ロビーナの街であれこれ

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素朴ですね。離発着する機体にタラップが寄せられて、乗客は機体から出た時点で、この地の空気を吸うことができます。今日からしばらく、この街の一角にあるロビーナという街で、「ちょい住み」をします。『つくばの街であれこれ』は、「ロビーナの街であれこれ』となります。



 飛行機が成田を飛びだったのは夜の9時過ぎ、いつも、私が寝床に入る時間です。
 ですから、私は、ゴールドコースト直行便のジェットスターでは、何も頼みません。
 エンターテイメントも、食事もなしです。
 席に着くや、目を瞑って、夢の中に入ります。

 これがLCCのいいところです。
カンタスやJALではそうはいきません。やれ、食事だ、ワインだと、大騒ぎです。

 起床は大体が3時過ぎ、この日は飛行機のエンジン音によって目が覚めたようです。

 私の座っている反対側の窓から、真っ赤な朝日がサーっと差し込んできます。
 高度10000メートルの上空から見る朝日は、一切の汚れも、よどみもない大気を透して、純潔な光を放っています。
 窓に顔を寄せて、その朝日を見ているオージーであろう女性の顔のシルエットを美しいと思いながら、私はまもなく見える光景を楽しみにしています。

 飛行機はオーストラリア大陸を右手にして、南下しているはずです。
 そして、じきに、高度を下げるはずです。
 そうなれば、私の視界に、美しい海岸線と点在するオーストラリアの村々、河川、白波が目に入るはずです。
 私にとって、すでに見慣れたものになっている懐かしい光景です。

 程なく、機体が下降する感触が得られました。
 幾層かの薄雲をへて、そこに見えたのは、濃い緑の亜熱帯雨林の姿でした。
 今回も無事につけたなと安心すると同時に、私は、この国とは縁が深いと今更のように思ったのでした。

 取手の学校で働いていた時、30名の生徒を引率して、アデレイドの学校との交換留学を行ったのです。
 以来、私はこの国の住人に知己を得て、お互いに行ったり来たりと交流をしてきたのです。
 亜熱帯雨林の風景を上空から眺めながら、私は、この国にこれで何回訪れたのかと指を降りました。
 そして、この国の人以上に、オーストラリア各地に出かけていることをあらためて知るのです。
 行っていないのは、西オーストラリアだけです。ノーザンテリトリーと呼ばれる準州にまで、私は足を伸ばしているのです。

 まさか、自分の娘が、この地で生活するようになるとは思いもよりませんでしたが、現実に、娘とその家族はこの国の住人となっているのです。

 娘の勤める美容院、そのオーナーはフィリピン人のエレオアさんです。
 旦那の仕事仲間にも、フイリピンからやってきた人のいい、気さくな人がたくさんいます。

 娘の家の前のお家の方は、三年前、カナダから移民してきたヒュー一家です。
 お隣は、オージーです。
 孫のために、木で自動車を作ってくれた手先の器用なコリンズ爺さんです。
 そんな人たちの世話になって、娘と孫達は暮らしているのです。

 飛行機がさらに高度を落とします。
 ところどころに大きな街が見えてきました。
 海岸に近い海には、幾艘もの船が航跡を描いています。
 きっと、漁船でしょう。
 いや、クルージング・フッシングの船かもしれません。
 海岸に打ち寄せる白波がはっきりと見えるようになりました。

 窓の向こうに、高層ビルの街並みがかすかに見えます。
 ゴールドコーストに近づいたようです。
 飛行機はぐんと高度を落とし、私はゴールドコースト空港に到着しました。

 この空港は、タラップを使って飛行機の乗り降りをします。
 これがまた、清々しいのです。

 入国検査は、アデレイドやシドニーとは違って、さほど厳しくはありません。
 ただ、検疫だけは口うるさく言われます。
 それでも、申告すれば、なんと言うこともありません。
 怖い顔をした入国管理官もいません。
 ビーチサンダルで国際線に乗る客も多く、皆、笑顔で順番を待っています。

 婿殿と2歳の孫が迎えに着てくれました。
 孫とは二ヶ月ぶりですが、ラインで毎日のようにあっているので、しばらくぶりという感じはしません。
 それでも駆け寄ってくる姿を見ると愛おしくなります。

 南洋杉が植えられた海岸べりの道、ユーカリの森を走るフリーウエイをひたすら走り、ロビーナの街に到着します。

 娘と生まれたばかりの孫が待っていてくれました。
 
 女の子です。
 娘に似ています。いや、婿殿かもしれません。いや、猿に近いかもしれません。

 『つくばの街であれこれ』は、ちょっとの間、ロビーナで<チョイ住み>をしますので、『ロビーナの街であれこれ』となります。

 今日から、この街で、あれやこれやを考え、哲学し、発信をしていきたいと思っています。


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どんぐりは持っていけませんが今夜出発します

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昨日は、異様な警戒音に驚かされましたが、今朝はとても暑く、それがため目が覚めてしまいました。今日明日で夏の天気も終わりと囁かれています。すっかりと秋になると言うわけではないでしょうが、確実に季節は移ろって行くようです。数日前、暑さにむせる中、歩いていると、こんなに大きな花が夏を満喫していました。夏の終わりを惜しむように、私には見えました。


 ゴールドコーストに暮らす娘から、息子が日本のアニメを夢中で見ていて、そこに出てくる<どんぐり>を欲しがっているが、ここにはないから、今度行くときまでに拾っておいて欲しいとラインを通して連絡がありました。

 今年のまだ春浅い頃のことでした。

 私は、近くの、その名も「どんぐり公園」に出かけていって、ビニール袋にいろいろな種類のどんぐりを拾い集めて、それをガレージの棚からぶら下げておいたのです。

 すっかりとそのことも忘れた頃、娘が孫を連れて、つくばにやって来ました。

 ゴールドコーストの公園という公園は、すべて色とりどりのラバーが貼られていて、遊具もラバーでコーテイングされていて完璧な安全性が施されています。
 ブランコは、ゴムで腰をすっぽり覆うようになっていて、落下事故のないように、そして、公園は金網で仕切られ、変人による不測の事態が発生しないよう配慮がされています。

 そんな公園とはまるきり違うのがつくばの公園です。

 そこは雑草が伸び放題、幼児には重たい鉄の遊具、そして、子供達が好んで遊ぶ地べたは、皆が足で擦って、深くえぐれて水が溜まっています。

 でも、孫は、そんな自然味、野性味溢れる日本の公園が気に入ったようです。
 草むらに入っては虫を追いかけ、母親を心配させます。
 虫に刺されないか、危険な動物はいないか、かつて自分が遊んでいた場所に不安を募らせるのです。

