一万年の憂愁

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コーヒーにミルクを落とすと、コーヒー色の中で白いミルクがおぼろげに馴染んでいきます。
この日は、そんな夕景でした。
雲は夕日に溶け込み、大気もまた、空間に馴染んで行ったのです。



 漱石先生と鴎外は、ともに同時代を生きた作家です。

 生年も四、五年しか変わらないはずですから、まさに同年代人というわけですが、どういうわけか、二人の接点を見出すことができないのです。
 一方は、年齢を偽って帝大医学部に、はたまた一方は、同じ東大でも英文学を専攻し、留学先も、留学にあたっての事情も違う、何より、その後の職業を見てみれば、かたや日本陸軍軍医、かたや一介の教師では、接点の持ちようもないかと納得するのです。
 同じ時代だからと言って、人間というのはそうそう接点があるとは限らないのです。

 先だって、美術雑誌を読んでいましたら、ルネサンスの時代の二人の巨匠、ラファエッロとミケランジェロの話に出くわしました。

 両人とも、今でこそ、ルネサンスの偉大な芸術家として、私たちは二人を同列に扱っていますが、当時の人々はそうではなかったというのです。

 「ラフェエッロの作品は、着想、色彩、表現力とも卓越しているが、ミケランジェロのそれは素描以外に讃えるものがない」
 そんな意見があったというのです。
 あるいはまた、「素描に関しては、両者互角、彩色に関してはラフェエッロが群を抜く」なんて言葉もあります。
 つまり、私を含めて、きっと、ミケランジェロの方がどこかその名に偉大性を見出すのですが、彼らが生きた時代には、そうではなかったのだという発見に、面白さを感じるのです。

 いや、だからと言って、漱石先生と鴎外を比べてやろうなんて話ではないのです。

 当代、評価があまり芳しくなかったミケランジェロですが、彼自筆の推薦状が残っていて、そこには、自分は軍事技術者としていかに優れているかってあるんです。
 この推薦状はミラノ公宛に書かれたものですから、彼が就職しようと思った先は、ミラノ公が支配する地域のいわば公務員のようなところであったのでしょう。
 ですから、当時、最も肝要なこととして、ミラノを外敵から守るための策をどれだけ持っているかが採用される条件であったに違いないということです。
 
 そんなことを読むと、中国の諸子百家と違わないと、なんだか西洋の有り様に親近感を持つのです。

 現代の私たちだって、履歴書を書くとき、相手の企業に対して、自分が何ができるのかを綿々と書き綴るわけですから、いつの時代も変わらないと思ったのです。

 しかし、軍事でいかなる算段を持つかをしたためた後に、若きミケランジェロは、ミラノ公に対して、平時であれば、自分は建築にも才能があり、かつ、水利事業にも力を尽くせると、そのほか、大理石を使っての彫像づくり、さらには絵画にも長けていると自己アッピールをしているのです。

 ルネサンスの巨匠も、必死の売り込みです。
 それに、最も自分が得意とする彫刻や絵画を一番最後に提示するなど、苦心の跡が伺えて実に興味深いことであると思ったのです。

 今、日本では、仕事改革なる妙な動きが大手を振って進められています。
 五十を過ぎたら、副業ならぬ「複業」をせよなどという意見が大ぴらに書かれています。21世紀の日本に暮らす働き盛りの人たちが、余計な圧迫を受けずに仕事をし、それでいて、豊かな生活を得るという理想に近い生活レベルへと近づきつつあると喜ぶのです。

 私たち、それに私の父や祖父の時代と比べれば、いい時代ではあります。
 祖父や父の代は、有無も言わせず、兵隊に引っ立てられ、命をはって行かなくてはいけない時代でした。
 私の代は、朝から夜まで24時間働けますかと標語を示されたモーレツなる時代でした。
 それらの時代が良いわけでは当然ないので、良い時代が来たと内心は喜んでいるのです。
 
 そんなことを考えれば、私以上の世代は、いうならば、縄文的狩猟採取の時代にあったのではないかと思うのです。
 相手企業から契約を取るには、正攻法ではダメだ、風下から、こちらの思惑を察知されないように近づき、相手の企業の担当者を丸め込む。
 それしかないのだと、夜遅くまで、あちらのクラブ、こちらのスナック、日曜はゴルフにと、これが仕事かと思われるようなことまでやったのを、ご同輩なら覚えがあるはずです。

 ところが、今、時代は弥生式稲作時代に変わったのです。
 皆が、協調して、一つの仕事を分担してやり、共同体意識を持って、出しゃばることもなく、目標を達成して行くのです。
 働き過ぎやパワハラは決して認めない、しかし、複業は認めようと、皆がその方向に向かっているのです。

 でも、考えてみると、弥生的稲作時代は、現代までに、せいぜい五千年くらいしかないのです。
 これからまだ続くから、あと五千年持つかもしれませんが、縄文的狩猟採取時代は寸分の狂いもなく、この日本列島で一万年にわたり続いて来たのです。
 それを駆逐したのは他ならぬ弥生文化なのですが、そんなことを思うと、私、今の弥生的稲作時代の人間的な協調の時代にちょっと不安を持ってしまうのです。

 生きるのに必死であったと思われるあの縄文的狩猟採取時代の面影を残す、私たちと私の父や祖父の時代の方が、個人も国も幸福でなかったのかなって、そう思って、バルコニーで幾分涼しさを見せる雲の流れを目で追うのです。





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マハティールとミーゴレン

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残暑には、濃いピンクの花がよく似合います。
もっと暑く感じるように、そして、夏を名残惜しむように見えるからです。
暑さにめげず、陽が昇りほどなくして花を開かせます。
太陽よ、もっと元気よくわれを照らせと言っているかのようにです。



 この日、北京の釣魚台迎賓館に一人の政治家が、習近平に対していました。

 1925年生まれ、当年93歳のマハティール・ビン・モハマドです。
 この90歳を超えた政治家に、ご老体とか、老練な政治家とかいう形容はふさわしくありません。そんな概念など超越した立ち居振る舞いであったのです。

 さすが、経験豊かな政治家です。
 国と国とのトップ会談では礼儀をわきまえ、丁寧な口調で、中国の投資による鉄道事業の見直しに了解の言質を習近平から取ったのです。
 見直しとは、遠慮のある言葉です。実質は、計画の撤回です。

 その前日には、ナンバー2の李国強に対して、新しい植民地主義が生まれていると、暗に中国を批判した上での、トップ会談であったのです。
 この時点で、会談はマハティール・ビン・モハマドの先手必勝というわけです。

 おそらく、東南アジアでは雪崩を打つかのように、脱中国化が進むことになるはずです。

 1925年生まれだとすると、マハティール・ビン・モハマドが十代後半、感受性の最も強い時代に、日本軍のマレー駐留イギリス軍への攻撃が始まったことになります。

 当時、イギリスはマハティールの国を保護領としていました。
 抗いようのないこの大国に、マレー人は反抗の兆しさえも見せることはできなかったと言います。
 ですから、1941年12月8日に、日本軍がマレー半島北端に奇襲上陸したとき、あのイギリスに勝てるはずはないと思ったのは、彼ばかりでなく、多くのマレー人には当然のことであったのです。

