僭越ながら、手本となるべく、人生を謳歌します

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LPの時代が終わり、CDへ。ビデオの時代も終わり、その度に、同じコンテンツを買い続けてきたその名残の映像です。この高価なビデオのセットを何回見たのでしょうか。おそらく二回、いや三回かな、それほど多くはないのです。この四月に、ポールが東京ドームでコンサートをします。また、私、チケットを手に入れました。4回目にして、初めてのアリーナ席です。真正面からポールのご尊顔を拝してきます。懲りないマニアの独り言でした。


 オーストラリアに行けば、こんな国に暮らしてみたいと思い、イギリスに行けば行ったで、日本とまったく違う風土に憧れたりして、まったくもって節操のない男なのですが、ここつくばに暮らしていて、やはり、日本がいいと思うことが多いのです。

 私たちの世代というのは、日本がまだ貧しい時代、外国とはアメリカだけであり、そして、どこかにアメリカへの憧れと劣等感を持ち、それゆえ、アメリカに追いつき追い越せと何事にも頑張ってきた年代の人間ではないかと思うのです。

 トイレ環境はといえば、しゃがむことから座ることへ一大転換し、つまり、アメリカに追いつき、さらに、温水シャワーや温かい便座で、アメリカを追い越しました。 
 食事も、今や、自然の滋味を堪能する和食が、アメリカを席巻しています。
 気味悪がられた刺身も、臭いと言われた納豆も、野菜の多い質素な和食が、肥満という大敵に有効に作用することを知り、ブームは一向に去る気配がありません。

 これらの健康に有効な衛生環境を持つ日本社会のあり方は、乳幼児の死亡率を低下させ、働き盛りの人々が感染症や難病にかかってもいち早く復帰させることを可能にし、老人の病気による死亡さえも減らしていきます。

 今や、日本人の平均寿命は世界最長レベルを維持しているのです。
 世界が滅んでも、日本人だけは生き延びていると恐れられるのではないかと心配する始末です。
 そんな日本で、高齢者と呼ばれる人々の定義の見直しがなされようとしています。
 全人口の28パーセント、3500万人が高齢者の国では、これからの国家運営上問題が残ります。ですから、10年、年齢を繰り上げて、高齢者を認識していこうというのです。

 そんな折、二つの報道を目にしました。

 一つは、運輸・観光という業種が、高齢者を対象にしたサービスをより充実させるというのです。 
 高齢者であることを条件に、特急・グリーン車乗り放題切符とか、飛行機も3分の1の料金で乗れたりと、情報を得て、それを活用して行く人々にはこの上ないサービスなのです。
 長年、現場で仕事してきた高齢者の多くが、パソコンを使えますから、ネットを通しての予約だけでも割引を受けられます。それも、大きな割引です。
 私がちょくちょく出かけるオーストラリアでも、航空運賃の割引率は、驚きの価格です。

 しかし、一方、こんなことも目にしたのです。

 「寿命より先に資金がなくなる」という文言です。
 長生きをしすぎたがために、生活への不安が増大するというのです。
 まるで、このまま行けば、貯蓄もなくなり、家もボロくなりばかりでなく、ついには売り払い、ホームレスになると脅かすのです。
 そして、そうならないように、保険にはいれとお決まりの文言が続きます。

 前者は、お気楽のパターン、後者は不安を募るパターンですが、両方とも、お金をなんとか引き出そうと苦心惨憺のようです。

 貯蓄もさほどなく、株などにも興味関心がなく、さらに、起業など面倒臭くてやっていられないと思う私などは、このようなことを目にすると、おいおい、いい加減にせーよと、言いたくもなるのです。

 あるテレビの番組で、うろ覚えなのですが、イギリスの大学の先生が、これからの百年長寿高齢化社会の中で必要なのは、生産性と活力と、そして、変身性だと言っていました。

 生産性というのがなんだか忘れていますが、自分なりに解釈をすれば、文字通り、それはものを作るということだと、言い切れることができます。
 では、何を作るのか?
 人は、生きる(生活のためではなく)ために、ものを作り出してきました。
 縄文土器を見てください、刀剣の柄をみてください、絵画をみてください、必要と感じられないところに、おそるべき人間の情熱が注がれているのです。
 作るということは、人間が持っている根源的なものなのです。

 活力。
 いかに衛生環境が整った日本にいても、不老不死は得られないのです。人間の肉体は滅びるようにできているのですから、しかし、滅びるまで、この活力なるものを失ってはならないのが人間なのです。死ぬ瞬間まで、活力は人間には必要なものなのです。

 そして、変身性です。
 あの先生がなんと言っていたか、まったく覚えてはいないのですが、これもまた、自分なりの解釈をしてみましょう。
 組織の中で働くということは、ほんの一部の人間を除いて、自分をある程度押しつぶす、あるいは、隠すことであったと思います。本当の自分を押し隠して、初めて、組織での仕事が成り立ったのです。本当の自分を出すことは、仕事がうまく回らないことであり、ともすると、自分がそこから放り出される危険もあったのです。
 ですから、そこから脱した今こそ、まったく違う自分を、いや、本来の自分を、誰に遠慮もせず、出して行くことが大切なのだと思うのです。

 日本で、働き方改革がなされようとしています。
 百年長寿を生きるのは、実は、今の青年たちです。
 今、私が述べてきた、3つのあり方、「生産性・活力・変身性」は、むしろ、その若者たちが今の高齢者よりも、ずっと若い年の頃に実践をして行くことなのではないかと思うのです。
 
 僭越ながら、私、若い方々の手本となるべく、企業の甘い言葉や不安を煽る脅迫に惑わされずに、人生を謳歌していきます。


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秋葉原のハゲ頭

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昨年の夏の台風の影響で、蝋梅とモッコウバラの根が水に浸かって、根腐れを起こしたらしく、蝋梅は花の付きが悪く、モッコウバラは蕾が見えません。そんな中、我が家の色濃い紅梅が満開になりました。朝方の気温も、零度を下回ることがなくなりました。いよいよ、春がそこまでというところにきました。なんだか、心がウキウキしてきます。


 竹ノ塚に暮らしていた学生時代、東京に行くには、日比谷線で秋葉原にでて、総武線に乗り換えてというパターンが最も多かったようです。
 今、つくばで暮らしていて、かつてのように、高速バスや荒川沖に出て常磐線でというルートはまったく使うこともなくなり、もっぱら、つくばエクスプレスの快速で一挙に秋葉原に出ます。
 私の人生は、よほど、秋葉原と縁があるのだと思うのです。

