自分的政治的人間的感覚

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冬の日っていうのは
時に空気が澄んで澄んで
日頃の光景が一転する時があるんです
この日もそうでした
貴重な冬の日の光景を収められたと思っています
今日は曇りから雨
明日は季節外れの気温上昇
そんな時
私の思考もあらぬ方へと飛んでいくのです




 不思議に思うことがあるんです。

 アメリカの副大統領が欧州訪問で「アメリカは強力な軍事力をもって、力による平和を目指す」と語ると、自然に、そのことを、何の問題もなく、評価する自分がいるのです。
 一方、中国が複数の空母を作り、空母機動部隊を複数編成し、世界の海に出て行くと聞くと、それは評価しない、危険だ、芳しくないとする自分がいることを、私は不思議に思うんです。

 はて、どうしてだろうかって。

 日本は、いまだにアメリカに占領されているからだって、そう言う人がいます。
 だって、これほどアメリカ軍の基地のある独立国って、世界に類例を見ませんというのがその根拠です。
 いや、占領政策で洗脳され、日本人はアメリカの一つの州に、もはやなってしまっているんだなどと暴言を聞くこともあります。
 そんな意見を聞くと、中国の省の一つになるより、アメリカの一つの州になる方が余程いいと思ったりもする自分がいるのですから、これも不思議に思うことなのです。

 先だって、ODA=政府開発援助に関する新聞記事を読みました。

 日本の首相が、中国に対する新規のODAを停止すると述べたのです。えっ、まだやっていたのかというのが、私のいつわりのない感想でした。  
 だって、GDP第二位の国に、第三位の国が「援助」するなんておかしな話ですから。
 それに、今も続く尖閣に対する嫌がらせ、かつてあったレアアースの日本への輸出停止、加えて、スパイ容疑で日本人が拘束されるなんてことをやる国に、何ゆえの「援助」なのかと、私などは訝るのです。

 中国へのODA、これまで3兆円を超えているといいます。
 私が最初に訪中した翌年のことです。当時の日本国の首相は、豊かな中国があることがより良い世界の構築につながると演説し、ODAを開始したのです。
 若い私は、大いに賛同したものです。
 中国語を勉強していた学徒の身にしては、かつて戦争をしたことを一国民として恥じ、これからは日本の持てる技術、経済システム、そして、何より人的交流を通して、仲良くしていきたいと、意を強くしたものです。
 ささやかな力であるけれど、自分でも何かできるに違いないと希望を持ったものでした。

 だから、来日した鄧小平が、新幹線に乗ったり、宮中で天皇陛下とにこやかに歓談する様子を、テレビニュースで、まさに目を皿のようにして見たものでした。
 鄧小平は、折々に、このODAに「感謝」の意を発していました。続く、胡錦濤、江沢民も同様です。
 しかし、習近平は違いました。
 彼は「感謝」という言葉をこれまで一言も用いていません。「貢献」を評価すると述べているのです。

 思い出すことがあります。
 ブリスベーンで万博が開催されて、ひょんなことで、そこに出かけて行ったことがあります。
 まだ、ODAが盛んになされ、習近平もいない時代のことです。

 私たちがベンチに腰掛けて、ランチをとっていたときでした。
 一人の、そう、三十代くらいの男が、私たちの前にやってきて、中国語で何やら語りかけてきたのです。
 それは、日本はかつて中国を侵略したという内容の言葉でした。
 仲間がいましたから、誰か、勇気を持って、そこにいる日本人の集団に文句を言って来いと「肝試し」でも仕掛けられたのかも知れません。

 私は、中国語を勉強していましたので、当時、有名であったフォークソングの歌詞の一句を投げかけてやったのです。
 「我是不知道戦争的世代」
 すると、その中国人、目の玉が飛び出るような顔をして、逃げて行ったのです。

