愛国教育って、なに、それ。

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つくば市の体育館で、やっている卓球クラブ。ここに17人のメンバーが集まり、技を競います。準備も後片付けも、キビキビと、近くにある野球場ではソフトボールも、時間を有効に使ってスポーツに精を出すのです。一流のプレーを見ることは楽しいことですけれど、二流のプレーを自分で行うことはもっと素晴らしいことです。


 孫は、朝、幼稚園に一人置いて行かれるのを悲しんで大泣きをします。
そして、程なく、幼稚園で出されるクッキーと飲み物に騙されて、母親との切ない別れも忘れて、同じような境遇に置かれた子供たちとさりげなく時を過ごすのです。

 そして、夕方、たまたま、孫の暮らす街にいる私が迎えに行きます。
 遠目に孫の姿を見ると、無邪気に遊んでいるようです。だいぶお迎えが来てしまった後のようで、孫は一人でおもちゃを手にして遊んでいるようです。
 先生に目配せして挨拶し、そっと孫に近づきます。
 孫が私に気がつきます。
 すると、孫は嬉しそうに笑みを浮かべ、両手を高く差し出し、抱っこをしろとせがむのです。

 私は、先生に礼を言います。
 すると、先生は、孫が友達をプッシュし、3人ほどを泣かしてしまったというのです。日本人の癖で、私はすぐに申し訳ないと謝ります。
 先生は、大げさに両手を広げ、謝ることはないと言い、私は今日の様子を伝えているだけだと言います。
 そうか、オーストラリアではこうして預かった子供の様子を保護者に伝えることが義務なんだと悟り、日本的な軽率な反応を私は恥じたのです。

 アデレイドの学校で、ちょっとした事件が起きたことを思い出しました。
 それは、オーストラリア人の一人の男子生徒が、私たちが引率して行った生徒の一人に対して唾を吐き、退学を命じられたという事件です。
 私はびっくりしました。
 しかし、この生徒は、これまでにも、多くの生徒に迷惑をかけ、保護者にもその都度状況を伝え、生徒が心に宿す暗い影を医学の力で改善する道を取るように進めていた矢先の出来事であるので、まったく心配するなと言われたことがあります。
 日本で、生徒の行動が奇異な場合、医者に行けと言ったら一悶着あるだろうと思いながら、オーストラリアの学校では、学校のすべきこととそうでないことを明確に分けているんだと感心をしたことがあるのです。

 ある時、朝大泣きする子を持つ娘が、数年後に転居を考えていると私にいうのです。
 理由は、今暮らしている街の小学校の評判が良くないというのです。ですから、いい評判のある小学校の学区に転居するというのです。
 オーストラリアには、私立の学校は大変少なく、いくつかある私学の学費は日本とは比べ物にならないくらい高額です。
 ですから、オーストラリア人たちは、自ら居を転じて、評判の良い学校に子供を入れるというのです。

 オーストラリアの学校のほとんどが制服を採用しています。
 それはイギリスのありようと同じです。同時に、それがアメリカとは違うところでもあります。

 同じ移民社会であっても、オーストラリアはイギリス連邦の一員であり、女王を仰いでいる国であり、そこもアメリカ社会とは違うものであります。
 ですから、教育においても、アメリカの学校が全生徒に、毎朝させる「忠誠の誓い」のようなことはオーストラリアの学校にはありません。
 
 「私は、わがアメリカ合衆国の国旗、すべての人々に自由と正義が存する、分かつことのできない、神の下での一つの国家である共和国に忠誠を誓います。」
( I pledge allegiance to the Flag of the United States of America, and to the Republic for which it stands, one Nation under God, indivisible, with liberty and justice for all. )

 この文言を、アメリカの生徒たちは、毎朝、我が胸に手を当てて、星条旗に向かって唱えるのです。英文をつけたのは、日本文ではわからない英文が持つ機微がそこにあるからです。

 この誓いは、アメリカ合衆国そのものに対して行なっているのではないことがわかります。では、何に、彼らは毎朝、胸に手を当てて誓っているのでしょうか。
 それこそ、英文の最後に出てくる二つの単語<liberty and justice>に対してなのです。

 ここが大切なことです。
 移民の国というのは、国民一人一人の原風景が異なっているのです。文化も、歴史も、考え方も感じ方も微妙に違っている人々の集まりなのです。
 それゆえ、バイタリティあふれる活動もできるのですが、ともすると、国が二つに、あるいは三つにと分断する可能性を持つものでもあるのです。
 ですから、アメリカ人は<自由と正義>を根幹とする国のあり方に対して誓約し、偉大な国の一員としての誇りを享受するのです。
 大統領が間違った命令を下せば、<自由と正義>の名のもとでそれを拒絶するのです。
 
 同じ移民の国オーストラリは、「誓約」をしなくても、女王陛下の御許で国がまとまるとしているのです。そして、世界に君臨するほどの力をつけようとは思っていません。
 緩やかに、穏やかに、人と人と人とが関係を持てる国なのです。

 日本では、大阪のとんでもない学校法人が嘘とでたらめと欲の突っ張りで名を貶めましたが、幼稚園児にあそこまで戦前の言葉を唱和させる異様さに、私は愕然としました。
 国ために戦争で命をなくした方のために靖国社をお参りする私です。ついでに、国立墓地まで歩いて、これもお参りする私です。
 しかし、戦前の言葉に対する歴史的価値は認めるものの、それを教育現場で叩き込むことを良しとは考えません。

 なぜなら、私たちの国は、昔から日本人がいて、文化を共有し、歴史を積んできているからです。そんなことをしなくても、私たちの大多数は、祖国を大切に思い、日の丸や君が代に愛着を持っているからです。

 緩やかに、穏やかに、人と人と人とが関係を持てる国が日本だからです。


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二階の女が気にかかる

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松林の向こうに見える研究所の塔。……春らしい空気の中で、それまでの景色もなぜか異なって見えるのですから不思議です。


 都立城北公園で、大量のカラスが死んでいるのが見つかったというニュースがありました。
 それも1羽や2羽ではありません。その数は、70羽というから驚きです。
 簡易調査では鳥インフルは陰性反応で、毒物反応も出ていないというのですから、ますます驚きです。
 加えて、不審な人物の出入りも確認されていないというのですから、摩訶不思議なことです。
 もしや、地球外生命体の仕業ではないかと愚につかないことを思ってしまう始末です。

 また、先日、北朝鮮が何やら飛翔体を発射したそうですが、発射後すぐに暴発したというニュースがありました。
 4発同時に打ち上げたり、一旦、中空にロケットを放ち、数秒後に再点火し、目標に向かわせる技術を手にし、さらに、高度なレベルの新エンジンの実験成功が報じられた直後の予期せぬ失敗に、首をかしげた向きも多かったのではないかと、私思っているのです。
 つまり、アメリカ軍がこの打ち上げを何らかの手段を用いて、失敗に導いたのではないかと。
 とすると、今準備がなされているとされる原爆の実験においても、アメリカ軍は何らかの手段を講じてくるのではないかと、これまた邪推をしてしまうのです。

