Did you see that?

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この色あざやかなグラデーションは誰がつけたものなのでしょうか。人がグラデーションと呼ぶある種の芸術性は、自然の中にあるのです。人の芸術性は自然を凝視することで養われているのです。


 1963年11月4日のことです。
 英国王室が主宰する音楽会に、ロックバンドとして初めてビートルズが招待を受けました。

 ジョン・レノンがツイスト・アンド・シャウトを演奏する前に、マイクの前に立ち、ちょっと恥ずかしそうな、それでいて、意地悪そうな表情を見せて、そして、言います。

 「次の曲では皆さんも協力してください。安い席の人は拍手を、高い席の人は宝石をジャラジャラ鳴らしてください」と。

 明らかに王室から参加している方々のドレスとそこに散りばめられている宝石を揶揄しての言葉ですが、王室相手に不謹慎だと言う声は一向に出てきませんでした。
 それよりも、そのユーモア精神に対して、快哉を叫んだのです。

 それがイギリス国民なのです。

 その王室も、ユーモア精神を、そこにある批判性を遺憾なく発揮した事例があります。
 2015年10月、習近平が英国を訪問した折に、面子を保つために、中国側はなんやかやと随分とゴリ押しをしたということです。
 そして、半年後の5月の園遊会の折に、女王はその時の警備責任者に、「大変でしたね、あの方達は、交渉に当たった大使に対しても随分と失礼なことをしたようですね」と述べるのです。
 しかも、その言葉が伝わるように……。
 さりげなく、そして、手厳しく、相手を打ちのめすのです。

 そうした傲慢で、一方的な中国政府のあり方に対して、列席した王室関係者が習近平のスピーチに拍手をしないという姿勢で臨んだり、また、晩餐会に、天安門事件の起きた年の「赤ワイン」を出したり、チャールズ皇太子が欠席をしたりと英国らしい、さりげない、そして、辛辣な対応で返礼をするのです。
 
 きっと、英国民は、顔を寄せ合って、<Did you see that?>と言い合って、快哉を叫んだに違いありません。

 王室も揶揄されるけれど、自分たちも失礼で傲慢な相手にはさりげなく、かつ、辛辣に対するというユーモアの伝統は、英国の文化を知る上で大切な要件です。

 日本でも、時の政権に対して、「アベ政治を許さない」という標語があちらこちらで見かけることができますし、首相にちょび髭をつけて、かの有名な独裁者に仕立てたりしています。
 だからと言って、不敬であると警察がそういう人たちを検束するというわけではありません。
 もし、日本で政府がそれをやったら、その政権を維持することは困難になることでしょう。

 日本人も、英国から100年以上にわたり、多くを学んできましたから、その程度のことは受けとめる了見を持っているのです。

 ですが、世の中にはそうではない国があります。
 ですから、私たちがそういった国に出かけるときは、ちょっと注意をしなくてはいけないということになります。

 今や、ネットで物事を知る時代になりました。
 悪く言えば、メジャーな報道よりもネットでの情報を信頼する方が多くなっている時代です。
 ですから、ネットでの情報発信は極めて大きな力を持つようになっているのです。
 それは、ネットを使って、作品を発表している私にはよくわかることなのです。

 ロシアが反政府活動を抑え込むために、ネットへの規制強化をすると言い出しました。
 中国やトルコもまた、同じように、ネットへの目を光らせて、政権に対して批判的なことを言えば、それをたちどころに断ち切るという算段を講じています。

 しかし、そんなことにめげるネットユーザーたちではありません。
 iPhoneの設定にあるVPNというルートを使えば、あらゆる情報と繋がることができることをネットユーザーたちは知っているのです。
 規制の抜け穴を探し当てた彼らは政権の目を盗んで、情報を発信するのです。