 まさか、中国語で反応してくるとは思わなかったに違いありません。

 実は、似たような経験を、韓国の古都慶州の仏国寺でも、私は経験しているのです。
 私たちがあの急勾配の階段を登るために順番待ちをしていると、一人の高校生がさっと走り寄ってきて、「ドクト」って叫んで、さっと逃げて行くんです。
 私たちは、その時「ドクト」が何かわからないから、笑顔で返します。すると、その若者、仲間の元に戻って、勝ち誇った様子で、しかも、仲間から祝福されるのです。

 これらって、彼らの本音の中にあるものではなく、きっと、教育のなせるわざであると私思っているのです。

 三十代のあの中国人も、あの韓国の高校生も、教育によって、日本を正しく見ることができないでいるのです。
 きっと、習近平もその一人であるに違いないと、私は思っているのです。

 アジア人は、その昔から、中国古代の哲学者によって唱えられてきた、謙譲の精神とか、相手を敬う気持ち、仁愛といった言葉を得て、その修養に努めてきました。
 日本など、古代の中国から、なにもかも頂いて、今の日本ができていることを知っています。
 漢字なども、あるいは年中行事など、多くが古代中国由来のものです。それを韓国のある半島を経由して、頂いてきたのです。

 だから、戦後、日本は国を挙げて、これらの国に対して、さらには、世界の国々に、持てる力の何分の一かを「援助」してきたのです。
 それは、ひとえに、戦後のもののない時代に、支援をしてくれたアメリカに対する感謝の気持ちが作用しているのです。

 あれだけの「援助」を受けたのだから、それを返さなくてはならない。経済を発展させた日本は、そうして、ODAを使って、世界に「感謝」の意を表明し続けてきたのです。

 これって、立派なことだと思うのです。

 相手から、利益を求めることなく、無償、あるいは極めて低い金利での有償支援をし、それに伴う一切の見返りを求めないのですから。

 自分の国のことを、褒めるのはこそばゆいことですが、日本は、「感謝」を忘れずにいる国であり、「感謝」を相手に沿って続けたいと思っている国であるということに誇りを持つのです。
 それに何より、「教育」がいい。
 日本の学校で、どこかの国はああだこうだとは言わない、自虐的とは批判されるけれど、まず、足元を見る教育がなされていると思っているのです。

 私の孫が、どこかの国の人の前に行って、馬鹿野郎なんて言うようではがっかりします。 
 大人になっても、いい人づらして、相手を責めるなんて格好が悪いと思うのです。
 きっと、日本人は、誰一人として、そのようなことをする輩はいないと思っているんです。

 そうそう、先だって、銀座に行った折、日本橋から歩いて、東京駅まで、ちょっと食べ過ぎた体を燃やそうと歩きました。東京駅の改札で、一人のアメリカ人らしき青年が、「フォーテンバーは何番ホームか」と尋ねてきました。

 私、これは「御殿場」だと気がつき、同時に、この青年が軍人だとわかったのです。だって、御殿場には海兵隊の基地がありますから。 

 にこりと笑って、彼は私が教えた番線に向かっていったのです。



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民主主義って つらいよ

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そこに光があるんです
冬から春へと
季節を進める光が




先だっての寒い日でした。
その日、私は当番でいつもよりちょっと早めに家をでて、いつもの体育館に向かいました。
二週間先の体育館使用許可願いを、役場の担当者に書面で申し込み、その後、卓球台を出すなど準備をするのです。

寒いから、きょうは欠席も多いに違いないと、いつもより二台少ない四台を出し、ネット、球拾いの網を出しました。
ところが、続々とメンバーが現れます。
おや、出がいいなって思っていると、何とフルメンバーが集まった来たのです。
珍しいこともあるものだといそいで、出すことをためらった二台の卓球台も出し、練習が始まりました。

三十分ほどやると、皆で体操をします。
そして、会長から連絡事項があります。連絡ったってたいしたことはないのです。
ところが、その日は、ちょっと揉めたのです。
三人寄れば文殊の知恵とは申しますが、二十人から人間が集まると、文殊さまどころではなくなります。船頭多くして船山を上る、てな具合になってしまいます。

