命の価値

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書斎のマックの上で揺れ動くヤジロベイ。疲れた目を和ませ、頭を柔らかくしてくれます。さて、私たちのちょっと先の未来。こんなことも私はヤジロベイを見ながら考えるのです。



 もうちょっと時代が進んだ、その頃のことです。

 歳をとった私は、いよいよ、足の関節が痛み出し、歩くのが億劫になりました。
 あぁ、母とまったく同じだ。
 医者に相談して、母がしたように、人工関節にして、金属の関節器具を埋め込んでもらおう。
 
 こんなに楽になるなら、早く手術をしておけばよかったと亡くなった母は言っていました。
 だから、私も、母と同じように、そうしようと決断をしたのです。
 
 近所の大学病院に、久しぶりに出かけて行きました。

 ここで、私は脳下垂体周辺にできた腫瘍の除去を行ったのです。
 あれから、かれこれ、20年も経ってしまいました。
 大病をすると、人は用心深くなり、より健康になるといいますが、まさにその通りで、私は傍目にも若く、この膝の関節が痛まなければ、それこそ健康体そのものでありました。
 
 数日後、私は殺風景な診察室で医師と向かい合いました。
 昔のように、医師の横に座るのではなく、医師の前に座るのです。
 テーブルの上には、医師と同じ型の幾分大きなディスプレイが置かれています。
 医師も私も、このディスプレイを見て対話をします。
 
 既に私は、別の部屋で、AI医師と面談し、自分の症状を根掘り葉掘り聞かれ、必要に応じて、検査を受けていたのです。
 私の足は、レントゲン室に行くことなくその場で撮影され、採血することもなく、また、尿を取る必要もなく、基本的な検査がなされていたのです。

 この20年で、医学はこんなにも進歩したのだと驚きながら、私は診察室に入っていたのです。
 そして、私の体のデーターが今、このディスプレイに映し出されているのです。 
 
 私は、私の目の前にいる医師が、本当の人間だろうかとそっと目を遣りました。
 若く、はつらつとした表情を持つ、確かに人間の医者であると私は思いました。
 なぜなら、そっと伺ったその私の目を、その医者も同じようにそっと伺ってきたからです。

 医者が口を開きました。
 「ご要望は、人工関節で痛みをなくしたいということですね。」
 私は、ちょっと関西訛りのある医師の言葉に小さな声を出し、頷きました。

 「でも、今の病院では、どこも、それはやっていないですよ。その方法は、随分と昔の処方でね。今は、足をすっかり取り替えてしまんです。AIの埋め込まれた義足です。あなたが20歳の頃の足になりますよ。で、そのためには、幾分弱った肝臓、それに、あなたは腎臓が一つありませんね。初期のがんによって切除されていますね。これも人工肝臓や人工腎臓に替えましょう。」
 困惑する表情をする私の表情は、どうやら医師のディスプレイに映っているようです。

 「心配は要りませんよ。個人負担は一切かかりません。すべて国が面倒を見ますから。でもね。」
 医師はそういうと、しばらく、間をおきました。
 「でもね、了解してもらわなくてはいけないことが一つあるんです。」

 私は、さらに困惑をした表情を見せたのでしょう。医師が、今度はディスプレイの画面ではなく、その横から顔を出し、私の表情を見ていたのです。
 私は、その若く、はつらつとした表情の医師の動きを察知し、同じようにディスプレイの横に顔を差し出しました。
 医師の浮かべた笑みが印象的に私の視野に入りました。

 「これを施術すると、あなた。寿命がグーンと伸びるんです。自然死をお望みなら、膝の痛さを和らげる薬をお渡しします。和らげると言っても痛みはすっかりとなくなりますよ。自然死を選ぶか、寿命がグーンと伸びる手術を行うか、と言っても、すぐには選ぶこともできませんから、別室でAI医師と面談をしていただき、お決めください。すぐにお決めになる必要がありませんから、今日はとりあえず、痛みをなくす薬は出しておきますからね。」

 医師はそういうと、AI看護師に指示を出し、私を別室に誘導して言ったのです。
 個人情報の規制強化で、ありとあらゆる情報が発信を許されなくなって久しくなっていました。情報は必要な人に、必要なだけしか与えられない時代になっていたのです。
 テレビや新聞で高齢化社会を生きる健康生活のあり方などと盛んに伝えられていた情報が、今はすっかりなくなり、私は大学病院にきて、今の医学がこんなにまでなっていることに驚いたのです。

 再び、AI医師の元に案内された私は、このAI医師から驚くべき説明を受けたのです。
 <これから説明することは、政府が定めた第1級特別情報の秘守義務の管理下になされますので、説明を受けた内容を、家族はもちろん、他人に述べることは命に関わる刑罰を持って処罰されます。あなたの健康調査から、あなたは長期に命を永らえるにたる健康体であると判断されました。先ほどの診察で医師から説明がありました治療を施せば、あなたは最低200歳までの命が政府によって保証されます。自然死を望まないのであれば、どうか、手術を受けて、200歳の寿命をお受け取りください。もちろん、これまでの年金に加えて、長寿祝い金が毎月、年金の倍額でますからご安心ください。>
 というものでした。

 とすると、最近元気になって、いやに若いと思うようになっていたご近所の佐藤さんも、ネット仲間で、テレビ電話で話をする山川さんも若返ったようになっているのは、きっと、この手の手術をしたに違いないと、私は思うようになったのです。

 ……
 主人公がどのような決断をしたのか、仮に200歳の命を得たとして、どのような生活をしていくのか……。あなたならどうしますか?


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「前美」と「後美」、その中にあった王朝、それがトランプ

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狭い通路を登って、二階の一番前に陣取るのです。意外と、そこは空いているのです。地元の人は忙しくて、観光客は観光バスですから、私のような偏屈な旅行者には、最高の路線バス低価格ロンドン観光となるのです。


 紀元前202年、劉邦が項羽を破り、中国を再統一し、「漢王朝」を建国しました。
 以来、漢王朝は400年に渡り、中国に多大の影響を残した帝国となりました。
 その漢王朝の中に、たった15年ですが、「新」と名乗る帝国がありました。
 それが故に、私たちは、「新」を挟んで、その前を<前漢>、その後を、<後漢>と呼んでいます。

 今、アメリカという大国を見ていると、ある種の妄想を私は思いつくのです。

 政府を牽引する大臣さえも議会の承認を得ることができず、挙句に、自らの側近らを次々に解任し、身内で政権を固め、さらには、企業人からは愛想をつかされ、軍人たちからも批判の声が聞こえてくるトランプ政権。

