年、惜しむ

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白昼の月もまた乙なものです。



 ご結婚をされたり、
 お子を授かったり、
 大仕事を成し遂げた人は、
  良き年の終わりを迎えられ、感慨もひとしおであろうかと思います。

  できることなら、今しばらくは、
  この素晴らしき年の余韻に浸っていたいと思われているのではないでしょうか。

 また一方、
 今年もさして変わりばえのない一年であったという方々、
 近親者を亡くし辛い思いをした方々、
 思わぬことで仕事を辞められた方々、
 添い遂げようと思って結ばれたのに縁を切らねばならなくなった方々などなども
 おられると思います。

  等しく
  「忘年に際し心うれひに変りけり」のご心境であるとお察し申し上げます。

 いずれの方々も、
 押し迫った今日の日、
 このひととせを振り返り、
 かけがえなのないこの年を惜しんでいただければと念願しております。

 この一年、ありがとうございました。
 また来年、と言っても明日ですが、お会いしましょう。

 みなさま、良いお年を!




つごもりの日に、もそっと、目を見開き、人類の歴史を観た

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村の衆が丁寧にお世話している。こんな素晴らしい街でも、つくばはあるんだと嬉しくなります。そっと手を合わせ、感謝を伝えます。


 2017年もいよいよ押し詰まって来ました。

 今日は<つごもり>です。
 <つごもり>とは、「月籠り」を語源とする大和言葉です。
 ちなみに、「月立ち」を語源とするのが<ついたち>です。
 旧暦では、月の光が見えなくなるのが月の終わり、月が姿を表すのが月の初めになりますから、そういう言葉が生まれたわけです。
 
 押し詰まった今日の日、もそっと、目を見開き、人類の歴史について考えてみるのも一興かと思いました。

 私たち人間、いや、人類は、幾多の文明を繁栄させ、そして、衰退、滅亡という局面を作り出して来ました。
 民族の攻防も数え切れないほどあります。
 かつて勢力を誇った民族が、今は、それが嘘のように静かに日々の暮らしに臨んでいるのを見ますと、あの一斉を風靡した勇者の姿は一体どこに置いて来たのかと不思議に思うのです。

 勢力図も逆転に次ぐ逆転、どんでん返しの様相を私たちに見せてくれます。
 それはまるで、お月さまのように、満ち欠けを繰り返して行くのです。

 私たちの世代、そして、子や孫の世代を見てみますと、ありがたいことに、今の所、戦争のない時代を過ごすことができています。

 私など、戦争を知らない世代そのものです。
 もはや、兵士になって、戦場に出ることもない歳になってしまっていますから、おそらく、人類史の中で、戦争を体験しない特筆すべき世代にあることは間違いのないことだと思っているのです。

 鉄砲を撃ったこともないし、鋭利な刀で何かを斬ったこともないのです。
 人として、人を傷つけることなくあったことは、誇るべきことであるとも思っています。
 
 もそっと、大きな観点から見てみますと、勢力の逆転現象に目が行きます。

 あと、20年もすれば、いや、アメリカのありようによっては、10年になるかもしれません。
 私たちは、かつて、ギリシャがローマに移行したように、大英帝国がイスパニヤやオランダにとって代わり、そして、その地位をアメリカに渡したように、中国とインドが世界を支配をする時代を迎えようとしているのです。

 両国とも、何故、次代の支配者たらんとしているのかと言いますと、その国民の数です。
 膨大な数の国民は、経済を活性化させ、国を経営していく土台になるのです。

 そして、この二つの国には大きな共通点があります。

 それは、かつて古代文明を存在していた国であるということです。
 黄河文明とインダス文明が、21世紀の今、様相を異にしてまみえるのです。

 この二つの国が今再び世界を支配する大国になれば、人類史上初めて、古代文明を誇った国が、再び世界史にその名を刻むということになります。
 これは世界史的に画期的な出来事になります。
 つまり、これは「逆転」ではなく、壮大な歴史の「復活」となるのです。

 様相を異にしてと述べたように、この二つの国には大きな違いあります。
 一方は、共産党の独裁、他方は、民主主義を敷いている国であるということです。
 つまり、世界は共産主義につくのか、民主主義につくのかという二者択一となるのです。

 きっと、その過程には激しい戦いがあることでしょう。
 武器を交えて戦うこともあるかもしれません。
 世界が異なった主義の生き残りをかけて熾烈な戦いを演じるのです。
 
 中国全土に張り巡らされた情報網、最新の技術による国家管理、それに対抗しうる数学的技術を誇るインド、この二つの高度な技術が、新たに復活した二つの文明の基盤となるのです。

 世界史は、人類史上、今までなかった高度な技術革新をへて獲得した未来社会における戦いと繁栄を記録します。

 思えば、人類がこの地球上に現れて、何万年になるのでしょうか。
 いろいろな考えがあるかと思いますが、おおよそは、600万年くらいだというのが今のところのおおよその考え方です。
 その気の遠くなるような歴史の中で、人類が道具や文字を持つようになったのは、わずか一万年ほど前のことです。
 インドや中国での文明の開花は、五千年前のことに過ぎません。

 人類は、気の遠くなるような長い期間、大した技術がなくても、営々とヒトとしての営みを続けて来ていることに気づかされるのです。
 ですから、今、高度な技術を持った文明大国が、まさか、人類が滅びるようなことをしでかすとは思えないのです。
 それとも、月の満ち欠けのように、再び、この二つの国は、文明の滅びを世界史に刻むのでしょうか。

 今日のつごもりの日、もそっと、目を見開き、人類の歴史を観て来ました。

 来るべき年に、世界が安定し、人類が獲得して来た自由なるありようを守って行かなければならないと、一人、そっと、思うのです。




いのちの循環

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雲の多い日の、幾分憂鬱な日の暮れ方、それでも、天気は回復し、窓から見える光景に真っ赤な光が差し込んで来ました。思わず、西の方に目をやると、雲が切れて、こんな素晴らしい光景が見えました。


 <I'll See You In My Dreams>という曲があります。

 ジョージ・ハリスンが亡くなり、彼の音楽仲間たちが集まって、ロンドンでコンサートを開催しました。その時の模様を録画した<Concert For George>というDVDに、その曲が収められています。

