直立不動の人民解放軍兵士

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二階のバルコニーに置かれているテーブルです。ここで、朝、私は道向こうの森から聴こえて来るせせらぎと鳥の声に耳をすませていっときを過ごします。ともかく、つくばに暮らして、いいなあと思うひと時となっています。休暇中、ひと時は時に、ふた時にもなってしまうのです。


 1978年8月、私は、広州の街で一人の若い人民解放軍の兵士と話をしました。

 同年8月12日、日中友好平和条約が北京で締結されて直後の、日本で最も早い訪中団の一員として、私は香港から広州に入っていたのです。
 もちろん、羅湖辺りはまだ農村地帯で、深圳のような近代的な街は影も形もありませんでした。
 そんな広州の公園の一角に、複数の軍の車両が駐車し、兵士たちがたむろしていました。
 その端っこのベンチに腰掛けていた兵士に、私は何気なく近づき、挨拶をしました。
 驚いたことに、私から挨拶を受けた若い兵士は、それまで丸めていた背中を一気に伸ばし、さらに立ち上がり、直立不動となり、私に挨拶を返してくれたのです。
 そこへ、上官らしい兵士がやってきて、任務中であるとかなんとか言って、兵士を私から遠ざけたのです。

 訪中団に付いていた中国共産党から派遣された説明員に、彼らはこれからどこへいくのかと尋ねると、わからないと言ったきり、それ以上近づいてはいけないと鋭い目つきになって、私の腕を掴み、兵士達がたむろする一帯から私を遠ざけたのです。

 翌年、中国とベトナムの間で戦争が起こりました。
 カンボジアのポルポト政権を崩壊させたベトナムに対して、カンボジア支援をしていた中国が<懲罰>を与えると言ってベトナムに攻め込んだのです。
 当初、有利に戦いを進めていた中国ですが、アメリカとの戦争で鍛錬されていたベトナム軍に程なく大きな痛手を与えられ、追い返されたのでした。

 日本で、そのニュースに接した私は、きっと、あの時、広州の公園にいた兵士達は、まもなく始まるベトナムとの戦争の最前線に陣取る兵士たちではなかったかと思ったのです。
 だとしたら、あの直立不動となった若い兵士はどうなったのだろうとも考えたのです。

 中国のことを学び始めて、現代文学の勉強と同時に、私は新中国の歴史や社会にも興味を持っていました。
 とりわけ、毛沢東の思想には大きな関心を持っていたのです。

 その毛沢東が、人民解放軍の前身である「中国工農紅軍」の規律を守るために発した「三大紀律六項注意」を私は中国語を学ぶ教科書で知っていました。
 その後、これは「三大紀律八項注意」となり、人民解放軍に受け継がれるのです。

 三大紀律とは、指揮に従って行動せよ、人民のものは針1本糸1筋もとるな、獲得したものはすべて中央(共産党本部)に提出せよ、という規律です。
 八項注意とは、寝たあとは戸板を上げよ、寝ワラにした乾草は縛れ、話し方は丁寧に、売買はごまかしなく、借りたものは返せ、壊したものは弁償しろ、婦女をからかうな、捕虜を虐待するなというものです。

 当時、私が学んだ中国語の教科書では、人民のものは針一本もとってはならないというのを、日本軍が人民からなんでも奪い取ったことと絡めて物語っていたと思います。
 もちろん、これは北京の出版社が編集した教科書で、英語で書かれ世界中に配られていたものです。
 ですから、この教科書で学んだ学生達の中には、毛沢東の教えは素晴らしく、それに対して、日本軍というのは残酷で、酷い仕打ちをしていたのだなと思ったはずです。

 しかし、じっくりと読み返せば、八項目のきまりを言わなくてはならないほど、その軍隊はだらしなかったということを示しているとも言えるのです。
 起きたら布団はたたむ、大きな声でまくしたてるなどは今時の中国人旅行者にもあてはまるのではないかと思うくらいです。

 さらに、偽物を作ったり、知的財産を無断で使ったり、自分のものでないものを自分のものであると言ったり、そうしたことを国レベルで行ったりするわけですから、毛沢東の教えを現代の中国が再学習しなくてはなりません。

 そして、三項の方はといえば、一方で針一本取るなと言っておきながら、他方でとったものは中央に差し出せと言っているのです。
 毛沢東には『矛盾論』という著作がありますが、これこそ矛盾そのものであるとも言えます。
 
 意地悪な見方をついしてしまいましたが、それでも、若い日の私は新中国の理想を受けとめるにたる柔軟な精神を持っていました。
 しかし、その柔軟な精神を覆したのが、1989年の「六四」すなわち、天安門事件です。

 人民に奉仕する解放軍が、人民に銃口を向け、戦車で踏みつけたのです。

 毛沢東はその「三大規律」で言っています。
 兵士たちは、指揮に従って行動せよと。

 しかし、私たちは見たのです。
 
 一台の戦車が、その前に立ちはだかった一人の青年を避けようとし、先に進めなかったことを。つまり、兵士は良心を優先させ、指揮には従わなかったということです。

 今、習近平が盛んに軍の閲兵を行っています。
 中国共産党の過去の例に見ることのできない閲兵の回数であり、ありようなのです。
 軍を掌握している証しであると中国の報道は伝えます。

 しかし、それを伝えれば伝えるほど、事態は反対なのではないかと……。

 あの戦車のように、あるべき姿に対して、軍が党の言う所の前進を渋っているのではないか、同時に、国内に鬱屈するあの戦車の前に立ちはだかった青年のように、それが幾百人、幾千人、幾万人となることを懸念しているように思えて仕方がないのです。
 
 歴史は、結局、行くところまで行くしかないのです。
 中国は、はて、どこへ行こうとしているのか、じっくりと見ていきたいと思っているのです。


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北京と地方の学生にも違いがあったんですね

おはようございます。

友人が北京大学に留学していましたので、あの時はNHKのニュースを見てとても心配しました。
メールなどもなく、情報はニュースだけでした。
結局、彼は、幸か不幸か(彼の弁です)、日本に一時帰国していたということで安心をしました。

あれだけの騒動を戦車を使って鎮圧する政府は、私はどうにも好意を持てなくなったのです。
でも、中国の文学や文化を愛し、尊敬する気持ちはもっています。
ですから、なおのこと、複雑な気持ちなのです。

では、失礼します。
コメントありがとうございました。

No title

今日は
当時北京在住の私の友人は天安門事件の現場で見ていました。
写真を送って呉れました。色々と評価がありますね。

知り合いの中国人はあの時の最前で抵抗していた学生は地方から集まって来た学生で、北京の有力大学の学生は後方にいて、戦ったと言えないと話しております。中国人のありようを見るような気がしております。
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