不安顔と恐怖心

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この日の朝、霧が出ていました。山が近くにあるつくばは霧がよく出ます。早朝の一仕事を終えて、裏道に出ますと、朝日が昇り、このような光景を目にすることが出来ました。幻想的です。素晴らしいです。


 チャイナセブンと言われる7人の共産党員が登壇してきました。

 彼らと彼らの党に対して、かんばしからぬ報道をするNYタイムズ、BBC、それに産経新聞などいくつかのジャーナリズムがこのお披露目には参加を許されませんでした。

 中国国内では、NHKテレビのニュースが時折真っ黒になると言います。
 天安門事件、香港の雨傘運動、台湾独立の動きについて、報道がなされると公安によって、情報が遮断されるのです。

 そんな国ではありますが、この7人がこれから5年間、中国を指導していくのだと思うと、やはり、見て、知っておかなくてはなりません。

 壇上右のそでから、いよいよ、7人が列を作って現れました。
 これまで、幾多の権力闘争を勝ち抜いてきた共産党の猛者たちです。
 しかし、いつ、自分が追い落とされるか、そんな不安を胸中に抱いていることは、その表情からはっきりと見て取れます。
 日本のように、選挙で選ばれたのなら、それが数十票差で選ばれようが、大差をつけて選べれようが、国民の信託を得たと胸を張れるのですが、中国ではそうではありません。

 密室の中で、相手を蹴落として、地位を得た人々です。
 であるなら、次は自分が蹴落とされることも、ありうるのです。その不安がその表情に出ている登壇ではありました。

 同時に、私は、この登壇の様子を見て、妙なことに気がついたのです。

 5年前、確か、登壇の際には、習近平と首相の李克強の二人が並んで登壇し、二人が手を振っていたのではないかと。
 私の記憶が正しければそうなのですが、しかし、今回、その李克強は他の6人と同じように、手を振ることもなく、集団の中に埋没していたのです。

 この5年の間に、この国の”偉大な”指導層の政治情勢は変化をしていたのだ、と気づいたのです。

 かつて、主席毛沢東の後ろで、首相周恩来は健気に職務にあたっていました。
 出しゃばらず、しかし、アメリカ、日本との国交回復に多大の尽力をしたのは、この周恩来でした。

 周恩来は、毛沢東のことをよく承知していたのです。
 嫉妬を買わないこと、二番手に位置し出しゃばらないこと、中国人民のために服務すること、これが彼が心していたことでした。
 そのため、人望も厚く、目立たない形で、政治的な被害を受けた人々を救済し、将来の中国のありようを決する英断を下すことができたのです。

 李克強に、あの周恩来の意図した含みがあるのなら、中国は未来のある国になります。しかし、この登壇の姿を見る限り、そして、5年前のありようと比べる限り、その意図は見えません。

 私は「顔」で人のありようを判断することに長けています。
 と言っても、かなりの偏見がそこにはありますので、人様にそれを無用に使うことはありませんが、習近平の顔を見ていると、どこか間の抜けた馬鹿面に見えて仕方がないのです。
 人民解放軍を閲兵したときのあの威厳のなさは誰しも感じたことでしょう。
 人民に愛されていると喧伝されればされるほど、それが作り話であると思ってしまうのです。

 アジアの大国の指導者に随分と失礼なことを言ってしまい恐縮ですが、それはアメリカのトランプに対しもそう思うのですから仕方がありません。

 なんでも、北京では次のような話がまことしやかに流されているようです。
 「力ある人から権力を取り、力のない人が権力を握った」と。
 前者は李克強を指し、後者は習近平をさしています。

 こんな話を聞くと、私の暴言もさほどのことはないと思うのです。
 馬鹿面した主席が、これからの5年間いかなる手口で政治をし、経済を推し進めていくのか。二番手の李克強は周恩来になれるのか、興味深く見ていきたいと思っているのです。

さて、所在ないまま、いつものごとく、何か目新しい記事はないかと環球時報を見ていました。
 すると、「日本最新战舰下水:已远远落后世界主流」と、なかなかに無礼な記事がありました。
 日本の<最新護衛艦進水、すでに世界の潮流からは遅れている>というものです。

 この護衛艦は、あさひ型護衛艦の2番艦となる「しらぬい」のことをさしています。

 日本では、高性能レーダーを装備し、対潜能力に優れた護衛艦くらいで、就役は2年先になると、さほど話題に上るほどの護衛艦ではないのですが、その護衛艦を取り上げているのです。

 さらに記事を読んでいきますと、この護衛艦は神戸製鋼が提供した問題ある資材を使っているというのです。
 日本の工業製品の基準は高く、神戸製鋼の偽りのデータは看過できませんが、製品のありように不都合をきたすレベルではないことは専門家からすれば明らかなことですから、大きな問題とはなり得ません。

 にもかかわらず、このように述べるのはなぜかと考えるのです。

 海自は、現在、4隻のヘリ空母を運用しています。中国ではこれを「準空母」として位置付けているのです。そこに、ヘリではなくて、垂直発進のジェット戦闘機を乗せれば、完全な空母になるからです。
 しかも、空母の運用技能に関しては、日本海軍からの栄光ある伝統と技術の伝播があるのです。
 これまで空母を持つこともなく、空母を使っての戦闘経験のない中国には、この海自のヘリ空母4隻の存在は大きな目障りなのです。
 いつなんどき、その甲板に、戦闘機を積んで対してくるかと心配でならないのです。
 さらに、潜水艦の存在があります。海自の最新鋭「そうりゅう」型潜水艦は、今年度までに12隻が建造され19年度には全艦が運用されます。
 通常エンジンではありますが、その音を探知することはほぼ不可能で、国際合同訓練を行ったアメリカ海軍の空母は、この潜水艦で何度も撃沈されたと言います。

 その「そうりゅう」型潜水艦12隻が中国の主要な軍港の外に、静かに潜っているとなれば、それはただ事ではありません。
 しかも、装備されている89式長魚雷は、現在、世界最高レベルのもので、これに狙われたら逃げようがないと言われるものです。
 中国が誇る漢級潜水艦は、せいぜい300メートルしか潜水できませんが、「そうりゅう」は800メートルも潜水し、活動が可能なのです。

 きっと、中国海軍は、何を恐れるかといえば、海自のそうした建艦技術、そして、卓越した運用技術なのです。
 その恐怖が、こうして記事になって出てくるのです。

 敵となる相手への恐怖心が、神戸製鋼の不良品により弱体化し、落ちぶれているということで、安堵しているだけなのです。

 なんだか、李克強の不安顔と環球時報の海自に対する恐怖心がダブって見えてきて、気持ちがすっとした感じを受けたのでした。




コンバインとエアクラフトキャリア

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夏のと違って、秋の日差しは障子に柔らかな影を落としてくれます。我が家の、来年はみずみずしい味をつけるであろう巨峰の枝葉がそこには写っています。


 その日は、あまりにも良い天気でした。
 明日からはまた台風と秋雨前線の影響で、天候が芳しくないという予報が流れています。

 私は、なんだか急に、外に出たくなりました。
 裏道では、遅い稲刈りがなされていました。

 畔にいるのは、年配の女性、それにコンバインを運転するこれも年配の男性、きっと夫婦に違いありません。
 コンバインは、たわわに実った稲を小気味好く刈り取り、稲藁を細かく裁断し、田に撒き散らしていきます。
 巻き散らかされたそれは、やがて、土と混じり、腐敗し、翌年の稲の肥料になるのです。
 一枚の田を刈り終えたコンバインは、畔に置かれていた収穫用の軽自動車に、管を伸ばして、たった今、収穫したばかりの<稲粒>をどっと落とし込んで行くのです。
 昔だったら、一家総出で行っていた作業ですが、今は、年配の夫婦二人だけで行えるのです。