 この政権が、あの「新」のように思えてくるのです。
 日本語がアメリカを「米国」というのとは違って、中国語では、「美国」と言います。
 それは「美しい国」と言う漢字の意味からではなく、中国語の発音から来ています。
 「美」は<mei>と発音するからです。

 ですから、私は妄想するのです。
 トランプの前のアメリカは『前美』であり、トランプの後は『後美』というわけです。

 さて、その「新」という国はいかなる国であったのかと言いますと、漢王朝第11代皇帝の皇后の縁戚にあった王莽という人物によって作られた国なのです。
 その国家成立が凄まじいのです。
 
 漢王哀帝がなくなると、幼少であった平帝を擁立して実権をにぎり、その平帝を毒殺するというやり方です。
 つまり、中国史における最初の「簒奪」を行なった人物であるのです。

 「簒奪(さんだつ)」とは、本来その地位に就くべきでない人が、強権でもって、その地位を奪うことを言います。
 そして、たいていは、その末路は哀れなものとなります。
 日本でも、明智光秀がそうです。
 現代でも、あちらこちらにトップを追い落として、その地位についている人がいますね。

 簒奪の瞬間、劉邦が項羽を垓下の戦いで勝利して作った「漢」はこの世からなくなったのです。

 王莽は、とりわけ、漢王朝のあり方に反発をしていたわけではありません。
 つまり、主義主張があって、そして、理念や理想があって、これしかないという正義があっての行為ではなかったのです。
 ですから、その政治には画期的な革新性、前代を凌ぐ優れたシステム構築などはありませんでした。

 そのような政権が取る手段は、往々にして、過去の偉大な時代の遺産を継承することを表明するか、目の前に敵対する勢力を作り出し、不安を煽り続けるかのどちらかです。
 それは今の中国を見ていれば、わかることだと思います。

 そして、王莽がとったのは前者でした。
 そもそも、自分の利益のために国家を我がものとしたわけですから、その政策に新鮮味があるはずがありません。
 そこにあったのは、己を利するという一点であったと言えます。

 その象徴となるのが、貨幣の乱発です。
 なんと28回も乱発し、経済を混乱させ、身勝手な法令を出しては社会を不安に陥れました。
 そのため、各所で農民の反乱が発生、臣下の礼をとった実力者たちも離反していったのです。

 今、アメリカ社会の状況を見てみると、「新」の時代と似通っているものを、私は見て取ることができるのです。
 
 アメリカが抱える問題は一朝一夕で解決できるものではありません。
 それは多くの人種や民族を国内に抱えているからです。
 そして、それは問題を誘発するとともに、この国の発展の原動力でもあったのです。

 歴代の大統領は、その微妙な舵取りをすることで、アメリカの発展を損なうことのないように手腕を発揮して来たのです。

 しかし、トランプは異なります。

 出てくる問題に対して、火に油をそそぐ形で言辞を弄し、国民の対立を煽ってしまいました。そして、腹心の部下たちを時に解任し、また時に、自ら彼らは去って行ったのです。
 彼の周りに残るのは、親族だけです。
 それも、利益を第一にし、面の皮の厚いものたちだけです。

 王莽は、やがて、劉秀という漢王朝の血を引き、それが故に、多くの信頼を集めた男に追い詰められます。
 劉秀は王莽を長安に破り、15年前に断絶した「漢」王朝を復興させたのです。
 
 私たちは、即位して<光武帝>と名乗った劉秀の王朝を、劉邦の起こした「漢」と区別して、「後漢」とし、劉邦のそれを「前漢」としたのです。

 さて、トランプを王莽になぞらえれば、戦後70有余年の輝かしい「前美」のありようを引き継ぎ、「後美」を作るのは一体誰で、どんなアメリカを作るのか、興味は尽きません。 
 
 遅くとも、2年後、早ければ、来年にはそれが実現すると思っているのですが……。


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あっ、裸の王様だぁ!

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八月の長雨、陶板に描かれた紫陽花の絵がよく似合います。私が勤続10年のお祝いに、学校から贈られたものです。今も、私にはとてもうれしい贈り物で、玄関に飾ってあります。


 トランプがその放言で悶着を起こそうが起こすまいが実際のところ私には興味がないのです。

 SNSで発信される彼の言葉の薄っぺらさを見ると、この男がアメリカ大統領であることに対して、アメリカ国民に同情すら覚えるのです。

 君たちは、とんでもない大統領を選びましたね、あなた方は今こそ民主主義のシステムについて再考をすべきですよ、そして、世界の人たちがアメリカという国はすごい、行ってみたい、暮らしてみたいと再び思えるようになることを希望しています、と私は同情を込めて彼らに言うでしょう。

 先だっての、いわゆる白人至上主義者とそれに対立するグループとの間で衝突が起きた件でも、アメリカでは、大統領が人種差別に対して明確な姿勢を示さなかったとブーイングの嵐となりました。
 そして、トランプは彼らの意に従い、一つ一つ白人至上主義者のグループの名を挙げて批判をしたのです。
 でも、すぐに、そうは言っても、相手方にも暴力を振るった悪い奴がいると返して、いったん収まったかに見えたブーイングは、火に油をそそぐ形で燎原の火のごとく燃え広がっていったのです。

 でも、ここまでくると、トランプは自分の主張を貫き通すという点で評価されるものの、同時に、アメリカ大統領としてはその器ではないと批判されるべき存在であることが鮮明になったと言えます。

 そして、むしろ、私はそのニュースのもう一つの側面に注目するのです。

 トランプは、産業界と密接な連携を維持するために、政権内に二つの評議会を設けて、そこに産業界のリーダーを据えて、意見を聞くというスタイルを取りました。
 仮に、それが形だけのものであったとしても、功を遂げた人材に政権にものを言える機会を与えているということは民主主義のシステムとしては大切なことです。
 ちなみに、この形態はトランプが始めたものであり、歴代大統領にはなかったことです。

 その評議員たちが、今回のトランプの言動に対して、異を唱え、その職にあることを辞退したのです。
 
 性別・宗教・国籍、そして、人種は、アメリカ社会で企業が存続していく上で最重要とする性質のものです。いや企業ばかりではなく、アメリカ社会そのものが存続していくために必要なそれは要素でもあるのです。

 評議員となったアメリカ企業のトップたちにも、女性がいて、アフリカ系がいて、様々な宗教信仰者がいて、そして、彼らは移民の国ならではの多彩な文化背景を持っています。
 自分たちの素性をとやかく言われたり、まして、トランプが批判されると同じような立場にトップが与するということであれば、それは企業の存立基盤に危機をもたらすことになるのです。
 
 ですから、その任から身を引くことは最善の策であるのです。
 たとえ、トランプから攻撃を受けたとしても、彼の任期が過ぎれば、それはすむことです。
 しかし、人々から愛想をつかされたら、永遠に立ち直れなくなるのです。

