無用な心配は大いなるお節介

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野の花は、何の手当てがなくても、そこに咲きます。自らが、土の中で水を求め、栄養を求め、土の上では寒さをしのぎ、暑さを避ける工夫をしているのです。人間も同じかなと思うのです。



 チグリス・ユーフラテス、インダス、ナイル、そして、黄河。
 いうまでもなく、四大文明を発祥させた川の名前です。

 そのうち、黄河文明で使用されていた文字「漢字」だけは、今に伝わっているのです。

 すごいことではないですか。
 5千年も前の知恵の結晶が今でも使われているのですから。

 現在、漢字を使っている国は、本家中国に、それに日本だけです。
 中国では、煩雑な漢字を略して表記する簡体字を用いる大陸地域と昔からの繁体字を用いる台湾など、その他東南アジアに暮らす華僑のいる地域があります。
 日本では、10万字はあるという漢字に加えて、二種の仮名までも用います。
 日本語を学ぶ外国人は、大変な苦労を強いられることになります。
 
 ロビーナで暮らす私の孫も、複雑な言語環境の中に身を置いています。
 もっとも今は、文字を読めないので、もっぱら音、言語による特殊な環境下にいるわけです。

 先日、娘からラインがあって、こんな話をしていました。

 なんでもおしめの中にウンチをするとき、孫は、テーブルの下とか、バスルームのはじにそれとなく移動するのですが、その折、何気なくついていこうとすると、おもむろに振り返り、「ウエイト!」と声をかけられたというのです。
 「ママ、来ちゃダメ」とか、「来ないで」という日本語に比べると、英語の「ウエイト」はきついというのです。
 きっと、キンディで、友達や先生から、何かの折に「ウエイト」と言われて、その言葉の使い方を覚えているのでしょう。

 私が向こうにいるとき、いつもは騒がしいこの孫が随分と静かにしている時がありました。
 コックリと居眠りをしている時と、iPadで動画を見ている時です。

 iPadには、YouTubeの動画が入っています。
 娘がお気に入りに登録していたのですが、その登録ページにも似たような動画があり、それを器用に、小さな指でスクロールして、面白ければ長めに、つまらなければ次にと、さっさと動かしてみているのです。
 もちろん、気に入ったものは何度も飽きずに見ています。

 何気に、何を見ているのかをそっとうかがって見ると、ロシアのちょっと気の強い女の子が森の動物とあれこれ騒ぎを起こすアニメーションのようです。
 耳をすますと、確かにロシア語です。
 またある時には、日本語でドラゴンボール、スパイダーマンを英語で見ていたりもします。
 
 私の世代が子供のころ、膝の上に置いた機器で、このように言語の異なる、それも、いろいろな国で作られた多少価値観の異なる、あるいは、文化背景の異なる映像を見たことがあるだろうか、異なる言語に飽きもせず耳をすませることなど、ただの一度もなかったはずです。

 当時、テレビで放映されるアメリカ映画は全部が日本語に吹き替えられて、それとなく、日本的にアレンジされていたような気もするのです。
 あの時、テレビ局が英語で放映し、字幕をつけていてくれたら、私たちの世代も多少英語が流暢に喋れることができたのではないかと思っているのです。

 少し大きくなった頃に、「電卓」が、安い価格で、世の中に売り出されるようになりました。

 すると、大人たちがこぞって、それは子供の計算力を奪うと口から泡を出して言い出しました。
 そろばんの苦手な子供の一人であった私は、余計なことをいう人たちだと思いながら、「電卓」なるものの登場を大いに歓迎していたのです。

 その後、ワープロが登場して来ました。
 すると、今度は、漢字が書けなくなると、おまけに、考える力も削がれるのではないかと、真顔で、世の評論家諸氏が言い出したのです。

