戦争と平和の境目

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嵐を前に、準備万端。
いつでも来いと、でも、今、台風はそっちのけ。
今日は、予定よりも早く、iPhoneXS Max が配送されてくるのです。
何でもかんでも、人でも誰でも、来てくれるというのは心がウキウキします。



 マレーシアに続いて、モルディブにも、中国と距離をおく政権が誕生しました。

 挙句に、アメリカが台湾に戦闘機の部品を含む武器を売却し、海自が南シナ海で潜水艦の訓練を実施し、さらに、空自が米軍と尖閣周辺で共同訓練って言うのですから、中国政府は、弱腰だと批判する、あるいは、強権的体質がこのような状況に中国を追いやったと指弾する勢力との、権力闘争の再燃を抑えるために躍起になっているはずです。

 現に、新疆ウイグル自治区主席で、ウイグル族のヌル・ベクリ国家発展改革委員会副主任兼国家エネルギー局長を規律違反で調査し始めています。
 この閣僚クラスの人材が何をしたのかといえば、それが一向に伝えられないので詳細は不明ですが、さらに、貴州省の王暁光元副省長が党籍剥奪の処分を受けたと報道がありました。この処分には、職権を濫用したばかりではなく、中国以外の政治的問題を有する書籍に夢中になったと言うこと明示されています。
 しかし、処分されるなんて、一体、どのような書籍なんだろうかと興味津々なのです。
 さらに加えて、かの有名女優が姿をくらましているっていうんですから。

 これまでの体験からいえば、それらはきっと、あの国の大きな政治的変動の前触れなのではないかと、そわそわしているのです。

 9月25日の日経新聞の一面トップの見出しには驚かされました。

 「米中貿易戦争、危険水域に」と言うのですから。
 一体、いかなる状況を危険水域だと言うのか、それについては明言はありませんでしたが、悠久の歴史を誇るあの中国が、20世紀に名乗りを上げた新進気鋭の米国に対して、黙って軍門に下るとは到底思えません。

 案の定、報復に出て来ました。

 朝鮮戦争の際、アメリカが原爆を使おうとした時、毛沢東はそれを張子の虎と言い放ちました。一億人が死滅しても、二億人を産み育てる力があの時の中国にはありましたが、それも昔の話、今はそうは行きません。
 習近平が「自力更生」なる言葉を使ったようですが、そんな毛沢東時代の言葉を持ち出すなんて、21世紀を生きる指導者らしくないなぁと思っているのです。

 しかし、現在の中国政府は相変わらず強気です。
 一つには、そうしなければ、国内にある敵対勢力が勢いをつけて、内側から崩壊の憂き目にあってしまう可能性があるからです。ですから、閣僚級の人材でも更迭し、有名女優も軟禁し、厳しい処罰を与えて、締め付けを強化するのです。

 一方で、人民には、購買欲を高め続け、中華民族の威光という言葉でくすぐり続けます。

 アメリカとの対立が高まる時こと、宿敵日本に擦り寄ってくるのが、中国政府のいつもの手です。人の良い日本政府は、いつもその度に、中国が日本を信頼しているって喜んで、手を差し伸べるのです。
 数年後、しっぺ返しを受けるのがわかっていながら、それをするのですから、上に何かがつくお人好しです。
 今、北京では日本の映画がもてはやされていると言います。
 人民は、日本映画の素晴らしさに感動し、拍手を送りますが、それさえも、人民の目をごまかす算段に用いられていると思うと、なんだか切なく思えてくるのです。
 
 アメリカが中国に対して、執拗に貿易戦争を仕掛けるその根本は、中国が知的財産権を侵害して、自国に有利にことを運んでいること、それが20世紀にのしてきたアメリカの優位を奪いかねないという危惧からです。

 何より、頭は共産主義で、体は資本主義という異形な国への不信からきています。
 到底、未来永劫、ともにやっていける仲間とは認識していないのです。

 それは、アメリカに対する中国も同様です。
 ともかく、太平洋を二分することが当面の目標であり、その先には、アメリカを中国化する、そのために中国に近い人材を育成するために孔子学院を世界各地に作り、その根っこを作り上げていますし、さらに、最終目標は、アメリカにとって代わって世界を支配するそんな魂胆があることは明々白々であります。

 ロシアがウクライナでサイバー攻撃をして送電線を止めて、ウクライナ国民の生活を困窮ならしめた例がありますが、今度は、中国がアメリカに対してそれを行うことをアメリカは予期しているのです。
 ワシントンに集まる政府機関の機能を麻痺させ、ニューヨークの金融機能を壊滅させるのに、中国の持つ技術は相当なレベルの達しているのです。
 
 さらに、ロシアがイギリスで行なった毒殺の一件、これもまた、今度はアメリカで中国によってなされる可能性があるのです。
 それを予期して、アメリカはいまのうちに、この奇怪な国を叩きのめそうというのです。

 ちょっと前なら、武力で雌雄を決する事態ですが、いまの時代にそのようなことを「地球人」が認めるわけはありません。
 一般のごく普通のアメリカ人は特にそうです。

 ですから、政府という組織は、サイバー空間を使って、そして、貿易で相手を痛めつけるのです。
 でも、それは戦争と同じではないかと。
 きっと、日本を含めて、これらの影響は出てくるはずです。
 
 GOKUたちが茅ヶ崎に出かけて、静かな日の午後、台風の備えに余念がない中にも、私はそんなことを思っていたのです。
 平和と戦争の境目の見えない世界がそこにあるって。
 誰もが、肉体的にも傷つかないし、精神的には麻痺させられて、しかし、政府同士は、熾烈な戦争と行っているそんな21世紀の有り様を。



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憧れこそ始まり

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時に送電線がゴジラに見える時があるんです。
あれが動いて、暴れまくるなんて……
青空に、しかし、今日の送電線は実によく映えています。



