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 ロードバイクで初めての道
 どこへ行くのか
 抜けられるのか
 変な虫がいるのではないか
 あらぬゾーンに入り込むのではないかと
 ドキドキしながら走っていると
 そこにあったのは
 ハスの花の一面に咲く沼でした
 しばしたたずみ 
 その光景に
 息を飲んだのでした




 時に、あの「いいね!」が不思議に思えてならない時があります。

 入院しましたとか、父が亡くなりましたとか、そんなつぶやきに「いいね!」はないと思うからです。
 しかし、それを発信する人は、私の大切な仲間です。
 そのつらい思いを共有することは、たとえ、バーチャルの空間での仲間でも、大切なことです。それに何より、情として、無視することはできません。

 だから、心の中で「いいね!」を、大変だね、頑張ってに置き換えたり、ご愁傷さまですという気持ちを込めて、それを押すようにしているのです。
 きっと、相手も、そういう思いでそれを受け止めてくれるだろうと推測して……。

 今の所、入院して、何がいいねだとクレームを受けたことはありませんから、きっと、そうだと思っているのです。

 時にまた思う時があります。

 「いいね!」しか選択肢がなければ、それを告知する側も情報の発信を工夫しなくてはなるまいにと、そんな思いを抱くのです。

 それはともかく、まさに、「いいね!」全盛の時代ではあります。

 世界最大の権力を持つアメリカ大統領が、それを盛んに使って、世間の思惑を根底からくつがえし、大統領になってしまったのです。
 大統領になってからも、盛んに「いいね!」を使って、政治的行動を繰り返して、世界中のマスコミを慌てさせていますから、さぞ、ご本人は痛快この上ないはずです。

 しかし、たかだか140字の文言が多大な力を持つようになれば、軍事力や政治的恫喝を使うことなく、物事がおさまるなら、それも今の時代、殊の外大切なことだと思うのです。

 思えば、トランプが大統領になってから、さほどの大規模な戦争が起こっていません。
 もちろん、政治の延長線上にある戦争は、武力を使わずに、サイバー上では盛んに繰り広げられてはいます。

 北の国の御曹司は、サイバーを悪用して、20億ドルもの金銭を奪い取ったと言います。ありとあらゆる手を使って、国家の正義の名の下に悪さをするのですから、たまったものではありません。
 だとするんら、まさに本物の悪徳国家ではあります。

 最近、また表に出つつあるあのISも盛んに「いいね!」を使っていました。
 何年か前、モスルを総攻撃すると発信し、モスルを防衛する2万人の軍隊を崩壊させた一件はあまりに有名な話です。

 日本が真珠湾をやる時、その情報は厳格に管理され、単冠湾に機動部隊が集結して、初めて、搭乗員達は目標が真珠湾のアメリカ太平洋艦隊だと知るのです。ですから、ハワイのアメリカ軍は日本が攻撃をしてくるなどこれっぽっちも知らなかったのです。
 半年後のミッドウエイでは国民の誰もが、今度はミッドウエイですねと、それを知っていたというのです。情報が漏れれば、それは敵に手の内を見せてしまうことで、アメリカ海軍は見事に待ち伏せ、日本海軍の機動部隊を叩くことができたのです。

 戦いは、勝つために、情報を守秘するというのが、鉄則でしたが、ISはそれをくつがえしたのです。

 ISは、自らの戦闘地域の目標、作戦の進め方を発信しました。
 宗教で武装された果敢な軍団が、敵を恐れずに向かっていき、敵の首を切り、腕を切り、目をくり抜くというのです。
 そして、それに、「いいね!」がいくつもつくのです。

 それを見たモスルの守備隊兵士は、戦う前から戦意を失ったというわけです。

 さらに、それに尾ひれがついて、モスルを守備する2万の兵士たちは、見えない敵の恐ろしさに震え、逃亡をしてしまったのです。
 ですから、ISは、2千足らずの兵士で、2万の大軍に、ものの見事勝利したというわけです。

 ハワイで日本の航空部隊の破壊力のすごさを知ったアメリカが戦艦から空母に力を入れたのに対して、その当事者の日本は空母より大和に力を入れたままであったのも、のちの戦局を左右する背景として知られている事実です。