 その頃は、もう、働いていましたので、無理して、当世随一のワープロなる機器を買って、使い出しましたが、すると、今度は、誰にも簡単に扱えるコンピューターが鳴り物入りで登場して来ました。
 夜7時のNHKニュースで、そのソフトが売り出されることが報道されるくらいの盛り上がりようです。
 1995年のことでした。
 私は、まだまだ使えるワープロを放り出し、このコンピューターにのめり込んでいくのです。

 10万字あるという漢字に、それに二種の仮名文字を、アルファベットの配置されたキーボードを叩き、画面に打ち出し、それをプリントアウトし、教師としての仕事は、今までの数倍、いや、数十倍、早くこなしていけるようになったのです。
 
 そんな自分のありようを振り返ってみると、孫がiPadを使って、動画をみて、言葉を触れていることは価値あることではないかと思うのです。

 それが、どこの国の言葉であるとかわからないまでも、自分の好きなキャラクターが喋る言葉には親近感があるはずです。
 この言葉の意味は熊なのだとか、自分と同じ名前の登場人物がこの漫画には出ているとか、あるいは、親が蜘蛛がいるという、あの蜘蛛がスパイダーともいうんだと、知らず識らずのうちに頭に入ってくるのですから、しっかりと根付くはずです。

 バイリンガルとかトリリンガルとか言われて、多言語を話せることは、脳にあるニューロンが、モノリンガルの子より結びつきを複雑にするのではないかと想像したりもするのです。
 しかし、その一方で、漢字は苦手になるだろう、しかも、日本の歴史はまるきりわからなくなるだろうと心配もするのです。

 そんな心配をする自分に、私は、ハッとしました。

 あの時の大人たち、評論家諸氏たちと一緒ではないかと。
 電卓が世の中に浸透して、計算能力が劣りましたかと、ワープロやコンピューターを頻繁に使うようになって、漢字がまるきり書けなくなりましたかと。

 それに警鐘を鳴らす大人たちに冷たい視線を送っていた自分が、その大人と同じような気持ちで孫を見ようとしていることに気がついたのです。

 そんな心配などすることはないのです。

 孫は、必要であると思えば、漢字を学ぶであろうし、同じように、日本の偉人に興味を持つだろうということです。
 孫が必要としなければ、それはそれでいいことなのです。

 孫の必要とするものは、孫が生きていく上で、自分で判断していくからです。

 実につまらぬ心配をしたものです。
 我ながら呆れてしまったしだいです。





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人もものも軽く見ちゃいけないよ

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冬のサファーズ・パラダイス。観光客よりも、地元の人が冬のビーチを楽しみます。空気は乾燥して暖かく、でも、水は存外冷たいのです。ですから、人々はこうしてビーチで陽を浴びているのです。日本では考えられないビーチでの冬の過ごし方です。私ですか、私はセーターをきて、風から身を守り、それでも、ビーチの砂の暖かさに感動して、歩き続けました。とても、裸でビーチにいるなどできません。聞けば、オージーは日本人と比べて、体温が幾分高いと言います。さもありなん、です。


 10月10日、準天頂衛星「みちびき」4号機を搭載したH2Aロケット36号機が見事な発射を見せてくれました。

 どこぞの国の物騒なロケットの打ち上げとは異なり、発射の際の煙の色や形まで、誇らかに見えました。
 今回は、4号機ということで、近々、4機の「みちびき」が宇宙で活動をすることになります。

 4機あれば、日本からオーストラリアまで、その途中にある東南アジア一帯を含む地域をカバーできるということです。
 アメリカのGPSと連動して、「みちびき」の本格導入で、わずかに6センチまでの測定が可能になるという、画期的な衛星が日本の「みちびき」なのです。

 私の車に搭載されているカーナビゲーションは、GPSを使って、10メートルまでの測定が可能ですが、「みちびき」が稼働すれば、飛躍的な精度を得ることになるのですから、すごいことです。
 私の家の場所ではなく、私の書斎まで、いや、机の何が置かれ、何を考えているのかまでわかるということになるのではないかと恐れ入るのです。
 まあ、それは少々オーバーな表現ではありますが、では、そんなに精度の高いものを、一体何に使うのということになります。

