優れた経営者と教育

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子供の笑いほど無垢なものはありません。そこには、純粋に、楽しい、面白い、愉快だ、軽快だ、幸せだという気持ちがにじみ出るからです。お追従も、気配りも、魂胆もない笑いを大人も取り戻さなくてはなりません。


 ちょっと昔のことなので、今、あるのかどうかはわかりませんが、首都高速に乗って、竹橋から、一の橋、そして、品川方面へと抜けていく際、実際のヨットを使った看板がありました。
 なんでも、創業者の二代目を教育する経営者の学校というようなものだったと思います。

 父親が起業し、息子がその後釜に座る。
 しかし、甘く育てられたお坊ちゃんでは、先行きが心配、そこで、このような学校ができたんだと考えています。それにしても、ヨットが看板では、甘く育てられたお坊ちゃんが、本当にしっかり育つのかと不安視したことも覚えています。
 もっとも、最近の二世たちは、存外しっかりと父の業績を受けて努力しているのではないかと、あの会社、この会社を見て思っていますから、きっと、ヨットの看板の二世教育事業はもうなくなっているのかもしれません。

 専門家によると、経営者に求められる力とは、グローバル化の中での英語力、長期的な視点での経営判断力、そして、ビジネスシーンでの即断即決できる精神力であるということのようです。

 第一線で活躍する社長の英語力は、業績に大きく影響するというのは間違いではありません。
 英語が堪能であることは、グローバル社会での人間関係の構築、商売の駆け引きにおいて必要不可欠な要素であることは確かなことです。
 そこに、通訳が入るのでは、次に示された二点の「経営判断」「即断即決」に陰りが出てしまいます。

 長期的な視点での経営判断というのは、在任期間を超越して、100年の経営方針を打ち立てる意欲を言います。すでに、創業者がそれをなしていれば、その方針に沿って、経営基盤を盤石にする方策を打ち出すことなのです。
 つまり、トップにあるものは、ワンジェネレーション先の在りようを見据えよということです。

 ビジネスシーンでの即断即決というのは、これは日本の企業で、よく見られる「会社に持ち帰って検討」という判断保留のあり方ではダメだということです。
 つまり、それでは、スピード感に欠け、同時に、信頼感を失うのが今のビジネスシーンであるということです。

 すなわち、現代の経営者というのは、その場で、与えられた条件や情報を判断分析し、それが自社にどのくらい有益性を持って働くのかを即座に見極めなければならないのです。
 その結果、この話は受けることができないと伝えたとしても、なら、この条件ならと相手もまた折衷案を提示してくる可能性もあります。その場で折衷案がでなくても、この人は仕事ができるということが念頭に残り、次の素晴らしい仕事の芽がそこに生じるものです。
 こうしたことが、いわゆる国際ビジネスというものです。
 
 一部署の課長なり係長なりに、最高判断ができないのことは、誰もが承知しています。
 その課長が、はいわかりました、やりましょうと言ったとしても、相手は安心ができないでしょう。口先だけで、ある程度話が進んだら、その話はなかったことでは損失が出てしまいます。

 ですから、課長クラスには課長なりの判断、決断があるのです。
 例えば、提案を把握し、それへの前向きな意見を述べ、しかるべき日に上司とともに再訪し、話を進めたいといえば、それはそれで素晴らしい決断なのです。

 しかし、経営者になると、そうはいきません。
 その場で決断ができなければ、いけないのです。担当者ともよく話をさせてもらって、後日おしらせしますでは、その会社にもう二度と仕事は回ってきません。
 この話は、今回、我が社ではお引き受けできないときっぱりと断るか、反対に、力強い握手をしてプランを現実化していくかのどちらかなのです。

 日本に限らず、世界のトップに君臨する経営者は、常日頃、その判断を求められ、決断をしているのだと思います。
 
 せんだって、珍しく、つくばセンター近くの公園を犬を連れて散歩をしました。
 一人の外国人青年が、木陰のベンチに腰掛けて、盛んにパソコンのキーボードを叩いています。
 年頃からすると、院生か、もしくは、近隣にある研究所に勤務する青年のようです。