 しかし、日本軍は1942年1月31日に、半島南端ジョホール・バルに突入したのでした。

 今の日本人には、1997年11月16日、FIFAワールドカップ・アジア代表決定戦「日本対イラン」で、延長戦の末、3-2で勝利して、日本が初のW杯本大会出場を決めた試合が行われた場所として有名ですが、1941年には、日本軍の圧倒的な進軍があったことでも、この町は記憶されているのです。

 マレー半島北部に上陸し、南へ1,100キロ、世界最強であると言われたイギリス軍を駆逐しながら、55日に及ぶ戦いの末、日本軍はイギリス軍の降伏を勝ち取ったのです。
 この進軍は戦史上、稀に見る快進撃であったと記録されているのです。

 マハティール・ビン・モハマドをはじめとして、多くの若きマレー人が、同じアジア人の日本人があのイギリスを破ったと力強く思ったと言います。
 ですから、太平洋戦争が終わったとき、二十代のマレー人たちは、イギリスの保護領復帰に反対、独立運動を展開するのです。 

 そんな話を聞くと、日本が行ったあの戦争は決して悪いことばかりがあったのではないとつくづく思うのです。

 だって、欧米の支配に手出しもできなかった東南アジアの人々に独立自尊の精神を目覚めさせたのですから、多くの犠牲を払った価値をそこに見出さなくてはいけないと思っているのです。 

 ある日本の政治家に、新聞記者が靖国参拝の是非を問うたというのです。
 その際に、諸外国では日本の政治家の靖国参拝に反対をしていますが、それでも参拝をなさいますかと言ったそうです。
 そしたら、その政治家、真顔になって、諸外国とはどこですかと問い、その記者が中国ですと答え、しばし、思案顔になり、さらに、ほかにそのような国があるのですかと、意地悪そうにうそぶいて、さらに問うたのです。
 くだんの記者、韓国ですと。
 
 さらにこの政治家、そのほかはと問い続けます。
 記者は、それだけですと。
 だったら、諸外国ではなく、中国と韓国の2カ国と言い換えなさいと幾分言葉を尖らせて言ったというのです。

 私、この話を聞いて、随分と納得するのです。
 何でもかんでも、日本がしたことは悪い、日本は世界に跪かなくてはならないとするのは間違いだと思うのです。

 どうも、一部の国の猛り狂ったような批判に日本は惑わされ続けているのではないかと。

 あの時代、日本が打って出るにはそれなりの事情があったはずではないのか、それをこそ、日本は考えていかなくては、正しい歴史判断は下せないのではないかと、独りよがりではありますが思っているのです。

 ですから、気骨あるマハティール・ビン・モハマドの北京での発言を聞いたときに、彼の人となり、歴史の中でのありように興味を持ったのです。

 70年代、マハティール・ビン・モハマドはマレー半島で腐る程取れるパイナップルを缶詰にして売る会社をしていましたが、どうも美味しくないというので、日本の三井物産が技術協力をして、美味しい缶詰作りに成功したと言います。

 このとき、彼は、三井物産の儲けを二の次にした協力に心を動かすのです。

 たくさんある自然の恵みを、その土地だけではなく、世界に送り届ける。自分たちも利益になるし、世界の人々にも喜んでもらえる。そんな仕事のあり方に感動するのです。

 そのことが契機になり、彼の「ルック・イースト」は世界的に有名な政策になるのです。

 イーストとは、まさにニッポンのことなのです。
 そんな彼ですから、中国の「一帯一路」の本質は見抜いていることと思います。

 KL、クアラルンプールのことをそう地元の人は言います。
 私の友人が、その街で日本人駐在員の子弟に勉強を教えるために塾を開いています。
 「無限」という名の塾です。

 KLに塾を開いた理由を問うたことがあります。
 彼女曰く、日本に対して公平な観点を持つ国、それに、中国、インド、マレーの三つの国の料理を調和させたのが堪能できるからというのが答えでした。

 私、これにも大いに納得するのです。
 だって、ゴールドコーストに行ったとき、私の行きつけの南海飯店はマレー人の店ですし、近くのスーパーで、ランチにミーゴレンを頼むのも、KLの彼女の影響大だからです。 





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ニッポンにはニッポンの「海軍力」

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木というのは不思議です。
葉を繁らせたり、花を咲かせたり、そうかと思うと、枝ぶりを誇る、かような木もあります。
でも、確かに言えることは、大地にしっかと根を下ろしているということです。
人間も、そうあるべきだと、つくづく思うのです。



 気温がじわじわと上がってきているのを背中に感じて、ロードバイクにまたがっています。

 それでも、週末のクルージングは車が少なく、こちらに寄せてくる意地悪なドライバーもなく、軽快に走ることができます。
 走れば、清々しい風で心地よくなるのもロードバイクのいいところです。

 毎日20キロのクルージングを終えると、シャワーを浴びて、サイクルジャケットからシューズまで一汗流してきたものを洗濯して、それからひと時の休憩にはいるです。

 メジャーリーグの中継もまだのようです。 

 ソファーに座り、水分を補給していると、NHKのニュースがアメリカが第二艦隊の復活を祝う式典を、その艦隊の司令部が置かれるバージニア州ノーフォーク基地で開催したことを伝えていました。
 第二艦隊の再興は今年の春に伝えられていましたので、おおよそ三ヶ月後、アメリカらしく、きっちりとやったなと感心をしたのですが、そのあと、NHKのアナウンサーが読み上げた原稿を聞いて、私は、少々驚いたのです。

 <アメリカ陸軍も同日、テキサス州ヒューストンに最新鋭の兵器の研究や開発を担う「未来司令部」と呼ばれる新たな組織を立ち上げました。>

 未来司令部……‼︎

 ついこの間、「宇宙軍」設置のニュースがありましたが、それに匹敵する驚きでした。
 未来司令部にしろ、宇宙軍にしろ、アメリカという国の軍隊は、なんか夢があるなと思ったのです。

 「軍」というのは、戦争をするためのものではなく、戦争を起こさせないためにあるものだと、その命名から感じ取れたからです。

 今回の第二艦隊の復活と未来司令部の発足は、中国とロシアに対抗するためだとさりげなくNHKのアナウンサーが述べています。
 第二艦隊は、北大西洋を管轄する艦隊です。
 ソビエト崩壊以来、この海は穏やかな海だったのですが、このところ、プーチンの潜水艦の跳梁著しいものがあるというのです。かつて、ヒトラーのUボートが太平洋を荒らし回りましたが、同じようなことはさせまい、この海はヨーロッパとアメリカを結ぶ我らの海だと言いたげであります。

 リチャードソン作戦部長、この方はアメリカ海軍のトップに君臨する方ですが、発足の式典で「ロシアの台頭によって安全保障環境は大きく変わっている。紛争を避ける最良の道は競争力のある海軍力を増強させることだ」と述べています。

 いつの時代も、宇宙軍ができる時代にも、海軍が優位にあるか否かで安全保障は担保されるのです。ですから、第二艦隊の再発足は、プーチンに対して、匕首をその胸元に突きつけたようなものなのです。

