鳥のように 樹木のように

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私たちの意識は、何事も、全てのことを見通すことができると信じています。平凡な光景も、つまらぬ光も、見方によっては、素晴らしいものへと昇華できると……。


 鹿児島に暮らすかつての同僚がいます。

 時折、連絡があります。
 「かつての」と接頭語を置く人から連絡があるときは、良からぬことの時が圧倒的に多いものです。
 二人の間で共通する知人が亡くなったとか、そんな時にしか連絡がないからです。

 先日は、高校時代から仲良くしている情けない友人から電話があり、俺が死んだときは、お前に連絡が行くようにしてあるからと、唐突で馬鹿げた話をするのです。

 話を聞けば、「ひげさん」と彼が呼んでいた友人が亡くなったというのです。
 彼は、それにショックを受けて、私に連絡をよこしたのです。
 私ばかりではなく、私と彼が知る友人ほとんどに連絡をしたようで、一人ひとりの近況を私に話すのです。

 誰それは年寄みたいな声になってしまっとか、あいつはガンで余命いくばくもないとか、はたまた、自分もそんな気がして来たので、それで電話をした、葬儀には来てくれというのです。
 
 そんな気持ちになることもわからないではないですが、少々、考えすぎだと話をしたのです。
 ついでと言ってはなんですが、私は誰にも知らせないし、人を集めて葬儀もしない、だから、そのつもりでとも話をしたのです。
 そしたら、びっくりして、いつからそんな無宗教的な人間になったと驚くのです。
 無宗教ではない、葬儀は家族だけで、そっと行いたいのだと、もっと高貴なレベルで私はあの世に逝きたいのだというと、わかったようなそうでないような声で、それでも納得したようなのです。

 友達が亡くなる、そんな年齢になったのだとつくづく思った電話であったのです。

 さて、鹿児島のかつての同僚ですが、この方は、取手の学校の時の同僚で、突然、学校を辞めてしまった先生なのです。
 表向きは、鹿児島に残している母親のそばにいてあげたいという理由でしたが、それなら、年度の切り替えの時にすればいいわけですが、そうではなかったのです。 
 何かあったとは思うのですが、詮索しても仕方がありません。
 ですから、財布にあったなけなしの一万札をテイッシュに包んで、餞別だと渡し、見送ったのです。
 以来、手紙や電話でのやり取りが続いているのです。
 
 土浦の学校に移って、南国宮崎に二回ほど出張で行ったのですが、そこから鹿児島まで足を延ばすこともできず、ついぞご無沙汰という友達なのです。
 私より幾分若いのですが、今は、教師をリタイヤして、幼稚園の送迎バスを運転していると言います。
 ともかく明るく、元気で、子供好きですから、うってつけの仕事だと思っているのです。

 その彼が、今年は鹿児島が注目される年だからと、NHKの大河ドラマの影響を示しながら、今年こそ遊びに来やんせと言って来たのです。
 ありがたいことです。
 そう言ってくれるだけで、嬉しいと彼にはいつも言うのです。
 
 思えば、職場での人間との関係は、さほど濃いものではないと思うことがしばしばあります。
 学生時代を共に過ごした仲間というのは、思ったことをズケズケと言ったり、多少口喧嘩などもして、それゆえ、心が通じ合うということもあると思うのですが、職場仲間であれば、一度争いごとがあれば、その関係修復はなかなかに難しいものです。それに、仕事を介しての付き合いですから、なかなか本音で付き合うというのもないわけです。
 ですから、関係が疎遠、上っ面だけのものとなってしまいます。

 そうした中で、鹿児島の彼は、私にとっては例外中の例外となっている知り合いの一人なのです。

 鹿児島に戻って正解だったね、と私は彼に言ったことがあります。
 取手の学校で、ちょっとした揉め事があったことは、彼もいろいろなルートで耳に入っていたらしく、そのあおりで、私が土浦に移ったことも知っていました。
 ですから、私の言葉で、彼もまた、私に土浦に移って正解だったよというのです。
 
 私は、この際、彼がある日唐突に学校を去って言った理由を尋ねようとしたのですが、もう、何十年も前のこと、今更、問うてなんになると思い、その言葉を呑んだのです。
 
 人には人のさまざまな事情があるのだと、きっと、街ですれ違った人全部が、そのような事情を持って生きているに違いないし、生きてきたはずなのです。
 だから、今あることに感謝し、わずかな縁を頼りに、電話なり手紙で言葉を交わすことに意義があるのだと、そう思ったのです。

 人というのは、鳥のように自由でなくてはならない。
 好きなように生きることこそ、本来の姿なのです。でも、そうはいかないのが現実です。人に雇われる人、自ら独立して仕事をする人、それぞれに大変さはあるはずです。

 それを経て、人生の転換点を得た時にこそ、人は、鳥のように自由にあらねばならないのです。
 
 同時に、樹木のように、人はあらねばならないとも思うのです。
 樹木というのは、育つ場所を選べません。こっちよりあっちがいいと移ることはできないのです。根をおろしたその場所でしか生きるしかないのです。
 教師になったら、教師として最善を尽くし、大木にならんとする意思を、あるいは、大木にならないまでも、環境を受け入れ、慎ましやかに生きていかなくてはならないのです。

 今、鹿児島の彼と私は、移植こそされはしましたが、移植先でも、樹木のように生きることができたと思っているのです。
 そして、根っこを下ろし、それぞれの場で生きる算段を取ることができているのです。

 その上で、鳥のように飛べる機会を得てもいるのです。

 生きるには、限られた時間の中ではありますが、それゆえにこそ、鳥のように自由に時を過ごしていけるよう、お互いの今後のありように期待をして、電話を切ったのです。




そそられる話 

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雲がどんよりと立ち込めています。また雪が降るとか、イノシシも出てきました。こんなに寒い冬なんて、子供の頃の、あの昭和の頃を思い出します。



 夕方六時のニュースを見るのを日課としています。

 しかし、その頃に、家の電話が鳴るのです。
 親戚や知り合いなら、私のiPhoneにかけてくるはずですから、この電話の主は、明らかに何かのセールスの電話、もしくは、私のiPhoneの番号を教えていない何者かなのです。

 でも、鳴らしっぱなしではうるさくてかないません。
 ですから、おそるおそる、しかし、元気に明るく、受話器を取るのです。

 案の定、丁寧にこちらの名前を確認して来ます。
 どこで、どう調べてくるのか、私の名前を正確に言うのですから驚きます。
 時に、屋根瓦を直しませんかとか、おうちの壁の色が随分をくすんできていますからそろそろ塗り直しませんかという電話なのです。
 なんと、彼らは、すでに私の家を下見しているのです。
 そして、私の家が幾分交通量の多い道に面しているので、宣伝もできるので、いくらかお安くできると、こちらをそそろような文言を連ねるのです。

 先日は、不要なものなんでもいいですから、譲ってください、壊れているものでもいいですから、ぜひ、ご訪問をさせてくださいという電話がありました。
 大きなゴミはそれを捨てるだけでもお金が取られます。この方は、それをわずかであっても、お金を払って引き取るというのですからと、これもそそられる話でした。

 私、こうした電話には丁寧に対応することをモットーとしているのです。

 だって、電話をしてくる女性たち、きっと、一件でも契約を取ることをノルマに課せられ働いている方達です。そうそう簡単には、お受けはできませんが、丁寧に受け答えするだけはできます。
 それに、この娘さんたちの親御さんの気持ちになってしまうのです。
 なにせ、私も二人の娘がいますから。ですから、なるべく丁重に応対するようになってしまうのです。