 この曲は、コンサートの最後に演奏された曲でした。
 私は、Joe Brownが歌ったこの曲を、非常に印象深く聞いたのです。
 なにせ、ラジオを除けば、ビートルズの曲しか聞かない私ですから、そのほかの音楽については全く疎いのです。ですから、その曲を聴いたのは、それが初めてであったのです。

 <I'll See You In My Dreams>という曲は、亡くなった人を偲ぶ歌のようです。
 しかし、暗いイメージは感じられません。
 何か、弾むような曲に、私には感じられたのです。

 だから、人が亡くなるということは、悲しいことではあるけれど、それは避けられないもの、受け留めていかなければならないもの、だったら、悲しんでばかりいないで、何とか会える算段でも考えていこう、そうだ、夢の中で会おう、そんな歌のように思ったのです。
 
 いつだったか、新聞のコラムで、『葉っぱのフレッド』という話があることを知りました。

 調べてみると、<The Fall of Freddie the Leaf(葉っぱのフレディ)>という絵本であることがわかりました。
 レオ・バスカーリアという人が書いた物語です。

 で、内容はいうと、葉っぱのフレディの一生を綴った作品で、命について考えさせるものでした。

 とある丘の上。
 そこには大きな樹がたくさん植えられていました。
 春、気温も上がり、それぞれの樹の枝からは瑞々しい若葉が芽吹いて来ました。

 若葉は、暖かい、明るい陽射しを浴びて、すくすくと育っていきました。

 鳥たちも遊びに来て、賑やかです。
 穏やかな風が吹けば、皆、さわさわとおしゃべりをするのです。
 月日が経つと、葉の緑はますます濃くなります。

 葉っぱのフレディは、友達のダニエルと大きなその樹の枝で生きている葉っぱです。

 夏になると、たくさんの仲間たちが作る木陰にいろいろな人々が集まって来ます。
 暑さをしのぐためです。

 その暑さが過ぎると、幾分、風も冷たくなり、太陽の光も弱くなりました。
 秋になったのです。
 すると、それまで緑の濃かった葉っぱが、茶色になり、オレンジになり、黄色となっていったのです。

 フレッドは、自分の変化にも気づきました。体も幾分こわばって来たようです。
 変だなと思います。

 そして、木枯らしが吹く冬となりました。

 今まで、仲良く話していた仲間の葉っぱが一枚、一枚と、枝から離れて、落ちていきました。
 「死」です。

 フレディは、友達のダニエルに、「僕たちはどうなるの」と尋ねます。
 ダニエルは、「こればかりは、どうにもならないのさ。」と言います。

 <いつかは死ぬのさ。でも「いのち」は永遠に生きるんだよ。>と言って、彼もまた枝から落ちて行くのです。

 この木の最後の葉っぱとなったフレディは、<自分は生まれて来てよかったのか>と考えます。
 そして、フレディもついに枝から離れ、地面に落ちて行くのです。

 そんなお話でした。
 
 子供向けの本にしては、重たい内容を綴っている作品です。
 でも、避けて通れることのできない<いのちの循環>を考えさせるには、素晴らしい作品であると思うのです。

 いつかは死ぬ。
 しかし、いのちは永遠だとする考え方から、きっと、子供たちは何かを考えるはずです。
 それが未熟な考えであっても、あるいは、そこまで考えが至らなくても、いのちについて考える機会を与えることは大切なことです。

 私たちは、何万年もの間、このフレディと同じことを問い、いのちを継いで来ているのです。

 「死」は避け得ないもの、だったら、その真理を知り、受け留めていこうではないか。
 遺された者は、「夢」の中で、あの人に会おうではないか。

 2017年の年の暮れに、なんか、とてもいい話のあることを教えてもらい、そして、いい歌に巡り合ったと私は思っているのです。
 それは、悲しく、辛いことではあるのですが、なんだか、こころがウキウキする感じを受けるのです。




Slaughterbots はアトムでも鉄人28号でもエイトマンでもないのか

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散歩に出る時間があまりに早くて、朝日を見ることもないのですが、たまに、遅く出ると、このような東の空を見ることができます。神々しいというか、何か、神秘を感じ取ることができるのです。思わず、手を合わせてしまいます。

 この季節、どうしても大掃除をしなくては気が済みません。

 家具の上にうっすらと乗った埃をそのままにして、新しい年を迎えるのは<罪悪のように思える>からです。
 漱石先生の『こゝろ』のような書きっぷりでありますが、実は、そう思うのは、柳田國男の『木綿以前のこと』という小作品の影響が大なのです。
 
 曰く、木綿は、日本人の生活に画期的な変革をもたらしたが欠点もあった、それが埃を多くし、挙句に、紡績工場に勤めに入った女たちは三戸に一戸は肺を患って戻ってくる、などという文言が私を大掃除にせっついているのです。
 
 もちろん、普段でも、「埃をさっとひと吹き」できるという化学繊維でできた箒で掃除はしています。でも、この季節は、きつく絞った雑巾で家中を拭き清めるのです。
 <拭く>ことで<福>が来るなどという迷信を後生大事にして、取り組むのです。

 その掃除の折、孫が落としていったプラスチックでできた小さなロボットが本棚と本棚の隙間にあったのを見つけました。
 大掃除の折には、往々にして、このようなことで掃除が中断をしてしまいます。
 もはや、私にはその名も、どのような活躍をするのかもわからない形をしたロボットです。でも、確かにわかるのは、その表情、ありようから、これが人間を守り、人間のために活動する正義の味方であるということです。

 私が小さかった頃には、アトムがいて、鉄人28号がいて、エイトマンがいました。
 いずれも人間に味方し、人間を襲う悪者たちから守ってくれた正義の味方でした。だから、ロボットは人間に奉仕する優れた機械、いや、人間に寄り添う心を持った仲間だとする気持ちが強くあるのです。
 この気持ちは、私たちの世代も、孫の世代もなんら変わりがないものだと、この足の長い、格好いいマスクをしたロボットを見て、私は思ったのです。

