運がいいと信じること……それが堅気の誇り

komorebiada
美しい木漏れ日。……いい日本語です。 「こもれび」、このような言葉世界中の人に教えてやりたくらいです。でも、ここは春を迎えたゴールドコーストなのです。


 『塀の中の懲りない面々』の著者安部譲二さんの、日経ビジネスでのインタビュー記事を読んで、嬉しく思ったことがありました。

 『うちの父親は日本郵船で38年間働いた。兄貴も船会社でサラリーマン生活を全うした。日本の堅気はすごいよな、偉いなと尊敬しているよ。だからこそ定年後は自由に好きなことをやればいいんだ。それぐらいの自信を持っていいんだよ。』

 安倍さんご自身も、麻布中学から慶應義塾高校とエリートコースを歩んできた方です。
 ヤクザの世界に身を投じなければ、父親やお兄さんと同じく、船会社に就職するサラリーマンとなっていたに違いありません。
 ところが、どう間違ったか、16歳でヤクザの世界に身を投じてしまったのです。

 その安倍さんが、サラリーマンに対して、「偉い」と言ってくれることを、私は嬉しいなと思ったのです。
 サラリーマンというのは、ほめられるということ、けなされるということ、つまり、毀誉褒貶の少ない、言うなれば、平均化されている人間たちなのです。
 うがった言い方をすれば、目立つことをせず、裏方に徹して、上司を持ち上げ、同僚に好かれるように空気を読んで、何十年も勤めをする人たちのことです。

 心意気と、飽くことのない探究心で腕を磨き上げて、惚れ惚れするような技を身につける「職人」とは違います。
 また、人を束ね、雇用者への責任を果たし、会社を運営していく「経営者」とも違います。

 ですから、勲章もいただくこともありませんし、良きにつけ悪しきにつけ、よほどのことがない限りマスコミに取り上げられることもありません。

 ひたすら、会社のため、身を粉にして「業務」を遂行していくだけなのです。
 言葉を換えれば、おのれを滅して、組織のために、あらん限りの力を注いできたのがサラリーマンであると言えます。

 そのサラリーマンに、自由の身になったら、好きなことをすればいい、そのくらいの自信を持てと言ってくれているのです。
 それを、安倍さんは『堅気の誇り』というように表現していました。

おのれの誇りを捨ててまでも、頭を下げたことが、サラリーマンであれば、誰もが必ず経験しているはずです。
 上司から、理不尽にも罵倒されたことも、部下から、冷ややかな視線を浴びたこともあるはずです。

 きっと、安倍さんのようなヤクザの世界に入った人なら、頭を下げる代わりに、ケツをまくって、凄んでいたかもしれません。
 上司や部下たちも、罵倒や無視もできないでしょう。 

 でも、何の凄みもない一介のサラーマンが、罵倒や冷たい視線、自分の責任ならまだしも、他人の失敗で、頭を下げるようなことをなぜしてきたかというと、それは、とりもなおさず、愛する人々のためのにほかなりません。

 おのれを時間、おのれの自由を犠牲にして働き、気の遠くなるようなローンを組んで家を買い、その担保に自分の命を捧げるのです。
 子供たちがいれば、塾のお金、旅行のお金を工面してやり、学校を卒業させてやります。それも、対価を求めないでです。
 子供が好きなように人生を歩んでいけるよう、そこまで配慮してやっているのです。

 『彼らはこれまでやってきた仕事についてはエキスパートだと思う。だけど会社という看板があって、資本力があって実現できてきた部分って少なくないんじゃないか。1人になって能力が発揮できるかって言うと、なかなか難しいと思う。 』

 これは、ひと段落したサラリーマン諸氏へのメッセージとして受け止めることができます。

 安倍さんには、サラリーマン経験というものがないと思いますが、小説を書ける方だけあって、よく物事を見ておいであると感心します。
 まさに、その通りで、一個のサラリーマンなど、微微たるどころか、毫も能力などありません。
 あると思っていた能力は、会社という得体の知れない看板でしかなかったのです。

 そこで、安倍さんは、一個のサラリーマンがなすべきことは何かとアドバイスをしています。

 『「自分は運がいい」と本気で信じることだな。俺が今、不自由のない幸せな生活を送れているのは運が良かったからだと思っている。』
  
 これは、ヤクザという非堅気の世界を体験した安倍さんが、自分を振り返って放った言葉であると同時に、サラリーマン諸氏へのメッセージでもあるとも言えます。

 どのような人生を送るサラリーマンであったも、例えば、定年まで勤め切った人も、リストラにあった人も、出世した人も、そうでない人も、「自分は運がいい」と思いを致すことで、随分と気持ちが落ち着くことに気がつきます。

 特異な人生を踏んできた人の言葉には、説得力があります。
 それは、「経験」と「悟り」に裏打ちされた言葉だからです。

 今、サラリーマンである人にも、サラリーマンから「足を洗った」人にも、これは傾聴に値する言葉であると思うのです。


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「ニッポン州」か「にほん省」か、それとも……

asanokudamoa
今朝は雨模様の空でした。秋の長雨とはよく言ったもので、このところ、曇天続きです。そんな時こそ、秋の青空を思いおこそうではありませんか。幾分、気も晴れます。


 「ら」抜き言葉が、初めて、多数派になったという記事を先日読みました。

 「見れる」「出れる」などの「ら抜き」言葉を普段使う人の割合が、「見られる」「出られる」を使う人を上回ったというものです。
 でも、すべての言葉で、「ら」抜き言葉が優先するというものではないようです。

 「食べられる」「来られる」「考えられる」などは、「ら」抜きで使う人の方が少なかったという結果も出ているようです。
 
 文化庁国語課の担当者は、「ら」抜き言葉について、尊敬や受け身の意味も含む「られる」から「ら」を抜くことで、「可能」という意味だとわかりやすくなり、使い手が増えてきたのではないかという分析をしていました。

 言葉、文字というのは、その時代時代で、流行りがあり、それが圧倒的多数に使われるようになると、間違いではなくなります。

 以前、「丸文字」というのが流行りました。
 特に、仮名でなされ、角を丸めて書き、可愛らしさを強調した文字です。
 出始めの頃は、随分とあれこれ批判を受けましたが、若者たちがあちらこちらで書き出すと、パソコンの日本語入力の際、「丸文字」で打つことも可能になるくらいの勢力を持っていくようになったのです。

