恐ろしい行列と国の姿

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何気ない街角の風景です。
それもアジア的な風景です。
画家が描くパリの街角と違って、アジアの街角というのは、「雑多」なのです。
「混在」といってもいいかもしれません。
でも、画家たちは「雑多」や「混在」を嫌うのでしょうか、それをあまり描きたがらないのです。



 垣間見て、これは恐ろしいと思う写真を、時に見かけることがあります。
 先だって、その部類に属する一枚の写真を目にしました。

 道路を覆い尽くす人並み。
 人、人、人の群れが小さな町の通りを埋め尽くしている写真です。

 祭りではありません。
 政権に反対するデモ隊でもありません。

 「中米移民集団」なる人々の長い列です。

 その写真を見たとき、人の列というのは、これほどまでに強烈な印象を与えるものかと思ったのです。
 ホンジュラスを出発し、アメリカに移民をしようとする人々は、途中、グアテマラやエルサルバドルからの人々も加わり、七千人規模に膨れ上がっていると言います。
 メキシコ国境では衝突も発生。死者も出ているらしい……って。

 これらの国の経済力も政治力も、いささか心もとないことは承知しています。
 だから、その日の食べるものにも事欠くありさまであり、若い人々の働く場もなく、それゆえ、心も荒み、社会全体に暴力が蔓延し、子供たちは教育の機会さえも奪われていくのです。

 また、一方で、豊かな生活を謳歌する階級がこれらの国の富を一手に受け止めているということも漏れ聞くことです。

 自国が、暴力で支配され、働く場所もなく、だったら、多少とも金が稼げて、最低限であるけれど、それなりの生活ができる国へと行くという、いま、アメリカ合衆国を作っている人々が、その昔、ヨーロッパからアメリカに渡ったと同じように、今度は、列をなして、アメリカ大陸を北上しているのです。

 でも、トランプのアメリカが、新規の移民に対して厳しく対処しているのを知らないわけではないはずです。
 いや、もしかしたら、そんなことも、彼らは知らないのかもしれません。

 テレビニュースで見る彼らには、二歳の子供も混じっていました。朝から何も食べていないという言葉もありました。
 そうまでして、自国に愛想を尽かした人々は、きっと、ささやかな幸せを夢見て、歩いているに違いないと思うと、自然、同情をしてしまうのです。
 でも、目指すアメリカは、もはやオバマのアメリカではありません、トランプのアメリカです。

 トランプは、メキシコ国境への米軍部隊派遣を承認したと言います。
 トランプが高い壁を作って、不法入国をなくすと豪語しているメキシコは、この行列となってやってくる移民集団に対して、就労や医療面での支援をしようと対応していると言います。
 自国の国民さえも制御できない国が、救護を申し出ているのですから、なんとも不思議な感じがします。

 それにしても、トランプのアメリカを目指すなんて、不可解なことです。

 きっと、11月に実施される中間選挙へのなんらかのアクションが、<陰謀>として画策されているに違いないなんて邪推したりもしてしまうのです。

 この行列にトランプがなんらかのアクションを起こせば、選挙動向に多大な影響が出ることは確実です。
 ネットを使ったロシヤや中国の介入が、高度な技術を使った今時の選挙妨害であれば、これはオーソドックスな、いや、昔ながらの方法でなんらかの影響を与えようとする策略であると思ったりするのです。

 だとするなら、現状に不満をもち、なんとかしたいという人々の心を巧みに利用した、こすからい手段だと怒りさえも起きるのです。

 日本は島国です。
 ですから、かような出来事は、私たちの国では考えられないことです。
 かつて、ベトナム戦争で、アメリカが敗退をした時、北の政権に殺されると南の人々が木造船に乗って漂流したことがありました。
 ボートピープルです。
 彼らの何人かは、日本にたどり着き、難民として受け入れられました。

 そして、第二次大戦の末期、ソ連の条約破りで混乱に陥った満州から逃げる日本人移民のあの姿さえもそこに重ねてしまうのです。
 もちろん、私はそれを「本」でしか知りません。
 開拓地を逃れて、ある人は老人を置き去りにし、ある人は泣き叫ぶ我が子を自らの手で……、そんな悲惨な出来事が、私たちの国の歴史にもあったことを、そして、この行列と同じように、みすぼらしい姿で、しかも、前途に希望もなく歩くかつての日本人の姿を思い浮かべてしまうのです。

 この一枚の写真は、国というものがしっかりしていることが、国民を守る根本にあるのだということを如実に示していると、痛切なまでに感じるのです。

 日本を導く政治家たちが日本の未来を真剣に考えているのか、日本人として、厳しく判断をしていかなくては、悲惨な歴史が再び日本人の身の上にも起こりうるとこの一枚の写真から思ったのでした。



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ターンドアウト

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墨田の川で、船に乗ってみる浅草界隈の遠景もまた格別です。
こうして川の流れを見ていると、東京の川というのは意外に大きいと感じるのです。
この川が、江戸を支え、東京を作ったのだと、そして、テムズのロンドン、ハドソンのニューヨーク、セーヌのパリを思いやるのです。
そういえば、北京にはこのような都市を作った川がないと思ったりするのです。