 この日に限って、iPhoneを忘れてしまい、時刻を知りたかった私は、その彼に時刻を尋ねました。拙い英語で問うたのですが、返ってきた言葉は流暢な日本語でした。

 この昼間に、パソコンの画面が見えにくくないですか、ずいぶん夢中になってパソコンに向かっていますね、小説でも書いているんですかと、見も知らぬ方に、普段はあまり言葉をかけることをしない私ですが、その青年の一生懸命さに心打たれて、声をかけてしまったのです。

 その青年、私の問いかけに嫌な顔一つせず、自分は起業のためのプランを作っているというのです。日本で起業し、成功するのだと言っていました。この人は、アイルランドから来た青年でした。母国では立ちいかないので、世界最先端の国である日本で成功をしたいと活動をしているというのです。

 いやはや、立派というほかありません。
 大手の会社に入って、豊かな生活をしたいというのではなく、自分で会社を作って、苦労を覚悟で成功したいというのですから。

 経営者を育てる教育というのは、それ以前に、その人の中にある意欲、あるいは壮大な夢があって、初めて花開くものであると、その時私は痛感したのです。
 ですから、優れた経営者というのは、教育で作り出すものではなく、その人の中にある何か偉大な思いがあって生まれるものであると実感した次第なのです。


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ハイ・ティ(私の貴重な体験)

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オーストラリアの友人たちは、一隻のボートを自宅に置き、あるいは、一台のキャンピングカーを所有して、レジャーを楽しんでいます。ちょっと、お金があれば、自宅にプールを作っていたりしますが、暖炉はあまり見かけません。多分、気候のせいだと思います。我が家の自慢はその暖炉があるということです。子供達が暖炉の火にうっとりしている姿を、この絵は描いています。


 初めて、オーストラリアに行った時のこと、ホームステイ先の家庭で、特異な経験をしたことを覚えています。
 ご主人は、TAFEという職業専門学校の教師、奥様は陸軍の事務官という家庭でした。
 お子さんは、高校生の女子と男子の二人です。
 
 その家で、今日は「イージー・ティ」なんだと言われました。
 週に一回、夕食をそれにするというのです。
 
 初めてのオーストラリアで、私は戸惑うことばかりでした。
 しかも、ホームステイです。
 昼間、学校に出かけて、引率する生徒たちの授業に立ち会いますが、取り立ててすることもないのです。生徒たちは、友人もできて、オーストラリアでの学校生活を楽しんでいます。
 夕方、と言っても、午後の3時ですが、私たちは生徒とともに学校を追い出されます。
 オーストラリア人の教師たちは、この後、仕事を家庭でするのです。
 宿題やテストの採点などです。
 部活動は、それを専門とするクラブが地域にあって、それをやりたい生徒がそこへいくのです。
 ですから、私は、何をすることもなく、6時間程度の学校での滞在を終えて、ブラブラと街中を歩いて、ホームステイ先に戻るのです。

 そして、水曜の午後、今日の夕食は「イージー・ティ」だと言われたのです。

 朝は、コーンフレークという生活は今では慣れていますが、当時は、朝食をしっかりととる生活をしていましたから、牛乳にコーンフレークという朝食はたいそうきつかったことを覚えています。
 昼は、サンドイッチを作ってくれて、それにリンゴを丸ごと一個を持たせてくれます。
 サンドイッチの中身は、ハムとチーズです。
 毎回、それです。

 そして、今日は「イージー・ティ」というわけです。

 その中身は、陸軍に勤務する奥さんが作ってくれたパンプキン・スープのみでした。
 まさか、これだけかと思いながら、ゆっくりとスプーンを口に運びます。
 もしかしたら、スープを飲み終わったら、チキンの丸焼きが出てくるのではないかとか、パンの一切れでも差し出されるのではないかと期待は膨らむのですが、一向にその気配はありません。
 家族の皆も、じっくりと味わいながら、濃いスープをスプーンを口に運んでは味わっています。

 そして、食事は終わりました。

 ホームステイすると、その土地に生活するいろいろなことがわかります。
 旅行とはまた違った経験ができて、それはそれなりに楽しいものです。

 こんなことを思い出したのは、「ハイ・ティ」なる言葉を新聞の記事に見つけたからなのです。
 それは英国の労働者階級の生活から生まれたというものです。
 北部イングランドと隣接するスコットランドで、労働者が家に帰ってくるなり、パンと紅茶、それに肉料理を食べて、労働の後の空腹を癒したことから始まったと記事には書いてありました。
 彼らはテーブルについて、祈りを捧げて食事をするのではなく、立ったまま食事をしたから、「ハイ・ティ」という言葉が生まれたともいうのです。

