絵空事ではない

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流山の由緒ある神社をお参りした時、そこにはいくつもの像があり、その一つをモチーフに勝手に色付けをしました。



 陸海空三軍といえば、第二次大戦以後、各国が整えた軍のあるべき体制で、もはや、世界をリードする国ではこの三軍体制は至極当たり前のことになっています。
 戦前、日本は陸軍と海軍を持ち、強国の名をほしいままにしました。しかし、アメリカ陸軍および海軍の前に膝を屈したのは七十年ほど前のことです。

 いま、日本には、陸海空の自衛隊があり、日々、国防の要を担っています。
 私の甥も、友人も、教え子も、この組織に属し、重要な任務に当たっているわけです。

 いつだったか、そう、つい最近のことです。
 トランプが「宇宙軍」の創設に言及しました。宇宙軍を創設することで、宇宙空間でのアメリカの優位性を保とうというのです。
 トランプに刺激されたというわけではないのでしょうが、日本の首相も、防衛大学校の卒業式で、「もはや、陸海空という従来の発想では日本の国を守りきれない、サイバーや宇宙といった新たな分野に取り組む」と述べたのです。

 これらを「絵空事」と一笑に付すのは大きな間違いです。

 「開発」のあるところ「戦争」ありとするのが、正しい政治的軍事的判断だからです。
 これまでの戦争のあり方を見れば、それは自ずとわかろうというものです。
 宇宙開発は今、その進度を幾分鈍らせているとはいえ、宇宙はもはや、人類が仰ぎ見て夢見るだけのものではなくなったのです。

 このところ、中国に厳しく対しているトランプです。
 いや、厳しいというのは正確ではありませんね。巧みな交渉で相手に譲歩を迫っている、その過程での彼一流の「ふっかけ」であるとするのが正しい捉え方でしょう。

 さて、その「ふっかけ」られた中国、細かいことは、実際のところわかりませんが、中国新幹線のあのスタイルを見て、日本の新幹線の模倣だと思うのは私だけではないですし、中国軍の最新鋭戦闘機「殲20」のスタイルもアメリカの「F 22ラプター」にそっくりだと思うのです。

 つまり、中国は日本やアメリカの技術を盗み取っていると、門外漢の私なども考えてしまうのです。

 ですから、軍事機器を作るアルミに工作されれば、アメリカの軍事的優位性は覆されるし、何でもかんでも安いからと通信機器までも輸入すれば、その機器に組み込まれた盗聴装置からアメリカの機密が盗まれると考えるのはもっともなことであるのです。
 さらには、「孔子学院」が意図するアメリカ人の心に分け入って、中国化するなんてことをやられてはたまらないと、FBIが捜査を開始するのです。

 それはそれで、アメリカの完全なる防衛を意図する政策ですから、もっともなことで、それを怠るようであれば、アメリカは国としての体裁を放棄することになります。

 しかし、宇宙軍を整備して、来るべき宇宙での戦争に備えるとは、もはや、ハリウッドも次の舞台を考えなくては立ちいかなくなり状況に追い込まれたと言ってもいいでしょう。
 宇宙の次は、きっと、私たちの心の中の神秘にでもなるのでしょう。
 愚かな政治家が、地球人の心を好きにできるようにしたら厄介ですから、そこは映画だけで楽しむようにして欲しいと念願をするのです。

 さて、そんなバカなことを書いていますと、あのNASAが「ハンマー」という名の宇宙船で惑星に体当たりをするという話を小耳に挟んだのです。
 アメリカは大統領が変になれば、一級の科学者も変になるのかと一旦は思ったのですが、どうもそうではないようです。

 なんでも、随分と先のことのようですが、2135年に「ベンヌ」という直径500メートルの小惑星が地球にぶつかる可能性があるらしいのです。
 「絵空事」と思うなかれです。
 なにせ、この世の春を謳歌していたあの「恐竜様」も小惑星の衝突で全滅したという歴史を持つ地球です。

 数千年後、この地球に科学文明をもたらす未知の生命体が、かつて、二本足で歩行し、それなりの文明を構築し、繁栄した「人間様」というものが、惑星の衝突で一瞬で滅びたなどと言われるかも知れないのです。
 
 だから、NASAは、今から、その対策を講じるというのです。
 なんでも、全長9メートル、重さ8.8トンの宇宙船「ハンマー」を10年間に渡り、50回ぶつけることで「ベンヌ」の軌道は逸れて行くという計算が出たというのです。
 
 地球がこれで救われるなら、それこそ、NASAだけではなく、全世界が協力すべきであり、「宇宙軍」などと与太を飛ばしているときではないのです。

 そういえば、今日あたり、中国の宇宙構造物が落下してくるそうですね。

 「天宮1号」という宇宙実験室だそうです。
 2011年に打ち上げられ、将来的には有人宇宙ステーションの建設を目指したということですが、道半ばで、残念なことになったようです。

 「自力更生」で、ここまでやるのですから、さすがに中国は立派としか言いようがありません。

 全長は10.4メートル、重さは約8.5トンの実験室は、大気圏に入れば、燃え尽きて、地上には被害は出ないと言っていますが、制御不能な宇宙構造物が落下してくるというのは困りものです。

 まさか、これも、どこかから盗み取って作ったものではないでしょうね。

 だとすれば、アメリカかロシア、どちらかからですから、この両国が監視をしっかりして、人類に被害が出ないように、そうそうアメリカであれば早速「宇宙準備軍」を派遣して、対処して欲しいと絵空事のように思っているのです。




大人びた彼ら

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大洗に出かけた折のことです。北海道からの定期船が入港して来ました。釣り人たちも寄せてくる波を予測して、糸が絡まないように調整に余念がありません。そんな光景なんです。


 彼らはまことに大人びている、と思うのです。

 彼らとは、中学生・高校生でありながら、世の中をあっと言わせる力を持って、私たちの前に姿を見せる子供たちのことです。
 例えば、将棋の藤井聡太。
 あの落ち着いた風情、立ち居振る舞い、どう見ても、<中学生>には見えません。
 知らない人が見たら、彼は大学生に違いない、きっとそう思うはずです。

 スポーツの世界では、ちょっと前になりますが、松井秀喜。
 あの顔を見て、この子が高校生だとは思えませんでした。

 何か特別な才能をもち、それを自覚し、最高レベルに磨き上げた子供というのは、きっと大人びた表情になるのだと思っているのです。

 エマ・ゴンザレスもその一人です。
 
 フロリダの高校で発生した銃乱射事件で、犠牲になった17人の高校生の同級生の一人です。
 あの坊主頭で、敗れたジーンズをはき、小さなピアスをした女子高校生です。

 事件発生が2月14日。
 講堂に隠れて、犯人をやり過ごしていた時、周りにいた生徒たちは当然パニックになりました。
 誰かが、叫び声をあげて、それに犯人が気づけば、銃弾を打ち込んでくるかもしれません。
 そういう状況下で、この少女は、スマートフォンで情報を検索し、警察が動き始めたこと、事件の推移などを伝え、安心させていたと言うのです。