 その彼らもまたSNSで意見を発信しました。

 <憎悪と不寛容は米国の裏切り者>
 <我々を分断させる者は孤立させよ>
 <世界には人種差別主義が存在する余地はない>
 <米国のリーダーは偏狭な至上主義の言動を明確に拒否し、米国の多様性を尊重すべきだ>
 <我々が支持するのは人を攻撃することではなく、平等と他人を尊重する米国の価値だ>

 これらの言葉こそは、アメリカがアメリカたるの考えであり、アメリカがすべての面で世界の頂点に立つことのできた原動力となっている考えなのです。

 そればかりではありません。
 グーグルは、ネオナチサイト「デイリー・ストーマーズ」のドメイン登録を拒否しました。
 決済会社ペイパルは、人種差別運動の資金調達に自社サービスを使えないようにしました。
 民泊のエアビーアンドビーは、白人至上主義者のデモに参加した顧客を締め出したのです。
 さらに、米軍幹部にもそれは波及し、彼らは自分たちの最高指揮官の言葉にもかかわらず、それに異を唱えたのです。

 まさに、裸の王様です。
 それはおとぎ話の世界ではなく、リアルタイムで、一枚一枚衣服を剥ぎ取られていく様を、今、私は見ているのです。

 こう見ていくと、アメリカはやはりアメリカであると思うようになります。
 つまり、先ほど羅列したトップたちの言葉にあるような考えがないと、そして、意見表明がないと、この国ではやっていけないし、成功もできないということなのです。

 そんな中、ツイッターが一つのトピックを発表しました。

 「肌の色や出自、信仰を理由に、生まれながらに他人を憎む人などいない」というネルソン・マンデラの言葉の引用したツイートが史上最多380万件オーバーの「いいね!」を集めたと。

 発信したのは、オバマです。

 彼は、トランプにより、彼の業績を丸裸にされつつありました。
 が、いや、そうではない、丸裸にされつつあるのは、トランプ自身であったのです。

 それにしても、人の放つ言葉というのは、いかなる兵器よりも甚大な被害をもたらし、同時に、多くの人に救いの手を差し伸べるものだということを、私は知るのです。


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今一度、力を誇示してはいかがですか

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人間は思案をするごとに、物事を前へと進め、問題を解決してきました。思案は、いかなる思想よりも上にあるのです。その上にあるのが思案に基づく行動です。


 私のiPhoneに入っている無料アプリの一つに、<Flightradar>があります。

 つくば上空は、旅客機の飛行機ルートになっています。
 時間帯によっては、連続して、航空機が上空を通過していくのです。
 そこで、気になるのが、その飛行機の行き先です。

 そういう時、この<Flightradar>が活躍します。
 飛行機の音がしてくると、早速、iPhoneを取り出し、アプリを起動させます。
 すると、そこには、私のいる位置が青い丸印で示され、黄色の飛行機が移動しているのです。その黄色い飛行機をタップすると、便名はもちろん、離陸した飛行場から到着する飛行場、それに、飛行機の速度や高度までも示されるのです。
 しばし、私はiPhoneと上空を飛ぶ飛行機を見比べます。

 そして、なんとまぁ、素晴らしい世の中ではないかと感心するのです。

 先日、CNNのサイトを見ていましたら、妙な記事に出くわしました。
 『非武装のロシア軍機、米首都を飛行 国防総省などを「監視」』という表題がつけられていました。

 非武装とはいえ、アメリカにとって、ロシアはもっとも注意を払うべき国家にちがいないはずです。
 そのロシア軍機がよりによってワシントン上空を、それも、米連邦議会議事堂や国防総省、中央情報局(CIA)、アンドルーズ空軍基地上空を飛行したというのです。

 きっと、アメリカ空軍が緊急発進して、一触即発の危機に陥ったと思いきや、これは、アメリカとロシアが、お互いに上空を監視することを認めた<オープンスカイズ条約>に基づく、合法的な飛行であるというから、さらに驚きでありました。
 
 ロシアは、使用した機体はツポレフ154で、上空3700フィートを飛行し、ワシントン上空、キャンプディビット、トランプ所有のバージニア州にあるゴルフ場、そして、万が一の際、アメリカ政府が移転先にしているマウントウエザーにも飛行を行ったと明らかにしたのです。
 
 私は恥ずかしながら、CNNの記事を読むまで、<Open Skies Treaty>という条約があることを知りませんでした。
 
 この条約は、1955年、アイゼンハワーが核を持つアメリカとソ連が、相互に疑心暗鬼になって、思わぬ事態に至らないよう、非武装の航空機を使って、相手国の領域内の軍事活動、施設を監視しあい、軍事行動の透明性を高めよう、そして、相互の不信を取り除くことを目的に提唱したというものなのです。

 しかし、50年代は冷戦の時代です。
 そんな条約が結ばれるはずもありません。第一、理解されるはずがありません。

 ですから、両国とも、高高度を飛行する秘密偵察機を飛ばしたり、時代が進むと、宇宙空間から相手国の動向を探ったりして、警戒を強めていったのです。
 その間、撃墜事件があったり、本物の<スターウオーズ>が現実性を帯びるなど、その危機的状況に警鐘が鳴らされたことが記憶にあります。

 それを1989年にアメリカ大統領のブッシュが,この構想を米ソ2国間から多国間のものとして再提案したのです。
 そして翌年、カナダのオタワで北大西洋条約機構(NATO)とワルシャワ条約機構(WTO)の間で話し合いが持たれ、1992年、ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)で、調印に至ったというものです。

 冷戦時代に、それを提唱するアメリカの大統領の見識も素晴らしければ、時代を経て、それを相対峙するヨーロッパの二大勢力が受け止めたことも素晴らしいことです。

 さて、素晴らしいと諸手を挙げて喜んでいるのではなく、アジアにおいても、それができないものか、そして、それを日本が提言できないものかと思案するのです。

 アメリカ海軍は航行の自由作戦を展開しますが、中国は領有権のある島々への挑発行為であると厳しく批判をします。
 また、一方、日本の領土である尖閣には、自国領土であると強弁し、定期的に公船を派遣してきます。
 まさに、政治的な矛盾そのものです。
 さらに、習近平は自国の領土領海は力づくでも守り抜くと解放軍相手に演説を行う始末です。
 韓国では、政権が変わるたびに日本に対する要求が突きつけられます。

 これらの国々は、国際法、国際常識はもちろん、慣例など守る気さえもありません。

 日本はアジアでいち早く近代化を成し遂げ、それゆえの行き過ぎた政策もありましたが、日本が行動することで、アジアの国々はその多くが独立をしたことも事実であります。
 そして、今、アジアでもっとも国際常識のある行動を取れるのは日本しかいないのです。