 同時に、一ヶ月ぐらい前のCNNの載った記事も思い出しました。
 <Slaughterbots>、つまり、「超小型ドローン」が人を襲うという記事です。この記事の元になった7分ほどのフィルムも見ていたのです。

 ある企業の幹部が、新製品を観衆に向かって発表しています。まるで、アップルCEOが行う新製品発表のようです。
 新製品は、手のひらに乗るくらいの<Slaughterbots>です。
 幹部は言います。
 この<Slaughterbots>には、顔認証装置が組み込まれ、AIで自律飛行、目的を達成しますと誇らしげにいい、手のひらの<Slaughterbots>を会場に放つのです。
 すると、この<Slaughterbots>、会場を小気味好いプロペラ音を立てて飛び回り、次に、舞台の袖に置かれたマネキンの額にやおら衝突し、爆発するのです、いや、銃弾を打ち込んだのかもしれません。

 この<Slaughterbots>には、人を殺す武器も組み込まれていたのです。

 おいおい、待てよと私は、このビデオを見て思いました。
 ロボットというのは、人のために働き、人と心を通わせ、私たちの英雄になるものだぞ、それがなぜ人を襲うためにあるのだと困惑してしまったのです。

 映像では、<Slaughterbots>が集団で飛行し、顔認識装置で組み込まれた、あるいは、条件設定された人に向かって攻撃をする場面が出てきました。
 また、大型の飛行機から無数の<Slaughterbots>が落とされ、それがそれぞれの目標に向かって飛行していく映像もありました。
 ロボットが、軍事に転用されているのです。

 日本人は、自然に対して、親しみを持って、時には畏敬するものとして崇める精神構造を、太古の昔から持っています。
 いうならば、縄文の気性を受け継いで今に至っているのです。
 私が、この季節、大掃除に精を出すのも、おそらく、その気性が大きく作用しているはずです。それと同じように、天才たちによって生み出されたロボットにも、日本人は、親しみを持ち、畏敬に値する力を与え、心強い味方として位置ずけてきたのです。
 ですから、人間が作り上げたロボットが人間に牙を剥くなどという考えなど持ちたくないのです。

 ところが、そのような精神背景のない欧米人には、ロボットはいかようにも使える<道具>としてしか位置づけられないのです。

 随分と前になりますが、シュワルツネッガー主演の『ターミネーター』という映画にも驚かされました。未来から、人の形をしたロボットがやってきて、人を襲うというものです。
 でも、この映画が救われるのは、シュワルツェネッガー演じるロボットが人間を守る側についたことでした。
 欧米人の中にも、日本人と同じ感覚があったことに安堵したことを覚えています。

 だったら、きっと、<Slaughterbots>にも、人に敵対する<Slaughterbots>に対して戦いを挑む<超小型ドローン>がきっと生まれてくるに違いないと思ったのです。

 しかも、人間が親しむことのできる形をしています。
 四つのむき出しのプロペラなどありません。

 人が持つ四肢が、必要に応じて、プロペラになるのです。もちろん、表情を反映するフェイスも付いています。だから、親しみやすい、それは<超小型ドローン>になるのです。
 普段は、天井あたりに張り付いていて、呼ぶとさっと降りてくるのです。そして、文句を言わずに用事を頼まれてくれます。
 コーヒーも淹れてくれます。本も持ってきてくれます。買い物にも行ってくれるのです。
 そんなことを思うと、<Slaughterbots>が急に、怖いものから、私たちの仲間に思えてきたのです。
 
 孫が落として行ったロボットを見て、すごい時代が追っつけやってくるんだと、ひとしきり空想に勤しんだです。
 手にした雑巾はカラカラと乾き、拭き掃除のできない硬さになってしまいました。




そこのサイトの主、あなたは一体何者ですか?

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空気が澄んでいます。静閑なくらいに澄んでいます。あまりに綺麗なので、山の全体を撮りたくて、iPhoneを傾げました。


 私は毎日午前中の二時間程度を使って、私の気に入ったサイトと、『つくばの街であれこれ』を訪問してくれた方のサイトを回っています。

 面白い記事や写真に出会うと、じっくりとそのページに見入ります。
 あの鮮やかな色合いをどうやって撮影しているのか、それとも、フォトショップあたりでなんらかの工夫を凝らしているかと考えることもしばしばなのです。
 また、こんな朝早くの光景を写真に撮るには、前の晩から寝ずにそこにいたに違いない。きっと寒いだろうにと心配までもしているのです。
 そして、そんな苦労をしてまで撮影して、それをサイトに載せる、それも、金を取らずに行う、その姿勢に感じ入るのです。

 文章でも同じです。
 ちょっとは名のある作家、大変に畏れ多い言い方ではありますが、さして面白くもない文章を、出版社の宣伝活動で大々的に広告を打たれ、おもしろいと思わされている作品などより、よっぽど、センスのある文章を目にすることができるのです。

 この方はきっと玄人に違いないと、そこにある写真や文章の出来に驚くのです。
 でも、自己紹介の欄を見てみますと、それで飯を食っている様子は伺えません。
 最も、写真で食っている人がタダで自分の写真をばらまくわけもありません。なにせ、それが仕事なのですから、タダで作品をばらまくなど自分の利益を失うようなものです。
 ですから、確かに素人と判断せざるをないのです。

 それにしても、素晴らしい作品があちらこちらに散らばっています。

 もしかしたら、これらの、私が殊の外気に入っているサイトの主は、もしかしたら、著名な人が名を偽って、無名の作家として、このような素晴らしいサイトを運営しているのではないかとも思ったりするのですが、果たして、さように著名な人がそんなことするわけもないと自ら納得もしたりするのです。

 だったら、誰なのか。
 そうだ、まだ有名ではないが、写真だけで、あるいは、文章だけでは食って行けない若い作家に違いない。
 普段は広告業界にあって、スポンサーから言われた写真を撮っているに違いない、あるいは、記名さえも許されない雑誌か何かに文章を書いては安い原稿料を稼ぎつつ、自分のうちから沸き起こる感情をこうして文章に綴っているに違いない、と推測したりもするのです。
 あと数年したら、このサイトの作者は、世の中に打って出て来るに違いない、などとも空想しながら巡っているのです。