 狂気に満ちた犯人が銃を乱射している中で、その発射音にもめげず、同年齢のものたちに声かけをする、そうそう大人でもできないことです。

 エマは、この学校のある団体に所属していました。
 その団体の名前は、「ゲイ・ストレート同盟」なるものです。エマはその団体の代表であったのです。
 
 エマは、キューバから亡命して来たキューバ人弁護士を父に持ち、母親は数学の教師です。
 そして、バイセクシャルであることを公にしていたひとりの人間であったのです。
 
 あの坊主頭にはそれなりの理由があったのです。

 エマは、私は自分自身についてオープンであったから、きっと、あの時、あの様な状況のなかで、皆を励ますことができたのだと後日語ります。

 そして、数日後には、箱の上に立ち、アメリカにおける銃規制強化を訴えるのです。
 実に、象徴的なスタイルです。
 あえて、そうしたというわけではないのだと思います。そこに箱があったから、そこにのって意見を述べたにすぎないというだけなのです。
 しかし、それこそがエマに与えられた状況の象徴になるのです。

 数日後、CNNが行ったタウンホールの集会で、全米ライフル協会の担当者に銃規制に何故反対するのか詰問します。
 相手を子供と見たのか、この担当者は質問に対する回答をしませんでした。

 こういう時、それなりの大人というものは、子供の意見に耳を貸さなくてはいけません。
 
 カナダと国境を接するメーン州議会議員選挙に出馬していた共和党のレスリー・ギブソンは暴言を吐きます。
 「このスキンヘッドのレズビアンには何の感銘も受けない」とツイートしたのです。

 この様な意見が受け入れられるほどアメリカ社会はまだ腐ってはいなかったようです。
 ギブソンは、自分の大人気ない見解を表明したことで、出馬を撤回せざるを得なくなったのです。

 大人が子供の意見に耳を貸さないと、こういうことになるのです。

 エマが、ツイッターのアカウントを作ったのは、事件から4日後です。
 あの箱の上に立ったその日です。
 エマは、四日後には、行動を起こしたのです。
 
 そして、あの沈黙の演説が行われます。
 
 ワシントンで開かれた「私たちの命のための行進」と銘打たれたデモンストレーション。
 その壇上に出て来て、エマは死亡した同級生を含む17名の名前を読み上げ、そして、沈黙したのです。

 CNNのニュース映像は、その間の聴衆の表情を捉えています。

 一体何が起きているんだ。
 エマの頬を涙が流れています。
 ちょっとしたざわめきの後、とりわけ、少女たちに変化が現れます。
 この行動に参加した少女たちが、感涙にむせび始めるのです。

 6分20秒経過。

 エマの時計がその時間をチャイムで伝えたのです。
 犯人が銃撃を続ける間、教室に隠れて身を潜めていた時間です。

 この沈黙は「社会運動史上、最も声高な沈黙」であると評されたのです。

 アメリカは民主主義の国です。
 ベトナム戦争の時も、公民権運動の時も、社会運動の波が時代を変えていったのです。
 
 きっと、この大人びたエマの行動はなんらかの動きをアメリカにもたらすのではないかと思っているのです。




我がオモテツ(思鉄)

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つくばの春は霧のかかる春。我が家の南部鉄器の、一年中、そこにある風鈴も霧の中で、じっとして動きません。空気がゆったりとそこにあるのです。


 つくばの駅はさほど深くはない地下にあります。

 たまに東京に出ると、しこたま、歩きまわり、足は文字通り棒のようになって、歩くのも億劫になるのです。
 ですから、終点つくばの駅で電車を降りてからは、なるべく歩かないように、ホームから改札のあるフロアーまでエレベーターを使うのを常としているのです。
 もちろん、改札階から地上に出るときもです。

 その日は、久しぶりに履いた革靴が足にこたえて、乗客たちが引けていくのを待って、それから動こうとホームのベンチに腰をおろしたのです。

 そんな短い時間の間のことですが、ふと、ロンドン郊外のイースト・フィンチェリー駅のことを思い出したのです。

 ホームは二つ。二つのホームを繋ぐのは跨線階段、もちろん、周囲に囲いも屋根もついています。その跨線階段を登り、そして、降りて、改札に向かうのです。
 駅員がいるわけではなく、切符を改札口におかれた箱に入れるだけです。

 実は、その駅、昔の、私が過ごしていた竹ノ塚の駅に似ていたのです。

 ホームは二つ。跨線階段はなく、ホームの端が緩い傾斜になっていて、その下に踏切があるのです。下り電車が入線するときには、その踏切は大きな警戒音を発しながら閉じるのです。
 電車が通過すると、警戒音はプツンと止まり、白黒に塗られた棒が上がります。
 傾斜したホームに溜まっていた人々が一気に改札に向かって動くのです。

 竹ノ塚の駅も、フィンチェリーの駅も良く似ていたなぁ、と思いながら、私ベンチに腰掛け、あるものを見ていたのです。

 それは、つくばの駅のホームにある「ホームドアー」なるものです。 
 昔、こんなのはなかった。
 今も、きっと、フィンチェリーの駅にはないはずです。いや、ロンドンの駅という駅に、それを私は見ていないのです。
 イギリス人がそんな無駄なことをするはずはない。

 駅舎のホームで安全を確保するなど、自己責任でやりなさいと、きっと彼らは言うはずです。

 記憶は定かではありませんが、上海で魯迅公園と言う名の駅から乗った鉄道には、それはあったと思います。
 タイのバンコクで乗った鉄道でもそれを見た記憶があります。
 なんで、こんなのつけるようになったのだろうか。

 そんなことをベンチに腰掛けて考え出したのです。

 理由は、転落事故を防ぐためであるから、ということはすぐにわかります。
 そういえば、「人身事故」で電車が止まっていますなんて、ニュース速報が流れることがあります。あの「人身事故」というのは、ほとんどが「飛び込み自殺」だと言います。
 そういう人が増えないように、転落とか飛び込みを防止しようというのです。

 意地の悪い考えをする人は、そうではなく、几帳面な日本の鉄道は、そのことで電車のダイヤが乱れるのを嫌うのだと言います。
 
 昔のことです。
 茅ヶ崎から東京駅に戻り、ホームから下に降りる重厚な階段を小走りで降り切ったところで、傘を忘れたことに気がつきました。
 すぐに戻り、止まっている車内に入り、傘を見つけました。
 すると、ドアが閉まってしまったのです。
 同時に、反対側のホームでない方のドアが開き、後ろの方で何かが落ちる音がしたのです。
 異様な音だったので、私はその方角に向かいました。
 酔っ払いが、きっとドアに寄りかかって座り込んでいたのかもしれません。ドアが開いた拍子に線路に落ちてしまっていたのです。
 この電車は、駅で清掃をし、また熱海方面に出発する電車であったのです。
 点検の方も、その酔っ払いがホームに出ていくよう誘導したと思うのですが、その酔っ払いは車内にもどり、あのドアに寄りかかり、山手線や京浜東北線の電車見ていたに違いないのです。そのうち、立っているのも面倒になり、ドアに寄りかかり、座り込み、そして、落ちてしまったのです

