ウエストミンスターブリッジのたもとにて

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まもなく、夏に向けての鉢植えの準備です。ウッドデッキに並べられた鉢に、夕日が差し込み、美しく照らしています。日も伸びました。気温も次第に暖かくなります。


 イギリスに、滞在していた時、私が特に関連づけて訪問していた場所があります。
 それが大英帝国の遺産ともいうべき「軍事」に関する場所です。

 一つは<ポーツマス>という軍港です。
 百年戦争でフランス軍の攻撃を受けて破壊され、その後、黒死病の影響もあり、衰退の道を辿ります。が、要衝地としては変わりなく、歴代の王により、再建への取り組みがなされました。
 その後、スペイン無敵艦隊との海戦にネルソン提督がここから出航したこと、そして、第一次大戦では飛行船ツェッペリンの爆撃を受け、大きな被害にあい、第二次大戦では、ノルマンディー上陸作戦のための連合軍本部が置かれた場所でもあるのです。

 余談ではありますが、ポーツマスを訪問した時の出来事を、私は『ポーツマスの旅』として発表していますので、お読みいただければ幸いです。(リンク欄からアクセスが可能になっています。)

 もう一つは、<ダックスフォード帝国戦争博物館> (Imperial War Museum Duxford) です。
 ここは、滞在していたケンブリッジの駅からバスでわずかのところにあるかつての飛行場で、第二次大戦でのバトル・オブ・ブリテン(Battle of Britain)、つまり、ドイツ空軍とイギリス上空で壮絶な空中戦を戦ったイギリス空軍の基地が置かれていた場所です。
 この博物館の意義は、イギリスの戦いの歴史を国民に知らせるものであり、同時に、アメリカ空軍が所有し、戦勝へと導いた航空機の実物が展示されていることです。
 
 そして、三つ目が、ロンドンにある、その建物の前には巨大な艦砲が配置された<ロンドン帝国戦争博物館>(Imperial War Museums)です。
 夏といえども、涼しいロンドンですが、私が地下鉄ベーカールー線のランベスノース駅を降りて、かの博物館に歩いて向かった日は、首元に暑さを感じる天候の日でした。
 1機のエンジン部分のない、被弾したのであろう何個かの穴の空いた機体がそのまま展示されていたのが印象的でした。その形から明らかに零戦とわかるそれは機体でした。
 それが日本のものを示す数少ない展示品だったのです。

 三つのイギリスの場所を訪問して感じたのは、戦争に勝った国のありようであり、展示であるということでした。そこは、勝利の栄光に満ち溢れ、イギリスの誇りが充満していました。
 しかし、かつての敵国への侮辱とか、敵対した勢力を愚弄する下品な展示はありませんでした。イギリスという国の品位がそこには醸し出されていたと私は感じたのです。
 
 その日、私はロンドンの帝国戦争博物館を出て、地図を片手に、テムズ川の方向に歩くことにしました。二階建バスにも乗らず、地下鉄にも乗らず、歩くことにしたのは、ロンドンという街の観光地でもない街並みを歩いてみたいという欲求が地図を見て増してきたからに他なりません。

 しばらく歩くと、そう、隅田川を浅草方面に向かって歩いているかのような錯覚を覚えました。大きな橋が前方に見えてきて、土地が緩やかに隆起しているのがわかるのです。
 意外にも早く、私の目指すウエストミンスターブリッジが見えてきたようです。

 テムズ川は隅田川よりも幾分広く、茶色の流れを見せてそこにありました。
 大きな橋です。左手にはビックベンが聳えています。それを先頭に英国国会議事堂の威容が川面に影を落として、その雄大さをさらに大きくしています。
 その建物の向こうには、ウエストミンスター大聖堂があり、ロンドン警視庁があるはずです。

 ビックベンの道を挟んで反対側には、商業施設があります。橋のたもとには多くの土産物屋が軒を連ね、観光客がひしめき合っているはずです。
 その商業施設の建物の向こうには、首相官邸のあるダウニング街10番地があり、衛兵交代式が11時に毎日なされるホース・ガーズがあります。バッキンガム宮殿の衛兵交代式は混雑しますが、ここは間近で、騎馬した衛兵の交代が見られるので、私などこちらの方へは二回も足を運んでいるのです。

 ロンドン時間の3月22日午後2時40分、この橋の上を一台の車が、ビックベン方面に向かって歩行者道を暴走し、さらに英国議事堂の庭先まで走り、警察官らにナイフで切りかかったのです。
 議会で執務中のメイ首相は、護衛官らによって、即座に安全な場所に移動させられ、その場にいた多くの議員は伏せるよう指示されたと言います。

 元ロイヤルグリーンジャケッツ(英陸軍歩兵連隊)の隊長であったエルウッド下院議員は、犠牲になった警察官の蘇生を試みましたが、その後、首を垂れてその場を立ち去ったと、ファイナンシャルタイムズは伝えました。
 彼の兄は、200名以上の死者を出したバリ島のテロ事件の被害者の一人でもあったのです。

 首相を守り、警察官の救命を試みるそんなイギリスの議員のあり方を読んで、私が旅したイギリスの誇りの数々が現実にそこにはあったのだと実感しました。

 一方、日本の国会では、教育者の仮面を被ったサイコパスのような人物が、欲の皮を突っ張らせて、大人物であるかのような振る舞いに出ていました。
 名指しされた議員及び諸氏はことごとくその発言の虚を伝えています。
 虚を実と信じているのは、何らかの意図を持った議員たちばかりです。

 こういう時、誇りある英国議会はどのような振る舞いに出るのだろうかと考えました。
 いや、振る舞いに出るまでもなく、そのような虚を吐く人士を国会に招致するはずがないのではないかと考えるのです。

 人には常識というものがあります。それが嘘なのか、そうではないのかを、司法とか、推理小説的推量の類で判断するのではなく、常識で察知しなくてはなりません。

 フランスで日本人女性が殺害された件といい、今回の件といい、サイコパスの振る舞いに対して、政府も司法も、国民も、明確な対応策を取らないといけません。
 彼らは、虚を使って、実を滅ぼす巨悪の元凶なのです。
 人類が培ってきた「常識」なる判断こそが、誇りある行為を支えるのです。

 そんなことをウエストミンスターブリッジの橋を渡った思い出とともに思ったのです。


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包囲せよ!海洋を守れ!

