著作権を行使しきれない名もなき文筆家のささやかな弁

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こんな綿帽子が水の張られた田の畔にたくさんあります。稲はこれから花を咲かせます。まだ、微風にさえ頼りなげに揺れ動く存在です、それに比べ、この綿帽子はいかなる風さえも迎い入れる覚悟を持って屹立しています。たくましい限りです。


 The letter C enclosed within a circleとは、「©️マーク」のことです。

 私が訪問を常としている多くのサイトにも、このマークがついています。
 仮に、ついていなくても、そこにある文章や写真、あるいはデザインに、その方の「著作権」があることを私は承知しています。
 いや、承知する以前に、その個性ある文章や苦労して撮られてきた写真に敬意を払っているのです。ですから、安直にそれを無断で使うことは、私の中では自然とはばかれることなのです。

 そのマークのあるなしに関わらず、人が作って発表したものを安易に使っていいわけがありませんし、文章を書くときも、絵を描くときもその辺を十分に気をつけています。

 中国で、ディズニーそっくりのぬいぐるみがあったり、日本のキティちゃんに瓜二つの人形が出たりして問題になります。あるいは、流行っているものに似せて、似通ったものを作り、訴えられるという事件も耳にします。

 人が知的な財産に対してその権利を主張し、かつ、侵害しないとすることは、現代では極めて大切な案件なのです。

 学校にいるとき、入試問題で作家の文章を用いる際、それが著作権侵害にならないように、著作権協会に毎年、ある一定の額を支払っていました。
 それを払うことで、幾分自由に、世に出ている作品を引用することができたのです。

 今、音楽業界でもそれが問題になって新聞を賑わしています。
 巷間の音楽教室で使う練習曲にも受講料の2.5パーセントの権利を、日本音楽著作権協会が求めているからです。
 日本音楽著作権協会とは、楽曲の使用料徴収を音楽家に代わって代行する社団法人です。
 飲食店や放送局で使われる音楽に対しての著作権料を徴収している団体です。

 音楽教室においても、それが営利目的である以上、徴収するに法的な問題はないようです。
 それに対して、お客に見せ聞かせるのではなく、お手本として練習するのに著作権を払うというのは納得できないと反論しているのです。

 学校にいたとき、漱石先生の文章を使って問題を作り、漱石先生の意向など関係なく、作品をいじくり回して問題を作っていましたが、漱石先生が生きていれば、どうおっしゃったのかと考えることがあります。

 『おいらの小説を、勝手にいじくりまわされるなんぞ、たまったもんじゃござんせん』、というのか、あるいは、『大いにやって御覧なさい、でも、学生さんを選ぶために、おいらの小説を使うなんぞ、あまり褒めたものじゃございませんよ』と、やんわり意見を言うのか、どっちだろうと思っていたのです。

 世の人々の真贋を見極める力が喪失したため、現代では真物に対してその権利を主張するという動きが起こったのではないかと思う時があります。
 もっと、的確にいうならば、真物に似せてものを作る技術が向上してきて、真贋を見極めるのが難しくなり、普通の人には判断がつき難くなったとも言えます。

 名のあるイタリア製のバックよりも、中には、出来のいい贋物もあると言います。
 それがたとえ優れた商品でも、人のデザインを真似て作った以上それは違法というわけです。
 ならば、そのだけの技術を新商品として開発して、さらなる富と名声を得ればと思いますが、そこが人間の浅はかなところです。
 明日の食事より、今日の食事が大切なのです。

 そんなことを考えていると、文章を書く人達というのは、今日の食事を削ってものを書いているともいえます。金にもならないのに、ひたすら書くのですから。
 
 私、時々、著名な現代作家の作品を読んでいて、大変恐縮なことですが、こんな程度の文章をと思うことがあるのです。
 それでも、若き日に努力して、食うものも食わず、理想の自分の姿を夢見て文章を綴ってきた方の文章ですから、敬意を払って読むようにしています。
 つまり、ものの良し悪しというのは、部分的な欠点を補って余りあるその作家の「総体」であるということなのです。
 
 それは、芸術家全般に言えることです。
 自分の思うところを形にする、その崇高な作業に対して、価値を見出すということです。
 よって、そのことのために貧乏をしたり、パトロンにおもねったり、あるいは、自らを賭して作品に対するのです。
 そこに、作品とそれを作り上げた人への賛歌が生まれるのです。