 その秋葉原を所在なくブラブラする時があります。
 まっすぐに帰らず、一人、居酒屋で酒を飲むこともあります。
 一番多いのは、電気街をあちらこちら巡ることです。オタク文化の店なども覗いて見るもの面白いものです。
 この文化が、世界に撒き散らされて、世界の若者が日本に興味を持ってくれているんだと思えば、上野の博物館巡りに匹敵する価値ある街歩きだと思っているのです。

 居酒屋さんでも、カレー屋さんでも、そこで働いている人たちが外国から来た若者であり、地方から来たらしい、それらしい訛りのある若者たちであることも、私にとっては活力がみなぎっていて喜ばしいものです。
 若いということは、なんでもできるのですから、その好機を逃さずに、やり遂げて欲しいと、私はカレーをほう張り、酒を飲むのです。

 一軒の妙な店があります。
 妙というのは、時代が遅れている証拠です。
 そこには、うら若き女性たちがたむろしています。
 最も、そこへ入る勇気など毛頭持ち合わせていませんから、これは新聞で読んだことです。

 猫が、小鳥が、時には、亀とかそういった動物たちがわんさかいる店で、客は、それらの動物たちに癒されるためにやってくるというのです。
 飲み物代を払っての入場ですから、かつて私が入っていたジャズカフェや純喫茶と同じ手合いと考えればなんのことはないのですが、私はそこでジャズを聴いても、クラッシックと聴いても心を癒されることはありませんでした。
 むしろ、目つきは鋭くなり、思想は先鋭化し、およそ、将来役立つ人間になれるなんてこれっぽっちも思わない青年であったに違いないのです。

 まして、今、特別料金を払って、特定の動物を指名してしばらく過ごすなど考えもできません。

 彼女らは、どうして、もっと人間と付き合わないのでしょうか。
 ドロドロとした人間との関係に、反感を覚えて、それでも、我慢して、やっていこいうと思わないのでしょうか。
 人によって、流行の中で、作られた空間を、隠れ場とし、秘密の花園として位置付けるのでしょうか。

 居酒屋で一人酒を飲んでいると時、私は二つのことをします。
 一つは、iPhoneとにらめっこです。
 ニュースを一通り舐め回します。
 自分の書いた作品、描いた絵も見ます。

 それも、15分もすれば終わります。
 すると、今度は店の中の客たちの様子、ガラスの向こうに見える秋葉原の街を行き交う人の群れを見るのです。
 人の話す姿、歩く姿というのを見るのは、その人々の在りようを想像するためなのです。

 あの薄汚れたジャンバーを来たハゲ頭の男は、きっと、職もなく、なけなしの金を叩いて飲みに来ているに違いない、そして、共に来ている友人だろうか、結構若いそいつに、飲み代を払わせる魂胆に違いない。
 あるいは、大きな荷物を持って駅にいそぐ若者、きっと、アルバイトして貯めたお金を使って、念願のコンピューターを手に入れたのだ、あの急ぎ足、早く家について、設定をしてと気ばかりせっついている歩き方だ、とか思って、それを酒の肴にしているのです。

 あるいは、ちょっと日本語がおかしい店員に、中国語で話しかけるのです。
 キョトンとした顔をしています。
 申し訳ないと右手で敬礼し、改めて、日本語で注文を出したり、向こうに、私が入れば、このオヤジ、何を素っ頓狂なことをしているんだと思っているに違いありません。

 そんな自分を思うと、鳥のいっぱいいる店に入って、そこを隠れ場にする女性たちとなんら変わらないし、星の数ほどもあるオタク文化の店で、一体の人形に目に星をためて眺めている少年となんら変わりないのです。

 一人酒もいささか飽きて、店を出ると、先ほどのハゲ頭が前を歩いています。
 そして、ビルの端にある小さな出入り口に入っていきます。
 そのハゲ頭が入っていた入り口にしばし佇み、意を決して、そちらを見つめました。
 エレベータがあり、そこに表札とインターホーンが見えます。
 私は、おもむろに、上を見上げます。
 高いビルです。

 <あのハゲ頭、このビルのオーナーだったんだ>
 
 私の中で、またまた、想いが噴出します。
 先祖が残した土地、そこにビルを建て、若者たちのささやかな企業を助け、ビルの一室を貸しあたえている。
 自分の幸運なありようを社会に還元しようと、若者たちに格安でビルの一室を貸し出し、世界にオタク文化を広める役割を側面からになっているのだと、私の思いは至りました。

 なんだか、せせこましく、即物的に物を想像する自分が情けなくなりました。


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独立国家とはかくありたし

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明るい日差し、これが何よりも嬉しいのです。ですから、朝から曇っていると、なんだか憂鬱になってしまうのです。反対に、東の空がしらじらとあけて、日差しが感じられれば、爽快な気持ちになります。つくばの自宅の階段にも、日差しがこうして届きます。ありがたいことです。


 国家の犯罪というのは、その成立を確認することは難しいと思います。
 なぜなら、三権分立で、民主主義を果たしている国では、国家そのものが犯罪を起こす可能性が不可能に近いからです。

 その民主国家の政権が、己の主張を遂行するために強硬策をとるということはあり得ますから、その時、反対する人々の人権を無視したり、国民がしてほしくないということをしたのであれば、それが犯罪行為であるか否かの判断を、(それが国家の犯罪とはいえないまでも)司法で問うことは可能であると思います。

 例えば、違法に入国してきた他国民を排除するのは独立国として当たり前のことです。

 これに対して、人道上の観点から、超法規的な処置を施せば、その政権は良いことをしたと、国民からも、違法に入国してきた他国の人からも、賞賛され感謝されるでしょう。
 また、違法で入国してきた人を、教育し、その土地で暮らせるように教育する期間を設けて、改めて入国を正式に認めていくということに対しては、さらに高い賞賛と感謝がなされるでしょう。

 しかし、そうした人々に対して、ちょっとでも、例えば、交通違反があっただけで、入国許可を取り消すとしたらどうでしょうか。
 人は、すべての人が聖人ではないことを知っています。
 人は、間違いを犯し、時には、意図せず、法を超えてしまう存在なのです。
 ましてや、交通違反など、警察を退職した人々が安全協会などという天下り団体を作り、暇つぶしに切符を切っているような側面もあります。

