この芸術作品、拡散希望!

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毎朝、一杯のコーヒーを淹れます。豆を挽いて、直火式エスプレッソ直火式エスプレッソメーカーで沸かし、それを薄めて、楽しむのです。オーストラリアに多くくらすイタリア系移民のオージーが飲むやり方だそうで、淹れ方も簡単で、私はすっかりそれになってしまいました。飲み終わったカップの上に、この黄色い蓋をして、出窓に次に飲むまで待機させて置くのです。


 美術館などで、写真撮影を禁止する理由の第一としては、展示されている作品の著作権保護であるといいます。そして、第二が、ほかの来館者への配慮からなされているというのです。

 絵画や彫刻などに著作権があるというのは理解ですますが、いまひとつ、それを写真に撮ることで、著作権が脅かされるのかどうかはわからないのですが、確かに、混雑する館内で、作品の前に陣取って、写真撮影をされていたら、作品の持つ重厚な雰囲気、あるいは、思い入れを抱く作家の創作スタイルを思い浮かべながら「鑑賞」する気にはなれません。
 ましてや、作品をバックに、ピースサインをして記念撮影をしていたら、なおのこと、芸術作品を「鑑賞」する気にもならなくなります。

 でも、私が出かけたボストン美術館や大英博物館では、一部に撮影禁止はありますが、基本的には写真撮影は可能でしたので、ひどく驚かされた経験があります。

 だからと言って、作品の前でピースサインをしたり、三脚を立てたりして本格的に写真をとる人たちはいませんでした。
 地元の人たちも、そこに出向く観光客も「民度」が高かったということでしょうか。

 そこに飾られている作品が素晴らしく、家にも飾りたいと思うのであれば、ミュージアム・ショップでプロのカメラマンが撮影したものを買っていけばいいわけです。
 でも、きっと彼らはそうした「写真」ではなく、無名の画家が描いた絵、あるいは自分が描いた作品を家に飾ることを好むのではないかと思うのです。
 何故ならば、彼らは「本物」を見に来るのであって、「別物」を買い求めるために来るわけではないからです。
 それだけ、彼らの「民度」は高いのです。
 
 いうまでもなく、著名な画家の絵は、目の玉の飛び出るくらいに高価です。
 そのような歴史的芸術的価値が定まっている作品は、一個人が所有するのではなく、公共の施設に置くのが適当であると考えているからでもあるのです。
 その代わり、新進の芸術家が描いたまだそう高くもない絵画、趣味で絵を描く人から安価で譲ってもらった絵を飾ることを好むのです。

 我が家にも、随分と壁に飾り物が施されています。
 かつて、ニッコールクラブ会員であった私がスライドフィルムで撮影し、引き伸ばした写真も随分と飾られていますし、知人の奥さんが趣味で描かれた油絵も、そして、私が今描いている水彩画も、壁に掛けられているのです。
 著名でも、さほど金銭的な価値のないものですが、私にとっては最上の芸術作品なのです。

 それは、つまり、絵を投機ではなく、生活の雰囲気を装飾する芸術作品として尊重している証だと思うのです。

 ここ1、2年、日本でも美術館で撮影を可能にする傾向が出てきています。
 
 これだけ外国から観光客が訪れてくる昨今の日本ですから、世界レベルにしようとする背景がそこにはあるのかと思います。

 もう一つ、大切な要素があります。
 今の時代ですから、iPhoneで撮影をしてもらい、それをSNSを使ってアップしてもらえば、宣伝効果につながるということです。
 そこに一言二言の言葉があればなおのことです。

 それを見込んで、SNSで発信することを予測して、ハッシュタグを用意する美術館もあるくらいです。
 中には、投稿された作品に賞を与える美術館もあると聞きました。
 それだけ、SNSの力があるということなのでしょう。

 SNSがこれだけ強い力を持てば、新しい媒体としての力は無視できなくなるということです。
 
 マッカートニーのコンサートに行っても、今は観客の胸ポケットにiPhoneが入っていますから、映像や音声を厳しく規制することには無理があります。
 ですから、YouTubeには、コンサートの全貌が楽屋からステージまで、そして、ステージでの演奏のすべてが高画質で、しかも、無料で見ることができるようにしているのです。

 中には、高いチケットを買うことなく、そのビデオで我慢をするというファンもいるとは思いますが、やはり、「本物」のすごさを体験するには、その場に行かないといけませんから、本当のファンは、出かけていくのです。
 それは美術館とまったく同じなのです。

 私は、ニューヨークとロンドンに本拠地を置く絵画クラブに参加して、自分の描いた絵(いまはiPadで描いたものですが)を投稿しています。
 世界中の人からアクセスしてもらえることはとても嬉しい感じがします。

 ジョブスが音楽を手軽に聴けることに力を注ぎ、音楽業界に革命を起こしたことは顕著な出来事です。それと同じように、SNSは絵画や彫刻、陶芸やそのほかの芸術全般に大きな変革をもたらしているものと思います。
 
 何故なら、何の教育も受けていない、師匠もいない、そんなど素人の絵が世界中の同好の士に見てもらえるのが今の時代なのです。
 素人が描いた絵だからと軽々に扱うなかれ、その中には類い稀なものが潜んでいるということをお知らせしたいのです。

 「この芸術作品、拡散希望!」と銘打って!


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まがいともどき

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ゴールデンウィークなるものが始まったようです。世の中の空気がどこか緩んできて、血走った目付きの輩も、肩で風切る輩も影を潜め、穏やかな表情が見られ、笑い声も聞こえてきます。それでも、世の中は動いています。まさか、人々が安堵している時に、何か妙なことが起きないといいと思いながら、日章旗を出しました。


 ヒトラーが欧州の政治の打開のためにロンドンに出かけて行って、イギリス首相と平和について議論したという話を私は聞いてはいません。
 しかし、占領したパリを圧倒的なドイツ軍の戦力を背景に、訪問したということは聞いています。
 
 中堅の会社のオーナーで、社内で圧倒的な力を有し、社員の誰もが彼にへつらうという会社を私は知っていました。
 仕事第一をモットーに、彼は、同業者の会合にも、地域の活動にも、部下を差し向け、自分が直接参加することはありませんでした。

 ヒトラーと中堅の会社社長を同列にするのはどうかと思いますが、どういうわけか、この手の人というのは、内向きで、多くの人が集まる場には出たくないようです。
 いや、出たくないというより、出ることで自分が頭を下げることを良しとしない、つまり、トップとしての威厳が損なわれることに危惧を持っているのだと思うのです。
 相手に頭をさげるとか、微笑んでその場を取り繕うこと、そして、相手に妥協することを良しとしないのです。
 小さな世界で、トップにあって、周りの人間をへつらわせ、横柄に振る舞うことだけを得意とするのです。