 孫は今度は砂場でひっくり返ります。
 ゴールドコーストの美しい海岸の、その砂浜にいるかのように振る舞います。
 ここまでくると、娘はもはや何も言わなくなりました。
 自分がそうだったことを思い出したようです。

 私は、娘たちが今はなくなった公園の隣にあった麦畑に入って、実り間近の麦の穂を台無しにし、親に連れられて謝りに行ったことを話しました。

 どうやらそのことを覚えていたようです。
 畑の主は、心の広い方で、これからはやってはいけないよと娘たちに諭し、後日、収穫した麦を袋に入れて持って来てもくれました。

 そんなことを話しているうちに、そうだどんぐりだと思い出し、孫を公園の隅にある小さな森に連れて行ったのです。
 結構などんぐりの実がそこにはまだ転がっていました。
 孫は、見ていたアニメの世界に入ったかのように、どんぐりを拾いまくりました。
 私は駆け足で家に戻り、ビニール袋を取りに行かねばならないほどのどんぐりを手にしたのです。

 オーストラリアは動植物の入国に際しての検疫の厳しい国です。
 何度かカンタス航空に乗り、オーストラリアを訪問してましたが、シドニーに着くときも、アデレイドに着くときも、殺虫剤を機内で撒かれたこと思い出します。

 実際に、それが効能を発揮していたのかどうかは疑問です。
 むしろ、検疫が厳しくありますよと警告を発しているかのような殺虫剤の機内散布ではなかったかと思っているのです。
 というのは、ジェットスターでゴールドコーストにつくときはそんなことは一度もないからです。

 それはともかく、集めた大量のどんぐりは我が家に持って行くことになったのです。
 そのとき、私は以前集めておいたどんぐりがガレージにあること思い出し、娘にそのどんぐりを手渡しました。
 孫は両の手にどんぐりのいっぱい入った袋を下げて、ますます、アニメの世界に没頭しています。

 二階に上がった私のところに、どんぐりから芽が出ていると娘が孫を抱いて上がって来ました。
 アニメにあったように、孫がそこからどんぐりの木になるようにして欲しいとお願いを言いに来たというのです。

 その仕草、その言い分を聞いて、じっとしている私ではありません。

 裏庭に置いてある素焼きのポットを持って来て、丈夫そうな芽の出ているどんぐりを選別してそれを植え込みました。
 それからしばらく、そのポットは私の第三の書斎ともいうべきウッドデッキで静かに時を過ごしていたのです。
 そして、孫たちもオーストラリアに戻り、一ヶ月余りが経った頃、ポットの土の中から、可愛い芽が三つも伸びて来ていたのです。
 一旦、芽が出れば、植物の成長は早いものです。

 早速、LINEで孫にその芽のでたポットを示しますと、それはそれは大はしゃぎです。
 つくばでこのどんぐりの木を育てるからねと言うと、もってこいとせがみます。

 それはできないと私も娘も言いますが、どんぐりを見てアニメの世界に再没入した孫には、何としても自分の目の前で植えられ、芽を出したどんぐりのポットを手元に置きたいようです。

 オーストラリアにないものを持っていくことは気が引けます。
 だって、日本だって外来種の異常な繁殖により、日本固有の生物が絶滅に瀕しているのです。
 しかし、そんなことを言っても孫にわかるはずもありません。

 娘は、きっとそのうち忘れちゃうよと言います。

 その娘が、先日、2番目の子を出産しました。
 私にとっては初めての女の子の孫になります。

 ということで、私、どんぐりは持っていけませんが、今夜、ゴールドコーストに向けて、旅立つことになったのです。


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引っかかっていた棘のようなものがすっと落ちていきました

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長明が方丈記で書いていたかどうかは忘れましたが、立派な庭を作っても、余人が入るのを拒む仕草をすることを大いに嫌っていました。小さな会社の、門扉もない敷地、プレハブで建てられた社屋のある無造作な植木のところに見たこの看板、今時であると思うには、いささか無粋であると思ったのです。


 ついこのあいだのことです。
 それまでは、<nkgwhiro>と自分の名前のイニシャルをそれとしていましたが、私のTwitterの名を「ものかき」と改めました。

 学校に勤めている時、お辞めになられた先輩の教師がひょんなことで学校を訪ねて来てくれることがあります。
 そんな時、同僚の何人かが、今何をしているのですかと尋ねる時、先輩の先生方が少しだけ、戸惑いを見せる風を私は察知していたのです。
 学校は一定の年齢が来れば、去らなくてはなりません。
 先輩の教師たちは、まだまだやりたいことがあったはずですが、慣習に従って、後輩に職を譲っていったのです。
 ですから、その寂しさが、こうして学校に足を向かわせるのだと当時私は考えていたのです。

 しかし、そうした先輩の教師と職員室で膝を突き合わせて、話をすれば、当然、今は何をということになるのは成り行き上、仕方のないことです。
 それ以外の話題は、容易に思いついては来ません。
 
 ですから、当然、そのような会話になることを予想して、何人かの先輩たちは言葉を用意してくるのです。
 草花の研究を本格化し、近々、本を出すんだとか、アメリカ横断のバイク行を敢行するとか、あるいは、どこそこで働くことになったとか、そういうことを言います。
 しばらくの間、その提供された話題で座は持つのです。

 私は、私の主義として、辞した場所には出向かないというのを若い時から持っていました。
 学生時代のアルバイト先にも、取手の学校にも、そこを辞したからには出向かないことにしているのです。
 それは、土浦の学校も同じです。

 縁を切るというのではなく、辞して、次の場に行った以上、その場で全力を尽くすのが筋であると思うからです。
 もちろん、その場での人脈や知己を得た方のお力添えなるものも大切ですが、私の属する業種は、今も昔も、人脈も知己による口利きも一切合切必要としない場です。

 ということは、自分一人が力の源泉であり、頼りになる存在だということです。

 それは、もちろん、今も変わりがありません。
 誰に頼るのではなく、たった一人でやっていくだけなのです。
 
 今の私は、教育からはまったく異なる業種についていると言えます。

 ものを書く時間が圧倒的に多いのです。
 かといって、それを金に替えて食っているわけではありません。

 生きる算段の糧を得るためにものを書くのではなく、生きるためだけにものを書いているのです。

 お盆に、古くからの友人に会う機会がありました。

 同じ年の彼はまだ職についています。
 その彼がお決まりのように、何を今していると尋ねて来ます。
 私はちょっと躊躇して、というのは、まだ「ものかき」とTwitterでの表記を変えていなかったからでもあるのですが、彼の目を見て「今、ものをかいている」と自然に返答したのです。

