黒覆面の乱

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 巨峰に
 紫蘇穂
 そして
 丸茄子

 収穫したそれらが今日の私の食を繋いでくれます
 巨峰をつまみながら
 天麩羅づくりです

 気温30度予報の中
 こちらは
 カラッと




 アルカポネがシカゴの街にのさばっていた時代、それはアメリが酒を禁止していた時代でした。

 アメリカ合衆国財務省捜査官たちのチーム、通称、アンタッチャブルがギャング達と壮絶なバトルを展開しました。
 ケビン・コスナーの出世作となった映画では、マシンガンまで登場して、ギャングとの壮絶なバトルが描かれました。

 映画では描かれることはありませんでしたが、そもそも、何故に、アメリカは酒を禁止したのか、その辺のところの興味が根強くありました。
 
 とどのつまり、アメリカは宗教の国なのです。
 メイフラワーに乗ってやってきた彼らは、ピューリタンであったということです。

 純粋に高尚なものを求める彼らにとって、酒は悪魔がもたらす邪悪な飲み物であったのです。

 しかし、1920年に制定された禁酒法はザル法であったということはよく知られた事実でした。
 酒の製造販売密輸は禁止されたものの、医師の処方箋があれば、酒は飲むことが出来たし、カナダまで行って飲むことは違法ではないし、法が施行されるまでに家に蓄えられた酒を飲むことはこれも違法ではなかったのですから、アルカポネだけを悪者と責めるのはいささか酷なような気もするのです。

 はっきりしているのは、いつだって、人間っていうのは、愚かな法を作って、後世の笑いのタネになるということです。

 しかし、法は、アメリカをまとめるにあたり最重要なるツールであることは、メイフラワーの時代も、アルカポネやアンタッチャブルの時代も、そして、現代でも等しく重要事項としてあるのです。

 そんなことを思えば、民主党のペロン下院議長の「誰も法を超越できない」とする発言の意味がよくわかるのです。

 大統領でさえ、アメリカ合衆国の法の下にあるというのです。
 だから、法を犯し、あるいは、ないがしろにする行為があれば、罰せられなくてはならないと言うのです。
 
 イギリスのジョンソン首相が、エリザベス女王に謝罪をしました。
 EUからの離脱を巡って、英国議会を閉鎖したことへの女王陛下の同調を求めたものの、英国最高裁はそれは違法だと断定したからです。

 「判断には反対であるが、判決は尊重する」というのが、ジョンソンの声明でした。

 こんなアメリカやイギリスのありようを見ますと、いかに、「法」が根強くあり、それがゆえに、言論の自由が保障されるのだと気がつくのです。

 何を言っても構わない、何をしてもいい、しかし、法を破ってはいけない、超えてもいけない、それが自由を守るための最低限のありようだと、彼らはその歴史の体験から学習をしてきているのです。

 そんなことを考えると、禁酒法とて、頭から馬鹿げた法律だと、一笑に伏すわけにはいかないと思うのです。
 ギャングが酒を飲んで、マシンガンをぶっ放し、市民生活に恐怖を与えるのですから、自由なる生活を守るために、酒を禁じるというのは、確かに「理に叶う」ものであったからです。

 しかし、理に叶わない法を、あろうことか、この21世紀の現在、目にすることになったのです。
 香港政府の、「覆面禁止法」なるものです。

 私たちの若い頃、御茶ノ水界隈で、本郷の東大で、都のあった京大で、都の西北早稲田の杜で、学生たちが大いに権力に抗っておりました。
 そのおり、彼らのスタイルは、ヘルメットに、タオルで顔を隠すと言ったものでした。
 私服警官が群衆に紛れて、写真を撮って、逮捕した際に証拠にするからです。
 
 香港では、全身をマスクで覆った若者たちの姿を多く見ます。
 ゴーグルまでもしています。
 
 ペンス副大統領が「比類なき監視国家」と呼んだ中国政府の街頭カメラが、若者たちの一挙手一投足を捉え、その行為ばかりではなく、その後の人生にまで、影響を及ぼす懸念がまことしやかに若者たちに伝わっているのです。

