9月22日には、何かが起こる!

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夕暮れ、家に散らばっていた人々が集まり、団欒の時を迎えます。国は変われども、家族という小さな単位がもっとも平安な心持ちの時を迎える時なのです。この夕暮れのシーンは、国をこえて、人の営みの安堵感を見せているのです。生きとし生けるものの究極の安心感に満ちていると私は思うのです。


 特異日というのは、元来、偶然とは思われない、高い確率で特定の気象状態が現れる日を言います。
 10月10日は晴れの特異日であったので、1964年の東京オリンピックの開会式の日に選ばれたということがその一例です。

 学校も、今は、受験を優先して春に体育祭などを行うようになりましたが、春は、風も強く、気温も上がり、せっかくの体育祭ではありますが、いろいろと問題の発生を見ることが多くなります。
 秋であれば、穏やかな風、気持ちのいい気温の中、そして、菊の花が色とりどりに咲く中で、一家打ち揃って秋の日の校庭で弁当を広げられます。
 やはり、人間は自然の摂理に従ったあり方が最もいいのだと思わせるようなあり方です。

 この言葉、転じて、何らかの出来事が集中して起こる場合にも用いられます。
 例えば、11日です。

 アメリカ同時多発テロが起きたのが9月11日、東日本大震災が発生したのは3月11日です。
 それだけでは根拠に乏しいと思われる方もおられると思います。

 欧州では、第一次大戦が始まるのが8月11日、第二次大戦でドイツがアメリカに宣戦布告したのが12月11日です。
 ここまで述べてくると、ただの偶然として、語ることのできない何かがあると言えないこともありません。

 私の生まれた日は、9月22日です。
 とりわけ、たいしたことのない日ではありますが、それでも、昨今では、私自身が随分とこじつけをしているのです。
 何とか、自分で自分の特異日を作り上げたい一心なのかもしれません。
 
 で、例えば、還暦となった9月22日は、香港で過ごしたということ。
 ただ、仕事で行っていただけなのですが、誰かが、香港の関係者に、私の誕生日を知らせておいたらしく、ちょっとした宴会を催してくれて、たいそう感激をした覚えがあります。
 どこで、誰がお金を出したのか、赤い蓋つきの中国湯呑み茶碗と真っ赤な高価なネクタイをいただき、戸惑った覚えがあります。
 それでも、嬉しいもので、それらは今も大切に保管しているのです。

 嬉しくない出来事もありました。

 昨年のことです。
 卓球のラケットなどを買いに行き、家に戻ってきて、数日してから財布のないことに気がついたのです。
 数日してというのがいいですね。
 失くしたことに気がつかないのですから、財布には6万5千円程度の金額と、クレジットカードからマイナンバーカード、運転免許証などが入っていました。
 クレジットカード会社への連絡、警察への通知、市役所に行って各種手続きとおおわらわでした。
 まあ、現金は仕方のないことですが、これと行った被害はないようなので、ひとまずは安心ということです。
 
 そうなると、さて、今年はということになります。

 娘の出産日の関係で、ギリギリまで飛行機のチケットが取れずにいたのですが、出産日が決まり、婿殿の休暇日程などを考慮し、出かける日を決めます。
 行く日はともかく、帰国する日のチケット代を見ますと、いずれも10万を超える値段が付いています。
 日によっては20万近い値がついているのに、22日だけは、6万をちょっと出る金額なのです。
 別に、急いで日本に帰らなければいけない身分でもないし、チケット代の安い22日にすればいいと、そういう算段だったのです。
 
 無理を承知で、こじつけて思うのですが、一年前失くしたお金が、何だか、手を替え品を替えて戻ってきたような気がしているのです。

 まあ、そんな馬鹿話はそのくらいにして、その特異日を、私は自分の作品『福明と李福』にも反映させているのです。
 
 ……「福明」は推古女帝の三四年、倭国の飛鳥で生まれた。一方、「李福」は武徳九年、唐の長安で生まれる。ともに「西暦六二六年」のことであった。

 ……世民が長安で兄弟を葬り、父を軟禁して即位した六二六年六月四日をさかのぼること半月あまりの、五月二十日に、倭国では、政治の実権を握っていた豪族蘇我馬子が亡くなった。また、後に天智天皇となる中大兄皇子が、この年に飛鳥で生を受けた。
 歴史に不思議があるとするならば、この「六二六年」は何かしら運命づけられた年であったにちがいない。

 こんな表現で、626年を、作品では捉えているのです。
 
  『福明と李福』は、『書記』の推古天皇17年条にある「秋九月、小野臣妹子等、至自大唐(もろこしよりいたる)。唯通事福利不来(ただしをさふくりのみまうでこず)。」という一文をヒントに作り上げた作品です。
 電子出版Puboo!で読むことができます。
 
 きっと、私の中に、特異日なるものはあるという確信があるのです。

 さて、来年の9月22日には何が起こるのか、一つ楽しみが増えました。


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極意は、戦わずして鎮めることなり

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カランビンの野生動物公園のカンガルーたちが暮らすそばにあったハスの花です。なんとも色のはっきりした花ですこと。土地と水が変われば、花もこうして変わるのでしょう。人とて、土地と水で育ちようも変わるはずです。ちょっとした不安を持って、この花を見たのです。



 剣道部が部員を募集しているというので、友人に誘われて体育館に出かけて行ったのは、中学2年の春でした。
 しかし、手ぬぐいを頭に巻いて、胴着をつけた先生から、希望者はそこに正座しろと言われ、5分も経たぬうちに音をあげた私はすごすごと尻尾を巻いて、退散してきたのです。

 さて、話は変わりますが、昨今の北の国のありようを見ていると、何かよくないことが起こるのではないか、と戦々恐々としているのです。

 先日、書斎で仕事をしている時、私のiPhoneがけったいな音を発した時は驚きました。
 
 ミサイルがこちらに向かっているというのですから、思わず、椅子を足で蹴って回転させ、背後にある窓から、つくばの空をうかがったのですが到底見えるはずもなく、親の世代が経験した空襲なるものを私たちも経験するのかしらと妙な気分になったことが思い起こされます。

 口さがない連中は、Jアラートに安眠を妨害されたと言っては怒り、あたりもしない高価な迎撃ミサイルを配備していると無責任なことを言っていますが、いざとなれば、それらが対応をしてくれるというのは、私には安心感そのものなのです。
 
 日本海には、通常、2隻のイージス艦が配置されているといいます。

 イージス艦の高性能レーダーは、2分でミサイルの着地点を判断することが可能となっています。
 もし、これが日本国内に落ちるとなれば、破壊処置命令をもって、高性能誘導ミサイル「SM3」を発射し、撃ち落とすのです。
 これでほぼ、北の国の技術力で発せられたミサイルは撃ち落とすことが可能と言われています。

 しかし、もし、万が一、落とし漏らしが出た場合、今度は、大気圏に再突入してきた北のミサイルをこれまた高性能の誘導ミサイル「PAC3」で撃ち落とすというのです。

 まあ、こうして日本が用意した世界最先端の技術に支えられた迎撃ミサイル、つまり、喩えて言えば、拳銃で発射された弾丸を、こちらも拳銃で弾丸を発射して撃ち落とすという防衛に信を置くしかないのですが、それでも、心配はつきものです。

