菊と刀でやったように備えておくれ

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 夏の冷たい飲み物をいれる
 ガラスの器を
 出窓に置いて眺めてみると
 こんな光景が

 村上斉が私の頭の中にあって
 どうも
 私の頭はアクロスユニバーずになってしまったようだ




 香港は、私が、最初に海外に出た際の、印象深い地であり、その後、何度か訪問した地でもあり、友人たちがそこで暮らす地でもあり、私には、まことに懐っこい土地であるのです。

 私が親孝行の一つとして、両親に香港旅行を贈ったのも、その懐っこい土地であるがゆえのことであったのです。

 腹巻きに、現金をこれでもかって突っ込んで出かけて行きました。
 英語がわからず、ホテルの朝食がバイキングだとわからずに、ただ、じっと二人して、ホテルのレストランの椅子に座って、給仕を待って、とうとう、朝食を食べず仕舞いであった話。
 屋台で食事をしたいと要請すると、あそこは不潔だと、高額な請求をされるレストランでガイドと一緒に、豪華絢爛な中国料理のフルコースを楽しんだこと。
 そのガイドにこれまた高額なチップをやったこと。

 しばらくの間、私の両親との話題は、香港での失敗談のあれこれであったことも、私には懐かしく思い出されるのです。

 私の最初の海外での旅の地香港では、ビクトリアパークからの100万ドルの夜景を見て、数日後には、薄暗闇の向こう、紅いベールに包まれた新中国に行くのだと言う高揚感を抑え込んでいたことを思い出すのです。
 何とはなしに、『慕情』と言う切ない映画が思い出されて、あの映画で、その中国の共産化から逃れてきた人々のことが描かれていたことも、私の頭の中に浮かび上がってきました。

 しかし、1978年夏の私の気持ちは、日本とは異なる社会主義の国、新中国への期待感が大きく占めていたことも、私は、思い出すのです。

 十数年後、私は、中国文学を志す学徒としてではなく、香港にある日本人学校から帰国子女を募集する学校の担当者として、今度は香港を訪問します。

 まだイギリス統治下にあった香港は、至る所、英国風の名前がつけられた街で、そんなありように、君たち香港人は中国人なのだから、中国らしい名を持てよと、心の何処かに新中国を慮っての意見が私の中にあったことを、実は、私、思い出すのです。

 ところが、中国に返還されて、この地を訪問した時、香港人は、中国人とは違うんだと教わるのです。

 あの尻の下がった女たちは、大陸からやってきて、今まで何の価値もなかった元をこれでもかって使うやつなんだ。
 香港と中国の経済が逆転し、香港人は否応ながらに、彼らが言う大陸人に尻尾を振っていたのです。いや、尻尾を振って、靡いていたのではなく、世界に冠たる商売人として、腰を低くして、尻の下がった大陸人がもたらす強い元を得ていたのです。

 しかし、あの尻の下がった女たちは、大陸からやってきて、元をこれでもかって使うやつだと、朝食に、日本の即席ラーメンを出す場末の街角の飲食店で、出された箸を、ウーロン茶で洗い流しながらそう言う香港人は、大陸からの影響を心地よくは思っていないことを私はすでにその頃には察していたのです。

 ですから、香港で、行政長官が、容疑者を中国国内に搬送すると言う立法の成立を延期することに、なお、香港人が反発する気もちがよくわかるのです。

 そして、心配もするのです。

 G20が終わったら、きっと、習近平政権は、強権をもって、介入をしてくるに違いないと。
 大阪で、笑顔を振りまき、偉大な中国、アメリカと渡り合っている矜持をこれ見よがしに見せつけ、大人然としたその振る舞いが済んで、北京に戻ったら、彼は、中国に反抗する香港人民は許さない、もっと、強力なる制裁を加えよと、指示を出すに違いないと、そんな危惧を持っているのです。

 アメリカは、杓子定規に、民主主義と人権は、地域、文化、宗教を超えて人類全体にとって普遍的な価値を実現するという大義名分を、アジアとの戦いにこれまで用いてきました。

 日本との戦争でも、戦後の日本経済がアメリカを凌ぐほどになった時も、この言葉は日本に対してもなされた言葉であったのです。
 今、アメリカは、それを中国に用いています。

