思惑と損得ー新たな38度線

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植物は美しい、しかし、盛りを過ぎればその姿はみすぼらしくなり、そして、衰弱し、滅んでいくのです。それを見届けて、手入れをしたやると、命は復活してきます。だから、その折々の美しさを大切にしたいのです。瑞々しい葉の上に、今どきの雨つぶが乗りました。本当に美しいですね。


 ノーベル、ノーベルとトランプの支持者たちが連呼します。
 すると、ノーベルだって、と顔がほころぶのを私は見逃しませんでした。

 誰だって、栄誉を手にすることを良く思わない人はいません。
 政治家であれば、それは尚のことです。だって、歴史に自分の名が刻まれ、人類史の中に自分の業績として残るのですから。

 かつて、ヴァンクーヴァーから小牧空港に降り立ち、名古屋特有の派手なバスに乗って名古屋駅についたときのことを思い出すのです。
 成田であれば、迎えの車に乗って帰れるのに、小牧であれば、新幹線で東京までもうひと旅行しなくてはなりません。その憂鬱さを心に、重い荷物をホームに運び上げながら、引率する生徒の安全確認をし、短時間で「ひかり」に乗車させるために彼らをホームに並ばせます。
 やっと、一息し、キヨスクに目をやると、大きな活字が夕刊紙面に踊っていました。

 「ベルリンの壁崩壊」
 
 その大きな見出しの夕刊を手にしたときのあの高揚感を忘れることができません。
 カナダにいる間に、ありうべからざることが起きていたのです。
 東ドイツはどうなるのか、いや、東ドイツばかりではない、ソ連の政治経済圏にある東欧はこれからどうなるのかと、漆黒の闇の中を走る新幹線の窓に映る車内の生徒の嬉しそうなはしゃぎようを見ながら、私は思っていたのです。

 1989年の秋の日の出来事でした。

 あの時、自由を求めて、管理され、監視され、制限された社会から出ようという人々の熱気が感じられたのを今でも思い出します。
 その後の東欧の変貌、そして、ソ連の崩壊がそのとき始まったのです。
 あのクレムリンからソ連の赤旗が降ろされるなんて、そのときは想像だにしなかったことですが、ありうべからざることが、確かに、その後起きて、今の世界があるのです。

 でも、今、我が国の隣にある半島の国で、三十八度線がその意味を失うかもしれないといった時に、私が名古屋駅で持ったあの高揚感を感じることがないのはなぜだろうかと、私はウッドデッキに腰をおろして考えるのです。

 隣の国が戦争状態を終えて、平和裡に民族が統一されるんだから、素直に喜んではどうだと、私の心の中で、声が響きます。

 でも、南はともかく、北の人々はそれを喜んでいるのか、待ち望んでいるのか、そういった懸念もまた胸中に得体のしれない不可思議さとして浮かんでくるのです。
 三十八度線がなくなったとき、北の人々は、そう、あの東ドイツの人たちが我先に西ドイツに通じる検問所に押し寄せたように、非武装地帯にある今は使われなくなった線路上に、そして、境を隔てる橋のたもとに、あるいは、南北の兵士が警備する監視所に押し寄せてくるのだろうかと想念するのです。

 民族を同じくする韓国はともかく、陸地を接する中国やロシアではいかに対応するのか、あるいは、ボートピープルとなって日本海を渡ってきた北の人々に対して日本はいかなる対応をするのだろうかと、ここでも懸念が沸き起こるのです。

 そのようなことを考えたとき、ふと感じるのです。

 あの時は民衆の思いがはっきりと伝わり、いうならば、民衆が自由を求めて、自らの犠牲も厭わず動いたのに、今回はそうではないのではないのではないかと。

 動いているのは、政治的な思惑、それに伴う経済的な損得ではないか、そこには、自由を求める民衆の熱き血潮がないのではないかと。
 そんなことを、感じ、不安になるのです。

 思惑と損得では新たな紛争の種を撒くようなものです。

 今の中東の混乱は、19世紀の大英帝国の、そして、それを取り巻く国際社会の思惑と損得が契機となっていることを、私たちは歴史の痕跡として学んでいるはずです。
 
 にも関わらず、政治的な打算がまかり通っているとしか思えないのです。

 第二の中東が、東アジアに誕生するのでは困ったものです。
 南の力が北の力を圧倒すれば、アメリカがのして、それに対して、中国はなんらかの対応策をとるに違いありません。
 北の力が南の力を駆逐していけば、中国の政治力学が、対馬の隣まで及んでくるのです。そうなればアメリカはもちろん日本だって黙ってはいられなくなります。
 
 統一という何事も覆い隠す美辞麗句の化けの皮が剥がれた時に、熱は一気に冷めて、体制の異なる者同士の疑心暗鬼がのさばるようになるのです。

 ですから、対馬沖が新たな三十八度線になるということも十分に考えられるのです。

 そんなことを、木漏れ日がゆらゆらと動くウッドデッキの床を見ながら思っているのです。

 だって、日本の議員さんたち、さほどのことも議論してくれないし、本当に日本のことを思ってくれているのかと、私、彼らに対して、少々、疑心暗鬼になっているのです。




険のあるクラクションが鳴り響く

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竹群(たけむら)の中を歩んでいると、その葉の醸し出す幽玄に精神が高揚する時があります。風に吹かれて一様に葉が同じ動きをするからだろうか。あの竹の節の規則正しさからなのだろうか。群が一様に同じ動きをする美しさと怖さをそこに見てとるからかもしれないと考える時があるのです。


 先だって、筑波大学近くの道で、信号のない横断歩道を渡ろうとしている日傘をさした女性が佇んでいましたので、私はゆっくりと車を止めたのです。

 もちろん、その方を優先して、横断歩道を渡らせるためです。

 でも、対向車線から走って来た若葉マークをつけた車が、私の車を横目にして、なんでこんなところに止まっているんだと言わんばかりにスピードも落とさずに走り去って行ったのです。
 その走り去っていった車を確認した日傘の女性は、私に軽く頭を下げて、無事、横断歩道を渡って行きました。

 そのとき、横断歩道を渡ろうとしている人がいるからといって車を止めるのもの良し悪しだなと思ったのです。

 日傘の女性はまだお若い様子であったから、対向車線からスピードを落とさずに走ってくる車を認識し、それが通り過ぎてから横断して行きましたが、それが老人や子供であったら、止めてくれたことで一気に横断し、対向車線の車に轢かれてしまうのではないかと心配したからなのです。