 ネットを使って活動する私たちは、その政権の目を盗んで発信された情報を大切にしているということなのです。

 中国政府は、今、大手の騰訊控股(テンセント)、新浪(シナ)、百度(バイドゥ)への調査に着手しています。
 共産党は無能だととか、好きではないという発信を、AIに好き勝手にやられては困るのです。
 先に述べたあの女王の発言も、国内では画面が真っ暗になり、人民は何かあったなと気がつくのですが、言葉に出してはそれ以上の詮索はしません。

 英国民は声を潜めて、<Did you see that?>と言いますが、人民は黒い画面を見なかったことにして<是什么有?>とは言わないのです。

 でも、確かに、自分の言葉で発し、英国民も恐れ入るユーモアの達人が中国にはいるのです。

 習近平のあのずんぐりした体型をくまのプーさんになぞらえ、ネットに盛んに投稿したネットユーザーたちこそ、そのユーモアの達人です。
 アメリカ大統領、それに日本国首相と並んで写った写真と合わせて、くまのプーさんが背の高いライオンや、タレ目のロバと並んでいる絵を重ねて、また、北京での閲兵の時、オープンカーで閲兵する姿を、くまのプーさんが車に乗ったあのおもちゃとダブらせて掲載したのです。
 アメリカ大統領や日本国首相が自分をライオンにするなど侵害だとか、タレ目のロバはないでしょうとクレームをつけることはありません。
 しかし、中国ではそれがあるのです。

 そのユーモアはわかったけれど、どこが批判的なのとまだ疑いを持っている人もいるでしょう。

 では、この「くまのプーさん」、あの反体制詩人で、ノーベル平和賞を受賞し、ガンで亡くなった劉暁波が手にしていたカップに、それが描かれていたとすれば、どうですか。

 まさに、それこそ<Did you see that?>ということではないですか。


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あの8月15日は何処へ行った

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いつも歩いている裏道で、珍妙な姿の樹形を見ました。人の想像は自由なものです。ですから、この樹形を見て様々なことを思いながら、私はその日、歩いていたのです。


 その日は、ジリジリと太陽の熱が大地を刺し、蝉の声がうるさいくらいに聞こえ、日本列島全体が言い知れぬ厳かさ、いや、どこかやるせない気持ちに覆われる日であったように、私には記憶されていたのです。

 幼い頃、竹ノ塚の借家の、広い庭の見える縁側に腰掛け、扇風機の風を受けながら、母があの時は暑い日でね、やっと戦争が終わったと内心では喜んでいたと語っていたことを、ついこのあいだのように思い出すのです。
 今晩から、寝間着に着替えて寝ることができるって、それが一番嬉しかったと言うのです。
 もう、B29は飛んでこないことが何よりだったとも語るのです。
 
 子供の頃、夏休みが始まると、九十九里の田舎から迎えがやって来て、私はお盆すぎまで、一ヶ月あまり、そこで過ごしていました。
 その時も、この日は、子供心にも特別な日であるとわかっていたような気がします。

 野球をし、海で遊び、川で泳ぎ、製材所でカブトムシを見つけ、イワシの煮干しを作る工場で手伝いをしながら、ゆでたての魚をつまむということに明け暮れしていた時も、この日だけは特別な日であったとわかっていたのです。

 それはこの地の風習で、三食、甘い餡ころ餅を食べ、墓参りのために東京から父や母が来るからではありません。
 大人の誰もが、口裏を合わせたように、戦争の時の話をしていたからです。
 誰に問われたわけでもなく、土間の中の縁側に腰掛け、挨拶がわりに戦争のあった時代の話をちょこっとしていくのです。
 
 何より、甲子園の野球を見ていて、正午になると選手たちが試合を中断して黙祷をしている光景は、この日が、日本全体で頭を下げなくてはいけない日なんだと強く頭に刻まれることになったのだと思っているのです。

 正月はめでたい1日であり、8月のこの日は、盆ということもあり、そして、厳かでありやるせない日であるという思いが長らく心の中にあったのです。
 
 そんな思いが、今年は幾分異なったものとなっていると、私は感じたのです。

 母がいなくなり、あの時代の話を聞けなくなったからだろうかとも考えました。
 お盆に、母の家にお経をあげにきてくれる坊さんが代替わりをして、息子さんが来るようになったからかしらとも考えました。

