ネット遊撃戦を展開せよ

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ゴールドコーストにあるカジノに通じるエレベーターです。大きなパチンコ屋さんがそこにあるのです。ただし、音はありません。警備員は私の姿を見るなり、通過を許してくれました。あとの人たちは身分証明書とか、提示を求められていたのに、そんなに金持ちに見えたのかしらと、それとも、こいつはカモだと思ったのか、それはわかりません。しかし、どう遊んだらいいのか、一向に分からず、カジノを出て来たのです。


 よくもまぁ、こう毎日、降る雨です。今朝も、窓の向こうから雨音が聞こえて来ます。

 午後の仕事の前に、ちょっと裏道あたりを散歩といきたいのですが、雨に濡れるのも嫌で、部屋の窓から恨めしそうに外を眺めています。
 それに、寒い日もあります。
 セーターを引っ張り出してきて、そんな日は暖かくしているのです。

 そんな時でした、私のMacBook Proが一通のメールを受信しました。

 「立憲民主、共産、自民に迫る勢い」という表題が映し出されています。
 一体何事が起こったのかと字面のありように驚きました。
 しかし、冷静さを取り戻し、気になったメールを開けてみますと、送ってきたのは、購読契約をしている大手の新聞社からのもので、フェイクニュースを流すはずもなく、何と表題の下にカッコ書きで、「ツイッターで」とあるではないですか。

 ツイッターで呟かれた言葉の中にある政党名から、かの政党が第2位の共産の20万件に迫る勢いであるということを示しているというものでした。

 記事の中にある折れ線グラフを見てますと、解散時、一挙に他党を引き離して突出し、日を追うごとに下降の一途を辿る党がありました。
 「排除・選別」をしたあの党です。
 言わずもがなのありようです。
 日本人が最も嫌うあり方をしてしまったのですから致し方ありません。

 さて、ネットを使っての選挙運動が解禁されたのは、確か、2013年のことでした。

 ホームページやブログ、SNSを使って、ある程度の制限はありますが、選挙運動が認められました。広く国民の政治参加を促すということだったかと思います。
 私が購読契約している新聞の候補者一覧でも、候補者のネットでの発信状況が記号で示されていました。
 有権者としては、候補者一人一人が、ホームページやSNSのアドレスくらいは持っていておかしくないとは思いますが、お年を召された候補者、とりわけ、共産党の候補者の方々には、ネット構築が何もされていないという方が多かったようです。
 年齢以外に、何か理由でもあるのでしょうか。

 さて、そのネットでのありようが選挙にどう結びつくのかはわかりません。

 まだまだ、ネットで候補者を選択する環境にはないと思うからです。
 もし、この環境が整えば、シルバー民主主義って言いましたか、それは必然的に解消され、ネット環境を有する若い世代の影響が大になることは間違いのないことだと私は思うのです。
 しかし、マスコミの方々からすれば、そうも言えないというのが大方の見方です。
 つまり、若い世代はネット環境があっても、せいぜい、見るのは、候補者の経歴ぐらいで、そこに示されている公約とか、細かい数字など見ないというのです。
 では、老人たちが、新聞やポストに放り込まれた政党の公約を見ているかと言えば、そうでもないと私は思っているのです。

 選挙民にとって、候補者を選ぶ際には、政党だとか、あるいは、人物だとか、つまり、好悪の感覚が一番なのではないでしょうか。
 中には、一票を入れる際に、この人なら、当選しそうだという人に入れるという人もいます。当選しない人に入れる一票は無駄遣いだからというのがその理由です。
 それがいいのか悪いのかは簡単には言えません。
 その理由にも、合理的な理由があると思うからです。
 いや、むしろ、この一票の無駄遣いというのは正当な理由の部類に入るのではないかとも思うのです。

 ネットが選挙に影響を与えると言えば、実のところ、いい話ばかりではありません。
 先のアメリカ大統領選挙では、ロシアの介在が伝えられています。
 ネットを通して、膨大な広告や記事を配信し、一千万人の有権者に影響を与えたというのですから、ただ事ではありません。

 欧州でポピュリズムなる悪しき風潮が拡散したのは、ネットをうまく使い、目の前の問題に対する危機感を煽ったからだとも言われています。
 ネットで、移民は悪いやつばかりだ、移民の中にはテロリストが潜んでいるなどと、確たる証拠もないのに、人を煽るのです。それにより、人はそうだと思い込んでしまうのです。