 私は「止まれ」の標識のあるところでは、必ず、車を止めています。

 そこに止まったからといって、前方にある道を通過する車の姿など見えません。
 つくばは樹木も多く、そのため、結構見通しが悪いのです。
 でも、「止まれ」の標識があれば、一旦、停止し、そろそろと車を動かすことは大切なことであると思っているのです。
 どんな風に大切なことかというと、こちらの気持ちの上で、安全を確保する、余裕を持っていると自分に言い聞かせるという点で大切なことであると考えているからなのです。

 後続の車が、なんで止まっているんだとせっついてくるときもありますが、気にしません。
 「止まれ」の標識があるから止まるのですから。

 別の日でしたが、筑波大学病院に行ったときのことです。
 私は、自宅から5キロ先にあるこの病院によほどのことがなければ歩いて行っているのです。

 筑波大学は、日本一キャンパスの広い大学だとか聞いたことがあります。歩いても飽きないほど、このキャンパス内には自然の美しさがあるから、そのせいもあると思っています。
 この日は、新緑が陽の光を浴びてキラキラと輝き、気温は高いのですが湿度が低く、歩いていても気持ちの良い日でした。
 構内を気分良く歩いていると、車のクラクションがけたたましく鳴り始めました。

 どこか険のある音です。

 振り返りますと、一台の車を先頭に十数台の車が後ろに連なっています。
 先頭の車のボンネットには、あの高齢者を示すマークが貼られています。
 大学構内の道は、30キロの制限速度なっていますが、明らかに、そのスピードよりもずっと遅い走りです。
 ですから、後続の車も一体何をやっているんだと、怒りを込めてクラクションを鳴らしていたのです。

 しかし、高齢者マークをつけた車は、そのクラクションが聞こえないのではないかと思うほど無頓着で、道の真ん中を走っています。
 後ろの車の運転手は、顔を真っ赤にして怒っています。顔を左右に振り、窓を開けて、怒鳴ってもいます。
 やっと、高齢者マークの車が横道に入って行ったのですが、入り切らずに途中で止まってもしまいました。どうやら、曲がる道を間違えてしまったようなのです。もうちょっと先へ行って、Uターンすればいいものと思うのですが、それもせず、車の尻を道路半分ほど残して停止しています。
 
 後続の車のほとんどがクラクションを鳴らしています。それは、いまはバックはするな、車がお前さんの後ろを走っているんだぞというかのように。

 私は車道より数段高くなった歩道の上からその様子を見ていました。

 確かに、ご老人です。体の向きも変えるのも容易ではない、そんな感じの老人です。
 すると、近くにいた学生が、走り寄ってきて、運転席の方に顔を出して、何やら話をしています。そして、その学生、車の後ろに移動して、その老人の車の後退を指示し出しました。
 
 その車はまたゆっくりとしたスピードで大学構内の制限速度30キロの道を20キロくらいの速度で走って行ったのです。
 一般道に出たらどうするんだろうと、私心配しながらその車を見送ったのです。

 そして、私、豊かな自然の中、日本一広いキャンパスの中を気持ちよく歩いていたのですが、ちょっと気分が複雑になったのです。

 今の所、私の心身は、クラクションを鳴らされるほど耄碌はしていませんが、やがて、ボンネットやリアウインドウにあのマークを貼るドライバーになるはずです。
 同時に、私、あの険のあるクラクションを鳴らす側になることも、十分にあるということに気がついたのです。
 なぜなら、この光景を見たとき、私の立ち位置、気持ちの在りどころがクラクションを鳴らす側にあったからでした。

 <何をゆっくりと走っているんだよ、皆困っているじゃないか、遅く走るなら横に停車して、後続の車が行き過ぎるのを待ってろよ。>
 そんな思いを持っていたのです。

 車を運転している時、その人間の本性が現れるとよく言います。
 見目麗しい女性がハンドルを握るや、この馬鹿野郎、どこ見てんだというのを目の当たりにしたことはありませんが、そうなるとは百年の恋もきっと興醒めることでしょう。

 車を運転していて、そんな思いに駆られた時、私には一つの方法があるのです。

 それは、何事にも親切にしてやるということです。
 右折の対向車があれば、先にいかせてやったり、混雑する道路で、横道から入りたがっている車がいれば、停止して、いれてやったり、その際、優しく手で合図をしてやるのです。
 相手も感謝から手で挨拶を返してきます。

 このコミュニケーションが、心に巣食い始めた邪な感情をとろけさせるのです。

 でも、あの低速度の車に対して巣くい始めた邪な感情はどうやってほぐしたらいいのか、私は大学構内の木漏れ日が揺れ動く並木道を病院に向かって歩いて行ったのです。




表層と深層の境目が

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雨降りの後、ちょっと蒸し蒸しする空気を感じながら、それでも、雨で綺麗に埃を落とされた空気の中に筑波のお山が見えます。そんな時、本当にこんな美しい光景の元に暮らせることに感謝するのです。


 私、本当にドキドキしているんです。

 米朝会談がご破算になったとか、いや、仕切り直しするとかいうことではないのです。
 スポーツで相手選手を故意に怪我させたとか、もりかけがどうだとか、ということでもないのです。
 
 五月二十五日、日経新聞夕刊の片隅に、小さな記事が載りました。
 
 <米国防総省は23日、今夏に予定している環太平洋合同演習(リムパック)への中国の参加を拒否すると発表した。声明で「南シナ海での継続的な軍事拠点化への最初の措置として、リムパックへの招待を撤回する。中国の行動は演習の理念や目的にそぐわない」と表明した。>

 たったこれだけの小さな記事です。
 <拒否する><招待を撤回><中国は演習の理念にそぐわない>と、随分と考えようによっては、過激な文言が並んでいると思うのです。

 私は、ここに、情勢における表層と深層の境目の際どさを見て取るのです。
 
 アメリカの矛先が明らかに、そして、的確に一点に絞られていると言うことに気がつくのです。
 もちろん、他の情報もネットで探りました。
 すると、一連の記事のそこかしこに、あの過激な文言に裏打ちされる、アメリカの怒りが見えてくるのです。

 中国は地域の緊張と不安定化を高める南シナ海の軍事拠点化を続けている。
 中国が南シナ海に造成した基地に数々の兵器を配置してきた証拠を持っている。
 これらは、国家主席が南沙諸島を軍事化しないとした約束に違反する、とし、「我々は2018年のリムパックに中国海軍を招待しない」としたというのです。

 つまり、あまりに横暴に振る舞う中国に対する、これは「初期対応」であるというのです。

 初期対応ということは、次の対応があり、最終的な対応があるということです。
 アメリカという国は、そういうことをきっちりとやる国であるということを、日本という国は過去に体験しています。

 太平洋に旭日のごとき勢いでのしてきた大日本帝国。
 海軍力を自力で向上させ、鍛錬を怠らず、さらには、これまでなかった戦略、すなわち、空母を使って、大量の航空機での打撃力を持つ帝国海軍。