 <Open Skies Treaty>という条約は、困難な時代に提唱したからこそ、価値を持って、受け止められ、後任の大統領によって実現へと導かれたのです。

 ここは自分の領土と、部分的にラインを引いての自己主張とか、70年も前の出来事を蒸し返して、それを金科玉条のごとく喧伝していく、そんな了見の狭い考えではなく、オープンに物事を考えて、両手を広げていかないと、アジアはそれぞれの国の妄想と我欲で滅亡することになるのではないだろうかと心配するのです。

 そうならないためにも、日本が今一度、アジアに向かって、その正当な力を誇示する時ではないかと思うのです。


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それは「杞憂」か、それとも「悪夢」か

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木陰、素晴らしい言葉です。木陰と聞いただけで、涼しさを感じることができます。雨空の多い8月、それでも晴れた瞬間、木陰が8月の湿った空気に涼をもたらしてくれます。


 マクロ経済学の第一人者として知られている、ハーバード大学のケネス・ロゴフ教授が、世界は高額紙幣をなくさないといけないと主張しています。
 
 欧州中央銀行は、すでに、500ユーロ札、日本円で大体6万5千円程度ですが、その札の廃止を決めました。
 フランクフルトで仕事をした時、ユーロを手にしましたが、この500ユーロ札は手にしたことがありません。
 きっと、日常生活では大して流通してはいない札であったと思います。
 また、カナダ、スウェーデン、シンガポールなどの国も高額紙幣の廃止を決めたということですので、金の有る無しに関わらず、この動きには、関心を払わないといけないということです。

 インド独立70周年記念日の8月15日、首相のモディは「海でも、国境でも、宇宙でも、サイバー空間でも防衛は万全だ」と、中国を念頭に置いた演説をしましたが、私は、それよりも、昨年11月に実施した高額紙幣の廃止について言及した演説の最後の部分に注目をしたのです。

 「銀行システムに決して戻らなかった3兆ルピー(約5兆2千億円)が紙幣廃止で戻ってきた」
 と述べたのです。
 
 例えば、通貨流通量なる統計で見ていくと、私たち日本人は、一人77万円の現金を手元に持っている計算になるそうです。
 (どうやら、この統計には私ごときは入っていないようですが……)
 つまり、4人家族では300万円強の現金を、日本人は持っていることになります。

 そして、これらの現金が、世の中に出ることなく、しまわれて動かないというのです。
 ですから、経済に作用しない、作用しないから、現金は現金であって、それ以外の何物ではないということになるということです。 
 そして、その多くが高額紙幣であるのです。
 それでは、経済は停滞します。
 それを高額紙幣を廃止することで、モディは解決したと胸を張り、ロゴフ教授は高額紙幣をなくさないといけないと声をあげているのです。

 金はないとほざく私ですが、以前、財布をなくしたとき、私の財布には6万5千円ほどが入っていました。一万円札6枚に、五千円札1枚です。
 この安心、安全の国で、私の財布は未だに姿を見せていません。
 よって、それ以後、私は財布に大金を入れるのをやめています。
 (もっとも、大金などないのですから、見栄がそこに働いていることはお許しください。)
 
 現金がなくなれば、当然、それに代わるものが必要になります。

 オーストラリアに行った時、屋台でソフトクリームを買ったり、ホットドックを買ったりする時、その屋台がクレジットカードを受け付けていたことに驚いたものですが、その傾向は日本でも増えてきたことを新聞で知りました。

 屋台ばかりではありません。
 神社の拝観料も、屋形船の乗船代も、標高2千メートルの山小屋でも、今やカードが使えるようになっていると記事は伝えています。
 何万というお金を持って、山に登る必要もなくなります。
 お賽銭も、わざわざお金をくずしていく必要もなくなります。
 会社の帰りに、ちょっと一杯ひっかけていくのにも、懐具合と相談しなくて済みます。

 これを実現できたのは、お金を受け取る側の設備が簡便になり、ランニングコストが低くなったためであります。
 わずかな手数料でカード決済を受け付けられるわけですから、その方が便利であり、活用によっては、利益をあげることが可能になるのです。

 そのカード決済のもっとも進んだ国がお隣の中国です。
 大きな店に限らず、個人経営の小さな店でもカードが使え、カード社会だからこそ無人のコンビニも街には増えてきているということです。
 
 そんなことを綴っていたら、16日の日経朝刊のトップに掲載された記事に驚きました。
 『アリババ、スマホ決済上陸 中国発、使いやすさ強み 日本人向け、5万店で』
 UCでも、VISAでもない、中国10億人が使用する<アリペイ>と<微信支付>が日本に入ってくるというのです。

 お前さんのカード、龍のマークがあってカッコいいじゃないか、どこのだいと問えば、これかい、これはね、アリババだよという時代がくるのです。
 
 でも、心配はないのかねとさらに尋ねると、そりゃあるさ、きっと、日本人の個人情報、例えば、何を買っただとか、そこから何に興味を持っているとか、そういったビックデータはすべて中国政府の関係部門に流されているというから、おいらの情報は中国に筒抜けさ。

 なんでも、中国の企業の多くが、今、定款に共産党の指導に従うという変更をしているというし、この中国カードの日本進出は、もしかしたら、「お金」で日本人の心を変え、日本を支配するあの政府一流の手じゃないかと思っているんだ。
 そういって笑うのです。

 私は今、私の卒業した大学のカードを使って、公共料金や日々の消費に使っています。 
 そこで発生したポイントや、いくばくかの手数料が大学に寄付されるのです。
 ささやかな母校愛を示しているということです。
 
 でも、近い将来、中国のカードが幅を利かすようになったら、どうなるのでしょうか。

 一万円札に代わり、100元札が幅を利かす日本社会になるのではないかと心配をするのですが、これは「杞憂」なのでしょうか。
 それとも、ありうべき「悪夢」なのでしょうか。


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Did you see that?