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冬の川の流れと春先の川の流れと、表向きはなんら変わらないように見えますが、そうではありません。水温むという言葉があるように、川の流れはささやかな水の温度の違いをその流れに見せているのです。写真ではそこまでは捉えることができませんが、確かに、流れは温さを持って流れているのです。


 自国の報道ではなく、他国の報道から、ある事実を知るということがあります。
 特に、軍事に関する情報において、それが顕著です。

 「環球時報」を読んでいて、こんな記事が目に入りました。

 『日本欲派准航母巡航南海,中国外交部回了六个字』
 <日本は準空母の南シナ海への派遣を望んでいる。それに対して、中国外務省の答えは6文字である。>

 <日本の準空母><南シナ海への派遣><6文字の回答>
 なんとも気をそそる文言ではありませんか。

 3月17日付の「環球時報」の記事は、読んでいくと、ロイター通信が出したものをベースにして書かれ、日本の新聞がほとんど取り上げていないものでした。

 ここで<準空母>と言われた護衛艦は、現在、海自最大の護衛艦である「いずも」を指しています。
 すでに、海自には、全通飛行甲板を持つ護衛艦としては、「ひゅうが」「いせ」がありますが、それを一回り大きくしたのが、この「いずも」で、同型艦に就役したばかりの「かが」があります。つまり、海自には、呼称は護衛艦ですが、いわゆる空母が4隻存在しているということになります。

 その最新鋭の空母「いずも」が、「環球時報」の記事によれば、今年5月に、3ヶ月の予定で南シナ海方面に派遣されるというのです。
 シンガポール、インドネシア、フィリピン、スリランカに立ち寄り、7月にはインド・アメリカ両海軍が毎年実施する「マラバール」に参加し、8月に帰国するというものです。

 「環球時報」の記事によれば、「安倍」は、南シナ海問題に口出し、これらの国々を丸め込もうとしているというのです。その証拠に、フイリピンでは、ロドリゴ・ドゥテルテ大統領を空母「いずも」に招待する計画も立てていると言っています。

 そのことは、後でまた述べることとして、インド・アメリカ両海軍が実施する「マラバール」という訓練がいかなるものについて、少し、調べてみました。
 
 2007年に行われた「マラバール」では、米印の二カ国以外に、シンガポール・オーストラリア・日本が参加したのですが、これに対して、中国は反発し、インドは、今、中国が韓国のサード配備に対して嫌がらせをしているような、いわゆる「外交的攻撃」をインドに加え、インドはそれに屈してしまったというのです。
 以後、「マラバール」は、米印二カ国に限定した訓練となったのです。
 
 この内容は、中国が「マラバール」への警戒を強くしていることを意味するものです。
 
 また、インド国防省は、今年から、「マラバール」には、日本が常時参加して、三か国の合同演習になるとも伝えてもいます。
 過去、中国の外交的攻撃に屈したインドは、今、公然と中国に対抗するようになったのです。

 そこに、中国の張子の虎のような空母ではなく、ヘリ9機を同時投入可能な空母「いずも」を海自が投入するのです。その気になれば、オスプレイも、F-35B垂直離着陸戦闘機さえも艦載できるのです。
 海自にその気が無くても、中国が警戒するのはもっともなことなのです。

 インドが対中国への強硬な路線をひくようになったのは、中国の「一帯一路」政策への危惧を持っているからにほかなりません。
 中国はスリランカ、およびパキスタンで、港湾建設を援助し、モルディブに接近をしているのです。南シナ海で中国が好き放題をすれば、きっと次はインド洋に触手をのばしてくると考えるのは妥当なあり方です。
 つまり、日本とインドは、中国の膨張政策に対抗するという点では一致点を持っているのです。
 そして、中国外務省の6文字です。

 記者の質問に答えて、华春莹報道官は、「一点都不担心」(少しも心配していない)と回答しました。
 さすが、中国人です。女性報道官ではありますが、大人然とした振る舞いです。

 公海上を通過して、正常な国家間の交流であれば、文句はないというのです。
 しかし、日本に企みがあれば話は異なる。最近、日本はごたごたを起こし、この地域を扇動していると言葉を続けています。
 つまりは、先ほどの大人然とした振る舞いは見せかけで、内心は空母「いずも」の進出を脅威として受け止めているのです。
 かつて、米英と並ぶ海軍を持ち、6隻の空母を同時に運用した実績を持つ日本の空母運用に対する脅威を感じ取っているのです。

 先に述べた、ドゥテルテ大統領を「いずも」に招待して、丸め込もうなどという安直な考えは海自にはないし、ドゥテルテ大統領も、そのような単純な指導者ではないのです。

 中国の海洋進出に対して、日本も、インドも、東南アジアの国々も心配をしているのです。
 彼らが平和と安定と述べるたびに、そうではない、言葉は常に裏切られ、気が付いた時には、そこに基地があり、他国の船舶が近寄れない海域になってしまうという危惧があるのです。

 しかし、当事者の中国はそれに気づこうとしないのです。
 今、日本が踏ん張らなければ、人類共通の財産である大洋の平安は維持できなくなるのです。


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「時」に翔ける心の機微

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これは、ほぼ満開になったサクランボの花です。我が家の道路一本向こうにある研究所の桜はまだ蕾さえも固く閉じていますが、サクランボの木の花は、我が世の春と謳歌しているのです。木、それぞれ、人、それぞれ、なのです。



 H・G・ウエールズの『タイムマシン』、あるいは、映画『バック・ツウ・ザ・フィチュアー』には、少なからず、心をときめかせた人が多いに違いないと思います。
 人が、過去や未来に自由に行き来できるという思いは、サイエンス・フィクションにおける最大のテーマであるのです。

 タイムマシンが現実にも可能と考える科学者の中でも、過去にだけは行けないとする人たちがいます。
 過去に人が行けば、過去の事実を歪曲する可能性があり、そうすれば、時間の矛盾を引き起こし、世界は崩壊するからだと説明します。
 
 それに反論する人たちは、過去にはいくつものパターンがあり、複数のパターンが並存しているのだから、過去に行って、事実を歪曲しても、そのパターンの時間が経過していくだけだから、問題はないと意見を述べます。

 未来に出向いて行って、自分のターニングポイントであった出来事を見つけ出し、そしてさらに、過去に戻って、そのターニングポイントに造作を加え、自分の未来を変えてしまうこともできるという人もいます。
 例えば、人類が天才だと評価する人たち、科学者だけではありません、エンターテイメントの世界でも、そういう人たちは、未来から知恵を授かり、自分を偉大にしたのだというのです。

