かくほどに清々しい一日

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つくばで万博が行われた前年にこの地にやってきた私、この公園はその万博を記念する建物がある公園です。ワンちゃんを連れてきたり、ロードバイクでこれから先の洞峰公園まで走ったりします。なかなか良い艦橋です。



 どんな職業にも、卓越した技というのがあると言います。

 土浦に美味しい焼き魚を食べさせてくれる店があります。
 焼き魚なんですか、って思う方がおられるかと思います。最初、私もそう思ったんです。家庭での焼き魚を想像していましたから。

 実は、そこで出されるのは、キンキやノドグロといった高級で美味しい魚です。めったに家庭では出てこない魚なのです。

 板前は、鱗を丁寧に落とし、内臓を綺麗に取り除き、氷水につけてさっと洗います。そして、布巾で魚を慎重に拭いて、思い切り高い位置から塩を振ります。そして、焦げやすいヒレに厚めに塩をおきます。
 ただ、それだけ。

 炭火を使うわけでもないのに、出て来た魚は、身はふかふか、皮はパリッとして、アラの部分の臭みもなく、私は酒を飲むのも、相手がいるのも忘れて、骨をしゃぶり、目玉の周りのゼリー状のものを吸い込み、アラを頭の形さえも残さず噛み砕き、吸い込み、食べまくるのです。

 私の食べっぷりを見ていた板前のお兄さんが言います。

 キンキもそこまで食べてもらえば本望ですよと。
 焼き魚を食べる私にも卓越した技術があるということになります。
 まぁ、そんなことは技術でもなんでもないのですが、教員をしていた私は、最近思うのですが、教員ほどつぶしが効かない職業はない、そう感じてもいるのです。

 手に技術を持っていれば、板前でも、ペンキ屋でも、なんでも、体がいうことを聞くうちは働けますが、教員はそうはいかないということです。
 だいたい、手になんの技術もないわけです。
 子供たちを見守るのが仕事です。
 自分で最高の何かを持っているわけではないですし、教えることは確かにできますが、それとて、生徒がいて初めて可能なことです。
 教壇を降りてしまえば、教えようにも教えられないということです。
 そんなことを思うと寂しくなります。

 先だって、つくばの美術館に出かけました。水彩画仲間が市主催の展覧会に、描いた裸婦画が展示されているから見てくださいと案内状をくれたのです。
 その日は、定期的に通っている病院での検査がありましたから、その帰りに中央公園まで歩いてその絵を見にいったのです。

 そしたら、とある女性が私に声をかけてきたのです。

 こういう時は、かつての教え子に違いないと思うのは、教師をしていたものとしては当然のことです。  
 そして、教師であれば、教え子の顔と名前は一致しなくてはいけない。

 しかし、出てこないのです。

 自慢ではないのですが、私はこの手の教員に要求される名前と顔の一致には大いに自信があって、先生ってすごいと、随分と卒業生から感動されていたのです。

 でも、それにはそこに至るまでの過程というものあるのです。
 うっすらとした記憶を呼び起こすために、あれやこれやの算段を使い、その人物の人となりに近づいていくのです。
 例えば、確か、担任は……、といえば、ほとんどの場合、向こうからG先生ですと言ってきますし、実はそれがヒントになって名前が出てくるのです。
 あまりに私の覚えが悪ければ、必殺技のお名前は、すると、向こうが苗字を言いますから、そうではないよ、君の名の方だよと、そんな小賢しい手を使うのです。

 ところが、その時は、どうしてもその声をかけてくれた女性の名前が思いつかないのです。
 どうかするとお顔さえも記憶の彼方にある、そんな感じなのです。
 幾分、お年もいっているような感じもしました。ですから、保護者の方かなと思ったりもしたのです。
 私の怪訝な様子を察し、その女性、自己紹介をしてくれました。

 名前を聞いて、すぐに、瞬間的に、そして、圧倒的に、記憶が蘇ってきました。

 その女性は、私が教員になって最初に担任したときの女子生徒であったのです。
 もう五十歳に近付いているはずです。
 卒業したばかりの生徒でさえ、女子生徒は、化粧をされれば、なかなかわかりにくくなくなりますから、三十年近くも経ってしまうと、双方のどちらが気がつかなければ、素知らぬ風で行き過ぎてしまうはずです。

