闊歩する言葉

9jn3y56vjg,foa;p
外国と日本の違いはと問われれば、海のすぐそばに高層ビルがあるかないかと答えてもいいのではないでしょうか。地震のあるなしが、街の風景を決めているのです。でも、もう一つあるんです。海に匂いがないのです。日本の海には、匂いがあります。潮の匂いであり、海産加工の匂いです。サーファーズの海岸、雲の一つもない空、少ない人……日本の海もいいですが、これもまたいいものです。


 言葉に関しては、あまり人のことをあれこれと言えない私です。

 いや、私ばかりではありません。
 誰もが、そうした経験を持っているはずです。

 触れて欲しくない、思い出すのも嫌な、あの一瞬です。
 不用意に言葉を口に出してしまったこと……。
 気持ちとは裏腹に思いもかけない言葉を発してしまったこと……。
 相手をいたぶる気などないのに下劣な言葉で相手を非難してしまったこと……。

 数え上げれば、きりがないほど、赤面してしまう場面を、誰しもが経験しているのです。

 遠慮のない子供が、ハゲのおじさんを見て、ハゲと言うのと、それは異なります。
 太ったおばさんを見て、デブというのとも違います。
 子供は遠慮がありません。
 思ったことを口に出すのが子供であり、そこには、相手を愚弄する意図などこれっぽっちもないのです。

 次第に、世間のことがわかる年齢になると、さすが、子供でも、「遠慮」が出てきます。
 まさに、「遠きを慮る」気持ちが、自分の口から出そうになる言葉を飲み込ませるのです。

 にもかかわらず、人間は、なにゆえに、取り返しのつかない言葉をその口から発してしまうのでしょうか。

 大人といっても、世間に出たばかりの、若者は、世間のことも知らず、周囲のこともわきまえることができずにもいるでしょう。
 だから、大きな顔して、これ見よがしに言葉を弄することもあります。
 間違った言葉遣いをすることもあります。

 しかし、そうした言葉を発してしまったことを深く省みて、これではいけないと思うのも、若者の特権です。
 ですから、世間の人は、青年の発言には、たいてはおおらかに対処するのです。

 私は、教員でしたから、そうした生徒の行き過ぎた言葉のありように随分と接してきました。
 教師を権力の象徴のように考え、反抗してくる生徒もいました。
 よくよく、説諭しないと、社会に入って、批判ばかりするろくでもない人間になってしまいます。ですから、時間をかけて、気長に、話をして行きます。
 もちろん、そういう生徒は、すぐに改まるということがありません。
 持っている病根は深いのです。

 昨今、教育の成果を急ぎ過ぎて、牛の角を矯めるような指導をしたがために、生徒が命を落とすという事件もありました。
 これは教育をしようとする焦り、教師の驕りから出た悲しい事件です。

 教育とは、伸びようとする生徒に、手を貸してやることです。

 学校で、教育ができなくても、次のレベルで教育はなされます。
 ことを急いては教育もへったくりもありません。

 社会、と言いましたが、すべからく社会なるものが、教育を果たしているかと言いますと、そうも言えません。
 だったら、お前さんのいう教育というのは、その場所しのぎ、いや、放棄ではないかと思われるかもしれません。
 でも、そうではないのです。

 社会、世の中には、「反面教師」という立派な教師がおられるのです。

 例えば、都知事さんです。
 立派な方で、努力をされてきた方ではあると思いますが、知事とか、首相とかは権力の柄を手にした方です。そういう方というのは手にした柄を振り回してはなりません。

 これは、世の中を渡る上での鉄則です。

 しかし、都知事さんは、その柄を振り回してしまいました。
 「排除」という言葉にある、傲慢さと不寛容さを、きっと、多くの人が学んだことだと思います。

 アメリカ大統領も、しょっちゅう、私たちの反面教師になってくれています。

 どっちが頭がいいかなど、私たちは知りたくもありません。
 頭の良し悪しで、人は判断できないからです。
 それなのに、国務長官にバカ呼ばわりされ、これ以上、政府の要人に辞められたらどうしようもないから、ここは我慢して、しかし、言葉では、その国務長官とIQ検査をして、どちらが頭がいいか、もちろん、自分だと雑誌のインタビューで語っているのです。
 これを読んで、さすがに、アメリカ大統領だと思う人はいないでしょう。