 それをいかに潰すか。
 アメリカは、南太平洋の島伝いに北上し、日本海軍の拠点を潰しながらゆっくりと迫っていく作戦を、あの日露戦争の講和会議をポーツマスで開催したときから立てていたのです。

 だから、きっと、南シナ海で我が物顔で振る舞い、インド洋でも、東シナ海でも物事をあらだてる新興の海軍力を作り上げつつある中国人民解放軍に対しても明確な戦略を持って動いているのです。
 
 リムパックというのは、27カ国の海軍及びその他の軍事組織がハワイ沖に集って行う世界最大の軍事演習です。

 主催は、アメリカ海軍第三艦隊です。
 あのハルゼー提督が指揮し、日本海軍を追い詰めていったのが、この第三艦隊です。
 担当地域は、国際日付変更線以東、以西は、私たちにも馴染み深い横須賀に司令部を置く第七艦隊です。

 リムパックの目的は、参加国間の共同作戦能力の向上ですが、海軍組織を持つ海洋国家同士の親善交流にこそ大きな意味合いがあります。
 ですから、主催者は、同盟国以外にも参加を促し、<mil-mil engagement>、つまり、「軍軍関与」を醸成し、軍人同士の信頼関係を作りあげようというのです。

 かつて、若き日のニミッツ提督が海軍尉官として東京に赴いた時、連合艦隊を指揮してロシアバルチック艦隊を全滅させた東郷平八郎に会いました。そして、東郷の英国仕込みの英語に惚れ惚れし、そして軍人としてだけではなく人間としても尊敬の念を抱くことになるのです。
 太平洋戦争で日本海軍を破って進駐してすぐに、ニミッツは荒れ放題になっていた東郷元帥の座乗した記念艦『三笠』に手厚い保護を与えたのは有名な話です。

 そのため、演習ばかりではなく、お互い招待をしあい、また、受けながら人的交流を盛んにし、海軍軍人としての素養と国を超えたより良い人間関係を構築するという目的を果たそうと務めているのです。
 これは世界の海軍軍人が持つシーマンシップでもあるのです。

 その世界の海軍軍人が集まる場から中国を除外するというのですから、私はとてもドキドキしているのです。

 アメリカと太平洋を二分する海洋強国にするんだと国産空母を新たに建造、ゆくゆくはアメリカと同じように世界各地に空母艦隊を遊弋させようと計画している国です。
 その国が、世界の海軍をリードするアメリカの輪の中から除外されるというのですから、大ごとなのです。

 確かに、過去二回、中国は参加しましたが、国際慣例に疎い行動を行っています。

 最初の参加では参加登録をしていない情報収集船『北極星』を訓練海域に送り込み、各国の海軍の情報収集を行い、各国海軍からシーマンシップにもとると顰蹙を買いました。
 前回の参加では、レセプションに自衛隊を呼ばないなど非友好的な振る舞いを日本に対して行い、アメリカ海軍からあまりに露骨な敵対行動であると注意を受けました。
 だからこそ、こうした世界の海軍の集まりに出ることによって、国際慣例を身につけて欲しいと願っていたのですが、アメリカがとうとう匙を投げる格好になってしまったのです。

 初期対応の次に、いかなる対応をアメリカが中国にするのか、注視していかねばなりません。

 いうならば、新聞の片隅に、わずかに掲載される軍事行動にこそ歴史の表層があり、その分析を経て、その軍事行動が持つ深層を見極めていかねばならないということなのです。




そんなつもりはないって言うけれど

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バルコニーにあって、この鉢の花、三年目の花を咲かせました。どんな名前の花なのかって、それをうっかりと忘れてしまっているのです。昨年採取した種を庭に巻いたので、それが咲いたら調べようと思っているんです。


 世間といかにやりあって生きていくか、世の中で生きていく上でこれほど重大かつ難解な問題はありません。

 誰もが、俺は一個の歯車に過ぎないんだと自分に愛想をつかしたことがあるはずです。
 そして、歯車一つなくなれば、組織は動かないんだよと慰めの言葉をかけられ、幾分、救われた思いを持ったことがあるはずです。

 その世間といかにやりあって生きていくかと言うテーマを、いま、目の当たりにしているといっても決して大げさではないと思っているのです。

 人の心を翻弄することで利益を得てきた国が、そうされることで、それまでは折れてきたはずの国に、今回は逆に、掌を返されました。
 だから、面子も何もかなぐり捨てて、色をなして取り繕っている様は実に滑稽です。

 誰もが、その狼狽ぶりを見て痛快な気持ちになっていると言うわけです。

 痛快になるのには、実は訳があるのです。
 どの世界にもいる「モンスター」たちに、その有り様が似ているからなのです。
 
 心に打撃を負った、その責任を誠意で見せて欲しいとそのモンスターは言います。
 誠意とはなんですかと問えば、言わなくてもわかるでしょうとごまかし、それでもすっとぼけていると、金であると本性を表すのです。
 心の打撃が金で癒される、そのような安っぽい打撃に付き合うのはまっぴらごめんです。

 金銭を要求されましたね、これはれっきとした脅迫行為になりますよ、私たちは誠心誠意、この問題の解決に取り組んでいるのですからね。ですから、寸分も後ろめたいことはありません。 私どもとしては、警察に訴えでることにします。
 あなたの主張は、度を著しく超えた要求であると考えます。

 相手の顔色が変わります。
 きっと、こちらが頭を下げて、折り合いをつけて、そして、ある程度の金を得るつもりであったモンスターはどぎまぎし出します。
 それは、例えばの話ですよ、すまなかったと言う一言、改善をしていくと言うその一言が欲しいのですよと薄気味悪いくらいに柔軟になるのです。

 人は、相手がドギマギすれば、それいけいけどんどんで攻め込んできます。だから、こちらから反対に攻め込んでいくのです。
 攻め込まれるとは思っていないモンスターは慌てふためき、被害者づらの化けの皮が剝がれて、加害者の本性を露見させるのです。

 国家レベルで、それと同じようなことが、この二十一世紀になされているのですから、呆れてものも言えません。

 世間とやりあって生きていくという点で、その世間の空気を読み取ることのできない大学もありました。
 
 それはその大学ばかりではありません。
 レスリングでも、大相撲でもそうでした。
 一言で言えば、お山の大将にすぎない人間が、何を勘違いしたのか、偉そうに振る舞うことで、独りよがりの世界に埋没してしまう、挙句に、暴言を吐き、傍若無人な振る舞いに及ぶのです。