 あるいは、歴史的事項において、例えば、織田信長がわずか三千ばかりの兵で、あの雷雨の中、桶狭間に突入して行ったのは、信長が未来でそのことを知り、確信を持って、攻め込んだものであるというのです。
 しかし、本能寺での悲惨な最期を、信長は未来で知りえなかったのかと言う疑問には答えようとはしません。

 そして、また、人類が手にしたわずか百年ちょっとの映像の歴史にも、未来の人間がそこに写っていると証言する人がいます。
 アメリカ開拓者の中にいるTシャツの男であったり、汽車を取り囲む群衆の中に、小型カメラらしきものを手にする男がいたり、これらを証拠に、未来からきたものたちであるとするのです。

 確かに、面白く、興味をそそる事柄ですが、未来人を証明する決定打にはなりません。
 なぜなら、Tシャツでも小型カメラでも、確かにそうだと断言するほどの明確な写真ではないからです。
 例えば、私が、子供の食べ残したピザのかけらを手にして、残してはダメだ、勿体無いではないかと差し出した写真があったとして、未来の人間が、この男が手にしているのは、未来に常識となっている、三角錐の形をした通信機だと思うかもしれないからです。
 (未来に、三角錐の通信機があるかどうかはわかりませんが……)

 しかし、「時」をめぐる思いは、尽きないものがあります。
 それは、人間に課せられた究極的な科学的命題なのかもしれません。

 私にはすでに両親がいません。
 それぞれが自分の人生を全うしてあの世なる世界に行ってしまいました。
 私は、自分がその時に遭遇した時、何十万円も坊さんに渡して、何文字かの戒名なる名称をもらうことを良しとしていません。
 直葬をしてもらい、つまり、亡くなったらそのまま焼き場で焼いてもらって、骨は散骨用に小さく砕いてもらい、後日、東京湾に撒いて欲しいと思っているのです。
 もちろん、その時は、盛大な船上パーテイを開くほどの財は残しておくつもりです。
 その業者も調べ、段取りは取っておこうと思っているのですが、なかなか、思いだけで動きは鈍いのが現状です。

 タイムマシンとか、散骨だとか、妙竹林な話をしていますが、私が問題視するのは、私たちの観念の中にある「時」と「時間」の概念の違いなのです。
 
 「時間」というのは、地球と月の関係、そして、太陽の関係から私たちに与えられた物理的な観念であることは言うまでもありません。
 物理的な観念であるから、共有が可能です。
 世の中の仕組みもこれを土台にして出来上がっています。
 時間差(時差)こそあれ、調整することで、地球上の人類はすべてを共有し、同じ「時間」を過ごすことができるのです。

 しかし、「時」となると、一概にそうとも言えません。

 3月になると、災害に関する番組や記事が多く出てきます。
 でも、私はそれらを見る気にはならないのです。
 なぜなら、あの地震災害をまともに受けたからです。
 私にとって、あの日の「時」は、そのまままだ残っているのです。
 動いてはいないのです。

 生徒たちの安全を確認し、帰宅したのは明け方近く、まだ揺れが続いています。それでも、私は倒れるように寝たのです。
 わずかの睡眠をとって、車で学校に出勤しました。
 通勤路のアスファルトは波打ち、路肩は崩れ、昨日の朝の光景とは打って変わって、そこには「色合い」が失せていたのです。
 地震は、この世から「色」まで喪失させていたのです。
 
 物理的な「時間」は過ぎ去っても、「時」は過ぎ去らないのです。
 言うなれば、「時」は、個人の中にあって、過ぎ去ることもあれば、じっとそこにある場合もあるものなのです。
 人類は「時間」を共有することで、社会を築き上げましたが、個々人は「時」を密かに持って、その「時」を自分の中で斟酌して生きているのです。

  「時」に翔ける心の機微を個々人が持っている限り、個々人は壮大な空想の世界を旅することができるのだ、私は考えているのです。


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「ものがたり」を「かたる」者たち

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浜辺で、二人の男の子が出会います。一人はこの浜辺によく来る男の子、いつも会う友人がいたのでしょうか、手を挙げて挨拶をしています。もう一人の男の子は不安そうに浜辺に立っています。初めて、海を見たのかもしれません。波の音のすごさも相まって、少々不安げです。……そんな絵なのです。


 「ものがたり」というのは、こども心に異様な世界を見せつけ、時に、恐れを抱かせ、時に、強い憧れを抱かさせるものでした。
 母、あるいは、祖父母が、添い寝をして、こどもにかたる「ものがたり」は、一瞬で、こどもたちを異界に誘い込んで行ったのです。
 
 こどもたちがもっとも異界なるものを感じたのは、異類婚姻の類の話でした。
 現実にはありえない話が、現実に起こるのだと信じるところに、日本人特有の精神構造のあり方を再認識するのです。

 というのは、デイズニーの映画などで見る異界は、例えば、『美女と野獣』などのように、本質的には異界のものではなく、主人公は、元来は人間であって、それが魔法にかけられ異獣になってしまっているというもので、根本的に、日本の「ものがたり」とは異なるのです。
 デイズニーに代表されるそれらのものがたりは、呪いを解いて、人間に戻ることで完結します。
 いうなれば、ハッピーエンドで、それを聞くこどもたちも安堵して眠りにつくのです。

 ところが、日本のものがたりはそうはいきません。
 『鶴の恩返し』にしろ、『雪女』にしろ、それらは人間ではない動物、または、異類なのです。
 こどもたちは、鶴が人間の女に変身すること、人間とは異なる世界にある特別な存在である霊魂が人間の姿形になって、目の前に現れることを、その小さな頭の中で思い巡らすのです。
 そして、思い巡らすことに、時には疲れ、時には慣れて、仕方なく眠りにつくのです。

 デイズニーの作品を見て、物事がハッピーエンドに終わることに慣れてしまったこどもたちにとって、考えることが厄介なくらいに複雑な日本のものがたりは、どこか情緒的で、哀しげです。

 私たちの世界観の中に、きっと、人間というのは自然の一部分であるという観念がしっかりとあるのです。
 それは宗教的様相に、端的に表れてきます。
 自然の一つ一つに命が宿しているという考え方です。
 石ころ一つにでも、樹木一本にでも、命が存しているのです。

 ですから、美しい鳥が、可憐な花が、海の奥底にある得体の知れないものが、人間に変身することもありうることなのです。
 しかし、私たちの祖先は、一生涯それらが変身しつづけることが可能とは考えませんでした。
 本性は、決して隠しおおせることはできないのです。

 ですから、変身した異界のものたちは、必ず、人間の元から去っていくのです。

 それも、突然にです。
 心を通わした人間の心には、大きな穴が空いたまま、その失った異界の者への愛着ばかりが残るのです。
 それが、「ものがたり」に情緒を与え、哀しみを誘うのです。

