怒りの拳

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名はわかりません。
畑で、作られていました。
トマトかと思ったのですが、そうでもなさそうです。
そんな秋を見つけたのです。



 日曜日の朝に取り上げるような話題ではないとは思ったのですが、随分と気になる出来事であったので、あえて、綴ろうと思った次第なのです。

 退職をしたいにもかかわらず、それを認めてくれないがためにトラブルになるという案件が実に多く発生しているというのです。
 実は、私にもそれに似たことがありました。
 
 取手の学校を退職しようとした時、私は当時の上司から提出した退職願の入った封筒を放りなげられたことがあるのです。

 いや、私が有能で、学校に必要とされているというのでは決してないのです。
 私は、自分が優秀な教師であるとはこれっぽちも思っていません。
 ごく普通の教師にすぎないことは十分に自覚をしています。

 では、なぜ、提出した退職願を放り投げられたのかといえば、それは、一介の教員でも辞めれば、それは、その上司の評価を落とすからなのです。

 その上司というのは、ちょっとした悶着があったときに、その悶着から派生した諸々の問題を解決するために、企業が派遣する、いうならば、労働争議で暗躍し、理事会や経営陣の思うようにことを運ぶ専門家であったのです。
 教育になんら関係ない、ただ、学校のイメージを損ねないように、配慮することに重きをおくそれだけの上司であったのです。
 ですから、一介の教師が、そんな学校には居たくないと退職願を出すことは、学校のイメージを損ねることになるから、それを突っ返したというわけです。

 辞めたいのに、辞めさせてくれないというのは、会社や学校、組織に対する一個人の立場からすれば、それは相当に辛いものがあることは、その時の体験から、私は承知をしているのです。
 ですから、私は、その出来事で多くの人が悩んでいるのを目にして、人ごとには思えなかったのです。

 そのような状況に陥った人は、食事も取れずに精神的に泥沼の状態で陥ります。
 なぜなら、退職届が受け付けられないと、離職票がもらえないからです。
 離職票がなければ、次の職場に行くことも厄介になります。
 つまり、つましい一人の社会人が、次のステップに進めない辛さです。
 たったそれだけのことと思ってはいけません。それは精神にとって相当な試練になることであるのです。

 しかし、こうした悪質な「引き留め」は、昔からあったようで、日本の法律もしっかりと対応しています。

 「労働基準法」では、第5条で精神的、肉体的強制で労働者を意に反して働かせることを禁じています。罰則も、10年以下の懲役など同法で最も重いものを科しています。
 「民法」第627条では、期間を定めない無期労働契約で働く人が退職を申し出たら、2週間で退職できると規定しているのです。

 最近では、パワーハラスメント的な引き留めを恐れる人から依頼を受け、本人に代わって退職届を提出する代行業者もありますから、私の時とはだいぶ様相が異なっています。

 保身を図る上司の悪質な対応には、いま現在の対応は力弱いものたちを守ってくれているのです。

 最近のスポーツ界でのパワハラ告発も、もしかしたら、そうした働き方のあり方が大きく作用しているのかもしれないと、そっと考えたりするのです。
 懸命に努力し、自らの肉体を酷使し、目標へと向かって邁進するスポーツ選手を、食い物にされてはたまりません。
 メジャーなスポーツ選手と違って、マイナーなスポーツではなかなか世間が注目をしてくれません。だから、そこにつけ込んで、やりたい放題をする悪漢理事や邪なコーチは許せないという怒りの告発だと思っているのです。

 そんなことが気になっていると、就転職のための企業リサーチサイト「Vorkers」の調査結果に、必然的に目がいったのでした。

 ある大手IT企業では、退職することを妨げることなく、新しいチャレンジが見つかったのなら、それへと社員を向けさせることに積極的だというのです。

 さすがIT、先進的なことを目指すにはそのくらいの度量がなくてはと思ったのです。

 会社も社員も、挑戦することを忘れてしまったなら、発展はなくなるのです。
 だったら、社員が新たな挑戦を志したら、それを応援してやり、ともに、新たな進歩を勝ち取ろうというのです。だから、そうした人たちは、かつて自分たちがいた会社を貶すことも、愚弄することもしないのです。
 そして、それはその会社ばかりではなく、日本のその分野の進歩を促して行くのです。