 ですから、民主主義の国家では、このような政策を打ち出す政権というのは、必ず、次の政権によって、告発される運命を持っていると言っても言い過ぎではないのです。

 国家の犯罪というのは、その定義として、あえてあげるならば、次のようなものとなるでしょう。
 第一に、その国家のトップが犯罪を企図し、実行させる資金や手段を提供指示する。
 第二に、犯罪行為は自国内ばかりではなく、他国の権益を無視して強行される。
 第三に、犯罪行為に対して、知らぬ存ぜぬと貫き通し、かつ、相手国を強く誹謗中傷する。
  
 クアラ・ルンプールで、北朝鮮が行った暗殺行為は、これにまさに合致します。

 それに対して、マレーシアの治安当局の一連の対応と的確な捜査能力に、これこそ独立国としての矜持を見るという思いを、私は強く持っているのです。

 マレーシアは、北朝鮮人がビザなしで渡航できる唯一の外国で、友好国でした。
 ですから、北朝鮮の企業、出先機関が事務所をおき、合法、時には非合法の諸処の活動を展開していたと言います。
 しかし、国の表玄関で、他国人二人を使って、暗殺というテロを実施することに対して、恐らくは困惑をしたことであろうと思います。
 しかも、遺体の返却に際しても強引な言い分で迫ったはずです。
 これが国家の犯罪の第二項目にあたります。
 
 調査が進むうちに、北朝鮮の大使館や国営航空会社のスタッフの関与が出てきます。それに対して、知らず存ぜぬとシラを切り、挙句には、マレーシアの捜査を詰ったのです。
 これが国家の犯罪の第三項目にあたります。

 この二項が成立すれば、第一項目も成立します。
 
 マレーシアは、たとえ友好国でも、犯罪がそこで成立すれば、国家の主権としての力を発揮することを躊躇なく選んだのです。
 これこそ、独立国家のあるべき姿であると思うのです。

 2010年9月7日午前のことです。
 尖閣諸島付近で違法操業が確認された中国漁船に対して、巡視船が退去を求めました。
 しかし、この漁船は操業を止めることなく、無視したのです。
 巡視船が執拗に警告を発すると、今度は、巡視船「よなくに」と「みずき」に衝突し、2隻を破損させるという暴挙に及んだのです。
 ここまでくれば、漁船と巡視船の違いがものを言います。
 違法操業の漁船と船員たちは海上保安庁に捕獲されたのです。

 しかし、中国はこの件に対して強硬な政治的圧力を加えてきたのです。
 これに抗しきれず、13日には、船長以外の船員と漁船を中国に戻しました。
 しかし、中国は日本の弱腰を見て、船長に対する日本の司法処置に強く反発し、閣僚級の往来を停止・航空路線増便の交渉中止・石炭関係会議の延期・日本への中国人観光団の規模縮小といった政治経済面での圧力に打って出たのです。
 具体的な処置としては、上海万博への日本人大学生の招致中止、日本企業社員の身柄拘束、税関での意図的遅滞行為、そして、有名なレアアースの輸出禁止です。

 これに対して、当時の政権は、船長を処分保留のまま、釈放するという独立国家にあるまじき処置を実行したのです。
 なぜ、独立国家としての矜持を持って、自国領海での不法行為に対して、断固対応できなかったのか。もし、時の政権が確固たる処置をとっていれば、現在のような不法行為や日本のやることに対して、いちいち中国がイチャモンをつけるというようなことはなかったはずです。
 国と国とは、やるならこっちもやるぞという気概がなくてはならないのです。

 そんなことを思い出しもしたものですから、今回のマレーシアの毅然としたありように目を丸くして、その経緯をみつめているところなのです。
 それにしても、国家の犯罪、その三つの定義を、東にも西にも、当てはまる国があることは悲しいかな現実のようです。


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いっぱいのことを教わっています

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この象は、基本のレゴに加えて、もう一箱の増設のレゴを使って作ります。高さは30センチ程度、長さは40センチくらいになる大型のロボットです。前進と後進、鼻を巻き上げてパオーンと泣き声をあげ、その鼻を使って、物を掴み、そして、置きます。自分でさらに、どのような動きをさせるかは、プログラミングで自由にできます。私は、まだそこまでできませんが……。


 その日の朝、彼は、一階の私の寝室に顔を見せました。
 いつものように、私は着替えを終え、二階にあるキッチンに行くところでした。
 彼は、私の顔を見上げて、私の歩き出すのを待って、嬉しそうに声をあげて、階段を登って行くのですが、この日はそうでありませんでした。

 彼は、必死の形相で、一声あげて、私を待たずに、一挙に階段を登って行ったのです。

 何だろう、いつもと違うと思ったものの、私は毎日するように、階段の途中にあるガラス窓を少し開けて、二階に行きました。
 応接間を抜けて、キッチンに入って、私が見たものは、彼の横たわっている姿でした。
 すでに、彼の息は止まっていました。

 あの必死の一声は、彼の別れの挨拶だったんだと、私はその時初めて気がついたのです。
 
 彼とは、我が家に共に暮らしていたオスのシェルティです。
 取手の学校から土浦の学校に移るゴタゴタした中、横須賀の知人から貰い受けた犬です。
 知人は、人間に邪険にされた犬を保護し、里親を見つけるということをボランティアでしていたのです。
 精神的にちょっと苦しかった私は、横須賀まで出向き、ラッキーと名付けるこのシェルティと出会います。
 
 つくばについたその日、ラッキーは家出をします。
 ただ、首輪に住所と電話番号を書いておいたので、翌日、2キロほど離れた農家から連絡があり、ラッキーを引き取りに行きました。
 その後も、ラッキーは住まいとした一階の部屋の壁を体当たりで破り、順調に花々が育っていたウッドデッキ上のプランターをひっくり返し、散歩に行っては、私の言うことを聞かないという暴れっぷりを見せました。

 壊れた壁を修理する姿を見せ、プランターを整える姿を見せ、散歩では右につけて一歩でも私より先に行けば叱り、守ればご褒美をあげました。

 胃が弱いのか、下痢をよくしました。
 そういう時は、腹をさすってやりました。
 犬は、痛くても何も言わないのです。

 ラッキーが来る前に、私の家には、アンというシェルティがいました。
 二人の娘がまだ小学生の時です。
 その娘たちにゆくゆくは出産というものを見せようと思って、ペットショップで購入してきた犬です。
 一年後、アンは、玄関で、4匹の子犬を出産しました。
 そして、足の悪いケーシーだけが我が家に残り、2匹の母子犬は、我が家の一員として、十数年を共に生きることになったのです。
 