 天気予報通り、気温は30度を大きく下回り、そぼ降る雨の中で、あのジリジリと押し寄せて来る太陽の暑さも今年はありませんでした。
 つまり、心のありようではなく、肌身に染みる感覚がそう思えわせているのだと、一旦は考えたものの、私は頭を大きく横に振るのです。
 
 それは体が感じる単純な作用ではなく、やはり、心の中の起きつつある変化であるに違いないと自分に言い聞かせるようにです。

 戦争をまったく知らない世代に属する私は、母親の話で戦争の実態を聞かされ、テレビの番組を見て、あるいは、戦争を題材にした劇映画を見て、私たちの父祖の時代になされた日本の華々しい、そして、辛い戦いの時代を受け継いできているのです。
 そんなことを思うと、ふと、ある考えが頭に浮かんできました。

 それは戦争の危機がすぐそこにあるのではないかという思いです。
 日本が戦争をするのではなく、日本の両側にある国がもしかしたら戦争を始めるのではないかという危機感です。
 そして、日本はその一方と同盟を結んでいます。
 日本は、残念ながら、日本一国で自国を守りきれない国なのです。

 だから、かつて死力を尽くして戦った国と同盟を結んでいるのです。
 口さがない隣国の外交部長は、負けたからとは言わないものの、彼の国の手先になっていると公言してはばかりません。

 でも、多少とも、親や報道から知識を得ていれば、あの時代の日本人が死力を尽くしてくれたからこそ、今同盟を結んでいる彼の国も日本国に一目置かざるを得なかったのではないかと思っているのです。

 こんなことを言うと、そうではない、強制的に志願させられ、やむなく戦うハメになったという方もおられると思います。
 当然、いつの時代にも、そういう方もおられ、また、未来の子孫たちがひがむことのないように、誇りを持てなくなることのないように、そして、自分たちの犠牲が国を作っていくのだという方もおられたことを忘れてはならないのです。

 一方の証言を尊重しつつも、少なくとも、死力を尽くした方がいたことが敵国であった彼の国が日本に一目を置き、この地球上に未だかってない同盟関係を作り上げたということだと私は考えているのです。

 しかし、強固な同盟も、所詮、国と国との約束事です。
 いつ何時、思いもよらぬ力が作用して、同盟の完遂がままならない事態になるやもしれません
 同盟とはそんなものであることを、私たちは先の戦争の折に嫌という程知らされているのです。

 そんなこんなの国際情勢が、きっと空模様を動かし、この70有余年続いてきたむせ返るような暑さを取り除き、おい、日本人、わかっているか、時代は一歩前進したのだぞ、よく見てみろ、世の中は、変化しているぞ、早く気付け、早く手を打てと言っているような気がしたのです。

 もちろん、天候が国際情勢で変わるはずはありません、でも、そう思っても不思議のないくらいに、この8月15日は、何か偉大なものが私たちに何かを知らせているような気がしてならなかったのです。


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割烹の、店

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今年は暑さが今ひとつで、我が家の朝顔も、花の数がふるいません。ポツポツと咲くだけなのです。やはり、朝顔はその名の通り、朝方に満開になり、日が昇るやその花の盛りを終えるのがいいのです。


 オーストラリアに暮らす婿殿が、我が家に来ると決まって行きたいというお店があります。

 本店はつくばで、同じようなお顔をした息子さんが土浦に支店を持つ「やぐら」というお寿司屋さんです。
 しかも、予約時には、必ずカウンター席を取っておいて欲しいと言います。
 なんでも、若大将の包丁さばき、寿司を握る所作などを見て勉強したいというのです。

 ゴールドコーストで、彼は調理人をしているのです。
 ゆくゆくは自分の店をかの地に開きたいと願って、日々、頑張っているわけですが、そうそう簡単に店をもてようはずもありません。
 でも、そうした夢を持ち、ゴールドコーストで同じ夢を抱き、活動している仲間たちと実現に向けて前進はしているようですから、温かく見守っていきたいと思っているのです。
 
 若者が夢に向かって進む姿ほど美しいものはありません。

 さて、先日、婿殿の要望に応えて「やぐら」に行った時のことです。
 最近、オーストラリアでもこうした「割烹」の店が増えてきているんでよと、婿殿、私に言います。
 
 「割烹」、の店?

