裏の世界で何かが動いている

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ロードバイクが好きな私に娘が買ってきてくれたものです。安価なものでしょうが、それを見つけて持ってきてくれる気持ちが嬉しいと思います。デスクのライトにかけています。


 007を演じたスターの一人が亡くなられたというニュースがありました。
 女にモテて、ユニークな武器を扱い、世界を股にして諜報活動をする、それが007です。

 さて、映画の世界はともかく、現実世界でも、もちろん派手に立ち回る007ではないですが、似たような動きがあるのではないかと感じるのです。
 
 CNNが報じるところによれば、アメリカ空軍の放射線を検知する機体を東シナ海で飛行させていたところ、中国軍の戦闘機2機がその進路を妨害したというのです。
 そして、あろうことか、この中国軍機は、45メートルの距離まで接近し、そのうち1機は米軍機の真上を背面飛行したというのですから驚きです。

 早速、中国も反応し、「米軍偵察機が5月17日、黄海上の中国の空域内で監視行為を実施」し、「中国軍用機は、法と規定に従い、その後の任務遂行はプロとしての規範にのっとったものであり安全であった」と弁明したのです。

  <プロとしての規範>などと妙な言い方をしたのは、先の報道で、アメリカ空軍のパイロットが、背面飛行するなどプロのパイロットのすることではないと述べていたからです。

 妙なところで「プロ意識」が出たものです。

 さて、米中の言い分のどちらを信じるかは、その人の考え方によりますが、私はやはり米軍の発表を信じるのです。
 なぜなら、自国の権益に異様な状態で執着する中国政府のありようが明らかに見て取れるからです。
 だから、かの国家の空軍の一パイロットが、国際関係の中で、異様な状態を創出する可能性は十分にあるからと思うのです。

 それから数日後のこと、今度はロイター通信がロス在住の30代の中国系の女性がアメリカ当局の手で逮捕されたという情報を伝えました。
 容疑は、軍事用の通信妨害機や宇宙空間での交信機器を不正輸出ということです。
 偽造パスポートも所持していたと言いますから、これは明らかに「007」ばりの諜報員であると言えます。

 そう言えば、不確かな情報ですが、中国国内で活動するアメリカの情報機関の諜報員たちが一網打尽にされたという報道もありました。
 つまり、多くが殺害され、幾人かが中国国外に脱出したというものです。

 きっと、私たちの知らない黄海上の空や、いわゆる<裏の世界>では何かが起きているのです。
 その最中、22日、中国外務省の華春瑩副報道局長は記者会見で「違法な活動に従事した疑いがある日本人6人を関係部門が法に基づいて取り調べしている」と発表しました。

 この6人が拘束された山東、および海南両省には、潜水艦や空母が拠点とする海軍基地があり、それらの情報を集めていたというのが拘束の理由となっています。

 千葉県船橋市にある地質調査会社「日本地下探査」は、社員は中国企業の要請で、地下の様子を探る専用の機器を日本から運んで、作業に従事していたと記者会見で述べました。
 つまり、中国企業の要請で、中国のために、専門知識を活用して、有益な活動を展開していたということです。

 中国当局は、それらのすべてを承知して、なおかつ、6名の日本人を拘束して、あの美人の外務省職員に怖い顔をさせて、日本政府に何らかのシグナルを送ったということになります。

 そういえば、いつだったか、旧日本軍が遺棄した化学兵器を処理するための下見に行っていた日本人業者が、軍事施設を撮影したという口実で拘束された事件を思い出します。

 ところが、これは尖閣で違法操業していた中国漁船が、取り締まりをする海保の巡視船に体当たりをし、船長を逮捕したことへの中国政府の対抗処置でありました。

 当時は、民主党政権でしたが、日本政府は超法規的にこの無法な船長を釈放したのです。
 それに応じた形で、中国も拘束していた業者を順次解放したのです。

 しかし、今回6人の拘束に対して、現在の日本政府は中国に対して積極的な動きを示していません。
 
 この事件が発生したのが3月だというのです。
 こうして公表されたのが5月末ですから、その間、何があったのかはよくわかりませんが、まさか、G7で、中国の悪口を言ったら、もっと多くの日本人を拘束するぞと脅しているのかもしれません。

 そのG7で、日本の首相は、それに屈せず、G7が共有する価値観と異なる国が中国であり、南シナ海と東シナ海で行なっている中国の行為は、北朝鮮の脅威に匹敵するくらいのものだと述べたことは極めて重要なことであると思います。

 あの時、民主党政権で違法行為を連発した船長を日本の法律で裁いていれば、現在の様相は異なっていたはずです。
 ですから、それを教訓に、日本はそうした、無法国家、価値観を異にする政府と対していかねばならないのです。

 幸いなことに、その後、中国当局者による日本人の拘束は起きていません。
 反対に、高官を派遣してきて、近々、日中の指導者の会談について調整がされています。
 隣国同士、意見を交わすことは大切なことです。

 しかし、私たちの知らない空の上や裏の世界で、今、きっと何かが起こっているのです。
 私には、そうとしか思えないのです。


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the War……静かにして、抑制した、しかし、勇気ある戦い

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向こうの田んぼには、綺麗に稲が植えられています。でも、こちらの田にはいまだに田植えはされていません。こうした田んぼがいくつもあるのです。田んぼを潰さないため、近い将来、この田んぼに稲を植えてくれる人が出て来るのを期待して、田んぼの維持のためにそうしているのかもしれません。これも、つくばの高齢化の見える化というやつかもしれません。


 書き間違いではありません。
 イギリスでは、<the War>、つまり、「あの戦争」と言えば、私たちがいうところの第一次大戦をいうのです。
 日本で、「あの戦争」と言えば、太平洋戦争をおおむねさします。
 日露戦争や日中戦争をさすことはまずないと思います。

 つまり、この言い方には、「あの戦争」が、それほどまでに印象深い、民族的記憶に強くとどまることを意味しているのです。

 イギリスにとって、<the War>は、社会に深刻な影響を与えました。
 イギリスは伝統的に、ノブレスオブリージュの考えがあります。
 つまり、教育を受けた、また、高貴な家柄にあるものが、率先して、危険な場で、先頭に立つというあり方です。
 そのため、オックスフォード・ケンブリッジをでた優秀な若者が率先して、<the War>の戦いに出ていったのです。
 これにより、イギリスは優秀な人材をことごとく失うことになったと言うのです。
 