 The letter C enclosed within a circle がなくても、何千年にも渡って、人々が絶賛する作品があります。
 その一つが、縄文土器です。
 毛むくじゃらの、しかし、繊細な指を持ち、芸術的なセンスを持つ一人の縄文人が作り上げた土器は、現代でも賞賛を浴びるほどの価値を持っているのです。

 こんな文章を書いていたら、どこかの大学の学長が著名な歌手の歌った歌詞を引用し、くだんの協会から、許諾を求めよと指摘されたという記事を目にしました。

 こうなってはいささか度がすぎると、思いました。
 権利、権利、権利という前に、もっと本質的な芸術感性、好きに自由に、想像し、創造する原初のあり方に立ち戻るべきなのではないか、と感じた次第であります。

 著作権を行使しきれない名もなき文筆家の、ささやかな弁ではあります。


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奴らにとって、一番の敵は、君たちだ!

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花にも様々な散りざまがあります。溶けてだらしなく姿を晒すもの、桜のように吹雪となって華々しく飛んでいくもの、小さな虫に言いようにされていくもの、その中で、散っても、その色を残して、美なるものをさらけ出す花もあります。


 Macは安心と思いっていましたから、先日、世界的に発生した「ランサムウエア(身代金要求型ウイルス)」のサイバー攻撃では、Macにも危害が及んだという記事を目にして驚きました。
 
 Windowsを使っていた時、最新のウイルス対応ソフトをパソコンに取り込むために、それなりの費用が必要でありました。
 学校でも、使用されているOSはWindowsであったので、それをウイルスから守るための費用は莫大な額になりました。
 学校はともかく私的に使うパソコンは、そういう煩わしさから解放されたいと思い、私は、思い切って、Macに鞍替えしたのです。

 もちろん、費用効果ばかりがそうさせたわけではありません。
 ジョブズの哲学も、デザインも、そして、その希少性が、私がMacを選んだ要因であったのです。
 ともかく、Macにしてから、ウイルス対策に費用をかけることもなく、その後のiPhoneを始めとする革新的な機器を手にするごとに、ますますMacにのめり込んでいったのです。

 フランスの大統領選挙にあたり、アメリカ軍サイバー司令部と国家安全保障局で兼務するロジャー長官が、上院の公聴会で、ロシアの選挙干渉の可能性を示唆し、その旨をフランス当局に注意喚起したと発言しました。
 案の定、マクロン陣営の責任者は、サイバー攻撃を受けて、陣営の電子メールや会計資料が流失したことを表明しました。

 つまり、交信メールや組織の懐事情がネットに出回ることで、何らかの損害を与えるというのがサイバー攻撃の目的だとわかります。
 では、それにより恩恵を受けるのは誰かといえば、対立候補のルペン国民戦線ということになります。
 そして、そのルペンへの経済的支援をしていたのがロシアのプーチンです。
 また、トランプもルペン支持を公言して憚りませんでした。
 そのトランプも、クリントンに勝つために、なんらかのサイバー攻撃でクリントンのメール問題を発覚させ、選挙に多大の影響を与えたといいますから、何ともうまいことに、プーチン・トランプ・ルペンの相関図式が完成するのです。

 しかし、今回はどうやらフランス国民は、アメリカ国民のように偏った情報に惑わされるようなことはなかったようです。

 これら一連のサーバー攻撃に対して、ロシアはあり得ないことと、それを否定しました。
 アメリカも、これぞ動かぬ証拠と叩きつけることをしません。
 サイバー管理が極秘事項にあたり、情報を公開することでその秘匿するものが露見する恐れがあるからなのでしょうか。それとも、相手を決定的に特定する何かが不足しているのでしょうか。
 その辺はよくわかりません。

 Macにまで被害が出た今回の「ランサムウエア」のサイバー攻撃は、実は、「121部隊」が関わっていたと言います。
 どこかで聞いた部隊名であると思いましたら、2月のKL国際空港でのキムジョンナムの暗殺の際に暗躍した北朝鮮の部隊名ではないですか。
 「121部隊」は、偵察活動とそれで得た情報を元に工作を行う部隊であると言います。

