とは、とりわけ、アメリカ合衆国大統領の演説における「内容」というのは、世界を展望し、地球市民に安堵を与えるもの、さすが大統領であると敬意を集めさせるものでなくてはなりません。
 ケネディも、オバマにも、それが明確にあり、英語を学ぶ価値、アメリカに敬意を払う契機と、それはなっていたのです。

 彼らは、特に、演説のうまい大統領でありました。
 演説のうまいという二人に共通するのは、そこに一本「筋」が通っていたことに由来します。
 つまり、大統領としての「哲学」があって、その上に、真摯な展望、謙虚な言葉遣い、そして、未来に対する「夢」を語ることができたということです。

 他国の人間でも、このような「夢」を語れる政治家が自国にもいてくれたらと、小さい頃、ケネディの演説で英語を勉強した時に思いました。
 オバマの到底不可能な核廃絶の「夢」を、声高く述べた英語を引用して、生徒の前で語ったこともあるのです。 
 それこそがアメリカ大統領の、一本「筋」の通った演説であると思うのです。

 おそらく、第45代の演説を引用する外国人は皆無ではないでしょうか。

 思い起こせば、日本という国には、演説するという習慣はありませんでした。
 福沢諭吉が、『学問のすすめ』の中で「演説の法を勧むるの説」という一文を残しています。
 
 「演説とは、英語にてスピイチと言い、大勢の人を会して説を述べ、席上にてわが思うところを人に伝うるの法なり。演説をもって事を述ぶれば、ただ口上をもって述ぶるの際におのずから味を生ずるものなり。さまで意味なきことにても、言葉をもって述ぶれば、これを了解すること易くして、人を感ぜしむるものあり。」

 論の冒頭部分でかようなことを書いているのです。 

 まさに、ケネディやオバマに当てはまることではあり、トランプには当てはまらないことではありませんか。

 アメリカ人に限らず、欧米人は、日本人と同じくらいに、言葉の力というものを信じています。
 言葉の力を信じるということは、そこに真実がなくてはなりません。確固たる真実です。誰もが納得する真実です。揺らぐことのない真実です。
 そして、それは実に「やさしい」言葉で語られるのです。
 優しさであり、易しさであるのです。

 さほど意味のないこと、例えば、夢物語のようなことも、誠実に語ることで相手に感動を与えるのです。
 ケネディの月面到達は、夢物語で終わらずに、現実になりました。
 オバマの核廃絶は、人類がこれから現実化させなくてはいけない課題として残ります。

 ある演説の一部を、ちょっと読んでください。

 Then in the name of democracy let’s use that power – let us all unite.
 Let us fight for a new world, a decent world that will give men a chance to work, that will give
 you the future and old age and security.

 (民主主義の名のもとに、その権力を使おうではないか。ー 我々は一つになるだ。 
  雇用の機会を与えられ、未来を与えられる、老後の安心を与えてくれる、新しい世界のために、
  やさしく寛大で礼儀正しい世界のために闘おう。)

 民主主義のもと、雇用と未来が、安定が与えられると述べ、そのために常識のある世界のために戦うことを述べています。

 これは、アメリカ人の雇用を声高に述べるトランプのではもちろんありません。
 ケネディやオバマでもありません。

 ある「独裁者」の演説です。

 そうチャップリンの映画『独裁者』でチャップリン演じる独裁者が腕を掲げ、目を大きく見開き、真剣な表情で訴えかける演説の一文です。
 映画とはいえ、その迫力は大統領令を奮発するどこそこの大統領とは雲泥の差です。


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広まりではなく深まりですよ!

lkamodada dlaksfda
冬の日差しを一身に浴びて、池を優雅に移動する。しかし、水面下の足は、せわしなく動いている。水鳥のこの二面性が好きです。人も、表面的には堂々として、内心はあくせくとして生きているではないですか。結局、同じなんです。それが同調を呼ぶのです。