 コンバインは、人間に課せられた重労働を軽減し、作業効率を一気に高めて行くのです。
 農家が一千万円もするコンバインを共同で購入し、作業効率をよくするのと同じように、国家もまた防衛費を使って、最新の武器を得て、防衛能力を高めていきます。
 老いた夫婦だけの農家にとって、稲刈り機や田植機が戦力であるように、国家にとっても、国を守るために戦力が必要なのです。

 その戦力の中で、最強にして、これ以上なく機械化されたものが、航空母艦です。

 空母は、それ一隻では戦力になりません。
 例えば、アメリカ海軍では、<空母打撃群>を編成し、潜水艦、巡洋艦、駆逐艦、それに、補給艦を組み込んだ編成で、一軍を形成しています。
 これにより、空からの攻撃に対する防備を固め、空母が保有する攻撃力で、対地、対空、対海上、対海中と全方面への攻撃を可能としているのです。

 この能力を持つ空母艦隊を運用しているのは、現在ではアメリカだけです。

 1941年、日本海軍は、世界で初めてとなる艦隊を編成しました。
 それが、<第一航空艦隊>です。

 第一航空艦隊には、四つの航空戦隊が所属していました。
 第一航空戦隊は、空母「赤城」「加賀」、第二航空戦隊は「飛龍」「蒼龍」、五ヶ月後には、これに第四航空戦隊「龍驤」「春日丸」、第五航空戦隊「翔鶴」「瑞鶴」が加わります。

 なんと、8隻の空母が組織的に運用されると言う画期的な艦隊なのです。

 これを、日本海軍では<機動艦隊>と呼びました。
 空母を主力に、航空戦力で、防衛にあたると言う戦略が日の目を見たのです。
 当時、空母を運用し、作戦を遂行できる国は、日本を筆頭に、アメリカ、そして、イギリスしかありませんでした。
 さらに、この<機動部隊>同士、つまり空母と空母が一戦をまみえた珊瑚海での戦いも、史上初めて、日米間でなされもしたのです。
 珊瑚海海戦で、日本は「レキシントン」を沈め、アメリカは「祥鳳」を沈めました。
 そして、ミッドウェイで、日本の機動部隊主力は壊滅するのです。
 それ以後、アメリカ海軍は、太平洋は言うまでもなく、大西洋、インド洋どの海でも、この空母を中心に据える艦隊で支配をしてきたのです。

 今、アメリカの3つの<空母打撃群>が、アジア海域に集まっているようです。

 横須賀を母港とする「ロナルド・レーガン」は、韓国軍と合同演習をついこの間行いました。
 そこへ、ISに対して実施された「生来の決意作戦」に参加した「ニミッツ」が、そして、9月にサンデイェゴを出航した「セオドア・ルーズベルト」がアジア海域のどこかにいると言うのです。 

 アメリカ軍は有事の際、一ヶ月以内に6つの<空母打撃群>を投入することが可能だと言われています。
 今、そのうちの半分の<空母打撃群>が、ここに投入されているわけですから、誰が見ても、それは尋常ならざる事態であると判断すべきなのです。

 この3つの<空母打撃群>が保有する最新鋭戦闘機は合計120機です。
 6隻になれば、その倍の240機となります。
 この最新鋭機、中国は180機しか持っていません。ちなみに、自衛隊は160機です。

 それを見ても、この<打撃軍>の持つ攻撃力のすごさがわかると言うものです。
 しかも、これらの<打撃軍>は、海域をただ遊弋しているだけではないのです。
 偵察機がくまなく海中を探査し、空域に目を光らせます。そして、最新鋭戦闘機がしっきりなしに離発着を繰り返しているのです。
 それは訓練でもありし、同時に、「臨戦態勢」にあると言うことも意味しているのです。

 1995年のことです。
 中国人民解放軍が台湾海峡にミサイルを打ち込みました。

 それも、1発や2発ではありません。たいそうな数のミサイルです。
 独立を標榜する台湾に対して圧力をかけてきたのです。
 中国人民解放軍は台湾に上陸せんばかりの勢いです。

 危機を感じたアメリカは、台湾海峡に、2つの、空母部隊を送り込みました。

 今と同じように、偵察機が飛び、原子力潜水艦が攻撃態勢を整え、空母からは戦闘機がひっきりなしに離発着を繰り返しながら、刻一刻と台湾海峡に近づいていくのです。

 それを知った人民解放軍は、アメリカの空母艦隊の前にして、涙を飲んで台湾への侵攻を諦めたのです。

 中国が、「遼寧」をはじめとして、自国での複数の空母艦隊の編成を急ぐのはその悔しさがあるからなのです。
 しかし、空母艦隊の編成と運用には相当の出費と訓練が必要になります。
 出費はともかく、訓練には時間が必要です。それに、伝統と経験も必要です。

 日本海軍の血を受け継ぐ海自では、ヘリ空母とも言われる護衛艦4隻が運用されています。 
 「いずも」「かが」「ひゅうが」「いせ」です。
 国際的に行われる合同訓練では、その錬成ぶりが話題になるくらい、素晴らしい成果を納めているといいますから、日本の防衛運用には安心しているところです。

 さて、95年のあの時より多い3群の<打撃群>の派遣は何を意味しているのか。

 これは、北朝鮮ばかりではないぞと、しきりに思うようになっているのです。
 アメリカのティラーソン長官は10月18日の講演で、<中国は世界秩序を乱し、近隣国の主権を侵害し、他国に対して無責任で搾取的な経済政策を推進している>と、激しい口調で批判をしたのです。大統領がまもなくいくであろう国に対して、極めて挑戦的な発言です。

 それを気遣ったのか、大統領は中国指導部におもねったかのようなツイートをしています。
 空母を動かすにはそれ相当の費用が発生します。
 経済に敏感なアメリカが無駄金を使うわけがありません。

 そうすると、この最強の、しかも、3つの<空母打撃群>を運用することには、明らかな二方面作戦があると予測できるのです。
 北朝鮮は表向き、真意は中国にあるのではないかと言うことです。

 田んぼで働く機械を導入するのにも理由があるように、空母を運用するも理由があると言うわけです。

 裏道をひとまわりしてくると、田んぼの稲穂がすっかり刈り取られ、殺風景になっていました。
 なんだか、妙に、寂しい気持ちになって来ました。




あぁ、眩しい、黄色い太陽の光が

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百姓をしていた教員がいました。いや、教師をしているのですが、家が百姓だったのです。ですから、田植えや稲刈りなどの時には、ちょっと休暇をと、のんびりした男でした。その男が、田んぼを刈り取った後、こうして生えてくる稲穂のことを「二番穂」といい、昔は、これさえも実らせ、食べていたと教えてくれました。いつの時代のことやらと思いつつ、裏道で見つけた「二番穂」を懐かしく見たのです。


 ひさしぶりの陽光を浴びながら、ウッドデッキでこれを書いています。

 9月末に、オーストラリアから日本に帰ってきましたが、雨の日が多かったり、曇り空であったりと、なんだか気の重くなる天気が続いていましたので、今日はとても気分よく、陽光を浴びながら、うつらうつらし、これではダメだと濃いお茶を入れて、MacBook Proを広げて、のんびりと文章を綴っているのです。

 9月の初めでしたか、滞在していたオーストラリアでも、この太陽の話題がクルーズアップされたことがありました。

 太陽表面でかなり大きな爆発があり、通信障害や停電もあるので、注意が必要だと言うのです。
 少々オーバーなマスコミの記事は、電子機器が機能せず、都市機能が寸断され、大混乱になると警告を発する始末でした。
 北朝鮮のミサイルなんかより、よほど大きな混乱が起こるから警戒を強めよというのです。
 