 私は、ドアのそばにあった警報ボタンを押し、下に飛び降りて、頭から血を流している落ちた男性を介抱しました。
 とてもではなりませんが、この酔っ払いを担ぎ上げて、開いているドアにのせることはできません。
 そのうち、警報を聞いた駅員がやってきました。
 皆でその方を担ぎ上げて、大事には至らなかったのです。

 私が人生でたった一度だけ体験した人命救助の一コマです。

 でも、鉄道警察の方に、事情を聞かれたことはいうまでもありません。事件であれば、私は犯人になるのです。そうでなければ、私は人命を救助した一般人です。
 事情を聞かれ、住所と氏名、それを証拠づける免許証を見せ、私は傘を手にして家路についたのです。

 翌日、人命救助の礼をしたいと電話があったのですが、さほどのことをしているわけでもないのでと辞退をしたのです。

 あんなことがあるのだから、お客を守るためにありとあらゆることをしなくてはいけないのが鉄道会社の務めであると思うことは思うのですが、果たして、そこまでやるものなのかと、幾分、頭を傾げてもいるのです。

 タイでは、線路に露天商が店を開き、1日に何本か来る列車が入って来るときは店をたたむ、そんな光景を見たことがあります。
 オーストラリアでは、ザ・ガン・トレインというアデレイドからアリス・スプリングス行きの大陸縦断鉄道に乗ったことがあります。光景の美しいところに来ると列車がスピードを落とすのです。車内レストランではフルコースを優雅にいただけるのです。
 赤い砂漠を見ながらの食事もまたいいものです。

 イギリスでは、電車が遅れても一言もないし、予定の電車がキャンセルになっていても誰もなんとも言わないのです。しかるべき説明があっても良いだろうと思うのは日本人だけです。車内では携帯電話はかけ放題、インド系の男が大声で話していても誰もなんとも言いません。あるものはパソコンを開き、あるものはiPadで映画を見ています。

 そうそう、昔の常磐線。
 上野から乗ると、もう酒盛りをやっています。日本酒とスルメの匂いで車内はむせかえるようです。

 そんなのが鉄道であると思うのは私だけでしょうか。
 なんだか無粋な、しかし、安全対策が講じられたホームの様子を見て、私はしばしの思いにふけっていたのです。

 さて、帰るとしようか、靴づれで痛くなった足を引きづり、私はエレベーターに乗ったのです。




子思いの親

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冬の間、家の中に入れて、育てていた鉢植えのイチゴが、大きな花をつけました。大きな実がなるに違いありません。これが甘いんだ。たった一個か二個だけど、格別のものだと感じるのです。


 老いた両親の世話を焼く、そのために、会社を辞めた。そんな話を耳にすると、私のところはさほどのこともなかったことに感謝をするのです。

 我が両親は、「子思いな親」だとありがたく思うのです。

 人が年齢を経て衰えるのは至極当たり前のことです。
 ですから、子を思いながらも、それが出来ない歯がゆさを心に抱く親もいることを心にとめておかねばなりません。

 しかし、当たり前ではあるのですが、時に怒られ、時に優しくしてくれた親が衰えるのを見るのは、子としては辛いものがあります。

 以前の日本であれば、爺婆が一緒に暮らし、まず、爺婆の衰えて行く姿を見、その死に遭い、次は親だと心構えと言うものがなんとなく子にはついていたものですが、いまは、別個に暮らしていますから、その中間をなくし、一気に親の死を迎えるその衝撃には大なるものがあると思っているのです。

 人の老いは、私、まず、耳から来ると思っているのです。

 人が言っていることが聞こえない、そのことで、人と話がしたくなくなる、電話にも出たくない、ましてや、人中に出て言ってあれこれ動くのも厄介だと言うことになり、ますます、耳の働きが退化して行くのです。
 外に行くことがなくなり、家の中ばかりにいれば、次に足腰が弱ってきます。
 私の母も、父が亡くなった当座はお墓まで散歩かたがた出かけていったのですが、耳も遠くなり、足腰が弱ると、一気に歳をとって行きました。

 病院でベットに横になっていると、早く家に帰りたいと言い出し始め、時には、ベットから降りて私の腕を掴み、さぁ行こうとせっついたこともありました。
 認知症が入ってきたのかと看護婦さんに話をすると、その傾向はありませんと言われたので、安心はしましたが、そんなことをする母ではなかったので、私は密かに、あの時、瞬間的に、認知症的な現象が母に起こったのではないかと思っているのです。

 亡くなる数日前、私がベットの横に詰めていると、ふと目を覚まし、お父さんの夢を見たとか、おばあちゃんがいると怪しげなことを言い出したのです。

 「お迎え現象」と言うやつだなと私思ったのです。

 人は、亡くなる前に、懐かしい人のことを思い、きっと安堵したいのです。
 一人で、これから行く未知の旅路への不安がそうさせるのだ思うのです。

 私もいい歳になりました。

 西行法師は、『願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月のころ』と朗詠しました。
 元はと言えば、鳥羽院の北面の武士佐藤義清を名乗る武者です。
 23歳の時に出家し、70歳を過ぎる頃に亡くなるまで諸国を放浪したと言われていますが、北面の武士を辞した理由も、出家に至ったわけも、詳細はわかりません。
 
 ただ、和歌を残し、その文言から推測するばかりの御仁です。
 晩年に詠んだこの歌は、彼の生涯を閉じるにあたり、その願いを謳ったものです。
 
 如月の望月といえば、旧暦で2月15日のことです。新暦では、3月31日になります。ちょうど今頃の季節です。

 釈迦が入滅したといわれている日にちは、旧暦の2月15日だとか、いや、16日だとか言われていますから、その辺りに自分もあの世に行きたいと願ったのは、平安末鎌倉初期の大方の人々の信仰のありようです。
 しかも、西行が亡くなったのが、文治6年2月16日(1190年3月31日)のことですから、本懐は遂げたということになります。

 平家物語で敦盛を討った熊谷次郎直実もまた同時代の人です。
 勇猛の名をほしいままにした坂東武者から法然に帰依した直実は、その後、自らの死の至る日を予言し、多くの人を集めて自らの死を披瀝しようとしていましたから、その当時は、自らの死を自ら選ぶ、そんなことがなされていたのだと思うのです。
 
 当然、今の時代にそんなことをすれば、警察がすっ飛んできます。
 
 いま私は、元気に、船に乗ったり、ロードバイクで遠出をしたり、昔の仲間と卓球をしたりと元気にしていますが、追っ付け、老いて衰える時が来るのです。
 
 桜の花の美しさを見ていると、どうも、いけません。
 一瞬の命の儚さに思いが至ってしまうのです。

 私の親がそうであったように、せいぜい、「子思いの親」になれるよう、願っているのです。




今年の桜は早くに咲きました

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いつも散歩する道筋にある祠の神さんにも春が来たようです。綺麗に着飾り、積まれたばかりのお花も供えられていました。手を合わせて、感謝をします。いつもありがとうございます。