 そんなことを思って、それぞれのサイトを巡っていると、創作者というのは、企業のように採算を取るため、不利益を被らないために、ものを作るのとは反対に、採算など取るのは「仕事」ではないと、言っているように聞こえて来るのです。

 だとするなら、私は、ネットを通して、表現することに真摯に対している本当の芸術家の作品を目にしていることになります。
 出版社や映画会社、あるいは、広告会社の後援を受けずに、自分一人で、孤独の中で創作活動に邁進する芸術家のありようを見るのです。

 僕たちは、それだけでは食って行けないのです。
 でも、食って行くために妥協する作品は世に出したくないのです。
 利益を上げるだけが「仕事」ではないのです。
 そう叫んでいるように思えるのです。

 報酬もないのに、これだけの時間を使い、挙句に、取材旅行まで敢行しているのです。
 写真を撮り、文章をつづり、そして、私たちに読ませてくれるのです。
 少なからずの金銭をかけて、それでも、何の報酬もないサイトを作り上げているのです。

 そこに何があるのだろうと、私はまた、肘をついて考えるのです。

 きっと、そこにあるのは、興味を持ったことに真摯に向かい、まだ知らない世界をちょっと先に見て、だから、時間も金も注ぎこみ、その未知なるものを追求して行く、そんな人間としての原点ともいうべき姿なのではないだろうかと。

 そして、同じ興味を持つ誰かに、それが届けられるのです。
 創作したものがそういう形で、その人に届くなど、本来あるべき最高の形ではないですか。
 宣伝があるわけではない、ネットをぶらっと歩いて、見つけて、そして、感動する。

 そこに創作の原点があるように思えるのです。

 大きな立派な出版社から本を出されることも素晴らしいことですが、無名の人が素手で立ち回っているのを見聞きするのも、今の時代のありようだと思っているのです。

 創作というのは、そのものもそうですが、そこに至る過程においても、人の心の感動を誘うものなのです。
 無数のサイトの中に、そうした輝きを持ついくつものサイトが確かにあるのです。
  
 あなた方は一体何者なのですか。




私のカレンダー

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天候が芳しくありません。気温も高くなるからと、筑波山までロードバイクでちょっとと思っていましたら、思いの外風が強く、いや、激しく吹きつけ、断念しました。風は一向に吹き止みませんが、ぽっかりと雲に隙間ができました。きっと、天気は回復するでしょう。そんか感じを受けたのでした。


 学校には、「年間行事計画」なるものがあります。
 学校という組織では、これは欠かせない重要基本書類になります。
 ホームページにも掲載して、生徒や保護者にも共有してもらいます。

 次年度に向けての年間行事計画の作成は、教務という部署が中心になって策定します。
 基本は前年度の活動の反省に立って、日程的にきつい項目の改善を図りこととであり、生徒教員の活動に無理がないかなどを検討し、次年度に反映させていきます。

 そんなことを毎年やっていましたので、同時進行で、私自身も、自分の新しい年のカレンダー作成にもちょっとした工夫をしていたのです。

 クリスマスの頃、学校は冬休みを迎えます。
 学校に勤めていれば、当たり前のこととして自覚できることなのですが、冬休みは夏休みと比べて、生徒指導上の案件がまったくといっていいほどないのです。
 夏休みは、夜間徘徊で補導されたとか、家出をしたとか、あるいは、バイクに乗ったとか、そんな事件が発生して、思わぬ仕事で時間を潰されるケースがあります。

 こんなこともありました。
 家族と出かける予定で朝から準備していたのですが、電話があり、問題を起こした生徒と面接をしなくてはならず、それでも、子供たちとの約束もあり、しょうがないので、子供たちを連れて学校に行き、子供達を図書館で遊ばせて置いて、私は事情聴取をしたのです。子供たちにとっては、とんでもない日曜日だったでしょう。

 そんなこと、よくやっていたと、今、思っているのです。

 冬休み、手を煩わせる困った問題がこれまで一つもなかったというのは、きっと正月があって、家族がともに過ごしたり、神社にお参りに行ったり、そんなことが子供の精神を安定させてくれているだと思っているのです。

 で、私のカレンダーのちょっとした工夫というのは、実は一年は元旦から始まるのではなく、だいたい、1週間前の12月25日くらいから始まるということです。

 なんだ、そんなことかとがっかりしないでください。
 学校が休みになり、つまり、仕事がひと段落し、新年を迎える前の、その準備期間、それこそが最も重要な一年の始まりであると思っているということなのです。
 何事も、始め良ければ終わり良しと言います。

 冬休みの冬期講習は午前中でおわります。
 午後の時間を使って、私は、私の次年度のカレンダーを、おおよそ作られている学校の「年間行事計画」と擦り合わせて、策定していくのです。

 これが実に楽しいのです。

 もちろん仕事優先ですが、行事の前後の活動のおおよその見当はつきますから、この日は釣りに行けるとか、この日は、代休になるはずだから、家族とちょっと出かける日にしておこうなどと、書き込んでいくのです。

 そして、最も大事なのが、教師以外、自分が生涯においてなすべきこと、物を書くことのテーマ設定もこの時行うのです。
 そうして、過去、私は『福明と李福』『一門』、そして、取手の学校から土浦の学校に移った際に、『風の島』を自主出版したのです。

 もし、「私のカレンダー」がなければ、そんなことも不可能だったに違いないと思っているのです。
 教師の仕事の忙しさにかまけて、いや、それを正当化して、何もしなかったのではないかと思っているのです。
 
 ですから、教師でなくなった今も、この新年の1週間前から始まる「私のカレンダー」を、私は今年も作っているのです。
 つまり、私にとっては、今、もう、2018年、平成30年は華々しく始まっているということになります。

 2018年のプランニングでは、5つの作品を作り出すことを明記しました。
 歴史に題材を求める作品、未来に想いを馳せる作品、 教育経験に基づく作品などです。
 これを実現するために、さらに具体的に計画を練っているところなのです。
 計画は、緻密さがあり、具体的であれば、実現も容易になります。
 これは教務としての実務経験で実感してきたことですから、今、私は私のカレンダーのありように手応えを感じているところなのです。

