まぼろしのフランクルトステーション

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 台風が発生したと
 地震があちらこちらで
 大阪では激突が
 ロンドンではヤンキースが
 この夕陽
 何か嫌な予感が
 そんなことを思ったのです




 あれはいつのことでしたか。

 仕事でフランクフルトに滞在していた時でした。
 その日、相手先の都合で、仕事に空きができました。
 せっかくだからと、一日、ハイデルベルグまで出かけて、遊んだときのことでした。

 この日、私、ちょっと不安にならざるを得ない経験を二つしたのです。

 一つは、ハイデルベルクで、立ち入ってはいけないところに、どうも、私は入ってしまったらしく、そこの管理者らしきドイツ人に、大きな声で叱責を受けたのです。

 無理を通すつもりなどまったくなく、こちらに落ち度があるのだから、叱責は甘んじて受けるとして、それにしても、明らかに外国人、それも旅行者とわかる日本人に、あのような罵声は如何なものかと、そんな経験であったのです。

 近くにいた、アメリカ人らしき旅行者も私に同情をしてか、肩をすくめていました。

 もう一つは、その小旅行からフランクフルト中央駅に戻ってきた時です。
 ホームに降り立った瞬間、私、異様な雰囲気を感じ取ったのです。

 革ジャンを着た若者たち、何やら旗を振りかざし、互いに怖い顔をして罵り合っています。

 ところが、多くのドイツ人乗客は何食わぬ顔でその若者たちのそばを通り過ぎていくのです。私は、訳も分からずに、しばし、ホームに佇み、いったい何事が起こっているのかと注視したのです。

 ナチスがこの国を席巻した時のあの熱狂かしらと、あり得ない想像を巡らしたりもしたのです。

 ホームの向こうに、ナチスの軍服を着た将校が兵士を従えて、乗客から外国人を見つけては収容所に送っているのではないかと、つい先ほど、大きな声で叱責を受けたことを思い出し、私は萎縮してしまったのです。

 革ジャンを着た若者の集団から一人の男が、ホームの端に佇む私の方に、その長い足を大きく開いて、やってきます。

 私には、その革ジャンの若者が、次第に、襟に、重ね稲妻のあのSSのマークをつけたナチス親衛隊の将校に見えてしまったのです。

 その将校は、Takahara Takaharaと、私に向かって言いながら、近づいてくるではないですか。
 そして、ヤーパンという声も私には聞こえてきました。

 この日、アイントラハト・フランクフルトの試合が行われ、アイントラハト・フランクフルトが勝利し、Takaharaが得点を挙げたというのを、後で知ることになるのですが、その革ジャンの若者は、Takaharaと同じ国から来たらしい、そのような顔つきの私を見つけて、近寄ってきたのです。

 実にドキドキとする体験でした。
 
 もちろん、その刺青を腕に施し、革ジャンを着た青年と握手をし、友好を保ったことは言うまでもありません。

 ドイツ人も、なかなか、熱い奴らだと、そんなことを思って、私は、フランクフルト中央駅の近くに取ったホテルへと戻っていったのです。

 こんなことを書くと、ドイツ人は怖い、あのナチスの時代のままだと誤解を与えてしまいそうですが、実は、ドイツでは友好的な関係を多々構築することができていたのです。
 だいいち、どこでも、誰もで、英語が完璧に通じるのです。
 街の文房具屋さんでも、花屋さんでもそこに働く皆が、英語を理解し、しゃべってくれるのです。

 それに何より、私たち日本人には、幾分好意的な面もあると思っているのです。
 もちろん、かつては、枢軸国として、一緒の仲間であった意識がきっと、彼らにはあるのだと思っているのです。

 今度一緒にやるときには、あのイタリアは抜きにやろうではないか、なんてジュークをかつて私は聞いたことがあります。
 弱い、すぐに降伏するあの国は除いて、日本とドイツでもう一旗揚げようというブラックジョークです。

 それにしても、なぜ、あのサッカーの熱狂の中に、ナチスの面影を私は見てしまったのかと不思議でならないのです。

 きっと、私の中に、ドイツへの偏見がいまだにあるのかも知れません。
 そんなことを思うと、アジアの国々の中に、かつての軍人が闊歩し、強大な軍事力を誇示した日本への、そのようなイメージをいまだにもつ国があっても仕方があるまいと思ったりもするのです。

