思い切り息を吸って、街を住みこなすのだ

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幼児の声が響く幼稚園の運動会、万国旗がはためく中、園庭の枝にも、「万国旗のような葉っぱ」がありました。見方をちょっと変えれば、葉っぱも旗に見えるから不思議です。私たちはいつも、ものにはいくつもの見え方があるということを理解していないと、軽率で、愚かな、安っぽい批判をしてしまうのです。自戒をし、その「万国旗のような葉っぱ」を見たのです。



 私は、相反する時代を、生きて来たのではないか、と思う時があるのです。

 どういうことかと言いますと、私が子供の頃のことです。
 東京近郊一帯に大きな造成工事がなされ、そこに「団地」というコンクリートの箱型の建物が続々と建設されていったのです。
 いうまでもなく、地方から東京に押し寄せてくる人口増に対応すべく建設されたものです。
 急成長を遂げる東京は、多くの働き手を必要としていました。
 この時の日本人にとって、東京に出てくれば、そこに豊かさがあった時代だったのです。

 私のように、ずっと東京に暮らしていた家の者にとって、ピカピカの出来立てホカホカの団地では、台所はキッチン、茶の間はリビング、便所はトイレ、それも水洗、まったくもって、羨ましい限りの住環境であったのです。  
 豊かさとは、こういうことを言うのだと、子供心にも思う時代であったのです。

 爺さんの代からの社宅住まいであった我が家は、50坪と言う敷地の広さこそありましたが、木造で、当初は風呂もなく、水洗トイレなど想像もできない環境でありましたから、友人に団地住まいがいると、ちょっと引け目さえも感じていたのです。

 ところが、今、それとは真逆の時代が、私の目の前にあるのです。

 日本の人口が減り続けると言うことは子供がいなくなると言うことです。
 そして、老いた大人が、医学の発展と栄養学の向上で、必然的に長生きすると言う時代を迎えています。
 このような状況では、かつてのように、新たに土地を造成して、ニュータウンを作る必要などさらさらありません。
 地方から人を呼び込むほどの飛躍的な経済成長も見込めない時代です。
 第一、もはや、地方には、働き盛りの人がいなくなっています。

 当時、最新の設備を誇った団地は当然のごとく古ぼけました。
 今、そこに住まうのは、昭和日本の発展のために働き、子供を育て上げた老いた夫婦、もしくは、夫や妻に先立たれた人たちであるのです。
 悲しいことに、東京はかつてのように大量の人を必要としなくなりました。
 人口は減り、建物は古ぼけ、歳をとった人たちだけが目立つ街になっていったのです。
 
 大学の建築学の教室も、その講義は変容を遂げています。
 いかに、多くの人を住まわせる住宅を作るのかではなく、いかに、山野を造成し、宅地を確保するかではなく、空き家の増えた街、人口の急減した街、世帯構成が最小単位になった街をいかに再生するかに重きが置かれているのです。
 建築学というより、建築計画学、あるいは、街再生学ともいうべき研究に重きが置かれているのです。
 
 なんだか、随分と夢も希望もない話になってしまい、書いている私自身も、正直、気が滅入ってしまいます。

 ところが、先だって、東京が「世界都市ランキング」で、ロンドン、ニューヨークに次いで、第3位を昨年に続き獲得し、第2位ニューヨークとのポイント差が大きく縮まったというのです。

 狭い了見で、目先のことばかりを見て憂鬱になっていると、そうではない局面があることを忘れてしまいます。
 常に、物事というのはいくつかの局面を持って進化していくという鉄則を思わず忘れてしまうところでした。

 昨年、あのパリを抜いた東京は、文化や交流、つまり、コンサートや観劇、美術館などの文化活動で評価されたのです。
 そこにはテロなどからの安全性も大きく寄与していたに違いありません。
 また、交通の面での利便性も大きく寄与しています。

 確かに、東京だけではなく、日本では電車は決まった時間通りに運行されていますし、そのせいか東京では車はかえって不便です。地下鉄を使えば、どこにでもいけるのです。
 それに、公共交通機関の乗り居心地は抜群です。

