船の上で

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つくばの自宅の裏道沿いにある田んぼの稲の穂に、僅かながらもつぶつぶが見えてきました。実るほどこうべをたれるとまではまだまだ言えませんが、これから暑い夏の日差しを浴びて、このつぶつぶは大きく膨らみを増していきます。それにしても、植物が持つ遺伝子というのはすごいと思います。5月の連休に植えられた稲が着実に身をつけていくすべを持っているのですから……。


 土浦の港に係留してある船、そのデッキにディレクターズ・チェアーを出して、そこに座り、足を投げ出して、iPad ProとApple Pencilを使って、絵を描いたり、文章を書いたりする時間が、私はとても好きなのです。
 
 私の暮らすつくば市に茨城県南最大の都市としての名誉ある地位を奪われてはいますが、私の船が係留されている土浦の港の周りには、大きなビルが立ち並び、それが適切な日陰を私の船に与えてくれているのです。
 私は、その日陰に佇む船の上に、チェアーを出して、たった一人の優雅なひと時を楽しむのです。
 時たま、ボート仲間が一杯のコーヒーを手にしてやって来ます。
 そんな時、二人して、世間話です。
 下世話な話から、夢のある話まで、種々雑多な話をします。
 
 下世話な話の代表は、この港の主を任ずる「親分」の悪口です。
 私もボート仲間も、この人からは色々と世話になっていますが、少々、口うるさく、船を汚くしていると、自宅にまで電話して来て、いい加減にしろと言って電話を切るのです。
 だから、胡散臭く思う人が多いのです。

 でも、嵐の前、係留ロープを確認してくれたり、夏、桟橋に茂る雑草を刈ってくれたり、潮の関係で集まってくるゴミを拾っていてくれたりしていること私は知っているのです。
 ですから、私は、相手の話をウンウンと聞いているだけにしているのです。

 いい年をしたおっちゃんが、船のデッキで、一杯のコーヒを手にして、下世話な話をする図もまた世間並みでいいとは思っています。

 夢のある話は、いつかは行ってみたい航海の話です。
 土浦から、霞ヶ浦を南下して、利根川に入ります。
 まっすぐ進むとそこは銚子の河口です。
 その先には群青の太平洋が控えています。

 霞ヶ浦に船を置いている船長の夢は、外洋を舞台にするヨットマンからすれば、たわいのないものかもしれません。
 しかし、それを成し遂げた人物はそうそうはいません。
 
 私の知っている、それを成し遂げた唯一の船長は、この港で胡散臭く思われているあの「親分」に他なりません。

 なんでも、銚子から大洗を経て、女川まで行ったと言います。
 小型ボートは、太平洋の荒波の中、高さ10メートルを上下しながら航海し、生きた心地がしなかったと言いますから、それが本当かどうかは確認のしようがありませんが、心踊る話であることには違いありません。
 
 その日、悠長な港での時間を過ごしている時、私の船に勝手に上がりこんで、釣りをしている一人の若者がいました。

 私が近くのコンビニで一杯のコーヒーと甘いケーキを買って戻って来た時のことです。
 その10代と思しき若者は、夢中でバス釣りをしていました。
なんでも、この港はバス釣りでは一目置かれているポイントであるということです。
 きっと釣りたいあまりに、無我夢中になって、私の船に乗り込み、船の船尾に立って、竿を振っているのです。

 私はその釣りの様子を桟橋に腰を下ろしてしばらく眺めていました。
 声をかけたり、船に乗り込んで行けば、思わぬ事故を起こすと考えたからでした。

 釣りを終え、若者が舷側をたどって、こちらにやって来ます。
 若者は、そこらのおっさんが自分の釣りをする姿を見ていてくれたとでも思ったのでしょう、私に目もくれずに飛び降り、去って行こうとしました。

 私は、お兄さんと呼びかけました。
 若者はこちらを振り向きました。
 
 「この船に勝手に乗ってはダメだよ。何かあったら困るからね。」

 若者は、この時、一切の事情を察したようです。
 急に改まって、すみませんでしたと小さな声でいい、頭をちょこんと下げたのでした。

 きっと、私がいない時、私の船はこうした釣り人に利用されているのかしらと思いましたが、そんなわけがないとも思いました。
 なぜなら、「親分」が目を光らせているし、船の上が汚れているとか釣りをされている、そうした形跡も見当たらなかったからです。