 日本のことですから、軍事にはそれは使うことはありません。
 技術的に使えるとしても、現段階では、日本では許されないことですから、あくまでも、非軍事応用ということになります。

 アジアからオーストラリア、日本との友好国において、例えば、広大なトウモロコシ畑を「みちびき」を使って、数センチまで測定しながら、人の乗らない収穫機でトウモロコシを収穫し、選別し、包装し、出荷が可能になるのです。
 オーストラリの広大な鉱山でも同様な作業が可能となります。
 過酷な土地での作業がハイテクノロジーで楽になるというわけです。

 東南アジアのジャングル地帯では、災害を防いだり、開拓をする事前調査などにも大いに成果をあげるはずです。

 そう考えると、日本の「みちびき」は、他国の発展にばかり活用されるということになり、税金を使ってなんたることと不平も出てきそうですが、そこは心の広い日本人です。
 そんな狭量なことは言いません。
 そうすることで、日本にも恩恵があるから、そして、この地球に生きる人類のために、科学技術を使ってもらいたいという一心なのです。

 さて、アジアの大国を自認する中国はというと、これもすごいのです。

 中国は、日本と違ってこれを軍事にも応用します。
 現在、アメリカのGPSが全地球を網羅する技術とそこから派生する機材を供給しています。
 カーナビゲーションにしろ、携帯電話にしろ、船舶や航空機の運用にしろ、GPSは欠くことのできない技術になっているのです。

 アメリカに対抗し、やがてはアメリカに取って代わろうという野心を心に抱く中国では、いつまでもGPSに頼ることはできないのです。そのため、独自の開発を急いでいるのです。

 しかし、技術的な面で、現段階では中国を走る車には中国製造のカーナビゲーションは使われていません。
 さりとて、それを容認する中国政府ではありません。
 国家の面子にかけて、自国を守るため、そして、世界に君臨するため、その開発には全力を尽くしているのです。

 日本の「みちびき」とまではいきませんが、測位精度を10メートルから2.5メートルにまで引き上げた「北斗3号機」を来月には打ち上げ、20年までには35機体制で全地球をカバーするというのです。
 中国の世界戦略である「一帯一路」政策を宇宙から支え、中国の海洋進出をこれまた容易にする戦略がそこには隠すことなく見えてきます。

 それにしても、昨今の中国における科学技術の進歩と応用は凄まじいものがあります。

 論文の発表数、あるいは、特許の申請数で、その国の科学技術のありようを判断しますが、その数値は、軽く日本を追い抜き、アメリカに肉薄するありさまです。
 日本では、将来、ノーベル賞が取れなくなるのではないかと騒ぐようになってきました。
 きっと、この分野で、日本は中国に追い抜かれていくのだと、悲観的な論調が新聞を賑わし、警鐘を鳴らしています。

 でも、こんな記事も目にしたのです。

 それは、中国の科学技術を支えているのが、どうやら、日本企業から中国に渡った日本人技術者達ではないかというものです。
 しかも、それは今に始まったことではなく、1970年代からその兆候が見え、それが今結実しているというのです。

 どういうことかと記事の字面を追っていきますと、なんとも情けない話の数々が出てきます。

 <日本企業がリストラで技術者をいとも簡単に解雇した。当然、解雇されたえ技術者には子供がいて、家庭があるから、職を見つける必要がある。>

 その時、彼らを引き取ったのが、いわゆる、二流と位置付けられていた日本の企業で、彼らの研究項目や技術が、そのいわゆる二流企業で結実し、今、ヒット商品を生み出してきたというわけです。
 それまで、高い商品を買っていた日本人も、企業名はさほど知られていないが、同じ商品が思いの外安く売られているということで、評判が評判を呼び、ヒットしていったというのです。
 ですから、あぐらをかいていた本家本元の商品は売れなくなってしまったというわけです。