 私がそうしたことに興味があり、実際、いろいろな活動を展開して来ていることを知っていた友人は、そうか、すごいなとまず言い、じゃ、また本を出すんだなと言葉を継ぎます。

 そうなるかもしれないと私も応答します。
 そう言うと、私の中に、何か自信に満ちたとてつもない力が沸き起こって来たのを私は察知したのです。

 例えば、『つくばの街であれこれ』は、だいたい400字詰原稿用紙で5枚前後の文章を毎日綴っています。
 読むのに、2分程度はかかる代物です。

 ネットで、2分もの時間を要するのは決定的にマイナス要因です。
 中に、写真があるわけでもなし、ただ、文章が連ねられているだけのサイトです。
 でも、それに目を通してくれる読者の方がいるのです。
 中には、感想や意見を、それも、きちんとした文章で送ってくれる方もおられます。

 ですから、私は一方的にことを断ずるのではなく、自分の考えや意見を押し付けるのでもなく、まことに謙虚に考えを披瀝するようにしているのです。

 メージャーな<ものかき>ではありませんが、また、文章をもって糧を得るわけではない<ものかき>ではありますが、実に幸福者の<ものかき>であると思っているのです。

 ですから、私も、訪問する先のサイトを丁寧に見るようにしているのです。
 いろいろなお考えのサイトも、自分と異なる考えだからと切るのではなく、訪問し読むことで、その考えのありようを知るようにしているのです。
 過激な意見も受け止めます。
 好きな写真や絵も、もちろん、そうではないものも受け入れます。
 
 それがあって、<ものかき>として、また文章が綴れると思っているからです。

 なんだか、旧知の友と会って、ありきたりの会話をする中で、自分の中で引っかかっていた棘のようなものがすっと落ちたような気がしたのです。
 
 それは、自分の今ある場を明確にすると言う極めて重要な一点を確保できたと言う点で、自分の覚悟が定まったと言うことに通じるものであると思っているのです。


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復讐や恨みを教える教育に未来はない

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日本と中国の間には深い川があります。日本はその川をなんとか渡ろうとしていますが、中国はそれを横目で見ているだけです。でも、若い人たちが少し、手を差し出しつつあるようです。川は往来をさまたげるものではなく、往来を促進するものなのです。


 環球時報をチェックしていましたら、見たような軍服を着た4名の写真が目に入りました。

 一人は、海軍の戦闘帽をかぶり半袖半ズボンの兵士です。
 もう一人は肩章をつけ、立派な制帽をかぶった、これも海軍の士官制服です。
 あと二人は、白い制服とは異なるカーキ色の冬の制服で、これも海軍のものと思われます。

 もちろん、いずれも日本海軍のものであることは一目瞭然です。

 はて、8月15日も随分と過ぎてから、かような写真が掲載されるとは、また何事か難癖でもつけてきたのかと訝りつつ、記事を読み進めていきました。

 すると、中国の若者たち数名が、<上海四行仓库抗战纪念广场>と言いますから、抗日戦を扱った記念堂か何かのところで、日本海軍の軍服を着用して、写真を撮り、それを<微博>にアップしたという内容でした。

 そして、そのアップされた写真に対して、抗日戦を記録し、愛国主義を発揚する場所で、公序良俗を無視し、民族感情を逆撫でし、人民の愛国感情を害し、社会主義の核心価値観に違背し、社会的に好ましくない影響を与えたとすごい剣幕ぶりの記事が書かれていました。

 その記事で、彼らは<军服迷>と書かれていましたから、いわゆる、「軍服マニア」なのです。
 日本からブームが伝わり、中国のみならず、世界中で若者を夢中にさせているコスプレマニアといったところでしょうか。
 
 上海の警察は、<中华人民共和国治安管理处罚法>なる大仰な法でもって、彼らを<行政拘留>とし、うち未成年には<教育訓戒>処分を言い渡し、彼らは深く悔悟していると伝えています。

 つい先だって、ドイツでも、中国の若者がナチス式敬礼をして、騒動を起こしたとありました。
 これらの記事を読むと、中国政府も大変だと思うのです。
 何が大変かと言いますと、教育が偏向することで、その弊害が極端に出てきていると思うからなのです。

 若者というのは、そうそう簡単にお仕着せの「きまり」というものを受け入れないものです。
 それは、自由の国でも、社会主義を標榜する国でも変わりありません。
 若者というのは確たる理由もなく、お仕着せの締め付けには抗うものなのです。

 現に、かの国であれほど忌むべき日本軍の制服を着用したり、ナチスの敬礼をしたりする若者がいることがそれを証明しています。

 中国政府が教育現場でいかに日本は悪い国だと教育しても、また、抗日映画を盛んに作って、あることないことを描き、反日感情を煽っても、若者たちはその奥に蠢く魂胆をものの見事に見抜いているのです。

 ネットを通して目に入る日本の洗練された情報、そこが発端となり、日本への興味がわき、実際に日本を旅行する若者も多いはずです。
 政府が喧伝する悪者「日本」が、本当はそうではないのではないかと気づき始めているのです。

 交通ルールは守られ、駅では身体チェックもない、我先にと血走るのではなく列を作って順番を待つ、そして、何より、お店の人の親切、街を歩く人の温かい姿に接するのです。

 これは自分たちが暮らす中国とは真逆のありようなのです。
 そして、これが政府が言う「小日本」「日本鬼子」の、本当の姿なのだと気がつくのです。

 日本海軍の制服がかっこいいか悪いかはともかく、この中国の若者たちは確かに日本海軍の制服を誇りある制服としていたのではないかと思えるのです。
 もちろん、記事はそこまで突っ込んだことは書いていませんし、彼らそう思っていた根拠はないのですが、かっこが悪いことは、若者というのは真似しないものです、それがかっこいいから、若者というのは真似る、それが私の推測の根拠となっているのです。
 
 偏った教育というのは、そこに主義、思想、理論はありますが、ただ一つ欠けているものがあります。
 それが「素養」という極めて当たり前の人間のありようです。

 日本でも80年ほど前、鬼畜米英という標語を振りかざして、学校から英語をなくしました。
 つまり、素養としての「英語」を、それが敵性言語であるからと排除したのです。
 一方、アメリカは全米から日本語と日本語文化に精通した研究者を集め、日本語と日本文化の研究を始めます。
 来るべき戦いを想定して、敵国日本の情報を共有していったのです。