 彼らが言うのは、決まって、「そんなつもりはなかった」と言う言葉です。
 それこそが、世間とやりあって生きていくことをおろそかにすることを証明する言葉でなのです。

 今回の印象的な出来事は、たった一人の若い学生が、真実を追求する記者たちの、いわば学生にとっては修羅場とも言える会見の場で、誠心誠意、言葉を尽くしたと言うことにつきます。
 己を捨て、すべてを語る覚悟をした青年は清々しくもありました。
 ですから、世間は、この純真な青年、悪さはしたけれど、その悪さの背後にある巨悪なるものに注視をし始めたのです。

 大学人であれば、その世間の目のあるところを察知しなくてはなりません。
 哲学を学び、世の人々が正しく生きる先を指し示すのが大学人であるはずです。
 しかし、それができなかった。
 「そう言うつもりではない」と、あの言い古された言葉を連呼するだけだったのです。

 それゆえ、これらの出来事は、世間といかにやりあって生きていくかが、世の中で生きていく上で重大かつ難解な問題であるとするに足る事象なのです。
 世間とやりあって生きていく上での要件がここに見え隠れしていると思うのです。

 巧緻でも、稚拙でも、たくらみを人は持って世間と対してはいけないと言うことです。
 そして、あの青年のように、誠実に真摯に物事に対することです。

 そうすれば、そんなつもりではなかったなどと自分を全否定する愚かな言葉を吐くことはないのです。
 人は世間と対して、胸を張って堂々と生きていくのがいいのです。




レフティーな私

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誰からもらったのかも忘れているのです。軍手で作った人形。それに、綺麗な衣装をつけ、毛糸で髪を作り。何十年も壁にもたれかかっているんです。


 マッカートニーが左利きで演奏していたことは、ただでさえギターをうまく弾けない私には驚異的な出来事に思え、同時に、素晴らしくかっこいいものとして認識されていたのです。
 もし、マッカートニーが右利きで、レノンと一本のマイクに立って、目を大きく開き、口をつぼめて歌っていたら、さほどの衝撃的な反応は示すことがなかったのではないかと思っているのです。 
 マッカートニーが抱えて演奏するあのヘフナー500/1ヴァイオリン・ベースは、無名の時代、ドイツのハンブルグで45ポンドで購入したものです。
 以来、あのベースは世界的に有名なベースギターとなるですが、これも右利き用のもので、それを弦を逆に張り替えて、レフティーにしたのです。
 デビュー前、ヘフナー500/1ヴァイオリン・ベースをメロデイアスに爪引きながら、「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」を歌うその姿はまさに天性の才能がそこにあることを示していると今更のごとく思うのです。

 イギリスに行って仕事をしていた時、現地のイギリス人と事務的な作業をしていると、結構、レフティーの人々がいて驚くことがありました。
 それは何も、オックスフォードやケンブリッジだけはなく、アメリカのボストンでもそうでした。
 男性、女性に限らず、レフティーの人が多かったことに気づくのです。
 きっと、これらの国では、この子はレフティーだから矯正しなくてはいけないなんていうことがなかったに違いない、だから、幼い時のまま、こうしてレフティーでものを書いているに違いないと思っているのです。

 私たちの世代では、子どもが箸を左手で持っていれば、すかさず、右手に持ち替えさせられました。
 半ば強制的に矯正を受けたのです。

 きっと、そこにはある種の偏見があったのだと思います。

 差別用語になっているとは思いますが、「ぎっちょ」という言葉があります。
 語源には諸説あるのですが、私は「ぶきっちょ」とは「不器用」の訛り、つまり、「きっちょ」とは「器用」を指し、レフティーは左でなんでもできるのだから「器用」である、「きっちょ」である、つまり、「ぎっちょ」であると考えているのです。

 私の出会った欧米人が紙をこれでもかと斜めにして、テーブルにおいて、左手でペンをユニークに持って、さらさらと書いているのをみると、随分と器用な書き方をする、「ぎっちょ」な人だと思って、いつも見ていたものです。

 自分の子供が幼児だった時、恥ずかしことですが、子供の状況がどうであったのかを良く覚えていないのです。
 仕事に明け暮れて、子供の様子を見てやることができなかったと言い訳をしてはいるのですが、しかし、孫のことは本当によく見ることができているのです。
 ですから、時たま、孫たちが左手でスプーンを持って、それを口に運んでものを食べているのを見ているのです。
 私も娘も、そうだからと手を叩いたり、箸や鉛筆を持ち替えさせたりはしませんが、そのうち、右手にそれらを持つように落ち着くのです。
 もし、孫の誰かが、レフティーであったら、きっと、そのまま左手でものを扱うようになるのでしょう。
 
 私たち人間というのは、どちらかというと、両手使いではなかったかと思う時があるのです。

 私たちが樹上で生活をしていた時、私たちは両手を平等に使うことで樹上生活を円滑に進めていたはずなのです。
 一つの手だけでは生きていくのに困難であったと思うからです。
 樹上から降り立ち、地上で生活するようになって、使いやすいどちらかの手を利き手にし、もう片方の手を補助に当てたと考えるととてもすっきりとするのです。
 
 実は、私、野球をする時、右投げ左打ちなんです。

 つくばに転居してきて、市のスポーツクラブに誘われてソフトボールチームに加入し、背番号16をもらった時も、右投げの投手で左打者ちで5番を打っていたのです。
 大体は皆右打席に入りますから、上位打線がチャンスをつかんだ時、左打者ボックスに入り、ライトに球を運べば1点を手に入れることができるという算段であったのです。
 
 ですから、今メジャーリーグで人気をさらっているあのオオタニサ〜ンの右投げ左打ちをみるとなんだか嬉しくてしょうがないのです。

 先日、卓球の練習をしている時、左手でラケットを握り、スマッシュをし、下回転で打ち込まれてきた球をツッツキで返しましたが、結構、様になっているのでびっくりしたんです。
 どうやら、私は、半分はレフティーであるのかもしれません。
 
 そうそう、私の右手には Apple Watch がつけられています。
 昔から、時計は右手首につけるのが、私には普通であったのです。しかし、よくみると、左手につけている人が多いことに気がつきます。
 利き手の右手を使いやすいするためです。
 私はきっと左手を使いやすいようにとそうしていたのかもしれません。

 この Apple Watch、バスに乗るときは右手を差し出せばいいのですが、コンビニで支払いをするときは、Apple Watch をつけている右手を、体をひねって右手首を体の左にある機器に近づけないといけないのです。

 もちろん、右手に Apple Watch をつけている人は、乗り物とコンビニでは私と反対の行動を強いられるのです。
 ですから、どっちがどっちとは言えないのですけれど、何でもかんでも便利がいいようにとはいかないのが世の中だと思えば、体をひねるくらい分けないことです。

