ふと 国を意識する

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椰子の木というのは、異国情緒を感じさせるに十分なものがあります。この木があるだけで、日常から飛び出すことができるからです。はて、日本はといえば、決まっています。松です。我が家の前には、赤松の林があります。夕日をあびて、幹がこれでもかと赤く輝きます。私は、日常性のなかで、松を見ています。



 あのロシアの少女のフィギアスケートの演技は圧巻だったと見ていた人から聞きました。
 美しすぎると言うのです。
 どこかで聞きかじったのでしょう、異星人のようだったとも言っていました。

 でも、金メダルを手にした時、自らの国の旗も、国歌も流れなかったのです。15歳で栄光を手にした優れた選手の晴れの舞台にしては、あまりに悲しい現実でした。
 国がすべてではないと言う人もいるかもしれません。
 でも、他の競技の金メダリストたちが、自国の旗を見つめ、国歌で讃えられるのを見たら、15歳のあどけない少女の思いは切ないものだったと思うのです。
 
 オリンピックは、まず間違いなく、国があって、盛り上げるものです。
 国別に戦うからこそ面白いのです。

 選手たちは、それぞれの大会で、あるいは練習会場を同じくして、それぞれが面識もあり、仲良しであるようですが、試合になればそれぞれの国旗を胸につけて、国を意識して戦います。

 それを見ている人間は、選手以上に国を意識しているのです。
 
 カナダとアメリカが戦えば、カナダ人の何人かはあの鼻持ちならないアメリカ野郎に負けるなよと見ているはずです。
 ロシアとスウエーデンが戦えば、いつ牙を向けてくるかわからないロシアに対して、スウエーデン人は必死に自国チームを応援し、日頃の憂さを晴らすのです。
 遠くにいる日本人からすれば、そんなことはつゆ知らぬこと。
 ですから、日本人特有の判官贔屓で、劣勢な方を応援するのです。

 日本の近隣の国にも同じような視点で、対日本とのゲームを見ている国があります。

 韓国などは日本との戦いを随分と意識しています。
 日本人の中にもその意識が多少なりともあるかと思いますが、韓国のそれは日本の比ではありません。
 かつて、日本の植民地になっていたと言う悔しさがそこにはあるのでしょう。
 日本もアメリカに占領されていた時期がありましたが、アメリカにさほどの感情は持っていません。ですから、韓国の人々の日本との戦いに対しての思いは余程強い何かがあるのだと思います。
 それは今の日本人がどうこうしようとするわけにも行きませんから、仕方のないことです。

 でも、その意識が時に素晴らしい試合を作り上げます。

 選手たちは、それぞれの国の名を背負って戦いますが、戦いが終われば、相手への敬意を忘れないのです。それは、辛い練習を経て、正々堂々戦ったと言う自負がそこにあるからだと思うのです。
 ことさら、マスコミがお涙頂戴でこれでもかと書きまくるのには辟易しますが、それでも、日本と韓国の選手たちが素晴らしい試合を見せてくれたことは、政治レベルでああだこうだとやりあっているのを見るよりは随分と気分がいいものです。
 
 今回の大会では、中国が振るいません。
 いや、最初からそのレベルであったなら何の問題はないのですが、前回のソチでは金メダルを三つも取っていて、日中韓三カ国ではトップだった中国ですから、なおのことそう思うのです。
  
 それにしても、アメリカが言うところの<修正主義国家>のロシアと中国が、いまひとつ芳しくないのは、選手ばかりの責任ではないと思っているのです。

 私はこの<修正主義>という言葉を素晴らしい言葉であると思っているのです。
 つまり、欧米、日本やインド、オーストラリアなどが作る枠組みに対して、それと対抗し、その枠組みを変えようとしているのですから、つまり、修正をしようとしているのですから、まさにそのことをズバリついている言葉だと思っているのです。

 その修正主義のロシア、国家レベルでの薬物汚染が広がりました。
 今回も、個人で参加し、メダルをとった選手に陽性反応が出てメダルの返還が求められました。

 国家が組織的に手を染めた薬物摂取は、この国では普通のことであったのです。国際社会のありように与しない国であったがために、世界が開催する大会にも、国際会議にも出ることができなくなったのです。
 ロシアは真剣に国家としてのあり方を変えない限り、ちょっとおかしなことにこれからもなるのではないかと思っているのです。
 
 中国はといえば、国家のあり方そのものに問題があるようです。
 世界が平和で穏やかに、この祭典を迎えている時期、環球時報に乗った記事を見てびっくりしました。
 
 <宣誓!大年三十,4艘中国海警船在钓鱼岛毗邻区海域巡航。>
 
 「大年三十」というのは大晦日という意味です。
 今年の中国の正月元旦は二月十六日ですから、大晦日は十五日になります。この日、中国は四隻の公船を尖閣に送りこみ、そこを巡航し、それを誇り、誓いを立てたと言うのです。
 かつての東京五輪の折には核実験をした国です。

 そんなことを思うと、悲しくなるのです。
 
 ロシアも、中国も、国家が日本を目の敵にしているようですが、その実、ロシア人も中国人も、この目の敵の国に大挙してやってきているのです。
 それが何を意味しているのかを国家は考えていないようです。
 もっとも、これらの国は、いつでも、渡航を禁じることができると思っているせいもあるのでしょう。

 この大会で、日本人選手がその試合のさなか、相手選手の妨害をしたり、仲間内でいがみ合い、試合を台無しにしたりしなかったことは何よりだと思っているのです。
 良い成績を残せなかった選手も、笑顔で試合を楽しんだ選手も、日本という国の誇りだと思っているところです。
 
 そんなことを考えると、日本という国は素晴らしいと思うのです。
 正々堂々、笑顔で、懸命に、試合に臨むのですから。

 それを誇りに、今度はパラリンピックでの日本の栄光を見せていただきたいと思っているのです。

 そうそう、最近、私の卓球の腕も随分とあがりまして、つまり、ずるい手をいっぱい覚えて勝てるようになってきたのです。
 ずるいと言っても、それは修正主義国家のやり口や、妨害やいがみ合いではありません。
 卓球の戦術と戦略です。
 お間違いなく!




私の共産主義的生活

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ロビーナにあるこの宅には、庭の中にポールが立てられ、そこにオーストラリアの国旗がはためいています。雨の日も、風の日も、旗はそこに掲げられているのです。ここは俺たちの国だと言っているように思えたのです。誰にですかって。 さぁ? 少なくても、日本人ではなさそうです。


 岩波文庫、確か、星一つだったかと思います。
 星一つであれば、50円です。そんな時代の話です。

 髪の毛が信じられないほど長く、おしゃれではなく、ジーパンの膝の部分が擦れて穴があき、履物は下駄か、草履です。
 お尻のポケットに入っているのは、星一つの岩波文庫。
 マルクス・エンゲルス共著のうっすぺらな文庫本。
 表題はその名も『共産党宣言』。

 若いうちは、誰もが理想的な社会に、時に、その時代の苦悩から逃れるために、憧れるものです。

 御茶ノ水駅前の、大きな喫茶店に入って、一杯のコーヒーといく杯もの冷たい水を飲んで、本を読み漁ります。

 憧れは募りますが、何をどうしていいのかわかろうとする前に、現実の試験が、次のレベルに行くための関門が待ち構えています。
 そんなものほっといて、理想に突き進むことができれば、いっぱしの革命家にもなれたのかもしれませんが、そうもいかないのが、しがらみの中に生きる人間です。
 