 日本の防衛をよく、「専守防衛」と言います。
 漢字が持つ意味でこの言葉を解すれば、もっぱらに守勢に立って国を守るということです。

 今から、14、5年ほど前になりますが、「武力攻撃事態対処法」と「国民保護法」という二つの法律が施行されました。

 北のミサイルばかりではなく、中国が尖閣に軍艦を派遣してきたとなれば、日本国首相は我が国に対して明確な危険が差し迫っていると判断し、陸海空自衛隊に攻撃命令を下すことができるのです。

 ですから、「専守防衛」は、もっぱら敵からの攻撃を待って、その後、反撃をするというものではないのです。
 我が国の自衛隊は、相手の国の領域には入ることはしませんが、公海上で、明らかに日本に敵対する部隊に排除を目的とする攻撃が可能だということです。

 日本が誇る<そうりゅう型>潜水艦が、いささかの音を立てることもなく、東シナ海の公海上の深い海で、これまた日本が誇る<89式魚雷>で、押し寄せてくる中国軍艦船に破壊的な攻撃を加えるのです。

 空から攻撃してくる爆撃機や戦闘機に対しては、空自の全国に展開する13飛行機隊280機のよく訓練された戦闘機部隊が効果的な防衛を遂行します。
 
 剣道部を5分の正座ができずに入部できなかった私が「武の道」を語ることはできませんが、あえて、それを承知の上で言わせてもらえば、我が国の防衛のあり方は、こうした差し迫った状況下では、一歩進めて、言うなれば、「先」の「先」という対処に移行すべきであると考えるのです。

 『せんのせん』というのは、敵の動こうとする先、つまり、機先を制することを言います。
 戦いの際、人も、物も、動こうとすると、必ずその兆しを見せます。
 そこをつくのです。

 北からのミサイルであれば、発射の兆候が見られ、明らかに我が国を狙っているとわかれば、発射の段階で、これに一撃を与えるというものです。
 また、漁船やら公船やら、圧倒的多数の船舶を動員して押し寄せてくる中国からの部隊であれば、その発進する漁港に攻撃を加えて、機先を制するというものです。
 
 日本に理不尽な攻撃を仕掛けてくる以上、先手を打って、その攻撃を未然に防ぐ作戦があって、しかるべきではありますが、いろいろと口さがない連中が反対をしそうです。

  「剣の道」では、常に自分のペースで試合を進めることが大切であると言います。

 それが「先(せん)」であり、相手のペースに巻き込まれ、一歩遅れをとることを「後」と言います。
 戦いにおいて勝利するには、常に「先」を取ることを常道とするのです。
 ですから、北のミサイルにも、中国からの尖閣侵攻に対しても、常に「先」を取るべく動かなくてはならないのです。

 武道には、戦いに勝つ方法がいくつか示されています。
 その中で、最も有効なあり方が、「戦わずして鎮める」という極意です。

 ミサイルを我が国のはるか上空を飛ばしてきたり、定期的に尖閣に公船を派遣してきたりして、威嚇をするような国が、決定的な事態を我が国に対して仕掛けてこないのは、我が国がいざとなったら戦える国だからなのです。

 その戦力、戦技、戦闘意欲が高いことが威嚇レベルで済んでいるのです。

 それを考えれば、今、日本が行なっていること自体が「戦わずして鎮める」という極意ではないかと思っているのです。
 外野があれこれと惑わすことを言いますが、それでも、日々、切磋琢磨して、訓練に明け暮れる武人が、この国にはいるのです。
 これにかける費用を他に使えばと有益であるとか、戦争をしたがっていると飛躍した議論を仕掛けてくることも、この国では許されるのです。
 日本を威嚇する国々は、それさえもないのですから、そのことを考えても、我が国は一歩も二歩も「先」をいっている国なのです。


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糖と脂と、苦渋酸

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静かさをイメージするには最適の光景です。静かさは音にはなりません。しかし、波風のない湖面だけでは静かさは伝わりません。ちょっとした動きがそこにあって、静かさが強調されるのです。


 何か食べるものがないかと戸棚を漁ります。

 買い物に行けばいいのですが、それとて、億劫なのです。
 出てきたのは、某メーカーのちょっとは名の知れた即席焼きそばです。

 いつ買ったのか、何のために買ったのか、そんなことも忘れている一品です。
 早速、湯を沸かし、準備をします。
 麺の他に、ソースに、薬味、それに、マヨネーズが入っています。
 湯で柔くなった麺に、これをかければ出来上がりです。

 よくもまあ、こんなことを考えついたものです。そして、これがなかなかいける味なのです。
 何と言っても、油脂と糖分がうまく調合されています。

 どこかのCFに、「旨さは、糖と脂」というコピーがありましたが、なるほど、その通りです。 
 それに、高カロリーのマヨネーズが加わり、ほのかに、揚げ物の香りとちょっと焦げた香りを添付のソースがつけてくれているようです。

 そういえば、ロビーナに滞在している時、何度か人の集まるところに出かけましたが、そこにもYAKISOBAなる食べ物がちゃんとありました。

 かの地で、人の集まる場所に必ずあるのが、まず、ピッザです。
 それも、イタリア仕込みの本格的なもので、特に、生地の薄さから感じ取れる食感は、高級イタリアン顔負けの美味しさでした。

 そして、世界中、どこに行ってもあると言われるようになったケバブもあります。
 ケバブは、国によって、微妙に味が異なるなるようです。
 きっと、ケバブを売る人は、その土地にあった味を研究し、提供しているのです。

 さすが、アラブの商人であると思います。

 私が、つくば駅の広場で食べるケバブは、肉も野菜も大量に入ったもので、それを包む生地は薄いものですが、ロビーナでは、生地がいくぶん厚く、それに、焼き込んで硬くしてありました。それで具材を包むのではなく、巻いていたのです。
 でも、味は、糖と脂に満たされた満足のいくものでした。

 そうした中に、YAKISOBAがあったのです。
 作っているのは、日本の若者たちです。
 何でも、会社を起こし、日本から若者たちを呼び寄せ、オーストラリアで頑張っているということでした。

 日本で売られている焼きそばと異なり、ロビーナに暮らすオージーに気に入られるには、具材に大粒の肉が入っていなくてはなりません。
 スペシャルは、鳥に、豚に、牛の、三種の肉がどかっとのり、そこに濃厚なソースがこれでもかとかかっているものでした。
 YAKISOBAは、日本の焼きそばのそれではなく、むしろ、肉料理に近い、そばは付け合わせのような感じでそこにあるというものでした。

 娘たちが、美味しいと、よく通う店が、いつも食材を購入するスーパーマーケットの中にありました。
 マレーシアの華僑が作る中華料理で、独特の味付けが売りになっています。
 私たちが食べ慣れている中華料理に、香辛料をこれでもかと加えた独特の料理です。
 そして、これが美味しいのです。