 ここ数日、新聞の記事を読むのもゆううつな日が続いています。
 言うまでもなく、トランプの大統領就任とそれに関連する一連の報道が、きっと、私を含む大勢の人たちをそのような気持ちにさせているのではないかと思っているのです。

 政策の転換はともかく、開いた口が塞がらないのが、就任翌日になされた緊急記者会見の報道でした。
 一時間前にマスコミに通知され、49席ある会見室には空席もあったと言います。
 そこで、緊急に発信された情報は、新大統領が取り組む画期的な政策でもなく、世界を震撼させるアメリカ三軍の軍事行動を報知するものでもありませんでした。
 就任式当日の参加者数の大手メディアの報道が虚偽であると言う内容だったのです。

 今回と8年前の大統領就任式の連邦議会議事堂の空撮写真がどの新聞にも掲載されていたと思います。
 あれを見れば、8年前と比べて今回の数の半減は、誰の目にも明らかです。
 それを無視して、虚偽を強弁することは、ただただ呆れるばかりです。

 なんだか、中国外交部の記者会見のようで、空恐ろしくなります。

 マスコミに敵対を繰り返すこの政権、いやトランプがその発信に使っているのがSNSです。
 トランプは、選挙戦の時も、SNSを有効に使って来ました。
 大統領になってからも、そのあり方は変わらないようです。

 同じように、SNSを使って、一つの出来事がありました。
 トランプは私たちの大統領ではないとする女性たちの大行進がワシントンでなされたのです。その呼びかけも、SNSを駆使してなされたと言います。
 ピンクの帽子をかぶって集まってきた人々は、なんと50万人と言います。
 トランプの就任式に集った人数は25万人ですから、その倍となります。

 もっとも、トランプの補佐官は、例の緊急記者会見で、式典での人数は100万から150万と言っていますから、ピンクの帽子の数に対しても、なんらかのいちゃもんをつけてくるでしょう。

 さて、私もSNSを利用している一人です。

 Twitterでは、このブログの発信に合わせて、基本的に、発信した朝方と夕方の2回、「広報宣伝」のための発信を行なっています。
 Twitterでは、お互いに敬意を払うことのできる仲間がいて、お互いの広報宣伝を行なっています。

 FACEBOOKでは、描いている水彩画、と言っても、今はほとんどiPadで描くものですが、それをニューヨークとロンドンにあるクラブを通して発表しているのです。
 ここには、同じく絵を描くと言う共通の目的を持った人々、そして、友人たちとの交流があります。
 それも、米英はもちろん、インド・アラブ諸国・南米と、同好の集いは世界に波及しているから、楽しいことこの上ありません。

 そして、LINEでは、離れ離れになっている娘たちとの交流に用いています。
 何せ、ビデオ通話をしても、無料ですから、これで孫たちの様子を見たり、話をしたりと楽しんでいるのです。

 このようにまとめていくと、SNSは、今更のごとくではありますが、「異なる人」との交流ではなく、「同じ傾向」を持つ人との交流であることがよくわかります。
 その人の意見や作品を聞きたくも見たくもなければ、「切れ」ばいいだけの話です。

 ここで、二つの意見が出てきます。
 
 一つは、あれだけ敵視されているマスコミが、トランプのつぶやきを逐一取り上げていることです。
 マスコミばかりではありません。攻撃された企業も、そのつぶやきに反応してしまっています。
 きっと、世界を動かすことができる権力を手にした大統領のつぶやきは無視はできないのでしょう。

 だとすれば、大統領たる人物は、相手の懐に姑息に入り込む方便を用いてはならないことは、容易にわかります。
 トランプが、それをするところに、世界は不安を感じていると言うことです。

 もう一つは、SNSを使っている私たちの心のあり方です。
 先ほども述べましたように、SNSは、「同じ傾向」を持つ人々の交流に重きが必然的に置かれます。
 同じ考え、同じ志向に浸ることは苦痛にはなりません。