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この色あざやかなグラデーションは誰がつけたものなのでしょうか。人がグラデーションと呼ぶある種の芸術性は、自然の中にあるのです。人の芸術性は自然を凝視することで養われているのです。


 1963年11月4日のことです。
 英国王室が主宰する音楽会に、ロックバンドとして初めてビートルズが招待を受けました。

 ジョン・レノンがツイスト・アンド・シャウトを演奏する前に、マイクの前に立ち、ちょっと恥ずかしそうな、それでいて、意地悪そうな表情を見せて、そして、言います。

 「次の曲では皆さんも協力してください。安い席の人は拍手を、高い席の人は宝石をジャラジャラ鳴らしてください」と。

 明らかに王室から参加している方々のドレスとそこに散りばめられている宝石を揶揄しての言葉ですが、王室相手に不謹慎だと言う声は一向に出てきませんでした。
 それよりも、そのユーモア精神に対して、快哉を叫んだのです。

 それがイギリス国民なのです。

 その王室も、ユーモア精神を、そこにある批判性を遺憾なく発揮した事例があります。
 2015年10月、習近平が英国を訪問した折に、面子を保つために、中国側はなんやかやと随分とゴリ押しをしたということです。
 そして、半年後の5月の園遊会の折に、女王はその時の警備責任者に、「大変でしたね、あの方達は、交渉に当たった大使に対しても随分と失礼なことをしたようですね」と述べるのです。
 しかも、その言葉が伝わるように……。
 さりげなく、そして、手厳しく、相手を打ちのめすのです。

 そうした傲慢で、一方的な中国政府のあり方に対して、列席した王室関係者が習近平のスピーチに拍手をしないという姿勢で臨んだり、また、晩餐会に、天安門事件の起きた年の「赤ワイン」を出したり、チャールズ皇太子が欠席をしたりと英国らしい、さりげない、そして、辛辣な対応で返礼をするのです。
 
 きっと、英国民は、顔を寄せ合って、<Did you see that?>と言い合って、快哉を叫んだに違いありません。

 王室も揶揄されるけれど、自分たちも失礼で傲慢な相手にはさりげなく、かつ、辛辣に対するというユーモアの伝統は、英国の文化を知る上で大切な要件です。

 日本でも、時の政権に対して、「アベ政治を許さない」という標語があちらこちらで見かけることができますし、首相にちょび髭をつけて、かの有名な独裁者に仕立てたりしています。
 だからと言って、不敬であると警察がそういう人たちを検束するというわけではありません。
 もし、日本で政府がそれをやったら、その政権を維持することは困難になることでしょう。

 日本人も、英国から100年以上にわたり、多くを学んできましたから、その程度のことは受けとめる了見を持っているのです。

 ですが、世の中にはそうではない国があります。
 ですから、私たちがそういった国に出かけるときは、ちょっと注意をしなくてはいけないということになります。

 今や、ネットで物事を知る時代になりました。
 悪く言えば、メジャーな報道よりもネットでの情報を信頼する方が多くなっている時代です。
 ですから、ネットでの情報発信は極めて大きな力を持つようになっているのです。
 それは、ネットを使って、作品を発表している私にはよくわかることなのです。

 ロシアが反政府活動を抑え込むために、ネットへの規制強化をすると言い出しました。
 中国やトルコもまた、同じように、ネットへの目を光らせて、政権に対して批判的なことを言えば、それをたちどころに断ち切るという算段を講じています。

 しかし、そんなことにめげるネットユーザーたちではありません。
 iPhoneの設定にあるVPNというルートを使えば、あらゆる情報と繋がることができることをネットユーザーたちは知っているのです。
 規制の抜け穴を探し当てた彼らは政権の目を盗んで、情報を発信するのです。

 ネットを使って活動する私たちは、その政権の目を盗んで発信された情報を大切にしているということなのです。

 中国政府は、今、大手の騰訊控股(テンセント)、新浪(シナ)、百度(バイドゥ)への調査に着手しています。
 共産党は無能だととか、好きではないという発信を、AIに好き勝手にやられては困るのです。
 先に述べたあの女王の発言も、国内では画面が真っ暗になり、人民は何かあったなと気がつくのですが、言葉に出してはそれ以上の詮索はしません。

 英国民は声を潜めて、<Did you see that?>と言いますが、人民は黒い画面を見なかったことにして<是什么有?>とは言わないのです。

 でも、確かに、自分の言葉で発し、英国民も恐れ入るユーモアの達人が中国にはいるのです。

 習近平のあのずんぐりした体型をくまのプーさんになぞらえ、ネットに盛んに投稿したネットユーザーたちこそ、そのユーモアの達人です。
 アメリカ大統領、それに日本国首相と並んで写った写真と合わせて、くまのプーさんが背の高いライオンや、タレ目のロバと並んでいる絵を重ねて、また、北京での閲兵の時、オープンカーで閲兵する姿を、くまのプーさんが車に乗ったあのおもちゃとダブらせて掲載したのです。
 アメリカ大統領や日本国首相が自分をライオンにするなど侵害だとか、タレ目のロバはないでしょうとクレームをつけることはありません。
 しかし、中国ではそれがあるのです。

 そのユーモアはわかったけれど、どこが批判的なのとまだ疑いを持っている人もいるでしょう。

 では、この「くまのプーさん」、あの反体制詩人で、ノーベル平和賞を受賞し、ガンで亡くなった劉暁波が手にしていたカップに、それが描かれていたとすれば、どうですか。

 まさに、それこそ<Did you see that?>ということではないですか。


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あの8月15日は何処へ行った

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いつも歩いている裏道で、珍妙な姿の樹形を見ました。人の想像は自由なものです。ですから、この樹形を見て様々なことを思いながら、私はその日、歩いていたのです。


 その日は、ジリジリと太陽の熱が大地を刺し、蝉の声がうるさいくらいに聞こえ、日本列島全体が言い知れぬ厳かさ、いや、どこかやるせない気持ちに覆われる日であったように、私には記憶されていたのです。

 幼い頃、竹ノ塚の借家の、広い庭の見える縁側に腰掛け、扇風機の風を受けながら、母があの時は暑い日でね、やっと戦争が終わったと内心では喜んでいたと語っていたことを、ついこのあいだのように思い出すのです。
 今晩から、寝間着に着替えて寝ることができるって、それが一番嬉しかったと言うのです。
 もう、B29は飛んでこないことが何よりだったとも語るのです。
 
 子供の頃、夏休みが始まると、九十九里の田舎から迎えがやって来て、私はお盆すぎまで、一ヶ月あまり、そこで過ごしていました。
 その時も、この日は、子供心にも特別な日であるとわかっていたような気がします。

 野球をし、海で遊び、川で泳ぎ、製材所でカブトムシを見つけ、イワシの煮干しを作る工場で手伝いをしながら、ゆでたての魚をつまむということに明け暮れしていた時も、この日だけは特別な日であったとわかっていたのです。

 それはこの地の風習で、三食、甘い餡ころ餅を食べ、墓参りのために東京から父や母が来るからではありません。
 大人の誰もが、口裏を合わせたように、戦争の時の話をしていたからです。
 誰に問われたわけでもなく、土間の中の縁側に腰掛け、挨拶がわりに戦争のあった時代の話をちょこっとしていくのです。
 
 何より、甲子園の野球を見ていて、正午になると選手たちが試合を中断して黙祷をしている光景は、この日が、日本全体で頭を下げなくてはいけない日なんだと強く頭に刻まれることになったのだと思っているのです。