 最近、あることないこと、いや、ないことばかりをそうと思い込んで。「ものがたり」を「騙る」語り手が出てきました。

 彼らの目には、異界の、異類たちが映っているようですが、それが私たちには見えません。
 自分の頭が作り出す妄想だけが、先走っているのです。
 大抵は、そういう手の人間の妄想は、自己賛美の華々しい虚飾で満たされています。
 自分は何をしても素晴らしい存在であり、自分の行為は己のためではなく、国家・世界のための有意義なそれであり、誰からも批判を受けることはないし、賞賛されるだけであるという、自己中心的な観念に支配されているのです。

 不思議なことに、そうしたあり方は一部に熱狂的な同調者を生み出します。
 それは、一般社会とは異なったあり方への憧れであり、それは日本が生み出してきた「ものがたり」に通じるものなのです。
 同時に、「騙り手」は、その僅かな実相を、あたかも全世界が自分たちの「ものがたり」を受け止めているかのように錯覚していくのです。

 カメラを意識し、自分の言葉をこれ見よがしに騙るのです。
 大方は、それが眉唾だと知っていても、「ものがたり」を知る日本人は、もうちょっとその「ものがたり」を聴きたいと、知らず識らずに念願してしまうのです。

 そこには、「ものがたり」の末路への期待があるからです。
 この「ものがたり」には、この世からのいかなる去り方があり、哀しみがあるのかと。

 しかし、「ものがたり」が、「ものがたり」であるためには、美しくなくてはなりません。

 己の信念を貫き、いかなる批判に会おうとも、権力の無慈悲な弾圧を受けても、頑なに教育心情を実践していくのであれば、それは美しい「ものがたり」になります。

 ところが、今、私たちが目にするこの「ものがたり」には、それがないのです。
 そこにあるのは、異界のあの妖しげな姿ではなく、異類のあのおどろおどろしいありようではなく、下卑た人間が心の奥底に隠しもつえげつない「欲」でしかなかったのです。

 ですから、この「ものがたり」の主人公たちが、去った時に、人々の心に大きな穴の空いたような寂寥感も、愛着を覚えての哀しみも残らないのです。
 
 「問うに落ちず語るに落ちる」という言葉がありますが、なんともつまらない「ものがたり」なのです。


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Prove yourself right

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砂遊びに興じる子供を描いたものです。こういう時、子供は何を考えているのでしょうか。自分の記憶を辿っても、それが出てこないのです。でも、何も考えていないということはないという思いが強くあるのです。


 <Prove yourself right>とは、君の行なっていることが正しいことを証明せよ、という意味ですが、使い方としては、「おのれを信じよ」という、いわば、檄を飛ばす際のことばです。
 ことばには力があります。
 一つのことばが、人生の困難を乗り越えさせ、くじけそうになる気持ちを鼓舞してくれるのです。
 で、この<Prove yourself right>ということばは、どういう場面で使われてきたのかと言いますと、メジャーリーグのマリナーズの主力選手であるロビンソン・カノー選手が、チームの戦意を鼓舞するときに、よく口にしていたことばであるというのです。

 かつて、松井秀喜とともにヤンキースで活躍した二塁手であり、好打者でもあるあのカノーです。
 私は、松井選手がヤンキースに移籍して以来、今に至るまで、ヤンキースの大ファンであり、シーズンが始まれば、メジャーリーグの野球中継を楽しみにしている一人なのです。
 松井選手が活躍するメジャーリーグの野球が見たくて、ヤンキースタジアムでのチケットをなんとか取ってほしいと知り合いの旅行会社に勤務する方にお願いしたことがあります。
 残念ながら、その直後に、松井選手の例の骨折があり、ついに、ヤンキースタジアムには行かずじまいになってしまいました。
 が、実は、ボストンにあるレッドソックスの本拠地、あのグリーンモンスターという大きなフェンスがあるフェーンウエイパークには行っているのです。

 ボストン美術館を巡って、寮に帰るまで時間があったので、フェーンウエイパークに、その日私は寄ったのです。
 この日は、試合はありません。
 所在なく、球場の周りをブラブラとします。
 土産屋を覗き、スポーツバーでコーヒーを飲みます。
 すると、一人のうら若きアメリカ人女性が、日本語で声をかけてきました。
 
 「これから、スタジアムのツアーが始まりますよ。」

 彼女は、高校生の時に、交換留学で、日本の愛媛県で勉強したことがある方で、今は、この球場でツアーの担当をしているということでした。
 日本語が堪能なので、日本人観光客相手の説明を任されているということで、こうして、所在ない日本人を見ると、つい声をかけてしまうと言っていました。
 商売熱心というのではなく、むしろ、アメリカの野球をもっと知ってほしいという気持ちが彼女には強いように思いました。

 私は、彼女に案内されて、バックネット裏の入り口で、10ドルのチケットを買わされ、数人の予約していた団体客とともに球場に入ったのです。
 一塁側の内野から外野へ、そこには、座席ではなく、テーブルと椅子が用意され、観客はビールを飲みながら、頬杖をついて野球を見られるようになっているのです。そして、外野を巡り、あのグルーンモンスターのところに来ました。実に狭いところです。それに急な傾斜です。しかし、思いの外、さほど、ホームベースが遠いとは感じませんでした。

 彼女が申し訳なさそうに言いました。
 「今日は、選手が誰もグランドにいません。ごめんなさい。」
 後日、引率していた生徒たちが見学に行った時は、あの松坂選手と会えたと言いますから、本当に残念なことでした。

 小一時間の案内が終わり、私はほんのしばらく、この日本語が堪能なうら若きアメリカ人女性と立ち話をすることができました。

 野球は好きだけど、ずっとここで仕事をするつもりはないということでした。
 ボストンには名門の大学がいくつかあり、その院のどれかに入るべく、その準備をしているというのです。
 将来は、生物学を専攻し、研究者になりたいということでした。

 アメリカ人というのは、実にタフだと思いました。
 日本人はそのタフさを見習わないといけないと思ったのです。

 自分の行く道をしっかりと見据えている。一切ぶれることなく、そのために、時間を無駄にしない。誰かに頼ることもできないので、自分に実力が備わっていないと、何事もダメだというのでしっかりと力をつけて行く。

 日本に行ったことも、旅行ではなく、日本語と日本文化を学び、それが今、球場の案内という仕事で成果を上げているし、しかし、それが最終目的ではなく、本来の目的達成のために着々と準備を進めて行く。
 このようであれば、自分を見失うこともなく、充実した人生を歩んでいけると私は強く思うのです。