 どこの国の政治家も、民意だとか、国民の想いなどという言葉を使います。

 彼らのいう民意とか国民の意思というのは、自分たちと志を同じくするものたちのそれであって、国民あまねく全体を指してはいないことは明らかです。
 そうした中にあって、ネットというのは、あまねく国民が何を考え、どういう方向へと行くことを求めているのかを知る上で、極めて有効なツールではあるのです。

 ですから、ネットをもっとたくさんの人が使い、意見を公開することで、「民意」とか「国民の意思」はより正確に把握が可能になるのです。

 さらに、それをよく存知した政治家であれば、ネットでの意見を拾い上げ、行政と掛け合って、それを実現し、さらにネットでその成果を取り上げていけば、ますます支援者は増えて行くはずです。
 つまり、ネットが持つ双方向の、躍動的な、時宜をえた政治が可能になるのです。

 そんなことを考えて、日本の政治が良い方向に進んで欲しいと願っているのですが、お隣の国では、そのネットが不自然な形で、大幅に制限されているということです。

 もっとも、共産党一党独裁ですから、民意も人民の意志も関係はありません。

 唯一、共産党だけが正当であり、すべての国家活動を指導し、人民を導いて行くのです。
 ですから、ネットなどを使って、十三億の民がそれぞれの見解を述べ出したら、それこそ収拾がつかなくなってしまい、それが国家分断、ひいては、かつてのように、中国は再び、混乱の大地になってしまうというのです。

 しかし、今回の党大会のまとめを読んでみますと、そちらはそちらで勝手におやんなさいと行っているわけには行きそうもないようなのです。

 何せ、社会主義現代化強国となり、トップレベルの総合国力と国際的影響力を有する国になり、中華民族は世界の諸民族の中でそびえ立つと謳っているのですから。
 アメリカに匹敵する軍事力、つまり、空母機動艦隊を編成し太平洋に打って出るのです。
 また、一方、辺境の安全保障を確立した上でユーラシア大陸を一手にその手中に入れるというのです。

 人類が未だなし得ていない大陸国家と海洋国家の二つの側面を一挙に手に入れるというのです。
 マハンの理論など屁にも思わない傲慢ぶりなのですから。 

 夢は大きい方がいいには越したことがありませんが、これでは、ちょっと、心配です。

 そこには、民意も、人民の意志も一切お構い無し、あるのは、党と指導者しかいないからです。
 アメリカでも、とんでもない指導者が出ていますが、それには任期があります。
 しかし、一党独裁であれば、いかようにも変えることができます。

 そこが怖いのです。

 「党」のために、自分だけの国ではなく、周辺諸国さえも、「党」の正当性を口実に指図されるのは真っ平御免です。
 彼らが、ネットを目の敵にして弾圧をしてくるのなら、こちらは、ネットを使って、徹底抗戦、遊撃戦を展開するほかありません。

 彼の国の建国の父と言われている毛沢東が編み出した『遊撃戦論』を今度はこちらが活用するのです。

 ネットの奥底から意見を発信し、まっとうな国になるよう風向きを変えて行くのです。
 そんな風にちょこっと思ったのです。





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にんきは、じんき、ひとけ、とも読みます

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つくばの赤松に朝日が差し込んで、幹をさらに赤く染めていました。松の枝は冬を前に黒々として、その上に、朝の月がかかっていました。なんとも、日本らしい風情だと感じました。


 選挙の時期になりますと、「にんき取り⁉︎」政策と言うものが巷に溢れ出てきます。

 教師をしていた時、私学助成の陳情・請願を、地元選出の国会議員が事務所を置く国会議員会館や県の主要政党事務所などに出向き、おこなったことがあります。

 公立学校では、ほぼ、授業料がかからなくなり、私学としては重大問題となっていた時です。
 公立にも冷房が行き届き、先生方も私学のように遅くまで生徒の面倒をみ、長期休暇中も補習をするなど、私学がおこなってきたいろいろな指導方法を、彼らなりに取り入れてくるようになり、そのため、落ち込んでいた公立学校の進学実績が上向きになってきていた時期でもありました。

