政治的懐古趣味は蜜の味

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 水面に春を感じます
 だって
 水鳥たちが
 それまでひとかたまりになって
 じっとしていたのが
 この日は
 一羽一羽が勝手に
 自由に動いているのですから




 「紅軍服で延安を訪れた騰訊控股の馬化騰CEOと京東集団の劉強東CEO」なる写真を、新聞で見て、びっくり仰天をしました。

 紅軍服というのは、布靴を履いて、ふくらはぎにゲートルを巻いて、水色の粗末な綿服をつけ、人民帽を被り、左腕に赤い腕章を巻いた、あの姿です。
 
 映画『ラストエンペラー』の場面で、紅衛兵が北京の街を、革命歌を歌いながら練り歩いて、時に、交差点などの広い場所に来ると、数人の紅衛兵たちが赤旗をリズミカルに振って、革命を鼓舞する、そんな場面がありました。
 あの時の紅衛兵の衣服です。  
 ただし、服の色は、この時代になると、茶色へと変化していました。
 
 私が、四人組が捕まって、華国鋒と鄧小平の権力争いの最中に訪中した時、十億の、すべての中国人民は、一人の例外もなく、あの服装でした。
 街行く人、男も、女も、老人も、若い人も、労働者も管理職も、そして、軍人も、皆が皆、まったく同じ格好だったのです。

 ですから、私にとっては、新聞で見た二人のCEOの姿は懐かしき装いであり、懐古の情が沸き起こる姿でもあったのです。

 騰訊控股というと、わかりにくいですが、テンセントといえば、ちょっとは聞いたことのある企業名だと思います。京東集団とは、JDドットコムのことで、両方とも中国を代表するIT企業です。

 その統帥が延安をかような出で立ちで訪問したというのですから、注目せざるを得ません。

 つまり、すべての民営企業は中国共産党の目標の実現に貢献していくとした、あの全人代での発言を裏付けるためのアピールであるからです。

 私など、経済人がなぜそんなことをするのか、不思議でならないのです。

 だって、アメリカがドイツに、5Gでファーウエイを入れるなら、機密事項の開示は今後ドイツに対して行わないと忠告を発していますし、国務長官があえて記者会見をして、中国は人権侵害で突出していると批判をしている最中です。
 さらに、巨大爆撃機を台湾海峡に飛ばしたり、艦船を航海させたりして、軍事的圧力をかけているのは、そうした一党独裁に対する懸念が端緒になっているからです。

 その懸念を無視するかのように、いや、増長させるかのような、それは行為であるからなのです。

 今、中国では「毛沢東ブーム」です。
 こぞって、延安に毛沢東を偲ぶ旅に出て、記念館は行列になっています。
 なぜ、今頃、毛沢東がブームになっているのだろうと考えるのです。

 あの国のことだから、そこにはきっと、極めて重要なサインがあるのではないかって、私、勘ぐるのです。

 おおよそ、中国の権力闘争というのは、そうした人民の関心を煽ってなされてきたからです。
 だったら、毛沢東ブームの背後にあるサインは何なのかって、そう考えるのです。
 
 中国は、世界第2位の経済大国であると、しかし、中国政府は自国は発展途上の国であり続けると述べています。
 途上国であることで経済的恩恵を受けるからだとアメリカが噛み付いていますが、どこ吹く風です。

 日本の経産省の「推計」なるデータを見ました。
 昨今の日本の省庁のデータはあてにはなりませんが、それによりますと、中国で、日本の給与水準と同等の人たちは、6パーセント程度であるというのです。
 反面、日本で低所得と言われる年収200万以下の中国人は何と75パーセントにも達すると言うのです。

 そうは言っても、人口14億の中国にあって、6パーセントは単純計算で1億に近づきます。
 桁が違うと言えばそれまでですが、結構な数です。
 日本人全員が、働き盛りの、その時のレベルの高給を受け取っていると言うことになるのですから。

 その人たちが、銀座や浅草に、北海道や日光にやってくるのです。しかも、最新のファッションを身にまとい、日本製の高級カメラを手にして、驚くほどの買い物をしていくのです。
 毛沢東ブームで、延安に出かけて行って、粗末なありようを目にするのは、果たして、銀座や浅草に姿をあらわす彼らではないのです。

 そうではなくて、残りの13億人、毛沢東時代の、誰もが貧しく、新しい国家建設に夢を託したあの時代への郷愁だと思っているのです。
 それを権力闘争の側面から見れば、圧倒的多数が貧富の差が広がる格差社会の今の中国に対して不満を持っている、その表れではないかと、勘ぐるのです。