 政治的な傾向では、そうだと一致し、同調することが顕著になります。
 顕著になるそのことに、不安、そして、不穏な傾向を私は感じるのです。
 
 つまり、後先のことを考えずに、独りよがりな見解を闊達に述べ、それに反論、もしくは、拒絶をされると、それを「排除」すると言うやり方に出てしまうという顕著な動きを憂うるのです。
 往々にして、その顕著な動きは、自分の見解が、自分のものとなっていないまま、人様の意見を鵜呑みにし、もっとはっきり言うと、人の意見をかっぱらってきて、あたかも自分の意見であるかのように振る舞うことから生じてくるものです。

 人の考え方は異なって当然なのです。
 「同じ傾向」があっても、微妙にそれは違います。
 だから、人というのは、その関係性というのは面白いのです。

 このような時に、考えなくてはいけないのは、もしかしたら、人それぞれの中に、「壁」を作っていないかしらと訝ることです。
 いろいろな考えを知り、あり方を知ることがSNSが持つ大切な効用です。

 それを忘れて、相手を意見が違うからと言うだけでオミットすることこそ、「壁」を作って、了見を狭くすることなのです。
 せっかく、SNSを活用しているのですから、狭い了見は捨てて、広い心で接しなくていけないと思うのです。

 SNSで、得るものは広がりではなく、深まりであってこそ、その目的は達せされると考えるのです。


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冬の月

paraboraamsaafdsm
塔の前にあるのは、かつて巨大なパラボラアンテナがありました。国土地理院のパラボラアンテナです。今年、その役目を終えて、解体をされているところです。つくばのランドマークの一つが消えていきます。


 朝まだ暗いうち、私は寝床から抜け出し、一日の活動を開始します。
 一番最初にやることは、着替えて、顔を洗い、さっぱりすることです。
 そして、二階の書斎に入って、Macのスイッチを入れます。このMacもかなりの高齢になり、機械の隅々に電流を通さないと、よく動いてくれないのです。
 スイッチを入れたら、玄関から門に通じる階段を降りて、日経新聞を取りに行きます。
 ビニール袋に入れられた新聞を手にして、ここで、空を仰ぎます。

 月が、東南の方角、その中空にかかっています。
 今月は、22日の日曜日が、「下弦の月」でした。
 月の左半分が見事に輝いていました。
 
 月は、「新月」で始まります。旧暦での1日目の月を指します。
 この月は、太陽と月と地球が一直線上に並び、そのため、月の暗い部分が地球に向くため、月の姿を見ることはできません。
 そして、旧暦二日目。
 月は、夕暮れ時、西の空に見えるか見えないかくらいの細い形で見えてきます。
 その翌日が、「三日月」です。月は、右側から明るさを取り戻していくのです。

 そして、七日ほど経つと、月は、夕暮れ時、右半分が輝いて見える月を見ることになります。
 これが、「上弦の月」で、今月22日に、私が見た月のちょうど逆になります。
 
 平安人は、新月から上弦の月までの間に、月の形に対して、さまざまに優雅な言葉をつけています。
 「十五夜」を過ぎると、月の出が幾分遅くなります。
 それを「いざよいつき」と呼びました。
 ちょっと、両手をついて、縁側ににじり寄って見る月です。

 翌日は「たちまちつき」です。
 京都には東山という山があります。
 さらに月の出が遅くなるので、山の端に出てくる月を、京の人々は、縁側に立って待つのです。

 東京では、月を遮る山がありません。
 だから、平安の人々が育んできたこの風情は、きっと東京人にはわからりにくいものと思われます。
 もちろん、私の暮らすつくばでも、同様です。

 翌日は立って待つのも億劫と座って待つものだから、「いまちつき」。
 その翌日は、座っているのも辛いから、寝て待つ。つまり、「ふしまちつき」。

 平安人は、一体何を思って、月と対していたのでしょうか。

 「妻問婚」と言う言葉が示すように、一夫多妻制度の中で、女性たちはいつ来るとも知れない夫を月にたとえていたのでしょうか。
 それとも、夫などあてにしないで、永遠の愛を月に捧げて、その満ち欠けを楽しんでいたのでしょうか。