 『宣言』を読んでも、本当のところは意味がわからず、頭にモヤモヤが残るばかりで、わかったふりをする友人の顔が偉そうに見えるのです。
 その実、その友人の方が、数年後、お先にとまったく相反する資本主義の真っ只中に入っていってしまうのです。
 
 誰もが、好きなことを好きなように、なんの制限も受けずに、学ぶことができ、働くことができる。社会が必要に応じて生産を規定でき、必要なものが行き渡り、無駄なものは制御できる。
 だから、人間は、時間に縛られることもなく、上から制限を受けることもなく、朝起きたら一杯のコーヒーを飲み、散歩に出て、昼は、近くの海べで綺麗な貝殻を拾い、波打ち際で遊び、夕には、椅子の腰掛けて好きな本を読み、夜には一日の自己批判をする。
 そんな生活こそが、人間のあるべき生活であると。 

 大学の募集人数をはるかに超える受験生がたむろし、大学の成績がよければ名のある会社に入れて、常に競争競争と言われて尻を叩かれる人間には、まさに魔法の言葉だったのです。

 しばらくすると、我らが理想とする社会を標榜する国から、妙な響きが伝わってきました。

 上位の考え方、あり方に批判的であれば、弾圧されていると言う珍妙なる響きです。
 中には、思想を改造するための施設に連れていかれたり、強制労働をさせられたり、ひどい話では、銃殺されたりと。
 ちょっと待てよ、批判は認めていなかったのかと訝るのです。
 批判こそ前進の糧ではなかったのかと、しかし、『宣言』をめくる意欲はもはやありません。

 それらの国々に、ことごとく裏切られ、我らが理想とする『宣言』が、台無しにされていくのを目の当たりにするのです。
 スターリンにしろ、毛沢東にしろ、彼らは、一代の、権力欲に染まった愚民にほかならないと気づくのです。

 何年も何年も年が経過し、いくつもの酷い体験をしてきて、あるいは、時に、その惨さを人に押し付けたこともあると思います。

 時代は、今、新しいレベルに向かって動いています。

 人類は、集団で狩猟する社会から、皆が集まり計画に従ってものを作り安定した社会を希求した農耕社会に移り、そして、産業革命で、飛躍的に便利な仕組みを手にしたと。
 その人類が今手にしているのは、情報を軸にしたさらに便利な世の中です。
 欲しいものは、そこにいて手に入れられるのです。
 
 そして、その次に来る時代こそが、「超便利社会」つまり<スーパー・スマート社会>です。
 ものも、サービスも、それを必要とする人に、必要な時に、必要なだけを提供してくれる社会です。
 年齢・性別・国・言語に関係なく、快適に暮らせる社会がそれです。

 おいおい、どっかで聞いたことのある言葉だぞ、と私焦ります。

 朝早く起きて、一杯のコーヒーを淹れて、それを飲みながら書き物をして、お昼前、MLBを見ながら、ラップトップでたくさんの知人友人のサイトを訪れ、午後はロードバイクに乗り、一編の物語を作るためにキーボードを叩く。
 誰にも邪魔されずに、自分の好きなことをしている。
 あれが欲しいなと思えば、ネットで注文、注文した品物が今どこにあるのかまでも知らせてくれる。

 こんな時代って、もしかしたら『共産主義的生活』?

 共産主義を標榜する国が、人間が持つ本来の自由を束縛し、人間をどん底に落としているのに、資本主義で発展を遂げる国で、本来の人間の自由なる姿を追求しているのです。

 マルクスもエンゲルスもこりゃおったまげるはずだ!




ひとりぼっちのあいつ

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青い空、緑の芝、家々のユーカリの木も、風も、空気も、空に浮かぶ昼の月も、カラフルな屋根も、その土地にマッチするものです。不思議ですね。街というのは。


 遠足に出かけました。
 
 オックスフォード大学の学寮の一つを借りて英語研修に参加する生徒の引率をして、ボートン・オン・ザ・ウォーター (Bourton-on-the-Water)に出かけたのです。
 かの有名な英国の観光地、コッツウォルズです。

 ボートン・オン・ザ・ウォーターは、その中心的な場所です。生徒には、そこでおもいおもいに食事をとってもらい、一時間ほどの休憩タイムです。生徒の様子を一通り見て、私は小川沿いの広場から離れて、住宅街へと歩を進めました。

 ロンドンでバリバリ働いていた人たちが引退してこの街に引っ越して、老後を過ごすという町です。     
 ここで家を買うには、相当な金額必要だと聞きました。
 でも、どの家もこじんまりとして、素人っぽい開放的な庭があり、さほど高級な住宅街には見えなかったのが印象的でした。
 高級だから高いのではなく、住みたいと思う人がたくさん居て、だから、高いのだと思いました。

 あの時、このような小さな庭のこじんまりとした家で隠居生活を楽しみたいものだと心の何処かに思いながら、私は家々の立ち並ぶ小道を歩いたのです。
 
 別の年、今度はケンブリッジ大学の学寮を借りての研修に引率をし、1日の休暇を取りました。長い研修ですから、教師は週一回、交代で休日を取れるのです。

 その日、私は、学寮にタクシーを呼び、ケンブリッジ駅まで移動しました。
 郊外にあるダックスフォード帝国戦争博物館に行くバスが駅前から出ているのです。
 観光バスではありません。
 どの停留所にも停まる普通のバスです。ですから、タクシーで行けば30分程度の距離を一時間半ほどもかけて、あちらこちら寄り道しながら行くのです。

 私はこのような街を走るバスが好きなのです。
 上野から浅草まで、私はよく都営バスを利用します。
 田舎のバスはオンボロバスよという歌が昔ありました。
 ケンブリッジから出発するバスは新しい車両でありましたが、雰囲気は田舎のバスそのものでした。何事ものんびりとして、英国の寂れた、観光客も来ない道筋をバスは走って行くのです。
 途中、老人が何人か乗り降りしましたが、到着するまで、客らしい客はいませんでした。
 
 バスは大きな道を外れて、横道に入り、狭い道をこれでもかと走ります。
 手入れのされていない垣根の枝がバスのガラス窓にぶつかります。ふとその方をみると、これまた手入れのされていない家が草の中に建っています。
 誰か住んでいるんだろうかと首を長く伸ばして、その家の方を見ます。
 老婆が一人そこに佇んでいるのが見えました。
 何をしているんだろうか。じっと立ったままで、地べたを見つめていました。
 そのうち、バスはゆっくりと走り出しました。
 私は身をよじらせて、後ろを振り返り、その老婆の姿が見えなくなるまで見ていました。
 何をしていたのだろうかとその思いが募りますが、聞く相手もいません。

 コッツウォルズで見たあの光景とダックスフォードへ行く途中の名も知らぬ村の貧しい光景、これもイギリスという国の姿なんだと思ったのです。
 そして、無性に迫ってくる何かが、この老婆の姿にあったのです。
 歳を取り、一人ぼっちで、果たして、自分は何をしに荒れた庭に出てきてしまったのかも忘れて佇む、そんな老婆であったのではないかと。