 ですから、「ら」抜き言葉が、今回、このような結果を得たのも、必然的といえば必然的なのです。

 日本語は、実に、あいまいな言語です。
 「ん」ひとつとっても、「あんない(案内)」と「あんがい(案外)」では、発音が異なります。
 漢字も同じ、ひらがな表記も同じ、にもかかわらず、一方は、舌が上の歯について発音する「ん」で、他方は、舌が上の歯につかないのです。

 日本語は、確かに「揺れ」ていることは間違いなさそうです。

 しかし、そうだからといって、見過ごしにできない局面もあります。
 「日本」という国名をどう読みますか。
  「ニッポン」ですか、「にほん」ですか。
 
 かつて、佐藤栄作首相が社会党議員の質問に答えて、我が国の呼称は「ニッポン」であると応答したことを、うっすらと覚えています。
 このことを、ちょっと調べてみますと、時代を遡ること、1934年、昭和9年に、このことが議論されていました。

 文部省臨時国語調査会が、我が国の呼称統一案として「ニッポン」にすることを決議したとあります。
 ただし、この案は政府で採択されず、正式な決定には至っていません。
 以来、「日本」は正式な呼称を法的に持たないまま、あいまいの海に放り込まれたままなのです。

 現代では、「ニッポン」より「にほん」と呼称する人の割合が増えてきているといいます。
 スポーツで日本選手を応援する時、「ニッポン」という掛け声の方がメリハリがあって、使いやすいのでしょう、観客が一緒になって、「ニッポン」「ニッポン」というのを聞くと、テレビで応援している私たちも自然と手拍子を打ってしまいます。
 これは断然、「にほん」「にほん」ではいけないのです。

 一国の国名に対して、幾つか呼び方があるというのは、どうでしょうか。
 でも、言葉の「揺れ」なるものを、持つことを宿命づけられている日本語であれば、それも仕方のないことではあります。
 時と場所をわきまえて、使いやすい方を使っていけばいいということで、納得はできます。

 あいまいな「日本」ということを考えた時に、私、ちょっと妙な空想をしてしまったのです。
 この激しい国際社会の中にあって、あいまいな「日本」が本当にあいまいになってしまったらどうしようという空想です。

 日本はアメリカ合衆国の51番目の「州」になってしまう。
 そんな空想です。
 
 何を馬鹿なことを言っているとお怒りになる向きも、その方がカッコいいと思う人も、アメリカの核の傘に入って、経済も軍事もアメリカ一辺倒で、現実的にそうではないかと口を尖らせる人もいるかと思います。
 大統領選挙での候補者の討論を見ていると、近い将来、日本はアメリカ合衆国の一員として正式に加入するか。それとも、アメリカの支援なしに「日本」として独り立ちするか決する時が来るのではないかと空想するのは、何も馬鹿げたことではないような気もするのです。

 実は、もうひとつ空想してしまったのです。

 あいまいな「日本」が、中国の35番目の「省」になってしまう。
 そんな空想です。

 「日本列島自治区」とか、「日本省」とかいう呼称です。
 どんなに怒っても、失望しても、民主主義の日本では、かの国の意向を汲む人が多くなれば、それさえも論理上は可能なのです。
 
 言葉があいまいなのは、日本語が持つ特性です。
 だから、多くの日本語が「揺れ」るのは、致し方ありません。

 でも、「日本」で生まれ、「日本」で暮らし、災害も多いけれど、四季があり美しい「日本」を誇りに思う人、そして、先の大戦で命をかけた人、さらに、今、国境の海と空で命をかけている人がいる「日本」、悠久の歴史を有し、和を尊び、進取の気性をもつ「日本」を、あいまいにし、「揺れ」るのだけは避けたいと思うのです。


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幼な子の冒険

dasafao
ちょっと、いつもより遅く家を出ると、朝の太陽はずっと高く、強烈なエネジーを発してきます。太陽系に水のある衛星が……、生物の存在が明らかになろうとしています。宇宙は神秘そのものです。



 孫たちが、オーストラリアから帰国しました。
 その孫たちを迎えに行くにあたり、失くした運転免許証を再発行してもらうため、日曜日の朝、水戸の運転免許センターまで行ってきました。
 ちょうど免許切り替えの時期で、かつ、警察もことのほか親切に対応してくれて、そのことに感激をしつつ、30分の講習を受けて、免許は戻ってきたのです。

 そして、夕方、彼らを成田で迎えました。

 下の子は、いつもはクールなのですが、この日は、意外なことに、私の足元に、すり寄ってきました。
 なんでも、オーストラリアにいる、いとこにあたる「悟空」という名の赤ん坊とちょっと張り合ったらしいのです。
 日本にいるときは、自分が一番下で、何をしても許されていたのが、自分より下の子が急に出てきてしまったので、一気にお兄ちゃんにされて、困惑してしまったようです。

 ですから、幼心にも、孤独感を抱え、人生にはこんなことも起こるのだと、あまりに若い身空で、きっと思ったに違いありません
 そのため、なんでも許す私のことが余程恋しかったのでしょう。
 
 2歳になるかならないかの子にはちょっと大変だったかもしれないと、娘は振り返っていました。
 母親としては、可愛い次男を、ちょっとかわいそうに思ってしまったようです。 
 
 でも、2歳児の脳には、かの地でのあれこれがきちんと刻まれたはずです。

 何せ、私の娘二人、今オーストラリアに暮している下の子は、姉ほどには子どもの頃、連れて行ったオーストラリアの記憶がないにもかかわらず、かの地で働き、子を育て、生活をしているのですから。
 それは、彼女の脳に、確かに、かの地でのいろいろな出来事が刻まれ、それが良い方向で反応し、かの地を終生の住処として選んだに他ならないからです。

 もしからしたら、この子は、オーストラリアで勉強し、生活するようになるかもしれないよと娘に言うと、娘は複雑な笑みを浮かべていました。

 一方、上の孫の方は、いつになく、いや、初めて見るくらい陽気でおしゃべりになっていました。
 帰りの車の中、寝るどころか、しゃべりっぱなし、歌いっぱなしなのです。
 この子は壊れてしまったのではないかと心配するくらいだったのです。

 オーストラリアと日本とどっちがいいと質問すると、即座に、オーストラリアと返事します。でも、少しして、やっぱり日本がいいやと言います。

 来春には、小学校に入る少年ですが、今回の旅行では、大いなる刺激を受けてきたに違いありません。
 外国に行ったという感覚は、この年頃の少年には、どこで認識できるのか興味がありましたので、会話をしながら、それを探りました。

