ネット遊撃戦を展開せよ

mnhgvfd bje8q397889kdc
ゴールドコーストにあるカジノに通じるエレベーターです。大きなパチンコ屋さんがそこにあるのです。ただし、音はありません。警備員は私の姿を見るなり、通過を許してくれました。あとの人たちは身分証明書とか、提示を求められていたのに、そんなに金持ちに見えたのかしらと、それとも、こいつはカモだと思ったのか、それはわかりません。しかし、どう遊んだらいいのか、一向に分からず、カジノを出て来たのです。


 よくもまぁ、こう毎日、降る雨です。今朝も、窓の向こうから雨音が聞こえて来ます。

 午後の仕事の前に、ちょっと裏道あたりを散歩といきたいのですが、雨に濡れるのも嫌で、部屋の窓から恨めしそうに外を眺めています。
 それに、寒い日もあります。
 セーターを引っ張り出してきて、そんな日は暖かくしているのです。

 そんな時でした、私のMacBook Proが一通のメールを受信しました。

 「立憲民主、共産、自民に迫る勢い」という表題が映し出されています。
 一体何事が起こったのかと字面のありように驚きました。
 しかし、冷静さを取り戻し、気になったメールを開けてみますと、送ってきたのは、購読契約をしている大手の新聞社からのもので、フェイクニュースを流すはずもなく、何と表題の下にカッコ書きで、「ツイッターで」とあるではないですか。

 ツイッターで呟かれた言葉の中にある政党名から、かの政党が第2位の共産の20万件に迫る勢いであるということを示しているというものでした。

 記事の中にある折れ線グラフを見てますと、解散時、一挙に他党を引き離して突出し、日を追うごとに下降の一途を辿る党がありました。
 「排除・選別」をしたあの党です。
 言わずもがなのありようです。
 日本人が最も嫌うあり方をしてしまったのですから致し方ありません。

 さて、ネットを使っての選挙運動が解禁されたのは、確か、2013年のことでした。

 ホームページやブログ、SNSを使って、ある程度の制限はありますが、選挙運動が認められました。広く国民の政治参加を促すということだったかと思います。
 私が購読契約している新聞の候補者一覧でも、候補者のネットでの発信状況が記号で示されていました。
 有権者としては、候補者一人一人が、ホームページやSNSのアドレスくらいは持っていておかしくないとは思いますが、お年を召された候補者、とりわけ、共産党の候補者の方々には、ネット構築が何もされていないという方が多かったようです。
 年齢以外に、何か理由でもあるのでしょうか。

 さて、そのネットでのありようが選挙にどう結びつくのかはわかりません。

 まだまだ、ネットで候補者を選択する環境にはないと思うからです。
 もし、この環境が整えば、シルバー民主主義って言いましたか、それは必然的に解消され、ネット環境を有する若い世代の影響が大になることは間違いのないことだと私は思うのです。
 しかし、マスコミの方々からすれば、そうも言えないというのが大方の見方です。
 つまり、若い世代はネット環境があっても、せいぜい、見るのは、候補者の経歴ぐらいで、そこに示されている公約とか、細かい数字など見ないというのです。
 では、老人たちが、新聞やポストに放り込まれた政党の公約を見ているかと言えば、そうでもないと私は思っているのです。

 選挙民にとって、候補者を選ぶ際には、政党だとか、あるいは、人物だとか、つまり、好悪の感覚が一番なのではないでしょうか。
 中には、一票を入れる際に、この人なら、当選しそうだという人に入れるという人もいます。当選しない人に入れる一票は無駄遣いだからというのがその理由です。
 それがいいのか悪いのかは簡単には言えません。
 その理由にも、合理的な理由があると思うからです。
 いや、むしろ、この一票の無駄遣いというのは正当な理由の部類に入るのではないかとも思うのです。

 ネットが選挙に影響を与えると言えば、実のところ、いい話ばかりではありません。
 先のアメリカ大統領選挙では、ロシアの介在が伝えられています。
 ネットを通して、膨大な広告や記事を配信し、一千万人の有権者に影響を与えたというのですから、ただ事ではありません。

 欧州でポピュリズムなる悪しき風潮が拡散したのは、ネットをうまく使い、目の前の問題に対する危機感を煽ったからだとも言われています。
 ネットで、移民は悪いやつばかりだ、移民の中にはテロリストが潜んでいるなどと、確たる証拠もないのに、人を煽るのです。それにより、人はそうだと思い込んでしまうのです。