 そんな昔のことを思い出したのには理由があります。

 イギリス政府が新たな職務を帯びた大臣職を作ったというニュースを見たからです。
 <Minister for Loneliness>が、その名称です。

 日本語では、「孤独担当大臣」となります。

 2016年6月16日、イギリスのウエストヨークシャー州バーストールで労働党の女性議員ジョー・コックスが、ブリテン・ファーストを叫ぶ男に、銃撃され、その上、刃物で刺されて殺害されました。
 そのコックス議員が生前、活動に専念したいた一つが、「孤独」に対しての取り組みであったのです。

 <孤独は、若者も老人も差別せずに苦しめる>と、なんとか英国民からこの孤独を取り払いたいという願いを持っていたのです。

 イギリスの人口はおよそ6500万人です。
 そのうち、900万人以上が孤独を感じていると言います。
 65歳以上のうち、360万人もの人々が「テレビが主な友達」だというのです。

 そこで、私は私の脳裏にあった、あの老婆の姿を思い出すのです。

 先進国と言われている国で、孤独なるものが増加の一途をたどっているには原因があります。
 一つは、人間が長く生きることができるようになったことです。
 長く生きれば、知り合いは次第に少なくなります。連れ合いとも別れることになります。
 いかに長く生きることができると言っても、誰もが、長生きはできませんから。
 つまり、人は、一人で過ごす時間を必然的に多く持つようになったのです。

 もう一つは、社会が人と人と触れ合う機会を減らしてしまっているということです。
 AIの進出からも取り残され、何をしていいのかわからない人たちが増えてもきているのです。
 いや、新しい時代の新しい生活についていけなくなってしまっているのです。

 まさに、時代がひとりぼっちを作り出してきたのです。

 でも、イギリスという国はなんだかんだと言って洒落たことをする国ではないでしょうか。
 孤独を考え、政府がそこに寄り添っていこうというのです。
 しかも、現政権は保守党政権。
 それが労働党の議員の活動を政府として遂行して行くのです。

 どこかの国の国会での不毛な議論が恥ずかしくなります。

 孤独の問題は、私を含めて、国民一人一人、全員の問題なのです。
 少なくとも、私はできる範囲で自分の周りのよからぬ孤独を退治し、好ましい孤独には浸っていきたいと思っているのです。

 実は、私、本当のことを言うと「孤独」なるものが昔から好きなのです。
 ひとりぼっちの私、Nowhere Man なのです。




「ん?」 と 「ん!」

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ゴールドコーストの繁華街、この先の曲がり角を曲がるともう海が見えます。海の近くに高層ビル、ショッピングセンター、地震のある日本では見られない都市の形です。


 人間が持っている感覚でこれほど大切なものはないと思っています。

 身近に迫る危険を察知するのは、この「ん?」という感覚です。
 感覚というより、本能的に備わった危機察知能力といったほうがいいかも知れません。

 シカゴの空港で買い物をしたいと思い、そのために必要なパスポートをカバンから出し、それをガラスケースの上に置いて、財布にいくらドルがあるかを確認し、なんならカードで支払ってもいいかと思案しているうちに、ガラスケースの上においたパスポートのことをすっかり忘れてしまい、まあここで買わなくてもいいやと、私は買い物をやめてしまったのです。
 しばらく空港内を歩いていて、「ん?」。
 おい、パスポートを置きっぱなしだと、顔色を変えてあの店に戻ります。
 幸いなことに、私の大事なパスポートはあのガラスケースの上にそのままありました。

 こういう時に、ふと押し寄せる「ん?」というあの感じなのです。

 危機が迫ってきたとき、危機に直面したときに、人間はこの「ん?」の能力を発揮するのです。
 我らが祖先は、樹上生活をしていたとき、何かが起こる気配を感じることで生き延びてきたに違いないのです。
 夢中になって果物を食べているときでも、目は空を見て、地上を見て、警戒を怠りません。耳は四方八方から入ってくる音を拾います。何か、異音があれば、それを目で確認します。
 安全であると目が判断すれば、また、果物を食べることに夢中になるというわけです。

 電車に乗っているとき、私はよく眠くなります。
 あのガタンゴトンという鉄輪が線路を踏む音、適度な揺れ、そして、体を動かさなくても目的地に運んでくれる安心感が、眠気を及ぼす一大原因です。
 でも、そんな時でも、私の「ん?」センサーは、きっと異音や異様な雰囲気が自分の周りで起きていないかと働いているはずです。
 よく、寝入ってしまい、駅を通り越してしまったなどという話を聞きますが、私にはこれまで一度もそうしたことがないのです。
 つまり、どんなに寝入っても目的地に近づくと「ん?」というあの能力が発揮されるのです。

 こんな実験を私は自分に課したことがありました。
 イヤホーンをつけて、音楽を聴きながら、寝入ってしまうとどうなのかという実験です。
 でも、これは失敗してしまいました。
 ビートルズの音楽では寝入ることができなかったのです。足はリズムを刻み、頭も小刻みに揺れるのですから、実験になりません。
 今度は、ワグナーか何か、いやワグナーではなく、民謡か何かがいいのではないかと思っているのです。

 上海で、夜の街を歩いていました。
 道端には、阿Qのように顔のうす汚れた男たちが幾人もしゃがみこんでいます。地方から都会に出稼ぎに来て、所在なくしているでしょう。
 私は、美味しい上海料理を堪能し、満腹の腹を抱えて、夜の艶やかな通りを散策しています。
 「ん?」
 その時は、鼻から違和感を感じ取りました。
 風呂に入っていない人間の臭さです。
 私が振り返ると、一人の阿Qが、私の体に、その手で触れようとします。
 私は、自分で言うのもなんですが、流暢な北京語で、何をすると、眉間にシワを作り、詰問しました。
 すると、なんだこいつ、こんな格好して、中国人なのかと思ったのでしょう、そそくさと去っていったのです。
 
 ボストンでは、街をぶらついている時、道端におかれたベンチに一人の男が座っていました。
 「ん?」
 私は直感的に、この男に危険を感じたのです。
 金髪で長髪、綺麗にヒゲも伸ばしています。明らかに知的レベルの高い青年です。ここにはハーヴァードがあり、マサチューセッツ工科大学があります。
 優れた頭脳は、同時に、尋常ではない人物をこの世に送り込んできます。

 そうなんです。
 心が尋常ではないことをその佇まいが示していたのです。
 しかし、立ち止まり、回れ右して戻るにはもう時間がありません。
 そんなことをすれば、かえって、やぶ蛇になります。
 私は何気なく、長い足を伸ばして、その両足に長い腕の半分を折って置いて、両の手のひらで顔を支え、背中を丸めている青年の前を通り過ぎました。

 案の定、ミスターと声がかかりました。
 私は素知らぬふりをしましたが、今度は声を荒げて、私にエクスキューズミーと言ってきます。
 こうなれば「ふり」はできません。
 私は振り向きました。
 相手は、薄ら笑いに近い笑みを浮かべて、時間を教えてくれと言っています。
 私は、胸ポケットからiPhoneを出して、そこに示された時刻をその青年に見せました。
 青年は、長い金髪をかき上げたその手を頭の上で敬礼をするように礼を返しました。
 きっと、私が複雑な英語を解さない東洋人であると見たのでしょう。