 それがパリを抜き去った要因であるのです。

 では、ニューヨークを抜いて、2番になるにはどうしたらいいのかと言いますと、経済面での優位性を確保することが第一です。
 その一つの方策に、法人税をアメリカがこれからするようにもっと格段に安くするのです。
 税金は国民からではなく、儲けている会社から取れと主張する政党もありますが、大きな間違いです。
 狭い了見で目先のことばかりを見ていると、日本経済は憂鬱な状況になってしまいます。
 そうではなく、世界で儲けている企業にどんどん来てもらうのです。
 そして、有能な働き手である日本の若者が働く場を作っていくのです。
 そうした企業が東京に来れば、日本で遅れているという女性の社会進出も促されていくはずです。
 待機児童の問題も間接的に良くなる傾向を持ち得ます。なにせ、女性が働きに出るわけですから、都が動かなくても、企業が動きます。
 そうなることで、日本が遅れがちであると指摘されている、社会的自由度、公平性、平等性が確保できるのです。

 久しぶりに東京に出かけました。

 たくさんの外国人が街を闊歩しています。
 思い思いの姿格好で、私たち日本人に好奇の目を送ってくれています。
 老人ばかりの街だなんて誰が言ったんだと思いたくなるくらいの様相です。
 街中の店は外国人が落とすお金で潤っているはずです。
 観光地は嫌になるくらいの混雑です。

 狭い了見で目先のことばかり見がちな自分のありようが恥ずかしくなります。

 TXに45分、揺られて、喧騒の東京から閑静なつくばに戻って来ます。
 空気の良さ、景色の良さ、人の少なさ、田舎都会ともいうべき環境に、ここが私の暮らす街なんだと思い切り息を吸うのです。
 それは、つくばの街でも東京でも、余計なことを考えずに、今ある街を住みこなすことが一番大切なんだと気が付かされる空気のうまさだったのです。





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にんきは、じんき、ひとけ、とも読みます

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つくばの赤松に朝日が差し込んで、幹をさらに赤く染めていました。松の枝は冬を前に黒々として、その上に、朝の月がかかっていました。なんとも、日本らしい風情だと感じました。


 選挙の時期になりますと、「にんき取り⁉︎」政策と言うものが巷に溢れ出てきます。

 教師をしていた時、私学助成の陳情・請願を、地元選出の国会議員が事務所を置く国会議員会館や県の主要政党事務所などに出向き、おこなったことがあります。

 公立学校では、ほぼ、授業料がかからなくなり、私学としては重大問題となっていた時です。
 公立にも冷房が行き届き、先生方も私学のように遅くまで生徒の面倒をみ、長期休暇中も補習をするなど、私学がおこなってきたいろいろな指導方法を、彼らなりに取り入れてくるようになり、そのため、落ち込んでいた公立学校の進学実績が上向きになってきていた時期でもありました。

 私学となんら変わらない教育環境であれば、お金のかからない方がいいに決まっています。
 私学としては、まさに死活問題というわけです。

 幸いなことに、私の地域では、議員さんたちが、よく理解してくれて、大いに努力をする旨返答をいただきました。
 しかし、地域によっては、私学は公立とは違うのだから、自助努力をすべきであると冷たくあしらわれた所もあると全国大会の折に報告がなされ、同じ日本でも、地域によって、さまざまであるなと思ったこともありました。

 ところが、今回の選挙では、ほんとどの政党が、すべての教育の無償化を叫んでいるのです。
 本当に、それを実施するには、大変なお金がかかります。

 政党によっては、消費税のアップに反対、もしくは、導入延期を訴える所もあります。 
 無償化で金がかかるのに、そのための財源を確保しないで、どこから出すのか不思議でなりません。

 しかし、「選挙」であります。
 消費税を上げなくてはたち行かないのですと、駅頭で述べれば、立ち止まる人はいないでしょう。
 忙しい中、無償化、お金がかからない、増税もない、というような言葉が聞こえてくれば、人は立ち止まり、耳をそばだてて聞いてくれます。
 それが人情というものです。
 それが選挙というものです。
 
 日本人というのは、義理堅く、判官贔屓を好む体質を長い年月を使って醸成してきた国民です。

 鎌倉幕府を作った頼朝と、平家を打ち破り源氏に勝利をもたらすも平泉で非業の死を遂げる義経を比べれば、当然、義経に<にんき>が出てくるのは、典型的な判官贔屓ではあります。