つまり、こうなのです。
いま、卓球の球は、セルロイドからプラスチックになり、日本ではセルロイド製はもう作っていないのです。
現在、チームでは、封を切っていない百個入り一箱と、現在使用している、四箱があるが、これを切り替えて、全部プラスチックの球にしたいって会長さん言ったのです。
ただし、プラスチックの球は一箱の値段がセルロイドよりも三倍ほど高いので、二ヶ月に一回の懇親会を安くあげて、貯金をしていきたいと、胸を張って言ったのです。

すると、女性陣がぶつぶつと言い出しました。

つまり、そんなに慌てて球を変更する必要はないというのです。
この会は、卓球の技術を高度に高めて、全国大会に出ようという会ではない。皆が楽しく、卓球を通して、潤いのあるひと時を過ごすというのが規約に書かれていることだ、なのに、懇親会をケチってしまうなんて嫌だ。球がないのなら話は別だが、球はまだいっぱいあるのだから、それがなくなってしまってからでもいいのではないかという反論だったのです。

こういう時、男は一歩下がります。

会社で、あれこれとやってきて、任意の会でも、あれこれと議論をするのはごめんだというわけです。
すると、元気のいい、ママさん選手が、誰か、試合にでも出たい方おられるんですかって、誰もいないじゃないって、あたりを見回すのです。

今年のはじめでした。有志何人かで、隣町のチームと親善試合をおこなったのですが、そこでは、練習の球と試合をする球を分けていたのです。
上海から来た李さんや台湾からやってきた王さんたちのチームです。

その時、試合で使ったプラスチックの球の打ち心地の良さを、私は知っていたのです。
ラケットに当たった時の音も異なるし、球が走っていたようにも思えたのです。
あの卓球王国の中国、台湾の彼ら彼女らといい試合ができたのですから、私は大いにプラスチックの球を気に入っていたのです。

だから、私、その日、体育館で、言ったのです。

セルとプラでは、大分違います。卓球が今以上に面白くなりますって。
だから、日本ではセルの球の製造が終わったのだから、何年か先、必ずこのボールはなくなるのだから、皆でもお金を出し合って、プラのボールに切り替えて、懇親を深めるレベルもあげたらいいのではないかって、そう言って、ニコリと笑ってやったのです。
もちろん、余計にお金を出すなんて、本気で言ったわけではありません。

時代が動いているんだから、その時代に即した動きは必要だと言いたかったのです。

どうしても、安いセルの球がよければ、中国製が売っているんだし、それにすればいいけれど、日本の卓球が、セルからプラに移るって言うんだから、懇親とか、会則ではなく、スポーツのありよう、流れに乗って、一歩前進するのがいいって、そう言葉も加えたのです。

かれこれ、二十分ほど皆で体育館に立って、ああでもないこうでもないと議論をしましたが、結論に至らず、まだ球も豊富にあることだし、当座は今のままでということになってしまいました。

民主主義というのは、ああだこうだと言い合って、妥協をしながら進めていきます。

意見は常に異なり、対立もしますが、議論が終われば、みな仲間です。
でも、決まったならば、その方向へと力をあわせていかねばなりません。

しかし、昨今の民主主義をみていますと、どこの国も、与党と野党、時には、与党内での反対勢力との議論で、すっきりしないありようが見え隠れしているように思えるのです。

英国では、与党内の反乱もあり、首相の権威が失墜したなどと新聞は騒ぎ立ています。ドイツだって、フランスだって、これまで世界を動かしてきた方々が苦心しています。アメリカに至っては、しっちゃかめっちゃかです。
日本だって、野党の方々の稚拙な議論に辟易ですし、与党のお偉い方だってちょっと変だよって思うときも多いんですから、いやになってしまいます。