 少なからずの期待とそうなった時に発生する不安を胸に秘めて……。

 カラスのことといい、無法国家のことといい、そんなニュースを読むと、期待と不安がないまぜになって出てくるほどの単純思考の私ですが、先だって、日経の記事で、大野伴睦という政治家の記事を読み、大いに快哉を叫びました。

 大野伴睦という人は衆院議員であり、自民党の副総裁であった人物ですが、私の年代では、テレビの政治談義などで、歯に衣着せぬ主張をする老人というイメージが強い人でありました。
 その人のモットーが「政治は義理と人情」というものであったというのです。
  
 今月の22日から、日本共産党の志位委員長が訪米し、国連の会議に出席しています。
 民進党との選挙協力を持ちかけたり、国連の会議に出たりと日本共産党も一昔前とは随分と様変わりしていますが、大野伴睦が活躍していた時代は日本共産党に所属する人物が外国に行くなどそうそう容易ではなかったようです。

 記事にこんなことが書いてありました。

 野坂参三日本共産党委員長が訪中しようとすると、外務省が旅券を発行しなかったそうです。
 当時の日本は、台湾の蒋介石政権と国交があり、大陸の毛沢東共産党政権とは国交がなかったからです。
 それを外務省に掛け合って、旅券を出させたのが大野伴睦だというのです。
 自民党からは随分と批判があったようですが、アカがアカの国行ってもこれ以上アカになることはないと平然としていたというのですから、快なる哉、であります。

 考え方は違えども、その熱心さに議員として何とかしてやりたいという情のありよう、加えて、時代の動きを察知し、将来を見据えた対応がそこにあったことを推察し、大野伴睦という人の人物の大きさに改めて感心させられたのです。

 というのも、昨今の国会での議員先生の言葉の薄っぺらさと大局を見失ったありように、政治的には音痴な私でもうんざりしているからなのです。

 中国が定期的に公船を我が国の領海内に送り込み、北朝鮮が日本国内の米軍基地を目標にしてミサイルを発射し、韓国と中国が自己中心的で、意図的な過誤の多々ある歴史事項を押し付けてくる中で、日本の国会では、嘘つきの教育者の仮面を被ったサイコに振り回されているのです。
 いや、「義理人情」のかけらもひとつもなく、サイコを利用して「党利党略」を図っているのですから、呆れ返ります。

 もし、私が野党の議員であれば、新聞発表の支持率の少なさを心配し、国民が何を欲し、何を憂いているのかを探り、率先して対応していきます。
 それは国会で訳のわからないことをいうのではなく、全国各地の現場に行って、状況を察知し、自民党と異なる対応を探り、手を打って行くことです。
 圧倒的多数の「声なき声」を拾い、その人たちの安心と信頼を得るのです。
 これが党の名声を高め、力をつけて行く唯一の道だというくらい分からなくてはなりません。

 そんなこんなを思いながら、筑波山の麓の山あいにある蕎麦屋で蕎麦をすすりました。
 蕎麦はもちろん美味しかったのですが、出された蕎麦猪口に目がいきました。
 というもの、これまた日経の記事で、岸間健貧さんの蕎麦猪口の話を読んでいたからなのです。

 私のようにあれもこれもと欲張りな人間にはできないことですが、蒐集家というのは、そのものに一途に傾倒して行くので、造詣が必然的に深くなります。
 ですから、そういう方の文章や記事を読むと教わることが実に多いのです。

 つまり、蕎麦猪口一つ取っても、そこには古典文学や江戸期に人気を博した歌舞伎や落語の知識が反映されて、洒落があるというのです。
 
 例えば、蕎麦猪口に「柴垣」の図柄があれば、それは源氏物語の若紫の場面、源氏が将来妻となる幼い若紫を垣間見る場面だとわかり、それを「あて」に蕎麦をすする「粋さ」が何とも言えないのです。
 蕎麦はそうした知性を持ってすすることに粋な趣があるのです。

 残念ながら、筑波の麓の蕎麦猪口は、笠間で焼かれた素朴な猪口でありましたけれども。

 ところで、表題の「二階の女が気にかかる」って何ですかという声が聞こえてきそうですが、これは、亡くなった母が、<櫻>という字を覚える時に使っていた言葉であるのです。

 一昔前の人たちは、今の私たちと違って、何事においても、洒落ていて、男気女気があって、おほらかであったと思うのですが、皆様はいかがでございますか。


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ヒカルくんがそうさせたように……、そうやって……。

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つくばの街を走るコミュニティバスコミュニティバスの停留所です。日本の街は街ごとの交通網がよく仕組まれています。変な観光バスより、街角、辻々を走るバスは街を知る上で、面白い交通機関だと思っているのです。都バスも面白いし、ケンブリッジ駅から出て、郊外の航空博物館へ行くバスもまた観光地ではない、イギリスの普段の姿を見せてくれました。


 今から2年ほど前、成田空港第3ターミナルでのことです。

 まもなく、ゴールドコーストに向けて飛び立つジェットスターの搭乗手続が始まります。ジグザクに仕切られた列に並んで待っていると、私の胸ポケットにあるiPhoneがブルブルと震えだしました。
 かつて、勤めていた土浦の学校の先生からです。
 「ヒカルくんが今日亡くなりました。」
 
 ヒカルくんというのは、私が気にかけていた生徒の名前です。
 脳に何らかの病弊が生じて、入院し、五ヶ月前の12月に休学に入った生徒です。

 ……アキラくん、と私は階段で声をかけました。
 先生、僕、「明」と漢字で書きますが、ヒカルって言うんです。

 それが、その生徒との最初の会話でした。

 ピアノの演奏が上手で、クラスの仲間の面倒をうまく見て、学級委員長に推挙されていました。デイベートでも、英語スピーチでも、いつも上位に顔を出す秀才でもありました。
 その彼がちょっと頭が痛いと言いだしたのです。
 担任は、無理をせず、家庭に電話するから早退しなさいと言ったのですが、僕が抜けると皆が困るからとその日は下校時間まで頑張っていたと言います。
 そして、翌朝、母親から電話があり、頭痛のため欠席という連絡があったのです。

 何のことはないある日の学校のよくある光景でした。

 しかし、欠席は続きました。
 いや、その日からヒカルくんは登校ができなくなったのです。
 担任や学年、そして、友人たちも病院に行こうとしましたが、容体は芳しくなく、来てもらっても、ヒカルくんの意識はないということでありました。

