政治的懐古趣味は蜜の味

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 水面に春を感じます
 だって
 水鳥たちが
 それまでひとかたまりになって
 じっとしていたのが
 この日は
 一羽一羽が勝手に
 自由に動いているのですから




 「紅軍服で延安を訪れた騰訊控股の馬化騰CEOと京東集団の劉強東CEO」なる写真を、新聞で見て、びっくり仰天をしました。

 紅軍服というのは、布靴を履いて、ふくらはぎにゲートルを巻いて、水色の粗末な綿服をつけ、人民帽を被り、左腕に赤い腕章を巻いた、あの姿です。
 
 映画『ラストエンペラー』の場面で、紅衛兵が北京の街を、革命歌を歌いながら練り歩いて、時に、交差点などの広い場所に来ると、数人の紅衛兵たちが赤旗をリズミカルに振って、革命を鼓舞する、そんな場面がありました。
 あの時の紅衛兵の衣服です。  
 ただし、服の色は、この時代になると、茶色へと変化していました。
 
 私が、四人組が捕まって、華国鋒と鄧小平の権力争いの最中に訪中した時、十億の、すべての中国人民は、一人の例外もなく、あの服装でした。
 街行く人、男も、女も、老人も、若い人も、労働者も管理職も、そして、軍人も、皆が皆、まったく同じ格好だったのです。

 ですから、私にとっては、新聞で見た二人のCEOの姿は懐かしき装いであり、懐古の情が沸き起こる姿でもあったのです。

 騰訊控股というと、わかりにくいですが、テンセントといえば、ちょっとは聞いたことのある企業名だと思います。京東集団とは、JDドットコムのことで、両方とも中国を代表するIT企業です。

 その統帥が延安をかような出で立ちで訪問したというのですから、注目せざるを得ません。

 つまり、すべての民営企業は中国共産党の目標の実現に貢献していくとした、あの全人代での発言を裏付けるためのアピールであるからです。

 私など、経済人がなぜそんなことをするのか、不思議でならないのです。

 だって、アメリカがドイツに、5Gでファーウエイを入れるなら、機密事項の開示は今後ドイツに対して行わないと忠告を発していますし、国務長官があえて記者会見をして、中国は人権侵害で突出していると批判をしている最中です。
 さらに、巨大爆撃機を台湾海峡に飛ばしたり、艦船を航海させたりして、軍事的圧力をかけているのは、そうした一党独裁に対する懸念が端緒になっているからです。

 その懸念を無視するかのように、いや、増長させるかのような、それは行為であるからなのです。

 今、中国では「毛沢東ブーム」です。
 こぞって、延安に毛沢東を偲ぶ旅に出て、記念館は行列になっています。
 なぜ、今頃、毛沢東がブームになっているのだろうと考えるのです。

 あの国のことだから、そこにはきっと、極めて重要なサインがあるのではないかって、私、勘ぐるのです。

 おおよそ、中国の権力闘争というのは、そうした人民の関心を煽ってなされてきたからです。
 だったら、毛沢東ブームの背後にあるサインは何なのかって、そう考えるのです。
 
 中国は、世界第2位の経済大国であると、しかし、中国政府は自国は発展途上の国であり続けると述べています。
 途上国であることで経済的恩恵を受けるからだとアメリカが噛み付いていますが、どこ吹く風です。

 日本の経産省の「推計」なるデータを見ました。
 昨今の日本の省庁のデータはあてにはなりませんが、それによりますと、中国で、日本の給与水準と同等の人たちは、6パーセント程度であるというのです。
 反面、日本で低所得と言われる年収200万以下の中国人は何と75パーセントにも達すると言うのです。

 そうは言っても、人口14億の中国にあって、6パーセントは単純計算で1億に近づきます。
 桁が違うと言えばそれまでですが、結構な数です。
 日本人全員が、働き盛りの、その時のレベルの高給を受け取っていると言うことになるのですから。