 アンよりケーシーの方が先に逝くことになりました。
 ケーシーはシェルティにしては体が大柄で、事情を知らない人はコリーだと思うくらいでした。私と一緒に散歩に行くことが多く、アンよりは厳しく育てられたと思います。
 ですから、ケーシーは私が怖く、いつも、私の前では、「恐縮」する姿勢を取っていました。
 反対に、アンは、私が怒ろうが、何をしようが一向に構いません。
 時には、ケーシーを誘って、別の部屋に行ってしまうのです。
 それも、私の方を一瞥してです。

 そのケーシーの体が弱ってきました。
 獣医さんは、手の施しようがないと言いました。かなり、重篤な病を患っていたようです。
 ですから、ご家族で、一緒に、時間を過ごしてやってくださいと言われ、家に戻ってきたのです。 
 その夜、私は、今までしなかったことをケーシにしました。
 一枚の犬用のせんべいをケーシーにあげたのです。
 ケーシーはそれを口にしました。でも、もう一枚欲しいというそぶりはしませんでした。
 そして、朝方、アンが冷たくなったケーシーの口元を舐めている姿を見たのです。
 
 アンはその後一年、足を引きづり、目元はたるみ、まゆは白くなり、スーと息を引き取ったのです。

 そんなことがあったから、もう犬を飼うことなどやめようと思っていたのですが、学校を移るという心労から、私は横須賀にラッキーを求めたのです。
 
 私の、このつくばの家で、三匹の犬が、大して苦しむそぶりも見せずに息を引き取りました。

 私も、二階の日当たりのいい部屋で、ロッキングチェアに揺られながら死にたいと思っています。苦しむこともなく息をそっとしまいたいと……。

 それでも懲りずに、今、私の家には、キャラという名のコーギー犬が一匹います。
 7歳になりました。
 シニアの餌を与える時期になりました。

 私がロッキングチェアで息を閉じる前に、コーギーのキャラの末期の水を取らなくてはと思っているのです。

 実は、アンはアデレイドに暮らす知人の娘の名からとりました。
 ケーシーは、その知人が飼っていた犬の名前。
 そして、キャラは、娘たちととても仲の良かったイタリア系オーストラリア人教師の娘の名前です。
 ラッキーだけは、学校を移っても、私に幸運が続くようにと名をつけました。


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ありえない話ではないのです

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幼い子供たちが遊ぶレゴには、「教育レゴ」というレゴがあります。コンピューターを取り付けて、センサーを取り付けて、作ったレゴをロボットとして動かすのです。いいおっさんがこんなことをしてと笑ってはいけません。これが次代の学校教育に導入されているのです。子供たちは、小さな部品を組み立てると同時に、コンピューターにロボットを動かす記号を打ち込んで行くのです。英語とプログラミング、これが次代の教育の柱となるのです。



 このところ、日経やNHKで、スコットランドに関する、あるいは、そこを舞台にした記事や番組を見る機会が多くありました。

 私は、まだ、スコットランドには足を伸ばしたことがありませんが、スコテイッシュな町と知られているカナダのビクトリアという街には何度か行ったことがあるのです。
 しかも、カナダでも屈指のホテル、ビクトリアの町の中心にあるエンプレスホテルに宿泊しての訪問でした。

 ホテルからしばらく歩くとショッピングエリアがあります。
 そこへ行くと、当時まだ行っていなかったイギリスを、確かに私は感じていたのです。
 店々のあちこちに、カナダの国旗と同じくらいにユニオンジャックが飾られ、土産物には女王陛下のお姿がプリントされ、スコットランドキルトの本格的な店もありました。
 この町は確かにカナダの町なのかと疑うばかりのありようであったのです。

 また、ショッピングエリアばかりではなく、エンプレスの前の道路の向こうの橋の上には、バクパイプを演奏する男性が、例のスカートをはいて、スコットランドの正装をして演奏していたのです。

 その後、イギリスに出かけるようになり、イギリスという国が複雑な歴史を持っていることを知ることになります。
 グーレトブリテン島の北部に位置するのがスコットランドですが、南部のイングランドはレンガ作りの家、スコットランドは石造りの家、南部は平坦な土地柄で、北部は起伏のある風土とこれも異なるのです。
 言葉や習俗も異なります。
 そして、イングランドがスコットランドを征服し、配下に治めるのです。
 それはウエールズもアイルランドも同様です。
 つまり、イギリスという国は、イングランドが周辺の言葉も習俗も異なる国を征服して生まれた国であるということなのです。

 日本でいうならば、維新の折、幕府に最も忠実であった会津藩を、薩摩藩を中心とする官軍が大軍を組織し、攻め入り、会津を破った話が有名です。
 破れた会津人は、その後、酷寒の地の開拓者として送られ、辛酸を舐めることになります。
 しかし、薩摩憎しという声はさほど聞こえてきません。
 それは、方言の違いはあっても、同じ日本民族として、一緒にまとまろうという気持ちがそこにあるからです。

 でも、イギリスはそうはいきません。
 2014年、スコットランドに独立騒動が起き、住民投票が行われました。
 結果は、独立を否決しましたが、2016年のEU離脱問題では、スコットランドの意に反して、イギリスは離脱を決めました。
 スコットランド政府は、改めて、独立の是非を問う法案を通し、今度の国民投票では独立への道筋が立つのではないかと言われています。

 なんとも複雑な歴史です。

 先ほど、薩摩と会津の話をしましたが、日本だって、歴史の歯車がちょっとした噛み合わせの違いが出てくれば、関東と関西と分かれていたかもしれません。
 言葉だって、交易をするための貨幣でも、江戸と大阪では、金本位と銀本位というように違っていたのですから、天皇陛下を擁する西の日本と、将軍を擁する東の日本があっても不思議ではなかったはずです。

 1945年、日本が太平洋戦争で降伏をした時も、アメリカの力が弱ければ、北海道はロシアに組み込まれていたでしょうし、中国は九州を、イギリスは四国を支配下に入れていたとしても、なんら不思議はありません。
 そうならなかったのは、昭和天皇はもちろん、当時の状況下で、将来の日本を的確に考察し得た政治家がいたからに他なりません。

 ヨーロッパ大陸を見てみますと、多くの言葉、それに伴う民族が入り乱れ、国を作っています。そのため、幾世紀にも渡って、争いが絶えませんでした。
 ヨーロッパの近現代史は、争いの歴史といっても差し支えないくらいです。
 その戦いに明け暮れた大陸が、最も先鋭的に戦い、憎み合ったドイツとフランスの手で和解を成し遂げ、共同体を作り上げたのは、人類が果たした歴史的な快挙として記録されるはずです。