 そうであれば、辞める方も当然しっかりとしなくてはなりません。
 パワハラを告発したスポーツ選手がそうであるように、精神的な強さと自らの展望を持っていなくてはならないということです。
 
 はて、取手の学校から土浦の学校に移った私に、そのようなものがあったのかと自問すると、いささか心もとなくなるのは、いまは、そっと置いておこうと思っているのです。

 怒りの拳をふりかざす前に、おのれの心としばし対話が必要であると。





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南シナ海にZの旗を掲げて

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季節の変わり目。
筑波の山に厚い、黒い雲がかかっています。
この雲が、取れていくと、つくばには本格的な「秋」がやってきます。
あぁ、なんと待ち遠しいことか。
春も、夏も、突然にやってきますが、秋はじっくりと構えて、そして、長い冬へと季節を進ませていくのです。



 二週にわたって続く最初の連休のさなかに、一つのニュースが私の中を駆け巡りました。

 中国が一方的に主張する例の九段線の海域内で、海自の潜水艦「くろしお」が、東南アジア諸国を長期航海中の護衛艦「かが」「いなづま」「すずつき」の三艦と合流して、訓練を行ったというニュースです。

 訓練内容は、護衛艦隊が近づく潜水艦を発見し、これを迎撃する訓練、また、反対に、潜水艦が護衛艦隊に発見されないように近接し、攻撃を加えるというものだと推測できます。

 このニュースが、唐突に、そして、一斉に、流されたのです。

 私、早速、『環球時報』がそれをいかに伝えているかが気になり、サイトをクリックしました。
 「日本海自潜艇首次在南海实施训练,并首次停靠越南金兰湾」と見出しがつけられ、私が読んだ日本の新聞各社の記事が紹介されていました。
 <越南金兰湾>というのは、ベトナムのカムラン湾をいいます。
 <首次>というのは、「初めて」という意味です。

 つまり、日本の海上自衛隊の潜水艦が「初めて」南シナ海で訓練を実施、「初めて」カムラン湾に寄港したというのです。

 ところが、その翌日、最初の三連休が終わった火曜日の朝刊に、首相の前日のテレビでの発言がさりげなく取り上げられていたのです。首相は、「南シナ海における潜水艦の訓練は、実は15年前から行っている。昨年も一昨年も行っている」と述べていたのです。

 つまり、中国海軍は、15年間も海自の潜水艦が南シナ海に出ていたことを知らなかったのではないかということになるのです。
 昨年も、一昨年もそれをしたというのですから、なお一層、痛快なことです。

 中国がそれを知っていれば、あの国は、即座に反応をするはずです。
 そして、あの外務部の面々が、眉間にしわを寄せて、日本を非難するはずです。
 対日融和政策を口では唱えながら、尖閣に公船を派遣してくるずる賢さを、これは凌駕するものであるから、もっとも日本のこの作戦はずる賢さではなく、極めて知的で賢いものだとし、私は痛快だと思ったのです。

 そこで、気になるのは、なぜ、いま、この時に、本来極秘とされる事項を日本政府が公表したかということです。

 新聞では、南シナ海の岩礁を基地化した中国軍に対して牽制をする狙いがあると、どれも一様に述べていました。
 確かに、その通りだと思います。
 武力攻撃をする意思があってのことではなく、海自の艦艇は隠密裏にあなた方が一方的に定めた無法な海域で訓練を、それも秘密裏に行うことが可能なのですよ。

 あなた方の原子力潜水艦がが南西諸島を通過する際には、先だってあったように、航空機と潜水艦で追尾し、ついには逃げ切ることができずに、挙句に、困り果てて、浮上し、五星紅旗を掲げさせました。