 また、歴史が示すように、当時、世界一の経済力、軍事力を持ち、世界覇権の雄であったイギリスが、<the War>でその力を失って行くのです。

 大英帝国没落の始まりを、彼らは<the War>であるとして語るのです。

 その<the War>に、日本から12隻の駆逐艦が派遣されていたことが、今回、安倍首相がマルタを訪問したことで脚光をあびることになりました。

 当時、日本とイギリスは「日英同盟」なる条約を結んでいました。
 12隻の駆逐艦の派遣は、イギリスからの要請で、地中海に潜む敵対国ドイツの潜水艦から連合国の商船を守るためのものであったのです。
 いうなれば、ヨーロッパの連合国のシーレーンを守るための危険この上ない任務に就くためであったのです。
 1917年に駆逐艦「榊」は、ドイツ潜水艦の魚雷を受けて、おおよそ60名の海軍兵士が犠牲になりました。
 マルタには、その60余命の英霊が祀られているのです。

 あれからちょうど100年目の年、安倍首相はこれまでなされなかった初めての首相訪問を実現させ、献花をされました。
 その意義には、計り知れない大きいものがあります。

 歴史小説家の阿川弘之さんが、この12隻の駆逐艦隊のことをこう綴っています。

 「出て行く駆逐艦があれば、入つて来る駆逐艦があり、マルセイユからアレキサンドリアまで、知らぬ港は無くなつたといいふくらゐの、多忙な、緊迫した洋上の毎日」であった、と。

 おおむね、第一次大戦において、日本が果たした役割というものにはさほど評価がされていないというのが現状です。
 そればかりではなく、反対に、青島を爆撃し、ドイツからそこを奪い取ったと言われるくらいで、いうならば、ヨーロッパが大変な時に、日本は火事場泥棒みたいなことをしたと言われているのです。

 しかし、マルタを訪問した首相のおかげで、地中海で連合国の商船と多くの人命を守り通した日本海軍の活躍に注目が集まることは大切なことです。
 海洋国家日本の面目躍如たるものがここにはあります。

 今、尖閣で、海上保安庁の船が、あるいは、太平洋に出る海峡のそれぞれで海上自衛隊の船が、日本の領海・権益を守るために、定められた活動を行なっています。
 私は、マルタの12隻の駆逐艦とこれら海保・海自の船がだぶって見えるのです。

 相手はドイツ潜水艦ではなく、中国の海警局や中国海軍の船です。
 場所は、地中海ではなく、シナ海ですが、それでも、シーレーンを守るという活動はまったく同じです。
 守るということは、自分のものとするというのではありません。
 日本や、台湾、フイリピン、ベトナム、タイ、インドネシアなどの自由主義陣営の船が自由に航行できる航路を確保するということです。

 5月28日、中国外務省の陸慷報道局長が談話を出しました。

 G7が、日本の首相の強い要望で、中国を念頭に置いた二つのシナ海の情勢に懸念を表明する共同宣言を採択したことに対し、国際法を口実にしたあら探しに強烈な不満を表明する、というものです。

 私たちは、この「国際法」を口実にして、一国の行き過ぎを整え、平和と安定を構築しようとしてるのです。
 不満を言うのではなく、それに従わなくてはいけないのですが、どうも、中国という国は、価値観が異なるようで、その辺の理解ができないようなのです。

 挙句に、中国は当事国との直接協議で問題解決を目指していると主張し、G7や域外国は無責任な発言をやめ、地域の平和安定に建設的な役割を果たしてほしい、とも述べました。

 直接協議なるものは、大国が経済的・軍事的圧力を加えて交渉することを意味し、それゆえ、力を持つ地域外の国は口出しするな、と言う究極の保護主義的あり方であり、その中国が保護主義反対というのは滑稽としか、私には思えないのです。

 首相のマルタ訪問を機に、近代日本が海洋国家として行なってきたシーレーン防衛の歴史を再度見つめ直し、そして、現在進行している海保及び海自の静かにして、抑制した、しかし、勇気ある戦いに注目していかなくてはいけないと思っているのです。


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定年は羨ましい⁉︎

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休耕地に植えられる植物には、芝桜などがこの辺りでは一般的ですが、これは珍しく赤のポピーでした。これだけのポピーが花を一斉に咲かせると見事ですが、本来は麦などが植えられていたところです。農業の担い手がいなくなってきているのです。そう考えると、今頃、麦秋と呼ばれ、黄金の麦穂が風になびいていたのが懐かしく思えます。


 何かの折に、「職業」なるものを問われる時があります。
 そういう時、相手にもうリタイヤしていますと言ったり、書類であれば、定年退職と意味不明の「職業」を欄に書き込むのです。
 なぜ、「無職」とすることができないのだろうと思いながらも、しばらくの間、そういう自分がいたのです。

 でも、最近は少々異なっているのです。
 さすがに、「作家」とかは書けません。
 たとえ、ネット上で文章を公表していても、「作家」という言葉には、周りがそれを認証しなくては語ってはいけないという言葉であるとの不文律があると自分で勝手に思っているからです。
 ですから、時と場合によって、「自由業」とか、「文筆業」と書くのです。
 これなら、自分でそう思って、自称するのですから、誰彼から後ろ指を指されまいと、これも勝手に思っているしだいなのです。

 私はこの方の本を読んだことはないですが、高橋秀実さんという私より10歳ほど若い「ノンフィクション作家」が、新聞に『定年は羨ましい』という一文を載せていたのを読んで、考えるところがありました。

 それは、当たり前のことなのですが、世の中には定年という決まりのない社会があるんだということです。

 職人であれば身につけた技術を、体が動かなくなるまで使って働くことができますし、高橋さんのように文章を綴っていれば、当然、定年などないわけです。
 しかし、公務員や会社員には定年があります。
 
 高橋さんは、定年は明確な区切りであり、区切りがなければ人生は物語にならないと綴っていました。
 この一文に、私ははたと気がつかされたのです。

 私たちは、いうならば、人生の多くの時を費やした「社会」、人と人との関係の中で、あるいは、社会に参画する意欲や仕事への責任感を持って、この「社会」で修行して来た人であるに違いない、ということなのです。