 中国大陸でも、ヨーロッパと同じ状況であったと言っても差し支えありません。
 東北地方の言葉、上海の言葉、広東の言葉、四川の言葉、それぞれ異なります。それは、方言の違いでは済まされない違いがあります。
 ですから、この国も、歴史の歯車がちょっと違ってかみ合わさって入れば、おかしなことになっていたはずです。

 つまり、四川共和国があり、広東人民主共和国があり、上海杭州自由連合共和国があり、東北女真国がありと様々な国の形があったことも考えられるのです。
 今の中国政府には失礼かもしれませんが、その方が、あの国はより正常な形で、そして、より早く豊かになっていたような気もするのです。
 それぞれの民族や言語を共有する人々が、一緒くたにならずに、個性を輝かせて、それでいて、世界に冠たる国々として、尊敬を集めていたのではないかと……。

 しかし、それやこれやは非現実のありない話だと目くじらをたてることはありません。

 あのアメリカでさえ、分断する可能性を示しているのです。
 しかも、飛び地で国が分断されるのです。
 トランプを支持する州がよせあつまるアメリカ共和国とそれに反対するアメリカ民主国です。

 人間はありとあらゆることをやってのける動物です。
 ですから、アメリカでも、中国でも、日本でも、イギリスでも、このことは、まったくありえない話ではないのです。


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小さな一個の関係を誇りに

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昨年の秋、寄せ植えを作り、一階の書斎から見えるベランダに吊るしました。その一つの葉物から花が咲きました。思いがけない花に嬉しい思いをしました。


 オーストラリアの北にある都市ダーウィンで、2月19日にある式典が催されました。
 この日は、日本軍が、75年前の1942年に、空襲をした日なのです。
 
 チモール海に進出した日本海軍機動部隊、「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」の4隻の航空母艦から188機の戦爆部隊が発進し、連合軍の基地があるポート・ダーウィンを襲いました。
 これは日本がオーストラリアに攻撃を加えた最初の、しかも、最大の空襲となったのです。

 使われた爆弾は、二ヶ月ほど前に真珠湾に落とされた爆弾を上回っていたと言いますから、激しい爆撃であったものと思われます。
 そして、日本軍による空襲は、1943年11月まで断続的にですが続くことになるのです。

 オーストラリアへの最初の爆撃の日に、一連の攻撃で犠牲になった人々の慰霊式典が、毎年、ここダーウィンで行われているのです。
 真珠湾での首相とオバマさんが参加した式典ほど盛大なものではありませんが、オーストラリアと日本にとって、極めて重要な式典であると言えます。

 日米同様、今、オーストラリアと日本の間では和解がなされ、この式典にも、日本人の遺族が参加していました。
 先だって、トランプから会話中に電話を切られ、それでも、大人の対応をしたターンブル首相は「日豪は和解を経て、非常に強いパートナーシップを築いた」と、慰霊式典に臨んで語りました。

 オーストラリアとは関係浅からぬ私ですから、このような記事を日本の新聞で見るとホッとするのです。
 何せ、私の孫がこの国で学び、この国で暮らしていかなくてはならないのですから、なおのことです。

 取手の学校にいた時、「国際化教育」推進のため、南オーストラリアのアデレイドにある公立学校と交換留学の契約を結びました。
 オーストラリアは日本語教育が盛んで、当時、学校現場では、フランス語を抑えて、第一外国語として日本語が受けとめられていた時です。

 また、「ウォークマン」が世界を席巻し、日本が経済的な全盛期を迎えていた頃の時代です。

 このとき出会った数家族とは、もうかれこれ数十年来に渡る交流が続いているのです。
 きっと、私は、日本国内よりもオーストラリアのいろいろなところに出かけている方が多いのではないかと思います。
 知人の中には、私がオーストラリアで永住していると思っている方もいるくらいです。

 時代も変わり、今、真夏のオーストラリアから日本にスキーを楽しむために多くのオーストラリ人が、家族づれで、来日してくれています。
 きっと、あの時、日本語教育を受けた子供たちが大人になり、自分の子供たちを連れて、やってきてくれているのだと思っています。

 そんな姿を見ると、教育の力のすごさを、私は思い知るのです。

 国と国、国民と国民との関係が構築された素晴らしい関係は、きっとこれからも続いていくことを、私は、あの一時期、オーストラリアとの国際交流に関与した人間の一人として確信しているのです。
 同時に、娘や孫が差別を受けたり、自分が暮らしたい街で暮らしていけない不自由を感じないように、この国があってほしいと思うのです。

 何せ、トランプが変なことをやらかす時代ですから、せせこましい考えがはびこり、かつての「白豪主義」がまかり通るような国になってほしくないと思っているのです。
  
 差別は、人の心のさもしさから生まれます。

 人間は、肌の色、言葉、習慣、そして、食事や着るもの、何から何まで、住む環境によって異なります。
 それは、至極当たり前のことで、それがあるから、世の中は面白いのです。

 しかし、せせこましい考えは、それを排除し、単一にすることこそ最良であるとします。
 日本も、そうしたことを国を挙げて、唱えてきた時代がありました。
 いや、その時代は、日本ばかりではありません。世界がそうであった時代なのです。当然、人々は自国を優先し、ついには、戦争というやり方で決着をつけようとしてしまったのです。

 しかし、どのような国も、自国の文化や習俗を大切にして、他国のそれを尊重するという、極めて当たり前の、自然な良心に基づく、あり方であれば、せせこましい考えがいかに野暮かはわかるはずです。

 そして、教育によって、差別は助長もされ、反対に、抑えることもできるということを知っています。
 もちろん、それは理不尽なことをする中国やロシアの政府を擁護することを意味しません。非道は非道として、声を挙げていく必要はあります。
 
 オーストラリアという国とその国民との間にできた小さな関係を、そして、それに関与できたことを誇りに思い、一人の人間として、大切にしていきたいと思っているのです。


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自由のない、青空のない世界では困るんです

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冬の何気ない光景です。しかし、日差しが幾分なりとも温んできています。樹の下には、どんぐりがいっぱい落ちています。空は、澄んであくまで青さを保っています。