 だとするならば、「いいね!」の力を知ったトランプが、それを使うことが少なかったクリントンに勝つことができたのも必然的であると思っているのです。

 でも、よくよく考えてみますと、今、私たちが情報を得るそれらで、仮に、間違った情報が故意に流されて、それに不用意に「いいね!」などすれば、私たちも同類になってしまうのではないかという危惧に、気がつくのです。

 「いいね!」を押すのは、当事者ではありません。

 当事者が民意を得るために、同調を求め、それに私たちが応えているというわけですから、当然の発信に「いいね!」と押した段階で、同類となることを覚悟しなければならないはずです。

 まぁ、私のバーチャル上の仲間たちは、悪だくみをして、なんとか利益を誘導しようという人がいるわけもありませんからその点は安心なのですが、世間全般ではそうもいきません。

 不用意な「いいね!」が世界を混沌に陥れるのですから、慎重にことは運ばねばならないと思うのです。
 銃こそ手にはしませんが、「いいね!」という武器で武装した戦闘員になってしまうのですから。

 墓を参って、掃除して、雲の合間を飛ぶジェット機の機影をみては、そんなことを考えていたのです。



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おぉ、ミステリー

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 垂れこめる雲
 茶色い砂浜
 台風の波かしら
 一人の子供が
 そんな海を 空を 雲を
 じっと見ています
 子供だって
 将来を 未来を ついさっきのことも
 思っているのです




 日本時間、2019年6月22日午前1時54分。

 この瞬間、我が地球の自転軸の北端は、太陽に向かって、23.5度傾きました。
 正午に至ると、太陽はこの年最も高い位置に達するのです。

 この日この時を境に、太陽からの恵みである日照時間は、いや増しに、増していくのです。

 太陽エネルギーを受けて、私たちの暮らす地球は暖かさを増していくのです。
 いや、暖かさなんていうものではありません。
 猛烈な暑さの日々を私たちはやり過ごさなくてはならなくなるのです。

 時に、南太平洋の空気を孕んで、空は荒れ狂うほどに熱にうなされるのです。

 いや、待てよ、これは正しい表現ではないぞって気がつきます。
 物事には、必ず、表があれば、裏があります。

 我が地球は、球体で、しかも、傾きを持って、自転をし、公転をしているのです。
 ですから、地球の上と下では、まったく逆の現象が起きてくるのです。

 コアラの国に住む私の幼な子たちは、今、ダウンを着て、私のiPhoneのWhatsAppにその姿を映します。
 朝方はゆっくりと夜が明け、夕方は早くに暗くなり、太陽エネルギーは減少していくのです。

 幼な子は、まだ幼稚園児、道向こうに住むカナダからの移民の子、リアムが学校から帰ってくるのを、寒い中、彼の家の前に設えられたガーデンチェアに腰掛けて待っていたと、なんだか、そんな話を聞くと、健気さと、真面目さを感じ、心が痺れてしまうのです。

 しかし、だからと言って、コアラの国では、この日を冬至とは言いません。
 北半球に併せて、GOKUが友達を冬空の下で待つ国でも、この日を夏至と呼んでいるのです。
 
 なんと、ミステリーって、思うのです。

 この日、一人の天才に処断が下されました。
 それは、1633年の夏至の日でした。

 我らが地球が宇宙の中心にあって、宇宙は、その周りを回っているという教会の教えに、盾突き、地球が太陽の周りを回るという神をも恐れぬ大それた説を撤回せよというのです。
 さらに、この男には、これからの人生のすべての時間、外に出ることを許さないという決定がなされたのです。

 なんと言う横暴、なんと言う愚かさ、なんと言う無知かと憤るものの、それが人間の辿ってきた道であることに、私は、落ち着くのです。

 そして、人間の傲慢さをものがたる逸話として、私は、この話を捉えるのです。
 
 科学なる、真理を導く学問が、日の目を見て、宇宙の実態が次第にわかってきて、今や、地球が宇宙の中心にあるなどと誰もが思うことなどありません。

 ダンテという作家がいます。

 『神曲』という中で、彼は地獄は九層に分かれてあると言いました。
 もっとも深い層には送られるのは、殺人でも、邪婬でも、異端でもありませんでした。
 最下層は、裏切りという人間の心に巣食う邪なありようをもち、それを遂行した者たちでした。