 その人たちが、銀座や浅草に、北海道や日光にやってくるのです。しかも、最新のファッションを身にまとい、日本製の高級カメラを手にして、驚くほどの買い物をしていくのです。
 毛沢東ブームで、延安に出かけて行って、粗末なありようを目にするのは、果たして、銀座や浅草に姿をあらわす彼らではないのです。

 そうではなくて、残りの13億人、毛沢東時代の、誰もが貧しく、新しい国家建設に夢を託したあの時代への郷愁だと思っているのです。
 それを権力闘争の側面から見れば、圧倒的多数が貧富の差が広がる格差社会の今の中国に対して不満を持っている、その表れではないかと、勘ぐるのです。

 おのれの豊かさだけを追求する若者から、毛沢東のような、おのれを犠牲にしてまで、革命に突き進んだあの偉大な英雄に次ぐ、新しい英雄の登場を中国は待ち望んでいるのではないか。
 そして、アメリカはそれを察知して、中国包囲網を作り出しているのではないか、中国における懐古趣味にはそのような政治的思惑があるのだと。

 突然の春の暖かさに、そんなことを思ってしまいました。

 学校も春休みに入ったようです。高校野球も始まります。
 そうそう、テレビでは、懐かしい歌手たちが、往年の美声を披露しています。
 皆、若々しく、その歌声を聞くと、あの青き時代の頭を覆いたくなるような思い出が蘇ってくるのです。

 今時の中国人民も、何か大それたことを起こそうなどと考えるわけもあるまいにと、熱くなった思いをクールダウンさせたのです。



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礼は往来を尊ぶ

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 春は空気が暖かくなって
 地表から水分も蒸発
 あの冬の透き通った光景が
 一転して
 霞のかかったような光景になります
 だから
 山も空も木も
 皆ぼんやりとしてしまうのです
 そうそう
 そろそろ春の雷が落ちて
 本格的な春の
 予感がするのです

 


 礼は往来を尊ぶとは、訪問を受けたらこちらからも訪問し、贈り物をもらったらお返しを贈ることが礼儀として大切だということがその意味するところです。

 『礼記』にある言葉です。

 私が、まだ青年と呼ばれていた頃、中国に夢中になっていた時代のことです。
 その年、1978年8月、私は国交を回復した翌日に中国に入りました。そして、2ヶ月後、鄧小平が来日しました。
 だから、私、私の訪華に対する答礼の鄧小平訪日だと、勝手に解釈しているんです。

 鄧小平の日本滞在は、私ばかりではなく、日本人に中国ブームを起こしました。
 この国と、これからはうまくやっていくんだ。
 平和で、お互いが尊敬しあって、認め合って、手を携えて、アジアの力を世界に見せてやるのだ、とそんな心意気であったのです。

 あの時は……
  確かに……

 そんな想いは別にして、あれはいつのことでしたか、めまぐるしく変わる世界情勢の中で期日もおぼろげになってしまいましたが、トラップが、訪米した習近平を、私邸である「マール・ア・ラーゴ」に招待しました。
 ちょっとしたハプニングはありましたが、トランプの最高のおもてなしで、習近平もさぞ満足であったかと思います。

 ですから、お返しに、トランプが訪中した際には、紫禁城を舞台に一世一代のおもてなしを敢行するのです。
 故宮の宝蘊楼での歓談の模様を見て、あの中国がアメリカに気遣っている。
 あの鼻っ柱の強い、中国政府があそこまでやるのかって、私、そう思ったのです。

 それは、これから予想される米中の間に横たわる黒くて深い懸案を接待攻勢で和らげようと念願するものであったのです。もちろん、先人の知恵『礼記』にある「礼は往来を尊ぶ」を行なったそれでありました。

 世界の二大大国の贅を尽くした、派手な外交、往来を尊んだ振る舞いであることは間違いのないことであったことは確かです。

 その習近平、まもなくの来日にあたり、中国国家元首として、国賓待遇を求めてきました。
 元首なのですから、当然の申し出です。
 過去、江沢民、胡錦濤も国賓として、日本訪問を果たしています。