 そういえば、キムジョンウン殺害を映画化したソニーへのサイバー攻撃で、ソニーがそれに屈したという一件がありました。
 ついこの間は、経済制裁で立ちいかなくなった北朝鮮経済を救うために、バングラディシュの銀行にハッカー行為を行い、大金を奪いました。
 そのため、北朝鮮はいま、国際銀行間通信協会から脱退を余儀なくされているのです。

 ここにあげたそのいづれも、北朝鮮は否定をしています。
 それは、ロシアがそうするように、そして、中国がそうするようにです。
 アメリカも同じようなことをしていて、それを知らんぷりしているはずです。

 皆が否定しているのですが、しかし、事件は起きているのです。
 これほど怖いものはありません。
 闇から闇へと、何かが起こされているからです。

 科学技術の発達は、私たちの生活を豊かに、便利にしてくれましたが、一方で、それとは真逆のことも行われているのです。

 北朝鮮のロケットが数回打ち上げに失敗したのは、その技術の不備ではなく、アメリカのサイバー攻撃であり、それを克服することで、次の打ち上げではロケットは見事打ち上げ成功という繰り返しをしているというのもまた、そうであればと納得できるのです。

 大統領選挙が敵対勢力のサイバー攻撃で当確を決められるなら、それは恐ろしいことです。
 莫大な国家予算と軍事力を持つ国家であればなおさらです。

 そうした悪辣なサイバー攻撃を防ぐには、一人一人の知性が必要であり、落ち着いた対処ができる技術を持ち、真偽を見極める冷静な判断力しかありません。
 フランスはどうやらそれを成し得たようです。
 アメリカも、早い時期に、それを回復する段取りに入ることを私は期待しているのです。

 そして、北朝鮮やロシア、中国の政府のことをあまりよく言わないSNSの発信者に対するサイバー攻撃がないことを祈るのです。
 なぜなら、彼らが一番の敵と思うのは、知性を持ち、落ち着いた対処をし、真偽を見極める冷静な判断力を持つSNSの発信者、あなただからです。


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時間を使って、散財してきたものこそ

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ホームセンターのハーブコーナーで買ってきた一株のカモミール。そのタネが飛んだのか、我が家の周りにはこの時期、たくさんのマモミールが花をつけます。何をしなくても、ここ数年この状態です。今年は、その勢力をさらに広げ、勢いはとどまるところを知りません。さて、フレッシュな花を摘んで、お湯を注ぎ、りんごのような香りを楽しみたいと思います。


 青年というのは、悩みを心に抱き、悪戦苦闘し、立派な人材になっていくものです。
  と、これは、第三者から見ての好意的な物言い。

 青年というのは、悩み、悪戦苦闘し、それでも、自分を何と情けないやつだと思う。
  これは、本人の心の中にある気持ち。

 そのどちらも間違っているとは言えません。
  
 教師をしていると、そうした青年の複雑な心に寄り添うわねばならない時があります。
 自信をなくし、どうしていいかわからない青年にも、何をしてもうまくいかないと思い込んでいる青年にも、自分勝手に物事を判断し、他者との交流を上手くとることができない青年にも、そして、自分が何者かを知りたいと思いながらも、それがわからない青年にも出会うのです。

 でも、そうした青年であればこそ、いつの日か、今の己れを吹っ切って、世の中で頭角を現す人材になるのだと確信さえも持つのです。

 「自分がなすべきことは何か」という、青年がことごとくもつ一つの命題があります。
 その問いを発する以前に、そういう青年は、自分が好きなこととは何だろうと、そして、やりたいことは何かと自らに問うはずです。

 私は、教師でしたから、そういう青年の問いかけには、他の同世代の人間よりは、日常的に接することが多かったと言えます。

 そういう時、つまり、それへの回答を述べる時、最も参考にしたのが、自分自身の体験であったのです。
 哲学書でもなく、文豪の作品でもなく、第一、それらには何も答えが書いてありませんでしたから、だから、私は、真摯に問いかけする青年に対して、真剣に応えるために、自分の心と対し、自分がかつて、その青年と同じように思ったことを振り返っていたのです。

 私は一体何が好きなのか、そして、何をしたらいいのか?