 あのキューバ危機の際、一ヶ月あまりに渡って、臨検を実施したのがこの第二艦隊です。
 第二艦隊の執拗な臨検、および、無法な振る舞いは許すまいという決意ある艦隊行動が、フルシチョフの野心を断念させたのです。
 それをプーチンに匂わすための今回の復活であると思われるのです。

 中国も今、散々な目にあわされています。

 中国商務部の官僚がワシントンに出かけていって、なんとか中米貿易戦争の落とし所を探そうとするのですが、けんもほろろに追い返されてしまいました。
 そればかりではなく、第三弾の制裁を間髪を入れずに行ったのです。

 アメリカが、自分にとって変わろうとする中国の野心に対して、真剣に対応をし始めたことをまだ中国共産党幹部は信じていないようです。アメリカは必ず折れてくる、故宮でもてなし、甘い言葉を一言二言耳元で囁けば、なんということはないとたかをくくっていたのです。

 しかし、中国が自慢気に出してくる戦闘機や最新鋭ミサイル、どこから見ても、米軍のそれに瓜二つ、どうやら、手練手管を使って盗み取ったに違いない。そして、それを土台にして、新しい兵器を作ってしまうかも知れない。それより何より、アメリカにとって代わって世界に君臨するなど、アメリカを小馬鹿にするのもいい加減にせよと堪忍袋の緒をきっているというのが、今のアメリカなのです。

 それに気がつき、矛を納めないと中国は政権の維持さえも、難しくなるに違いありません。
 
 さて、日本も海洋国家と自他共に認める国です。
 維新以来、食うものも食わずに、世界の艦船を買い取り、分解し、世界がびっくりするような軍艦を作ってきた優秀なる海軍国です。
 なにせ、空母を6隻運用し得た海軍は、日本だけなのですから……。

 お前さんの言いたいことわかるよ、その日本の大型護衛艦「かが」が、南シナ海に出航するだろう、そこで沿岸諸国と演習を行い、南シナ海進出を図る中国海軍をけん制する、つまり、日本だって、かつての栄光を維持して、一旦ことが起これば、海自は「連合護衛艦隊」を編成するって言いたんだろうって。

 そんな読者の声が聞こえてきそうです。

 残念ながら、そうではありません。
 大和堆でのことを、私は言いたいのです。
 海保の巡視船が北朝鮮からの盗人漁民を駆逐したというあの放水作戦です。
 
 盗み取ったイカを、あの国の漁船は冷凍設備を船内に設置していないので、船上でさばいて、それに塩を振って干しているんです。
 そうやって、掠め取ったイカを元帥様のところに持っていくんですが、それを海保の放水銃が盛んに水をかけるものですから、質が悪くなり、ともすると腐ってしまうんです。
 そんなんで、今年は、昨年に比べて、かっぱらい船団は激減したのです。

 ニッポンにはニッポンの「海軍力」ってのあるんですよ。
 いや、立派なことです。





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卯酒(ぼうしゅ)の味わい

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江戸情緒たっぷりの浮世絵に、朝日が作る影が差し込んでいました。
庭の枝が作る影は幾分の涼しげさを伝えてあまりあるものがありますが、同時に、昼間の地獄のような暑さも予感させるのです。
そんな季節の中、今朝は幾分涼しく、うっかりと寝坊をしてしまったのです。
あと、もういくつ、寝ると、秋の心地よい日がやって来ることを思い、日々を過ごしているのです。



 大学に通っていたときのことでした。
 クラスメイトの女子学生を、同級生達で泣かしてしまったことがあります。

 いや、えげつないことをしたと言うわけではないのです。
 ラウンジで友人たちとどう言うわけか朝ごはんの話をしていたときでした。
 たわいもない話です。
 その場を持たそうと誰かがそんな話を言い出したのだと思います。まだ、知り合ってわずかばかり、それも日本全国あちらこちらからやってきているのですから、話を持たせるには、なんでもいいのです。そんなわけで朝ごはんの話題になったのです。

 一人のあどけない顔の少女が、自分のところではステーキだとか、カレーを食べると言ったのです。

 すると、周りにいた口の悪い連中が、朝からステーキは食えまいとか、いまは朝カレーが流行っているようですが、当時は、朝にカレーはご法度ってな具合ですから、その少女の言葉に一同大いに反応し、やんやとチャチャを入れたのでした。

 悪気はもちろんないのです。その子が可愛いかったからかもしれませんが、友人たちは気を引こうとしたのです。それゆえ、あまりの批判的反応に、この少女、メソメソと泣き始めてしまったのです。
 もちろん、場は気まずくなったことはいうまでもありません。

 よく話を聞くと、その少女の家は恵比寿でレストランをやっていて、お父さんはその店のオーナーシェフであるというのです。
 そのため、前日に残った肉やカレー、その他、普段私たちが朝方に食さないものを、彼女は食べていたというだけの話なのです。
 当時、味噌汁に納豆、それに贅沢な朝ごはんとしては卵焼き、そんな時代に、朝からステーキを食べる理由がわかれば、なんということはありません。

 いろいろなところから集ってきた若者たちが、そういう生活もあるんだと、それは一件落着したというわけです。

 先だって、酒好きの御仁と、その朝の食べ物ではないのですが、ちょっとした味わいのあるものを食することについて言葉を交わすことがありました。

 この方、卓球の「自称」コーチなのです。
 学生時代は卓球部に所属し、長じて教師になったとき、今度は卓球部の監督をやっていたというだけなのですが、それでも、昔取った杵柄というやつで、腕前はなかなかのもので、誰もが一目置くという方であるのです。
 そのため、困ったことがあれば、いつでも、コーチの私に尋ねなさい、なんでも丁寧に、わかりやすく教えますよと言うので、皆が「自称コーチ」と呼びかけるようになったのです。

 その方、しばらく、卓球の練習に顔を見せなかったのものですから、そのことを休憩の折に尋ねましたら、奥さんの「介護」をしているというのです。
 奥さん家の中で転んで、足を骨折して、動けなくなったというのです。

 洗濯から食事、掃除まで、一日中家事に追われていると、実に明るく言うのです。

 散々、やってもらっていたから、こういうとき、恩返しをしなくてはとも言っていました。
 私、偉いなって思ったんです。
 そして、朝の家事がひと段落すると、これをやるって言うです。

 右手の親指と人差し指で「マル」を作り、それをちょっと傾けて、口に運ぶのです。
 
 「ぼうしゅ」っていうやつ、とそう言うのです。
 指の動作は酒を一杯やるということを示していましたが、「ぼうしゅ」という言葉は初耳です。この方、私と同じく国語の教師だったんです。
 
 「仏法にはダイゴを讃し 仙方にはコウカイを誇る 未だ如かず 卯時の酒神 速にして功力の倍する」って漢詩があるでしょうって言うんです。
 ダイゴもコウカイもさっぱりです。

 くだんの自称コーチ、ここで、教師になります。

 仏様は醍醐天皇のダイゴ、つまり、ヨーグルトのような乳製品ってとこかな、仙人たちは、沆瀣、(体育館の床に指で書きますが一向にわかりません、ですから、これを書くときにちょっと調べたのです、そしたらこんな……)難しい字だ、朝露のことだよ、つまり、甘露だな、それをありがたく思う。
 しかし、明け方の朝酒の、速やかに五臓六腑に染み渡り、酔いがすべてを忘れさせてくれることを知らない、なんてことをいうのです。
 彼が言うには、白楽天の作だと言います。
 