 そういう言い方をすれば、さげすまされるということを多くの人が学んだはずです。

 環球時報を見ていましたら、日本がイギリスで走らせている列車が「水帘洞」だと書いてありました。
 「水帘洞」ってなんだと調べてみると、小さな滝の穴と出ていました。
 日本の新聞でも、日本の企業が製造した車両が、鉄道発祥の地で走るという誇らしげな記事を読んでいましたから、何事かと記事を読み進めて行きました。
 つまり、初めて走った列車の空調がうまく作動せず、そこから水が落ちてきたというものです。
 きっと、日本企業のことですから、技術者が乗り込んで、即応したかと思うのですが、記事はそこは書いていません。ですから、乗っていなかったのかもしれません。

 これなどは、反面教師というものではありませんが、隣国の良くないことをこれ見よがしに書き立てるという点では、自分たちがそうならないよう、また、書くにあたっては、もう少し、客観的に、中立的に、書くべきであるということを教えてくれるのです。

 日本の新聞のコラム欄に、ボストンの近くにあるケンブリッジ市のことが出ていました。

 ここにある大学の一つで、私は2回ほど、夏休みを使って、生徒の英語研修の引率に行ったことがありますので、興味を持って読んだのです。
 全米一、安全安心のある街として、私が出かけていた頃から言われていたところですが、コラムには、「You are safe here.」と書かれたポスターがいたるところに貼られていたというのです。 

 そこには、このような文言があったと言います。

 ……歓迎します。どんな人種も、どんな宗教も、どの国の生まれでも。
 ……どんなセクシャル・オリエンテーションのひとも(もちろんLGBTも)、どんな性別でも。
 We stand with you. と。

 これがトランプが大統領となっている国のポスターなのです。

 公然と、大統領の政策に反することを正々堂々と打ち出すのです。
 日本で、政治家の演説に対して、それを妨害するようなヤジをとばすのとは、少しわけが違うと感じました。
 己の意見はこのように静かに、しかし、強烈にすべきものだと教えてくれているようです。

 この世の中、まんざら捨てたものではないと、私はこのポスターを見て思ったのです。





人気ブログランキング
スポンサーサイト

ペルム紀の憂鬱

mjndhbkit5itfghauisodkaf9
縁取りの綺麗な花、ロビーナのチョイ住みしていた家の近くに咲いていた花です。暖かい日差しを浴びて、花が気持ちよく咲いていました。このところの秋の長雨、気分も憂鬱になります。



 地学というつまらない科目、と言っては語弊がありますが、実際のところ、私は面白いと感じたことはなかったのです。

 岩石標本を見せられても、だから、どうなのと、素っ気なく思うしかありませんでした。
 地学のテストでは、石のスケッチを見て、それが花崗岩であるとか、雲母であるとか、石英であるとか、まるをつけて、すぐに終わってしまいます。
 さて、後の時間をどうするかともてあますことが多かったのです。

 教員になってからも、私は国語の教科担当でいつも職員室の片隅にいましたが、理科の教員たちは、専用の実験室があり、それに併設する準備室で教材準備や実験準備をするので、この科目の先生方とは、さほど交流も生じなく、だからというわけではないのでしょうが、一向に、それらの科目とは縁遠いものでありました。

 ある時、10分もすれば試験が終わるような試験問題はいかがなものかと職員会議で問題提起され、議論をしたことがあります。

 国語は、生徒にとっては、時間が足りないくらいで、問題量を適正に減らすにはどうしたらいいのかと頭を抱えるのですが、理科や社会などは、記述式の考えさせる問題を出しても、答えを書かないと担当の教師は嘆きを伴って言うのです。
 生徒にとっては、一夜漬けしてきたマルバツ式だけを答えておけば次第点を取れるのですから、わざわざ記述式を解いて、主要教科で点数を落とす辛酸は舐めたくないと思うのも、よくわかるのです。
 だから、彼ら理科などの教師にとっては、これは悩める問題であったのです。
 