 この「判官贔屓」という言葉自体が、義経の逸話に基づくことでもあります。

 弱いものに味方をし、その非業のありようを悼むのです。
 ということは、選挙においても、この論理を活かさない手はありません。
 俺様は選挙にあっては強いのだとふんぞり返っていては、清き一票は得られません。
 ですから、候補者は、常に、平身低頭して、相手の手を握り、時には額に汗して走り、また時には、涙さえも浮かべて、勝たせてくれと絶叫するのです。

 判官贔屓の、心優しい有権者は、その姿にほだされて、一票を投じてしまうのです。

 今回、さまざまな問題を抱えた方々が、立候補をしています。
 待機児童問題で一躍脚光をあびるも、自身の不始末がマスコミに取り上げられてしまった候補、なんともできの悪い秘書に対して、暴言を吐いて、その音声がテレビで流されてしまった候補などなどです。

 厚かましいといえば厚かましいのではありますが、議員として、政治家として、きっと信念を持っているのでしょう。
 ビラを取ってくれなくても、野次を浴びようとも、支援者に頭を下げて、涙を流し、政治家としての矜持を胸に、頑張っているようではあります。

 しかし、いかに判官贔屓好きの国民でも、これらの方々は贔屓の範疇にははいりません。

 ですから、多くの選挙民の同情を得ることは難しいことと思います。
 しかし、そうした悪環境の中で、必死に訴え、土下座し、涙目で見つめていけば、それが有権者の琴線に触れて、それこそこれらの方々の信念は結実することになるかとは思います。

 それもまた、何が起こるかわからない選挙であるのです。

 都知事さんを見て、彼女は言葉の使い方を間違ってしまったなと思っているのです。
 あの都知事選挙の折、都議会のお偉方が、彼女に対して冷たくあしらう姿、あるいは、偉そうに振る舞う姿、あれこそは判官贔屓を引き出す最高の場面でした。
 か弱き女性があのむくつけき男たちの意地悪い扱いに果敢に対しているのです。

 あれを見て、<にんき>が出ないわけがありません。

 まさに、ブームが巻き起こったのです。
 選挙では、一旦ブームに火がつくと、それは燎原の火のごとく広がり、とどまるところを知りません。

 しかし、その彼女も、今回はそうはいきません。
 何せ、「排除」なる言葉をカメラの前で語ってしまったのですから。
 
 「ダイバーシティ(多様性)」「パラダイムシフト(発想転換)」と最先端の言葉を使っては都民の目をくらましてきたのですが、「エクスクルージョン」とは言わずに「排除」と言ってしまったことがどうやら潮目であったようです。

 いじめられ、健気に振る舞う立場から、窮地に陥った政党の議員に対して「排除」「選別」を告げたのです。
 いじめる側に立った人物への贔屓は、この国の国民は持ち合わせてはいないのです。

 そういえば、『人気』には、「にんき」以外に、「じんき」という読みがあります。
 「じんき」とは、気風とか、人の気配という意味です。
 日本人の「じんき」から程遠い発言があれば、そこから人の気配は引いていくものです。

 身を粉にして、国民のために働きたいという信念を持つ政治家に、一票を投じるのは国民の義務であると同時に、当選させた議員を選挙期間中の言葉に二言がないように仕向けていくのも国民の義務であるのです。

 民主主義の国の国民は忙しいのです。

 お隣の中国であれば、人民は黙ってそこに入ればいいのですが、日本はそうではありません。 
 だから、日本国民は、積極的に、政治に関与していかねばならないのです。





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ピンポイントで攻めてくる<あれ>

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ロビーナにチョイ住みしていた時、カナダから移民して来た道向こうのお隣さんが道に面した前庭に作った「鳥の楽園」です。きっと、カナダでは滅多に聞くことのない鳥たちのさえずりと、色とりどりの鸚鵡に感激して、作ったのではないかと推測しているのです。素晴らしい庭でした。



 最近、SNSを見ていて、あれっと思うことがあるのです。

 実は、この夏、ゴールドコーストに行くにあたり、携帯Wi-Fiの機器について、ネットで調べたのです。
 娘が出産する病院に、その娘や孫を送り届けるために、娘の車にはカーナビというものがないので、Wi-Fiを使って、iPhoneをカーナビ代わりにしようと考えたのです。

 3歳の孫がキンディに行っている間、地元のバスでサファーズに出かけていったり、ゴールドコースト観光の定番であるトラムにも乗って、ちょっと出かけてみたいとも思い、その時のためにWi-Fi機器を手に入れようと調べたのです。