 その邪なありようは、科学が人間の心に根付いた今も、あちらこちらで繰り返されているのです。
 そんな姿、日々の新聞の社会面でも、最近は、経済面でも見て取ることができます。

 だから、ダンテの『神曲』は、人類の共通の読み物として、その哲学は永遠に賛美されるだと考えるのです。

 そのダンテ、裏切りを最大の悪と位置づけ、それをなしたものは地獄の最下層であり続けないと考えましたから、光秀も、ブルータスも、そして、あいつもこいつもきっと、その最下層で苦しんでいるに違いないと思いを巡らすのです。

 地獄の最下層のその一段上はといえば、それは阿諛追従のやからが収められると言っています。
 暴力や殺人よりも、阿諛追従のやからを地獄の下層に置いたのはなぜかって、そんなことを考えるのです。

 忖度をしたり、ゴマをすったり、人の心の隙間に、入り込んで、自分に利益をもたらすそんなありようこそ、ダンテは、最も悪なるもののひとつだと考えたに違いないのです。

 はて、おいらは大丈夫かと、これまでの人生の中で、裏切り行為はなかったかとそっと己の行き方を振り返るのです。
 忖度や、人の気持ちを阿諛したり、追従したりしなかったかと、これまた振り返るのです。
 
 いやはや、あるはあるは、出てくる出てくる、そんなことばかりだって。

 おいらも、どうやら、ダンテのいう地獄の最下層に送られそうだと。
 地軸が23.5度傾いた21世紀の地球上で覚悟を決めたのです。



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国家のいじめ

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 西陽を浴びて
 いかにも
 暑そうです
 いや
 暑いのです
 風薫る五月ははや古語となり
 今や
 毒々しい皐月と相成り果てました




 独りよがりな子がいて、まわりの子がああでもない、こうでもないと意見をします。
 
 みんながそうしようって言っているんだから、君もそうしなよとか。
 それは皆で使うんだから、君だけが、それをいつも使っているのは良くないよとか。

 そんな生徒のやり取りを、教師であれば、じっと観察を、しなくてなりません。

 生徒間で、なんらかの問題解決を図れるよう、見守るのです。
 先生は、見ているよって、生徒たちに、認識をさせておくのです。

 そんな基本を教師が怠ると、とんでもない事件が、その学校では起こってしまいます。

 先生が見ていないと悟った子供たちは、阿漕な真似をし出すものです。
 周りが結託して、その独りよがりな子に、いじめなる行為を働くようになるのです。

 さて、そうなったら、問題はこじれていきます。
 一方は、正義を行使するために、それをしたと言い張り、他方は、唐突にそれをされたと主張し出すからです。

 そうならないように、教師は、いじめになる行為が発生する前に、解決策を示さなくてはなりません。
 
 とりわけ、独りよがりの子には、協調性の大切さ、その素晴らしさを伝え、根気よく対さなくてはなりません。
 子どもというものは、先生が動いていることを知れば、それ以上は行動を起こさないものです。 

 集団の中の、さまざまな力が働き、均衡を保って、事件を未然に防いでいくのです。
 
 だから、教師は、常に生徒を観察し、双方に対して行動を起こし、良からぬ行為の芽を摘んで行かなくてはならないのです。

 そんなことを、私はして来たのですが、昨今の国際情勢を見ていますと、寄ってたかって、独りよがりの国に、ちょっかいを出していて、まるで、これが学校という世界であったら、いじめ事案になるに違いないって、そう思っているんです。

 その急先鋒の男の子は、独りよがりの子の大切なものを奪い取り、さらには、その子が大切なものだと言っている物の側にまで行って、ちょっかいを出しています。
 さらには、仲間に、あいつと付き合ったら、許さないぞって、凄んでいます。

 だから、皆、急先鋒の男の子の意に沿うように、あれこれと策を講じるようになりました。
 
 独りよがりの子だって、意地があります。
 いや、独りよがりだからこそ、人一倍の意地を持っているのです。

 実は、それこそが、子供たちのいじめの契機となっているのです。
 その芽を摘むとは、子供たちのよこしまな意地を、とんがった意地を、そっと押さえて、へこませてやることなんです。