 国語なら、漱石先生の面白おかしい話をしてやったり、平家物語の切なさを訴えたり、いかようにも講義に幅が持てますが、科学においては、そんなハッタリも効きませんから、理科や社会の教師というのも大変だと思った記憶があります。

 最近、土曜の夜に、NHKで面白い番組が放送されていて、それを見ているのですが、地学というのがこれほど面白いものかと改めて思うようになっているのです。

 中学生や高校生の時の、あのつまらない授業がこうも興味をそそり、もっと言えば、平面的であった地学が、こうも立体的になるものかと感心もしているのです。
 番組を盛り立てる著名なコメディアンが持つ知性と見識も素晴らしいですが、それを構成し、製作するディレクターもすごいと思っているのです。

 今の学校は、生徒にiPadなど、個別に機器を持たせ、映像をふんだんに使って、理解の促進を図りますから、私たちの時代と違って、子供たちは、立体的に、理科や社会の勉強ができるのではないかと思っています。
 
 そんなことに感心をしていた私でしたが、つい先日、何の拍子か、<ペルム紀>なる言葉がふと浮かんできたのです。

 普段、使わないし、想起さえもしない言葉です。
 きっと、どこかで耳にし、あるいは、学生時代に先生から聞いた言葉であったのかもしれません。
 一体、どういう意味かと調べますと、私が学生であった頃は、これを<二畳紀>と言っていたと言いますから、勉強もしない愚かな高校生であった私は決して耳にすることのない言葉であったというわけです。

 では、この<ペルム紀>なる言葉、どうして、私の脳が急に呼び覚ましたのでしょうか。
 
 で、<ペルム紀>というのはどういう時代であるかというと、古生代の最後の紀であり、まだ、地球を支配する恐竜も現れていない時代、陸地は赤道、南極、それに今のシベリアあたりにあり、それが移動を始め、衝突をするという何とも劇的な、と言っても目に見えるようにぶつかるのではなく、徐々に、気がつかないくらいゆっくりとぶつかる、そんな紀であったというわけです。

 今私たちが使っている石油などの化石燃料の元になる生物たちもまだいないのです。

 せいぜい、<ペルム紀>の前に<石炭紀>というのがあって、その名前からわかるように、この紀に、大量の大型化した樹木が私たちが使う石炭になるのです。
 その大型の樹木が倒壊し埋もれている時代が<ペルム紀>なのです。

 大型樹木ばかりではありません。
 地球をカバーする成分が影響を与えたのでしょう、地球は暖かく、その後の生物の先祖となる生き物も巨大化していました。
 それらの大きな生き物たちが生息する地球に起こったのが、地球の歴史上、最大級の火山活動であると言われているのです。
 火山からマグマが噴出するというのではないのです。平地から、海から、至る所からマグマが噴出したと言います。

 ですから、地球上にあった樹木や大型の生物の実に95パーセントが絶滅したというのです。

 私はこれらの調べ物をしていて、きっと、あの震災の時、生徒たちに何かを語ってやろうと思い、その時、この<ペルム紀>のことが頭に入ったのではないかと推測しているのです。

 地球は、穏やかな星です。

 太陽の程よい光線を受け止め、生き物が生きるに適正な空気があり、それに、命を生む海もあります。
 空は青く、海も青く、陽の光は赤く、それが朝日や夕日となり、私たちの心を和ませてくれます。

 その生き物が生きていける場としての地球で、私たちは生きているのです。

 そんなことを思い始めると、もっと、地球を大切していかなくてはといけないと思うのですが、それより、もっと、地学を面白く学び、子供達が地球を大切にする気持ちを持たせることが理科の教師の役目であると思うのです。

 会議ではろくな意見も出せなかった私ですが、今は、そんな意見を出せるようになったのです。





人気ブログランキング

この顔が悪用されるって

,kjlrhvぃy45698498rpj
画像が幾分歪んでいます。これは、道端に設置された丸い鏡からそこに映る光景をカメラで撮ったものです。多少歪んだ世界がか鍵の中にあるのです。はて、現実はどうでしょうか……とそんなことを思いながら、早朝の散歩を続けたのです。

 つくばに居を構える田舎者なので、世の中で行われていることでピンとこないことがままあるのです。

 例えば、ネット上で、私はこの顔をさらけ出しています。
 いや、むしろ、顔を示すことで、自分の意見を言うことに嘘偽りなし、正々堂々我ありと公言している(つもりな)のです。