 もっとも、向こうは、こちらがガチャンと電話を切っても、なんということはないことはわかっているのですが、そういう感情があって、そうしているのです。

 先だっては、よくテレビで聞く会社の名を言う男性から電話があり、電気料金を安くするご提案をさせて欲しいと言ってきたのです。
 安いとか、お得という言葉も、実に、人の心をそそる言葉ではあります。
 一切のお金はかかりませんからと、さらにそそりあげます。

 そして、調査聞き取りだけで、いくら安くなるかを提案しますから、そこから決めて貰えばいいというのです。
 時間は三十分程度だというので、ならばということで、来てもらいました。 

 電話での話は、話半分と心得ていますから期待などはしていません。
 三十分の社会勉強というわけです。
 それに我が家では電気とガスを併用しています。なぜ、ガスを使っているかと言いますと、亡くなった父がガス会社に勤めていたせいで、ガスはかなり安く我が家では使えるようになっているのです。
 ガスばかりではなく、我が家のインフラについても、そのガス会社が親切丁寧にやってくれているので、大助かりなのです。
 そんなことも電話では説明していたのですが、来られた方は電話の方とは違っていたようで、ガスのことは初耳のような顔をしていました。

 で、話はと言うと、電気料金領収書に一緒についてくる「電気ご使用料のお知らせ」に書かれている<従量電灯B>という契約形態にはなんら変化がありませんと言うのです。
 この<従量電灯B>と言う言葉も、私初めて知りました。
 電気料金の内訳など、面白い話で、ためになったと思うくらいでした。
 それに毎月七百円も、自宅で電気を作り、売電している方に、私が払っているということも知りました。ふざけた話だとちょっぴり憤慨もしたのです。

 でも、問題はここからなのです。
 人様の家に来て、人様の電気料金を安くするなど、いかに人道的な企業でも、儲けを度外視して親切に振る舞うなどありえないことです。
 要は、これを機会に電化することを進めに来たということなのです。

 安くなった電気料金を、温水器などの機器の購入費用に当てて行くことの「ご提案」であったのです。

 安くなると言うのは嘘とは言わないまでも、正確ではないでないではないかと思うのですが、そこは温厚に対処する私です。
 しかし、父の世話でいろいろやってくれて来たガスをやめることはできません。
 こちらの勝手で契約を切るようなことを、私は業者とはしていないのです。
 それに、ついこの間、風呂を新しくして、天井からミストが出てくるそんな風呂にしたのです。仮に、電気にしたら、それらも変えなくてはいけません。

 そんなことを言いますと、電気ではミストが出てくる仕掛けはできないというのです。

 さすがのセールスマンも諦めたらしく、きっちり三十分で、引き上げていったのです。
 もちろん、もし気が変わったらお電話くださいと言って。

 私は、その方の名刺を自分の本棚の特定の場所にしまいました。
 ここには、訪問された方の名刺がいくつもおかれています。

 実は、半年前、我が家の二階にあるバルコニーにある水道管が破裂してしまったのです。その水道管はキッチンとバルコニーを仕切る壁の中にありました。
 漏れた水はその下にあるガレージの天井から勢いよく漏れて来ました。

 さぁ、大変です。市役所に電話して、市内の業者を紹介されましたが、大工仕事があるとそれでは太刀打ちできないと断られます。なんとも、水の故障だけに冷たい仕打ちです。
 近くのホームセンターでも、水周り専門の業者でも同様にできないと、これまた冷たい仕打ちです。

 そこで、思い出したのが本棚にある名刺の数々です。

 私が選び出した方は、二年ほど前に、近所で工事をやっていた業者で、庭仕事をしている私に、名刺をおいていった職人です。
 塗装、屋根葺き替え、大工仕事から庭仕事までなんでもやると意気込んでいた人です。
 その名刺に記載されていた携帯の番号に電話をしたのです。

 翌日、その職人が来ました。
 大きなタンクを軽トラックに積んで、そして、近所の、ついこの間工事をした家から水を運んで来て、三日分の生活用水を確保してくれたのです。

 程なく水道の漏れはなくなり、ついでに、というより、感謝の印に、バルコニーの防水工事を頼み、さらに、屋根の修繕、樋の塗装、そして窓の装飾と思わぬ工事までしてしまったのです。

 でも、それこそが必要に応じた工事であったのです。
 言われるままに、工事をするのではなく、こちらの必要に応じて発注するというのが、本来あるべき姿なのです。

 ですから、セールスマンには長い目で営業をしてもらいたいし、こちらも、丁寧に対応して行きたいと思っているのです。

 さて、この電気を安くすると提案をしてきた業者さん、いつか、また、我が家にきてくれる日があるかどうか、私はそこにある名刺の束をもう一度ペラペラとめくったのです。




人は匂い香るもの 

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イギリスのポーツマスに係留されている19世紀最大の、最速にして、重武装、鉄製の船殻と装甲を持ったイギリス海軍最初の装甲艦です。こんなに美しい艦艇がフランスとの戦いに備えて作られたのです。


 この日の朝。私の住むつくばのあたりは、マイナス五度でした。
 数日前のマイナス十度に比べればいくらかいいのでしょうが、家の中にいても、しんしんと寒さが身にしみるのです。

 外が明るくなると、我が家のワンちゃんも散歩に出て、自分のテリトリーの匂いを嗅ぎまくり、そこに自分の関知しない匂いがあると、すかさずそこに自分の匂いを落としていきます。
 そして、職場に向かうバイクやトラックの音が迫ってくると、恐怖のあまり、吠えまくるのです。
 それが、いわば、我が家のワンちゃんの朝の仕事です。

 しかし、このところ、その散歩を渋り、家から出たがらないのです。

 雪が降れば、犬などは喜んで、新雪の中を走り回るものです。
 これまで、我が家で暮らしたワンちゃんもそうでした。
 でも、今、我が家で一部屋を与えられ、夏は一日中、冬は夕方から陽の昇る午前遅くまでエアコンがつけられ、何不自由ない生活をしている我が家のワンちゃんには、そんな犬本来の持つ楽しみは失せてしまったようです。
 寒い朝の、それも雪が残っている戸外に出るなど、現代的な生活にほだされた犬のすることではないというような目つきで、外に出ることを拒否するのです。
 
 昼間、ワンちゃんの部屋に行くと、特有の匂いが立ち込めています。

 臭いな、というと、顔を床に押し当てて、まどろんでいたワンちゃんが目だけを開けて、上目遣いに、あなたには言われたくないというような目つきをしています。

 私たちは、あなた方人間より、とてつもない嗅覚というものを持っているのよ。
 私たちは、あなた方人間の匂いを我慢して、それに慣れていこうと努力しているの。
 だから、あなたに臭いなんて言われたくはないわ、といった目つきなのです。

 確かに、犬は刺激臭であれば、人間の一億倍の嗅覚を持っていると言いますから、犬の気持ちになれば、まったくその通りなのです。あなたたち人間こそ、犬たちに「スメルハラスメント」をしているのよと言われても仕方がないことです。

 そうそう、この「スメルハラスメント」という言葉、最近、よく目にします。

 私も、いい歳になりましたから、卓球の後の汗臭や、それに加齢臭にも注意をしなくてはいけません。自分のだす匂いは、自分にはわかりませんから。
 反面、人の出す匂いには、人間はこの上なく敏感です。
 それは、確実に嫌な匂いとして認識されるのです。

 教師をしていた時、女子生徒たち五、六人で、相談があるのだと私のところにやって来たことがあります。それも真剣な表情をして、この世の末のように暗い表情をしてやって来たのです。
 話を聞いてみると、ある先生の体臭がきつすぎて、授業中、クラクラしてしまうというのです。
 