 私学となんら変わらない教育環境であれば、お金のかからない方がいいに決まっています。
 私学としては、まさに死活問題というわけです。

 幸いなことに、私の地域では、議員さんたちが、よく理解してくれて、大いに努力をする旨返答をいただきました。
 しかし、地域によっては、私学は公立とは違うのだから、自助努力をすべきであると冷たくあしらわれた所もあると全国大会の折に報告がなされ、同じ日本でも、地域によって、さまざまであるなと思ったこともありました。

 ところが、今回の選挙では、ほんとどの政党が、すべての教育の無償化を叫んでいるのです。
 本当に、それを実施するには、大変なお金がかかります。

 政党によっては、消費税のアップに反対、もしくは、導入延期を訴える所もあります。 
 無償化で金がかかるのに、そのための財源を確保しないで、どこから出すのか不思議でなりません。

 しかし、「選挙」であります。
 消費税を上げなくてはたち行かないのですと、駅頭で述べれば、立ち止まる人はいないでしょう。
 忙しい中、無償化、お金がかからない、増税もない、というような言葉が聞こえてくれば、人は立ち止まり、耳をそばだてて聞いてくれます。
 それが人情というものです。
 それが選挙というものです。
 
 日本人というのは、義理堅く、判官贔屓を好む体質を長い年月を使って醸成してきた国民です。

 鎌倉幕府を作った頼朝と、平家を打ち破り源氏に勝利をもたらすも平泉で非業の死を遂げる義経を比べれば、当然、義経に<にんき>が出てくるのは、典型的な判官贔屓ではあります。

 この「判官贔屓」という言葉自体が、義経の逸話に基づくことでもあります。

 弱いものに味方をし、その非業のありようを悼むのです。
 ということは、選挙においても、この論理を活かさない手はありません。
 俺様は選挙にあっては強いのだとふんぞり返っていては、清き一票は得られません。
 ですから、候補者は、常に、平身低頭して、相手の手を握り、時には額に汗して走り、また時には、涙さえも浮かべて、勝たせてくれと絶叫するのです。

 判官贔屓の、心優しい有権者は、その姿にほだされて、一票を投じてしまうのです。

 今回、さまざまな問題を抱えた方々が、立候補をしています。
 待機児童問題で一躍脚光をあびるも、自身の不始末がマスコミに取り上げられてしまった候補、なんともできの悪い秘書に対して、暴言を吐いて、その音声がテレビで流されてしまった候補などなどです。

 厚かましいといえば厚かましいのではありますが、議員として、政治家として、きっと信念を持っているのでしょう。
 ビラを取ってくれなくても、野次を浴びようとも、支援者に頭を下げて、涙を流し、政治家としての矜持を胸に、頑張っているようではあります。

 しかし、いかに判官贔屓好きの国民でも、これらの方々は贔屓の範疇にははいりません。

 ですから、多くの選挙民の同情を得ることは難しいことと思います。
 しかし、そうした悪環境の中で、必死に訴え、土下座し、涙目で見つめていけば、それが有権者の琴線に触れて、それこそこれらの方々の信念は結実することになるかとは思います。

 それもまた、何が起こるかわからない選挙であるのです。

 都知事さんを見て、彼女は言葉の使い方を間違ってしまったなと思っているのです。
 あの都知事選挙の折、都議会のお偉方が、彼女に対して冷たくあしらう姿、あるいは、偉そうに振る舞う姿、あれこそは判官贔屓を引き出す最高の場面でした。
 か弱き女性があのむくつけき男たちの意地悪い扱いに果敢に対しているのです。

 あれを見て、<にんき>が出ないわけがありません。

 まさに、ブームが巻き起こったのです。
 選挙では、一旦ブームに火がつくと、それは燎原の火のごとく広がり、とどまるところを知りません。

 しかし、その彼女も、今回はそうはいきません。
 何せ、「排除」なる言葉をカメラの前で語ってしまったのですから。
 
 「ダイバーシティ(多様性)」「パラダイムシフト(発想転換)」と最先端の言葉を使っては都民の目をくらましてきたのですが、「エクスクルージョン」とは言わずに「排除」と言ってしまったことがどうやら潮目であったようです。