 隠密をモットーとする潜水艦が海上を国旗を掲げて航行するなんて呆れてしまいます。
 海自はそのようなぶざまなことはしませんよ、ということを誇らしげに語っているように思えるのです。

 そう語るのは、お前さんたち、いい加減にしないと本当に怒るよというサインを送ったということになるのです。

 誰が、怒るのかといえば、マゼランが大西洋から南アメリカの海峡を抜けて太平洋に入った時、なんという穏やかな海なのだと感心したこの太平洋の平かな海を騒がす中国に、違和感を持つ、アメリカであり、日本であり、そこに権益を持つ、フランスであり、イギリスであるのです。

 かつて、日本はアメリカと太平洋の覇権を巡って熾烈な戦いをしました。
 技量ではまさっても、物量で劣る日本海軍は、アメリカに屈したのです。しかし、その技術と精神を受け継いだ海自は、あの連合艦隊もなし得ないさらに高度な技量を身につけていることを世界に、とりわけ、中国に見せつけたのが今回の一連の報道であるのです。

 中国に、海軍における優勢がなんたるかを熟知している軍師がいれば、日本の海自とやりあうことは得策ではないとわかるはずです。
 15年もの間、海自の潜水艦はそれと知られずに行動をしていたのですから。
 仮に、一旦、ことが起これば、中国の誇る空母は港を出た時点で殲滅させられるだろうことを知るはずです。

 アメリカと日本は、死力を尽くして戦った間柄、それゆえ、強固に結束する同盟国だということを知らないと、中国政府はとんでもない過ちを犯すことになるのです。

 いや、もう、その過ちを犯しつつあるともいえます。
 
 シルバーウイーク後半の始まりの日に、そんなことを思いながら、私は、10月に予定されている日米の海兵部隊の、そして、イギリスとの間で富士演習場でなされる陸上部隊の演習が今後いかなる意味を持つのかを考えるのです。



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世迷いごと

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一番上の孫に、マウンテンバイクを買ってあげて、一緒に、つくばのあちらこちらを乗り回しました。
一軒の豪壮な農家の佇まいを見て、これはお城と、我が孫驚いた表情で言います。
立派な佇まいの住まいと周囲を取り囲む森に、私も立派だなぁと感嘆した次第なのでです。



 大した人生ではないのですが、それでも、時に、人々の好意を受け、あるいは、反対に、世間からの冷水を浴びて来た私です。
 ですから、それなりに人の生き方に対して、ある思いを持っているのです。

 仮に、自分がなかなか認められないのは、人を見る目がない奴が上にいるからだという人がいたとします。

 その代表的な人物として、中島敦の『山月記』の主人公李徴を私は思い浮かべるのです。
 虎と化した李徴が旧友袁傪に出会って、己を振り返った時に述べる言葉があります。
 
 「己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。」
 
 この言葉です。
 自分は人より優れている、俗物どもと自分は一緒ではないと、そう思う自分に気がついた一瞬です。
 
 この言葉は、実は、李徴ばかりではなく、すべての人が持つ、ひとつの心の有り様、独りよがりの権化としての言葉でもあるのです。
 でも、私も、そのほかの人も、李徴のこの言葉で、それが「世迷いごと」であることを知らされるのです。

 私が本らしい本、つまり、字ばかりの、絵のない、文字の小さい、本を父から与えられたのは山岡荘八の『太閤記』でした。
 父が、どんな理由で、その本を私に買ってくれたのかはわかりませんが、私は、その本にすこぶる心を動かしたことは確かなことなのです。

 百姓の出であっても、天下を仕切ることができるんだ、一大事にはどう振る舞うべきなのかを学んだのだと思うのです。

 もちろん、秀吉のように、天下を仕切ることなどはなかったのですが、それでも、自分の場所で、できるなら、一番上にありたいとか、尊敬できる人のために一肌を脱ぐべきであるという心は自分の中に生まれ出でたのですから、その最初の本は自分の人生を左右する本になったと思っているのです。