 憧れはあるのですが、いまだに手につけていないことがひとつあります。

 人間五十年の節目を過ぎてから、憧れたことには大体は手をつけて来ているのですが、それだけはまだなのです。
 
 あれはいつだったでしょうか、仕事を終えて、疲れ切って帰って来て、食事するのも億劫で、ソファーに転がっていた時でした。
 所在なく、テレビのスイッチを入れて、たまたま映ったのが、一人の青年が軽微な服装で、貧乏旅行をする番組でした。再放送であるらしく、シリーズの続きがすぐに放映されて、私は夕食を食べることも忘れて、見入ってしまったのです。

 翌日、出張で東京に出た折に、書店に立ち寄り、あの番組の原作であった沢木耕太郎の『深夜特急』の文庫本を全部買い求めて、仕事の合間、夕食の後の時間を使って、一気に読み進めたのでした。
 リュックひとつで、安宿に泊まり、街に出るときは現地の人が着るような服装で歩く、そんな旅がしたいと無性に思ったです。

 しかし、私の旅は、いつも大荷物でした。

 仕事をするためのMacBook、iPhoneと、それに付属する種々の機器、加えて、引率する生徒たちのための書類や、時には、学寮で使う小型印刷機までも持って行くのです。
 それらの荷物を運ぶ大型のボストンバックはなくてはならないものでした。
 時には、役得で、ビジネスクラスで移動したり、一回だけですが、シカゴから成田までファーストクラスで帰って来たこともあるのです。

 そんな旅ばかりをしているものですから、『深夜特急』の世界は、いまに至るまで、私の憧れとして確かに遺っているのです。

 いま、私はどこへ行くにも、マウンテンバイク用の軽いリュックを背負って出かけています。
 ロードバイクに乗るときも、つくばのセンターへ買い物に行くときも、卓球の練習に体育館に行くときも、私のこの軽いリュックは欠かせないアイテムになっているのです。

 iPad Proを入れて、iPhoneを差し込んで、さらに、財布に鍵を忍ばせて、私は外に出ることを楽しんでいるのです。
 
 いつだったか、イギリスのポーツマスを旅をしたとき、軍港をめぐる遊覧船の中で、声をかけてくれた一人の日本人男性を羨ましく思ったことがありました。
 私は、オックスフォードで一ヶ月の引率。
 その1日の休暇を使って、電車に乗り込んで、旅をしていました。
 その最中、彼は、分厚い革のカバンを肩から斜めにかけて、年季の入ったハットを頭に乗せて、退職の記念にイギリスからフランス、そして、中東を目指して旅をしていたのです。
 その日の夜、ポーツマスからフェリーに乗って、フランスに渡ることになっていました。
 久しぶりに、ポワーンとした日本人旅行者の私を垣間見て、声をかけてくれたのです。

 私たちは、ポーツマスの街の駅のそばのホテル兼レストランで昼食を共にしました。
 そこは、彼が宿泊している場所でもありました。
 彼は、リュックを背負って、革の鞄を肩に掛けて、これからヨーロッパ大陸を歩んで行くのです。
 その彼を見て、いつか、自分も組織的生活を離れたら、そんな旅がしたいと思ったのです。

 しかし、私は、まだ、その思いを達成していません。
 自分で仕事を始めたからです。

 天に神がいるならば、お前さんはもう一仕事をすべきであると仰っている、そう思っているのです。
 それが終わったなら、リュックひとつを背負って、好きなところに行くがいい、憧れのインドでも、広大な中国大陸のあの四川の奥地にでも、ベトナムのハロンでも、あるいは、アメリカ大陸を横断してもいい、お前さんのことだから、きっと周到な準備がなければ出かけられないだろうから、リュックはきっと二つ入り用ではないか、なんて。
 
 かつて生徒たちに約束した、船での世界一周へと旅立つことはできませんでした。
 だから、港に留めてある船を処分し、旅には必要のないロードバイクも誰かにやって、そうそう、家も売り払って、私は、決して帰ってこない旅に出たいと思っている、のかもしれません。
 旅こそが、私の永遠の住まいだなんて口にしながら、世界を巡るのです。

 そして、気に入ったところがあれば、そこで村のために働き、余生を過ごす、そんな旅に憧れているのかもしれません。
 住民票だとか、国民ナンバーとか、健康保険とか、そんな仕分けを振り切って、私は旅に明け暮れるのです。

 そう、定住するなら、暖かい国がいい。
 南の島の、裸で暮らせ、食べ物がそこになっている土地がいいと。
 通信機器だけは持って、今のように、自分の書いたものを発信できるそんな旅に憧れているのです。

 お笑いになってはいけません。

 憧れこそがすべての始まりになるのです。
 憧れがあって、ものごとは進んで行くのですから……





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素直な返事

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窓から見える光景というのは大切です。
ホテルでなくとも、別荘ではなくても、いや、自宅だからこそそこに価値を見出さなくてはなりません。
窓は、心を開放し、うつうつとした精神に解放を与えくれるものだからです。



 二人の娘たちが、つくばの宅に集うとこれはもう賑やかなものです。

 それぞれの子供たちも併せて四人になり、男三人、女一人の幼な子たちが、やんやの大騒ぎで、我が宅のわんちゃんもどうしたらいいのかと右往左往しています。

 男の子は、いささか乱暴です。
 特に、三、四歳の二人は、見事に変身し、ウルトラマンとスパイダーマンになりきります。そこで、取っ組み合いをしては泣き、仲直りをしては、また、取っ組み合い、それに、娘たちが慰めたり、怒ったりと、私もわんちゃんと同じく右往左往の様でいるのです。

 夫婦と子供二人。
 私もそうですし、娘たちもそうです。
 日本では、この様態を「標準世帯」と呼んでいます。
 まったくもって、我が一族は標準的な世帯そのものなのです。

 かつては、日本国民の9割がたを占めていた「標準世帯」が、いまではかなり減少していると言います。
 反対に、それまでは10%にも満たなかった単身世帯が、35%に増えているというのです。

 その原因は、晩婚化と、それによる生涯独身者の増加、そして、つれを亡くした高齢者の一人暮らしだと言います。
 そんな風潮から見れば、現在の我が一族のありようは、私にとってはありがたいことかもしれません。

 卓球クラブのメンバーの一人に、私のところは、二人の子供が四十にもなるのに、まだ結婚もせずに家にいると嘆かれたことがありました。
 教員仲間の一人は、娘が離婚して、子供二人を連れて家にいると、こちらは幾分楽しげに語っていたこともありました。