 だから、彼らは、香港警察の銃弾ばかりではなく、その中国製カメラからも身を守るために覆面をするのです。そして、香港政府はそれをさせないために、覆面禁止法なる馬鹿げた法を施行しようとしているのです。

 ここには理があるとは到底思えないのです。
 なぜなら、根底に、法なるものが、ないがしろにされている事実がそこここにあるからです。

 国際法を無視しての、南シナ海で暴挙。
 国内では、学生たちの行動を、動乱として、戦車まで出して、学生たちをペタンコにしたました。
 
 しかし、ほとんどの中国人民は、今は、そこそこの生活の保障はなされています。
 いや、人民にとって、彼らの生活水準は、中国の歴史上、かってないレベルにあるのです。そして、人民は、それが共産党のおかげであると刷り込められているのです。

 今の中国の発展は、日本の物心両面の援助のなせる技であることに誰も気付こうはしないのです。欧米の、寛容なる姿勢があったればこそ、今の中国の発展があるのだと、悟ろうともしないのです。
 
 だから、今の、中国政府に命がけで抵抗する香港の学生や高校生たちの覆面姿は、近い将来の、そのようなことが、中国本土でなされる、その始まりではないかとそう思って、私は見ているのです。

 陳勝呉広の乱は、秦を滅ぼしました。
 赤眉の乱は、新を滅ぼしました。
 黄巾の乱は、後漢を滅ぼしました。
 黄巣の乱は、唐を滅ぼしました。
 紅巾の乱は、元を滅ぼしました。
 李自成の乱は、明を滅ぼしました。
 白蓮教徒と太平天国の乱は、清を弱体化させ、辛亥革命へと繋がっていきました。

 今の中国政府が、宗教を弾圧し、宗教や少数民族の自立を阻害するのは、こうした歴史をよく知っているからです。
 
 だから、香港のそれは、「黒覆面の乱」とでも言うべき歴史的革命的要素を多分に含んでいると私は思っているのです。



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北京の霞んだその空の上で

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 朝焼けの息を呑む美しさでした
 台風が来ていると
 九州四国の人は毎度毎度大変だと
 千葉も雨に注意が必要だと
 このあまりにも美しい朝焼けが
 天気の急変を暗示しているのだ
 
 はて
 朝焼けに移るこの文字は
 呪いか
 魔除けか
 ……

 


 数日前のことです。

 中国政府は、ある種のお達しをたてつづけに渙発しました。
 お祝いの日に、首都北京の空を汚してはならぬと。

  だから、各工場は操業を停止せよと。
  人民は、爆竹や花火をしてはならぬと。

 10年前は、雨が予報され、消雨ロケット弾までも打ちはなって、雲をまさに雲散霧消とし、青空を作り上げたものですが、今年、北京の空はどんよりとしたまま、青空を見ることはついにかないませんでした。

 それでも、人民解放軍の国旗防衛隊の寸分も違わぬ行進は、見事なものでした。
 皆、背が高く、きっと、小麦を原料とする包子を主食として食べる北方人から選りすぐった兵士たちなのでしょう。

 米ばかり食っている南方人では、あのような足の長い、背のすらっと伸びた兵士は集められません。
 皆、鄧小平のようにずんぐりむっくりとしていますから。

 田中角栄が、北京空港に降り立った時、そこには、北方人で編成された三軍の儀仗兵が居ならびました。

 その側を、背の低い、米どころ新潟出身の角栄が、背丈では負けておるが、心意気では負けんと、胸張って歩いているのを見て、角栄というおっさん、なかなかやるではないかと思ったものでした。
 あの威儀の前に、どこぞの国の大統領のように、背中を丸めて、ガリ股で、ちょこちょこと歩かれたら、それも、ニヤニヤと訳の分からぬ笑みを浮かべられたら、たまりません。