 ヒカルくんのお父さんは自衛隊を退官し、通訳の仕事をしていました。また、敬虔なキリスト教徒でもありました。そして、土浦の学校の保護者会の役員をしていました。
 その関係で、私はお父さんとは幾度となく話をしていたのです。
 ヒカルくんが入院しても、役員として活動をしてくれていたので、お会いするたびに、容体を伺っていました。
 
 秋の清々しい土曜日、役員会が終わって、ヒカルくんの容体について尋ねました。
 このところ、体調も良く、ベットに起き上がって母親と冗談を言い合っていますというのです。安堵するとともに、近日中に病院に行きたいがというと、ぜひ、そうしてくださいと了解を得ました。

 ベットに腰掛けて、ヒカルくんはいつものように、笑顔を浮かべて、気の利いた会話を私としたのです。
 母は心配性で困ります。まるで、僕が死ぬのではないかと思っているようです。
 父はあのような人ですから、私的なことより公が第一で、僕のことなどあまり構ってくれません。

 言うではないか、この坊やはと私は思いました。

 でも、そう言う彼の言葉とは裏腹に、彼はよく知っていたのだと思ったのです。
 自分の命が長くは持たないこと、そして、あえて、そう言うことで親たちに心配をかけさせまいとしていることを。

 面会が終わり、お母さんと話をしました。
 彼はお母さんと二人きりの時に、死んだらどうなるのと尋ねたと言うのです。
 キリスト教の信者であるお母さんは、天国に召されるのよと返事をしたと言います。

 成田空港でヒカルくんの命が尽きたことを知った私は彼の葬儀には出席ができませんでした。
 でも、南十字星の元で彼のことを思いました。
 朝早く、バーレンヘッドに行き、薄暗い朝の情景の中で、ゴールドコーストの海岸の、あの海と浜の境目のもやったところに、私はヒカルくんの魂を見て取ったのです。
 そして、ロビーナの宅のそばにあるユーカリの林の、朝夕、そこに飛来してくる白い鸚鵡の群れの声にもヒカルくんのスピリッツを感じていたのです。

 私のフェイスブックに、サミュエルと言う名の男性から連絡が来ました。
 よく見ると、ヒカルくんの父上でした。
 今、アメリカにある日本企業の在米法人のCEOとして、アメリカに暮らしていると言うことでした。

 フェイスブックが再び私とヒカルくんの父上とを結びつけたのですが、私にはそれは手段に過ぎず、実のところ、天国で私たちを見ているヒカルくんが、私と父上とを結びつけたのではないかと思えて仕方ないのです。

 人はこの世からあの世へと渡り、そこでまた、何やら活動をしているのです。
 あの人とこの人を結びつけたり、そこの人にちょっといいことをもたらしたり、悲しんでいる時に、ささやかな光を与えてくれたり、辛い時に、エネルギーを注ぎ込んでくれたり。

 だから、私は、きっと人は永遠に生きていると信じているのです。
 そう、ヒカルくんが私と父上とを再会させたように……、そうやって……。


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妻の病の後始末をする医師で夫の話

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きのう、市役所に用事があって出かけた帰り道のことです。天候が回復し、雪化粧した筑波山が見えました。赤信号で停車した時、とっさにiPhoneを取り出し写した写真です。


 教育現場における主人公は誰であるかという問いかけが良くなされます。
 答えはいうまでもなく、「生徒」であり、「児童」であります。

 そんなわかりきったことをなぜ人は問うのかというと、時に、主人公があらぬ者に変貌してしまうからなのです。
 その第一が「先生」です。
 周りからチヤホヤとおべんちゃらをかけられ、いつの間にか、自分は他の人間と違って「偉い先生」なんだと思い込む輩です。
 
 教育の世界で問題になることで、一般の世界には知れ渡らないことがあります。
 それは、一人の教師が「偽」なるものを教えていないかということです。
 相手は、子供です。
 その気になれば、「偽」も「真」と教えることが可能なのです。
 我が国の教員免許は、必要科目の履修さえすれば、誰でも取れる免許です。ですから、時に、英語を話せない英語教師がいて、文学を解せない国語教師が出てきてしまうのです。

 生徒の学力レベルが高い学校では、そのような教師は、生徒自らの手で駆逐されていきますが、幼児や児童、それにさほど学力レベルが高くない学校の生徒たちは、かようなくだらない教師から「偽」なるものを「真」と教えられてしまうのです。

 その弊を防ぐには、どうしたら良いのか。
 それは学校の責任者に託すほかありませんが、それができなければ、親がするしかないのです。親は子の教育に目を瞑ってはいけないのです。

 ところが、その親にも「偽」なるものを持つものがいることを私は体験上から知っています。
 これは、「偽」を教授する教師よりも弊害が大きいものです。

 こんな話を知っています。
 
 母親は、とある有名人の娘です。
 日本中で、その名を聞けば、ああ、あの人と言われるくらいの有名人です。
 父親は、医者です。開業医ではなく、大学病院に勤務する非常勤の医者です。いくつかの病院を掛け持っています。
 その両親の息子がとある私立の学校に入学をしてきましたが、校内ではある種の問題行動を起こしました。問題行動といっても、他人に怪我をさせるとか、不登校になるとか、いじめに関与するということではないのです。ともかく、勉強が苦手なのです。
 ですから、年度末に落第点となり、再テストの連続となりました。

 母親は、それが気に入らなかったのです。
 たかが、学校の勉強で、子供がフラストレーションを持つほどテストをやらせるなど許せないとクレームを言ってきました。
 これが契機となり、母親の学校に対するクレームが始まりました。
 担任の指導の言葉のあり方、板書を写した際のノートの誤字は担当教師の板書そのものに問題がありというクレーム、帰宅が遅くなる場合は家庭に連絡を入れて欲しい、宿題があればそれも連絡して欲しい、学校からの文書配布があればそれもと、要求は増えていきました。

 担任は言葉を選び、板書の件は、他の生徒のノートを参考に間違いのないことを確認し、それぞれの要求にしたがって、家庭にこまめに連絡をしましたが、今度は、何でもかんでも電話をしないで欲しいといってくる始末でした。

 そして、2年目の年度末、この子はまた落第点をとり、母親はこの学校では息子は伸びないと言って他校への転向を申し出てきたのです。
 そうであれば、書類上の問題ですが、そうもいかなかったのは、十数項目の問い合わせを内容証明付文書で提出してきて、これまでに払った授業料等の返還を求めてきたのです。

 子供が転校してからも、母親は電話での要求を続けましたが、学校はそのような返還をすることはできないと言うしかありません。
 そのうち、しかるべきところに訴え出るので、その件で、医師である夫とともに学校に来るというのです。

 そして、来訪するその日の朝、医師である夫から学校に電話がありました。

 今日、午後お伺いします。いろいろとご面倒をおかけします。で、お願いがあります。一つ謝罪の言葉を妻にかけて欲しい、そうすれば、あとは私がこの件を納めますと、唐突に言ってきたのです。