 と、私は少々理解するのに時間がかかりました。
 包丁で捌くことを「割」、出汁をとったりすることを「烹」というけれど、その意味以上に、客に料理するすべてを余すところなく見せる形態の店のことを言っているんだなと私は程なく理解しました。

 そう言われれば、オーストラリアのホテルやレストランはもちろん、日本のちょっと高級なレストランでも、そして、イギリスの学寮の食堂でも、調理人が慌ただしく調理している場面を見たという記憶はありません。
 むしろ、ロンドンのパブなどでは調理は壁の向こうでなされ、ウエイターやウエイトレスが出来上がった料理を持ってきてくれるというのがほとんどでした。
ですから、お寿司屋さんのように客の前で調理する形態は珍しいのです。

 客が混んでいる時など、きっと、大量の注文を受けて、調理場は修羅場と化しているのではないかとも思うのです。
 「やぐら」でも、客が混み合って来ると、大将を中心に動きが忙しくなります。
 客とやりとりしていた大将も、そういうときは、無口になって、寿司を握るのに懸命です。
 客もそれを知っていますから、声をかけません。

 婿殿を見ると、じっと大将の仕草を見ています。
 動きにムラがありませんね、動作が連続していて、それゆえ、できた料理が新鮮になる、などと私に語りかけてきます。

 私がたまに出かける店、土浦の「弁慶」、これはフグ料理の看板を掲げていますが、焼き魚も美味しい店です。
 つくばにある「コッコリーノ」、これはイタリアンで、ここも、魚料理が美味しいお店です。
 そのどれもがみなオープンキッチンで、料理人の所作を見ることができますし、料理人もそれを意識して調理をしているお店なのです。
 そうか、私が出かける店はその手の店が多いんだと今更のごとく気がつくのです。

 安心感か、それとも、婿殿と同様、調理する人の所作を眺めて、それさえも料理の一つの目玉として見ているのか、その辺りは、無頓着な私には判然としませんが、そう言われて見ると、料理も作られる過程を見ることで安心と美味しさがもたらされるということがわかるような気もするのです。

 いうまでもありませんが、どのような人が作り、その人がどのような会話をして、客にどのような相槌を打って来るのか、それらすべてが料理の味になるのです。
 つまり、調理人というのは、利口でないとつとまらない職業なのです。

 先ほど、婿殿は連続する仕事と言っていましたが、それは大いなる期待感に必然的に繋がると私も思っています。
 つまり、そう、何かがマジックのように生まれてきて、供されるという「スリリング」さです。

 魚を捌く包丁の切れ味、そして、それを切る職人の洗練された所作を見るだけで、その職人の技量が見て取れます。
 そして、まな板を叩く音、まな板や包丁を布巾で拭く所作、そこから感じられる匂い、それらが出された料理の味を決めていくのです。
 その上、その大将が、これは鳴門のなどというと、私の頭にはあの渦潮が見えて、そこを泳ぐ魚の姿さえも出て来るのです。
 それは、川エビでも、アワビでも同じです。

 料理人は、客が、自分の料理ばかりではなく、所作やうんちくに期待をしていることを十分に了解しているのです。
 それはまるで、芝居小屋で形の整った古典劇を見ているかのようです。

 完成したものを提供するのではなく、完成に至る過程を見せ、そして出来上がったものを食してもらうという日本の和食の一スタイルが、オーストラリアや欧米で、いや世界中で流行っているというのであれば、それは素晴らしいことです。
 何も隠さず、素材の素晴らしさを見せ、それを料理する技量を誇り、見た目にも素晴らしい料理にしていくのです。