 さて、右投げ左打ちの「ぎっちょ」な選手がヤンキースとの試合に出ています。
 どちらを応援したものか、ちょっと悩んでいるんです。




昼飲緩酌微酔の趣

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打ち寄せる波、その砂浜を走ると、自分が早くなったような錯覚を覚えます。こんなに小さな子供だって、それを感じるとるのです。だから、その錯覚を楽しむかのように何度も何度も走るのです。実に楽しい浜辺での遊びです。



 酒そのものはもとより、酒を飲む雰囲気も好きだった私ですが、このところ、そういうところから随分と遠ざかっています。

 私には、私の両親の家系からしても、酒飲みの血筋は高い確率で継がれているのです。

 なにせ、母がたの祖父は、一斗樽を土間に置いて、毎朝、鳶の仕事に行く前に柄杓で喉仏を上下させて、飲んでから出かけたと言います。挙句に、酔っ払って、喧嘩をしたのか、それとも足をもつらせてなのかはわかりませんが、ドブにハマって死んでしまったというのです。

 父がたの祖父は鉄道会社の退職金を一晩で飲み代に使ったと言います。
 きっと、たかが知れた退職金だったのでしょう。
 詳しい話は聞いてはいませんが、息子たちに一銭の金も残さず、好き勝手に生きたと言います。晩年は三人の息子たちの家を渡り歩いて、暮らしていたのですから、それもいい生き方であると思います。

 しかし、どうやら、酒好きの癖は私に継がれていても、喧嘩を始めたり、無謀にも全財産を遊興費に使ったりの癖は、継いでいないようで、そればかりは感謝をしているのです。
 
 誰に感謝かと言いますと、それは両親です。
 あまりの無体な親を見て、そうあってはいけないと、真逆の人生を歩んでくれたおかげで、私は堅実実直な生活をする人間になっているのですから。

 自宅で仕事をするようになってから、外で飲むことがめっきり減ったこと、そして、夜も仕事をしているので、飲むわけにはいかないことなどからかつてのように何や彼やと理由をつけて飲む機会を逸しているのです。

 たまにやって来る婿殿も、最近、車を買って、運転して来るものですから、酒を出すわけにもいかず、そんなことも影響して、酒を飲む機会をなくしてしまったというわけなのです。

 そんな折、『酒の趣は昼飲に在り』などという文言に接したのです。

 結婚式など、昼時に行われる披露宴などで、この『昼飲』をしますが、どうも、『夜飲』よりも『昼飲』の方が酔い回るのが早いように感じて、あまり昼酒を飲むことはできないなと、それと、なんだか昼酒は道徳的観念に反する気持ちも強くあって、好きではなかったのです。
 「小原庄助さん、朝寝、朝酒、朝湯が大好きで」なんて歌もありますが、それは正月だけという観念が強くあったのです。
 
 人間のある種の幸福感を代弁するのが、自堕落なありようであります。

 昼頃までダラダラと布団にくるまっている、あの自堕落さです。
 朝早く起きて満員電車に揺られて会社に行くのではなく、ぬくぬくとして布団の中で気持ちよくボーッとしているあの雰囲気です。

 そして、目覚めの一杯、朝酒を喰らい、浅く酩酊する。
 旅先などで、朝からビールを飲むなんてこと、よくありました。
 これが気持ち良いのです。ワインの一杯も、ビールの一杯も、あるいは、梅酒でも、酒好きにはたまらない一杯になります。
 欧米では、ランチにビールを二、三杯は当たり前なんだとうしろめたい気持ちを正当化させながら、その一杯を美味しそうに飲むのです。

 さらに、湯に浸かる。
 こんな贅沢はありません。皆が汗水流して働いているのに、朝湯、昼湯に浸かるのです。浸かれば、身も心もさっぱりです。
 
 まさに、極楽、極楽といったところです。

 『酒の趣は昼飲に在り』では、昼間の酒は、ゆっくりと飲むのがいいと綴られていました。
 つまり、緩酌です。ワインであれば、チーズなどをあてにしてちょっとだけ口に含み、転がすだけでいいのです。
 酔うために飲むのではなく、心地よい時間を過ごすためのワインですから。
 つまり、「微酔」で良いというわけです。

 だとするなら、酒から遠ざかっていた私にも可能ではないか。
 ウッドデッキの木漏れ日が揺れる中で、「昼飲緩酌微酔の趣」を味わうのです。
 
 よし、ワインを整えよう、それに美味珍肴もあればいい。
 ワインはオーストラリアのバロッサバレーの白がいい。
 美味珍肴は、なに、国産のピーナッツでも良い、でも、中国産はダメだ。あれには毒が入っている、そんな気がするのだ。
 それに、イタリアの安いゴルゴンゾーラでいい。

 などと、心中で算段を施すのです。

 そうそう、忘れていました。
 「昼飲緩酌微酔の趣」のあてに一冊の文庫本が必要です。
 どんな本がいいのだろうか。
 それは本屋によって考えればいいと私は家を出て、「昼飲緩酌微酔の趣」を嗜むための買い出しに出かけるのです。

 はてさて、いかなる趣になるのか乞うご期待というところではあります。




我が号は<竹里館主>と申します

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公園で、親子が満面の笑み。こんな表情をみると、平和と安寧が何よりも大切だと実感するのです。しかし、世の中は、得てして、平和と安寧とは逆行する素振りを示します。それが教育の場で為されるなんて考えただけでも身の毛がよだちます。


 雨が降ると、景色というのは一変するものです。
 雨が大気中の埃を洗い流し、空気さえも綺麗にしてくれるからです。

 そして、私の脳裏に、ある漢詩を思い起こさせてくれるのです。

 それは、盛唐の詩人、王維の漢詩です。
 高校生の時に、誰しも一度は目にする漢詩で、王維が、安西都護府に出かける元二を長安から渭城まで送ったという漢詩です。
 
 日本でも旅立つ者を途中まで一緒に歩き、送るということが行われていました。

 「むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。」とあるのは、芭蕉の『奥の細道』の「旅立ち」の章にある言葉です。
 深川の芭蕉庵から千住まで芭蕉は川船で移動し、草加を経て春日部に最初の宿をとります。

 この生涯をかけた旅立ちのために、芭蕉庵を売り、それで得た金銭でこの旅を行うのですから、まさに全財産を投げ打っての壮挙となるわけです。
 その壮挙を、むつまじき仲間、いや弟子たちとでもしておきましょう、彼らが前日から深川に集って、早朝、同じ船に乗り込んで千住まで送るのです。
 親身で、情に満ちた惜別のあり方です。

 そんな送り方を王維も遠い昔にしていたです。

 王維の方は、友人でしょう、その元二が安西に公務で行くのです。
 西域を支配するために、唐王朝が置いた都護府はトルファン、この時代にはさらに先のクチャに役所がおかれたといいます。
 何千キロも離れたところに行くのです。
 もう長安に戻ってくることもあるまいと、今生の別れとも言うべき状況を詠んだ漢詩なのです。