 人ささまざまなんだと思うことしきりであります。

 どっちが幸福だとかそんなことではないのです。
 あるべき姿こそに幸福を見出すことが大切なのです。
 私の娘のどちらか一人が、子供を連れて戻ってきたからといって、それで幸福かといえば、私にはそうは思えませんから。

 娘たちが二人でキッチンで話をしています。

 日本で暮らす姉の方は、長男にオーストラリアへの留学を一つの選択肢として提示するというのです。
 そうなった時は厄介になるかもしれないから、妹によろしくなんてことを言っています。

 オーストラリアで暮らす妹の方は、我が宅のすぐそばにある日本一のキャンパスの広さを誇る大学に、帰国子女枠か、オーストラリア人として留学させてもいいかななんて話をしています。

 親の思うように子は育たないことを知っている私は、何も言いません。
 黙って、それを聞いているだけです。

 ちらっと幼な子たちを見れば、一番上の男子が、一番下の女子の面倒を見ています。
 
 二人の、厄介な三、四歳児たちは、バルコニーで水遊びです。
 百円ショップで買ってきたトイレのおもちゃで、蓋を開けては水を出すおもちゃで、キャッキャと騒いでいます。
 水に濡れるとバルコニーは滑るから、気をつけてよと言っている先に転んで、べそをかいています。

 そんなことも忘れて、今度はベーブレードで遊び出しました。
 オーストラリアから来たGOKUにとっては、見たこともない遊びです。目を丸くして、二つのコマがぶつかり合い、破壊されるのを見ています。
 その扱いを教わって、自分でも回せるようになりました。
 それに夢中になり、オシッコを漏らす寸前になり、母親の元へといき、一つ叱られて、そして、また夢中になって、コマを回しています。

 我が宅の二つの標準世帯は、はて、これからいかなる進化をしていくのか、そんな幼子たちの遊ぶ姿を書斎のデスクの向こうに見て、私は考えるのです。

 この子たちも、しかるべき伴侶を見つけて、同じように子供たちを設けて、きっと、新しい家族を率いて行くだろうと思ったりするのです。
 いや、いまはやりのように、生涯独身のものになっているかもしれません。

 あの百円ショップで、水の出るトイレのおもちゃを買ったときに、幼な子の一人が私に問いかけてきます。
 「どうやったら、英語が喋れるの」って。
 GOKUが夢中になると、思わず英語が出て来て、それをかっこいいと思っているようなのです。
 だから、言ってやったのです。
 普通に、勉強をしていけばいんだよって。
 一番いいなって思うことを目標に勉強していけば、きっとなんでもできるようになるよって。
 
 幼な子は素直です。
 わかったって笑顔で言います。

 その笑顔での言葉を、私は信じていきたいと思っているのです。



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ちょんまげでも結ったら

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こんな風情に心が落ち着くのです。
日本人なんだなって思う一瞬です。



 明治から百五十年の今年、鏡にうつす己の頭頂部の薄毛を見ながら思うことがあります。

 今の時代に、男という男がちょんまげであったなら、我が頭頂部の薄毛もなんら気にならなかったろうにと。
 本当に、ちょんまげというのは、理にかなった男子の頭髪のありようだと。

 だって、側頭部の禿げた男子は、これまで見たことがないのですから。

 そんなのは、北の御曹司の刈り上げ頭か、中南米出身のメジャーリーガーぐらいなものです。
 もっとも、彼らは禿げているのではなく、自ら手を入れているわけですから、何をか言わんやです。

 「散髪脱刀令」なるものが出たのが、明治4年8月9日、今の暦でいうと、1871年9月23日のことでした。
 ちなみに、天武11年、西暦683年に、「ケッパツ令」なるものが記録に残っています。
 今から、一千年以上も前の時代のことです。

 一つの時代が始まった証として、日本人は己の頭髪を、お上が規定してきたとも言えます。
 美豆良(みずら)の時代から、髪を上にあげて、首回りを爽やかにするのです。
 そんなことを思えば、この「結髪」も誠に理にかなっていることではあります。

 以来、成人した日本人は男も女も、長い年月に渡って、しかも、理にかなったこととして、結髪をし続けてきたのです。

 明治4年の「散髪脱刀令」には、<散髪、制服、略服、礼服ノ外、脱刀モ自今勝手タルベシ>という一文があります。
 ということは、法令でちょんまげを切れと命じたのではなく、<勝手にせい>としただけということになります。武士の時代が終わり、身分によって定められていた髪型や服装は、今後、皆の自由にせいというだけなのです。
 男が断髪し、洋服にするもよし、ちょんまげで着流しでいるもよし、刀を指すもよし、自由な姿こそが文明開化のシンボルだと、そんな感じなのです。

 だったら、陸蒸気のステーションがあった新橋あたりでは、ステッキに山高帽の紳士から、二本差しでちょんまげを結った男たちが混在して闊歩していたはずなのです。
 江戸と明治が混在していた絵姿ではあると思うのですが、そのような絵柄はついぞ見たことがありません。

 時は、明治22(1889)年2月11日、大日本帝国憲法が、皇居で発布式を迎えました。
 明治大帝が内閣総理大臣の黒田清隆に授ける形で出された式典です。
 その際の「発布式の図」なる絵を見ても、誰も彼もがざんぎりになっています。
 しかし、維新を推進した薩摩の島津久光・忠義親子は、ちょんまげ姿で式典に参列していたというのです。
 しかし、発布式の図に、私は、その姿を認めることはできませんでした。
 
 ちょんまげは、文明開化の日本にあって、どうやら、旧態然たるものとして、鼻つまみにあっていたようです。

 時代を遡ります。
 明治6年、3月20日のことです。
 明治大帝は、いつものように、丁寧に結髪されて、御所から御学問所へと出御あそばされました。
 御学問所には、一人の男が待機しておりました。
 名を河名浪吉と言う、理髪師です。