 世界は、巧みに、かつ、計画的に世界戦略を果たした二つの国の勃興によって、三分されたと考えたら、それはありえないことと一笑に付されるでしょうか。
 
 衰えたりと言っても、アメリカは潜在的な経済力と軍事力を保持し続けます。
 しかし、この70年あまり、民主主義を世界の隅々に広げるという大命題をいとも簡単に放棄ししてしまいました。
 それは、かつて、大航海時代を制し、世界の隅々にキリスト教を布教するという大命題を掲げるも放棄したポルトガルの姿に似ています。
 それゆえ、トランプのアメリカは、自身の位置する北アメリカ大陸に閉じこもるのです。

 プーチンのロシアは、ロシア積年の野望をついに果たします。
 地中海・大西洋及び太平洋における不凍港を確保することに成功したのです。
 これにより、ロシアはその歴史の中で、初めてヨーロッパとアジアの二方面に、その地政学的優位を確立することになったのです。
 気候温暖化も幸いしました。
 人間が暮らすことのできる土地が天から降って湧いたように増えて、かつてのアメリカのように、ロシアは移民大国となり、アジア、ヨーロッパからの移民が、シベリアを中心に増加し、国力はこれまでになく大きいものとなっていったのです。

 そして、習近平の中国。
 一帯一路政策は、実を結び、中国はユーラシア大陸及びアフリカ大陸を結ぶ高速鉄道網を構築、人と物資の迅速な移動を可能にしました。
 首都北京、そして、商都上海は、歴史上いかなる中国王朝も果たしたことのない繁栄を築き上げ、北京には世界各地から人が集まるようになったのです。
 
 世界の大洋には、ロシアと中国の空母部隊が遊弋し、微妙な均衡を維持するようになりました。
 かつてのように、自由世界を標榜するあり方は影を潜め、責任ある国家が人民の最低限の生活を保証するあり方に変わったのです。
 食うに困らず、生きるに苦労せず、住む家も、欲しいものも贅沢をしない限りは手に入るようになったのです。

 人類は、ついに、究極の理想社会を手に入れたとプーチンと周は豪語しますが、その言葉の背後で、食うに困ることも、生きるに苦労することも苦にせず、好きなものを手に入れること、そして、何より、さまざまの情報を手にして、それを吟味し、自分にとって真実であるものを選択することを願望する人々が、ユーラシアの東の果ての島国のひっそりとした場所にはいたのです。

 そこから、新しい世界を標榜する動きは生まれて来たのです。
 それこそが、画期的な、人類の未来を照らす「人心の変動」というものです。
 新しい時代を生み出すマグマのようなうねりがそこにはありました。

 さて、空想する歴史の時間を、現代に戻してみましょう。

 ある宗教家は言います。
 一千年ほど前、日本では親兄弟が争い、殺しあう時代がありました。
 平氏一門は、そのために一族郎党みな殺しにあうのです。それを慰めるために、一門は山奥に身を潜め、隠れるように暮らしたと言い伝えられたのです。
 それでも、心は落ち着かず、鎌倉には、新しい仏教の教えが興り、やっと人々の心の傷が癒えた、と。
 
 それから、五百年もすると、人々はそのことをすっかりと忘れ、また再び戦乱の時代を迎えるのです。
 信長が天下を制するも、信頼していた部下光秀に寝込みを襲われ、それを秀吉が討ち取りと、血で血を洗う下克上の争いが繰り返されます。
 のらりくらりと戦国の世を生きぬかざるを得なかった家康がついに天下を平定し幕府を開いて、制度を作り上げて、人々の心はやっと安定したのです。

 ある評論家がいます。
 明治になり、時代の動きは急速に早まり、500年ではなく、100年弱の周期でめまぐるしく動いている、と。

 黒船がやって来て、日本は目を覚まします。
 家康が作り出した天下泰平の時代に終わりが来たのです。
 日本は、破竹の勢いで、発展を遂げて、世界にその名を轟かせます。
 しかし、あの黒船の国に、国土は破壊され、新たな出発を余儀なくされるのです。
 1945年のことです。江戸幕府が大政奉還をしたのが1867年ですから、78年が経っていることになります。

 そして、「現代」こそが、宗教家のいうあれから500年後、評論家の言うあの時から100年弱の年なのです。
 
 戦後の世界モデルは、まさに崩れ去ろうとしています。
 宗教家は、これは末法の世の始まりであると言い、新たな価値観の創出を訴えます。
 評論家は、かつて幸運にもあった黒船がもたらした社会改革と生き生きとしたアメリカ文化の受容が、今回はないと断言し、日本独自のあり方を求めていくことを声高に述べるのです。

 先に空想したような未来があっては困るのです。
 自由がない、青空がない、世界では困るのです。


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おぼろげなる損得勘定

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役目を終えたのか、それとも、旧式になったのか、筑波石のゴロゴロ転がる廃棄所に、一台の農機具が無残な姿で放置されていました。この農機具を使っていた農民の仕事ぶりはどうだったのかと写真を撮りながら思案しました。きっと……、そう思ったのです。


 新聞を読んでいると、時に、珍妙なデータに出くわし、そりゃもっともだと思ったり、いやいやちょっと違うなという話になることがしばしばあります。

 ちょっと違うなというものの代表格が、貯蓄額の調査データです。
 みなさん、そんなにたくさんのお金を持っているのかなと、私などは首を傾げっぱなしです。
 そして、私だけ、世の中の動きとは別のところにいるのではないかと、ちょっと寂しくなったりするのです。

 もっともだと思ったのは、トランプの支持率が40パーセントを下回ったというデータ、そして、中国や韓国に対する日本人の好感度を示すデータなどです。

 トランプが安倍総理を歓待したことで、日本ではトランプへの支持率はともかく、好感度は幾分は高まるかと思いますが、実際のところはまだわかりません。
 それより、むしろ、王毅が先の外相会談で、トランプとの会合にいちゃもんをつけたり、あいも変わらず、公船を尖閣の接続海域に派遣したりして嫌がらせをしたりすることで、中国への好感度を下げていることには誰しももっともであると感じると思うのです。
 ましてや、慰安婦像をあちらこちらに作る市民団体を取り締まることができない韓国政府と韓国に対する好感度が低いことにも、もっともであると感じる日本人は多いと思うのです。

 珍妙なものには、ロシアの企業が行なった調査で、「SNSで嫌な気分になった」という調査結果には、微妙な気持ちにさせられました。
 つまり、嫌な気分になった理由の中に、自分以外の人が自分より良い人生を送っていたというのがあったのです。
 結婚や、子供のこと、休暇や旅行を、そして、日常の生活を楽しむサイトやブログを見て、嫉妬していたということです。