 だから、ちょび髭をちょっと上に向けて、生意気と心意気のギリギリすれすれの境で、胸を張ってくれたのですから、日本人としては、周恩来の仕掛けた罠を一蹴したと、若き日の私は思ったものでした。

 世界は、北京の空に、あの時は、なんのお達しがなくとも、抜けるような青空を背景に、日の丸が掲げられた姿を見、マスコミは、日本の首相が、正々堂々と立ち居振る舞った姿を一斉に報じたのです。

 誰も彼も、その時、爪を隠す彼らの本性を見抜くことができませんでした。

 日本の経済界は、そんなことも知らずに、過去、日本がしてきたことへの謝罪に、あらん限りの援助を申し出たのです。
 中国も、賠償を放棄します。

 これには、日本人が感動をしました。

 いつまで経っても、ぐちぐち言うのは好かんのです。
 だから、この国の人民のために、あらん限りの応援をしようと。
 そんな中、大学生になろうとする私は、中国に関心を持つようになっていくのです。
 一衣帯水という中国政府の言葉を信じて、私は私なりに、中国への支援をしていったのです。

 時代の変遷は、実に鮮やかです。
 かくも、急転し、直下的に関係は展開するのですから。

 あの時、北京の青い空の元で、翻った日の丸は、今度は、焼かれ、罵られたのです。
 それも、人民の総意ではなく、政府が金を払って、それをやらせたというのですから、呆れ果てます。
 政府は、日本ばかりではなく、同じ人民に対しても、日本以上の仕打ちを行いました。
 政府は、人民のためにあるのではなく、共産党のためにある、それが中国の実態だとわかった瞬間です。

 天安門のあの広い広場で、惨劇はなされました。
 今、香港がその舞台になろうとしています。
 台湾は、いっ時たりとも、あの政府の傘下に入ったことなどないと、中国政府に異を唱えています。

 ……

 幽界の狭間で、レーニンの教えを守り、さらに、自らの名を冠した思想を喧伝したスターリンがほくそ笑んでいました。

 おい、マオ。
 おいらの国のゴルバチョなど、ソ連邦を売った売国奴だかが、お前さんのとこのチョウなんとかという奴は、骨のある奴だな。

 同志スターリン。
 そうでもないのです。人としての大きさが不足しているのです。
 にもかかわらす、我マオズトンに匹敵する、いや、追い越そうと、そんな魂胆を持っているのですから、お先は安泰というわけにはいきません。
 クマのプーさんくらいなんということではないのに、それを排除し、検索さえもできないようにしているんですぞ。

 私なんぞ、米帝のニクソンと一緒に裸踊りをさせられたんですぞ、あのレノンに。

 それでも、ウンウンと頷き、相手にせなんだ。
 そのくらいの度量がなくては、中華民族の統帥にはなれないのです。

 マオ。
 そういえば、今年は、七十年の祝賀だというではないか。
 気をつけなさいよ。
 我ら、ボルシェビキのロシア帝政への蜂起から七十四年目にして、ゴルバチョの裏切りで、世界初の社会主義国家は崩壊したのだから。

 お前さんのところも、なんだかんだと大変なようだ。
 少なくとも、あと五年。そうすれば、世界の二大社会主義国家であるお前さんの国は、偉大なるソ連の崩壊の年を超えることができるのだから、この五年が勝負ですぞ。

 同志スターリン、十分にわかっています。

 党は、国内の反政府の輩を今後一年以内に駆逐します。
 そして、アメリカに勝つために、軍事を強化しています。
 南シナ海では、フィリピン、ベトナムなどをうまくたぶらかして、基地を作ることに成功しました。
 南太平洋では、島嶼国家を台湾から切り離すことにも成功しました。
 これで、オーストラリアの頭を抑えることに成功しました。