 いつだったか、取っている新聞社の購読者プレゼントに当選し、中山競馬場のV-SEAT観戦席をいただいたことがありました。
 と言うことで、出かけていったのですが、競馬にはとんと無頓着で、何をどうしたらいいのか、まったくもってわからなかったのです。
 ですから、知人で、競馬に熟知している人物から、どうしたらいいのかを聞いて、電車を乗り継いで出かけていったのです。

 その席は、4階にありました。
 知人によれば、そこは、4コーナーからの直線コースを日本を代表する競争馬が疾走する緊迫のレースが楽しめると言うのです。
 なるほど、正面には磨き上げられた、そこにある景色を妨げる何ものもないガラスを通しての空間が広がっていました。
 それに、天井の高い、広々とした室内空間に整然と席が配置されて、私に与えられた席にも、モニターが置かれ、一日そこで競馬に浸ることができる環境が整備されていたのです。
 馬券を買いたければ、席を離れて、後ろに配置されている馬券売り場で買えばいいし、食事や飲み物を、家から持ってきてもいいし、近くにある売店で買って、そこで食べたり飲んだりもしていいのです。

 こりゃ、競馬好きにはたまらんわいと思いながら、でも、競馬を知らない私には、ちょっと、落ち着かない席でありました。
 何をしたらいいかわからないからです。
 私のリュックには、いつもiPadが入っていますから、絵を描いてもいいのですが、それをするのが、周りの熱心に競馬を楽しんでいる人たちからは嫌がられるでのはないかと自然とはばかれたからです。

 そのとき、知人の言葉を思い出しました。
 退屈したら、パドックに行って、レース前の馬を見ればいい、そして、どの馬が美しいか、速そうか、そんなことを見て、レースの勝敗を予想すれば面白いと言う言葉です。
 そこで、私はパドックなるところへと足を運びました。
 
 知人はその際もう一つ言葉を述べていました。

 馬は見た目がいいからといって速くはないんだ。
 だから、馬券を買って、儲けようと思ってはいけない。
 馬は、速くなくても、手入れが行き届いているか否か、それを実際に目にすることで、競馬場に行った価値が出てくるんだ。
 つまり、懐具合を左右する情報を手に入れるのではなく、日頃の憂さを晴らすための目の保養として、馬の洗練された姿を拝むのだと言うのです。

 競馬の世界では、それを「ターンドアウト」って言うんだとも言っていました。

 競馬がイギリスの特権階級の遊びだったことを思わせる名残だなと、勝手に一人で納得していたのです。
 なるほど、そう言うものかと思いながら、私はパドックに立ったのです。
 しかし、予想もしない事態が、私に起こりました。

 それは「匂い」です。

 馬の、つやつやしたあの肌から発せられる動物特有のあの匂いです。
 騎手や競馬好きの人間にとっては、この匂いは心地よいものなのかしらって、そして、かつて馬と共に暮らしていた武士たちもまた、この匂いの中で鍛錬に励んでいたことを思うと、きっと、慣れればそれは気にもならない匂いに違いないと心してそこに立っていたのですが、どうも、私には慣れ親しむことができない匂いのようです。

 昔、見た映画、そう、寅さんの映画でしたが、寅さんが北海道で<地道に>働くあのシーンで、あまりの匂いに、マスクをしていて、寅さんがマスクをはずすと、その両方のはなの穴にも紙が突っ込んであって、大笑いをしたことがありましたが、あれだって思ったのです。

 ですから、私、パドックもそこそこに、また、V-SEATのある4階席に戻ってきてしまったのです。

 馬はターンドアウト、見た目もまた楽しみだという知人の言葉を思い出しながら、それは人間様にも言えるなんてことを考えていたのです。

 人間というのは、見た目ではない、中身だとよく言いますが、いやいや、そのような偽りの言葉に騙されてはならないと、かつて、生徒たちに話したことがある自分を思い出していたのです。

 生徒たちは、制服を勝手にアレンジします。
 教師になりたての頃は、男子はダブダブのズボン、女子は長いスカートでした。
 茨城は、ルーズソックス発祥の地ですから、生徒の中には、なかなかの強者たちがいます。
 そして、時を経て、今度は女子たちのスカートは短くなります。
 そんな生徒たちが、推薦試験の面接に臨むのです。
 人間が人間を見るときには、絶対的に「見た目」なのだから、君たちはその独自の個性のために絶好の機会を失うことのないようにと、私は教師として指導の言葉を吐いていたのです。

 知人の言葉を使えば、ターンドアウトってやつだなと、私はシートに身を下ろして懐かしくその折の自分の言葉を思い出していたのです。

 見た目を良くして、チャンスを掴む、個性は覆い隠して、果たしてそれがチャンスになったのかしらって、あの頃の彼らは今、何をしているのかしらって。
 競馬場に行きながらも一枚の馬券も買わずに、昔の出来事に思いを馳せてきたのですから、まったくもって処置なしです。