 どこの国の政治家も、民意だとか、国民の想いなどという言葉を使います。

 彼らのいう民意とか国民の意思というのは、自分たちと志を同じくするものたちのそれであって、国民あまねく全体を指してはいないことは明らかです。
 そうした中にあって、ネットというのは、あまねく国民が何を考え、どういう方向へと行くことを求めているのかを知る上で、極めて有効なツールではあるのです。

 ですから、ネットをもっとたくさんの人が使い、意見を公開することで、「民意」とか「国民の意思」はより正確に把握が可能になるのです。

 さらに、それをよく存知した政治家であれば、ネットでの意見を拾い上げ、行政と掛け合って、それを実現し、さらにネットでその成果を取り上げていけば、ますます支援者は増えて行くはずです。
 つまり、ネットが持つ双方向の、躍動的な、時宜をえた政治が可能になるのです。

 そんなことを考えて、日本の政治が良い方向に進んで欲しいと願っているのですが、お隣の国では、そのネットが不自然な形で、大幅に制限されているということです。

 もっとも、共産党一党独裁ですから、民意も人民の意志も関係はありません。

 唯一、共産党だけが正当であり、すべての国家活動を指導し、人民を導いて行くのです。
 ですから、ネットなどを使って、十三億の民がそれぞれの見解を述べ出したら、それこそ収拾がつかなくなってしまい、それが国家分断、ひいては、かつてのように、中国は再び、混乱の大地になってしまうというのです。

 しかし、今回の党大会のまとめを読んでみますと、そちらはそちらで勝手におやんなさいと行っているわけには行きそうもないようなのです。

 何せ、社会主義現代化強国となり、トップレベルの総合国力と国際的影響力を有する国になり、中華民族は世界の諸民族の中でそびえ立つと謳っているのですから。
 アメリカに匹敵する軍事力、つまり、空母機動艦隊を編成し太平洋に打って出るのです。
 また、一方、辺境の安全保障を確立した上でユーラシア大陸を一手にその手中に入れるというのです。

 人類が未だなし得ていない大陸国家と海洋国家の二つの側面を一挙に手に入れるというのです。
 マハンの理論など屁にも思わない傲慢ぶりなのですから。 

 夢は大きい方がいいには越したことがありませんが、これでは、ちょっと、心配です。

 そこには、民意も、人民の意志も一切お構い無し、あるのは、党と指導者しかいないからです。
 アメリカでも、とんでもない指導者が出ていますが、それには任期があります。
 しかし、一党独裁であれば、いかようにも変えることができます。

 そこが怖いのです。

 「党」のために、自分だけの国ではなく、周辺諸国さえも、「党」の正当性を口実に指図されるのは真っ平御免です。
 彼らが、ネットを目の敵にして弾圧をしてくるのなら、こちらは、ネットを使って、徹底抗戦、遊撃戦を展開するほかありません。

 彼の国の建国の父と言われている毛沢東が編み出した『遊撃戦論』を今度はこちらが活用するのです。

 ネットの奥底から意見を発信し、まっとうな国になるよう風向きを変えて行くのです。
 そんな風にちょこっと思ったのです。





人気ブログランキング
スポンサーサイト

闊歩する言葉

9jn3y56vjg,foa;p
外国と日本の違いはと問われれば、海のすぐそばに高層ビルがあるかないかと答えてもいいのではないでしょうか。地震のあるなしが、街の風景を決めているのです。でも、もう一つあるんです。海に匂いがないのです。日本の海には、匂いがあります。潮の匂いであり、海産加工の匂いです。サーファーズの海岸、雲の一つもない空、少ない人……日本の海もいいですが、これもまたいいものです。


 言葉に関しては、あまり人のことをあれこれと言えない私です。

 いや、私ばかりではありません。
 誰もが、そうした経験を持っているはずです。

 触れて欲しくない、思い出すのも嫌な、あの一瞬です。
 不用意に言葉を口に出してしまったこと……。
 気持ちとは裏腹に思いもかけない言葉を発してしまったこと……。
 相手をいたぶる気などないのに下劣な言葉で相手を非難してしまったこと……。