 でも、通り一遍のそんな言葉では、アメリカは中国に勝つことはできません。文化ではなく、宗教ではなく、中国のそれは思想であり、軍事を無慈悲に使う統治概念を持っているのですから。現に、国内外で、中国政府はそれを実行しているのです。

 孔子学園しかり、チベットしかり、ウイグルしかり、尖閣しかり、南シナ海しかり……

 習近平は、「長征」と言う毛沢東時代の歴史的遺産を持ち出し、持久戦を意図しています。
 さらに、中国共産党は、かつて、インドとの紛争で武力を使った時、そして、私が広州市の街角で、人民解放軍の兵士に声をかけた時、そして、その後に起こったベトナムとの戦争の際にも使ったと言う、言葉を今回、久方ぶりに、使っているのです。

 勿謂言之不預、と言う言葉です。

 警告をしなかったとは言わせないと言う、戦争を前提にした因縁めいた一文です。
 それより何より、中国は、アジアにはアジアの民主主義の形があり、アジアに沿った人権があるのだと真正面から言葉を返してくるのです。

 私たち日本人からすると、そんなアジアの中に組み込まれることは真っ平御免となるのですが、きっと、中国は、笑みを浮かべ、あなた方はアジアの白人ですからっていとも簡単に言い放つのではないかと思っているのです。

 アメリカに敗れ、アメリカ一辺倒のあなたのような国は、アジアの一員としては認めません、って。

 アメリカが強大な大日本帝国を破ることができたのは、何も、軍事が優先をしていたばかりではないと思っているのです。アメリカ中から、日本研究者を集めて、日本をとことん研究したからだと、ベネディクトの『菊と刀』を読んだ時から、そう思っているのです。

 『菊と刀』での研究成果が、対日戦に有効に使われたからなのです。

 さて、香港でのあの200万人に膨れ上がった騒動を、テレビで見て、そして、アメリカは、日本と戦った時に作り上げた『菊と刀』に相当するものを作り上げなければ、到底、中国に勝てないと気がかりでならないのです。

 アメリカは、中華という華と、人民解放という美名のもとにある軍のありようを研究しているのか、どうも心配になるのです。



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笑顔の秘密

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 これは侵略だ

 カモマイルが庭先にも
 鉢中にも
 花を咲かせている
 りんごの香りを漂わせて

 こんな侵略なら
 あってもいいと……




 「微笑みは、未来を保証する」

 そんな言葉を、私は知っています。
 でも、誰が、そう語ったのか、もともと、そんな言葉があったのかは、実のところ、承知してはいないのです。

 ただ、その言葉が与えてくれる展望、未来に対するほのかな安堵感を心地よく思っているだけなのです。

 「笑顔は、今が大変だから、苦しいから、とんでもない時代だから生まれる」なんて言葉も、私の中にあります。
 
 人は、あまりに辛いと、その中に浸かっていると、苦痛のために顔を歪めるのではなく、微笑みを浮かべると言うのです。
 本当かなって、若い頃は、この言葉にさほどの信頼を寄せてはいませんでした。
 だって、辛いのに、笑顔を示している方など、見たこともないからです。

 でも、それが本当だとわかるのです。
 
 生きていれば、崖っぷちに立たされることが、人生の中で、一度や二度はあるものです。
 そんな時を体験すれば、人は、そういう時、笑みを浮かべる、というのが事実だと、私は体験からそれを知るのです。

 人間は、笑顔を作るとき、口の両端をちょっと上げて、笑顔をつくろいます。

 今、私は、「つくろう」と書きました。
 「つくろう」とは、整えて格好を付けるという意味です。
 つまり、口の端をあげるのは、笑いを取り繕っていると言う点で、心底、笑みを浮かべていると言う真実性を喪失していると言う点で、芳しくはないと思っているのです。

 だから、そうした笑顔を見せる人を、私は信頼を置くことはできませんでした。
 
 どこか、怪しげな点がある、その笑顔は、背を向けると、即座に消えて、何の感情もない無表情になるって、そう思っていたのです。

 そうかと言って、口の端をあげることは、そうして笑うことは、きっと、誰もがすると思います。
 人間の顔の筋肉が、笑顔になると、そうなるようになっているからです。

 だとするなら、その笑顔が本物かどうかは、私は、目で判断をするのです。
 目は、口ほどにものを言うからです。

 「月目」という言葉があります。

 満月のような目、それとも、三日月のような目と、きっと、思案が巡るかと思います。
 そんなことを思案していていますと、要は、優しさ、親しみやすさが、その目からにじみ出ていればいいのだと気づくのです。

