廃れた義理

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 田植えの済んだ田んぼに
 毎年義理堅く
 やって来ては
 稲の害虫をついばむ
 きっと
 美味しいものは
 田んぼにいるって
 知っているんです




 義理が廃れば、この世は闇よなんて演歌の歌詞が、時に頭の中を、唐突に駆け巡ることがあるんです。
 そんな時って、大抵は、人様の不義理なる行為に腹を立てている時なんです。
 
 先だっては、卓球仲間の横着な連中に腹を立てていました。

 腹を立てたからといって、文句を言ったり、胸ぐらを掴んだり、そんなことではないのです。一人で、口の中でもぐもぐ言って、うさを晴らしていただけなんです。

 いやね、体育館を借りて、練習に来るんだから、準備と後片付けくらいするのは常識だろうって、そう思っているんです。
 それなのに、遅くに来て、早くに帰る人がいるんです。
 早くに帰らなくてならないなら、一番にやって来て、台を出したり、ネットを張ったりするくらい常識だろうって。
 遅くに来たなら、後片付けくらいしていくのが常識だろうって。

 そんなことをもぐもぐ言っていたんです。
 そんな時に、私の頭の中に、義理が廃れば、この世は闇よって、村田英雄の声が囁くのです。
 
 私は、高倉健の任侠映画を映画館に行って観たことはありませんが、なぜか、その場面を思い浮かべることができるんです。

 相手がやりたい放題をして、我慢に我慢を重ねて、そして、あの鋭い目つきで懐のドスに手をかけるんです。
 それでも、忍耐をしますが、ついに、堪忍袋の切れます。
 諸肌を脱ぐと、その背中には見事な入れ墨があると言うあの場面を、私は知っているのです。
 
 あれって、義理も何もない輩に鉄槌を下す瞬間なんです。
 
 現実にはドスを出すなんて、あり得ない在り方なのですが、そんな場面って、日常生活の中で、形を変えて、往往にしてあるものなんです。

 これも卓球の練習の合間の出来事であったのですが、いつもは温厚な方が、怒りに任せて、ボールの入ったケースを蹴って、球が何百個も床に転がってしまったことがあったのです。
 
 で、なんで、その方が怒り心頭になったかといえば、女性の相方がお茶をしていて、なかなか、試合のある台のところに来てくれなかったからだと言うのです。
 我がチームの女性連は、おしゃべりが大好きです。
 お茶菓子を持って来て、合間合間に、モグモグタイム、ああでもない、こうでもないとケラケラと笑っています。
 
 それにいきりたったと言うわけですが、腹を立てた方に、分が悪いのは火を見るよりも明らかです。
 
 短気は損気っていうやつです。
 そんなことをすれば、次回から来づらくなるだろうにと、私など思いますが、そういう人というのは、さほどのことも考えないようです。
 だから、そんなことあったのってな具合で、平気でやってきます。

 そんな時も、義理が廃れば、この世は闇よって、私の耳の周りで、今度は藤圭子の声が巡るのです。

 そういえば、トランプがまもなく国賓としてやって来ます。
 今上陛下の最初の国賓として、いろいろと行事が組まれていることと思います。国のお客様ですから、大切にお迎えをしなくてはなりません。

 でも、あの方の、義理も、随分と廃れていると、私、思っているんです。
 
 だって、習近平に対しても、北の御曹司に対しても、なかなかにやるではないかって、そう、思っているからなんです。

 習近平にも、御曹司にしても、トランプは、尊敬しているとか、友達だとか、そんな風なことを呟いています。
 そんなことを言われたら、誰だって、トランプっていい奴だ、まさか、馬鹿な真似はすまいって思います。