 数え上げれば、きりがないほど、赤面してしまう場面を、誰しもが経験しているのです。

 遠慮のない子供が、ハゲのおじさんを見て、ハゲと言うのと、それは異なります。
 太ったおばさんを見て、デブというのとも違います。
 子供は遠慮がありません。
 思ったことを口に出すのが子供であり、そこには、相手を愚弄する意図などこれっぽっちもないのです。

 次第に、世間のことがわかる年齢になると、さすが、子供でも、「遠慮」が出てきます。
 まさに、「遠きを慮る」気持ちが、自分の口から出そうになる言葉を飲み込ませるのです。

 にもかかわらず、人間は、なにゆえに、取り返しのつかない言葉をその口から発してしまうのでしょうか。

 大人といっても、世間に出たばかりの、若者は、世間のことも知らず、周囲のこともわきまえることができずにもいるでしょう。
 だから、大きな顔して、これ見よがしに言葉を弄することもあります。
 間違った言葉遣いをすることもあります。

 しかし、そうした言葉を発してしまったことを深く省みて、これではいけないと思うのも、若者の特権です。
 ですから、世間の人は、青年の発言には、たいてはおおらかに対処するのです。

 私は、教員でしたから、そうした生徒の行き過ぎた言葉のありように随分と接してきました。
 教師を権力の象徴のように考え、反抗してくる生徒もいました。
 よくよく、説諭しないと、社会に入って、批判ばかりするろくでもない人間になってしまいます。ですから、時間をかけて、気長に、話をして行きます。
 もちろん、そういう生徒は、すぐに改まるということがありません。
 持っている病根は深いのです。

 昨今、教育の成果を急ぎ過ぎて、牛の角を矯めるような指導をしたがために、生徒が命を落とすという事件もありました。
 これは教育をしようとする焦り、教師の驕りから出た悲しい事件です。

 教育とは、伸びようとする生徒に、手を貸してやることです。

 学校で、教育ができなくても、次のレベルで教育はなされます。
 ことを急いては教育もへったくりもありません。

 社会、と言いましたが、すべからく社会なるものが、教育を果たしているかと言いますと、そうも言えません。
 だったら、お前さんのいう教育というのは、その場所しのぎ、いや、放棄ではないかと思われるかもしれません。
 でも、そうではないのです。

 社会、世の中には、「反面教師」という立派な教師がおられるのです。

 例えば、都知事さんです。
 立派な方で、努力をされてきた方ではあると思いますが、知事とか、首相とかは権力の柄を手にした方です。そういう方というのは手にした柄を振り回してはなりません。

 これは、世の中を渡る上での鉄則です。

 しかし、都知事さんは、その柄を振り回してしまいました。
 「排除」という言葉にある、傲慢さと不寛容さを、きっと、多くの人が学んだことだと思います。

 アメリカ大統領も、しょっちゅう、私たちの反面教師になってくれています。

 どっちが頭がいいかなど、私たちは知りたくもありません。
 頭の良し悪しで、人は判断できないからです。
 それなのに、国務長官にバカ呼ばわりされ、これ以上、政府の要人に辞められたらどうしようもないから、ここは我慢して、しかし、言葉では、その国務長官とIQ検査をして、どちらが頭がいいか、もちろん、自分だと雑誌のインタビューで語っているのです。
 これを読んで、さすがに、アメリカ大統領だと思う人はいないでしょう。

 そういう言い方をすれば、さげすまされるということを多くの人が学んだはずです。

 環球時報を見ていましたら、日本がイギリスで走らせている列車が「水帘洞」だと書いてありました。
 「水帘洞」ってなんだと調べてみると、小さな滝の穴と出ていました。
 日本の新聞でも、日本の企業が製造した車両が、鉄道発祥の地で走るという誇らしげな記事を読んでいましたから、何事かと記事を読み進めて行きました。
 つまり、初めて走った列車の空調がうまく作動せず、そこから水が落ちてきたというものです。
 きっと、日本企業のことですから、技術者が乗り込んで、即応したかと思うのですが、記事はそこは書いていません。ですから、乗っていなかったのかもしれません。

 これなどは、反面教師というものではありませんが、隣国の良くないことをこれ見よがしに書き立てるという点では、自分たちがそうならないよう、また、書くにあたっては、もう少し、客観的に、中立的に、書くべきであるということを教えてくれるのです。