 人の心の中には、ぬぐい去ろうとも、ぬぐいきれない思いというものが、くっきりと刻み込まれるものなのです。

 ロンドンに向けて旅立つ朝、私は、ホテルを出て、フランクフルト中央駅を散歩しました。
 列車から、多くの人々が吐き出され、職場に向かっていきます。
 私、その光景を見て、丸の内の、あの東京駅の中にいる錯覚を覚えたのです。

 この人たち、私たちをよく似ていると、生真面目で、几帳面で、何事も懸命に物事を行う人々なんだと。



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雨の日に野菜は色づく

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 ウッドデッキには
 さまざまな客人がやってきます

 もっとも多くやってくる客人は
 この揚羽蝶です


 ここは揚羽の光の道筋になっているのです

 私のこの時期の仕事場
 ウッドデッキで私は彼らと
 対話を楽しむのです


 何を話しているのかって
 それは秘密です




 雨の日は、色が消え失せます。

 遠くに見える森さえも、あのみどりみどりした濃い松のみどりを薄めて、ほのかに、淡いものに色を変えていくのです。
 近くに見える幼稚園の、御伽の国のような塔の、その黄色の屋根さえも、雨は薄めていってしまうのです。

 雨が時折激しく降る時は、我が宅の前をしぶきを上げて車が、大変だ、大変だ、濡れてしまうって声を上げるかのように、走り去っていきます。

 その激しく降る雨は、まるで靄をかけたように、周囲の色を消していくのです。

 そこにあった道端の草の色も、道路に描かれた黄色のラインも、鮮やかな塗装の車の色さえも、線を何万本も引いたような雨が、その色を消し去っていくのです。

 雨は、色を消し去る消しゴムか、それとも、鮮やかな絵の具の上に落とされた水滴か、そして、その水滴がそこにあった色を滲ませて、次第には、色をなくしていくのです。

 ウッドデッキにしつらえた屋根のあるところに出て、そこに置かれたガーデン・チェアに腰をおろします。
 雨の音を聞きながら、ポットに植えられている野菜を眺めます。

 キュウリが黄色の花をいくつも咲かせて、そのうちのいくつかは、その根本に、小さな赤児のキュウリをつけています。
 早く大きくなってくれって、声を潜めて、呼びかけます。

 そうか、君は、黄色の瓜だから、キュウリって言うんだって、今更のように気がつくのです。

 そんなことを思っていたら、ナスのポットにも目がいきました。
 鮮やかな紫の色の花が、そこにありました。
 これがやがて、あの紫色のナスとなるんだと思うと、その色が愛おしくなりました。
 だって、私、ナスを薄く切って、多めの油で焼き、そこに擦った生姜を落とした、あれが大好物だからです。
 
 そうだ、ナスの色はなんだと、思案を巡らします。

 茄子紺(なすこん)なんて言葉があったことに思いたります。
 藍染職人が理想とした色合いです。

 ナスがいとも簡単に引き出す色合いを、人間は容易に出せなかったのです。
 だから、その色合いは高貴な色として、昔の日本人は茄子紺などと言う洒落た言葉を生み出したに違いないって思ったのです。

 いや、面白くなってきたぞ。

 軒下にぶら下げてある玉ねぎ、今年、初めて収穫したものです。
 あの玉ねぎだって、昔の日本人は、その醸し出す色合いを言葉に残しているんだ。

 そう、萌葱色です。

 玉ねぎそのものの、それは色ではありません。
 玉ねぎの地上に出ているあのみどりみどりした濃い葉の色合いを言うのです。

 十二単衣の襲(かさね)の式目を思い出します。
 明るい緑を萌黄と表現し、濃い緑を萌葱と表現した時代があったことをです。
 日本人は色に関しては、なかなかにうるさい民族だったに違いないと思うのです。

 現代人よりも、平安人の目は、確かに、多くの色合いを認識していたに違いないって、吊るされた玉ねぎを見て思うのです。

 トマトは、毎年、何種類かのものをポットで育てます。
 今年は、大玉、中玉、ミニ、そして、イタリアントマトと四ポットを植え込んでいます。
 どれも実は赤くなるはずなのに、花は黄色だって、これまた今更のごとく気がつきます。