 何もかもがうまくいくって、だから、少々、無理を聞いてもらおうって、だって、尊敬しているって、友だっていうんですから、そのくらいはって思うんでしょうね。

 でも、中国に対してはズバッと関税をかけて、御曹司には席を蹴って会談を無しにしてしまいました。

 これって、習近平や北の御曹司にとっては、義理の廃れたありようだと、彼らの頭の中には、義理も廃れば、この世は闇って……、もっとも、そのような歌詞も、彼らは知らないし、だいいち、彼らだって、思想なるものに、がんじがらめになって、義理などという概念はないはずですから、この情緒的な言葉はきっと浮かんでは来ないことでしょうが……。

 でも、まもなく、日本にやってくるトランプは、日本という国で、不義理はないと、私、思っているんです。

 天皇陛下の前では、義理を尽くすだろうし、国技館や「かが」艦上でも、それなりの義理ある振る舞いに興じると確信しているのです。

 だって、こちらには、義理を貫き通す覚悟が、みなぎっているからです。

 やると思えば どこまでやるさ それが男の魂じゃないかって、義理が廃ればこの世は闇の前にある歌詞です。
 それがあるから、きっと、トランプは義理堅く、日本滞在を楽しんでいくと思っているのです。



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カラフェでひとり酒盛り

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 夏の時期になりますと
 ここまで
 朝日が差し込んできます

 リキュールの瓶を照らすのです
 もそっと
 飲みなさいよって
 
 酒は浮世の憂さを
 洗い流すよって




 衣替えを始めています。
 布団も、着るものも、冬から春、そして、夏へと模様替えを少しづつしているんです。

 先だっては、食器も、と言っても、たいそうなものがあるわけではないのですが、取手の学校にいた時に、卒業記念品としていただいた、それなりの食器が冬から春の食卓を飾っていたのです。 
 それを夏を涼しげにしてくれるガラス食器に入れ替えるといったことなのです。

 食器棚の奥から、カラフェが出て来ました。

 冷酒を飲むときに使う、ポケットのついたあのガラス食器です。
 そのポケットに氷を入れて、酒を薄めずに冷やして飲めるあの食器のことです。

 それを手にして、テイッシュで磨きをかけます。
 しかし、それにしても、このポケット絶妙に器に食い込んでいるなって、私の関心は、いつものことなのですが、横道に逸れていきます。

 そういえば、先だって読んだ新聞に、クラインの壺を紹介したものがあったと、そのポケットの中に、テイッシュを突っ込んで磨いているときに思い出したのです。

 クラインの壺は、私が手にしているカラフェとは異なって、ポケットではなく、口の先端がムニューって伸びて、それがガラスのツボの腹のなかに食い込んで外に抜けていく、そんな形なんです。
 だから、そこに氷を入れれば、それはガラス瓶の中に入り込んでしまうのです。

 大吟醸の冷酒を飲むにもどうして飲んだらいいものか、考え込んでしまう形をしているのです。

 メビウスの帯、というものも連鎖的に、私の頭の中に浮かんできました。
 紙テープを伸ばして、その一端を百八十度ひねります。それを他の一端にセロテープで貼り付けます。
 これをメビウスの帯って言います。

 私の脳みそには、この方が理解しやすいようです。
 このメビウスの帯の特長は、一周してくると向きが逆転するというものですから、カセットのエンドレステープや、タイプのインクリボンに応用されていますから、きっと、私にも、具体化した形で、理解が進んだものだと思っているのです。
 
 百八十度ひねるという点では、クラインのツボも同じようだなって、いや、手にしていたのは、大吟醸を入れ、夏の夕刻、そよ風の吹く中で、蚊取り線香を焚いて、枝豆で一杯やるときの、大事な道具カラフェだったのですが、その磨く手も動くことなく、私は、あらぬ空想の中に入っていってしまったのです。

 もの、皆、形ありって、誰が言ったのか、それとも、自分で考えたのか、そんな言葉が脳裏に浮かんできたのです。

 物理的な形はもちろん、仕組みや仕掛けなども、形があって、機能しています。
 人間が作り上げた先進的なありようというのは、すべて、形が機能して、成立しているのです。
 それを壊そうとすると、波乱が起こります。