 まず、言葉です。
 まだ、自分の名前くらいしか字が書けないので、そのせいか、音で発せられる言葉には敏感に反応しているようです。
 何かをもらった時、買う時にいう言葉としての「プリーズ」、そして、感謝を示す「センキュー」を、楽しむように使っていたと言います。
 指差して、「プリーズ」と言えば、物をくれるということ、そして、皆が皆、微笑みを持って対してくれること、そのことに対して、感謝の言葉を口にすることを楽しんできたようです。
 これだけでも、この年齢の子には素晴らしい勉強です。
 そして、それが、外国を意識する端緒でなるに違いないと思いました。
 
 そして、もう一つ、この子が外国を意識したのが「大きさ」でした。
 お店も大きい、道も大きい、建物も部屋も大きい、歩いてる人も大きいと大きいことづくめだったのです。 
 きっと、この子の脳には、この世にはまったく別の世界というもの、世界は広いのだという感性が、宿ったに違いないと思うのです。

 さて、しばらくなかったラインでの通話が再開されました。
 オーストラリアの「GOKU」からのビデオ通話です。

 前回2人のいとこに会った時は、ハイハイもできない頃でしたが、今回は、歩くことも走ることもできます。 
 そして、3人が一同に介することで、彼には彼なりの衝撃があったようなのです。

 それは、お兄ちゃんたちが使う少々乱暴な日本語と兄弟の行動です。
 「オレ」とか、「バカヤロウ」とか「ケツ」とか、そんな言葉を覚えたこと、そして、兄弟喧嘩を目の当たりにしたことです。

 幼稚園の先生から友達の頭を叩いてしまうと注意を受けるGOKUですが、兄弟が言い合ったりする姿は、彼なりに衝撃であったようです。オーストラリアに暮らす娘は、GOKUが幼稚園で、これ以上、乱暴にならないことを願っていました。

 この3人の幼な子たち、これからどのように成長していくか、私は興味津々なのです。


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「一衣帯水」から「一帯一路」へ

shiromadadafo
歩くのにはいい天候となってきました。道端にも、人家の庭にも、秋を感じさせる趣が漂ってきました。私の住む、つくばも、これからもっとも美しい都市景観を見せる時期に入ります。ますます歩くのが楽しみとなります。


 世の中の移り変わりには、まことに激しいものがあります。

 私が、中国に興味を持ち、かの地の歴史・文学を勉強したいと思った、70年代の半ばのことです。
 中国はようやく国を開け、文化大革命とその後の四人組の混乱を収拾し、国際社会に謙虚にその有り様を示し始めていました。

 国も、人々も、奥ゆかしく、誠実である、そんな中国に対して、同じアジアの一員として、欧米と肩を並べ、アメリカに次ぐ経済大国となっていた日本と日本人は、なんとかして、この謙虚で、誠実な国を助けたい、支援をしたい、ともにアジアの力を誇りに思えるようになりたいと思ったものでした。
 
 日本と日本人は、純粋に、そして、熱心に、門戸を開いた中国と中国人民に対して可能な限りの支援を行ったのです。
 もちろん、彼らの腹の中に、『韜光養晦(とうこうようかい)』なる姑息な考えがあるなどとは微塵も考えることはありませんでした。

 「日中両国は、一衣帯水の間にある隣国であり、長い伝統的友好の歴史を有する。」

 これは、1972年9月29日付の「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」にある一文です。
 中国を学び、日中両国の未来を作り上げようとする意思を持った若い私たちは、この「一衣帯水」という言葉の響きを心地よく思い、活動を展開してきたのです。


 2016年9月25日、中国空軍の申進科報道官が声明を発表しました。

 中国空軍は、戦闘機「スホイ30」、戦略爆撃機「轟6K」、空中給油機、情報収集機等40機を超える航空部隊が、沖縄本島と宮古島の間の宮古海峡上空を通過し、西太平洋で訓練を行ったと、というものです。

 中国が宮古海峡と呼ぶ海峡は、公海上で通行には何ら問題はありません。
 しかし、尖閣領海に公船侵入を繰り返す国の行動としては指をくわえて見ているわけにはいきません。

 我が国の防衛省は、戦闘機とみられる航空機を含む8機を確認したと発表しました。

 随分と、彼我の数値が違うものだと、素人目にも、不審に思えます。
 自衛隊が能力不足で、他の32機以上を見逃したのか、それとも、あえて作戦上、本当のことを言わないのか。それはわかりません。
 それとも、中国がいつものように、少々、誇張した発表を行ったのか、それもわかりません。

 同じ頃、中国と日本でちょっとしたアンケートがおこなれました。
 日本人の90パーセント以上が、中国に対して好感を持てないでいるのです。
 そして、中国人の半数以上が、近々、中国と日本の軍事衝突が起こると予測しているのです。


 時代が変われば、変わるものです。

 今、あの時代、若者たちを刺激した言葉、「一衣帯水」はもはや死語と化してしまっています。
 その代わり、盛んに出てくる言葉が、「一帯一路」という言葉です。

 中国西部から、中央アジア、そして、ヨーロッパを結ぶ、かつてのシルクロードを一つの経済圏とすることを「一帯」と、中国政府は呼称します。 
 ヨーロッパ各国は、この中国の意図する経済圏を一応受け入れました。
 しかし、ロシアは反発しすることになります。
 なぜなら、中央アジアはかつてのソビエト連邦の一員だったからです。足元に中国が来ることを諸手を挙げて歓迎するはずはありません。

 中国沿岸部から、東南アジア、インド、アフリカ、中東を経て、ヨーロッパへと連なる海上の道が、「一路」と、呼称されています。
 そのために、中国はアフリカに対して強力な支援してきました。そのために、九段線を主張し、ベトナムやフィリピンと摩擦を起こしながらも、着実に、そして、乱暴に、自分たちに都合のいいように仕切ってきました。
 しかし、そのことに反発する国々が、この地域からも出てくるようになってしまいました。
 
 開発は我々のためのものではなく、中国だけのものではないかという懸念であり、疑念です。
 現地の人々を使わず、中国人を大量に送り込み、そこに居座らせ、その国の経済も牛耳るという開発が受けいられるわけがありません。

 この「一帯一路」から遠く位置する国が日本なのです。
 つまり、これからの中国に、かつてのように日本の力は必要ない、日本人の善意も必要はないというのです。
 そして、東南アジアの国々が手をこまぬいている間に、領土をかすめられたのとは異なり、日本だけは、先手を打って、尖閣を国有地とし、正当な領土宣言を行ったのです。
 その仕打ちとして、日本企業への暴動・破壊活動があり、レアメタルの対日輸出を止めました。
 しかし、日本は技術と知恵と工夫でそれを乗り越え、そのため、中国のレアメタル業界は、競争力を失うという結果になってしまいました。