 <渭城の朝雨軽塵を潤し 客舎青青柳色新たなり 君に勧む更に盡くせ一杯の酒 西のかた陽關を出ずれば故人無からん>

 王維の友人元二に対する真摯な思いがよく伝わってくる詩文です。
 惜別の感がひたひたと感情に迫ってくる詩です。
 現代では、およそ体験できない別離の詩なのです。

 王維にはもう一つ痛切な思いを託した別離の詩があります。

 <別離まさに域を異にす  音信いかんぞ通ぜんや>
 これは遣唐使として日本から長安にやって来て、唐の玄宗皇帝に使えた阿倍仲麻呂の帰国に際して詠んだものです。

 「この大海原の水はどこまで続くのであろうか、到底、見極めようも無い。
  その東の行き着く果てがどうなっているのか、私にどうしてわかるだろうか。
  唐の外にあるという九つの世界のうち、最も遠い世界、それが君の故郷、日本なのだ。」
 
 と詠い始め、

 「君の故郷日本は、太陽の昇る所に生えているという神木の、そのまたはるか外にあり、その孤島こそが、君の故郷なのだ。私たちは、まったく離れた世界に離れ離れになってしまうのだ。もはや、連絡のしようもないのだろうか。」

 と詩句を結ぶのです。

 日中友好などと言う言葉が虚ろに聞こえる昨今、本当に異国の友との別離を惜しむ言葉にはまごうことなき真実の惜別の感が満ち満ちている、そう思うのです。

 アルゼンチンで開催されている外相会合で、王毅がビッショプに述べた言葉があります。

 「豪州側の原因によって両国関係は困難に直面している。関係改善したいなら色眼鏡を外して中国の発展を見てほしい」

 どこか横柄さが滲み出ているように私には感じ取れて、今更ながら気に入らないのです。
 <改善したいなら>とか、そうでなければ、中国はオーストラリアに困難を強いることになると脅かしにも聞こえます。

 唐の時代の中国人は、仮にそうであっても、もっと言葉を選んで、相手を気遣って、文言を連ねていたのです。その良き伝統が王毅にはないのです。
 そんなつまらない話はこれくらいにして、卓越した国際人王維の話に戻りましょう。

 実は私は「号」なるものを持っています。

 <竹里館主>と言うものです。
 そうであるならば、つくばにあるわが宅は<竹里館>ということになります。

 それは、私が竹ノ塚に住んでいるときに名付けたものでした。
 典拠は言うまでもなく王維の詩文です。

 「独り坐す幽篁の裏 琴を弾じて復た長嘯す 深林人知らず 明月来たりて相照らす」

 と言う『竹里館』から取ったものです。

 私は、このつくばの<竹里館>の主として、一人薄暗い竹の林の中に身をおき、明月が私を照らしてくれるであろうその日を楽しみにしているのです。





柳の木の下で

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子供というのは一つのことに夢中になります。これは笠間の公園でトランポリンで跳ね上がる子供の姿を描いたものです。必死の表情が面白いです。


 私がよく行くホームセンターがあります。
 その店の隣の公園、遊具も綺麗なトイレも設置されているのですが、めったに子供の遊ぶ姿を見ることがないのです。

 つくばの街には、さまざまな公園があります。

 洞峰公園などと言う大きな公園ばかりではなく、街の片隅に子供たちや住民のための公園がたくさん作られているのです。
 どんぐりの木が主人公の公園もあれば、誰が座るのか松の林の中に横たわれるくらいの大きな椅子が置かれている公園もあります。
 小山のある公園、池のある公園もあるのです。
 いずれも、朝夕、子供の声が響き、昼間はバトミントンで遊んでいたり、バスケットをしていたりと青年たちも運動に興じる姿を見かけるのです。

 そうした中、ここはと言うと、時折、近くで働く会社員がランチをとっているのを見かけるくらいなのです。
 だから、なぜ、この公園には人が寄り付かないのか、いつもそう思っていたのです。

 南にホームセンター、北に小さな病院、あとは閑静な住宅街が控えている公園です。不審者が出るなどと言う情報もありませんし、何か過去に事件があったと言うわけでもないのです。

 先だって、ダリアの苗を買った帰りに、その公園に立ち寄り、その理由がわかるかも知れないと思い、ベンチに腰掛けて見たのです。
 人を不快にする光景、例えば、鶏糞を撒き散らしたような匂いとか、雑草の茂みに危険な動物が隠れ住んでいるなどと言ういかにも怪しげなものを想定させるものはありません
 子供を遊ばすに不適切な看板とかもありません。

 大きな柳の木が一本植えられて、それが公園の出入り口を覆っている、そんな具合なのです。

 その柳の木の枝の枝垂れ具合は素晴らしくて、そして、すだれのような枝の向こうにつくばセンターにある高層ビルが遠く霞むように見えるのです。
 
 そうか、これか。

 私はその公園の出入り口を覆うかのような枝垂れた柳の木を見て思ったのです。
 この柳の木がこの公園から人を遠ざけているに違いないと。

 人の深層心理の中に、柳の木に対する警戒感があるに違いないとふと思ったのです。
 要するに、この公園は、この柳の木のあることで、ちょっと不吉な雰囲気を持って、迫ってくるものがある、そう思ったのです。

 これが銀座あたりの裏通りにまだ残っている柳の並木道なら、そこに、髪の長い白い着物を着た女性が立っていても、「おっ、出たな」くらいで笑うことができますが、つくばの誰もいない公園であれば、「嫌だぁ、出てるぅ」となればシャレにもなりません。

 いや、誰もかれもが「出たな」と見たとか、そんなことを言ってるわけではないのです。私一人の「出たな」と言う思いが先行しているだけのことなのです。

 もし、そこに桜の木があれば、この公園の出入り口は、春の一時期、大いに華やぎ、その後、若葉の緑に目を癒され、冬は蕾の膨らむのを見ながら、春の華やぎを待つこともできますが、柳はそうは行きません。
 季節に関わらず、枝垂れた枝が、そこに恨めしそうにあるだけです。
 特に、夏ともなれば、細長い葉も茂り、あたりはなお一層鬱蒼として来ます。

 私たちの中にある深層心理が、きっと、あそこに何かいる。
 髪の毛を長く伸ばした、恨めしそうな姿の、身の細い女性がいるのだと思っても仕方がないのです。
 この公園の出入り口は、単なるそれではなく、異界へと繋がる口ではないかとそんな風にも思えてくるのです。

 つくばの街は野っ原に、あるいは、雑木林のあったところに、道を作り、周りを区画し、人工的に作られた街です。おそらく、誰一人として歩いたこともない、獣と異界の主だけがそこを歩いたところも、そこにはあったはずなのです。