 きっと、ささっと食事して、仲間でどこかのパブに行っては、そこで、ビールを注文して、組合の話をしたり、与太話で盛り上がったのだと思うのです。
 記事には、英国人は、食事を意味する単語に「ティ」を用いることがあり、特に、労働者階級では、ティとディナーを独自に使い分けるとありましたので、それと知らない旅行者などは、時に混乱をすることがあるかと思います。

 その混乱した一人が、実は、私だったのかもしれません。

 オーストラリア人の多くは、イギリスからの移民の子孫です。
 身分制度が厳然として残る、堅苦しいイギリスから逃れてきて、それでも、根っこの部分ではイギリスの労働者階級の生活の在りようを伝えているのです。

 学校が午前中で終わりになった日、この日は、学校が何かの行事で使うので、そうなったのですが、私たちは、早々に学校を追い出されてしまいました。
 生徒たちは、それぞれのホームステイ先の親御さんが迎えにきて、さっと帰宅しました。
 私は、仕方がないので、サンドイッチを持って、町の中心部の方、ショッピングセンターの方へと歩いて行きました。

 そこで、見たのは、うら若き女性がカフェテラスで、ローストチキン丸ごと一羽にかぶりついている様子でした。
 周りを見回しても、皿に盛られた、相当な量のランチを食しているではないですか。

 私は、きっと、彼ら彼女らは、昨夜は「イージー・ティ」に違いないと思ったのです。
 
 一羽のチキンを食し、大きなピッザを頬張り、そうして、夜はスープ一杯で過ごすのです。
 当時の私には考えられない食生活です。

 一ヶ月あまりのオーストラリア滞在で、私は見事、ダイエットに成功したことは言うまでも在りません。

 それもこれも、今となっては、貴重な体験であったと思っているのです。


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あゝ、『煙』が目にしみる

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今の子供は、当たり前のように、電子機器を扱います。誰が教えたわけでもないのに、指をスライドさせて、画面を切り替えるのです。子供はじっと大人のやることを見ているのです。そんな風景を絵にして見ました。


 10日あまり前のことですが、超党派の日米国会議員連盟に与する議員たちがワシントンを訪問しました。その折、米国の議員たちと会談し、北朝鮮の一連の動きについて、「脅威が新たな段階に入っている」との認識で一致しました。

 さて、この「脅威」「新たな段階」とは一体何を、どう意味しているのでしょうか。

 現在、釜山の港には、第1空母打撃群の空母「カール・ビンソン」が入港しています。
 もちろん、これは毎年実施されている米韓合同訓練のためであり、朝鮮半島周辺での訓練を実施し、有事に備えるという、独立国家であれば、しかも、隣に好戦的な国家があれば、極めて当然の訓練対応でもあるのです。

 しかし、新聞を読んでいますと、尋常でない文言も、この米韓合同訓練には見られるのです。それは、「北朝鮮指導部を排除する作戦」というものです。
 米韓の精鋭部隊が平壌に潜入して、北朝鮮指導部の抹殺を図ると、私などは短絡的に考えますが、実はそうではないようです。

 というのがあって、これは、米軍のステルス機が平壌上空を飛行し、バンカーバスター弾を投下するというものです。

 昨日でしたか、サイパンからステルス爆撃機B−2が朝鮮半島に飛来したようですが、このB–2には、バンカーバスター弾GBU-28が8基搭載可能なのです。
 バンカーバスター弾というのは、地下50メートルまでを破壊することができる地中貫通弾です。
 本当かどうかわかりませんが、北朝鮮の核心なる人物は、米韓合同演習中には、地下50メートルに作られた防空壕で暮らしているといいますから、それを標的にしていることが明らかな爆弾なのです。

 これまで、アメリカは「戦略的忍耐」なる言葉を使って、北朝鮮に対してきましたが、先の日米国会議員連盟と米国の議員の会談での「脅威が新たな段階に入っている」との言葉のあり方からすれば、「戦略的忍耐」の放棄につながることは間違いないようです。