 世間では、秀吉は信長に比べれば、大した人物ではない、徳川家康が安泰の幕府を作ったのに対して、秀吉はそれができなかったと、この二人に対して幾分下に見る傾向があると見るようですが、私はそうは思わないのです。

 信長も家康も、それなりの家に生まれ、幼い頃から、多くの家臣に囲まれて来た人間です。
 しかし、秀吉はそうではないのです。
 食べるもののなく、橋の下で野宿し、時には、草履を懐であたため、時にはサルと小馬鹿にされて、それでもくじけることなく、己の将来を信じて努力をして来た人間の一人なのです。

 土木に通じ、計算に長じ、人々が望むものをわかり、それゆえに多くの人の心をわし掴みにして、そして、なしたことは、惣無事令、太閤検地、刀狩りと歴史に残る作業をして来ているのです。
 そんな秀吉のことを思えば、自分が世間に認められないのは、世間が悪いからだとうそぶくことはできないのです。
 
 だから、私は、自分の人生は、自分の信じる道を進むべきであると思っているし、思っても来たのです。
 それにより生ずる損は覚悟の上です。
 損と言ったって、命を駆け引きするわけではありません。
 金銭的にも大したことではありません。
 その大したことのない損のために、大切な生き方を反故にするわけにはいかないと、そうした生き方を身につけられたことは、私にとってありがたいことであったと思っているのです。

 己の信じる道を歩み、一切の言い訳をしない、これが私の人生におけるもっとも大切な言葉としてあるのです。





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思いは巡るあの日にその日に

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空が秋になったと感じました。
抜けるような青空に薄雲。
大きな秋がそこにありました。



 それは、オックスフォード滞在中の休日の出来事でした。
 
 私は、宿泊している寮から、公衆電話でタクシーを呼び、オックスフォード駅まで行きました。そして、そこから、8時1分発のパテインドン行きの列車に乗り込んだのです。
 詳しいことは私の記憶からすでに遠ざかっていますが、きっと、休日をロンドンの街でぶらぶらしたくて、あちらこちらを巡っていたのだと思います。

 そして、この日、唯一の目的地である地下鉄ジュビリー線のセント・ジョンズ・ウッド駅にたどり着いたのは午後の早い時間帯でした。

 地上の出口に出ると、おきまりの駅売店があります。
 あの四人が売店のガラスの入り口で微笑んでします。
 さて、アビーロードはどこかしらと、道の左右を見回します。
 あてずっぽうに、私は右の方角に歩み始めました。そんな匂いがしたのです。
 
 途中、向こうからやってくるひとりの青年に出くわしました。
 お互い、意を同じくするという雰囲気を感じ、目で挨拶をします。
 この青年は、ブラジルからやって来た建築家を名乗る若者でした。
 「アビーロードは、すぐそこだよ。」
 「そうかい、ありがとう。どうだった。」
 「感激したよ。」
 そんな会話をしたことは、まだ私の記憶の中に残っているのです。

 そして、私はあの横断歩道を何度も往来したのです。
 
 横断歩道を渡って、右手に折れて、道を歩んで行くと、すぐに、スタジオがあります。
 なぜ、わかるのかって、そりゃ、壁という壁に、世界中からやって来た人々が一言を書いて去って行っているからにほかなりません。
 しばし、感慨にふけって、私はこの横断歩道にしばしたたずんだのでした。
 
 <LMW 28IF>という符号が私の頭にのぼって来ました。

 あの横断歩道で撮影された世界一有名なレコードジャケットに写り込んでいたフォルクワーゲン・タイプ1のナンバーです。
 ポールは左利き、にも関わらず、右手にタバコを持っています。しかも、目は閉じられ、裸足です。白いスーツ姿のジョンは司祭、黒いスーツのリンゴは葬儀社の人間、そして、ラフな姿のジョージは墓堀人。
 そして、<28IF>は、『もし、生きていれば、ポールは28歳』という暗号だというのです。