 夜、あるいは、早朝、私がそんな場所を歩いているとだれかが後をつけてくるそんな錯覚にとらわれることがあります。
 私は、それは私の錯覚ばかりではないと思っているのです。
 確かに、あの田圃道しかり、畑ではあるのですが何年も耕されていない荒地の側の道しかり、不法投棄された冷蔵庫がほったらかしになっている雑木林の側の道を通るときしかり、私は何者かの姿をそこに感じることがあるのです。
 
 でも、あの公園の柳の木、もし、これが雌の木であったなら、様相はだいぶ異なっていたに違いありません。
 きっと、北京の初夏の名物、「柳絮」と言う綿飴のごとき白い綿毛を飛ばし、霊気を発散するのではなく、幸福感をもたらしてくれていたはずです。
 しかし、日本では雌の柳を植えることは滅多にありません。
 
 きっと、あの女は、雄の柳の木に寄り添って、思いを遂げられなかったことの恨みつらみを言っているのだ、そう思ってしまうのです。

 私の手にしているダリアの苗のいくつか咲いている赤紫の花が震えて来ました。
 私は、そそくさと立ち上がり、公園を抜け出したのでした。




不思議の曲<何日君再来>

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ゴールドコーストで、週末、屋台を出す婿殿の店と買い求めにくるオージーたちを描いたものです。売っているものはオージーたちの発音でいうと<カラエイジ>。日本語にすると<カラアゲ>です。



 香港を旅していた時です。

 いつものように、猥雑とした街並の中を好き勝手に歩いていると、その一軒の店にカセットを売る店がありました。
 どれもこれも、体裁よく作っているが、中身は皆海賊版に違いないと思いつつも、はて、どんな楽曲を香港人が好むのかと興味本位で覗いてみました。

 早速、店の主人が、片言の英語で売り込みにかかって来ます。
 随分と背の低い、頭の禿げ上がった、痩せた男です。
 私はその英語がわからないふりをして、ちょっと微笑みを返して、図々しくカセットをあれこれ物色する真似をします。

 おや、見たような美しい女性のカバー写真があると、それを手にします。
 「鄧・麗・君」と読めます。

 店の主人が「テ・レ・サ・テ・ン」と、英語だか、日本語だかわからないたどたどしい言葉で私に微笑みを返します。

 裏面の「曲目欄」を見て見ますと<何日君再来>が入っています。
 私は騙されたと思って、そのカセットを買ってみることにしました。
 店の男は、私の出した香港ドルを受け取り、釣銭をくれ、にこやかに笑みを浮かべます。

 私が騙されてもいいと買った<何日君再来>という曲、ちょっとした思い出があるのです。

 この曲、私が早稲田で中国文学を勉強している時、中国で放送禁止歌曲になったのです。
 そしてそれを歌っていたのが、<鄧麗君>であったのです。
 鄧麗君の<何日君再来>は、しかし、中国において爆発的なヒットを飛ばしていました。
 それが急に放送禁止になるなんて、なんらかの政治的意図がこの鄧麗君の<何日君再来>にあるのかしらと随分と関心が高まったことがあったのです。

 神保町の内山書店に行って、そのことを書いている書籍雑誌はないかと調べてみると、台湾や香港のそれが大いに中国の政策を批判していました。

 中国共産党当局は、鄧麗君の<何日君再来>を「猥褻歌曲、半封建、半植民地的奇形産物」と断じているが果たしてそうであろうかと、鄧麗君のどこが猥褻なのか、<何日君再来>のどこが半封建、半植民地なのかと躍起になって、台湾香港の押しも押されぬスターへの惜しみない応援をしていました。

 おそらく、まだ、国際社会に入ることもできず、十億の民が台湾香港の発展した姿をこの歌曲を通して知ることを中国政府が恐れていたに違いないことは容易に察しがつきます。

 そもそも、<何日君再来>は1930年代に作られた中国映画の挿入歌です。

 日本人は一切関係していないのですが、日中戦争の折も折であり、日本が中国の一部を占領支配していた時です。ですから、毛沢東らは、この曲は、日本が中国人の日本支配への徹底抗戦意識を弱めるために流行させている亡国を意図する曲であると喧伝していた経緯があったのです。 
 一方、その駐支日本軍も、おかしなことに、これこそ反日の楽曲であると排斥をしていたのです。
 つまり、<何日君再来>の「君」とは、蒋介石をさしているに違いないと勘ぐったのです。
 日本軍の攻撃に晒され、重慶に退却した蒋介石よいま一度戻って来てくれと歌っているというのです。
 
 中国語を解する駐支日本軍は、「日君」と「日軍」は同じ発音。さらに、「何」は、日本語では滅多に用いられない「閡」と同じ発音、だから、この曲は「日本軍が再びやってくるのを阻む」という意味だと解釈したのです。
 「いつの日か、また、戻って来てね」と言う切ない女心を歌っただけの楽曲が、それぞれの思惑でとんでもない意味を付与されてしまったのです。

 戦後の台湾でも一悶着ありました。

 私たち日本人にはあまり知られていないことですが、毛沢東に敗北して、大陸から逃げるように渡って来た国民党と、もともと台湾に生まれ育った人々、これを本省人と言いますが、その本省人が、かつての平和で、安定し、経済発展をしていた日本統治時代を懐かしみ、国民党政権と対立した時期がありました。
 国民党政府は、随分と弾圧をし、多くの血が流されたと言います。
 その時、<何日君再来>も台湾人の間で歌われました。
 この時は、「日本軍はいつ戻ってくるの」と言う意味を込めて歌われたと言いますから、<何日君再来>という楽曲は、中華圏では、なんとも不思議な運命を持った曲だと言えます。

 こんな話があります。
 明洪武帝の時代のことです。春節間近い頃、皇帝は姿を偽って市井の様子を見に街に出ました。ところが、売られているおめでたい絵柄の「年画」を見て、激怒します。

 そこにはスイカを収穫する大きな足の女性が描かれていたのです。
 「懐西(西瓜を抱える)の婦人の足が大きい」と言うのはけしからんと言うのです。

 「懐西」は、安徽省の古名「淮西」と発音が同じです。皇后はこの淮西の民間出で纏足をしていなかったのです。
 纏足というのは、幼い頃から少女の足をきつく縛り、足の成長を妨げ、歩けなくすることです。昔の中国人はそのような女性に品位を見出していたのです。
 それゆえ、<皇后は淮西出身で纏足もしない品位にかける女」だと侮辱していると思ったと言うのです。

 この絵に関与していないものは、明日元旦「福」の字を掲げよと命じたと言います。
 ところが、一人、字のよくわからないものがいて、「福」の字を逆さまにしたまま掲げたのです。めでたい「福」の字を逆さまにするとはけしからんと皇帝はおかんむりです。
 その者を厳罰に処すると言うのです。