 それを考えつく中で、思いついた原則のようなものを、私は発見していたのです。
 例えば、そのことのために、どれだけの時間を使って、どれだけの散財をしてきたのか、それが自分の好きなことであり、自分がなすべきことを暗示するのだという原則です。

 もちろん、使う金額は、青年である以上、たかが知れています。
 あるいは、それは人によって、多い少ないもあることでしょう。

 例えば、私はビートルズのLPをすべて持っています。おまけに、すべてのCDも持っています。中身は多少の音の違いはありますが、まったく同じです。
 それでも、それを買うために散財し、手にしたいと思うのは、それが明らかに「好き」だからなのです。
 それを聞くために、あるいは、手にするために、時間と金を使っているのです。

 船長になるのも同様です。
 まず、船舶免許が必要です。
 そのために学科試験と実技試験を受けなくては免許はいただけません。それを取れたとしても、今度は船を手に入れなくてはなりません。ヤマハとか、港にある造船所で手に入れれば、それは高額すぎて、私の手には負えません。
 ということで、諦めてしまえば、私は船をさほど好きではないということになります。

 でも、思いは通じるのです。
 船が欲しいと口に出し、目を皿のように探していると、いい話が、自分の手に負える船が目の前に現れてくるのです。

 教師になったのには、一つの体験が大きく作用しています。

 教育実習というのが、教師になるためには課せられます。
 その折のことでした。

 池袋の、大学から指定された中学校で、2週間の実習を行いました。
 クラス経営の指導を担当された先生は、体育の先生です。
 あなたの場合、公立への就職はなかなか難しいから、私学も頭に入れておいた方がいいよとアドバイスを受けました。
 その時の、私の年齢は20代も後半に差し掛かり、すでに結婚し、娘もいたのです。
 そのことが公立への就職を阻むと、その先生は教えてくれたのです。

 そして、実習が終わってすぐに、7人の子供たちが、米と醤油と味噌を、母親たちから持たされて、池袋から竹ノ塚の私の借家に遊びにきてくれたのです。
 
 これが教師であることの素晴らしさだと思ったです。

 私は、教育に従事するということは、この子供達、若造でも、しかし子供達に何らかの影響を与えられる存在が教師であり、そして、その後ろには、米と醤油と味噌を持たせてくれる、つまり、生活の基本であるものを、子供達に託して送り出してくれる優しい親御さんたちがいる。

 このような関係が成立する世界こそ、私が求める職場環境なのだと強く思ったのです。
 2週間という濃密な時間が、私に生涯の働く場を与えてくれたのです。
 
 ですから、私は生計を立てるため、同時に、生涯の職業として人生のほとんどをつぎ込むことになる教職についたのです。
 いろいろと厄介なこともありましたが、基本、生徒とその後ろの保護者のために、少なくとも、誠意を尽くせたのではないかと、使った時間と散財の額を心の奥に秘めて、思っているのです。


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面白くて水の撒きすぎ

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宅の朝顔は今年3世代目の芽を出しました。今年は色の変化があるのか楽しみです。このクレマチスは、鉄線のような無愛想な枝が枯れたのかしらと思わせておいて、春になるとこうして見事な花を咲かせてくれます。かれこれ、6世代目になっているのではないでしょうか。ともかく、命を繋ぐというのは素晴らしいことです。


 中国語を勉強してきたからというわけではないのですが、時たま、「漢字なるもの」に引っかかり、時間を費やしてしまうことがあります。

 夕方など、玄関先で水撒きをしていると、大きな声を出して会話をしながら自転車に乗ってくる男女二人連れと出くわすことがあります。
 その言葉を小耳にはさむと確かに中国語なのです。
 どこかの研究所に勤務する中国人らしいのです。

 その二人が、先日も私が水やりをしていると、通り過ぎて行きました。
 歩行者道を、ここでは自転車も通っていいことになっていますから、私はホースを下に向けて、水がかからないように、二人が通り過ぎるまで待ちます。
 向こうも、こちらも、目で挨拶をしますが、相変わらず大きな声で会話をしています。

 その日、私の耳に「イー・リャオ・リュー・ヨウ」なる言葉が飛び込んで来たのです。
 もちろん、彼らがいかなる会話をしていたのかは不明ですが、その発音から、彼らがある種の旅行について、その日の夕方、仕事を終えて、話をしていたことが推測できたのです。

 「イー・リャオ・リュー・ヨウ」とは、漢字に直せば、「医疗旅游」となります。
 つまり、日本に来る目的として、物見遊山ではなく、医療検査を受ける旅行のことです。

 私たち日本人が、何万円も何十万円もかけて、定期的に行う健康診断のことです。
 私たちの身体に巣食う病巣をいち早く発見し、大事に至る前に治してしまおうというあの検査です。
 今、ちょっと裕福な中国人に流行っていると聞いたことがあります。