 しかし、日本政府は、日程上無理だと断ったようなのです。

 6月のG20、7月の参議院選挙、8月のアフリカ開発会議、それに、天皇陛下の御代替わりに伴う行事が秋まで目白押しです。
 それに、すでに、トラップの国賓での来日が決まってもいるからです。 

 日本が、国賓で受け入れる人数は、年に二回程度が限度です。
 国賓であれば、経費も馬鹿になりませんし、そのための制約もありますから、大変なことです。加えて、先に示した日程がありますから、それを理由に断ったと言うことですが、果たして、そうだろうかと勘ぐりもするのです。

 つまり、習近平を国賓で招待するほど日本にはその義理がないし、利益もない。
 さらには、尖閣への嫌がらせをやめない、つまり、日本は習近平とは「懸案」を抱えている間柄なのです。
 アメリカとの貿易戦争で参ってしまい、日本とよりを戻したいと念願しているのは、中国の方であり、日本はさほどではないのです。
 それより、プーチンを国賓で招いて、領土問題を解決した方がよほど良い。
 さらには、習近平とトランプを国賓待遇として同列に扱うことは、アメリカ政府が気を悪くするのではないかと、下世話な勘ぐりをするのです。

 それに加えて、こんな勘ぐりもするのです。

 韓国の文在寅が、大統領就任後、中国を訪問した時です。
 元首の訪問であるので、国賓待遇でそれは成されるはずでした。
 しかし、中国は相当に手厳しい仕打ちをこの大統領に浴びせるのです。
 出迎えは、大臣クラスではなく、次官補が行い、トップ会談ではあのサードについて懸念が表明されたのです。
 それに、晩餐会もなく、共同声明もなかったのですから、あの政府は徹底してやるのだと驚くのです。
 挙句に、取材の韓国メディアの記者たちが、中国警備員が殴打されたのですから、これは「礼」に反するのではないかと。

 よその国のことながら、同情を禁じ得ないのです。
 同時に、そこまでするのかって、あの国の政府への信頼を失するのです。

 そんな国の主席、まして、アメリカに優位に立っていた頃は、日本の首相に対して、冷たくあしらい、我が国の国旗さえも掲げない非礼をしたきたあの政府ですから、「礼は往来」を尊ばなくてもいいと思っているのです。

 礼とは、相手への敬意と信頼があって、初めて成立するものです。

 私もこれ以上言を弄すると礼を失する恐れがありますから、この辺にしておきたいと思っているのです。



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隣国に支配されることも想像したけれど

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 路傍の佛
 道ゆく人の
 手を合わせ

 


新聞の片隅に、ちょっと気になる記事がありました。

三月一日に、トトロが出てきそうな日本の田舎を旅していた韓国の女子二人組が、その滞在の記録をネットに上げてみたところ、この二人、謝罪に追い込まれてしまったというのです。

可哀想に。

この日は、韓国の独立記念日の日でした。
その日に、日本を旅して、日本の良さを宣伝するとは何事かと。
なんでも、この二人、ユーチューバーなるもので、日本の観光庁から後援をうけていたそうですから、話はややこしくなりました。

 謝罪の証に、動画を制作して得た利益を全額、あのおばあさんがたに寄付すると言ったんです。
そしたら、イルボンからもらった金で作った動画の利益で、寄付するとは何事だと、さらに大炎上をきたしたというのです。

ますます、可哀想に。

そんな隣国の騒ぎを耳にしますと、わたし、釜山の土産物屋のオモニたちを思い出すのです。
わたしが韓国で有名な何とかというオペラ歌手に似ているっていうんで、これもおまけ、あれもおまけって一抱えもあるダンボール二個分も、私は手荷物として持って帰ってくることになってしまったのです。

あのオモニたち、私にあれだけサービスしてくれて、売国奴って言われなかったかと。

百年前の、一九一九年、韓国は日本の統治下にありました。
さぞかし、辛い思いをしたことでしょう。
言葉も、生活習慣も、食べ物も異なる国から支配を受けることはきっと辛いことでしょう。
ペトリオットの心があれば、誰しも、他国の支配下にあったことを口惜しく思うのは当然のことです。