 戦争をして島を取り戻そうとか発言する若い議員も、議長席に居座りひんしゅくを買う老いた議員も、あるいは、国際規約を無視して独自の考えで、南シナ海の岩礁を埋め立て、基地を作る国家も、あるいは、これまでの体制をぶっ壊すようなことを繰り返す大国の大統領も、皆、その手の人たちです。

 形を壊そうとして、それが正義であるかのように、振る舞いますから、タチが悪いのです。

 でも、その形、そもそも、それが正しいのか、そうではないのか、実はわからないというのも、困ったものです。
 なぜなら、形は、時に暴力を伴って作られたものであるからです。
 自然的な猛威、あるいは、人為的な暴力でもって、それらは形成されて来たことを、私たちは歴史の中に見ていきているのです。

 人間界の、愚かなる人々の愚行に付き合っている暇などはないと、そうではなくて、私は、手にしているカラフェの器を見つめながら、宇宙の形を想ったのです。

 ビックバンで、大爆発を起こした宇宙は、だから、きっと、放射線状にすべてのものが散っていく、そして、それがいまだに続いているんだと。
 あるいは、その勢いも弱まり、今では、しずくのような形になって、ゆっくりと膨らみをもって広がっているんだと。
 そしてまた、カラフェのように、自然の成り行きに任せず、任意にその口を曲げて、あらぬところに出口を設けて、きっと、別の宇宙に行き着くのではないかって。

 昼過ぎのキッチンで、訳の分からぬことを想いながら、そして、そんなことを思う自分が嫌になり、私、立ち上がり、冷蔵庫の前に立ちました。

 正月に飲んだ酒があること思い出したのです。

 それをカラフェに注ぎ、そのカラフェのポケットに氷ではなく、オレンジリキュールを注ぎ込んだのです。

 それを陽射しにかざして、綺麗だなって、せっかくだから、三時のおやつにいただくかと、カラフェに付属するガラスのお猪口に、酒を注いでいただいたのです。

 昼酒なんど、とんとしたことのない身ではありますが、五臓六腑に染み渡る日本酒のちょっとカビ臭さがこれまたなんとも言えませんでした。
 私の頭から、宇宙も、形の哲学も、見事にすっ飛んで、私は、午後のひととき、銀座の石川県のショップで買って来たしろえびのせんべいをつまみに、大いに盛り上がったのでした。



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一生モノを持つ身

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 白い雲が沸き起こってくるような
 その名も
 ハクウンボク
 近くにある大学の植物園に
 満開の花を咲かせていました

  

 メガネ屋さんへと足を運びました。
 いや、実は、その前に、ホームセンターのネジコーナーに立ち寄っていたのです。
 
 メガネの耳にかける部分、これ、テンプルとかつるっていう名称がついていますが、それがレンズと結節するその部分の蝶番がぶかぶかになってしまったのです。
 だから、ネジコーナーに行って、メガネを修理するキットがないかって、探しに行ったのです。

 そこにいたコーナーの専門家に問いますと、お客さんのように、自分で、なんでもやりたいという方が、ちょくちょく、お越しになられますが、メガネだけは、専門家に見てもらった方がいいと思います、てなことを私の顔を覗き込んでいうんです。

 もちろん、そのネジ交換と締め直しくらい、メガネ屋さんに行けば、無料でしてくれることを私は知っています。

 でも、それを自分でしたいと、そんなことを思う人が、私以外にもいるんだと、その専門家の口から聞いて、ちょっと、愉快になったのです。

 キットというのはおいてはないのですが、極小ネジ回しに、各種の精密ネジは置いてありますが、メガネによってそのネジの寸法が異なりますから、よく調べてからでないと、無駄になりますなんて、簡単には売ってくれそうにないのです。