 トマトって、へそ曲がりか?
 キュウリだって、ナスだって、花と実は同じ色合いなのに、トマトは違うって。

 そういえば、サフランの雌しべ、あれも赤かった。でも、それを水に溶かして、ご飯を炊けば、そのご飯の色は黄色になった。
 黄色が赤になり、赤が黄色になる。

 サフランもトマトも、きっと、へそ曲がりの魔法使いに違いない。
 
 雨の粒を受けて、野菜の葉の上に水玉がいくつも付いています。
 そういえば、その水玉で思い出すことがあります。

 溢泌と言う言葉です。
 いっぴつって読みます。

 植物が、成長に必要な水分を得て、そのあまりを葉から出す液のことを言うのです。
 それを虫たちが舐めて、栄養にすると言う循環です。
 溢泌は学術的な色合いの濃い言葉ですが、私の頭の中には、乳草なる言葉もありました。
 これはちぐさと読みます。

 伸び切った我が宅の山吹の枝を伐採すると、その枝先からミルクのような樹液が溢れ出してきます。そのようなのが乳草です。

 トマトが赤くなると医者が青くなるなんて言葉があったなと、そんなことを思いながら、魔法使いのトマトのポットになっているまだ青いトマトを見ていたのです。

 雨の季節が終われば、この青いトマトは赤くなって、食卓に鮮やかな色合いを添えるに違いないって。



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イワシの嘆き

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 やはり港の空は
 こうではなくてはいけない
 青い空に白い雲
 この単純さが港には
 似合うと
 つくづくと思うのです

 


 うなぎの完全養殖が成功したとニュースが伝えていました。

 うなぎは、南の海で孵化し、シラスウナギとなって、日本の浜辺にたどり着いたところを採取されます。
 それを養殖して、大人のうなぎにして、夏の暑い盛りに、日本では、大量に食べられる、うなぎにとっては誠に災難にも匹敵する出来事なのです。

 もちろん、採取を逃れたシラスウナギは日本の川に入り込み、漁師に採られることもなく、村の悪ガキにつかまることもなく、そっと、日本の川を抜け出し、生まれ故郷の南の海に戻っていくことと思います。

 そんなことに思いが至りますと、なぜか、ホッとするのです。

 土用の丑の日なんて、妙な日が昔からあって、日本人は、大量のうなぎをその日に食べます。当然、日本国内だけでは足りませんから、台湾などから大量に輸入されて、それがニュースになることもあります。

 実に、日本人というのはうなぎが好きな国民なのです。

 また、それをぶつ切りにして焼くなど、スペインあたりで食べるようなそんな無粋な食べ方はしませんから、関東は背開き、関西は腹開きで、それを一度蒸すのが関東流、そのまま焼きを入れるのが関西流で、しかも、川魚の臭みを見事に消すタレで、蒲焼なる独特の焼き方を考案しましたから、好きな人にとっては大変なご馳走にもなり、栄養のなかなか取れなかった時代の日本人には、それなりに滋養強壮の食べ物になっていたものと思います。

 私はうなぎを好みません。
 なにせ、あの細長いニョロニョロとして風体が、どうもいけません。

 いや、食べないわけではないのです。土浦の学校にいた時、何か宴会があれば、鰻屋でと。土地柄、うなぎを食べなくてはいけないそんな時は、結構、美味しくいただいていたのです。

 鯉を食べたのも、こちらに来てからです。
 鯉のコリコリしたあらいも、鯉の骨まで柔らかくなった鯉こくも、食したことがあり、意外に、美味しいものだと何度かいただいたこともありますが、口の奥から、よだれがじわっと出て、食べたいと思ったことはないのです。

 蓼科に毎年夏、生徒を連れて、勉強合宿に出かけていた頃ですが、生徒を連れて、近くにあった牧場に出かけて、そこで、おいしいアイスクリームを食べて、土産に牛乳を買って、皆で、朝に飲んでいました。

 そして、その乳を出す牛さんを見て、可愛いなぁって皆でそう思っていたのですが、ある時、別の牧場で、これは肉になる牛だって言われた、それを見たとき、なんか、切なくなってしまったのです。

 だって、餌を与えられ、それも、高く売れるように、ビールまで与えられて、肉を柔らかくするように仕向けられているのです。肉牛のその大きな潤いのある目を見て、なんかやるせない思いにかられたのです。

 今、世界的に、一つのブームがあるといいます。

 私は、マッカートニーのメッセージからそれを知りました。彼は、菜食主義者としてその一面を見せています。完璧なる菜食主義者、ビーガンとしてあるのです。

 肥満から肉を避ける、飼育の際に出るガスから地球の温暖化を危惧する傾向も、それに影響を与えています。人為的に排出されている温暖化ガスの14.5%が畜産業に由来するというのですから、相当な量だと言えます。