 あわよくば、あの赤い大地の大陸も手に入れようと虎視眈々と狙っているのです。
 朝鮮半島は、いつもの強引な方法で脅せば、彼らは、北京に頭を下げてきます。
 アメリカの力が及ばないように、着々と手を打っています。

 マオ、忘れてはいないか。 
 ヤポンスキーのことを。
 
 ロシア帝政の折に、奴らは、我が最強の陸軍をお前さんの国の旅順で破り、世界に冠たるわが極東艦隊とバルチック艦隊を日本海で滅ぼした連中だ。
 背の低い、島国の未開の民族なんどと、適当にあしらっていたら、やられてしまった。
 お前さんの核心とか言う島なども抑えられているんだろう。

 同志スターリン。
 武力を行使することは、あの国においてはなかなかに無理な事情があるのです。あの国の軍事のありようは馬鹿にできません。
 それに、愛国心を発揚されたら、わが中華民族の比ではありません。
 リーベンはおだてておくのが一番なのです。
 だから、軍事に変わるもので凋落しようと、今、チョウは努力をしています。

 来年は、日本に国賓として招かれていますから、米日の絆を断ち切り、あの小さな巨人の国、リーベンを我が味方に引き入れます。

 そうか、そうか、何事も、党あっての国家である、せいぜい励まれよ。

 それにしても、ヤポンスキーのことを、あいつ、リーベンと言っていたな。
 ま、七十四年目持つとしようか。

 あまりに人を殺して、天の端に置かれているわしじゃ、じっくりとマオの国の成り行きを見ようとしようと、スターリンは、今再び、スモッグで霞んだ北京の空を見たのでした。



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秋こそ戦いの季節

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 分厚く覆った朝雲の
 その隙間から
 陽の光が
 天に通じる
 階段のように
 圧倒的な迫力で
 降り注いでいました




 九月の晦日の日のことでした。
 早朝の仕事を早めに切り上げて、私、テレビの前に座りました。ヤンキースの最終戦を見るためです。
 私、英語の実況で、それを見るのを楽しみにしているのです。

 開幕試合と違って、最終戦は決して面白いものではありません。

 ヤンキースはすでに地区優勝を決めています。つまり、消化試合なのです。だから、プレーも幾分散漫です。
 最終戦の相手はアリゾナに本拠を置くレンジャースです。
 案の定、エース田中は打たれ、出るピッチャーもことごとく打たれていきます。
 これが、ヤンキースタジアムであれば、そうもいかないのでしょうが、場所はテキサスです。

 ところが、そんな試合にも関わらず、客席はほぼ満席なのです。

 なんでも、この由緒ある球場が今年限りで壊され、新しい球場に移るというので、それでテキサス人が押し寄せているというのです。
 元大統領のブッシュも奥さんと来ています。テキサス人らしい、にこやかさで愛想を振りまき、紹介されると、ヤンキースの選手も含めて、皆、敬意を表します。
 なんとも微笑ましい光景です。

 アメリカのこういうところが好きです。

 自分たちの大統領という誇りがそこにはあるように感じられるからです。
 民主、共和ともに大いに議論はするが、我らの大統領には、誰であれ、敬意を表するその明るいありようが好きなのです。
 
 しかし、現大統領の場合はどうかしらって、そんな光景を見ながら、思ったりもしているのです。

 メージャーの野球をどうして好きなのか、考えたことがあります。
 野球自体は、日本の方がきめ細かいと思います。
 どちらかといえば、メジャーは雑把です。バットをやたら振り回します。
 しかし、その分、豪快ではありますが。

 メジャーは、何より、個性を尊重しています。
 投手の投法も、打者の打法も、個性に沿って、それを変えようなどという気はさらさらありません。
 
 野茂が、近鉄に入ったのは、正解でした。
 巨人に入っていれば、あのトルネードは、大成しなかったと思っているからです。
 イチローが、オリックスに入ったのも、正解でした。
 あのゴルフのようなスイングも、きっと、修正されて、イチローの卓越したスタイルは開花しなかったと思っているのです。
 