 そんな1日もまた人生にあってもいいのだと、私は中山競馬場を後にしたのです。



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そわそわしてきました

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紐育ではありません。
お台場です。
ここにも、自由の女神がありました。
多くの中国からの観光客がこれを背景に自撮りをしていました。
彼らも「自由」を、心の底では求めているのです。
その力は計り知れません。
彼らの政権はそれを最も恐れていることも、よくわかる、そんな私には光景でした。



 先だって、何気にテレビを見ていた時のことでした。
 
 ある程度年齢のいった女性が、これまでヘアカラーで髪を染めていたをやめて、自然のままにしようと意を決したという番組を目にしたのです。
 いや、ヘアカラーの商品宣伝の番組ではないのです。
 ちゃんとした情報番組の中でのことでした。

 生え際に白いものが出てくると、気になりだして、居ても立っても居られない状態になり、落ち着かない。早く、染めないといけないと仕事も手につかなくなるというのですから困ったものです。
 そんなんだったら、染めるのをやめて、自然ままにすればいいって気づき、染めることもなく、グレーヘアーのまま仕事にも出ているって、そんなことを伝えていたのです。

 中国で、失脚した指導者が、久方ぶりに公判に出てきら際の映像が映し出されることがありますが、ほぼ例外なく、表情はやつれて、髪は白くなっています。
 よほど、公安の取り調べがきつかったのかしらと思うのですが、よくよく見てみると、権力闘争に勝利した共産党のリーダーたち、しっかりと毛髪を染めていることに気がつきます。
 白髪の共産党指導者など一人もいません。
 中国では、いや、中国共産党では、現役にしろ、役職を退いたにしろ、指導者たる者は常に髪は黒々としていないといけないという不文律があるかのようです。
 白髪混じりの指導者では、あの大国をおさめるにはおぼつかないと、中国人民は思っているのだと、かの国の指導者考えているようなのです。

 ですから、失脚した人々は、実は厳しい取り調べが原因ではなく、それまで染めていた髪を染めることが許されずに、あのような老々しい姿を、敵対する権力者によって晒されたと言った方が正しいようなのです。

 テレビに出ていたその女性の亭主も、染めて若々しく装うよりは自然のままにいる方が美しいと言っていました。
 でも、亭主が、白髪の女は嫌だ、女は若々しくなくてはならないと言っていれば、それはそれで考え方も違ったのだろうか、と思いつつも、自然であることは何よりも尊重しなくてはならないと、私は思っているのです。

 先だって、近くにある日用品を扱う店に出かけて、ちょっと高いシャンプーを買ってきました。

 それまで、私はボデイーシャンプーですべてをまかなっていたのですが、いよいよ、私の頭骸を防備する毛髪が勢いを失いつつあることに心配し始めたということです。

 長い間、教師をしていて、若い子たちと暮らしてきて、そのエネルギーによって、若さを維持してきたのですが、そこそこの年齢になって、わが黒髪も力を失いつつあるようなのです。

 ですから、丹念に商品の説明書きを読んで、髪を復活させる威力のあるシャンプーを買ってきたというわけなのです。
 
 そんな状況下にあった私でしたので、グレーヘアーを自然のままの姿として、あえて染めあげるのを拒む女性の出現に興味を持ったしだいなのです。

 我が先祖は、少なくとも私が知る前二代は、まごうことなきハゲ頭でした。
 ですから、私も、やがてはそうなると覚悟はしていたのですが、どうにかこうにか、教師をしていたおかげで、そこそこの年まで髪を失うことなくいたのだと感謝をしているのです。

 ですから、髪が生えてくるシャンプーなど、きっと焼け石に水みたいなものだと思うのですが、それでも、そうするには、やはりできることなら髪はあって欲しいと、あの女性のように自然のままにという心境には、私はまだ至っていないと思っているのです。

 最後の努力をして、それでダメなら、ショーン・コネリーばりのハゲ頭になろうと思っているのですが、果たして、そうなれるかな自信がありません。
 むしろ、二、三本の長い髪の毛を頭頂部にまで導き置いて、それでたくさん髪の毛があるかのように見せる未練たらしいハゲ頭の男になるのではないかと危惧も、実はしているのです。

 最近、あのマッカートニーの前髪が白くなっていることをYouTubeで発見ました。
 私よりもひと回りほど年長のマッカートニーですが、その若々しい姿にも、それなりの年齢の影響が出ていると、安心をしながらも、なんとうまくグレーヘアを見せていることかと感心をしているのです。
 
 若い時、彼が下着の上にジャケットを羽織ればそれを真似し、黒のスーツに茶の革靴を履けば、それと同じものを、イギリスに行っていたときに整えたりしていました。
 だから、年は経ても、彼は私にとって一つのありようを指し示してくれる存在にありますから、禿げる前に、少しでも彼のようになりたいと思って、このちょっと高いシャンプーを手にしたのです。