 太陽の爆発で発生したX線が地球に与える影響は、北朝鮮の水爆の1億個分に相当すると言いますから、なるほどもっともだと思う反面、警戒せよと言われても、何をどうしたらいいのか戸惑うばかりです。

 このX線が、何を隠そう、通信機器の障害を起こす大元になります。

 人類が、スターウオーズばりの地球を覆うバリアを作れるようになれば、それも防げるかもしれませんが、現在ではそれは不可能です。
 ですから、太陽から放出された強力なX線は否応なく私たちに降りそそぐことになるのです。
 
 その後、地球には、プラズマ線がやってきます。
 プラズマ線は、ガス状で高温を保って、やってくると言います。
 それが地球を取り囲むように流れていき、中には地球に降ってくるプラズマ線もあるのです。

 直接、地上に到達しないまでも、地磁気に影響を与えることが問題なのです。
 それにより、発電所や送電線といった施設が機能を削がれることになり、そのため、停電が発生するのです。

 過去には、カナダで実際その障害が発生し、大規模停電が起こり、病院や警察、都市機能といった重要な部署の活動が停滞したと言いますし、日本でも、宇宙の渚と言われる衛星が活動する宇宙空間域で、人工衛星が機能障害を発し、制御不可能となって、落下するという事態がありました。

 現代では、都市機能が被害を受けると思いますが、おそらく、iPhoneに入っているGPSも影響を受け、それにより、スマホの機能が使えなくなるという事態になるはずです。
 あの3・11の大地震の際、携帯が機能しないというあの憂き目だけは、もう2度と受けたくはありません。
 
 この9月の太陽の爆発で発生してX線の規模は、X9.3レベルということでした。
 素人にはわかりにくいことですが、これまでの最大がX28からすれば、極めて小さいものですが、それでも、専門家から言わせれば、決して小さい数値ではないというのです。

 なんでも、奈良時代に、これまでにないX線が降り注いだと言います。
 そんな昔のこと、どうやって知ることができるのかと興味深く見ていくと、樹齢1900年の屋久杉にその痕跡があったというから、これもまた驚きです。

 はてさて、この屋久杉からどうやって調べたのかと、これまた興味が湧いてきます。
 つまり、科学者は、その各々の年輪から、炭素14の含有量を調べ出し、775年に、地球上に大規模のX線やプラズマ線が降り注いだと断定するのです。

 科学というのは、素晴らしいものです。
 確信を持って、そう断ずるのですから、感心します。

 門外漢の私など、驚きをもってうなづくばかりで、奈良時代に電気がなくてよかったとか、電子機器などのない時代であれば、人類には大きな影響がなかっただろう、いや、それだけのX線やプラズマ線が降り注いだのなら、なんらかの影響はなかったのかしらとも思ったりするのです。

 しかし、知らないということはこれ幸いなことです。

 奈良の都の大路で、頬っぺたにX線を感じた公卿が、ちょっと痒さを感じくらいか、あるいは、春日のお山で、神様と崇められる鹿が遠く宇宙の彼方を見つめていたくらいかなとも思っているのですから。

 この9月の太陽爆発による被害は、幸いなことに報告がありませんでした。
 私のMacBook Proも十分機能し、日本にいる時と同じように、この『つくばの街であれこれ』を片時も休むことなく発信できたのです。

 ウッドデッキで、そんなつまらないことを考えているわけですが、太陽をどうこうするということは今の人類の力ではいかんともし難いことですから、もし、太陽が大爆発を起こし、強力なX線を発するならば、おとぼりが冷めるまで、私は『つくばの街であれこれ』の発信を見合わせるしかありません。

 でも、お隣の国から打ち出されるとんでもない爆弾だけはごめんです。

 話し合いで解決を、と綺麗事をいう時はとうに過ぎています。
 強い姿勢で、確固とした手段で対応しなくては、私はウッドデッキでものを書くことができなくなるのです。
 太陽の爆発は止めることができませんが、こちらの方は、いかような手段を使ってでも止めなくてはいけないのです。

 あぁ、太陽の光が眩しい、黄色い太陽が、ウッドデッキに降り注いでくる今日の日ではありました。




幸せくらい自分で見つけようではないか

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台風一過、筑波の峰の向こうに青い空が。やはり、筑波には青い空がよく似合います。


 選挙というのは酷なものです。
 当選すれば、報われますが、そうでなければ、一顧だにされないそこらのおっさん、おばはんになるのですから。

 それにしても、今度の選挙ほど人間の心の浅ましさを見させてくれた選挙はありません。

 当選するために、世話になっている党に後ろ足で砂をかけて、風向きのいい党へとくら替えをする。これを「信」をもっとも大切にしなくてはいけない政治家がしてしまったのです。

 この人たちは選挙民を舐めていると思ったのは私ばかりではないと思います。
 案の定、選挙結果はそれを証明していました。
 私と同じように思った人がこんなにもたくさんいたことよと思った次第なのです。

 右でも、左でも、「信」を貫いていくのが政治家でなくては、その国家は衰退滅亡の憂き目にあいます。
 「自分ファースト」の政治家には、国家をうんぬんする資格はないのです。

 教師と政治家は似ているというと、首をかしげる人もいるかと思いますが、私は、この二種の職業は本当に似ていると思っているのです。

 それは、常に人から見られているという点でです。

 以前、乗った飛行機の、私の座席の前に小沢一郎という政治家が秘書と離陸間際に乗り込んで来ました。
 そっと乗り込んで来て、それでも、周りにいる乗客には軽く会釈をし、目が合えば、微笑むのです。
 さらに、私を驚かせたのは、彼が長崎から羽田まで、リクライニングシートも倒さず、背筋を伸ばしていたことです。わざわざ前に行って顔を見たわけではないですけれども、きっと、黙想をしていたに違いないと推測できる、そのくらいきちんとしていたのです。

 教員もそれと似たようなことがあるのです。

 校内に入ったら、頭のてっぺんからつま先まで、生徒の手本であるべき姿勢や言動を保つのが教師でなくてはなりません。
 生徒と休み時間に仲睦まじく過ごす時も、「先生」という立場を忘れてはならないのです。
 つまり、言葉や振る舞いは親しげであっても、そこに「先生」としての威厳、というより、生徒が一目置く「雰囲気」を持っていないといけないのです。
 その「雰囲気」を持てない教師は、生徒から軽く見られ、肝心の「教育」を行き渡らすこともできない軽い先生になってしまいます。

 学校で起こる事故や事件の様子を見ていますと、大概はこの軽い教師がその渦中にいることが多いようで、困ったことだと思っているのです。

 そればかりではなく、教師は先ほどの政治家のように、外でも、先生としての振る舞いを常に保っておかなくてはなりません。
 誰が見ているかわからないからです。
 そんなことをいうと、教師というのは随分堅い職業だなと思われそうですが、それが教師という職業であり、生徒や保護者から信頼されるにはそのくらいの自覚が求められるということです。
 政治家もまずは信頼されるかそうでないかが分かれ目になります。
 
 落選した人をあれこれ言うのは忍びないので、そういう政治状況を作ったおおもとたちがどう政治的責任をとるかがこれからの見ものではあります。

 さて、そんな世知辛い世の有様を嫌という程見させてもらったあと、そして、季節外れの台風が日立沖に抜けたというころ、私は閉塞した心身の状況を打破するために散歩に出ました。