 それよりも何よりも、生き物を食べるために、人間がそこに手を加えるということに、無理が出てきたのではないかと、そんなことを感じているのです。

 ですから、欧州あたりでは、大豆にフレーバーを加えて、肉らしく製造し、それを食べようという動きが大々的になされつつあるのです。
 いわゆる脱ミートのうねりというやつです。

 私、そのあり方に、実は、賛同しているんです。ことさら、生き物の命を、それも、奪うために飼育するなど酷すぎるとそう思っているのです。
 そんなことを言えば、うなぎ屋さんから、牧場主さんから、いい歳をして、うぶなことをいっているんじゃないと笑われるかもしれませんが、根底にはそれがあるんです。
 ペットを可愛がり、食卓にはその動物の肉が料理されるなんて、不思議なことだと思っているのです。

 うなぎから卵をとり、交配させて、それを繁殖させる高度な技術があれば、肉に代わる何かもっと命を無碍にしない何かを作れないものかとそんなことを考えるのです。
 人間は、その種を存続させるために、いや、その身勝手な趣向を満たすために、弱き命をことさらに奪うことは許されないのではないかとそんな気になっているのです。

 そんなこと、あの詩人が、もう、何十年も前に謳っていました。

 朝焼け小焼だ、 大漁だ
 大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ
 浜は祭りの ようだけど、
 海のなかでは 何万の、
 鰮(いわし)のとむらい するだろう って。



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粉モン水モンつくばモン

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 こんな夜明けが毎日見えるのに
 今朝はあたり一帯真っ暗闇
 予報は一日雨
 梅雨だから仕方もあるまいと
 暗闇の東の空を
 恨めしく眺めるのです




 関西人ではないのですが、私、いわゆる粉もんが好きなのです。

 パンも、ピザも、ナンも、小麦をこねて焼いた代物はなんでも、私の好物なんです。
 昔、母が作ってくれたすいとんも、お好み焼きも、もちろん、もんじゃも、粉を使って作ったものは、なぜか美味しいって感じるのです。

 銀座あたりで、ちょっと洒落たお付き合いで、何を食べたいのと問われれば、pizzaでも行こうかと、まず、百パーセント答えるはずです。

 そればかりではありません。粉をこねてそれを伸ばして、可能な限り細くした食べ物を、私は大いに好むのです。

 そうめんから始まって、中国大陸の麺類、それがヨーロッパに渡ってパスタとなる、まるで、ユーラシア大陸をマルコポーロのように、旅するような気分になれるのですから、素晴らしいと思っているのです。

 先だって、フランスパンに関するテレビ番組があって、それを見ていましたら、パン職人の方が、美味しいフランスパンを作る条件に、フランスの幾分色のついて小麦と硬水の水が必要だと言っていました。

 へぇって思いました。水がねぇって。

 なんでも、フランスの水は、硬度300だと言うのです。
 私の知識では、硬度の高い水の目安といえば、200前後だと記憶があるのです。

 つくばに転居したての頃、霞ヶ浦の水は随分と汚染されていて、その水を浄化して水道水としていたので、東京からやってきて、つくばの水を随分と心配したのです。
 ですから、水道のありようについて、ちょっと調べたことがあり、関東の水は硬度200前後というのが頭に入っていたのです。

 硬度300というからには、フランス人は、随分とマグネシウムとカルシウムが含まれている水を飲んでいるんだと、そう、思ったのです。

 東京をはじめとする関東一帯は、概ね、200程度の硬水です。それを水道水にして、適度な頃合いにしていくのです。
 ところが、京都は、そうではないと言うのです。

 とりわけ、京料理は、水道水ではなく、井戸水を用います。豆腐も、京都の魚屋の魚を洗う水も井戸水です。
 ですから京料理の店が東京に支店を出す時、東京の水ではなく、京都からわざわざ井戸水を持ってきて作っている老舗の料理屋もあると言うことを耳にしています。

 京都駅のそばにある京都タワーの中にあるごく普通の蕎麦屋で、名物のニシンそばを食べた時、その薄いつゆの色と、出汁の効いた味に、ほっこりしたことがあります。

 これが、京都の軟水の味だって、そんなことを勝手に思い、東京のこれでもかって濃い、いや、真っ黒い汁がなんとも鄙びたものに感じたものでした。

 さすが、京の都の蕎麦は品があるって。

 今は、日本全国どこでも水道局からの水の提供を受けていますから、さほど、提供される水の硬軟はないと言いますが、元が元ですから、やはり、関東は幾分硬水、京都は幾分軟水となっているようです。