 この時の「ん?」は、危険を察知すると言う点でも、声をかけられると言う点でも、予測が当たっていたのです。

 「ん?」と感じ、心にそれとなく引っかかる感じは、きっと、それまでの自分の周りにあった雰囲気とは異なる波長、もっと端的に言えば、事態の非日常性というものを感じる能力なのです。
 言うなれば、潜在的に備わった危機予知能力なのです。

 そうそう、何かを思いついた時、この時は、「ん!」となります。
 これは危機予知の「ん?」とは異なるものです。

 こちらは「!」なのです。

 「ん?」にしても「ん!」にしても、大切にしたい能力だと思っています。





信長の舞

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つくばではちょっと有名な神社の裏手にある小さなお稲荷様。舗装された道が出来てしまいましたが、昔は、畔道を歩いて、こんもりとした森の中にポツンとあった社です。


 私は、<Zの旗の下に>と銘打って、日本海軍のことを調べています。ゆくゆくはこの調査を用いて、なんらかの物語を作ってみたいと思っているのです。

 その調査をしている過程で、どうも不思議なこと、理解できないことに出くわすのです。

 それは、なぜ、日本海軍の司令官たちは、敵に徹底的な攻撃を加えなかったのかということです。
 アメリカなどは、原爆投下もいとわなかったではないですか。
 ソ連などは、中立条約など屁とも思っていなかったではないですか。
 それもこれも、徹底的に敵を殲滅し、そこから利益を得るためだったのです。

 日本海軍はというと、そうではないのです。

 真珠湾攻撃で、南雲忠一司令官は反復攻撃をしませんでした。
 空母を取り逃がし、燃料庫も無傷で、現場の攻撃隊のパイロットたちは反復攻撃の必要性を痛感していました。また、鍛えに鍛えられた軍人としての感性が、ここで空母を取り逃がしたら、ゆくゆくはそれが牙をむいて襲いかかってくることを予知していたのです。

 しかし、南雲長官は反復攻撃に同意をしませんでした。
 荒波がうねる安全な北方ルートを戻っていったのです。

 第一次ソロモン海戦でも、三川軍一司令官の指揮する第八艦隊が、米豪連合海軍輸送護衛部隊を夜襲し、多大の損害を与えました。
 しかし、物資を満載した輸送船団は無傷のまま残したのです。

 参謀たちの中には、直ちに反転して、再攻撃をかけ、物資満載の輸送船団を撃破すべしと主張する者もいましたが、航空機の援護なくしての昼間の攻撃はあまりに危険と早期撤退を唱える参謀もいました。 
 業を煮やした「鳥海」艦長早川幹夫大佐は、このまま輸送船団を放置すれば、戦局に重大影響を与える。司令部は旗艦を先頭に撤退をすべし、「鳥海」一艦で見事敵輸送船団を撃滅せんと主張します。

 しかし、艦隊参謀長および首席参謀は、三川艦隊の早期撤退を主張、長官はこれを容れたのです。

 二度あることは三度あるで、同じ様なことが、今度はレイテ海戦でも起きるのです。
 二つの日本艦隊が同調して攻撃態勢に入ります。
 一つは、栗田艦隊です。
 戦艦大和、武蔵、陸奥を要する日本海軍の栄光を限りを尽くしたなけなしの戦艦部隊です。
 もう一つは、瀬戸内を出撃し、南下する四隻の空母機動部隊、すなわち小沢艦隊です。

 対するは、空母十七隻、航空部隊一千機を誇るハルゼーの機動部隊です。

 連合艦隊司令部は、小沢機動部隊を囮にして、ハルゼー艦隊を引きつけ、その隙に、栗田艦隊にレイテ湾に集結する米兵を満載した輸送船を攻撃し、多くの米兵を海に葬り去り、アメリカ市民の厭戦気分を拡大させ、これにより戦争終結を有利にさせようと考えたのです。 

 ハルゼー艦隊は、戦艦を従えた栗田艦隊に襲いかかります。その波状攻撃は五回に及びました。その中で集中攻撃を受けたのが、昨年、海底で発見された戦艦武蔵です。
 しかし、栗田艦隊にはその後第六波の攻撃機は現れませんでした。

 ハルゼーは北上し、日本の機動部隊に全力で攻撃を加えていたのです。
 日本の空母部隊は、一千機の艦載機の攻撃を受けて、程なく全艦撃沈されます。
 それもそのはずです。
 空母とは名ばかり、そこには一機の戦闘機もなかったのですから。

 一方、栗田艦隊は、レイテに向かう途中、輸送船団を護送してきた護送空母部隊を発見します。その距離32キロです。
 この時、この艦隊司令部は、連合艦隊司令部から伝達されていた作戦目標をほったらかします。
 護送船団を潰すことを忘れて、発見した護衛空母に向かって、あの大和の主砲に火を吹かせたのです。
 建造以来初めて、世界最大の主砲の火蓋は切られたのです。
 これにより、空母1隻と駆逐艦2隻が撃沈されました。
 
 しかし、そのために、3時間も費やしてしまったのです。

 程なく、ハルゼーの艦載機が栗田艦隊に攻撃を仕掛けます。レイテ突入はかないませんでした。レイテ湾に集結したアメリカの戦力は無事上陸を果たしたのです。

 戦いの場というのは、実にアブノーマルなものです。
 今の時代と違って、敵情というのは手探り、皆目見当のつかない中で戦わなくてはなりません。
 言葉をかえれば、敵情を明らかにして時を費やせば戦機を逸するということになります。

 戦いの場では、巧遅に堕するより拙速を貴ぶというのはこのためです。
 
 真珠湾攻撃のパイロットたち、鳥海艦長の「拙速」が実行に移されていれば、戦局は大いに変わっていたはずです。
 そこにあったのは、では、何なのかということです。

 桶狭間での信長を見てみます。
 今川義元の進軍で、清洲城内は籠城か、出撃かで紛糾します。織田家臣団の長老たちには、それぞれの思惑を抱え、評定に時を費やします。
 まさに、巧緻なる対応に、時を費やすのです。

 永禄三年五月十九日、一連の長老たちの評定に参加することもなく、今川の情勢を見守っていた信長は、その日の朝三時に起床、何を思ったか、幸若舞「敦盛」を舞うのです。

 人間五十年、下天のうちにくらぶれば、夢、幻の如くなれ、一度生を受け、滅せぬもののあるべきか

 これこそ戦いに臨む覚悟です。
 そして、一時間後、小姓五騎を伴い、清洲を出るのです。行き先は熱田神宮です。信長の軍勢が追いつきます。

 正午を過ぎた頃、信長は先頭にあって馬を駆り一目散に駆けます。その姿に、織田の若い武者たちは奮い立ちます。
 十三時ごろ、折しも、雹を伴い、目の前が見えなくなるくらいの豪雨が降り注いで来ます。
 天候の急変は、今川に安心を、織田に天佑を与えたのです。

 ここに、何かヒントがあるような気がするのです。
 会議にうつつを抜かす老臣たち、一気呵成に勝ちに行く信長。
 太平洋の戦いで敗れた原因がそこにほのかにみて取れるのです。
 
 海軍軍人が集まる組織に水交社というものがあります。そこには、一枚の額が掲げられているといいます。<水流先を争わず> という額です。
 ハンモックナンバー、つまり、海軍大学の成績順位がものをいう社会に海軍はなっていたのです。