 そんな神秘的な筋書きを思いついた誰かに敬意を表しつつ、私は、その物語を楽しんでいたのです。

 あれから何年が経ったのでしょうか、そのフォルクスワーゲンが「ビートル」の生産を打ち切ることを知ったのです。
 私はまた、ワーゲンのビートルをこよなく愛したひとりでありました。
 世界に1000台、日本に100台しか輸入しない限定車であった黄色の太いラインが二本入ったビートルが、私にとって最後のビートルになりました。
 宅で仕事をすることになり、車に乗る必要が減じたからです。
 三年前、切ない気持ちと、そして、感謝とともに、私は最後のビートルが我が宅を去って行くのを見送ったのでした。

 そんな切ない気持ちを、今また、味わうとはと思うとさらに切ないことと感じるのです。
 
 いつだったか、我が宅のガレージに、EVのエネルギー供給源を設置し、ワーゲン社が企画する新しい車の最初の乗り手になって欲しいと言われ、大いに賛同し、その気になっていたのですが、その方向に遅れが出てしまったようで、その話はそれきりになってしまっていました。

 時代の変遷というのは、そのさなかに自分をおくと切ないものです。

 でも、私は常に希望を持っていたいのです。
 だって、<28IF>と囁かれたマッカートニーは、76歳の今でも、その声を響かせているではないですか。
 そして、私は、まもなく、その彼のコンサートを見に行くのです。
 
 ですから、きっと、ワーゲンもまた、EV車として、ビートルを復活させると信じているのです。いや、もしかしたら、それは空を飛ぶビートルになっているかもしれません。
 
 カブトムシのように、小さな羽をさっと広げて、飛ぶ車です。
 
 そんなことを考えると、切なさもほどほどになり、反対に、心地よい夢のような爽やかな気持ちの中に私はおかれるのです。



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ナショナル・フラッグ

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我が宅のキッチンの壁に飾られたワンちゃんの写真。
その名を「キャラ」と言います。
我が宅に今滞在している幼子の名は「らら」と言います。
どうもこれが混在して、「ダメ、キャラ」とか、「ららおすわり」って。
混乱すること激しいのです。



 GOKUが私にお土産だと私に手渡したのは、アンザックデイの日に買ったというオーストラリア国旗の小旗でした。

 これはオーストラリアのフラッグだよと言って、自慢げに私に差し出したのです。
 だから、日本のフラッグは知っているというと、知らないといとも簡単に言われてしまいました。
 
 アンザックデイとは、Australia and New Zealand Army Corps.の頭文字をとりANZACとしたもので、毎年4月25日、第一次世界大戦のガリポリの戦いで勇敢に戦ったオーストラリア・ニュージーランド軍の兵たちと、当時国の為に活躍してくれた人々への追悼行事を言います。
 その後、第二次大戦時、日本との戦いで亡くなった人を追悼する行事になっていったのです。

 今のGOKUには、アンザックデイは、キンダーが休みになり、パパやママとお出かけして、普段は食べられない綿飴を食べられる「晴れの日」にすぎません。
 あちらこちらに掲揚されるオーストラリアの国旗は、まさに、特別な日の象徴であるのです。
 
 この三歳の日本人にして、オーストラリアに暮らす子の中に、「国家の意識」というのはあるのかしらと、屈託のない表情で、南十字星がデザインされた小旗をふる幼子を私は感慨をもって見るのです。

 人間には、帰属する集団というものが、生来つきまっているものです。

 そこで、生き、学び、働き、あてにされ、誰かを頼りながら、そこで敬意と愛情を享受するのです。
 その帰属する集団にいることを喜び、その集団が律する規範を尊重し、その集団に属する仲間を敬愛し、その一員に自分がいることを誇りにし、感謝を捧げるのです。
 それこそが、広い意味では「愛国」の心であり、「故郷」を愛することなのです。