 御学問所から御所にお戻りになられた明治大帝のお姿を見て、女官たちは腰を抜かすほどに驚いたと伝えられています。

 高村光太郎の詩に『ちょんまげ』なる一編があります。

  おぢいさんはちよんまげを切つた。
  ……旧弊々々と二言目にはいやがるが、
  まげまで切りたかあねえんだ、ほんたあ。
  床屋の勝の野郎がいふのを聞きやあ、
  文明開化のざんぎりになつてしまへと、
  禁廷さまがおつしやるんだ。
  官員ややまはりなんぞに
  何をいはれたつてびくともしねえが、
  禁廷さまがおつしやるんだと聞いちやあ、
  おれもかぶとをぬいだ。
  公方さまは番頭で、
  禁廷さまは日本の総元締だ。
  そのお声がかりだとすりや、なあ。
  いめえましいから、
  勝の野郎が大事さうに切つたまげなんぞ
  おつぽり出してけえつてきた。……

 見事な江戸弁の、そして、見事にその折の日本人の状況を謳った詩であります。
 禁廷さま、すなわち、明治大帝が断髪したことの影響は、まさに大なるものがありました。
 以後、明治の日本人の間には、断髪が一気に広がり、誰も彼もがざんぎりとなったのでした。

 70歳代半ばにあるマッカートニー、彼もまた、髪が少々薄くなり、白いものが見えてきました。そんな姿を思い起こし、彼だってそうなんだから、自分だってそうなりゃ大いに結構だと言い聞かせながら、私は、自分の髪の幾分薄くなった頭頂部を体をひねって、鏡に写しては、明治の150年を思い起こすのです。





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手を合わせる力士

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つくばに転居して来た頃、我が宅の周りにはススキがあちらこちらに。
それを取りに来ているおばさんがいて。
そんなに取って何をするのですかって。
そしたら、これで、民芸品のフクロウを作るんですって。
そう言うんです。
あのおばさんも、もう姿を見せなくなり、ススキも、今、我が宅の周囲には本当に少なくなってしまったのです。



 例の一件以来、いまだに大相撲を見ることに嫌気がさしている私です。

 それでも新聞は取っていますので、スポーツ欄で誰が優勝したかとか、勝ち越したとかはさらりと目に入ります。
 その程度でしかなくなっているのです。

 以前は、升席チケットを手に入れて、国技館に足を運び、日本酒をちびちびとやりながら、何度か観戦を楽しんでいたのですが、横綱の「暴力沙汰」というより、モンゴル力士たちの内紛のような事件や、それに絡んで、例の親方の奇怪な振る舞いに嫌気がさして、こうまで、自分が大好きな大相撲から退けるものかと、我ながら驚いてもいるのです。
 ですから、新聞で相撲の記事があっても、さほど注目せずに、さらりと流しているのです。

 ですが、先日、一枚の写真に目が釘付けになりました。

 乳房が四つのあるのかしらと思うばかりの胸、まわしも隠れてしまうほどの腹の肉塊、そして、食い込んだふんどしの先からこれまた肉塊が幾重にも垂れ下がった力士が、両手をあわせて祈っている写真でした。

 「取り組みを終え土俵に手を合わせる大露羅」と見出しが付いていました。

 「大露羅」。
 ……
  <だいろーらっ>、いや、<おーろら>だぁ、しかし、聞いたこともない四股名です。

 記事に目を通します。
 「力士では最重量力士。西序二段12枚目、七番相撲で東三段目87枚目の樹龍を寄り切りで破り、1勝6敗として有終の美を飾った」とあります。

 「露」の字があるから、きっと、この手を合わせる力士は、ロシア出身の力士に違いないと推測はできますが、それにしてはロシア人らしからぬ顔立ちです。
 果たして、いかなる力士か興味が湧いてきました。

 体重は、200キロを超え、現在35歳。
 ロシア連邦ブリヤート共和国ザイグライフスキー出身であると力士年鑑には記載されています。

 ブリヤートという言葉、聞いたことあります。
 バイカル湖のある国です。
 モンゴル系のブリヤート人の国です。
 古くは、チンギス・ハーンに従い、16世紀には南下してきたロシアの支配下に組み込まれ、あの清との間のネルチンスク条約で、正式にロシアに組み込まれた国であり、民族です。

 ですから、「大露羅」なる力士も、私たち日本人と同じ、モンゴリアンなのです。
 なんでも、亡くなられた北の湖に可愛がられた力士だそうで、ずっと、付き人として側にあったと言います。

 きっと、それだけ、人間的に愛される一面を持っていた人間だったに違いありません。

 この手を合わせた写真に添えられた記事には、「16歳の時に日本に来て、強くはならなかったけど、相撲をやって良かった」と彼自身のコメントがありました。
 今場所は、6敗で、最後の土俵で1勝をあげて、有終の美を飾ったともありましたから、この両の手を合わせて、土俵に祈りを捧げた巨漢力士は、これが最後の一番だったというわけです。

 地位もなく、名誉もなく、しかし、愛された力士、それがこの「大露羅」であったのです。
 
 そんなことを調べて、この力士の新聞に掲載された写真を見ますと、なんだか、親しみが増してくるのを感じてきました。

 他を寄せつかない強い横綱よりも、偉そうに振る舞い常軌を逸した親方よりも、この弱い、それでも、彼にとっては異国の大相撲に魅せられて、頑張り続けたこの一人の巨漢に親愛の情が湧いてきたのです。
 ブリヤートの血を引くこの若者に、古来、相撲が大切にしてきた人としてのありようの素晴らしさを見るのです。

 強くはなれなかったけれど、出世もできなかったけれど、自分の働き場所であった「土俵」に向かって、両の手をあわせて、祈る姿に、神々しいものさえ見て取ることができるのです。
 
 なんだか、自分のありようが重なって、この巨漢力士の一枚の写真に、心あらわれたのでした。



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幼な子の力

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自然の造形は、かくも制御されているものだと、これを見て思うのです。
昨日、十五夜の月をわずかの時間ですが、見ることができました。
太陽の陽を反射させて、程よい加減に淡い銀色の光を放つ、それはお月様でした。
ここにも、「制御」なるものがあると、感じ入ったのでした。