 でも、国家と国家とでは、そうもいかないようです。

 急先鋒の国は、強大な軍事力を持っています。
 独りよがりの国は、それに近づき、上回ろうと野心を持っています。
 
 それを覇権争いって言います。

 覇権は、急先鋒の国にとっては、もはや手放すことなど考えられない黄金の柄なのです。
 それを一振りすれば、あのドイツも、日本も、それに、味方であったイギリスをもひれふして来たのです。
 
 世界を二分したソ連だって、急先鋒の国の前に、消えて無くなりました。

 これで、天下は、落ち着いたと思っていた矢先、とんでもない国が韜光養晦、日本で言えば臥薪嘗胆でしょうか、そして、一帯一路、日本で言えば、大東亜共栄圏でしょうか、そんな独りよがりの発想で、そして、急先鋒の国に、そっと耳打ちして、太平洋を東西で二つに分けて支配しようと囁いたのです。

 言うことを聞かないのならと、弱い奴をやっつけにかかります。
 バナナはいらない、レアアースはやらないって。

 独りよがりの国がやって来た、まさに、独りよがりの意地悪な手です。

 急先鋒の国は、とんでもないやつだと、仲間を集め、あいつは、俺たちの情報を盗み、ゆくゆくは、おいらに変わり、お山の大将になりたがっている、お前たち、親分にどっちを選ぶんだ。
 自由と平等を大切にするおいらか。
 カメラで監視、情報は遮断、ペチャクチャと大声で喋りまくるあいつかって。

 いやはや、大人のいじめにも困ったものです。
 つける薬がありません。

 いや、教師がいないのです。
 だから、国際社会という学級は、崩壊寸前にまでなってしまっているのです。
 
 さぁ、二十一世紀の人間社会、ここが勝負どころです。

 国技館でのパフォーマンスに喜んでばかりはいられないのです。
 先生を探してこなければなりません。



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カラフェでひとり酒盛り

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 夏の時期になりますと
 ここまで
 朝日が差し込んできます

 リキュールの瓶を照らすのです
 もそっと
 飲みなさいよって
 
 酒は浮世の憂さを
 洗い流すよって




 衣替えを始めています。
 布団も、着るものも、冬から春、そして、夏へと模様替えを少しづつしているんです。

 先だっては、食器も、と言っても、たいそうなものがあるわけではないのですが、取手の学校にいた時に、卒業記念品としていただいた、それなりの食器が冬から春の食卓を飾っていたのです。 
 それを夏を涼しげにしてくれるガラス食器に入れ替えるといったことなのです。

 食器棚の奥から、カラフェが出て来ました。

 冷酒を飲むときに使う、ポケットのついたあのガラス食器です。
 そのポケットに氷を入れて、酒を薄めずに冷やして飲めるあの食器のことです。

 それを手にして、テイッシュで磨きをかけます。
 しかし、それにしても、このポケット絶妙に器に食い込んでいるなって、私の関心は、いつものことなのですが、横道に逸れていきます。

 そういえば、先だって読んだ新聞に、クラインの壺を紹介したものがあったと、そのポケットの中に、テイッシュを突っ込んで磨いているときに思い出したのです。

 クラインの壺は、私が手にしているカラフェとは異なって、ポケットではなく、口の先端がムニューって伸びて、それがガラスのツボの腹のなかに食い込んで外に抜けていく、そんな形なんです。
 だから、そこに氷を入れれば、それはガラス瓶の中に入り込んでしまうのです。

 大吟醸の冷酒を飲むにもどうして飲んだらいいものか、考え込んでしまう形をしているのです。

 メビウスの帯、というものも連鎖的に、私の頭の中に浮かんできました。
 紙テープを伸ばして、その一端を百八十度ひねります。それを他の一端にセロテープで貼り付けます。
 これをメビウスの帯って言います。

 私の脳みそには、この方が理解しやすいようです。
 このメビウスの帯の特長は、一周してくると向きが逆転するというものですから、カセットのエンドレステープや、タイプのインクリボンに応用されていますから、きっと、私にも、具体化した形で、理解が進んだものだと思っているのです。
 
 百八十度ひねるという点では、クラインのツボも同じようだなって、いや、手にしていたのは、大吟醸を入れ、夏の夕刻、そよ風の吹く中で、蚊取り線香を焚いて、枝豆で一杯やるときの、大事な道具カラフェだったのですが、その磨く手も動くことなく、私は、あらぬ空想の中に入っていってしまったのです。