 それを娘などは、危険だというのです。

 何が危険なのか、それがつくばに暮らす田舎者の私にはわからないのです。
 私の顔が、どこかで悪さをしたやつが、自分はこの顔だって言い張って、なんの得があるのかと思うのです。
 そんなこと、本当かそうでないか、すぐにわかってしまうはずです。

 プライバシーの侵害に関わるという記事もまま目にします。

 確かに、自分が何を考えているかを、ネット通販で発注したもので悟られ、それを買えと広告が私のSNSなどに頻繁に出てくるのは困ったことですが、それがプライバシーとどう関わってくるのか、それも今ひとつ分からないのです。

 私が、知る人ぞ知る有名人であれば、話は多少違ってくるとは思いますが、私は正真正銘の「無名人」です。

 ですから、カメラに追われることはないし、街角で手鼻をかんでも、くしゃみをする際に大胆に空に向かって、体全体を使ってしても、誰も気にはしないのです。
 せいぜい、嫌なオヤジだくらいにしか思わないでしょう。
 ところが、盛んに危険だと言っているのは、娘ばかりではなく、いや、それ以上に、新聞などの論調が声を上げて盛んに言っているのです。

 自分が自分であることを立証するという、普段は気にもかけないこと、それが現代では必要性を高めていると言うのです。

 昔、刑事ドラマを見ていて、指紋から犯人を追い詰めていくストーリーがありました。
 指紋というのは人それぞれ違うんだ、この指の普段は気にもしない紋様が私自身を特定するんだと面白おかしく思ったものでした。
 刑事が、喫茶店に入って来て、マスターに警察手帳を見せ、ポケットからおもむろにハンカチを出して、テーブルの上のコップを持って帰る、そこには犯人と思われるであろう人物の指紋がついているというような筋書きのドラマをみて、すごい技術だと感心したものです。

 でも、よくよく考えてみれば、犯罪に関与したとか、ある特殊な場面でしか、指紋判定というのは使われないわけです。

 それでも、ドラマを見ていると、自分を犯罪者に仮託したりもするのですから面白いことです。
 そんなテレビドラマを見て、指紋を隠すために手袋をしたり、故意に指紋を潰したりと犯罪も知的になっていくのですが、そうなれば、今度は、網膜で個人を特定するとか、DNA鑑定だとか、捜査テクノロジーは犯人を特定するのに大いなる進歩をしていくのです。

 それとても、よくよく考えてみれば、私が宝石店に押し入ったとか、私に私生児がいたとか、そんな事態にならなければ、無用なことなのです。

 しかし、新聞の論調がやかましく書きまくるのは、犯罪ではなく、個人認証が随分と日常生活に入り込んで来ているからなのです。
 確かに、ついこの間訪れたゴールドコースト空港では、混雑する入国審査の窓口より、機械の前に立って、写真を撮られた方へ回された方が、早く手続きがすみました。
 それを嫌う人は、根気よく係官の審査を待つことになります。

 つまり、私は、現在の私の写真を撮られ、パスポートに貼られた10年前の私の写真と顔が一致することで、私が私であることを認証されたのです。

 オーストラリアに暮らす娘は、信号のある交差点で停止線をオーバーして、後日、車のナンバーと運転席にいる自分の写真とが郵便で送られて来て、違反通告を受け、たいそうな額の罰金を払ったと言います。
 確たる証拠を突きつけ、有無も言わさず罰金を与えるのです。

 中国では、同じように、信号を無視して道路を横断する人の姿を、人が沢山いる目立つ場所に設置されている大型スクリーンで映し出し、すでに顔からわかっている氏名と住所もそこに示すと言います。
 一罰百戒!
 見せしめのような取り締まりで、私は好きではありませんが、それでも、中国の運転マナーの悪さ、交通事故の死傷者をなくすにはこれが今の所最善の策なのでしょう。

 それでも、自分がいけないことをしながら、注意を受けたことを根に持って、相手の車に対して、危険極まりない嫌がらせをする犯罪者ならともかく、安全を確認して渡った歩行者を見せしめにするなんてと思ってしまいますが、違法は違法ですからと納得もするのです。