 おのれの豊かさだけを追求する若者から、毛沢東のような、おのれを犠牲にしてまで、革命に突き進んだあの偉大な英雄に次ぐ、新しい英雄の登場を中国は待ち望んでいるのではないか。
 そして、アメリカはそれを察知して、中国包囲網を作り出しているのではないか、中国における懐古趣味にはそのような政治的思惑があるのだと。

 突然の春の暖かさに、そんなことを思ってしまいました。

 学校も春休みに入ったようです。高校野球も始まります。
 そうそう、テレビでは、懐かしい歌手たちが、往年の美声を披露しています。
 皆、若々しく、その歌声を聞くと、あの青き時代の頭を覆いたくなるような思い出が蘇ってくるのです。

 今時の中国人民も、何か大それたことを起こそうなどと考えるわけもあるまいにと、熱くなった思いをクールダウンさせたのです。



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危うい時代にはやぶさの知恵を

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 春の陽射し
 どことなく暖かさがあり
 何よりも明るさもひとしお
 これであの無粋な風がなければ最高なのだが……




 省庁の統計なるものが問題になっています。

 戦後まもなくのことでした。
 時の首相、吉田茂がGHQに掛け合って、このままで行くと、大量の飢餓が発生して、えらい事になる。
 緊急の食糧支援を願いたいと陳情しました。

 GHQがどのくらいの支援が必要かと言うので、農林省の統計数値によれば、450万トンの食糧が必要であり、それがないと日本中に餓死者が出ると、そう言ったのです。

 ところが、アメリカは70万トンしか支援できなかった。
 GHQは、日本国内に餓死者が出て、暴動が発生し、占領政策に支障をきたすのではないかと心配していました。 

 しかし、暴動も、飢餓も発生しなかったのです。
 日本人は、我慢強く、創意工夫し、あれこれやりくりして、乗り切った、という側面もあるかと思いますが、実は、時の首相、少々、大げさに物事を言ったらしいのです。

 GHQが、首相を呼び出して、あなたは450万トンなければ、えらいことになると言ったが、70万トンでも何も起こらなかったではないかと口を尖らして言ったとか。

 そこで、吉田が語った言葉が実に愉快なのです。

 日本人は類い稀な生きるすべを持ち、工夫して、やりくりしてなどと、そんな弁解じみたことなど、これっぽっちも言わないのです。
 そうではなくて、こんなことを言ったのです。
 日本の統計が正しくあれば、おたくと戦争など、そんな馬鹿げたことなどしやしない、って。

 どの国家も、自分に都合の良いように数値をいじくり、公表して、国威発揚を図ります。

 あの時代であれば、コンピューターもあるわけではなし、都合の悪いデーターがあれば、それを秘匿することなどわけありません。
 天気予報でさえ、極秘事項だったんですから。
 この話が愉快なのは、政府というのは、あるいは、行政というのは、いかようにもデータを作り上げることができるということです。

 それは、現代政治においても随所で見て取ることができます。 

 アメリカのイラクへの一方的な武力行使も、大量破壊兵器などないのに、それを行いました。
 中国やロシアなどは、もっと露骨に、そして、平然とそれを行います。クリミヤにしろ、南沙にしろ、あれを見れば、それがよくわかります。歴史の改ざんといっても良いくらいだと思っているのです。

 しかし、現代の日本では、そうはいきません。

 ルールがあれば、そのルールに従って、統計を取り、それを公表するのが、現代の真っ当な国家のすることです。
 国民がそれを理解して、そうであるならば、何をしなくてはいけないかと考え、行動に移していくのが、今時の国家というものです。

 どうも、世界の行政をかいつまんで見ていますと、いい加減に物事を行なっているそんな気がしてならないのです。
 イギリスのEU離脱だって、あれも、いっときの盛り上がりによる国民投票の結果でした。
 アメリカのトランプだって、あれも、いっときの熱狂によって、トランプのライバルが真っ当かどうかはわかりませんが、正当なる継承より、異端の登場が発生してしまったのです。

 そんなことを考えると、危うい時代だなって思うんです。
 何か、想像を絶するへんちくりんなことが起きなければいいと心配するんです。

 1ヶ月前の2月22日のことです。
 はやぶさ2が、りゅうぐうにタッチダウンして、岩石の採取に成功しました。
 りゅうぐうは、近くて金星の内側を、遠くて火星の外側を公転する、東京スカイツリーの高さよりちょっと高い、その程度の小さな星です。
 その気の遠くなる距離に、地球からデーターを送り、時には、自動制御ではやぶさ2は動いているのです。 
 次回は、りゅうぐうにクレーターを作り、星の内部を観察、データーを収集するというのです