 ものを書いていると、これまで誰も書いたものがないものを書いてやろう、などと大それた考えを持ったりするものです。

 しかし、書いたものを見てみますと、使い古された言葉の羅列にすぎないことを思い知らされ、ほとほと才能がないことを恨むばかりなのです。

 それでも、若い自分、親に話をして、お金を都合してもらい、ドフトエフスキーとトルストイの作品を文庫で買ってきた、机の上に山のように置いて、俺はこの長編の、分厚い文庫の山を読みきるんだと意を決して、そして、読んだものでした。

 父親など、変な思想を持たなければと心配をしていたと後から母から聞きましたが、昭和の日本が好景気に向かっていく最中に、19世紀ロシア文学に興味を持つのですから、そう思われるのも当然のことです。

 挙句に、長じてからはロシアではなく、中国の小説を勉強するのですから、呆れてしまいます。

 そうそう、漱石全集はといえば、大学に入った褒美として、夏のアルバイトで貯めたお金を使って、生協で一番安い岩波の全集を書いました。
 貴重なお金を使って買ったものです。
ですから、いまでも、年に一冊は読み直しをするほどなのです。そうそうおろそかにはできないと言う貧乏根性がそこには働いているに違いないのです。

 でも、ドフトにしても、トルストイにしても、もちろん、漱石先生のも、こりゃ面白い、愉快だと読んだためしは実はないのです。

 どちらかといえば、修行僧のように、耐えに耐えて、ページをめくり、読み終えて、やった〜と自己満足の感に浸るばかりなのです。
 修行も、読書も、私には大した結果も残さず、暇な時間を潰すためのひとときの弄びに過ぎなかったのです。

 でも、面白いと思った文学作品があるのです。
 それは、あの下唇の印象的な松本清張のものです。
 
 まず、私は、彼の古代史探索の仕事に興味を持ったのです。
 多くの歴史家が、学問もない小説家の戯言にすぎないと罵っていました。
 そうした中で、彼の邪馬台国に関する記述、彼の歴史上では悪人とされる人物の解釈に異を唱える姿に、清張の持つ孤高のありようを見て感銘したからなのです。

 今でこそ歴史家も面白い本を書きますが、あの当時の歴史家の学問的解釈ほど、つまらないものはありませんでした。
 歴史の綴られていない行間を想像する姿勢、加えて、名もなき記述者への共感、それらで彼の物語が構築されることで面白さが生まれてきたと思っているのです。
 清張は、自らの不遇な青年期を糧に、人間の心の闇に気づいた作家であり、それゆえ、それを現代ばかりではなく歴史においても、自らの踏査と想像の力で光を当てた作家なのです。

 社会の暗部を背景にし、重苦しさと人のさがの哀れさを描いた『砂の器』、あるいは、時刻表のトリックを使った『点と線』など、ドフトやトルストイ、そして、漱石先生にはない作品の面白さに一気に読み進めていったことを覚えています。
 
 人は、それが面白いと、どう言うわけか、その作品は低級であるとみる傾向があります。

 人はなぜ殺人を犯すのかなどと、悠長に構えて、その心理を追って、その時間の経過があろうことか遅く、飽き飽きしながも、それが故に、これは最高傑作なのだと思ったりするのです。
 ですから、作家の方も、使う言葉を難解にし、神だとか、人間だとか、簡単に考えればいいことを小難しく書いたりするのです。
 
 読んで面白い、これが本の醍醐味であるのに、いわゆる純文学と呼ばれ、重宝がられるものは退屈この上ないと言う妙な結果になるのです。
 
 今年、いくつかの文芸誌や思想誌の定期購読を止めました。

 小難しいことは、もういいかなと思ったのです。
 文藝倶楽部に属しているわけでもなく、世に出るための文芸講座に通っているわけでもなく、好き勝手に書いているわけですから、読んでも面白いと思われるもの、書いていても面白いと思うものを書いていけばいいのだと思うようになったのです。

 教員生活が長かったので、新年度を迎えると今頃になると、こんなやややこしいことを考え、新たな取り組みに対して、意思表示する、そんな癖が抜けないのも、実は、困ったものだと思っているのです。

 今年の桜は幾分早く咲き、散って行くようです。
 新年度、つくばあたりでは葉桜が新しい年度を祝うそんな今日この頃です。




ちょっと嘘をついたのです

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明るい日差しが入る画廊の一角と言いたいところですが、我が家の階段の壁を飾っているものです。こんな風に見ると、ちょっとかっこいいなぁ、なんて思っているのです。



 最近、コンビニに足繁く通っています。
 散歩の途中で、立ち寄り、野菜ジュースを買ったり、ちょっと暑いとソフトクリームを買ったりしているのです。

 なぜかって、私の右腕にはめられている Apple Watch 、その中に組み込まれている Apple Payで決済がしたいがためなんです。

 私の財布には「つくバス」の回数券がまだ数枚残っていますが、腐るものでもないのでそれはそのまましまっておき、Apple Watch でピッとかっこよく乗車しているのです。

 先日は近くのホームセンターで春の花の素晴らしい株を、しかも、安いのを見つけました。
 たった一個しか残っていませんでした。
 しかし、他に買うものがないのでそれだけを買いたいのですが、 Apple Watch をはめてからは小銭を持っていません。札を崩せばまた小銭が溜まってしまう、さてどうしたものかと思案をしていたのです。

 意を決して、この店では、もしかしたらApple Watch で支払いができるかもしれないからと、一株230円の株を手にして、レジに向かうことにしました。

 Apple Pay 使えますかと尋ねますと、すみません、まだうちは使えないんですと返事がありました。
 私は、そうだよなと納得し、この株だけ買いたいのですが、カードは使えますか、小銭を増やしたくないものですからと弁解がましいことも添えて言ったのです。
 もちろんですと返事が帰ってきて、私はレシートにサインをして株を手にして散歩を終えたのでした。
 
 そういえば、いつだったか、スマホ社会が行き渡った中国では肉饅も現金では買えないと言う記事があったことを思い出しました。

 私は、上海では、朝早く起きて、ホテルの周囲にある昔ながらの街をめぐりながら、焼餅や油条を作っている屋台で、それを買って公園で、おばさんたちがダンスをしているのをながめながら、一人食べることを楽しみしています。
 あそこも現金が使えなくなるんだと思うと、そんなささやかな楽しみもあの国ではできなくなるんだと、ちょっと寂しい気持ちになったのです。

 記事には、中国の人たちが、屋台のそこかしこに貼られているQRコードにスマホを向けて、それで決済しているとありました。
 一体、どう言う仕組みになっているのかと、そのとき、ちょっと調べたことがあるのです。
 
 いつだったか、ゴールドコーストのタイ料理レストランに入ったとき、カードでの支払いは可能ですが、手数料がかかりますがよろしいですかと丁寧に言われたことがありました。
 カードを使うには、店は専用の端末を用意し、そのための手数料を支払わなければならないのです。それを店がサービスで行うのではなく、利用する客が支払うと言うのは日本でもかつては見られていたことです。
 それが嫌なら現金でお願いしますというわけです。
 旅行中で、現金をあまり持たなかった私は、それで結構ですとカードで決済したのです。