 その個性が、メジャーがこの二人を受け入れた理由ではないか、それが先鞭となって、今の若い日本人選手が活躍する契機になったのではないかと思っているのです。

 それに何より、応援スタイルです。
 鳴り物が極めて少ないがゆえに、バットからの快音が球場に響き渡るのですから、これは愉快です。
 テレビに映し出される観客を見ますと、ホットドックを頬張り、チップスの袋に手を突っ込んでいたり、ビールを入れたコップを手にしたりと、時には、外野のレストランで試合そっちのけて食事をしている人たちもいます。
 これもアメリカの野球だと思うのです。

 このところ、ラグビーの試合を毎日のように見ています。
 スポーツチャンネルは、この期間、有料で、私は、それを契約していませんから、英語での放送を見聞きすることはできません。
 でも、IT’S A TRY! と、きっと言っているに違いないとそう思って、日本のテレビ局の試合を見ているのです。

 見ていて、感心するのは、メジャーでは、アメリカ国歌が演奏されている時でも、胸に手は当ててつつも、ガムを噛んでいたり、ぼーっとしていたりする選手がいるのですが、ラグビーの選手たちは、見事に、口を開けて、それも大声でチームの所属する国の歌を歌っています。

 国家の威信を一身に背負って戦いに臨むという気概が、試合の始まる場面で見られるのですから、私、感心をするのです。
 実に、気分のいいものです。

 日本の国旗に火をつけたり、首相の写真を切り裂いたりする国では、きっと、ラグビーのような国家の威信を背負うゲームは大成はしないと、その時、思うのです。
 だって、よその国のことをあれこれという国には、ラグビーという試合をする権利はないと、そんなことを思っているからです。
 あれは正々堂々と、正直に行うゲームなのですから。

 あるいは、日本の領土に、そこは俺のものだと言い張って、定期的に船をよこしてくる、つまり、握手しておきながら、それをひねり返してくるそんな国では、きっと、ラグビーが強くはならないと思っているのです。

 それに、私、ラグビーの試合を見ていますと、艦隊決戦を思い起こすのです。
 あるいは、変な言い方ですが、日露戦の二○三高地を奪取せんと攻め込んでいく陸軍の戦法を思い起こすのです。

 戦闘が広い戦場の一箇所で展開されています。
 スクラムを組んでぶつかり合っているのです。
 しかし、その周囲には、その戦闘を遠目に見て、はて、ボールが飛び出してきたら、それをつらまえて、一気呵成に、ゴールに突進しようと、機を狙う選手たちがいるのです。

 まるで、戦艦同士の戦いの陰で、駆逐艦が戦場を縦横無尽に動き、隙を伺っているようです。
 そして、ロシアの機関銃を物ともせずに、日の丸とかざして、あの高地に果敢に攻め込んでいくそんな姿を彷彿とさせてくれるのです。

 だから、他のどんなスポーツよりも、心が熱くなるのです。

 イングランドという国の人間は、実際の戦いのありようをこのようなゲームに仕上げたのですから素晴らしい情熱と敢闘精神を持った民族に違いないと思っているのです。
 その心持ちがあったればこそ、彼らは世界に出て行き、七つの海を支配し、イギリス連邦国家群を作り上げ得たのです。

 ラグビーに出てくる強いチームは、皆、そのイギリス連邦国家群に属する国です。

 そんなことを思うと、日本も、あの時代の軍の幹部がしっかりとしていれば、きっと、素晴らしい共栄圏を作れたのではないかと夢想さえもするのです。

 しかし、日本にはそれはできなかった。
 歴史の事実として、それもまた、よしとするのです。
 だって、今の日本の姿こそ、あのイギリスとは異なる形で素晴らしいと思うからです。