 私は、殊の外、鴨肉が好きで、サファーズにある南海餐庁なるレストランで、鴨そばを食べるのを楽しみにしています。
 これもマレーシアの中華です。
 ゴールドコーストに行くたびに、サファーズにある日本語で換金できる店に行くついでに、南海餐庁に立ち寄っては、「鴨肉麺」を食しているのです。

 マーケットの小さな店も、南海餐庁に負けないくらいの鴨料理を出していました。
 卵の白身のふんわりとしたソースの上に、鴨の半身が乗って、そのソースに絡めて食するのです。何とも言えない幸福感に満たされる鴨料理ではあります。

 2歳の孫のお気に入りは、チキンライスです。

 といっても、私たちが想像するあの赤い食べ物ではありません。
 チキンから取ったスープだけでインディカ米を炊いたピラフのようなものです。

 私がいると、どうしても、遊びたくなり、食べないことが多いのですが、これだけはおかわりをするのです。
 チキンのスープで炊いたインディカ米は、あの特有のパサパサ感が薄れ、しっとりとし、味もいいわけですから、子供には最高の食べ物となるのだと思います。

 ある時、私がレタスをムシャムシャと食べたいと思い、車でわずかのところにあるロビーナに一軒だけある野菜専門店、日本風に言えば、八百屋ですが、そこで、新鮮なレタスを特価1ドルで買ってきて、それを四分割して、皿にのせ、マヨネーズをつけて食べました。 それを見ていた2歳の孫が興味を持ち、同じように食べようと真似をしたのです。
 しかし、レタスに幾分ある苦味がダメなようで、つけたマヨネーズにも幾分の酸っぱさがあり、ペッと口から出してしまいました。

 子供は、この苦さや、酸っぱさが苦手なのです。

 もっというなら、大人がこりゃ美味しいと感じる、えぐみや渋みも苦手です。
 ちょっと、高めの、格調の高い店の味というのは、糖と脂に、これらの子供が苦手とする味わいをさりげなく添えていると言ってもいいくらいです。

 ちょっと苦味のある食材をそこに添えて、料理にアクセントをつけるのです。
 あるいは、酸味やこれは何だという味を添えることで、家庭では味わえない料理にしつらえるのです。

 誰しもが美味しいと感じるのは、流行り、糖分と脂なのです。
 つまり、これらは、味覚の原点になるものなのでしょう。

 屋台など、立って食べる場所では、複雑な味などは必要ないのです。原点となる脂と糖だけでいいのです。

 キッチンで、1人、立ったまま、即席の焼きそばをすすり、そんなことを考えていたのです。


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国家の一大事を決するにはまず足元からよ

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ロビーナ・コモンを歩いている時、見つけたのがこの鳥です。人が笑っているように鳴くクッカバルです。日本語では「ワライカワセミ」と言います。サッカー場の柵にカラスと一緒にいました。そっと近づいていっても、飛び立つ気配がありません。ロビーナにも、クッカバルがいたんだと嬉しくなりました。その後、クッカバルとカラスは、そこから飛び立ち、ユーカリの森の中に消え、そして、あの笑い声を私に聞かせてくれたのです。


 つくばに戻ってきて、数日が何事もなく経過しました。

 いや、何事もなくではありません。
 やはり、何らかの違和感を感じながら、この数日を過ごしているのです。

 その違和感の一つが雑草のことです。

 ロビーナにちょい住みをする直前、私は、家の周りに除草剤を撒いていきました。
 つくばに戻ってきて、我が家が「深草の宿」になるの嫌だったからです。
 ついでに、我が家の前の道路の向こうの歩道の植え込みにも、雑草が茂らないように、余った除草剤を蒔いておいたのです。
 そのおかげで、我が家は「深草の宿」にならずに住みました。
 つくば市の方でも、家の前の歩道の除草を行ってくれていてくれたましたので、一連の心配は杞憂に帰したのでした。

 しかし、それにしても、日本は雑草が多い、としか思えません。
 反対に、なぜ、ロビーナには雑草がないのかと不思議に思うのです。
 
 次に違和感を感じたのは、運転でした。

 オーストラリアも、日本も、同じような交通ルールの国であるのに、どのような違和感なのかと訝る方もおられるかと思います。
 でも、法規とか、交通ルールの問題ではないのです。

 そうではなくて、車の走るスピードが遅い、そう感じてしまうのです。
 いや、もっと、的確に表現すると、交通の「流れ」に不都合がある、そう感じるのです。

 もちろん、つくばには、一つも、私の知る限りではありますが、ラウンドアバウトなるものはありませんから、いちいち、車も人も、赤信号では止まらなくてなりません。
 でも、そんなことを言っているのではないのです。
 
 つくばから墓参りに行く途中、つくばの街のメインストリートである「東大通り」の左車線を走っていました。

 右車線もそこそこ車がありましたから、結構、つくば辺りでは混んでいた方だと思います。
 そして、つくばセンターを超えるあたりから、左車線から右車線へと車線変更する車を多く見るようになっていったのです。
 やがて、私の運転する車の前に、あのマークをつけた車が後続の渋滞をも顧みず、ゆっくりと車を走らせていました。

 何が悪いんだ、安全運転だと言わんばかりの運転です。

 それに嫌気をさした車が、車線変更をしていたのです。
 もちろん、私も付き合いきれませんから、右後方の安全確認をして、車線を変更し、その車を追い越しました。
 その際、ちらっと、その車の様子を見ますと、老夫婦が乗っていて、ハンドルにしがみつくようにして運転をしていました。

 まあ、その時の私の気持ちは、「のろのろと走りやがって、迷惑だ」というものではなかったので、追い越す際の運転もごくごく自然なものでありました。
 ですが、中には、よほど苛立っていたのでしょう、車線変更して、すぐに、また、右車線のそ車の前に割り込んで行く車もありましたから、ドライバーの気持ちを相当イラつかせていたものと思われます。

 ついこの間まで、ゴールドコーストの街を、やれ、買い物だ、病院だ、今日はビーチだと走り回っていた私ですが、何らプレッシャーもなく、こちらが幾分遅く走らせても、煽ったり、クラクションを鳴らしたりされることもなく、そこそこのスピードで走ってきたので、今、改めて、日本の道路で異様に遅く走る車の姿に接し、これはスピードを出しすぎる運転よりも危ないと感じたのです。

 雑草の件も、車のスロー運転にしても、これは自分だけではどうしようもできないことです。
 
 つくばの家の私の家の近くには、東京に暮らしている方が土地を持っているらしく、年に一回だけ、業者がきて草刈りをしますが、それだけではなんの効果もありません。
 草は、あっという間に生え広がり、あたりを覆い尽くしてしまうからです。
 
 ですから、こういう時に、政治というか、行政がその力を発揮しなくてはいけないのです。

 公園が雑草だらけになって、スポーツクラブで草刈りでもやろうかと話したことがありますが、それをやると業者が困るということで、沙汰止みになってしまったこともありました。
 