 婿殿が一体どのような料理をこれから作っていくのか楽しみです。
同時に、包丁を握り、目の前のオージーたちと、サーファーズ・パラダイスの波についてうんちくを披瀝しながら、オイスター料理を提供している姿を思い浮かべるのです。


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ワセダ、ワセダ、ワセダ……

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トマトはできても、キュウリは収穫できても、パセリやセロリはうまくなるのに、スイカだけは実りません。それでも、毎年、私はスイカの苗を植えます。今年も、ここまで大きくなりましたが、写真をとって数日後、このスイカの形をした赤ちゃんもなくなりました。はて、どうしたものかと思案をしているのです。


 高校野球の折には、我が家のテレビは見るものがいなくても、つけっぱなしにしておくのが恒例です。
 そして、私は、アナウンサーの声が甲高くなる9回表あたりから、そろそろとテレビの前につくのです。

 高校野球の面白さは、まさにこの9回の攻防に集約されます。
 まして、一点差を争う好ゲームであれば、尚更です。
 そして、判官贔屓なのでしょう、負けているチームへの応援になります。
 どんなに練習を積んで、地方大会を勝ち進んできても、やはり、高校生です。そこに、思いもつかない落とし穴があったり、幸運の女神が微笑んだりするのです。
 そこが、MLBとは違う面白さです。

 その日、最後の試合が夕方から始まりました。
 例のごとく、テレビは試合の中継を華々しく実況しています。
 私はちょっと離れたデスクで書き物をしていました。
 その私の耳に、聞き慣れた「前奏」が流れてきました。
 
 随分と似たような曲調があるものだと頭で思い、指はキーボードを叩いています。
 すると、「ミヤコのセイホク ワセダのモリに〜」と似たような曲ではなく、まったく同じ歌詞まで耳に入ってきたのです。

 すごすごとテレビの前に移動すると、臙脂のカラーが満載の応援席で、人々が「ワセダ、ワセダ、ワセダ、……」と連呼する歌詞の最後を歌っているではないですか。

 将来のスーパースターを擁する早稲田実業は地方大会で敗退したはずだと思いながら、目をこらすと、グラウンドには、「早稲田佐賀」という学校が、大学とまったく同じユニフォーム姿で躍動していたのです。

 そうだ、早稲田は佐賀にも系属校を作っていたんだ、と思い出しました。

 それにしても、そんなに昔ではないはずだから、随分と早い甲子園出場だなと一人思いながら、私は、テレビの前のソファーにどっかりと腰を下ろしてしまったのです。

 早稲田佐賀の攻撃が始まると、応援席からあの聞き慣れた「コンバットマーチ」が響いてきます。その曲は、私を瞬時に、若い日の、あの溌剌とした、しかし、どこか不安げな一時期に私を誘い込むのです。
 
 佐賀は、早稲田大学の創設者である大隈重信の故郷です。
 私学の雄とされる慶應義塾の福沢諭吉が文人として、世の中に多大の影響を与えた人物と異なり、大隈は政治というドロドロとした世界で、混沌として生きた男子です。

 大隈は、伊東博文をはじめとする薩長勢力と対立し、免官の憂き目にも会い、さらには、「明治14年の政変」の立役者にもなるのです。
 我が主義主張は、未来の日本のためになると一切変えることを拒むのです。

 下野した大隈は、立憲改進党を立ち上げ、学の独立を謳う「東京専門学校」、これがのちの早稲田大学となりますが、それを都の西北、早稲田の地に設立するのです。

 当時の学生は、乱暴者も多く、また、学校は大隈の思想を受け継ぐものを育成していると、政府の監視もあったと言います。
 すなわち、密偵が早稲田界隈を徘徊し、何かあれば踏み込む算段をしていたというのです。

 大隈は、伊東博文とは政治的ライバルにあり、西郷隆盛は大隈を俗吏として嫌っていたと言いますから、飛ぶ鳥落とす勢いの薩長勢力に果敢に戦いを挑んでいたことがわかります。
 そうであれば、田んぼばかりの早稲田の地に建学された学校を、密偵と明らかにわかる者がこれ見よがしに徘徊している様を想像するにかたくはありません。