 修行とは、人間がおよそ体験するさまざまなことを、換言すれば、己の人生の総体をもって、己の向上のために尽くして来たということです。

 だから、定年のある私たちは、ある種、次のレベルの段階へと送られて来た人たちなのだと、そうとも言えるということです。
 そして、そこにこそ、「物語」があるのではないかと思ったのです。
 もちろん、指をくわえているだけでは「物語」は始まりません。
 
 行動を起こさなくては何事も始まらないということを、「前世」で確かに学んで来たはずです。
 だから、悠長に構えることなく、修行の成果を何らかの形で示すことによって、「物語」を創出しなくてはいけないのです。

 人それぞれ「前世」でのあり方が異なっていたように、次の段階でも、そのありようは異なるはずです。
 ある人は、仕事の合間に密かに行っていた趣味をライフワークにするでしょう。
 またある人は、できなかった勉強のために、大学に再入学するでしょう。
 そして、またある人は、「旅」に全霊を傾けるでしょう。

 それこそが、「定年」というしきたりのある「社会」で多くの年月を過ごして来た人たちの次の段階で行うべきことなのです。

 この「段階」では、人が人を圧迫することもありませんし、目に見えない心を束縛する得体の知れない強迫感も、あるいは、自分に課せられた役職を演じる愚かな姿もないのです。
 多少のこまごまとしたやっかいな出来事はありますが、自分の自由に、好き勝手に、「何か偉大なこと」をしていくことのできる機会が、この「段階」にはあるのです。

 高橋さんの文章には、嫌味もなく、自己礼賛もなく、日本独自のスタイルである「定年」を好意的に捉えている姿が見て取れました。
 そして、勇気を与えてくれたのです。

 定年のない高橋さんは、その文章の中で次のようにも綴っています。

 『終わりが定まっているから仕事になる。一般的に死が終わりとされるが、死はいつになるのかよくわからず、近づいたり遠のいたりして、その日の気分に左右されてしまう。』

 さすが、ノンフィクション作家として、彼が周囲から認知されているだけはあります。
 これこそ、卓見であると思うのです。

 明確なけじめとしての定年をしっかりと捉え、そこからきちんと仕事をしていく。仕事という言葉に語弊があるなら、好きなことをしていくのです。
 なんだか、意欲のわいてくる言葉であると私は思ったのです。

 修行を終えて、私は今、文章を綴っています。
 さほど多くはありませんが、それでも、読んでくれる人がいます。
 ありがたいことです。
 そう思って、今朝も、机に向かっているのです。


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お金は必要?

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早朝の濃い一杯のコーヒーは目を覚まさせてくれます。ひと段落した10時のお茶には香り高いアールグレイがさらにやる気を起こしてくれます。しかし、この時期には、庭先に咲くカモミールに、ミントを加えたフレッシュ・ティを飲むことができます。


 老後資金はこれくらいは必要とか、押し入れ貯金が何兆円あるとか、そんな出来事や、あるいは、財産分与などという単語には縁の薄い私です。

 しかし、最近、小銭を持たないことをがこれほど楽だと知ってしまったのです。

 遅いよ、もうとっくにそんなことは知っているよと笑われる方もいるかと思います。
 が、実は、長い間、お釣りにもらった小銭を書斎に置いてある笠間焼のツボに、その都度に放り込んでいたのを、ここ数年、少しづつポケットに入れては、ホームセンターなどで何百何十何円まできちんと払い込んでいたのです。

 ポケットに硬貨を入れると結構な重さとかさばり具合になります。
 それでも、一円玉などで払うと店によっては喜んでもらえたり、時には、迷惑そうな顔、多分これは私の支払いがのろまであることからうかがえる表情で、私が勝手に思っていることなのですが、ともかく、店にとってはありがたいことであると言います。

 その笠間焼のツボに入っていた小さな額のコインも大方使い果たし、500円玉や100円玉のような光るコインは別にしているんです。
 これが結構な額になっているんです。
 ですから、何か大きなものを買う時にでも活用しようと、この歳になって貯金箱を買ってそこにしまい込んでいるのです。

 さて、出かけた際にちょっとアイスクリームでも食べようと、コンビニに入るときがあります。
 コンビニの店員さんが私の財布に入っている数少ないカードの中から、つくばエクスプレスに乗る時に使う「パスモ」という名のカードを見つけて、それを使えばお釣りの面倒が無くなりますよと言ってくれました。

 なるほど、電車に乗るばかりではなく、こういう時にも使えるんだと、今更のように思い、その店で5000円ほどを入金したのです。

 150円ほどのアイスクルームを買うのに、5000円も支払ったという、ちょっとしたショックを心に抱きながらも、それが便利で、電車に乗らない時も、そのカードを持ち歩く状態に、今、私はなっているのです。

 考えてみれば、駅で飲料水を買う時も、このカードで買えば訳無いわけです。
 そんな当たり前のことも知らない自分に、いかに世の中の流れとかけ離れた生活をしていたのかと思うと同時に、「お金」は数字としてあるけれど、実体としての紙幣とか硬貨がなくなる時代がきっと来るなと思った次第なのです。

 ヨーロッパやオーストラリアのコインと比べると、日本のコインは随分と貧弱なものです。しかし、紙幣はたいそう立派です。
 オーストラリアなどプラスチックでできていますから、どうしての安っぽく見えてしまいます。

 韓国などの紙幣は立派ですが、数字ばかり大きくても、日本円に換算すると大したことはなく、がっかりとすることもあります。

 そんな紙幣やコインがなくなるのです。
 
 きっと、脱税やキセルなど、犯罪に関係する行為はなくなるはずです。
 今時は、電車に乗っていても、車掌さんが切符改めに来ることもなくなりました。
 鉄道会社を悩ませていたキセルも、カードのおかげで随分とその手の犯罪行為が減ったのではないだろうかと思っているのです。
 税金を納めないでずるをしようとする人も、目の前に「万札の束」があるから、これだけのお金を税金として出すくらいなら、何とかして隠しておけないかと、人は誘惑にかられるのです。
 だから、紙幣やコインがなくなれば、そこには数字だけとなりますから、少なくとも、目での誘惑からくる脱税という犯罪は、キセルと同じようになくなるのではないかと思うのです。

 そうなれば、社会にも良い影響が出て来るはずです。
 経済的弱者や海外から旅行に来てくれて外国人にも、現金決済以外の手段を政府が責任持って行い、わずかに少額のコインだけは残しておいて、社会を運用していくのです。