 そこで、あの淮西出身で纏足もしない品位にかける女と評された皇后が、「倒」は「到」に通じます。
 その者は<福至る>を表現したもので、おめでたいではないですかといい、以来、中国では「福」の字は逆さまにして飾る風習ができたと言うのです。

 こんな話をいくつもいくつも聞かされると、漢字を使う国は実に面倒だ、そう思いませんか。
 お付き合いも大変です。

 私たちの国、日本もその漢字を使う国の一つです。
 そう言えば、言葉をめぐって、面倒で、厄介なことが、内にもたくさんありますねぇ。




ノボさんのボール

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近くの野球場に行った時でした。子供達のチームが試合をしていました。何人かのお母さんがネット裏から子供達の様子を見ていました。サッカーが今は人気だと聞き及んでいましたが、まだ、野球も健在、安心しました。


 ロシア・バルチック艦隊を破った時の連合艦隊参謀秋山真之が、若き日に通っていたのが「共立学校」、現在の開成高校です。
 その同級生の一人が同郷の正岡子規でありました。

 幼名<升(のぼる)>から、同郷の者は、子規を「ノボさん」と呼んでいました。

 大学予備門共立学校から、東京帝大文科に入学した「ノボさん」は、ここで一人の親友にめぐり会います。
 後日、松山にある萬翠荘の愚陀仏庵に下宿する青年です。

 「ノボさん」はその下宿の一階に居候し、東京育ちのその親友は二階に暮らします。
 この親友こそ、帝大を卒業し、英語教師として赴任して来た夏目金之助こと、漱石先生なのです。
 才ある人物の周りには、これまた才ある人物があるものだと感心をするのです。

 「ノボさん」、大学にいた頃、あるスポーツに夢中になります。
 棍棒で小さな丸い球を弾いて、敵が守る塁を落として行くのです。敵の塁を四つ奪えば点が入ります。
 すなわち、ベースボールというものです。
 あまりに、「ノボさん」夢中になり、東京にある大学に声をかけて、このスポーツを流行らせ、日本のベースボールの礎を作った人言われるようになったのです。

 ノボさんのボール。
 ノ<野>ボさんのボール<球>で、『野球』になったとか、そんな話が伝わります。

 五月十六日、エンゼル・スタジアム・オブ・アナハイムでのアストロズ戦は見応えがありました。三十五歳のジャスティン・ヴァーランダーの投げる球に、二十三歳のエンゼルス大谷翔平のバットが空を切り続けたのです。
 
 四打数無安打、三つの三振を喫したのです。

 Verlander、アメリカ人にしては、あまり聞かないと姓です。オランダやドイツに多い姓と言いますから、きっと先祖はそこらあたりからアメリカに移民して来たのでしょう。
 十三歳の時にはもはや父も相手ができないほどのスピードボールを投げたと言いますから、ベースボールの天才であったのです。

 一方の大谷翔平も、小学校3年の時に野球を始め、いきなりチームが全国大会に出るのですが、キャッチャーが怖くて体が逃げてしまうくらい球が速かったと言いますから、これもまた天才のベースボーラーであったというわけです。

 試合を見ていますと、必死の形相のヴァーランダーの表情が伝わって来ました。
 投球する前、キャッチャーマッキャンのサインに首を振ります。何としても打たせたくはない、あのバットが空を切る球を投げるのだという必死の形相です。
 ですから、その時間の長さに、大谷がバッターボックスから離れる場面もありました。
 大谷もまた、絶対に打ってやるという怖い顔でバーランダーを睨みつけます。

 六回の第三打席での出来事でした。
 次の投球をカーブにするか、外角高めの速球で挑むかバーランダーは考えていました。
 大谷は、ヴァーランダーは次の球に勝負をかけてくるはず、だったら、何が来てもそれを打って行くと心に決しました。

 ボールカウントはツーボールツーストライク。
 バーランダーの投げた球は、外角高めの速球、ボール球でした。
 大谷は体を伸ばし、バットを振りました。 
 
 贔屓のチームや選手が不甲斐ない戦いぶりをしますと、がっかりするのがスポーツ観戦の常道ですが、この日は違いました。
 プロ中のプロ、野球の天才同士の真剣勝負を四つも見せてもらったのです。しかも、うち三つは三振です。

 試合後、ヴァーランダーは言います。
 「大谷が今後もケガをしないで活躍することを願う。自分がおじいちゃんになった時に『あのすごかった選手から2500個目の三振を奪ったんだよ』と言いたいからね」と。
 大谷もまた、「いくら払ってでも経験したい価値のあるボールだった」と。

 かくも素晴らしい言葉のやり取りがあるでしょうか。

 私が、<ノボさんの球>が好きなのは、打って、走って、投げて競う単純なゲームを、真剣に、正々堂々と戦う天才がいるからなのかもしれません。

 スポーツはこうでなくてはなりません。

 ノボさんが、<ノボさんの球>で勝つための戦略を滔々と語る姿から、秋山真之はあのバルチック艦隊を全滅させるヒントを得たのでないか。
 ノボさんが、<ノボさんの球>を、楽しく、快活に、大きな声を出して、漱石先生と興じる中で、漱石先生は深く熟考し、かつ、ユーモアのある作品をものする契機をつかんだのではないかと勘ぐったりもしているのです。




プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《8 / 18 💦 Sunday 》
 
🦅 昨日、<カクヨム>にて『まぼろしのフランクフルト中央駅』を発信しました。

 縦横無尽に 

 意識の中を駆け巡るのは 
 人の持つ感性なるもの



この世に、二つの世界があり。
それは、現実世界と仮想世界。

かつては、そんなバカなと思える仮想の世界が、詩になり、絵になり、物語になって、現実世界で堪能されていました。
今、 AIがその仮想世界を現実世界に組み込み、私たちはその境目さえも不明の中で、仮想世界で遊ぶことができるのです。

なんともややこしい時代になったものです。

しかし、仮想の世界、昔から、人間の中にある何かのスイッチに刺激を与えてきました。
想像というスイッチ、さらに進んで、創造というスイッチにも、時には、幻想に、あるいは空想のスイッチとなり、私たちを楽しませてくれたりもしているのです。

フランクフルトの革ジャン男も、我が庭の山法師の木も、そして、日本語の二人称も、すべて、私にとって、現実世界と仮想世界を行き来する契機となったものたちなのです。

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【nkgwhiroの活動】

💝 <Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。 

                                            💝 <Amazon・Kindle>で書籍の販売を行なっています。 ただいま、『一日千秋ーある日ちあきと』を販売しています。値段は3ドル換算日本円になります。
 

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