 それを聞いて、確かに、彼には体臭があり、すれ違う際にそれを感じるのですが、ほんの瞬間であり、たいして気にも留めなかったのですが、生徒からすれば、長時間狭い教室に一緒にいるわけですから、クラクラするというのももっともなことなのです。

 私は、上司に生徒からの要望ということで報告を上げ、上司はしばらく考えて、その先生に注意をすることを私に命じたのです。

 さて、どう言ったものか。はたと困ってしまいました。

 第一、そういうこと、つまり、人が持つ弱点というか欠点を、あからさまに、本人に言った試しがありません。
 さらに、注意をしたからと言って、その先生の体臭は消えるものなのかとも考えました。それが癖を伴う行動であったなら、直りもしましょうが、体臭はところかまわず発せられるものです。
 毎日、風呂に入れというのか、それとも、男性用香水をつけろというのか、と考えあぐねてしまったのです。

 こればかりは、その先生と対する前に、ある程度の時間を要したのです。

 でも、生徒たちにとっては一刻も早く解決してほしい問題であるわけですから、意を決して、率直に言うようにしたのです。
 その先生も、少しは自覚をしていたようで、申し訳ないことをした、今後はよく体を洗い、人を不快にさせない香りを含ませると言ってくれたので、胸をなでおろしたのです。

 生徒たちにも、その旨を伝えました。
 そして、人は誰にでも匂いがあるから、あの先生も努力をするはずだから、それをわかってやってほしいと伝えました。
 生徒たちは、学校が対応してくれたことに一応の満足を得たようです。
 しかし、その先生の体臭はさして変わりなかったことは事実です。
 これは、どうしようもないことです。
 でも、生徒からはその後何も言ってこなかったのです。
 私の説諭が功を奏したのか、それとも、生徒たちが諦めたのかは聞いていませんのでわかりません。

 最近とみに耳にする「スメルハラスメント」という言葉が、学校や職場で起こりうるこの手の問題に、有効に作用するのではないかと思っているのです。
 
 なぜなら、かつて「モンスターペアレンツ」という言葉が世間を闊歩して、何でもかんでも文句を言ってくる親が、自分が「モンスター」と言われることを心外に思い、文句を控えたという事例がありますから、きっと、多くの人が自覚をしていくのではないかと思っているのです。

 私も、卓球で汗を書いたら、体温を下げるスプレーをシャツの中にして、そのデオランドで汗臭さを減少させ、朝はタオルで耳周りときちんと吹いて、出てくるかもしれない加齢臭を防がなくてはいけません。
 それがエチケットというものであり、「スメルハラスメント」にならない努力というものだと思っています。

 そうそう、学校に勤めている時、私は複数の外国人の先生とも職場をいつにしていました。

 彼らは、日本人と違い、自分たちは体臭がきついと知っています。ですから、ほのかな香りを身にまとうことをエチケットとしています。
 でも、彼らが自国から持って来たあの香りのきついこと、その香りがきつくで参ってしまうのです。

 そういう時、私は英語がわからないふりをするのです。
 上司から、君、注意しなさいと言われないように。
 この手の、国際問題こそは上司たる責任ある方に任せたいと思うのです。




まずは一安心

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冬は空気もきれいですが、寒さもひとしおです。澄んだ空気の中の山の姿を見れるのは嬉しいのですが、今年のこの寒さだけは勘弁ねがいたいと思っているのです。来週もまた、この寒さが続くと言っています。もう少し我慢ですね。確実に春は来て言いますから。


 おトイレが自分でできることが進級の条件。
 これをギリギリ直前でクリアしたGOKUと言う名の私の孫は、先日、新しいクラスでの初めての登園をしました。
 しかし、大泣きして、母親の足にまですがって、おいていかれるのを嫌がったというのです。

 私は、半年前、一ヶ月ほど、GOKUをキンダーに送る役目を担ってきたので、キンダーでのその様子が手に取るようにわかるのです。

 家からユーカリの大木が植えられている道を通り、芝生で覆われた歩道を、時に動く虫に夢中になり、時に空にかかっている白い月を指差し、何やら独り言を言いながら、じっくりと時間をかけて、GOKUはキンダーに行くのです。
 右手を挙げて、友達に挨拶し、先生にもハーイと手を差し出し、ルンルンな気分で自分が1日過ごす庭に進んで行くのです。
 教室ももちろんありますが、まずは、遊具が所狭しとおかれている庭で肩慣らしということです。

 私も三十分ほど遠くからそれを眺めています。

 すぐに、行ってしまうとかわいそうだと思う気持ちがあるのと、そうするのが、こちらの習わしのようで、仕事で忙しい親を除けば、どの親もあちらこちらにそっと佇んでいるからです。

 キンダーでの、活動の始まりは、先生が庭にしつらえたテーブルでのおやつからです。
 りんごのスライスがあり、クッキーが用意されることもあります。
 さまざまな肌の色をした子供たち、いろいろな顔立ちをした子供たちが、おのおの水道のところに行って手を洗い席につきます。
 見ていますと、席についた子供から、食べ物が与えられて行きます。

 一斉に、いただきますってことはないのだなと思いつつ、私はそっと、多くの親たちと連れ立って出て行くのです。

 ところが、その日は、新しい先生、新しい仲間にびっくりしてしまったようなのです。
 いつも一緒にいる中国からやってきた子は別のクラスに、仲良しで、ついこのあいだのGOKUの誕生パーティーに招待したオージーの子も隣の席にはいないのです。

 きっと、GOKUの頭は混乱をしたのだと思います。
 
 新しい先生は、あの足に入れ墨をしていた先生だと言います。
 若いオージーで、屈託のない笑顔の素晴らしい先生です。声が大きいのが特徴の先生です。
 前の先生と違う点といえば、そのことです。
 きっと、両手をパンパンと叩いて、子供たちに大きな声で、指示を飛ばしているはずです。
 私はその姿を何度も見ていたのです。

 だから、GOKUは、あれっ、なんであの先生が僕の名前を、それも大きな声で叫んで、呼んでいるのかと怪訝に思ったはずです。
 隣に座る子も、ついこの間までの子と違っています。

 それを察知した途端、GOKUは席を蹴って、今まさに出て行こうとする母親の元に駆け寄り、足にすがりつき、泣き始めたのです。

 よく言い聞かせていたとは言いますが、これほどまでに不安な顔で足にすがりついてきたので、かえって、娘の方がびっくりしたと言います。

 その前日、私のところにラインがあって、ゴールドコーストの街の外れに日本食品などを専門に扱う店があって、そこに、以前、私が買って持って行ったゼリーのお菓子が売っていて、それを買ってきたそうなのですが、一つは私のためにと冷蔵庫に残しておいてくれていたというのです。
 でも、食べたくなって、それを食べていいかというラインだったのです。

 一つを私のために残しておくなんて、可愛いものです。

 英語だか、日本語だかわからない言葉で私に語りかけますが、私には良くわかりません。娘が通訳をして、そういうことだとわかったのです。

 私は、しばらく、iPhoneに映るGOKUの顔を見ながら、困ったような顔をしました。
 すると、GOKUも同じような顔をします。
 しばらくして、いいよと言うと、右手を肘で九十度にして、それを一気に下におろします。
 やったーと言う合図です。
 きっと、漫画か何かで見たのを真似ているのです。

 オーストラリアで暮らすGOKUをはじめ、たくさんの日本の子供たちにとって、漫画と、iPadでみるYouTubeが日本を知る大切な道具なのです。

 その折、明日から新学期で、新しいクラスだから、喧嘩をしないで、楽しく通いなさいよと言うと、わかったとゼリーを食べながら言っていたのですが、実際、新しい環境に置かれるとそうもいかないのでしょう。
 