 きっと、あの青年は単に釣りに夢中になったにすぎないのです。

 デッキに戻り、チェアーに腰掛け、買ってきたコーヒーを飲んでいると、先ほどの若者が戻って来ました。
 父親らしき連れも一人います。
 わざわざ、謝罪するために戻って来たのです。
 
 この日、私は夕闇が迫る頃まで、船の上で過ごしました。
 なんだか、気分が良くて、ここを離れるのがもったいないように思えたからです。


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こだわりの世界

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夕景は、朝景と違って、変化があります。朝は、真っ平らに陽の光が伸びますが、夕は、光が複雑な屈折をしているかのようなのです。とりわけ、夏から秋にかけては、その屈折した光が殊の外綺麗です。


 つくば上空は、成田からヨーロッパに向けて飛ぶ各国旅客機の航路になっています。
 成田、つくばから新潟を経て、ウラジオ、北極海を経て、ヨーロッパを目指すのです。

 つくばの隣町、土浦には、自衛隊の駐屯地もあり、そこで訓練を受けているヘリ部隊もあるようで、アパッチが飛行している姿をよく見ることができます。
 さらには、つくばには大きなヘリポートもあるので、多種多様なヘリコプターが、つくば上空を飛び交っているのです。

 時折、自衛隊の大型プロペラ機が百里基地にでもいくのでしょうか、それとも仙台まで行くのでしょうか、低空で飛行しているのに遭遇します。
 夕方など、主翼の左右に、赤と緑が灯っているのも見ることができるのです。

 進行方向から見て、左が緑で、右が赤です。

 これは、船舶でも同じです。
 と言うより、船舶でのルールを航空機にも採用したものです
 霞ヶ浦で、夜、船を出すのは、土浦の花火大会のときくらいですから、船のこうした灯を見ることは滅多にありません。

 私の船は、その灯を出す器具を保護するために、カバーをかぶせてありますから、それを外すのは、船舶検査の時だけです。
 つまり、夜のクルージングは一切しないということです。

 成田でも、東京湾でもそうですが、航空機や船舶がいろいろな光を発して、位置を知らせているのを見ると、私などはワクワクしてしまいます。
 
 今は、やっていないのですが、いぜん土曜日の3時に出航し、9時まで、東京湾で夜釣りを楽しめる釣り船がありました。
 主に、カサゴやメバルなどの根に着く魚を釣るの船なのですが、時折、スズキなどの大物がかかり、結構面白い釣りだったのです。

 そんな時も、そばを航行する大型船のライトに目を奪われていたことを思い出します。
 釣り場が、羽田の滑走路の近くであれば、飛行機が着陸するコースあたりで、巨大な機体が迫ってくるのに夢中で、釣りどころではなかった覚えがあります。

 釣り船の船長も、この緑と赤の光を判別して、航行の安全を確保していたはずです。
 何せ、大都会に囲まれた東京湾とはいえ、湾上は真っ暗闇です。

 今、私が船を停泊させている場所は、土浦駅から徒歩3分という好立地です。
 私の船の隣には、仙台の方が所有するヨット、その隣には木造の豪華なヨットが停泊しています。
 私の船が停泊している辺りはエンジン付きのボートが多く停泊していますので、ヨットは高級感に満ちて、素晴らしいと眺めています。

 名門のヨットハーバーなどには、ジーンズでの乗船はお控えくださいくらいの決まりがあるようですが、土浦のプレジャーボートハーバーには、そのような規制は何もありません。

 ですから、皆、自由気ままな姿で、沖に出ないときは、アンブレラをかざして、ランチを楽しんだり、一人黙々と塗装をしたり、修理をしたりと思い思いにボートライフを楽しんでいるのです。