 あの二人、親にでも「医疗旅游」をプレゼントするのかしらとか、自分たちが勤務する研究所で「医疗旅游」を義務付けられていることに対する意見交換でもしていたのかしらと、私は水を撒きながら思っていたのです。

 そんなことを思っていると、「漢字なるもの」に私は引っかかり始めました。
 もちろん、「旅」と「游」という言葉です。
 
 「游」は「遊」でも同じですが、中国では「游」の字で書かれることが多いようです。

 ロンドンに遊学した漱石、などと使いますが、何故、学問しに行くのに、「遊」という字が使われているのか、それは「遊」に「動き回る」という意味があるからであることは、少し漢字を勉強した人なら誰もがよく知っているとことです。
 その地にとどまって学ぶから「留学」であり、かの地であちこち動き回って学ぶから「遊学」なのです。

 私の好きな野球でも、「遊撃手」というのがいます。
 ショートを守る野手のことです。
 アメリカの放送局のアナウンサーが、ヤンキースの名選手ジーターの守る場所を、<ショート・ストップ>と言っていたことを思い出します。

 かつて、野球では、各塁と投手の両サイドに守備する野手が計5人がいました。
 打者から近いということで、この二人の選手のことを「ショートマン」と呼んでいたのです。
 その名残から、内野手が4人になっても、塁につかずに自由に動けるあのポジションを「ショート・ストップ」と呼ぶようになったのですが、それをなんと日本語では「遊撃手」とします。

 つまり、各塁を守るのではなく、自由に行動でき、あちこちで守備につく役目の選手ということで、「遊撃」の言葉を与えたのです。
 この場合の「遊」も、「遊学」と同じで、自由にあちこち動き回るということでしょう。

 「旅」にも、「遊撃」と同じく、戦闘に関係する不思議な言葉があるなと思いました。

 それは「旅団」という言葉です。
 たまたま、数日前に、熊本に派遣されていた陸自の部隊の記事を読んだばかりだったのです。
 それが、第13旅団ことで、中国地方5県の防衛と警備を担当する部隊であったのです。
 
 散水しながら、なぜ、軍隊の組織に「旅」という漢字が使われているのかと、これまた気になりだしました。
 
 「旅」という漢字は、元来、兵士500人の部隊をさす言葉であったのです。
 つまり、「旅」という漢字には、<部隊を明示する旗に従う兵士の姿>が元になって作られた漢字なのです。

 教師をしている時、私は小さな旗を掲げて、自分のクラスの先頭に立っていました。
 その後を、クラスの生徒がぞろぞろとついてくるのです。
 教師は先頭にあって、生徒を導くべしと教わり、一人の迷子も事故者もなかったことは、若き日の私の誇りでもあるのです。
 
 あの旗のごとく兵士が付き随う様が「旅」であるのです。
 それが転じて、「旅」が今使われている意味になったとすればよくわかります。
 すると、芭蕉の「万物の逆旅」の「逆」とは何かと気になりだしました。

 もう、キリがありません。
 貴重な水を撒きすぎてもなんですから、今日は、この辺でやめるとします。


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空を見ては、心配をしているのです

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黄色は、私が好きな色です。艶やかで、目立ち、きちんと主張がされていると感じるからかもしれません。我が家のささやかな庭にも、花々が咲き誇るようになりました。花の形よりも、花の色に注目して、今記録をしています。これは、二輪の小花が競う合うように、黄の色を放つ、そんなイメージなのです。


 早朝、Macに向かっています。
 すると、私のiPhoneにメールが来たことを告げる振動が起こります。
 それは、北朝鮮がまた「飛翔体」なるものを発射したという速報でした。

 私は、思わず、座っていた椅子を回転させ、出窓の向こう、つくばの中心方面を見つめます。
 もし、北朝鮮が国の研究所が集まるつくばに「飛翔体」なるものを打ち込むのだったら、北にある文科省管轄の高エネルギー研究所、南にある宇宙センターに標準を合わせることは確実です。
 日本が誇る高度な研究施設であり、そこには日本の優秀な頭脳が集まっているのです。
 そこを叩くことは、日本の国力を削ぐには大いなる効果があるのは自明の理であるからです。