 もの、皆、形ありって、誰が言ったのか、それとも、自分で考えたのか、そんな言葉が脳裏に浮かんできたのです。

 物理的な形はもちろん、仕組みや仕掛けなども、形があって、機能しています。
 人間が作り上げた先進的なありようというのは、すべて、形が機能して、成立しているのです。
 それを壊そうとすると、波乱が起こります。

 戦争をして島を取り戻そうとか発言する若い議員も、議長席に居座りひんしゅくを買う老いた議員も、あるいは、国際規約を無視して独自の考えで、南シナ海の岩礁を埋め立て、基地を作る国家も、あるいは、これまでの体制をぶっ壊すようなことを繰り返す大国の大統領も、皆、その手の人たちです。

 形を壊そうとして、それが正義であるかのように、振る舞いますから、タチが悪いのです。

 でも、その形、そもそも、それが正しいのか、そうではないのか、実はわからないというのも、困ったものです。
 なぜなら、形は、時に暴力を伴って作られたものであるからです。
 自然的な猛威、あるいは、人為的な暴力でもって、それらは形成されて来たことを、私たちは歴史の中に見ていきているのです。

 人間界の、愚かなる人々の愚行に付き合っている暇などはないと、そうではなくて、私は、手にしているカラフェの器を見つめながら、宇宙の形を想ったのです。

 ビックバンで、大爆発を起こした宇宙は、だから、きっと、放射線状にすべてのものが散っていく、そして、それがいまだに続いているんだと。
 あるいは、その勢いも弱まり、今では、しずくのような形になって、ゆっくりと膨らみをもって広がっているんだと。
 そしてまた、カラフェのように、自然の成り行きに任せず、任意にその口を曲げて、あらぬところに出口を設けて、きっと、別の宇宙に行き着くのではないかって。

 昼過ぎのキッチンで、訳の分からぬことを想いながら、そして、そんなことを思う自分が嫌になり、私、立ち上がり、冷蔵庫の前に立ちました。

 正月に飲んだ酒があること思い出したのです。

 それをカラフェに注ぎ、そのカラフェのポケットに氷ではなく、オレンジリキュールを注ぎ込んだのです。

 それを陽射しにかざして、綺麗だなって、せっかくだから、三時のおやつにいただくかと、カラフェに付属するガラスのお猪口に、酒を注いでいただいたのです。

 昼酒なんど、とんとしたことのない身ではありますが、五臓六腑に染み渡る日本酒のちょっとカビ臭さがこれまたなんとも言えませんでした。
 私の頭から、宇宙も、形の哲学も、見事にすっ飛んで、私は、午後のひととき、銀座の石川県のショップで買って来たしろえびのせんべいをつまみに、大いに盛り上がったのでした。



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桜の花のため息

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 何に想いを寄せているのか
 多くの篭められた思いが
 ここにあるんだと
 さくら花の下の
 石たちを切なく思う




 取手の学校にいた頃から、親しくしていた先生がいます。

 私が主任で、彼が副主任でした。
 と言っても、私たちには上下関係はありませんでした。
 歳が同じで、私が最初に入った大学の同窓でもあったのです。
 ですから、親近感もあり、何よりも気があっていたのです。

 彼が、体育祭の指導中、熱がこもってしまって、骨折してしまった時も、学校近くに住まう彼の家に送り届けた覚えがあります。
 近くに住まう教員たちが集まって、彼の家で、酒盛りをしたこともあります。
 彼が、ボート部の顧問でインターハイに出かけたときは、学校に残るボート部の生徒たちの面倒を見て、日がな、利根川の川面にカヤックを浮かべていたこともあるのです。

 その彼、ほどなくして、学校を辞めてしまったのです。

 そして、駅前に塾を開き、取手の学校の医学部を目指す生徒たちを集めて、大いに繁盛させたのです。
 取手の教師たちも、講師に招聘されて、ちょっとした小遣い稼ぎをさせてもらったりした先生もたくさんいたのです。

 いつも笑顔で、人の悪口は言わず、生徒のことを第一に考えるそんな先生であったのです。

 彼の父上、会社を経営していました。
 彼が高校生の時に、事業に失敗し、辛酸を舐めたこともあったようですが、経営者として、何としても成功したいというのが彼の夢であったことは、折々に聞いていました。
 事業に成功して、父親の仇を討つんだとそういう思いであったのではないかと思っているのです。