 でも、QRコードでは、その面倒で出費のかかる機器などの設置の必要がないのです。もちろん、手数料なども一切かかりません。

 屋台などの店では、専用の端末をつけるのであれば、それはなかなか厄介なことですが、紙にQRコードを印刷して貼るだけであれば、何ら面倒なことはありません。
 それに、業者を通して、後払いということでもありませんから、QRコードに示された口座に即入金がされるわけですから、便利なことこの上ないということになります。

 Quick Response、これが「QRコード」の正式名称です。
 「高速読み取り」とでもいいましょうか。これ、日本のデンソーが開発したもので、バーコードよりも情報量をたくさん取り入れることのできるマトリックス型二次元コードといわれるものです。
 それを中国では利用して、キャッシュレス社会を実現していたのです。

 経産省のデータを信用すると、(変な書き方ですが、最近は日本の省庁のデータへの不信が強くありますので、皮肉を込めてこう書かせてもらいます)、日本のキャッシュレス決済比率は、19%程度であるということです。
 これに対して、中国は、50%を超えているというのです。

 屋台ばかりではなさそうです。
 これらのデジタル経済は自転車のシェアや乗り物などの予約、資産運用までに及んでいるといいます。
 きっと、新しい中国の体制は、それを一帯一路で関係を強める中央アジアでも使うはずです。
 ますます、キャッシュレス経済は広がっていくことになるでしょう。

 さて、私のApple Watch に入っているお金も、ピッと言うたびに、数字が小さくなっていきます。アプリには、「入金する」と言うボタンがあります。
 そこを押すと、金額が示されます。
 希望する金額のボタンを押すと、アプリは、私の銀行口座に接続して、その金額を持ってきてくれるのです。
 銀行に行かなくていいし、駅やコンビニで、入金をすると言うこともないのです。

 この日も、散歩の途中、コンビニでスムージーを買いました。
 Apple Pay でお願いしますと、ちょっと年増の店員に言います。
 私は、自慢げに、右腕をかざします。
 でも、ピッと音がなりません。
 「あっ、それはいらないレシートを入れる箱です。こちらの方で。」
 と、かっこつけた私をちらっと見て、年増の店員が笑うのです。
 「初めてつけたもので。」と、私は照れ隠しか、ちょっと嘘をついたのでした。




忘れちゃいけないよ

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ロードバイクに乗って、神郡と言うところにある神社を目的にいきました。蚕を祀った古い神社です。この石段をバイクを担いで、サイクリングスパイクを履いて登るのは、ちょっときつかったな。でも、こんな奥深いところにある境内、何か感じるものがあって、ゾクゾクしました。


 あれは、オックスフォードのセント・キャサリン・カレッジで生活をしていたときのことです。

 一週間に一度、部屋を掃除し、ベッドの敷布を交換してくれる方がやってくるのです。
 男性は、モップを持って、部屋をモップがけしてくれ、女性は枕カバーを含めてベット周りを整えてくれます。
 その日、私は部屋に置かれている小さな机に向かって、上司に送るレポートを書いていました。

 その方々が入ってきて、掃除をしていいかと問うてきたのです。
 しかし、本当にそう言ったのかどうかはわかりませんでした。
 なにせ、彼らの英語が聞き取れないのです。

 お顔を見ますと、確かにイギリス人のような顔つきをしています。
 東欧あたりから移民してきた人かなと思ったのですが、二人の会話を聞いているとところどころに英語らしき単語が入ってきますから、きっと、彼らはイギリス人であり、私たちが喋る英語とは少し違う英語を喋っているんだと思ったのです。

 <A HARD DAYS NIGHT>という映画があります。
 THE BEATLS の最初の映画です。その映画の中で、ファンからの追撃を振り切った彼らが列車の席につきます。
 すると、そこには一人の見慣れない老人がいます。
 映画の設定では、意地悪で偏屈なマッカートニーのじい様です。
 そのじい様に、レノンが何やから語りかけます。
 ところが、そのレノンの英語がまったくもって聞き取れないのです。

 字幕と相談しても、レノンは何を喋っているのだろうかと思うばかりなのです。
 あとで、その手の書物を読みますと、あれは、なんでも、強烈なリヴァプール訛りだということでした。
 ところが、それを念頭に入れて、ビデオを改めて見ましても、訳のわからない言葉を喋っているのですから、相当な訛りということになります。
 
 私のオックスフォードの部屋に来た清掃人たちも、どこか、ほかの土地の訛りの強い場所から来たのではないかと思ったのです。

 そのことを、一緒に来ていたカナダ人の同僚に話をしますと、イギリスではまだ階級が厳然としてありますから、労働者階級の英語は私でもちょっとわかりにくいものがあるんですと言うのです。
 
 確かに、レノンの曲にも、<WORKING CLASS HERO> というのがありますから、その観念は歴然としてあるのでしょう。

 そんなことを考えれば、日本という国は、欧米諸国よりも平等観念が強い国であるのではないかと思っているのです。
 もちろん、時に、俺の家は昔は士族だとか偉そうに言う方もいますし、元お殿様の家柄で、今は、昔からの家を宿として商売をしている方もおられます。
 でも、士族のどこが偉いのと唇ととんがらせて言えるし、華族としての身分を失い必死に生きている姿を見ますと、偉いもんだとも思えるのですから、平等の観念が私たちの国には根付いていると言えるのではないかと思っているのです。
 
 先日、新聞の記事に、昭和5年に、当時の内務省が、3月14日を「国民融和日」としたというような記事を見つけ、興味深く読んだのです。

 3月14日というのは、1868年、つまり、明治元年、『五箇条の御誓文』が示された日のことです。
 その一節に、『旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ』というのがあります。
 難しい言葉遣いですが、封建社会の良くない習慣を捨て、国際社会の中で物事を考えよというのです。もっとわかりやすくいうと、欧米では、誰でもが自由に発言し、政治に口を出すことができる、身分や出自で制限を加えることをやめようというのです。
 まさに、「士農工商」に代表される身分差別の撤廃を意図しているのです。

 明治維新の素晴らしいところは、理想を掲げ、そればかりではなく、その実現を具体的に図ったところなのです。
 とりわけ、士分が中心となって行った維新、その士分が自らの特権を自ら剥奪していったのですから、偉いことだと思っているのです。もっとも、それをよしとしないものもいた訳ですから、軋轢もあり、戦いも起きた訳です。

 特に、私が感心するのは、全国のいたるところに、小学校を作ったということ。そして、その数は、今の数に匹敵する数であったということです。
 必要な数の学校を的確に設置したのですから、若き明治人の燃えるような意欲が見て取れます。
 それこそ、『天地ノ公道ニ基クヘシ』の体現であると思っているのです。

 実現の具体化のために効果的に使われたのが「標語」というものです。

 例えば、<四民平等一視同仁>などがその最たるものです。
 四民とは、士農工商の身分に関わりなく、誰もが平等であるということです。当時の日本人にはとてもわかりやすく、頭に入ってくる標語です。
 一視同仁とは、四民平等よりは馴染みのない言葉ですが、明治の時代の日本人には親しみやすい言葉です
 誰にも差別をせず、すべての人を平等に見て同じように思いやりを持って対すること、という意味です。