 車の運転は、高齢者の事故が起こるたびにその是非が論じられますが、根本的な解決にはまったく至っていないのが現状です。

 そんなことを考えながら、新聞を見ていますと、どうやら首相はまもなく開催される国会冒頭で議会解散を宣言するようで、政治はいよいよ選挙一色になって行く気配が濃厚ではあります。

 選挙で、私が感じるささやかな、しかし、大切な問題を政治行政が解決してくれることを念願するのですが、どうも、それは無理なような気がしてならないのです。
 
 政治には、信念が大切です。
 「信なくんば立たず」です。

 しかし、何人かの政治家さんは、「信」よりも、身勝手な「決意」を尊重しているような有様です。

 国会議員でも、雑草を日本からなくし、快適な生活環境を作り、「流れる」安全な交通ルールを作り上げようという方がいてもいいと思うのですが、そんなの「信」でも「決意」でもないと一蹴されてしまうのですから悲しいことです。
 
 そういう身近なことを真剣に思ってくれる人こそ、国家の一大事を扱える政治家ではあると思うのですが……。


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我は切望す、我が真意のありようを受け止めんことを。

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クイーンズランド州で一番高いビルということで「Q1」と呼ばれているビルです。ゴールドコーストのランドマークになっています。希望すれば、つなぎに命綱をつけて、あの屋上を歩くことができます。私はもちろん、ダメですけど、若い女性など、それがたまらないそうで結構な人気だそうです。私には理解できことです。


 滞在中、リビングの端に置かれたダイニングテーブルが私の書斎でした。

 それも、朝の3時から6時までの3時間だけです。
 4時には、娘が赤ちゃんにおっぱいを与えるために、リビングにきて、そのまま、赤ん坊と眠ります。
 その中で、私はものを考え、文章を綴っていたのです。

 リビングのテーブルには、オーストラリア独特の甲高い、そして、周期的な謎の鳥の鳴き声が伝わってきます。
 娘たちがソファで身を沈めて、眠りに入っている頃、空が白んできます。
 その頃、私は、私自身が言うところの「ルーチン」を終えるのです。

 原稿用紙5枚程度の文章を綴り、ネットに、それをアップし、ネットを通しての友人たちとコンタクトを取るのです。
 これが、私のルーチンです。

 そして、いそいそと朝食をとり、ロビーナの街へ、朝のウォーキングに出ていったのです。

 しかし、そんな生活も終わり、幾分湿気を感じるこのつくばに戻り、私は、いつもの書斎に戻ってきました。

 湯川れい子という音楽評論家がいます。
 今、その方の回顧録を新聞連載で読んでいます。

 その中に、前向きに物事を捉えることが、10代であった、しかも、女であった自分を、大人の、それも男ばかりの世界で、音楽評論家にし、作詞家にし、当時、容易に行けないアメリカにも行くことができたという記事がありました。

 確かに、人間というのはチャンスをものにしなければ、そして、そのチャンスがなんであるのかを知らなければと始まらないと思います。

 私自身は、どちらかというと、表に出て、何かをしていくことがどうも苦手な性格で、裏方にあって、何かをしている方を好んだので、チャンスを手に入れるということには縁遠い人間ではありました。
 それでも、若いうちには、時の流れとか、物事のちょっと先を読むことには長けていたようで、チャンスというわけではないのですが、多くの人に支えられて、なんとかやってこれたと思っているのです。

 ロビーナに暮らす2歳の孫に、私は、教育レゴの「サイエンス アンド テクノロジー」を持って行きました。
 もちろん、2歳にはまだ早いレゴではあります。

 でも、歯車や太陽エネルギー、小さい部品を組み立てるという活動を通して、知恵をつけてもらいたいし、よしんば、それが打ち捨てられても、手元にあるということで、きっと、何か、この子にチャンスを与えるきっかけになるのではないかと思っていたのです。

 周りの大人たちに、ちょっと早いねとか言われるのは承知の上です。

 でも、子供たちの多くが買い与えられて、手にするのは、完成されたおもちゃばかりです。
 そうした中で、部品ばかりで、そこから何が作れるのかを、少しでも思えば、それでいいかと思っているのです。それが教育だからです。
 つまり、ちょっと先の未来を見込んで、子供たちにチャンスを与えるのが教育の一つの大切な在り方だからです。
 決して、無駄なことではないのです。

 湯川れい子の回顧録を読んでいて、活動する人間には、二つの型があるということが書かれていました。

 その一つ、パーティー型の一例としてあげられていたのが、大橋巨泉です。
 彼は、見るからに、遊ぶことの好きな男性です。
 競馬、麻雀、ジャズ、俳句に車……。
 それらを通して、多くの人と付き合い、なんだかんだとやりながら、人との交流を広げ、仕事を増やしていくというのです。
 こうなると、それは一種の才能となります。

 それをパーティー型とし、その相反する立場にあるのが書斎型というわけです。
 
 てっきり、湯川れい子もそのパーティー型かと思いきや、彼女自身はそうではないというのです。
 いや、むしろ、彼女自身が書斎型を選んだというのです。

 では、書斎型というのはどういうものか、それについては回顧録には詳細には語られてはいませんでした。

 ですから、少し、ここで考察を展開していきたいと思うのです。
 人間は、多くの人と喧々諤々とやりあって、そこから何かを見出すことをします。
 学校教育でも、それは一つの手法です。

 指導教諭は、気長に、それを見つめ、彼らが結論に近づくのを待ちます。
 巨泉のあり方は、この学校の手法と一緒なのです。
 ただ、指導教諭がいないだけなのです。

 それに対して、書斎型は、自分1人が生徒であり、指導教諭であるということです。

 つまり、何かを感じ、何かを思い、何かを生み出すことを、自分1人の中で完結するということです。
 孤独に耐え、世間の流れとはまったく違う流れの中に身を置き、ものを作り出していくのです。

 しかし、だからと言って、孤立無援ではなく、世間と遮断された世界にのみ生きるのではないのです。

 己の中の世界を大切にして、多くの人の共感できるものを作り上げていく、たった1人の活動こそが書斎型であるということです。
 2歳の孫に贈った教育レゴも、その流れの中にあるものに違いないのです。

 願わくば、この2歳の孫が、二世代前の屁理屈をこねる男の真意を受け止めてくれることを切望するのです。


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南と北の回帰線の間で

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早朝の湖。湖面に朝日が映え、水鳥が餌を求めて水中に潜っています。ロビーナの早朝の散歩に見たなんとも落ち着く光景の一つです。


人間が2人、3人と集まれば、自ずと個性の違いが見えてくるものです。

彼は、近眼です。
メガネをかけていない時、微妙に彼の瞳の焦点がずれて、もしかしたら見つめられているのではないかとドキッとする時がありました。
メガネをかけるようになると、彼の表情は、気難しい芸術家のように、近寄りがたい雰囲気を醸し出すようになっていったのです。

もう1人の彼は、ぎっちょです。
しかし、いや、それゆえ彼は器用な人であったのです。
天性の才能がそれに加わり、彼は、世界的に有名となる作品をいくつも完成させるのです。