 それはそれでいいのですが、困ったことは、中国や韓国の企業もまた破格の待遇で、高度な、そして、画期的な技術を持つ人材を手に入れたと言うことです。

 半導体にしろ、先端技術にしろ、今や、中国製品、あるいは、韓国製品が優位に立っています。
 これらの国の製品がないと私が手にしているiPhoneも動かないというわけです。

 その先端技術を運用するのに大きな功績を果たしたのが、流失した日本人技術者であるというのです。

 「みちびき」は、アメリカのGPS、中国の北斗に比べても、その性能にはダントツなものが見られます。
 それを開発し、実現させ、アジア・オセアニアで画期的な産業の育成を可能にするであろう技術者に、中国が食指を伸ばすことは十分にありうることなのです。

 日本は、自由の国ですから、国家が何事も規制することはかないません。
 ですから、人材の流出はこれからも少なからずあるはずです。
 こういう時こそ、技術のあり方、それを作り上げた方達への敬意を確固とする政治姿勢、そして、技術者への経済的な優遇を図るべきなのです。

 科学技術の世界で一番でなくてはいけないのですかとか、原発の技術開発はいらないとか、軍事に研究者が協力するなんてもってのほか、などと言わずに、世界の平和と発展を守るために、技術者への軽視をやめ、敬意とそれなりの報酬で処遇をして行く必要があるのではないかと案じるのです。

 そうしないと、日本は本当に衰退をして行く国になってしまうと切実に思っているのです。





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人類は果たして別物になったのかしら⁉︎

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空気が入れ替えられた空には、秋らしい雲がその姿を見せます。夏の空とは打って変わって、空が高く広く見えます。しばらくは、この爽快な空を楽しみ、穏やかな日々を楽しみたいと思っています。


 オーストラリアの娘からラインがありました。
 3歳になる孫が、テーブルに落書きをしたのを、私がやったと言い張って譲らないというのです。 

 確かに、孫に持っていったノート型ホワイトボードとそのインクでお絵かきを教えたことはありますが、キャップを閉めないと書けなくなることとこのホワイトボード以外に書いてはいけないことを教え、私が一緒にいるときはそれを守っていたのですが、1人になって、どうやら羽目を外してしまったようなのです。

 聞けば、風船に水を入れて、それを道に投げては爆発させて、きゃっきゃっと遊んでもいるともいうのです。

 これも確かに私が教えたことに違いありません。
 風呂に入ることを嫌がる孫に、風呂は楽しいと仕向けさせるための苦肉の策であったのです。

 でも、と私は娘の声を聞きながら思ったのです。
 それは知恵なるものがついている証ではないかと。
 
 頭のいい、カラスのような鳥は、食物のない時のために余分な木の実などの餌を葉の下に置いたり、大きな木の株の隙間に入れたりして隠すそうです。
 仮に、それを他の鳥に見られていると悟ると、隠しなおしをするといいます。

 動物でさえ、そのくらいの知恵が働くのですから、人間の子であれば、(まして、私の血筋を幾分でも引いて入れば⁉︎)そのくらいの知恵がついたっておかしくはないと思い、そのことを娘に言ったのです。
 
 つまり、3歳の孫には、ある種の能力がついているということです。
 
 このペンは、蓋を取ると、赤や青の色でものが書けること、風船を水道の蛇口に被せれば、その中に水が入れられる、という体験を私がさせたことで、知恵がついたのです。
 そして、私の教えたことを敷衍させて、自分で遊びを発展向上させているのです。
 
 テーブルの上に書かれた落書きは他愛のないものです。
 子供のいる家ではごく普通にあるもので、大いに困ったという代物ではありません。
 しかし、母親からすれば、それは困ったことに他ならないものなのです。
 大事な書類にいたずら書きをされてはとか、あるいは、赤ちゃんに何かをしでかすのではないかと心配は膨れるばかりのようです。
 
 風船爆弾は、あのケンジントン・ストリートで遊ぶ子供たちの遊びの一つにも加わっているようです。
 風船さえあれば、水はタダ同然、怪我をすることもなく、子供たちがきゃっきゃっと遊ぶ声は、ストリートに暮らす大人たちには、さほどひんしゅくを買うようなものではなかったようで、風船は大人たちから子供たちに買い与えられているようです。