 今年の8月15日、山口県で2歳の男の子が無事発見された事件が強く印象に残っています。

 一体、どうやって、命を繋いできたのだろうか、食べるものもなく、世話する大人もいなくて、精神状態はどうであったのだろうかと、私は、不思議に思うばかりなのです。

 我が宅に、今いる一歳になったばかりの女の子、LALAを見ていて、一層、そのことを思うのです。

 背丈と同じほどのベットの縁を両手でつかんで、彼女は踏ん張って、足をあげて、よじ登ります。ピアノの鍵盤に両手をかけて、まるで懸垂をするかのように体を持ち上げるのです。
 抱っこをしていても、何か、興味をそそられるものを見つけると、足を思い切り突っ張って、そこへ行こうとします。

 この幼子の力は、彼女の人生の中で、きっと、最高レベルにあるに違いないと思うのです。

 確かに、腹をすかせれば、泣きわめきます。
 母親を探して、その胸に顔をうずめます。
 それらは、赤子の本能としてあるのでしょうが、それらを含めて、肉体の力ばかりではなく、精神力もまた強靭そのものだと思える時があるのです。
 だから、きっと、母親がいなくても、その時は、それなりの対応を彼女は取るのではないかとも思っているのです。
 
 そんなLALAの行動を見ていると、あの2歳児が山中で三日も生き延びてきたことが奇跡ではなく、人間の幼子が持つ強靭な体力と精神力がなせる技であるに違いないと考えるのです。

 しかし、この子の事件の一ヶ月ほど前に起きたタイでの、あの洞窟に閉じ込められた子どもたちはどうであろうかと考えもするのです。

 彼ら12人の少年たちは、2歳児でも幼子でもありません。
 サッカーチームに属して、活動する少年たちです。
 ですから、肉体的な強さは多少ともあったでしょうし、スポーツで鍛えた精神力もあったと推測はできますが、でも、それは特別なものではないはずです。
 ごく普通の少年たちが、2週間以上も暗闇の中で恐怖と戦いながら、生き延びたのです。
 それこそ、私は奇跡ではないかと思ったのです。

 しかし、ここにも、それが奇跡ではない、実はそこには生き延びるための秘密があったことを知るのです。

 タイという国では、誰もが一度は出家をします。
 そして、修行を行うのです。
 しかも、それは厳格なもので、瞑想を中心に据えた極めてストイックなものだと言います。

 タイに遊んだことがありますが、早朝、僧たちが布施をしてもらう姿を何度か見ました。
 どの家の女性も、わずかばかりの米を、そして、果物を僧たちに捧げて、両手をあわせているのです。
 それを見たとき、それなりの修行をしていることを知っているから、人々の崇敬を集めているに違いないと思ったのです。
 
 どこかの国の坊主のように、墓じまいにたいそうな金額を提示したり、いくらいくらとお経をあげるたびに金をむしり取っていくのとはえらい違いだと、宗教心のない私は思うのです。

 で、あの時、洞窟に誘ったあの25歳のコーチですが、日本であれば、少年たちを洞窟に誘ったことを、マスコミが先頭になって、指導者としての軽率な行動であると寄ってたかって批判をしたことでしょう。
 親の中にも、とんでもないコーチだと罵った人たちがいたのではないかと思うのです。

 でも、そのようなことは一切起こらなかったのです。
 反対に、親たちは感謝し、タイのマスコミも誘ったことには言及せず、この25歳の青年の子どもたちに接するあり方を賞賛したのです。その理由はいかなるものであったのか、気になるところでありました。

 実は、彼もまた僧として修行を積んだ青年でありました。
 ですから、きっと、日頃から高潔さを持った対応が少年たちや家族にはわかっていたのです。さらに、彼に強靭で、豊かな精神力があることも知っていたに違いないのです。
 
 ですから、少年たちが生きていることがわかったときに、マスコミも、親たちも、即座にこの若きコーチの素晴らしい指導力への感謝がなされたのではないかと思っているのです。

 きっと、瞑想を子どもたちにさせて、心を落ち着かせ、自分たちは必ず救われると信じさせ、くじけそうになる心を鼓舞したに違いありません。そして、佛教で言う所の「無」になることで、危機を乗り越えて行ったのです。

 そんな子どもたちのありようを顧みますと、歳をいくつ取っても、人の悪口を言ったり、政治的に反対の勢力を貶めたりする大人たちのありようが恥ずかしく思えるのです。
 
 いやいや、人様のことはどうでもいい、私自身のありようにこそ、深い反省を見出すのです。

 私は、あどけない笑顔を撒き散らすLALAを抱いて、近所の公園を歩きながら、この幼子の笑顔に教えられているのです。





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柱の傷はおととしの

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西の空の向こうに、陽の光が見えました。
厚い、黒い雲は、流れているのか、それとも停滞しているか。
もしかしたら、この雲が明日の天気を存外悪くさせるかもしれないと気を揉むのです。
でも、きっと、明日は、天気が良くなるに違いないと、陽の光に、ささやかな希望も持つのです。



 ふと、そこはかとない不安が押し寄せることがあるんです。
 ありがたいことに、私の亡くなった両親は、さほどの心配を私たち三人の子供にさせることもなく、静かに逝きました。

 ところが、友人の一人は、親の介護のために、心身ともに耗弱してしまったものがいます。
 面倒が見きれずに、施設に預けてしまったことを後悔していますが、私は、自分の生活も立ちいかなくなれば、それこそ、親御さんの面倒も見ることができなくなると随分と慰めたものです。

 親戚には、一人、孝行息子がいます。
 私の父の弟にあたる叔父の息子です。
 もう九十を過ぎた両親の面倒を見ていました。
 会社も辞めてまで、両親の面倒を見ていたのです。

 その叔父が亡くなったと知らせを受けたのは一昨年の十二月のことでした。
 電話があり、葬儀はしないというのです。
 母が認知症で、父が亡くなったこともわからないのですと言葉をつなげて、そして、親不孝だけど、そうせざるを得ないと、さらに、会社もやめてしまって、経済的にも大変なんですと。
 