 日本がアメリカに惨敗を期したのは、そうした教育の本質を外すあり方にあったのではないかとも思うのです。

 今、日本における教育は、未知の出来事を探索できるよう子供を導き、知識を得る能力と知識の大切さを育てるものとなっています。
 ですから、国家のあり方とは相反する考えも当然出てきます。
 でも、それは取り締まりを強化して押しつぶすことはできないものであり、むしろ、それこそが次代を作り出すエネジーになっていくと考えているのです。
 
 同時に、素養のある人間となるよう、あいさつや人との接し方、公共のマナー、食事の前の手洗いなど、人として基本的な事柄をきちんと教育しています。
 それらが、中国の人たちが来た時に目にする日本人の行いに出て来ているのです。

 中国の若者たちは、日本の文化に触れれば触れるほど、共産党政府が意図することが決して正しいことばかりではないことに気がついていくのです。

 まぁ、日本人でも素晴らしいことばかりがあるわけではありませんが……。


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「旅」は若者だけの特権ではない

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ささやかな旅の思い出が壁のちょっとした場所にかけられています。どこで買ったのか、どう言う経緯で買ったのか、それともいただいたのか、それさえも忘れてしまっている「思い出」の数々なのです。


 さぁ、旅に出よう!
 と言っても、明日にでも旅に出かけようというのではないのです。
 
 旅を綴った本で、夢中になって読んだ本があります。 
 沢木耕太郎の『深夜特急』という作品です。
 私がアジアを好きになった背景には、きっと、沢木のこの本があるに違いないと思っているのです。

 荷物は手軽なものだけ、宿は一番安いところ、食べ物は人情味もその味わいとする店、長期滞在はせず、人間のしがらみができないうちに別の場所に移動する。

 旅の期間は設けず、さりとて、無期限ではなく。
 目的地は定めず、さりとて、無軌道ではなく。

 ただ基本は他人に迷惑をかけず、自己責任を明確にしておく、そんな旅なのです。

 『深夜特急』には、会社を中途退職した気の弱そうな、それが故に、大胆な行動をしてしまう日本人が出てきました。
 人間が人間を食うかのようなサラリーマン生活に嫌気をさした男だったと思います。あるいは、リストラをされて、如何ともしがたい気持ちで海外に出てきた男だったかもしれません。

 人がこのような旅をするときは、きっと、その人の心の中に、ひとかけらの傷みたいなものがうずいているのです。

 団体で行く、ありきたりの旅は、旅とは言いません。
 あれは「旅行」であり、「観光」なのです。
 決められたコースをお仕着せの形で巡るだけのものなのです。

 そうではなく、自分の気持ちと対し、とことん追求して行くのが「旅」というものなのです。

 イギリスで長期の引率をしているとき、たった1日の休暇を1人ポーツマスで過ごしたことがあります。
 私が<Puboo!>で発表している『ポーツマスの旅』で書いたことではありますが、私はそこで一人の日本人と出会いました。

 ポーツマスの港を遊覧する船の中で声をかけられたのです。
 彼は、革製の重厚な鞄ひとつを肩から下げ、今晩にはポーツマスからフランスに渡り、欧州大陸を旅すると言っていました。
 仕事を終え、わずかばかりの金で出かけてきたと言います。
 欧州を歩き終えたら、ソウルに行き、韓国語を勉強し、生活の糧を得たいと、彼は初めてあった私に語るのです。

 昼食を共にしながら、短い時間の逢瀬でしたが、あのとき、私は、これは私にはできない旅であると思ったのです。
 そして、今、あれから数年を経て、どうして私はそう思ったのかを自分に問うことが多くなっているのです。

 私は今、ものを書くことに集中しています。
 それは、私の年来の希望であったからです。
 生活のあれこれに煩わされないで、闊達にものを書くことに時間を割く、そして、それを発信する。
 こんなすばらしいことはないとそれを念願して、そして、今を過ごしているのです。

 そんな中で、私はあの革製の重厚な鞄を肩にかけて、旅する男が気になって仕方がなくなったのです。

 名前も聞かず、それゆえ、連絡先も知らないその男は、まさに、人との逢瀬を楽しみ、私が出すと言った昼食代も、旅という最中で人に世話になることは旅における敗北だと言わんばかりに、私はあなたにご馳走をすることはできないが、あなたにご馳走になる理由もないと嫌味なく言うその姿に私は感銘を受けたことを思い出すのです。

 旅の始まりは、プランニングから始まります。
 なんでもそうですが、プランニングをしている時が最も楽しい時です。
 期待と不安が入り混じりながらのプランニング、情報を収集する際に感じることのできる恍惚感に近い興奮、多くの人がそのような体験をへて、世界に飛び出しているのです。

 旅は、若者だけの特権だろうかと私は、ポーツマスの男を振り返って思い起こすのです。

 あの時、私は、この男のようにはできまいと断定したのは何故なのかと。
 自らを限って、後先を考えない放縦なあり方を横に押しのけていたに違いないと考えるようにしていたのではないかと思うようになっていたのです。
 そして、それが私の嘘の気持ちであることも私にはわかっていたのです。

 これからの時代、旅は決して若者だけの特権ではないのです。

 健康でさえあれば、白髪の男が、口ひげをたくわえて、リュックを背負って、アジアを巡るのもありなのです。
 高級なホテルに出入りするのではなく、場末の中華街や、インド人の暮らす街でカレーを手を使って食するのです。ヒマラヤになるべく近づき、崇高なる姿に己の人生のありようを振り返るのです。はたまた、人と牛が混雑する街中で、人の生き方の虚しさを悟るのです。
 
 そんな旅を今、私は今、想っているのです。


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擬似自然ともいうべき環境の中で

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金沢を旅した時、見つけた<デザイン手ぬぐい>。それに額をつけるとこんな芸術品になります。持って帰るには重すぎたので、近くにあった宅急便にお願いして、つくばに持ってきてもらいました。今、我が家で燦然と威容を誇っています。


 我が家のウッドデッキにもささやかな歴史があります。

 40代の頃でした。
 一夏の休みを使って、アメリカから取り寄せたウッドデッキを作る本、それを見ながら、我が家の庭にウッドデッキを作り上げたのです。
 長さは6メートル、幅は1.5メートル。二つあるドアーから出入りができるように高さもそれに合わせました。

 土台となる石、木材、木材を留める金具と、車で20分のところにあるジョイフル本田に通って、必要な材料を運んでは、夏の暑さをものともせずに作業をしました。
 夢中になれば、暑さも忘れます。
 完成まで20日間を要し、最後は防腐剤を塗って終わりです。

 まあ、よくやったと悦に入りながら、大自然にいるかのようなウッドデッキに、キャンピングチェアを持ち込み、本を読んだり、思索をしたり、あるいは、ノートパソコンを持ち込んではものを書いたりしていたのです。