 この電話は、おたくの方から法的な手段を訴えるというので、録音させてもらっていますと伝えると、結構ですとその医師である夫は言います。

 いや、実は、ほとほと困っているんです。妻は、一種の病気なんです。自分の子供が最高の子供であり、おじいちゃんの名を汚すようなことはしてはいけないと信じているんです。
 小学校でも同じようなことがあり、おそらく、転校先の中学でも程なく同じようなことが起こると思います。
 私はその度にこの件を納めていかなくてはならないのです。

 その日の午後、両親との面談があり、学校の責任者はさりげなく母親に子を指導しきれなかったこと、そのために転校ということになってしまったことを謝罪しました。

 医師である夫が、不満そうな妻の肩を抱いて、慰めていました。
 それ以後、学校には何の連絡もなくなったのです。
 もちろん、医師である夫からもです。

 そんな「偽」なる行為がまかり通るのも、実は、学校という場であるのです。


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橋の下から拾って来た子

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週に一回、市役所に隣接した体育館に行きます。もちろん、かつてのスポーツクラブの面々と卓球を楽しむのです。その市役所の正面玄関にたなびく国旗と市の旗が青空に映えています。


 今の時代に、「お前は橋の下から拾って来た子」と、自分の子供を不安に陥れる親はいません。

 私の時代でも、実際、親からそのように言われたことはありませんが、このような話を覚えているので、どこかで、何かの折に、そうした話を聞いたことがあるのだと思います。
 でも、私、自分が親の子ではなく、どこの誰ともわからない親から捨てられ、橋の下に置かれて、拾われたと言う話に、どことなく「物語的期待感」を抱いていたことを思い出すのです。
 自分が一体何者なのか。
 その不思議さが、「物語的期待感」になっていたのだと思っています。

 日本に暮らすたいていの子供たちは、幸福な環境の中で、大切な子供時代を送っています。
 よしんば、ダメな親に捨てられ、あるいは、親の不慮の事故が原因で天涯孤独になっても、日本という社会が、その子たちの面倒を丁寧に見ていく制度が整っています。

 ですから、そうした子供たちが「サーカスに売られる」こともなく、自身の努力によって、世の中に出ていくことが十分できるのです。
 
 亡くなった母の話では、悪いことをすると、よく親に「親の言う事を聞かない子供は、サーカスの人に連れて行かれるよ」と言われたと言っていました。
 戦前、サーカスは純粋に楽しむ娯楽というより、怖いもの見たさの見世物であったのです。
 珍妙な姿形の人間であったり、人間離れした技を披露する子供たちが演技をしていたのでしょう。
 今でこそ、最上の娯楽で、一等地で興行をするサーカスですが、当時は、場末の寂れた場所で、学校に子供を行かすこともなく、流れ者の大人たちが勝手に仕事をさせていたというイメージが強くあったことと思います。

 今時、そんな事をしていたら、虐待だとか、親の義務違反だとか、周りから口うるさく指摘されて、サーカスどころではなくなります。

 しかし、サーカスならぬ「教育機関」で、戦前のサーカスと同じようなことがなされているとしたら、それはおおごとです。
 学校というのは、無垢な子供たちを預かり、勉強を教え、人としてのあり方を訓え、日本国の一員としてのあるべき姿を考えさせる場です。

 ところが、勉強を教えることもしない。いや、できない状況下にある学校も多々あるのです。
 底辺校といわれる学校では、生徒の学力が不足する場合もありますし、進学校では教師の力量が足らないという側面もあります。

 人としてのあり方を教えるのが教師であることを忘れて、どこをどう間違ったのか教師になっている青年もいます。
 子供の人気を得るためだけの、まるで、タレントのような教師もいるのです。
 それだけならまだしも、賭け事をし、あるまじき趣味にうつつを抜かし、あろうことか犯罪にまで手を染めているのです。

 公立など、日の丸反対とか、国歌斉唱時に起立をしなかったりと問題を起こす教師もいます。
 私など単純ですから、そういう思想を持ちたければ、教師にならなければいいのにと思っているのです。
 どの国でも、国旗に敬意を表し、国歌を胸張って歌えることは最低限の教育事項ですから。

 そんなことを考えると、亡くなった母が言っていたサーカスが、今はある特定の学校になってしまったのだろうかと懸念するのです。

 さて、「橋の下の子」への「物語的期待感」と、私は先ほど書きましたが、その「物語的期待感」そのままの出来事があったというのです。
 ある青年が、四半世紀後に生みの親の元に帰ったという話を新聞の記事で見たのです。

 それは、サルー・ブライアリーという名の青年です。
 インドで生まれたサルーは、5歳の時、かくれんぼか何かの遊びをしていて回送列車の中で寝てしまい、1500キロも離れた街に連れて行かれてしまったのです。
 そこは、インド東部にある街コルカタの街で、サルーは、そこの孤児院に入れられ、養子を探していたオーストラリア人夫妻に引き取られ、タスマニアで暮らすことになったのです。

 5歳であれば、氏名住所くらいは言えるだろうと思いますが、それが日本と違うところです。
 インドという地域の広さ、言葉の違い、宗教の違い、そして、子供を扱う制度の違いが、こうした「橋の下の子」を生んだとも言えます。
 
 30歳になったサルーは、微かな記憶を辿り、自分のルーツを求めます。

 孤児院があり、育ての親に引き取られた街コルカタから、逆算していくのです。
 居眠りをし、列車に揺られた時間、かすかに記憶にある給水塔のある故郷の町のイメージ。
 
 その記憶を、タスマニアにいながらにして、辿らせてくれたのは、「グーグルアース」だったのです。
 そして、サルーは、自分の故郷がインド中部にあるカンドワという街であることを突き止め、旅立つのです。
 もちろん、そこに生みの親がいたことは言うまでもありません。

 私が「橋の下の子」に抱く「物語的期待感」は、そのようなものだったのです。
 しかし、私は「橋の下の子」ではなく、きちんとした両親の元で育てられ、日本という安定し、誇りを持てる国の中で、教職という職を得て、今があるのです。

 かと言って、「橋の下の子」が持つ「物語的期待感」がまったくなく過ごして来たかというとそうではありません。
 「橋の上の子」であっても、人生は劇的であり、興奮に満ちたものであったのです。

 すべからく人生はかように劇的であり、エキサイティングなものなのです。


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蛙に、狐に、大狸。

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つくば市に暮らす、そして、かつてのつくば市スポーツクラブの面々と興じている卓球会場の天窓から見えた青空です。気持ちいいですね。


 人が怒る場面に接することの少なくなった私ですが、病院でこのような場面に遭遇しました。

 その男は、無精髭をはやして、背の低い、しかし、背筋はきちんと伸ばし、そこそこの年齢を経た人物でした。
 患者たちは、広くて気持ちのいい待合室で、来院時に配布された受付番号を持って、番号が呼ばれる時間まで待っているのです。