 22日以降、大方、朝方の天候もよく、新聞を小脇に挟んで、月を見る気分は爽快です。
 月は、中央から次第に欠けて行きます。
 今日か、明日あたりは、「二十六夜」の月となります。
 この頃の月は、日にちが変わってからようやく出て来る月です。
 
 あえて「二十六夜」と名を持っている月があるということは、何らかの意味がそこにはあったはずです。
 しかし、「十五夜」「十三夜」などと比べて、「二十六夜」にはさほど大きな意味はなかったようです。

 江戸時代には、とりわけ、夏の「二十六夜」は、暑さからの涼みをえたいがためであると思いますが、人々は、月見ることを口実にして、夜更かしをして、大いに食べ、大いに飲んだと言います。
 それだけでは、単なる遊興娯楽にすぎませんから、阿弥陀三尊様にもご協力をいただき、この日にお月様の出を拝むことはご利益があると方便をつけていたようです。
 しかし、新暦でも旧暦でも、正月の「二十六夜」はあまりに寒すぎます。

 「二十六夜」ではありませんが、それでも、平安人は、冬の月を詠んでいるのです。
 それを読んだのは、清少納言の父である清原元輔なる人物です。

  『いざかくて をり明かしてん 冬の月 春の花にも 劣らざりけり』

 これは『拾遺和歌集』に所載の一首です。
 知人の家に、「冬の月がおもしろうはべりける夜まかりて」詠んだと詞書も付いています。
 
 京都の冬は、盆地特有の底冷えのする寒い冬です。
 暖をとるといっても、さほどの暖房器具もありません。せいぜい、暖かい衣服を多めに羽織るくらいでしょう。

 清さんの父上は、相当な風流人であったようです。
 知人宅を訪れ、瓶子を満たす濁酒を差しつ差されつ、つまみには、そう、千枚漬けか何か、冬の京の野菜が適していると思います。
 そして、冬の月の出るのを待つのです。

 その様子は、さくらの花のようと言いますから、きっと、冬の「十五夜」の月だったかも知れません。

 平安人でも、「二十六夜」の月を眺めていたのは、夫を待って、夜を明かした妻たちであったのかも知れません。
 正月の「二十六夜」であれば、身も心もさもしかったに違いありません。

 新聞を小脇に抱え、細い、月の光を見つめながら、マイナス2度の気温の中で、一つ身震いをしているのは、現代に生きるこの「私」です。

 28日の土曜日が、旧暦でいう元旦になります。
 日本は150年前に、その暦を捨ててしまいました。
 しかし、中国やベトナムなど、アジアの国々では、その暦がまだ、現代でも生きています。

 旧暦を捨てたとはいえ、いにしえびとの残した風情は心の何処かにしまっておきたいものです。
 なんとはなしに、寒い朝の、細い月に、そっと手を合わしました。


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子供たちが姿を隠した!

penidamavamda
ボールペンで絵を描きたいと思っていろいろな色のペンを買い込みました。随分と、昔のことです。結局、このペンで絵を描くことはしませんでした。ざっとテーブルの上に投げ出すと、いろいろな色が飛び散りました。


 子供はあらゆる機会を使って、無意識に、心の中の出来事を発信してきます。
 家庭で何かあれば、朝、登校するその姿勢や顔色にいつもと違うものを見て取ることができます。
 学校でいじめにあったり、不快な思いをして入れば、それも、表情やその子が書く作文に出てきます。

 学校の教師は、それを認識し、登校風景に注視し、作文に目を通していく必要があるのです。
 それを怠ると、子供は手の届かないところに行ってしまうのです。

 先日も、担任の先生がその作文に記された子供のサインを見逃したがために、重大事案を引き起こしたとの記事を目にしました。
 教師は忙しいなどと責任逃れはできません。
 多少、事務作業が遅れて、上司から叱責を受けても、子供のサインを見逃す失態は許されないのです。