 日本の教育の目指すありようが、ここにあるのではないかと私はふと思ったのです。

 カノー選手がよく語るという<Prove yourself right>ということば。
 これは、物事が成るか成らないかを問う言葉ではなく、自分を信じ、自分が掲げた目標に対する真摯な向かい合いを示すことばなのです。
 
 自由というのは尊いものです。
 しかし、それを守るには、相当な犠牲も覚悟しなくてはなりません。また、不断の努力もまた求められるのです。

 <Prove yourself right>には、アメリカで活動する人びとの精神があるように思えたのです。


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優れた経営者と教育

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子供の笑いほど無垢なものはありません。そこには、純粋に、楽しい、面白い、愉快だ、軽快だ、幸せだという気持ちがにじみ出るからです。お追従も、気配りも、魂胆もない笑いを大人も取り戻さなくてはなりません。


 ちょっと昔のことなので、今、あるのかどうかはわかりませんが、首都高速に乗って、竹橋から、一の橋、そして、品川方面へと抜けていく際、実際のヨットを使った看板がありました。
 なんでも、創業者の二代目を教育する経営者の学校というようなものだったと思います。

 父親が起業し、息子がその後釜に座る。
 しかし、甘く育てられたお坊ちゃんでは、先行きが心配、そこで、このような学校ができたんだと考えています。それにしても、ヨットが看板では、甘く育てられたお坊ちゃんが、本当にしっかり育つのかと不安視したことも覚えています。
 もっとも、最近の二世たちは、存外しっかりと父の業績を受けて努力しているのではないかと、あの会社、この会社を見て思っていますから、きっと、ヨットの看板の二世教育事業はもうなくなっているのかもしれません。

 専門家によると、経営者に求められる力とは、グローバル化の中での英語力、長期的な視点での経営判断力、そして、ビジネスシーンでの即断即決できる精神力であるということのようです。

 第一線で活躍する社長の英語力は、業績に大きく影響するというのは間違いではありません。
 英語が堪能であることは、グローバル社会での人間関係の構築、商売の駆け引きにおいて必要不可欠な要素であることは確かなことです。
 そこに、通訳が入るのでは、次に示された二点の「経営判断」「即断即決」に陰りが出てしまいます。

 長期的な視点での経営判断というのは、在任期間を超越して、100年の経営方針を打ち立てる意欲を言います。すでに、創業者がそれをなしていれば、その方針に沿って、経営基盤を盤石にする方策を打ち出すことなのです。
 つまり、トップにあるものは、ワンジェネレーション先の在りようを見据えよということです。

 ビジネスシーンでの即断即決というのは、これは日本の企業で、よく見られる「会社に持ち帰って検討」という判断保留のあり方ではダメだということです。
 つまり、それでは、スピード感に欠け、同時に、信頼感を失うのが今のビジネスシーンであるということです。

 すなわち、現代の経営者というのは、その場で、与えられた条件や情報を判断分析し、それが自社にどのくらい有益性を持って働くのかを即座に見極めなければならないのです。
 その結果、この話は受けることができないと伝えたとしても、なら、この条件ならと相手もまた折衷案を提示してくる可能性もあります。その場で折衷案がでなくても、この人は仕事ができるということが念頭に残り、次の素晴らしい仕事の芽がそこに生じるものです。
 こうしたことが、いわゆる国際ビジネスというものです。
 
 一部署の課長なり係長なりに、最高判断ができないのことは、誰もが承知しています。
 その課長が、はいわかりました、やりましょうと言ったとしても、相手は安心ができないでしょう。口先だけで、ある程度話が進んだら、その話はなかったことでは損失が出てしまいます。

 ですから、課長クラスには課長なりの判断、決断があるのです。
 例えば、提案を把握し、それへの前向きな意見を述べ、しかるべき日に上司とともに再訪し、話を進めたいといえば、それはそれで素晴らしい決断なのです。

 しかし、経営者になると、そうはいきません。
 その場で決断ができなければ、いけないのです。担当者ともよく話をさせてもらって、後日おしらせしますでは、その会社にもう二度と仕事は回ってきません。
 この話は、今回、我が社ではお引き受けできないときっぱりと断るか、反対に、力強い握手をしてプランを現実化していくかのどちらかなのです。

 日本に限らず、世界のトップに君臨する経営者は、常日頃、その判断を求められ、決断をしているのだと思います。
 
 せんだって、珍しく、つくばセンター近くの公園を犬を連れて散歩をしました。
 一人の外国人青年が、木陰のベンチに腰掛けて、盛んにパソコンのキーボードを叩いています。
 年頃からすると、院生か、もしくは、近隣にある研究所に勤務する青年のようです。

 この日に限って、iPhoneを忘れてしまい、時刻を知りたかった私は、その彼に時刻を尋ねました。拙い英語で問うたのですが、返ってきた言葉は流暢な日本語でした。

 この昼間に、パソコンの画面が見えにくくないですか、ずいぶん夢中になってパソコンに向かっていますね、小説でも書いているんですかと、見も知らぬ方に、普段はあまり言葉をかけることをしない私ですが、その青年の一生懸命さに心打たれて、声をかけてしまったのです。

 その青年、私の問いかけに嫌な顔一つせず、自分は起業のためのプランを作っているというのです。日本で起業し、成功するのだと言っていました。この人は、アイルランドから来た青年でした。母国では立ちいかないので、世界最先端の国である日本で成功をしたいと活動をしているというのです。

 いやはや、立派というほかありません。
 大手の会社に入って、豊かな生活をしたいというのではなく、自分で会社を作って、苦労を覚悟で成功したいというのですから。

 経営者を育てる教育というのは、それ以前に、その人の中にある意欲、あるいは壮大な夢があって、初めて花開くものであると、その時私は痛感したのです。
 ですから、優れた経営者というのは、教育で作り出すものではなく、その人の中にある何か偉大な思いがあって生まれるものであると実感した次第なのです。


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ハイ・ティ(私の貴重な体験)

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オーストラリアの友人たちは、一隻のボートを自宅に置き、あるいは、一台のキャンピングカーを所有して、レジャーを楽しんでいます。ちょっと、お金があれば、自宅にプールを作っていたりしますが、暖炉はあまり見かけません。多分、気候のせいだと思います。我が家の自慢はその暖炉があるということです。子供達が暖炉の火にうっとりしている姿を、この絵は描いています。