 いじめられ、健気に振る舞う立場から、窮地に陥った政党の議員に対して「排除」「選別」を告げたのです。
 いじめる側に立った人物への贔屓は、この国の国民は持ち合わせてはいないのです。

 そういえば、『人気』には、「にんき」以外に、「じんき」という読みがあります。
 「じんき」とは、気風とか、人の気配という意味です。
 日本人の「じんき」から程遠い発言があれば、そこから人の気配は引いていくものです。

 身を粉にして、国民のために働きたいという信念を持つ政治家に、一票を投じるのは国民の義務であると同時に、当選させた議員を選挙期間中の言葉に二言がないように仕向けていくのも国民の義務であるのです。

 民主主義の国の国民は忙しいのです。

 お隣の中国であれば、人民は黙ってそこに入ればいいのですが、日本はそうではありません。 
 だから、日本国民は、積極的に、政治に関与していかねばならないのです。





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伏せよ、頭を抱えよ、そして、逃げよ!

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毎日、これに向かって、作業をしています。高級な万年筆でもなく、ましてや、硯に筆でもありません。いや、それらは高級とは言えないまでもあるのです。でも、この指先で頭に浮かぶことを打ち込んでいく方法が一番しっくりといくのです。


 国内では、よほどのことのない限り、命のやり取りをする争いがないニッポン。
 まことに平和なニッポンではあります。

 本物の銃の一発も撃ったことのない人々や、武器なるものを家に所有しない人が、何千万と暮らす国でもあります。
 相手をむやみやたらと信じ、非がなくても、ことをおさめるために頭を下げてしまう国、それがニッポンという国なのです。

 以前、カナダのバンクーバーから、陸路、バスを使って、国境を越えて、アメリカのシアトルまで移動をしたことがあります。
 カナダからアメリカに入ると、車線も増え、道幅も広くなったことに気がつき、アメリカとカナダ、似たような国ですが、明らかに国が違ったことを実感をしたことがあります。

 それ以上に、国境で業務にあたる警備員の腰にぶら下がっている拳銃に、国の違いを感じた覚えがあるのです。

 カナダ側ではさほど気にならなかった腰の拳銃が、アメリカ側に入った途端、それが銀色に輝き、大きくなっていたのです。
 日本の警察官の拳銃は、革ケースに収まり、拳銃本体は見えないようになっています。
 カナダでの警察官や国境警備隊がどうであったかは記憶がないので、きっと、日本とまでは言わないまでも、違和感を持つことのないレベルであったのではないかと思います。

 しかし、アメリカではそうではなかったのです。

 カナダとアメリカの国境警備において、あのような大きな銀色をした拳銃が必要なのだろうか、また、なんのためにそれを抜き身で腰に下げているのかなどと思ったのです。

 ソウルの国際空港では、2人一組でパトロールする警察官、いや、もしかしたら軍人かもしれませんが、二人とも同じようなサングラスをかけて、自動小銃を胸に抱えて歩いていたことにも驚きましたが、この時のアメリカ官警の拳銃の輝きには心底驚いたのです。

 そして、シアトルで昼食のために用意されたレストランでは、入り口の分厚いガラス扉に円形状にヒビが入ったあとがありました。
 明らかに銃弾が当たったあとと、それはわかるものでした。

 以来、私は、海外に行く時に、爆発音がしたら、たとえそれが花火の破裂音であっても、走っている車のタイヤがパンクした音であっても、身を伏せるよう心づもりをすることを常としていたのです。

 銃などの武器携行が厳しい、ロンドンの街中でも、フランクフルトの路上でも、常に警戒心を怠らないようにしていたのです。

 さすが、ロンドンのビックベンが間近に見える橋の上で、子供が持っていた風船が破裂した時に、そして、多くの人が行き交う中で、橋の上で伏せることはしませんでしが、その動作態勢に入ったことは事実です。

 私の心づもりでは、伏せたら、次に、頭をかかえるという段取りになっています。

 それが命を守る上で、最も大切な動作です。
 銃を撃つ人間というのは、頭を狙うからです。
 大きく、時に小刻みに動く頭は、本能的に銃を撃つ人間には魅力的なものなのです。