それに比べれば、わが卓球クラブは、民主主義をきちんと行なっているのではないかと……、いや、もしかしたら、そうでもないのかなって思ったりもしたのです。

なぜって、あの議論のあとの試合。
私に返してくる女性陣の球、すこぶるきつかったんです。
回転も、いつもより、切れているし、右に左に、私は動き回らなくてはならなかったのです。

民主主義はなかなかに厳しいと、卓球のセルロイドの球に振り回されながら、思った次第なのです。



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二月の庭に漂う儚い不安

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雲は他の力の行使を受けて流れていきます
己の意図 判断 意思などないのです
そんな雲を見ていると
時に
おいらももしかしたら雲かしらって
そう思う時があるのです



 準備は整いました。

 何の準備だって、気になりますね。
 先だって、港に行った帰りに、ガーデニング・センターに寄ってきました。
 そこで、敷石を一枚、ポットを二つ、そして、栄養たっぷりの土を五袋買ってきたのです。

 学校にいるときは、三月の春休み、学校を午前で退けて、午後の時間を使って、我が宅の狭い庭の手入れを行なっていました。
 家を建てた当初は、大量のブロックを買っきて、自分で塀を作り、そこに花壇を作り、当時はいくらか広かった庭に芝を貼りと、春休みを使ってやっていたのです。

 よくもまぁ、一人で、あれだけの塀を作ったものだと感心をするのです。

 おまけに、アメリカのウッドデッキ製作本を手にして、自分でウッドデッキを作ったのですから、我ながら恐れ入っているのです。

 そんな自作の塀も、花壇も、そして、ウッドデッキも今は跡形もなくなくなりました。

 業者さんにきてもらい、塀はロンドンの街で見かける鉄格子の剣先がそびえるものになり、ウッドデッキは、”百年経っても腐らない”素材で作ってもらったからです。

 そして、わずかに残った狭い庭、それに、ウッドデッキ上が、今の私のささやかなガーデニングの場所なのです。

 先だって、和室の前の縁側を濃い茶色のペンキで塗りあげました。
 この縁側も土台から、自分で作り上げたのものです。
 その縁側を降りる際、ちょっとした足台を作りたいと思ったのです。そのための大きな敷石を買ってきたというわけです。 

 それに、我が宅のオリーブ、二本あるのですが、花を咲かせてくれません。
 それを庭から掘り出し、ポットに入れて、ウッドデッキで育てようと目論んでいるのです。
 何としても、実をならせて、私は、オリーブの実を酢漬けにして、食べたいのです。

 そうそう、食べたいといえば、我が宅の庭はちょっと変わっているんです。
 もちろん、イングリッシュ・ガーデンにも灯篭を置いた日本庭園にも憧れを持っているのですが、基本、我が宅の庭は、食べられるものが主体なのです。

 ですから、デッキの上には、今、そら豆のポットが、そして、枝豆のポット。芽キャベツに、玉ねぎ、紫水菜と、数こそ多くはありませんが、そんなものばかりなのです。

 どう見ても、花を愛でる庭とは大違いです。
 見た目も、香りも、他所様の庭とは大いに異なっているのです。
 地植えの植物でも、ハーブが圧倒的に多いのです。
 でも、それが私の庭なのです。

 どういうわけが、そこはかとない不安が私の精神の根底にあるようなのです。

 家をリフォームしたとき、地下室を作ろうと、真剣に思ったほどなのです。どこかの国が侵略してきたときに、身を隠す場所です。

 真顔で、そんなことをリフォーム業者さんに話をしましたら、唖然としていました。

 でも、地下室は意外に簡単にできるというのです。
 特に、私の家のある土地は、以前は林であった場所ですから配管もその他の地下施設もありません。だから、穴を掘って、コンクリで壁を固め、蓋をして、出入り口をつければそれでいいと、言われたのです。