 卯飲一杯 眠りより一たび覚むれば
 世間何事か悠々たらざらん
 
 体育館の片隅、大型の扇風機がブンブン唸りを上げるそばで、彼、白楽天の詩の一節を唸ったのです。

 早朝、一杯の酒を飲んで、二度寝し、そこから覚めれば、この世のなんとせせこましいことか、一つもゆったりとしていないではないか、なんて解説もつけてくれます。

 そして、妻の介護と家のことをやって、ひと段落をし、妻のための昼食を作る前、一杯の酒を、妻に内緒にして、台所でやるそうです。
 白楽天とて、同じような気持ちで一杯の朝酒をいただいていたと思うと彼言います。
 なんだか、この人、素晴らしい人だと思ったのです。

 今日は卓球の練習に来られたと言うことは、奥さん随分とよくなったのですねと言いますと、いや、そうではないと顔を曇らせます。
 入院をしていると言うのです。
 今日は午後は病院で付き添わなくてはいけないと。
 随分と悪いんだとも。
 
 早く奥さんが良くなって、奥さんの面倒を見つつ、「ぼうしゅ」をこっそりと楽しめればいいと思ったのでした。
 明るく振る舞うその姿に、私はこれからは「自称」をとって、「コーチ」と呼ぼうと思ったのでした。





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かくありたいものよ

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ランタナが、今夏、2回目の花を咲かせました。
この猛暑の中、鉢花が朽ちる中、よくまぁ、命を繋げて、花を咲かせてくれたものだと手を合わせているのです。



 イソップ童話の、アリとキリギリスの話は誰彼なく一度は耳にしているお話でしょう。

 楽ばかりを求めるものは、きっと痛い目にあうと言うお話です。
 子供心にも、そりゃ、大変だ、ここはぜひ頑張らなくてはいけないと誰もが思ったに違いありません。

 童話ではないのですが、吉田兼好の『徒然草』にも、似通った話があります。

 そんな日本の古典を学ぶくらい大きくなると、アリとキリギリスの話以上に、心につまされる思いが巡って来たのをはっきりと覚えています。

 <若き程は、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をもつき、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心にはかけながら、世を長閑に思ひてうち怠りつつ、先づ、さしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、ことごと成す事なくして、身は老いぬ。>

 第百八十八段『或者 子を法師になして』の中にある一節です。

 なるほど、確かにその通りだと思うのです。
 若い時分というのは、自分の思うあらゆる物事分野について、身を立て、大きな事業を成し遂げ、あるいは、技能を身につけ、さらには、学問もしようと、人生のずっと先までこうしたいというさまざまな事を心にはかけながらも、人生はのんびりと過ごしたいという気持ちもあって、それらを怠ってしまう、挙句に、さしあたって目の前のことだけに紛れて月日を送ってしまう。それゆえ、何事も成し遂げることはなく、身は老いてしまう。

 そのようなことを言っているのです。

 子供の頃、医者になりたいとか、スポーツ選手になりたいとか、心に夢を確かに育むのが人が持つ心情ではあります。
 ですから、そのために、勉強に励んだり、あるいは、運動に精を出したりし、自分の定めて目標に邁進するのですが、それを行って夢を現実に手にするのはほんの一握りなんです。

 大方は、思いは思いとして持ちながら、たまには休養もいいだろうとか、あいつだってのんびりとしていると楽な方へと自分を導いていくのが人間の行うことなのです。

 挙句に、当初の思いなどすっかりと忘れて、日々の生活を追われてしまい、気がつくと、お前さん、一体何を成し遂げたの?と自問し、答えがないことに愕然とするのです。
 そこには、ただ老いた身があるだけという始末です。

 なんとも痛烈にして、冷酷な言葉ではあります。

 でも、兼好法師の生きた時代にも、現代と同じような思いをいたすことがあったということは、大方の、キリギリスとは言いませんが、その手の人間は時代を経てもいたのだと、そして、人間というのは、さして進歩していないものだなぁ、とも思うのです。
 いや、進歩とか変化ではなくて、それが人間の持つ「さが」であろうかとも得心するのです。

 だったら、ただ老いた身だけがあることを自覚したものたちは、次の世代に夢を繋げていかねばなりません。
 せいぜい、そうすることが罪滅ぼしだと思って、夢を繋げていくのです。

 親というのは、子に辛い目にあわせたくないと思うものです。

 とりわけ、豊かになった社会の親たちはそう思います。
 勉強をしろとせっつくのも、自分がして来ていないのに言えまいと、引っ込み思案になったりします。自分が寸暇を惜しんで何事もして来ていないのに、子に寸暇を惜しんで努めよとは言えまいと躊躇してしまうのです。

 そうであるなら、親から子へと、同じ轍が踏まれる公算は大になります。
 だったら、親たるものは、心を鬼にして、自分のことはさておき、子には、励め励めと尻を叩かなくてはなりません。

 兼好法師は、その一つの方法として、同じ段でこう述べています。

 『むねとあらまほしからん事の中に、いづれかまさるとよく思ひくらべて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事をはげむべし。』
 
 特に望ましいと思うことの中に、どれが勝っているかよく思い比べて、第一のことを心に決めて、その外は気持ちを捨てて、その一つの事だけを励むべきであるというのです。
 あれもこれもというのではなく、あれもこれもの中から、一つを選ばせ、それに集中させよというのです。

 今、十代で活躍するスポーツ選手たちを見れば、彼ら彼女たちが、やっと歩いたその頃から、そのスポーツに取り組んで来ていることを、私たちは知ります。
 まさに、一つことをのみ心において、そのほかのことは打ち捨てて、その結果、一端の成果をあげる選手になっていることを目の当たりにするのです。

 『いずかたをも捨てじと心に執り持ちては、一事も成るべからず。』

 兼好法師はこの段の最後にこう述べています。
 どうやら、そこにこそ、親の反省の上にたった教育の真髄があるのではないかと思うのです。

 親こそ、自信を持って、我が身のして来たことは捨て置いて、子が一端の人間になるべく、心を鬼にして、子を仕向けていく存在であるのではないか。

 だからといって、子を虐待していいというのではありません。
 子は、いつの時代でも、自らのうちに、優れた指針を待っているのです。
 その指針にこそ、親がするべきであると思っているのです。

 我が身を省みて、そう思っているのです。反省!