 でも、本当にそうなのかと。ここでも、私は疑義を催すのです。
 
 そして、気がつくのです。
 半跏の思惟像が、私の脳裏に浮かび上がってきたのです。

 台座に、腰掛けて、右足を左大腿部にのせて足を組みます。
 折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する姿が、半跏の思惟の像の姿です。
 
 その時の像の目を見てみますと、ことごとく、その目を閉じています。
 いや、うっすらと目を開けているそのお姿こそが、私、「月目」ではないかって思っているんです。

 もちろん、思索をしているのですから、目をかっと見開いていては形無しです。ぼんやりとした目つきをしていれば、不安定この上ありません。

 その閉じた目こそ、いや、うっすらと開けたその目にこそ、笑顔の秘密があるんだと思っているんです。

 半跏思惟像の代表に、弥勒菩薩があります。
 その菩薩の像に見られる微笑は、アルカイック・スマイルと呼ばれています。

 古代ギリシャの彫像がその発祥であると言われて、それがアジアに伝来するのです。 
 古代ギリシャのそれは、口の端がわずかに上がり、目は大きく開いています。
 その形が、アジアに渡ると、半跏となり、目をうっすらと開き、思惟する姿に変じるのです。

 あの円形の土俵の上で、トランプの笑顔を見たとき、この人の口角を上げたあの笑みは、果たして、どっちなんだろうかって、そんなことを思ったのです。

 未来を保証してくれる笑顔なのか、それとも、その背後で無表情になる得体の知れないものなのかって。



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オセロのごとく

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 枝垂れる姿って
 なんで魅力的なんだろう
 天に向かう枝ぶりとは
 まったく違う
 なんだか
 男と女のありようを
 見ているようだ

 

 いよいよ始まりましたね。

 平成から令和へと、時代の区切りを迎える十日に及ぶ休日の始まりです。
 世界を見ても、これだけの休みを迎える国はないでしょう。
 つくづく、我が国はいい国だと、そっと思っているんです。
 
 今日あたり、きっと、多くの皆さんが、仕事をお休みにして、休日を過ごしていることと思います。あるいは、そんな世間の流れに逆行するかのようにお仕事に精を出されているかも知れません。

 しかし、ともかくも、日本国は、世界のうねるような流れの中にあって、十日というとんでもない休日の時を過ごすことになったのです。

 さて、水戸といえば、茨城県の県庁所在地です。

 私も、教育研修会に参加するために、何度もこの地を訪問しました。
 緑豊か、水清く、水戸っぽは頑固であるけれど、人情味のある、そんな雰囲気がにじみ出ている街だと今でも思っているのです。

 その水戸で生まれたゲームがあります。

 水戸で中学時代を送っていた少年が、挟み碁をヒントに、交互に盤面へ石を打ち、相手の石を挟むと自分の石の色に変わり、最終的に石の多い方が勝ちと言うゲームを考案し、楽しんでいたのです。
 これがオセロになります。
 戦後間もない頃の話だと言います。

 私の幼な子たちが我が宅に来るとき、いつも、決まって、このオセロを持って来て、私に戦いを挑んできます。
 単純なゲームでありながら、奥は深いといつも思って、手加減せずに臨むのですが、いつも負かされてしまいます。

 A minute to learn, a lifetime to master.
  オセロには、そんなことばがあるって娘が言っていました。

 学ぶのは簡単だけれど、マスターするには一生かかるって、将棋も碁も、AIによって、人間は負けが込んでいるようですが、オセロはいまだAIによる解析は十分ではない、いや、それは不可能ではないかと言われているそうで、水戸の少年、なかなかやるではないかと、私、密かに称えているのです。

 で、何故、オセロかといえば、この十連休、決まるまでの政府のありようが、オセロのようだと思ったからなのです。
 
 昔、飛び石連休なることばがありました。
 文字通り、休日が飛び飛びになるのです。

 意外に厄介なのです、これが。
 
 日曜日に休んで、月曜日に学校があって、火曜日がまた休み、てな具合です。
 何が厄介かって、気持ちの持ちようが厄介なのです。

 なんだか、かったるくて、教師も、生徒も、月曜日の表情と言ったらありませんでした。
 心の中に雲が重く垂れ込めて、ため息ばかりが出てくるのですから、いっそのこと、休みにした方がいいと思っていると、議員さんたち、祝日法なるものを改正して、そのような日を「国民の休日」として休みにする秘策を編み出し、正式に休みにしてしまったのです。