 でも、私には幸か不幸か白髪がまったくと言っていいほどないのです。

 ですから、前髪をグレイにすることは叶わないと思うのですが、それでも、私は、禿げる前にそれを願いつつ、近々、東京ドームで開催されるマッカートニーのコンサートに行くことに、急にそわそわし始めてきたのです。



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皆の髪の毛が伸び始めたきた頃の話ですが

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巷では、猪が随分と問題になっています。
私は、豚を店のイメージにするレストランでたまにランチをいただきます。
猪か豚かでイメージが随分と違ってきます。
人だって……、そんなことを思うのです。



 50年ほど前のことです。
 若者たちが巷に溢れて、自らの主張を誇示した時代がありました。

 皆の髪の毛が長く伸び始めてきた頃の話です。

 それは、何も、日本だけではありませんでした。
 フランスでは、カルチェラタンで学生たちがデモを繰り広げていました。フランス五月革命の狼煙があがったのです。

 アメリカでは、コロンビア大学の学生たちが決起しました。
 構内に立てこもる学生たちを排除する警察官、それに州兵たちの、学生に対する仕打ちのむごさがことさら強調されたクネンの『いちご白書』は映画にも、歌にもなって、先進国の若者たちを鼓舞したのです。
 
 いや、先進国ばかりではありません。
 中国では、紅衛兵たちが既成概念を打破すると立ち上がり、毛沢東から『革命無罪 造反有理』のお墨付きをもらって、大暴れしました。

 ことの良し悪しはともかく、あの強烈なエネジーは一体なんだったのだろうと、短くなった髪に手をやって思いやるのです。

 東京神田の御茶ノ水。
 そこにも、「解放区」が登場しました。
 学生たちが、自らの主張を誇示したのが、ここ御茶ノ水の学生街でした。

 高校生だった私は、あの界隈を放課後、よく歩いていました。

 電車で行けば二駅ばかりの界隈を、友人と遠回りして歩いていたのです。
 催涙ガスの立ち込める街を、レンガやコンクリートの破片が散乱する道端を、そして、かまぼこと呼ばれる警察車両がひしめく道端を、私たちは歩いて、少なからず感化を受けていったのです。

 あのジョンレノンだって、学生の被っていたヘルメットをつけて、そこに「叛」の字を見たとき、私は嬉しくさえ思ったのです。

 この私より三つ五つ年上の若者たちは、国家権力と対峙しながら、己の存在を問うているに違いない、これは、政治闘争であり、文化活動なのだと。
 
 今、あの熱気を帯びた政治活動兼文化活動は鳴りを潜めてしまったと多くの人は思っています。

 いや、そうではなく、形を変えて、それは若者たちの中にあると私は思っているのです。 
 何も、暴力を使って、あるいは、声高に意見を述べて、己を主張するばかりが能ではないと、今時の若者たちは、昔がたきの若者たちからきっと学んだに違いないのです。

 暴力は、常に、外に向けられるばかりではなく、内にも向けられるのが常です。
 とりわけ、政治的に先鋭化するとその傾向が強く出てきます。
 あの時代も、仲間内で暴力を振るう「内ゲバ」なるものが横行しました。
 若者が、同じ若者を叩きのめすのですから、それは恐ろしいことです。
 
 東大の安田講堂に学生たちが立てこもり、機動隊が大学の要請で出動し、その様子がテレビ中継され、私たちはそれをどんなテレビドラマよりも、映画よりも、歌番組よりも、熱中して見たのです。

 なぜなら、それは現実に日本の、東京の、私たちが暮らす街の片隅で行われていた闘争であったからです。

 そして、維新の折、上野で彰義隊が新政府軍とやりあった時も、きっと、同じようであったに違いないと。
 ただ、テレビ中継がないのだから、人々は、弁当を持って、あの界隈を遠巻きにして、見物していたに違いないと。
 日本の歴史の一コマを我が目に刻み込んでおこうと。

 冷静な大人たちは、急速な時代の流れが若者たちの心に、歪みに対する異議申し立ての機会を与えたと分析をしましたが、そんな高尚なものではないと私は思っているのです。

 如何ともしがたい状況の中で、何をしていいか、どうしたらいいのかわからないから、目の前にある規制のもの、それが大学、そして、時の政権であり、それらに対して、ものを言っただけだと思っているのです。
 ですから、あの時の学生たちは、時代が次のシーンに移っていくと、潮が引くように、あの熱気の中から去っていったのです。

 気まぐれな若者らしい熱のおびようであり、醒めようでありました。

 若者の誰もが、最初は、ノンポリなのです。
 ノン・ポリシー、すなわち、方針が定まらないのです。当たり前です。圧倒的多くの若者たちがノンポリであり、社会なるものに出て、その色に染まっていくのです。
 時に、大学の色に、時に会社の色に。そして、国の色に。

 その若者が、自分の意見を持つ、そして、主張するようになる。
 まさに成長の過程を目の当たりにするのです。

 あの熱気を帯びた時代の片隅でかじり取った雰囲気は、何を隠そう、私自身に多大の影響を与えていることに、半世紀を経た今、改めて、感じ入るのです。

 あの時代があったから、今があると。



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何処へ

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雷門の前の横断歩道を渡っているとき、ふと、目を川向こうにやるとこの景色。
西に傾きかけた太陽の光があのビルに当たって、黄金に輝いていました。
日本はやはり黄金のジパングだなんて。