 結局、娘のところに、携帯のWi-Fi機器があり、これにどこでも買えるSIMカードを入れれば使えるということがわかり購入はしなかったのですが、最近になって、私のTwitterやFacebookに出てくる広告に、「オーストラリアでWi-Fiを使うならこれ」とか、「最も安い携帯Wi-Fiはこれ」などと、広告が打たれていることに気がついたのです。

 私がネットで調べたことが、こうして、私の関係するSNSに反映されて行くんだと感心をするやら、何だか私の知らないところで私が見られているような気持ちにもなり、少し怖くもなってしまったのです。

 彼の地にチョイ住みをしている時、ちょっとお昼にと、ケンタッキーでいつものフライドチキンを買ってきて食べたことがありました。
 キャベツいっぱいのコールスローサラダがどーんとついてきたり、同じチェーン店でも、オーストラリアでは、日本とはだいぶサービスが違うなど、そんな話題で盛り上がったり、ここには、ミスタードーナッツがないから、無性に食べたくなると娘が思い出したように言ったりと、そんな話題で、簡単な、しかし、高カロリーの昼食をとったのです。

 別の日、こちらのパンは、種類も多く、美味しいねという話になりました。
 私が、何と言っても、こちらでいえばカスミのようなスーパーに当たるコールズのパンプキンパンが安くて美味であると話し、土産に日本に持って帰りたいと話をしました。

 そしたら、急に、娘がサンドイッチを食べたいと言い出しました。
 それなら、買ってきてあるパンプキンパンがあるからそれで作ればいいと言ったのですが、そうではなくて、SUBWEYのターキーのサンドウイッチが食べたいのだ言うのです。

 出産をしたばかりの娘の言うことは聞かなくてはいけません。
 ところが、暮らしているロビーナ近辺にはSUBWEYの店はありません。
 そこで、皆の注文を聞いて、車をサーファーズまで走らせたのです。
 見知らぬ街で、駐車場を探し、店にたどり着くのですから、大変な労力です。
 昼少し前ですが、数人の客が店内には列を作っていました。

 まず、パンを選びます。そして、サンドウイッチの中身を選びます。さらに、野菜の種類と量を告げます。最後に、ドレッシングを選びます。
 注文は、順調に、いや、実に機械的になされ、お会計の段になりました。

 店の中で、サンドウイッチを作ってくれたのは、中国人の若い女性でした。
 その子が会計までやるのですから、大変なことです。
 品物を受け取り、お金を払う時、その子が一言、早口の、ちょっと聞き取りにくい英語で何かを言いました。
 突然の問いかけに、私はもう一度言ってくれますかと言いました。
 どうやら、キャッシャーの横に置いてあるちょっと大きなクッキーはいかがかと言っているようでした。
 一枚1ドル、三枚で2ドルだと言うのです。

 ノーサンキューと、私は言い、美味しいであろうサンドイッチをロビーナの家に持って帰ったのです。

 車のハンドルを握り、ユーカリの並木道を運転しながら、あの中国人の若い女性の言葉が何だか気にかかって仕方がなくなりました。
 きっと、雇い主に命ぜられて、売り上げを伸ばすために、客にクッキーを勧めているんだと。
 しかし、こちらが拒否すると、それ以上には勧めない、そのあり方も気にかかってしまったのです。

 おそらく、留学生をアルバイトに雇って、堪能とは言えない英語でものを勧めるわけですから、客の中には、こんなに頑張っている子が言うのだから、クッキーを買ってやろう、そうすれば、この娘にもいくばくかの報酬が入るに違いないと優しいオージーは考えるかもしれないと、もしかしたら、そのような魂胆が経営者にはあったのかもしれません。

 日本人の私は、優しいオージーとは異なり、カロリーを気にする日本人です。
 そんな手には乗らないのだと、ハンドルを握りながら、でも、どうしても、あの時のやり取りが気になって仕方がないのです。

 ああ言う時は、笑顔になって、オーケー、君が言うなら、3枚もらうよと買うべきなのかと悩んだりしているのです。

 英語で、「アップセリング」と言う売り方を示す言葉があります。
 とりわけ、ファーストフード店に多い売り方です。
 客の注文に対して、そちらより、こちらの方で注文をいただければ、お得ですと言われるのです。ポテトが今日は増量サービス中であるとか、ビックサイズの飲み物を注文すると、クッキーが一枚がサービスになるとか、いろいろとお得だと言うのです。