 そんな人がトップに座れば、周りは大いに迷惑であると思うのは、少々考えが甘いようですよ。
 そういう人がいると、実は、周りは楽チンなのです。
 ただ、はぁーと平伏していればいいわけですから、面倒なこと、つまり、何かを判断するとか、あちらこちらで根回ししてことを運ぶ必要はないのですから。
 ただ、一言、お上の命令でござるといえば、事足りるのですから。

 そうして、人というのは、安楽な道へと一歩を踏み出してしまうのです。
 いや、ヒトラーもあのオーナーもそうなるよう、巧みに仕組んでいたと言うのが正しい観察でしょう。

 私の知っていた中堅の会社のオーナーの口癖は、俺がなんでも決めるから、君たちはその通りに動いてくれればいいから楽だろうというものでした。

 でも、人というのは、本来、その手でものを触り、掴んで、あるいはそれを持って、さらには、器用に手先を動かして、ものを作り、そのやり方を広げていく存在なのです。
 それは石器時代からそうであったことは、あえて述べなくてもお分かりだと思います。

 しかし、時に、その自然な流れに抗おうとする輩が出てくるのも人の歩みの中にはあるのです。
 それは、手で何かをするのではなく、手に入れることで何かをすることでなされてきました。
 ギリシャ神話の時代であれば、ミダス王が手に入れた「黄金の手」がそれを象徴しています。
 近代に入って、手に入れることができたのは「黄金の手」ではなく、「権力の柄」でした。

 ヒトラーも合法的に「権力の柄」を手に入れ、その後は、自分の言う通りに動けばすべてはうまくいくと「権力の柄」を思いのままふるったのです。

 私の知っている会社のオーナーには、親から譲られた会社があり、それが彼の「黄金の手」であり、かつ、「権力の柄」でもありましたから、規模を問わなければ、ヒトラー以上のものを彼は手に入れていたことになります。

 しかし、いっ時は人の心を操り、ごまかせても、人が持つその手のありようを抑えつけることはできないのです。
 つまり、人はさまざまな手を使って、その手を働かせて、ものを作り上げ、人と人とのありようの中でものを、そして、人間のあるべき社会を作るようにできているのです。

 21世紀の今、世界を見回しても、まだ、幾人かの「権力の柄」を手に入れた輩がうごめいています。
 太平洋の向こうには、「大統領令」なるものを乱発する現代の<ミダス王まがい>がいます。
 ミダス王は、すべてを黄金に変えて、自分の首を絞めてしまいましたが、この大統領は自分の命令の多くを黄金にすることができずにいます。
 
 日本海の向こうにも<ミダス王もどき>がいるようです。
 威勢ばかりのいいミダス王です。手にしているのは「権力の柄」ではなく、「核の柄」と言うのですから恐ろしい限りです。
 自分にへつらうものならまだしも、へつらうことを拒む周りの国民に対しても威嚇をしてくるのですからたまったものではありません。

 ところで、ミダス王がその後どうなったか、ご存知でしょうか。
 彼は「黄金の手」を川の水で洗い落とし、栄華を嫌い、山の中にこもったと言うことです。
 
 ここで話が終わればいいのですが、神話はもう少し話を続けます。
 山の神パーンに従って、日々を送るミダス王は、ある時、パーンの奏でる素朴な音楽とアポロンの奏でるうっとりするような音楽とどちらがいいのかと問われ、パーンの素朴な音楽がいいと絶対的な神に対しておもねるようなことをしなかったのです。

 そのため、アポロンにより、その耳をロバの耳にされてしまうのです。
 恥ずかしさのあまり、夏でも頭巾をかぶっていたミダス王でしたが、散髪するときはどうしても頭巾を取らなくてはいけません。床屋に決して言ってはならないときつく口止めして散髪をさせますが、人というのは秘密であればなおのこと言いたくなるものです。
 床屋は、井戸に向かって、大きな声でそれを言うのです。
 程なく、その声がこだまし、風に乗って、「王様の耳はロバの耳」と囁かれ、衆人に知られる羽目になるのです。
 しかし、ミダス王は床屋を責めることはしませんでした……。

 さて、現在のミダス王<まがい>と<もどき>たちは、どうでしょうか。


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マッカートニー(74歳)

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アリーナ席の座席の幅が狭く、これは3時間ばかり窮屈な思いをさせられるなと思いつつ、マッカートニーの登場を待っていました。しかし、心配はまったくいりませんでした。なぜかって、全員が総立ちで、座らなかったからです。


 2002年11月、2013年11月、2015年4月、そして、昨日と私は、マッカートニーのコンサートのために、東京ドームに出かけていきました。
 
 2002年のコンサートの折、ある著名な評論家がマッカートニーもすでに60歳、これが最後の日本公演になるはずだから、ぜひとも彼のコンサートにでかけていき、生のステージを体感すべきであると述べていました。

 当時、私は50歳。
 ポールも60歳か、そりゃ声も出なくなるわなと、中学2年の時、最初に聞いた曲<I’m Down>というマッカートニーが絶叫する曲を毎朝必ずEPレコードで聴いて、学校に行っていたことを思い出しながら、年月のすぎる速さを思ったのです。

 その評論家の言が契機となったかどうかは不確かではありますが、私が年齢というものを意識した最初であると思っているのです。

 60歳を越えれば、声も出なくなり、人生も完結に向かい、あのマッカートニーでさえも音楽活動から身を引くことになるのだ。
 だとするなら、この小人である私も、小人なりに、60という一つの区切りを念頭に、その後の余生を多少とも実りあるものとしなくてはいけないと、そんなことを思ったのです。

 折しも、勤務していた学校が頂点を迎え、内部に鬱屈した諍いを抱えていた時でした。
 私は、それからも逃げたい気持ちと来るべき10年後のことを思い、活動を始めたのです。
 と言っても、世のため人のために何かをなそうとか、誰彼に気を遣うことのないよう起業しようとか、そんな大それたことではありませんでした。
 今、釣りを楽しみ、ロードバイクに乗り、霞ヶ浦でクルージングを楽しむ、そして、終の住処とするために家を修繕しと、そんなたわいもないことのためにあれこれ学び、散財をしはじめたのです。

 しかし、マッカートニーはあの評論家の言を見事に覆す活動を展開し始めていたのです。
 
 70歳になったマッカートニーは、再び日本にやってきました。
 学校を移った私は、思いがけずも、ここでも諍いの端に置かれたしまったのです。そして、区切りのいいところで教員生活から身を引くことを決していたのです。
 ちょうどこの年、東京ドームでのコンサートで、マッカートニーの<NEW>という曲を、その歌詞も含めて感慨深く、10年前と同じ三塁側スタンドから聞いていました。