 しかし、開戦時、日本海海戦から三十数年経ち、世の中は軍艦から航空機に、戦いの主は変化を遂げていました。それを実証したのは何を隠そう、真珠湾攻撃で、マレー沖海戦で航空機によって敵に大打撃を与え、殲滅した日本であったのです。
 その時代の変化に目をつぶり、<水流先を争わず>とその席に安穏として座していた司令官クラスの姿勢にこそ問題があったのではないかと思っているのです。






そのコーヒーの味はいかがですか

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道向こうの研究所の松林の向こうから朝の陽が空を染めていきます。それを二階の東向きの窓から見ることができます。きっと、この世でもっとも美しい光景の一つではないかと、いつも思っているのです。


 私はコーヒー好きのオヤジです。

 ですから、そこそこの豆を買ってきて、それをポーレックのセラミックコーヒーミールでコリコリとひっかき、微細な粉にして、ロビーナで買ってきた「直火エスプレッソマシン」を使って淹れます。

 イタリア人移民の多いオーストラリアでは、サイフォンを使ってゆったりと淹れるコーヒーよりも、直火エスプレッソマシンで、豆に圧力をかけてコーヒー液を気持ちよく抽出することの方が多いのです。
 お店でも家庭でもそのやり方です。
 そうして抽出したコーヒー液をそのままエスプレッソとして、砂糖とミルクをたっぷりと入れて飲んだり、あるいは、熱湯を注ぎ足して飲んだりするのです。

 そうして作られたコーヒーがあまりに美味しかったものですから、私は「直火エスプレッソマシン」をロビーナのコーヒーショップで買ってきて、ついでに美味しいそこそこの豆もそこそこな量を買ってきて、それをコリコリとひっかくのが、私の朝一番の仕事になっているのです。

 そのコーヒーですが、日本では缶入りのものがあります。
 しかし、オーストラリアでも、アメリカでも、イギリスでも、そんなもの見たことはないのです。

 好きな人は好きなのでしょうが、私には少々口に合わないものになっています。
 独特な味がしますでしょう。缶特有の味といったらいいのでしょうか。
 ですが、最近、ペットボトルのコーヒーが販売されているというニュースを見たのです。ペットボトルならあの缶特有の味は軽減されるのではないかと思っているのです。
 ですから、どんなコーヒーなのか、機会があればぜひ試して見たいと思っているのです。

 私のロードバイクには、飲料水を入れたボトルをセッテイングできる器具が取り付けてあります。
 その飲料水を入れる専用のポットもあります。
 それをこれまで何度変えたかしれません。
 品質の悪いものというわけではないのですが、ポットの素材の匂いが飲み物に移ってしまい、飲み物が美味しくなくなってしまうことがあったのです。
 また、飲み口に埃がついて、それが定着して黒ずみ、見るからに汚く、飲みたくなくなってしまうということもありました。
 それが原因でせっかくの専用ボトルもガレージの隅におかれたままということになっているのです。

 ですから、今、ロードバイクで出かけるとき、それらのボトルは持っていかないことにしているのです。 
 出先であまりに喉が乾けば、そこら中にある自動販売機で一本、ペットボトルに入った水を買って、それをロードバイクにセッテイングしておけばいいのです。
 ですから、私はこのペットボトルで、この厄介な問題を解決できたのです。

 それにしても、ペットボトルというのは便利な品物です。
 飲み終わってそのまま捨てるにはもったいない気もします。夏など、大きなサイズで麦茶などを購入したときは、飲み終わったらそこに水を入れて、災害の時に役立てようと保管をしています。
 実際、あの震災の時も、また、昨年、我が家の水道管が破裂した時も、このペットボトルの水がトイレの水になり、沸かして飲料水になったりと、急場を救ってくれたのですから、ペットボトルさまさまです。

 「ちびだら飲み」という言葉があるそうです。
 ちびちびとダラダラと飲むという意味だそうです。
 ロンドンやボストン、ゴールドコーストでもそうですが、勤めびとが片手に蓋がされた紙コップに入ったコーヒーを手にして出勤する風景などを見ますと、かっこいいなぁと思います。
 なんとも<様>になっているんです。

 私なんかがやると、なんかお小水を手にして検査に向かうときの姿を想像してしまいますからなんとも様にはなりませんが、欧米人だとそうでもないのですから不思議です。

 でも、日本人であれば、ペットボトルを手にして会議に行くなどの図は、意外にハマっているような気がするのです。
 デスクの脇において、それこそ、気が向いた時にふたをひねり、一口飲んで、またふたをひねる。そんなこまめな飲み方が性に合っている、そんな感じなのです。

 しかも、ペットボトルは原則透明素材ですから、飲み物の色具合も見て取れます。
 飲み物を飲む時、やはり色があったほうが美味しさを殊の外よく感じます。
 桃の味のする水を飲んでいる時、その水が桃を溶かしたようにな色に見えてきますし、洋梨であればそれなりに色が見えるのですから、これもまた不思議なことです。

 で、コーヒーだったらどうなのでしょうか。
 そんなことを思ったら、味の方が心配になりました。缶のような独特の風味は出てこないものと安心はしますが、果たして、その味はと思うのです。
 そして、それ以上に、冷たくなったコーヒーを「ちびダラ」と飲むのがいいのかどうか。
 それも、心配になるのです。

 私なども朝淹れたコーヒーを忘れたままにして、書き物に夢中になり、カップの中で冷たくなったコーヒーに気がついて、思わずコーヒーに謝ることもあるんです。
 レンジでチーンして、湯気のたったコーヒーは、やはり淹れたての味には勝てません。香りもコクも半減してしまいます。
 でも、ペットボトルのコーヒーはどうなのかと気にかかるのです。
 
 今の所、私の出かけて行く先の自動販売機にはペットボトル入りのコーヒーがないようですので、気長に待っていようと思うのです。
 気がかりではあるけれど、せっついて飲むほどのこともあるまいと、そう言う感じなのです。




そんな生き方も良しだよ

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今年、移植した水仙が花をつけました。嬉しいです。来年はもっと花を咲かせて欲しいとそっと水仙に囁きました。


 つくばから笠間に、車を運転して出かけます。

 笠間は、陶芸の街です。
 美術館も、フレンチも、昔ながらの日本料理屋もあります。文化が高いレベルで存在している街というのはやはり素敵な街であると思うのです。

 その途中に、まだ入ったことがない一軒の蕎麦屋さんがあります。

 入ったことがないと書きましたが、実はその店に入ろうと道から逸れて、その店の駐車場に入ったことがあるのです。
 でも、店は開いていませんでした。
 その店は週末の二日間しか営業をしていなかったのです。

 そば打ちの好きな酔狂な御仁が趣味でやっている店なのかもしれません。
 あるいは、歳をとり夫婦で週末だけ店を開け、平日はのんびりと過ごしているのかもしれません。
 入ったことがないので、その辺りは思いを巡らすだけです。

 半年前、しばらくゴールドコーストで過ごしていた時期があります。

 彼の地で過ごしていると、観光地のちょっとした店などに<日豪プレス>なる日本語新聞がおかれていて、誰でもが自由に持っていっていいことになっています。
 その日は、ツィード岬のレストランで食事をして、その店の奥にある美術品を扱うコーナでこの<日豪プレス>を手にしました。
 岬のベンチで、海風にあたりながらその新聞を見ていますと、娘の暮らすロビーナの近くに、日本人のパン屋さんが店を開き、あくまで日本のパン、日本のケーキにこだわり、販売しているという店の記事が載っていました。