 台風一過は急転直下天候が回復すると言いますが、世情が自然環境に反映したのか、西風が強く吹き付ける中での散歩となりました。

 どうやら、まだ稲刈りの終わっていない田の稲も無事だったようです。
 筑波山の頂上にはまだ黒い雲がかかっていますが、その雲の下からは青い空が垣間見えています。天候は急速によくなる、そう言う確信を抱かせるような青空ではありました。
 しばらく歩いていると、あの青空が次第に大きくなり、山頂辺りにあった黒い雲も、幾分白味を帯びて来たのがわかりました。 
 台風が去って、ホッとさせてくれる、そんな空の様子でした。

 いつもはそんなことは思わないのですが、なぜか、その空を見ていると、あぁ、よかった、ホッとしたという気持ちが湧いて来たのです。それと同時に、今の私には間違いもまやかしも、隠さなくてはいけない秘密も何もないんだという思いが浮かび上がって来たのです。
 それは、自信なるものを自らに託して、一歩を踏み出す青年のような純粋な感情でした。

 きっと、落選した議員たちの何人かも、列島を縦断し、まだ影響を及ぼしている天候の中で、こうした思いをしているのではないかとも私は思ったのです。
 軽々な判断で、世話になった党を足蹴にして、まさか不寛容で己のことしか思わない党首であるとは知らずに移って行った自分の非を恥じ、再起を期す思いを、同じ空に誓っているに違いないと。

 人は、何度もなんども再起が可能なのです。
 自分次第で、なんでもできるのです。
 政治の世界のことはよくわかりませんが、それでも人が作った世界です。
 ですから、そこには人情というものがあるはずです。

 考え方や信条は異なっていても、あの飛行機の中で出会った政治家のように、人の心を揺さぶることはできるのです。

 あの時、私の隣には上司にあたる教師が座っていました。
 彼は、リクライニングを倒し、口を開けて、羽田までの小一時間寝入っていたのです。
 人間の持つ「差」というか、ありようが顕著にわかる一瞬でした。

 できるなら、教師である以上、あの政治家のような振る舞いをしていきたいとあの時思ったのを強烈に覚えているのです。

 そうした思いが、落選した議員、縁もゆかりもない人たちですが、無念の心情を察しさせてくれた台風一過の空の下で、私に思いを至らせたのではないかと思っているのです。

 いつでも夢を持ち、そして、幸せぐらい自分で見つけようではないかと私の心の中で、その声がこだましたのです。




抱きしめたくなる家

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久しぶりに晴れました。気温も高くなりました。松の枝の向こうに山々が見えました。つくばはやはりこうでなくてはいけません。


 靴下を履いて寝ると、親の死に目に会えないと言われています。
  
 でも、冷える日の夜、私は靴下を履かないと眠れなかったのです。
 だから、私は、父の時も、母の時も、その死に目には会えなかったんだと思っています。

 でも、逝く時にその側にいるのは辛いものです。

 父の時は、学校で授業をしていました。
 職員室に戻ってくると、家から電話があったとメモが置かれていました。
 父が逝ったなと直感しました。

 その一週間ほど前から、尋常ならざる状態に置かれていた父の入院先に、私は仕事が終わって、菓子パンを車中でほうばり、詰めていたのです。
 たまに、目を開いては、こちらを見て、何も言わずに、うなづくようにまた目を瞑ります。
 だから、これが今生の別れであり、それを惜しむように、わずかな時間を過ごしていたのです。

 母の時は、母の命が尽きるとは信じられないでいました。

 確かに、腕は細り、歩くこともままならない状態にはなっていましたが、それでも、口だけは達者であったからです。
 ですから、病院に詰めるようなことはなかったのです。
 たまに、ひょいと顔を出すと、眠っている時が多かった母です。

 その母が亡くなったのは、夜中のことです。
 病院から電話があって、すぐにきて欲しいと言うのです。
 延命処置はどうするかと言うので、母と話し合っていたように、自然に逝かせてあげてくださいと言い、私は病院へと向かったのです。
 すでに、母はこと切れ、いつものベットに横たわっていました。
 
 きっと、私の時も、一人で、そっと逝くものだと思っています。

 人は一人でこの世に出てきて、愛情あふれる幾つもの手に抱かれ、乳を与えられ、成長して行くのです。
 だから、逝く時も、あの世に一人で行くのがふさわしいのです。
 きっと、あの世でも、先に逝った人たちから、あれこれと支えられて、一本の道を進んで行くのだと私は思っているのです。

 先だって、父と母が暮らしていた家に行きました。

 まるきり、そのままの状態で家は残してあります。
 居間にあるテーブルの肘掛のある椅子、座布団が二枚置かれているその椅子に、母が今にもキッチンから出てきて座りそうな雰囲気が漂っています。
 和室の畳の上に新聞を広げて、前のめりになりながら、新聞を覗き込む父の姿も、まだ見てとることができるのです。

 30年も前、東京で暮らす私は、盆と正月に、子供たちを連れて、この家にやってきていたのです。
 電車に乗り、バスに乗り、結構な時間をかけて、この家にやってきたのです。
 さほど広くはない家ですが、兄弟たちとその家族も集まり、たいそう賑やかなひと時を過ごした思い出がこの家にはあるのです。

 つくばに転居してから、私と子供たちは車での移動になりました。
 ですから、すっかり泊まることはなくなったのです。
 でも、甥っ子や姪っ子と近くにある森の中を散歩しては遊んだ思い出が今もくっきりと残っているのです。

 家というのは、木と紙と、幾分の鉄でできた物体ではない、家というのは、その中に人の心のありようを移した場所なのだと。

 もはや、そこには父や母はいなくても、その心があるのだと、強く感じたのです。
 空き家対策、と行政は、冷たい反応が伝わる言葉で言わざるを得ませんが、どの家も、人の心を宿した思いに満ちているのです。
 壁が剥がれても、屋根が傾いても、窓ガラスにヒビが入っていても、その家には心が宿っているのです。

 そう思うと、一介のサラリーマンであった父が退職金を投じて建てたこの家が、とても愛おしく思えたきたのです。
 畳の上に前かがみになって新聞を読む父の姿、座布団を重ねた肘掛のある椅子には母の姿もありませんが、いや、きっと目には見えないけれど、そこにそうしているはずなのだと思うのです。

 でなければ、悲しいではないですか。
 
 でも、やがては朽ちるのです。
 この世にあるものすべてが朽ちる運命にあるのです。
 だから、大切にしなくてはいけないと思うのです。

 飾り棚に、母と父が使っていた携帯電話が置かれてままになっていました。
 すでに契約は切られ、使えるはずもないのですが、なぜか、それを手にして、スイッチを押せば、父も母もでてくるような錯覚を持ってしまうのです。

 しかし、現実には、それらの機器はうんともすんとも言わないのです。
 機械の冷たさを宿し、物体としてそこに置かれているだけなのです。

 近い将来、私の娘たちも、私の建てたつくばの家に来て、私の存在をそんな風に思ってくれるのだろうか。
 いや、もしかしたら、孫たちが……とも思うのですが、そう遠くない将来のことを思うことの浅はかさを、私の脳は即座に感じ取り、私は頭を振ってその思いを振り払うのです。

 だから、私はこうして、この家にたまにやってくるのです。
 そして、思い出とともに家を抱きしめたくなるのです。

 私の父や母が私を抱きしめてくれたようのと、同じように。 




東京人ではなくなったつくばもんの私がいうのもなんですが……

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この夏、水もろくに与えられず、衰えたポットの植物。申し訳ないと思い、幾分は暖かい、窓辺に置きました。秋の暖かい日差しを受け止めて、この冬を乗り切って欲しいと願っているのです。


 小旅行をしました。

 日本橋のたもとから船に乗って、外堀を進みます。
 水道橋辺りで右に折れ、神田川を東に向かい、御茶ノ水を、川面から眺めます。
 そして、船は、やがて、隅田川に出ます。
 橋の上から見る隅田川はさほど大きな川とも思えませんが、船でそこに出ると、波もそこそこあり、その広さに圧倒されるのです。
 雨が降って、寒い日の川遊びではありましたが、東京のありようが発見できたようで、随分といい旅ではありました。