 私などは、ご夫妻で小旅行に出かけたり、退職して趣味を思う存分に楽しんでいたり、年頃の娘さんが悩み事を率直に述べていたり、時には、世の中に対して不満を述べていたりする人々のそれらを見て、感心したり、同感したりしていますので、そういう人もいるんだというちょっとした驚きがあったのです。

 人間には、人の不幸を喜び、人の幸福に嫉妬を感じるという妙な癖があります。
 それがあるから、人間はいわゆる芸術的活動を成せる技を持つことができたとも私などは思っています。

 ですから、ロシア企業の調査で、平和で楽しい生活をしている人の記事を見て、嫉妬するのはもしかしたら、極めて人間らしい反応の仕方であるともいえるのです。

 むしろ、偏屈な考えを持っている私など、SNSで、そのように楽しげで、誰もが羨ましくなる記事を書いている人は、本当はそうではないのではないか、そうありたいという願望が、そのような記事を書かせ、発信させているのではないかと勘ぐりを入れたりすることもあるのです。

 人間には、人の不幸を喜び、人の幸福に嫉妬を感じるという妙な癖があると先ほど書きましたが、それに加えて、人には、自分の幸不幸に対して、それを仲裁する本能もあると述べておきたいと思います。

 それは、私たちの中に、損得は順繰りに巡ってくると考える、言うなれば、仏教的な観念があるということを意味します。

 よくないことが立て続けに起きる時があります。
 不思議なことですが、同様の事件というのが連続して起きるのと同じように、個人的な出来事でも、それは極めて高い確率で起こるのです。
 
 そんな時、当事者であるその人は、これだけ悪いことが起きたのだから、次は良いことが起こるに決まっていると得心するのです。
 
 そこにはなんら根拠というものがありませんし、不幸が連続して起きたことすらも、なんら科学的立証があるはずもないのです。
 そこにあるのは、損得が等しく人にあるというおぼろげな感覚だけなのです。

 しかし、その感覚を、非科学的で愚かなものと一蹴することはできません。

 時には、非科学的なことも、理不尽なことも、人の心を救う大切な要件になりうるのです。
 悪いことがあれば、良いこともあると考えるあり方があるからこそ、人は、困難を克服できるのではないでしょうか。
 人が悩むときは、状況がマイナス的要素をふんだんに含んでいるときです。
 そこに執着ばかりしていると、容易にそこから抜け出せないで、心身ともに疲れ果ててしまいます。
 しかし、きっと、良いことがくると、一縷の望みをそこに持てば、人は、瞬間的に、気持ちを転換できるのです。

 案外、そうすることで、先のSNSで、人に対して嫉妬するということなども、この人はここに至るまで、きっと、相当の苦労をしてきたに違いない、だから、今、こうして幸福を受け止め、語ることができるのだ、素晴らしいことではないかと思えるようになると思うのです。

 そのことの方が、嫉妬して、自分を蔑むより、どんなにか良いかと思うのです。

 損得というのは、誰しも平等。
 自分をしっかりと見つめ、自分のなんたるかを得ていることが大切だと痛切に思うのです。


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大波小波、ぐるりとまわしてニャンコの目

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この奇妙なる機械は、ネギを収穫し、同時に、出荷のために、ネギを一定量束ねる機械なのです。今、一人の青年が、この機会を使って、広い畑になったネギを毎日収穫し、束ねています。束ねるのは自動ではありません。後ろの足場に立って、そこで、運転と収穫し送られてくるネギを自分で束ねるのです。ゆっくりとした作業が繰り返されています。


 つくば西武の紳士服部門から、ハガキが来ました。
 私の採寸データを破棄処分するか、池袋か千葉の西武に移管するかを問うハガキです。
 つくば西武が閉店することに伴っての通知です。

 私は、ニコンのカメラを愛用し、ニッコールクラブ会員でもありました。カメラのキムラにもよく出入りし、スライド用のフイルムを現像してもらったりしていましたが、そのニコンが人員整理をし、キムラも店舗をかなりの数閉鎖するというのです。

 かつてお世話になったものがなくなり、一時的にでも、後退していく様を目の当たりにして、幾分の心の寂しさを感じるのです。

 街全体が蒸されたかのような、その道端の露店で、異国の人々とビールを飲み、食事をしたあのクアラルンプールで暗殺事件があり、南シナ海やクリミアで横暴を働き、それを正当化する国があったり、アメリカがわけのわからない大統領を選んだりと、それらにも驚きを隠せんませんが、それらとは違い、これらは肌身に感じる、寂しさ、そして、不安として、じかに押し寄せてくるのです。

 さらに、冷や水を浴びせかけるような出来事が着々と進められています。
 世の流れとはいえ、働く人たちには気の毒なことこの上ない話です。

 それが、「AIなるもの」の普及です。

 コマツが今年度普及させていくのが、機械にAIを組み込んで、建設現場での効率化を図るといいうサービスです。
 そこには、建設現場での作業員の高齢化と人手不足という背景があります。
 熟練の作業員の「勘」を、AIに組み込んで、雨でも作業が滞らないようにしたり、ダンプの手配や必要な機材の搬入を行うというものです。
 さらには、ドローンを使って、3次元で工事現場を測量し、建機が半自動で工事を行うようにするというのです。
 
 確かに、素晴らしいことには違いないのですが、これは一方で、「人」の必要性を拒否する行為でもあるのです。
 ちょっと先の未来に、上司はAI、同僚もAI、ということが現実味を帯びて、そこにあるのです。しかも、AIは一点の曇りもなく、命令を下し、その実行を迫ってくるのです。
 仕事帰りにちょっと一杯ということもできなくなりますから、街から赤提灯も消えていくことでしょう。
 仕事の効率ばかりではなく、人間の生活のあり方そのものが変わることを、この「AIなるもの」は暗示しているのです。
 
 でも、仕事があるのはまだマシかも知れません。
 AIの進出で、雇用を奪われる人のことを、「デジタル難民」というそうです。
 10年後には、その数は、数千万人になると言われています。

 かつて、パソコンが導入された時の、それができないがために職から除かれた率とは桁が違います。
 ヨーロッパでは、そのため、政府が、国民に最低限の生活が可能なように、ベーシックインカムの制度を考慮しているといいます。
 