 しかし、これにはトリックがあります。

 店には売り上げアップが、店員にはそれに見合った報酬があると言うことです。
 それはそれで問題はありません。
 勧められて、買って、丁寧なお礼を言われるわけですから、それに、大した額ではありませんから、客としても気分良く、満足いくものを手に入れられてと言う気持ちが優先するのです。

 でも、問題は、それによる食べ過ぎ、飲み過ぎなのです。

 オーストラリアでも、欧米でも、肥満が問題になっているその原因が、この「アップセリング」だと言うのです。
 この「アップセリング」、ファーストフードばかりではないということです。

 先に述べた、私がちょっとネットで調べたことから派生して、この客はこれが欲しいそうだということがわかり、それに準じて、さまざまな商品を買うように仕向けてくる。
 言うなれば、ピンポイントで情報を流し、購入を迫ってくるような気がして、いただけないのです。
 なんだか心が圧迫されるようで気分が悪いのです。

 ネットでこちらの嗜好を読み取り、広告をピンポイントで売ってくるやり方も「アップセリング」の一種だと私は考えるのです。

 だとしたら、なんとか方策を講じなければ、無用な出費をするばかりではなく、ともすると、思想やあり方まで、なんらかの手法で方向づけられてしまう気がするのです。

 あの中国人留学生、「アップセリング」のクッキーをあまり強く勧めることをしませんでした。
 むしろ、あっさりと私のNo, Thank you.を受け入れました。
 
 私が気になっていたのは、きっと、欧米の流れに同調しない、アジア人である日本人と中国人である私と彼女の共通するあり方だったのかもしれません。

 もちろん、いい意味でね。





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人もものも軽く見ちゃいけないよ

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冬のサファーズ・パラダイス。観光客よりも、地元の人が冬のビーチを楽しみます。空気は乾燥して暖かく、でも、水は存外冷たいのです。ですから、人々はこうしてビーチで陽を浴びているのです。日本では考えられないビーチでの冬の過ごし方です。私ですか、私はセーターをきて、風から身を守り、それでも、ビーチの砂の暖かさに感動して、歩き続けました。とても、裸でビーチにいるなどできません。聞けば、オージーは日本人と比べて、体温が幾分高いと言います。さもありなん、です。


 10月10日、準天頂衛星「みちびき」4号機を搭載したH2Aロケット36号機が見事な発射を見せてくれました。

 どこぞの国の物騒なロケットの打ち上げとは異なり、発射の際の煙の色や形まで、誇らかに見えました。
 今回は、4号機ということで、近々、4機の「みちびき」が宇宙で活動をすることになります。

 4機あれば、日本からオーストラリアまで、その途中にある東南アジア一帯を含む地域をカバーできるということです。
 アメリカのGPSと連動して、「みちびき」の本格導入で、わずかに6センチまでの測定が可能になるという、画期的な衛星が日本の「みちびき」なのです。

 私の車に搭載されているカーナビゲーションは、GPSを使って、10メートルまでの測定が可能ですが、「みちびき」が稼働すれば、飛躍的な精度を得ることになるのですから、すごいことです。
 私の家の場所ではなく、私の書斎まで、いや、机の何が置かれ、何を考えているのかまでわかるということになるのではないかと恐れ入るのです。
 まあ、それは少々オーバーな表現ではありますが、では、そんなに精度の高いものを、一体何に使うのということになります。

 日本のことですから、軍事にはそれは使うことはありません。
 技術的に使えるとしても、現段階では、日本では許されないことですから、あくまでも、非軍事応用ということになります。

 アジアからオーストラリア、日本との友好国において、例えば、広大なトウモロコシ畑を「みちびき」を使って、数センチまで測定しながら、人の乗らない収穫機でトウモロコシを収穫し、選別し、包装し、出荷が可能になるのです。
 オーストラリの広大な鉱山でも同様な作業が可能となります。
 過酷な土地での作業がハイテクノロジーで楽になるというわけです。