 以後、飛び石なる連休はなくなり、それは大型なる連休とことばを変えていったのです。

 あれだけ、休みが欲しかったのに、十日も休みになると、人間ていうのは勝手なものです。
 かつては、国民の多くが賛同したこの春の大型連休も、嬉しくはないとかなりの人が思っているというのですから。

 株をやっている人からすれば気が気でないでしょうし、小さなお子をお持ちの方は万が一の病気の時はどうなるのかとか、お子たちが家にいれば、パートに出ることもままなりません。
 まして、旅に出ることもない御仁であれば、世間から取り残されたような疎外感を持つやも知れません。

 人間の心理に与える影響などは、法律というのは鑑みないのはいつものことですが、それでも、今回の大型連休は、日本の歴史の極めて重大な節目の時でもあるのです。

 ワンジェネレーションとは、三十年を言います。
 親から子へと受け継がれるのが、この三十年という時の流れです。
 まさに、今上陛下から皇太子殿下へと、このワンジェネレーションが引き継がれていくのです。

 そういう意味では、今日から始まる十日にわたる休日は、私たちはその時代の変換をゆっくりと見て行かなねばならないと思っているのです。

 オセロのように、それまでの平和が、くるりと白から黒になることにならないように。
 
 さて、旅に出る予定もなし、近間で休日の雰囲気を味わうなどという予定もなし、せいぜい、ロードバイクで突っ走って、霞ヶ浦で船を操るとしましょうか。

 オセロのごとく、自転車も船も、ひっくり返らないように、十分と注意をしてね。



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新しき時代の象徴

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 社の神に参ってきました
 Reiawaが良き時代にならんこと
 新しい陛下に幸あらんこと
 ニッポンに栄えあること
 そして
 よたりの幼な子の未来を




 時の流れは、たゆまずに流れていきます。

 毎日、洗面所で自分の顔と対面して、それがゆえに、自分の顔の変容に気がつかず、ある日、たまたま会った旧知の方に、お前さん、随分と老けたな、なんて思われるそんな感じで時代は流れていくのです。

 ですから、時代が変わっていくのに、日々の生活はなんら変わりなく過ごしいきますから、私たちは時代の変容に気がつかずに、ついつい、やり過ごしてしまうのです。

 昨日、この五月からの元号が『令和』と決まりました。

 でも、私たちの中では、西暦二○十九年は、微動もなく突き進んでいくのです。
 昨日と変わらず、私は、早朝の仕事に就き、午後は好き勝手に過ごして、春の気まぐれな天気を恨めしく思ったり、農家の人が、作付けの準備に忙しいのを垣間見るのです。

 最近、気がついたことがあります。

 マーケットに買い物に行きますと、肉が目立って安くなっているのです。
 カエデのマークの入った肉も見かけるようになりました。メイプルビーフとでもいうのでしょうか。オージーとメイプルにおされて、USAのロゴがだいぶ少なくなってきています。
 きっと、TPPの影響がジワリと出てきたに違いありません。

 これなども時の流れが、こちらの気づきが感知しない間に、確実に押し寄せてきた賜物だと思っているのです。

 ベジタリアンになったわけでも、アルコールから足を洗ったわけでもないのですが、肉もワインもすっかり食べなく飲まなくなってしまった私には、およそ関係のないことではありますが……。

 反面、何でもかんでも値段が上がっていることにも驚いているのです。

 値段が据え置きの商品を買ってきて、なかを開けてびっくり、値段は変わらずとも、中身がえらく少なくなっていたりして、商人も工夫をしてやがるなんて思ったりして、まぁ仕方がないかとさほどにも怒りの言葉は出てきませんから、不思議なことです。

 達観が出来るような高みの心境になったわけではないのです。
 誰だって、企業だって、精一杯なのだと、そう思っているに過ぎないからなのです。

 この五月以降の日程を見ますと、『令和』になった途端、大きな出来事が目白押しなんですね。

 陛下のご退位があって、皇太子殿下の御即位があって、そのためだかなんだかわかりませんが、十日に及ぶ大連休があって、暑さが増してくるころに、統一地方選挙があって、そうそう、トランプが来るともいいますし、その後、G20が大阪で開催されます。