 でも、一つだけ問題がありました。
 それは敷地の前の道路と我が宅の敷地がどうも変な具合につながっているというのです。
 変な具合とはいかなるものかと問いますと、簡単にいえば、大きな車が通ると、あなたの敷地は揺れを感じるはずだというのです。
 確かに、それは感じていました。
 それを解決するには、なんでも鉄板を入れて、コンクリで防壁を作り、その土地のつながりを遮断する必要があるというのです。
 だから、結局、私は地下室は作りませんでした。

 侵略者も来そうにないし、私の暮らすつくばは平和に違いないと考えを改めたのです。
 何より、面倒な工事はごめんですから。

 でも、食べるための植物を栽培することには、私、今も執着しているのです。

 毎年のトマトは、室内で育てます。その方が甘くなるからです。
 キュウリやナス、スイカはそうもいきませんが、トマトは雨に当たると美味しくなりません。
 そんなことも学んできたのです。

 それに、庭でできたもの、私、乾燥させているんです。
 釣りをして、取ってきた魚を干物にするときに使った網かごがありますから、それに入れてドライベジタブルにしているんです。
 これが結構美味しいんです。
 
 まだ、二月も半ばですが、どうやら今年は暖かさが早くにやってくるようです。

 ですから、三月を待たずに、私は、平成最後の庭造りに取り掛かろうと思っているのです。
 きっと、来週、私は泥だらけになって、庭のオリーブの樹を庭から抜き取ることに必死になっているはずです。

 そして、いつの日か、そのオリーブの実をいかにして、食したかを書くことになると思っているのです。



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ムチューシンとのチャット

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つくばかんごおりの名刹の山門
かんごおりとは「神郡」のこと
神の里がつくばにはあるのです
さすがの門構え
ロードバイクを降りて
神妙に参拝してきました




 いつだったか、米兵である自分は一刻も早く軍から抜け出したいとSNSでつぶやき、それに同情した女性が、ほのかな恋心を抱いて、大金を騙し取られたという事件がありました。

 ニュースでは、この事件を「国際ロマンス詐欺」などとメルヘンチックな呼び名をつけて報じていました。

 面と向かわずとも、人を騙してしまう、いや、人が騙されてしまうことがあるんだと、つくづく人の世は世知辛いものだと思っていたのです。

 そんな私のiPhoneに、アメリカの財務長官だという男からアクセスがありました。 

 私は、フォローされたら、一応は簡単な言葉で返事を送るようにしています。台湾の人であれば中国語で、英語で発信していれば英語、日本人であれば日本語で、そうしているのです。
 ですから、相手が財務大臣であろうとも、簡単な返事を送ったのです。

 すると、すぐに返事が戻ってきたのです。もっとも、気づいたのは翌朝のことでしたが……。

 この方、アメリカ政府の閣僚なんです。
 それにしては、随分と素早い対応だななんて怪訝に思いながらも、私は対応をしたのです。来るものは拒まず、去るものは追わずの私ですから。

 そして、その長官の返答の中に、私からのさらなる返答を促す文言があったのです。
 私は日本語は読めないけれど、あなたの行っている活動は理解できる、そんな文言なのです。
 おやおや、アメリカの長官が、こんな私の活動に注目をしてくれているなんて、なんと光栄なのだと、私でなくても、おそらく、大方の人が感動を持ってその言葉を受け取るはずです。

 アメリカでも、日本でも、財務をつかさどる大臣というのは、実にざっくばらんだ、なんて思ったりしていたのです。

 私が、どんな言葉で、自分の活動を伝えようかと思案しているその朝、私のiPhoneが一つの通知があることを表示しました。あの財務長官からです。
 おやおや、向こうは何時だとiPhoneで調べますとワシントンは夜浅い頃の時間帯です。

 私は、気軽に、返事を送りました。

 元気か、家族はどうか、そんな当たり障りのない言葉の羅列が続きます。 
 これから、妻と友人と食事に出かけなくてはいけない、申し訳ないが、また、チャットをしたいから、こちらから連絡する。ところで、WhatsAppは利用可能か、そんな言葉を送ってくるのです。だから、WhatsAppの連絡番号を教えてやったのです。