 小さな船旅から戻って来たその日本橋の上で、さらにその上にある首都高速の橋桁がなんだか素晴らしい東京の光景を潰しているようで残念にも思えたことも思い出されます。

 この橋から、西に伸びる道を進めば、わけなく銀座にたどり着きます。
 1丁目から新橋界隈まで、日本一の街並みが続くのです。
 さらに、この道が京都まで続くとなれば、ここはまさに日本一の道の出発点であると思えるのです。
 
 歌川広重の『東海道五拾三次』、「日本橋 朝之景」の図は誰しも一度は目にしているはずです。
 
 重たい荷物を背に大名行列の先頭を行く二人の男は、顔を伏せたまま、荷の重さに耐えて、歩を進めています。
 丸い桶を天秤を使って担いでいる男たちが数人、それに、桶を頭に載せている男も見えます。
 その様子から、彼らはきっとこれから商いに出て行くことが想像できます。
 とすると、この図が描いているのは朝の光景だということになります。

   お江戸日本橋 七つ立ち 初上り 行列揃えて アレワイサノサ

 端唄(はうた)にある、これもまた、誰しもが耳にした歌ではあります。
 ここでいう「ななつだち」とは、夜も明けきらない早朝をさします。
 この時代、人々の活動は、夜も明けきらない頃から始まっていたのです。当然、旅人も薄暗い明け方に家を出て、旅路につくのです。
 芭蕉は、「笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先づ心にかかりて」と旅立つ際のワクワクした心境を後世に残しました。
 膝より指3本分のところにある経穴が「三里」です。ここにお灸をすえることは、この時代、旅人であれば当然の処置であったと言います。
 
 広重の絵をじっくりと見て見ます。

 画面の右下には、二匹の犬が描かれています。
 野良犬でしょうか、いや、江戸の町でそんなことはありません。
 よしんば、飼い犬ではなくても、きっと、江戸の町衆は、犬たちに食べ物を与え、大事にしていたに違いないと思うのです。
 だから、犬がこうして戯れているということは、街自体の安定と安心を証明しているようで、安堵感に満たされます。

 そして、画面の左上には、小さくはありますが、高札がいくつも掲げられています。
 幕府からのお達しが告げられているのでしょう。
 これを見ると、この国がきちんと一定の決まりの中で統治されていたことに誇りさえ持ちます。
 同時に、これを読める庶民が大勢いたことも察知でき、教育レベルの高さにも誇りを感じるのです。字の読めない人が多ければ、このような高札は意味がありませんから、立つこともないはずです。

 その日本橋にかかる高速道路の橋桁が取り外されるというのです。
 なんでも、今の首都高速のルートを、この部分だけ地下に移すというのです。
 その距離は3キロ、工費は5000億円ということです。
 1キロにすると、およそ1700億円。
 1メートルにすると、1億7000万円。
 そんな計算をすると、なんか、勿体無いような気がするのです。

 日本橋が青空の下でお目見えするのだから、そのくらいの金使ったっていいではないかとも思うのですが、はてさて、東京のど真ん中を、渋滞のため「低速」で走る「高速」道路が必要かということです。

 私の暮らすつくばを通る「圏央道」、これは東京を大きく輪っかで結びます。
 もっとも、小さく東京を輪っかで結ぶのが「中央環状線」。そして、その間にあるのが「外環」です。
 これらの通行料金を安くすれば、東京に入らずに、人々は目的地に容易に行けることができるのです。
 そして、老朽化した首都高速は重大事故の起こる前に、廃線にするのです。
 
 東京は、かつての江戸のように、水運を巡らし、公共の交通機関だけにするのです。
 きっと、東京はニューヨークを抜き、ロンドンを抜いて、世界一環境に優れ、人が楽しむ街になるはずです。
 どうしても車でなくてはいけない人たちもいるでしょうから、そういう人たちのために、今、日比谷にある地下駐車場を拡張するするのです。

 首都高がなくなった東京はその姿を一変させるはずです。

 以前、東京都知事の東さんが秋葉原の前を通る道を三車線にしました。
 昭和通りです。
 作られた当時は、そんな広い道など必要ないと随分と批判を受けたそうです。
 でも、その昭和通り、今は、車でごった返しています。
 
 そうした、50年、100年を見通せる知事さんに出てきてもらいたいと思うのです。
 東京人ではなくなったつくばもんの私がいうのもなんですが……。




私の好きなアレはどこにある

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どこの国でも、若者は破天荒です。これはロビーナの集合住宅の一角にあった車の連結装置にはめ込まれた人形の頭。おそらく、連結するキャンピングカーも、あるいは、ボートもまだない青年が購入した車で、連結するものがないならと、少々悪ノリしてつけたものと思います。破天荒と言うのは実に愉快なものです。


 たまにですが、買いたいものがあって、それで自宅近くのにある大型のショッピングセンター「イーアス」に行くことがあります。
 そのついでに、そこに入っているスーパーに寄って、新鮮な食材などを買うのです。
 基本的に、このようなショッピングセンターなどで買い物をすることがあまり好きではないのですが、海外に行くと、一番好きな場所が、こういうところなのです。

 私の場合、教員時代からそうなのですが、海外を旅行するというのではなく、海外で生活するというパターンが多く、名所旧跡を訪ねるよりは、庶民の暮らしぶりや当地の人々のありように関心がありますから、もっともなことです。

 ジャカルタでは、駐車場に入るときに、車の下まで、金属探知機のようなもので検査されたことと、日本で見るのと同じくらいの、失礼ながら、凄いショッピングセンターがここにあるんだと二重の驚きを感じたものです。
 前者はイスラム過激派からの安全対策、後者は私の一方的な固定観念からの失礼な振る舞いではありました。

 タイのホアヒンや、カンボジアのシェムリアプでは、ジャカルタとはうって変わって、昔ながらの「市」の雰囲気を残すマーケットが印象に残っています。

 ホアヒンの海岸沿いに出るマーケットでは、あのタイのカレーや海老せんべいが売られていました。
 多少の衛生環境は無視して、食しますと、これが本当に美味しいのです。

 目の前で、さまざまなハーブやニンニクがミキサーにかけられます。
 それにココナッツミルクを注いで、これでカレーの素は完成です。
 
 チキンのやつを注文すると、フライパンにチキンが入り、そこにあのカレーの素が注ぎ込まれます。
 いとも簡単な作業であのタイカレーが完成するのです。
 高級ホテルのレストランの食事は確かに美味しいものですが、そのような贅を尽くした美味しさではなく、素朴で、庶民が毎日食べて飽きない当地の美味しさなのです。
 毎日食べる食べ物は、手間暇をかけられません。
 ですから、作り方も簡単なのです。

 シェムリアプでは、オールドマーケットのあのなんとも言えない匂いが印象に残っています。
 鳥や豚の血の匂い、川魚の腐りつつある匂い、それに、初めて見るさまざまな香辛料の匂いが一緒くたになった独特の匂いでむせ返るのです。
 このむせ返るような匂いもまたカンボジア人の生活の匂いなのです。
 そこに、私は異国に来ているという実感を得て、だから、マーケットなどのショッピングセンターが好きなのだと思うのです。

 先だって、過ごしていたロビーナでは、東南アジアで体験するような刺激的な匂いを嗅ぐことはできませんでした。
 そこにあるのは、日本でも良く見かけるケバブの匂いであり、イタリアから移民して来た人が作るピッザのチーズの匂いであり、日本の若者がオーストラリアにやって来て作るあの焼きそばのソースの匂いであったのです。