 日本の新聞のコラム欄に、ボストンの近くにあるケンブリッジ市のことが出ていました。

 ここにある大学の一つで、私は2回ほど、夏休みを使って、生徒の英語研修の引率に行ったことがありますので、興味を持って読んだのです。
 全米一、安全安心のある街として、私が出かけていた頃から言われていたところですが、コラムには、「You are safe here.」と書かれたポスターがいたるところに貼られていたというのです。 

 そこには、このような文言があったと言います。

 ……歓迎します。どんな人種も、どんな宗教も、どの国の生まれでも。
 ……どんなセクシャル・オリエンテーションのひとも(もちろんLGBTも)、どんな性別でも。
 We stand with you. と。

 これがトランプが大統領となっている国のポスターなのです。

 公然と、大統領の政策に反することを正々堂々と打ち出すのです。
 日本で、政治家の演説に対して、それを妨害するようなヤジをとばすのとは、少しわけが違うと感じました。
 己の意見はこのように静かに、しかし、強烈にすべきものだと教えてくれているようです。

 この世の中、まんざら捨てたものではないと、私はこのポスターを見て思ったのです。





人気ブログランキング

無用な心配は大いなるお節介

gd36ftv2@j;djhfbkyui8o
野の花は、何の手当てがなくても、そこに咲きます。自らが、土の中で水を求め、栄養を求め、土の上では寒さをしのぎ、暑さを避ける工夫をしているのです。人間も同じかなと思うのです。



 チグリス・ユーフラテス、インダス、ナイル、そして、黄河。
 いうまでもなく、四大文明を発祥させた川の名前です。

 そのうち、黄河文明で使用されていた文字「漢字」だけは、今に伝わっているのです。

 すごいことではないですか。
 5千年も前の知恵の結晶が今でも使われているのですから。

 現在、漢字を使っている国は、本家中国に、それに日本だけです。
 中国では、煩雑な漢字を略して表記する簡体字を用いる大陸地域と昔からの繁体字を用いる台湾など、その他東南アジアに暮らす華僑のいる地域があります。
 日本では、10万字はあるという漢字に加えて、二種の仮名までも用います。
 日本語を学ぶ外国人は、大変な苦労を強いられることになります。
 
 ロビーナで暮らす私の孫も、複雑な言語環境の中に身を置いています。
 もっとも今は、文字を読めないので、もっぱら音、言語による特殊な環境下にいるわけです。

 先日、娘からラインがあって、こんな話をしていました。

 なんでもおしめの中にウンチをするとき、孫は、テーブルの下とか、バスルームのはじにそれとなく移動するのですが、その折、何気なくついていこうとすると、おもむろに振り返り、「ウエイト!」と声をかけられたというのです。
 「ママ、来ちゃダメ」とか、「来ないで」という日本語に比べると、英語の「ウエイト」はきついというのです。
 きっと、キンディで、友達や先生から、何かの折に「ウエイト」と言われて、その言葉の使い方を覚えているのでしょう。

 私が向こうにいるとき、いつもは騒がしいこの孫が随分と静かにしている時がありました。
 コックリと居眠りをしている時と、iPadで動画を見ている時です。

 iPadには、YouTubeの動画が入っています。
 娘がお気に入りに登録していたのですが、その登録ページにも似たような動画があり、それを器用に、小さな指でスクロールして、面白ければ長めに、つまらなければ次にと、さっさと動かしてみているのです。
 もちろん、気に入ったものは何度も飽きずに見ています。

 何気に、何を見ているのかをそっとうかがって見ると、ロシアのちょっと気の強い女の子が森の動物とあれこれ騒ぎを起こすアニメーションのようです。
 耳をすますと、確かにロシア語です。
 またある時には、日本語でドラゴンボール、スパイダーマンを英語で見ていたりもします。
 
 私の世代が子供のころ、膝の上に置いた機器で、このように言語の異なる、それも、いろいろな国で作られた多少価値観の異なる、あるいは、文化背景の異なる映像を見たことがあるだろうか、異なる言語に飽きもせず耳をすませることなど、ただの一度もなかったはずです。