 フランス革命でも、アメリカの市民革命でも、完全には成し遂げられなかったこの一点を明治維新は見事にやってのけたということになります。

 とは言っても、人間のなすことです。
 差別されていると感じるものは、そのことで十分だとは思ってはいません。
 根っこのところにその差別なるものがあることに気づいているからです。

 ですから、昭和5年に、『五箇条の御誓文』が出た3月14日を、原点に回帰するという意味で『国民融和日』にしたのでしょう。
 昔からの良くない因習で、その人の言葉や振る舞い、心情で差別をしてはいけないというのです。
 原点に回帰するという点では素晴らしい試みであると思っているのです。

 そんなことを思うと、当時の日本のアジア支配でのあり方にも、ちょっと違った見方が出てくると思うのです。

 台湾でも、朝鮮半島でも、日本が支配したところでは、日本国内よりも最新の技術で鉄道が作られ、インフラが整えられたからです。学校教育なども日本語を強要したと一括りにしてしまえばそれまでですが、日本語ができることで、彼らの生活に明かりをさすことができるのですから、そちらの方に重きを置いて見たほうがいいのです。
 現代でも、オーストラリアでの日本語教育が盛んなのは、日本語ができれば仕事があると言うことが始まりになっているのです。

 ですから、あの当時の日本のアジア支配には、明らかに、<四民平等一視同仁>の考えが、彼の地に派遣された日本人にあったことを示しているのです。

 戦争に負けたことで、そうした良い面までも自らの手で打ち消されて行くのは悲しいことだと思っているのです。




シングルマザーとの一杯の思い出

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季節外れの光景が筑波の麓に残っていました。春にススキもまた乙なものです。



 春は、若者たちが「新しい世界」に入っていく季節です。

 それまでとはまったく異なった世界のありように、目を丸くし、懸命になって学び、働いていくことになるでしょう。
 同時に、世の中の矛盾とか、実相とかを目の当たりにして、愕然とすることにもなるでしょう。

 もう少し、小さい、私の孫のような年齢の子でも、いや、それだけ小さい子であればこそ、環境の変化は大きな影響をその子に与えることになります。
 クラスが違っただけで、担任の先生が変わっただけで、それは起こるのです。
 
 でも、それが成長の糧となり、青年であれば、世の中の酸いも甘いも嚙み分ける大人になる一歩であるとも思うのです。
 
 私の毎朝読んでいる新聞に、その一面広告はありました。
 「転職」を好意的に捉える広告です。

 ちょっと前まで、日本は終身雇用を採用していた国だったのです。
 若者たちは、生涯を捧げる会社を選び、会社のために、全身全霊で仕事に邁進したのです。
 会社も、会社の風土に合う人材になるよう、先輩社員が手取り足取り仕事を教え、時には、酒の席で人生のなんたるかを教え、一丸となって業務に従事する組織を作り上げて行ったのです。
 
 しかし、そんな時代はとうに過ぎ去り、今、そこが気に入らなければ、自分にあったもっと良い会社を選べる時代になったと広告は訴えていたのです。

 確かに、中途採用者への格差というものはなくなりました。むしろ、能力が高ければ、中途採用で来た人でも優遇される傾向が強くあります。
 
 あるシングルマザーを私は知っています。

 二人の子供を私の勤める私学に送り込み、姉は早稲田、弟は筑波大医専に入って行きました。
 亭主と離縁し、自分はつくばの研究所相手に、人材の派遣を業務とする会社を経営しているのです。会社は順調なようで、保護者会で見せる立ち居振る舞いも風格のあるものでした。
 保護者会の役員たちが、主だった教師を招いて年に一回懇親会をしますが、その時も、夜の夜中まで付き合っていますから、結構、シングルマザーの生活を楽しんでいるのではないかと思っているのです。
 
 そのシングルマザーから聞いた話なのですが、大学院や研究所で研究に従事する方々というのは、頭はいいのでしょうが、自分を経営するという点ではまったくの落ちぶれだと言うのです。

 その話を聞いて、実は思い当たることがあったのです。

 取手の学校にいる時に、ノーベル賞を受賞した偉い科学者に講演に来てもらったことがあります。
 この時、私はその招聘部署の担当になっていました。
 講演の段取りや生徒に講演してもらう話の内容を電話でするのですが、いつも電話口で話を詰めるのは、実はその方ではなく、奥さんだったのです。
 秘書の方と相談をすると言うケースはままありますが、奥さんがそれをやると言うのは珍しいなと思って、その奥さんと来るべき講演の内容を詰めて行ったのです。研究活動、それに、役職を多く持っている方なので、お忙しいに違いない、だから、奥さんが補佐していると、その時は思っていたのです。

 でも、実際に、その方にお会いしてみますと、ノーベル賞をもらったその著名な科学者は、そういう段取りをとるだとか、講演内容を詰めるなどということがまったくできない方だとわかったのです。

 天才というのはこういう人のことを言うのかなと思ったのですけれど、世間話も、冗談の一つも言えないのですから、これじゃ、社会生活などしていけないと心配になったのです。
 講演の前、後、コーヒーを飲みながら、雑談やサインをもらったりするのですが、すべて、その奥さんを通してしなければならないほど、世間離れしていることに驚愕をしたことがあったのです。

 ですから、シングルマザー女史の語ったことが、ある程度は理解できたのです。

 だから、あなたみたいなコーデイネーターが必要なんですねと私が言いますと、それだけではないのですよと、さらにたたみ重ねてくるのです。

 ご自分をわかっていらっしゃらないんです、だから、私、言ってやるんです。
 あなたレベルの人は、つくばには、そこらへんにゴロゴロいますって。
 自分は偉大だ、天才だ、これだけの人間をほっておくとはけしからんと言う研究者が実に多いと言うのです。もちろん、そんなことを口に出して言うわけではないのですよと、しかし、その匂いがプンプンとするんですと。
 だから、その鼻っ柱を叩き潰してやるんです。
 
 そんなことを言うんです。

 大学院に行かせてもらえるなんて贅沢なことです。
 海のものとも山のものともわからないものになるのに、時間と経費をかけるのです。それも、こう言っては失礼にあたるのかもしれませんが、つまらない研究に従事するのです。

 シングルマザー女子のその言葉も私にはよく理解できることでした。

 私が学部を卒業する時に、あいつは院に行くそうだと誰かが言うと、あいつは就職に失敗したからなと誰かが言います。すると、あいつには社会生活は無理だよ、人の意見を聞くことができないし、唯我独尊、院に行って象牙の塔だかなんだかわからないが、その中でのたうち回るのが一番だなどと悪態をつくのです。
 ちょっと失礼な言い方で、羨ましがったり、蔑んだり複雑な心境で語っていたことがあったのです。

 だから、鼻っ柱を叩き潰すと言ったシングルマザーの言葉もよく理解できたのです。

 学校の先生もそうですよと、さらに、男というのは皆同じですよと、いやはや風向きが少し変わってきたようです。
 男というのは、自分が一番偉いと思っている、本当は、全然偉くない、なんていうことを口走るのです。