 そのラグビーの試合で、日本がアイリッシュを破り、もしかしたら、スコットランドさえも破るかもしれない期待が出てきているのです。
 ことごとく、英連邦の国家群を打ち破り、此処に日本ありと知らしめることは、やたら、日本に敵対してくるお隣の国や、公船を差し向けて、嫌がらせをしてくる大国に、一泡吹かせることにもなります。

 まぁ、とんだところに話が飛んで行ってしまいましたが、これから、メジャーのチャンピオンを決める戦い、それに、ラグビーで日本がどこまでやるか、楽しみは尽きません。

 秋は、まさに、戦いの季節なりというわけです。 



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きしむ床

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 朝の日差しがもたらしてくれるのは
 暖かさといったものばかりではないのです
 このながぁーく伸びた影
 そんな林の光景に触れますと
 なんだか
 命もながぁーく延びて行くような感じがするのです




 秋になるのだからと、その日、私は大汗をかきました。

 書斎の絨毯を引きずって、それをバルコニーの、陽射しで熱くなった煉瓦の塀に干しました。
 そのバルコニー、一年前に、床の防水の処置をしたばかりです。
 ですから、ビニールシートを貼って、その上に、飲み食いする重たい卓もバルコニーに出しました。

 バルコニーが傷がつけば、せっかくの防水も役立たなくなります。
 それよりなにより、大枚叩いた工賃が無駄になってしまいます。

 そこらに年がら年中おいてある扇風機も、送られてきた雑誌類も封筒のままで、書架のそばに置きっぱなしになっているのも、埃を払いながら、バルコニーに出したのです。

 一体何をするのかって。

 ワックスをかけるのです。
 床にリンレイのワックスをかけるのです。

 まず、洗浄剤を使って、床をきれいにします。
 それが乾くまで、私は、バルコニーで、マッカートニーの「エジブト・ステーション」のスペシャル・バージョンを聴きながら、送られてきた雑誌の封を切り、それがなんなのかを探り出すのです。
 
 床が乾くのに、小一時間、マッカートニーの曲も、オープニングと題された最初に戻ってきました。
 
 バルコニーから最も奥のところから、ワックスを塗り始めて、私は、バルコニーに戻ってくるのです。
 
 おやっ、書架のある書斎の床がきしむって、ワックスを塗りながら思いました。
 しかし、途中で、ああだこうだとやっている場合ではありません。
 ワックスを綺麗に仕上げるには一気呵成に塗りきらなくてはなりません。
 
 そうだ、あの震災の時、大工に備え付けてもらった天井まで届く書架は幾分傾いたのです。 

 それを、私は、自分で修理をしました。
 修理と言ったって、大工がするようなきちんとしたものではありません。ネジで四隅を据えて、倒れないようにしただけです。
 その傾いた書架の重さに耐えきれずに、きっと床がきしんだに違いありません。
 
 おいおい、家を修理するなど、おいらにはできないぜと思いながらも、私、綺麗にワックスを塗りあげました。

 大体のことは、いつも、自分でやるんです。
 そのための道具も揃えています。
 いつだったか、そう、増築した時です。
 一階の洗面所に壁一面に大きな鏡を設置しました。そのため、洗面台の下の、ものを入れる家具の設置を諦めたのです。

 なんでも予算というのがあります。
 それを超えては工事はしないのが、私のモットーです。

 だから、ルーターを、五万近くするのを買ってきたのです。
 ルーターとは、木材に切れ込みを入れて、しゃれた扉を作る家具職人が持つ機械ですが、それを買ってきて、自分で言うのもなんですが、それなりの扉を持つ、棚を作り上げたのです。

 大工がびっくりしていました。
 それ買うとなると、出来合いのものを設置した方がずっとやすくなるのにと。

 教師を辞めたとき、周辺の子供たちに勉強でも教えようと、一階のウッドデッキに面した部屋を教室にしたのですが、その際、床も、板の間が随分と磨り減ったので、タイルパネルを買ってきて、綺麗に貼りました。
 そういうことが好きなんです。