 否応なく、日本から発信されるニュースが世界を駆け巡ることになります。
 それも、良いことで、日本から発信されるのですから、素晴らしいことだと思うのです。

 新天皇陛下は、第百二十六代目となります。

 その連綿としたつながりを、異国の人たちはいかように見るのかしらと、トランプにその偉大さがわかるのだろうかとも思うのですが、国を挙げて、賓客として迎えるのですから、粗相があってはなりません。
 国際関係というのは、そういうものです。
 
 日本は、G20でイニシアチブを取ります。
 トランプも、先のブエノス・アイレスや、その前年のシャルルボワのG7でのように、意固地になるようなことはないと思います。
 その点、今の日本政府は四方八方に気を使い、会議を盛り立てていくのではないかと安心をしているのです。

 それに、日米両国というか、両首脳の間柄は、微笑ましいくらいに良好です。

 日本はアメリカを頼みとし、アメリカも日本を頼みとする間柄になっています。
 そういえば、アメリカ宇宙軍、といってもその前身になる部隊に、空自からも優れた人員が派遣されるというニュースありました。

 値上げだとか、メイプルビーフなどよりも、こちらの方がずっと重要です。
 なぜなら、アメリカが日本に対して、信頼の重きを置いている、これは証だからです。

 日米の関係ほど、現代において、摩訶不思議なものはありません。

 あれだけ、やりあった国同士です。
 真珠湾を奇襲攻撃し、太平洋を舞台に、島を取り合い、アメリカは日本を屈服させるために、原爆まで、それも二発も使ったのです。
 普通であれば、お互いにしこりが残って、何百年経とうが口もきかない間柄になっても不思議ではないのですが、日米はそうではないのです。

 隣国中国、韓国、ロシアとの関係が一向に変化のない中で、あるいは、これらの国から悪意のある言葉を浴びせられ、まやかしの行動を見せられる中で、日米の関係は、私は特異であるとさえ思っているのです。

 だったら、太平洋を挟んで、この二つの国がどんどん仲良くなっていくのも、あるべき新しい時代の流れであると思っているのです。

 新天皇陛下が最初に会談するのは、USA、トランプというのがそれを象徴していると思っているのです。



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国王の謝罪

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 柔らかな
 陽差しを受けて
 すがすがし
 時を歩みし
 お顔拝まん




 和解を進めるために、国王に謝罪を要求したと、そんな記事が新聞の片隅にありました。
 
 いや何、メキシコが、かつての宗主国スペイン国王フェリペ6世とローマ法王フランシスコに対して行なった要求のことなのです。
 かつて、スペインがメキシコの地を侵略したこと、そこにあった文明を破壊し、植民地にした際に人権侵害があったことに対する謝罪を求める書簡を送ったというのです。
 
 それに対して、スペイン政府が異を唱えました。

 500年前のメキシコへの「到達」を、現代の考え方で判断することは出来ないと、謝罪を拒否したのです。

 確かに、歴史の授業で習ったことが思い出されます。
 コルテスというスペイン人がアステカ帝国を征服、その際、残虐なことをしたと。

 しかし、それは16世紀初頭の話です。
 日本では、よたよたの室町幕府の時代、やがて、戦国時代として区分される時代に入る頃のことです。

 この記事を読んで、皆は、どう思うのかと考えたのです。

 侵略されたことをその歴史にもつ国や国民は、そりゃ、何百年経とうが、忘れることはできない。だから、メキシコの行なったことは当然である、ときっと思うのでしょう。
 メキシコが、ローマ法王にも謝罪を求めているのは、あのコルテスがカトリック信者で、その教えのもと、人身供奉を行うアステカの宗教を邪教として弾圧したからだと言います。
 だとするなら、その国のカトリック信者はどう感じるのだろうかって、そんなことも思うのです。

 侵略したとされる国や国民は、大航海時代があって、人類が大海原に出ていくことで、世界は発展をした、だから、「到達」という文言を用いて反論を展開したのです。
 そして、その過程で間違った行為があっても、それを現代の範疇で解き明かすのは到底できないとしたのです。

 よって、現代の感覚で良し悪しを論ずるべきではないとするのも当然のことだとも思うのです。

 どちらの考え方に立脚するかは、自分の国がどちらの立場にあったかで、必然的に変わってくるものであり、さらに、高度な学識、見識を有していれば、二つの立場に理解を示すことも可能でしょう。