 一方、高校生がホテルで殺されるという事件も起きました。
 そんな事件が、この日本で、頻繁に起きていることに驚かされます。
 そのくらいの年齢になると、私服になって、化粧を施せば、年齢などいくらでもごまかせます。これがあの生徒なのかと驚かされることが何度かありました。
 この手の事件の記事を読みますと、そこに何があったのかは詳しくはわかりませんが、家庭や学校の目から離れて、何か危険な匂いのすることをしてみたいという欲求があったことは確かだと思います。
 それは、子供に限らず、人間であれば、誰もが持つ心理的欲求です。

 補導という活動があります。
 繁華街に出て、よからぬ場所に出入りする青少年に声をかけるのです。
 私がそうした活動に従事したのは随分と前になりますが、相手に声をかけるのは結構勇気がいることです。
 なぜならば、彼ら彼女らは腕章を巻いたおじさんやおばさんたちに敵意をむき出しにやってくるからです。かと行って、殴りかかってくることはないので、それとなく近づき、そして勇気を持って声をかけるのです。
 最初は、胡散臭そうにしている少年や少女たちも、いくつか言葉を交わしていくと、ごく普通の子供であることがわかります。
 彼らにも、親がいて、通う学校があって、友達がいて、時に怖い先生がいるのです。

 そんな彼らに、つかつかと歩み寄って、首根っこを掴んで、さぁ家に帰れと言っても、らちは一向にあきません。
 彼らの目線に降りて、彼らの気持ちを聞いてやることが一番です。
 そして、心配している人がいるんだから、早く帰りなさいというだけでいいのです。

 ところが、最近、ある防犯ボランティアをしている方の書いたものを読みましたら、盛り場に繰り出す若者たちを見かけなくなったというのです。
 警察の補導件数調査でも、補導される件数は、下降線をたどっています。

 皆がいい子になってしまったのでしょうか……。
 それとも、少子化の影響なのでしょうか……。

 ところが、それはいいことだと両手を叩いて喜ぶわけにはいかないようです。
 つまり、彼ら彼女らの一部は、家にいることはいるのですが、盛り場に出る以上の危険な活動をしているというのです。
 
 それまで、繁華街に出て、悪さをする、ちょっと危険な遊びに憧れていた子供たちは、今は、家の中で、スマートフォーンを手にして、ちょっと危険なことに手を出しているというのです。
 あるいは、特定の子に対して、悪態をついているというのです。

 見も知らぬ相手と、こっちも自分の真の姿を偽って、交流を続けていたり、気に入らないからといって、仲間とつるんで、実名で特定の子への攻撃を繰り返すのです。
 未知と虚言との絡み合いに、正しいあり方が見えるはずもありません。
 見知った相手を、徒党を組んで、口撃すること、意図的に仲間外れにすることに正義があるわけがありません。
 ちょっと、小生意気な女子などは、出会いをネットに求めて、小遣い稼ぎをするといいます。

 もちろん、警察の生活安全課では、そうした青少年のあり方の変化を察知し、警察とわからないように、ちょいワルの大人を演じ、ネット上の呼びかけに対して、応えていくといいます。
 これを、サイバー補導というそうです。

 時代が変われば変わるものです。
 
 しかし、ネットにかけては、青少年の方が一枚も二枚も上手であるようです。
 未知の人物に対して、虚偽の若者は、あれやこれやと罠をかけて、その未知の正体を知ろうと図ってくるといいます。
 つまり、そうそう簡単に相手の要求には応じないのです。
 むしろ、焦らしながら、相手の正体を見極め、何らかの不審さを感じれば、これはサイポリだと、つまり、サイバーポリスだと察知し、ネットのそこ知れぬ闇の中に姿を晦ますというのです。