 このくらいの精度を、行政の統計も持つべきであるのです。

 いや、笑い事ではありません。
 私たちは数字には、えらく弱い「人間」なんです。
 計算ができないという弱さではなく、数値にごまかされやすいという性質を持っているのが人間なのです。 

 そんなことを念頭に置きながら、総務省統計局のサイトで、我が国の人口ピラミッドなるものを見ました。

 いくつか横棒グラフが凹んでいるところがありました。
 日中戦争から太平洋戦争にかけて、そして、戦後の時期です。
 国が不幸になると、人口までもが際立って減少するのです。
 それに、昭和41年のひのえうまの年、これは悪しき迷信による減少です。
 
 さらに、ずっと下を見ていきますと、統計用語で年少人口と言われる部分です。
 まったくふくらみがないのです。
 いや、先細りしているのです。
 これはどう説明したらいいのかしら?

  日本弱小化?
   日本消滅?

 さて、国民はどうするか、この的確なデーターを見て取り、新しい時代に即したありようを正しく、適正に整えなくてはならないのです。
 何よりも、新しい日本を背負う子供たちが不幸にならないように、明るい未来を彼ら彼女が作っていけるように、その土ならしをしていかなくてはならないのです。

 さて、私には何ができるかしら。

 とりあえず、コアラの国に、WhatsAppを使って、ビデオ電話でもしますか。



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如月の望月のころに想う

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 雑木林が切り開かれて
 宅地になったり
 施設になったり
 つくばも開けていきます
 切られた樹木たち
 次はどんな樹生を
 過ごすやら
 それにしても皆
 さまざまだなぁ



 新暦の三月二十一日。
 つまり、今日のこの日です。

 それを、いささか時代じみた言い方で、表現をしますと、弥生の、はつかあまりついたち、なんて言います。

 この日、実は、旧暦では、如月の望月の日でありました。
 新暦と旧暦が、時に、並存する我が国では、こうした時節の表現のかみ具合のアンバラウンスを面白く感じて、私は好きなのです。

 望月、といえば、満月のことです。旧暦の二月十五日を言います。
 ですから、今宵、空には煌々と輝くお月さんの満面の笑みを見て取れるというわけですが、果たして、春の天気はそれを許してくれるだろうかと、毎年、心配をするのです。

 しかし、そんな地球の大気の流れに関係なく、宇宙では規則的な動きが着実になされています。
 地球は太陽の周りを三百六十五日と六時間弱をかけて一周しています。
 この六時間弱が、四年経過しますと、二十四時間弱になります。つまり、一日の時間に相当してくることになりますから、ちょっと、面倒なことになります。

 天文的なる「ずれ」が生じてくるのです。
 だから、春分は、三月二十日か二十一日と、年によって変化、いや、調整を、人間はしているのです。

 だからというわけではないのでしょうが、そのような折に、あのお釈迦様がお亡くなりになられたと古人はしたのではないかと思っているんです。
 
 実際はその日かどうかはわからないと言います。
 でも、仏典を学んだ中国の僧たちは、そう考えたのです。
 それが伝わってきた日本でも、その日を釈迦の入滅した日として、涅槃会なる行事が寺では行われるというわけです。

 何でもかんでも、人間というのは、自分に理解のしやすいように、ものごとを決めて、それを後生大事にして、伝統として培ってきたのです。

 佐藤義清という武者がおりました。
 平清盛が時代を翻弄していた頃のことです。
 祖先は、俵藤太、あの将門を討った坂東武者です。
 
 武門とはいえ、紀伊あたりに大きな荘園を持ち、京の都でたいそう豊かな生活を営み、それがゆえに、鳥羽院の北面の武士として取り上げられます。

 北面の武士は、顔貌優れ、学問に深きものが選ばれたと言います。

 今風に言えば、容姿端麗、もっと下世話に言えば、イケメン。
 加えて、学力優秀ということです。
 この時代の学問の要は、歌をいかにうまく詠めるかにかかっています。
 
 そんな義清、二十三歳で、世を捨てます。
 以来、諸国を巡り続けるのです。

 お家が豊かであったがゆえに、そのような旅もできたのだと、思うのは貧乏人の僻みかもしれませんが、実際、そうであったに違いないと、思っているのです。
 お金持ちの坊ちゃん、由緒正しき家の御曹司ですから、いく先々で、それをひけらかして、一宿一飯に預かっていたのではないかなんて、恥ずかしながら、僻み根性を丸出しにしてしまうのです。