 オラウンターという動物は、ネジまわしの使い方がわかるそうです。
 実験で、そのことがわかっているそうですが、さらに、飼育員がいないのを知ると、そっと檻を構成している鉄骨の留め金をねじ回しで緩め、そこから抜け出す段取りをしているというのです。

 いわゆる悪知恵が働くくらいに利口だということです。

 私の3歳の孫がしたことはきっとそれだと思ったのです。
 つまり、好き勝手に何かが書ける、そして、それはテイッシュで拭き取れば、瞬時に消えてしまう。
 書くことよりも、さっと消えることの方が面白い、だから、夢中になって書きまくり、それを消す、その繰り返しをするのです。

 しかし、それも飽きると、今度は、どこか他の場所で、それができないかを考えるのです。
 その場所が、テーブルの上であったのです。

 しかし、ホワイトボードではない、木材でできたテーブルの上に書かれて赤や青のラインは、消えるはずもありません。

 3歳の孫の脳裏には、これはちょっとまずいなという思いがあったに違いありません。
 きっと、口うるさい母親に文句を言われるに違いない。
 そして、そうなった。

 身に降る危難は払いのけなければならないというわけで、これは自分ではなく、この間までここにいたじいさんがやった、もう少し、彼の心理に入り込んで言えば、じいさんがそれをじぶんに教えたことで、やったわけだから、それは自分がしたのではなく、私がしたという理屈が働いているというのが、この3歳の孫の脳裏にあった核分裂のような爆発的発想なのです。

 一方、風船爆弾は、たまたま、シャワーを浴びながら遊んでいた際に落として、風船が割れ、そこから冷たい水が出て、暖かいシャワーのお湯と比べて、ちょっと違和感があった、それならば、それを外でやって見たら面白いのではないか、そう飛躍発展させて思ったに違いないのです。
 私は外で風船爆弾を破裂させるようなことはしていませんから、この件は、まったく彼の想像力のなせる技だっであったと言えます。

 幼児の脳内で、今、様々なことが核分裂のごとき激しさで起こっているのです。

 自分の孫を見ていると、自分たちの世代と比べて、幼児が幼児らしくない顔つき、幼児が幼児らしくない振る舞いをすることに驚いています。
 顔つきなど、生まれてすぐに、人間らしい顔つきになるのですから、きっと、人類も核分裂のように劇的変化を遂げているのかしらと思っているのです。

 それは、反対に、私たち<年寄り>にも言えます。

 おじいちゃんと言われるような年齢になっても、その風情を一向に見せることがないのですから、やはり人類は科学技術の発展、栄養医学の進歩で、ちょっと前の人類とは別物になっているのではないかと思っても仕方がないのではないかとも思うのです。

 ラインのビデオ映像に出てきた3歳の孫が私の映像を見て、こっち、おいでと言います。

 私のことを懐かしんでくれて、遊びたいと思ってくれているなら、それはそれで嬉しいことですが、まさか、ラインを通して、私がそっちに行けると思っているとしたら……、そんなことも思ってしまうのです。

 はてさて、人類は果たして本当に別物になったのかしら? と思案は続くのです。




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憧れと嘆きの異邦人

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書斎に降り注ぐ秋の陽のあまりに強く締めたカーテンに映る影。それがあまりにエキゾチックに思われました。影は、その実体をおぼろげにさせるからでしょうか、それとも、カーテンの向こうに別の世界が存在していのでしょうか……。



 『異邦人』ーーー

 数ある言葉の中で、これほど得体の知れない郷愁を誘い、憧れと嘆きを内包する言葉はあるでしょうか。

 黄色の太陽が私を殺人に導いたとするアルジェからやってきた主人公が語るカミュの小説が、そのような思いを私に与えているのかも知れません。
 単に、異国の人であるのではなく、社会や世間から隔絶されていると思う気持ちを持つことが、異邦の人であるとするあり方が、言葉に怪しげな息吹を持たせるのだと思います。