 もし、アメリカが平壌の爆撃計画を綿密に練っているとするならば、まず、日本の了解が必要です。いくつかのミサイルが放たれ、在日米軍基地、そして、東京や私の暮らすつくばにも落ちる可能性があるからです。
 ミサイルが着弾する前に撃ち落とすための、日米両軍のすり合わせが重要になります。
 日本政府の動きを見ていますと、アメリカの作戦遂行に同意をすることは間違いありません。

 そして、問題は中国です。
 今月4日、第7艦隊は、ニミッツ級空母「ジョン・ステニス」、誘導ミサイル駆逐艦「チャン・フー」「ストックデール」、誘導ミサイル巡洋艦「モービルベイ」、補給艦「レーニア」などの艦船が、1日から南シナ海東部に展開していると声明を出しました。
 
 そして、8日、全人代開催中に、日本は心の病を治せと偉ぶった記者会見をした王毅が、これも偉そうに、米朝は頭を冷やせと自制を求めました。
 その後、新聞はこれに対する日米の反応を伝えていません。
 日本は、心の病と言われても誰も反応をせず、一方、アメリカは自国及び同盟国防衛のため、王毅の言を一蹴したのです。

 南シナ海で、ついこの間、遼寧が発着艦訓練を行った海域で、それに数倍する、否、数十倍する発着艦訓練を米海軍空母打撃群は、あたかも見せつけるかのようにそれを行なったのです。

 海軍は通常の派遣であり、通常の訓練を行っていると述べていますが、米国防総省は、この訓練を、「米国や他国の権利と自由を制限する行き過ぎた海洋権益の主張」に対抗することが狙いだとしているのです。

 さらに、15日、こんなニュースが出てきました。
 
 共和党のルビオ、民主党のカーディンの両上院議員が、東・南シナ海で不法行為に関与した中国の個人・企業などに制裁を科すための法案を提出したというのです。

 明らかに、南シナ海での人工島に軍用基地を建設していることを睨んでの法案提出であり、それを党を超えて出したということは、大変重要な意味を持っています。
 この不法な建設に関与した人物と企業に対して、制裁や査証の発給停止をするというのですから、対ロシア政策に近い強硬な対応と言えるでしょう。
 もっと、すごいのは、この法案に、東・南シナ海での中国の主権を認めた国家に対する米国の援助を制限することも明記したということです。
 これは、中国の金で動く、東南アジア諸国及びアフリカ諸国に対しての明確な圧力になります。
 つまり、アメリカは「本気」なのです。

 14日、朝鮮中央通信は、米韓演習を批判し、「われわれの自主権と尊厳を少しでも侵害すれば、わが軍隊の超精密打撃が地上と空中、海上で無慈悲に加えられる」と威嚇しました。

 でも、私は日本とかの国の『煙』に注目しているのです。

 護衛艦「こんごう」、イージス艦「きりしま」のミサイル発射映像を見て、そして、昨日17日、日本政府の情報収集衛星の打ち上げ映像を見ても、6日に発射された北朝鮮の4発のミサイルと大きく違うことに、誰でも気がつくはずです。

 それは、噴射の『煙』の違いです。

 あの『煙』の差は、如何ともしがたい彼我の「差」を示しています。
 噴出されるエネルギーの差、そして、発射技術のレベルの差です。

 きっと、かの国の核心なる男の目には、自国の安っぽい『煙』が、目にしみているはずです。


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私学よ、東大を目指せ!

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初めてサングラスを与えられた子供たち、ちょっと大人になったみたいに、眼に映る世界のまた違った様子に、その三者三様を描いたものです。


 ある大手の百貨店の社長さんが業績不振の責任をとって退くことになったというニュースがありました。
 つくばの街にあった唯一の百貨店もついこの間店を閉じたばかりなので、百貨店業界が厳しい状況下にあるということがよくわかります。

 では、消費は下降気味なのかというと、駅の中や駅に隣接する店などは、ことごとく繁盛して利益を上げているというのです。
 つまり、客が欲する品物を置いてあるのか、ちょっと空いた時間で買い物ができるのか、そして、安くて良い品物があるのか。
 どうやら、そこに成否を分ける秘密がありそうです。

 駅の中や駅に隣接する店では、売り上げが悪いと出店契約を切られるといいます。
 つまり、客がその店を求めていないという結論にいたるのです。
 ですから、客のニーズに応えるために相応の努力がないとここでは生き残れないのです。