 仕方がなく、私は、移動して、いつものメガネ屋さんに出向いた次第のなのです。

 昼下がりの時間がゆっくりと過ぎていく頃あいに、店に入りますと、あれ以来いつもいる店長さんが声をかけてくれました。

 この方が、何を隠そう、私に、一生モノのメガネを売ってくれた方です。

 この二十年で、髪には、白いものが混じり、それなりにロートルになってきました。
 いつも、物静かな紳士ぶりは一向に変わりありません。

 あの時、メガネの度数が合わなくなり、世間が見えにくくなっていました。だから、レンズを交換してもらうために私は店を訪れたのです。
 色々な機械で私の目の状況を調べ、重たいメガネをかけさせられて、そこにいくつものレンズを重ねられて、私の目の玉の現状が数値で示されていきます。

 随分と近視が進んで、左は幾分乱視も入っていますと、診断が下されました。
 では、それで、お願いしますと、私は新しい、私の目の玉に合うレンズの依頼をしました。

 もう、そろそろ、フレームも変えたらいかがですか、これ、形もデザインも古いし、それに、随分とくたびれていますよって、店長言うんです。

 確かに、太いフレームで、自慢は蝶番のところに、オニキスが入っているもので、確かに時代の先端とは程遠いものです。
 
 これなんかはどうですかって、店長、縁なしのフレームを持ってきました。
 金属部分が極めて少ないメガネです。
 きっと、この様子ならば、レンズ代くらいで、さほどでもないだろうと思ったのです。

 掛けてみると、なかなかにいいではないですか。
 縁なしだから、顔がくっきりとして見えます。それになにしろ、はやりのスタイルです。

 気に入りました。
 念の為、値段を確認します。 

 三十万ですと、店長、何気に言います。
 
 素っ頓狂な表情に、一瞬にして変容した私の顔を察知したのでしょう、店長、すかさず、私にいうのです。
 高いですが、一生モノです。

十年、つければ、年間三万円です。二十年なら、その半額です。
つければつけるほど、お支払いになられた額は価値を生み出していきますって、さらに、それよりなにより、お似合いです。
知性に満ち溢れ、先生であれば、このくらいしなくていけません。

そんなことばにほだされてしまったのです。
 
 そのことばに偽りはなく、あれから二十年余り、私は、その店長が言うように、そのメガネを一生モノとして愛用をしているというわけです。
きっと、あと十年は、持つかも知れません。

 ですから、蝶番が緩めば、店に行き、ネジの交換を頼み、汚れが目立てば、店に置いてある振動によって汚れを落とす機械の世話になっているのです。
 
帰り際、外されたねじ、その幾分曲がったネジを指先において、これ持って行っていいですかって、店長に問いかけました。
いいですよ、いま、袋を持ってきますって、意外にも、丁寧に対応してくれます。

でも、ご自分でやろうなんて、邪な考えはもたないでください。
一生モノのメガネが台無しになってしまいますから。
あなた様のメガネは、素晴らしいメガネなんですから、ちょっとしたことでも、このわたしが面倒をみますからねって、そんなことをいうのです。

どうやら、わたしの魂胆は、どこでも見透かされているようで、ちょっと、一生モノを持つ身にしては情けないと、そっと、メガネに手をかけて、店を出たのでした。



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万葉の里

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 夜のとばりの
 街灯に照らされた
 そこに
 みどりみどりした世界
 夜のみどりも
 この季節ならでは




 令和になって、その名の由来が万葉集にあるから、ならば、私も万葉集にあやかろう、というのではないのです。
 万葉の里とは、我が宅にあるモミジの木が持つ名なのです。

 春先、まだ、気温がだいぶ低い頃、西の庭に畑を作るため、その万葉の里を抜き取りました。
 そして、それを大きめのテラコッタに植え替えて、様子を見ていたのですが、見事に芽吹き、葉を茂らせてきました。

 ほっと、一安心をしているところなのです。

 何年か前に、我が宅に、モミジが一本欲しいと、植木屋さんに探しに行った時のことです。
 この木は、ヤマモミジの一種で、枝変わりなんです、なんてことを言われました。

 まだ、芽吹いてもいない、枝ばかりの木を見て、枝変わりってなんだと、そう思って問いました。
 
 モミジといえば、新緑の時節は、鮮やかな緑に染まり、やがて、秋になると真っ赤に紅葉するものですが、これは、芽吹いた頃から、赤いモミジなんです、なんてことを言うんです。
 日本庭園に似合う、高級感のあるモミジですって、付け加えてきました。