 その義清、こんな歌を詠んでいます。

  願はくは 花の下にて 春死なむ その望月の 如月の頃

 もっとも、義清ではなく、西行と名を変えて、詠んだ歌ではあります。
 この歌を見る限り、先ほどの私のふしだらな勘ぐりは一掃されるのです。

 建久元年二月十六日、西行は河内の弘川寺で没しました。 
 まさに、如月の望月のころ、なのです。
 
 釈迦が入滅したその頃に、出家の我は、桜の花の満開の下で、死にたいと願うのです。
 そして、その通りになるのです。
 
 やはり、本物だ。
 お金持ちのボンボンではない。
 真に、己と対面して、生涯をかけて、哲学をしてきた坊さんなのだって、己の不甲斐なさを感じつつ、この男の歌集を手に取るのです。

  岩間とぢし 氷も今朝は とけそめて 苔の下水 路もとむらん

 今朝、私はストーブに火を入れませんでした。
 まさに、氷が溶けていく暖かさになったのです。

 そう言えば、紀貫之にも、こういうのがありました。

  袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つ今日の 風やとくらむ

 これらこそ、如月の望月のころの感慨だって、そう思っているのです。

 朝方、冷たい水に指先を濡らして、素晴らしき先人の残した言葉に託された思いを感じ取るのも、望月の如月の頃の良き姿であると思っているのです。



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サバを求めて

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 暖かい雨が降った朝
 車を飛ばして
 田舎道を走っていました
 筑波のお山から
 沸き立つ薄雲が
 とても綺麗で
 車を停めて
 写真を撮りました




 質素堅実を旨とする私です。

 ですから、ステーキ屋さんに入って、目の玉の飛び出るような値段のステーキなど論外です。
 うなぎは、あのニョロニョロがいけません。
 だから、土用の丑の日、皆があれを頬張っているのを見ると、よく食べることができるなぁなんて与太を飛ばしでいるんです。
 寿司もしかり、あの酢飯はどうもいけません。
 それより、炊きたてのご飯に丸美屋のふりかけを振っておにぎりにした方が、コメは美味しいって思うのですから、しょうもありません。

 いや、だからと言って、食べないわけではないのです。

 喉から手が出るほどに、食べたいとは思わないと言うことなのです。
 せいぜい、私が唾を飲み込むのは、天ぷらくらいなものです。

 御茶ノ水あたりを歩いていて、ごま油の香ばしい香りがしてくると、店に入ってしまうくらい、天ぷらは好きなんです。
 以前、浅草のとある著名なる天ぷら屋に入って、大きなかき揚げをいただき、あまりに美味しくて、だから、天ぷらの盛り合わせも注文し、店を出るときは身体からごま油が発散くらい、そのまま、玉の井あたりまで歩いてしまいました。

 運動しないと、あのごま油が身体から出ていかないほど、私は天ぷらを食べてしまう、そのくらい、好きなのです。

 折も折であったので、先だって、災害グッズの整理をしました。
 ガレージに、リュックを置いて、そこに、宇宙毛布、飲料水、乾パン、缶詰、即席麺などを入れてあるんです。宇宙毛布というのは、薄い金属膜でできたもので、それをまとっていると寒くならないという優れものです。かさばることもなく、便利この上ないものです。
 
 リュックの中の食べ物を新しいものと入れ替えて、来たるべき災害に備えるのです。 
 その折、食したものの中で、これは美味しいって思ったのものがあったのです。
 サバの水煮の缶詰です。

 去年の秋頃でしたか。
 千葉に暮らす娘たちが遊びに来て、お子たちが釣りをしたいっていうので、鹿島に出かけたのです。
 コマセを撒いて、サビキにかかるのは「小サバ」ばかりです。
 それでも、お子たち、竿がピクピクして、それをあげると、「小サバ」が鈴なりについてくるのを見て、大はしゃぎです。

 このサバ、小さいとはいえ、釣り人泣かせです。
 大暴れして、仕掛けを台無しにしてしまうからです。 
 それに、あまりに小ぶりで、食べても美味しくはありません。
 しかし、腕に自信がある婿殿、お子たちが釣り上げた小サバを、我が宅のキッチンでさばき、それをつみれにして、スープを作ってくれたのです。