 現金が使えなくなるとなれば、押し入れに隠し持っていたちょっとした額の紙幣や硬貨は、意味がなくなるのです。
 黒田総裁が最後の切り札で出したマイナス金利もきっと実効を伴って成果を上げるに違いありません。

 我が国の人口の多くを占めるシルバー世代が、これに協力していけば、きっと日本は画期的な経済システムを手にすることができるのです。

 何を夢見たいな、ロクでもないことを考え、綴っているのか、読む方にとっては時間の無駄であるとお叱りを受けるかと思いますが、でも、よく考えていただきたいのです。
 現金がなくなるということは、すでに、始まっているのです。
 だったら、思い切って、一気呵成に、新しい時代に入って言ったらどうだろうかと思うのです。
 
 お金という便利な道具を作ったのも人間なら、それを無くすのも人間であるということです。
 
 きっと、私などは、机の引き出しに、そっと、現行の紙幣やコインを一枚一個づつしまい込むはずです。
 いつの日か、これらが人類最後の紙幣とコインという価値を持って来るに違いないという幾分黒みがかった腹を見せながら。


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「正」義の「夢」

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この写真を撮ったのは10日前のことです。昨日、雨の中これがある界隈を歩きましたが、この状態で今もあります。さて、これは一体どうやって、穂を広げるのでしょうか。興味を持って見ているところです。



 <花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに>
 と、詠んだのは小野小町女史であります。
 私が暮らすつくばの街の近くには、その小町女史の墓という伝承の地があります。

 言い伝えによりますと、小町女史が都から奥州に旅し、その折、病に倒れ、この地で果てたと言われているのです。
 しかも、69歳で亡くなられたと伝えられています。

 平安の昔、69歳といえば、かなりのお歳であったに違いありませんが、何故、不自由のない都から奥州くんだりまで旅をしなくてはならなかったのだろうかと不思議に思っているのです。

 まさか、女性としての美貌に翳りを見せたことを悟った女史は、いたずらに都で歳を重ねるよりは、この世の極楽があると言われる奥州の平泉を目指したのではなかろうか、とも思ったりするのです。
 まさか、極楽の地で、若返ろうとしたわけではないでしょうが、己の心を安からにして、あの世に行きたいと思ってのことではないかと、推測をしているのです。

 そんな「夢」のようなお話なら、平安のロマンがあって素晴らしいことではないかと改めて小町女史の旅を評価する気になるのです。

 それに比べ、現代の、それも、世の中を動かすことができる力を持った人の「夢」はまったくいただけません。

 アメリカ大統領が抱いている夢は、まさに、独りよがりで、配慮のかけらもない、もっといえば、利欲に占有された『欲夢』ではないかと思っているのです。

 己の利益をのみ優先するがゆえに、あちらにも、こちらにも時にいい顔をして、含み笑いをし、握手した相手の手の甲を撫でまわすのです。
 その時々の利益のために、彼は平気でそれを行うのです。
 そのうち、あちらの方も、こちらの方も、彼から手の甲を撫でられるのを待つようになってしまうのです。

 彼の『欲夢』には、巧みな人心誘導術が隠されているのではないかと疑っているのです。

 『迷夢』なるものを見ている御仁もいます。
 日本人の血をも持つアメリカ太平洋軍司令官は、北朝鮮の委員長に対して、彼を屈服させるのではなく、考えを変えさせるべきであるという壮大な構想を持っています。
 司令官は、あの委員長が抱いているのはまさに『迷夢』であると断言しています。
 『迷夢』を抱く御仁を屈服させるのは容易ではありません。ですから、この司令官の言うことはまんざらでもないのです。

 核弾頭と弾道ミサイルと手にした気まぐれで独占欲が強い指導者が抱いているのがまさに『迷夢』であるのです。
 その『迷夢』に、中国も、ロシアも、国連さえも、手の下しようがないのです。
 
 しかし、忘れてはなりません。
 この言葉を放ったのは、最大の軍事力を手にする軍の司令官であるということを。
 軍は、『迷夢』を打破する特効薬である『快夢』なるものを使うことができるのです。
 きっと、そのためのさまざまな作戦を作り上げているに違いありません。

 ただ、心配なのは、その命令を下すのが『欲夢』を持つ御仁であるということです。

 人は、『悪夢』にうなされ、『吉夢』を喜び、『夢占』を信じ、『夢幻』の人生を歩んでいきます。
 <人間五十年、ゆめまぼろしのごとく>と謳い舞ったのは、これまた『夢幻』を地でいった稀代の戦略家であり、人間的な魅力に満ちた男でありました。

 その偉業を継いだのは、己の才覚のみでのし上がり、何事も『夢中』になって働いてきた御仁でありました。
 彼もまた、果てしない夢の世界に埋没し、悲しいかな権力欲にとりつかれて、果てしない『夢路』を彷徨うようになるのです。

 この国の戦いの時代を終わらせた御仁は、二代の夢を現実にした『夢の現人』でした。
 なんと260有余年にわたる太平の時代を築いたのです。

 人は、時に、夢の世界をさまよい、夢祭を楽しみ、白昼夢にうなされ、そして、夢から未来を知らされます。
 時の権力を握る人々の『欲夢』や『迷夢』で、世界が混乱に陥っては困るのです。
 そうした邪な夢を断ち切る『正夢』、これは<正義の夢>でなくてはなりません。

 せいぜい、全世界の私たち、時には考え方の違いからぶつかることもありますが、願っていることは同じものを持つ私たちが、この『正義の夢』を見ていかなくてはいけないのです。


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今よりもっと上へー<Getting Better>

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我が家で最初に花を咲かせるのが黄色のモッコウバラ、そして、次が、この赤いバラです。そのあと、白いバラが数多く先、最後に、小さな花をこれでもかとつけるバラが咲くのです。でも、このバラ、今年初めて蕾をつけたばかり、一体、どんな花なのか楽しみにしているのです。


 「若い時」というものは、常に、「今より上へ」という強い気持ちが作用するものです。

 どんなに辛いことがあっても、どんなに嫌なことがあっても、自分はこのままではいない、きっと、こんな「今」から抜け出して、素晴らしい未来を手にするんだと、私自身も「若い時」にそう思って、そして、それを曲がりなりにも果たしてきました。