 中国からすれば、昔も今も、日本という国の存在は目の上のたんこぶなのです。
 いつも、中国の前に出てきて、予想外の成果を上げていく国なのです。

 しかし、今、『韜光養晦』は功を奏し、強大な経済力と軍事力を持ち、目の上のたんこぶを威嚇をするまでになったと、彼らは自負しているのです。

 中国軍機への空自スクランブルは、6月までの半年の間、397回となりました。これは、前年同期より92%増えた数です。
 宮古海峡を通過した中国空軍機の動向について、防衛省は、戦闘機の通過は初めてであり、「特異な事例」として警戒を強めているといいます。
 
 「特異な事例」が、中国の人々が思うところの、開戦につながることを暗示しているのであれば、由々しき事態です。

 日本の新聞は、伝えます。
 クルーズ観光船から入国した中国人31人が失踪したと。
 不法就労であればいいですが、破壊工作や戦争目的の撹乱行動を起こすメンバーであれば一大事です。
 
 「オーストラリアン」紙も伝えます。
 マレーシア航空機捜索活動にあたっていた救助船「東海救101号」が、その多くの日数を豪州西部の海軍基地の情報収集にあたっていたと。


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そして、「事件」は起こった

koresdamoda
高速を降りて、イーアスの脇を曲がります。その時、向こうに筑波のお山が見えます。時に、鮮やかに、時に霞んで、またある時は雲に隠れてその姿を見せてくれません。今日はくっきりと見えています。


 ビートルズの映画に興奮をしたわけではないのです。
 その日、新しく買った卓球シューズとパンツで、少し嬉しい気分では、確かにいました。

 ビートルズの映画を見て、家に帰ってきて、翌日、新しいシューズで、卓球を楽しみ、そして、次の日、病院に見舞いに行くにあたり、朝、あれ、財布どうした、と、やっと気がつく始末でした。

 そうです、運転免許証・保険証・クレジットカード、それに、マイナンバーカードと、日本で暮らす者にとって、大切なものがすべて入っている財布が見当たらないのです。

 ありったけの記憶を振り絞って、あの日の出来事を呼び起こします。

 映画館でなくすことはない、なぜなら、その時はiPhoneと一緒にカバンに入れておいたからです。
 映画館を出て、iPhoneと財布をスボンのポケットに入れました。車に乗った時、お尻のポケットに入っている財布を手でカード類が折れないように、少し移動しました。
 ですから、落としたというのであれば、自宅の車庫の前なのです。
 あるいは、うっかりミスで、たいそう広い我が家(見栄ですが)のどこかなのです。

 しかし、病院に行く前の一時間、家のどこからも出てきません。

 家の前の道端に落として、誰かに拾われたのか。
  実は、その日に限って、ちょっと大きな額のお金が財布に入っていたのです。

 お見舞いに行っても、上の空の風で、早々に帰ってきました。

 そして、今一度探しました。
  しかし、財布は出てきません。

 財布に入っていたものを思い出し、書き出し、つくば中央署に出かけて行きました。
 無情にも、土砂降りの雨の中です。
 玄関前に行くと、土曜日の午後です。誰もいません。
 呆然として立ち尽くしていると、奥の方から、優しそうな女性の警察官が、手招きをしています。

 早速、事情を聞いてくれて、届けを受理してくれました。
 家に戻って、カード会社を始め、紛失担当の部署に電話で、紛失の旨を伝え、各種カードの取引停止と再発行をお願いしました。

 これで、ひとまず安心です。

 翌日曜には、孫たちがオーストラリアから帰国します。
 そのために、運転免許が必要です。これもつくば中央署の方から、水戸の運転免許センターなら、日曜もやってくれるのでというので、今、免許を手にして戻ってきたところなのです。

 こんなことが自分の身に起こるとは、というのが今の気持ちです。
 ところが、現金を失い、カードの再発行という面倒なことをやっても、一向に悔しくもないし、うっとおしいという感じもしないのです。

 ボケたのか、それとも、悟りを開いたのか…

 とんでもありません。
 すべては自分の責任です。
 今、私は、本当に、気持ちよくと言っては変ですが、すべてを新しくするんだという心地よい気持ちでいるのです。

 もし、それが戸外で落とされ、誰かが持ち去ったとしても、その人を恨もうとは思わないのです。
 私の突拍子もない勘違いで、あらぬ場所に私が置いていて、おとぼりの冷めた頃に財布が出てくれば、めっけもんという気持ちなのです。

 今回自分の不注意で起こした「事件」に対して、警察の方、免許センターの方、カード会社の方が、とても親切に対応してくれたことが、おそらく、今の私の気持ちを形成させているだろうと思っています。

 生徒自身が問題を起こしてしまった時、彼らはそのことが十分に良くないことを知っています。
 無用に、必要以上に、叱っても、それはそれを処理する教師の面倒なことという露骨な気持ちの表れに過ぎません。
 怒るより先に、彼らの気持ちを察してやることが何より大切だと思うのです。

 保護者も同様です。
 まさか、自分の子供がこんなことをするなんてと、特に母親は、動揺をしてしまいます。
 それを落ち着かせ、青少年には、こういう問題があって、当然のことであり、当たり前ですよと、ですから心配はご無用ですと安心させてやることが、なにより肝要と対してました。

 そのことと同じことを私は、初めて、これらの方々からしてもらったのです。

 私は、自分のやってきたことが、間違っていなかったことを、彼らの親切で、こちらを慮った言葉遣いや、対応を受けて、それが改めてわかったのです。

 そう考えると、この「事件」も己を振り返るための教訓となるから不思議です。
 それにしても、読者諸氏よ、財布はしっかりと管理しておいてください。


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ジョンの肩とポールのお尻を見て

yumemida
虹の上にすわり、少年とワンちゃんはどこで釣りをしているのでしょうか。将来を夢見て、何かを釣っている、この絵は、そんな光景なのです。


 また、映画を見てきました。
 9月22日、日本封切の映画、その最初の公開映像を見てきたのです。
 映画は「Eight Days A Week」という、ビートルズのコンサートツアーを記録した映画です。

 ビートルズが日本に来た時、日本テレビで放映された、その演奏を見ました。
 たった30分の演奏に、えっ、これだけと思いました。
 でも、この30分のビートルズは、多くの同世代の人びと同様、すっかりと私を変えてしまったのです。