 でも、教室はいまだに開いていないのです。
  黒板まで用意したのに……。
 
 ですから、私が、もし、学校の教師になっていなければ、あの時、新聞社の宣伝室の片隅で、早稲田出身の編集長と、慶応出身の室長にあっていなければ、そして、私が早稲田の受験に失敗していれば、私、その道に入っていたに違いないと、それも、東京を離れて、京都あたりの大工に弟子入りして、この世を生きていく算段を取ったろうと思っているのです。

 ワックスを塗り終えて、バルコニーに佇んでいると、宅急便が来ました。
 先だって、注文していた品物を届けにきてくれたのです。
 バルコニーからは出られない旨を述べて、荷物をそこに置いてもらい、サインは適当にしておいてくれってそう言って……。

 震災があって、書架が崩れて、それで、床がきしむようになったのだから、これはどうしようもないだろう。
 普段気がつかないのは、そこに雑誌が積み置かれていたからだ。
 だったら、積んだままにしておけばいい。
 いつものように、手っ取り早い判断をして、その場をしのぎます。

 乾くまでまだ時間があります。
 私は今は、電子版だけにした、新聞をiPadで読み込みます。

 そして、どこもかしこも、きしんでばかりだねぇって一人呟くのです。
 
 香港だって、韓国だって、元をただせば、あの国の指導者の間違った方針が原因だし、イギリスだって、アメリカの混乱だって、そこにある。

 いつだって、原因は、強引なやり口で起こるのだって、当たり前のことを呟くのです。

 そのために、勇気ある若者が声を上げる。
 それにしても、国連で、大人たちを叱責したあの女の子は、いつだったか、頭に銃撃を受けて、女性の解放を唱えた少女とはちょっと違う、人は、敵を作ってはダメだ。
 共感と、信頼がなければダメだって、そんなことも考えるのです。
 
 どいつもこいつも、皆、きしんでやがるって、そんな身勝手な思いを抱いて、私はiPadを閉じたのです。
 
 そして、ワックスの仕上がりに大いに満足したのです。
 秋の日の、清々しき中に、香り高く我が住まいがリニューアルをしたのですから。

 さぁ、元に戻そうと、私は、一人、力を振り絞って、そして、あのきしむ床にそっと読むことも、見ることもない雑誌を置いたのです。



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男の大往生

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 雲に覆われたつくばは
 それでも見所がある
 だって
 耕されたばかりのそこに菜っ葉が植えられ
 道が曲がりくねって
 そして
 遠くに雲の流れに身を任す
 筑波のお山が見えるのだから




 あるご老人の話なのです。
 その方、朝方、いつものように一杯の牛乳をコップに注ぎました。

 食事を終えて、その一杯を飲むのが健康の秘訣と、たちあがり、腰に手を当ててそれを一気に飲み干すのです。
 そうして、青年壮年の時代をやり過ごし、いま、喜寿を迎えても、白いワイシャツにスーツを着込んで、自ら車を運転して、学校に出かけていたのです。

 その日、このご老人、家人に不平を漏らしました。
 
 今朝は暑いぞ。
 暑さ寒さも彼岸までっていうのに、こりゃ、どうしたことかと幾分不機嫌そうに言ったのです。

 スーツは、今日から冬服になっています。
 生地も厚くなり、色合いも濃くなっています。ネクタイも、清々しい夏の色合いから、渋い色合いのものに、靴下も薄手のものから、厚手に変わりました。

 半世紀ものあいだ、こうして、彼は「衣替え」を律儀にして、決まったルートを通り、学校に出かけ、そして、一杯の牛乳こそが健康を維持するとひたすら信じて、そうしてきたのです。

 一杯の牛乳を飲み干したご老人。
 コップを持ったまま、しばし、動きをとめました。

 家人の視線が、立ったまま、動かない男の顔を仰ぎ見ました。
 男は、その瞬間、手にしていたコップを落とし、仰向けに倒れていったのです。
 頭を床に打ちつける音が、朝の食卓のある部屋に響きました。