 「好きにすればいい、保証はないけれど、失うものもない」というなんということもない歌詞が私のために歌われたと錯覚するくらいに思っていたのです。

 そして、決心した区切りの年が2年後の2015年3月で、その4月にマッカートニーはまた日本に来たのです。
 よく決心したと祝ってくれるかのような来日であると私は思いながら、それまでとは違った気分で東京ドームの今度は一塁側の座席から彼のコンサートを堪能したのです。
 あの大群衆の中で、教え子の一人に偶然に出会えたのもそうした祝いの在り方であると考えるのもまったく自然なことであったのです。

 しかし、私の年齢に対する思い入れは、この間に随分と変わっていました。
 それは、「その後の私の準備」が整い、私が活動を始めたからではありません。
 74歳になったマッカートニーが精力的に活動する姿を目の当たりにすることができているからなのです。
 あの評論家の言を、マッカートニーは見事覆していたのですから。

 ある作家が書いていました。
 新聞などの記事では、必ず、人の名前の後にカッコ書きで年齢が示される。
 殺人犯も、名もなき市井の民も、よしんば、名前を示さなくても、例えば、つくばに暮らす60代の女性というように、年齢が必ずと行っていいほど示されると。

 確かにそうだ。
 その作家は、それは読者の興味関心が必然的に求めているからだと結論づけていました。
 まったくその通りだと思うと同時に、私たちは年齢でもって、ある種の固定観念を宿してしまっているのではないかということも考えたのです。

 40歳であれば社会の中枢で活動にあたるべし、50歳であればその後の在り方を考え対処するべし、60歳であれば……、と何か生き方を固定するような振る舞いに興じていたのではないかと思ったのです。
 特に、高齢者と言われるようになると、年齢で自分を「制限」してしまうこともあるのではないかと懸念するのです。
 数人の高齢者が起こした事故で多数の健全なドライバーが免許返上の圧力を受けたり、それだけならまだしも、年齢によって、自分を限り、大切なものを指の合間から落としていないだろうかとも思うのです。

 教師をしていた時、生徒によく言った言葉は、「自分を限るな」ということでした。
 自分を限ってしまっては、それ以上前へと進むことはできません。
 可能性を信じて、自分に檄を飛ばすことが青年期には大切なのです。

 それと同じに、年齢で自らを限ることはまったく愚かなことなのです。
 生徒に言った手前、私は、幾つになっても、自分を限ることなく進みたいと思っているのです

 こんな小人でも、年齢に固定されて、自分を限ってしまっていては、人間にとって最も自由で、何をするにも制限を受けない極めて貴重な一時期を空しく過ごしてしまう、そんなことを昨日、アリーナ席で、マッカートニーの演奏を始めて正面から見ていて思っていたのです。


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偉大な雑種の血筋

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真っ赤な磁器に金文字、この派手な器はまるで中国のものと思われますが、まさにその通りなのです。香港で仕事をしていた時、私が誕生日を迎えたことを知った人たちが、お祝いに送ってくれたのです。たった一週間かそこいらの間の仕事仲間ですが、そうした心のこもった贈り物を私はいつも身近に置いて、人々の気持ちのありがたさを噛み締めているのです。


 奈良の唐子・鍵遺跡から出土していた、縦約6センチ、幅約4センチの土器片にあった斜線からいくつかの重要な事実が確認されたと言うニュースがありました。

 かような小さな破片から全体像を組み立てることのできる考古学という学問の素晴らしさを改めて感じ入った次第なのですが、一体、いかなる全体像かと言いますと、まず、出土した3片の破片から、それを形作っていた高さ50センチほどの壺を復元したこと、そして、破片に刻み込まれていた線から、壺に描かれていた図柄もまた復元したということなのです。

 そこには、居館と2棟の楼閣が並び立つ集落中枢の光景が描かれていたということでした。

 反った屋根の先端、高床式の楼閣、その絵、というか線画を見ると、日本的な佇まいの建物とは到底思えないのです。
 どこか東南アジアの、いや、太平洋の島にあるような、そんな建物なのです。

 この弥生中期の遺跡からわかることは、二棟の高い建物を擁する経済的に豊かで、それらの建物を造ることができる力を首長が持つ集落であったということですが、私には、この集落の人々が、南洋の島から、この列島にたどり着いて、別のルートでこの列島にやってきた大陸からの文化をも受け入れて、作られ、発展した集落であるかのように思えてならないのです。

 そう思うのは、私の中に、考古学的な素養があってというのではなく、単に、南洋世界への憧れみたいなものがあって、そういう期待があるからに過ぎないのですが……。

 私が船に興味を持ち、船舶免許を取ったのは、少年画報のような雑誌で、星を頼りにして大海原を航海する南洋の人々の記事を読んだことも、その由来の一つであったと思うのです。
 もちろん、だからと言って、帆柱一本の筏で太平洋に漕ぎ出すという冒険家然とした振る舞いにでる勇気はありませんから、順当な手立てとして船舶免許を取ったに過ぎないのですが、そのようなロマンが契機になっていたことは確かなことです。

 南洋へのロマンは、中島淳という作家がいたことで、さらに関心を強めていきます。
 彼の著作『南島譚』に描かれたことがらはもとより、彼が「南洋庁」(いい響きの日本語ですね!)に勤務していたことなども、私に夢を与えてくれたのです。
 
 日本がアメリカと戦争をしていなければ、日本は南洋の島々を委任統治し続けていたに違いない、そうであれば、サイパンも、パラオも、今以上に日本に近くあったに違いないと思うのです。
 
 それに、タヒチを終の住処としたポール・ゴーギャンがいます。
 あの鮮やかな色合いの絵を描いた画家です。
 私自身は、軽い色の水彩画、どちらかといえば印象派の絵が好きなのですが、絵画に興味を持つことになった契機としての遠く太平洋の孤島に夢を託したゴーギャンの影響も見逃せません。
 
 中島敦の友人で、彫刻をし、文章家であった土方久功なる人物を知ったのはごく最近のことです。
 日経の記事からでした。
 当然、彼の作品の一つも見てもいないのですが、記事によれば、世にでるのを嫌っていた人物であると言います。
 むしろ、名誉栄達を求めないことを生涯の目標にしていたような感じを受ける人物であったことが記事からは伺えました。
 そういう人が「南洋」を目指す、それもまた、私の関心を強く引くものでした。
 彼の日記こそが、中島敦の『南洋譚』の出典になったとなればなおのことです。

 生徒を連れて海外に行く時、その段取りを取ってくれた旅行会社に「地下さん」という方がいました。プライベートでもチケットの手配をしてくれたり、便宜を図ってくれた方です。