 この映画の中では、若い彼らの弾んだ、生き生きとした演奏が、ふんだんに出てきます。

 同時に、彼らのコンサートに行った人びと、特に少女が多かったのですが、その表情がなんともいいのです。

 恍惚となり、ほっぺたを叩かれても意識を失い続けている少女。
 じっとすることなく常にジャンプして、居てもたってもいられないという風の少女。
 金網によじ登って、声をはりあげる少女。
 かと思えば、演奏を聴いているのかいないのか、親子なのか、友人同士なのか、ピクニック気分でいる姿も印象的でした。

 そして、一人の少女に、私は注目しました。

 その少女は、何かを考えている風なのです。
 周りの子のように絶叫することもなく、恍惚の表情を見せるわけでもなく、じっと前を見ているのです。
 一見すると、何でここにいるのという思いを持ってしまう、そんな風情なのです。

 ビートルズのコンサートツアーの映画ですから、彼らの弾むような演奏、一人一人の個性ある声、そして、その声が一瞬でハーモニーを奏でる、その素晴らしさをもちろん映し出しているのですが、コンサート会場に来た人びとの表情がこれほど素晴らしいとは、鮮烈なほどの驚きを与えてくれました。

 きっと、製作者も記録された映像を見ているうちに、そのことに気がついたのではないでしょうか。
 4人の髪の毛の長い若者たちが、声を張り上げ、頭を振り、それまでの常識を逸脱したコード進行と時に見せる極上のハーモニーに、なぜ、かくも大勢の人々が熱狂したのか、その原因を知りたいと。

 そして、私はあの何かを考えて、前を見ている少女は、自分ではないかと錯覚したのです。

 熱狂はしていない、しかし、何かを彼らから学びたい。
 彼らは、雲の上のスターではない。だから、自分たちも努力すれば、何かをやれるはずだ。
 彼らが行っているように、自分の力を信じ、そうすれば、ことを成し遂げることができる。

 首根っこを押さえつけられていた境遇、古いしきたりや点数で子供の将来を決めるあり方、そういう閉塞的な空気に満ちていた日本を、彼らのたったの30分の演奏は、いとも簡単に、風穴を開けてくれたのです。

 その思いを、子供の私は、確かに感じとったのです。
 それが、あの何かを考えて、前を向いている少女と自分を重ね合わさせたのだろうと思っているのです。
 
 この映画で、一つ知ることがありました。
 それは、いかに閉塞的な状況下であれ、言うべきことは言わなくてはいけないということです。
 いや、むしろ、そうしないと禍根を残すことになるということです。

 それは、1964年の出来事です。
 この年7月、アメリカでは公民権法が成立しました。
 人種差別が違法となったのです。

 しかし、法ができたからといって、すぐには物事が改善されることは難しいのがアメリカです。

 ビートルズは、フロリダ州ジャクソンビルのゲイター・ボウルでのコンサートが予定されていました。
 しかし、この会場は、白人とカラー、つまり有色人種の席を分けていたのです。
 トイレも別です。

 この人種隔離の現状に対して、ビートルズはコンサートの実施を拒否するのです。
 簡単なことのようですが、この決心は、一大事です。
 狂信的な白人至上主義者たちは、ビートルズを攻撃対象にするはずです。
 人気商売である彼らにとっては、業界と対立するかもしれない、そうすれば、仕事がなくなる可能性もあるのです。

 しかし、いつものように、四人の全会一致で、人を隔離するならコンサートは行わないという意思はしっかりと伝えられました。
 結局、コンサートは、隣の席に白人がいて、そして、黒人がいるという、これまでにない状況を生み出したのです。
 嫌なことは何も起こらなかったし、むしろ、楽しかったという感想があちこちから聞こえてきたのです。

 行動を起こすこと、そして、勇気を持って、理不尽なことに対しなくてはいけないことを彼らはアメリカ人に教えたのです。

 そして、映画を見ながら、もう一つ思ったことがあります。 

 彼らは、あの絶叫の中で、今のように、自らの声を確認するスピーカーもなく、どうやってあの素晴らしい演奏していたのだろうかということです。
 ジョンはポールの、ポールはジョンの声を聞き取ることができていたのかしらと。

 リンゴがその答えを映画の中で言っていました。

 ものすごい歓声で、音は聞こえない。
 だから、ジョンが歌っている時は、僕は、ジョンの両足を広げ、そして、あのギターを抱え、揺れる肩を見て、ドラムを叩いていたんだ。
 ポールが歌う時だって、それはポールのお尻を見ていたのさ。

 なんとも、素晴らしいコメントではないですか。


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シンゴジラの手

sorahadaasi
この光景は、オーストラリアでありません。つくばの街の一角です。細かく言うと、筑波大学の構内入り口付近です。つくばは新しい街です。青い空に、たくさんの樹木、すばらしい街でしょう。


 たまに映画を見に行きます。
 ネットでも、面白いという評判がたっていたので、つくばにある4DS上映の映画館で、それを見てきました。
 せっかく、映画館の大きなスクリーンで見るのですから、テレビで見るのとは違った形で見たいと4DSを選びました。
水しぶきはかかるし、椅子は動くし、耳元でシュシュと風が吹き付けてくるし、結構、楽しめた鑑賞方法だったと思います。
 
 子供の頃、西新井にあったカンコウ(どのような漢字であったのか思い出せません)という映画館で見たあの懐かしい「ゴジラ」とは、原子力の誤った使い方から怪獣が生まれ、それを無闇に使う人間を襲うという話の骨格は似通っていましが、その姿はだいぶ異なっていました。

 姿が異なっているといえば、当初のゴジラと違って、その手が、妙に小さく、しかも、上を向いているのです。指は五本とみていいのでしょうか、時には四本に見える時もありました。

 その小さい、可愛い手を見ていると、写楽が描いた「三代目大谷鬼次の奴江戸兵」の懐から出したあの小ぶりの手を思い起こさせてくれて、なんとも愛嬌があっていいと思いました。

 「ゴジラ」はもちろん日本映画が作り出した想像上の怪獣です。
 水爆の影響で、巨大化し、日本を襲う怪獣です。
 日本映画は、その他にも、モスラ、ラドン、ガメラ、キングギドラと私たちを夢中にさせる怪獣を送り出してきましたが、人間の味方になった怪獣は、モスラとこのゴジラだけではなかったでしょうか。
 まあ、それだけ人気があったということです。