もう1人の彼は、おとなしく、目立つことの嫌いな性格でありました。
もしかしたら、そうではなかったのかもしれません。
なぜなら、彼は一番若く、人一倍努力することで2人の兄貴分たちに追いつこうと努力をせざるを得なかったからです。
そのため、彼の技術は向上し、2人にはない感性豊かな創造性を示すようになったのです。

ここまでの話を読まれて、これが同じ街の子供たちが集まり、その後、妙な名を持つドラマーを加えて、4人組の世界的に有名になったロックグループであることを分かられた方は、たいしたものです。

 オーストラリアから戻る飛行機の中で、私はiPhoneに入れてある彼らの作品を飽きもせず延々と聞いています。

 南回帰線から赤道を越えて、そして、北回帰線に至る飛行航路で、私は、彼らの「アンソロジー」に耳を澄ましたいたのです。
私は、実は、この一番若く、人一倍努力する、おとなしい、目立つことの嫌いな男の作った作品に、興味を持ちつつあります。

愛だとか、恋だとか、税金がどうだとか、そんな作品を書いていた彼ですが、人間の奥底を見つめる作品をものしていたのではないかと思うようになったからです。
そんなこともわからずにいたのかと叱られてしまいそうですが、実際、そうなのだから仕方ありません。

彼らの音楽を聴く日本人は、私に限らず、あまり彼らが作る言葉の内容にはこだわらないと言います。

彼らだって、深い意味をそこに宿してはいないと、ハンター・ディビスが著した彼らの自伝にも書いてあったかと思います。
彼らは、手元にたまたまあった小さな店の広告のその裏に書いた自分たちの言葉を、聞く人々が勝手に解釈して、さも意味ありげに仕立てているとも言っているのです。

だから、ことさら、そこに意味を求めず、彼らの奏でるリズムを心地よく感じ、時に、常識を覆すメロディーの流れに感傷的になり、そして、その演奏する姿をかっこいいと思うだけなのです。

そして、落胆しながら、思うのです。
  彼らの持つ才能が自分にはない、と。

でも、彼らが大人になり、それぞれの道を歩み始めるようとするあたりから、事情が異なって来ました。
 彼らは、自己主張を始めたのです。

早くに亡くした母への思いを、シンプルな言葉で、そして、心の叫びとして、近眼の彼は歌います。
 そして、多大な影響を与える伴侶とともに、世の中に再び打って出て行ったのです。

器用な彼は、全ての楽器を自ら演じ、批評家の酷評にも耐え、彼の内にある新たな才能の発掘に取り掛かります。
 そして、幾多の変遷を経て、今も彼は活動を精力的に行なっているのです。
 彼の声がかすれようが、高音が出なくても、もはや、批評家は何もいいません。彼がそこにいるだけで価値がある、そんな存在になってしまっているのです。
 
そして、一番若く、人一倍努力する、おとなしい、目立つことの嫌いだった彼は、言葉に意味を与える作業をおこなっていったのです。
 いや、もしかしたら、彼はそれを2人の兄貴分の才能の陰に隠れて、すでにしていたのかもしれません。

 TAXMANのあのアイロニカルな言葉は一興です。
 何せ、英国を代表する政治家の名前をそこにさりげなく盛り込むのですから。

 SOMETTINGには、あの器用な彼の名曲YESTERDAYを意識した明らかな痕跡を私は見るのです。

 ALL THINGSl MUST PASSに代表される彼の哲学は、インド哲学の影響を受けていると語る学者もいますが、彼がそれを聞けば、プッと吹き出すに違いありません。
 そんな大それたことではないと彼は思っているに違いないと私は考えるからです。
 確かに、独り立ちした時、彼の風体は、哲学者然としていましたが、それは彼が2人の天才的な作家の間で悶々として培って来た内面を見つめるあり方がそうさせたのに違いなだけなのです。
 いうならば、なるべくしてなった姿形であるのです。

 そして、その言葉を理解すればするほど、私は考えさせられるのです。

 ALL THINGSl MUST PASS。
 すべては移り変わる宿命を持っている。
 そんな当たり前のことを、そっと思いやることのできる時間を持てるからです。

 そして、I ME MINE。

 中学の文法の授業ではありません。
 大方は、これはぎっちょの彼に対して皮肉的に作られたと解されていますが、私は、そうではなくて、2人の天才の間にあって、影の存在になりがちな彼の心の叫びだと思っているのです。

 彼もまた、2人のように、僕も、僕も、僕もとやりたかったのだと思うのです。

 そんなことに考えをいたしている時、私の乗るJQ11便は、北回帰線を飛び越していったのです。
 多少の揺れを感じたのは何も気流の関係ばかりではなかったかもしてません。


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だから、朝は素晴らしんだ

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赤と黄色の色合いを持つ植物。なんともめでたい限りです。この地はすでに春の趣。春の花が咲き誇り、スコールがあり、炎天下があり、そんな季節になっていくのです。孫の通う保育園の掲示板には、クリスマス・コンサート開催の張り紙がありました。10月に入ると、もう、この地ではクリスマスモードになっていくといいます。2歳の孫も、何かを歌うそうです。楽しみなことです。


 その日は病院の待合室で時間を費やしていました。

 生まれて3週間の孫が、定期検診を受けるのです。
 病院の前には、ゴールドコーストのトラムG:linkの路線が走っています。そして、その向こうには、婿殿が勤務するカジノがはいるビルがあります。

 今、そのカジノが、ホテルビルを一棟建設するというので、工事が真っ盛りです。
 待合室に座って、孫娘の名が呼ばれるのを待っていると、何やら、大きな人の叫び声が響いてきます。それに連動するように、通りがかりのトラックがホーンをけたたましく鳴らしています。

 一体何事かと、病院の職員も、待合室にいた患者も、通りに面した窓に近寄ります。

 どうやら、労働者のデモンストレーションが行われているようです。
 赤い旗には、小さくて読めませんが、組合のマークか何かが書かれているようです。
 青地に白の十字の安全マークも振られています。

 各フロアーで工事する人たちが下からマイクで呼びかける言葉を繰り返すように大きな声をサファーズの繁華街に向けて発しているのです。

 両腕に、松葉つえをつき、歩くのも辛そうな老人が、奥様に誘導されて出てきました。
 診察が終わり、薬ももらい、帰るようです。

 外に出て、その様子を見ていた私に、やっているな、労働者たちがと声をかけてきます。
 なんと答えていいからわからないので、笑みを返すだけでしたが、ゆっくりとスロープを降りて、ひときわ大きいベンツに乗り込み、病院を後にして行きました。

 彼の言を使えば、労働者がなんらかの要求をし、デモンストレーションをしている様子に、行き交う街の人も、応援をしているのが今の状況なのです。

 オーストラリアに来て、初めて、このようなことを見た私は、少々、驚いていました。

 どんなに賃金が高くても、福利厚生がしっかりしていても、労働環境が良くても、労働者は自分の権利を求めて、戦わなくてはいけないということなのです。

 これが民主主義の国の原則なのです。

 自分が持っている権利は主張しなくては形にならないのです。
 指をくわえているだけでは、何も始まらないのです。

 そこへ、中国の人々のツアー客たちが、二列になって通りかかりました。
 かなり大きい声で、それも広東語で、何やらまくし立て、時折、労働者が声を上げているビルの方向を振り返りながら、通り過ぎていくのが、妙に印象的でした。