 <Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band>というLPの A面の4局目に、<Getting Better>という曲があります。
 当時、私は歌詞などろくに聞き取りもせず、きっと良くなるから頑張るんだと自分を鼓舞してくれるこの曲に随分と励まされていたことを思い出します。
 
 あの頃は、若い世代が、国の発展と機をいつにして、伸びて行くという目に見える形で捉えられる時代であったのだ思います。

 綺麗な姿の東京タワーが都心にそびえ立ち、都電は廃止され、高速道路と地下鉄の建設のため、東京はあちらこちらで道や川が掘り返され始めました。
 その工事現場では、東北訛りの農作業で鍛え上げた屈強な男たちが働いていました。
 学生も、親の世話にならずに、アルバイトで学費を稼ぐことができました。中には、学生よりそれが本業になってしまった若者がいました。
 大学は中退したけれど、自分の才覚で世の中を渡って行ったのです。
 
 やがて、新幹線が走り、世界中から人々が日本にやってくるようになり、いつの日か、日本人も世界の隅々に出かけて行くのだと思っていました。

 ニクソン大統領が日本を飛び越えて北京の空港に降り立った時、世界中が驚きました。
 一番驚いたのは日本です。
 政府はアメリカの頭ごなしの突拍子もない外交に混乱をしましたが、田中角栄首相は間髪を容れず周恩来、毛沢東と会談し、あの北京の空港に日の丸がはためいたのです。
 共産中国とか、中共とか、幾分拒否反応をにじませていた国名が、この時から、新中国とか人民中国と好意的な意味合いを込めた呼び名に変わっていきました。

 若者の間で、中国に対する意識が急激に変化していきました。
 かくいう私も、それから数年後、香港から歩いて国境を渡り、「新中国」へと渡ったのです。
 何事も成らないことはないのだと、このことはあの時代の「若い世代」に強烈な印象を与えた出来事でもあったのです。

 ダイナミズムに満ち溢れていた時代、ちょっと頑張れば頭角を現すことができた時代、学力格差は別の手で補い、新たな道を見つけることできた時代、経済格差など問題にすることさえなかった時代が、そこにあったのです。

 それは言葉を裏返せば、人々の活気が次の時代を作り上げるという確信、努力は形となって出てくる、目に見える時代であり、何事も自己責任で人生を構築する気概にあふれていたともいえるのです。

 今の若者たちは、それを上の世代の「郷愁」と一蹴するかもしれません。

 でも、確かに、<Getting Better>を感じることのできる時代があったのです。
 それは、今の時代にまったくの無意味であると言えないのです。
 なんでもかんでも国の世話になるのではなく、あの時の「若者」たちは、自分の力を信じて<Getting Better>を果たして行ったのですから。

 紆余曲折の結果、私は二十代の後半に教師になりました。
 その後、しばらくして、<Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band>の<Getting Better>の歌詞の意味を理解して、じっくりと聞くことになります。

 それは、私が私の上の世代の教師とは違う存在になるきっかけを与えてくれたのです。

 The teaches who taught me weren’t cool.
You’re holding me down, turning me round.
Filling me up with your rules.

 難しい、そして、迫ってくる歌詞です。
 先生は生徒を抑え続ける人、生徒を混乱させ、規則でがんじがらめにする人。

 私は、そんな教師と思われてはいけない、生徒を自由に、のびのびと暮らせる環境を作り出せる先生にならなくてはと。
 しかし、体制の中でそれを行うのにはかなりの努力が必要でした。

 楽に教師をするには、先の代の方々の言うとおりにするのが一番ですが、それでは、自分の思っている教師、生徒のためにならないと考えさせてくれたのがこの歌詞でした。

 今以上にもっといいものを、と言う時代があったからこそ、教師としてのあり方にも一味付け加えることができたのだと思っているのです。

 ですから、今も、自分を限ることなく、今よりもっといいものを作り出そうとしているのです
 未来の世代に、それを見せておきたい、そう言う気持ちでいるのです。


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ある種の「隔世遺伝」

yasasioimlawbnmf,
初めて、ズッキーニの苗を植えました。こんな花が咲きました。その後ろにはあの見慣れたズッキーニの赤ちゃんがあるではないですか。プロのシェフは、この花も食べられるといいますが、はて、料理のできない私には鑑賞だけで満足というわけです。


 それは、暑いさなかのことでした。
 5月の末にも関わらず、気温が30度を超える暑さです。
 私は、朝早く、娘が暮らす街へ車を飛ばしました。
 今日は、小学生になった最初の孫の初めての運動会なのです。

 一年生の孫が出る種目はさほど多くありません。
 昨年のように、こじんまりとした園庭での運動会ではありません。
 孫がどこにいるのかも、何をするのかも、一向にわかりません。
 第一、孫はすでに登校していて、今日は会ってもいないのです。

 娘の暮らす街では、日本全国を覆う「少子化」など関係ないように、人口が増加しています。
 東京に近い、教育にも熱心、生活もしやすい街とくれば、人が集まります。それも、幼子を持つ若い世代です。

 私は、娘が用意してくれたキャンピングチェアに腰掛けて、運動会の進展を見守ります。
 
 運動会も随分と様相が異なって来ています。
 校庭には、簡易テントの花が無数に開いています。
 昔のように、炎天下であっても、ロープの張られた箇所に、敷物を敷いて応援をするのではなく、応援をするときは近くまで行って、カメラやビデオを撮るのです。
 ですから、私が腰掛けているところから見えるのは、ビデオを手にした若いお父さんの後ろ姿だけなのです。

 (私の勤めていた学校も今はそうなっているのだろうか?)という気持ちがよぎりました。

 その娘たちも、お弁当を食べるために、テントを用意していました。
 校庭を囲うように植えられている樹木の下です。暑いことは暑いのですが、心地よい5月の風が時折そよそよと吹いてきます。

 その心地よい風の中で、ある種の感慨が眠気とともに私を襲ってきました。

 そう、それは私がまだ若かった頃でした。
 私の娘の小学校入学を良い機会に、このつくばに転居してきた時のことです。
 私の亡くなった父と母が、孫の運動会のために、大きなビデオを担いでやってきてくれたのです。
 娘はおじいちゃんが大好きで、いつも一緒でしたから、学校では娘の父親はちょっと歳がいった頭のハゲている人で、何かあればいつもビデオを手にやってくる人というのが、先生たちにも、娘の友人たちにも行き渡っていたのです。
 