支配されるものと、支配するものの間には、深くて暗い溝ができるとも言いますから、口惜しいなんてものではなく、悔しさに満ちていたことと思います。

もし、日本人があの時代、押し寄せる黒船の脅威を悟らず、何の警戒心も抱かず、列強のいいなりになって、国土を明け渡し、分断され、かつ、隣国のいち早く開国をして、列強に頑として対抗していた国に支配されていたらどうだっただろうかと考えたときがありました。

ありがたいことに、我々の先人は、その危機を悟り、はたまた、わが国が科学技術で遅れていることを痛感し、これではいけないと奮闘努力してくれたおかげで、隣国の支配下に入ることはなかったのですが、もし、仮にそうなったらと想像をしたのです。

そんなことを思うと、至極当然のごとく、元寇のあの歴史が思い浮かんでくるのです。

記録によれば、一二七四年の文永の役では、二万五千人が来襲しましたが、内一万二千七百人が高麗人、つまり、韓国人で、モンゴル人はわずかに三十人でした。
一二八一年の弘安の役では、東路軍五万の内、半数が高麗人で、モンゴル人は百五十人でした。そして、江南軍というべつの一派もいて、これは十万の大軍で、これは南宋の兵士、つまり、中国人によって編成されていたのです。
もちろん、女真、安南、突厥など、モンゴル帝国支配下の国、その国の民族も動員されました。

対馬の人々が元軍の船の船べりに手のひらに穴を開けられて、吊るされたなんて話もそこにはありました。
だから、きっと、隣国が隣国を支配するというのは、相当に残虐なことがなされることは明らかなことであると思うのです。

しかし、日本は元の支配を受けることなく、つまり、支配されることはなかったのです。

 また、太平洋戦争でアメリカにこてんぱんにやられて、一時、占領されもしました。あの時、日本は、Occupied Japanと呼称されていました。
Empire of Japanという仰々しい国名を冠していた国が、Occupied Japanに甘んじることになったのです。

 日本が分割統治されなかった背景には、さまざまな政治的思惑があったと思いますが、その大きな理由の一つに、天皇陛下の存在があったと思っています。

天皇陛下というのは、単なる絶対的支配者ではなかったのです。
それは、人間宣言をして、各地を巡行なさる陛下とそれを迎える国民の映像を見れば、一目瞭然です。
あの果敢に戦う日本兵たち、アイデア豊富な兵器をつくり、強大な大国アメリカに挑み、正々堂々と戦ったあの国を占領するには、天皇陛下の力が必要だったのです。

あの時代のことですから、連合国、いや、アメリカの心持ち一つで、天皇制は破壊されたかも知れないのです。
そうすると、どうなっただろうかとこれもまた考えを致すのです。

まぁ、そのどれを取っても、私の想像、日本が隣国の支配下に入るということは、ことごとく排除されていってしまうのです。

先だって、天皇陛下の御在位三十年の式典がありましたが、どこかの政党が参加を拒みました。お祝いをしたくないというのです。
今、国会が開催されています。それをテレビで見るほど、暇人ではありませんから、テレビやネットでのニュースで仄聞するだけですが、随分と品性のない議員がいることも知っています。

でも、日本では、そうした方々も、大手を振って生きていけるのです。
そんなこんなを考えると、日本って、政治的には、自由で、寛容な国だって思うのです。
 国を挙げての祝いに、賛同せずに、欠席しても、大騒ぎにならないのですから。
 個人攻撃をしても、言論の自由がそれを認めるのですから。

 それに、私、日本が隣国によって、支配されることを想像しようとしたのですが、どうも、ことごとくその妄想は成立しないことに気が付いたのです。

 やはり、私たちの国は、海に囲まれて、自然の中で守られているし、アメリカのような強大な国が、その自然の要害を乗り越えてやってきても、天皇陛下の存在があって、やはり、一時的なもので終わったという結論に達してしまったのです。