 ちょっと、聞いてくださいな。
 なに、ちょっとした愚痴みたいなものなんです。

 トランプがアメリカを牛耳ってからというもの、アメリカのやることに世界は目を見開き、両手で口を覆い、挙句に、両の腕を大きく上にあげて、驚きを表してきました。

 当のアメリカ人はどうなんだろうかって。
 そんなことも思うのです。

 かの国は、民主主義の国です。
 民主主義というのは、行きすぎた政策を中庸に戻すために大きな力を発揮します。
 それが、独裁主義と異なるところです。

 でも、ちゃんとした選挙のできる国なのだろうかって、幾分の不安さえも感じるのです。
 ケネディや、キング、レノンの身の上に起こったようなことが起こりうる国だからです。

今も、オバマやヒラリーに何やら不審なものが送られて、FBIが政治テロとして捜査を始めたというではないですか。
 ですから、アメリカの民主主義に大いなる期待を寄せると同時に、どうしても、一抹の不安を持ってしまうのです。

 ある中国人研究者がアメリカの今のありようを「60パーセント現象」と言う言葉を用いて説明していました。アメリカに対する、その国の国民総生産がアメリカの60パーセントに達すると、アメリカは攻撃を仕掛けてくるというものです。

 六十年代、ソ連が飛躍的に発展し、アメリカのGDPの60パーセントに達した時、アメリカは経済、軍事の両面で、ソ連を徹底的に叩きのめし、長期戦略をもって、ついには、ソ連崩壊にまでつなげていったと。

 そして、八十年代には、日本が類い稀な経済発展を遂げて、日本列島全体の土地価格は、アメリカ合衆国全体を凌駕するまでになったのです。
 つまり、日本のGDPはアメリカの60パーセントを超える勢いになったのです。

 アメリカは、それゆえ、ジャパンバッシングを官民一体で繰り広げるのです。
 挙句に、日本経済はバブル崩壊にまで追いやられるのです。
 あれから、日本経済は鳴かず飛ばずといったテイタラクの状態です。

 そして、今、中国がアメリカの攻撃にさらされていると。

 ところが、ソ連や日本に対して行った攻撃を一点に集中する力が、今のアメリカにないので、アメリカは日本やオーストラリア、インドに、フランス、イギリスを使って、中国を攻撃していると言うのです。

 確かに、そう言われば、一理あるとうなづくことにやぶさかではありません。

 でも、不思議なんです。
 あれだけ、日米が口角あわを飛ばして議論したTPPから抜けても、人類の未来のため二酸化炭素の排出削減を取り決めたパリ協定から抜けても、いやきりがないくらい、トランプのアメリカは、世界の、それも自らの国が作ってきた機構を自らの手で破壊していても、批判はしますが、誰も、もうアメリカ抜きでやろうじゃないかって言わないのですから。

 アメリカが第一の味方とする日本も、究極の同盟国と言われているイギリスも、もうトランプとお付き合いするのはごめんだと決して言わないのです。

 きっと、いつか、それも早くて来年、遅くとも三年後、アメリカは自らが立ち上げた国際環境に立ち戻ると思っているからに違いないのです。
 これはいっときの嵐なのだ。
 抗っても仕方のないこと、だったら、雨風がおさまるまでじっとしているに限ると。

 偉大なる中華民族などと、時代錯誤的な言説を弄して、アメリカの弱みに付け込んで、振る舞ってきた国は、アメリカに関税戦争を仕掛けられ、あたふたとし始めました。
 こんな時は、いつも、日本が助けてくれると、あの仏頂面を消し去り、日本のお米は美味しいなどとおべんちゃらを使い始めました。

 人の良い日本は、あの醜い反日暴動を起こされても懲りずに、歩み寄って行くのです。

 イギリスは、隣の幾つもの国がひしめく大陸との間に一線を画そうとしつつあるのですから、日本も思い切って、隣にある大陸と一線を画してもいいのではないかと傍若無人の暴論を、私など展開をするのです。

 昔から、あの手この手で振り回されて、挙句に、歴史を忘れるななんて大上段から言われるのはこりごりだって。

 いっそのこと、同じ島国同士、手を組んで、アメリカとも中国ともこれまでの経緯を思い切り蹴飛ばして仕舞えばいいと。
 いや、なに、ちょっとした愚痴みたいなものなんです。





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チリーンと音する時代

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日の丸の帆を持つ千石船が東京湾に。
21世紀のいま、古式ゆかしい船体を見ることは新鮮な思い。
東京湾に浮かぶ連絡線、観光船、そこに集まる中国の人たちを見るのもまた新鮮。
そんな想いで、この船を見たのです。