 父は、こまめに動き回り、娘を見つけてはビデオを撮っていました。
 それも、入ってはいけないところに入ってビデオを回し、誰も、注意しないことをいいことに、来賓席に座って一番前から娘のことをビデオで撮っているのです。

 そんなことが思い浮かんできて、私はあの時も、今も、父のようには動けない男だとつくづく思ったのです。
 今日も、カメラも、ビデオも持参してきていません。
 ただ、木陰に腰を下ろして、風を感じながら、そして、歓声を聞きながら、若い父親たちの後ろ姿を見ているだけです。

 しかし、娘の亭主は、父と同様、カメラとビデオを二つもち、こまめに動き回っています。
 ある種の「隔世遺伝」というのが、世代間であるとするならば、これに関しては明らかにあると私は断言せざるを得ません。

 いや、そうではなくて、私が学校行事への参加で行動が鈍るのは、きっと、教師をしていたせいもあるのかもしれない、と私は考えを回らせもするのです。

 あの時、教師であった私は、きっと、少なからずの処理すべき問題を抱えていたはずです。 
 学校は確かに開校当初の混乱を脱し、落ち着きを取り戻していましたが、それでも、学校という場所がら、少なからず問題を抱えて、それを解決する責任を持たされていたのです。
 いや、辞するまでそれは私を取り囲んでいたように思うのです。
 
 だから、心理的にも、精神的にも、そして、肉体的にも、勤務する学校から離れた私は、きっと、「放心」に近い心境であったのはないかと思っているのです。

 今は、仕事が原因である「放心状態」は抱えるはずはないのに、それでも、何もできないというのは、怠慢な性分があるのか、それとも、体が動かなくなるくらいに歳をとったしまったのかと思いをいたすのです。
 その両方とも確かにあることだと思うと納得すると同時に、時折、生徒のために活動する先生方の熱心な動きが目に入ってきます。

 あの暑い中、走り回っています。
 小学生ですから、言うことを聞けない子もいます。迷子になる子もいます。やたらと校庭の砂を足でかきあげている子を優しく止める先生もいました。
 誰一人として、大きな声をあげて、生徒を威嚇する先生はいません。

 あれが、自分だったのだと私は思ったのです。
 だから、こうしてグランウンドの外に出た時には、私は一人の傍観者になったのだと納得したのです。
 懸命に子供の安全を図り、活動を遂行していく責務から離れた時に、私は、ホッとして、子供たちの姿に目を向けることができたのです。
 
 さて、孫が昼食のために戻って来ました。
 すかさず、膝の上に乗って来ます。抱きかかえ、逆さにし、横にしてやり、あれこれと遊んでやるのです。

 それが、職を離れた私のやるべきことであるかのように。


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難しいことをわかるように話す

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暖炉の上にある漆喰できた壁にパソコンの上に置かれた笠間の網代米が写っています。春先から初夏、朝日がちょうどいい具合に差し込む絶景なのです。


 子供の頃のことです。
 国会は、自民党と社会党が大きな勢力を保っていました。
 しかし、拮抗するというのではなく、一方は万年与党であり続け、他方は万年野党であり続けたのです。

 自民党は、政策を実行する力を有する現実的な党であり、それがために、政治に伴いがちな汚職などの良からぬ振る舞いも時にあったりしました。
 他方、社会党は、どちらかというと中途半端な理想を掲げ、一方が支配階級の党であるならば、こちらは被支配階級の党であると、与党に対してあらゆる反対策を講じてきたのです。

 選挙にあっては、常勝自民党であり、負けているばかりの社会党を応援したくなる判官贔屓みたいなものを感じる始末でしたが、いかんせん、選挙権がないのでどうしようもありません。

 自民党は、与党であり、国政を担う党ではありますが、党の中には「派閥」なるものがあり、親分が手下を集めて、金を配り、一党を形成していたのです。
 つまり、党内にはさまざまな考えを持つグループがあり、ともすると、党内に敵味方が混在しているという集まりでありました。

 田中角栄率いる派閥と福田赳夫率いる派閥が首相の座を争った時は、「角福戦争」などと新聞は囃し立てました。
 選挙での大敗北から大平内閣が成立するまでの「四十日抗争」では、バリケードを挟んで大演説をぶつ一匹オオカミ的な浜田議員も出て、ともかく、愉快な政党でした。
 
 その愉快な党の中でも、角栄や一匹オオカミ的な浜田議員に特に人気が出るのは、難しい話をわかりやすく、面白おかしく語りかけてくれたということに尽きるのではないかと思います。

 ことの是非はともかく、そりゃそうだと納得させられることが多かったのです。
 そして、それは、彼らのもう一つの特徴である、人の話をよく聞くことができる人であったということに及びます。
 選挙区では、偉ぶらずに、同じ目線になって、手を握り、肩を叩き、話を聞くそういった姿勢があったのです。
 ですから、選挙民が希望することを熟知し、琴線に触れる話ができたのです。

 これこそ、選挙を経て国会に出る政治家にとって、大切なことだと思うのです。

 さて、最近の国会での議員先生のありようを見ていますと、どうも、この辺に不足を感じるのです。
 簡単な出来事をやたら難しく言いたがるのには、どうも困ったものです。
 
 例えば、氏名も、月日もない文書を取り出してきて、首相と政府を責め立てていますが、首相も政府も涼しい顔でいます。
 それが、自分たちの立場を危うくするようなものであるなら、そんな涼しい顔はできるはずがありません。
 政治に関与していない、私が見ても、そのくらいのことはわかるのですから、政治家がそれを知らずに、あえて、問題として取り上げるのであれば、それを裏打ちする文書、あるいは証人をバックに控えさせてのことかと推測しますが、どうも、それらしきものもないようなのです。

 そういう、ある種の「怪文書」を取り上げて、政権批判をするのは、国民にとっては非常にわかりにくいことなのです。
 もっとも、政治的傾向を同じくする人たちにとっては、現政権を打ちのめすことが当然の政治課題ですから、同調するのは当然のことですが、そうした人たちの中にも、ちょっとなという思いがあるように思えるのです。