 彼を見るたびに思うのは、きっと彼の先祖は南洋の島から渡来してきたに違いないということでした。
 くっきりとした二重まぶた、黒い肌、団子鼻、それに笑った時の屈託のない表情、それが私をそう思わせたのです。
 
 私は、アメリカ人とフランス人、それにドイツ人の顔の違いをかなり高い確率で見分けることができます。それは、日本人と朝鮮人、中国人を見分けるのと同じで、その顔が持つ雰囲気から見分けるのです。
 しかし、アメリカで生まれ暮らしたドイツ人、日本で生まれた朝鮮人を判別することは大変難しく感じます。それは彼らがすでにアメリカ人であり、日本人であるからです。
 母国の持つ雰囲気より、その地での雰囲気がまさってしまっているからです。

 でも、遺伝子が持つ痕跡は、私のいう雰囲気をさっぱりと消し去るものではありません。
 ちょっとした契機で、遺伝子が持つその国の雰囲気が醸し出されるのです。
 
 私が南洋に興味関心を抱くのは、もしかしたら私の遺伝子にも幾分かの南洋の血が入っているのかなと思える時があります。
 しかし、私はどちらからというと、色白で、目は一重、顔は大きく、足は短くと、明らかに北方騎馬民族系の血筋であることは確かなようです。

 でも、よくよく考えて見ると、海流が流れ着くこの列島には、太古から、多くの人々が流れ着き、暮らし始めていたのですから、何千年という年月の中で、私たちの中に、いくつもの色々な血が流れていてもおかしくはないのです。
 
 そういう意味では、私たちはアジア太平洋地域の混血児であるのです。
 言い換えれば、私たちは偉大な雑種の血筋といってもいいのです。


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五月の風とはやり病

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昔の電話機をドアホーンに利用する我が家。何もおしゃれでしているわけでないのです。横着なのです。孫たちが遊びにきて、受話器を外したままにすると、室内の会話が、玄関口から外に漏れます。家の中のことが筒抜けになる電話なのです。


 私の3人の孫たちが、それぞれ初めての試練を乗り越えつつあるようなのです。

 新聞を見ますと、やはりと思える記事を見てとることができます。この時期になると、当然のごとく出てくる記事です。
 新しい生活を始めたあのフレッシュな感覚も若干色褪せ、そして、各種の祝いの行事も済んで、否応なく現実が個人の目の前に重たい帳を落としてくるのです。
 それを私たちは一般に「五月病」と呼んでいます。

 でも、これはフレッシュマンだけではないというのが最近の研究成果として取り上げられています。つまり、春先の季節の変わり目の気温の変化が身体に微妙な体調の変化を与えることが原因となって起こるものだということです。

 でも、人というのは現実を知ることで、少なからず衝撃を受けることは確かなようです。

 現実が理想とはかけ離れていることを、これでもかと思い知らされて生き延びてきた私などには無縁の「病」ですが、新人のように、理想に燃えて社会生活に入った人間には、先輩の怠惰な仕事ぶりや不平不満ばかりの愚痴に、理想が萎えて行くのを感じ取ったとき、それは起こるものです。

 確かに、気候の変化が肉体に与える影響はあるのでしょうが、目の前のありようが精神に与える影響は図り知れないものがあります。

 でも、人というのはそうした岐路に立った時こそ、物事を冷静に見つめることが大切なのです。確かに、現実世界には怠惰で、不満を口にすることを好む人というのがいます。
 それは実は、どこにでもあることなのです。
 もし、そこにばかり目がいくようであれば、その人にも、その傾向があるということです。

 そうではなくて、自分の周囲に、未来に向けて努力する人を見つけることができるか、変化に挑戦し、新しい時代を切り開こうとする人物がいることを見つけ出すことが肝要なのです。
 こうした人物もまた、必ずどの場にもいるものなのです。

 つまり、人というのは、ちょっとした気の持ちようで目に見えるものが異なってくるということです。
 あぁ、こんなのではダメだと思えば、それまでで、それ以上の向上も発展もなくなります。

 そうではなくて、これではよくない、だったら、自分がなんとかしてやろうという気持ちを持つのです。そうした気持ちは、つまり、自分の能力を高めていく志向は、可能性を引き寄せます。
 もっと、突っ込んで言えば、自分を高めていくことは、何かを成し遂げる力を手にすることであり、それがために、志を同じくする人との高いレベルでの人間関係を構築することにつながり、さらに、あるべき規範をそこに生み出すのです。

 あるべき規範とは、人生に意義を見出すということです。
 自然、そこからは自信が涌き出で、その自信を他の人にも与えることが可能になるのです。

 世の中に出て道を違わずに生きるには、まず、その点がきっかけとして極めて重要な一点になります。

 道を違えた人の例は挙げるのはたやすいことです。
 新聞を見れば、毎日のように、その例が出ています。人を騙して金を集めた女の話、権威ある職について自分を誤解して偉ぶった大臣たち、何を血迷ったか嘘で自分を固めた教育者の姿、枚挙にいとまがないとはこれらのことです。

 要するに、世の中に出て、留意しなくてはいけないのは、人を騙してはいけないということであり、権力に溺れてもいけないことであり、横柄に振舞い謙虚さを喪失してはいけないということなのです。
 
 『荀子』という書物に「先義而後利者栄、先利而後義者辱」という一文があります。

 「義を先にして利を後にする者は栄える」というのです。
 利益を優先する企業体でさえこの言葉を大切にしています。企業だから儲けるのが当たり前と考え、それにばかり執着すると栄えるどころが辱めを受けるというのです。

 ここで「義」というのは何かを考える必要があります。
 学校であれば、それは「生徒」であり、豆腐屋であれば、売り物の「豆腐」に他なりません。
 それをこそ大切にしていけばまず間違いはないというのです。

 近くに怠惰な先輩がいても、人を騙すことを勧める上司がいても、威張り腐った人物がいても、「義」をなくした者がいても、自分はそうではないと確固たる信があればいいのです。

 さて、私の3人の孫たちです。

 初孫は今年小学生になりました。
 昨年の夏前ですか、銀座のショールームまでランドセルを予約しに行き、やっとの思いで手に入れたそれを背負って、元気に小学生生活を送っているようです。
 給食が一番好きだというのですから大いに結構なことです。
 「友達をいじめていないか」と問いかけると、そんなバカなことしないよと言ってくれます。

 その弟は、幼稚園に入りました。
 内弁慶で、兄を兄とも思わずいばりちらしていますが、幼稚園では一人置いていかれて、泣きじゃくっているとのことでしたが、それは一日だけで、翌日からはクラスで一番の元気者、ひょうきん者の称号をいただいたということです。
 