 さて、今年もオーストラリアに行く日程を考慮しなくてはなりません。

 昨日、ロビーナで暮らす孫からラインがあり、アンパンマンジュースが飲みたいというのです。
 ロビーナにはもちろんありません。
 だったら、こっちにきなさいと言いますと、来るというのです。ママにバイバイ、ダデイにもバイバイと言って、飛行機に乗ると言います。
 私も自分の娘を二人だけで、オーストラリア行きの飛行機に乗せた経験がありますから、2歳でも説明をすれば大丈夫だと思うのです。
 それを娘に言ったら、口ではそうは言っているけど、一人でベッドにも行けないんだからというのです。

 でも、嬉しいではないですか。
 じいじに会いたいと言ってくれるのですから、もちろん、私などよりアンパンマンジュースの方がいいに決まっているのでしょうけれど。

 その娘が、来年、生まれたばかりの孫娘を連れて、日本の友人や親戚にお披露目にやってきたいというのです。
 ジェットスターの格安チケットがまもなく出るので、それを見つけて来ると言います。
 私のカレンダーに孫と遊ぶ数週間の色分けが記載されるのもまもなくでしょう。

 これもまた、楽しみな私のカレンダーの項目なのです。




信念を<売る>ものに騙されてなりません

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書斎の大窓の向こう、マンションの屋根の上に大きな雲がかかっていました。しかも、ちょっとした速さで、北の方角に向けて移動中です。青空に、上空の強い風で流される厚みのある雲に、しばし、目が止まりました。あの雲のように流されていきたいと、ロマンチックな想いになったのですが、そこは若造と違うところ、すぐに、現実に戻ってしまいました。今、わたしは、我が家の全てのガラスを拭くという仕事をしているのです。年の瀬の恒例の行事です。「福」が来るように「拭く」のです。



 信念を持ちなさい、さもなければ、何事も成すことができません。

 私も、生徒に対して、二度ならず、三度と言わず、何度も語った言葉であります。
 確かに、「信念」がなければ、物事をなすことは不可能なことでしょう。

 信念とは、基本的には、目標達成のための活動、そして、積極果敢なその活動を支える理念のことであると言っても間違いはないでしょう。
 その理念は、人の心に宿った<思い>であり、それを行動指針として、周りが「承認」し、人々が「受容」していくものなのです。

 「ガンジーこそは非暴力を貫いた信念の人である」とは、ガンジーが暴力を使わずに英国の支配に対していくことを<思い>、それを実践し、そして、それを立派な行為として、周りの人たちが「承認」し、「受容」、つまり「認知」したということなのです。
 だから、信念を持つということは、素晴らしい人物への褒め言葉としてあるのです。

 でも、信念を<売る>人々もいることを、私たちは知っています。

 例えば、とある会社の創業者の場合を見て見ます。
 松下幸之助のように、誰彼なく、あの人がいなかったら、この会社は生まれなかったし、成長も成功もなかった、つまり、そこに「思い」、「承認」、「受容」というのがなく、自分の<思い>だけを、社員に強制するのを、私は、信念を<売る>と表現しているのです。

 部下たちは、創業者の思いに敬意を払って、仕事に邁進します。
 部下というのは、その思いを共有し、さらなる実現に向けて働くものなのです。
 日本の企業で働く人たちの、それが素晴らしいありようです。
 欧米では、そうはいかないでしょう。
 そんなことより、幾らかでも報酬が高い方があれば、そこへ移動していくのが、彼らのしきたりだからです。
 いや、しきたりというより、それこそ彼ら自身の「信念」、つまり、他社からより評価される(もちろん、金銭で)方へと自分を導くという考えがそこにはあるからです。
 
 では、信念が強制されると、どのようなことが起こるのでしょうか。
 
 その前に、日本でも、欧米でも、強制された信念がないと、時に、仕事は挫折することを話さなくてはいけません。
 今、日本の大企業で発生している問題は、創業者もしくは上司の信念の非強制、あるいは、信念のなさにあると思っているのです。
 現場に任せる、責任を与えて、仕事に取り組ませるというあり方は、主体性を伴う理想的な職場環境ではありますが、それが理想的であることを維持するためには、管理者の注意深い心配りが必要です。それがなかったがために、仕事の徹底が知らず知らずのうちにないがしろにされていってしまったのです。

 そこに、創業者や上司の「信念」があれば、主体性を持たされた人々は、精密な仕事を維持し得たはずです。
 今流行りの<悪しき平等感覚>、横着な管理体制がそこにあったというほかありません。
 まさに、信念を<売る>以前の体たらくということです。

 信念が強制されると、実は、このようなことも起こるのです。

 一方、あまりに壮大で稀有な信念、そこまでいかなくても、一般常識を超えての信念というのは、それについていかれない人を生むということです。

 そのような信念の一例として、信長の「天下布武」をあげることができます。
 信長の頭の中には明確にそれがありました。
 しかし、配下の武将の中には、あまりにそれが壮大すぎて、理解できずにいたものもいたはずです。そういう武将は黙ってハイハイとついていくだけです。
 しかし、それが理解できる武将であれば、無理難題を突きつけられるだけと思うのは必定です。なぜなら、それまでなかったことを行うからです。そして、それを行うのは何を隠そう自分であるのです。
 ですから、あまりの難題に、いっそのこと、この大将を殺してしまえということになるのです。

 だから、信念というのは、人に強制するものではないということになります。
 自分の中に密かに収め、それを着実に果たしていく、そして、いつの日か、その人は確かに素晴らしい信念を持つ人であると、周りの人がいい始めるのです。
 先に示したガンジーがまさにそうです。

 信念なるものを、これ見よがしに持って、周囲に迫ってくる人というのは必ずいるものです。
 それぞれの国にも、それぞれの時代にも、もっといえば、それぞれの職場にもいるのです。

 そのような人には、私はある一つの特徴があると思っているのです。

 トレンチコートのベルトをきつく締めて襟を立てたり、サングラスをしてズボンのポケットに手を突っ込んだり、あるいは、マフラーを巻いていたりと、ある種のかっこよさを見せるのです。 
 時代こそ違うけれども信長もそうだったようです。
 一言で言うならば、ダンデイぶるのです。