 でも、夏が終わり、秋も終わりに近づくと、港は一気に寂しくなります。

 私は、それでも、定期的に港を訪れては、エンジンを点火しているのです。
 私同様、このエンジンも随分と年を重ねてきました。定期的に燃やしてやらないと、きっと、なまってしまうのではないかと思うのです。

 私が船舶免許を取ったのは、つくばに転居してきて、ほどなくのことです。

 そして、念願の船を手に入れたのは、取手の学校から、土浦の学校に移ってからのことです。
 学校のボート部の練習にお手伝いに行った時に、港で何隻もの船を持って、修理をしたり、沖に出たりとボートライフを楽しんでいる方と知り合い、その方から、一隻の船を譲ってもらったのです。

 色弱であるがゆえに、商船大学への進学の夢が叶わず、それでも、小型船舶免許なら免許が取れるとわかり、しかし、船までは教員の給料では手が回らないという状況の中で、この出会いは私に取ってはラッキーでした。
 
 新品のボートではありませんが、そのほうが私に良かったのです。

 船を持っているから、毎回毎回、沖に出るということはありません。
 むしろ、港で、船のエンジン点検をやったり、デッキを洗ったり、キャビンの中で寝転んでいろいろなことを考えたりすることも、私のボートライフなのです。

 横になりながら、トイレのあそこを直そうとか、シャワーのタンクを変えようとか、そんなことを思いながら、帰りにホームセンターに寄ったり、ネットで船舶用具の発注をしたりと楽しんでいるのです。

 もし、私が、船員になれなかったことで、その夢を捨ててしまったら、穏やかな波に揺られるキャビンの中で、そして、デッキの上で、隣の船の船長とコーヒーを分け合いながら、話をすることもなったに違いないと思うのです。

 船を持つということは、その志を持って、国家試験を受けて、港の人たちに受け入れられて、丁寧に船を扱い、そこでの生活を楽しむというこだわりがないと不可能なことなのです。

 決して、敷居を高くするわけではないのですが、面倒なことをあえて進んで受け止めて行くことができないと持てないものなのです。
 そうしたこだわりの世界に身を置いているのだという気持ちこそ、私が若い時から憧れてきたものなのです。


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日本はアメリカと肩を並べる現代の海洋国家

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ユーカリを玄関前の大鉢に植えています。大きくもならず、そこそこの大きさでこの淡い緑を楽しませてくれています。


 古来、海は、人間にとって、行く手を阻む大きな障害であり続けました。

 しかし、その海を、障害ではなく、交易の場とすることを意図した国々が、この世界に出てきます。
 アジアとヨーロッパ、そしてアフリカをつなぐ「地中海」でです。
 少しの勇気と確かな航海術を使って、人々は、海を舞台に、人と物との交流を活発化させていったのです。
 後年、アルフレッド・マハンは、海を通じてこそ国家が繁栄すると説きました。
 そして、交易を守るため、海のルートを守る海軍の存在を意義づけたのです。
 国家相互の繁栄を勝ち取るために、船舶のルートを確固として保護すること、また、それを阻害するものがあれば、確固としてそれを駆逐、破壊するのが海軍の始まりであると述べたのです。

 近代に入って、イギリスが七つの海を支配しました。
 小さなブリテン島を本拠とするイギリスは、通商の道を守るため、海軍を強化し、また、交易を積極的に推進していったのです。

 今、イギリスに、往時の面影はありません。
 しかし、カナダ、オーストラリア、ニュージランドを始め、英連邦として、一大勢力を持ち続けているのです。

 第二次大戦後、イギリスに取って代わったのは、そのイギリスから独立したアメリカ合衆国です。
 国境を接するカナダ、メキシコとは友好的な関係を維持しています。
 カリブ海の諸国とも、それは同様です。

 かつて、ソ連がキューバにミサイル基地を建設しようと企んだとき、時の大統領ジョン・F・ケネデイはソ連のフルシチョフ書記長に対して強硬な姿勢で臨みました。

 核戦争の危機をも辞さず、ことに対処するその勇気がソ連の野望を打ち砕いたのです。

 そのケネデイは海軍出身で、太平洋で日本海軍と戦い、乗っていた魚雷艇が攻撃を受けて、沈没するという経験を持っています。

 大西洋の戦いで、ドイツ海軍が気勢をあげえたのは、Uボートでの米欧間での貨物船への魚雷攻撃だけでした。
 しかし、太平洋では、人類がいまだ行なっていない、空母対空母、つまり、それまで人類が体験していない戦争を、日本とアメリカの海軍が行なっていたのです。