 大隈と福沢の仲も芳しくないと漏れ聞いたことがありますが、実際はそうではなかったようです。
 大隈は、澄ました文化人と評し、福沢は生意気な政治家と嫌悪していたことは事実のようですが、ある時、酒席の場で同席し、大隈があなたはうらましい、将来ある若者たちにかこまれているといいます。
 政治家の取り繕いの言葉であるとばかり考えるのは少々違っているようです。
 確かに政争に明け暮れる身にとっては、未来に活躍する人材を育成する仕事に情熱を傾ける福沢のありようは眩しく映ったはずです。

 その福沢が、大隈の気持ちを大きく変える一言を発します。
 「あなたも学校をおやりになったらいかがですか。」
 その一言が、大隈の心に一灯を点じたのです。
 
 世間は大隈と福沢が結託して、何やら良からぬことを企んでいると噂をします。
 犬猿の仲であった二人が、それ以後、相互に自宅を訪問する仲になったからです。

 青年からの支持を集める福沢と政治家として薩長に対する大隈の結託は、時の政権には脅威に映ったのでしょう。
 それがあの「政変」の発端になったという学者もいます。

 福沢の一言が、のちに「剣牛」(ケンブリッジとオックスフォード)を真似て、「早慶」なる伝統を、日本に築いたことは誇らかなことではあります。

 そんな思いを馳せながら、9回まで、応援の早稲田マーチに心を弾ませて、試合に見入っていたのです。


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直立不動の人民解放軍兵士

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二階のバルコニーに置かれているテーブルです。ここで、朝、私は道向こうの森から聴こえて来るせせらぎと鳥の声に耳をすませていっときを過ごします。ともかく、つくばに暮らして、いいなあと思うひと時となっています。休暇中、ひと時は時に、ふた時にもなってしまうのです。


 1978年8月、私は、広州の街で一人の若い人民解放軍の兵士と話をしました。

 同年8月12日、日中友好平和条約が北京で締結されて直後の、日本で最も早い訪中団の一員として、私は香港から広州に入っていたのです。
 もちろん、羅湖辺りはまだ農村地帯で、深圳のような近代的な街は影も形もありませんでした。
 そんな広州の公園の一角に、複数の軍の車両が駐車し、兵士たちがたむろしていました。
 その端っこのベンチに腰掛けていた兵士に、私は何気なく近づき、挨拶をしました。
 驚いたことに、私から挨拶を受けた若い兵士は、それまで丸めていた背中を一気に伸ばし、さらに立ち上がり、直立不動となり、私に挨拶を返してくれたのです。
 そこへ、上官らしい兵士がやってきて、任務中であるとかなんとか言って、兵士を私から遠ざけたのです。

 訪中団に付いていた中国共産党から派遣された説明員に、彼らはこれからどこへいくのかと尋ねると、わからないと言ったきり、それ以上近づいてはいけないと鋭い目つきになって、私の腕を掴み、兵士達がたむろする一帯から私を遠ざけたのです。

 翌年、中国とベトナムの間で戦争が起こりました。
 カンボジアのポルポト政権を崩壊させたベトナムに対して、カンボジア支援をしていた中国が<懲罰>を与えると言ってベトナムに攻め込んだのです。
 当初、有利に戦いを進めていた中国ですが、アメリカとの戦争で鍛錬されていたベトナム軍に程なく大きな痛手を与えられ、追い返されたのでした。

 日本で、そのニュースに接した私は、きっと、あの時、広州の公園にいた兵士達は、まもなく始まるベトナムとの戦争の最前線に陣取る兵士たちではなかったかと思ったのです。
 だとしたら、あの直立不動となった若い兵士はどうなったのだろうとも考えたのです。