 つまり、自分に自分で陶酔すると言う特徴です。

 さらに、多くを口にしない、男は黙ってなんとかと言うあのスタイルです。
 確かに、カリスマ的な神秘性がそこには見て取れます。
 しかし、あくまで、それらは故意的に作られたものにすぎません。

 私たちは、この<売られた>信念の本質を知らなければなりません。

 そうでないと、うっかりと騙されてしまうからです。
 今、世間をざっと見回して見ても、そういう輩が、私の目には入ってきます。

 それを見ると、信念というのはまことに厄介なるものがあると思うのです。
 せいぜい、信念を売る人を見抜き、騙されないようにしなくてはと思っているのです。




泣けてくるではないですか

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東京スカイツリーから街を見下ろします。随分と気分がいいものです。昔の殿様が天守閣から支配する街を望んだとき、同じような思いになったのでしょうか。でも、私のは支配ではなく、こんなに大きな街なんだという驚きです。なにせ、視線の届くところまで、人家があるのです。こんな街ありません。


 その日の新聞に、対照的な記事が載っていました。

 一つは、Otani がエンゼルスとの契約時にサインしたユニフォーム、ボール、帽子がオークションに出されて 、四千ドルあまりで落札されたと言うニュースです。
 Otani の活躍いかんでは、これらのサイン入りグッヅは、それ以上の価値を持って、愛好家の間を巡るはずです。
 Otani には、ぜひ、ヤンキースに入って欲しいと言う私の願いは、あっけなく却下されてしまいましたが、来春のメジャーリーグはきっと面白いものになること間違いありません。

 さて、もう一つは、Dice-K が、中日の入団テストを受けると言う記事です。
 「チャンスをいただき感謝しています。テストに向けて、しっかりと準備していきます」
 これが Dice-K こと Matsuzaka の言葉として、記載されていました。

 実に謙虚な言葉です。
 いや、 Matsuzaka にしては、「らしからぬ」言葉遣いです。

 実は、私としては、この言葉を聞いて、 <Matsuzaka 情けないぞ>と言う気持ちが少なからずあったのです。
 なぜなら、彼は、「平成の怪物」と呼ばれていた選手ですからね。
 
 1998年の春、Matsuzaka のチームは、甲子園でぶっちぎりの優勝を果たします。
 その年の夏の甲子園、Matsuzaka は、準々決勝でPL学園と延長17回250球を完投して勝利するのです。
 翌日の準決勝は明徳義塾です。さすが、連投はできず、1イニングの登板でしたが、それが逆転劇を誘いました。チームにおける Matsuzaka の存在の大きさを示してあまりあるものがあります。
 そして、京都成章との決勝戦では、あろうことがノーヒットノーランという快挙をなしたのです。

 そればかりではありません。
 私の教え子で甲子園に出場した選手の一人で、キャチャーをしていた子がいました。
 彼は高校を卒業した後、仕事の傍、自分が野球を始めたリトルリーグのコーチの一人として活動していたのですが、そこに若き日の Matsuzaka がいたのです。
 取手の学校の周年記念の活動の一つとして、卒業生からの声を集めた冊子を製作したのですが、そのおり、彼と対談し、 Matsuzaka のことを聞いていたのです。

 ですから、Matsuzaka という選手は、私にとって遠い存在の野球選手ではなかったのです。

 そして、その折の話が、私がボストンに仕事で出かけた折、ビジネス・ディナーの折に役立つのです。
 これは何度か書いたことがあるのですが、現地の担当者は熱狂的なレッドソックスファン、ニューヨークの本社からやってきた上司はヤンキースのこれまたファンときていますから、ワインを飲みながら、お互いのチームの自慢話です。
 
 当然、お前さんはどっちのチームがご贔屓なんだという話になります。

 私は、当時、活躍していた Hideki Matsui がヤンキースにいたことから、 Matsuzaka のいるレッドソックスではなく、恐る恐るヤンキースに手を挙げたのです。
 しかし、その折に、 Dice-K との関係についても話をしたのです。

 Dice-K を教えたコーチのティーチャーがお前か、と言うことでことなきを得たと言うことです。

 Matsuzaka のニュースを見たとき、中日というチームもチームだとまず最初に思いました。
 なぜ、中日も中日だと思ったかと言いますと、もう随分と古い話ですが、長嶋や王がいた頃です。
 巨人が優勝を逸して、中日が優勝をした年です。
 そのリーグ最終戦に、中日は対巨人戦に一線級の選手を外してゲームに臨んだのです。もちろん、来るべき日本シリーズに備え、一軍選手を休ませるためです。

 プロの世界なら当たり前でしょうが、私としては、それは敬意を欠いたあり方であると思ったのです。
 誰への敬意かといえば、野球を見るファンに対してへの敬意です。
 プロである巨人の選手たちはそれがプロの在り方だと思うでしょうが、ファンは、やはり、トップ選手の躍動する姿を見たいと思うものです。
 それがあったから、今回も中日は敬意を払っていないと思ったのです。

 今度は誰への敬意かと言いますと、 Matsuzaka への敬意です。

 つまり、わざわざ入団テストをしなくてもいいということです。
 敬意があれば、彼の「名」を取ればいいことです。プロならそのくらいの振る舞いができなくてはなりません。

 そんな折でした、これもある新聞記事で知ったことですが、メジャーが大好きで、メジャーを含めて、マイナー、それに独立リーグを巡っている日本人がいて、その方がある独立リーグの球場でサインをしている黒人選手を見たというのです。

 その選手が、46歳になっていた盗塁王リッキー・ヘンダーソンであったというのです。
 
 メジャーで大活躍したあの名選手が、名も知られない独立リーグの古ぼけた球場の片隅で、ファンに囲まれてサインをしているのです。ファンというのは素晴らしいと思うと同時に、野球が好きで、そこがどこであろうとも続けるヘンダーソンのような選手がアメリカにはいるんだということです。
 ベースボールの裾野の広さというものを知ると同時に、栄光を手にした名選手が、人の目に多く触れる機会がなくても好きな野球をしていくそのありように泣けてくるのです。