 そこへ、保護者会の会長さんがやってきました。
 少し酔いましたね。
 いつも、こうなんです。これからは私がこの方の相手をしますと言って、連れて行ったのです。

 会長さんは、会計事務所を経営する方で、シングルマザー女子の会社の会計も手かげて、たまに、皆でこうして飲んではうさを晴らしているんですよと言っていました。

 保護者同士のそんな世界もあるんだと思うと同時に、教師の世界の狭さにも気付かされたのでした。
 それにしても、シングルマザー女史もすさまじい人生を送ってきたに違いないと思ったのでした。




女の仕切り

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鳥居があると、厳かな気分になります。自然と頭が下がるのです。そういう気持ち、とても大切だと思っています。



 私、借金というものをしたことがないのです。

 もちろん、その借金というのは、ローンとか、クレジットカードとか言うのではありません。入り用だからと頭を下げて人に金を借りたことがないということです。
 せいぜい、私の自慢と言えるのはこのくらいのことだけなんです。

 反対に、金は貸したことはあるのです。
 教員仲間で、何を思ったのか、学校をやめて寿司店に入った男がおりました。
 将来、自分で店をやりたかったと言うのがどうもその目的であったようですが、じっくりと話をしたこともないので、その辺りは実際のところよくはわからないのです。

 しかし、自前のビルを建てて、手広くやっている寿司屋とはいえ、そこは職人の世界です。
 ある時、テーブルの上に置かれたままになった給与明細を職人たちに見て、後から入って来て、ろくに寿司も握れない奴が自分たちの倍の給料をもらっていることがわかり気まずくなってしまったと言うのです。
 彼がいることで、客数が飛躍的に伸びたわけでもなく、昔から、その寿司屋に出入りをし、飲み食いをしていた常連だと言うだけで、彼に高待遇を与えることに、あとで知ったことであると彼は言っていましたが、一番の反対者は、主人の奥さん、つまり、おかみさんだったと言うのです。 
 常連の客だったからと職人の倍の給料を出すなんて店を潰す気かと、そう詰っていたと言うのです。
 そして、明細書をテーブルに置きっぱなしにし、皆に見せたのはおかみさんだともいうのです。

 どう考えても、当たり前の話です。

 どうも、教師をしていると世間離れの思考をする人間が多くて困ります。
 その彼が、ある程度の金を貸してくれと言って来ました。
 寿司屋に居られなくなり、そこをやめてしまったのです。

 後日、彼は大学の先輩の口利きで教師としてやり直すのですが、私に借財を申し出るにはよほどの決心があったに違いないと思い、そのことについてはあまり言わないようにしているのです。
 
 私の父は大学を落ちて、そのため、一近衛師団の兵士としてシベリアに、戦後は一介の労働者として汗水流して働いていました。
 そのためかどうかはわかりませんが、晩酌はゆうに2時間をかけていました。
 じっくりと<生きている実感>を味わうかのように、その時間を楽しんでいたのだと思います。

 父の弟は、横浜の国立大学を出て、起業しました。
 自分の頭の良さを子供の私たちにも語るような人でした。
 戦争の時は、陸軍将校としてあり、その姿が立派であったと親戚の人たちから聞いたことがあります。きっと、長靴を履いて、サーベルをさして、姿勢正しくあちらこちらに姿を見せていたのだと思います。
 
 起業すれば、景気のいい時はいいのですが、その反対になると困ったことになります。
 景気のいいとき、父に連れらて出かけて言った家はモダンなつくりで、丘の上の見晴らしの良いところに建っていました。
 こんな家に住めるなんて、なんて素敵なんだと少しは思いましたが、竹ノ塚の借家がやはりいいやと父の2時間の晩酌に付き合って、そのそばで勉強をしている方がずっといいと、確かに思っていた子供時代でありました。
 私には、あの豊かで、豪勢なありようが、何か、薄っぺらい感じがしたのです。

 その父の弟の会社が傾いてしまったのはそれからしばらくしてでした。
 しかし、陸軍将校で、会社経営者であった叔父は、家族と自分の生活を維持するために、一介の労働者になることはできなかったのです。
 いくばくかの生活費の援助を父に申し込んできていたのです。
 兄弟とはいえ、それぞれが家庭を持てば、そうそう、融通できるものではありません。
 よく、母が、親戚が集まった時など、あんな偉そうにものを語っているけれど、貸した金も返さないんだよとそっと長男の私に言ったことを、私は記憶しているのです。

 借りた方は、兄弟だからと甘えて、くれたものを解釈し、兄であれば、そのくらいは仕方がないかと思ってしまうのです。
 でも、そこにはあの寿司屋のおかみさんのように、そして、母のように、女の堅実的な経済感覚が露骨に出てくるのです。
 
 大学生の頃、Kさんと言う方と知り合いになりました。
 知り合いといっても、アルバイト先での配達専門の運転手だったというだけの話です。
 竹ノ塚の自宅の近所に、人形町で浴衣の卸をしている社長さんがいて、そのつてでアルバイトをさせてもらっていたのです。
 配達専門のKさん、秋田から出てきて、ハイエース一台で個人事業を始め、車を一台一台増やし、運輸会社を営んでいるのです。
 彼の仕事は、私を助手席に乗せ、浴衣を別の問屋や店に配達するのが仕事です。浴衣を持って店に上がり、伝票を切ってもらい、それを彼に渡すのが私の仕事です。

 時たま、彼は配達とは関係のない場所に出入りします。
 金貸しみたいなこともしていたのです。だから、彼が立ち寄る先は、借金の利子を受け取るためであったのです。
 あるとき、貧相な男に9万円を渡しました。そして、一ヶ月後に10万を返せばそれでいいんだと言っているのです。つまり、1万円の高い利子を最初にとって貸付をしているのです。まさに、違法なやりとりです
 あの人たちは、正規の場所ではもう金を借りられないんだよ、だから、自分のようなものが必要なんだと弁解をしていました。

 Kさんは昼前に配達に出る時は、上司に、昼飯をついでにとってきますから、13時すぎには戻りますと言って、私を浅草の有名な鰻屋や、京橋のちょっとお高い寿司屋に毎回連れて言ってくれるのです。

 その彼が、一度、砂町にある自分の自宅兼事務所に連れて言ってくれたことがあります。
 確かに、数台の車を動かして、運送の仕事しているということが、家の前にある『(有)K運送』の看板でわかりました。
 しかし、その会社の主導権を握っているのは、Kさんではなく、その奥さんであることは一目瞭然でした
 私には、丁重に、いつもお世話になってなどと優しい言葉をかけてくれましたが、Kさんに対しては、幾分横柄に言葉を放っていたのです。
 Kさんは中学もろくに出ていないのです。ですから、伝票の字を読めない時があり、私に聞くのです。奥さんは高校を出て、伝票を切り、会計を行い、税務を取り仕切るのです。
 そんなわけですから、奥さんが横柄になると言うより、Kさんが頭が上がらないと言った方が正確なのです。

 大学生のあなたはきっと卒業したら大きな会社に入っていくんだろうね。
 こんな小さな会社なんて、目もくれないだろうねと、しみじみとKさんの奥さんが言うのです。
 甲斐性なしの旦那だけど、あんた頼むよと、私の肩をたたくのです。