 政治にとって大切なのは、わかりやすいということです。
 それは国民がバカにしているという意味ではありません。
 そうではなくて、難しい問題も簡単に説明できて、それを実行するに困難を伴っていてもさりげなくやり遂げるのが政治であり、それを可能な政治家が国の代表であるべきであるという考えが日本国民にはあるのです。

 日本は共産主義の国ではありませんから、なんでも党のいうことを聞いていればいいというのでは国民は納得しません。
 問題をわかりやすく説明できて、それを形にできる政治家が信頼を得るのです。

 そうした意味では、昨今の野党が問題提起をし、論争を挑むありようは非常にわかりにくいと言わざるを得ません。

 かの田中角栄は、ロッキード事件で逮捕されましたが、それを命じたのは、野党ではありません。同じ自民党の三木武夫総理です。
 身内でも、決定的な証拠があれば、首相経験者でも法のさばきにのせるというわかりやすい論理、そして、そうではあるけれど、角栄人気は時を経て再び盛り上がるというのは、やはり、政治家としてのわかりやすい判断と行動があったからであると思うのです。

 簡単な話を難しくやると、歴史も事実も歪曲されます。
 歪曲された事実が、世の中を一人歩きすれば、それこそ国家的損失につながります。

 野党にも、優秀な人材がたくさんいるのですから、言葉汚く罵ったり、野次ったりせずに、また、取り上げる材料をあやまたぬよう、国民の大多数の考えを斟酌していって欲しいと思うのです。


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それなりに楽しむのも一興なり

caiakafaoinmf,p@ld,ijufu
我が家には6歳になったコーギー様がおられます。暑い最中はエアコンで、寒い時は上着を着せ、それはそれはお嬢様扱いで暮らしています。その馬鹿さ加減に、娘が送ってくれたキーホルダーがこれです。


 いつだったか、アメリカの旅客機から、オーバーブッキングのために、乗客が強引に降ろされて、怪我をしたという事件がありました。

 なんでも、その方はベトナム人の医者で、翌日に患者を診るために、どうしてもこの飛行機で目的地に行かねばならないということでした。
 この男性がベトナム人であったことから人種差別ではないかと騒然になりましたが、結局は、単純なオーバーブッキングの対応の際に起きた事案であるということでした。
 その後、ベビーカーを持ち込んだ白人女性への対応でも、その行き過ぎた航空会社の対応に批判が集まりました。
 
 なぜ、いま、航空業界でこのような事案が多く発生しているのでだろうかと思うのです。

 私が飛行機に乗って、困ったなと思うことはそうそうありませんが、ただ一つ、ロンドンのヒースローからフランクフルト行きの飛行機にのり、フランクフルトから東京へと行く便に乗り換えて帰国するとき、トラブルに巻き込まれたことがありました。

 いつになってもヒースローから飛行機が飛び立たないのです。
 飛行機会社はルフトハンザです。
 スチュワーデスに問い合わせをしても、心配しないでの一点張りです。
 案の定、東京行きの飛行機はフランクフルトに着いた時にはとうに飛びだっていました。
 さて、どうしたものかと、同じような境遇の乗客について行くと、臨時のチケット交換所みたいなところができていて、乗客はそこに並んでいます。
 もちろん、私も並びました。

 ルフトハンザの係員からは、遅れてすみませんの一言もなく、持っているチケットを差し出し、ソウル経由だとこれこれ、成田直行だとこれこれ、この便だとフランクフルトのホテルを紹介すると、いくつかの提案を受けるのです。
 もちろん、直行便を選びました。
 あと8時間、このフロアの待合室に待機することになります。
 食事の手当ても毛布などちょっと仮眠をとるための手当ても何もありません。

 まあ、そんなものだろうと、日本での時間をはかりながら、学校に帰国が遅れること、成田に車を預けてある会社にも連絡を入れて、ひたすら時間のくるのを待ったのです。
 
 アメリカやヨーロッパでは、飛行機に乗るというのは何も特別なことではないのです。
 日常的に、さっと乗っていける、そういうようなものだと、その時、私は思ったのです。
 ですから、オーバーブッキングなど機体の有効活用のためには当たり前であり、間違って席が重なって入れば、特典を受けて次の飛行機にするだけの話なのです。

 飛行機が乗客を乗せて飛ぶようになった最初の頃とは様相が大きく異なっているのです。
 LCCが出来てからは、なおのこと、サービスより、目的地へ無事に、早く、そして、安くつくことの方が優先されるようになったのではないかと思います。

 かつて、旅客船で、日本から欧州に出かけた人々は一ヶ月近くをかけて、アジアの各地を巡り、スエズ運河を超えて、地中海に出ました。
 今、そんな旅をしたら、目の玉の飛び出る金額が必要となります。
 そんな時代を知る人からすれば、飛行機の旅など情緒も風情もないものに違いありません。
 
 そして、優雅で美しい女性が配され、機内で出される食事も工夫され、寒いといえば毛布を、喉が渇いたといえばジュースを持ってきてくれる、あの至れりつくせりのサービスを体験した人からすれば、昨今の航空会社のありようはなんとの腹立たしいと思うのではないでしょうか。

 でも、それが時代の流れなのです。
 飛行機に乗ることで旅を楽しむ時代は終わったのです。

 LCCが幅を利かすようになったのは、何も、支払う金額が惜しいだけではなく、尽きない雲を見るためではなく、さほど美味しくもなくなった機内食を食べるためでもなく、早く、目的地へ行くためなのです。

 娘が初めてオーストラリアに行く時、LCCであるジェットスターを利用していきました。
 荷物が重量オーバーで、その調整に大変でした。
 それでも、どんなに減らしても、当初契約していたチケットの重量とは違うので、それを機内に持ち込むのには対価を支払わなければならないのです。
 その金額が2万円近くです。
 だったら、最初に少し重量大目にしておけば数千円で済んだのです。
 
 しかし、機内食も頼まず、節約をしていこうとする娘にとって、運賃は最も節約すべきものであったので、ついうっかりとしてしまったのでしょう。
 
 やむなく、その超過金額を私が払い、機内で食べるものでも買いなさいと小遣いを渡しました。娘にとっては、人生を決するオーストラリア行きです。
 親としては、少々情けない旅立ちでありましたが、その後、いろいろな試練を受けて、今があるのですから、あの時の成田でのすったもんだは、親子での語り草となっているのです。