 このところ、随分とこの『異邦』の人々のことが話題になっています。

 その一つが、ロギンシャの人々です。
 東南アジアを中心に、イスラム教徒のロギンシャの人たちがボートピープルになって南シナ海を漂流しているというのです。
 国連は、その原因をミャンマーでの迫害にあるとしていますが、ノーベル平和賞を受賞したミャンマーの指導者アウン・サン・スー・チは、この件での沈黙を保ったままです。

 仏教徒とイスラム教徒の憎悪にも似た宗教対立なのか。
 バングラディシュからミャンマーに密入国した不法移民として政治的課題なのか。
 あるいは、密入国や密売などの犯罪がらみの組織の陰謀なのか。

 私たち島国の日本人が想像できない深い問題が、そこにはあるようです。
 しかし、100万を超える無国籍のロギンシャの人々が困窮状態にあることは事実なのです。

 独立を叫ぶ民族が世界に衝撃を与える事案もこのところ起こっています。

 その一つがクルドの民の独立問題です。
 イラクをはじめとするイスラム圏にある国々に散在している国家を持たない民がクルドです。
 今、イラクにあるクルド自治政府が独立に向けて国民投票を決行し、その結果、92.7パーセントが賛成するという事態になったのです。

 自治政府はすぐに独立という算段はなく、イラク政府に交渉を求めるとしていますが、それが現実になれば、イスラム諸国に散在するクルド人たちもまた各国で独立騒ぎを起こすとして、今回の国民投票に、イラク政府は反対の立場を貫いています。
 もちろん、周辺諸国も、アメリカやイギリスまでも反対を表明しているのです。

 周辺諸国は、クルド自治区への航空機の離発着を停止し、人的物的流通を遮断しました。
 中には、自国民に自治区から出ることを勧める周辺政府もあり、武力弾圧が行われる可能性も濃厚になったきているのです。
 国家を持たない最大人数を持つクルドの民が、今、問題を提起し始めているのです。

 一方、スペインでも同様の問題が起きています。

 フランス国境に近いカタルーニャの独立問題です。 
 国民投票で賛成が一票でも上回れば、カタルーニャ州のスペインからの独立を宣言するというのですから、スペイン政府も神経を尖らして、州都バルセロナには、多くの警察官が動員されて、混乱が起きているようです。

 これもまた、ヨーローッパに多大な影響を与える事案になっているのです。
 同じスペインのバスクでも同様の動きがあり、イギリスにもまたスコットランド独立を意図する動きがあるからです。

 ソ連という共同体が存在していたとき、幼かった私は、その共同体が同じ国家であると錯覚をしていました。
 ソ連が崩壊すると、東ヨーロッパの国々は分裂をし、挙句には、それまで一つの国家であった国が、民族が違うということだけで殺し合うという事態が起きたのです。

 ソ連は、そうした民族間の争いを制御し得たという点では評価ができそうです。

 こうした政治的な動きを最も警戒しているのが中国です。
 ネパール、ウイグル、モンゴルの自治地区の人たちからの独立運動がさらに熱を帯びかねないからです。

 同じ中華民族でもその心配はあります。

 共産党の幹部が失脚したと時折報じられます。
 理由は汚職を名目とする権力闘争と決まっていますが、そこには、中央からの独立を意図する動きが垣間見えるのです。

 中国では、今、共産党が絶対権力を握り、一つの国家に仕上げています。
 同じ中華民族でも、実際は話す言葉も、食べ物も、習慣も異なる民族が中華民族なのです。
 その違いを克服しているのが、二つの要素です。

 それが毛沢東思想と漢字に他なりません。

 ですから、何らかの出来事で共産党の力が弱まれば、ヨーロッパと同じ状況がこの大陸にも出てくるのです。
 ですから、中国政府は強権を発動し、日本を時に目の敵にして人民の目をそらしているのです。