 私の住まいは、その両研究所のちょうど中間に位置します。
 だから、私は、南側に開かれている出窓からつくばの南方向に目をやるのです。

 その姿を、馬鹿げたこと、あり得ないことと、笑う人もいるかもしれません。
 
 先だって、東京で地下鉄や新幹線が、北朝鮮のミサイル発射の報を受けて、一時的にせよ運行を停止しました。
 乗車していて、電車を止められ困惑した乗客がマスコミのインタビューに、一体何事が起こったのかと不安になりましたと答えていました。
 でも、私は、安全が確かめられるまで、運行を停止することこそが正しいあり方であると思っているのです。
 
 ところが、韓国では、そうした日本のありように対して、少し大げさではないかと反応があったことを知りました。

 一旦ことが起これば、38度線近くに設置されている数百門の大砲、ロケット砲、地対地ミサイルがソウルに向けて発射され、数百万人の犠牲が出ることが予測されているそうですが、ソウル市民は、度胸がすわっているのか、それとも、恐るに足らないと判断しているのか、あるいは、その時はその時と諦めているのか、その辺は定かではありませんが、一向に動じる気配がありません。

 味方であるはずの日本に対して、韓国という国は、国際礼儀に反する像の設置を行ったり、歴史的に違法な日本の竹島を占拠していたり、サッカーの試合では我が国の旗に文句をつけたりしているのです。

 一方、敵として、攻撃を実際にしてくる北朝鮮には和解を呼びかける大統領が国民の支持を集めて当選をする始末です。

 また、昨年は、政治体制も、地政学的立場も異なる中国におもねり、大軍事パレードにロシア大統領と天安門に立つのですから、あきれかえってしまいました。
 そして、今度はアメリカからサードなる高度なレーダーシステムを持つ迎撃システムを導入したら、その中国から叱られ、観光客はストップされ、韓流ドラマも放映されなくなってしまったのです。

 日本では、韓国政府がどんなに非礼な振る舞いに出ようが、テレビでは人気の韓国ドラマが放映され、ソウルや釜山に日本人は喜んで遊びに出かけていくのです。
 つまり、政治を生活に関係することにまで忍び込ませないようにしているのです。

 日本にとっては、韓国は一番近い外国であり、時間もかけずに、お金もかけずに出かけていける外国なのです。
 日本人は、キムチを健康に良くて、しかも、美味しい優れた食べ物として食します。
 たまには韓国海苔もいいねと食卓に出し、冬の寒い日にはサムゲタンを食べに韓国料理店に出向くのです。

 本当に、仲良くしていきたい国であれば、国家間の問題が起きた時こそ、相手に不利益をもたらさないように配慮をしていくものです。
 今度のことで、韓国では、中国が体制を異にする国であり、真の味方ではないことがわかったのではないでしょうか。

 ソウルから高速鉄道に乗って、かつての新羅の都慶州で古刹を見て回り、釜山に移動して、そこから飛行機で成田に戻ってきた時があります。

 その折、釜山の観光客のためのお土産やさんで、私は素晴らしい体験をしたのです。
 なんでも、私が韓国で有名なオペラ歌手と瓜二つだと言うのです。
 そのため、売り子のお姉さんやおばさんから、おまけをいっぱいいただくということになったのです。
 韓国海苔を買えば、おまけがつきました。
 唐辛子のキーホルダーを買えば、これにもおまけがつきました。
 最高級キムチを買ってもおまけは付いてきます。
 
 とうとう、釜山で買ったお土産は、両手で抱えるほどのダンボール一箱分にもなってしまったのです。しかも、それを釜山の空港まで届けてくれるというサービス付きです。

 私は、あの時の釜山のお姉さんやおばさんのことも心配なのです。
 屈託のない笑顔を見せ、うるさいくらいにはしゃぐあの声がいつまでも響いていて欲しいと思っているのです。

 ですから、私は、「飛翔体」なるものが打たれた時に、空を見ては心配しているのです。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《5/25 Thursday》
       
❣️<Puboo!>にて、『千年の哲学ー女は賢くなり、男たちはただ老け込むだけだった』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Paper in NY>で、『Hot night. People relax at a beach. And they buy food fried chicken. 热的夜晚。 人们,在海滨放松。并且,他们买干炸鸡。』を公開しました。


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