 アジアでも、LCCが力をつけつつあります。
 訪日客の大半が、移動手段としての航空運賃に大きな金額をかけずに、日本国内で消費してくれるのですから、ありがたいことです。

 LCCを利用して、娘の暮らすオーストラリアへ行くことが多い昨今ですが、快適に旅をさせてもらっています。
 多少、遅れることがありますが、大した問題ではありません。
 空いていれば、席をチェンジすることも認めてくれますし、余ったコーヒーを5ドルで飲ませてくれもするのです。

 それなりに、楽しむのもまた旅の一興であると思いつつ。


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いつも攻撃されてきたような気がする

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名も知らぬ花は、本当に強い、地面の隙間を見つけては根をつけて、そこから芽を出し、茎を伸ばし、花を咲かせます。こうなりたいと私も思うのです。


 「シルバー民主主義」という言葉が、実は、シルバー世代への批判的な意味を込めて使われているということを知りました。
 そのため、この言葉は、別の言葉で、「グレー・デモクラシー」ともいうそうなのです。

 こうなると、この言葉が、いかにも悪そうなニュアンスをもった言葉に聞こえて来ます。

 つまり、若い人は選挙への投票率が低い。
 ところが、シルバー世代は、戦後民主教育のおかげもあり、選挙にはいく。
 よって、高齢者の「選好」が、政治に反映され、政治が歪んだものになるというのが、この言葉が持つニュアンスということになります。

 こういう論法でこられると、たとえ、私が高齢者でなくても、カチンときます。

 私が、今よりも、もっともっと若い時、髪の毛を肩まで伸ばし、裾の広がった派手なズボンを履いていた時代、大人たちは、私たちを軟弱だとか、日本を背負って立つことに不安を感じるだとか、散々に言われた記憶があります。

 若者の、その一員であった私は、言うなれば、年長者から絶え間ない攻撃を受けていたのです。
 もっとも、私を含めて、そうそう立派であったとは言えない若者がいたということは認めなくてはいけません。
 もちろん、そうでない、ちゃんと勉強し、レールに乗って、社会の舵取りを行った若者もたくさんいましたから、そういう人たちが今、高齢者としてひとくくりされているわけです。

 ですから、これは、少々、レールを踏み外し、ちょっと寄り道をしてきたさほど立派ではない者が言うことだと思って、読んでいただければありがたいことです。

 車内で誰彼となく暴言を吐いたり、図々しい態度でいるシルバーに対して、若者達の攻撃的な文章が綴られているのを読んでも、嫌悪感を抱くことはありません。
 それは、若者ならずとも、世代を超えて、誰しも嫌悪感を持つことだからです。

 最近、車の暴走が話題になります。運転者は多くがシルバーたちです
 私も含めて多くの人は、突っ込んだ車の映像を見ながら、なぜ、ブレーキとアクセルを間違って踏むんだろうと、どう見ても納得がいかないと思う方が大半であると思うのです。

 でも、歳がいくに従い、私はまだその判別がつかないほど、シルバーではないから、わからないだけであって、きっと歳をとっていけば、人間はさほどのことも判別し難くなるのだと思うようになってきたのです。

 ゴミをためて近所に迷惑をかける人も、幼稚園がうるさい、幼児が公園で騒ぐのは許せないとクレームをいってくるのも、校庭からの砂埃や病院の受付の態度に対してすごい剣幕で怒鳴り込むのも、大抵は、このシルバー世代と決まっています。

 よくよく記事を見て見ると、彼らが一人暮らしであったり、近所との交流を失った人々であることがわかります。
 さらに、突っ込んだことを調べた記事を読むと、そういう人たちは、現役時代にはそれ相応の立場であり、自分こそが世の中を背負ってきたと言う自負心に満ちていたことも、また反対に、何をやってもダメで、それこそ社会から見捨てられてきた存在であったこともわかります。

 それぞれに「一家言」ある方々なのかなとも思うのです。

 日本という国は、世界でも例のないくらいの高齢化の急激に進んでいる国です。
 しかし、社会保障の支出を適度に抑制しながら、かつ、医療費の支出さえも抑制しようとを政策を踏んで、将来のさらなる高齢化に備えている国なのです。

 それを姨捨山のようだと表現することも、あるいは、生かさず殺さずと表現することも自由ですが、北欧のように、老人に対してはさほど優遇措置を取らず、そのため、税金もさほど高くせず、若い世代にも無理な負担を負わせずという政治を行ってきているのが日本だと考えるのが適正なものだと私などは思うのです。
 
 北欧のように、シルバーと呼ばれる世代に潤沢な予算で、生活をするに十分な資金を定期的に与えられていたら、どうだろうかと考えるのです。
 
 シルバーとは言えさまざまですから、自負心を持って世の中を生きてきた人からは、遊び呆けて、気楽にやってきた連中と一緒にはされたくないと、結構、予見しない不満や断絶、そして、分断が日本社会に生まれてくるのではないかとも想像するのです。

 つまり、スケープゴート的事案が各所で発生し、世代間でけなしあい、シルバーバッシングは今以上に広がり、学校でのいじめと同じような事案が「高齢化」の現場でも、地域社会でも起こり、凄惨な事件を誘発するのではないかと危惧するのです。

 そうなれば、公園の子供の声がうるさいとか、校庭から巻き起こる砂埃へのクレームではすまないことになります。

 ですから、シルバーと呼ばれる人々が持つ力を、若い者たち、子供たちにとって、つまり、未来の日本にとって良いように使うことが最も大切であると考えるのです。

 もう、あれこれと攻撃をされるのはごめんですから。

 とりあえず、私は、電車の中で、不届きな若者に与太を吐かないよう、ご近所に対してあれこれ不満をぶちまけるシルバーにならないようにすることが第一にすることかもしれません。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《8/22  Tuesday》

❣️<Puboo!>にて、『神様のおかげ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『The silhouette:The person who sits down in a seashore bench
It's covered with a green tree and give the shade of a tree to two people. Many waves are surging over the beach.A vast sea and the sky spread over it.
人影 : 卸下腰到海岸的长凳的人。绿的树木落到身上,将树阴给予二人。向海滨的对面几个也波浪涌来。并且,到那个对面汪洋大海和天空扩展着。』の絵を公開しました。

❣️<Twitter>では、毎日の朝と晩『つくばの街であれこれ』の更新情報をつぶやいています。


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