 その波は、それがために、もう一つの波を誘発しているのです。

 それが、大衆迎合主義、つまり、ポピュリズムというものです。
 多くの専門家は、その手の政党が、かつてのファシスト政党のように、欧州を席巻することはないと踏んでいるのは一縷の望みではあります。
 その先鞭をつけるアメリカのトランプの政策、と言っても、不確かで、流動性のあるものですが、その政権が声高に述べている雇用も、減税も、インフラ投資も、一時的な効果しかださないことは明らかだともしています。
 つまり、トランプ政権は長持ちはしない、その政策ゆえに、自滅していくというのです。
 
 中国がそうであるように、国内の矛盾の露見をはぐらかすために、日本を悪者にするように、アメリカはメキシコや中国を悪者にして、本質的な問題を隠すだけなのです。
 
 この波は、もしかしたら、AIに誘発された波ではなく、AIを誘引する波なのかも知れません。

 人は、役に立たない。人は、安心できない。
 AIに任せておけば、すべてを効率よく取り計らってくれる。AIは、無謀なことをせず、世界の平和に大きく寄与する。

 その二者択一を迫られた時、世界の指導者は、AIに、「人の未来」を託すというのです。
 だから、人は、最低限の金をもらって、最低限の生活を余儀なくされるのです。

 人類は、この地球に生存して以来、自然を拓き、真理を探求し、豊かさを追求し、今に至りました。
 今、AIが核となる時代を前にして、自分たち「人」とはいかなるものかを考慮しなくてはいけない時期に来ているのです。

 昔、女の子たちが、縄を回して遊んでいました。
 <大波小波、ぐるりとまわしてニャンコの目>と歌いながら……。

 大波小波をかぶれば、縄跳びは終わりです。
 人が生きていくというのは、ゲームではありません。
 だから、大波小波をかぶって、あたふたとしないよう、考えを致さなくてはならないのです。


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根源的な問いかけ

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その方は、アデレイドに暮らしています。オーストラリア陸軍で事務の仕事をし、敬虔なキリスト教徒です。オーストラリア人にしては異色の存在と言っても言い方です。その方が、この焼き物を私に贈ってくれました。素朴だけれど、自然の中で、優しく生きることが大切だという言葉を添えて……。


 新入生が最初に行う校外活動として、上野の美術館と科学博物館への遠足がありました。
 目的は、優れた美術作品を見ること、科学的な興味を引き出すことで、友人を作り、クラスの和をはかり、これからの学校生活が円滑に回るようとりはからうということでした。

 そのため、私は結構な回数、上野の西洋美術館に出向いていたのです。

 生徒たちは、小さなノートを手にしています。
 美術と理科の教師が作成したもので、単に見るだけではなく、注目すべき作品や展示について、必要な項目を書き留めるようにしているのです。

 生徒たちが、夢中になって、作品に近づきすぎると、すかさずその部屋にいる係員が近寄ってきて注意を受けます。
 あらかじめ、その旨を指摘して、注意をしているのですが、子供ですから、つい、夢中になってしまうのです。だからと言って、作品に手をかけたり、乱暴な仕草をするわけではないのですが、係員はそれでも不安なのでしょう。

 この子たちが6ヶ年教育の5年目になると、今度はボストンに行きます。
 ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学への訪問と並んで、必ず行くところが、ボストン美術館です。

 ここでは、見学順序とか、特に禁止されていなければ写真撮影も許されています。
 また、地元の小さい子供たちが、あちこちにしゃがんで、画板に置かれた画用紙に、展示されている著名な絵画を模写しているのです。
 中には、もっと近くで見たいとかなり近寄っている子もいます。しかし、それでも、巡回している係官はそれを微笑ましく見ているだけです。

 上野的な対応がいいのか、ボストン的な対応がいいのかはわかりませんが、同じ学習するにしても、両国の違いが出ていて面白いと感じました。

 その二つの美術館で、私の足を止める箇所があります。
 18世紀から19世紀の束縛感のある体制から解き放たれた画家の感性、つまり、ほとばしる色の使い方や広々とした構図が、私の興味をそそるのです。

 上野の美術館で、一つあげれば、それはコローが描いた「ナポリの浜の思い出」と題された作品です。
 縦に長い画面の両側に樹木が茂り、中央の向こうにナポリの浜を描き、幼児を抱いた女とタンバリンを掲げる女が手を繋ぎ、踊るかのようなシルエットで浜辺に向かっている構図です。
 海を向こうに見た時、人間は、誰しも、そこに期待感、逃避感、爽快感を持つものです。
 それが、非常によく出ていて、私は好きなのです。

 ボストンでは、ターナーの「奴隷船」の前にしばし佇まずにいられませんでした。
 イギリス人のターナーは、空気を描いた画家と言われます。
 黒い波間に奴隷船が翻弄されています。しかし、奴隷船はこの絵の中心ではありません。
 中心にあるのは、画面の中央にある白い光で、それが紅と白に分けられた空と黒い波間に差し込んでいるという構図です。
 その大自然を翻弄されながらも、叡智を尽くして完成した船は突き進んで行くのですが、その船の中には理不尽にも人が人に行う非道な振る舞いがなされているのです。
 非道な振る舞いに加担する事実とそれを非難する同国人の存在が、私がこの絵に心を動かした原因でもあると思います。

 もう一つ、ボストンで見た絵に私は心を動かしました。

 とても大きな、横長の絵です。
 絵の左上に、小さく、次のような文字が書かれています。

 「D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?」

 フランス語には疎い私ですが、私には事前の知識がありました。
 「我々はどこから来たのか?  我々は何者か?  我々はどこへ行くのか?」
 ゴーギャンがなくなる一年前に描いた作品です。
 
 画面の右に、仰向けに寝転がる赤ん坊と若い男女が描かれています。
 中央には、空に向かって、両手を掲げる青年が、そして、左には、やつれた老婆と一羽の白い鳥それを見つめる若い女が描かれている、あの著名な名画です。

 つまり、この絵は絵巻物と同じように、一枚の絵に時の流れと空間の移動が描かれているということになります。

 私が、立ち止まり、心に留めたこの三つの作品には、絵という芸術は一体なんのかという根源的な問いを発しているように思えるのです。
 それぞれに劇的な場面を描き、しかし、情緒一辺倒ではなく、そこに、時代を反映し、告発し、内心を吐露する画家の冷静な視点があることを認めるのです。
 それが私の心を揺さぶるのです。

 私は、この画家たちが、キャンバスに筆を下ろす前、じっと思念する様子をうかがうことができるのです。
 時に、直立不動で、時に頭を抱え、また、沈思黙考して、対象を凝視しているのです。
 それが見て取れるから、完成した作品を見つめることができるのだと思っているのです。


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