 全ての中学高校生がこのようだとは思えませんが、実際、そういう子たちもいるというのが現実だと思います。

 家庭でも、学校でも、親や教師が、忙しいとか、そのようなネットでのスキルはないと諦めてしまっては、救える子供たちも救えなくなる時代なのです。
 
 夜のとばりの落ちた街でたむろする危険を好む青少年たちは、今、薄暗い部屋の片隅で、スマートフォーンのブルーライトに顔を照らされて、街中の危険よりもっと危険な世界を見つめているのです。

 便利な世の中になったからこそ、そこにそれを利用する悪なる活動が栄えてくるのは必然と言えば必然の出来事です。

 それを察知するのは容易なことではありませんが、今の親も教師も、それを察知しなくてはなりません。

 つくばの街の端に暮らす私です。
 先だって、夕暮れ時、用事があって、市役所に出かけました。
 下校中の小学生の多くが、すれ違う大人たちに挨拶をしていました。
 中学生たちは、きちんと白のヘルメットをかぶり、信号を守り、身だしなみもきちんとしていました。
 きっと、この子たちが通う小中学校では、注意深く愛情あふれる先生たちがたくさんいるのだと思います。

 そのきちんとした子たちが、高校生になり、様々の学校に通うようになると、多少、服装や歩き方に乱れが見えてくるがちょっと気になりますが、それでも、まだこの辺りでは、子供たちはその姿を隠すことなくいると安堵したのです。


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いつも見ている。いつも見られている。

daiuchuudfa d.a.m
iPhoneにセットできる魚眼レンズで撮ってみました。このレンズ、数年前に、何かを買う時に、一緒に買ったものです。今ではほとんどなくなった無駄買いのさいたいものです。そして、結構安いものという記憶があります。こんな写真がとれるならと、今思っているところです。


 今は、冬なのに、ふと、何十年も前の、ある夏の日のことを思い出しました。

 汗が滴り落ちる、とりわけ暑い日のことでした。
 アルバイトで貯めたお金で、目星をつけておいたケンウッドのステレオアンプとヘッドフォーンを購入したのです。
 アンプには、FMチューナーが組み込まれています。
 これで、とりあえず、高音質の音楽をヘッドフォンで聴くことができます。

 次のバイトで貯めたお金で、LPレコードを聴くためのプレーヤー。そして、その次に、スピーカーを二つ購入するのです。

 これで、私の「夢のステレオ購入計画」は完成します。
 そして、この夢は程なく達成することになります。
 
 夢の「ステレオ」を自分の部屋に備え付けて、それまで、音の悪いプレーヤーで聴いていたLPレコードを、幾分音量を高めにして、聴く心地の素晴らしは、物事を達成した充足感ととともに、忘れがたいものとなっているのです。

 さて、汗の滴り落ちるあの夏の日、私は重く、大きなケースに入れられたアンプを神保町のよく出入りしていた店で購入しました。
 これから一時間ほどかけて、家に帰るのです。
 御茶ノ水駅までの駿河台の坂を、右手で荷物を持ったり、左手で持ち替えたり、時に、歩道におろして休んだりと、照りつける日差しの下で悪戦苦闘していました。

 駅の改札が、この先の交差点を渡ればすぐのところまで来て、もう、我慢ができなくなりました。
 汗が目を覆って、前が見えなくなったのです。
 もしかしたら、今でいう熱中症のような感じになってしまったのだと思います。

 ポケットをまさぐり、いくばくかの残金があるのを確認して、私は、駅前にある「音楽喫茶エリカ」に入りました。
 そこは、いわゆる名曲喫茶というものです。
 今では、ほとんどその姿を見ない喫茶店です。

 冷房の効いた店内は心地よく、アイスコーヒーは火照りに火照った体を一気に下げてくれました。
 「人心地がついた」というのはその時のことを言うのだと、今でも、その時の感じを覚えています。