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北戴河の夏

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あまりに暑く、予定を変更することもままあります。
この殺人的気温の中で活動するには、本当に、命の危険があるからです。
家の中で、空調された部屋の中で、ボーッとしているときが一番幸せだと思うのは、しかし、いただけません。
なんだか、外に出れば熱風で肉体の危険が、空調された部屋では精神に危険を感じるのです。
一体、どうしたらいいのか、この夏、結構、悩んでいるのです。



 明治18年の夏のことでした。

 宣教師として来日していたカナダ人アレクサンダー・クロフト・ショーが、友人で東京帝国大学の英語講師ジェイムズ・メイン・ディクソンを誘って、暑い東京からどこか涼しいところはないかと探し出して、軽井沢の地を訪問しました。

 江戸の時代、中仙道の道筋にあった軽井沢宿は、旅するに難儀な碓氷峠を前に、旅人が浅間の山を眺め、体を休める場所でした。参勤交代の行列が通るときなどは、大勢の人でごった返す宿場であったのですが、明治になるととともに、衰退の一途をたどっていったのでした。

 たまたま、知人の紹介で軽井沢を訪れたショーはそこが故郷トロントの気候と良く似ているとえらく気に入り、その後、多くの外国人がここに別荘を建てたのでした。

 私は、高校時代の友人が軽井沢の隣町である御代田出身で、その関係で何度か軽井沢に出かけているんです。

 御代田出身のその友人の父上は、満州開拓団の生き残りの方です。
 長野県からは随分と国策で満州に出かけていったと言います。
 で、そのオヤジさん、満州でてひどい目にあって戻ってきてからは、一家が生きるために東京に出ることも拒み、家族は東京に、自分は御代田でという暮らしをしていたのです。 
 ですから、私にとって、軽井沢は別荘とか、避暑に関係なく、満州の話を聞き、オヤジさんの昔話を聞く、そういった場所であったのです。
 
 その軽井沢によく似た場所が、中国にあります。

 光緒24年、清朝政府は北京に詰める外国人たちの夏の保養地として、当時、すでにイギリス人を中心に夏の避暑地として選ばれていたその漁村を正式に開放したのです。
 その後、裕福な中国人たちも別荘を建て、夏の間の保養地として、この地は栄えたのでした。

 北京から東へ行くこと280キロ、渤海湾に面し、乾いた空気が特徴の大陸性気候と、海に面した涼しげな海洋性気候を併せ持ち、夏の平均気温は25度に達しないこの街こそ「北戴河」でした。
 共産党が中国を平定すると、北戴河の別荘地はすべて没収され、人民向けの療養所となり、また、共産党幹部の保養所となったのです。
 
 日本では、政治は夜動くとも言います。

 それは料亭で卓を囲んで、話し合いがなされ、そこで重要事項が決められたからです。
 明治以来の日本政治の「正統的な」あり方だとも言えます。
 今は、アメリカ大統領を伴って銀座の寿司屋に出かけるとか、あるいは、三つ星のイタリアンレストトランでということになり、築地に今も残る粋な黒塀の料亭もさほど出番はなくなってしまったようです。

 また、軽井沢でゴルフをしながら、政権を担う大物政治家がグリーンの上で、誰も聞いていない中、大きな声で政策の有り様を論じて、それが秋の政局に大きく作用したりしますから、マスコミも望遠レンズを駆使して、その模様を必死にとらえようと努めています。
 日本の政治は、夏の軽井沢のゴルフコースで話し合われて、秋に舵が切られるのです。

 いつだったか、中国の環球時報が、日本の総理大臣がゴルフ中に転んだ連続写真を掲載したことがありますが、あれなども結構な値段で、その写真を買ったんだろうなと思っているのです。
 何しろ、中国ではどの政治家も髪を黒々と染めて、若さを誇っています。白髪が見えたり、背中を丸めたりする政治家は用無しと見なされるからです。
 ですから、総理大臣が足を踏み外し転んだとなれば、それは中国ではビックニュースになるのです。
 
 北戴河も中国共産党にとっては、軽井沢と同じように政局に大きく寄与する街です。

 例えば、人民公社を設立して中国独自の社会主義路線をひくことを決定したのもこの北戴河での会議でした。
 鄧小平が実権を握っていた頃、夏に訪問する外国の要人は皆北戴河に呼び出されました。共産党幹部が皆北戴河で避暑をしているからです。

 でも、人民が暑い中働いているのに、幹部だけいい思いをするのはいかがなものかと、ましてや、リゾート地の北戴河で党の方針を定めるのは納得が行かないと、真っ当な反対意見が出て、夏の北戴河での共産党の会議はなくなったのです。

 それが復活したのは、2012年8月のことでした。

 第18回共産党大会を前に、北戴河で会合が持たれたのです。
 この大会で、習近平が中国共産党中央委員会総書記に選出されました。
 いよいよ、習近平の時代が始まったのです。
 そして、毎年夏、北戴河で共産党の会合が開催されるようになったのです。

 この夏、軽井沢は平穏でした。しかし、北戴河はそうはいかなったようです。

 アメリカの政経軍三方面から仕掛けられている攻撃に習近平が対応しきれていないと批判されていると言うのです。各所に貼られている個人崇拝のポスターも剥がされつつあります。
 鄧小平が打ち出した、じっくりと力を蓄え、時機を待つ『韜光養晦(とうこうようかい)』戦略をかなぐりすてて、習近平は、軍事強国として米国に取って代わる決意を示しました。
 ところが、それが裏目に出て、今や、世界から鼻つまみ者になってしまっているのです。
 さらに、四年後、習近平は69歳になります。
 中国共産党の内規では、68歳が引退の時期となっています。それを破れば、反党行為にもなると、今年の北戴河では喧々囂々の議論があったのではないかと推測しているのです。

 習近平によって、中国は、経済でも軍事でも、そして、政治でも「強国」なのだと自覚した中国人民にとって、仮に、南シナ海に作った基地を放棄すれば、また、尖閣への定期的な嫌がらせをやめれば、あの五四運動のように、あるいは、天安門事件のように、過敏な人民は動くでしょうし、そして、国境にある少数民族は大規模な独立運動を企てるでしょう。
 
 軽井沢と違って、北戴河はまだまだ夏。
 避暑とは言い難い、暑く、露骨な、そして、権力の奪取をはかろうとする黒い策謀がきっと続くのだろうと、こっそりと微笑んでいるんです。





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つくばエクスプレスでコーヒー

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赤い中国茶碗の上に、カナダで買ってきたリアルな小鳥がとまっている図。
もう、どちらも傷だらけです。
それでも、それぞれに思い出があり、捨てるに捨てられないもの。
だから、傷を負ったもの同士、こうして一緒に癒しあっているのです。



 東京に出るとき、つくば駅の改札前にあるスターバックスでスモールサイズのコーヒーを注文して、それを手にして、私はつくばエキスプレスの四人掛けの席の窓側に陣取るのです。

 通路側ですと、そのコーヒーカップを安心して置けないからです。
 それに、車窓を見るのは、実に楽しいことですから、だから、日差しでカーテンを閉められないよう、必ず、進行方向右側の筑波山を見ることのできるシートに座るようにしているのです。

 昔だったら、車内でコーヒーを飲むなんてことできなかったのですが、この手の店ができてから、コーヒーの持つステータスが大きく変わったなと、車窓を流れる風景を見ながら考え込むのです。

 この日、私の席の斜め横、ドアーのそばの二人掛けの席で、うら若き女性がおにぎりをほうばっていました。
 この暑いのに、黒のリクルートスーツを着ています。 
 大学卒業を前に、きっと就職活動で東京に出かけるのだろうかと、余計なことを考えます。

 三角形に包まれたサンドイッチと小さいペットボトルのジュースで腹ごしらえをして、慌ただしく、カバンの中から何やら書類を出して、それに目を通しています。
 しかし、連日の疲れが溜まっているのか、程なく、頭がグラグラ、首が折れるのではないかと思うほどカックンとやり始めました。