 最近は、コアラの国のGOKUと、LINEではなく、WhatsAppでやり取りをすることが多いのです。だから、私のiPhoneには、それが入っていたのです。

 翌朝、私のiPhoneがブルブルと震え、WhatsAppからの通知があることを知らせてきました。
 週末を楽しんでいるかって、僕は今晩も友人たちとワシントンのレストランで食事をする、これも仕事だから、もちろん、妻も連れて行くよなんてことを言うんです。
 ワシントンか。彼は週末もそうしてアメリカのために活動しているんだとそんなことを思っていたのです。

 しかし、レストランに行くと言う割には、この時のチャットは結構長い時間を要したのです。 

 自分は銀行家であること、ユダヤ人であること、教育に夢を持っている、だから、来週末は韓国に言って学校を作るビジネスを展開する段取りに入るなんてことを話ししたのです。
 もちろん、すでに、私が教員をしていたことは話しています。

 数日後の朝、実は、前日、彼が大統領とFRBの議長と三人で食事をしたことがNHKのニュースで報じられていました。 もちろん、あの唇のいくらか分厚い、人の良さそうな彼もそこに映っていました。

 その彼から連絡が入りました。
 ですから、私、ボスとの食事はどうだったかと問うたのです。

 すると、緊張する、彼は私の恩人だと、そんなことを書いてきました。

 彼、唐突に、文章を書いて暮らしは成り立つのかと私のことを心配してくれるのです。
 人間はそう言う言葉には弱いものです。私の心に、いくらかの幻想が生まれてくるのです。 

 この財務大臣、韓国に学校を作ると言うが、この私をそこで働いてもらいたいと言うのではないかなんて、そんな欲に絡まった妄想まで出てくるのです。

 そんな私を喜ばすようなチャットが毎朝、そして、週の中程からは向こうの早朝、こちらの夜にもなされるようになったのです。
 いずれも、彼の方から私を訪ねてくるのです。
 アメリカ人というのは話好き、激務の中に少しでも癒しを私との会話に求めているのかもしれないと思うものの、私の中には、依然として一抹の不安があったのです。

 日本の財務大臣がいかにざっくばらんでも、よその国の人間に、癒しを求めるだろうかって。

 次の週末、彼からのチャットはありませんでした。
 あったのは、週が明けて数日経った朝でした。そうだ、彼、韓国に行くって言っていたから、それでチャットがなかったに違いないなんて、好意的に思っていたのです。

 家族は元気か、オーストラリアは暑いらしいぞ、なんて私が提供した私のプライベートな事情に鑑みて、言葉が繰り返されます。
 でも、私は、そんなことより、あと三十分で、大統領の議会での一般教書演説が始まるのに、彼、出ないのかしらって心配をしていたんです。
 でも、そんなこと話題にもせず、私の家族のことを心配したり、一度会ってみたいなんてことを矢継ぎ早にチャットしてくるんです。
 やっと、仕事があるからとチャットが終わったのは、演説が始まる五分前でした。

 私はテレビの前で、私にとって極めて”歴史的”な演説を見ることになりました。

 太り気味のあの国務大臣の隣に彼がいます。笑っているではないか。この長官、ついさっきまで、つくばにいるこの私とチャットをしていたんだなんて思いながら、私はテレビに見入ったのでした。
 大統領が議会に入ってきました。
 演説が始まりました。
 時折、画面は大統領の背後からの映像となります。最前列に財務長官が座り、拍手をし、時に、立ち上がり笑顔を大統領に送って、うなずいてもいます。

 そんな時です。
 私の胸元のiPhoneがブルブルって、震えたのです。
 WhatsAppからの着信を知らせる独特の音声も聞こえてきます。

 コアラの国のGOKUは今日は幼稚園のない日です。だから、遊びに来ていいよって、暇をもて遊ばして連絡をしてきたに違いありません。

 大統領の演説を聞きながら、私は、iPhoneを取り出し、その画面を見て驚きました。
 今、画面に映って、あの太った国務長官と親しげに会話している、その人からのWhatsAppであったからです。