 そこへ、件の男が現れました。
 待合室に現れるや憮然として、3人がけのソファー中央にどんと腰を下ろし、両手を白鳥のように左右に広げ、一人でソファーを独占するのです。
 その姿は、どこかのお偉いさん然として、周りをあたかも睥睨しているかのようではないですか。
 そのうち、看護師さんや事務の方々が朝の打ち合わせを終えて、待合室に出てきました。時計を見ると受付までにあとわずかの時間です。
 私の持つ受付番号は25番です。受付が始まってしばらくすれば呼ばれる程度の順番です。

 ところが、私は件の横柄な男の手に受付番号の札が握られていないことに気がつくのです。
 一声かけて、教えてやろうかしらと思いましたが、私よりずっと年上であり、そんなことくらい知っていると言われそうで躊躇していました。
 そこへ、受付開始の声がかかりました。
 待合室のあちらこちらにいた患者が受付番号を手にしてさっと動き出します。

 受付番号を事務員に渡し、自動受付機に患者カードを差し込み、受診手順の用紙を受け取り、保険確認をした上で、診察までの活動が始まるのです。
 私の25番はすぐに来ました。
 所定の手続きを済まして、受診手順の用紙を見ます。
 まず、尿検査に血液検査、そして、レントゲンを撮って、主治医の診察という手順です。

 その時でした。
 大きな声が待合室にこだましたのです。
 大きな声というより、叫び声でした。件の男の声は顔の割にトーンが高かったのです。
 何も案内など受けていないとか、こんなに早く来ているのにとか、つまり、自分が受付カードを持たないことがわかった時点で、近くにいた若い女性事務員に食ってかかっているのです。

 ああ、やはり、一言声をかけてやればよかったと思ったのですが、もう、後の祭りです。
 叫びは、受診手順を確認していた私の後ろで発生しましたから、私は件の老人の目をまざまざと見ることになったのです。目が血走るというのはあのことを言うのだと思いました。
 カウンターの中から男性事務員が駆けつけ、対応に当たっていましたが、当初、叫ばれた女性事務員は今にも泣きそうです。仲間の事務員に肩を抱えられて、カウンターの中に連れて行かれました。
 しばらく、男性事務員が件の男にいかなる処置を施すのか興味深く見ていたい気持ちもあったのですが、こちらも貴重な時間を使って診察を受けに来ている身分ですから、そうもできません。
 検尿し、血を取られ、レントゲンが終わり、待合室を通って、二階の主治医のいるところに向かいます。そこで、警察官と件の老人、そして、男性事務職員の姿を目撃したのです。
 どうやら、病院は警察を呼んだようです。
 警察官がやたらに丁寧な言葉で、件の男をなだめています。
 男は、3人がけのソファーの中央に腰掛け、白鳥のように両腕を広げて、偉そうに若い警察官の言葉を憮然として聞いています。

 この状況も気になりました。
 すぐそばのソファーに腰掛けて、いかなる話になっているのかと興味はつきませんが、主治医の診察の時間が迫っています。

 主治医の診察が終わり、その結果に安堵して、会計のため、一階に降りて行きました。
 すると、件の老人、今度はにこやかな表情で、女性看護師に腕を抱えられて、自動受付機に行き、これまた、腕を支えられて、保険の確認、そして、検査棟の方へと、これまた腕を抱えられていくではないですか。

 一切の事情を察知できない私でしたが、このように推測しました。
 件の老人は、大きな叫びをあげることで、構って欲しかったのだと。

 きっと、過去には多くの人を小馬鹿にして、横柄で、独りよがりな身分であったに違いない、しかし、だからと言って、畏敬の念を集めるような人物ではなく、彼の身分だか、持っている金の威力だか知らないけれども、人は頭を下げ、かつ、腹の底では馬鹿にする、そんな立ち位置にいた人であるに違いないと勝手に推測したのです。

 学校にいると、そう言うことがよくあったのです。
 例えば、教師などと言うのは井の中の蛙ですから、狭い学校の中で、自分だけが偉いと勘違いし、生徒や同僚から顰蹙を買う輩が多いものなのです。
 また、保護者のクレームでも、自分の父はあの名門の球団の関係者だとか、夫はどこそこの会社の重役であるとか、そんな愚にもつかないことを振りかざして文句を言ってくる輩がいたからです。いわば、虎の威を借る狐とでも言うべきつまらない輩です。

 そうした蛙や狐を見て来ていたので、件の老人も、これら蛙や狐の仲間であると察知できたのです。

 病院側は、そのような問題を抱える患者の取り扱いには手慣れたものなのでしょう。
 警察を呼んで威嚇はするものの、病院に利益を与える患者はお客様、威嚇を与えてあとは、懇切丁寧に扱うのです。
 病院もまた狐であるのです。 

 だとすれば、腕を支えられて歩く老人は大狸。
 これこそ、狸と狐の化かし合いと言うことになりました。


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ウエストミンスターブリッジのたもとにて

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まもなく、夏に向けての鉢植えの準備です。ウッドデッキに並べられた鉢に、夕日が差し込み、美しく照らしています。日も伸びました。気温も次第に暖かくなります。


 イギリスに、滞在していた時、私が特に関連づけて訪問していた場所があります。
 それが大英帝国の遺産ともいうべき「軍事」に関する場所です。

 一つは<ポーツマス>という軍港です。
 百年戦争でフランス軍の攻撃を受けて破壊され、その後、黒死病の影響もあり、衰退の道を辿ります。が、要衝地としては変わりなく、歴代の王により、再建への取り組みがなされました。
 その後、スペイン無敵艦隊との海戦にネルソン提督がここから出航したこと、そして、第一次大戦では飛行船ツェッペリンの爆撃を受け、大きな被害にあい、第二次大戦では、ノルマンディー上陸作戦のための連合軍本部が置かれた場所でもあるのです。

 余談ではありますが、ポーツマスを訪問した時の出来事を、私は『ポーツマスの旅』として発表していますので、お読みいただければ幸いです。(リンク欄からアクセスが可能になっています。)

 もう一つは、<ダックスフォード帝国戦争博物館> (Imperial War Museum Duxford) です。
 ここは、滞在していたケンブリッジの駅からバスでわずかのところにあるかつての飛行場で、第二次大戦でのバトル・オブ・ブリテン(Battle of Britain)、つまり、ドイツ空軍とイギリス上空で壮絶な空中戦を戦ったイギリス空軍の基地が置かれていた場所です。
 この博物館の意義は、イギリスの戦いの歴史を国民に知らせるものであり、同時に、アメリカ空軍が所有し、戦勝へと導いた航空機の実物が展示されていることです。
 