 このような新たな混乱、予測を見るにつけ、人が国家としてまとまることの困難さに思いが至ります。

 アメリカだって、トランプの出現により、かつての南北戦争のように国家が二分される可能性があるのです。
 ところが、日本だけはその流れとは異なるところに身を置いているのです。

 明治維新の折、確かに、日本は勤皇と佐幕に分かれて熾烈な戦いを繰り広げました。
 その結果、天皇をいただく強力な国家を生み出しました。

 強力な国家を生み出した根底には、支配層の武士ばかりではなく、読み書きそろばんに代表される民百姓の知性水準の一定の高さがありました。
 欧米列強からの侵略への危機感を理解し、新しい世界への貪欲なまでの憧れを持ち、それに追いつき追い越すという野心を持ち、それらがこの大きな社会変革を支えたのです。

 一大変革は見事成功しました。

 日本は、列強に肩を並べるまでも強大な国家を作り上げ、アジアの盟主とまで呼ばれるまでになったのです。
 おごるものはひさしからずで、軍部の横暴は悲劇的な末路を我が国にもたらしました。
 しかし、命を捧げ、国家のために命を投げうって、誠を尽くした青年たちの心意気が、この国に新たな息吹を吹き込みました。
 国家は、軍事によらず、今度は経済と誠の心で再び世界の最先端国家に伸して行ったのです。

 そして、今もまた、日本は時代の変革の嵐の中にいます。

 『異邦人』なる言葉には、どこかに悲しげな面影を持つ響きがありますが、しかし、日本という国家を形成する私たちが『異邦人』となるようなことのない政治を期待したいと思うのです。

 『異邦人』は、心の中に収めるられる言葉として、郷愁や嘆きを内包する言葉だけであって欲しいと思うのです。


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我は切望す、我が真意のありようを受け止めんことを。

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クイーンズランド州で一番高いビルということで「Q1」と呼ばれているビルです。ゴールドコーストのランドマークになっています。希望すれば、つなぎに命綱をつけて、あの屋上を歩くことができます。私はもちろん、ダメですけど、若い女性など、それがたまらないそうで結構な人気だそうです。私には理解できことです。


 滞在中、リビングの端に置かれたダイニングテーブルが私の書斎でした。

 それも、朝の3時から6時までの3時間だけです。
 4時には、娘が赤ちゃんにおっぱいを与えるために、リビングにきて、そのまま、赤ん坊と眠ります。
 その中で、私はものを考え、文章を綴っていたのです。

 リビングのテーブルには、オーストラリア独特の甲高い、そして、周期的な謎の鳥の鳴き声が伝わってきます。
 娘たちがソファで身を沈めて、眠りに入っている頃、空が白んできます。
 その頃、私は、私自身が言うところの「ルーチン」を終えるのです。

 原稿用紙5枚程度の文章を綴り、ネットに、それをアップし、ネットを通しての友人たちとコンタクトを取るのです。
 これが、私のルーチンです。

 そして、いそいそと朝食をとり、ロビーナの街へ、朝のウォーキングに出ていったのです。

 しかし、そんな生活も終わり、幾分湿気を感じるこのつくばに戻り、私は、いつもの書斎に戻ってきました。

 湯川れい子という音楽評論家がいます。
 今、その方の回顧録を新聞連載で読んでいます。

 その中に、前向きに物事を捉えることが、10代であった、しかも、女であった自分を、大人の、それも男ばかりの世界で、音楽評論家にし、作詞家にし、当時、容易に行けないアメリカにも行くことができたという記事がありました。

 確かに、人間というのはチャンスをものにしなければ、そして、そのチャンスがなんであるのかを知らなければと始まらないと思います。

 私自身は、どちらかというと、表に出て、何かをしていくことがどうも苦手な性格で、裏方にあって、何かをしている方を好んだので、チャンスを手に入れるということには縁遠い人間ではありました。
 それでも、若いうちには、時の流れとか、物事のちょっと先を読むことには長けていたようで、チャンスというわけではないのですが、多くの人に支えられて、なんとかやってこれたと思っているのです。