 農民・労働者の国では、自分の権利を主張する必要などありません。
 そんなもの主張しなくても、すべては満たされているからです。

 しかし、それは表向きです。

 もし、なんらかの要求を政府の求めようするなら、そのデモンストレーションは命がけのこととなります。
 ですから、ご一行が、怖いもの見たさに過ぎ去っていく様子が、オージーたちの応援する姿と対照的で面白かったのです。

 毎朝、私は、7時前には家を出て散歩に出ていますが、下水工事や、芝生の刈り込みなど大きな音を出す造園工事も、大工さんが家を建てる現場でも、すでに、職人たちは働き始めているのに、私は感心をしていました。

 こんなに早く来られて、仕事を始められては、施主はのんびりと寝てもいられまいと思ったくらいなのです。

 幼稚園の先生は6時には、掃き掃除をしていました。
 6時半からの預かり保育の準備をしているのです。
 こちらでは、首が座れば、生後間もない赤ちゃんでも預かるのです。
 
 労働者の権利を支えるために、別種の職の労働者がこれまた働いているのです。

 また、散歩途中のカフェでは、平日にも関わらず、人々は軽装で、朝の食事を楽しんでいます。コーヒーを飲みながら、外に設えられた席で、新聞に目を通している老人もいます。
 つまり、食事を提供する側では、それよりも早くに準備を始めているということです。
 
 朝早くに、人々は活動を開始し、8時間の労働を早い時刻にきりあげ、夕方の素晴らしい時間帯をそれぞれに過ごそうというのでしょうか。

 朝の、職人たちのあのやる気に満ちた忙しさを、今は懐かしく思う私ですが、一方、カフェのありようをみては、なぜかしら、相反するゆったりとしたイメージに憧れをもつのです。

 コーヒーの香りがそうさせているのか、一方で働く人がいるのに、犬の散歩をしたり、歩いたり、ロードバイクで疾走していたりする人がいるからなのでしょうか。
 全国民が一体となって、一つのことに邁進するという日本に見られがちな雰囲気がここにはないのです。

 平日でも、俺は休み、だけど、給料が倍になる日曜は仕事。家族のために今は稼がなくてはいけない。
 俺はそんなのごめんだよ、朝一番ビーチに行って、波に乗り、丘の上のカフェで一杯のカフェオレを飲む、それがなくては一日が始まらないと主張する人もいます。

 それがこの国の朝の風景なのです。


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雑踏の中の「揺らぎ」

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雲ひとつない快晴が続くロビーナの街も春の雲と風が押し寄せて来ました。快晴の空もいいですが、雲もまた風情があります。


 確かさと不確かさが混在する中に、この「f分の1の揺らぎ」があるといいます。

 「f」がなんのかんのなど、とっくの昔に忘れています。
 でも、「f分の1の揺らぎ」という言葉が脳裏には明確にあるのです。

 こうした意味を失った、しかし、記憶されている言葉というものは確かにあるのです。
 そういった言葉はきっと心理に作用し、記憶の襞に入り込んでしまっているのでしょう。

 ユーカリの森を毎日歩いていると、木々にもそれぞれ特色があることがわかります。

 例えば、樹肌がまるで人の手によって磨かれたかのように照り輝いているユーカリがあったかと思えば、樹肌が荒れて、いくまいもの樹皮を自ら剥がしているもののあります。
 また、その木の下に行くと、葉や枝から撒き散らされるあの独特の香りが感じられるのです。

 そいう時、君はいつも、いい香りを放っているねと、私は思わずその木に声をかけてしまいます。

 鳥たちもこの「f分の1の揺らぎ」を私には感じさせてくれるものです。
 芝生の上をゆっくりと歩み、地中に長い嘴を突っついているトキの一種アイビスは、本当にすぐそばまで力寄らないと逃げません。1メートルを超えると、アイビスはさっと美しい透き通る羽を開いてさっと舞い上がります。嫌われ者の割には、美しい飛び方ではあります。
 カラスの一種、白と黒のまだらのマグパイもまた、樹上にあって、時に地上にあって、私たち人間を一定の間隔を保ちながら、そこにいる鳥です。
 目の前に突然あわられたり、消えたり、親近感を持って向こうから近づいてきたかと思うと、さっと踵を返して飛び去る、そんな姿に、それを感じるのです。

 「f分の1の揺らぎ」は、人の心のリラックスにも大いに関係していたことを思い出します。

 だとしたら、それは香りや姿ばかりではなく、音にもあるはずです。
 この地ではあまり感じる取ることのなかった音です。
 さて、この地で感じられる音は何かとしばし思案します。

 まず、最初に出て来るのが、朝まだ暗いうちに聞こえる鳥たちの奇妙な鳴き声です。
 そして、ケンジントン・ストリートで遊ぶ子供たちの叫ぶ声、それに、私の孫たちの泣く声が思いつきます。

 でも、それらは「f分の1の揺らぎ」なのだろうかと疑念を持つのです。

 確かに、鳥の声や子供たちの笑い声や泣き声には、人の心に訴えるものがあるのですが、時に、うるさく感じることもあるからです。
 うるさいと思う時点で、それは「f分の1の揺らぎ」ではないのではないかと思うのです。

 さて、そうなると、この地には音に関しての「f分の1の揺らぎ」はないのかと不安になり、再び、思考を巡らします。

 この地にはヨーロッパ各地に見られる教会の鐘の音がありません。
 ロンドンやフランクフルトにある駅舎の、列車の出発を告げるあの甲高い声もありません。第一、その駅舎さえもゴールドコーストにはないのです。
 それに、ヴァンクーバーにあった渓谷もありません。ですから、滝の音も山間に響くこだまの音もないのです。

 はて、困った。
 ゴールドコーストには、揺らぎの「音」がない。

 そんなことを考えあぐねながら、とある日の朝、ファーマーズ・マーケットが開催されているから行こうということになり、車を運転して、10分ほどのところにあるサウスポートのアート・センターに出かけました。
 近郷の農家が自分の農場で作った有機野菜や果物、あるいは、近くの海で取れたエビやカニを売っています。
 このマーケット、隔週で開催されているといいます。
 オーガニックの野菜や果物、海産物を求める客人に振る舞う料理の屋台も出ます。
 路上パフォーマンスも出ます。
 この日は、アフリカ系アメリカ人のブルースシンガーがギター一本で渋いブルースを、時折、ハーモニカを交えながら演奏し、拍手を浴びていました。
 私も、彼のギターケースに、プラスチック製の5ドル札を入れましたが、その中にはここしばらくは働かなくても食べていけるくらいの小銭があったのには驚きました。