 生姜を入れて、ネギを添えて、そのスープが意外に美味しく、私はお子たちと大いに舌鼓をうったのです。

 昔、お昼に、母が用意してくれたものの中で美味しかったのが、サバの一夜干しを焼いたものでした。
 近くの店で、安い値段で買ってきたものですが、お櫃に入った冷えた、しかし、ほっこりしたご飯に、とりわけ、熱々のサバの油は、子供ながらにも美味しいと思ったものでした。

 ですから、長じて、学食であったり、出張先でランチをいただくとき、サバの文化干があれば、それをいただくことが多かったのです。

 何より、安くて、美味しいものの代名詞のようなサバです。

 ところが、私がその日、封を切った缶詰のサバ、銚子で作られたものでしたが、まるで生の食感、はらみのところなど、刺身で食しているような美味しさだったんです。
 昔、サバを刺身で食べるなんて考えられなかったことです。
 あしが速いからです。
 それに、取れすぎて二束三文の魚です。貧乏人が食う代表的な魚であったと思います、

 それが、今の時代、それを刺身で食べることができ、しかも、あの「小サバ」をとって、それを養殖して、いい餌を与えて、太らせて、美味しくしているというではないですか。

 酒粕を与えて、「酔っ払いサバ」ってブランド名をつけたり、ハーブを与えて、これも「ハーブサバ」、紀州梅を与えて「梅サバ」てな具合です。
 そのどれも食べたことはまだありませんが、近くのマーケットで販売があれば、きっと、私、手を伸ばすと思っているんです。

 サバには、もう一つ思い出があります。

 それは京都のサバです。
 あの身の厚さ、それを酢でしめて、北海道の昆布をまとわせて、酢飯を合わせて、これでもかって押しつぶしたアレです。
 酢飯がさほどではないと思っている私ですが、これはいけると思っているのです。

 京都に出かけたときは必ず、大枚叩いて、二、三本は買ってきます。おすそわけをするのです。
 たいそう喜ばれます。
 だから、銀座のデパ地下で、京都のさば寿司があれば、これも必ず、買ってくるほどなのです。

 なんと言うのでしょうか、あの臭みのあるサバをこれほどまでに美味しくする技術、昆布の薄衣をまとわせて、見た目にも粋な作り、それを口に含んで、酢飯と酢サバが混じり、絶妙な香りが発散されるのです。それが鼻からスーッと出て行く、あの感じが魅力なのです。

 そんなことを思っていましたら、なんだか、京都のさば寿司が食べたくなってきてしまいました。

 春爛漫たる季節になったら、いっちょ、銀座のデパートにでも出かけて一本買ってこようかしら。
 帰りに上野の桜の満開を見て、その足で御茶ノ水の天麩羅屋に寄ろうかと、そんなことを考えてしまったのです。



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春雷 何処にありや

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 植木屋さんの
 庭先にゴロゴロと転がる
 石の数々
 誰かの庭に置かれれば
 それなりの風情を醸すはず
 今は
 出番を待って
 じっと耐えている石の数々

 


 虫が土の中から出て活動するように、私も今、書斎を出て、せっせと小さき庭の世話を焼いているところです。

 つくばの街は、師走から睦月にかけて、ぽかぽかと暖かく、晴れの日が続きます。

 さほど、風も強くなく、アグリロードを疾走するには、最高の季節なのです。
 でも、冬は冬ですから、銀行強盗よろしく、顔は目のあたりだけを出して、頭から首元まで覆ってしまいます。
 シューズにも、防寒のカバーをかけて、ウインドブレーカーを着て、一体、どこの誰か分からぬような風体ですから、私から声を掛けれた知人などびっくり、滑稽なことこの上ありません。

 冬の港も、切なさが漂って、好きなんです。
 冬の船は、何もすることがないのです。オフシーズンですから、港にも人はまばらです。それがまた静謐な雰囲気があって、私は好きなんです。
 キャビンの長椅子に横たわって、風が起こす波に揺られながら、マストを打つロープの音を聞いて、うとうとする時など、幸せだなぁ、なんて思っているのです。

 しかし、春めいてくると、そうもいきません。

 春は、あれだけ良かった天気が、雨の日、曇りの日が多くなります。
 幾分薄着になった身には、結構、寒さも身にしみてきます。花粉の影響もあって、鼻が思うようにききません。
 そんな憂うつの中でも、窓ガラスの向こうの庭を見て、ああしよう、こうしようとプランを練るのです。