 ですから、 Matsuzaka も今の自分を屈辱と思わず、謙虚に物事を捉え、好きな野球を続けていきたいと思っているに違いないと、そう思ったのです。

 そう思うと、自然と、なぜか、泣けてくるです。




国家と、芸術、美、スポーツ

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冬のつくばの裏道です。遠くに筑波山が、そして、刈り取られ春を待つ田畑があります。iPhoneに魚眼レンズをつけて撮影しました。それなりにいい写真になったと思っています。


 世界中が、一年のうちで最も心優しくなれる季節、12月もいよいよ押し詰まってきました。

 そんな季節に、気分を害するに十分なニュースが目に飛び込んできました。
 深圳で開催されている絵画の展覧会での出来事です。
 その展覧会に、フランス系中国人胡嘉岷が描いた一枚の絵がありました。
 「時差」と題された作品です。

 淡い色調の中に、鉄格子に監視カメラ、それと空席のいすが描かれていました。
 民主化運動の象徴的な存在である劉暁波を連想させる絵画であることは誰の目にも明らかです。

 展覧会にあたり、検閲をすり抜けたのか、検閲を通ったのかは良くわかりません。
 あるいは、見にきた客の一人が、律儀にも通達に従って、共産党政府批判の絵があると通報したのかもしれません。
 その結果、人民警察が踏み込んで、胡嘉岷夫妻が拘束され、出品された絵画は、無残にもペンキで塗りつぶされたと言います。
 警察に連行された胡嘉岷夫妻は、今もって連絡がつかないといいます。

 このように、国を支配する政府と相容れないものが公にされた時、それを徹底的に弾圧するという国がいまだにあるのです。
 皆が心優しくなれる季節にそぐわない事件であり、芸術家の行方が気がかりです。

 こんなニュースも目に入りました。 
 ラスベガスで開催されていた「ミス・ユニバース世界大会」に、イラク代表として出場したサラ・イダンが、イラクとは敵対関係にあるイスラエルの代表のアダル・ガンデルスマンと並んだ写真をインターネット上で公開したのです。

 声をかけたのはサラの方で、平和大使になりましょうと誘ったのです。
 サラは、シンガーソングライターとして活動する開明的な女性です。
 そして、「ミス・イラクとミス・イスラエルから平和と愛を」というメッセージとともにネットに投稿したのです。

 ところが、国内から批判が噴出し、ミス・イラクの資格剥奪の警告が寄せられたのです。
 そればかりではなく、本人の殺害を予告する脅迫や、国内に残っている家族にも危険が迫るという事態になってしまったのです。

 今、彼女はマスコミに対して、沈黙を守っています。
 どこかの親方が何か守ろうとして、また、何かを訴えようとしているのかわからぬまま沈黙していますが、彼女の沈黙は、家族がイラクを無事脱出するまでと明確です。

 それは、「価値ある沈黙」であるのです。

 1964年、私は、竹ノ塚の住んでいた家の廊下から、南の空に、五輪のマークが描かれたのを見ています。
 2020年の東京オリンピックでは、さすがに、つくばの自宅からは、東京の様子をうかがい知ることはできないでしょう。

 1940年、実は、この年のオリンピックは東京で開催されることになっていました。

 開催されれば、オリンピック史上初、欧米以外の「有色人種国家」、アジアにおいて数少ない独立国、かつ、当時「五大国」と言われた、<英米仏伊日>の一つで行われる五輪大会として記録に残ったはずです。

 しかし、そのオリンピックは第二次大戦で実現しなかったのです。

 もっと、明確に言えば、日本は当時「支那事変」という名の中国との戦争を行なっていたのです。そのため、東京でスポーツの祭典は不可能との判断にたち、開催権を返上したのです。
 そのため、ヘルシンキでの開催に決まるのですが、ヨーロッパを席巻する世界大戦のため、この年のオリンピックは開催がされなかったのです。

 中止になった東京の前に行われたのは、かのベルリン大会です。
 ヒットラーが権勢を誇っていた時代のオリンピックです。
 いうまでもなく、ヒトラーは偉大なるゲルマン民族の優位性を示すことに躍起になっていました。

 その象徴的な試合が、男子走り幅跳びです。

 金メダルは、アメリカのジェッシー・オーエンスです。
 銀メダルは、ナチスドイツのルッツ・ロングです。
 銅メダルは、日本の田島直人です。

 田島は、三段跳びで、織田幹雄・南部忠平に続き、3大会連続での金メダルを日本にもたらしていました。それに加えて、走り幅跳びでの銅メダルです。 帰国後も、英雄として賞賛され、その娘は、1964年の東京オリンピックで、マラソン優勝のアベベに金メダルを渡す役割を演じてもいるのです。

 順調なその後の人生を歩んだ銅メダリストとは反対に、不幸であったのは、金銀のメダルを争った二人のアスリートたちです。

 オーエンスは、アメリカ国籍の黒人です。
 当時のアメリカでは、黒人差別がなされていました。金メダルを取っても、パレードもありません。新聞に載るわけでもありません。そして、仕事が保証され、アメリカの名誉のためにアスリートとして集中できる環境などなかったのです。
 ですから、オーエンスは生活のため、なんと競争馬と走るのです。

 なんという侮辱でしょうか。

 しかし、オーエンスは地道な活動を展開し、アスリートとしての意地を見せます。
 なにせ、ヒットラーの白人種優越なる宣伝を打ち砕いた人物です。

 1976年、社会に対する地道な活動が評価されて、彼はフォード大統領から勲章を授与されるのです。

 しかし、悲しむべきは、銀メダルとなったロングです。
 彼は、踏み込みの失敗でファールを繰り返すオーエンスに的確なアドバイスをします。それにより、オーエンスは持てる力を発揮することができたのです。
 ライバルだからこそ、ライバルの不遇を見過ごしにできかったのです。

 相手を蹴落としてまで勝とうとしないスポーツマンシップがロングにはありました。

 オーエンスが優勝を決めた時、ロングはいち早く彼の元に走り寄り、肩を抱きました。
 ヒットラーはそれをじっと見つめ、そして、会場を後にしたのです。
 鉤十字がトップに掲げられないことに不満を抱きながら。