 古代にも、東洋では「竜」、西洋では「ドラゴン」という空想上の神獣がいました。

 西洋のドラゴンは、空を飛び、口から炎や毒を吐きます。
 東洋の竜は、水の神です。
 古代中国では、治水をなしたものが王と認められますから、歴代王朝の皇帝たちは、竜の力を尊び、竜に対しては敬意を持って対応していました。

 人間どうしが接点を多く持たない時期に、洋の東西で、同じような神獣が生まれるということはどういうことだろうと、私はいつも思っていました。

 そして、それはもしかしたら、人間が想像をしたのではなく、人間のずっと、ずっと前の祖先たちが、確かに、四つ足を持つ蛇、そして、翼を持つ、大きな獣を記憶として持っていたのでないかと空想するのです
 もちろん、それ裏付ける化石も、骨格も、当然のごとく出てはいません。

 しかし、古代の人間が想像する以上、それには何か根拠があるはずです。

 そんなことを考えると、「麒麟」のような馬がいても不思議ではないし、「ユニコーン」のように一つのツノを持った馬が、人間の側にいてもおかしくはないはずです。

 馬の首から上が人間の上半身に置き換わったような姿をした「ケンタウロス」ですが、これはギリシャ神話に出てくる一種族で、神獣ではありません。
 なんとも思わせぶりな存在の仕方です。
 このような特殊なものまで、実在していたというつもりはありませんが、あえて、現代の科学常識を逸脱して、そのような種族がいたというならば、翼を持った天使なども、きっと私たちの祖先が人間を始めたばかりの頃は、愉快に空を飛び回っていたのかもしれません。

 古代の人々が描いた様々の神獣たちの存在が、実際に人間の目の前に実在したと考えると、洋の東西を問わず、同じような概念で、同じような姿の神獣がいたことが、妙に納得できるから不思議です。

 シンゴジラは、明らかに、日本映画がこの50年にわたって営々と築き上げてきた怪獣映画の最新の姿形と言っていいでしょう。
 あの手に象徴されるようにどことなく滑稽感とかぶき者の風を醸し出して、果たして、今後どうなっていくのか、そして、若く、意欲のある青年たちが、これまでの老人たちに代わって日本をリードしていくことを訴えていました。
 東京がめちゃくちゃに破壊されたとしても、有能で、こころ強い日本の若い人々がきっと元どおりにしてくれると思うに十分な内容でありました。

 折しも、日本列島に台風が吹き荒れ、災害を引き起こしていきました。これらの台風は、中国にも、北朝鮮にも甚大な被害をもたらしました。
 まさに、水を司る「竜」が大暴れしたかのようです。

 そのような自然災害としてあわわれる「竜」の悪戯には私たちは謙虚に立ち向かいますが、人間の手で作られ、それを遠くに飛ばすような「竜」だけはごめんです。

 シンゴジラのあの小さく、上を向いた手は、「おい、そこのでぶっちょの若旦那、いい加減におし、皆が怒っているぜ。そこらでいい加減、悪戯をやめないと、今度は、ドラゴンが翼を広げて、太平洋の島から、お前さんのところにお邪魔して、火を噴くぜ。」と言っているような気がしてならなかったのです。


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こんなに若くして……

asanokemuri
収穫を終えた畑で、農民が余計なものを燃やしています。畑はきれいに整えられ、次の作付けに向けて準備が始まります。立ち昇る煙は、飽きることなく続けられる生活の糧を得ることを高らかに唄っているのです。


 孫を見ていて思うことがあるのです。

 それは、最近の赤ちゃん、1歳、2歳の子たちは、私の時代と違って、随分とませているな、という思いです。
 赤ちゃん、赤ちゃんしていない。
 iPadの画面を誰が教えたわけでもないのに、指でスクロールするのを見ると驚いてしまいます。

 スポーツの世界でも、最近は、年齢がぐんと下がって、今や、小学生がプロの世界に入るとか、あるいは、大きな大会で優勝をするとか、そんなニュースを耳にします。
 才能のあることは素晴らしいことですが、それを間近に見て、力ぞえする親御さんの方が、むしろ、立派だなあと私などは思います。

 歴史上でも、驚くほど若い人材が活躍をし、日本の歴史を大きく変えています。

 1543年8月25日のことです。
 種子島門倉岬東に位置する西ノ村の海岸にポルトガル船が漂着しました。
 いわゆる、鉄砲伝来の逸話です。

 歴史的事件の我が国における鉄砲伝来は、日本側の資料では『鉄砲記』、ポルトガル側の資料では『諸国新旧発見記』(ガルヴァン著)という地理書、ロドリゲスの『日本教会史』などが元になって、一つの歴史として認識されていることです。

 基本的には、中国の船に、ポルトガル人が乗っていて、台風で遭難し、種子島に漂着した。
 助けた種子島の殿様に、ポルトガル人は持っていた鉄砲見せ、それを殿様は大金を出して買った。
 殿様は、鉄砲を真似して、同じものを作り、日本製の鉄砲が日本全国に広まった。
 これにより、日本の武士たちの戦いは大きく変化し、ついに、戦国の世は終わり、江戸幕府がなった。
 というような、ことです。

 しかし、本当に台風で遭難をしたのでしょうか。
 中国船というとあまりいいイメージはありませんが、この三本マストのジャンク船、果たして、ちゃんとした船だったのでしょうか。
 ポルトガル人も、どうでしょう。
 もし、一攫千金を目論んでのチンピラであったとしたら……。

 つまり、この船は、中国福建省あたりの海賊船で、乗っていたのはポルトガルではあぶれ者もヤクザ者で、シャムあたりで作られた、大して出来のよくない鉄砲をこっそりと売りに来たのではないか。

 そんな、想像をするのです。

 なんでも、種子島時尭という殿様は、鉄砲一丁を今の金額で、1億円も出して、それを2丁も買ったというのですから、値段といい、そんな大金が種子島という地方の殿様が持っていることに、驚くのです。

 鉄砲は鉄の筒の中で火薬を爆発させて、込めた玉を打ち出す兵器です。
 種子島は、海岸で良い砂鉄が取れることで有名です。そのせいもあり、優秀な刀鍛冶が多く暮らしていたと言います。
 ですから、命令を受けた清定という鍛冶職人は見事な鉄砲をいとも容易に作り上げてしまったのです。
 
 しかし、当時の日本にはネジ式の技術がありません。
 ですから、試射をした時、銃の尾から火薬が暴発し、清定は失明をしてしまいます。
 そのネジ式の秘密を、清定は、自分の娘をポルトガル人に嫁がせて聞き出し、ついに、鉄砲を完成させるのです。