 初めて、オーストラリアに行った時のこと、ホームステイ先の家庭で、特異な経験をしたことを覚えています。
 ご主人は、TAFEという職業専門学校の教師、奥様は陸軍の事務官という家庭でした。
 お子さんは、高校生の女子と男子の二人です。
 
 その家で、今日は「イージー・ティ」なんだと言われました。
 週に一回、夕食をそれにするというのです。
 
 初めてのオーストラリアで、私は戸惑うことばかりでした。
 しかも、ホームステイです。
 昼間、学校に出かけて、引率する生徒たちの授業に立ち会いますが、取り立ててすることもないのです。生徒たちは、友人もできて、オーストラリアでの学校生活を楽しんでいます。
 夕方、と言っても、午後の3時ですが、私たちは生徒とともに学校を追い出されます。
 オーストラリア人の教師たちは、この後、仕事を家庭でするのです。
 宿題やテストの採点などです。
 部活動は、それを専門とするクラブが地域にあって、それをやりたい生徒がそこへいくのです。
 ですから、私は、何をすることもなく、6時間程度の学校での滞在を終えて、ブラブラと街中を歩いて、ホームステイ先に戻るのです。

 そして、水曜の午後、今日の夕食は「イージー・ティ」だと言われたのです。

 朝は、コーンフレークという生活は今では慣れていますが、当時は、朝食をしっかりととる生活をしていましたから、牛乳にコーンフレークという朝食はたいそうきつかったことを覚えています。
 昼は、サンドイッチを作ってくれて、それにリンゴを丸ごと一個を持たせてくれます。
 サンドイッチの中身は、ハムとチーズです。
 毎回、それです。

 そして、今日は「イージー・ティ」というわけです。

 その中身は、陸軍に勤務する奥さんが作ってくれたパンプキン・スープのみでした。
 まさか、これだけかと思いながら、ゆっくりとスプーンを口に運びます。
 もしかしたら、スープを飲み終わったら、チキンの丸焼きが出てくるのではないかとか、パンの一切れでも差し出されるのではないかと期待は膨らむのですが、一向にその気配はありません。
 家族の皆も、じっくりと味わいながら、濃いスープをスプーンを口に運んでは味わっています。

 そして、食事は終わりました。

 ホームステイすると、その土地に生活するいろいろなことがわかります。
 旅行とはまた違った経験ができて、それはそれなりに楽しいものです。

 こんなことを思い出したのは、「ハイ・ティ」なる言葉を新聞の記事に見つけたからなのです。
 それは英国の労働者階級の生活から生まれたというものです。
 北部イングランドと隣接するスコットランドで、労働者が家に帰ってくるなり、パンと紅茶、それに肉料理を食べて、労働の後の空腹を癒したことから始まったと記事には書いてありました。
 彼らはテーブルについて、祈りを捧げて食事をするのではなく、立ったまま食事をしたから、「ハイ・ティ」という言葉が生まれたともいうのです。

 きっと、ささっと食事して、仲間でどこかのパブに行っては、そこで、ビールを注文して、組合の話をしたり、与太話で盛り上がったのだと思うのです。
 記事には、英国人は、食事を意味する単語に「ティ」を用いることがあり、特に、労働者階級では、ティとディナーを独自に使い分けるとありましたので、それと知らない旅行者などは、時に混乱をすることがあるかと思います。

 その混乱した一人が、実は、私だったのかもしれません。

 オーストラリア人の多くは、イギリスからの移民の子孫です。
 身分制度が厳然として残る、堅苦しいイギリスから逃れてきて、それでも、根っこの部分ではイギリスの労働者階級の生活の在りようを伝えているのです。

 学校が午前中で終わりになった日、この日は、学校が何かの行事で使うので、そうなったのですが、私たちは、早々に学校を追い出されてしまいました。
 生徒たちは、それぞれのホームステイ先の親御さんが迎えにきて、さっと帰宅しました。
 私は、仕方がないので、サンドイッチを持って、町の中心部の方、ショッピングセンターの方へと歩いて行きました。

 そこで、見たのは、うら若き女性がカフェテラスで、ローストチキン丸ごと一羽にかぶりついている様子でした。
 周りを見回しても、皿に盛られた、相当な量のランチを食しているではないですか。

 私は、きっと、彼ら彼女らは、昨夜は「イージー・ティ」に違いないと思ったのです。
 
 一羽のチキンを食し、大きなピッザを頬張り、そうして、夜はスープ一杯で過ごすのです。
 当時の私には考えられない食生活です。

 一ヶ月あまりのオーストラリア滞在で、私は見事、ダイエットに成功したことは言うまでも在りません。

 それもこれも、今となっては、貴重な体験であったと思っているのです。


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あゝ、『煙』が目にしみる

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今の子供は、当たり前のように、電子機器を扱います。誰が教えたわけでもないのに、指をスライドさせて、画面を切り替えるのです。子供はじっと大人のやることを見ているのです。そんな風景を絵にして見ました。


 10日あまり前のことですが、超党派の日米国会議員連盟に与する議員たちがワシントンを訪問しました。その折、米国の議員たちと会談し、北朝鮮の一連の動きについて、「脅威が新たな段階に入っている」との認識で一致しました。

 さて、この「脅威」「新たな段階」とは一体何を、どう意味しているのでしょうか。

 現在、釜山の港には、第1空母打撃群の空母「カール・ビンソン」が入港しています。
 もちろん、これは毎年実施されている米韓合同訓練のためであり、朝鮮半島周辺での訓練を実施し、有事に備えるという、独立国家であれば、しかも、隣に好戦的な国家があれば、極めて当然の訓練対応でもあるのです。

 しかし、新聞を読んでいますと、尋常でない文言も、この米韓合同訓練には見られるのです。それは、「北朝鮮指導部を排除する作戦」というものです。
 米韓の精鋭部隊が平壌に潜入して、北朝鮮指導部の抹殺を図ると、私などは短絡的に考えますが、実はそうではないようです。

 というのがあって、これは、米軍のステルス機が平壌上空を飛行し、バンカーバスター弾を投下するというものです。

 昨日でしたか、サイパンからステルス爆撃機B−2が朝鮮半島に飛来したようですが、このB–2には、バンカーバスター弾GBU-28が8基搭載可能なのです。
 バンカーバスター弾というのは、地下50メートルまでを破壊することができる地中貫通弾です。
 本当かどうかわかりませんが、北朝鮮の核心なる人物は、米韓合同演習中には、地下50メートルに作られた防空壕で暮らしているといいますから、それを標的にしていることが明らかな爆弾なのです。