 何年かして、ウッドデッキの床面に腐食が見て取れました。
 どうやら、防腐剤の塗布が甘かったようです。そこで、さらに防腐剤を塗り直すという応急処置をしますが、原因はどうやら防腐剤ではなく、床材そのものにあったのではないかと気がつきます。

 つまり、私は、床材をけちっていたのです。

 ハードウッドと呼ばれるウッドデッキ用の腐食しない床材の価格は幾分高価でした。
 予算内で仕上げるには、それは困った問題でした。
 ですから、安く、加工しやすいパイン材で、そこに防腐剤を塗ればいいくらいの気持ちでいたのです。
 それが大きな間違いでした。

 私は、実にケチだったのです。
 安物買いの銭失いという言葉がありますが、実際、私はそれで何度も煮え湯を飲まされていながら、一向に改めることができないのです。
 きっと、この癖は死ぬまで治らないと思っています。

 それでも、作って7年、私の作ったウッドデッキは、私に夏の日の戸外での貴重な時間を過ごすのには最適の場所となったのです。
 
 8年目の秋遅く、私は業者をネットで探し、ウッドデッキを腐らない材で作ってもらうことにしました。
 もはや、書物を読み、思索をし、ものを書くにはそぐわない環境に、私のウッドデッキはなってしまっていたのです。

 やって来た職人さんの最初の仕事は、私の作ったウッドデッキを壊すことでした。
 お世辞とはわかっていながら、素人がここまで作るなんて大したものですよという言葉にうっとりしながら、素晴らしいウッドデッキの完成を10日後に見ることになったのです。

 そして、今、職人さんの作ったウッドデッキ、その半分ほどに付けた透明ガラスのはめ込まれた屋根とその下にカーテンをつけて陽をさえぎることができる場所で、私は読み、考え、そして書くという活動を行っているのです。
 言うならば、ここは私にとっての第3の書斎とも言うべき場所なのです。
 
 ウッドデッキに腰掛けて、活動をしていると、いろいろな出来事に遭遇します。

 我が家のウッドデッキに面した南側には、その奥にあるアパートの駐車場となっています。
 私が活動する時間帯、住人たちのほとんどは仕事に出かけ、車も人影もなくなるのです。

 その駐車場の向こうには大きなマンションがあります。
 そこも、昼間、人の往来はめったにありません。
 グレーの目立たない外壁に沿って、樹木が等間隔に植えられて、それなりの風景を見せてくれています。
 ですから、私は、かなり広い空間をひとりじめして、ウッドデッキに腰掛けていることができるのです。

 午後一番の配達に来る郵便屋さんは、私がいるのがわかるとわざわざウッドデッキまできて、郵便物を届けてくれます。
 時には、パトロール中のお巡りさんも、いいですね、こんな素晴らしいところでゆったりできるなんてとやって来るときもあります。

 ヒッチコックの映画に『裏窓』というのがありましたが、私のウッドデッキからは殺人事件も人の世にありがちな人間の憎悪も見えませんが、私はここで多くのことを妄想し、メモしているのです。

 人が空想をしたり、思案するには、自然の環境に近い、このような場所が適していると思うのです。
 しかし、すっかり自然そのものの中ではそれは不可能です。
 人間が作った、いうならば「擬似自然ともいうべき環境」が一番なのです。

 イギリスに行くと、人の多く暮らす街に、いわゆる泥道というのはありません。
 人が歩く道には、レンガや小石がはめ込まれています。
 人間が自然を征服したということを、これでもかと見せつけるような道のあり方です。
 そこを歩いていると、レンガを通して、あるいは小石のゴツゴツした感触を足裏に感じて、ある種の「擬似自然ともいうべき環境」を体験することができるのです。

 もし、そこが赤土で、一雨あればどうしようもない泥道になったり、あるいは、風で土埃が舞い上がっていたりしたら、人は、それを心地よい自然とは感じないでしょう。
 私たちの持つ言葉としての「自然」というのは、いわゆる「自然」そのものではなく、そこに人為が加わった一手間があっての「自然」なのです。


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永遠に生きると思って学びなさい

po829u3e.elm,
あとは、ツクツクボウシの鳴き声が聞こえれば、夏の終わりを感じるのですが、つくばの我が家の縁側の下から、昨晩は、あろうことか、鈴虫の声がしました。暑さはまだ続きますが、確実に季節は移ろいつつあるようです。


 『永遠に生きると思って学びなさい』

 ガンジーの言葉です。
 人間は所詮限りある命を与えられた生命体の一つにしかすぎません。しかし、その限りある命を持つ人間には、「学ぶ」力が、他の生命体よりも多く備わっています。

 そういう意味で、この言葉は、人が生きる上で、大切なことを語っていると思います。

 学んだ人間というのは、当たり前のことですが、その言葉や立ち居振る舞いに、深さとか、重さとかをうかがい知ることできます。
 学問を積んだ人も、実生活で苦労した人も、それは共通して伺うことができるのです。

 しかし、学ぶということが幾分軽薄化している、もっと、具体的に言えば、学ぶことで資格を与えられ、それが利益のみに繋がると考えている嫌いが見えている気がしてならないのです。
 世の中、経済も確かに大切だけれども、その言葉や立ち居振る舞いに、深さとか、重さとかをうかがい知ることができる「学び」がなくてはいけません。

 その例にお坊さんをあげることにいささか恐縮するのですが、でも、お坊さんがますます学びに没頭していけるようにという思いを込めてあえて語りたいと思います。

 哲学も、理念も、人の心を救う説教も、語ることのできないお坊さんが多くなっている、と私は思っているのです。
 哲学や理念をもち、深い思慮を持つお坊さんは、何も語らなくても、そのお姿を見るだけで、自然と頭がさがるはずです。
 しかし、今、お坊さんの言動に、利欲を重視する姿を垣間見てしまうことが多いのです。
 
 人から尊敬され、一目置かれる立場にある人に必要なのは、何かに取り憑かれたように「学ぶ」という姿勢です。
 そうすれば、その姿だけで、多くの人の敬愛を受けることになるのです。

 実は、それは、教師についても言えます。

 教師というのは、生徒の目線にあって、指導することが肝要であることは言うまでもありませんが、生徒と同じ場にあってはならないのです。
 生徒の目線でものを見て行く上で、教師は腰を落としますが、生徒と同じようにその場に腰をかけてはならないのです。

 何故ならば、教師は生徒を指導し、学ばせる人間だからです。
 そのために、教師は学ぶ生徒とは異なる次元で存在をしていなくてはならないと生徒に思わせなくてはならないからです。
 そうすることで、生徒の教師に対する敬意が示され、生徒の学びは深まるのです。