 私は、心がつまされました。
 それだけして、最期まで面倒を見てやったのだから、なんの恥じ入ることもありませんよとしか言えませんでした。
 
 さて、そこはかとなく押し寄せる私の不安は、何を隠そうおのれ自身の近い将来に起こりうるかもしれない意思の喪失なのです。

 ある日、突然、朝早くの仕事のために起きられなくなるのではないかから始まって、ついには、MacBook Proに文字を打てなくなるのではないか。軽快に両の手の指を動かして、勢いよく、脳裏に浮かぶ言葉を打ち込むことができなくなるのでないか、そんな不安が押し寄せるのです。
 そして、結局は、私は意思を喪失してしまう、そんな恐ろしいばかりの不安です。

 認知症は、いつか、誰にも起こりうるものであると、友人や親戚の事例を見て、私はそれに不安を覚えているのです。

 そんな時に、認知症のケア技術に「ユマニチュード」というものがあることを知りました。
 フランスの体育学の専門家であるイヴ・ジネストという方が作った技術です。

 暴れる認知症の人を固定ベルトで縛り付けてしまうのではなく、別の方法で改善を促す技術です。日本でも病院や施設でそれを実践しているところが増えてきたように聞いています。
 そう言えば、父の時も、母の時も、私、病院から父や母が無意識に手を動かして、付けられた器具を外さないために、固定ベルトを使用しても良いという書類にサインをしたことがありました。
 そんなことをせずに、認知の不可能になった人にいかに接するのかという点で、私はこの「ユマニチュード」に興味を持ったのです。
 
 それは、意思疎通が不可能でも、感情でのやりとりはできる、その一点に重きがおかれている方法です。

 出かけるからねと、そっと、その方の手をさすり、言います。
 留守番をお願いしますよって、今度は目を合わせて、訴えかけます。
 そして、任せして大丈夫ですかって、今度は冗談ぽく言います。
 すると、感情が、かつて、その人にあったその表情が戻るというのです。

 私のなかにある感情は、私の意思が疎通を拒んでも、あり続けるのだと知り得たことは貴重なことでした。

 「ユマニチュード」は、人としての大切な要点に、「見る・話す・触れる・立つ」の四つを掲げています。
 人間は、世間を見て、誰かと話して、そのものに触れて、そして、そのために自らの足で立って動くことが必要なのだと思うのです。
 
 そんな不安を心の奥底にしまって、私は、この日、四人の私の血筋をつなぐ幼児たちと時を過ごしていました。

 彼らは大きくなった一人を除いて、ほとんどが意思を的確に疎通し得ない幼子たちです。
 あっちで甲高い声がしたかと思うと、こっちで泣き声がします。
 娘たちのなだめすかす声、叱りとばす声もまた、普段の私の生活にはない声です。
 
 私は数年に一度、こうして一族の後継者たちと騒々しい中に身をおくのです。

 我が家のリビングにある杉の丸太の柱が、この騒々しい幼子たちの感情を制御する場所です。
 前回、かれこれ2年ほど前になりますが、その時に惹かれた線があります。
 私は、幼子たちを一人一人呼んで、その柱の前に立たせます。
 誰もが背を伸ばしています。
 今年は、初めて、そこに線を刻む幼子もいます。
 皆、あの騒々しさをなくして、この一番小さな女の子の背丈に皆が注目です。
 柱の末端に両足のかかとをつけて、背中を丸太にぴったしとつけて、あごを引いて、定規で頭をおさえて、そこが身長の印になります。

 四名の幼子の背丈が印されました。

 自分たちの背丈の印を見て、彼らは一様にそこに小さな手のひらをおくのです。
 そして、誇らしげに伸びた背丈の幅を誇るのです。
 あぁ、ここに「ユマニチュード」があるんだと、その時、私思ったのです。

 幼子たちの振る舞いに、「見る・話す・触れる・立つ」の四つの人としての要諦があると。



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怒りの拳

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名はわかりません。
畑で、作られていました。
トマトかと思ったのですが、そうでもなさそうです。
そんな秋を見つけたのです。



 日曜日の朝に取り上げるような話題ではないとは思ったのですが、随分と気になる出来事であったので、あえて、綴ろうと思った次第なのです。

 退職をしたいにもかかわらず、それを認めてくれないがためにトラブルになるという案件が実に多く発生しているというのです。
 実は、私にもそれに似たことがありました。
 
 取手の学校を退職しようとした時、私は当時の上司から提出した退職願の入った封筒を放りなげられたことがあるのです。

 いや、私が有能で、学校に必要とされているというのでは決してないのです。
 私は、自分が優秀な教師であるとはこれっぽちも思っていません。
 ごく普通の教師にすぎないことは十分に自覚をしています。

 では、なぜ、提出した退職願を放り投げられたのかといえば、それは、一介の教員でも辞めれば、それは、その上司の評価を落とすからなのです。

 その上司というのは、ちょっとした悶着があったときに、その悶着から派生した諸々の問題を解決するために、企業が派遣する、いうならば、労働争議で暗躍し、理事会や経営陣の思うようにことを運ぶ専門家であったのです。
 教育になんら関係ない、ただ、学校のイメージを損ねないように、配慮することに重きをおくそれだけの上司であったのです。
 ですから、一介の教師が、そんな学校には居たくないと退職願を出すことは、学校のイメージを損ねることになるから、それを突っ返したというわけです。

 辞めたいのに、辞めさせてくれないというのは、会社や学校、組織に対する一個人の立場からすれば、それは相当に辛いものがあることは、その時の体験から、私は承知をしているのです。
 ですから、私は、その出来事で多くの人が悩んでいるのを目にして、人ごとには思えなかったのです。

 そのような状況に陥った人は、食事も取れずに精神的に泥沼の状態で陥ります。
 なぜなら、退職届が受け付けられないと、離職票がもらえないからです。
 離職票がなければ、次の職場に行くことも厄介になります。
 つまり、つましい一人の社会人が、次のステップに進めない辛さです。
 たったそれだけのことと思ってはいけません。それは精神にとって相当な試練になることであるのです。

 しかし、こうした悪質な「引き留め」は、昔からあったようで、日本の法律もしっかりと対応しています。

 「労働基準法」では、第5条で精神的、肉体的強制で労働者を意に反して働かせることを禁じています。罰則も、10年以下の懲役など同法で最も重いものを科しています。
 「民法」第627条では、期間を定めない無期労働契約で働く人が退職を申し出たら、2週間で退職できると規定しているのです。