 だから、そうした彼の転身を、私は、羨望とともに、敬意を持って、応援をしていたのです。

 学校の発展に伴って、彼の塾も大いに成長を遂げました。
 私も、駅前の銀行に用事があって行くときなど、ちょっと立ち寄って、お茶を飲みながら、世間話をしていました。
 そんな仲であったのです。

 私が、取手の学校を辞めるとき、実は、その後のあても何もなかったのです。
 意地の悪い人は、その算段をつけて、うまく立ち回ったなどと噂をしていたと後で聞くのですが、実際は、深いため息と憂うつの中で時を過ごしていたのです。

 そんな時、彼が私に一本の電話を入れてきてくれたのです。
 
 辞めるって聞いたけど、本当?って。
 辞めることはないよ、組織にいれば、そう言った時があるよって、慰めてくれたのです。
 
 確かに、組織というのは、一時の争いも、それがおさまれば、あのときはなんだったのと水に流すときもあるでしょうが、そうもいかないのが、男の気持ちです。
 ですから、彼の慰めの言葉に感謝しつつ、私は一旦退くよって、彼に言ったのです。

 その後、しばらくして、彼からまた電話がありました。

 私が、退職届を、新しく上司になった、どこかの建設会社からやってきた教育素人の横柄な男に出したその日でした。
 同じ塾仲間から連絡がありと前置きをして、土浦の学校で教師を必要としているから、そこへ行かないかというのです。
 
 私は、ありがたい話だと思いました。
 きっと、塾仲間からではなく、彼が手配をしたに違いないのです。
 捨てる神あれば、拾う神ありというわけで、私は彼に感謝をしたのです。

 私は、彼の言葉に従い、土浦の学校に、失業という時間をおかずに、その新しい年度に、籍を移すことができたのです。
 ちょうど、今のように桜が満開の頃、私の気持ちは、一転、晴れ晴れとしていたのを思い出すのです。

 以来、生徒募集にかこつけて、私は土浦から取手駅前の彼の教室に行くことになり、何人かの生徒を引き受けることになったのです。

 その彼と最後に会ったのは、もうかれこれ、四、五年も前のことになります。
 彼、杖をつき、随分と痩せてしまっていました。
 糖尿病が悪化していたのです。
 それでも、明るく、元気に振舞っていたのですが、昨日、彼が亡くなったとの連絡を受けたのです。
 
 私は、通夜にも、葬儀にも行きたくないと思っています。

 行くことで、彼がもはやこの世にいないことを、確認はしたくないのです。
 きっと、どこかで生きている、また、どこかで、ヤァと言いながら、狭い教室の長椅子に腰掛けて、なんということもない世間話に花を咲かせたいと思っているのです。

 見知っていた人が、去っていくのは辛いことです。
 桜の満開の様子が、私をまた、一転、深いため息と憂うつへと誘い込むのです。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《8 / 18 💦 Sunday 》
 
🦅 昨日、<カクヨム>にて『まぼろしのフランクフルト中央駅』を発信しました。

 縦横無尽に 

 意識の中を駆け巡るのは 
 人の持つ感性なるもの



この世に、二つの世界があり。
それは、現実世界と仮想世界。

かつては、そんなバカなと思える仮想の世界が、詩になり、絵になり、物語になって、現実世界で堪能されていました。
今、 AIがその仮想世界を現実世界に組み込み、私たちはその境目さえも不明の中で、仮想世界で遊ぶことができるのです。

なんともややこしい時代になったものです。

しかし、仮想の世界、昔から、人間の中にある何かのスイッチに刺激を与えてきました。
想像というスイッチ、さらに進んで、創造というスイッチにも、時には、幻想に、あるいは空想のスイッチとなり、私たちを楽しませてくれたりもしているのです。

フランクフルトの革ジャン男も、我が庭の山法師の木も、そして、日本語の二人称も、すべて、私にとって、現実世界と仮想世界を行き来する契機となったものたちなのです。

下のリンク欄、一番上の<カクヨム>をクリックしてください。


【nkgwhiroの活動】

💝 <Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。 

                                            💝 <Amazon・Kindle>で書籍の販売を行なっています。 ただいま、『一日千秋ーある日ちあきと』を販売しています。値段は3ドル換算日本円になります。
 

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