 オーストラリアにいる孫は、ラインを使ってビデオで様子を見ることができますが、幼稚園ではすべて英語、家に戻れば日本語と多言語の生活を送っています。
 踊りはダンシング、嫌だと思えばノー、さよならの時はバーィです。

 はてさて、彼らには当分、「五月病」の心配はないようで、それはそれで安心というわけです。


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不審の目を気にすることもなく

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黄色を敷地の片隅に置くと縁起がいいと耳にしたことがあります。ナスタチウムのオレンジとイエローを東の端に置いて見ました。何か縁起のいいことでも起きましたら、ご報告いたします。それにしても、朝のうっすらとした日差しにこの色の映えることと言ったらありません。実に気持ちいいものです。



 いつだったか、ちょっと寒かった時期のことです。

 由緒ある神社が鎮座まします道筋を散歩していた時のことです。
 畑で一人作業をしているおばさんがいました。きっと、自宅で食する野菜の収穫をしているのでしょう。
 私はそのおばさんに、こんにちはと、声をかけました。

 誰彼なく挨拶をするのは、言うなれば、私が罹患している一種の職業病というものなのです。

 すると、そのおばさん、どこそこの誰々かと、きつい茨城訛りの言葉で私に言います。
 いや、ちょっと散歩している者ですと、私は返答します。

 そのおばさん、かがめていた腰を伸ばし、寒いなぁと語尾を下げて、私に言います。
 そして、白菜を持って行けと言って、自宅用に栽培しているであろう、食べごろになっている白菜を包丁で切り取り、外側の葉っぱをむしり取り、白くみずみずしい白菜を私に手渡すのです。

 いただいたまま、そのまま無愛想に去って行くのもなんだと思い、いろいろな野菜を植えていますねと私は声をかけました。

 そしたら、そこから、おばさんの聞いていて心地よい茨城訛りでの話が始まったのです。
 ご主人が脳卒中で倒れたこと、今は一人でと、ゴツゴツした指で差した大きな屋根の広い庭の家で、暮らしていること、子供たちはそれぞれ独立して滅多に来ないことなどを語ったのです。

 おばさんの話を聞きながら、きっと、この人は独りになって、人と会話することが少なくなっていたのではないかと私は思いました。
 こうして、会話をしていると、相手の目を見て話をしますし、そうすると、親近感とか、信頼感とか、境遇に対する共感みたいなものが生じてくるのは確かなことであると実感できます。
 
 このおばさんが散歩をしている知らない男から挨拶されて、近所の誰かと間違えて声を返して、それがきっかけで会話をすることになったのです。
 でも、そんなこと、私の子供時代には普通のことであったと思うのです。

 近所の床屋のおばさんは、客がいないときは店のソファーに座って、街で起こるちょっとした事件に目を凝らしています。それが、客との会話につながるからです。
 子供が道端で転べば、すぐに駆けつけます。
 知り合いが店の前を歩いていれば、出てきて天気の話や噂話に耽るのです。

 隣にあった駄菓子屋のおばさんも同じです。
 街を歩いていたり、垣根を刈っていたり、あるいは、公園のベンチで新聞を読むおじさんたちも、ちょっとしたことで子供たちに声をかけていました。
 時には、悪さをする子供たちを叱り、良いことをする子供たちを褒めていました。

 こうしたごく普通になされる、この手の会話がなくなったのはいつの頃からだったのだろうと思うのです。

 街で子供に声をかければ、ともすると、不審者扱いをされてしまうご時世です。
 電車内で、ちょっと大きな年齢になった子供たちの不届きな行いを注意をすると、改めるどころか、変な人というように嫌な顔をしてしまわれ、周りの人も見て見ぬ振りをする時代です。
 
 会社や学校では、余計なことを言わないこと、空気を読めと諭され、言葉に対して萎縮してしまう現象が見られるのもよくあることです。
 
 そんな面倒な世の中だから、人々は内向きになり、手のひらにスマホを持って、独り自分だけの世界に没入するのです。
 街角でこんな光景に出くわしました。

 若者たちが数人集まって話をしています。
 彼らの誰もがスマホを手にして、会話に興じていました。
 観察していると、スマホから会話の材料を取り出しているようです。お互いに見せ合い、微笑んでいます。
 なんだか、薄っぺらい会話のありようだと失礼ながら思ったのです。
 
 そして、仲間でありながら、一人一人が孤立感でいっぱいであると私はその様子を見て思ったりもしたのです。

 これが現代のありようであるなら、早急に改めないと人間的なあたたかい交流がこの世の中からなくなってしまうのではないかと心配になったのです。

 学校という場は、挨拶をとにかく大切にします。
 まだ未熟な子供たちを教育する学校では、挨拶ができない子供たちがたくさんいます。
 そういう子供は家庭でも挨拶がないのです。そんな子供たちに挨拶が日常的になされるようにする唯一の教育手段は、そこにいる教師が率先して挨拶をすることなのです。

 だから、職業病になっているのですが、少なくとも、道端ですれ違う人に、ささやかな挨拶をすることが私の責務であると思って、バカの一つ覚えのようにそれをしていこうと思うのです。

 素晴らしいことに、私の家の前を通学で行き交う子供たちは、高校生はともかく、小・中学生は地域の学校の教育が行き届いているのか、あるいは家庭のありようが素晴らしいのか、必ず挨拶をしてきます。

 あの日、私は、ひととき畑にいたおばさんと会話できたことを嬉しく思い、大きなみずみずしい白菜を抱えて家に戻ったのです。

 すれ違うパトカーの中にいた警察官の、裸の白菜を抱える私の姿への不審の目さえも気にすることもなく……。


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来るべき未来への備えを

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タイであったか、カンボジアであったか、かの地で休暇を過ごした際の記念品です。部屋の片隅に置かれ、たまに、目に入り、はてさて、どこでどうして買ったものかとしばし悩む飾り物なのです。



 取手で教師をしている時、上司に口うるさく言われたのは、20年後にくる少子化に備えて、学校を変革させなくてはいけないと言うことでした。
 15歳人口が減少する時になって、手を打っていては、学校はたちかなくなると言うことです。
 
 若き日、教師としての私は、このことのために邁進していたと言ってもいいくらいです。

 そのために学校が打ち出した手が、制服の変更、海外修学旅行に長期滞在型英語学習といった教育の国際化、そして、ITを使った教育実践、つまり、コンピューターを導入し、ネットを使った先端教育の実践でした。

 同時に、それらを支え、成功に導くための入学試験でのレベルアップです。
 それはつまり、合格者の偏差値アップ、いわゆる難関校への仲間入りをすると言う、できたばかりの学校としては、壮大な事業であり、それを達成してこそ、先に示した実践の数々が結実するものであると言うことです。