 正月はめでたい1日であり、8月のこの日は、盆ということもあり、そして、厳かでありやるせない日であるという思いが長らく心の中にあったのです。
 
 そんな思いが、今年は幾分異なったものとなっていると、私は感じたのです。

 母がいなくなり、あの時代の話を聞けなくなったからだろうかとも考えました。
 お盆に、母の家にお経をあげにきてくれる坊さんが代替わりをして、息子さんが来るようになったからかしらとも考えました。

 天気予報通り、気温は30度を大きく下回り、そぼ降る雨の中で、あのジリジリと押し寄せて来る太陽の暑さも今年はありませんでした。
 つまり、心のありようではなく、肌身に染みる感覚がそう思えわせているのだと、一旦は考えたものの、私は頭を大きく横に振るのです。
 
 それは体が感じる単純な作用ではなく、やはり、心の中の起きつつある変化であるに違いないと自分に言い聞かせるようにです。

 戦争をまったく知らない世代に属する私は、母親の話で戦争の実態を聞かされ、テレビの番組を見て、あるいは、戦争を題材にした劇映画を見て、私たちの父祖の時代になされた日本の華々しい、そして、辛い戦いの時代を受け継いできているのです。
 そんなことを思うと、ふと、ある考えが頭に浮かんできました。

 それは戦争の危機がすぐそこにあるのではないかという思いです。
 日本が戦争をするのではなく、日本の両側にある国がもしかしたら戦争を始めるのではないかという危機感です。
 そして、日本はその一方と同盟を結んでいます。
 日本は、残念ながら、日本一国で自国を守りきれない国なのです。

 だから、かつて死力を尽くして戦った国と同盟を結んでいるのです。
 口さがない隣国の外交部長は、負けたからとは言わないものの、彼の国の手先になっていると公言してはばかりません。

 でも、多少とも、親や報道から知識を得ていれば、あの時代の日本人が死力を尽くしてくれたからこそ、今同盟を結んでいる彼の国も日本国に一目置かざるを得なかったのではないかと思っているのです。

 こんなことを言うと、そうではない、強制的に志願させられ、やむなく戦うハメになったという方もおられると思います。
 当然、いつの時代にも、そういう方もおられ、また、未来の子孫たちがひがむことのないように、誇りを持てなくなることのないように、そして、自分たちの犠牲が国を作っていくのだという方もおられたことを忘れてはならないのです。

 一方の証言を尊重しつつも、少なくとも、死力を尽くした方がいたことが敵国であった彼の国が日本に一目を置き、この地球上に未だかってない同盟関係を作り上げたということだと私は考えているのです。

 しかし、強固な同盟も、所詮、国と国との約束事です。
 いつ何時、思いもよらぬ力が作用して、同盟の完遂がままならない事態になるやもしれません
 同盟とはそんなものであることを、私たちは先の戦争の折に嫌という程知らされているのです。

 そんなこんなの国際情勢が、きっと空模様を動かし、この70有余年続いてきたむせ返るような暑さを取り除き、おい、日本人、わかっているか、時代は一歩前進したのだぞ、よく見てみろ、世の中は、変化しているぞ、早く気付け、早く手を打てと言っているような気がしたのです。

 もちろん、天候が国際情勢で変わるはずはありません、でも、そう思っても不思議のないくらいに、この8月15日は、何か偉大なものが私たちに何かを知らせているような気がしてならなかったのです。


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割烹の、店

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今年は暑さが今ひとつで、我が家の朝顔も、花の数がふるいません。ポツポツと咲くだけなのです。やはり、朝顔はその名の通り、朝方に満開になり、日が昇るやその花の盛りを終えるのがいいのです。


 オーストラリアに暮らす婿殿が、我が家に来ると決まって行きたいというお店があります。

 本店はつくばで、同じようなお顔をした息子さんが土浦に支店を持つ「やぐら」というお寿司屋さんです。
 しかも、予約時には、必ずカウンター席を取っておいて欲しいと言います。
 なんでも、若大将の包丁さばき、寿司を握る所作などを見て勉強したいというのです。

 ゴールドコーストで、彼は調理人をしているのです。
 ゆくゆくは自分の店をかの地に開きたいと願って、日々、頑張っているわけですが、そうそう簡単に店をもてようはずもありません。
 でも、そうした夢を持ち、ゴールドコーストで同じ夢を抱き、活動している仲間たちと実現に向けて前進はしているようですから、温かく見守っていきたいと思っているのです。
 
 若者が夢に向かって進む姿ほど美しいものはありません。

 さて、先日、婿殿の要望に応えて「やぐら」に行った時のことです。
 最近、オーストラリアでもこうした「割烹」の店が増えてきているんでよと、婿殿、私に言います。
 
 「割烹」、の店?

 と、私は少々理解するのに時間がかかりました。
 包丁で捌くことを「割」、出汁をとったりすることを「烹」というけれど、その意味以上に、客に料理するすべてを余すところなく見せる形態の店のことを言っているんだなと私は程なく理解しました。

 そう言われれば、オーストラリアのホテルやレストランはもちろん、日本のちょっと高級なレストランでも、そして、イギリスの学寮の食堂でも、調理人が慌ただしく調理している場面を見たという記憶はありません。
 むしろ、ロンドンのパブなどでは調理は壁の向こうでなされ、ウエイターやウエイトレスが出来上がった料理を持ってきてくれるというのがほとんどでした。
ですから、お寿司屋さんのように客の前で調理する形態は珍しいのです。

 客が混んでいる時など、きっと、大量の注文を受けて、調理場は修羅場と化しているのではないかとも思うのです。
 「やぐら」でも、客が混み合って来ると、大将を中心に動きが忙しくなります。
 客とやりとりしていた大将も、そういうときは、無口になって、寿司を握るのに懸命です。
 客もそれを知っていますから、声をかけません。

 婿殿を見ると、じっと大将の仕草を見ています。
 動きにムラがありませんね、動作が連続していて、それゆえ、できた料理が新鮮になる、などと私に語りかけてきます。

 私がたまに出かける店、土浦の「弁慶」、これはフグ料理の看板を掲げていますが、焼き魚も美味しい店です。
 つくばにある「コッコリーノ」、これはイタリアンで、ここも、魚料理が美味しいお店です。
 そのどれもがみなオープンキッチンで、料理人の所作を見ることができますし、料理人もそれを意識して調理をしているお店なのです。
 そうか、私が出かける店はその手の店が多いんだと今更のごとく気がつくのです。

 安心感か、それとも、婿殿と同様、調理する人の所作を眺めて、それさえも料理の一つの目玉として見ているのか、その辺りは、無頓着な私には判然としませんが、そう言われて見ると、料理も作られる過程を見ることで安心と美味しさがもたらされるということがわかるような気もするのです。