 初めて、クレジットカードを手にした時のことを覚えています。

 カード会社から書留で送られてきたプラスチックでできた磁気カードを手にして、この信用ならざる「おもちゃ」なるもの、そう感じたことをです。
 ホノグラムがついていて、それなりに「格調」らしきものをまとっていますが、紙幣の持つ精巧さはないと感じたのです。

 しかし、そんな感想を持ったのはいっときのことでした。

 その後、カードは生活になくてはならないものへと変化していくのにさほどの時間はかかりませんでした。
 海外に行くと、このプラスチックでできたカードが何よりの身分証明になるのです。
 これがなければ、レンタカーを借りるにも、ホテルでチェックインすることも、容易ではありません。この一枚のカードで、ことはスムーズに運ぶことを思い知らされるのです。

 先だって、帰国するGOKUたちを送りに成田空港に行きました。
 ターミナルビルを出て、駐車場に戻る前に、精算機があります。駐車券を入れて、クレジットカードを差し込んで駐車料金を支払うのです。
 その際、そこに、ICチェックがあることに気がついたです。
 私は、ジーンズのポケットにあるiPhoneを取り出して、そこにかざしました。

 チリーンと軽快な音がして、支払いは完了したのです。 

 カードの時代も終わったなと、私はそのチリーンという音を聞いて思ったのです。
 そして、また、時代が一歩先へと進んだとも思ったのです。 

 私はコンビニやつくば市内を走る「つくバス」、東京に出るために使う「つくばTX」では、アップルウオッチに組み込んだスイカを使っていますから、お金を事前にいれておいて、それを使うという新しい時代の決済方法には慣れ親しんでいる部類の人間なのですが、今回の成田で、iPhoneをかざしての決済では、お金そのものではなく、カードも無用の長物になったことを実感した次第なのです。

 私の机の鍵のかかる引き出しには、これまで出かけた国のお金が入っています。
 アメリカドル、イギリスポンド、中国元、韓国ウオン、タイバーツとそれにもうどこの国かも忘れてしまった紙幣が無造作にしまいこまれています。
 
 先だって、ネットで、記事を読んでいましたら、偽札が結構あるんだというのです。もちろん、日本ではありません。
 中国の話です。

 中国銀行のATMでおろした札にも偽札が含まれているというのですから、どうしようもありません。
 北の御曹司の国では、意図的に他国の偽札を作り、大儲けをしているという話を聞いたことがありますが、日本円だけはそれがかなわないそうだというのです。

 国際通貨としての日本円ですが、これを偽造するには、相当な技術が要求されるというのです。
 日本円のお札、すなわち、「日本銀行券」は、極めて特殊で、高度な技術で作られているため、最も偽造が困難な紙幣のひとつであるのです。
 仮に、精巧に似せて、偽造しようとしても、コストがかかりすぎて、偽札として使うには割りが合わないというのですから、ちょっと自慢をしたくなるお札だと思うのです。

 今、世界はお金をなくす方向で動きがなされているといいます。
 
 だったら、私の鍵のかかる引き出しに収められているいくつかの国の紙幣はきっと骨董品となってしまうのかと少しく残念に思うのです。
 そればかりではなく、カードも消えてしまうんだと思うと、幾分、センチメンタルにもなるのです。

 思えば、古来から、人間はこのカードなるものを作り、時にはゲームに使い「カルタ」などとし、時には記憶するための道具とし小さな「カード」をめくり、医者はそれを「カルテ」として残し、絵を描く際には「カルトン」として画板として使ってきたのです。
 日本の神社に行けば、「お札」があり、御朱印帳に一筆もらい、価値ある、ありがたいものとして崇め奉ってきたのです。聞くところによれば、賽銭も賽銭箱ならぬIC読み取り機がそこに置かれて、チリーンと納めるようになるといいます。

 神社がそうであれば、屋台も、小さな店も、チリーンがない店には、きっと客はいかなくなるに違いありません。

 それまで、紙幣であったり、それなりのクレジットカードを自らの分身としてきた人間です。

 昭和初期、ぼろ儲けした成金が、自分の靴を探すためにお札を燃やして、その明かりで探したという有名なエピソードがありますが、そんなことはいかにITで儲けた成金でも不可能になるのです。
 ゴールドだか、プラチナだか、ブラックだか知りませんせんが、それを持つことで自らの虚栄を誇ってきた人間もいなくなるのです。
  
 チリーンは、誰彼構わず同じ音で、支払いを完了させるからです。
 それとも、その音を変えて支払いの価値を示す時代が来るのかしらって、ちょっぴり不安にもなるのです。

 年会費の高いカードは、チリーンではなく、カランコロンとか、人より格段の賽銭を落とす人には、コインのうるさい音ではなく、お札の静かな、そうシュッというような音を出す仕組みが登場するかもしれません。

 でも、皆等しく同じだと知らしめるのが新しい時代の決済であることは間違いないようだと密かに思っているのです。



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豊かで、素朴で、ありふれた街に暮らすアメリカ人

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重く立ち込める雲の、水平線の彼方を見れば、そこには夕景が。
東京湾の船上から見た光景。
希望がそこに見て取れた想いがしたのです。
何事も、悪いことばかりではない、事態は好転すると。