 サンドイッチもコーヒーも、私が若かった頃は「喫茶店」で食べたり飲んだりしたものだったなと、私思い始めたのです。

 家で、コーヒー豆を挽いて、それを淹れて飲める時代ではありませんでした。
 喫茶店のコーヒーは、家で飲むインスタントコーヒーの粉っぽい味とは雲泥の差がありました。香りも、コーヒーカップも、そして、そこに用意されるシュガーとミルクも家庭では出てこない代物でした。
 各喫茶店では、サービスにマッチを配っていて、それを集めるのがまた楽しかったことを思い出したのです。

 喫茶店に入って、一杯300円のコーヒーはアルバイト代ぐらいしか収入のない学生には高価な贅沢品でした。それでも、300円で一杯の美味しいコーヒーと耳に心地よい音楽と、座りごごちのいいソファー、さらには、無料の冷たい水を何倍でも飲めて、そこで、2時間ほど本を読めれば、300円もだいそれた出費とは思えなかったのです。

 300円のコーヒー代で一冊の文庫本を読み終わったという離れ業をしたこともあります。
 もっとも、あまり面白くない本で、俗に言う斜め読みですから、頭には残っていません。ただ、2時間のコーヒータイムの中で、150円で買った文庫を読みきり、喫茶店の小さな書架においてきてやった思い出だけが残っているだけなのです。

 御茶ノ水の駅前に、エリカとか言う大きな喫茶店がありました。
 数人で入っては、そこで議論をしていました。用事があるからと一人が出て、また別の人が入ってきます。
 そのうち、皆が、会計は済ませたものと勘違いし、誰も何も払わずに喫茶店を出てしまったのです。店の人も気づいていませんでした。
 あとで、皆からコーヒー代を集めて、謝りながら、届けたことがあります。
 店の人が、あっけに取られて、次回から間違いのないよう会計を済ませてくださいと、その金を受け取りませんでした。
 おおらかな時代であったのかもしれません。

 御茶ノ水の駅前の再開発の始まる前に、長い間、通っていた喫茶店に出かけて行ったことがあります。
 夜、遅く行くと、明日にはお客さんに出せないケーキだからと、いちごののったショートケーキをサービスしてくれるのです。
 そのミロという喫茶店が店じまいするというので、かつて一緒に通った友人と誘い合わせて、コーヒーを飲みに行きました。
 一杯700円するコーヒーです。
 昔、こんなに高かったかしらと思いつつ、そのコーヒーを飲み、ママさんと親しく話をしたのは数年前のことです。
 
 ミロになぜ通ったのかといえば、そこでは、毎月、飾られる絵が異なるからでした。
 ママが言うには、あなたがたも絵を描いたら、持ってきなさい、ここに飾って、買いたいという人がいれば売ってあげるから、売ったお金は全額クリエーターに渡すわよって、でも、その頃、絵を描く余裕などありません。
 でも、その絵を見に、一杯のコーヒーと、友人たちと議論することを楽しみにしていたのです。
 
 そんなことを思うと、スターバックスとか、ターリーズとかそんな店ができて、気軽に安くコーヒーを飲めるようになったのは大歓迎ですが、何か、コーヒーにまつわりつく「文化」が削ぎ落とされてしまったようにも感じるのです。

 コーヒーは、創造のための道具であったのが、そうでなくなった。
 高価なカップで、優雅に銀のスプーンで注がれたコーヒーをかき回すことで頭に浮かぶナイスアイデアも、あの紙コップでプラスチックのスプーンではなんの意味もないような気がしたのです。
 
 今、街に出て、かつてあったような喫茶店を探すことは容易ではありません。

 時代の流れの中で、滅びつつある一つの文化が喫茶店のそれではないかと、私、車窓の景色が田園から都会の家並みに変わった頃思ったのです。





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深読みの国 浅読みの国

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つくばにおける二個連続台風の影響は、唸りを立てて吹く風くらいのもの。
ありがたいと言うか、申し訳ないと言うか。
そんな日、我が宅の風鈴を失った南部鉄器の熱帯魚が風を切って泳いでいました。



 8月15日のトップ記事は、『南京举行和平集会 纪念抗日战争胜利73周年』でした。
 南京で、平和集会が開催され、抗日戦争勝利73周年を祝ったという記事でした。

 中国からすれば、当然すぎる記事ではあります。
 自国領土に、他国の軍隊が押し寄せてきたですから、そして、彼らからすれば、それを駆逐したのですから、15日は、その祝いをするのは当然のことです。
 しかし、例年に比べ、中国政府のトーンは幾分緩やかだったと言えます。
 習近平がその集会に出て、演説をぶったわけでもありませんし、日本批判は極力抑えられていたと言っていいのではないかと思うのです。

 トップに次ぐニュースも、日本に関する記事です。

 日本に対して、あまりに穏やかにことを済ませると、時の政権にはかえってしっぺ返しがくるのが中国の常態です。
 ですから、厳しく日本に対しているという姿勢を見せなくてはならないのです。

 この日の二番手の記事は、『日本战败73周年当天 日炫耀舰队远航北欧国家』となりました。

 「日本敗戦73周年の当日、日本は艦隊を北欧に派遣しそれを誇った」という記事をおいたのです。これだけを見た善良なる人民は、日本という国は懲りずにまた艦隊を派遣して、戦争をしたがっていると思うことでしょう。

 現に、この記事に対して、コメントが寄せられていて、そこには、『这种倭奴豖能是个自我反省 爱好和平的国家么?』とありました。

 中国の一部の人たちは、我が国のことを「小日本」とか「日本鬼子」と言ったりしますが、ここでは「倭奴豖」となっています。
 『魏志倭人伝』にあるあの<倭の奴国>を使っていると思ってはなりません。
 これは「奴隷」の「奴」であるのです。
 ですから、「日本の奴隷豚」とでも訳せばいいのでしょうか。アメリカ軍基地を容認している日本のことをそう言っているのです。
 その「日本の奴隷豚がこの日に艦隊を派遣するなんて、平和を愛する国家であると言えようか」と疑問をなげかけているのです。

 実際は、3月に江田島の海上自衛隊幹部候補生学校を卒業した約190名の初級幹部自衛官を含む約600名の遠洋練習艦隊です。
 どの海軍も行う、恒例の遠洋航海で、いうならば、卒業を控えた海軍士官の最後の訓練となるものです。
 今回は、練習艦「かしま」と「まきなみ」が、第62回の遠洋航海に出ていたのです。
 東南アジアから始まって、中東、欧州、北米中米の10カ国12港を訪問する日程で、この航海が企画されているのです。

 こうすると、環球時報の記事がいかに事実を正しく伝えていないかがわかるというものです。

 自らのトップがディズニーの「くまのプーさん」に似ているからと言って、徹底的にその画像が出ないように潰しにかかるのですから、間違った記事を載せてはならないくらい徹底できるはずですが、特に、日本に関しては、あえて、強い言葉で、時には侮蔑的な言葉で書かれたものを載せるのも、きっと、読者へのおもねりがあるのではないかと思っているのです。