 これまで、アメリカは「戦略的忍耐」なる言葉を使って、北朝鮮に対してきましたが、先の日米国会議員連盟と米国の議員の会談での「脅威が新たな段階に入っている」との言葉のあり方からすれば、「戦略的忍耐」の放棄につながることは間違いないようです。

 もし、アメリカが平壌の爆撃計画を綿密に練っているとするならば、まず、日本の了解が必要です。いくつかのミサイルが放たれ、在日米軍基地、そして、東京や私の暮らすつくばにも落ちる可能性があるからです。
 ミサイルが着弾する前に撃ち落とすための、日米両軍のすり合わせが重要になります。
 日本政府の動きを見ていますと、アメリカの作戦遂行に同意をすることは間違いありません。

 そして、問題は中国です。
 今月4日、第7艦隊は、ニミッツ級空母「ジョン・ステニス」、誘導ミサイル駆逐艦「チャン・フー」「ストックデール」、誘導ミサイル巡洋艦「モービルベイ」、補給艦「レーニア」などの艦船が、1日から南シナ海東部に展開していると声明を出しました。
 
 そして、8日、全人代開催中に、日本は心の病を治せと偉ぶった記者会見をした王毅が、これも偉そうに、米朝は頭を冷やせと自制を求めました。
 その後、新聞はこれに対する日米の反応を伝えていません。
 日本は、心の病と言われても誰も反応をせず、一方、アメリカは自国及び同盟国防衛のため、王毅の言を一蹴したのです。

 南シナ海で、ついこの間、遼寧が発着艦訓練を行った海域で、それに数倍する、否、数十倍する発着艦訓練を米海軍空母打撃群は、あたかも見せつけるかのようにそれを行なったのです。

 海軍は通常の派遣であり、通常の訓練を行っていると述べていますが、米国防総省は、この訓練を、「米国や他国の権利と自由を制限する行き過ぎた海洋権益の主張」に対抗することが狙いだとしているのです。

 さらに、15日、こんなニュースが出てきました。
 
 共和党のルビオ、民主党のカーディンの両上院議員が、東・南シナ海で不法行為に関与した中国の個人・企業などに制裁を科すための法案を提出したというのです。

 明らかに、南シナ海での人工島に軍用基地を建設していることを睨んでの法案提出であり、それを党を超えて出したということは、大変重要な意味を持っています。
 この不法な建設に関与した人物と企業に対して、制裁や査証の発給停止をするというのですから、対ロシア政策に近い強硬な対応と言えるでしょう。
 もっと、すごいのは、この法案に、東・南シナ海での中国の主権を認めた国家に対する米国の援助を制限することも明記したということです。
 これは、中国の金で動く、東南アジア諸国及びアフリカ諸国に対しての明確な圧力になります。
 つまり、アメリカは「本気」なのです。

 14日、朝鮮中央通信は、米韓演習を批判し、「われわれの自主権と尊厳を少しでも侵害すれば、わが軍隊の超精密打撃が地上と空中、海上で無慈悲に加えられる」と威嚇しました。

 でも、私は日本とかの国の『煙』に注目しているのです。

 護衛艦「こんごう」、イージス艦「きりしま」のミサイル発射映像を見て、そして、昨日17日、日本政府の情報収集衛星の打ち上げ映像を見ても、6日に発射された北朝鮮の4発のミサイルと大きく違うことに、誰でも気がつくはずです。

 それは、噴射の『煙』の違いです。

 あの『煙』の差は、如何ともしがたい彼我の「差」を示しています。
 噴出されるエネルギーの差、そして、発射技術のレベルの差です。

 きっと、かの国の核心なる男の目には、自国の安っぽい『煙』が、目にしみているはずです。


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私学よ、東大を目指せ!

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初めてサングラスを与えられた子供たち、ちょっと大人になったみたいに、眼に映る世界のまた違った様子に、その三者三様を描いたものです。


 ある大手の百貨店の社長さんが業績不振の責任をとって退くことになったというニュースがありました。
 つくばの街にあった唯一の百貨店もついこの間店を閉じたばかりなので、百貨店業界が厳しい状況下にあるということがよくわかります。

 では、消費は下降気味なのかというと、駅の中や駅に隣接する店などは、ことごとく繁盛して利益を上げているというのです。
 つまり、客が欲する品物を置いてあるのか、ちょっと空いた時間で買い物ができるのか、そして、安くて良い品物があるのか。
 どうやら、そこに成否を分ける秘密がありそうです。

 駅の中や駅に隣接する店では、売り上げが悪いと出店契約を切られるといいます。
 つまり、客がその店を求めていないという結論にいたるのです。
 ですから、客のニーズに応えるために相応の努力がないとここでは生き残れないのです。

 しかし、名を重んじる百貨店業界では、昔からの業者との関係を大切にし、良い品物、しかし、幾分値もはる品物、そして、固定化した裕福な客層だけを相手にしすぎた結果、業績を上げることができなかったというのです。

 この考えはよく分かります。
 まったく、その通りだと思いもします。
 ネットで、ものが買える時代というのは、自宅に居ながらにして、品物を多角的に判断できることが可能な時代です。キーボードを押せば、翌日には品物が届くのです。実際使ってみて、気に入らなければ、返却も可能なのです。

 そんな時代に、旧態依然とした「あきない」が立ち行くはずがありません。

 実は、それは学校も同じなのです。
 学校は生徒がいなければ、成り立ちません。
 公立なら、生徒がいなくなれば廃校、近隣の学校と統合し、教師たちも移動すれば済むことですが、私学はそうはいきません。
 死に物狂いで生徒を集めなければなりません。
 そうでないと、職を失うことになります。あるいは、惨めな思いで教育活動に従事することになります。

 教育の現場では、生徒の活気があって、初めて、成果を上げうることができるのです。

 少人数クラスとか、一人ひとりに目が届く教育とか素晴らしい言葉が羅列されますが、生徒を伸ばし、社会で活躍する人材を育てる教育現場というのは、熾烈な競争と大多数の中で頭一つとびだすことができる環境が必要なのです。
 それをしてきたのが、これまでの私学のあり方でした。

 私学は生き残るために、東大に、あるいは、京大に何人の合格者を出すかを競ってきました。
そのために、成績を上げるための工夫をし、時には、かなりせこい手を使ってでも、その数字を求めてきたのです。