 私は、この界隈を歩きまわりました。
 そして、はたと気づいたのです。
 これが、この街の揺らぎの「音」だと。

 それは、この会場に来ている人々の様々な言葉です。

 日本語あり、インドの言葉あり、マレー系の言葉あり、韓国の言葉もあります。
 もちろん、オーストラリア訛りの強い、農民たちの英語もあります。
 洗練されたこの地のエリートたちが使う洒落た英語もあります。
 この雑踏の中で、様々な言葉が交わされる中で、私は実に心地よい感触を得ていたのです。
 
 オーストラリアでの「f分の1の揺らぎ」を示す音があれば、この雑踏の言葉のありようだと思ったのです。
 いくつもの異なる言語が話され、皆が、それぞれの英語であれを買い、これを売る、相手が何を言っているのかわからなくても、手にそれをもち、欲しいと目で訴えれば、売り手は相手がだれであろうと構わずに、自分の喋る言葉で、勝手にやり返すのです。

 この混沌とした言葉の噴水のごときありようこそ、この地の「f分の1の揺らぎ」に他ならないと。


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遊んで、学んで、成長して

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強烈な朝日が差し込んで着ます。まるで、日本の8月の朝のようです。でも、あの日本の暑さは感じません。湿気がないのです。ですから、一瞬、暑いと思っても、日陰に入ると、さらりとした風がさっと頰を撫でていくのです。


 朝、窓越しに、通り向こうに暮らす兄弟たちが、裸足で、遊んでいるのが見えました。
 いつものように、学校に行く前のひと遊びだなと思い、起きてきた2歳の孫としばらく窓から見える風景を楽しんでいました。

 朝食を終え、孫が外で遊びたいと言うので、一緒に外に出ます。
 時間はとっくに9時を回っています。
 いつもは静かなケンジントン・ストリートですが、今朝は道の中央付近にいつもの仲良し子供たちが遊びに熱中しているようです。
 時おり、歓声が上がり、また、言い合いが始まります。

 孫は、まだ、小さすぎて、ケンジントン・ストリートの遊びにははいれないのです。

 私は、孫と隣地にある小さなユーカリの森でひとしきり遊び、家に戻りました。
 そして、娘に、子供たちが遊んでいるけれど、今日は祝日か何かと問いました。

 娘は、しばらく考えて、はっと気づいたように、今日からスクールホリディだと言うのです。

 なんだそれはとさらに問うと、こちらの学校では、保育園を除く幼稚園から高校まで、10週間が一つのタームで、それを終えると、1週間から2週間程度の休みがあるのだと言うのです。

 取手の学校にいるとき、一ヶ月ほど滞在した学校でも、こちらの学校の制度に驚くことがたくさんありました。

 例えば、幼稚園から高校まで、1時間目の授業が終わったら、ちょっとしたものを食べる時間が設定されていることもその一つでした。
 朝食を食べてこない生徒も、この時間に、クッキーやサンドイッチを食べることができるのです。英国のティ文化を反映している習慣のようです。

 そして、もう一つは、午後3時になったら、生徒も、そして、教師も学校を出なくてはいけないことでした。

 生徒はともかく、教師が、生徒の提出したペーパーを持って、あるいは、何にも持たず、気楽な姿で、学校を後にするのです。そして、すかさず、清掃の方々が学校に入ってきて、散らかった教室や職員室、トイレの清掃を始めます。

 つまり、学校での部活も清掃活動も無しなのです。

 スポーツとか、文化活動をしたければ、地域にあるクラブに参加するのです。
 ロビーナにも、コモンに野球とサッカーのクラブがありますし、ブロードビーチ図書館には、文化活動の充実したプログラムが用意されています。

 そして、教師は、この時間に退勤し、自宅に戻り採点をしたり、成績表を作成したりするのです。もちろん、採点のないときは、街に出て、ぶらぶらしたり、映画を見たり、なんの制限もありませんでした。

 この制度を見たとき、羨ましい限りであると感じ入ったものでした。

 しかし、今日、娘から聞いた10週間に一度のスクールホリディなるものは初めて聞きました。
 これもまた、羨ましい限りであると思ったのです。

 日本の今の政権も教師の過重な労働時間の削減に取り組んでいますが、どうも、授業時間の確保とか、到達目標、さらには、進学先の出来不出来のような目先のことに話題が行ってしまい、本質的な問題解決にはほど遠いような気がするのです。

 こちらの学校でも、あの地区の学校はよろしくないとか、あの学校は音楽に力を入れているとか、そう言う評価は当然あり、親たちは、そのために転居して、その学校に通わせることはあります。

 そして、この国では数少ない私立学校は極めて授業料が高く設定されています。
 生徒の中にはドイツの高級車で通学をすると言う子もいるようで、相当なお金持ちとか、奨学金を得るくらいの優秀な成績を持つ子が、通学する学校になっているのです。
 日本の私学のように、国や県から多大の補助金を得ているわけではないので、授業料と寄付金、それに、学校としての投資活動や利益誘導活動により、経営を行なっているのです。
 政府から金銭的援助を受けていない分、教育方針は自由奔放です。

 しかし、そうした学校も、同じようにこの国の教育の根本は共有をしていますから、同じように、スクールホリディがあり、ティタイムがあるのです。

 日本における教育改革の、その根本にあるのは、常に、目標の設定と達成にあるのです。
 目標の設定と達成が、生徒一人一人に対してなされているのであれば、それは素晴らしいことですが、実はそうではありません。
 そこが問題なのです。

 学校の目標設定と達成は評価につながり、そのため、生徒には勉強を強制し、教師は、そのために、身を粉にして働くことが求められていくのです。

 日本が、戦後、世界一の産業立国、経済立国を目指して動いている時代では、それも仕方がありませんでした。
 潰れかけた国を生き残った人間で必死にやりくりしてきたのですから、それを責める気も、批判する気もありません。
 そういう私自身がその中にあって、教育を受けて、教育をする側にもいたわけですから、批判などできるはずもありません。

 でも、日本という国が、今、教育を論ずるときに、明治以来の教育のあり方に拘泥していては、21世紀の日本、22世紀へと繋がる日本の教育改革は不可能だという点です。
 「革命」のようにとは言いませんが、むしろ、それに近い形で教育改革をしていく必要があるのです。

 その第一が、生徒の一人一人の目標設定と達成を図ることにあります。

 そのために、指導に当たる教師も親にも、心の余裕、時間の余裕、もっと先を見る余裕がなくてはなりません。つまり、教育改革は労働環境の改革と一体であるということです。
 そういう意味では、今の政府の行なっていることは間違いではないのです。

 次に、生徒の一人一人の目標設定と達成を図るには、大学一辺倒の学校制度のあり方を改めなくてはいけません。

 名門大学に合格した数ではなく、充実した人生を歩んだ卒業生をいかに多く生み出しているかを追跡調査していくのです。
 この調査を少なくとも小中高の学校では怠りがちです。
 一定期間在籍し、送り出したら、それで終わりではなく、結びつきを強めていくことが、生徒の一人一人の目標設定と達成を図るという意図を明確にすることにつながるのです。