 まっとうなポルトガル人なら、娘を身代わりに秘密を教えるようなことはしないでしょう。
 新しい技術を、巧みな鍛冶作法で作り上げる職人に、そっと教えるはずです。

 また、1億という莫大な金額を要求もしないでしょう。
 明らかに、この三本マストのジャンク船とポルトガル人は尋常ではありません。

 しかし、種子島で作られた鉄砲は、その後、日本の歴史を大きく変えます。

 長篠の合戦で、信長軍は武田の騎馬軍団を駆逐します。武士から足軽の時代へと変化しました。
 朝鮮出兵では、少数の島津藩の鉄砲軍団が、20万の明国軍を破ります。これは、世界各地に伝えられ、日本の軍事力の強さが喧伝されることになりました。
 関ヶ原では、東西両軍合わせて3万丁の鉄砲が使われたと言います。これだけの武器を自力で作り出し、運用する国はヨーロッパでもないと言いますから、当時の日本は軍事超大国と認識されてることになります。
 ポルトガルが、日本に対して、軍事行動を起こし、植民地にしえなかったのは、この銃の数と、自国で生産可能で、しかも、命中率といい、頑丈さといい、超一級だったからです。
 長篠、朝鮮、関ヶ原での、それぞれ緻密で、勇猛で、戦略的な戦いぶりを見せつけられては、ヨーロッパ第一の強国、ポルトガルも手が出なかったと言っていいかもしれません。

 さて、「こんなに若くして……」という表題です。
 決して、書いているうちに忘れたわけではありません。

 種子島時堯は、1528年に生まれました。亡くなったのは1579年です。52年の生涯です。
 あのジャンク船がやってきたのは、1543年ですから、計算しまうと、16歳ということになります。
 今の高校1年生ということになります。
 いかに殿様とはいえ、高校1年の少年が、2億円を使って、西洋伝来の最先端技術を模倣させ、より精度の高い鉄砲を作り出し、日本の歴史を変えていったのです。

 ちなみに、1543年、信長は9歳でした。きっと、独特の感性であの時代を見ていたことでしょう。
 なんであれ、若さとは、まことにすごいと思うのです。


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まことの花

daigakunoarusoad
病院で検査が終わり、検査結果も良く、晴れ晴れとした気持ちで空を仰ぐと、真っ青な空と白い雲が絶妙の色合いでまじりあっていました。綺麗だなと思いました。


 人生には、浮き沈みがつきものです。
 華やかな時も、そうでない時も、それらを併せ持っているのが人生であると今更のように思うのです。

 物事がうまくいっているというので安堵していると、よくないことが起こるということが結構あります。

 それは、実際は物事がうまくいっていないのに、うまくいっていると自分に言い聞かせて、自分をごまかしていたということなのです。
 言葉を替えれば、その「つもり」になって、一時の安楽を得ていたに過ぎなかったということなのです。

 この「つもり」こそ、警戒をしなくてはいけない人間の心の隙なのです。

 人は、安堵を得ることを願って、今日の仕事はうまくいった「つもり」になります。
 しかし、しばらくして、その仕事の成果は思ったほど出ていないことを知って愕然とします。

 つまり、その仕事は、完璧には成し終えていなかったということです。
 なしえた「つもり」、終えた「つもり」で、仕事を途中で、中断してしまっていたのです。

 今川義元の大軍勢が、わずかな信長の精兵に破られたのも、この「つもり」が背景にあります。
 その日は雨が降っていたと言います。
 雨が降れば、敵の攻撃はないと安直な判断をし、おまけに、自らの大軍を頼み、土地の者たちへの警戒を怠ったばかりに、首を取られるという失態を犯すのです。

 ミッドウェイ海戦でも、日本はおのれの海軍力の優勢を頼み、警戒を緩めます。
 そのため、重要な暗号は筒抜けとなり、日本海軍の行動は、アメリカ艦隊の知るところとなります。
 結果、日本海軍は空母4隻と熟練したパイロットを多数失い、以後、太平洋の制海権を失ってしまうのです。

 失敗しないということは、この「つもり」を絶対に許さないということに尽きる、ということが、この二例からもよくわかります。

 最悪の事態を常に想定して、物事に接するというのではありません。もちろん、最善の事態を思い浮かべて呑気に構えているというのでもありません。

 人は、「うまくやった」とか、「今日の出来は最高だ」と思った瞬間にこそ、「隙」が見えるのです。
 そこには人としての浅はかさが見え隠れしています。
 
 「うまくいった」と心が隙を見せる時、ちょっと待てよと振り返る自分がいなくてはなりません。

 そんなことをしていたら、仕事が進まないし、第一、チャンスを逸してしまうと思う向きもあるでしょう。さらに、時代の流れが速い今日、ちょっと待てが通じるわけないとお怒りになる向きもあるかと思います。

 そう考える向きに言いたいのです。
 物事をうまく処理し、それなりの成果をあげている人というのは、決断力や突破力の前に、必ず、一つの力をおのれに宿しているということです。

 それが、「人間力」というものです。

 もっと、具体的にいうと、対面した時に、いかなる相手であろうとも、礼儀を尽くす人です。
 椅子に座ったまま、パソコンの画面に目をやったまま、相手と話す無礼な人がいれば、そういう人を信頼してはいけません。
 人のいないところで、その人の悪口を言ったり、その人を小馬鹿にする卑怯な人を信用してはいけません。
 ところで、「人間力」というのは、作ろうと思って、できるものではありません。
 その人の生き方から、そこはかとなく漂ってくるものです。
 その人と話をしていて、その言葉の端々から窺い知れるのものなのです。

 つまり、人間が持つ謙虚さと真面目さがないと、それらは出てこないものなのです。
  先に示した無礼で、卑怯な振る舞いの人には、その謙虚さとか真面目さのかけらもありません。

 「人間力」があれば、「つもり」という人間が持つ浅はかな心の隙を打破することができるのです。
 なぜなら、「うまくいった」という「つもり」をその謙虚さと真面目さが許さないからです。

 「うまくいった」という「つもり」は、一種の自己満足です。

 義元は、雨だし、信長も城にこもって怖気付いているだろうから、この大軍を頼んで一休みだと自己満足したのです。
 日本海軍も、西太平洋からインド洋までを制覇し、無敵という甘い言葉に、指揮官から兵士まで有頂天になっていました。そこには、謙虚に敵を恐れる気持ちがありませんでした。これも、自己満足の典型です。