 最近では、パワーハラスメント的な引き留めを恐れる人から依頼を受け、本人に代わって退職届を提出する代行業者もありますから、私の時とはだいぶ様相が異なっています。

 保身を図る上司の悪質な対応には、いま現在の対応は力弱いものたちを守ってくれているのです。

 最近のスポーツ界でのパワハラ告発も、もしかしたら、そうした働き方のあり方が大きく作用しているのかもしれないと、そっと考えたりするのです。
 懸命に努力し、自らの肉体を酷使し、目標へと向かって邁進するスポーツ選手を、食い物にされてはたまりません。
 メジャーなスポーツ選手と違って、マイナーなスポーツではなかなか世間が注目をしてくれません。だから、そこにつけ込んで、やりたい放題をする悪漢理事や邪なコーチは許せないという怒りの告発だと思っているのです。

 そんなことが気になっていると、就転職のための企業リサーチサイト「Vorkers」の調査結果に、必然的に目がいったのでした。

 ある大手IT企業では、退職することを妨げることなく、新しいチャレンジが見つかったのなら、それへと社員を向けさせることに積極的だというのです。

 さすがIT、先進的なことを目指すにはそのくらいの度量がなくてはと思ったのです。

 会社も社員も、挑戦することを忘れてしまったなら、発展はなくなるのです。
 だったら、社員が新たな挑戦を志したら、それを応援してやり、ともに、新たな進歩を勝ち取ろうというのです。だから、そうした人たちは、かつて自分たちがいた会社を貶すことも、愚弄することもしないのです。
 そして、それはその会社ばかりではなく、日本のその分野の進歩を促して行くのです。

 そうであれば、辞める方も当然しっかりとしなくてはなりません。
 パワハラを告発したスポーツ選手がそうであるように、精神的な強さと自らの展望を持っていなくてはならないということです。
 
 はて、取手の学校から土浦の学校に移った私に、そのようなものがあったのかと自問すると、いささか心もとなくなるのは、いまは、そっと置いておこうと思っているのです。

 怒りの拳をふりかざす前に、おのれの心としばし対話が必要であると。





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南シナ海にZの旗を掲げて

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季節の変わり目。
筑波の山に厚い、黒い雲がかかっています。
この雲が、取れていくと、つくばには本格的な「秋」がやってきます。
あぁ、なんと待ち遠しいことか。
春も、夏も、突然にやってきますが、秋はじっくりと構えて、そして、長い冬へと季節を進ませていくのです。



 二週にわたって続く最初の連休のさなかに、一つのニュースが私の中を駆け巡りました。

 中国が一方的に主張する例の九段線の海域内で、海自の潜水艦「くろしお」が、東南アジア諸国を長期航海中の護衛艦「かが」「いなづま」「すずつき」の三艦と合流して、訓練を行ったというニュースです。

 訓練内容は、護衛艦隊が近づく潜水艦を発見し、これを迎撃する訓練、また、反対に、潜水艦が護衛艦隊に発見されないように近接し、攻撃を加えるというものだと推測できます。

 このニュースが、唐突に、そして、一斉に、流されたのです。

 私、早速、『環球時報』がそれをいかに伝えているかが気になり、サイトをクリックしました。
 「日本海自潜艇首次在南海实施训练,并首次停靠越南金兰湾」と見出しがつけられ、私が読んだ日本の新聞各社の記事が紹介されていました。
 <越南金兰湾>というのは、ベトナムのカムラン湾をいいます。
 <首次>というのは、「初めて」という意味です。

 つまり、日本の海上自衛隊の潜水艦が「初めて」南シナ海で訓練を実施、「初めて」カムラン湾に寄港したというのです。

 ところが、その翌日、最初の三連休が終わった火曜日の朝刊に、首相の前日のテレビでの発言がさりげなく取り上げられていたのです。首相は、「南シナ海における潜水艦の訓練は、実は15年前から行っている。昨年も一昨年も行っている」と述べていたのです。

 つまり、中国海軍は、15年間も海自の潜水艦が南シナ海に出ていたことを知らなかったのではないかということになるのです。
 昨年も、一昨年もそれをしたというのですから、なお一層、痛快なことです。

 中国がそれを知っていれば、あの国は、即座に反応をするはずです。
 そして、あの外務部の面々が、眉間にしわを寄せて、日本を非難するはずです。
 対日融和政策を口では唱えながら、尖閣に公船を派遣してくるずる賢さを、これは凌駕するものであるから、もっとも日本のこの作戦はずる賢さではなく、極めて知的で賢いものだとし、私は痛快だと思ったのです。

 そこで、気になるのは、なぜ、いま、この時に、本来極秘とされる事項を日本政府が公表したかということです。

 新聞では、南シナ海の岩礁を基地化した中国軍に対して牽制をする狙いがあると、どれも一様に述べていました。
 確かに、その通りだと思います。
 武力攻撃をする意思があってのことではなく、海自の艦艇は隠密裏にあなた方が一方的に定めた無法な海域で訓練を、それも秘密裏に行うことが可能なのですよ。

 あなた方の原子力潜水艦がが南西諸島を通過する際には、先だってあったように、航空機と潜水艦で追尾し、ついには逃げ切ることができずに、挙句に、困り果てて、浮上し、五星紅旗を掲げさせました。

 隠密をモットーとする潜水艦が海上を国旗を掲げて航行するなんて呆れてしまいます。
 海自はそのようなぶざまなことはしませんよ、ということを誇らしげに語っているように思えるのです。

 そう語るのは、お前さんたち、いい加減にしないと本当に怒るよというサインを送ったということになるのです。

 誰が、怒るのかといえば、マゼランが大西洋から南アメリカの海峡を抜けて太平洋に入った時、なんという穏やかな海なのだと感心したこの太平洋の平かな海を騒がす中国に、違和感を持つ、アメリカであり、日本であり、そこに権益を持つ、フランスであり、イギリスであるのです。