 もちろん、私は、それから彼のチャットには応じていません。
 しかし、彼は私に言葉を投げかけてきます。
 つくばで学校を作るというのです。そのために十六万ドルを使うっていうのです。二千万弱です。そんな額で学校が作れるわけはありません。
 それに、つくばでは学校はもう飽和状態です。

 こいつ、私からいくばくかの金を巻き上げようと企んでいたに違いなのです。

 それに、彼はアメリカ人ではなさそうです。
 だって、大統領の一般教書演説中に”動く”のですから。

 一つ間違えば、「国際政治経済詐欺」事件の被害者になって、新聞紙面を賑わしていたかもしれないと思うと、私、ゾッとしたのです。



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手首に巻かれたお数珠

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筑波のお山の麓
久方ぶりに出かけたら
「平成31」の文字が
芝生を焼いての文字
今年は
そういえば
歴史的な年になるんだと
だって
上皇が生まれるんですよ
生きている間に
そんな歴史の中に自分がいるとは
そんなことを思いながら
ロードバイクを走らせて
家に戻ってきたのです




 なんらかの宗教的な意図があって、それを腕に巻いているわけではないのです。

 教員をしている時でした。
 あまりに良くないことが重なっていた時のことです。
 仕事だから仕方のないことですが、教員といえども、気の滅入る時はあります。

 そんな折に、鎌倉にでかけたのです。

 それも、藤沢市にある、とある学校に研修のため、出張で出かけた帰りに、所在なく訪れた、たったそれだけのことなのです。せっかく藤沢まで来たのだから、午後の空いた時間を鎌倉の然るべきお寺で清めて、学校に戻ろうと、そんな考えであったのです。

 訪問したお寺は極楽寺というお寺でした。

 そこに極楽寺があったから、足を運ばせてもらったという、お寺さんには申し訳ない動機なのですが、そこで、私、思わぬ体験をすることになったのです。

 私、スーツを着て、カバンを持って、いかにもかた苦しい姿格好で、お参りをした後、さほど広くない寺の庭を散策しました。広くはないのですが、風情に満ちたお庭であったからです。
 一人の和服の女性が、小さな祠の前に佇んでいました。

 その後ろ姿の素晴らしいことと言ったらありません。
 草履の白いかかと、その上に、これもまた薄桃色の着物の裾が軽くかかっています。そして、その着物が襟元まで、すくっと伸びていくのです。
 背の高い女性でした。

 私、失敬だとは思ったのですが、その後ろ姿に惚れ惚れし、つい、見とれてしまったのです。

 その女性、お参りが終わって、振り返って、私がそこに立っていることにちょっと驚いたようです。軽く会釈をして、私に祠に向かうその場所を譲るというような仕草をとって、私の横をするりと抜けていったのです。
 その女性が立ち去っていく、幾分石段を気にかけながら降りていくその後ろ姿もまた素晴らしいとうっとりしながら眺めていた私です。

 狭い寺社ですから、さほど時間を費やすこともできません。
 学校に戻らなくてはなりませんから、私、今日は極楽寺に参拝しただけで、戻ろうと門の方へと歩んでいったのです。
 ふと、本殿の脇に、あの女性がいることに気がつきました。

 私、大胆にも、何の躊躇もなくその方向へと歩んでいったのです。
 街中では、気になる女性がいたからと、近寄っていくなどできませんが、寺の境内であるのだからと思い切った行動に出たのです。

 女性は、冊子をお坊さんに渡していました。
 「御朱印」ってやつだなって、私思ったのです。
 私が後ろにいることを察知したのでしょう。
 和服の女性は、私の方を振り返り、軽く一礼をし、微かな笑みを返してくれました