 なんでもNASAの研究員が、人の顔ではなく、歩く姿で個人を特定する技術の開発に取り組んでいるようです。

 「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」とは、何をやっても美しい女性のことを言ったとは思いますが、これからは、歩く姿から、認知症になって徘徊し、自分が何者であるかをわらかない人の身分特定に使われるというなんとも無粋な、しかし、ありがたい研究がなされているのです。

 しかし、NASAが研究するのですから、人の歩く姿から、その人物の宇宙飛行士になればいいかどうかの判断に、ひいては、個人が持つ特殊な技能、個人の本来所有している性質などが、歩く姿から判断されたりするのではあろうと思います。
 しかし、私など、これが実用化されば、役所や企業の面接試験の際に、歩かされて、この人物は怠け者だとか、この人物はよく働くなどと判定されるのではないかと勘ぐってしまうのです。

 で、そうであれば、歩き方を専門に教授する商売が繁盛したり、学校でも、進路指導部に歩き方研究会が作られ、生徒に歩き方を教えたりするなど、さらに勘ぐるのですから、しょうもありません。

 昔、日本海軍では、骨相を見て、長生きの相を持っている人物をゼロ戦のパイロットにしたと言う話を聞いたことがあります。
 その話をしてくれた人は真珠湾で戦い、ミッドウェイ海戦で空母が撃沈され、やむなく海面に着水し、駆逐艦に救助され、その後の3年にわたる太平洋戦で生き残り、戦後、90歳余りまで生き延びた方ですから、骨相は当たっていたと言うことになります。

 歩き方に対する私の勘ぐりもまんざら勘ぐりではないのかもしれません。

 顔の似たものは、この世に3人はいるなどと都市伝説のような話を聞いたこともありますが、技術開発が進み、プライバシー権の侵害であるなどと声を荒げても、実際の生活に活用されるのが当たり前になっている現状であれば、どうでしょうか、いっそのこと、各自、それぞれの顔を晒していっては。

 これが私の顔です。
 そうすると、かえって、ぼかしを入れられたりする方が、この人悪いことしているなんてことになるかもしれません。
 
 匿名性をことのほか大切にする人の中には、それを悪用して、汚い言葉で中傷を仕掛けてくる人もいますが、顔が大ぴらになれば、そんな悪い奴もいなくなるはずです。

 この文章、娘に読まれて、バカなことを言っていないでと、ラインで叱られるのではないかとは思っていますが……。
 正々堂々というのも、なかなかに辛いものがあります。





人気ブログランキング

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

思い切り息を吸って、街を住みこなすのだ

,;nrhgbnrgfb39yhjr
幼児の声が響く幼稚園の運動会、万国旗がはためく中、園庭の枝にも、「万国旗のような葉っぱ」がありました。見方をちょっと変えれば、葉っぱも旗に見えるから不思議です。私たちはいつも、ものにはいくつもの見え方があるということを理解していないと、軽率で、愚かな、安っぽい批判をしてしまうのです。自戒をし、その「万国旗のような葉っぱ」を見たのです。



 私は、相反する時代を、生きて来たのではないか、と思う時があるのです。

 どういうことかと言いますと、私が子供の頃のことです。
 東京近郊一帯に大きな造成工事がなされ、そこに「団地」というコンクリートの箱型の建物が続々と建設されていったのです。
 いうまでもなく、地方から東京に押し寄せてくる人口増に対応すべく建設されたものです。
 急成長を遂げる東京は、多くの働き手を必要としていました。
 この時の日本人にとって、東京に出てくれば、そこに豊かさがあった時代だったのです。

 私のように、ずっと東京に暮らしていた家の者にとって、ピカピカの出来立てホカホカの団地では、台所はキッチン、茶の間はリビング、便所はトイレ、それも水洗、まったくもって、羨ましい限りの住環境であったのです。  
 豊かさとは、こういうことを言うのだと、子供心にも思う時代であったのです。

 爺さんの代からの社宅住まいであった我が家は、50坪と言う敷地の広さこそありましたが、木造で、当初は風呂もなく、水洗トイレなど想像もできない環境でありましたから、友人に団地住まいがいると、ちょっと引け目さえも感じていたのです。