 しかし、名を重んじる百貨店業界では、昔からの業者との関係を大切にし、良い品物、しかし、幾分値もはる品物、そして、固定化した裕福な客層だけを相手にしすぎた結果、業績を上げることができなかったというのです。

 この考えはよく分かります。
 まったく、その通りだと思いもします。
 ネットで、ものが買える時代というのは、自宅に居ながらにして、品物を多角的に判断できることが可能な時代です。キーボードを押せば、翌日には品物が届くのです。実際使ってみて、気に入らなければ、返却も可能なのです。

 そんな時代に、旧態依然とした「あきない」が立ち行くはずがありません。

 実は、それは学校も同じなのです。
 学校は生徒がいなければ、成り立ちません。
 公立なら、生徒がいなくなれば廃校、近隣の学校と統合し、教師たちも移動すれば済むことですが、私学はそうはいきません。
 死に物狂いで生徒を集めなければなりません。
 そうでないと、職を失うことになります。あるいは、惨めな思いで教育活動に従事することになります。

 教育の現場では、生徒の活気があって、初めて、成果を上げうることができるのです。

 少人数クラスとか、一人ひとりに目が届く教育とか素晴らしい言葉が羅列されますが、生徒を伸ばし、社会で活躍する人材を育てる教育現場というのは、熾烈な競争と大多数の中で頭一つとびだすことができる環境が必要なのです。
 それをしてきたのが、これまでの私学のあり方でした。

 私学は生き残るために、東大に、あるいは、京大に何人の合格者を出すかを競ってきました。
そのために、成績を上げるための工夫をし、時には、かなりせこい手を使ってでも、その数字を求めてきたのです。

 今月も10日に東大の合格発表がありました。
 伸ばした学校、落ち込んだ学校、安定感のある学校と、各校それぞれに喜怒哀楽を見せたことと思います。

 東大に生徒を入れることに執着するなんて教育現場のやることではないという意見があります。
 でも、日本の最高峰の、しかも、国の支援が殊の外厚い東京大学に生徒を送り込む教育というのは、決して間違いではないのです。
 生徒にとって、この条件は素晴らしいことなのですから、そこを目指して勉強することはきっと人生において実りをもたらすことにつながるのです。
 
 教師には、教え子を東大に送り込むために、まず、情熱がなければいけません。
 自分が東大に行くくらいの情熱です。
 学校も、生徒を東大に送ることを全面に押し出していかなくてはなりません。
 自分の好きな大学に行きなさいとか、グローバリズムの中で海外の大学にという安易なものでは、その学校は少子化の日本の中で生き残ることはできないのです。

 東大を目指し、その結果、早慶、あるいは、海外大学というのでなくてはならないのです。

 小売業界が旧態依然としたあり方で衰退していったのと同じように、私学も、生徒が数多いた時代の、栄光の歴史におんぶに抱っこでは消えて無くなることは目に見えているのです。

 私学が最上位のレベルで生き残るためには、青年の持つ意欲を信頼することにつきます。
 彼らは、青年特有の自尊心を強く持ち、自らの可能性を愚かなくらいに信じているのです。

 甲子園を目指さない野球部に優れた部員が集まらないのは自明の理です。
 同じように、東大を目指す学校に、強い自尊心と可能性を信じる心を持つ生徒が集まることは、火を見るよりも明らかなことです。

 生徒集めに汲々として、いじめのない学校とか綺麗事を並べて、授業もままならない学校になっている私学の多いことを憂慮しています。
 少子化の中で、学校ヒエラルキーの中で、自尊心と可能性を持つ生徒の入学を機するには、私学が構造改革をしなくてはならないと、東大の合格者一覧を見て考えるのです。


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昭和もまた、遠くになりにけり

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三寒四温、これを繰り返して、季節が移ろっていきます。そんな時節の空もまた、趣を様々に変えます。曇天しきり、冬の重たさを示したかと思うと、かように濃い青空に太陽の光が差して、雲まで透かして見せます。さあ、季節よ、もう1回転、気張っておくれ!