 真珠湾攻撃を果たした空母6隻を擁する南雲機動部隊は、南シナ海、インド洋でイギリス東洋艦隊の撃滅に当たっていました。昭和17年の春先のことです。
 そこへ、麾下の空母を南太平洋に向けよと南雲艦隊に命令が来たのです。

 アメリカ太平洋艦隊の2隻の空母が南方の日本軍部隊に攻撃を加え、損害を与えているというのです。
 日本は、アメリカとオーストラリアとの交易路を遮断するための作戦を実施していたのです。

 日米両国の空母部隊は、盛んに索敵機を飛ばし、敵空母部隊の位置を探し回ります。一刻も早く見つけ、攻撃をした方に勝利が訪れます。
 日本はタンカーを空母と間違え、アメリカも日本海軍機動部隊発見の誤報で航空部隊を飛ばします。
 呑気といえば呑気ですが、見えない敵に対する脅威を戦い続けるには、少なからず、「幸運」が必要です。
 その「幸運」を、最初につかんだのはアメリカでした。

 軽空母「祥鳳」が、アメリカ軍機の索敵に引っかかったのです。
 ここでいう軽空母というのは、正規空母ではないということです。
 「祥鳳」は元来が潜水母艦で、洋上で、食料や燃料、魚雷を供給する役目を持つ船で、対空防御も弱く、搭載航空機も旧式の96艦戦が主でした。

 そのため、たった20機の雷撃機の攻撃で、最初の攻撃から30分で撃沈させられてしまったのです。
 5月7日の正午前の出来事でした。

 その日の夕刻、「祥鳳」の敵討ちとばかりに、優秀なパイロットを抱える五航戦部隊が薄暮攻撃をアメリカ空母に仕掛けます。
 日本の攻撃機が、味方空母と間違えて、アメリカ空母に着艦するという笑えない出来事も起こるほどの暗さと近さの中での戦闘です。

 翌8日、両軍は早朝から索敵を開始、今度の「幸運」は、わずかの差で、日本海軍に微笑みました。

 五航戦の攻撃部隊は、はるか下を飛ぶ敵の攻撃機に目もくれず、アメリカ空母めがけて襲い掛かるのです。そこにいたのは、「レキシントン」と「ヨークタウン」です。
 上空防衛の米戦闘機が五航戦の雷撃機に向かって来ます。
 アメリカ空母は30ノットという高速で旋回をしますが、両空母は旋回の速度が大幅に異なり、そのため、対空防御陣形が崩れたのです。

 その隙をついて、雷撃機に続き、急降下爆撃機が、「レキシントン」に襲いかかります。
 「レキシントン」は魚雷2本、爆弾2発を命中させられ、火災を発生、エンジン停止に陥りました。

 一方、五航戦が見送った、アメリカの攻撃隊も、日本の空母部隊を発見します。
 しかし、よく訓練された日本海軍は、魚雷攻撃をことごとく回避し、命中した爆弾は2発、エレーベータを破壊されましたが、機関には損傷なく、この空母「翔鶴」は沈没を免れたのです。
 
 空母同士の、いわば、一騎打ちともいうべき、苛烈な戦闘を経て来た、日米両国ではありますが、それゆえにこそ、今、お互いを信頼しあえる関係になったとも言えるのです。
 激しく戦うも、相手に敬意を持って対することができる関係を構築し得たのです。

 海自の持つ戦闘能力と所有する艦船の優秀さについて、アメリカ海軍は高い評価を与えますが、あながち、それは外交辞令とばかりは言えないのです。
 海自はヘリ搭載護衛艦「ひゅうが」「いせ」、そして、これら2隻よりもひとまわり大きい「いずも」「かが」の4隻を配備しています。
 これらにオスプレイを搭載すれば、日本は最新型の「空母」4隻を持つということになります。