 ところが、今、それとは真逆の時代が、私の目の前にあるのです。

 日本の人口が減り続けると言うことは子供がいなくなると言うことです。
 そして、老いた大人が、医学の発展と栄養学の向上で、必然的に長生きすると言う時代を迎えています。
 このような状況では、かつてのように、新たに土地を造成して、ニュータウンを作る必要などさらさらありません。
 地方から人を呼び込むほどの飛躍的な経済成長も見込めない時代です。
 第一、もはや、地方には、働き盛りの人がいなくなっています。

 当時、最新の設備を誇った団地は当然のごとく古ぼけました。
 今、そこに住まうのは、昭和日本の発展のために働き、子供を育て上げた老いた夫婦、もしくは、夫や妻に先立たれた人たちであるのです。
 悲しいことに、東京はかつてのように大量の人を必要としなくなりました。
 人口は減り、建物は古ぼけ、歳をとった人たちだけが目立つ街になっていったのです。
 
 大学の建築学の教室も、その講義は変容を遂げています。
 いかに、多くの人を住まわせる住宅を作るのかではなく、いかに、山野を造成し、宅地を確保するかではなく、空き家の増えた街、人口の急減した街、世帯構成が最小単位になった街をいかに再生するかに重きが置かれているのです。
 建築学というより、建築計画学、あるいは、街再生学ともいうべき研究に重きが置かれているのです。
 
 なんだか、随分と夢も希望もない話になってしまい、書いている私自身も、正直、気が滅入ってしまいます。

 ところが、先だって、東京が「世界都市ランキング」で、ロンドン、ニューヨークに次いで、第3位を昨年に続き獲得し、第2位ニューヨークとのポイント差が大きく縮まったというのです。

 狭い了見で、目先のことばかりを見て憂鬱になっていると、そうではない局面があることを忘れてしまいます。
 常に、物事というのはいくつかの局面を持って進化していくという鉄則を思わず忘れてしまうところでした。

 昨年、あのパリを抜いた東京は、文化や交流、つまり、コンサートや観劇、美術館などの文化活動で評価されたのです。
 そこにはテロなどからの安全性も大きく寄与していたに違いありません。
 また、交通の面での利便性も大きく寄与しています。

 確かに、東京だけではなく、日本では電車は決まった時間通りに運行されていますし、そのせいか東京では車はかえって不便です。地下鉄を使えば、どこにでもいけるのです。
 それに、公共交通機関の乗り居心地は抜群です。

 それがパリを抜き去った要因であるのです。

 では、ニューヨークを抜いて、2番になるにはどうしたらいいのかと言いますと、経済面での優位性を確保することが第一です。
 その一つの方策に、法人税をアメリカがこれからするようにもっと格段に安くするのです。
 税金は国民からではなく、儲けている会社から取れと主張する政党もありますが、大きな間違いです。
 狭い了見で目先のことばかりを見ていると、日本経済は憂鬱な状況になってしまいます。
 そうではなく、世界で儲けている企業にどんどん来てもらうのです。
 そして、有能な働き手である日本の若者が働く場を作っていくのです。
 そうした企業が東京に来れば、日本で遅れているという女性の社会進出も促されていくはずです。
 待機児童の問題も間接的に良くなる傾向を持ち得ます。なにせ、女性が働きに出るわけですから、都が動かなくても、企業が動きます。
 そうなることで、日本が遅れがちであると指摘されている、社会的自由度、公平性、平等性が確保できるのです。

 久しぶりに東京に出かけました。

 たくさんの外国人が街を闊歩しています。
 思い思いの姿格好で、私たち日本人に好奇の目を送ってくれています。
 老人ばかりの街だなんて誰が言ったんだと思いたくなるくらいの様相です。
 街中の店は外国人が落とすお金で潤っているはずです。
 観光地は嫌になるくらいの混雑です。

 狭い了見で目先のことばかり見がちな自分のありようが恥ずかしくなります。

 TXに45分、揺られて、喧騒の東京から閑静なつくばに戻って来ます。
 空気の良さ、景色の良さ、人の少なさ、田舎都会ともいうべき環境に、ここが私の暮らす街なんだと思い切り息を吸うのです。
 それは、つくばの街でも東京でも、余計なことを考えずに、今ある街を住みこなすことが一番大切なんだと気が付かされる空気のうまさだったのです。