 昭和6年のこと、降る雪や明治は遠くなりにけりと詠んだのは、中村草田男です。

 私は、昭和、平成、そして、来るべき次の年号の時代、つまり、三代の御代を、どうやら生きていくことになりそうです。
 父も、大正、昭和、平成を生きましたから、現代の日本人にとって、三代の御代を生きることは何も取り立てて特別なことではないようです。
 
 私にとって、昭和は、青春真っ盛り、悩み、喜び、けなされ、褒められ、落胆し、希望に満ちた時代でした。
 そして、平成は、教師という仕事に熱中し、そして、歴史や文学にも。
 その二つに力を注いだ時代でした。

 おそらく、次の御代は私の人生を締めくくる時代になると思います。
 一個の人間にとって、生老病死は避けて通れない宿命です。
 だから、私は、次の御代に、粛々と、それを受け止めていくのです。

 そんなようなことを考えていると、私がやっと歩き始めた頃、それがどういう経緯かはわかりませんが、あるいは、もっと大きくなって、私の記憶に刻み込まれたのかもしれませんが、ひとつの記憶が鮮烈に脳裏に宿していることに気がつくのです。

 それは、手押しポンプの井戸のそばで、母や近所の女の人たちが、世間話をしながら、楽しげに、洗濯をしたり、野菜を洗ったりしていた光景です。

 家々には水道がまだなく、近所に手押しポンプの井戸があって、そこに皆が集まって家事をしていたのです。
 まだ、戦争が終わって10年も経っていない頃のことです。

 私が生まれ育ったのは、竹ノ塚に新しく建てられた一戸建ての都営住宅でした。
 近所は、多くの人が東武鉄道に勤める人だったと記憶しています。
 私の祖父は東武伊勢崎線に、隣の竹内さんは東武観光のバスの運転手です。その隣の米沢さんはのちに重役にまでなるおじさんでした。

 一軒に与えられた敷地も広く、敷地内で畑を作ったり、子供たちが大きくなると建て増しをしたり、かなり自由に住人たちは自分たちの借家をアレンジしていました。

 野菜以外にも、イチジクやらザクロもその実を豊かに実らせていました。
 父の田舎は、九十九里にあり、そこからは煮干しやみりん漬けが山ほど送られてきました。
 母は、それを小分けして、ご近所に、おすそ分けですともっていくのです。
 近所には、同じ年頃の子供たちがたくさんいました。皆、どの家にも少なくても3人くらいは子供がいたのです。
 明るく、賑やかで、うるさいくらいの時代でした。

 氷屋さんというのがいて、リアカーに氷を積んで、「コオーリ、コオーリ」と声を出して売りに来ます。
 声をかけられると、氷屋さんは厚い生地で覆われていたリアカーの中から、大きな氷を出して、それをのこぎりである程度まで引きます。
 シャカシャカという、その音の心地よいことを今でも鮮明に思い出します。

 そして今度は、鋸の背を切れ目に入れて、パチンと割るのです。その手際の良さにうっとりしている私の姿も目に見えるようです。
 氷屋さんは、それを手にして、台所まで上がってきて、木製の冷蔵庫の上の段に入れてくれるのです。
 
 その氷屋さんも消えていってしまいました。
 電気冷蔵庫が家庭に入ったのです。
 程なく、炊飯器が入り、洗濯機が入ると、母たちはもう井戸端に集うことはなくなったのです。
 私の脳裏に宿る、井戸端のあの光景こそが、私に「昭和の原型」をイメージさせるのです。

 日本は戦争に負けたけど、負けたのは男たちであり、女たちは便利な家電を手にして、そのおけげで、有り余る時間までを手にして、その時間をテレビジョンで費やすようになったと誰かが言っていました。
 昭和の、先端を行く技術は、女たちの喜ばしい横着を促し、それまでの面倒な家事から解放していったのです。
 まさに、昭和の女たちは、「戦争」に勝利したのです。
 
 昭和という時代は、画期的な繁栄を実現した、日本の歴史の中で、最も高揚した時代でもあったのです。

 平成の今、ついこの間までの昭和の面影は、一切合切なくなりました。
 ものの見事にです。
 そんな姿、日本らしいなって思うのです。

 次のまだ名も無い御代が始まると、きっと、数十年して、誰かが平成の御代を懐かしむのではないかと私は容易に察しがつきます。
 その時もまた、平成を懐かしみ、その面影を求めることでしょう。

 人の世というのは、いつも、このような繰り返しなのです。


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