 これらの装備は、海洋国家日本が、日本の生命線であるシーレーンを守るためにあるのです。
 今、日米は太平洋において、敵ではなく、肩を組む最強の味方なのです。
 現代における、ふたつの海洋国家がタッグを組んでいるのです。


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中国海軍にもシーマンシップがあったことにいくばくかの安堵を抱く

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 南シナ海の人工島は認めることができないとアメリカ海軍がイージス鑑「ラッセン」を人工島の12海里に進入し航行したのは10月27日であった。
 その折,米中軍艦が親しげに会話をしたことにいろいろな憶測が飛び交っている。

 12海里を航行する10日間。「ラッセン」には中国海軍艦艇が追尾していた。
 当初は,
  「あなたは中国の海域にいます。何をしているのですか。」
  「国際法に基づき,行動をしています。」
 という,ありきたりの交信がなされていた。

 10日も一緒にいると……
  「土曜日は何をしてすごしていますか。わたしたちはピザとか鳥を食べます。ハロウィーンの  
   パーティーもやりますよ。」
 「ラッセン」は実に親しげな交信を発した。
 すると,
  中国艦艇からも,家族や故郷のことを語りかけてきたというのである。

 そして,「ラッセン」が任務を終えて海域を去ろうとすると,

  「もう,これ以上,貴艦にはついていきません。どうか,快適な航海をなさってください。
   また,会いましょう。」
 
 との通信が,中国艦艇からなされたというのである。

 互いに敵対する間柄とはいえ,ともに海で生きる男たちの礼儀としての振る舞いがこの一瞬に成立したことになる。
 私は,中国海軍にシーマンシップがあったことに安堵するのである。


機械にも心


 電話がかかってきた。私の船のメンテナンスをしてくれるKさんからだ。
 『さっき,船をみてきました。エンジンはかかるのですが,すぐに止まってしまいます。おそらく,キャブレターあたりがいかれてしまったのだと思います。ちょっと,手間暇かけて面倒みないといけない状況です。』
 『そうですか,9月には沖に出られるようなんとか修理をお願いします。』と私。
 この春から,病気治療にかかりきりで,ほったらかしであったのがいけないのか。
 そういえば,愛車「ビートル・レーサー」にもほとんど乗っていない。4月からガソリンを入れたのはたったの2回である。主に,妻の車に同乗させてもらっているからだが,これもたまには乗ってやらなくてはいけない。
 機械は機械と割り切れない日本人特有の思いがどうしても滲んでしまう。
 機械ではないが,「レゴ教育版」でのロボット製作は適時心がけている。
 作ったら,ビデオに収めて,分解してしまう。そして,あたらしい分野に進んで行く。設計図通りに作れば良いというのではない。微妙な位置,工夫が必要な時が多い。でないと,ソフトに従って動いてくれない。
 機械にはそういうデリケートな部分があるのだ。
 やはり,機械とはいえ,人間が作る以上は『心』が入らなくてはいけないと思う。
 
 さて,我が船,……心配はその修理代だぁ!

プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《10/22 Sunday》

‼️現在、<Puboo!><Facebook>で、金曜日に発信した作品を公開しています。‼️

❣️<Puboo!>にて、『だから、朝は素晴らしいんだ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『Mermaid beach at Gold Coast. - The forcing look blows and is no swimming allowed on this day. I was walking a beach. When I try to take a picture of a no swimming allowed flag's trailing along in a wind, one man has begun to come near the field and take a picture of the skyscraper group. That makes a picture.
美人鱼海滨於黄金海岸。- 强的风吹,这天是游泳禁止。我,走着在海滨。我,预先打算拍下来游泳禁止的旗在风上密布的话,一人的男人为田地的荞麦面来,开始拍高层群的照片。那个如画。』を公開しました。

❣️<Twitter>では、『ものかき』と銘打って、朝と晩『つくばの街であれこれ』の更新情報をつぶやいています。朝は、その日の記事について、晩は、明日の記事についてのつぶやきです。

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