 銃を撃つ際、その機能からして、未来永劫打ち続けるということはあり得ないことです。
 弾切れがあり、銃身が熱を帯び、撃つ本人の手のひらにもその熱がつたわり、撃ちにくくなるのです。
 それが、次に行動を起こすチャンスです。

 その場から身を低くして逃げるのです。
 もちろん、伏せて、頭を抱えているときに、安全な方向を心づもりしておかねばなりません。

 でも、実際には、このような経験がこれまでないことは幸いなことです。 

 この夏、オーストラリアでチョイ住みをしました。
 オーストラリアは銃に関してはまったく問題のない国だと思っていましたが、つい先日、CNNを見てましたら、違法な銃器を引き渡せば免罪すると報知され、5万丁の銃器が回収されたという記事を見ました。

 私がオーストラリアは安全だと思っていたのは、どうやら、不確かな情報に基づく誤った判断であったようです。

 1996年のことです。
 タスマニア州のポート・アーサーで銃乱射事件が発生しました。
 私の記憶でもうっすらとある程度ですが、記事では、この事件で35人が、銃で、殺害されました。

 記憶にある事件では、数年前、シドニーで人質をとって、カフェに立て籠もったという事件がありました。
 この時も、犯人は銃を持っていたはずです。
 今年は、メルボルンで銃撃事件があり、ゴールドコーストに暮らす娘に、街に出た時、爆発音があったら、伏せて、頭を抱えて、爆発音が途絶えたら、一目散に逃げろと話をし、何を言っているのと、笑われたことがありました。

 確かに、娘たちの行動する範囲で、そのような物騒な騒ぎを起こすような場所はありませんが、何が起こるのかわからないのが自然の摂理です。
 CNNの記事にあるように、アメリカのラスベガスでの事件が起きないように、オーストラリア政府が動いたことは当然すぎるといえば当然のことなのです。

 なんでも、回収された武器の中には、拳銃や自動小銃に、それに、ロケット弾発射装置まであったというから驚きです。
 今回、家庭に隠匿してあった武器を出さずに、違法な武器所有が咎められれば、罰金28万ドルと禁錮14年が科せられるというわけですから、きっと多くのオージーが隠匿武器を提出したものと思われます。

 しかし、日本には武器と呼ばれるものがありません。

 文化財の日本刀、それに、警察から認められてスポーツとして銃を保有する人がわずかにいますから、そのくらいが武器です。
 あと、包丁にカッター、最近はスコップもプラスチック製になっていますから、棍棒などもあまり役立たないわけです。

 他国から侵略され、侵略軍に立ち向かうとき、私たちはどうやら、伝家の宝刀、<竹槍>で戦うしか方法がないようです。

 仮に、最新の自動小銃をもらっても、扱い方はもちろん、撃ち方も知りませんから、宝の持ち腐れになるかもしれません。
 それでも、無辜の民を殺害する銃器が野放しになるよりはいいのではないかと思うのです。
 それが、先住の民を駆逐して、国を作ってきたアメリカと日本の違いでもあると思うのです。

 ミサイルが、原爆がと、身につまされるニュースが報じられる昨今、私たちは武器を扱う専門集団の卓越した技量に期待し、私たちは国を愛し、故郷を懐かしむ気持ちを旺盛に持っていく必要があると思っているのです。




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まんざら「もしも」ではないから恐ろしいのです

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長い留守をして、水もろくにやれなかった朝顔。枝も細く、花も小さい。それでも何とか、生き残ってくれました。細い枝が空に向かって伸びようと賢明な気がしてなりません。その細い枝に、いくつかのタネが宿っているのです。これを集めて、来年、ここに撒くのです。きっと、親の世代をゆうに越す花を咲かせることでしょう。



 歴史に「もしも」はないとよく言われます。
 しかし、未来のことを予測する場合、この「もしも」は大手を振って、私たちの脳裏を駆け巡るのです。

 先だって、アメリカの企業が宇宙空間を通過して、つまり、摩擦のない空間を移動することで、東京ニューヨーク間を30分程度で行けるようにすると発表をしました。
 しかも、料金は、現在の航空運賃のエコノミークラスと同程度の額であるというのです。