 泰山木という木があります。
 原産地は北米ですが、名前には中国の霊山の名が付けられているという珍妙な樹木です。

 泰山のように、そのくらい大木になり、葉も花も豪華絢爛につける大木なのです。
 いやはや、中国のアメリカ進出はここまでに至ったかと冗談をかましたくなるくらいの木ではあります。

 実は、私もその名に関心を持って、苗木を西の敷地に植えたことがあるのです。
 その葉は大きく、絶妙なてかりがあります。花もまた白く大きな形をして咲きます。ところが、この木、大きくなりすぎるのがちょっと気になります。
 我が宅の西の端で、あれよあれよという間に成長し、あまりの大きさに如何ともし難くなり、実は、根元から伐採したのです。
 今、我が宅の泰山木は、その根元から一本の芽が伸びて、それなりの枝ぶりになっています。
 この先端を切って、それ以上大きくしないよう管理しながら、花を咲かせたいと思っているのです。

 この泰山木、原産地の北米では、<Magnolia>って言います。

 糖尿病にかかり、それでも出産しようと頑張る南部女性を演じたジュリア・ロバーツが出演した映画『マグノリアの花たち』は、私の好きな作品の一つです。
<Magnolia>は、アメリカ南部でよく見かける花であるため、そのような題名がつけられました。
 
 アメリカ南部のごくありふれた、しかし、豊かな心を持つ人々を淡々と描いたところが、見ていて安心感を持つのです。

 日本映画が日々の生活への不安を煽ったり、日々の暮らしを茶化しすぎたりするきらいがあるのに辟易するのですが、この『マグノリアの花たち』は、登場人物が皆温かい人々なのです。

 ちょっと問題のある夫を持つ女性がその街の美容室に勤め始めるところから物語は始まっていきます。
 その顔には、端のとんがったメガネがあります。
 ビートルズがアメリカに旋風を起こしていた時、彼らに叫び声をあげて追いかけ回していた少女たちもまた同じようなメガネをかけていました。
 きっと、あのメガネ、その時代にアメリカに流行していたメガネだったのです。

 アネルという名のちょっと暗い経歴を持つ女性が美容院に入ったその日、近所に住むマリンの娘シェルビーの結婚式の日でした。そのため、アネルの店にマリンとシェルビーがやってきます。
 そこにやってきたのは、犬をこよなく愛す、ちょっと変わり者のウィザーでした。二人を見るなり、マリンの夫が街路の樹木に巣くう鳥を追い出すために銃を撃って、その音で愛犬が落ち着かないと文句を言うのです。

 世間によくある話です。
 しかし、ウィザーは近所の鼻つまみ者ではありません。マリンを始め、美容室の皆とも仲の良い未亡人なのです。

 これがアメリカ人の平生の姿なのだと、私、この映画をみて思ったのです。

 懸命に生きてさえいれば、誰もが愛の手を差し伸べ、言葉をかけてくれるのです。そして、身内として、心温かく迎え入れてくれるのです。

 ナショナルリーグの優勝を争うシリーズで、私はこれまでにないブーイングの嵐を目の当たりにしました。

 ドジャースの四番打者が、2回ほどラフプレーを演じたのです。
 それを憤っての激しいブーイングです。
 彼らアメリカ人はズルやイカサマに対しては激しい怒りを率直に示すのです。
 でも、時に、それは相手への敬意であったりもします。
 しかし、今回のそれまで耳にすることのなかった球場全体を揺るがすブーイングは敬意ではなく、極めて攻撃的なものでありました。

 きっと、アメリカが中国に対して、ロシアに対して、ブーイングをしているのも、相手への敬意ではなく、ズルやイカサマに対しであると思っているのです。

 『マグノリアの花たち』では、糖尿病のシェルビーが出産して子育てをしている最中に亡くなる設定になっています。
 悲しい、予想もしないドラマの展開でした。
 これほどまでに豊かで、素朴で、ありふれた街の中で、有りうべからざる出来事であったからです。
 
 でも、そうしたことは私たちの周りには必ず起こりうることでもあるのです。
 人々は、それを克服し、生きていかねばならない、そうしたことを教えてくれるのです。
 
 最後のシーンでは、一台の車が日常の生活の中を走っていく様が俯瞰されて映し出されます。
 死もある、わだかまりもある、でも、懸命に生きていくことに価値がある、そんな雰囲気をこの街を走る車が語っているように思ったのです。





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ちんけな第三ターミナルでの幼い男子たちの素晴らしい心意気

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泣くから抱かれているのか、それとも、抱かれたから泣いたのか、
赤児の気持ちは、誰にもわかりません。
ただ、夕景の中で、印象的な姿であったことは確かです。



 娘が、幼な子二人を連れてオーストラリアに戻りました。

 来る時は一つであったボストンバックが二つになり、預ける荷物の重さも15キロも増量となりました。
 来る時がそうであったように、今回も、福岡からゴールドコーストに帰る友人と打ち合わせして、同じ飛行機で帰ると言うのです。