 その後、ロングは徴兵されます。
 ライプツィヒ大学を卒業し、弁護士として働く彼が、徴兵されたのは、黒人に負けるだけではなく、その肩を抱いたことであると、伝えられていますが、詳しくはわかりません。

 彼の部隊は、シチリア上陸を試みる連合軍を迎え撃つことになったのです。
 1943年7月10日、連合軍は上陸作戦を決行しました。
 その日、ベルリンでアメリカ、日本のアスリートとしのぎを削り、正々堂々と渡り合った一人のアスリートが、連合軍の攻撃で重傷を負ったのです。
 戦場に放置されたその兵士は、イギリス軍によって野戦病院に送られましたが、13日に亡くなるのです。

 国家に抗い、平和を希求し、スポーツに分け隔てなく取り組む若者たちの勇気ある姿に、私は感動するのです。
 人々が、そういう人たちを忘れないでいるのは、思想や民族、人種に関係なく、本質を得ているからだと思っているのです。




ハッピークリスマス War Is Over

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もっとも東京らしい光景だと思っています。上海はまるで宇宙都市のようになってしまいました。ロンドンは相変わらず昔からの面影を大切にしています。東京は、変化と伝統を重んじている、そんな気がするのです。この日も、多くの観光客がこの光景を撮影していました。


 「クリスマスなんてなければいい」
  そう思っている方がいるそうです。

シングルマザー3人に1人がそう考えたことがあると言います。ということは、後の2人はなんとか楽しくクリスマスをやり過ごしているということです。
 これが逆転したら、ちょっと危機意識を持たねばなりません。

 いや、だからと言って、3分の1はどうでも良いと言っているわけではないのです。

 この調査結果を公表したNPO法人の責任者の方は、「多くの人にとってのお祝い事は、経済的に余裕がない人にはつらいイベント。そこに一人でも多く気付き、職場や周囲が配慮できるようなクリスマスになれば」と述べておられます。
 
 確かに、その通りです。

 そうしたママさんの中には、子供に、うちにはサンタさんこないよと情け容赦ない言葉をかけているケースもあるかと思います。
 あるいは、周りの子供が親から豪華なプレゼントをもらっているのに、自分には与えられないことを、悲しく思って、その日の早く過ぎることを願っている人もいるかもしれません。
 そんなことを思うと、責任者の方がおしゃるように、周りの私たちが、気遣いをしてやることは大切なことであると痛感するのです。

 でも、そうしたママさんたちに、あえて、私は言いたいのです。
 それなりに楽しみなさいって。
 せっかく、周りがウキウキしているんですから、自分たちもそれなりに楽しく過ごす工夫をしなさいって。

 私が、その立場になっていれば、気を遣われるのはかえって居づらい思いをすると思うのです。
 皆が、それなりに楽しんでいれば、自分たちも、今の境遇に負けずに、それなりに楽しんでやるくらいの気持ちがなければ、子供がかわいそうだと思うのです。

 ですから、どうか、子供たちのために、ママさん、頑張ってと言いたいのです。

 つい先ごろ、早朝の仕事の折、ラジオからクリスマスソングばかり流れてきて辟易すると書いたことがあります。
 そしたら、CNNも同じような記事を配信していました。

 なんでも、アメリカでは17パーセント、イギリスでは25パーセントの客が、クリスマスソングに飽き飽きしているというのです。
 これとても、大多数はそうではないようですから、そうならばやめようとはならないはずです。つまり、クリスマスソングを聞くことで、気持ちがウキウキする人がかなり多くいるということです。
 
 しかし、過剰に流されるクリスマスソングに、嫌気がさしている人がいれば、なんとか配慮をしなくてはいけませんが、これはなかなか難しいことです。
 客にとっては、プレゼントを買うために、財布の紐を緩める一番の時期です。
 店にとっては、つまり、「かきいれどき」のシーズンとなります。
 この時の売り上げが店の浮沈を占うのです。

 ですから、20パーセント前後の人々のために、まして、早朝に仕事をする私のために、クリスマスソングを流すのをやめるのは、ほぼ不可能ということになるかと思います。
 唯一の解決策は、そういう店に行かないこと、ラジオのスイッチを消すことくらいしかないようです。
 でも、クリスマスソングの中には結構素晴らしい曲もあります。

 その曲は、曲が始まる前に、ささやきがかすかに聞こえてくるのです。

  Happy Xmas Kyoko. Happy Xmas Julian.

   Kyokoは、女の前の夫との間にできた娘の名前です。
 Julianは、男の前の妻との間にできた男のこの名前です。

 そして、二つの局面が掛け合いで歌われるのです。

 And so this is Xmas と男が歌えば、 War is over if you want it と女が呼応し、それを繰り返していくのです。

 男の視点は、決して目先の幸福を求める柔い感情ではありません。

 「弱きものにも、強きものにも
  富めるものにも、貧しきものにも、
  黒人にも、白人にも、
  アジア人にも、先住民にも、
  近しい人にも、大切な人にも、
  老人にも、若者にも」

 クリスマスはやってくるんだよと語るのです。
 そして、一方で、もう、争いはやめようと、男の声に呼応して、女の声で繰り返されるのです。

 ですから、3分の1のママさんたち、20パーセント前後の人たち、この曲を一度でいいですから、ちょっと聞いて欲しいのです。

 そして、ささやかでもいいですから、子供たちのために、クリスマスを祝って欲しいのです。
 そうすれば、新しい年も、同じような気持ちで送ることができると思うのです。




プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《6 / 17 💡 Monday 》
 
🦅 ただいま、<カクヨム>にて『ひとりっていいよな』を発信しています。

  世の中って
  理不尽なるもので
  満ち満ちているんだっ……



誰でも、社会的生活を営んでいれば、心苦しいことに出会うものです。
トップの解任、同僚との確執、職を辞しての新しき生活、そんなさまざまの体験がそれです。
人は、かくも争い、かくも世知辛い思いをするのです。
そして、大切なものをそこで失っていくのです。
失うことを、損得で測れることはできません。
失うことは、糧として、その人間に残れば、それでいいのです。
そして、若き人に、送ることができればそれでいいのです。


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【nkgwhiroの活動】

❣️<Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。こちらもご訪問よろしくお願いします。
 

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