人気ブログランキング

ピンポイントで攻めてくる<あれ>

lkogvydv57uvbjgu628ljm,
ロビーナにチョイ住みしていた時、カナダから移民して来た道向こうのお隣さんが道に面した前庭に作った「鳥の楽園」です。きっと、カナダでは滅多に聞くことのない鳥たちのさえずりと、色とりどりの鸚鵡に感激して、作ったのではないかと推測しているのです。素晴らしい庭でした。



 最近、SNSを見ていて、あれっと思うことがあるのです。

 実は、この夏、ゴールドコーストに行くにあたり、携帯Wi-Fiの機器について、ネットで調べたのです。
 娘が出産する病院に、その娘や孫を送り届けるために、娘の車にはカーナビというものがないので、Wi-Fiを使って、iPhoneをカーナビ代わりにしようと考えたのです。

 3歳の孫がキンディに行っている間、地元のバスでサファーズに出かけていったり、ゴールドコースト観光の定番であるトラムにも乗って、ちょっと出かけてみたいとも思い、その時のためにWi-Fi機器を手に入れようと調べたのです。

 結局、娘のところに、携帯のWi-Fi機器があり、これにどこでも買えるSIMカードを入れれば使えるということがわかり購入はしなかったのですが、最近になって、私のTwitterやFacebookに出てくる広告に、「オーストラリアでWi-Fiを使うならこれ」とか、「最も安い携帯Wi-Fiはこれ」などと、広告が打たれていることに気がついたのです。

 私がネットで調べたことが、こうして、私の関係するSNSに反映されて行くんだと感心をするやら、何だか私の知らないところで私が見られているような気持ちにもなり、少し怖くもなってしまったのです。

 彼の地にチョイ住みをしている時、ちょっとお昼にと、ケンタッキーでいつものフライドチキンを買ってきて食べたことがありました。
 キャベツいっぱいのコールスローサラダがどーんとついてきたり、同じチェーン店でも、オーストラリアでは、日本とはだいぶサービスが違うなど、そんな話題で盛り上がったり、ここには、ミスタードーナッツがないから、無性に食べたくなると娘が思い出したように言ったりと、そんな話題で、簡単な、しかし、高カロリーの昼食をとったのです。

 別の日、こちらのパンは、種類も多く、美味しいねという話になりました。
 私が、何と言っても、こちらでいえばカスミのようなスーパーに当たるコールズのパンプキンパンが安くて美味であると話し、土産に日本に持って帰りたいと話をしました。

 そしたら、急に、娘がサンドイッチを食べたいと言い出しました。
 それなら、買ってきてあるパンプキンパンがあるからそれで作ればいいと言ったのですが、そうではなくて、SUBWEYのターキーのサンドウイッチが食べたいのだ言うのです。

 出産をしたばかりの娘の言うことは聞かなくてはいけません。
 ところが、暮らしているロビーナ近辺にはSUBWEYの店はありません。
 そこで、皆の注文を聞いて、車をサーファーズまで走らせたのです。
 見知らぬ街で、駐車場を探し、店にたどり着くのですから、大変な労力です。
 昼少し前ですが、数人の客が店内には列を作っていました。

 まず、パンを選びます。そして、サンドウイッチの中身を選びます。さらに、野菜の種類と量を告げます。最後に、ドレッシングを選びます。
 注文は、順調に、いや、実に機械的になされ、お会計の段になりました。

 店の中で、サンドウイッチを作ってくれたのは、中国人の若い女性でした。
 その子が会計までやるのですから、大変なことです。
 品物を受け取り、お金を払う時、その子が一言、早口の、ちょっと聞き取りにくい英語で何かを言いました。
 突然の問いかけに、私はもう一度言ってくれますかと言いました。
 どうやら、キャッシャーの横に置いてあるちょっと大きなクッキーはいかがかと言っているようでした。
 一枚1ドル、三枚で2ドルだと言うのです。