 娘に言うと、自宅からカナルを挟んだ向こう側のターバンというところにあり、誕生日のケーキなどはそこで買うようにしていると言っていました。

 日本のパンやケーキにこだわるって書いてあるけど、どういう意味とさらに問うと、娘が言うには、オーストラリア人の店のケーキは気持ち悪くなるくらいに甘いだけと返事が返っています。
 そういう点では、日本のケーキに使われるクリームもスポンジケーキも甘さを抑えて口に合うというのです。

 だったら、オーストラリア人の口には合わないから、売れないんじゃないのとさらに問うと、そうかもしれないとあっさりと言います。
 いつ行っても、日本人のお客さんばかりで、あまりオージーは見かけないとも言います。

 タリバンといえば、私が毎朝散歩をしているコースです。
 なにせ、私はここでは日本の倍以上、2万歩を歩くハードウォーカーですから。

 翌朝、タリバンでその店を発見しました。
 パン屋さんといえば、朝早くから営業しているはずですが、この日は店はしまっていました。日本なら、張り紙の一つもあるのでしょうが、そんなものは何一つありません。
 しかし、翌日も、その翌日も、店はしまっていたのです。

 娘にその話をすると、あのお店は昼前から夕方の6時くらいまでしかやっていないよというのです。
 なんでも、朝早くからパンを作るなんて嫌だというのがその主人の言い分らしく、朝食用のパンは前日夕方に買って欲しい、それでも十分に美味しいからと、そして、私たちは昼食用のパンとおやつのパンを売っている店と宣伝をしているらしいのです。

 そんなんじゃ、日本では商売やれないねと私が言うと、娘は笑っていました。

 でも、よくよく考えてみると、それだから、このパン屋の主人は日本ではなく、ここへきたのではないかと思ったのです。
 気楽にやりたい、と。

 売り上げはいくらで、利益をこれだけ出し、ゆくゆくは第二店舗を出して、店を大きくしていきたいなどとこれっぽっちも思っていない。

 朝は、早く起きて、パン生地をこねて、焼きまくるというのではなく、一番に行くのはビーチです。
 そこでひと波乗り、ふた波乗り、サファー相手に飲み物を提供するカフェで、一杯のコーヒーとちょっとした朝食をとり、店に戻るのです。
 そして、昼前の開店に間に合うようにパンの仕込みと予約を受けているケーキの制作にかかるというわけです。
 もっとも、これも私の想像です。

 ある時、娘がちょうど私の誕生日が近づき、その店にケーキを予約しにいきたいからというので、ついて行ったのです。
 店は開いていました。
 小さなガラスケースに、日本でおなじみの菓子パンが並んでいます。数としてはさほど多くはありません。ケーキもいくつかは並んでいますが、ほとんどは焼き菓子のようなものです。
 店の奥にはパンを作る調理場があるようですが、すでに蛍光灯は消され、主人はいないようです。
 店で客の対応をしていたのは奥さんのようです。
 
 私は、余計なことですが、心配になりました。
 生活を好きなようにするのは勝手だが、やっていけるのだろうかと。

 自営とか、商売をしたことのない私ですから、無用な心配をするのです。

 いつだったか、通っていた飯田橋の床屋さんに、店というのは根気よくやっていかないといけないよ、客は来てくれると信じて、店を開けておくんだ。でも、一日の大半はソファに座って新聞や雑誌を読んでいるんだけどね。この辺りでは組合の決まりで日曜日は店を開けないんだ。第一、皆、日曜日は会社に来ないからねと笑っていたことを思い出しました。

 無知なるかつての勤め人にはわからない商売人の何か秘密がきっとあるのでしょう。

 そこそこの稼ぎ、生きていけるだけの身入りがあればそれでいいとするあり方が、私はあの笠間に行く途中の蕎麦屋さんにも、ターバンにある日本人パン屋さんにあるのではないかと思ったのです。

 だとしたら、そんな生き方もきっと素晴らしいことであるに違いないと思うのです。
 これこそ、少子化高齢化の社会のありようではないかと、新しい生き方ではないかと、そう思ったのです。




アメリカから吹いてくる風はいつもざわめいていた

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あずき色の霧がかかった日がありました。不思議な思いで、その霧の中を歩きました。霧は、そこにあるものを隠すのではなく、そこにあるものの別の姿を示すものだと、その時思ったのです。


 春がそこまできていると思うと本当に心がざわめきます。

 散歩していても、道端の雑草に花の蕾を見つけ、しゃがんでそっと手にしたり、梅の木にいまにも割れんばかりの蕾があるのを見つけて、小枝を近くに寄せて見たりもしてしまうのです。
 
 でも、私にはもう一つの春のざわめきがあるのです。
 
 そうです、メジャーリーグです。
 私は日本のプロ野球が好きではないというのではないのです。しかし、朝早くに仕事をしている手前、夜はからきしダメなのです。
 ですから、必然的に、ナイターを見る機会がなくなる、それゆえ、興味も半減ということなのです。

 それに対して、メジャーリーグの中継は午前中です。
 私が、仕事に一区切りをつけて、ソファによいしょと腰を下ろす頃、アメリカ国歌が演奏され、選手たちがグランドに散ります。

 私はソファーに腰掛けながら、ラップトップを膝に上におき、メジャーを見ながら、私のサイトを訪問してくれた方々のサイトを訪問し、彼女ら彼らの記事に目を通すのです。
 時には、試合の流れに気を取られながら、同じ方のサイトをなんども訪問していますから、不思議に思われる方もいるのではないかと思います。

 ボストンにいた時に、メジャーリーグの試合を見る機会は何度かあったのですが、生徒を引率している手前、夜、寮をあけることができず、実現はしませんでした。

 松井選手がいるときは、世話になっている旅行会社にヤンキースタジアムの松井のでる試合を取ってもらいニューヨークに出かける算段でいたのですが、折も折、松井選手が、飛球を取りに行って、左手を骨折してしまい、その話がご破算になり、これもいけずじまいになってしまっていたのです。

 でも、今はリアルタイムで、しかも、高画質でアメリカでの試合の模様を見ることができるのですから、何も、出かけて行く必要はないのだと強がりを言っているのです。
 でも、チャンスがあれば、一度はあのメジャーの球場で、ジャッジ選手の豪快なホームランを見て見たいし、ホットドッグをつまみながら、隣で観戦している陽気なアメリカ人とビールを飲み交わし、ヤンキースを応援をしたいと思っているのです。

 あと一ヶ月もすれば、BSでメジャーの試合を見られるのだと思うと本当に心がざわめきます。

 1963年のことでした。
 メジャーの中継の端緒となる日米間の衛星テレビ伝送実験が行われました。
 使われた通信衛星は3時間程度で地球を一周する低軌道衛星で、20分程度の中継が限界であったというレベルのものです。
 しかし、日米間のライブ通信においては画期的なもので、日本では時の大統領ケネディのスピーチが放送される予定でした。