 当時、テレビで放映されるアメリカ映画は全部が日本語に吹き替えられて、それとなく、日本的にアレンジされていたような気もするのです。
 あの時、テレビ局が英語で放映し、字幕をつけていてくれたら、私たちの世代も多少英語が流暢に喋れることができたのではないかと思っているのです。

 少し大きくなった頃に、「電卓」が、安い価格で、世の中に売り出されるようになりました。

 すると、大人たちがこぞって、それは子供の計算力を奪うと口から泡を出して言い出しました。
 そろばんの苦手な子供の一人であった私は、余計なことをいう人たちだと思いながら、「電卓」なるものの登場を大いに歓迎していたのです。

 その後、ワープロが登場して来ました。
 すると、今度は、漢字が書けなくなると、おまけに、考える力も削がれるのではないかと、真顔で、世の評論家諸氏が言い出したのです。

 その頃は、もう、働いていましたので、無理して、当世随一のワープロなる機器を買って、使い出しましたが、すると、今度は、誰にも簡単に扱えるコンピューターが鳴り物入りで登場して来ました。
 夜7時のNHKニュースで、そのソフトが売り出されることが報道されるくらいの盛り上がりようです。
 1995年のことでした。
 私は、まだまだ使えるワープロを放り出し、このコンピューターにのめり込んでいくのです。

 10万字あるという漢字に、それに二種の仮名文字を、アルファベットの配置されたキーボードを叩き、画面に打ち出し、それをプリントアウトし、教師としての仕事は、今までの数倍、いや、数十倍、早くこなしていけるようになったのです。
 
 そんな自分のありようを振り返ってみると、孫がiPadを使って、動画をみて、言葉を触れていることは価値あることではないかと思うのです。

 それが、どこの国の言葉であるとかわからないまでも、自分の好きなキャラクターが喋る言葉には親近感があるはずです。
 この言葉の意味は熊なのだとか、自分と同じ名前の登場人物がこの漫画には出ているとか、あるいは、親が蜘蛛がいるという、あの蜘蛛がスパイダーともいうんだと、知らず識らずのうちに頭に入ってくるのですから、しっかりと根付くはずです。

 バイリンガルとかトリリンガルとか言われて、多言語を話せることは、脳にあるニューロンが、モノリンガルの子より結びつきを複雑にするのではないかと想像したりもするのです。
 しかし、その一方で、漢字は苦手になるだろう、しかも、日本の歴史はまるきりわからなくなるだろうと心配もするのです。

 そんな心配をする自分に、私は、ハッとしました。

 あの時の大人たち、評論家諸氏たちと一緒ではないかと。
 電卓が世の中に浸透して、計算能力が劣りましたかと、ワープロやコンピューターを頻繁に使うようになって、漢字がまるきり書けなくなりましたかと。

 それに警鐘を鳴らす大人たちに冷たい視線を送っていた自分が、その大人と同じような気持ちで孫を見ようとしていることに気がついたのです。

 そんな心配などすることはないのです。

 孫は、必要であると思えば、漢字を学ぶであろうし、同じように、日本の偉人に興味を持つだろうということです。
 孫が必要としなければ、それはそれでいいことなのです。

 孫の必要とするものは、孫が生きていく上で、自分で判断していくからです。

 実につまらぬ心配をしたものです。
 我ながら呆れてしまったしだいです。





人気ブログランキング

ペルム紀の憂鬱

mjndhbkit5itfghauisodkaf9
縁取りの綺麗な花、ロビーナのチョイ住みしていた家の近くに咲いていた花です。暖かい日差しを浴びて、花が気持ちよく咲いていました。このところの秋の長雨、気分も憂鬱になります。



 地学というつまらない科目、と言っては語弊がありますが、実際のところ、私は面白いと感じたことはなかったのです。

 岩石標本を見せられても、だから、どうなのと、素っ気なく思うしかありませんでした。
 地学のテストでは、石のスケッチを見て、それが花崗岩であるとか、雲母であるとか、石英であるとか、まるをつけて、すぐに終わってしまいます。
 さて、後の時間をどうするかともてあますことが多かったのです。

 教員になってからも、私は国語の教科担当でいつも職員室の片隅にいましたが、理科の教員たちは、専用の実験室があり、それに併設する準備室で教材準備や実験準備をするので、この科目の先生方とは、さほど交流も生じなく、だからというわけではないのでしょうが、一向に、それらの科目とは縁遠いものでありました。