 あの先生がいるだけで、生徒たちがピシッとするとよく言われますが、それはその教師が放つ学びの姿がそこにあるからです。
 生徒たちは、その姿に畏敬の念を抱くのです。
 そうした教師がいるところでは、バカな事件は起きません。

 生徒と同じ場に腰を下ろし、生徒を指導できなくなってしまった教師のところで問題は起こるのです。

 お坊さんも先生も、学びをしないものは淘汰されていかねばなりません。
 でないと、日本から仏教の教えも、教育の真髄も消えてなくなってしまいます。

 実は、『永遠に生きると思って学びなさい』の前には、『明日死ぬと思って生きなさい』と言う言葉がついています。

 これも含蓄のある言葉です。

 でも、実際のところ、明日死ぬなんて、人間は誰も思わないでしょう。
 病を得て、病院のベットに横たわっている私、明日には、いや、数十分後には、亡くなるとは決して、思わないと思うのです。

 昔、トルストイの『戦争と平和』に執心して、熱心に読んだ時期があります。

 その中で、どうしてもわからない部分がありました。
 それは、死の床についた老人の前に、ロシア正教の牧師がやってきて、振り香炉を揺らしながら祈祷します。それを後ろで悲しそうに眺める家族がいます。
 人は、そうやって、自らの死を受け止め、死に行くものなのだろうか、と若い私は思っていたのです。

 私は、父や母をおくりましたが、父も母も、自分が死ぬとは思っていなかったような気がしてならないのです。
 明日には家に帰れる、帰ったら、あれをしなくてはいけないと語っていたことが、そう思わせるのです。

 自らの命の限りを悟り、粛々として、死の床につけることには、キリスト教特有の死生観がそこにあるらしいと、私は思っているのです。
 自分は死に、そして、神の元に行く。
 それは素晴らしいことで、これまでの生きてきた時を懐かしみ、愛する人に感謝を捧げるのです。
 
 そういう心境を、キリスト者ではない、東洋人のガンジーが持てたことが素晴らしいと思うのです。

 私たちは、いつかは死ぬ身です。
 その時を蕭蕭として迎えられるように心構えをしておく、そして、その心構えを作る学びをしっかりとしてくというのが、肝要だと思っているのです。
 できるならば、引導を渡してくれるお坊さんに恵まれること、学びの真髄を伝えてくれる先生に会えることも人生では大切だと思っているのです。


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発せよ、飢えたるものよ!

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ミンミンゼミが早朝から意気盛んに鳴き声を発しています。昨日来の猛暑復活で命を得たかのようです。甲子園も終わり、今年の夏もひと段落、何か、失った気持ちになるのは何でしょうか。


 私のサイトを見ていだければお分かりだと思いますが、私は、FacebookとTwitterの両方を使って、水彩画や文章を発信しています。
 非常にオーソドックスなありようです。
 私がもっと若ければ、マストドンやインスタグラムを使って、シャカシャカとやるとは思いますが、今は、これで十分であると思っています。

 Lineは、とても便利で、娘二人とはLineで繋がっています。
 特に、オーストラリアで暮らす娘とは、Lineのおかげで随分と便利をさせてもらっています。

 ゴールドコーストで幼稚園に通う孫も大きくなり、娘のiPhoneを手にしては、勝手に電話をしてきます。
 何かを話す訳でもなく、大きな声で、ハロー、ハローと叫び、バーイと言って、電話を切ります。
 それでも、通話料がかからないので、心配は要りません。

 一昔前、事務から、職員室の電話で国際電話をした教師は申し出よと声高に言われて、多くの教師たちが不快に思い、事務と一触即発の事態になったことがありますが、それだけ国際電話は料金が高かったということでしょう。

 それが、Lineを使えば、タダなのです。
 これを発明した人はすごい人であると思うのです。

 私は水彩画を描きます。
 私の水彩画は、基本的に、メンバーになっているロンドン<Purity in Art>で公開しています。
 水彩画用紙に描くこともありますが、ネットで発表する作品はiPad ProとApple Pencil を用いて、アプリを使って描き、Facebookを経由して、<Purity in Art>に掲載するのです。
 世界中から<いいね!>を押してくれる情深い方々には心から感謝をしているのです。

 Facebookには、思いもよらない、懐かしい方から連絡が来ることもありますが、私の方からは、きっとあの人だと思っても、連絡は取らないようにしています。

 決して、人を避けているわけではありません。
 そうではなくて、Facebookというサイトを新しい友人との出会いの場としたいと思って、決めているからなのです。
 ですから、Facebookでは、私は自分の描いた絵を発表するの一点に絞っているのです。

 もちろん、類まれな経験をした時など、いたたまれずに、動画付きで発信したことがあります。
 例えば、マッカートニーのコンサートに行った時などです。
 基本的には、来るものは拒まず、しかし、新しき同好の友を求めるというスタンスで、絵につける解説文も、英語と中国語にしているのです。

 Twitterは、自分のサイトの宣伝、というより、自分が発信する考え、綴った文章の解説をするくらいの意味合いで使っています。
 食べた昼ご飯や、出かけた先の写真など載せることは滅多にありません。
 それは、これからも貫き通したいと思っているのです。

 結構、自分では際どいことも、とりわけ、中国政府に関しては述べているのですが、これと言ったご批判はありません。
 まぁ、批判するほど読まれてはいないのかもしれませんが、それでも、過去には、嫌がらせのような文章が紛れ込んできたこともありました。

 そのような方は、だいたいが匿名、つまり、名を名乗らない方です。

 取手の学校にいる時、生徒が自殺をしました。
 その件で、問い合わせがありました。
 詳しく説明する責任があるだろうと詰問して来るのです。
 ですから、私は私自身の身分と氏名を名乗り、そちらも名乗りなさいと言いましたが、決して名乗りませんでした。
 そういう方に、一生徒の細々としたことを語ることはできません。

 そのあとに、自らを名乗り、住所と氏名を述べて、今回のことを憂慮しているという受験を志す生徒の親御さんから電話がありました。
 私は、学校として切実に受け止め、こうしたことが2度と起こらないよう、教師全員が取り組みを強化していると述べ、ただ、亡くなった生徒については語ることはしませんでした。
 自らを名乗ったこの方は、こちらが率直に回答したことに安堵したのか、それ以上詰問することなく、電話を切られたのです。

 人というものは、だいたいがそうなのです。
 誠実に対応する人というのは、自分が何者であるのかを伝え、相手の苦しい心中を察するものなのです。
 それが人情というものです。
 しかし、匿名の方というのは、腹に何かあり、言葉尻を捉えて、攻撃をして来るのです。