 この生徒、コピーライターになりたいと言って、大学進学を志していたのですが、父親を早くに亡くしていて、母子家庭であり、ギリギリのところで進学を断念せざるをなかったのです。
 教員一年目の私、ズブの素人先生が三年生の担任になったのですから、最善を尽くさなくては、この先、教員など続けられないと覚悟していた私です。
 この生徒の環境は変えてやることはできないけれど、コピーライターになりたいという思いはなんとかなる算段はあったのです。

 第一、コピーライターなどという言葉を知っているだけで感動ものです。
 というのも、教員になる前、私はその職にあったからなのです。とある新聞社の出版局で私は発行する書籍のコピーを書く仕事をしていたのです。

 その関係で、その方面では頼りになる何人かの友人知人がいたのです。
 その一人に、事情を話し、勉強させてもらえないだろうかと言うと、才能の問題だから、一人前にする保証はできないけれど、人手が必要だからと就職を斡旋してくれたのです。
 あれから、その会社のある原宿で一度あったことがありますが、それ以降は丁寧に毎年年賀状をいただくという関係であったのです。

 その賀状の内容から、彼女が同僚のコピーライター氏と出会い、結婚し、自身の夢の実現は夫に託し、三人の子供の母親として東京の江東区で過ごしている、そのような経過は知っていたのです。
 そして、この日は、今月末に、末っ子が筑波大学を受験するので、たまらずに下見にやってきたというのです。

 よく私だってわかったねと私が言いますと、私はまったく変わらないと言うのです。

 お世辞半分でも嬉しい言葉です。
 若い時は老け顔だった人は、相応の年齢になると若く見えるというから、きっとそうなのだと思ったのです。

 それにしても、いま、末っ子のために、初めて訪れるだろうつくばの街を歩いていて、こうして出会えるなんて奇跡のほか何ものでもないと思うのです。
 私は美術館と図書館が併設されている建物の中にあるカフェで、三十年ぶりにあった教え子とお茶をしたのです。
 水彩画仲間が招待状をくれなくては、そして、病院がその日に検査をしてくれなくては、会えることはなかった三十年前の教え子と。

 私の教師としての特技である名前と顔の一致こそ外しましたが、教員にはこうした素晴らしい出来事がきっといつになってもあるんだと、特技ではありませんが、これは他の職業になり特権だと思ったのです。

 とても清々しい気持ちになれた日でありました。




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サトシ ナカモトって知っていますか?

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画像jにある塔が今壊されています。研究のために建てられたものでしょうが、つくばに転居して以来あった塔がなくなるのは寂しいものです。


 時代に取り残されてしまうのではないか、と最近焦っているのです。

 私より少し上の、いわゆる、団塊の世代と言われる方々と比べると、と言っても、私が教師をしていた狭い学校という社会だけのことなのですが、私の知る限り、彼らの大多数は、新しい技術には随分と拒否的であったのです。

 ワープロが一般化する前、大量に印刷するためには、ガリ版をきっていました。
 ガリ版と言ってもわからない人がいると思いますから、ちょっと説明をしますと、私たちは、ガリ版というヤスリ板の上にロウ原紙を置いて、それを鉄筆を使ってガリガリ音を立てて、文字を刻み、テストや通信文を作っていたのです。
 ロウ原紙に掘られたそれをシルクスクリーンの貼られた印刷機に貼って、印刷するのです。
 私が教師をした頃は、電動の輪転機がありましたから、ガリ切りをしてしまえば印刷は楽だったのですが、その昔は、一枚一枚、両手を器用に動かして、先生たちは印刷をしていたのです。

 ところが、ワープロが実用化されますと、キーボードで活字が綺麗に打ち出せるようになります。 
 でも、最初の頃は、複雑な数式は打てず、漢文の返り点などもできず、理科や社会の図版も不可能で、団塊の世代の人たちは、ブツブツと文句を言っていました。
 その下の私たちは、世代が違うとこうも違うものかと思うほど、このワープロに興味を示しました。