 東南アジアのジャングル地帯では、災害を防いだり、開拓をする事前調査などにも大いに成果をあげるはずです。

 そう考えると、日本の「みちびき」は、他国の発展にばかり活用されるということになり、税金を使ってなんたることと不平も出てきそうですが、そこは心の広い日本人です。
 そんな狭量なことは言いません。
 そうすることで、日本にも恩恵があるから、そして、この地球に生きる人類のために、科学技術を使ってもらいたいという一心なのです。

 さて、アジアの大国を自認する中国はというと、これもすごいのです。

 中国は、日本と違ってこれを軍事にも応用します。
 現在、アメリカのGPSが全地球を網羅する技術とそこから派生する機材を供給しています。
 カーナビゲーションにしろ、携帯電話にしろ、船舶や航空機の運用にしろ、GPSは欠くことのできない技術になっているのです。

 アメリカに対抗し、やがてはアメリカに取って代わろうという野心を心に抱く中国では、いつまでもGPSに頼ることはできないのです。そのため、独自の開発を急いでいるのです。

 しかし、技術的な面で、現段階では中国を走る車には中国製造のカーナビゲーションは使われていません。
 さりとて、それを容認する中国政府ではありません。
 国家の面子にかけて、自国を守るため、そして、世界に君臨するため、その開発には全力を尽くしているのです。

 日本の「みちびき」とまではいきませんが、測位精度を10メートルから2.5メートルにまで引き上げた「北斗3号機」を来月には打ち上げ、20年までには35機体制で全地球をカバーするというのです。
 中国の世界戦略である「一帯一路」政策を宇宙から支え、中国の海洋進出をこれまた容易にする戦略がそこには隠すことなく見えてきます。

 それにしても、昨今の中国における科学技術の進歩と応用は凄まじいものがあります。

 論文の発表数、あるいは、特許の申請数で、その国の科学技術のありようを判断しますが、その数値は、軽く日本を追い抜き、アメリカに肉薄するありさまです。
 日本では、将来、ノーベル賞が取れなくなるのではないかと騒ぐようになってきました。
 きっと、この分野で、日本は中国に追い抜かれていくのだと、悲観的な論調が新聞を賑わし、警鐘を鳴らしています。

 でも、こんな記事も目にしたのです。

 それは、中国の科学技術を支えているのが、どうやら、日本企業から中国に渡った日本人技術者達ではないかというものです。
 しかも、それは今に始まったことではなく、1970年代からその兆候が見え、それが今結実しているというのです。

 どういうことかと記事の字面を追っていきますと、なんとも情けない話の数々が出てきます。

 <日本企業がリストラで技術者をいとも簡単に解雇した。当然、解雇されたえ技術者には子供がいて、家庭があるから、職を見つける必要がある。>

 その時、彼らを引き取ったのが、いわゆる、二流と位置付けられていた日本の企業で、彼らの研究項目や技術が、そのいわゆる二流企業で結実し、今、ヒット商品を生み出してきたというわけです。
 それまで、高い商品を買っていた日本人も、企業名はさほど知られていないが、同じ商品が思いの外安く売られているということで、評判が評判を呼び、ヒットしていったというのです。
 ですから、あぐらをかいていた本家本元の商品は売れなくなってしまったというわけです。

 それはそれでいいのですが、困ったことは、中国や韓国の企業もまた破格の待遇で、高度な、そして、画期的な技術を持つ人材を手に入れたと言うことです。

 半導体にしろ、先端技術にしろ、今や、中国製品、あるいは、韓国製品が優位に立っています。
 これらの国の製品がないと私が手にしているiPhoneも動かないというわけです。

 その先端技術を運用するのに大きな功績を果たしたのが、流失した日本人技術者であるというのです。

 「みちびき」は、アメリカのGPS、中国の北斗に比べても、その性能にはダントツなものが見られます。
 それを開発し、実現させ、アジア・オセアニアで画期的な産業の育成を可能にするであろう技術者に、中国が食指を伸ばすことは十分にありうることなのです。

 日本は、自由の国ですから、国家が何事も規制することはかないません。
 ですから、人材の流出はこれからも少なからずあるはずです。
 こういう時こそ、技術のあり方、それを作り上げた方達への敬意を確固とする政治姿勢、そして、技術者への経済的な優遇を図るべきなのです。

 科学技術の世界で一番でなくてはいけないのですかとか、原発の技術開発はいらないとか、軍事に研究者が協力するなんてもってのほか、などと言わずに、世界の平和と発展を守るために、技術者への軽視をやめ、敬意とそれなりの報酬で処遇をして行く必要があるのではないかと案じるのです。