 ある時、10分もすれば試験が終わるような試験問題はいかがなものかと職員会議で問題提起され、議論をしたことがあります。

 国語は、生徒にとっては、時間が足りないくらいで、問題量を適正に減らすにはどうしたらいいのかと頭を抱えるのですが、理科や社会などは、記述式の考えさせる問題を出しても、答えを書かないと担当の教師は嘆きを伴って言うのです。
 生徒にとっては、一夜漬けしてきたマルバツ式だけを答えておけば次第点を取れるのですから、わざわざ記述式を解いて、主要教科で点数を落とす辛酸は舐めたくないと思うのも、よくわかるのです。
 だから、彼ら理科などの教師にとっては、これは悩める問題であったのです。
 
 国語なら、漱石先生の面白おかしい話をしてやったり、平家物語の切なさを訴えたり、いかようにも講義に幅が持てますが、科学においては、そんなハッタリも効きませんから、理科や社会の教師というのも大変だと思った記憶があります。

 最近、土曜の夜に、NHKで面白い番組が放送されていて、それを見ているのですが、地学というのがこれほど面白いものかと改めて思うようになっているのです。

 中学生や高校生の時の、あのつまらない授業がこうも興味をそそり、もっと言えば、平面的であった地学が、こうも立体的になるものかと感心もしているのです。
 番組を盛り立てる著名なコメディアンが持つ知性と見識も素晴らしいですが、それを構成し、製作するディレクターもすごいと思っているのです。

 今の学校は、生徒にiPadなど、個別に機器を持たせ、映像をふんだんに使って、理解の促進を図りますから、私たちの時代と違って、子供たちは、立体的に、理科や社会の勉強ができるのではないかと思っています。
 
 そんなことに感心をしていた私でしたが、つい先日、何の拍子か、<ペルム紀>なる言葉がふと浮かんできたのです。

 普段、使わないし、想起さえもしない言葉です。
 きっと、どこかで耳にし、あるいは、学生時代に先生から聞いた言葉であったのかもしれません。
 一体、どういう意味かと調べますと、私が学生であった頃は、これを<二畳紀>と言っていたと言いますから、勉強もしない愚かな高校生であった私は決して耳にすることのない言葉であったというわけです。

 では、この<ペルム紀>なる言葉、どうして、私の脳が急に呼び覚ましたのでしょうか。
 
 で、<ペルム紀>というのはどういう時代であるかというと、古生代の最後の紀であり、まだ、地球を支配する恐竜も現れていない時代、陸地は赤道、南極、それに今のシベリアあたりにあり、それが移動を始め、衝突をするという何とも劇的な、と言っても目に見えるようにぶつかるのではなく、徐々に、気がつかないくらいゆっくりとぶつかる、そんな紀であったというわけです。

 今私たちが使っている石油などの化石燃料の元になる生物たちもまだいないのです。

 せいぜい、<ペルム紀>の前に<石炭紀>というのがあって、その名前からわかるように、この紀に、大量の大型化した樹木が私たちが使う石炭になるのです。
 その大型の樹木が倒壊し埋もれている時代が<ペルム紀>なのです。

 大型樹木ばかりではありません。
 地球をカバーする成分が影響を与えたのでしょう、地球は暖かく、その後の生物の先祖となる生き物も巨大化していました。
 それらの大きな生き物たちが生息する地球に起こったのが、地球の歴史上、最大級の火山活動であると言われているのです。
 火山からマグマが噴出するというのではないのです。平地から、海から、至る所からマグマが噴出したと言います。

 ですから、地球上にあった樹木や大型の生物の実に95パーセントが絶滅したというのです。

 私はこれらの調べ物をしていて、きっと、あの震災の時、生徒たちに何かを語ってやろうと思い、その時、この<ペルム紀>のことが頭に入ったのではないかと推測しているのです。

 地球は、穏やかな星です。

 太陽の程よい光線を受け止め、生き物が生きるに適正な空気があり、それに、命を生む海もあります。
 空は青く、海も青く、陽の光は赤く、それが朝日や夕日となり、私たちの心を和ませてくれます。