 私など目の玉の飛び出るほどの値段がしたワープロを買ったと思ったら、すぐに、Windows95が出て、買ったばかりの「文豪」という名のワープロを放り出して、これまた大目玉が飛び出るほどの金額を払ってパソコンを買い求め、その習得に徹夜までしていました。

 ですから、私の知り合いでちょっと世代が上の人は、今だに、二つ折りの電話を使っていますし、パソコンの技術もたいしてないのです。
 できなければ、できないでなんの問題はないのですが、これからの時代はそうではないと私は思っているのです。

 かつての団塊の世代と同じように、これからの時代、私は次の世代、そのまた次の世代が作る時代に乗り遅れてしまうのではないかと危惧しているのです。

 その最たるものが、「仮想通貨」というものです。
 
 私のような者には、実に理解しにくいものです。
 例えば、金融危機でアメリカドルの信頼が失われ、その折に大量に「採掘」されたのがビットコインだと言われても、採掘ってどこでどうやって掘り出しの?というくらいが関の山なのです。

 ネットで、<Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System>という論文を引き出して、読んでみようと試みましたが、退屈で読む気にもなりませんでした。

 その表題の下に、<Satoshi Nakamoto satoshin@gmx.comwww.bitcoin.org>という署名がありました。
 Satoshi Nakamoto……?
 明らかに、日本人の名前ではないですか。
 誰が見ても、アメリカ人ではありません。日本人です。加えて、メールアドレスが示されています。
 思い切って、メールをして教えてもらおうと、恐る恐るクリックします。しかし、なんと質問したらいいのかしらと、それすらもわからなくなるのです。

 その中にある<bitcoin>をクリックしますと、ビットコインを解説したサイトが開かれました。
 
 曰く、「革新的な決済ネットワークであり、新しい種類の通貨」、「ビットコインでの支払いや受け取りは、簡単で、誰にでもアクセス可能」などと文言が連ねられています。
 また、使用方法も詳しく書かれていました。
 
 しかし、問題はサトシナカモトなる人物です。
 調べていくと、よくわからないけれど、ビットコインプロトコルなるものとビットコインコアを作った人で、ビットコインの最初の「採掘」を行い、保有するビットコインの量は約100万BTCで、現時点の相場で約1兆9000億円に相当する額だというのです。
 とんでもないことをサトシナカモトなる人物はやったということです。

 つまり、私からすれば、仮想世界で、彼は何らかの手段を講じて、そこに仮想コインを作り、それを自らが発掘したということになるのです。
 そして、以後、人々はその仮想のコインを買い、相場で一喜一憂し、銀行を介さずに取引し、買い物をするのです。

 今、私は、かつては不可能であったことを現実に行っています。
 それは、こうして『つくばの街であれこれ』を発信したり、創作した作品をPubooというデジタル出版で発表したりすることです。
 出版社を介さずに、好き勝手に作品を公にしているのです。
 財力にものを言わせて(?)、本としても出版したりもしています。

 つまり、これからの時代、円とか、ドルではなく、ビットコインが世界の主流になるということは十分に予測がつくことなのです。
 だったら、かつてガリ版からワープロ、そして、パソコンに、そして、今Macを扱う私としては早速に展開をしなくてはいけない、それは<事項>なのです。
 
 でもね、そうは言っても、かつてのように動けないんですよ。
 歳をとりすぎたのかって、そうではありません。
 金がないのかって、それは言えますが、そうでもないんです。

 最も大切な「必要性」という点なのです。

 買い物をするとき、私はカードを使います。その使い先のどの店も、ビットコインでお支払いが可能ですというのをまだ見たことがないのです。
 つまり、当座、私にはこの「必要性」がないということなのです。

 例えば、アマゾンで、カード支払いするより、ビットコインでお支払いいただければ半額になりますなんて言ってくれたら、ちょっと、本格的にやらなくてはなるまいと思うはずなのです。 
 とういうわけで、焦りはあるものの、もう少し様子見をしようと思っているところなんです。