 我が庭は、日本庭園ではありませんが、へそ曲がりっていうのが好きなもんで、私、その苗木を選んだのです。

 我が宅に植えられたその万葉の里は、ほどなくして、葉を芽吹きだしました。
 そして、そこには、紫がかったギザギザの葉で、黄色、時にはオレンジ色に見える縁取りがあったのです。

 最初の年、そのモミジの葉を見たとき、正直言うと、ちょっとがっかりしたのです。

 だって、新緑のモミジの葉を見ることができないことに、今更のごとく、気がついたのですからです。

 『徒然草』のどの段だったか、卯月ばかりの若楓、すべて、万の花、紅葉にもまさりてめでたきものなりなんて一節がありました。
 四月あたり、芽吹く楓の葉は、桜をはじめとする春の花々や、秋の紅葉にもまして、素晴らしいと言うのです。

 若き日に、京の街をぶらぶらしたことがあります。
 
 すっかりと名を忘れていますが、そこはモミジの名所だと言います。
 秋に来れば、そのモミジの真骨頂を見られたねと、連れの京育ちの女に言いました。
 すると、秋もいいけれど、春のこのころのモミジも良いんだと言うのです。
 
 モミジの葉は、落葉樹だから、薄いの。
 広葉樹みたいに厚い葉っぱではないの。

 だから、春の京都の強い陽射しを受けて、照り輝くの。

 ほらって、彼女、寺の一角に立ち止まって、空を指差したのです。
 モミジの若葉が、折り重なって、陽の光を通し、時に薄く、時に、濃い緑を演出していました。
 
 しばらく歩くと、白壁がほんのり、モミジの葉のその緑を映して、染まっている箇所に出くわしました。
 あぁ、なんて美しいことかって、私、その緑に染まる彼女の表情をも見たのでした。

 そんなこともあったので、徒然のあの一節を私は殊の外覚えていたのかもしれません。

 しかし、我が宅の、へそ曲がりが購入したへそ曲がりのモミジは、その葉を蘇らせた時から、すでに、赤紫の色をそこに宿し、秋には、くすんだ色合いになって、葉を散らしていくのです。

 でも、私、我が庭に、万葉の里と名付けられたモミジがあってよかったと思っているんです。

 春にみどりみどりした葉を茂らすモミジなんて、そこここにあります。
 そうではなくて、新緑の季節に、赤いモミジ葉を茂らすなんて、へそ曲がりの家のへそ曲がりのモミジなんだから、最高だと思っているのです。

 それに、あのみどりみどりした、薄い葉を通して、ふりそそぐ色の反射を、我が宅では見たくないのです。
 そっと、胸に秘めて、おきたい、そんな感傷があるからなのです。

 万葉の流行る季節に、万葉の名を持つ、赤紫色の葉を持つモミジが、次第に色をくすませていくのを、今年は、ウッドデッキの上で、そっと見つめていきたいと、そんなことを考えているのです。



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旬の味は記憶の中に

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 かように美しき花ありき
 花散りし後に
 玉のごとき袋を残し
 小さきタネを宿す
 命のつながり
 まさにここにあり




 もう何十年にもなるんです。

 その時節になると、タケノコを我が宅の門前にそっと置いていってくれる方がいるんです。
 その方は、近所に暮らしている方で、実は、私の教え子のご両親なんです。

 たいしたこともしていないのに、息子が世話になったと、自分の持つ竹林で取れたタケノコを置いて行ってくれるんです。

 泥のついた、無骨なタケノコです。

 それを外の水道で洗って、キッチンに持って行って、味噌汁にして食べるんです。
 タケノコの香り、何よりも、採りたてのその歯ごたえはなんとも言えません。

 あの先っぽの柔らかいところなんて、なぜ、かくも美しいのかって、そして、うまいのかって、そんなことを思って、いただいているんです。

 程なくして、我が宅の昨年の十一月にタネを蒔いたソラマメが最盛期を迎えました。

 ソラマメというくらいですから、さやは天に向かってそそり立っています。
 それが、垂れ下がったとき、収穫どきとなります。
 夕食に、ちょっと添えられるほどのソラマメですが、その甘いこと、柔らかいこと、何より、香りがいいこと、それを楽しんでいるのです。