 人間、生まれ育った場所で、その肉体も、さらには、精神も変わると以前に聞いたことがあります。 

 肉を食べる欧米人の体は、いかに、日本人の体格が向上したとはいえ、到底、かないません。彼らは恐るべき肉体を持ち、恐るべきタフさを発揮するのです。
 中国だって、北方は米がなかなかできず、麦の国でした。ですから、包子が主食となり、北京を中心に、背のすらりとした人間が育ち、南方は米が取れましたから、鄧小平のようなずんぐりむっくりの人間が多くいたのだと聞いたことがあります。

 田中角栄が北京空港に降りっ立ったとき、そこに並んだ、人民解放軍三軍の兵士は、皆、北方からより集められたすらりと背の高い兵士ばかり、その中を、あの鄧小平にも負けないずんぐりむっくりの角栄が歩まされたのですから、意地の悪い連中は、あれは中国の陰謀だと騒いだのを覚えています。

 イタリア系オージーのジェニーという女性が我が宅にいた時、その足の大きさにびっくりしました。玄関に置かれた私の靴の方が小さく、彼女の靴の方が大きいのですから、前代未聞、滑稽さまで醸し出していました。
 その彼女が言った言葉を思い出します。

 いやだ、私の足、こんなに大きいって。

 彼女が暮らすアデレードでは、なんということもなかった足の大きさがつくばに来て、まざまざとその大きさを目に見てしまったのですから、女性として、幾分、恥ずか知ったのではないかと、私、推測しているのです。

 人間ばかりではなく、生き物は、その地で採れたものを食べて、あるいは、異国のものでも、その地に合うようにして、口に入れます。
 そして、その地の空気を吸って、それを肺の中に取り込んで、生きているのです。

 ということは、そこの環境のすべてに依存して、私たち生き物は生きているということになります。

 はや三十年近く、その大半の年月、私はつくばの水を飲み、つくばの空気を吸い、つくばでできた食べ物を食べて生きてきたのです。

 確かに、生まれは東京でも、時折、長期間、ゴールドコーストで暮らすも、もはや、わが肉体は、メイドインつくばとなっているのです。

 そんなことを思いますと、ゴールドコーストで暮らす私の幼な子たちは、きっと、メイドインゴールドコースとなるに違いありません。
 身振りも手振りも、発する叫び声も、もう、彼らはコアラの国のそれであるのです。

 はてさて、どうなることやらと、つくばモンの私は遠くを見つめるのです。



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縄文の痕跡

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 梅雨の晴れ間が
 時にあらわれます
 梅雨の間だから
 空も
 空気も
 山も
 みどりも
 それがとても淡く見えるんです

 


 時には、金の卵ならぬ銀の卵だって持ち上げられたり、時には、何故交通事故が起こったのかって懇切丁寧に若造に解説をされたり、はたまた、二千万円問題でトンチンカンな応答を国会議員がしていたりと、はた迷惑なことだと、私、日本の年寄りたちに同情をしているのです。

 日本の年寄りたちの、多くの真っ当な者たちは、おのれのこれまでの人生を真摯に受け止め、不平も不満も、さらには、自慢も横柄さもなく、気持ちよく暮らしているのです。

 こんな達観した年寄りたち、世界のどこにいようかと、私などは思っているのです。

 日本の発展のために、身を粉にして働き、時には、黒いものも白いと無理矢理にも納得し、歯を食いしばって生きてきた人たちです。

 そこに目を向けずに、年を食ったと言う一点にばかり目を向けるのは、この国の悪い癖だと、姨捨の思想がいまだにあると、そんなことを思って、嘆いているのです。

 国連が興味深い予測を発表しました。

 世界人口、65歳以上の割合が、21世紀の中ほどには16パーセントになると言うのです。
 今が、9パーセントだそうですから、その度合いの大きさがわかります。16パーセントというのは、6人に1人が65歳以上ということになると言うのです。

 さして、驚くような数字ではないと、私など思っています。

 しかし、事実上、地球上の国という国が、年寄りのうようよといる世界になるのは確実のようなのです。
 そうなると、この地球では、労働人口を確保する政策がグローバルな方策のもとでなされなくていけません。若い人たちが、容易に世界に飛び出して行くチャンスを得ることが可能になるのです。
 しかし、日本がそうであるように、若い人たちは、外に行くより、うちにいる方が安心をするようです。
 なんとも皮肉なことです。