 しかし、それにしても、サトシ ナカモトって、どのような人なのでしょうか。




国には国の目指す道

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下妻まで小貝川の土手を走って行きますと、このような沼地があります。さほどのものではないのですが、私はここが好きなのです。奥ゆかしくて、出しゃばらずに、小貝川の河川敷に。まるで、本流から取り残されてしまったことを参ったなと思っている風情を感じるのです。


 北国で生きていくには、それなりの覚悟が必要だと思うのです。

 ニュースで見ていますと、背丈ほどもある積雪の一端を、女性がシャベルで削り取り、それを捨て場所に運んだり、屋根に上がって、雪下ろしをしたりする光景を見ますが、そんなのを見ますと、大変な苦労だなと思うのです。

 先だってのつくばでの大雪の際、と言っても10センチ程度の雪でしたが、それでさえ、家の前の歩道を雪かきして大汗をかいてしまったのですから、私は雪国ではとても暮らせないと思っているのです。

 でも、あのように雪にふりこまれて一冬を過ごせば、何もできない状況下でひたすら自然の脅威に向かう姿勢というものが養われて、我慢強い人間ができるのではないかと思っているのです。
 そんなことを思うと、国際社会の中で、日本は雪国育ちの国に違いないと思うときがあるのです。

 きっと、国も、同じように、その風土や風俗風習から、国としての個性ある姿を持つものだと考えるのです。

 例えば、ロシアです。
 国土は大変に広い国ですが、ほとんどはツンドラ地帯で開発もままならないという状況です。
 ですから、なんとかして、実りをもたらす国土、安全保障では不凍港を求めることが国の使命として、昔も今もある、それがロシアであるということです。

 国際政治では、それを「南下政策」と呼んでいます。
 そのため、かつて日本とぶつかり、ヨーロッパでもバルト沿岸国、あるいは黒海で隣接する国と利害関係が発生し、ぶつかるのです。ロシアにとっては死活問題ですから、必然的に、武力を背景にして、その奪取にかかります。21世紀のいまでも、それがロシアにとっての国の姿であることは、先のウクライナの一件でも明らかになっています。

 アメリカという国にも、実は、同じように、国としてのベクトルのようなものがあります。

 ヨーロッパから新大陸に渡ってきた人々は、東海岸で文字通り新世界を築き上げ、搾取者としてのイギリスと戦い、独立します。
 この新大陸をさらに豊かにするために、ヨーロッパから移民を受け入れ、彼らは西へ西へと開拓を広げていくのです。
 西部劇でおなじみのように、先住民を駆逐し、懐柔し、ついに西海岸に到達していくのです。

 腰の拳銃をぶっ放す痛快なウエスタンにも、掘り下げれば、そうした目を覆いたくなるような歴史が隠されているんです。
 
 しかし、アメリカ人たちの西へ西へという気持ちは東海岸が最終目的地ではありませんでした。
 さらに、ハワイを、フィリピンを支配下におきます。

 そして、ついに、日本とぶつかったのです。太平洋戦争です。
 
 日本は自存自衛のため、やむなく、アメリカとの戦いに踏み切りました。
 ガソリンも、何かもかもが入ってこなくなるわけです。だからと言って、頭をアメリカに下げて、それを輸入するというわけにはいかなかった時代であったのです。
 凄まじい戦いでした。
 高度な技術と日米両国の民の必死の戦いが繰り広げられ、多くの犠牲者を出ました。

 そして今、アメリカの西へ西へというベクトルは、中国という国と真正面でぶつかっているのです。

 その中国にも、もちろん、国としての姿形があります。
 彼らが先天的にもつ大国意識という厄介な代物です。
 中国は、常に、世界の中心にいなくてはならないという、例の中華思想です。

 その観点からすれば、日本などという夷狄に、国を蹂躙されたことは許しがたいことであるのです。

 南蛮西戎、東夷北狄の輩は、中国にひざまずき、北京に来てはご機嫌伺いをしなくては気が済まないのです。
 かつて、中国を蹂躙した元にしろ、清にしろ、その子孫はいまは地方の一角で暮らし、中国を脅威に晒す危険はなくなりましたが、日本だけはそうではないのです。