 私は、それを嫌という程、知っていますから、FacebookやTwitterでは、なるべく私本人を隠さないようにしているのです。
 それが、正々堂々とものを語る上でのスタンスであると思っているからなのです。
 そういう姿勢も、このサイトは生意気だから、一つ、ぶっ潰してしまおうとする輩が来るのを防いでいるのかもしれません。

 今、 FacebookもTwitterもひところの威勢の良さがなくなったと報道されています。
 
 若者たちは、親や、会社の上司、同僚と、家庭や会社以外で交流したくないのです。
 よくわかります。本当によくわかります。

 好き勝手なことを言える場に、父親や部長がいては、何も言えなくなります。
 でも、それが威勢の良さに陰りを見せる大きな要因であるとは思えません。

 これまでなかった新しい通信手段、意見発表の場としての革新性が、時間を経て、様相を変え、マイナーからメジャーになったに過ぎないだけなのです。

 Line同様、FacebookもTwitterも、圧倒的多数の人々の重要な発信の場です。

 昔の飢えたるものは立ち上がることしかできませんでしたが、今は、意見を発信できるのです。
 発せよ、飢えたるもの、というわけです。


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日本が養い育ててきた美徳をもって

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関東は、随分と涼しい、しかし、湿度の高い日が続きました。夏とは名ばかり、困った方も多かったと思います。今日あたりから気温がまた、高くなるといいます。夏は暑くなくては夏ではありませんから、結構なことです。



 <axis>という英語があります。
 数学で使うグラフの「軸」という意味であり、平面を等分する「中心線」であり、回転体の「軸」を表す言葉です。

 1936年、イタリアのムッソリーニが、腕を振り上げ、唇を尖らせて、演説をしました。

 「ドイッチェランドとイタリアーノを結ぶ絆、ローマとベルリンを結ぶ線は、他国を隔てる隔壁などではない。協調と平和の意志を持つすべてのヨーロッパ諸国が、その周りを回ることができる枢軸(Axis)である」と。

 これが、のちに「日独伊三国同盟」を中心とする<枢軸>国の語源となっていくのです。

 そして、それに対抗し、同盟していったのが、<alliance>、つまり<枢軸国>に対する<同盟国>ということになり、世界は二分されていったのです。
 さらに、彼らは、自分たちをUnited Nationsと呼んで、<連合国>を形成したのです。

 私たちがよく耳にする『国際連合』も実は、英語ではUnited Nationsであり、日本語にある「国際」なる言葉はどこにもありません。
 大きな力を有する常任理事国は、戦勝国であり、連合国に属していたアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国の五カ国で、国連憲章が改正されない限り、この国々は、恒久的にその地位にあるのです。
 さらに、地位の恒久性に加え、拒否権も与えられ、それゆえ、大きな力を持っています。

 まさに、先の大戦の戦勝国の支配下に、世界はあると言ってもいいのです。

 ですが、だからと言って、あの時代、日本に対して、横暴な振る舞いをし、経済を振りかざして、日本の自衛を脅かしたアメリカに徹底抗戦し、そして、戦後は国際社会の一員として貢献してきた日本が、今更のように、そこから脱退すべきだと主張するものではありません。

 国連憲章1条にあるように、国際平和・安全の維持、諸国間の友好関係の発展、経済的・社会的・文化的・人道的な国際問題の解決を目的とするという趣旨に与して、今後も、日本は大きな役割を果たしていくべきではあるのです。

 ただ、ソ連からその権利を受け継いだロシア、中華民国から転じ、権力を奪取した中華人民共和国がそこにあることで、この組織の問題解決力には限界が見えてくるのです。
 もっとも、これらの二国の体制の変更期に当たって、常任理事国を外せなかった甘さが、アメリカ、イギリス、フランスにあることも事実です。

 Group of Sevenというのが年に1回、持ち回りで開催されています。
 いわゆるG7というものです。
 そこには、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本、イタリア、カナダの7つの国が参加しています。

 G7は、見解をいつにし、協調と進歩を理念とする、かつては連合国と枢軸国とに分かれていた国々が、再度結集したグループです。

 今、世界をリードする7つの国であり、そこに日本が入って、中心的に活動する様を見ることは実に誇らかなことではあります。
 一時期、G8として、ロシアも入った時期がありましたが、クリミアへの侵攻、ウクライナとの対立から、その地位にふさわしくないと除かれました。

 つまり、G7というのは、開放された社会を持ち、自由と平等を享受し、人間の尊厳を重視するグループであり、その理念を広めていく責任を負っているということになります。

 ですから、軍事行動で他国の領土を奪い取るような行為に及んだり、人権を無視して、政権に不利な考えを持つ人間を痛めつけているロシアや中国には入る資格はないということになります。
 しかし、そのG7も内部では大きなうねりの中にあります。
 確かに、トランプのアメリカ、EUを脱するイギリス、中国に殊の外接近するドイツと、G7内の乱れは見て取れるのです。

 これは、欧米のグループが、18世紀以降、自分たちがせっせと築き上げてきた開かれた社会のありようが変質したことに対する疑心暗鬼と自信喪失のあらわれなのです。

 しかし、だからと言って、欧米のグループがバラバラになっては困ります。

 とりわけ、経済成長を遂げる中国による影響力が世界に広まっているからです。
 中国が、開らかれた理念を持ち、自由で平等な体制であれば、それは歓迎することで、彼らの優れた歴史と文化は世界を潤すに違いありません。
 が、今、中国を支配している政権は決してそうではありません。
 むしろ、世界はこの政権の野望を見抜いて対応していかねばならないのです。

 日本の政権は、今、支持率が落ちて、今にも潰れるかのようにマスコミは言っていますが、この混沌とした世界情勢の中で、中国に毅然と対抗し、ロシアとの応分の話ができ、そして、欧米のグループとも強い絆と信頼を結んでいるのが現政権であることは明らかなことです。
 
 21世紀の今、世界が、より開かれたものとなり、誰もが自由で、平等にあるという根本的な理念を守るには、国連、G7に加えて、新たな国際区分が必要だと思うのです。

 国連は、相反する志向を持ついくつかの陣営が集い、安全保障上の危機回避をするところとして、G7は、同じ志向を持ちつつも、一国に収斂する方向性の愚を改めて行く場として、時間を費やして行けばいいのです。

 そして、新たな国際区分として、差別ではなく、多様性を認め、憎悪と不寛容さで分断を増長させる勢力を駆逐し、むやみに人を攻撃することの愚かさを述べ、他人を尊重する社会を意図する国際組織を作るのです。