 日本でも、ヘイトスピーチが問題になります。

 韓国の人や中国の人をあしざまに悪く言う言葉を聞くと、同じ日本人でも目を背けたくなります。まして、軍国調の音楽をこれでもかと大音量で流して、街を練り走るのを見るのは悲しい限りです。
 我が宅の前の道をパトカーに追いかけれている暴走バイクのにいちゃんねえちゃんと同じだと思ってしまうのです。

 近い国であると言うのは、相手のことがよく見えてしまうので、腹立ちも人一倍になるのでしょうが、少なくても、日本では、相手国とその国の民衆を敬って、その上で発言をしていきたいものだと思うのです。

 さて、三番手の記事はいうと、『安倍出席战殁者追悼仪式 连续6年不提加害责任』でした。

 「総理大臣は戦没者追悼式に参加したが、加害責任については6年連続言及がなかった」と言うものです。
 私たち日本人からすれば、戦没者追悼式典ですから、余計なことは言わないでいいと思うのですが、中国では、お前さんたちがやったことを一言は言いなさいよと言うことなのでしょう。
 が、それはやっかみと言うものです。

 私たちは、「深読み」をする民族ですから、その追悼式典の言葉の中で平和を維持すると言う言葉の中に、過去の出来事を反省すると言う意味を読み取るのですが、彼の国では「浅読み」しか、どうもできないようなのです。
 「浅読み」すれば、ものごとを受け取る際にあやまった取り方を往々にしてしまいがちになります。

 例えば、台湾の総統が滞在先のロスで、台湾資本のコーヒーチェーン「85℃」を訪問しました。自国の者たちが異国で頑張っているのだからトップがそこを訪問して激励をするのは当たり前の話です。
 ですが、「浅読み」の国では、けしからんと難癖をつけて、大陸にあると言う580の「85℃」の店舗での不買を唱えているのです。

 しかし、その台湾総統、今度はテキサス州ヒューストンの米航空宇宙局(NASA)ジョンソン宇宙センターを訪問したと言うのです。
 台湾の総統がアメリカ政府が関連する組織を訪問するのは異例の事態ですから、これはアメリカがあえて訪問をさせたと、国際社会では見ているのです。
 つまり、「浅読み」の国に対して、アメリカは台湾の総督に対して好待遇を示して、牽制をしたと言うことです。

 アメリカは、これまで台湾の高官が域内を訪問する時、随分と気兼ねをしていたのですが、今回はそうではないのです。
 大きな変化であり、「浅読み」の国にとっては、それを「深読み」しなくてはいけない事態になってきているのです。

 さもないと、周りの国からつまはじきにされる国になってしまうと言うことなのです。





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精神的コスプレーヤー

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残暑の季節にはハイビスカスがよく似合います。
一日一輪、いまを盛りに、花を、毎日咲かせるこの木に感謝です。



 つくばに暮らす私が東京に出るとき、否応なしに、つくばエクスプレスに乗ることになります。

 始発はつくば駅、終点は秋葉原駅。
 秋葉原といえば、今や、電気の町としてよりも、アニメやゲームグッズ、それに、世界に冠たるメイド喫茶発祥の地として有名な町です。
 その秋葉原から、JRに乗り換えて有楽町へといくのですが、秋葉原では一旦、街に出なくてはならないのです。つまり、JRに直でつながっていないのです。
 ですから、私は、東京に出る時、時間に余裕を持って出かけ、この秋葉原で寄り道をするのです。
 この街を冷やかしに出て、最新のトレンドを楽しむのです。

 夏の、頭の毛の焼ける音がするくらいの暑い日でした。

 秋葉原の美味しいケバブを売る店を目指して歩いているときでした。
 前方から、ピンクの毛をしたこれでもかという青のスカートをはいた一団が歩いてくるのが目に入りました。
 それも、お鼻の高い、肌の白い外国人たちです。
 その美しさに私は思わずじっと見つめてしまったのです。

 これがコスプレヤーという人たちだなんて、一人感動さえ起こしていたのです。

 コスプレの世界でも、「ドラえもん」くらいはわかりますが、「攻殻機動隊」とか、「戦国無双」とか、「黒執事」「ペルソナ5」となると、皆目見当がつきません。

 ですから、すれ違った外国人がいかなる姿をコスプレしていたのかは説明のしようもないのです。

 しかし、あの端正な顔立ち、すらっと伸びた脚、整った体型にあの衣装はまるで現実のものとは思えない、まさに、アニメの世界からそのまま飛び出してきたと思っても差し支えないくらいの素晴らしだったのです。
 彼女たちが、小さい頃、自宅のベットルームで夢中になって読んだ日本の「マンガ」は、多大な影響を、彼女たちに与えたにちがいないと私思っているのです。
 いつの日か、日本に行きたい。
 そのために、日本語を勉強しようと、学校で無理やりやらされる勉強と違って、目的を持った勉強は飛躍的な成果をその人に与えます。
 ですから、コスプレに身を包んだ彼女たちは、流暢な日本語を操れるのです。

 そして、彼女たちは、私たちの暮らすニッポンが好きで、さらには、リスペクトするのです。
 この国で暮らせたら、どれだけ素晴らしいかと憧れるのです。

 そんなことを考えると、私たちの国は、これらコスプレーヤーを大切にしていかなくてはいけないのだと思うのです。

 だって、日本のアニメやマンガを通して、ニッポンを大好きになってくれた若い人たちです。
 ゆめゆめおろそかにしてはなりません。
 ものの本によりますと、当初、ヨーロッパの国々で、日本アニメに関心が高かったのが、今や、それは世界中に飛び火し、ブラジルやメキシコ、さらには、ロシアや中国でも同調する若者が増えているといいます。
 ブラジルやメキシコ、それに、ロシアで、日本のアニメが流行るというのは良くわかります。
 彼らの文化とはまったく異なった文化を持ち、自由さと豊かさ、それに何より夢に満ち溢れているのが日本のアニメです。
 自分たちの国で、若者特有の閉塞感に苛まれているときに、日本のアニメが強烈な刺激を与えることは容易に想像がつくからです。

 しかし、中国の若者が日本のマンガに影響を受けて、大丈夫だろうかと心配するのです。
 政府や国家主席の悪口を書いたりすれば、すぐに弾圧をする国です。
 なんらかの政治的圧力が加えられるのではないかと心配するのです。

 案の定、ちょっとした事件がついこの間起きたようです。

 以前あったような日本兵の姿を模したりするというコスプレではないのですが、ネット上で、「安倍首相是我的父亲。有什么词句吗」とやったのです。
 日本国の総理大臣は俺の親父だ、文句あっか、てな具合に発信をしたのです。 

 さらには、「不可把台湾称为国家,哪个法律规定着(台湾を国と言ってはいけないと、どの法律が規定しているのか)」とまで発信したというのですから、中国政府としては無視できません
 この18歳の男性、公共秩序騒乱の疑いで逮捕されたと言います。

 民族感情を損ねる発言は許さないというのです。

 中国には、<精日>という言葉があります。
 <精日>とは、「精神的に日本人」という意味です。
 姿形は中国人だけど、心は日本人だというので批判されるのです。

 若き日、中国語を勉強していた私など、そうすると<精中>となります。

 そのくらい熱心に相手の国を思わなくては勉強などできません。
 それが罪になるというのですから、困った国です。

 で、この18歳の少年、このような発言もしているのです。
  ー私が好きなのは法治が整備された現在の日本だ
  ー日本の警察が好きなだけ。日本警察の質と勤務態度は世界一