 人生には浮き沈みはつきものです。
 浮いている時、そこで満足すれば、人生の上昇志向はそこで止まります。
 
 信長は、雨を味方に、少数精鋭で、果敢に行動を起こすことで状況を転じたのです。
 日本海軍にやられっ放しの米海軍は、これ以上負けてはいられないと必死で戦いに臨んだのです。

 そこにこそ、謙虚で真面目な姿勢、言うなれば、「人間力」があったのです。

 世阿弥は言っています。

  人の一生には、「時分の花」である。
  それは、華やかで、類い稀なものであるが、実は、一過性のものに過ぎない、と。
  いずれ消えゆく「時分の花」ではなく、「まことの花」を持つべし、と。

 知識を得るために学び、さまざまな経験をし、酸いも甘いも知り、清濁合わせ呑むことで得た「花」こそ「まことの花」なのです。

 私は、いくつになっても、この「人間力」なるものを身につけていかねばと思っているのです。
 なぜなら、命のある限り、人生は浮沈の繰り返しです。ですから、明日にでも、「沈」が押し寄せてくるやもしれないからです。


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「わがまま」がこころに一番いい

aodisaora
台風が人の生活の場を荒らし、過ぎ去っていく。避けようにも避けえない自然の暴挙です。この細長い土地に身を寄せ合って暮らす人々は、最小の犠牲と安心の情報を得て、過ぎ去っていく嵐を見送ります。



 「わがままがこころに一番いい」などと、随分と勝手を言っていますが、「わがまま」とは、人に迷惑をかけるという意味では、私は決して捉えていないのです。

 まさに、「我が儘」であり、「儘」とは思い通りという意味ですから、「自分の思い通りに何事も行う」ということを意味しています。
 
 会社や学校という組織、そういった社会集団に入っていると、「自分の思い通り」には、そうそう簡単にはいきません。
 気を使ったり、使われたり、空気を読んだり、言葉を選んだり、自分を押し殺して、やり過ごしていかなくてはなりません。
 
 果たして、それがいいことでしょうか。

 しかし、そうは言っても、そこから抜けるということは、生活もありますから容易にできることではありません。それゆえ、「我が儘」ならぬ、「我慢(仏教では、我が身をのみ頼んで、人を侮る心を言います。)」を自らに強いることになります。
 それゆえ、不平や不満を口にし、時には、人の悪口なども言ってしまうのです。

 それくらいなら、人間のサガとして許されようもありますが、高じて、自らを頼み、相手を追い落とすような愚挙に出てしまっては、来世が危ぶまれます。
 わずか八十年の今生で栄耀栄華と権力の柄を奪取しても、八千年を生きる来世では身を小さくして暮らさなくてはなりません。
 それはごめん被りたいと思うのです。

 しかし、そうは言っても、「わがまま」が過ぎれば、周囲に迷惑をかけることもあります。
 年寄りがこれだけ多くなると、年寄りの誰もが紳士淑女とは限りません。
 車の運転を見ていても、随分とわがままな年寄りが多いようです。
 ご近所のことを考えず、横暴な振る舞いをする年寄りも結構いるようです。
 もはや、若者を罵倒するわけにはいきません。
 むしろ、年寄りの非行が、これからの社会問題になる率が多くなるに違いありません。

 さて、「わがまま」な振る舞いですが、やはり、人様に迷惑をかけずに、自分の好き勝手に生きていくという強固な信念を持っていかねばなりません。

 今まで、住宅のローンに縛られ、子供の教育費に多大の出費をし、なんとも非建設的な付き合いに浪費を重ねてきたのですから、自由気ままに自分の好き勝手に生きる権利を得たと私は考えているのです。

 まず、「右へ倣え」という感覚を捨てることです。
 あの人はあの人、我は我、という考えをしっかりと持つことです。
 でないと、「わがまま」はできません。

 次に、「挨拶はそこそこ」にすることです。
 挨拶とは、お互いが敵意を持たないことを表明するだけで十分なのです。そこから先、商売っ気のあるごますりも、自分をよく見てもらおうとする我欲もまったく必要ありません。

 「右へ倣え」の人に出会うと、あれこれとこちらの様子を聞いてきます。
 人間関係をよくしようという魂胆など一つもありません。そうではなくて、自分の優越性の確認であったり、相手への嫉妬や軽蔑の具を探すための魂胆しかないのが、彼らの特性なのです。

 最後に、大切なのは、「人の話を聞かない」ということです。
 随分と、ひねくれたことを言う人だなどと思ってはいけません。「人の話はなんだかんだと随分と聞いてきた」はずです。
 ですから、もういいではないですか。

 かといって、困っている人がいても援助しないということではありません。
 勘違いをしてはいけません。
 
 もし、困った人がいれば、その人が助かるまで、私は助ける意思を持っていますし、見返りを求めることもありません。
 その点は信頼をしていただきたいと思います。
 
 「人の話を聞かない」ということは、すべて、自分の考えで、自分の責任で、ことを為すということです。
 誰彼に気を使うこともないし、自分の人生の最良の時を、自らの手で作ることが可能な時なのです。それが私にとって今であるだけなのです。

 中には、もっと若く、そのようにしている人もいていいと思います。

 今は、お金や地位などが絶対的な価値ではなくなりつつあります。それよりも、生きていて清々しい、暮らしていて居心地がいい、自由な時間を「わがまま」に使うことを堪能しなくてはいけないのです。

 こんな暮らしをしていれば、私、結構長く生きてしまうかもしれません。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《10/22 Sunday》

‼️現在、<Puboo!><Facebook>で、金曜日に発信した作品を公開しています。‼️

❣️<Puboo!>にて、『だから、朝は素晴らしいんだ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『Mermaid beach at Gold Coast. - The forcing look blows and is no swimming allowed on this day. I was walking a beach. When I try to take a picture of a no swimming allowed flag's trailing along in a wind, one man has begun to come near the field and take a picture of the skyscraper group. That makes a picture.
美人鱼海滨於黄金海岸。- 强的风吹,这天是游泳禁止。我,走着在海滨。我,预先打算拍下来游泳禁止的旗在风上密布的话,一人的男人为田地的荞麦面来,开始拍高层群的照片。那个如画。』を公開しました。

❣️<Twitter>では、『ものかき』と銘打って、朝と晩『つくばの街であれこれ』の更新情報をつぶやいています。朝は、その日の記事について、晩は、明日の記事についてのつぶやきです。

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