 私には、それができるのは日本だけのような気がするのです。
 日本が養い育ててきた美徳を、この際掲げて、新たな国際区分を作って行くのです。


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命の価値

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書斎のマックの上で揺れ動くヤジロベイ。疲れた目を和ませ、頭を柔らかくしてくれます。さて、私たちのちょっと先の未来。こんなことも私はヤジロベイを見ながら考えるのです。



 もうちょっと時代が進んだ、その頃のことです。

 歳をとった私は、いよいよ、足の関節が痛み出し、歩くのが億劫になりました。
 あぁ、母とまったく同じだ。
 医者に相談して、母がしたように、人工関節にして、金属の関節器具を埋め込んでもらおう。
 
 こんなに楽になるなら、早く手術をしておけばよかったと亡くなった母は言っていました。
 だから、私も、母と同じように、そうしようと決断をしたのです。
 
 近所の大学病院に、久しぶりに出かけて行きました。

 ここで、私は脳下垂体周辺にできた腫瘍の除去を行ったのです。
 あれから、かれこれ、20年も経ってしまいました。
 大病をすると、人は用心深くなり、より健康になるといいますが、まさにその通りで、私は傍目にも若く、この膝の関節が痛まなければ、それこそ健康体そのものでありました。
 
 数日後、私は殺風景な診察室で医師と向かい合いました。
 昔のように、医師の横に座るのではなく、医師の前に座るのです。
 テーブルの上には、医師と同じ型の幾分大きなディスプレイが置かれています。
 医師も私も、このディスプレイを見て対話をします。
 
 既に私は、別の部屋で、AI医師と面談し、自分の症状を根掘り葉掘り聞かれ、必要に応じて、検査を受けていたのです。
 私の足は、レントゲン室に行くことなくその場で撮影され、採血することもなく、また、尿を取る必要もなく、基本的な検査がなされていたのです。

 この20年で、医学はこんなにも進歩したのだと驚きながら、私は診察室に入っていたのです。
 そして、私の体のデーターが今、このディスプレイに映し出されているのです。 
 
 私は、私の目の前にいる医師が、本当の人間だろうかとそっと目を遣りました。
 若く、はつらつとした表情を持つ、確かに人間の医者であると私は思いました。
 なぜなら、そっと伺ったその私の目を、その医者も同じようにそっと伺ってきたからです。

 医者が口を開きました。
 「ご要望は、人工関節で痛みをなくしたいということですね。」
 私は、ちょっと関西訛りのある医師の言葉に小さな声を出し、頷きました。

 「でも、今の病院では、どこも、それはやっていないですよ。その方法は、随分と昔の処方でね。今は、足をすっかり取り替えてしまんです。AIの埋め込まれた義足です。あなたが20歳の頃の足になりますよ。で、そのためには、幾分弱った肝臓、それに、あなたは腎臓が一つありませんね。初期のがんによって切除されていますね。これも人工肝臓や人工腎臓に替えましょう。」
 困惑する表情をする私の表情は、どうやら医師のディスプレイに映っているようです。

 「心配は要りませんよ。個人負担は一切かかりません。すべて国が面倒を見ますから。でもね。」
 医師はそういうと、しばらく、間をおきました。
 「でもね、了解してもらわなくてはいけないことが一つあるんです。」

 私は、さらに困惑をした表情を見せたのでしょう。医師が、今度はディスプレイの画面ではなく、その横から顔を出し、私の表情を見ていたのです。
 私は、その若く、はつらつとした表情の医師の動きを察知し、同じようにディスプレイの横に顔を差し出しました。
 医師の浮かべた笑みが印象的に私の視野に入りました。

 「これを施術すると、あなた。寿命がグーンと伸びるんです。自然死をお望みなら、膝の痛さを和らげる薬をお渡しします。和らげると言っても痛みはすっかりとなくなりますよ。自然死を選ぶか、寿命がグーンと伸びる手術を行うか、と言っても、すぐには選ぶこともできませんから、別室でAI医師と面談をしていただき、お決めください。すぐにお決めになる必要がありませんから、今日はとりあえず、痛みをなくす薬は出しておきますからね。」

 医師はそういうと、AI看護師に指示を出し、私を別室に誘導して言ったのです。
 個人情報の規制強化で、ありとあらゆる情報が発信を許されなくなって久しくなっていました。情報は必要な人に、必要なだけしか与えられない時代になっていたのです。
 テレビや新聞で高齢化社会を生きる健康生活のあり方などと盛んに伝えられていた情報が、今はすっかりなくなり、私は大学病院にきて、今の医学がこんなにまでなっていることに驚いたのです。

 再び、AI医師の元に案内された私は、このAI医師から驚くべき説明を受けたのです。
 <これから説明することは、政府が定めた第1級特別情報の秘守義務の管理下になされますので、説明を受けた内容を、家族はもちろん、他人に述べることは命に関わる刑罰を持って処罰されます。あなたの健康調査から、あなたは長期に命を永らえるにたる健康体であると判断されました。先ほどの診察で医師から説明がありました治療を施せば、あなたは最低200歳までの命が政府によって保証されます。自然死を望まないのであれば、どうか、手術を受けて、200歳の寿命をお受け取りください。もちろん、これまでの年金に加えて、長寿祝い金が毎月、年金の倍額でますからご安心ください。>
 というものでした。

 とすると、最近元気になって、いやに若いと思うようになっていたご近所の佐藤さんも、ネット仲間で、テレビ電話で話をする山川さんも若返ったようになっているのは、きっと、この手の手術をしたに違いないと、私は思うようになったのです。

 ……
 主人公がどのような決断をしたのか、仮に200歳の命を得たとして、どのような生活をしていくのか……。あなたならどうしますか?


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます。

《10/22 Sunday》

‼️現在、<Puboo!><Facebook>で、金曜日に発信した作品を公開しています。‼️

❣️<Puboo!>にて、『だから、朝は素晴らしいんだ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『Mermaid beach at Gold Coast. - The forcing look blows and is no swimming allowed on this day. I was walking a beach. When I try to take a picture of a no swimming allowed flag's trailing along in a wind, one man has begun to come near the field and take a picture of the skyscraper group. That makes a picture.
美人鱼海滨於黄金海岸。- 强的风吹,这天是游泳禁止。我,走着在海滨。我,预先打算拍下来游泳禁止的旗在风上密布的话,一人的男人为田地的荞麦面来,开始拍高层群的照片。那个如画。』を公開しました。

❣️<Twitter>では、『ものかき』と銘打って、朝と晩『つくばの街であれこれ』の更新情報をつぶやいています。朝は、その日の記事について、晩は、明日の記事についてのつぶやきです。

⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

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