 簡単に合格者のレベルアップと言いますが、これがなかなかに大変なことなのです。

 公立の中学校間では、やはり、地域のトップレベルの公立高校に生徒をどれだけ入れるかが評価の目安みたいなものがあります。
 高校がどれだけ東大に生徒入れたかが、その高校のレベルの一つの目安になるようにです。

 新しくできた学校というのは、そうした流れの中では、まったく逆の立場にいる生徒を受け入れる場として機能するよう、公立の先生たちによって位置付けられるのです。
 しかし、私がいた学校は、末端の学校となることを良しとせずに、受け入れた生徒に可能な限りの学習を強烈にさせ、加えて、人間的な心得を教授し、社会人として後ろ指を指されることなく、反対に、後ろを振り返させるような人間になるように、これまた指導を強烈に行ってきたのです。

 そうした公立の先生の思惑の中で、入学時のレベルを上げますとやるのですから、当然、それではこれまで通り生徒を送れませんと、公立は国際政治のような対抗処置をとってくるのです。

 では、そうした仕打ちに対してどうしたかと言いますと、これまで通り公立の先生たちが受け取って欲しい生徒を受け取り、同時に、特待生クラスなるものを作り、そこに、勉強のできる生徒を少しづつ集めていき、3年後の実績を目指していくようにしたのです。
 いろいろ意地悪な批判も受けながら、20年後にも生き残る学校になるんだという気持ちが、そうした批判に耐えさせてくれたのだと思います。
 
 これまでの人間教育の成果は、生徒の立ち居振る舞いに次第に出てきました。それがなくて、成績ばかりを大切にする学校であれば、この試みは失敗していたかもしれないと思っています。
 そのおかげで、地域の評判は次第に良くなっていったのです。
 加えて、特待生クラスの成果は、数年後に出てきました。
 念願の東大合格者を出すことに成功したのです。

 こうなると、公立中学の先生方の姿勢は一変しました。
 先生たちというより、むしろ、保護者たちが変化したといったほうがいいでしょう。
 公立にやって、塾に行かせて、だらしない格好で街を歩かれるよりは、学校で特別課外をしてくれ、生活面でもうるさいくらいの指導をしてくれるから横道にそれる心配もない、海外での体験も、ネットを使っての先端教育もしてくれる、そして、東大に入学できるチャンスもあるのだからと進学先に選んでくれるようになったのです。

 こうなれば、地域のトップ校となるのは時間の問題です。
 つまり、学校が少子化の時代でも生き残り、地域の高等教育をハイレベルで担える学校としての責務を果たせる存在になったということなのです。

 少々、自賛めいた話になりましたが、何も、偉ぶってこういったことを縷々書いたわけではないのです。
 人口減少に突入した日本が今直面している問題を考える一つの手立てのヒントしてし欲しいからなのです。
 
 急転直下のごとく転回する国際社会の中で、日本の人口は21世紀の半ば過ぎには1億人を割り、働き手人口も5千万人を下回るのです。現在の人口は1億3千万人、働き手人口は8千万人ですから、その減少が何を意味するかを考えれば恐ろしいくらいです。

 50年後の困難に対処するために、今なすべきことは、経済成長力と国際競争力を維持するためのAIを使った効率的な作業及び経営のあり方であり、それを支える教育の高度化です。

 安易に外国から労働力を持ってくることは日本の歴史的背景から不幸な結果を招く要因が多いように思えます。
 ですから、AIを使った効率化で、人的資源の過少を補うのです。
 小売販売も、接客も、それまで人手に頼っていたものをすべてAIを介在させて行うのです。
 これは先進的な青年と自覚した企業によって着々と遂行されつつあります。

 そして、問題は教育の高度化です。
 現在、教育の無償化が議論されていますが、それはとてもいいことです。そして、無償化と合わせて、実務に適した教育、社会に出て役立つことを教える教育をすべきであると思います。
 綺麗事ではなく、世の中には失敗もあるということ、全財産を失うまさかの出来事があるということ、人間と人間との確執で争いがあるということ、そして、それらを避けて通るのではなく、精神的にも強く、それを克服していく力を養うという教育のあり方です。

 かつて、いま上位レベルで生き残った学校と同じように、精神的にタフな人間、勇気を持ってチャレンジし、うまくいかなかった人間さえもリスペクトし、再起を支援する制度を作る教育が高度化と言える教育であるということです。


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地面に伏せて 窓から離れて

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ドアーが開くたびに、心地よいメロデイーを奏でます。木工品であることもも木製のドアーにマッチしています。私の好きな「家具」の一つです。



 「地面に伏せて!」
 それをどう伝えたらいいかを真剣に考えた時がありました。

 それは、生徒をアメリカに連れて行った時のことです。
 バカなことと思われるかもしれませんし、大げさだと思われるかもしれません。
 でも、大切な他所様の子供をあずかって出かけて行くのです。
 万が一のことを考慮しておかなくてはなりません。

 この時、私たちは、バンクーバーからシアトルへ、陸路、アメリカへと入りました。
 日本人ならずとも、カナダ人以外の旅行者が、カナダからアメリカに入国するということはちょっと面倒なことのようで、随分と入国に時間を要したことを覚えています。

 そして、ニコリともしないアメリカの係官の腰につけている拳銃の大きさ、銀色に輝く銃の美しさにもびっくりしました。入国審査をパスして、アメリカに入ると、一挙に道路が広くなり、カナダとアメリカの違いを肌身に感じました。

 そして、銃の所持が認められているアメリカという土地で、何か不測の事態が発生した場合、いかに対処すべきかを、そして、生徒の安全を確保するにはどうしたらいいかを真剣に考えていたのです。

 銃での攻撃、あるいは、爆発から身を守るには、身を伏せるということが最初にすべきことであるということを知りました。
 しかし、それが命を守る唯一の方法でないことも読んだ書物には書かれていました。

 万が一にも、銃声が聞こえた時、あるいは、何らかの不測の事態が発生した時、生徒に恐怖を与えるのではなく、ほぼあり得ないことだけど、仮に、そんなことが身近で起きた時は、皆で地べたに伏せようと、生徒にしっかりと、しかし、笑みを浮かべながら伝えておいたのです。

 しかし、日本人が地べたに身を伏せるということは、かなり難しいことであることを私はわかっていました。
 生徒に言う以上、実際、それを私自身試していたからです。
 私たち日本人は、そのような事態が発生する環境下に暮らしていません。
 日々の暮らしの中で、身を守るために、衣服の汚れも気にせず、無様な格好で這いつくばることに慣れていないのです。