 そして、何よりも大切なことは、社会が子供たちを見守る環境です。

 子供たちの声がうるさいとか、運動場の埃が立つとか、そんな文句ばかりをいう社会ではなく、地域が子供を見守ることができる日本社会を作らなくてはいけないということです。
 
 遅めの昼ごはんを孫たちと食べていると、玄関にユーエンの姿がありました。

 ユーエンとは、道向こうに暮らすカナダから移民してきた一家の次男坊です。
 ケンジントン・ストリートの仲良しグループでは、一番年下で、おしゃべりで、人懐っこい坊やです。

 2歳の孫にと、自分たちが使っていた絵本や家庭学習に使ったのであろう教材を持ってきてくれたのです。
 ユーエンは居間に上がり込み、孫のおもちゃで遊び、私たちにマシンガンのようにしゃべりまくり、そして、帰って行きました。

 その姿は、私に、こういった優しい子、明るい子、意見を言える子を作るのが教育改革の柱にならなくてはいけないと思わせてくれたのです。


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マッカートニー的命題

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ロビーナセンターにある大型ショッピングセンターの食事処が集まるエリアがこの『The Kitchens』です。つくばにあるイーアスに、西武と三越のデパートを加え、スーパーをもう二つ付け足しても足りないくらいの広さを持ちます。買い物も楽しい反面、急ぎの時は困り果てます。


 つくばの裏道は、区画整理が進み、農作業は機械を入れての仕事がしやすくなりましたが、歩く者にとっては、かつてのように曲がりくねったあぜ道がなくなり、少々物足りなく思っています。
 ところが、ロビーナでは、逆で、人が歩く道は、常に曲がりくねり、遠回りをし、視界を遮るように樹木が植えられています。人は、曲がりくねった樹木の植えられた道を、先の状況をもわからずに歩くものだといわんばりの道ばかりです。

 どうやら、欧米では、歩くことが人類の宿命であり、それがため、人の歩く道は、わざと曲がりくねり、そこに、時折佇むことができるように樹木を植え、人間が持つ本質としての「歩み」の行為を誘っているかのようです。

 『人間は考える葦』と述べたのは、フランスの哲人パスカルです。

 彼は早熟の天才と言われています。
 概ね、天才は早熟早世と言われています。
 
 ちょっとアイロニカルに考えれば、長生きをした天才などごくわずかにしか過ぎない、なぜなら、長生きすることで、天才は、凡才へと転じてしまうからだということです。

 30代の若さで逝去したと言われる彼の思考が、『パンセ』という書物に残されています。

 短い文言の羅列する『パンセ』には、まるで、ネットで見るかのように、啓示、閃き、そして、人を勇気付ける言葉に満ち溢れています。

 彼が現代に生きていたら、最強のネット作家として、名を残すことは間違いありません。

 『人間は考える葦』とした論拠は、さまざまに語られ続けています。
 一般的には、自然の脅威の前で、人間ほど脆弱なものはないということです。

 これは、昔も今も、変わりありません。
 いや、むしろ、気候変動によって、今の方が大きな自然の圧力にさらされるようになっています。 

 私たちの国、日本は、美しい自然の代償でもあるかのように、火山の噴火、それに伴う地震、さらには、川の氾濫、山崩れ、それに、津波ととてつもない災害とは切っても切れない環境を持っています。
 それは、語り伝えられ、時に、忘れ去られて、また、呼び起こされ、今に連なっているのです。

 ですから、パスカル以上に、私たちは、自然の前では人間は無力であることを知っているはずですが、それゆえ、言葉ではなく、知恵として、行動として、災害から身を守る術を持ったのです。
 パスカルは、人間は弱い存在であるが、その人間は単なる葦の持つ弱さではなく、それは『考える』という行動を伴うと表明しました。
 そこに、哲学の光明を見て取ることができます。
 人間は弱い存在だが、考えることで、何かを作り、何かを成し遂げ、何かを征服することができると確信的に述べているからです。
 この言葉が、人類を近代という時代に押し上げるのに貢献したことは間違いありません。
 
 現代人が喪失したものの一つが歩くという行為であると思います。
 毎朝、ロビーナの街を歩いていて思うことは、歩いている人に若い人はいないということです。
 たまに、若い人を見かけますが、彼ら彼女らは犬のために歩かされているに過ぎません。
 意図を持って、歩いている人はおそらく皆無でしょう。

 現代は、人が歩く代わりに車に乗り、素早く目的地に行くことが大切なのです。
 大きな都市は、交通機関が発達し、ちょっとした距離でも歩くことより、乗ることが優先されます。

 思えば、若い自分の私自身がそうでした。

 歩くことは、シャレにならないくらいダサいことであったのです。
 あれは、年寄りのすることであり、若い者たちのすることではないと思っていたはずです。

 今、<年寄り>になって、あと何年歩けるだろうかと思う時があります。
 歩けなくなくなる時がきっとやってくる。
 そうなった時に、<年寄り>として歩いていた時を最高の時だと思うはずです。
 大した悩みもなく、心を悩ます問題もなく、仕事上の憂いもない、あの歩いていた時代を、人生最良の「歩み」として、思うはずです。
 
 かの哲人、パスカルも、早世したが故に、<年寄り>の私が今思っている点については考察が行かなかったのではないかと、私は考えるのです。
 先ほど、私は、アイロニカルに、長生きすることで天才は凡才へと転じてしまうと述べました。

 しかし、もしかしたら、長生きすることこそ、最大の才能ではないかと思い始めているのです。
 
 私の密かに尊敬する、レノンもジョブスも、その奇抜な言動で物議を醸し、人に対して敵対意識を強固にもち、しかし、人類には画期的な哲学やアイディアをもたらしました。
 しかし、レノンは凶弾に倒れ、ジョブスは病魔におかされ、この世をさりました。
 レノン享年40。ジョブス享年54。

 現代では、これは早世の部類に属します。

 ところが、レノンの盟友であり、ジョブスの敬愛を集めたマッカートニーは70半歳ばであって、世界ツアーを間断なく行い、ゆうに5万の観客を集める才能の持ち主であり続けているのです。
 
 こんな姿を見ると、先ほどのアイロニカルな方便は間違いだと気がつきます。
 人は、年に関係なく、歩み続けることがいかに肝要なことかがわかるのです。
 ひたすら、歩むことこそ、人間に課せられた命題なのであると。

 これこそ、マッカートニー的命題であると私は考えているのです。


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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《6 / 17 💡 Monday 》
 
🦅 ただいま、<カクヨム>にて『ひとりっていいよな』を発信しています。

  世の中って
  理不尽なるもので
  満ち満ちているんだっ……



誰でも、社会的生活を営んでいれば、心苦しいことに出会うものです。
トップの解任、同僚との確執、職を辞しての新しき生活、そんなさまざまの体験がそれです。
人は、かくも争い、かくも世知辛い思いをするのです。
そして、大切なものをそこで失っていくのです。
失うことを、損得で測れることはできません。
失うことは、糧として、その人間に残れば、それでいいのです。
そして、若き人に、送ることができればそれでいいのです。


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❣️<Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。こちらもご訪問よろしくお願いします。
 

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