 だったら、いっそのこと、その歴史を誇りに思い、その歴史の中の素晴らしい事績をもっと知ろうと思ったのです。

 支配された側の言い分にも耳を傾けるのは必要なことですが、それより、先人が行なった積極的で後世に残る事績をもっと知るべきであるとそう思ったのです。
 もはや、日本は、世界に責任を持って存在する国なのですから、矜持を持って自国の歴史を見なくてならないのだと思ったのです。



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寿命を見た男

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 西陽を受けて
 壁に影が写った
 塀のそして植えたばかりの樹木の
 急いでスケッチをしてみた




 その男とは、ロンドン行きの飛行機で、偶然隣り合わせになりました。

 エコノミーのチケットで、この日、私はビジネスの席を得ることができたのです。幾分ゆったりした席に腰を下ろし、隣に座っていたこれまた幾分年上の男に私は軽く会釈をしました。

 男は、会釈すると同時に、まだ座ってもいない私に彼自身の紹介をし始めたのです。

 名前、職業、今回の旅行の目的を述べて、そして、握手を求めてきたのです。
 私も、思いの外のことに驚きながら、自分の紹介を簡単にしました。

 そこから、私とその男の対話が始まったのです。

 見知らぬ人と話をするのがさほど得意ではなかったのですが、この時は、なぜかそんな気にならなくて、自然な形で、話をすることができました。
 それもこれも、この男の嫌味のない、そして、こちらを気遣う言葉があったからだと思っているのです。

 「これから十二時間余りも隣席で一緒に過ごすんです。こうして、隣席になるのも、何かの縁、差し支えなければ、寝る前に、お話でもいたしませんか。いや、それは疲れる、あるいは、仕事をしなくてはならないというのであれば、断っていただいて結構なんです。私、一目見て、あなたが私と気が合うって思ったものですから……」
 そんなことを言うんです。

 そう言われて、では、そうさせてもらいます、黙っていてくださいとは言えません。それに、機内で仕事をするほど、私は忙しい仕事をしていません。

 そう言うわけで、しばらく、私たちは、ロンドン行きのジェットのビジネス席で、シベリア上空での会話を楽しんだのです。
 機内では、小さなワインボトルが提供されました。
 私たちは、赤ワインのボトルをテーブルにおいて、食事をし、食事を終えた後も、さらに、白ワインのボトルを頼んで、話をしました。

 「食事も終わりましたから、失礼して、靴を脱がしもらいますよ。あなたもどうですか、ゆったりできますよ。」 
 男はそう言うと、身をかがめて、綺麗に磨かれた革靴の紐を解き、丁寧に席の下に入れたのです。 

 「人間っていうのは、生かされていますよね」
 男は、白ワインをグラスに注ぎ、一口を含んで、それを味わい、ゴクッと音を立てて飲み込んで、そう言いました。

 「いやね、私、これまで、そんなことに何度か出くわしてきたんですよ」
 男はそう言って、自分の生かされているという体験を私に話をしてくれたのでした。

 男は事業をしていました。その折、資金繰りが難儀なことになって、これはダメかなって思ったそうです。
 そういう折に限って、自宅をリフォームしていたそうです。せっかく、新しくした家も、手放すことになるかも知れない、そう思うと、切なくなったというんです。
 でも、運が良かったのか、あるいは、そう神様がしてくれたのか、資金を貸してくれる方が現れて、事業の危機を救ってくれたというんです。
 そんなことが縁で、その男、いま、救ってくれた会社の傘下に入って、今では、月給取りだって言うんです。つまり、自分の会社が、その方の会社に合併吸収され、代表から、一社員になったと言うんです。

 私、悔しくないのかなぁって思って、そのことを言おうと思ったのですが、そのことを語る男の横顔を見て、その言葉を呑んでしまったのです。

 だって、とても幸せそうな顔をしていたからです。
 自分の事業が吸収されても、これまで通り仕事はできる、それに、救ってくれたんだから感謝しなくてはいけないって、そのことが表情に出ていて、恨みつらみも愚痴のひとかけらもそこには見えなかったからなんです。