 もし、これが実現するなら、人類の「旅」なる活動は革命的な変革を遂げることになります。

 船で、時間をかけて、あちらこちらに立ち寄りながら目的地に行く旅から、飛行機で、短時間に、一直線へと目的地へ行く旅へと変貌を遂げた人類の旅は、宇宙空間に出ることでさらなる変化を遂げるのです。

 若い頃、私は京都に出かける時、深夜に東京駅を出る大垣行きの普通列車に乗り込んでいきました。
 朝方、大垣駅で歯を磨き、顔を洗い、そして、京都行きの列車に乗り換えるのです。
 しかし、新幹線が本格的に運用されて行くと、この列車はなくなりました。
 つまり、大垣には寄ることも、そこで顔を洗うこともなくなったのです。

 きっと、ロケットになれば、手荷物の制限は飛行機以上に厳しくなります。
 ですから、大きな旅行バックなどなくなるはずです。
 人々は、おそらく、現地で、そこで旅するために必要なものを購入するか、レンタルするようになるはずです。
 それに、ロケットでいち早く目的地に着くという旅が広範に採用されれば、新幹線が在来線を廃止させたように、これまでの何時間、何十時間もかけて人を運んだ飛行機がなくなるはずです。
 人は、いつでも、早くそこに行ける<マシン>を重視するものです。

 東京ニューヨーク間は、まさに<日帰り>コースになり、世界はぎゅっと圧縮されるのです。
 
 この話はまったく不可能な夢物語ではないと思います。
 おそらく、近い将来、私の孫たちは、このロケットで世界を行き来する時代を謳歌するはずです。

 もっと、もしもの場合の話を、より現実に近づけて、考察していきたいと思います。

 例えば、日本で、政権交代が実現したらという想定です。
 今、世界は、その傾向が現実化してもおかしくない時流の中にあります。

 どういうわけか、民衆というものは、頭のいい人たち、すなわち、エリートと呼ばれる人たちを毛嫌いします。
 彼らは、特権を手にして、悪いことばかりしているとして、時に、彼らを批判する人たちが人気を博し、政権を奪取するという歴史を私たちは幾世紀にも渡って体験をしてきています。

 現在では、あのアメリカがその歴史を踏んでいます。
 しかし、見ての通り、エリートを排除した政権はなすすべもありません。
 エリートは、民衆の考えたことや希望することのすべてを実現することはできませんが、しかし、可能な限り、その実現を果たそうと努力してきました。
 歴史上、エリートと目される明智や石田を見るまでもなく、日本の官僚機構を見れば、それがよくわかります。

 すべてとは言いませんが、多くのエリート官僚がその精神を持って、実現に向けて取り組むことのできる人たちなのです。

 今、現政権がそのエリート集団であるとレッテルを貼られ、自分たちの生活が上手くいかないのは彼らの責任であるという「意見」が、疾風のように流され、選挙で敗北する可能性さえもなきにしもあらずという状況があるのです。

 もし、現政権がなくなれば、新たな政権は誰を首班に持ち出してくるのでしょうか。

 まさか、自ら瓦解を宣言した政党から選ばれるとするなら、それこそ、世界から笑われます。
 背水の陣の勝利だとか、身を切って浮かぶ瀬もあるなどのたまわれてはたまりません。
 なぜなら、先の政権交代で彼らがしたことをよく知っているからです。

 では、このところ急進している政党の党首がたち、日本初の女性首班かとも思いますが、日本では国会議員ではないと首班指名を受けることはできません。
 もし、この方が東京を散々にいたぶり、国会に打って出たなら、それこそ一千万都民の支持の大方を失うことになるでしょう。

 それとも、共産党が革命的な勝利を収め、日本に初の共産党政権が誕生するのでしょうか。
 あるいは、野党連合が誕生し、思いもしない方が日本を仕切るようになるのでしょうか。

 そうなれば、虎視眈々と尖閣に狙いを定める中国は、これをいいことに、海軍を派遣してくるでしょう。
 日本は、日中友好という美辞麗句を弄しながら、尖閣を手放すのです。
 ロシアも、北方領土の経済開発を日本企業にやらせるだけやらせ、結局は、返還をすることなく、なし崩し的に占拠を続けるでしょう。
 アメリカは、日本との形式ばかりの同盟関係を保ち続けますが、かつてのように協力をすることを拒む政権に対して、困惑し、単に、紙の上での同盟関係にすぎない薄っぺらの関係になって行くのです。