 いうまでもありませんが、どのような人が作り、その人がどのような会話をして、客にどのような相槌を打って来るのか、それらすべてが料理の味になるのです。
 つまり、調理人というのは、利口でないとつとまらない職業なのです。

 先ほど、婿殿は連続する仕事と言っていましたが、それは大いなる期待感に必然的に繋がると私も思っています。
 つまり、そう、何かがマジックのように生まれてきて、供されるという「スリリング」さです。

 魚を捌く包丁の切れ味、そして、それを切る職人の洗練された所作を見るだけで、その職人の技量が見て取れます。
 そして、まな板を叩く音、まな板や包丁を布巾で拭く所作、そこから感じられる匂い、それらが出された料理の味を決めていくのです。
 その上、その大将が、これは鳴門のなどというと、私の頭にはあの渦潮が見えて、そこを泳ぐ魚の姿さえも出て来るのです。
 それは、川エビでも、アワビでも同じです。

 料理人は、客が、自分の料理ばかりではなく、所作やうんちくに期待をしていることを十分に了解しているのです。
 それはまるで、芝居小屋で形の整った古典劇を見ているかのようです。

 完成したものを提供するのではなく、完成に至る過程を見せ、そして出来上がったものを食してもらうという日本の和食の一スタイルが、オーストラリアや欧米で、いや世界中で流行っているというのであれば、それは素晴らしいことです。
 何も隠さず、素材の素晴らしさを見せ、それを料理する技量を誇り、見た目にも素晴らしい料理にしていくのです。

 婿殿が一体どのような料理をこれから作っていくのか楽しみです。
同時に、包丁を握り、目の前のオージーたちと、サーファーズ・パラダイスの波についてうんちくを披瀝しながら、オイスター料理を提供している姿を思い浮かべるのです。


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ワセダ、ワセダ、ワセダ……

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トマトはできても、キュウリは収穫できても、パセリやセロリはうまくなるのに、スイカだけは実りません。それでも、毎年、私はスイカの苗を植えます。今年も、ここまで大きくなりましたが、写真をとって数日後、このスイカの形をした赤ちゃんもなくなりました。はて、どうしたものかと思案をしているのです。


 高校野球の折には、我が家のテレビは見るものがいなくても、つけっぱなしにしておくのが恒例です。
 そして、私は、アナウンサーの声が甲高くなる9回表あたりから、そろそろとテレビの前につくのです。

 高校野球の面白さは、まさにこの9回の攻防に集約されます。
 まして、一点差を争う好ゲームであれば、尚更です。
 そして、判官贔屓なのでしょう、負けているチームへの応援になります。
 どんなに練習を積んで、地方大会を勝ち進んできても、やはり、高校生です。そこに、思いもつかない落とし穴があったり、幸運の女神が微笑んだりするのです。
 そこが、MLBとは違う面白さです。

 その日、最後の試合が夕方から始まりました。
 例のごとく、テレビは試合の中継を華々しく実況しています。
 私はちょっと離れたデスクで書き物をしていました。
 その私の耳に、聞き慣れた「前奏」が流れてきました。
 
 随分と似たような曲調があるものだと頭で思い、指はキーボードを叩いています。
 すると、「ミヤコのセイホク ワセダのモリに〜」と似たような曲ではなく、まったく同じ歌詞まで耳に入ってきたのです。

 すごすごとテレビの前に移動すると、臙脂のカラーが満載の応援席で、人々が「ワセダ、ワセダ、ワセダ、……」と連呼する歌詞の最後を歌っているではないですか。

 将来のスーパースターを擁する早稲田実業は地方大会で敗退したはずだと思いながら、目をこらすと、グラウンドには、「早稲田佐賀」という学校が、大学とまったく同じユニフォーム姿で躍動していたのです。

 そうだ、早稲田は佐賀にも系属校を作っていたんだ、と思い出しました。

 それにしても、そんなに昔ではないはずだから、随分と早い甲子園出場だなと一人思いながら、私は、テレビの前のソファーにどっかりと腰を下ろしてしまったのです。

 早稲田佐賀の攻撃が始まると、応援席からあの聞き慣れた「コンバットマーチ」が響いてきます。その曲は、私を瞬時に、若い日の、あの溌剌とした、しかし、どこか不安げな一時期に私を誘い込むのです。
 
 佐賀は、早稲田大学の創設者である大隈重信の故郷です。
 私学の雄とされる慶應義塾の福沢諭吉が文人として、世の中に多大の影響を与えた人物と異なり、大隈は政治というドロドロとした世界で、混沌として生きた男子です。

 大隈は、伊東博文をはじめとする薩長勢力と対立し、免官の憂き目にも会い、さらには、「明治14年の政変」の立役者にもなるのです。
 我が主義主張は、未来の日本のためになると一切変えることを拒むのです。

 下野した大隈は、立憲改進党を立ち上げ、学の独立を謳う「東京専門学校」、これがのちの早稲田大学となりますが、それを都の西北、早稲田の地に設立するのです。

 当時の学生は、乱暴者も多く、また、学校は大隈の思想を受け継ぐものを育成していると、政府の監視もあったと言います。
 すなわち、密偵が早稲田界隈を徘徊し、何かあれば踏み込む算段をしていたというのです。

 大隈は、伊東博文とは政治的ライバルにあり、西郷隆盛は大隈を俗吏として嫌っていたと言いますから、飛ぶ鳥落とす勢いの薩長勢力に果敢に戦いを挑んでいたことがわかります。
 そうであれば、田んぼばかりの早稲田の地に建学された学校を、密偵と明らかにわかる者がこれ見よがしに徘徊している様を想像するにかたくはありません。

 大隈と福沢の仲も芳しくないと漏れ聞いたことがありますが、実際はそうではなかったようです。
 大隈は、澄ました文化人と評し、福沢は生意気な政治家と嫌悪していたことは事実のようですが、ある時、酒席の場で同席し、大隈があなたはうらましい、将来ある若者たちにかこまれているといいます。
 政治家の取り繕いの言葉であるとばかり考えるのは少々違っているようです。
 確かに政争に明け暮れる身にとっては、未来に活躍する人材を育成する仕事に情熱を傾ける福沢のありようは眩しく映ったはずです。