 ロビーナの「イーアス」の5倍はあるようなショッピングセンターにも良く出かけました。
 娘に頼まれたものを買いに行くのです。
 肉は塊で、日本のように細かな部位はありません。魚の量は少ないですが、サーモンとタイは日本並みに、そして、海老もまた同じようにたくさん積まれています。
 ショッピングセンターのフードコーナーに行けば、オーストラリア流の寿司が人気を博しています。
 広いショッピングセンターをめぐる買い物で小腹の空いた私にはアボガド巻きは最高のおやつになります。

 でも、と、私は思うのです。

 これだけ日本食が受け入れられ、あちらこちらに寿司店があり、焼きそば店があるのに、私の好きなあれがどこにもないのです。
 ロビーナばかりではありません。
 これまで出かけたアジアの一角にもそれはなかったのです。

 子供の頃、母親から30円ばかりをもらい、走っていける角の肉屋さんにお昼のおかずの「コロッケ」を買いに、よくいかされました。

 学校の帰り、その肉屋さんで「コロッケ」を仕込んでいるのを小一時間見ていた時もあります。
 ジャガイモを茹でて、大きなボールに入れて、それを潰し、牛と豚の肉を挽いてそれに混ぜ、厚さ1センチほどの板状にして行くのです。広げたそれに楕円形をした金具で、無駄のないように切り取って行きます。その手際の良さ、速さにひとしきり関心を払います。
 そして、切り取られ残った生地をまた丸めて、板にして、また切り取っていきます。
 最後は、おじさんの手で、いくつかのコロッケの元が作られて、1グラムの無駄もなく、コロッケの素は作られ、バットに入れられて、冷蔵庫にしまわれるのです。

 この料理、伝統的な日本料理とは明らかに異なります。

 第一、ジャガイモなどはそんなに古い食材ではないはずです。
 サツマイモが日本人を飢餓から救ったという話は多々聞きますが、じゃがいもにはそのような話はあまり聞きません。

 ずぶんと前のことになりますが、シドニーでの思い出があります。

 家族4人でサーキュラーキー近くのオイスターバーに入った時のことです。
 私の英語がうまく通じず、家族4人、それぞれの大きな皿に小さな生牡蠣が一個という有様で、まだ幼なかった娘たちにも、びっくりさせてしまいました。
 もちろん、ウエイターを呼んで、今度は、生牡蠣を1ダース、ラムステーキに海老料理と頼んで、大いに満足したのですが、家族で芋ねーちゃんと呼ばれていた長女でさえも、出されたフライドポテトの量の多さに困惑するという美味しく苦い思い出です。

 そのくらい、ポテトといえば、欧米の食べ物あり、かの地では主食扱いの作物ではあります。
 日本ではサツマイモが飢えを救いましたが、欧米ではジャガイモが飢えを救ったのです。

 そのジャガイモ料理であるコロッケを海外では一度も見たことがないのです。

 見たことがないということは作っていないということであり、当然、食べていないということになります。
 つまり、コロッケなる料理はすでに日本独特の食べ物になっているということです。

 このポテトコロッケ、自宅で作るという人は意外に少ないようです。
 ジャガイモをつぶして、ポテトサラダにする家庭は多いようですが、それを小判型にして、パン粉をつけて、油で揚げる家庭は少ないようです。

 きっと、肉屋さんで、美味しいラードで揚げられたコロッケの方が美味しいからだと思います。それに、昔から肉屋さんのコロッケには秘密があるのです。

 小一時間、肉屋さんの店先でコロッケ作りを見させてもらっていた私には確かな一つの記憶があるのです。
 それは肉屋のおじさんが、つぶしたジャガイモに砂糖を入れていたことです。
 この砂糖がコロッケをしっとりとさせ、冷めても、いや、冷めた方が美味しくなる大元にあるのです。

 コロッケは、熱々でも、ちょっと冷めたものでも、指先でつまんで頬張るのが一番美味しい食べ物です。
 今度、ロビーナに行く時、ケンジントン・ストリートの皆さんに手作りのコロッケで、ご馳走しようかと思っているのです。

 これが、日本の何を隠そう庶民の美味しい食べ物ですと。




Facebookが面白くない

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嵐の朝、玄関に新聞を取りに出ました。さすがの新聞もこの日は遅れるようです。いつもの場所に、新聞はありませんでした。ちょっと先にある信号が赤になりました。その光が雨模様の空気に反射して、赤と青の色彩を作っていました。



 このところ、Facebookが面白くない、と思っているのです。

 別に、ザッカーバーグに不平や不満があるわけではないのです。
 彼が、ちょっとしたアイデアを、大学だけに限らずに、世界的な規模にまで拡大し、大金持ちになっていることにやっかみを持っているわけでもないのです。

 それは、彼の特異な才能であり、そう運命付けられた星のもとに、彼がいるからであって、取り立て、文句をいう筋合いではないことはわかっているのです。

 しかし、このところ、明らかに、Facebookが面白くないのです。

 新しい事というのは、それまでなかったことを生み出すということです。
 あるいは、もっと、的確にいうならば、それまであったものを駆逐して、それに取って代わるということでもあります。

 Facebookなるものは、それ以前に同じようなものがなかったわけですから、天才によって、新たに生み出された画期的なシステムといってもいいものなのです。

 自分の写真や経歴を出して、そのことで音沙汰のなくなった友人と出会えたり、それまではまったく知り合うことの不可能なシチュエーションを作り出してくれることで、別世界の人と交流ができることで、Facebookは画期的であったのです。
 私自身も自分の描く絵を介在して多くに人と知り合いになれました。

 でも、やはり、Facebookは面白くなくなったのです。

 何も、Facebookばかりではないのです。
 あの1995年以降、Windows95が出てきて以降、今に至るまで、私の生活を便利にし、潤してくれたさまざまものに分岐点が来ているような感じを、私は密かに受けているのです。

 いや、世界が、大きな変化を、目に見える形で、し始めた可能性を感じているのです。
 
 ローマ帝国が勢力を失い、この世界から消えていくときの、あるいは、ナポレオンのフランスが破竹の勢いを失い、混乱をきたしていくあのときの、そして、馬や牛などを使っていた時代から蒸気機関という比較にならない力を得た人類のあの時代のように、世界が変化を迎えている可能性を感じ取るのです。

 GDPで国の価値を計る時代も、会社組織の大きさで人生の安泰を予測する時代も、そして、卒業した大学の価値だけで人を判断する時代も、どうやらそのありように変貌を遂げているきざしを見て取ることができるのです。

 ソ連が崩壊し、対していたアメリカの一強の時代も、どうやらこのまま行けば終末を迎えそうな雰囲気です。

 今、アメリカは、憂うべき環境変動を偽りと断じ、石炭を大量に使う20世紀に逆戻りしています。
 何より、独りよがりで了見の狭い、大金持ちで鼻持ちならない大統領ではどうにもなりません。
 私の暮らすつくばでさえ、環境変動を感じ取れるのに、それを偽りだとするアメリカに、どの世界の、一体誰が、信を置くでしょうか。
 
 変化の時代には、変化に対する反抗も必然的に起きます。

 産業革命の折に、イギリスの労働者たちは自分たちの職を奪った機械を打ち壊しました。
 必然的な時代の流れとしての前進に、それを理解できない人々の抵抗はもちろんあるのです。

 今、日本ばかりではありません、世界で、店舗が消滅し、人は職場を奪われています。
 きっと、いま盛況を誇っている産業も安泰でいることはできないでしょう。
 化石燃料で動く車や飛行機は時を経ず衰退をしていく運命にあります。
 電気で動く車や飛行機がこの地球上に残るのです。