 中国のことを学び始めて、現代文学の勉強と同時に、私は新中国の歴史や社会にも興味を持っていました。
 とりわけ、毛沢東の思想には大きな関心を持っていたのです。

 その毛沢東が、人民解放軍の前身である「中国工農紅軍」の規律を守るために発した「三大紀律六項注意」を私は中国語を学ぶ教科書で知っていました。
 その後、これは「三大紀律八項注意」となり、人民解放軍に受け継がれるのです。

 三大紀律とは、指揮に従って行動せよ、人民のものは針1本糸1筋もとるな、獲得したものはすべて中央(共産党本部)に提出せよ、という規律です。
 八項注意とは、寝たあとは戸板を上げよ、寝ワラにした乾草は縛れ、話し方は丁寧に、売買はごまかしなく、借りたものは返せ、壊したものは弁償しろ、婦女をからかうな、捕虜を虐待するなというものです。

 当時、私が学んだ中国語の教科書では、人民のものは針一本もとってはならないというのを、日本軍が人民からなんでも奪い取ったことと絡めて物語っていたと思います。
 もちろん、これは北京の出版社が編集した教科書で、英語で書かれ世界中に配られていたものです。
 ですから、この教科書で学んだ学生達の中には、毛沢東の教えは素晴らしく、それに対して、日本軍というのは残酷で、酷い仕打ちをしていたのだなと思ったはずです。

 しかし、じっくりと読み返せば、八項目のきまりを言わなくてはならないほど、その軍隊はだらしなかったということを示しているとも言えるのです。
 起きたら布団はたたむ、大きな声でまくしたてるなどは今時の中国人旅行者にもあてはまるのではないかと思うくらいです。

 さらに、偽物を作ったり、知的財産を無断で使ったり、自分のものでないものを自分のものであると言ったり、そうしたことを国レベルで行ったりするわけですから、毛沢東の教えを現代の中国が再学習しなくてはなりません。

 そして、三項の方はといえば、一方で針一本取るなと言っておきながら、他方でとったものは中央に差し出せと言っているのです。
 毛沢東には『矛盾論』という著作がありますが、これこそ矛盾そのものであるとも言えます。
 
 意地悪な見方をついしてしまいましたが、それでも、若い日の私は新中国の理想を受けとめるにたる柔軟な精神を持っていました。
 しかし、その柔軟な精神を覆したのが、1989年の「六四」すなわち、天安門事件です。

 人民に奉仕する解放軍が、人民に銃口を向け、戦車で踏みつけたのです。

 毛沢東はその「三大規律」で言っています。
 兵士たちは、指揮に従って行動せよと。

 しかし、私たちは見たのです。
 
 一台の戦車が、その前に立ちはだかった一人の青年を避けようとし、先に進めなかったことを。つまり、兵士は良心を優先させ、指揮には従わなかったということです。

 今、習近平が盛んに軍の閲兵を行っています。
 中国共産党の過去の例に見ることのできない閲兵の回数であり、ありようなのです。
 軍を掌握している証しであると中国の報道は伝えます。

 しかし、それを伝えれば伝えるほど、事態は反対なのではないかと……。

 あの戦車のように、あるべき姿に対して、軍が党の言う所の前進を渋っているのではないか、同時に、国内に鬱屈するあの戦車の前に立ちはだかった青年のように、それが幾百人、幾千人、幾万人となることを懸念しているように思えて仕方がないのです。
 
 歴史は、結局、行くところまで行くしかないのです。
 中国は、はて、どこへ行こうとしているのか、じっくりと見ていきたいと思っているのです。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《8/22  Tuesday》

❣️<Puboo!>にて、『神様のおかげ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『The silhouette:The person who sits down in a seashore bench
It's covered with a green tree and give the shade of a tree to two people. Many waves are surging over the beach.A vast sea and the sky spread over it.
人影 : 卸下腰到海岸的长凳的人。绿的树木落到身上,将树阴给予二人。向海滨的对面几个也波浪涌来。并且,到那个对面汪洋大海和天空扩展着。』の絵を公開しました。

❣️<Twitter>では、毎日の朝と晩『つくばの街であれこれ』の更新情報をつぶやいています。


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