 こんなことも言っていました。

 交通事故を起こしてしまったそうです。居眠り運転だそうです。イギリスから戻ってきて、仕事に追われ、ジェットラグで、うつらうつらとして、前の車にぶつかってしまったのです。
 おかげさまで、けが人もいなくて、大ごとにはならなかったのですが、それも、きっと、自分は生かされている、まだ、寿命が与えられていると感じた一瞬だと、そう語ったのです。

 居眠り運転で、かなりのスピードでぶつかって、誰も怪我らし怪我をしていなかったというんですから。

 仮に、けが人、あるいは、相手を死亡させていたら、自分の人生はその時点で終わったと思えるが、そうではなかった。
 だから、お前はまだ生きて仕事しなくてはいけないって、生かされているんだって、そう思ったと言うのです。

 また、仮に、その事故で自分が命を落としていたら、当然のごとく、今の自分はいない。
 だからきっと、自分にはまだ寿命というのがあって、あの事故の折に、死ぬことはできないに違いないって思ったというのです。

 私、この話を聞いて、この男は、「達観」というものを身につけていると思ったのです。

 自分の会社がどうなるのか、そのために、自分の生活はどうなるのか、それって、相当に重圧のかかることであり、さらに、自分の会社が他の会社の傘下に組み込まれるなんてことも、重圧とは違って、面子とか矜持に関わることで、男であれば容易に受け入れがたいことであると思うのですが、それを呑んで、受け止めているのですから、偉いと思ったのです。

 それに、生かされているって考える哲学。
 これって、気張らずに、何か偉大なもののおかげを認識して、生きているって気がして、私、大いに同感し、その後の私の人生に少なからず哲学的影響を受けたのです。

 その男は、ヒースローに到着すると、私と隣席になり、話を聞いてくれたことに感謝をし、握手を求めてきました。
 何かの縁があれば、また、語り合いましょう、では、お先にって、そう言って出て行ったのです。

 彼が、名刺を渡してくれて、それ以降、二度三度会うことがあれば、私は、この男にさほどの関心を持てなかったのではないかと思ってもいるんです。

 どうやら、私も、あの男と同様に、幾分生かされているような気がしているのです。
 だったら、生かされていることに感謝して、生きようと思っているのです。



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そいつ

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 ジャックの豆の木
 我が宅の豆の枝
 伸びて伸びて
 ぐんぐん伸びて
 花を咲かせました
 花が実になり豆になり
 そして
 おいらの夕餉の肴になりますとさ



 二月の、今年は異常気象だとかで、暖かい昼下がりのことでした。

 庭仕事を一休みして、ウッドデッキで一杯の紅茶をいただいていました。
 青い空、白い雲、ぽかぽかと暖かい陽射しがデッキにこぼれ落ちてきます。

 すると、一台のパトカーが我が宅の前にある駐車場に入ってきました。

 体格のいい、そこそこ年配の警察官が、敬礼をしながら、私に近づいてきます。
 「二月とは思えない天気ですね。ところで、昨晩、そこで大騒ぎがあったって通報があったのですが、お気付きでしたか」
 近くのアパートの建物を指差して、そんなことを言ってくるのです。

 私は結構早くに寝てしまうので、一旦寝てしまえば、よほどのことでなくては目が覚めませんから、はて、さようなこと気がつきませんでしたと丁寧に申したのです。

 「そうですか。今、あのアパートにはどのくらいの人がお住まいですかねぇ」
 警察官、そんなことも言うのです。
 そのアパートは、十部屋ありますが、現在は四名の男性が暮らしていますと私知っている限りのことを話したのです。
 「そうですよねぇ、あの一件以来、増えることはありませんね」

 あの件ってなんですかと、私、その警察官に問いました。
 「あぁ 、ご存じなかったんですか。自殺ですよ」

 私、びっくりしてしまいました。
 だって、身近で、そのようなことあったなんて、初耳でしたから。
 そして、いつ頃、どんな理由で、誰がと不躾にも、警察官に問うたのです。