 今月も10日に東大の合格発表がありました。
 伸ばした学校、落ち込んだ学校、安定感のある学校と、各校それぞれに喜怒哀楽を見せたことと思います。

 東大に生徒を入れることに執着するなんて教育現場のやることではないという意見があります。
 でも、日本の最高峰の、しかも、国の支援が殊の外厚い東京大学に生徒を送り込む教育というのは、決して間違いではないのです。
 生徒にとって、この条件は素晴らしいことなのですから、そこを目指して勉強することはきっと人生において実りをもたらすことにつながるのです。
 
 教師には、教え子を東大に送り込むために、まず、情熱がなければいけません。
 自分が東大に行くくらいの情熱です。
 学校も、生徒を東大に送ることを全面に押し出していかなくてはなりません。
 自分の好きな大学に行きなさいとか、グローバリズムの中で海外の大学にという安易なものでは、その学校は少子化の日本の中で生き残ることはできないのです。

 東大を目指し、その結果、早慶、あるいは、海外大学というのでなくてはならないのです。

 小売業界が旧態依然としたあり方で衰退していったのと同じように、私学も、生徒が数多いた時代の、栄光の歴史におんぶに抱っこでは消えて無くなることは目に見えているのです。

 私学が最上位のレベルで生き残るためには、青年の持つ意欲を信頼することにつきます。
 彼らは、青年特有の自尊心を強く持ち、自らの可能性を愚かなくらいに信じているのです。

 甲子園を目指さない野球部に優れた部員が集まらないのは自明の理です。
 同じように、東大を目指す学校に、強い自尊心と可能性を信じる心を持つ生徒が集まることは、火を見るよりも明らかなことです。

 生徒集めに汲々として、いじめのない学校とか綺麗事を並べて、授業もままならない学校になっている私学の多いことを憂慮しています。
 少子化の中で、学校ヒエラルキーの中で、自尊心と可能性を持つ生徒の入学を機するには、私学が構造改革をしなくてはならないと、東大の合格者一覧を見て考えるのです。


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昭和もまた、遠くになりにけり

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三寒四温、これを繰り返して、季節が移ろっていきます。そんな時節の空もまた、趣を様々に変えます。曇天しきり、冬の重たさを示したかと思うと、かように濃い青空に太陽の光が差して、雲まで透かして見せます。さあ、季節よ、もう1回転、気張っておくれ!


 昭和6年のこと、降る雪や明治は遠くなりにけりと詠んだのは、中村草田男です。

 私は、昭和、平成、そして、来るべき次の年号の時代、つまり、三代の御代を、どうやら生きていくことになりそうです。
 父も、大正、昭和、平成を生きましたから、現代の日本人にとって、三代の御代を生きることは何も取り立てて特別なことではないようです。
 
 私にとって、昭和は、青春真っ盛り、悩み、喜び、けなされ、褒められ、落胆し、希望に満ちた時代でした。
 そして、平成は、教師という仕事に熱中し、そして、歴史や文学にも。
 その二つに力を注いだ時代でした。

 おそらく、次の御代は私の人生を締めくくる時代になると思います。
 一個の人間にとって、生老病死は避けて通れない宿命です。
 だから、私は、次の御代に、粛々と、それを受け止めていくのです。

 そんなようなことを考えていると、私がやっと歩き始めた頃、それがどういう経緯かはわかりませんが、あるいは、もっと大きくなって、私の記憶に刻み込まれたのかもしれませんが、ひとつの記憶が鮮烈に脳裏に宿していることに気がつくのです。

 それは、手押しポンプの井戸のそばで、母や近所の女の人たちが、世間話をしながら、楽しげに、洗濯をしたり、野菜を洗ったりしていた光景です。

 家々には水道がまだなく、近所に手押しポンプの井戸があって、そこに皆が集まって家事をしていたのです。
 まだ、戦争が終わって10年も経っていない頃のことです。

 私が生まれ育ったのは、竹ノ塚に新しく建てられた一戸建ての都営住宅でした。
 近所は、多くの人が東武鉄道に勤める人だったと記憶しています。
 私の祖父は東武伊勢崎線に、隣の竹内さんは東武観光のバスの運転手です。その隣の米沢さんはのちに重役にまでなるおじさんでした。

 一軒に与えられた敷地も広く、敷地内で畑を作ったり、子供たちが大きくなると建て増しをしたり、かなり自由に住人たちは自分たちの借家をアレンジしていました。

 野菜以外にも、イチジクやらザクロもその実を豊かに実らせていました。
 父の田舎は、九十九里にあり、そこからは煮干しやみりん漬けが山ほど送られてきました。
 母は、それを小分けして、ご近所に、おすそ分けですともっていくのです。
 近所には、同じ年頃の子供たちがたくさんいました。皆、どの家にも少なくても3人くらいは子供がいたのです。
 明るく、賑やかで、うるさいくらいの時代でした。

 氷屋さんというのがいて、リアカーに氷を積んで、「コオーリ、コオーリ」と声を出して売りに来ます。
 声をかけられると、氷屋さんは厚い生地で覆われていたリアカーの中から、大きな氷を出して、それをのこぎりである程度まで引きます。
 シャカシャカという、その音の心地よいことを今でも鮮明に思い出します。

 そして今度は、鋸の背を切れ目に入れて、パチンと割るのです。その手際の良さにうっとりしている私の姿も目に見えるようです。
 氷屋さんは、それを手にして、台所まで上がってきて、木製の冷蔵庫の上の段に入れてくれるのです。
 
 その氷屋さんも消えていってしまいました。
 電気冷蔵庫が家庭に入ったのです。
 程なく、炊飯器が入り、洗濯機が入ると、母たちはもう井戸端に集うことはなくなったのです。
 私の脳裏に宿る、井戸端のあの光景こそが、私に「昭和の原型」をイメージさせるのです。

 日本は戦争に負けたけど、負けたのは男たちであり、女たちは便利な家電を手にして、そのおけげで、有り余る時間までを手にして、その時間をテレビジョンで費やすようになったと誰かが言っていました。
 昭和の、先端を行く技術は、女たちの喜ばしい横着を促し、それまでの面倒な家事から解放していったのです。
 まさに、昭和の女たちは、「戦争」に勝利したのです。
 
 昭和という時代は、画期的な繁栄を実現した、日本の歴史の中で、最も高揚した時代でもあったのです。

 平成の今、ついこの間までの昭和の面影は、一切合切なくなりました。
 ものの見事にです。
 そんな姿、日本らしいなって思うのです。

 次のまだ名も無い御代が始まると、きっと、数十年して、誰かが平成の御代を懐かしむのではないかと私は容易に察しがつきます。
 その時もまた、平成を懐かしみ、その面影を求めることでしょう。

 人の世というのは、いつも、このような繰り返しなのです。


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