 ですから、竜巻がこっちに向かってくるのに、携帯のビデオを回し続けていられるのです。
 映画でよく見かけるあの危険を避ける行動として、地べたに伏せるということがそうそう容易にできないことに気がついていたのです。

 現在の日本でも、何か危険な状況が発生した時、おそらく、日本人の大多数が「伏せて」身を守るということができないのではないかと私は今も危惧しているのです。
 
 爆発音があっても、その場で立ち尽くしてしまう。
 どう行動したらいいのかわからないのです。そして、その音の発生した方角を凝視してしまうのです。
 それは、自分の命をあえて危険に晒すものであると言うことなのです。

 何か尋常ならざることが起きたら、有無も言わずに、その場に伏せ、じっとしているのです。
 爆風も銃弾も、その上を通過していきます。
 揮発性の人体に害を与えるガスもその上を通過していきます。
 たとえ、伏せることで誂えた衣服がダメになろうとも命は助かることができるのです。

 日本政府が、都道府県の危機管理責任者を招集したのは21日のことでした。
 北朝鮮のミサイルが着弾した場合の対処法を説明し、徹底したのです。

 <頑丈な建物や地下街に避難すること。>
 <物陰に身を隠し、地面に伏せて頭を守ること。>
 <屋内では窓から離れること。>

 これに対して、一部に、緊張感を誇張して伝えているとか、ありもしないことをあえて声高に述べて何か魂胆があるのではないかと勘ぐる声も聞こえてきます。

 しかし、私はこれこそ予測できる危険に対して、政府が取るべき最低限の対策であると思うのです。

 政府が担当者を集めた前日、アメリカ大統領がイタリアのジェンティローニ首相との共同記者会見の席上、「中国において、この2、3時間でいくつかの極めて異例な動きがあった」 と述べました。

 この「異例な動き」について、CNNは、中国空軍の巡航ミサイル搭載可能な爆撃機が高度な警戒態勢に入っていることを指していると報道しました。加えて、「異常な数の」戦闘機が集結し、整備点検作業に入ったことも伝えたのです。

 それに対して、環球時報は、中国国防部新聞局の言葉を極めて簡潔に伝えるだけでした。

 「上述报道不属实。中国军队在中朝边境保持着正常的战备和训练状态。」
   <報道は事実ではない。中国軍は国境付近で通常の配置と訓練状態を保持している。>

 では、アメリカと中国が言っていることのどちらを信じて、準備をするのかと問われれば、バカだとか、大げさだか言われようが、最も危険な情報に対応すると言うのが正解です。

 ですから、地面に伏せて、窓から離れて、身を守ることを真剣に受け止めなくてはいけないのです。


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未来投資会議

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左の酒は、大先輩の教師が叙勲を受けた時にいただいたお酒です。彼は自衛隊にいた方で、戦時中は爆撃機に乗っていた方です。私学にはそうした方が結構多く働いているのです。真ん中は、ボストンレッドソックスの本拠地フェン上・パークに行った時、買い求めたサイン入りボールです。そして、右側がカナダのビクトリアにあるジ・エンプレスのビールです。かれこれ20年は経っているかと思います。はてさて、飲めるのでしょうか。


 こんなことを考えているのです。

 亡くなったら、かかりつけの医者に死亡診断書を書いてもらいます。
 そして、つくば市役所で、私が死んだことで生ずるさまざまな手続きをしてもらいます。
 その中には、臓器提供のための医療施設での処置も含まれています。
 そして、母の葬儀の際に知り合った葬儀屋さんを介して、直葬をしてもらいます。
 直葬というのは、面倒な行事を省いて、即、荼毘にふすことです。
 この間、私の死は家族しか知り得ません。
 遺骨は散骨用に細かく砕いてもらい、後日、東京湾に撒いてもらうのです。

 その折、あらかじめ用意しておいた案内状を、親戚や友人、ご近所のお世話になった方に送り、船上パーティを開催して、楽しくやってもらうというのが、「その時」の私のプランなのです。
 
 戒名も、墓も、私はいらないのです。
 別に、信仰心がないわけではないのですが、子供や孫たちにあまり世話をかけたくはないだけなのです。

 で、そのプランが抱える問題点はというと、本当に家で死ぬることができるかという点であったのです。
 一旦、考えるとどうにも止まらない性分なので、あれこれと心配をしてしまいます。

 今、私の健康保険の裏には、亡くなった時、すべての役立てる臓器を提供する意思が示されています。
 こんな身体でも必要としている人がいれば、用立てて欲しいと思っているのです。
 ですから、病気か事故かはわかりませんが、自宅で亡くなり、その後、病院で処置をしてもらうようになんとか関係者に伝えておく必要があります。

 でも、これは、なんとかクリアできそうです。
 葬儀屋さんがその点は抜かりなくやってくれるということでした。
 その代わり、散骨の際の船上パーティーの一切合切を取り仕切るという条件です。

 葬儀屋というのは、お寺には強く言えないようですが、病院には要望を出せるということですから、私の希望の第一はまずクリアしたと思います。

 さて、最も心を悩ますのが、私の「最期の場所」です。

 何も準備をしていないと、きっと私は意識の不明なまま、病院に送られ、あれこれと管を刺され、治療の甲斐もなく、病院のベットで亡くなってしまいます。

 そうではなくて、私が亡くなる時は、つくばの自宅の、建て増しした際に、自分で設計した二階の東側に面した、ログハウス造りの部屋の、ロッキングチェアで揺られた状態で、死にたいと思っているのです。

 最期の時は、自分の好きなように逝きたいと思うのは誰しも思うことですが、なかなかそうもいかないのが現実です。
 私は、両親を見届けていてそう思いました。
 だから、私は自分の思うような方法で、逝きたいし、それを子供や孫たちに見せておきたいと思っているのです。

 しかし、果たして、その通りにことが運べるか、当然、不安はあり、心を悩まし続けていたのです。

 そんな折、日本政府の「未来投資会議」なる作業部会で、日本国首相が、来年度の診療報酬・介護報酬の同時改定を踏まえて、電子機器を使って遠隔地からデータを集めるオンライン診療を優遇する方針を打ち出しました。

 加えて、高齢化によって必要不可欠になった介護の現場に、センサーやロボットの導入を積極的に導入する仕組みを構築するというのです。

 老いた体は、自由がきかなくなります。
 看護師さんの世話になり、あれこれをしてもらわなくてはなりません。そのためには、どうしても、病院に入らなくてはならなくなります。
 でも、「未来投資会議」の内容を見ると、自宅でロボットが私の不自由になった体の世話を焼いてくれることが可能になる目星がついてきたような気がするのです。