 そんな風にして、昔から、春休みの少ない日程の中でも、庭仕事に時間を費やしてきたのです。

 横浜に暮らす筆まめの友人など、桜を見に弘前に行ってきたとか、伊豆で早咲きの桜を堪能してきた、時には、房総で花摘みをしてきたなどと、絵葉書をよこしますが、私の暮らすつくばは、観光地に出かけなくても、桜の名所数限りなく、菜の花、チューリップとそこらじゅうの家々にそれが咲いています。
 おまけに、人も少ないと来ていますから、人に当たって疲れることもありません。
 
 しかし、そんなことを言うと、だからお前さんは世間知らずだと、彼はいつもそう言うのです。
 桜が咲けば、人が押し寄せるような名所に行って、ともに、春を愛でなくてはならないのだと、そんなことを言うのです。
 どうしてだと、問いますと、彼曰く、季節のある日本では、皆が一様に、季節の変わり目を体験することこそ、アイデンティティーを保てるだなんて、わけのわからないことをほざくのですから、嫌になってしまいます。

 要するに、彼は横浜のマンション暮らし、ちょっと歩けば、氷川丸のある公園があり、ちょっと行けば、中華街がありという一等地に暮らす住人、便利はいいけれど、きっと、自然の移ろいを感じるには不向きな土地柄なのです。
 だから、季節の変わり目、自然が微妙に、そして、大胆に変貌を遂げる頃合いに、外に出ることで、コンクリートの世界から出ていきたいのだ、私、そう思っているのです。

 いつだったか、彼が私に言いました。
 お前さんのところは木造で、冬は隙間風、夏はエアコンの冷気が抜けて、非効率的だが、コンクリートはその点きちっとしているから、効率がいいとそんなことをのたまわったのです。

 それは、君、昭和何年の話だって。
 今時、そんな木造の家があるものかって、私、憤りを感じながら言ったことを覚えているんです。
 私は実はこれまで一度もコンクリートの家に住んだことがないのです。

 竹ノ塚は、彼が言うところの古めかしい木造家屋でしたが、つくばでは密閉性は高い、しかし、季節の空気を感じることのできる木造家屋になっていますから、それで、十分だと思っているのです。

 コンクリートで囲われたら、それこそ息苦しくて仕方がないって……

 そうか、彼が季節の変わり目に、彼が小旅行に出るのは、その「息苦しさ」があるからなんだって、私、気がついたのです。

 コンクリートに囲われて、便利さを優先し、時には人間を不快にする自然を遮断してしまったから、彼は、人間が持つ生理作用で、あのアイデンティティーなる得体の知れないものを求めて、北に、南にと出かけていくんだと、そう思ったのです。

 今度、そのことを電話して言ってやろうと、でも、彼のことですから、きっと、反論を瞬時に考えて、何かを言ってくるはずです。
 曰く、土いじりなど都会人のすることではないなどと。
 
 確かに、そうだ。
 でも、土いじりができるって素晴らしいことなんだと反論しよう。
 
 それに、彼にとっては、高層の部屋で体験する、あの怖い雷も、ここ、つくばでは春の時節の到来を告げる証なのです。

 「春雷」
 
 季節を告げる自然現象は多々ありますが、「春雷」ほど素晴らしいものはないと思っているのです。

 冬将軍を一喝し、払いのけ、水温む季節の到来を、光と音で、大袈裟に告げてくれるのですから。

 さて、今週あたり、華々しい雷鳴が轟き渡るのではないかと密かに期待をしているのです。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《 3/23 🔍 Saturday 》
 
🦅 昨日、<Puboo!>にて『取り残されホモ・サピエンス』を発表しました。

どうぞ<ePub>で、ダウンロードしてください。
アプリ<ブック>でページをめくるようにして、読むことができます。 


『取り残されホモ・サピエンス』
せんべいをかじりながらでも、ゆで卵に塩をふって頬張りながらでも、哲学は可能なのです。
さほどにあらたまったものではありません。
俺はどうして生きてるんだ。どうして、こうも、思うようにいかないのか、さほどに生きる価値などないのではないか、そんなことを誰しも思うものです。学のあるなしではありません。金のあるなしでもありません。
所詮、人間は哲学をするから人間なのです。




【nkgwhiroの活動】

❣️<Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。そんな創作活動です。

❣️<Face Book>では、「イメージ集」の発信をしています。コメントは、英語と中国語でつけています。


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