 そうしないと、日本は本当に衰退をして行く国になってしまうと切実に思っているのです。





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指揮官の責任

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「青」色というのは、人を爽快にさせる色であると思っています。そして、「青」にはさまざまな色合いがあります。色合いがある分、その色合いに付随した気分の形もあります。この「青」は、空の青と湖面の青が相乗効果を持って、なお一層の爽快感を与えてくれます。そう思いませんか。ここはロビーナの小道を抜けた先にある、運河の一角です。


 ヤンキースのジラルディー監督が、ディビジョン・シリーズ第二戦で好投するサバシア投手をフォアボールを出した後に交代しました。 
 そして、後続の投手が打たれ、8点をとっていた試合を逆転され、負け試合になるという事態が起こりました。

 試合後の記者会見で、ジラルディー監督は、そのことより、相手選手へのデッドボール判定に対して、あれはバットの尻に当たって、キャッチャーのミットに入ったと抗議しなかったことを、自分の誤った判断として後悔していると述べたのです。
 そのプレーのビデオ判定を要求していれば、あの逆転劇は防げたのかも知れないというのです。

 果たして、そうなのかと私は首を傾げるのです。

 なぜなら、彼の采配には、選手の気持ちに寄り添わないケースがまま見られ、それが気になっていたからなのです。
 人の上に立って、物事を判断し、結果の責任を負うことは、メジャーリーグの監督ばかりではなく、「長」の字のつく役職を持っている人であれば、当然の務めであります。

 ある工場労働者が、二階の事務室に出かけて行って、その奥のデスクに座っている役職を持つ男に、お前さんは1日中、そこに座ってばかりいて、一体何をしているんだと怒鳴声をあげました。自分たちは、冷房もない、薄汚い工場で、汗を流して働いているんだ、と。
 デスクに座っている役職を持つ男は、その声を聞いて、私は、あなた方が作った品物をどうしたらより高く、売れるかを考え、そのためにここにいるんだと、これもまた声を荒げます。
 もし、あなた方の作った品物が売れなかったら、私はこのデスクにいられなくなる、しかし、あなた方には、どこに行っても、ものを作る仕事が巡ってくる。
 さあ、どっちがいい、とこう声をかけたのです。

 売りことばに買いことばではありませんが、どちらのい言い分にも一理あり、同時に、馬鹿げた双方の言い分ではあるのです。

 先のジラルディー監督の言い分ですが、私は、彼は状況判断が間違っていたと思うのです。
 バットの尻に当たったか当たらないかをビデオ判定するか否かは、指揮官としての判断外のことであるからです。
 むしろ、選手の心理を無視し、横暴にも好投する投手をたった一つのフォアボールで交代するという振る舞いこそ、上に立つものの基本的な過ちだと思うのです。

 フォアボールをだし、交代させられた選手は、自分は監督から信頼をされていないと思うでしょう、そうすれば、次回の登板の折に、気持ちに今ひとつのわだかまりが生じ、もしかしたら、投球もうまくいかなくなるかもしれません。
 また、後続を任せられた投手は、背中にランナーを背負うわけですから、いかに点差があるといっても、気持ち的には重いものを感じるはずです。

 もし、監督が、サバシアを続投させ、得点を取られ、マウンド上に行って、よく頑張ってくれた、あとは次の投手に頑張ってもらおうといえば、サバシアも申し訳ないと監督に対して思うはずです。次の投手には、1点2点取られてもいいから思い切り投げてくれといえば、気持ちも楽に投げられ、あの試合は勝てたのです。

 上に立つものの判断の過誤とか、判断の躊躇は、野球の試合ばかりではなく、歴史上にも、まま見られる事例です。

 例えば、日本陸軍の精神教育一辺倒の戦のあり方です。
 日露戦争以来の、突撃戦法をアメリカとの戦いでも行ったことは、指揮官のありように大きな反省点をもたらしています。

 突撃こそ最大の戦法であるとする戦技は、確かに、武器がさほど発展していなかった時代には効果的でした。
 敵は、押し寄せてくる日本軍兵士の、鬼気迫る眼差しとその口から発せられる鬼のような声に圧倒され、戦う意欲を失ってしまうからです。
 しかし、銃器がそうした敵をなぎ倒す発射量や速度を改善してくれば、それは無駄な戦技となるのです。