 ソラマメはちょっと日が経つと妙な匂いになりますが、採りたてのそれにはその珍妙な匂いはまったくありません。

 旬のものというのは、それがたくさんとれる時期のことを言います。
 人間は、そういう時にとれたものを昔から味わって、寿命が延びると喜んできたのです。
 
 子供の頃のことです。
 九十九里にある田舎の家で夏休みの大半を過ごしていました。
 今では、もうなくなった地引網がこの浜での漁です。
 とれた小魚をザルに入れて、女たちが、浜の向こう、松林の先にある小屋に運んで行き、そこにある大釜の中に投入します。

 煮干しを作るんです。
 
 私の記憶の中に、素っ裸の男たち、胸も露わにした女たちが、魚の鱗だらけになって作業をしていた記憶がうっすらとあります。
 
 もしかしたら、それは幻想かもしれません。

 でも、記憶の中に、それがあるのですから、その幻想は、実際に私が見たに違いない、幼き頃の現実であったのかとも思っているんです。

 地引網で取れたイワシの群れの中に、アジも混じっています。

 若い衆が、それを掴んで、親指をアジの腹に差し込んで、一気に内臓を取り出し、ついでに頭もとります。そして、器用にアジを割いて、それを打ち寄せる波で洗って、私によこすんです。

 食べろって。

 おそるおそる、それを口に入れます。
 トロっとして、しかし、身には弾力があり、海の水の塩っけが程よく、うまいってつい顔がほころんだのを覚えています。

 男たちが船を浜に引き上げ、使った網の手入れをしているとき、女たちは、小屋で、茹で上がったイワシを障子板の上にあげて、それを平たく伸ばして、炎天下の砂地の上に置いて、乾かすのです。
 子どたちはそれを手伝います。

 手伝いには、役得があります。

 イワシに混じって、小さなタコも茹で上がり、小さなカニも茹で上がるのです。
 それは自由に食べていいのです。

 その美味しいこと、我先にと手伝ったことを覚えています。
 だって、新しい障子板には、食べていい、それらがあるからです。

 私が、釣りにはまったのは、きっと、この時の美味しい体験があったからだと思っているのです。

 タケノコのお礼に、私は、チョコレートを持って、お宅に伺います。
 恐縮され、丁寧にお礼を言われて、かつて、私が教えた生徒のその後の様子を聞くのを常としています。

 三重の大学の医学部を卒業し、どこそこの病院に移動したとか、ほとんど帰ってこないとのぼやきも聞いてやります。

 旬の味は、きっと、記憶の中にある、あの懐かしい想いと重なって、さらに輝きを増すのだと、私は、その時、思うのです。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《 5/24 🏇 Friday 》
 
🦅 本日、<カクヨム>にて『天皇陛下の親指』を発信しました。


『天皇陛下の親指』



日々の生活の中で、ともすると、何気に見過ごしてしまうこと、そんなことにもちょっとした注意を向けてみますと、そこには奥深いものがあることことがわかります。
コアラの国に暮らす人々との関係を通して、私は飽きることなく、その奥深いものを感じ取っているのです。
そして、その奥深いものが、私が暮らす日本という国を見つめなおさせてくれるのです。
何気に見過ごすのではなく、意図して、身の回りのありようを感じ取っていくのです。
「私小説」という言葉が、日本にはあります。
だとするなら、これは「私的日常綴」ともいうべき代物なのです。

下のリンク欄<カクヨム>からアクセスができます。


【nkgwhiroの活動】

❣️<Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。こちらもご訪問よろしくお願いします。
 

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