 医者の診断によって、必要なセンサーを私は自分の体につけます。
 私の体から発生するデーターがかかりつけの病院に送られます。
 データーにより分析された情報は、私の世話を焼いてくれるロボットに送信されます。
 それ受けて、私のロボットは、私の世話を焼いてくれるのです。

 誰に気兼ねする必要もなく、機械あいてに私は末期の水まで飲ませてもらうことが可能なのです。(そう、ありたいという強い願望でもありますが……。)

 日本医師会も、政府のこうした未来の医療のあり方に前向きに考えているということです。
 とすれば、近い将来、私は私が考えている最期の時を、理想の形で迎えることができるということになります。
 
 そんなことを思いながら、私は「未来投資会議」の記事を舐めるように読んだのです。

 2年前、入院をして、人生で初めての手術をした際、治療費や個室代、そのほかの経費は馬鹿にならない額でしたが、加入していた保険で、お釣りが来るほどの金額をいただきました。
 おまけに、病気の内容から、その後の保険料の免除までついてきたのです。
 日本の保険制度の仕組みは大変素晴らしいものだと思いました。
 
 だから、最期の時にも、私の思いを遂げてくれるよう動いて欲しいと思っているのです。


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手掛かりにするもの

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会津には何度か足を運びました。その折、民芸品として、持って帰ってきたのがこれらの置物です。着物の切れ端を使ったのが始まりではないかと勝手に思っていますが、素朴で、壊れることもなく、部屋の片隅で自己主張をしっかりとしています。まるで、会津人のように。


 子供の頃、私には一つの楽しみがありました。
 それは、親が定期購入してくれている「画報」が我が家に届くことでした。

 いつも、確か白色の帽子をかぶったおばさんが届けてくれていました。
 そのおばさんが本屋さんなのか、それとも、「画報」を発行している会社の人なのかを今となっては確かめようもないのですが、私は帽子をかぶったそのおばさんが自転車のブレーキをかけて、家の前に停まるとドキドキしてたまらなかったことを覚えています。

 おばさんが届けてくれた「画報」には、素晴らしい絵と文章で、ピラミッドの秘密、イースター島の不思議、宇宙の成り立ちなどが示されていたのです。
 宇宙人の円盤の話、未来への空想、そして、人知を超越した時をめぐる話も書いてありました。
 「画報」に示された文章と絵画は、確かに、子供の私の興味関心を満足させてくれました。
 それは、私に何か<手掛かりになるもの>を示してくれていたのです。
 もしかしたら、私の原初の知性なるものを磨き上げてくれたのではないかとも考えています。

 時に、広場で友達と三角ベース野球をするよりも、ベーゴマで隣町のやんちゃと競うあうよリも、「画報」をみて、未知の世界に触れる方を圧倒的に好む時期があったのです。

 しばらくすると、「画報」から「岩波文庫」に、私が<手掛かりにするもの>は移っていきました。何の抵抗もなく、文字通り、自然なありようで移っていったのです。

 もう、そこに絵がなくても、文字だけで、私の頭は理解ができるようになっていたのです。
 そして、理解ばかりではなく、そこに思いを入れ、つまり、空想力を使って、イメージを浮かべることが可能なようになっていったのです。

 旅に出る時、文庫は必ずジーンズのお尻のポケットにしまわれていました。
 旅の最中に読むことがなくても、旅に出る前に、真剣に選んで、それはしまわれた文庫だったのです。
 時に、文庫の表紙や余白に、記録しておくべき事柄があればメモし、そしてまた、素晴らしい光景があれば、それをスケッチするのにも文庫は役立ったのです。

 文庫は「画報」の後に、ちょっと大人になった私の興味関心をつなぐ材となっていったのです。
 私の書架を見ますと、様々な種類の本が並んでいます。
 文庫もかなりの数、書架に収まっています。
 ところが、と私は気がつくのです。
 文庫ばかりではなく、本当いうものを買う機会が随分と減ったと……。

 私の<手掛かりにするもの>は、もはや、「画報」でもなく、文庫でもなく、そもそも、「本」というあの独特の匂いのするものではなくなっているのだと……。

 そのことを憂うる声を、私はいろいろなところで耳にします。
 知性と教養を鼓舞する雑誌が休刊もしくは廃刊に追い込まれている、そんな日本の未来はどうなるのかという悲劇的な声で危惧が囁かれているのです。
 また、若者たちの活字離れが進み、将来、漢字という文字はなくなるのではないかと極端な意見も耳にします。

 でも、私はそれらの危惧の言葉をあまり真剣には受け止めることはできないのです。

 それらの声は、例えば出版に関係する人の声であったり、物を書いてそれを生活の糧にする人の声であったりするからです。
 つまり、そこに「利害損得」があっての危惧だからです。

 私が「画報」に心ときめかしたように、今の子供たちは、両手に機器をもち、指で動作をして、情報を引き出し、いかにすれば新しい情報を見つけることができるかを模索しながら、興味関心、つまり、原初の知性を手に入れようとしているからです。

 私は、物を書き、絵を描くことが好きな人間です。
 ですから、今、それを思う存分にしているのです。
 そこには、これでお金を稼ごうとか、なんとかという賞を取ろうとか、そのような純粋で、無垢で、ひたむきな、そして、利を思う気持ちさえもないのです。

 子供が新しい機器を手にすることに、もっと言えば、「画報」や文庫、書籍を手にしなくてもなんの心配もしていないのです。
 むしろ、最新の機器を与えてやることに賛成をしているのです。

 <手掛かりにするもの>は、時代の変遷とともに当然変化するものです。

 私の親が、私に「画報」を買い与えてくれたのは、それが当時、最新の知性を養う道具だったからです。
 今の子供に、分厚い本を与えても、それは無用の長物になるだけです。
 今の子供たちは、手のひらに乗る小さい機器で、ちょっとした動作をすることで、最新の情報を得て、しかも、絵ばかりではなく、動画さえも、近い将来には香りや好悪を感触するなんらかの未知のサインを得ることのできる機器で、興味関心、知性を悟ることになるのだと思っています。

 ですから、当事者としての狭い了見で、未来の人間たちの知性を訝る意見には賛同はできないのです。

 冷酷なようですが、<手掛かりになるもの>としての本がその使命を終えるなら、それも人間の在り方だと思っているのです。
 本が、大英博物館に鎮座しているロゼッタ・ストーンのようになることはないにしても、<手掛かりとするもの>としての、一つの時代の役目を終えたとも考えることができるのです。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《6/28  Wednesday》

❣️<Puboo!>にて、『あけゆく空のごとく』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Paper in NY>で、『For the first time, I was facedown in the beach a wave brings near. Very comfortable.第一次,我变成了为波浪涌来的海滨为卧姿。非常心情舒畅』を公開しました。


⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスへの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

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