 男の大往生の瞬間でした。

 取手で教師をしていた頃、事務長をしていた男の最期の様子です。
 その前日、私は、この事務長を車に乗せて、中学校まわりをしていました。
 一月に行われる入試の三ヶ月前、いよいよ、募集も佳境に入ってきました。
 受験生たちに、取手の学校を受けてもらうよう、中学の教師に働きかけるのです。
 
 昼時でした。
 おい、寿司を食おうと、事務長、私に、いつも行く流山の老舗の寿司屋に行くよう言ったのです。
 店に入ると、一番いいやつ二人前と、これまたいつものように注文します。
 
 今年は、募集にも、さして、大きな動きがないようだ。ならば、レベルをアップしようではないか。少し、合格基準をあげていかなくては、この先、厄介なことになるなんて、難しい話をし出しました。
 いつもは、そんな話などしないのです。
 そうではなくて、ずっと年下の、私たちの上司の悪口を言うのが、彼の昼飯時のおかずであったのですが、その日は、そうではなかったのです。

 そして、今日はやけに暑いなぁって、そんなことを言ったのです。
 十月といえば、衣替え、それなのに、この気候は一体全体どうしたことかと、訝るのです。

 確かに、ちょっと汗ばむ頃合いでした。
 でも、季節の変わり目、このくらいの暑さ、往往にしてあることです。
 
 そうですか、私は、さほどには感じませんが、事務長、体でも悪いんじゃないですかって、私、そう言ったのです。
 事務長、特上寿司を、いくら、うにと、食べ、最後にトロを残すのはいつもの癖です。
 パクパクと口に運んでいます。
 
 いやはや、いい食いっぷりだ。
 四十代の私などより、健康体だと、その様子を見ながら、私も、美味しい寿司をいただいたのです。

 中学校周りが終わったのは、もう夕方、日の暮れるのが早いと二人して言う頃合いでした。
 いつものように、私は、北千住にあったお宅まで、事務長を送り届けます。

 あなたと一緒に出張だという日は、この人ウキウキしていますと家人が私に言います。

 今日は車ではないのって、そうすると、ニコニコして、私に、北千住駅まで送れっていうんです。
 急にいうんですから困りものですと、ぼやくのです。

 私は、いつものように、一杯の紅茶をいただき、失礼します。
 この日も、家人の見送りを得て、私は、学校に戻っていったのです。

 そして、翌朝、学校に着いて、事務長の亡くなったことを知ったのです。
 
 彼岸の頃合い、衣替えのころ、そして、神無月のついたちになると、特に、今年のように、まだ暑さを感じる頃合い、私は、いつも、あの一杯の牛乳を飲み干したという男のことを思い出すのです。

 そして、出来るならば、私も、あの方と同じように、大往生を遂げたいと、密かに念願するのです。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《10 / 5 💭 Saturday 》
 
🦅 昨日、<カクヨム>にて『虐待とトマト』を発信しました。

日常性の中に 
 時として 
 驚きの瞬間が

そんな新鮮な 他愛もない出来事



私たちの生活は、実に単純明瞭であり、そのありようにこそ、私たちは心の安らぎがあることを知るのです。
さらに加えていうなら、好き勝手に、ああでもない、こうでもないと、一所懸命に活動する方々を罵倒し、揶揄して、さらに幸福感を感じているのです。
それが名もなき、圧倒的多数の税金を納めて、主権を持ち、権利を主張する人々なのです。
そんなことを書くと、そんなことはない、それはk間違いだと唾を飛ばして、議論をふっかけてくる方もいるのではないかと、そうも思っているのです。

でも、今回のお話は、そんなけんか腰になるようなものではないのです。

私たちの日常生活の中の、他愛もない出来事、時に、ちょっと気がかりになるようなこと、腹が立つようなこと、意外なこと、そんなことに、実に新鮮さがあることを改めて知ること、そんな話なのです。


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