 「三年ほど前です。それ以上のことは、本官としては申し上げられませんが……」

 三年ほど前……。
 私、その言葉を聞いて、思い出すことがあったのです。
 
 私の神経が高ぶって、しかし、私の肉体は疲れでぐっすりと眠っています。
 ですから、金縛りのような現象が続いて、ほどほど嫌になっていた時期であったのです。

 私が寝ていると、そいつはやってくるのです。

 私の目の前に顔を近づけて、私にこれでもかって寄ってくるのです。
 だから、私、思い切り足で蹴ろうとするのですが、何せ体は休んでいます。ですから、動かないのです。
 でも、私の高ぶった精神はその動かない肉体を奮い立たせようと、気張るのです。
 
 そして、私の鬼気迫る、強靭にして迫力ある精神が、そいつを払いのけていくのです。

 払いのけられたそいつはその夜はもう出てきませんでした。
 しかし、翌日の夜、また、出てきたのです。
 そんなことが、三日ほど続いたのです。

 ですから、私、己の精神をさらに強くして、そいつと闘うと言う気持ちで、寝床に入っていたのです。
 しかし、四日目あたりから、私の精神が圧倒的な勝利を獲得し、そいつは出てこなくなりました。
  
 三年ほど前、私はそのような体験をしていたのです。
 そのようなこと初めてのことであったので、よく覚えていたのです。

 ですから、警察官が言ったそのことが、私の体験と同調したのでした。

 だとすると、そいつは自らの命を絶って、行き場所もわからず、近くにある我が寝所に迷い込んできたのかしらって、そして、私に何か言いたかったのかしらって思ったのです。
 そうだとするなら、私の精神がそいつをはねつけ、遠のけてしまった、申し訳ないことをしてしまったと思ったのです。

 で、その騒ぎというのはどのような騒ぎだったのですか、いや、今後、そのようなことがあれば、私も注意をしたいと思いましてって、私、警察官に言いました。
 どんちゃん騒ぎとか、ケンカ腰の騒ぎとかではないと思うのですが、話し声や笑い声がうるさいという程度のことなんです。

 私には心当たりがありました。
 四人の住人の一人、私と最も話をする男です。
 夜勤もあるらしく、早朝、私が仕事を始める頃に、戻ってきたり、夕方、出かけたり、そして、週末には、我が宅の裏にある空き地に、数台の車がやってきて、楽しげに話をしたりしているのです。
 きっと、その青年の話声、笑い声が気になって、誰かが警察に一報を入れたのだと思ったのです。

 警察官、私に敬礼をして、パトカーに乗り込み、帰って行きました。

 私、仏壇から、線香を数本持ってきて、西の庭の向こう、そのアパートが見えるところに線香を焚いて、手をあわせました。
 我の甚だ強靭な精神が、迷える魂を足蹴にしてしまったことを詫びるためです。

 線香の煙を浴びて、しばらく、手をあわせていた時でした。

 ちょっと待てよ。
 そいつは、確か髪の毛の長い、白い顔した女であったぞって。

 私、仏壇から、もう数本の線香を持ってきて、今度はそいつのために線香を焚いたのでした。
 我が強靭な神経もいささか衰えが出てきましたので、どうか、今宵、私の目の前に出てきませんようにって。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《6 / 17 💡 Monday 》
 
🦅 ただいま、<カクヨム>にて『ひとりっていいよな』を発信しています。

  世の中って
  理不尽なるもので
  満ち満ちているんだっ……



誰でも、社会的生活を営んでいれば、心苦しいことに出会うものです。
トップの解任、同僚との確執、職を辞しての新しき生活、そんなさまざまの体験がそれです。
人は、かくも争い、かくも世知辛い思いをするのです。
そして、大切なものをそこで失っていくのです。
失うことを、損得で測れることはできません。
失うことは、糧として、その人間に残れば、それでいいのです。
そして、若き人に、送ることができればそれでいいのです。


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【nkgwhiroの活動】

❣️<Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。こちらもご訪問よろしくお願いします。
 

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