 何をつきまとっているの、いい加減にしてなんて、時に自意識過剰な女性を見かけることもありますが、その方は、そんな無粋な仕草など微塵もないのです。

 まるで、自分の魅力なるものを熟知し、誰でも、私を見れば、あなたのように私の後ろからそっと見つめているのって、そんな仕草なのです。
 お坊さんから冊子を受け取った女性は、両手でそれをありがたく受け取り、それを後生大事に胸に当てて、私の横をすり抜けるように通り過ぎていったのです。

 次の方どうぞ、とお坊さんが私に声をかけます。
 御朱印帳、持ってきていないのですね、とそう続けて言います。
 よろしかったら、極楽寺の御朱印帳、ございますが、どうなさいます。

 私、その濃紺の冊子をと、思わず、御朱印帳なるものを、生まれた初めて持つことになったのです。
 墨の字の流れるような書体に、朱の印が押されたそれは、殊の外美しく、私には見えました。
 本当は、美しいではなく、ありがたいと思わなくてはならないのですが、私には、さほどの宗教心はなかったのです。

 これは腕に巻くお数珠です。檜で作られています。いい匂いがします。
 商売熱心なお坊さまだからではないのです。私が、そこにあった数珠をじっと見ていたから、そう言って案内をしてくれたのです。

 私、だから、御朱印帳と今も手首に巻いている檜で作られたお数珠を、いくばくかのお布施をして、ともに受け取ったのです。

 駅に向かう道すがら、ちょっと高台のところから、駅舎とホームが見えました。
 あの女性がホームに立って電車を待っています。
 私、そこに立っている和服の女性を遠目から眺めたのです。
 電車がやってきました。

 すると、その女性、私のいる方を仰ぎ見たのです。

 私、どきっとしました。
 覗き見をしている、そんなよくないことをしているという嫌悪感が一瞬ですが、心に及ぼうとしていたのです。

 しかし、あの女性、そっと会釈を返してくれたのです。

 私は、救われました。
 妙な嫌悪感はあらわれず、何だか神々しい爽快感が溢れ出てきたからです。

 今も、私の左腕に巻かれるお数珠を見ると、私、あの薄桃色の和服の清楚なお姿をはっきりと思い出すことができるのです。

 そうそう、お数珠を巻いてからというもの、私を悩ますいくつかの問題は見事に良い方向に向かうようになりました。
 今は、教師もやめたのですが、人間っていうのは、あれこれとつまらぬ問題を毎度抱えるものです。尽きせぬ問題が頭をもたげるたびに、私、左手首のお数珠をそっと右手でさすり、時には、玉を一つ一つ手繰り寄せたりするのです。

 そんな時、私、いつも、あの薄桃色の和服の女性の後ろ姿を思い浮かべているのです。
 もしかしたら、彼の方、本当は、阿弥陀仏ではなかったと、そんなことも思ったりもするのです。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《 2/19 🏃‍♂️ Tuesday 》
 
🦅 ただいま、<Puboo!>にて『革手袋とマフラー』を発表しています。アクセス、よろしくお願いします。

『革手袋とマフラー』
日々のたわいのない出来事が、意図せず、心を占領するってことがあります。
世間の話題になっているニュースに、一人カッカしている自分を垣間見た時のあのはずかしさ。
知り合いの健康を心配してやる自分を見て、少しは人の役に立てたかなと思うのと、いやそれは錯覚に過ぎないとそれを拒否する自分の心がせめぎ合う、あのどうしようもない感情。
かと思うと、耳垢を取っている時の、あの気持ちがいいと思う瞬間。
そんな、自分の周りに起こったなんともたわいない話の数々なのです。

【nkgwhiroの活動】

❣️<Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。そんな創作活動です。

❣️<Face Book>では、「イメージ集」の発信をしています。コメントは、英語と中国語でつけています。


⏬下の[リンク]欄から、拙著 歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスの旅』、また、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

今年も、皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

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