 そして、一家に一台なんて馬鹿げたキャッチュコピーも20世紀の懐かしいコピーとして歴史的遺物になるのです。

 なんでもシェアーの時代が始まりつつあるのです。
 渋滞もなく、事故も大幅に減ります。
 何よりも、負担が軽減されます。

 それが、これからの人類が選択する道なのです。

 「自分の」「自分だけの」という価値観を、近い将来、人類は捨て去るのです。
 それを察知する現代の人間は、19世紀の人のように時代の前進に対して、ロボットや100兆個を超えるという、張り巡らされたセンサーの破壊をすることはありません。
 それらが、自分たちを支え、必要と感じ取っているからです。

 人はきっと、シェアーされら4つの小さなドローンをつけた乗り物で空を飛び回り、体に埋め込まれたセンサーでビックデータにアクセスし、自らの行動を判断し、必要なものを店で買うのではなく、家庭用3Dメーカーで、いとも簡単に、自分で作り出す時代を生きるのです。

 アメリカに取って代わろうとした中国の野心は、時代の流れを与することができずに、アメリカ同様に停滞の憂き目にあうことでしょう。
 中国によってなされた多大の投資は、投資された地域に投資に倍する債務として残され、安直に作られたインフラは破綻をきたし、思想が優先した体制は自壊を始めていくのです。

 つまり、時代は、中央集権を拒み、集約的ではない活動を望んでいたのです。
 当然、そんな時代に、特定の人物を崇め奉る政治体制は意味をなくしています。
 もちろん、ネットを規制し、体制の維持を図る政策も意味をなくしています。

 エネルギーは、膨大な金額を必要とする原発ではなく、安価な自然エネルギーで、それも、各家庭で必要に応じて作ることができるようになっていくのです。

 Facebookが面白くないと感じたのは、きっと、そんなちょっと先の未来を頭に描いたからなのです。





なんと浪漫チックなのだろう!

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筑波のお山も厚い雲で覆われてしまっています。台風がこちらに向かって進んでいるようです。つくばは雨はさほどではありませんが、南風が激しく吹き付けるこの朝ではあります。


 ロビーナで暮らしていた、ある日の晩のことでした。

 ケンジントン・ストリートに暮らすアラン夫妻のご招待を受けて、近くのパブで行われた誕生日コンサートに出かけました。
 滅多に、夜、歩いて出かけることなど、つくばでも、ロビーナでもありませんから、何だか気分がそわそわしていたのを覚えています。

 ロビーナの住宅街の芝生の道を歩いて、そして、公園を抜けて、その角にあるバジルという名のパブに向かっているのです。
 柔らかな電燈の橙色の明かりが適度に足元を照らし、そして、空には満天に星が瞬いていました。

 何気なく、見上げた空には、北半球とは異なる配置で星が瞬いていました。
 iPhoneを出し、アプリの<Ster Walk2>を開きます。
 それを空に向けると、星の瞬きが、星座として、iPhone画面に認識されるのです。
 わぁ、すごいと思いながら、10分もかからないでいけるパブに、30分ほども費やしてしまったのです。

 今年のノーベル物理学賞の受賞内容を読みましたが、随分と、壮大かつ浪漫チックなものでありました。

 ことの発端は、何と1億3千年前にも遡ります。
 宇宙の一角で、二つのブラックホール、つまり、中性子星が合体したのです。
 その際、太陽の3倍に及ぶ質量を持つエネジーが発せられ、光の速さで伝わる時空の歪みを生み出します。

 それこそが、「重力波」というものです。

 これは、100年も前に、アインシュタインが予言した理屈なのです。
 「重力波とは、質量を持つ物体が動いた際に生じる、時間や空間のゆがみ、それが波のように伝わる現象」というものです。
 で、今回は、その重力波を観測し得たことに対しての受賞だというのです。
 
 観測されたのは、昨年の夏のことです。
 アメリカにある観測施設LIGOで最初に、そして、イタリアにあるVirgoという施設でも、この重力波が観測されたのです。
 直ちに、世界各国の天文台に通知され、世界規模での観測が始まりました。
 
 日本では、ハワイ島に設置されている「すばる望遠鏡」で観測が始まりました。
 そして、指示された方向に、中性子星の合体時にでた「光」を認めたというのです。

 この「光」の観測もまた、世界初という快挙であったと言います。

 現在、日本は、岐阜県の飛騨市に重力波を専門に観察する望遠鏡「KAGRA」を建設しています。
 それが完成すれば、重力波及び衝突で発生した光を観測する精度が、1桁上昇することとなります。
 これにより、重力波だけではわかりにくい、中性子星の位置関係やブラックホールそのものの状態がわかるようになるというのです。

 ブラックホール、つまり、中性子星というのは、超高密度の天体が爆発した時の残骸をさします。
 直径20キロメートルほどの残骸でも、重さは太陽と同じだというのですから、「超高密度」というのです。
 それが爆発することで、私たちが希少価値と位置づける金や白金が作られたとも考えられています。
 
 金や白金が宇宙の果てしない彼方の爆発で作られているというもの浪漫チックではありますが、さらに、浪漫チックであるのは、1億3千年も前の爆発時の衝撃を、波として捉え、それを観測するということです。

 人間というのは、そんなこともできるのだと感心するやら、研究に従事している方々の頭の出来の良さにも感服するのです。
 
 この9月15日にも、浪漫チックな出来事が銀河系の彼方で起こりました。
 それは、何だか、涙が出てくるような浪漫チックな出来事ではありました。
 
 1997年秋、無人探査機カッシーニが35億キロの彼方の土星に向けて打ち上げられたのです。
 土星に至るまで7年を要し、周回軌道に乗ってからは13年の長きにわたり、さまざまのミッションをこなし、この9月15日に「退役」をしたのです。

 「退役」とは、土星の大気圏、ガスが充満した中に落ちていき、その存在を消し去ることを意味します。

 きっと、カッシーニは、地球の10倍はある土星の強力な圧力に押しつぶされ、そして、未知のガスにまみれ、火を吹いて燃え尽きたはずです。
 機械とはいえ、人類のために自らを犠牲にして、多数のデータを送ってくれたカッシーニに、私は「情」さえも感じてしまうのです。
 
 何と、浪漫チックな話ではないですか。

 人工衛星だと偽ってミサイルを発射する国に、この浪漫チックな話を伝えたいものです。
 果てしない宇宙空間は、地球人類が一致協力して、新しい空間を人類のために作り上げるための場であるということをです。

 それにしても、星空というのは、太古から今に至るまで、私たち人類の夢を育んできた場所であると言えます。
 まさに、浪漫チックな場所なのです。





ネット遊撃戦を展開せよ

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ゴールドコーストにあるカジノに通じるエレベーターです。大きなパチンコ屋さんがそこにあるのです。ただし、音はありません。警備員は私の姿を見るなり、通過を許してくれました。あとの人たちは身分証明書とか、提示を求められていたのに、そんなに金持ちに見えたのかしらと、それとも、こいつはカモだと思ったのか、それはわかりません。しかし、どう遊んだらいいのか、一向に分からず、カジノを出て来たのです。


 よくもまぁ、こう毎日、降る雨です。今朝も、窓の向こうから雨音が聞こえて来ます。

 午後の仕事の前に、ちょっと裏道あたりを散歩といきたいのですが、雨に濡れるのも嫌で、部屋の窓から恨めしそうに外を眺めています。
 それに、寒い日もあります。
 セーターを引っ張り出してきて、そんな日は暖かくしているのです。

 そんな時でした、私のMacBook Proが一通のメールを受信しました。

 「立憲民主、共産、自民に迫る勢い」という表題が映し出されています。
 一体何事が起こったのかと字面のありように驚きました。
 しかし、冷静さを取り戻し、気になったメールを開けてみますと、送ってきたのは、購読契約をしている大手の新聞社からのもので、フェイクニュースを流すはずもなく、何と表題の下にカッコ書きで、「ツイッターで」とあるではないですか。