 若い人たちで、恋人がいない人たちの多くが、積極的に相手を探し求めていないと言います。 
 つまり、結婚して、子をもうけるという生物としての活動も、人類は低下の一途をたどっていることにもなります。
 先進国だけのそれは現象ではなくなり、地球規模でそれがなされて行くというのですから、国連も随分と酷なデータを発表するものだと呆れているのです。

 Keep America Greatなんて言っている国など、そんな時代の中では、きっと、立ちいかないでしょう。核心だと自己中に叫び続ける国だって、同じです。
 世界は、やがて、衰退をし、人類は地球上から消えてなくなる、そんな極端なことまで考えが至ってしまうのです。

 東大の先生が、そんな中、興味深いデータを出しました。

 縄文と私たちが呼ぶ時代、日本列島で、狩猟採集をして生活をしていた縄文人。その出土した骨を調べて、一時は絶滅するほどの状況下にあったことが判明したというのです。

 学者というのは、それをどうやって調べるのか、興味がありますが、それを求めても私の能力では、容易にわからないと思うので、結論だけをいただき、理解を深めようと思うのです。

 先生曰く、絶滅の危機は、地球の寒冷化にあり、食べ物が減ったことが原因であるというのです。
 ーそのくらい、私の頭でも理解は容易ですぞ!ー

 狩猟採取であれば、そんなこともあるかと思います。
 田んぼを作り、穀物をとっておくことができる時代になっても、人々は飢餓に苦しんだんですから、縄文の時代であれば、なおのこと、その危機は切実であったと思います。

 縄文人というのは、染色体に特有の型があると言います。

 弥生時代に入って、大陸からやってきた人々の血が混じり、弥生人が生まれます。その弥生人と染色体が異なるというのです。
 ですから、今の日本人は、縄文人の要素の強い日本人もいれば、弥生人の濃さが出ている人もいるというわけです。

 縄文人だけであれば、もしかしたら絶滅していたかもしれないのを、大陸からなんらかの事情で人々がやってきて、米をもたらした、そのおかげで、日本列島の縄文人は生き延びることができたのだというのです。

 当時、縄文人は26万人。
 その三分の二の命が失われていき、絶滅寸前の状況から、米を得て、生き延びてきたのが今の日本人なんだって、そんなことを思ったのです。
 
 加藤周一の『雑種文化』で読んだことを思い起こします。

 日本列島は吹き溜まりだ、南から、西から、北から、人々が流れ着いて、血を混じらせ今の日本が出来上がった。純粋なんてもんじゃないっていうんです。

 雑種混血だから、今の日本が出来上がったんだって言うんです。

 そう言えば、私の中にも、その痕跡があると、じっと鏡を見るのです。
 目は一重、きっと北方騎馬民族の流れを汲んでいるに違いあるまい。もしかしたら、ジンギスカンの血筋かもしれないと。
 髪は縮れ毛、これは南方系の証だ。きっと、カヌーに乗って、星を頼りに、南の島から、この列島にたどり着き、暮らしを営んできたに違いない、だから、私は船が好きで、海が好きなのだ。
 足は、長くもあり、短くもあり、つまり、縄文と弥生の二つを併せ持っているに違いないなどと、勝手なことを考えます。

 純粋などと言う言葉ほど胡散臭いものはありません。
 この世界で強いのは混じり気のある、多性格を持った存在なのです。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《6 / 27 💡 Thursday 》
 
🦅 明日、<カクヨム>にて『頑張ったんだから』を発信します。

  ささやかな出来事の中に 
  垣間見る心の機微にこそ 
  物語があるのです



 日常と非日常は紙一重でそこにあります。
 あるいは、一人にとっての日常は、他人にとっては非日常であるというパラドックスさえ起こり得るのが私たちの周りで起きているささやかな日常のありようなのです。
 小学生になったばかりの8歳の子にも、異国の言葉さえも通じない者同士でも、あれだけ注意を喚起していながら、自分でその過ちを犯してしまう、そんな出来事にも、日常のささやかな出来事に、まず間違いなくある「機微」という容易には察せられない出来事が内包されているのです。
 その機微に触れる、あるいは、感じることができると、私は、そこに物語を見て取ることができるのです。


下のリンク欄、一番上の<カクヨム>をクリックしてください。


【nkgwhiroの活動】

🖤 <Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。こちらもよろしくお願いします。 

                                            🖤 <Amazon・Kindle>で書籍の販売を始めます。7月28日より配信開始になります。こちらもよろしくお願いします。
 

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