 尖閣には海保がまるで待っているかのように船を横付けしてきます。
 軍用機を飛ばせば、自衛隊機が間違いなくひっついてきます。
 潜水艦でこっそり行こうとすれば、護衛艦がこれもまた海上から執拗に電波を発してきます。
 困らせようとレアメタルの輸出を禁じれば、自国の技術で補完する始末です。

 バナナやサーモンを規制して参ったと言ってくる国とは違うのです。
 だったら、首脳と会うときに、他の国と異なり、国旗さえも飾らず、笑顔さえも封印して厳しく対応するのですが、日本は屁の河童然としているのです。

 「一帯一路」という中国が世界に冠たる大国になるための道筋に対して、「インド太平洋戦略」を唱え、それに米印豪が加担し、対抗してくる始末です。
 おまけに、アメリカは中国を現状変更勢力などと侮辱的に呼び、南シナ海では軍艦を派遣する始末です。
 これもあれも日本が全て悪いと思っているのです。
 
 さて、日本はといえば、どうでしょうか。
 
 他国に領土を拡張しようなどと、仮に政府が思ったりしても、日本国民はもはや諸手を挙げて賛同はしないでしょう。
 子供を兵士にして、他国に送り込ませるなど誰一人として母と名のつく人々は賛同しないでしょう。
 
 中国の意地悪に対して、自力で乗り切る技術力、挑発に対しては、訓練された質の高い防衛力と、日本と価値観を共にする国との同盟力で、世の中をよくしたいというベクトルはますます強くなっていくはずです。

 そんなことを思うと、日本のありようこそ、世界平和を保つ上で最も肝要なものだと思えてくるのです。

 細かいところでは意見の食い違いももちろんありますが、その観点で見て行けば、日本でいま勉強し、将来の日本を背負ってたつ子供たちがきちんとした考えを持って行って欲しいと思っているのです。




お〜い、中国が怒っているぞ!

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春一番が吹いたんですって。つくばにはまだですが、じきに吹くことでしょう。春かぁ。待ち遠しいなぁ。


 中国が怒っています。
 
 私は朝早くから仕事があります関係で、夜はすぐに寝てしまいますので、見てはいないのですが、平昌オリンピックの開会式で、台湾選手団が出て来たら、テレビ放送の字幕に、「首都台北」と出たそうですね。

 中国がそれに対して、「首都」とは何事だと、ものすごい剣幕だというのです。

 台湾の首都は、高雄でもないし、台南でもなく、確かに台北であることは間違いありません。
 しかし、中国からすれば、台湾は中国の一部であり、首都は間違いなく北京で、台北は「省都」だという見解なのです。
 「大国」だと言っているのですから、テレビの字幕くらいで、めくじらを立てるのはみっともないなぁと私などは思っているのです。

 さらに、日本の首相が、台湾で発生した地震に対して「台湾加油」を揮毫したことにも不愉快を隠そうとしません。

 我らが偉大な領袖<習近平>よりも先に、「加油」とメッセージを贈ったことに腹を立てているのでしょうか。それとも、中国の一部である台湾に、北京の許可なくして、勝手に「加油」としたことが良くなかったのでしょうか。
 あるいは、日本と台湾が、地震を契機に、つるんでよからぬ企みを巡らすのではないかと警戒しているのでしょうか。

 私もその渦中にあったあの「3.11」の際、どこよりも早く、支援をしてくれた台湾に、こういう時にこそ、いち早くお見舞いをし、支援をするというのが、日本の首相の思いであり、大多数の国民の願いですから、中国はこのことで何も恐れることはないのです。
 これは日本の真心でしていることなのです。

 加えて、台湾が事もあろうに中国の救助隊の派遣を拒み、日本の救援隊を受け入れたことも気に入らないようです。

 考えてみれば、中国はひとつだと言い張っているのに、その「本国」からの支援を拒み、敵対心をあらわにしてはばからない日本からの支援を受け入れるのですから、その腹立ちはわからないでもありません。

 蔡英文拒绝了大陆,事实上,“拒绝的是整个世界!”