 そして、三つ目が、ロンドンにある、その建物の前には巨大な艦砲が配置された<ロンドン帝国戦争博物館>(Imperial War Museums)です。
 夏といえども、涼しいロンドンですが、私が地下鉄ベーカールー線のランベスノース駅を降りて、かの博物館に歩いて向かった日は、首元に暑さを感じる天候の日でした。
 1機のエンジン部分のない、被弾したのであろう何個かの穴の空いた機体がそのまま展示されていたのが印象的でした。その形から明らかに零戦とわかるそれは機体でした。
 それが日本のものを示す数少ない展示品だったのです。

 三つのイギリスの場所を訪問して感じたのは、戦争に勝った国のありようであり、展示であるということでした。そこは、勝利の栄光に満ち溢れ、イギリスの誇りが充満していました。
 しかし、かつての敵国への侮辱とか、敵対した勢力を愚弄する下品な展示はありませんでした。イギリスという国の品位がそこには醸し出されていたと私は感じたのです。
 
 その日、私はロンドンの帝国戦争博物館を出て、地図を片手に、テムズ川の方向に歩くことにしました。二階建バスにも乗らず、地下鉄にも乗らず、歩くことにしたのは、ロンドンという街の観光地でもない街並みを歩いてみたいという欲求が地図を見て増してきたからに他なりません。

 しばらく歩くと、そう、隅田川を浅草方面に向かって歩いているかのような錯覚を覚えました。大きな橋が前方に見えてきて、土地が緩やかに隆起しているのがわかるのです。
 意外にも早く、私の目指すウエストミンスターブリッジが見えてきたようです。

 テムズ川は隅田川よりも幾分広く、茶色の流れを見せてそこにありました。
 大きな橋です。左手にはビックベンが聳えています。それを先頭に英国国会議事堂の威容が川面に影を落として、その雄大さをさらに大きくしています。
 その建物の向こうには、ウエストミンスター大聖堂があり、ロンドン警視庁があるはずです。

 ビックベンの道を挟んで反対側には、商業施設があります。橋のたもとには多くの土産物屋が軒を連ね、観光客がひしめき合っているはずです。
 その商業施設の建物の向こうには、首相官邸のあるダウニング街10番地があり、衛兵交代式が11時に毎日なされるホース・ガーズがあります。バッキンガム宮殿の衛兵交代式は混雑しますが、ここは間近で、騎馬した衛兵の交代が見られるので、私などこちらの方へは二回も足を運んでいるのです。

 ロンドン時間の3月22日午後2時40分、この橋の上を一台の車が、ビックベン方面に向かって歩行者道を暴走し、さらに英国議事堂の庭先まで走り、警察官らにナイフで切りかかったのです。
 議会で執務中のメイ首相は、護衛官らによって、即座に安全な場所に移動させられ、その場にいた多くの議員は伏せるよう指示されたと言います。

 元ロイヤルグリーンジャケッツ(英陸軍歩兵連隊)の隊長であったエルウッド下院議員は、犠牲になった警察官の蘇生を試みましたが、その後、首を垂れてその場を立ち去ったと、ファイナンシャルタイムズは伝えました。
 彼の兄は、200名以上の死者を出したバリ島のテロ事件の被害者の一人でもあったのです。

 首相を守り、警察官の救命を試みるそんなイギリスの議員のあり方を読んで、私が旅したイギリスの誇りの数々が現実にそこにはあったのだと実感しました。

 一方、日本の国会では、教育者の仮面を被ったサイコパスのような人物が、欲の皮を突っ張らせて、大人物であるかのような振る舞いに出ていました。
 名指しされた議員及び諸氏はことごとくその発言の虚を伝えています。
 虚を実と信じているのは、何らかの意図を持った議員たちばかりです。

 こういう時、誇りある英国議会はどのような振る舞いに出るのだろうかと考えました。
 いや、振る舞いに出るまでもなく、そのような虚を吐く人士を国会に招致するはずがないのではないかと考えるのです。

 人には常識というものがあります。それが嘘なのか、そうではないのかを、司法とか、推理小説的推量の類で判断するのではなく、常識で察知しなくてはなりません。

 フランスで日本人女性が殺害された件といい、今回の件といい、サイコパスの振る舞いに対して、政府も司法も、国民も、明確な対応策を取らないといけません。
 彼らは、虚を使って、実を滅ぼす巨悪の元凶なのです。
 人類が培ってきた「常識」なる判断こそが、誇りある行為を支えるのです。

 そんなことをウエストミンスターブリッジの橋を渡った思い出とともに思ったのです。


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包囲せよ!海洋を守れ!

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冬の川の流れと春先の川の流れと、表向きはなんら変わらないように見えますが、そうではありません。水温むという言葉があるように、川の流れはささやかな水の温度の違いをその流れに見せているのです。写真ではそこまでは捉えることができませんが、確かに、流れは温さを持って流れているのです。


 自国の報道ではなく、他国の報道から、ある事実を知るということがあります。
 特に、軍事に関する情報において、それが顕著です。

 「環球時報」を読んでいて、こんな記事が目に入りました。

 『日本欲派准航母巡航南海,中国外交部回了六个字』
 <日本は準空母の南シナ海への派遣を望んでいる。それに対して、中国外務省の答えは6文字である。>

 <日本の準空母><南シナ海への派遣><6文字の回答>
 なんとも気をそそる文言ではありませんか。

 3月17日付の「環球時報」の記事は、読んでいくと、ロイター通信が出したものをベースにして書かれ、日本の新聞がほとんど取り上げていないものでした。

 ここで<準空母>と言われた護衛艦は、現在、海自最大の護衛艦である「いずも」を指しています。
 すでに、海自には、全通飛行甲板を持つ護衛艦としては、「ひゅうが」「いせ」がありますが、それを一回り大きくしたのが、この「いずも」で、同型艦に就役したばかりの「かが」があります。つまり、海自には、呼称は護衛艦ですが、いわゆる空母が4隻存在しているということになります。

 その最新鋭の空母「いずも」が、「環球時報」の記事によれば、今年5月に、3ヶ月の予定で南シナ海方面に派遣されるというのです。
 シンガポール、インドネシア、フィリピン、スリランカに立ち寄り、7月にはインド・アメリカ両海軍が毎年実施する「マラバール」に参加し、8月に帰国するというものです。

 「環球時報」の記事によれば、「安倍」は、南シナ海問題に口出し、これらの国々を丸め込もうとしているというのです。その証拠に、フイリピンでは、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領を空母「いずも」に招待する計画も立てていると言っています。

 そのことは、後でまた述べることとして、インド・アメリカ両海軍が実施する「マラバール」という訓練がいかなるものについて、少し、調べてみました。
 
 2007年に行われた「マラバール」では、米印の二カ国以外に、シンガポール・オーストラリア・日本が参加したのですが、これに対して、中国は反発し、インドは、今、中国が韓国のサード配備に対して嫌がらせをしているような、いわゆる「外交的攻撃」をインドに加え、インドはそれに屈してしまったというのです。
 以後、「マラバール」は、米印二カ国に限定した訓練となったのです。
 