 その福沢が、大隈の気持ちを大きく変える一言を発します。
 「あなたも学校をおやりになったらいかがですか。」
 その一言が、大隈の心に一灯を点じたのです。
 
 世間は大隈と福沢が結託して、何やら良からぬことを企んでいると噂をします。
 犬猿の仲であった二人が、それ以後、相互に自宅を訪問する仲になったからです。

 青年からの支持を集める福沢と政治家として薩長に対する大隈の結託は、時の政権には脅威に映ったのでしょう。
 それがあの「政変」の発端になったという学者もいます。

 福沢の一言が、のちに「剣牛」(ケンブリッジとオックスフォード)を真似て、「早慶」なる伝統を、日本に築いたことは誇らかなことではあります。

 そんな思いを馳せながら、9回まで、応援の早稲田マーチに心を弾ませて、試合に見入っていたのです。


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直立不動の人民解放軍兵士

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二階のバルコニーに置かれているテーブルです。ここで、朝、私は道向こうの森から聴こえて来るせせらぎと鳥の声に耳をすませていっときを過ごします。ともかく、つくばに暮らして、いいなあと思うひと時となっています。休暇中、ひと時は時に、ふた時にもなってしまうのです。


 1978年8月、私は、広州の街で一人の若い人民解放軍の兵士と話をしました。

 同年8月12日、日中友好平和条約が北京で締結されて直後の、日本で最も早い訪中団の一員として、私は香港から広州に入っていたのです。
 もちろん、羅湖辺りはまだ農村地帯で、深圳のような近代的な街は影も形もありませんでした。
 そんな広州の公園の一角に、複数の軍の車両が駐車し、兵士たちがたむろしていました。
 その端っこのベンチに腰掛けていた兵士に、私は何気なく近づき、挨拶をしました。
 驚いたことに、私から挨拶を受けた若い兵士は、それまで丸めていた背中を一気に伸ばし、さらに立ち上がり、直立不動となり、私に挨拶を返してくれたのです。
 そこへ、上官らしい兵士がやってきて、任務中であるとかなんとか言って、兵士を私から遠ざけたのです。

 訪中団に付いていた中国共産党から派遣された説明員に、彼らはこれからどこへいくのかと尋ねると、わからないと言ったきり、それ以上近づいてはいけないと鋭い目つきになって、私の腕を掴み、兵士達がたむろする一帯から私を遠ざけたのです。

 翌年、中国とベトナムの間で戦争が起こりました。
 カンボジアのポルポト政権を崩壊させたベトナムに対して、カンボジア支援をしていた中国が<懲罰>を与えると言ってベトナムに攻め込んだのです。
 当初、有利に戦いを進めていた中国ですが、アメリカとの戦争で鍛錬されていたベトナム軍に程なく大きな痛手を与えられ、追い返されたのでした。

 日本で、そのニュースに接した私は、きっと、あの時、広州の公園にいた兵士達は、まもなく始まるベトナムとの戦争の最前線に陣取る兵士たちではなかったかと思ったのです。
 だとしたら、あの直立不動となった若い兵士はどうなったのだろうとも考えたのです。

 中国のことを学び始めて、現代文学の勉強と同時に、私は新中国の歴史や社会にも興味を持っていました。
 とりわけ、毛沢東の思想には大きな関心を持っていたのです。

 その毛沢東が、人民解放軍の前身である「中国工農紅軍」の規律を守るために発した「三大紀律六項注意」を私は中国語を学ぶ教科書で知っていました。
 その後、これは「三大紀律八項注意」となり、人民解放軍に受け継がれるのです。

 三大紀律とは、指揮に従って行動せよ、人民のものは針1本糸1筋もとるな、獲得したものはすべて中央(共産党本部)に提出せよ、という規律です。
 八項注意とは、寝たあとは戸板を上げよ、寝ワラにした乾草は縛れ、話し方は丁寧に、売買はごまかしなく、借りたものは返せ、壊したものは弁償しろ、婦女をからかうな、捕虜を虐待するなというものです。

 当時、私が学んだ中国語の教科書では、人民のものは針一本もとってはならないというのを、日本軍が人民からなんでも奪い取ったことと絡めて物語っていたと思います。
 もちろん、これは北京の出版社が編集した教科書で、英語で書かれ世界中に配られていたものです。
 ですから、この教科書で学んだ学生達の中には、毛沢東の教えは素晴らしく、それに対して、日本軍というのは残酷で、酷い仕打ちをしていたのだなと思ったはずです。

 しかし、じっくりと読み返せば、八項目のきまりを言わなくてはならないほど、その軍隊はだらしなかったということを示しているとも言えるのです。
 起きたら布団はたたむ、大きな声でまくしたてるなどは今時の中国人旅行者にもあてはまるのではないかと思うくらいです。

 さらに、偽物を作ったり、知的財産を無断で使ったり、自分のものでないものを自分のものであると言ったり、そうしたことを国レベルで行ったりするわけですから、毛沢東の教えを現代の中国が再学習しなくてはなりません。

 そして、三項の方はといえば、一方で針一本取るなと言っておきながら、他方でとったものは中央に差し出せと言っているのです。
 毛沢東には『矛盾論』という著作がありますが、これこそ矛盾そのものであるとも言えます。
 
 意地悪な見方をついしてしまいましたが、それでも、若い日の私は新中国の理想を受けとめるにたる柔軟な精神を持っていました。
 しかし、その柔軟な精神を覆したのが、1989年の「六四」すなわち、天安門事件です。

 人民に奉仕する解放軍が、人民に銃口を向け、戦車で踏みつけたのです。

 毛沢東はその「三大規律」で言っています。
 兵士たちは、指揮に従って行動せよと。

 しかし、私たちは見たのです。
 
 一台の戦車が、その前に立ちはだかった一人の青年を避けようとし、先に進めなかったことを。つまり、兵士は良心を優先させ、指揮には従わなかったということです。

 今、習近平が盛んに軍の閲兵を行っています。
 中国共産党の過去の例に見ることのできない閲兵の回数であり、ありようなのです。
 軍を掌握している証しであると中国の報道は伝えます。

 しかし、それを伝えれば伝えるほど、事態は反対なのではないかと……。

 あの戦車のように、あるべき姿に対して、軍が党の言う所の前進を渋っているのではないか、同時に、国内に鬱屈するあの戦車の前に立ちはだかった青年のように、それが幾百人、幾千人、幾万人となることを懸念しているように思えて仕方がないのです。
 
 歴史は、結局、行くところまで行くしかないのです。
 中国は、はて、どこへ行こうとしているのか、じっくりと見ていきたいと思っているのです。


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nkgwhiro

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《8/22  Tuesday》

❣️<Puboo!>にて、『神様のおかげ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『The silhouette:The person who sits down in a seashore bench
It's covered with a green tree and give the shade of a tree to two people. Many waves are surging over the beach.A vast sea and the sky spread over it.
人影 : 卸下腰到海岸的长凳的人。绿的树木落到身上,将树阴给予二人。向海滨的对面几个也波浪涌来。并且,到那个对面汪洋大海和天空扩展着。』の絵を公開しました。

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