 これが、その時の中国の怒りようを言葉で表したものです。環球時報の見出しです。
 「台湾の蔡英文は、大陸の支援を拒絶、それは世界全体を拒絶したも同じだ」と、怒っているのです。
 世界全体とは、あの中国らしい、なんとも大げさな表現です。

 台湾も小さな国ですから、中国から嫌がらせを受ければ国民が困りますから、日本の支援は倒壊したビルに閉じ込められた人を発見する特別な機器を保有しているから受け入れたと述べました。
 でも、<世界全体>はそんなんではなく、本当のことを知っているのです。本当のことをね。

 もっとも、中国でいう「世界」は、中国を中心にした「世界」であり、<世界全体>として<世界>は、中国のいう「世界」とは異なり、自由で、民主を第一とする<世界>という違いはあります。

 今回の件で、私は一つの中国語があることを知りました。

  “媚日”为何在台根深蒂固

 同じく環球時報の記事の見出しです。
 小日本とか、日本鬼子という言葉を平然と使う中国ですが、「媚日」という言葉があったとは思いもしませんでした。

 字面からすると、「美しい日本」になりそうなのですが、記事の内容からすれば、明らかに「日本に媚びる」という意味に他なりません。
 それが台湾には根強くあるというのです。

 台湾にも、他の国がそうであるように、当然、さまざまな人がいます。
 でも、日本のことをよく思ってくれるというニュアンスは確かに伝わってきます。
 それはとても嬉しいことです。

 だったら、こちらも真心でお付き合いをしていかなければならないと思うのが人情です。
 その台湾とは国交こそないのですが、表向きの付き合いとは異なる何か本質的な付き合いがあるように思えて、21世紀的な国と国とのあり方を私などは感じるのです。

 さて、中国のお怒りがおさまりません。

 今度はというと、最近、とみに敵愾心を燃やし続けているオーストラリアについてです。
 もっとも、直接、オーストラリアがというわけではないのです。

 哈里斯的反华立场是他被提名为驻澳大使的主要原因

 哈里斯とは、つまりハリスですが、この方は、アメリカ太平洋軍司令官で、横須賀生まれで、母親が日本人、中国に強硬な姿勢を示すあの軍人です。
 環球時報の記事では、反中国の立場であることで彼が駐オーストラリア大使に指名されたと、怒っているのです。

 日本政府が提唱する<自由で開かれたインド・太平洋地域を目指す構想>にアメリカが賛同し、アメリカ、日本、インド、そして、オーストラリアという国々が主体となって、あの<一帯一路>に対抗しようとするのですから、怒るなという方が無理かもしれません。

 さて、次は何に、中国は怒るのでしょうか。
 楽しみに、環球時報に目を通していきたいと思っているのです。




おいらはジユウギョウだっぺ

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月という天体は不思議だ。空に浮かんでいるだけなのに、地球にいる私たちの生活に底知れぬ影響を及ぼしている。


 購読している新聞社からアンケートに答えて欲しいとメールがきました。

 私は、その新聞社の新聞本体とネットでの購読を有料で行っているのです。
 ネットだけでも十分なのですが、毎朝、新聞を広げて、紙面にざっと目を通さなくては気が済まない性分なのですから仕方がありません。

 で、アンケートはこの新聞の内容に関するもので、正直にサクサクと回答して行きました。
 でも、終わりの方になると、幾分、回答に時間を要するようになってきてしまったのです。

 年収はいくらかとか、お仕事は何かとか、従業員は何名かとか、私にとってはたいそう「困る」話題になってきたからです。
 この新聞社は、そういう部類の人だけを読者の対象にしているんだとも思って複雑な気持ちになったのです。 

 最近、私、随分と忙しくしているでのす。

 どのくらい忙しいかって、そう、お昼ご飯を食べて、人はだいたい一時間程度の休息を取りますが、私はほとんど休息を取らずに、腹を満たしたら、すぐに仕事をするという忙しさです。