 ノーサンキューと、私は言い、美味しいであろうサンドイッチをロビーナの家に持って帰ったのです。

 車のハンドルを握り、ユーカリの並木道を運転しながら、あの中国人の若い女性の言葉が何だか気にかかって仕方がなくなりました。
 きっと、雇い主に命ぜられて、売り上げを伸ばすために、客にクッキーを勧めているんだと。
 しかし、こちらが拒否すると、それ以上には勧めない、そのあり方も気にかかってしまったのです。

 おそらく、留学生をアルバイトに雇って、堪能とは言えない英語でものを勧めるわけですから、客の中には、こんなに頑張っている子が言うのだから、クッキーを買ってやろう、そうすれば、この娘にもいくばくかの報酬が入るに違いないと優しいオージーは考えるかもしれないと、もしかしたら、そのような魂胆が経営者にはあったのかもしれません。

 日本人の私は、優しいオージーとは異なり、カロリーを気にする日本人です。
 そんな手には乗らないのだと、ハンドルを握りながら、でも、どうしても、あの時のやり取りが気になって仕方がないのです。

 ああ言う時は、笑顔になって、オーケー、君が言うなら、3枚もらうよと買うべきなのかと悩んだりしているのです。

 英語で、「アップセリング」と言う売り方を示す言葉があります。
 とりわけ、ファーストフード店に多い売り方です。
 客の注文に対して、そちらより、こちらの方で注文をいただければ、お得ですと言われるのです。ポテトが今日は増量サービス中であるとか、ビックサイズの飲み物を注文すると、クッキーが一枚がサービスになるとか、いろいろとお得だと言うのです。

 しかし、これにはトリックがあります。

 店には売り上げアップが、店員にはそれに見合った報酬があると言うことです。
 それはそれで問題はありません。
 勧められて、買って、丁寧なお礼を言われるわけですから、それに、大した額ではありませんから、客としても気分良く、満足いくものを手に入れられてと言う気持ちが優先するのです。

 でも、問題は、それによる食べ過ぎ、飲み過ぎなのです。

 オーストラリアでも、欧米でも、肥満が問題になっているその原因が、この「アップセリング」だと言うのです。
 この「アップセリング」、ファーストフードばかりではないということです。

 先に述べた、私がちょっとネットで調べたことから派生して、この客はこれが欲しいそうだということがわかり、それに準じて、さまざまな商品を買うように仕向けてくる。
 言うなれば、ピンポイントで情報を流し、購入を迫ってくるような気がして、いただけないのです。
 なんだか心が圧迫されるようで気分が悪いのです。

 ネットでこちらの嗜好を読み取り、広告をピンポイントで売ってくるやり方も「アップセリング」の一種だと私は考えるのです。

 だとしたら、なんとか方策を講じなければ、無用な出費をするばかりではなく、ともすると、思想やあり方まで、なんらかの手法で方向づけられてしまう気がするのです。

 あの中国人留学生、「アップセリング」のクッキーをあまり強く勧めることをしませんでした。
 むしろ、あっさりと私のNo, Thank you.を受け入れました。
 
 私が気になっていたのは、きっと、欧米の流れに同調しない、アジア人である日本人と中国人である私と彼女の共通するあり方だったのかもしれません。

 もちろん、いい意味でね。





人気ブログランキング
プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《10/22 Sunday》

‼️現在、<Puboo!><Facebook>で、金曜日に発信した作品を公開しています。‼️

❣️<Puboo!>にて、『だから、朝は素晴らしいんだ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『Mermaid beach at Gold Coast. - The forcing look blows and is no swimming allowed on this day. I was walking a beach. When I try to take a picture of a no swimming allowed flag's trailing along in a wind, one man has begun to come near the field and take a picture of the skyscraper group. That makes a picture.
美人鱼海滨於黄金海岸。- 强的风吹,这天是游泳禁止。我,走着在海滨。我,预先打算拍下来游泳禁止的旗在风上密布的话,一人的男人为田地的荞麦面来,开始拍高层群的照片。那个如画。』を公開しました。

❣️<Twitter>では、『ものかき』と銘打って、朝と晩『つくばの街であれこれ』の更新情報をつぶやいています。朝は、その日の記事について、晩は、明日の記事についてのつぶやきです。

⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

リンク
最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
フリーエリア