 次第に目が慣れて来たのでしょう、クラシックの名曲が流れる薄暗い店内の様子がわかって来ました。

 一人で来ている人が圧倒的に多いのに気がつきます。
 すでに、コーヒーカップは片付けられ、水の入ったコップだけが置かれていることから、きっと、長い間、そこに座って、奏でられる名曲を効いているに違いありません。

 うつ伏せになって寝ている人はいないようです。
 文庫本を読んでいる人はいます。じっと目を閉じたままでいる人が圧倒的に多いのです。
 重たい荷物を運び、夏の太陽に火照った体を癒しに来ていた私は、この空間では確かに異質の存在でした。
 ふと、いくつかの視線を感じました。
 汗を拭き、一気にアイスコーヒを飲み干し、さらに、水のお代わりを要求している私を見つめる視線です。
 同じくらいの歳の青年と目があいました。
 瞬間、私は目で挨拶をしたのです。すると、その青年も、軽く笑みを浮かべて挨拶を返してくれました。
 きっと、大きな荷物を持って来て、出されたコーヒーを一気に飲み干すその仕草が尋常ではなかったのでしょう。

 我関せずで、ひたすら名曲を聴くことで、自分の思念に浸る、この薄暗い名曲喫茶で、私はこの名も知らぬ同輩との目での挨拶を得て、なんだか気分がすこぶる良くなったことを覚えているのです。

 今、時代は大きく変容しました。
 人々は、他人に見られることなく、自分の好きな音楽を手軽に、コンパクトに聴くことができます。
 音楽ばかりではありません。映像も、書籍も見ることができるようになったのです。

 映像や書籍はともかく、名曲喫茶に入ることもなく、イヤフォーンをして、街を歩けばそこは自分だけの音楽空間となりうるのです。
 誰が見ていようとも関係なく、両耳から白いラインを垂らして、我関せずに歩くことができるのです。

 時代が、人と人との関係を殺伐なものとしていく。
 あの夏の日にもあった、我関せずの世界とは違う我関せずの世界が今、ここにあると感じるのです。

 両耳から白いラインを垂らして歩いてる人に微笑んでも、きっと、微笑みは返ってこないでしょう。
 徹頭徹尾無視されるか、不審な目で見られるのがせいぜいでしょう。

 でも、と私は思うのです。

 オーストラリアの友人がフェイスブックで、ある記事を発信しました。

 Hey world! I just learnt to ride my bike yesterday. And then today I rode 4kms!

 自分の子供になりきっての発信です。
 世界中の人々よ。俺は昨日自転車に乗ることをマスターしたぜ。そして、今日は4kmも走ったぜと、トカゲの顔をモチーフにしたヘルメットをかぶった子供の写真を掲げたのです。

 すかさず、下手な英語で返信をしました。

 Even though it's a cool helmet, isn't it?

 そこで気がついたのです。

 現在は、私たちは、SNSを使って、つながりを持つことができていると。
 同時に、あの夏の日のように、ちょっと目で挨拶する関係ではなく、時として、地球の反対にいる人のその日の行動を見て取ることができるのだと。

 あわせて、今の時代、私のことも、何の関係のない人にも見られていると。


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ちょっと先の「未来」を生きるために

ittennnimufanldjam
冬の限りなく青い空に、一点の雲あり。シャッターを切ったその後、あっという間に、雲は散っていった。きっと、あの青い空には、想像もつかない風が吹いているのだろう。



 人は、どうしても、「今」を見て、「今」を思うものです。
 これは、悪いことではありません。むしろ、人として当たり前のことであります。
 しかし、時代がそれではいけないと叫んでいるように思えてならないのです。

 これまで70有余年にわたって世界が構築してきた「常識」「見解」「あり方」「処し方」「取り組み方」「妥協の仕方」「落とし所」、そういった問題を解決する算段を遠のけてしまったように思うのです。
 
 ソビエトが崩壊した時、ベルリンの壁が崩れた時、世界の体制はさほどの影響を受けずにすみました。
 もちろん、当事者であるロシアやドイツの人々にとっては凄まじい変容を体験したことは忘れません。それでも、世界はそのままであったのです。