 ラインが終わって、まだ雪の残る我が家の小さい庭をぶらつきました。

 すると、来るべき夏、獲れたての柔らかいそら豆を食べたいがために植えておいた、まだ五センチにも育っていないそら豆の苗が植わっているその周りだけ、丸く雪が溶けているのを見つけたのです。

 「根開き」と言う言葉があります。「雪根開き」とも言います。
 俳句では、春の季語ともなっています。
 森の木の持つ熱で、根元の雪が溶ける現象です。山仕事や畑仕事する人からすれば、そろそろ春がくると言う印にもなります。
 太陽の光のせいも大いにありますが、きっと、樹木が地下深くに張った根っこで、寒い外の空気から自らを守るために、暖かい水分を吸収してそれが周りの雪を溶かしたと思うのです。

 だとしたら、こんな小さなそら豆の苗もまた、雪に覆われてしまい、身を守るために、その細い根っこで地中の温かい水分を吸い上げて、それがこうして、いくつものそら豆の苗の周りの雪を円形に溶かしているのだと思ったのです。

 まだ芽を出したばかりで頼りないそら豆の苗でさえ、こうして自分を守る知恵をつけているのです。
 私のGOKUが、新しい環境に、不安を感じ、足にすがりつくのも、きっと、一回り大きくなるためのそれは「雪根開き」なのかもしれないと考えたのです。
 助けてと大人の足にすがりつき、自分の切ない心の有り様を親やキンダーの先生たちに見せ、心情を知ってもらいたかったのです。
 
 翌日は、昨日はなんだったのと拍子抜けするくらい、バイバイと手を振って、娘がキンダーを出て行くを見送ったと言います。

 私のGOKUの「雪根開き」は功を奏したようです。
 まずは、ひと安心というわけです。




キスがしたい

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この川は、明らかに日本のそれではないことがわかります。そうです。イギリスの典型的な川の形です。人口の少ないイギリス、それなりに、人々は生活を楽しむのです。川は産業に貢献するのではなく、人の心に貢献するのです。



 オーストラリアで暮らす孫に、雪の降った情景を写真に撮り、ラインで送りましたら、早速、ラインでのビデオ電話がかかって来ました。
 それ、食べてと叫んでいます。
 雪を見たことがない孫は、白いふわふわと積もったそれが美味しいアイスのように思えたのでしょう。
 玄関に出て、積もった雪を一口、口に入れると、こっちへ来たいと言い出します。
 
 雪のおかげで、しばらく、GOKUという珍妙な名の孫と会話を楽しんだです。

 iPhoneというスマートフォーンのおかげで、さらにラインというソフトのおかげで、何千キロも離れた場所にいる孫と、ビデオ通話ができるのですから、なんとも良い時代ではあります。
 しかも、それが無料というのですから、嬉しい限りです。
 その孫も、おもちゃの中に、親に買ってもらったiPadと私の使わなくなった古いiPhoneがあって、器用に指を動かして、You Tubeで漫画を見ています。

 まさに、<スマート>な時代になったものです。

 世間のありようを遠目から眺めていますと、この<スマート>なる傾向はいたるところに、はびこり出して来たようです。

 時代は、人手不足。
 どんなに求人広告を打っても、人が集まらないと言います。
 困った企業は、それだったらと、受付に恐竜のロボットをおいて、人間の代わりにし、それが話題性も集め、なんとか急場をしのいでいるようです。
 いや、下手に人を使うより効果はあるような気配です。

 深夜でも働いてくれる学生が少なくなり、中国や韓国からの学生を頼りにしていたコンビニも、極めて近い将来、商品にタグをつけて、人がいなくても買い物ができる、そんな時代になるというのです。

 私など、そんな店に入って、果たして、商品を買えるのかいささか不安になってしまいますが、それも、そうした時代であると覚悟すれば、きっと慣れて行くのでしょう。

 銀行なども、ATMばかりではなく、融資や保険など、ちょっと込み入った話も全部ロボットがこなして行くようになると言います。病院も、ドクターではなく、まずは、医師と同等の知恵を備えたAIロボットが、症状を聞くということになります。もちろん、スマホを使っての診察です。病院に行く必要などないのです。
 良い時代なのか、そうでないのかは良くわかりません。
 でも、出不精な私には、家でなんでもできるというのはありがたいと思っているのです。

 そうそう、今、日本で最も重労働と言われている介護士さんたち。
 これにも、ロボットが進出してくるようです。
 2030年には実用化が計画されていると言いますから、この時点で、多くの介護士さんたちも職を失うということになります。
 この頃、きっと、私も多少は老化現象が出てくるのではないかと思っていますが、そうだとすると、このロボットに私は介護されるということになるわけです。
 心構えだけはしておかなくてはなりません。

 三年前、立て続けに、入院手術という憂き目にあってしまいましたが、その間、心を和ませてくれたのは、看護師さんたちとの会話でした。
 女性はもちろん、今は、男性の看護師さんもいて、随分と、世話を焼いてくれました。
 謝礼は一切不要といたるところに掲示がされていましたから、結構、患者さんたち、そっと渡していたのではないかと思うのです。そうでなければ、あんな掲示が出るはずがありませんからね。

 ともかく、あの看護師さんたちの立ち居振る舞いは病人を勇気付けてくれました。
 その看護師さんたちも看護ロボにより、職を失うことになるのかと思うと、一抹の寂しさを感じるのです。

 私には、実は、愉快なおじおばたちがいました。
 東京の下町で育ち、言葉は悪いのですが、気持ちのとても良いおじおばたちです。

 歩くときはいつも下を向いて歩くというおばがいました。
 お金が落ちていないかとそれを期待して、そうしているんだと、真面目な顔で言うのです。
 そして、それが結構な額を拾っていると言うのです。
 それを交番に届けたかどうかは聞きそびれましたが、その面白いおばさんが入院したときのことなのです。

 これもまた、面白いおじさんがいまして、ともかく、足が短く、いわゆるO脚なのです。
 ですから、歩くときに人間離れした歩き方をして、子供たちはこっそりと笑っていたりしていたのです。もちろん、悪気があるわけではなく、あのおばさんが一言、なんで、ダルマさんみたいにおじさんは歩くのとか、早くきなさいよ、バスに遅れちゃうじゃないよ、おじさんたらいつも前へ歩かないで、右に左に体を傾けてばかりなんだからと、確かに口は悪いのですが、それが絶妙な愛情が込められていて、嫌味ではないのです。

 おじさんも、そんなに言うなよくらいに笑っているだけなのです。

 そのおじさんが、おばさんの入院している病院に見舞いに行ったとき、ちょっとしたことが起こったのです。
 おじさん、病室にいつものように、体を左右に降りながら、入って行きます。
 腹にメスを入れたばかりのおばさんは、さすがに、悪たれをつくことはできません。ただ、頭を動かして、見舞いに来てくれたことに感謝をします。

 ベットの脇に腰掛けて、世間話をするわけでもなく、ただ座り、おばさんはベットに横になっています。
 静かに時間が過ぎて行きます。

 当時は看護婦さんと言いましたが、その方が病室に入ってきて、体温を図ったり、腕につけられた点滴の管を点検します。おじさんはそれをじっと見ています。
 看護婦さんが出て行くと、おばさん、おじさんの方を見て、そっと「キズが痛いの」と言ったのです。

 おじさん、おもむろに立ち上がり、おばさんの顔に覆いかぶさってきます。
 そして、おばさんのほっぺに、自分の唇を当てたのです。

 おばさんは目を見開いたままです。
 おじさんは、おばさんが「キズが痛いの」と言ったのを聞き間違えてしまったようなのです。
 
 おばさんが退院して、その話で親戚一同、腹を抱えて大笑いです。
 あまりに、おかしいので具合が悪くなるほどでした。

 介護ロボットによる介護を受けることになる私、そんな話を思い出しながら、あのような抱腹絶倒な出来事は、きっと、律儀な介護ロボとの間には成立しないなと、一抹の不安を抱えているのです。