 ツイッターで呟かれた言葉の中にある政党名から、かの政党が第2位の共産の20万件に迫る勢いであるということを示しているというものでした。

 記事の中にある折れ線グラフを見てますと、解散時、一挙に他党を引き離して突出し、日を追うごとに下降の一途を辿る党がありました。
 「排除・選別」をしたあの党です。
 言わずもがなのありようです。
 日本人が最も嫌うあり方をしてしまったのですから致し方ありません。

 さて、ネットを使っての選挙運動が解禁されたのは、確か、2013年のことでした。

 ホームページやブログ、SNSを使って、ある程度の制限はありますが、選挙運動が認められました。広く国民の政治参加を促すということだったかと思います。
 私が購読契約している新聞の候補者一覧でも、候補者のネットでの発信状況が記号で示されていました。
 有権者としては、候補者一人一人が、ホームページやSNSのアドレスくらいは持っていておかしくないとは思いますが、お年を召された候補者、とりわけ、共産党の候補者の方々には、ネット構築が何もされていないという方が多かったようです。
 年齢以外に、何か理由でもあるのでしょうか。

 さて、そのネットでのありようが選挙にどう結びつくのかはわかりません。

 まだまだ、ネットで候補者を選択する環境にはないと思うからです。
 もし、この環境が整えば、シルバー民主主義って言いましたか、それは必然的に解消され、ネット環境を有する若い世代の影響が大になることは間違いのないことだと私は思うのです。
 しかし、マスコミの方々からすれば、そうも言えないというのが大方の見方です。
 つまり、若い世代はネット環境があっても、せいぜい、見るのは、候補者の経歴ぐらいで、そこに示されている公約とか、細かい数字など見ないというのです。
 では、老人たちが、新聞やポストに放り込まれた政党の公約を見ているかと言えば、そうでもないと私は思っているのです。

 選挙民にとって、候補者を選ぶ際には、政党だとか、あるいは、人物だとか、つまり、好悪の感覚が一番なのではないでしょうか。
 中には、一票を入れる際に、この人なら、当選しそうだという人に入れるという人もいます。当選しない人に入れる一票は無駄遣いだからというのがその理由です。
 それがいいのか悪いのかは簡単には言えません。
 その理由にも、合理的な理由があると思うからです。
 いや、むしろ、この一票の無駄遣いというのは正当な理由の部類に入るのではないかとも思うのです。

 ネットが選挙に影響を与えると言えば、実のところ、いい話ばかりではありません。
 先のアメリカ大統領選挙では、ロシアの介在が伝えられています。
 ネットを通して、膨大な広告や記事を配信し、一千万人の有権者に影響を与えたというのですから、ただ事ではありません。

 欧州でポピュリズムなる悪しき風潮が拡散したのは、ネットをうまく使い、目の前の問題に対する危機感を煽ったからだとも言われています。
 ネットで、移民は悪いやつばかりだ、移民の中にはテロリストが潜んでいるなどと、確たる証拠もないのに、人を煽るのです。それにより、人はそうだと思い込んでしまうのです。

 どこの国の政治家も、民意だとか、国民の想いなどという言葉を使います。

 彼らのいう民意とか国民の意思というのは、自分たちと志を同じくするものたちのそれであって、国民あまねく全体を指してはいないことは明らかです。
 そうした中にあって、ネットというのは、あまねく国民が何を考え、どういう方向へと行くことを求めているのかを知る上で、極めて有効なツールではあるのです。

 ですから、ネットをもっとたくさんの人が使い、意見を公開することで、「民意」とか「国民の意思」はより正確に把握が可能になるのです。

 さらに、それをよく存知した政治家であれば、ネットでの意見を拾い上げ、行政と掛け合って、それを実現し、さらにネットでその成果を取り上げていけば、ますます支援者は増えて行くはずです。
 つまり、ネットが持つ双方向の、躍動的な、時宜をえた政治が可能になるのです。

 そんなことを考えて、日本の政治が良い方向に進んで欲しいと願っているのですが、お隣の国では、そのネットが不自然な形で、大幅に制限されているということです。

 もっとも、共産党一党独裁ですから、民意も人民の意志も関係はありません。

 唯一、共産党だけが正当であり、すべての国家活動を指導し、人民を導いて行くのです。
 ですから、ネットなどを使って、十三億の民がそれぞれの見解を述べ出したら、それこそ収拾がつかなくなってしまい、それが国家分断、ひいては、かつてのように、中国は再び、混乱の大地になってしまうというのです。

 しかし、今回の党大会のまとめを読んでみますと、そちらはそちらで勝手におやんなさいと行っているわけには行きそうもないようなのです。

 何せ、社会主義現代化強国となり、トップレベルの総合国力と国際的影響力を有する国になり、中華民族は世界の諸民族の中でそびえ立つと謳っているのですから。
 アメリカに匹敵する軍事力、つまり、空母機動艦隊を編成し太平洋に打って出るのです。
 また、一方、辺境の安全保障を確立した上でユーラシア大陸を一手にその手中に入れるというのです。

 人類が未だなし得ていない大陸国家と海洋国家の二つの側面を一挙に手に入れるというのです。
 マハンの理論など屁にも思わない傲慢ぶりなのですから。 

 夢は大きい方がいいには越したことがありませんが、これでは、ちょっと、心配です。

 そこには、民意も、人民の意志も一切お構い無し、あるのは、党と指導者しかいないからです。
 アメリカでも、とんでもない指導者が出ていますが、それには任期があります。
 しかし、一党独裁であれば、いかようにも変えることができます。

 そこが怖いのです。

 「党」のために、自分だけの国ではなく、周辺諸国さえも、「党」の正当性を口実に指図されるのは真っ平御免です。
 彼らが、ネットを目の敵にして弾圧をしてくるのなら、こちらは、ネットを使って、徹底抗戦、遊撃戦を展開するほかありません。

 彼の国の建国の父と言われている毛沢東が編み出した『遊撃戦論』を今度はこちらが活用するのです。

 ネットの奥底から意見を発信し、まっとうな国になるよう風向きを変えて行くのです。
 そんな風にちょこっと思ったのです。





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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《8 / 18 💦 Sunday 》
 
🦅 昨日、<カクヨム>にて『まぼろしのフランクフルト中央駅』を発信しました。

 縦横無尽に 

 意識の中を駆け巡るのは 
 人の持つ感性なるもの



この世に、二つの世界があり。
それは、現実世界と仮想世界。

かつては、そんなバカなと思える仮想の世界が、詩になり、絵になり、物語になって、現実世界で堪能されていました。
今、 AIがその仮想世界を現実世界に組み込み、私たちはその境目さえも不明の中で、仮想世界で遊ぶことができるのです。

なんともややこしい時代になったものです。

しかし、仮想の世界、昔から、人間の中にある何かのスイッチに刺激を与えてきました。
想像というスイッチ、さらに進んで、創造というスイッチにも、時には、幻想に、あるいは空想のスイッチとなり、私たちを楽しませてくれたりもしているのです。

フランクフルトの革ジャン男も、我が庭の山法師の木も、そして、日本語の二人称も、すべて、私にとって、現実世界と仮想世界を行き来する契機となったものたちなのです。

下のリンク欄、一番上の<カクヨム>をクリックしてください。


【nkgwhiroの活動】

💝 <Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。 

                                            💝 <Amazon・Kindle>で書籍の販売を行なっています。 ただいま、『一日千秋ーある日ちあきと』を販売しています。値段は3ドル換算日本円になります。
 

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