 その生き物が生きていける場としての地球で、私たちは生きているのです。

 そんなことを思い始めると、もっと、地球を大切していかなくてはといけないと思うのですが、それより、もっと、地学を面白く学び、子供達が地球を大切にする気持ちを持たせることが理科の教師の役目であると思うのです。

 会議ではろくな意見も出せなかった私ですが、今は、そんな意見を出せるようになったのです。





人気ブログランキング

この顔が悪用されるって

,kjlrhvぃy45698498rpj
画像が幾分歪んでいます。これは、道端に設置された丸い鏡からそこに映る光景をカメラで撮ったものです。多少歪んだ世界がか鍵の中にあるのです。はて、現実はどうでしょうか……とそんなことを思いながら、早朝の散歩を続けたのです。

 つくばに居を構える田舎者なので、世の中で行われていることでピンとこないことがままあるのです。

 例えば、ネット上で、私はこの顔をさらけ出しています。
 いや、むしろ、顔を示すことで、自分の意見を言うことに嘘偽りなし、正々堂々我ありと公言している(つもりな)のです。

 それを娘などは、危険だというのです。

 何が危険なのか、それがつくばに暮らす田舎者の私にはわからないのです。
 私の顔が、どこかで悪さをしたやつが、自分はこの顔だって言い張って、なんの得があるのかと思うのです。
 そんなこと、本当かそうでないか、すぐにわかってしまうはずです。

 プライバシーの侵害に関わるという記事もまま目にします。

 確かに、自分が何を考えているかを、ネット通販で発注したもので悟られ、それを買えと広告が私のSNSなどに頻繁に出てくるのは困ったことですが、それがプライバシーとどう関わってくるのか、それも今ひとつ分からないのです。

 私が、知る人ぞ知る有名人であれば、話は多少違ってくるとは思いますが、私は正真正銘の「無名人」です。

 ですから、カメラに追われることはないし、街角で手鼻をかんでも、くしゃみをする際に大胆に空に向かって、体全体を使ってしても、誰も気にはしないのです。
 せいぜい、嫌なオヤジだくらいにしか思わないでしょう。
 ところが、盛んに危険だと言っているのは、娘ばかりではなく、いや、それ以上に、新聞などの論調が声を上げて盛んに言っているのです。

 自分が自分であることを立証するという、普段は気にもかけないこと、それが現代では必要性を高めていると言うのです。

 昔、刑事ドラマを見ていて、指紋から犯人を追い詰めていくストーリーがありました。
 指紋というのは人それぞれ違うんだ、この指の普段は気にもしない紋様が私自身を特定するんだと面白おかしく思ったものでした。
 刑事が、喫茶店に入って来て、マスターに警察手帳を見せ、ポケットからおもむろにハンカチを出して、テーブルの上のコップを持って帰る、そこには犯人と思われるであろう人物の指紋がついているというような筋書きのドラマをみて、すごい技術だと感心したものです。

 でも、よくよく考えてみれば、犯罪に関与したとか、ある特殊な場面でしか、指紋判定というのは使われないわけです。

 それでも、ドラマを見ていると、自分を犯罪者に仮託したりもするのですから面白いことです。
 そんなテレビドラマを見て、指紋を隠すために手袋をしたり、故意に指紋を潰したりと犯罪も知的になっていくのですが、そうなれば、今度は、網膜で個人を特定するとか、DNA鑑定だとか、捜査テクノロジーは犯人を特定するのに大いなる進歩をしていくのです。

 それとても、よくよく考えてみれば、私が宝石店に押し入ったとか、私に私生児がいたとか、そんな事態にならなければ、無用なことなのです。

 しかし、新聞の論調がやかましく書きまくるのは、犯罪ではなく、個人認証が随分と日常生活に入り込んで来ているからなのです。
 確かに、ついこの間訪れたゴールドコースト空港では、混雑する入国審査の窓口より、機械の前に立って、写真を撮られた方へ回された方が、早く手続きがすみました。
 それを嫌う人は、根気よく係官の審査を待つことになります。

 つまり、私は、現在の私の写真を撮られ、パスポートに貼られた10年前の私の写真と顔が一致することで、私が私であることを認証されたのです。

 オーストラリアに暮らす娘は、信号のある交差点で停止線をオーバーして、後日、車のナンバーと運転席にいる自分の写真とが郵便で送られて来て、違反通告を受け、たいそうな額の罰金を払ったと言います。
 確たる証拠を突きつけ、有無も言わさず罰金を与えるのです。