雪の降る前

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寒い日が続いています。現在朝の五時です。つくばの気温はマイナス6度となっています。おとといはそれがマイナスで10度でした。寒ければ寒いほど、春が恋しく待ち遠しくなります。ロードバイクでりんりんロードを走ると、八重桜の向こうに筑波の山並みが見えます。なんとも待ち遠しい限りです。


 昨日から、天気予報が今日雪が降ることを盛んに伝えています。

 二階の書斎の窓から、外をうかがうと、空一面が灰色の雲で覆われていました。
 目線をおろして、隣のアパートの駐車場に目をやります。
 ボンネットの上にも、車の屋根の上にも、霜が降りている気配がありません。霜が降りていれば、うっすらと白くなっているはずです。
 それを見て、気温はさほど低いというわけではないなと思いながらも、こういうときにはこれからじっくりと冷えてきて、予報通り、午後には雪がちらつき始めるに違いないと私は思いました。

 昨日、港に行く予定をキャンセルしてしまいました。
 一日中、卓球の全日本選手権の準決勝と決勝をテレビで見てしまったのです。
 だから、今日は少し運動をしなくてはと思っていたのです。もし、雪が降ったら、きっと、散歩に行くのが億劫になるなと思い、私は意を決して家を出ました。

 これが底冷えというやつだなと足元から押し寄せる冷気を感じながら、私は歩き始めました。
 しばらく歩くと、研究所の松林が途切れて、筑波の山が見えるはずです。

 おやっ、筑波山に雲がかかっていない。
 雲が垂れ込めている割には、山容がくっきりと見えていると、幾分気持ちも晴れやかにさらに歩き進みました。
 しばらく歩くと、民家もなくなり、畑の中の道に出ます。
 マフラーを忘れたなと思いましたが、しかし、取りに戻ることもあるまいと畑の中の道に出ました。
 思いの外、冷たい空気が喉元から胸先にすっと忍び込んできます。
 首をカメのようにすくめ、背中を丸め、両手はダウンのポケットに突っ込み、私は歩き始めます。

 ダウンについているフードが風に吹かれ、その音が耳元にうるさく響いてきます。

 その時、私は汽車の汽笛、いや、電気機関車のピーィという甲高い音を耳にしたのです。それに伴って、重たい機関車とそれにひかれる幾両もの貨車の線路の切れ目を叩くリズミカルな音も聞こえたのです。
 つくばの私の暮らすところから、鉄道はあまりに遠く、それらの音が聞こえるはずがありません。

 でも、私の耳には、あの規則正しいガタンゴトンという音が響いてくるのです。そして、時折、あの甲高いピーィという音も聞こえてくるのです。

 歩きながら、これは以前確かに耳にした音だと、私は記憶を手繰り寄せるのです。
 そうする間も、風が吹き寄せてきます。体のほとんどすべては覆われていますが、顔だけは吹きっさらしです。冷たい風が顔にこれでもかと当たってきます。

 そうだ。あの時だ。

 私の中に、ひとつの記憶が蘇ってきました。
 あれは、冬の寒い日、母の育った家を一家で訪ねた時のことです。私たちが行けば、母の実家では大騒ぎをしてくれます。
 あの日も、私たち一家は、魚屋から取り寄せられた大皿の豪勢な刺身、自宅で揚げられた出来立ての天ぷら、それに、酒で煮出した湯豆腐をご馳走になりました。

 父は、よほど気分がよかったのか、いつにもまして、酒を飲み過ぎてしまったのです。足腰が立たなくなるくらいに飲んで、泊まって行けということになりました。
 でも、明日は、私は学校があります。父は当然仕事にいかなくてはなりません。
 父は、酔った調子で、学校など一日くらい休んでも大丈夫だと暴言を吐いています。
 母も困った表情をしていますが、泊まれば、夜遅くまでおばあちゃんと話ができます。ですから、困った表情の脇には、ちょっと嬉しいという表情もあることは、私には察知できたのです。

 明日、早く出て、家に戻り、学校にいかせてくれることを約束して、私たちは母の実家に泊まることになったのです。
 
 母の実家は、中川という川の土手下にあります。
 川下には東京と千葉に結ぶ鉄道が通っています。そこは深夜貨物が通るJRの前身国鉄の線路です。
 従兄弟たちと布団にくるまって、話をしたり、ふざけたりしていましたが、ひとりふたりと静かに寝入ってしまい、私一人だけが布団の中で目をぎらつかさせていました。
 明日は、父はちゃんと起きて会社にいけるのかとか、母は約束を守って、学校に間に合うようにこの家を出てくれるだろうかと心配していたのです。

 その時、あのピーィという甲高い音、それに、あの規則正しいガタンゴトンという音が、夜のしじまの静寂な空気の中で響いてきたのです。

 なんという寂しい音なのかと私は思いました。

 孤独の中で、あの機関車は大量の荷物を積んだ貨車を、幾両も連結して、一体どこに向かっているのだろう。
 誰も見ていない、漆黒の闇の中を、おいらはここにいるぜと言わんばかりに、ピーィという甲高い音を立てているに違いない。そして、規則正しいガタンゴトンという音だけをよすがにして走っているに違いと思ったのです。

 雪の降る前の、農道の中で、幻のような音を聞いた私は、その瞬間、あの何十年も前の出来事の中に送り込まれてしまったのです。
 風がフードを規則的に叩くその音が、私の耳に、幻想を呼び起こさせたのだと私は思いました。

 人間というのは、結構覚えているものだ、普段、思いだしもしないあの寒い季節のあの夜の出来事が急に明確な記憶として蘇ってくるのです。
 人間の頭の中にある記憶装置がどうなっているのかはわかりませんが、きっと、人間は計り知れない脳の力を宿しているに違いない、そう思うのです。
 その力を捨ててまで、私たちはAIなる機械にいろいろなことをしてもらおうと企んでいるのです。
 それが時代の方向であれば、一人の人間なんて、抗うこともできない、その大きな渦の中に吸い込まれて行くしかないのです。

 冷たい風が今度は背中に圧力を加えるようになってきました。
 私は方向を変えて家路についているのです。
 目には、くっきりとした姿を見せている筑波の峰があります。ロープウエイのつつじヶ丘駅の白い建物も、女体山駅の建物も見えます。
 冷気で空気が乾燥し、視界をよくしているのです。
 冷たい風に背中を押されるように、目は筑波山の美しい山容を見ながら、私は帰途についているのです。
 
 そうだ。
 あの晩、うつらうつらとしながら夜を過ごし、朝方、母に起こされて、おばさんが用意してくれた納豆と生卵の朝ごはんを食べて、私は家に戻ったのだ。
 そして、何事もなく、ランドセルをしょって、学校に出かけて行ったのです。
 
 でも、なんであんなに学校に行きたかったのだろうか。

 雪の降る前、その問いに答える前に、私は家についてしまったのです。




当たり前のことが一番難しいのかも知れない

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東京ドーム。マッカートニーのコンサート。壮大なステージ。こんな空間で3時間あまり。まばゆい光と懐かしい声と音楽。また、この場に行けるだろうか。ふと、そんなことを思うのです。


 学校が生徒に与える賞の中に、「皆勤賞」「精勤賞」というのがあります。

 学校を一日も休まず、登校してきた生徒に授与される賞です。
 学校が生徒に授与するものの中で、もっとも、価値ある賞と言われています。
 成績トップの優秀賞より、特別な働きをした功労賞よりもです。