 この内容は、中国が「マラバール」への警戒を強くしていることを意味するものです。
 
 また、インド国防省は、今年から、「マラバール」には、日本が常時参加して、三か国の合同演習になるとも伝えてもいます。
 過去、中国の外交的攻撃に屈したインドは、今、公然と中国に対抗するようになったのです。

 そこに、中国の張子の虎のような空母ではなく、ヘリ9機を同時投入可能な空母「いずも」を海自が投入するのです。その気になれば、オスプレイも、F-35B垂直離着陸戦闘機さえも艦載できるのです。
 海自にその気が無くても、中国が警戒するのはもっともなことなのです。

 インドが対中国への強硬な路線をひくようになったのは、中国の「一帯一路」政策への危惧を持っているからにほかなりません。
 中国はスリランカ、およびパキスタンで、港湾建設を援助し、モルディブに接近をしているのです。南シナ海で中国が好き放題をすれば、きっと次はインド洋に触手をのばしてくると考えるのは妥当なあり方です。
 つまり、日本とインドは、中国の膨張政策に対抗するという点では一致点を持っているのです。
 そして、中国外務省の6文字です。

 記者の質問に答えて、华春莹報道官は、「一点都不担心」(少しも心配していない)と回答しました。
 さすが、中国人です。女性報道官ではありますが、大人然とした振る舞いです。

 公海上を通過して、正常な国家間の交流であれば、文句はないというのです。
 しかし、日本に企みがあれば話は異なる。最近、日本はごたごたを起こし、この地域を扇動していると言葉を続けています。
 つまりは、先ほどの大人然とした振る舞いは見せかけで、内心は空母「いずも」の進出を脅威として受け止めているのです。
 かつて、米英と並ぶ海軍を持ち、6隻の空母を同時に運用した実績を持つ日本の空母運用に対する脅威を感じ取っているのです。

 先に述べた、ドゥテルテ大統領を「いずも」に招待して、丸め込もうなどという安直な考えは海自にはないし、ドゥテルテ大統領も、そのような単純な指導者ではないのです。

 中国の海洋進出に対して、日本も、インドも、東南アジアの国々も心配をしているのです。
 彼らが平和と安定と述べるたびに、そうではない、言葉は常に裏切られ、気が付いた時には、そこに基地があり、他国の船舶が近寄れない海域になってしまうという危惧があるのです。

 しかし、当事者の中国はそれに気づこうとしないのです。
 今、日本が踏ん張らなければ、人類共通の財産である大洋の平安は維持できなくなるのです。


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「時」に翔ける心の機微

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これは、ほぼ満開になったサクランボの花です。我が家の道路一本向こうにある研究所の桜はまだ蕾さえも固く閉じていますが、サクランボの木の花は、我が世の春と謳歌しているのです。木、それぞれ、人、それぞれ、なのです。



 H・G・ウエールズの『タイムマシン』、あるいは、映画『バック・ツウ・ザ・フィチュアー』には、少なからず、心をときめかせた人が多いに違いないと思います。
 人が、過去や未来に自由に行き来できるという思いは、サイエンス・フィクションにおける最大のテーマであるのです。

 タイムマシンが現実にも可能と考える科学者の中でも、過去にだけは行けないとする人たちがいます。
 過去に人が行けば、過去の事実を歪曲する可能性があり、そうすれば、時間の矛盾を引き起こし、世界は崩壊するからだと説明します。
 
 それに反論する人たちは、過去にはいくつものパターンがあり、複数のパターンが並存しているのだから、過去に行って、事実を歪曲しても、そのパターンの時間が経過していくだけだから、問題はないと意見を述べます。

 未来に出向いて行って、自分のターニングポイントであった出来事を見つけ出し、そしてさらに、過去に戻って、そのターニングポイントに造作を加え、自分の未来を変えてしまうこともできるという人もいます。
 例えば、人類が天才だと評価する人たち、科学者だけではありません、エンターテイメントの世界でも、そういう人たちは、未来から知恵を授かり、自分を偉大にしたのだというのです。

 あるいは、歴史的事項において、例えば、織田信長がわずか三千ばかりの兵で、あの雷雨の中、桶狭間に突入して行ったのは、信長が未来でそのことを知り、確信を持って、攻め込んだものであるというのです。
 しかし、本能寺での悲惨な最期を、信長は未来で知りえなかったのかと言う疑問には答えようとはしません。

 そして、また、人類が手にしたわずか百年ちょっとの映像の歴史にも、未来の人間がそこに写っていると証言する人がいます。
 アメリカ開拓者の中にいるTシャツの男であったり、汽車を取り囲む群衆の中に、小型カメラらしきものを手にする男がいたり、これらを証拠に、未来からきたものたちであるとするのです。

 確かに、面白く、興味をそそる事柄ですが、未来人を証明する決定打にはなりません。
 なぜなら、Tシャツでも小型カメラでも、確かにそうだと断言するほどの明確な写真ではないからです。
 例えば、私が、子供の食べ残したピザのかけらを手にして、残してはダメだ、勿体無いではないかと差し出した写真があったとして、未来の人間が、この男が手にしているのは、未来に常識となっている、三角錐の形をした通信機だと思うかもしれないからです。
 (未来に、三角錐の通信機があるかどうかはわかりませんが……)

 しかし、「時」をめぐる思いは、尽きないものがあります。
 それは、人間に課せられた究極的な科学的命題なのかもしれません。

 私にはすでに両親がいません。
 それぞれが自分の人生を全うしてあの世なる世界に行ってしまいました。
 私は、自分がその時に遭遇した時、何十万円も坊さんに渡して、何文字かの戒名なる名称をもらうことを良しとしていません。
 直葬をしてもらい、つまり、亡くなったらそのまま焼き場で焼いてもらって、骨は散骨用に小さく砕いてもらい、後日、東京湾に撒いて欲しいと思っているのです。
 もちろん、その時は、盛大な船上パーテイを開くほどの財は残しておくつもりです。
 その業者も調べ、段取りは取っておこうと思っているのですが、なかなか、思いだけで動きは鈍いのが現状です。

 タイムマシンとか、散骨だとか、妙竹林な話をしていますが、私が問題視するのは、私たちの観念の中にある「時」と「時間」の概念の違いなのです。
 
 「時間」というのは、地球と月の関係、そして、太陽の関係から私たちに与えられた物理的な観念であることは言うまでもありません。
 物理的な観念であるから、共有が可能です。
 世の中の仕組みもこれを土台にして出来上がっています。
 時間差(時差)こそあれ、調整することで、地球上の人類はすべてを共有し、同じ「時間」を過ごすことができるのです。