 そして、エリートを排除することに執心する政権は、決め手を欠く政策により、政治は混乱と批判の中で瓦解して行くのです。
 そんな「もしも」を想像してしまうのです。

 9月の半ばでしたか、アメリカの防衛大手であるグラマン社が、ロケットやミサイルを作るオービタルATKを1兆円を超える額で買収しました。
 なんということのないニュースですが、ちょっと、気になるのです。

 アメリカは、何かを始める時、より強力な防衛産業を求めるからです。
 また、アメリカの経済人も、<儲かる時期>を本能的に察するからです。
 そして、トランプは話し合いを模索する自国の国務大臣の発言に対して、時間の無駄であると一蹴する言葉を自ら発したのです。

 米朝関係危急存亡の時期に、議会解散という伝家の宝刀を抜いた我が国の総理、もしかしたら、トランプから、ある内緒事を耳元で囁かれているのかもしれません。

 <そろそろ、やるぞ>と。

 あぁ、恐ろしき、「もしも」の想像ではあります。

 でも、まんざら「もしも」ではないかもしれないという気もするのですから、ますます、恐ろしいことではあるのです。


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安いものには目がないけれど……

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ゴールドコーストで垣間見た建設労働者たちのシュプレキコール。何を言っていたかはわかりませんが、その前を中国人観光客が振り返りながら通りすぎていったのが印象的でした。なぜかって、それは権力に物申す自由の有り無しの対比がそこに見て取れたからです。



 自宅から車で15分のところに、ユニークなスーパーが新店舗をオープンさせました。

 魚は種類も多く、というより、この辺りのマーケットには出ないような魚が店頭に並び、その上、値段がさほど高くはないのです。
 魚ばかりではありません。
 そのほかの、各家庭で日々使う食品も、周りのこれまでのスーパーと比べて、確かに安いのですそれに、営業時間も他店よりは1時間ばかり早く設定されているのです。

 となれば、当然、客はこの店へと流れていきます。

 この業界も大変です。
 客に来てもらうためには、身を切る努力をしないと、競争に負けてしまうのです。
 当然、他店も目玉商品を用意し、そのため、新聞に挟まれてくる安売りのチラシは、どれもけばけばしい数字が並ぶようになりました。
 客も、もちろん、あそこではこれを買い、こちらではあれを買い、と努力をします。

 人間、やはり、安いものには目がないのです。

 でも、日々、毎日使うものであっても、安いばかりが能ではないという品物もあります。
 例えば、私にとって、パソコンは必需品です。
 MacBook Proは、小脇に抱えられて、私の書斎を私ともに常に行き来しています。
 27インチiMacは、私の机にどんと置かれ、威容を誇っています。
 最近は、随分と疲れ気味で、使う頻度も少なくなりましたが、それでも、毎朝、スイッチを入れて、ご機嫌を伺っています。

 面倒くさがり屋の私は、最近、絵具を出したりするのが面倒で、もっぱら、絵をiPad ProとApple Pencilで描いています。
 それに、iOS11が新たに設定され、この機器も従前に増して使用頻度が高くなって来ています
 もちろん、iPhoneSEは常に身近かくに置かれ、情報収集の大切な機器であることに変わりありません。

 以前、学校で生徒たちにタブレットを持たそうという議論になり、その際、私が導入を強く主張したiPadが却下され、台湾の製品が導入されました。
 その理由は、価格が安いという一点だけでした。
 提供されるソフトや使いやすさは一切無視です。

 スーパーで安い品物を物色する私ですが、人の価値を高める機器については、それは安物買いの銭失いだと思っているのです。
 第一、生徒のことを考えていない、と私は今でもそう思っているのです。

 私は、Appleの回し者ではありませんから、別に、Appleの製品をことさら褒め称える気はないのですが、一つだけ、あえて、褒めるとすれば、この会社の品物は安売りをしていないということです。
 台湾の会社の製品は、100台、200台と購入すれば、半額とまでいかなくても、それに近い額の値引きが可能なのです。
 しかし、Appleはそれをしません。