 でも、最近、皆勤精勤の賞を取らないでもいいんだと考える方が増えているような気がするのです。

 そんなものより、成績が大切だ、あるいは、お稽古事の方が大切だと思っているのです。
 そのほうが、社会に出て、子供に役に立つと思っているのです。
 ですから、学校では、勉強も、友人関係もそこそこで、それよりも、放課後、学習塾で一点でも二点でも取ることに力を注がせるのです。
 あるいは、今日はピアノ、明日はサッカー、翌日は水泳、というように放課後の時間を、お稽古事に通わせるのです。

 まぁ、学ぶ場所がたくさんあるということは、国も民も豊かになった証ですから、悪いことではないのですが、学校をおろそかにするというのは、何か本末転倒のような気もするのです。

 そんなんでは、子が社会人になるとき、会社などの組織がその子を受け入れてくれるのかと心配になってしまうのです。
 何か大切なものを忘れて、そのために、辛酸をなめるような人生を送らねばならなくさせてしまっているのではないかと、気にかかるのです。

 と言いますのは、学校を休むことなく、出席し、賞を獲るということは、それが人が持つ<真面目さ>を数値化したものであるからなのです。

 仮に、二百日の出席日数があって、皆勤であれば、<真面目度二百>という数値であるということです。
 それを、上級学校の入学試験、そして、就職試験などでは、かなりの確率で評価するからです。
 欠席が多ければ、何か問題があったのではないか、果たして、ここに入ってきて続くだろうかとか、会社であれば、社員に何億円と投資していくわけですから、多少成績が良くなくても、欠席の少ない<真面目な>人物を選ぶというわけです。

 これが社会の実相なのです。

 小生意気な生徒が、人は「見た目」ではないと大見栄を張って、教師の言うことを聞かない時があります。
 そんなボサボサの髪ではダメと言っても、シャツを出すなと言っても、首を斜めにして人の話を聞くなと言っても、言うことがきけないのです。
 ですから、肝心要の試験の時に、ボロが出てしまい、情けない結果になってしまうのです。

 大阪大学でしたか、この<真面目さ>が、その人の年間所得を向上させるというレポートを発表したことがあります。
 なんでも、アメリカと日本で調査をし、その結果であると言いますから、信用できるそれは結果であると思っているのです。

 現に、私の経験からも、皆勤で学校生活を送れる生徒は、明るく、元気があり、誰からも信頼される、そうした生徒でした。しかも、当たり前のことですが、ご家庭もしっかりとしています。家庭自体が明るく、元気であるのです。

 全部を知っているわけではないですが、卒業し、何年か経て、社会人になって、学校を訪問してくれた皆勤の生徒は、まず間違いなく、立派な人材としてあるのです。
 立派な人材というのは、仕事を前向きに捉え、頑張っている青年であるということです。
 子供の幸福を願うなら、皆勤を目指させるというのが一番いいと、私はその経験から思っているのです。

 教師間で、一人の生徒が話題になることがあります。

 もちろん、悪さをして、どうこうではなく、反対に、真面目である生徒のことです。
 頭がとてもよく、よって、成績が良い子というのは結構います。でも、そう言う子の中には、ときに教師によって態度を変えたり、試験に関係ない科目で居眠りをしたりしていて、教師間でも眉をひそめたりする時があるのです。
 そうではなくて、要するに、<性格がいい>子のことなのです。

 それを通知書的に書けば、「目標をもって、規律正しくあり、粘り強くやり抜く資質を持っている」となります。
 さらに、「協調性があり、誰とでもうまく交際でき、思いやりがあり、友人に対して優しい言葉がけができます」となるのです。
 そういい子は、教師でなくても、誰が見ても、気持ちがいいものなのです。
 それに、何事にも興味関心を持ち、勉強に力を尽くすことが加われば文句なしです。

 そう言う生徒が教師間で話題になるのです。

 教師の間で、そう言う子が清々しいと話題になると言うことは、入学試験や入社試験で目を引くことは当たり前なのです。
 そうした子であれば、社会は文句なしに受け入れると言うわけです。
 学校の偏差値ではなく、その学生の成績ではなく、そうではなく、その人間が<素直>であるか、<真面目>であるか、<性格>が良いかが、受け入れの基準になるのです。

 そうであるなら、<皆勤・精勤>の子が、社会人になった時、職業人として会社でも評価され、その結果、収入も安定し、素晴らしい生活力を持つと言うことになると思います。

 ちょっと悪さをする子に、気長にそうした性格を付与していく指導をすることが、実は教師の大きな務めであります。
 そうすることで、この子が社会人として一丁前になっていくのですから、まさに、言葉通り、手塩にかけていくのです。教師にとってやりがいのある仕事です。

 反対に、頭はいいが、教師によって態度を変えたり、居眠りをする生徒というのは、それを変えていくというのは多少困難を覚えます。いや、覚えるというより、教師も人間ですから、そんな生徒に教えても仕方があるまいと思ってしまう時があるのです。

 そんなのは教師の風上にもおけないと憤ってはいけません。
 すでに、この時点で、そういう子は損をしているということなのです。
 このことの方に、目を向ける必要があると思うのです。

 つまり、社会がその時点で人を見分けしているということなのですから。
 社会は至極当たり前のことを求めているだけなのです。





虫の目 鳥の目

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なんだか異界へ行く道筋のように、この絵は見えるんです。でも、これは、とある海辺の朝日が昇る砂丘の上の人の様子なのです。ちょっと視点を変えるだけで、いろいろなものに見えるのですから。


 新聞の死亡欄。
 昔から、この欄を見るのが好きでした。もちろん、その人が亡くなったことを喜ぶものではありません。その人が、どのような人で、どのような生き方をして、幾つでなくなったのかを、わずかな行数の記事を読み、わずかな時間ですが偲ぶだけの話です。

 しかし、自分も歳を経て、同じような年齢、時には、ずっと若い方のそうした記事を目にすると、なんだか、自分が無為に生きてしまってきたかのような錯覚を持ってしまうことがあるのです。
 この方は、この歳で逝ったのに、私はまだ生きている。
 そんな後ろめたさみたいなものが沸き起こってくるのです。
 そんな気分は、若い頃にはありませんでした。やはり、私はそれなりに歳をとったのだとあらためて思う、そんな今日この頃なのです。

 そんなある日、ある人の元気に過ごしているという記事を目にしました。
 山藤章二さんというイラスレーターです。
 山藤さんがまだお若い頃、といっても、五十代かそこらだと思いますが、穏やかな口調の中に、的を射た発言が好きで、テレビなどで、気分よくその意見を拝聴して方です。
 その山藤さんが傘寿を迎え、日々の思いを綴った本を出しました。

 それを紹介する記事に、傘寿を迎えた山藤さんのお姿が載っていました。
 
 五十代の溌剌とした表情、黒髪に銀髪が混じり、それをオールバックにしたあの姿とはまったく異なる、まるで仙人然としたそれは姿だったのです。
 テレビで見ていた面影は、これが山藤さんだとわかれば、感じ取れるのですが、そうでなければきっとわからないと思います。
 
 人は、傘寿になれば、こうも変貌するものなのかと、ドギマギしてしまうのです。

 でも、その表情をよく見ると、仙人と言ったのは間違いかもしれないと思うのです。
 あの時代、テレビの中で、ちょっと笑みを浮かべ、照れ臭そうに、それでもズバリと核心をつく意見を述べていた山藤さんが、好々爺の表情を浮かべていたからです。
 