 かなり集中して仕事をしています。
 朝早くにデスクにつきますから、ふと気づくと、もう11時だと思い、午後は、あれ、もう4時かと思うのです。夜は夜で、夕方のニュースを食事しながら見て、また、一仕事に入ります。
 
 これまでの人生の中で、これだけ仕事をしている私を、私自身見たことがありません。

 まるで、まもなく命が尽きるからと焦っているかのようです。
 まぁ、健康状態はすこぶる良好なので、このありようは私自身の気持ちが前向きにあるという証でもあるのです。
 もちろん、金曜日は卓球を地元の仲間達と楽しく行い、土曜日曜の午後の数時間は、ロードバイクに乗って筑波山に行ったり、土浦の港で船に揺られたりして、コミュニケーションと体力の維持も行っています。
 
 そんなんですから、年収とか、仕事はとか問われて、はてどうしたものかと考え込んでしまったのです。
 
 私が行っている仕事は今のところ、収入には直結していません。
 何しろ、無償で、私の仕事の結果は提供されているのですから、収入などあろうはずもありません。
 
 そんな折です。
 自営業であると自認する方が綴った一文を、購読するこの新聞のコラムで目にしたのです。

 注文がなければ収入がゼロになり生活が苦しくなって辛いのですが、仕事があれば好きなだけ働けると。
 定年も、退職金もないけれど、幸福であるというようなことが語られていたのです。
 
 私は教員という、いうならば、一介の勤めびとにすぎませんでした。
 偉そうに、大変な仕事をしてきたようなことは書いていますが、所詮、勤めびとです。有給休暇もあり、ボーナスも、夏休みもありました。
 ちょっと勤務がきつくなれば不平の一つも言ったでしょうし、同僚とつるんで上司を笑い者に、酒場で飲んだこともあります。
 それでも、給与は出ていたのです。
 
 そんな身分に比べれば、自営業の人は大変だと、今更のように思ったのです。
 
 まず、自分で仕事を見つけなくてはいけない。
 黙って座っていては仕事はやってこないのです。
 そして、その仕事の代価を得るのです。

 毎月、何をしなくても、何をしても、決まった額が振り込まれるのとは違って、毎月、いや毎週、その額は異なっているのです。
 これではやっていけないというときもあれば、思いの外今回は高い額の収入があった。しかし、税金を支払わなければいけないから、そうそう無駄遣いはできないぞと、節約を心がけるのです。

 そんなことを考えていると、勤めびとと自営業の決定的な違いに気づくのです。

 それは、良きにつけ悪しきにつけ、勤めびとは誰かに言われて仕事をしている、あるいは誰かに言って仕事をさせているということです。
 いうならば、彼らにとって、仕事とは義務的な要素を多分に含んでいるものなのです。

 それに対して、自営業は、そうではないのです。
 
 今の私を見てもわかるように、仕事は自分で作っているのです。
 これを書いて、どういう場で発表しようと、そのために、十二時間超の仕事をしているのです。
 教員時代も十二時間くらいは仕事場にいましたが、その十二という数値はまるで中身が違うのです。
 
 いうならば、今の私の十二時間は、自ら求めて仕事する権利を行使している、十二時間であると私は思ったのです。

 きっと、私の人生の最終コーナーで、私は水を得た魚のような生活に入ったのだと思うのです。
 これだけ仕事しても、収入は無いに等しく、でも、喜びを持って仕事をしているのです。

 しばらくして、私はアンケートに戻りました。
 収入は、アンケートの一番下の300万以下。
 職業はと、見回すと「自由業」がありました。そこにチェック。
 従業員は、これも一番下は、4人以下とありますから、そこをチェック。

 そうだ、私は、年収は300万以下で、従業員は4人以下の<ジユウギョウ>なのだ。
 そう思うと、使命感に満ち、これまでにない情熱を持って、極上の歓びの中で仕事をしている自分を再発見するのです。








プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
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《2/18 Sunday》

💐ただいま、<Puboo!>にて、『意地を通す人』を発信しています。

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