 中国では、同じように、信号を無視して道路を横断する人の姿を、人が沢山いる目立つ場所に設置されている大型スクリーンで映し出し、すでに顔からわかっている氏名と住所もそこに示すと言います。
 一罰百戒!
 見せしめのような取り締まりで、私は好きではありませんが、それでも、中国の運転マナーの悪さ、交通事故の死傷者をなくすにはこれが今の所最善の策なのでしょう。

 それでも、自分がいけないことをしながら、注意を受けたことを根に持って、相手の車に対して、危険極まりない嫌がらせをする犯罪者ならともかく、安全を確認して渡った歩行者を見せしめにするなんてと思ってしまいますが、違法は違法ですからと納得もするのです。

 なんでもNASAの研究員が、人の顔ではなく、歩く姿で個人を特定する技術の開発に取り組んでいるようです。

 「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」とは、何をやっても美しい女性のことを言ったとは思いますが、これからは、歩く姿から、認知症になって徘徊し、自分が何者であるかをわらかない人の身分特定に使われるというなんとも無粋な、しかし、ありがたい研究がなされているのです。

 しかし、NASAが研究するのですから、人の歩く姿から、その人物の宇宙飛行士になればいいかどうかの判断に、ひいては、個人が持つ特殊な技能、個人の本来所有している性質などが、歩く姿から判断されたりするのではあろうと思います。
 しかし、私など、これが実用化されば、役所や企業の面接試験の際に、歩かされて、この人物は怠け者だとか、この人物はよく働くなどと判定されるのではないかと勘ぐってしまうのです。

 で、そうであれば、歩き方を専門に教授する商売が繁盛したり、学校でも、進路指導部に歩き方研究会が作られ、生徒に歩き方を教えたりするなど、さらに勘ぐるのですから、しょうもありません。

 昔、日本海軍では、骨相を見て、長生きの相を持っている人物をゼロ戦のパイロットにしたと言う話を聞いたことがあります。
 その話をしてくれた人は真珠湾で戦い、ミッドウェイ海戦で空母が撃沈され、やむなく海面に着水し、駆逐艦に救助され、その後の3年にわたる太平洋戦で生き残り、戦後、90歳余りまで生き延びた方ですから、骨相は当たっていたと言うことになります。

 歩き方に対する私の勘ぐりもまんざら勘ぐりではないのかもしれません。

 顔の似たものは、この世に3人はいるなどと都市伝説のような話を聞いたこともありますが、技術開発が進み、プライバシー権の侵害であるなどと声を荒げても、実際の生活に活用されるのが当たり前になっている現状であれば、どうでしょうか、いっそのこと、各自、それぞれの顔を晒していっては。

 これが私の顔です。
 そうすると、かえって、ぼかしを入れられたりする方が、この人悪いことしているなんてことになるかもしれません。
 
 匿名性をことのほか大切にする人の中には、それを悪用して、汚い言葉で中傷を仕掛けてくる人もいますが、顔が大ぴらになれば、そんな悪い奴もいなくなるはずです。

 この文章、娘に読まれて、バカなことを言っていないでと、ラインで叱られるのではないかとは思っていますが……。
 正々堂々というのも、なかなかに辛いものがあります。





人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《10/22 Sunday》

‼️現在、<Puboo!><Facebook>で、金曜日に発信した作品を公開しています。‼️

❣️<Puboo!>にて、『だから、朝は素晴らしいんだ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『Mermaid beach at Gold Coast. - The forcing look blows and is no swimming allowed on this day. I was walking a beach. When I try to take a picture of a no swimming allowed flag's trailing along in a wind, one man has begun to come near the field and take a picture of the skyscraper group. That makes a picture.
美人鱼海滨於黄金海岸。- 强的风吹,这天是游泳禁止。我,走着在海滨。我,预先打算拍下来游泳禁止的旗在风上密布的话,一人的男人为田地的荞麦面来,开始拍高层群的照片。那个如画。』を公開しました。

❣️<Twitter>では、『ものかき』と銘打って、朝と晩『つくばの街であれこれ』の更新情報をつぶやいています。朝は、その日の記事について、晩は、明日の記事についてのつぶやきです。

⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

リンク
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
フリーエリア