 早朝の時間帯に放送がされるので、私は父に朝起こしてねとお願いしておいたのです。
 そして、その朝、父が大変だよ早く起きてテレビを見なと言ったのです。
 何が大変なのかわからず、横線のしきりに入るブラウン管を見ていたのを覚えています。
 あの大統領が暗殺されたというのです。
 よその国のことながら、大変なことが起こっていると、あの時、子供ながら思っていたのです。

 時代が下って、1980年のことです。

 今度も、アメリカから衝撃的なニュースが伝わってきました。
 この時代でも、日米間の通信設備はさほどリアルタイムではなかったのです。
 1963年の時ほど、その時のニュースを聞いたことは明確には覚えていないのです。きっと、多くのメディアが一斉に臨時ニュースを流したからだと思います。
 それは、私にとっては、衝撃的な事件だったのです。

 ジョン・レノンがニューヨークの自宅前で射殺されたのです。

 2001年になると、リアルタイムでニュースがつくばの我が家にも伝わるようになりました。
 その日は、接待の飲み会があり、帰宅が夜の9時近くになっていたと思います。
 幾分酔っていたので、スーツのまま、ソファに腰掛けて、何気なくNHKの夜のニュースをつけたのです。
 
 この頃になると、画像もはっきりして、ニューヨークの街がすぐそばにある大都会のように思えるくらいの素晴らしさになっていました。
 
 そして、目に入ってきたのが、貿易センターの高層ビルから煙が立ち上がっている光景でした。
 しばらく、その光景が映し出されたままでした。
 何が起こったのか、放送局は慌ただしく情報収集に当たっていたことだと思います。

 赤ら顔で見ていた私にも、それが尋常ではない何かとんでもない出来事であると察しがつきました。 
 でも、それが恐ろしいテロの始まりだったとわかるのはしばらく立ってからです。
 全容が解明されないまま、ビルは倒壊し、多くの人が亡くなりました。
 
 恐怖を感じるテレビの映像でした。

 そんな嫌なことばかりが、アメリカからは伝わってきたのですが、メジャーの試合だけは大きく異なります。若い、優れた、日本で育ち、才能を開花させた選手たちがあの大男たちをなぎ倒し、豪速球を弾き飛ばすのです。
 それがリアルタイムで高画質で見ることができるのです。

 願わくば、あの様な嫌な風ではなく、清々しく気持ちいい風をアメリカから送って欲しいと思っているのです。




隣人への流儀

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月、なんです。



 週末は、時間を作ってロードバイクに乗るようにしています。

 つくばの街は筑波山のふもとを流れる桜川周辺の低地帯と一線を画すように一挙に高くなった高台の上にあります。
 ですから、自宅を出て、最初にやや急な坂道を転げ落ちるようにして低地帯を進んで行くのです。
 行きはヨイヨイですが、帰りはとんでもない急坂を登らなくてはならなくなる、そんな坂道なのです。

 で、しばらく行きますと関東でも有数の自転車ロードとして名高いリンリンロードに出るのです。
 行き交うロードバイカーたちに挨拶をしながら、時には、アイコンタクトをしながら、私は筑波山のふもとへと向かうのです。

 でも、最近、行き交うロードバイカーたちの中に、挨拶を返してくれない人がいることを怪訝に思うようになっていたのです。

 そんな折、新聞のコラム欄を読んでいたら、ハイキングを好むというその書き手の方も、同じような感想を持っていると書いていました。

 「こちらからあいさつしても素っ気なく歩き去っていくことが増えてきた。
  都会の喧騒を離れた癒やしの場でこんな状態だから日常ではどのような状況か想像に難くない。」

 確かにその通りだと思ったのです。

 リンリンロードを外れて一般道を走っているときなど、グループで一定の速度で、一列に走るロードバイクの一団と出会うことがあります。
 彼らは一定のスピードを維持して、綺麗に走ることを目的としています。
 先頭のライダーについていくことが精一杯で挨拶どころではないライダーもいます。それでも集団の中には、余裕のある人もいて、何人かは反対車線を一人ゆっくりと走る私に、目で挨拶を送ってくれます。
 もちろん、私も手をあげたり、声を出したり、挨拶を返します。

 では、どういう人があいさつを返してくれないのかと思いを巡らせて見ました。

 まず第一は、リンリンロードを走っていて、自分の世界に埋没している人、走ることそのものに集中して他に目のいかない人、そういう人であることに気がつきます。

 夢中になって走ることはとても素晴らしいことです。
 私などもロードバイクに、サイクルコンピューターをつけて、データを収集しながら走っています。
 iPhoneも取り付けて、走った各コースでの速度や高度、そして映像なども記録しています。
 これがロードバイクの楽しみでもあるからです。

 でも、それに夢中になり、周りは一切目に入らないということはありません。

 ある時などは、前方にくっきりと見える、これ以上ないと言うくらい綺麗な筑波山を見ながら走っていましたら、後ろから猛スピードで追い抜かれ、ヒヤッとしたことがありました。

 あれは怖いものです。

 つくばでは歩道を自転車で通行していいというところがあるのですが、そんな道を歩いていると自転車が後ろから突然走ってきてハッとする時もあります。
 どうして、ベルを鳴らしてくれないのかなと思うのです。

 私は、ロードバイクを買った店の店長さんから、ロードバイクを乗るときのマナーとして、前を走る自転車や人を追い越す時には必ず合図をしてくださいと教わりました。
 ロードバイクには、チリンチリンと鳴らすベルはついていないのです。
 だから、私はソフトな音のする小さなカウベルを見つけてきて、それをハンドルにぶら下げて、前に追い抜くロードバイクがいれば、カランと鳴らして、お先にと一言かけていくようにしているのです。
 
 例のコラムの書き手の方も書いていました。

 社会が便利な機器の導入で人間関係が稀薄化し、それに伴い、
  会話やコミュニケーションの取り方も稀薄化してきたのではないか、と。

 そんなことを思うと、幼稚園の園児の声がうるさいとか、校庭から砂埃が舞い上がり家がザラザラだとクレームを言ってきたり、電車の中で小さい子を連れた若い母親が持参するベビーカーが邪魔だとか、随分と日本人がわがまま勝手な振る舞いをしてることにも気がつきます。

 子供はうるさいのが当たり前、学校は昔からそこにあったはず、あとからそこに来たのに文句を言うなんて、まして、弱者に手を貸すのではなく、「口撃」してくるのですから呆れてしまいます。

 バンクーバーの近くにあるビクトリアというカナダの街の道端で私が佇んている時でした。
 道を渡るつもりはなかったのですが、一台のスポーツカーが止まりました。私を横断させてあげようとの想いからそうしてくれたのです。若い兄ちゃんでしたが、私はその好意を受け入れて、渡らなくてもいい道を渡ったのです。右手をあげて、挨拶をして。

 そんなことは、オックスフォードでも、ゴールドコーストでもあったのです。

 兄ちゃんたちは、外国人であろうが地元の人間であろうが、歩行者に対しては殊の外親切なのです。
 それは、社会が弱者や子供たちを大切にしなくてはいけないということの徹底がなされているからだと思うのです。

 自分の権利ばかりを主張するのではなく、見も知らぬ相手に対して、優しく接するという姿勢があるべき人の姿であると、だから、学校の近くの道では、自然と車の速度を落とし、道端に人が立っていれば車を止めて、困っている人がいれば、何か手伝いをすることはないかと言葉をかけることができるのです。