 これらの発言は、明らかに、コスプレーヤーにも通じるものです。
 法治とか、警察とかをマンガに置き換えれば納得できるはずです。

 ですから、中国の若い人たち日本のマンガに触発されてコスプレに熱をあげているということに驚くのです。

 表面的には浮かび上がってこない潜在的な憧れの国ニッポン、その意識を持った中国人は意外にも多いのではないかって、今の政権がアメリカの仕掛けた貿易戦争に太刀打ちできずに、倒れたら、一気に世界は変わるのではないか、なんて思ったりしているのです。
 
 まぁ、そんな邪なことを考えるのは、きっと、私だけでしょうが、そうなればいいと思っている日本人は結構多いのではないかとも思っているのです。





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894年の大英断

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夏の海岸べりに、大男があらわれた!
つくばにも彫刻があちらこちらにおかれています。こうした造形は道ゆく人の想像力を誘発してくれます。とてもいいセンスだと思っているのです。



 阿倍仲麻呂、遣唐留学生にして、玄宗皇帝に仕えた優秀なる人材。唐名晁衡(ちょうこう)。
 
 この大和の留学生、唐の都、洛陽の「太学」で学び、難関であった「科挙」の試験に合格を果たすのです。
 神亀2年、西暦725年には、司経局校書として任官したことがわかっています。
 司経局校書と言う役職は、唐王朝の典籍を扱う部署です。
 国家機密などにも目を通すことができる重要な役職に彼は採用されたのです。

 そのことだけでも、阿倍仲麻呂こと晁衡と言う大和の国の青年の優秀さがわかります。
 同時に、唐という国家の、外国人を重要職につける懐の広さにも気づくのです。

 歴史家たちは言います。
 中国においては、唐帝国に限らず明王朝でも、さらに、世界に目を向けては、ローマ帝国でも、オスマントルコでも、それに、かつて七つの海を制覇したと言われる大英帝国でも、帝国の最盛期には、自分たちの流儀を、統治の面でも、宗教上でも、言語でも、それを強要するということはなかったと言うのです。

 これらの帝国、とりわけ大英帝国に取って代わったアメリカ合衆国もまた、20世紀後半における世界に冠たる大国でありました。
 
 唐王朝がそうであったように、アメリカもまた、世界の各地から多くの人材を登用し、物品もまた流入を妨げることもなく、それがために、世界各地の風習まで幅広く受け入れてきたのです。アメリカ人はまさに度量の大きさを示してきたのです。

 換言すれば、大国のこの「寛容さ」が、その国をますます強大にしていったのです。
 大国というのはこの「寛容さ」があることで大国たり得たということです。

 アメリカが日本を占領下に置いた時、「ただ一人従順ならざる日本人」と言われた白洲次郎は、この時の占領を「最悪中の最善」と述べました。
 仮に、ソ連が日本を占領していたらと思うと、いまでも私はゾッとするのです。
 あるいは、連合国による分割統治などされていたら、日本はその豊かにして趣深い日本語を失い、それぞれの占領地域でロシア語を使わされ、あるいは、中国語を使わなくてはならなくなっていたのだと思うと、これまたゾッとするのです。

 ですから、白洲次郎の「最悪中の最善」という言葉が、実感として理解できるのです。

 アメリカは、日本を実にうまく占領し、アメリカに次ぐ、経済国家に仕上げていってくれたのです。もちろん、それはアメリカの占領政策ばかりによるものではありません。
 私たちの民族が、国を想い、国のために尽力する盛んなる意気を持っていたからなのです。

 唐の時代、唐を中心にして、東アジアには一大文化圏が形成されました。
 中国東北部の満州では渤海国が、朝鮮半島では高句麗と百済を駆逐した新羅国が、そして、東南アジアでは南詔国が勢力を振るい、繁栄を誇ったのです。

 日本とて、それは同様ですが、一つ違うのは、894年に、唐との交流を絶ったことでした。

 唐で発生した黄巣の反乱を見て、この国はもはや寛容ある大国ではなくなったと見て取ったのです。
 唐が滅ぶと、新羅もまた力を失い、高麗に滅ぼされます。渤海とて契丹に滅ぼされます。
 その中で、日本だけが国風文化の繁栄の中で独自の国のあり方を創造していったのです。
 我が国の歴史の中で「平安」と言われる時代です。
 
 今、日本はアメリカをトップとするグループの中に与しています。
 そこには、イギリスがあり、フランス、ドイツなど西欧の国々、それにオーストラリアやインドなどがあります。
 そして、敵対する側として、ロシアと中国があります。

 政治経済安保を考えれば、日本がアメリカのグループから抜け出ることは得策ではないことは明らかです。

 世界情勢の中で、この南北に細長い日本は、ロシアや中国からすれば、喉から手の出るくらい魅力ある国なのです。
 まず、その地理的環境がアメリカから自国を守る防波堤になってくれます。最前線基地をここにおいて、本隊を本国に置くに、これほど好都合な南北に細長い列島はないのです。
 そして、この列島には、人口が少なくなったとはいえ、優秀で勤勉な民族が暮らしています。この国民を陣営に組み込めば、大きな力になることは疑いのないことなのです。

 しかし、多くの日本国民はそうした手合いの手先になることをよしとはしません。

 むしろ、アメリカの陣営にとどまることを願うのです。
 しかし、そのアメリカが大国としての「寛容さ」を放棄したのなら、かつて、唐の圏内から抜け出したように、日本も何らかの手を打っていかねばならないと私は当然のごとく考えるのです

 今、アメリカが中国に対して、政経軍三面において攻撃を仕掛けています。
 ほどなく、中国はまいるはずです。
 当然、政経軍三面の攻撃でアメリカ自身も国力を削がれます。
 削がれるばかりではありません。
 その同盟国をないがしろにする政策で、国力を失っていくのは目に見えているのです。

 そうした時、日本の政治家に、894年の大英断を下す政治家が出てくるかどうかのなのです。

 いや、日本が列島に閉じこもって、かつてのように「平安」を迎えようと言っているのではないのです。
 何か、そう、あの時のように、日本独自の道を探し、邁進する方策です。

 それには、偉大な政治家が出てこなくてはいけないのです。
 さぁ、遠慮さらずに、出てきてくださいな。
 いま、志を持って世の中に出ていくお若い方々こそ、その中に、偉大な政治家がいるはずだと、私思っているんです。





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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《6 / 17 💡 Monday 》
 
🦅 ただいま、<カクヨム>にて『ひとりっていいよな』を発信しています。

  世の中って
  理不尽なるもので
  満ち満ちているんだっ……



誰でも、社会的生活を営んでいれば、心苦しいことに出会うものです。
トップの解任、同僚との確執、職を辞しての新しき生活、そんなさまざまの体験がそれです。
人は、かくも争い、かくも世知辛い思いをするのです。
そして、大切なものをそこで失っていくのです。
失うことを、損得で測れることはできません。
失うことは、糧として、その人間に残れば、それでいいのです。
そして、若き人に、送ることができればそれでいいのです。


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