 かつて、日本はアメリカと太平洋の覇権を巡って熾烈な戦いをしました。
 技量ではまさっても、物量で劣る日本海軍は、アメリカに屈したのです。しかし、その技術と精神を受け継いだ海自は、あの連合艦隊もなし得ないさらに高度な技量を身につけていることを世界に、とりわけ、中国に見せつけたのが今回の一連の報道であるのです。

 中国に、海軍における優勢がなんたるかを熟知している軍師がいれば、日本の海自とやりあうことは得策ではないとわかるはずです。
 15年もの間、海自の潜水艦はそれと知られずに行動をしていたのですから。
 仮に、一旦、ことが起これば、中国の誇る空母は港を出た時点で殲滅させられるだろうことを知るはずです。

 アメリカと日本は、死力を尽くして戦った間柄、それゆえ、強固に結束する同盟国だということを知らないと、中国政府はとんでもない過ちを犯すことになるのです。

 いや、もう、その過ちを犯しつつあるともいえます。
 
 シルバーウイーク後半の始まりの日に、そんなことを思いながら、私は、10月に予定されている日米の海兵部隊の、そして、イギリスとの間で富士演習場でなされる陸上部隊の演習が今後いかなる意味を持つのかを考えるのです。



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世迷いごと

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一番上の孫に、マウンテンバイクを買ってあげて、一緒に、つくばのあちらこちらを乗り回しました。
一軒の豪壮な農家の佇まいを見て、これはお城と、我が孫驚いた表情で言います。
立派な佇まいの住まいと周囲を取り囲む森に、私も立派だなぁと感嘆した次第なのでです。



 大した人生ではないのですが、それでも、時に、人々の好意を受け、あるいは、反対に、世間からの冷水を浴びて来た私です。
 ですから、それなりに人の生き方に対して、ある思いを持っているのです。

 仮に、自分がなかなか認められないのは、人を見る目がない奴が上にいるからだという人がいたとします。

 その代表的な人物として、中島敦の『山月記』の主人公李徴を私は思い浮かべるのです。
 虎と化した李徴が旧友袁傪に出会って、己を振り返った時に述べる言葉があります。
 
 「己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。」
 
 この言葉です。
 自分は人より優れている、俗物どもと自分は一緒ではないと、そう思う自分に気がついた一瞬です。
 
 この言葉は、実は、李徴ばかりではなく、すべての人が持つ、ひとつの心の有り様、独りよがりの権化としての言葉でもあるのです。
 でも、私も、そのほかの人も、李徴のこの言葉で、それが「世迷いごと」であることを知らされるのです。

 私が本らしい本、つまり、字ばかりの、絵のない、文字の小さい、本を父から与えられたのは山岡荘八の『太閤記』でした。
 父が、どんな理由で、その本を私に買ってくれたのかはわかりませんが、私は、その本にすこぶる心を動かしたことは確かなことなのです。

 百姓の出であっても、天下を仕切ることができるんだ、一大事にはどう振る舞うべきなのかを学んだのだと思うのです。

 もちろん、秀吉のように、天下を仕切ることなどはなかったのですが、それでも、自分の場所で、できるなら、一番上にありたいとか、尊敬できる人のために一肌を脱ぐべきであるという心は自分の中に生まれ出でたのですから、その最初の本は自分の人生を左右する本になったと思っているのです。

 世間では、秀吉は信長に比べれば、大した人物ではない、徳川家康が安泰の幕府を作ったのに対して、秀吉はそれができなかったと、この二人に対して幾分下に見る傾向があると見るようですが、私はそうは思わないのです。

 信長も家康も、それなりの家に生まれ、幼い頃から、多くの家臣に囲まれて来た人間です。
 しかし、秀吉はそうではないのです。
 食べるもののなく、橋の下で野宿し、時には、草履を懐であたため、時にはサルと小馬鹿にされて、それでもくじけることなく、己の将来を信じて努力をして来た人間の一人なのです。

 土木に通じ、計算に長じ、人々が望むものをわかり、それゆえに多くの人の心をわし掴みにして、そして、なしたことは、惣無事令、太閤検地、刀狩りと歴史に残る作業をして来ているのです。
 そんな秀吉のことを思えば、自分が世間に認められないのは、世間が悪いからだとうそぶくことはできないのです。
 
 だから、私は、自分の人生は、自分の信じる道を進むべきであると思っているし、思っても来たのです。
 それにより生ずる損は覚悟の上です。
 損と言ったって、命を駆け引きするわけではありません。
 金銭的にも大したことではありません。
 その大したことのない損のために、大切な生き方を反故にするわけにはいかないと、そうした生き方を身につけられたことは、私にとってありがたいことであったと思っているのです。

 己の信じる道を歩み、一切の言い訳をしない、これが私の人生におけるもっとも大切な言葉としてあるのです。





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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《8 / 18 💦 Sunday 》
 
🦅 昨日、<カクヨム>にて『まぼろしのフランクフルト中央駅』を発信しました。

 縦横無尽に 

 意識の中を駆け巡るのは 
 人の持つ感性なるもの



この世に、二つの世界があり。
それは、現実世界と仮想世界。

かつては、そんなバカなと思える仮想の世界が、詩になり、絵になり、物語になって、現実世界で堪能されていました。
今、 AIがその仮想世界を現実世界に組み込み、私たちはその境目さえも不明の中で、仮想世界で遊ぶことができるのです。

なんともややこしい時代になったものです。

しかし、仮想の世界、昔から、人間の中にある何かのスイッチに刺激を与えてきました。
想像というスイッチ、さらに進んで、創造というスイッチにも、時には、幻想に、あるいは空想のスイッチとなり、私たちを楽しませてくれたりもしているのです。

フランクフルトの革ジャン男も、我が庭の山法師の木も、そして、日本語の二人称も、すべて、私にとって、現実世界と仮想世界を行き来する契機となったものたちなのです。

下のリンク欄、一番上の<カクヨム>をクリックしてください。


【nkgwhiroの活動】

💝 <Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。 

                                            💝 <Amazon・Kindle>で書籍の販売を行なっています。 ただいま、『一日千秋ーある日ちあきと』を販売しています。値段は3ドル換算日本円になります。
 

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