 しかし、今、世界破滅への戦争が準備されているわけでも、人類の存在を脅かす未知の危機があるわけでもなく、「昨日」と何ら変わらない世界がそこにあるにもかかわらないのに、世界は何かに怖れを抱いていることを感じるのです。

 人類をひととき狂気に導いた戦争行為という現象を振り返ると、国は、国民に、好戦的な言葉をそれとなく投げかけます。
 曰く、米英撃滅とか、欲しがりません勝つまではとか、あるいは、真珠湾を忘れるなとか、その手の言葉がまくし立てられます。

 しかし、「今」の時代に、そのような言葉を弄して、敵を探し出し、それを打ち破ろうなどとする無意味さを人は知っています。
 ですから、ひと昔、ふた昔、そのまた昔とまったく様相を異にした、怖ろしい「異変」が起きているのではないかという不安があるのです。

 そんな不確かな気持ちを導き出す「今」にあって、人は何をしなければならないのか、それを準備しておかなくてはなりません。

 これから起こるであろう出来事に対して、時に、柔軟に対応でき、時に、断固対する<判断>の力を持つことです。
 不確かで、流動的な時代にこそ、<判断>する力が大切です。

 万が一、その<判断>がいい方向に導いてくれれば最高の出来事になります。
 よしんば、そうではなく、最悪の事態に陥ったとしても、それは自己判断がなしたことであるがゆえに、諦め、もっと的確にいうならば、爽快な気分でそれを迎えることができるのです。

 <判断>をすると言いましたが、<判断>ほど難しいものはありません。
 それは、今、責任ある立場にいる方にはよくわかるかと思います。
 <判断>によって、すべてが決するからです。できることなら、そのような重大な<判断>はしたくはないというのが人情です。

 でも、しなくてはならない時代が、ちょっと先の「未来」にあるのです。
 <判断>をする上で、最も大切な要素は、その人に確固たる価値観があるか否かにかかってきます。

 それは例えば、オーナー経営者と、雇われ経営者で、その点を考えて見るとよくわかります。
 オーナー経営者は、会社を起こした時から、明確な価値観を持って経営に当たっています。ですから、右か左かの<判断>は、決断するにそう難くはないのです。
 一方、雇われ経営者には、時に、それが難しい時があります。
 自分の進退を決していれば、それはオーナーと同様の<判断>が可能ですが、そうでなければ、あっちに気をつかい、こっちを配慮してと、<判断>はすこぶる曖昧になり、結果、芳しくないことに落ち着くことになります。

 この例からもわかるように、<判断>というのは、個人が持つ優れた価値観に支えられていると言えます。
 これがあれば、強く自分の考えを表現できます。
 強い自己表現は、同調者を呼び起こします。
 同調まで行かない人たちには、説得力を持って、議論を臨めます。全部とは言えなくとも、ある程度の同調者を獲得できます。

 これからの学校教育では、算数・数学や国語・英語に加えて、いかに<判断>する力を、子供や学生に与えていくかが問われることになるでしょう。
 そして、「今」、この世界に大人として、生きている人は、自らの力で、自らの価値観を構築して行かなくてはならないのです。
 
 今の時代は、良くも悪くも、「均質」を最高のあり方とする社会です。
 皆と同じであることで、安心を得ているのです。
 
 これは、70余年前の社会がそうさせたと言ってもいいでしょう。
 生活を便利にする電化製品が出れば、国民すべてに、それを買うことを勧めてきたからに他なりません。
 それが「均質」社会へと世界を導いて言ったのです。

 「均質」ではなく、己の主張や信念に基づく「固有性」こそ、ちょっと先の「未来」には求められるのです。
 それを手にするには、時代の流れ、時代のあり方を見定め、ありうべからざる「理想的自己」を見つめて行かねばなりません。

 年齢も、経済的基盤も、病気の有無も、家庭の状況も関係なく、自己の固有的な価値観を持つことなのです。


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