 ゴールドコーストのキンダーで教育を受けているGOKUにも、着実にこの「心」が育っているということになります。

 先だって、お隣の中国で、「我は、日本国安倍総理の息子なり」とネットで書き込み、騒乱挑発の容疑で拘束された18歳の若者がいました。
 彼はまた、「我は、誤った国に生を受けし者なり。それがゆえ、我に悲惨な未来しかなし。来世は台湾人、もしくは日本人として生を受けたし」とも書き込んだというのです。

 日本では、「ニッポン、死ね」と書いたって、拘束されることなどまったくありません。
 だいいち、我は習近平の息子なりと名乗ることもありません。
 なぜなら、日本人の多くは、若者を含めて、彼のことを好いていないからです。イメージとして、むっつりとしていて、その心の在りどころがわからない、だから、敬遠をしますし、民主派や宗教、自分に都合の悪いことは弾圧しているからです。
 自由の国日本では、そんな人の息子だと名乗るのは気がひけるのです。

 18歳の少年の書き込みに対して、「いいね」を打ち込んだ若者が結構な数あったというのですから、私、この問題結構根深いものがあるのだと思っているのです。

 つまり、中国を支配する共産党への「反抗」の根深さです。
 中国共産党は今、日本に対して、手のひらを返したようにすり寄ってきています。
 自らの権威の拠り所としている日本の侵略に敢然と戦ってきたのが自分たちだと、テレビで抗日戦争ドラマを流し続けているのです。

 あまりに流され続けると、若者たちは飽きてきます。
 そして、本当かいな?となり、ついには、ドラマで演じられる敵役の日本軍の兵士の身になってしまうのです。
 いつだったか、若者が日本軍の軍服を着用して拘束された事件がありましたが、日本軍の軍服が格好悪ければ、そんなことをしないはずです。中国を侵略したという日本軍のきちっとした軍服がかっこいいと思ってしまうくらいの反動がそこに生まれてくるのです。
 
 中国の若者たちは、ネットを使って、日本の情報を得ています。
 何が流行しているのか、可愛いタレントに対する憧れも、日本の安全で美味しい食べ物も、彼はよく知っているのです。
 習近平が、面子のために、アメリカと敵対し、経済が困窮していっていることも、そして、反対に、日本の憎き政治指導者として報道されている安倍が体裁をも顧みずに、国のために身を粉にしていることも知っているのです。だから、日本はあんな小さな島国なのに、大きな経済力を持ち、ゴミひとつない街を作り、衛生状態の良いトイレを持てる国だと。

 いかに言論統制しても、いや、すればするほど若者たちが不満を募らすのは、世界の歴史をみれば明らかなのですが、権力を握ったものたちが、己を守るために統制をするのもまた歴史の必然なのです。

 GOKUは、今、屈託なくオーストラリアのフラッグを振って、自分の暮らす国への愛着を確かに示しているのです。
 ゆったりと暮らし、ビーチで楽しみ、豊かな生活環境に自分たちがいることを、三歳の子は確かに享受しているのです。
 それは素晴らしいことです。
 だって、そこには自分が帰属する集団=国への愛着があるからです。
 日の丸を振って、オーストラリアはつまらない国だと言い出したら、それこそ不安です。

 藍色にユニオンジャックがあしらわれ、南十字星が輝くフラッグを振る三歳児のGOKUに、幸せな国に住まう人間の姿を見いだすのです。





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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《 9/23 🎂 Sunday 》
 
🦅ただいま、<Puboo!>にて、『nkgwhiro短編作品集「ある夏の五つの物語」』を発信しています。今回は有料作品となります。五つの物語のうち、試し読み作品をひとつ設定してあります。ぜひ、お目を通してくださればと思います。

<15.304字 400字詰原稿用紙38枚                            夏は、物語するにもっとも良い季節です。
開け放たれた扉の向こうから、異人たちも遊びにきてくれます。出かけた先でも、異人たちは向こうからやってきてくれます。
そんな異人たちとの出会いを綴った「nkgwhiro短編作品集」です。>

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