 値引きをしないということはいかなる意味があるのか、それを説明することは容易ではありません。

 なぜなら、企業の内部事情を私はよく知らないからです。
 ただ、値引きをしない企業の、ものを作り上げる矜持、ものへの絶対的な自信が、そこに感じられるのは確かです。

 ですから、それを使うことは、自分に対する誇りにもつながり、それを使って生み出されるものへの自信へと自分を導いてくれる、そんな気がしているのです。

 Macだろうが、そのほかの機器であろうが、手慣れた方で作業をすればそちらの方がいいに決まっています。
 ですから、絶対的に、これだという確信がないことも、説明を容易にはさせてくれないものだと思っているのです。

 実は、私には、もう一つのこだわりのものがあるのです。

 カバンです。
 銀座のカバン店で、イタリア製のカバンを買って来たり、シカゴに立ち寄った時、Macを安全に持ち運ぶのに丁度いいバックを見つけ、即座に購入をしたり、ロンドンでは布製の大きめのバックを買ったり、あるいは、ちょっと使いづらい個性の強いカバンを持って、悦に入る自分がいましたが、今は、それらのカバンは棚の隅に片付けられています。

 中には、一回しか使わないカバンもあり、無駄なことをしたと後悔の念しきりなのです。

 その中で、今でも、ちょっと出かける時、そして、財布を失くして以降、それまでの長財布をやめて、小銭入れを使うようにしていますが、それらの小銭入れも、ふと、気がつくと同じカバン会社の手縫いの、ちょっと高価なものを使っていることに気がついたのです。

 その会社の社長さんが一文を新聞の投稿欄に寄せていました。

 原則、私たちは値下げをしないという信念を持っています。
 なぜなら、定価で買ってくださったお客様に申し訳ないからです。
 と、その存念を述べているのです。

 これだけなら、客におべっかを使っているだけと思っても仕方がないのですが、さすが、社長です。
 さらに、こうも書いてあって、これこそ私の信念と一致すると思った箇所がありました。

 それは、値下げすることは、自分たちの作って来た製品のブランドイメージを崩すことであり、何よりも「処分する」というということにつながり、絶対にできないと述べていたことです。

 安ければいいものと、そうでないものがあり、私たちはその見極めが大切なのです。
 この会社の製品は、世界で評価されています。
 品物の出来の良さ、丈夫さ、デザインの素晴らし、それに、安売りをしないという製品へのこだわりがあるからです。
 何事も、誇りというものが大切なのです。

 私は、海外に出かける時、日本のパスポートを誇りを持って提示しています。
 だって、我が国は、誇りを持つに値する国だからです。

 他国を愚弄したり、他国が嫌がることをことさら声高に述べたり、あるいは自己主張のために他国に嫌がらせをしたりする国ではないからです。

 そんなことを念頭に置いて、提示すると、相手の国の係官も、私の提示するパスポートに畏敬の念を持ってくれていると感じるのですから不思議です。

 彼らは法に基づき、厳正に対処していますから、国によって色分けすることはないのでしょうが、しかし、やはり人間ですから、心の奥底には、人間的なあまりに人間的な好悪の判断が働くはずだと、私は思っているのです。

 ですから、正々堂々と渡り合う我が国のあり方に対して、一目を置くはずだと考える私のあり方もまんざら嘘でもないのです。

 誇りを持つことは、意外に、人を向上させる一具ではないかと私は思っているのです。


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Author:nkgwhiro
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《10/22 Sunday》

‼️現在、<Puboo!><Facebook>で、金曜日に発信した作品を公開しています。‼️

❣️<Puboo!>にて、『だから、朝は素晴らしいんだ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『Mermaid beach at Gold Coast. - The forcing look blows and is no swimming allowed on this day. I was walking a beach. When I try to take a picture of a no swimming allowed flag's trailing along in a wind, one man has begun to come near the field and take a picture of the skyscraper group. That makes a picture.
美人鱼海滨於黄金海岸。- 强的风吹,这天是游泳禁止。我,走着在海滨。我,预先打算拍下来游泳禁止的旗在风上密布的话,一人的男人为田地的荞麦面来,开始拍高层群的照片。那个如画。』を公開しました。

❣️<Twitter>では、『ものかき』と銘打って、朝と晩『つくばの街であれこれ』の更新情報をつぶやいています。朝は、その日の記事について、晩は、明日の記事についてのつぶやきです。

⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

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