 なんでも膝を悪くして、療養生活をしていたと言います。
 
 その折に、書きためたエッセイが今回の出版に繋がったのだと思います。
 彼は、自分を放牧させると書いていますが、それでも、療養という世間と隔絶した中にあって、自分がその世間から取り残されて行く不安を感じたと言います。
 いくつになっても、時代に向き合う人間として、焦りや孤独を感じていけることは素晴らしいことと思うのです。
 ましてや、自分を放牧させるなどという言葉は、そうそう簡単に出てくるものではありません。

 そして、彼は言うのです。
 昔は、虫の目でものを見ていたが、今は、鳥の目でものを見ていると。
 
 このような傘寿を迎えられたら、素晴らしいと、私はこの一言にほだされるのです。
 
 このような方からすれば、まだ古希にもなっていない私など、赤子のような存在であるに違いありません。
 偉そうなことは言うなかれ、わかったことのようにいうなかれ、悟ったようにものは言うなかれと言われているような気もするのです。
 
 私は、自分の命の尽きる目安を、傘寿においています。

 それは父の寿命がそれであり、毎日見ている物故者の享年の多くがそこにあるからです。
 それより若ければ、早いな、まだまだやりたいこともあったろうにと思い、それより歳がいっていれば、まぁ随分と長生きをしたことをだと思って、心の中で手を合わせるのです。

 自分の命が傘寿で尽きるとなれば、それなりの覚悟ができると思っていますが、山藤さんのあの仙人めいた、いや、好々爺めいた表情を見ますと、そんなことを思うのは百年早いと思いもするのです。

 そもそも、人の寿命など、親子一緒などという生理学的根拠などありませんし、節制をしていたから長寿であるということもなさそうです。
 人の寿命というのは、命を寿ぐものであり、いくつになるかわかりませんが、その時がきたら清々粛々とそれを受け止めて行けばいいだけの話なのです。

 そういう意味からすれば、山藤さんが述べていた、鳥の目ということが良くわかるのです。

 虫の目で、ちまちまと物事を見たり、聞いたり、書いたりするのではなく、鳥の目で、広く、全体を俯瞰するような姿勢で、ものごとを見ていかなくてはならないのだと思うのです。
 なんだか、とても大切なことを教えてもらったような気がして、これから鳥の目で何事も見て、聞いて、書いていかねばと思った次第なのです。




心つもりだけはそっとしておきたい

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この景色を見るために、ちょっとした丘を登るのです。息を切らせて、膝を抱えて、やっとの思いで、そこにたどり着いて、この景色を見たとき、山を登る人も、同じような気持ち、やったという到達感を持つのだと思ったのです。たいした山でもなく、丘でも、そうなのですから……。


 海外からお客様が見えると、やれ、晩餐会だとか、どこそこの寿司屋さんにお忍びでお出かけになったとか、微笑ましい話題がニュースとして取り上げられるのですが、先だって、やって来てオーストラリア首相のターンブルが出かけた先は、陸上自衛隊の習志野演習場でした。
  
 視察の目的は、テロ対策および人質救出を担う自衛隊<特殊作戦群>の訓練参観でした。
 
 <特殊作戦群>……?
 聞き慣れない言葉です。それもそのはずです。これまで、任務内容、部隊の詳細など一切公開されることなく、その名のごとく特殊作戦に従事する部隊なのです。

 ですから、マスコミも初めて、今回、その部隊の姿を目の当たりにしたと言うわけです。
 もちろん、日本の首相が視察するのも初めてです。
 外国の首脳としても、ターンブルが初めてと言う、何もかも「初めてづくし」であったわけです。

 でも、待ってください。
 ターンブルといえば、数年前、前首相アボットを、いわゆる党内クーデターで追い落とし、海自の「そうりゅう型」潜水艦のオーストラリア海軍への導入を退けた中国寄りの首相だったはずです。

 日本としては、そのような首相に自衛隊のそれまで公開もしていない部隊を視察させていいものかと思うのです。

 しかし、ターンブルは、中国政府の露骨な、いわゆるシャープ・パワーを嫌って、大きく政治の舵をきったと言うわけなのです。
 その証拠と言ってはなんですが、『環球時報』が昨年の十二月に発表した「中国に非友好的な国」のダントツのトップにオーストラリアが挙げられているのです。
 ちなみに、2位がインド、3位がアメリカでした。

 中国政府にとっては、もっとも憎き日本でさえ4位でしたから、いかに、ターンブルが中国に対して厳しく対応しているかがわかります。
 そんなことを知ると、ターブルが自衛隊の特殊部隊を視察するのもうなづけるのです。
 
 最近のニュースを見ていますと、やれ、「美女応援団」とか、「南北融和」とか、半島あたりから、穏やかなニュアンスで情勢が語られていますが、今回の件を思うと、そうばかりではない、いや、何かもっと危ない方へと舵が切られている、そんな思いがしてならないのです。
 あの北の楽団の女性団長の目がギラギラしているのは、緊張ばかりではなく、何か、政治的使命を帯びたそんな狐のような目に、私には見えるのです。
 そして、世界中で、そっと何かが始まっている、そんな気がするのです。

 アメリカは、1月16日までに、B52戦略爆撃機6機をグアムに展開しました。
 たった6機が来たのではありません。300人の人員を伴って、ルイジアナ州のバークスデール基地から移動して来たのです。つまり、即戦力として部隊が稼動できる移動というわけです。
 グアムのアンダーセン基地には、現在、B1、B2がいますので、アメリカの3機種の爆撃機が同時に展開しているということになります。これは一時的とはいえ、敵対する国には、大変な威嚇になります。
 
 空自では、国産ステルス戦闘機F35の三沢基地配備が始まりました。
 巡航ミサイル搭載が予定されている世界最先端戦闘機です。すぐに運用されることはないと思いますが、空自を仮想敵とする国からすれば、これもまた非常な危機感を持たなければならない配備となります。

 こうした日米の動きに対して、いち早く反応をしているのが中国です。
 人民解放軍の射爆場に集まった七千名の兵士を前に、「戦いに備えよ。苦難も死も恐るな。」と、二十世紀的檄を飛ばしのは、習近平です。正月三日のことでした。
 人民解放軍は、かつて義勇軍を派遣したルートと今回は山東半島から、彼らが誇る海軍を使って、マッカーサーが行ったのと同じ海からの派兵を企図しているはずです。
 中朝国境には避難民などを収容する施設もできたと言いますから、ここでもそっと何かが動いているのです。

 フランスは、大統領のマクロンが徴兵制に言及しました。
 スウェーデンでは、戦争に巻き込まれる事態を想定し、それに対する備えを細かく書いたパンフレットを、国民に配布します。
 十分な量の食料、それに水、寒さをしのぐ毛布を用意すること、そして、自治体に対しては、地域住民が避難できる防空壕を作るよう求めているのです。
 そして、この国でも、今年から徴兵制が復活すると言うのです。

 何かが、密かに、動いてると、確かに言えます。

 臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。
 大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。
 帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。
 帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。
 今朝、大本営陸海軍部からこのように発表されました。

 これは、昭和16年12月8日朝7時のNHKの臨時ニュースのアナウンスです。
 そのような、臨時ニュースを耳にすることがあるのではないか、あるいは、その前に、どこからミサイルが飛んでくるのではないかと、心配するのです。

 バンクーバーでの外相会議で、マティス米国防長官が、アメリカの戦争計画に言及しました。

 軍事行動というのは、作戦計画・武力行使準備、そして、戦争をする意思、この三つがあって戦争への警鐘となり、それが武力衝突の前哨戦になるのです。
 ですから、今の情勢下の中で、アメリカが戦争計画に言及するのは至極当然のことです。