 しかし、「時」となると、一概にそうとも言えません。

 3月になると、災害に関する番組や記事が多く出てきます。
 でも、私はそれらを見る気にはならないのです。
 なぜなら、あの地震災害をまともに受けたからです。
 私にとって、あの日の「時」は、そのまままだ残っているのです。
 動いてはいないのです。

 生徒たちの安全を確認し、帰宅したのは明け方近く、まだ揺れが続いています。それでも、私は倒れるように寝たのです。
 わずかの睡眠をとって、車で学校に出勤しました。
 通勤路のアスファルトは波打ち、路肩は崩れ、昨日の朝の光景とは打って変わって、そこには「色合い」が失せていたのです。
 地震は、この世から「色」まで喪失させていたのです。
 
 物理的な「時間」は過ぎ去っても、「時」は過ぎ去らないのです。
 言うなれば、「時」は、個人の中にあって、過ぎ去ることもあれば、じっとそこにある場合もあるものなのです。
 人類は「時間」を共有することで、社会を築き上げましたが、個々人は「時」を密かに持って、その「時」を自分の中で斟酌して生きているのです。

  「時」に翔ける心の機微を個々人が持っている限り、個々人は壮大な空想の世界を旅することができるのだ、私は考えているのです。


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「ものがたり」を「かたる」者たち

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浜辺で、二人の男の子が出会います。一人はこの浜辺によく来る男の子、いつも会う友人がいたのでしょうか、手を挙げて挨拶をしています。もう一人の男の子は不安そうに浜辺に立っています。初めて、海を見たのかもしれません。波の音のすごさも相まって、少々不安げです。……そんな絵なのです。


 「ものがたり」というのは、こども心に異様な世界を見せつけ、時に、恐れを抱かせ、時に、強い憧れを抱かさせるものでした。
 母、あるいは、祖父母が、添い寝をして、こどもにかたる「ものがたり」は、一瞬で、こどもたちを異界に誘い込んで行ったのです。
 
 こどもたちがもっとも異界なるものを感じたのは、異類婚姻の類の話でした。
 現実にはありえない話が、現実に起こるのだと信じるところに、日本人特有の精神構造のあり方を再認識するのです。

 というのは、デイズニーの映画などで見る異界は、例えば、『美女と野獣』などのように、本質的には異界のものではなく、主人公は、元来は人間であって、それが魔法にかけられ異獣になってしまっているというもので、根本的に、日本の「ものがたり」とは異なるのです。
 デイズニーに代表されるそれらのものがたりは、呪いを解いて、人間に戻ることで完結します。
 いうなれば、ハッピーエンドで、それを聞くこどもたちも安堵して眠りにつくのです。

 ところが、日本のものがたりはそうはいきません。
 『鶴の恩返し』にしろ、『雪女』にしろ、それらは人間ではない動物、または、異類なのです。
 こどもたちは、鶴が人間の女に変身すること、人間とは異なる世界にある特別な存在である霊魂が人間の姿形になって、目の前に現れることを、その小さな頭の中で思い巡らすのです。
 そして、思い巡らすことに、時には疲れ、時には慣れて、仕方なく眠りにつくのです。

 デイズニーの作品を見て、物事がハッピーエンドに終わることに慣れてしまったこどもたちにとって、考えることが厄介なくらいに複雑な日本のものがたりは、どこか情緒的で、哀しげです。

 私たちの世界観の中に、きっと、人間というのは自然の一部分であるという観念がしっかりとあるのです。
 それは宗教的様相に、端的に表れてきます。
 自然の一つ一つに命が宿しているという考え方です。
 石ころ一つにでも、樹木一本にでも、命が存しているのです。

 ですから、美しい鳥が、可憐な花が、海の奥底にある得体の知れないものが、人間に変身することもありうることなのです。
 しかし、私たちの祖先は、一生涯それらが変身しつづけることが可能とは考えませんでした。
 本性は、決して隠しおおせることはできないのです。

 ですから、変身した異界のものたちは、必ず、人間の元から去っていくのです。

 それも、突然にです。
 心を通わした人間の心には、大きな穴が空いたまま、その失った異界の者への愛着ばかりが残るのです。
 それが、「ものがたり」に情緒を与え、哀しみを誘うのです。

 最近、あることないこと、いや、ないことばかりをそうと思い込んで。「ものがたり」を「騙る」語り手が出てきました。

 彼らの目には、異界の、異類たちが映っているようですが、それが私たちには見えません。
 自分の頭が作り出す妄想だけが、先走っているのです。
 大抵は、そういう手の人間の妄想は、自己賛美の華々しい虚飾で満たされています。
 自分は何をしても素晴らしい存在であり、自分の行為は己のためではなく、国家・世界のための有意義なそれであり、誰からも批判を受けることはないし、賞賛されるだけであるという、自己中心的な観念に支配されているのです。

 不思議なことに、そうしたあり方は一部に熱狂的な同調者を生み出します。
 それは、一般社会とは異なったあり方への憧れであり、それは日本が生み出してきた「ものがたり」に通じるものなのです。
 同時に、「騙り手」は、その僅かな実相を、あたかも全世界が自分たちの「ものがたり」を受け止めているかのように錯覚していくのです。

 カメラを意識し、自分の言葉をこれ見よがしに騙るのです。
 大方は、それが眉唾だと知っていても、「ものがたり」を知る日本人は、もうちょっとその「ものがたり」を聴きたいと、知らず識らずに念願してしまうのです。

 そこには、「ものがたり」の末路への期待があるからです。
 この「ものがたり」には、この世からのいかなる去り方があり、哀しみがあるのかと。

 しかし、「ものがたり」が、「ものがたり」であるためには、美しくなくてはなりません。

 己の信念を貫き、いかなる批判に会おうとも、権力の無慈悲な弾圧を受けても、頑なに教育心情を実践していくのであれば、それは美しい「ものがたり」になります。

 ところが、今、私たちが目にするこの「ものがたり」には、それがないのです。
 そこにあるのは、異界のあの妖しげな姿ではなく、異類のあのおどろおどろしいありようではなく、下卑た人間が心の奥底に隠しもつえげつない「欲」でしかなかったのです。

 ですから、この「ものがたり」の主人公たちが、去った時に、人々の心に大きな穴の空いたような寂寥感も、愛着を覚えての哀しみも残らないのです。
 
 「問うに落ちず語るに落ちる」という言葉がありますが、なんともつまらない「ものがたり」なのです。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《6/28  Wednesday》

❣️<Puboo!>にて、『あけゆく空のごとく』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Paper in NY>で、『For the first time, I was facedown in the beach a wave brings near. Very comfortable.第一次,我变成了为波浪涌来的海滨为卧姿。非常心情舒畅』を公開しました。


⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスへの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

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