 ガタルカナルの飛行場を総攻撃した日本兵の無残な死体が浜辺に晒されている写真を見たことがあります。
 アメリカ兵たちは、突撃してくる日本兵は不気味だったけれど、弾を撃たずに突撃してくる兵士たちが哀れだったと回想している記事を読んで、勇気と勝つことへの意欲の違いとをそこで知ったのです。
 もう少し、ゲリラ戦的な戦い方、あるいは、敵に警戒心を持続させ、長期戦で戦えなかったものかと。

 あの折の日本軍の指揮官を、ここで、責めているのではないのです。

 きっと、食料も弾薬も補給がなく、指揮官は意を決してあの戦さに踏み切ったのだと思うからです。
 ですから、私が今、指揮官の責を問うのは、現場のそれではなく、東京の大本営の参謀たちのありようなのです。

 もし、ガタルカナルの指揮官が大本営にやってきて、その机に向かって何やら考えている高級参謀に、あの工場労働者のように、俺たちは炎天下のジャングルで、と言ったら、机に向かって座っている参謀は、俺たちは責任をとる立場にある、と言い返すことができたのでしょうか。
 私の知る限り、これらの高級参謀の多くが、あの責任をとっていないように思うのです。

 頭の中で作戦を立てながら、しかし、現地での状況、補給という重要な一点をおろそかにして、兵士の命を無駄にさせたのではないかと思っているのです。

 あの時の反省は、それを引き継ぐ自衛隊の幹部たちがしっかりと行っているはずです。
 指揮官のちょっとした思いやりのなさが作戦を台無しにし、戦いを敗北へと導くのです。

 もちろん、ジラルディ監督や大本営の参謀たちを口汚く罵ることはありません。
 私たちは、彼らに敬意を払いつつ、彼らの過ちからまなぶべきなのです。

 それが、次の勝利への糸口になるからです。
 何事も、そこに、ヒントがあるのです。
 生きるための、勝つための、そして、自分を向上させるためのヒントがあるのです。

 ですから、私は、野球を観戦し、そして、戦史からも学ぶのです。

 さて、デイビジョンシリーズの最終戦が昨日行われました。
 2敗から、本拠地に戻っての2連勝、そして、決戦の投手はあのサバシアでした。
 4回まで、危なげない投球でしたが、5回、残念ながら、四連続安打を打たれ、2点を奪われ、マウンドを降りました。
 明らかに、ジラルディー監督のあり方は、二回戦の時とは異なっていました。
 選手への敬意が見られたのです。

 そして、チームは勝利し、リーグチャンピオンシップにコマを進めることができました。

 また、しばらくは、ヤンキースを応援をしながら、勝つための戦い方はいかにあるべきかなどと考えながら、メジャーの試合を見ていきたいと思っているのです。

 そうそう、負けると言うことも、それはそれで、学ぶことがあります。
 むしろ、勝った時よりも、人生に大きな影響を与えますから、負けもまた、素晴らしいと言えます。辛いけれどね。





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《10/22 Sunday》

‼️現在、<Puboo!><Facebook>で、金曜日に発信した作品を公開しています。‼️

❣️<Puboo!>にて、『だから、朝は素晴らしいんだ』を発信しました。ぜひ、お読みください。

❣️<Facebook>で、『Mermaid beach at Gold Coast. - The forcing look blows and is no swimming allowed on this day. I was walking a beach. When I try to take a picture of a no swimming allowed flag's trailing along in a wind, one man has begun to come near the field and take a picture of the skyscraper group. That makes a picture.
美人鱼海滨於黄金海岸。- 强的风吹,这天是游泳禁止。我,走着在海滨。我,预先打算拍下来游泳禁止的旗在风上密布的话,一人的男人为田地的荞麦面来,开始拍高层群的照片。那个如画。』を公開しました。

❣️<Twitter>では、『ものかき』と銘打って、朝と晩『つくばの街であれこれ』の更新情報をつぶやいています。朝は、その日の記事について、晩は、明日の記事についてのつぶやきです。

⏬下の[リンク]欄から、歴史小説『一門』『福明と李福』、旅行記『ポーツマスの旅』、また、<水彩画>など、<nkgwhiro>の創作活動にアクセスができます。  

皆様のアクセスを心よりお待ちしております。🙋‍♂️

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