 そこで気づくのです。
 戦争はもう始まっているのだと。

 作戦計画があり、戦争をする意思もあり、あとは、兵力を動かし、武器がその威力を発揮するだけになっているのです。

 かつての日本のように華々しく軍が動いて始まるのではなく、兵力武器が使われた時、戦争は済んでいるのです。
 兵力武器が動員される前に、戦争が終わるように期待をしつつも、公にされた状況の中でも、これだけの準備がなされているのです。
 心つもりだけはしておかなくてはとそっと思っているのです。




不思議な電話不思議な男

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磨かれた床、そこに座布団を引き、目の前の火で暖をとる。背中はさぞかし寒いだろうから、ちゃんちゃんこなどで暖かくする。それでも、きっと、寒かったに違いない。暖炉や囲炉裏が消えていったのは、それが原因だと想う。でも、情緒があるな。


 風呂につかっていましたら、急の用事だと電話をかけてきた男が言っていると、家人が電話の子機を持ってきました。

 何事かと電話に出ると、私の還暦の祝いを香港のフィリピン・パブでやってくれた塾の先生からの電話でした。
 急遽、日本に出張で来たので会いたく思っていたが、これまた急遽、香港に帰らなくてはいけなくなったので、逢えなくなったという電話なのです。

 もちろん、事前に会う約束などしていないわけですから、電話をよこすことなど必要ないのですが、こういうところがある男なのです。

 私の見るところ、この男は、まず百パーセント日本では生きていけない部類に入ります。
 きっちりと枠に自分をはめたがらないからです。これでは日本では使い物になりません。
 本人も、それを十分に承知しているのです。

 で、今は、彼は銅鑼湾のビルに小さな店舗を借りて、フィリピン人の若い女性二人を雇い、カレーの店を経営し、併せて、塾の教師もしているというわけです。

 きっと、今回はセンター試験を受験する生徒を引率して日本に来たと思うのですが、そんなこんなは一切語らず、電話は切られたのです。 

 以前も、急に電話がかかって来たことがありました。
 今晩、上野のライブハウスでシャンソンを歌うから来ませんかというのです。
 急に言われてもと思いましたが、なぜか、この男の誘いが嬉しくて、なんとか行くよと言って、仕事を早めに切り上げ、土浦から特急に乗って行ったのです。

 鈴本演芸場の近くにあるライブハウスで、クリーム色のダブルボタンスーツを着て、彼は歌っていました。
 プロではないのですが、もう一人の女性歌手はプロで活動しているとしゃべくりの中で言っていましたから、彼も素人というのではなくセミプロなのだと私は思っているのです。
 こういう場合は、何か花束か何かを持って行くのが通例なのでしょうが、そんな余裕もなく、私は、私が自費出版した本を一冊持っていき、彼に渡しました。

 彼は、私がこのような活動、つまり、小説を買いたりしていることを初めて知ったらしく、びっくりしていましたが、それは、カレー屋にして塾の講師、はたまた、シャンソン歌手であったという私の驚きといつになるものだったと思います。

 人は、普段見せている顔の他に、必ず、別の顔を持っている。

 きっと、私は、この不思議な男とあい通じるものがあって、それゆえ、突発的な誘いにも関わらず、こうしてやって来たのだと思ったのです。

 そんなわけで、塾講師としての彼と、彼の生徒を受け入れる学校の教師という関係以上の付き合いが始まったのです。
 彼は四国に、彼は県の名前を言わないのです、多分、愛媛だとは思うのですが、そこに妻と子供がいるはずなのです。きっと、もう何十年も帰っていないのではないかと思います。その辺りを香港に私が滞在している時、尋ねたことがあるのですが、彼は語りたくない様子だったので、私も無理強いはせずにおいているのです。
 ですから、彼は詳しいことは皆目分からない不思議な男なのです。

 彼が、一私学の教師である私を香港で接待してくれたことがあります。
 接待といっても、香港から帰国子女の入学を期する担当の教師として、私は彼に、香港での案内を頼んだ、つまり、お金を払って契約をしたわけです。
 移動代、食事代はこちら持ちですから、正確には接待ではありません。私に雇用された使用人として香港での活動に当たらせたという方が正しい表現です。

 その彼が、香港人に対して、随分と横暴な発言をしているのを私は訝りました。

 例えば、食事が終わって、会計をするとき、香港ではテーブルでそれをするときが多いのです。しかし、そういう時、店員に、「唔該埋單(ン・ゴイ マイ・ダーン)」というのが丁寧な言い方なのですが、彼はぶっきら棒に「埋單」というのです。
 なんだか、日本人の悪いところを見せつけられているようで、その度に、私は会計する店員に、「好食(ホウ・セッ)」「多謝(ドー・チェ)」と笑みを浮かべて、愛想を振りまいていたのです。

 そういう時、彼はどうしてそんなに下手に出るのだと言わんばかりに私を睨みつけるのです。 

 ある時、私はそのことを彼に問いただしたことがありました。
 彼は、香港人に下手に出ると、必ずしっぺ返しを食うからだというのです。人間関係ができるまで、俺は客という姿勢を堅持しなくてはならないと彼は言うのです。

 しかし、私はそれは違うと意見しました。
 香港のどの店でも、客を誤魔化そうなどと目論む店は一軒もない、それなのに、あなたはタクシーの運転手やレストランの店員に横柄に対応する、それはいけないと反論したのです。

 彼は、私をじっと見て、ここに暮らしていてごらん、こちらがちょっと優しい声をかけたり、笑顔見せたら、奴らは何をしてくるか分からない、そう言うのです。
 彼が、この香港に暮らして得たそれは知識なのでしょう。きっと、騙されたことがあったのでしょう。あるいは、そのくらいの気持ちでいなくては、香港で生きて行くことはできないのかもしれません。
 彼のバイタリティあふれる活動には私は大いに敬意を払うのですが、彼の香港人に対する姿勢にはいまも私は反発するのです。

 その彼が、香港人を褒める時があります。
 レストランに入って、注文をします。
 彼が右手を上げて、店員を呼びます。すると、私は言われるまで気がつかなかったのですが、その際の店員の返事が「はぁ〜い」となるのです。

 私が気づかなかったのは、それが日本と同じであったからだと思います。
 さらに私はそれが日本の影響であったと思ってもいたのです。
 でも、広東語では、この「はぁ〜い」には、ちゃんと漢字があるのです。
 「係」と言う漢字です。
 私があまりに気がつかないので、彼は私に、香港のレストランに入って、あの返事を聞くと香港って素晴らしいと思うんだと言いました。

 返事って気持ちいいですよね。
 ですから、彼が注文する時、いや、注文をするときに右手をあげるとき、彼は確かに笑みを浮かべているのです。しかし、注文時には、それが可愛い広東娘であろうが、筋肉むきむきの男であろうが、客として、あの横柄な姿で広東語を使うのです。

 なんとも不思議な彼です。
 その彼がこうして電話をくれるのですから、私は嬉しく思ったのです。
 湯に浸かりながらの電話、なぜか、気分が良かったひと時であったのです。




プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《6 / 17 💡 Monday 》
 
🦅 ただいま、<カクヨム>にて『ひとりっていいよな』を発信しています。

  世の中って
  理不尽なるもので
  満ち満ちているんだっ……



誰でも、社会的生活を営んでいれば、心苦しいことに出会うものです。
トップの解任、同僚との確執、職を辞しての新しき生活、そんなさまざまの体験がそれです。
人は、かくも争い、かくも世知辛い思いをするのです。
そして、大切なものをそこで失っていくのです。
失うことを、損得で測れることはできません。
失うことは、糧として、その人間に残れば、それでいいのです。
そして、若き人に、送ることができればそれでいいのです。


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❣️<Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。こちらもご訪問よろしくお願いします。
 

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