 日本では女性の管理職が極端に少ないと言いますが、そうではないのではないかと言うのが私の持論なのです。

 つまり、日本という社会は、裏で女がやるべきことをしているそんな社会なのです。
 それを統計に入れれば、きっと、一位に日本は躍り出るのではないかと思っているのです。




年寄りとの会話は面倒

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玄関に置いてあるユーカリが、今年は新芽を出して、綺麗な葉をたくさんつけました。古い硬くなった枝を切り取り、つめたおかげです。この木は、山火事にも耐えて、芽を出すといいます。コアラはいませんが、今年は黄色の花を見たいと思っているのです。


 先だって、ご近所の方々と食事をする機会がありました。
 ずいぶん昔、つくばに転居して来たばかりの時、誘いを受けたソフトボールクラブのメンバーたちでもある近所の仲間も入っています。

 私の前に座った二人は、ともにソフトボールクラブのメンバーで、つくばにある研究所の研究員であった方です。仕事の関係で、東京から転居し、つくばに暮らすようになったのです。
 そのうちの一人はつくばの園芸屋さんの娘のところに婿入りした方です。

 婿入りした方は、今は、町内会の会長をしています。
 もう一人は土木工学の研究者で、いまは、公立中学の社会科の非常勤講師をしています。
 どうやら、二人は、研究所こそ異なっていましたが、近所であり、同じ研究仲間ということで、随分と親しいようです。

 私が、胸ポケットで振るえて何かを伝えてくれたiPhoneを取り出して確認をし、それを元に戻すと、あなたは随分と最新鋭のものを使っているんだねと言い、彼らは自分たちの胸元から、二つ折りになる懐かしい、そして、古めかしい携帯電話を出したのです。
 
 今度は、私が、いやぁ、珍しい、まだ、そんなのあったんだと、少々、本気で驚いたのです。

 彼らは言います。
 そんな最新鋭のもの持っていれば、高くつくでしょうと。

 私のはSIMフリーだから、月々、1600円くらいだよと言いますと、えっと今度は彼らが驚くのです。
 でも、面倒なんだよな、自分でなんでもセットしなくてはいけないからと会長職の彼が言います。
 あなただって研究所で研究職についていたんだから、そのくらいのことはわけないでしょう。私は、文系も文系、国語の教師ですよ、それがやれるんだから、さほど難しいことではないですよと言い返します。
 
 彼らは、思いほか、いや、自分たちの月々の通信費より格段に安い金額に驚くと同時に、私の右腕に巻かれているApple Watchにも気がつきました。
 非常勤をしている彼が、あなたは先進的なんだと今度はしきりに感心するのです。
 でも、そのような最新鋭のものを持っていても、やることは、これと一緒でしょうと、例の二つ折りの時代遅れの機械をかざすのです。

 とんでもありませんと、私、前近代的な機器をかざし、同じだと言われて、意地になりました。

 例えば、買い物に行って、これでピッとすれば、ポケットに使うこともなく溜め込まれる小銭がなくなるし、改札もピッですよ。
 そして、この二つの機器には、私の極秘データを管理させて、健康増進に役立つのだと話をしたのです。

 そこまで言われると、今度は彼らが意地になります。
 現金は持っておくべきだとか、健康管理はそれがなくてもできると、なんだか、旧式の機器の代弁者のごとく弁護を展開し、新旧機器の論争と相成ったのです。

 すると、私の横にいたご婦人が、この方は、つくば市でいろいろな資格を得て、あちらこちらに講師として出かけては講演をしている方で、論争をしている私たちよりは大分お年の上の方なのです。
 その方が、私と同じ機器を取り出して、これからの時代はこれですって、口を挟んで来たのです。

 あんた、現金なんてゆくゆくはなくなるわよ、それに、私たちの年代になったら、世界で最も先を行っているものを持たなくてはいけませんって、言うのです。
 面倒だとか、用が足りるだとか、くだらない方便は使わないの。
 今日明日にでも、買い替えなさいとズバッと言うのです。
 
 年上の彼女に言われた元研究職の二人、ぐうの音も出ません。

 私は、ニヤニヤしながら、論争の決着に満足していたのです。
 彼女が言うように、この年になっても、最新鋭の機器を手にすることは大事ですが、私はより実務的にこれらの機器を手にしているのです。

 その最たるものが、健康管理です。
 私と体重増加との戦いは優に半世紀を超えているのです。
 でも、オーストラリアに行けば、私など痩せぽっちに見えるのですから愉快です。

 日本人の肥満とかメタボなんて、あそこへ行けば、可愛いものです。どうしたら、こうなるのと思うくらいの肥満状況だからです。
 だから、彼らが焼き鳥を美味しいとたらふく食べるのも、お寿司は健康にいいとこれまたたらふく食べるのも、日本人のようになりたいからなのです。
 しかし、あまりに「たらふく」食べ過ぎです。
 それでは、いかに健康的な食事でも効果は半減どころか倍加します。

 私、最近、思うことがあるのです。
 iPhoneにあるハートマークのついたアプリで食事管理をしたり、運動管理をして、体力や健康の維持に務めているのですが、ある程度の年齢になったら、やめようかと考えているのです。

 カロリーを気にせず、食べたい時に食べて、好きな時に運動して、そうでないときは運動はしない、そんな風に生きようと思っているのです。
 だからと言って、決して窮屈な生活をしているわけではないのです。
 たまには、酒も飲みますし、甘いケーキも、ドーナツも食べます。でも、iPhoneに管理されていると言う窮屈さがどうも引っかかるのです。

 健康を維持したいと100パーセント念願するから、私はiPhoneのブルブルと言う振動に反応し、腕に巻いたApple Watchの指示に動くのです。
 でも、そうしなくてもいいのではないかと思うときが近い将来くるはずです。
 その前に、私は、それらの機器を捨てようと思っているのです。

 そんなことを考えていると、私の隣にいたあのご婦人、私に、あなた先生だったわよね、つくば市の体操の講師にならないと声をかけて来たのです。
 講習を三回受けて、B級ライセンスを取り、それで講師になることができると言うのです。
 さらに、場数を踏んでいくと、その方のようにA級ライセンスを取れると。
 
 私、ちょっと困り果てた表情をしますと、とりあえず、考えといてと言うのです。
 考えるだけは考えますが、きっと、返事はNOとなるはずです。
 自分の健康もままならないのに、人様の健康をあれこれ言うことはできませんから。

 なんだか、年寄りたちとの会話は面倒だと思った次第なのです。




プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《6 / 17 💡 Monday 》
 
🦅 ただいま、<カクヨム>にて『ひとりっていいよな』を発信しています。

  世の中って
  理不尽なるもので
  満ち満ちているんだっ……



誰でも、社会的生活を営んでいれば、心苦しいことに出会うものです。
トップの解任、同僚との確執、職を辞しての新しき生活、そんなさまざまの体験がそれです。
人は、かくも争い、かくも世知辛い思いをするのです。
そして、大切なものをそこで失っていくのです。
失うことを、損得で測れることはできません。
失うことは、糧として、その人間に残れば、それでいいのです。
そして、若き人に、送ることができればそれでいいのです。


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