 ロビーナに暮らす2歳の孫に、私は、教育レゴの「サイエンス アンド テクノロジー」を持って行きました。
 もちろん、2歳にはまだ早いレゴではあります。

 でも、歯車や太陽エネルギー、小さい部品を組み立てるという活動を通して、知恵をつけてもらいたいし、よしんば、それが打ち捨てられても、手元にあるということで、きっと、何か、この子にチャンスを与えるきっかけになるのではないかと思っていたのです。

 周りの大人たちに、ちょっと早いねとか言われるのは承知の上です。

 でも、子供たちの多くが買い与えられて、手にするのは、完成されたおもちゃばかりです。
 そうした中で、部品ばかりで、そこから何が作れるのかを、少しでも思えば、それでいいかと思っているのです。それが教育だからです。
 つまり、ちょっと先の未来を見込んで、子供たちにチャンスを与えるのが教育の一つの大切な在り方だからです。
 決して、無駄なことではないのです。

 湯川れい子の回顧録を読んでいて、活動する人間には、二つの型があるということが書かれていました。

 その一つ、パーティー型の一例としてあげられていたのが、大橋巨泉です。
 彼は、見るからに、遊ぶことの好きな男性です。
 競馬、麻雀、ジャズ、俳句に車……。
 それらを通して、多くの人と付き合い、なんだかんだとやりながら、人との交流を広げ、仕事を増やしていくというのです。
 こうなると、それは一種の才能となります。

 それをパーティー型とし、その相反する立場にあるのが書斎型というわけです。
 
 てっきり、湯川れい子もそのパーティー型かと思いきや、彼女自身はそうではないというのです。
 いや、むしろ、彼女自身が書斎型を選んだというのです。

 では、書斎型というのはどういうものか、それについては回顧録には詳細には語られてはいませんでした。

 ですから、少し、ここで考察を展開していきたいと思うのです。
 人間は、多くの人と喧々諤々とやりあって、そこから何かを見出すことをします。
 学校教育でも、それは一つの手法です。

 指導教諭は、気長に、それを見つめ、彼らが結論に近づくのを待ちます。
 巨泉のあり方は、この学校の手法と一緒なのです。
 ただ、指導教諭がいないだけなのです。

 それに対して、書斎型は、自分1人が生徒であり、指導教諭であるということです。

 つまり、何かを感じ、何かを思い、何かを生み出すことを、自分1人の中で完結するということです。
 孤独に耐え、世間の流れとはまったく違う流れの中に身を置き、ものを作り出していくのです。

 しかし、だからと言って、孤立無援ではなく、世間と遮断された世界にのみ生きるのではないのです。

 己の中の世界を大切にして、多くの人の共感できるものを作り上げていく、たった1人の活動こそが書斎型であるということです。
 2歳の孫に贈った教育レゴも、その流れの中にあるものに違いないのです。

 願わくば、この2歳の孫が、二世代前の屁理屈をこねる男の真意を受け止めてくれることを切望するのです。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《10/22 Sunday》

‼️現在、<Puboo!><Facebook>で、金曜日に発信した作品を公開しています。‼️

❣️<Puboo!>にて、『だから、朝は素晴らしいんだ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『Mermaid beach at Gold Coast. - The forcing look blows and is no swimming allowed on this day. I was walking a beach. When I try to take a picture of a no swimming allowed flag's trailing along in a wind, one man has begun to come near the field and take a picture of the skyscraper group. That makes a picture.
美人鱼海滨於黄金海岸。- 强的风吹,这天是游泳禁止。我,走着在海滨。我,预先打算拍下来游泳禁止的旗在风上密布的话,一人的男人为田地的荞麦面来,开始拍高层群的照片。那个如画。』を公開しました。

❣️<Twitter>では、『ものかき』と銘打って、朝と晩『つくばの街であれこれ』の更新情報をつぶやいています。朝は、その日の記事について、晩は、明日の記事についてのつぶやきです。

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