 権利より前に、義務を優先しているそんな気がして、私も車を運転しているときは、日本でそれを実践しているのです。

 ニュース番組で、国税庁にデモがかけられたとありました。
 国税庁長官に対して辞めろと主張しているのです。
 日本は自由な社会ですから、自分の意見を述べることは誰しも「権利」があります。

 そのニュース映像に出てくる方々に、実は、私驚いてしまったのです。

 皆、私と同じ、いや、私よりお年を召しておられる方々であったからです。
 若者の姿が一人として見当たらないのです。

 日本は、ここまで高齢化社会になったんだという驚きと、そして、もう一つ気が付いたことがありました。
 リンリンロードで、挨拶をしないあの方々も、もしかしたら、あのデモに写っていた方々と同じ年齢の方々かもしれないと。

 権利ばかり主張する年寄りというのは醜いものです。ご同輩。

 自分の言い分を通せば、反対者の言い分が削がれるのです。
 いま少し権利を封印して、隣人への流儀を学ばれたらどうですかとご忠告申し上げたいと思っているのです。




当世「美女」気質

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風が強く吹いて、週末の予定がだいぶ狂ってしまいました。困ったものです。でも、春というのはそういうものです。狂おしい季節なのです。


 「美女応援団」なる名称は、日本のマスコミがつけたものなのでしょうか。

 「美女」という発音、「応援団」というまとまりのある統制のとれたニュアンスも、この集団のありようをよく表現していて、絶妙だと思っているのです。

 あまりにマスコミがこの「美女応援団」を取り上げるものですから、それじゃ、北の思うツボだと思っているのですが、「美女」に目がないのは古今東西誰しも同じようですから仕方がありません。
 それをうまく使っているのですから、北の広報宣伝力は素晴らしいとだけ言っておきましょう。

 先だって、テレビニュースで面白い場面を見ました。
 偶然、この「美女応援団」に出くわした韓国人のおばさんにマイクが向けられ、このおばさんこう言ったのです。
 「美女っていうけど、大したことないね。十人に一人か二人は居そうだけど、他は……。」
 男たちが「美女」「応援団」という言葉で、有頂天になっているのに、このおばさんの冷徹な評価には恐れ入った次第なのです。

 我が家には、東京国立博物館で購入してきた浮世絵の美人画が和室に飾られています。
 作者は鳥居清長。
 画題は「風俗東之錦 湯上り」です。
 別刷りのものはボストン美術館にもあるという代物です。

 で、清長ばかりではなく、江戸時代の人たちが好んだいわゆる「美人」なるものの範疇なのですが、浮世絵から推察すると、一様に、お顔が長いですね。
 そればかりではありません。
 おめめは細く、小さいし、お口は受け口でこれまた小さいときています。

 どうも、現代とは「美人」の範疇が大きく異なっているようです。
 
 髪をきつく絞り上げて結いますから、当然、おめめは尻が上がります。そして、細くなります。
 これは男も同じです。
 髪を結えば、当然、顔が上に引っ張られますから、一様に、メリハリがつくわけです。

 それにしても、あの顔の長さ、大きさは、絵師が極端に描いたとしても、現代人の思う「美人」からはほど遠いと思うのです。

 なにせ、今をときめく「美人」さんたちは、お顔は小さく、目は大きく、まぁお口は大きいより小さいほうがいいのでしょうが、それに何よりスタイルが抜群です。
 
 江戸時代から、ちょっと時代を古くすると、がらりと「美人」の範疇が変わるようです。

 私が印象的に思うのは、東大寺正倉院にある「鳥毛立女」の画です。
 これ、<とりげりゅうじょ>と読みます。

 太い眉、ふくよかな赤みを帯びた頰、そして、たるんだ首元の肉。そんな絵を見て、もちろん中学生くらいの時、教科書にあったその小さな画像を見てですが、こんなおばさん買い物カゴをもって肉屋さんにいたな、なんて思っていたのです。

 つまり、美人とは到底思えなかったということです。

 英語では、<Ladies under the Trees, Decorated with bird feathers.>などと銘打たれます。
 つまり、今は見て取ることはできませんが、この絵には、この「美人」の髪ばかりではなく、衣や樹木にもヤマドリの羽毛が貼られていたと言います。
 柔らかな羽毛があれば、この太い眉もさほど強烈にはお顔に映えなかったと思いました。
 
 江戸時代と違って、奈良時代の「美人」、そして平安の、日本の女性の「美人」像は、まったく異なります。

 平安の女性を描いた絵巻物の女性を見ますと、一つの特徴がわかります。
 それは眉です。
 自らの眉は剃ってしまい、おでこに楕円に近い眉を描き、その部分をすぅーっとぼかすのです。
 この淡くぼかした眉が<桃眉>というものです。

 きっと、「鳥毛立女」の眉は、平安の時代になると、いただけないものになっていたのでしょう。

 それに切れ長の一重の目です。
 現代、整形してでも二重にしたいと思う女性が多いようですが、一重こそ美人にふさわしい目のありようです。
 実は、人間はまったく一重ということはないのです。
 一重の奥に、二重のまぶたが隠されているものなのです。

 座敷で、貴公子は姫をじっと見つめます。
 細々としたあかりのもとで、じっと見つめるのです。
 まばたきのたびにその奥に隠されたまぶたのありようを見ているのです。
 おそらく平安貴族たちは、女性の「美」なるものをそこに見出していたに違いないと思っているのです。

 最初から、二重として表に出ているまぶたなど、風流にかけることであったからです。
 ですから、平安の女性は、垂髪を作る時、きっと目をつり上げんばかりにして結ったのだと思うのです。

 お市の方の肖像画なるものがあります。
 これもいろいろなところでお目にかかる画像ですが、私はこの絵のお市の方をとても美しい日本女性であると、子供の時から思っているのです。
 
 この絵は、お市の方の長女である茶々姫が、母親の七回忌法要の際に、絵師に描かせたものです。
 
 お市の方は、北ノ庄城(今年大雪に見舞われている福井にあった城です)で、秀吉に攻められて、柴田勝家とともに自害をしていたのです。
 その菩提を弔うために、絵師に、母のお目はこう、お鼻はこう、お口はと、指図しながら描かせたと言います。
 ですから、茶々の心にある母「市」の美しいお顔がそこに描き出されたと思っているのです。

 そうした思いが託された絵ですから、私は、ここに描かれた女性のお顔がとても美しいと思っているのです。
 
 かの北の国から来た「美女応援団」に、南に位置する韓国の男性は参っているようですが、真に「美人」というのは、その内面に宿す思いが兼ね備わって初めて美しさを増すものだと思っています。

 すべてに一様に行動し、一つのものを崇める女性には、少なくとも私は「美」は感じないのです。




プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《6 / 17 💡 Monday 》
 
🦅 ただいま、<カクヨム>にて『ひとりっていいよな』を発信しています。

  世の中って
  理不尽なるもので
  満ち満ちているんだっ……



誰でも、社会的生活を営んでいれば、心苦しいことに出会うものです。
トップの解任、同僚との確執、職を辞しての新しき生活、そんなさまざまの体験がそれです。
人は、かくも争い、かくも世知辛い思いをするのです。
そして、大切なものをそこで失っていくのです。
失うことを、損得で測れることはできません。
失うことは、糧として、その人間に残れば、それでいいのです。
そして、若き人に、送ることができればそれでいいのです。


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