 私は、積極的に行動を起こし、現状を打破し、切り開いてきた、そんな日本の歴史を、神話時代も含めてよしとしますから、自ずと見解は、それなりのものとなります。
 
 実は、もう一つ、私の目に留まった記事がありました。
 領土巡る記述に中韓反発という、もう、お馴染みになった文言の記事です。

 文科省がこの間の教科書検定で、政府の領土に関する見解を詳細に書くよう求めたのです。
 竹島や北方領土、尖閣諸島は、我が国の「固有の領土」であるという政府見解に触れるよう規定したのです。
 単に「領土」とした記した教科書には、「児童が誤解するおそれがある」と意見がつき、「日本固有の領土」と変更するよう付箋を挟んだのです。

 この記事を見て、当然と言えば当然であり、我が国の見解を、我が国に暮らす子供たちに教えるのは当たり前だと、私など思うのです。
 それに、奪われた島を取り戻すために、あるいは、国有にした島を確固とするために、身を呈して守り通そうと教え込もうというのではないのですから。

 ですから、日本の子供たちが、日本を旅行する韓国人や中国人に、駆け寄っていって、竹島を返せとか、尖閣は日本のものだなどとは言うことはないと思っているのです。
 それが、「児童が誤解するおそれがある」から、「日本固有の領土」と変更するようにした理由であると思っているのです。

 当然のごとく、韓国は強力に糾弾、即刻撤回を、中国は釣魚島は昔から中国固有の領土と反論を展開するのです。
 しかも、韓国はこのところ日本に対して、かなりの高圧的な振る舞いに出ています。
 そして、中国はアメリカとの関係から、日本に接近しつつも、従来の横柄なる振る舞いには変化が見られません。

 日本だって、そうなれば、黙っていません。

 韓国との防衛協力に、韓国主催の活動に参加を見合わせたり、韓国の出方によっては国防面でだけではなく、経済面でも対応処置に出ることをほのめかすのです。

 奄美と宮古に陸自の駐屯地が置かれることになりました。
 その際、防衛省は、その理由を、中国の軍備増強や海洋進出を踏まえ、抑止力を高めるとし、はっきりと中国という国の名を出したのです。

 特定の国を指すのではなく、一般論としての国防のためにではなく、敵としての認識を示して、抑止するというのですから、日本もなかなか強気に出たなと思うのです。

 まもなく、日本は時代の名が改まります。

 新しい時代になっても、この問題は尽きぬことはありません。
 のんびりと、気長に、付き合っていくしかないのです。

 かつて、韓国を旅する私に、あの仏国寺の境内で、ドクトと叫んで走り去っていく子どもにならないように、あるいは、ブリスベーンの万博会場で、生徒とともに食事している私に、日本は中国を侵略をした国だとささやく大人にならぬように、日本の教育だけはしっかりとしていかなくてはならないのだと思うのです。

 それが、この問題を解決する唯一の方法だと思っているのです。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《8 / 18 💦 Sunday 》
 
🦅 昨日、<カクヨム>にて『まぼろしのフランクフルト中央駅』を発信しました。

 縦横無尽に 

 意識の中を駆け巡るのは 
 人の持つ感性なるもの



この世に、二つの世界があり。
それは、現実世界と仮想世界。

かつては、そんなバカなと思える仮想の世界が、詩になり、絵になり、物語になって、現実世界で堪能されていました。
今、 AIがその仮想世界を現実世界に組み込み、私たちはその境目さえも不明の中で、仮想世界で遊ぶことができるのです。

なんともややこしい時代になったものです。

しかし、仮想の世界、昔から、人間の中にある何かのスイッチに刺激を与えてきました。
想像というスイッチ、さらに進んで、創造というスイッチにも、時には、幻想に、あるいは空想のスイッチとなり、私たちを楽しませてくれたりもしているのです。

フランクフルトの革ジャン男も、我が庭の山法師の木も、そして、日本語の二人称も、すべて、私にとって、現実世界と仮想世界を行き来する契機となったものたちなのです。

下のリンク欄、一番上の<カクヨム>をクリックしてください。


【nkgwhiroの活動】

💝 <Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。 

                                            💝 <Amazon・Kindle>で書籍の販売を行なっています。 ただいま、『一日千秋ーある日ちあきと』を販売しています。値段は3ドル換算日本円になります。
 

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