 今回の友達は、GOKUと同じ幼稚園に通うKenちゃんの一家です。
 娘と同じ、二人の幼な子を連れて、亭主を残しての帰国だと言います。
 Kenちゃんのお父さんはオーストラリア人です。家も近くで、家族同士でお付き合いがある言います。

 成田の第三ターミナルに大荷物を引いて到着すると、ジェットスターのゴールドコースト直行便の搭乗手続の列にKenちゃんの家族はすでに並んでいました。

 でも、Kenちゃんらしき男の子は見当たりません。

 乳飲み子を胸に抱えて、心配そうに辺りを見回す母親の顔がそこにあるだけでした。
 娘が、私に、Kenちゃん、福岡からの飛行機で寝てきたみたいで、元気百倍だって、GOKUが顔を知っているから、探してきてくれるって、言うんです。

 えっ、GOKUと同じ年頃の子が行方不明って、私、思ったのです。

 第三ターミナルは、これでも日本の空港かと思うほど、狭く、ちんけなターミナルです。
 いかに格安航空専用のターミナルとはいえ、あまりにも他のターミナルとの差があるのです。
 天井が低いのが、貧乏たらしさを顕著に示しています。
 それに、駐車場から1キロほども歩かねばなりません。他のターミナルには自動歩道があるのに、ここにはありません。暑い夏は汗びっしょりになり、寒い冬には北風に晒されて歩くのです。

 成田空港が、評判を上げることができず、アジアの他の国の空港に、まして、東京湾に突き出た羽田空港に、ハブ空港としての地位を奪われつつあるのがよくわかる、それは「仕打ち」だと思っているのです。

 だって、海外に行くと言うことは、正規であろうが、格安であろうが変わりのない出来事で、むしろ、一昔前のように、特別なことではないのです。
 機内食だって、食べないのに料金を取られていたり、お酒だって、飲める人はいいけれど、飲めない人はそれさえも料金に入っているのではないかって思ったりするのなら、いっそ、格安のように、必要なものだけにお金を払うとした方が、そして、飛行機は電車や車と同じように移動手段に過ぎないと考えた方がスッキリとするのですが、成田空港にはきっとそのような考えがないのでしょう。

 旧態依然とした中で、差別化を行なっているとしか思えないのです。

 まぁ、そんな不平を言っている場合ではありません。
 Kenちゃんを探さなくてはなりません。GOKUにとって勝手知ったターミナルです。ほどなく売店の中を走り回っているKenちゃんを見つけ、二人は大はしゃぎとなりました。
 私は、うむも言わせずKneちゃんを抱っこし、GOKUを伴ってジェットスターのラインに並ぶ母親の元に連れて行ったのです。

 ところが、下に降ろすや、一目散にまた走り始めるではないですか。
 GOKUもその後に続きます。
 今度は春秋航空のある方向へと二人の幼な子が走っていきます。私はまた、その方へと二人の名を呼びながら走っていったのです。だって、もうすぐ、手続きの順番が近ずいているのです。本人がいなければ、手続きもできまんから。
 たくさんいる中国からのお客さんの間を「对不起、对不起」と言いながら、私はKenちゃんを確保し、GOKUの手を引いて、母親の元に連れて戻ったのです。今度は抱いたままです。手続きが終わるまで、大人の力で、Kneちゃんが嫌がっても力づくで押さえつけておかなくてはなりません。

 無事、娘も手続きを終えて、国際空港の華やかなラウンジとは思えない、まるで、学食のようなラウンジで、娘もKenちゃんのお母さんもひと段落です。
 幼な子二人にミルクを作り飲ませて、自分たちも腹ごしらをして、そして、やんちゃな男の子二人は、それぞれがiPadを手にして夢中になっています。
 隣では、中国人の若い女性が電話を使って明日の打ち合わせをしています。

 やはり、ここは国際線のラウンジだと思うのはこう言う時です。

 GOKUが母親からアンパンマンジュースを一つ渡されました。
 GOKUの大好きなジュースです。それを横目で見たKenちゃんが僕も欲しいと言い出したのです。一度言い出したら引き下がらないのがこの年代の子供です。

 すると、GOKUが、私には絶対にしなかった振る舞いに出たのです。
 大好きなアンパンマンジュースをKenちゃんに差し出したのです。
 もう一つあるから、これKenちゃんが飲みなって。
 GOKUって、そんなことのできる優しさがあるんだって、私思ったのでした。

 さっきも、Kenちゃんが逃げ回っていた時、ラインを仕切るロープを外してしまう、それをGOKUが直しては追いかけていたのを見ていた私です。
 我が宅に滞在していた40日間には見ることのできなかった大人びたGOKUの姿に、私は幾分感心をしていたのですが、大好きなジュースを友達に渡すことができるなんて、また違ったGOKUの一面を見たなって思ったのです。

 GOKUからもらったアンパンマンジュースをしばらく手にしていたKenちゃんでしたが、ほどなくして、そのアンパンジュースをGOKUに戻したのです。
 きっと、GOKUがとても大切にしている大好きなジュースだってわかっていたのだと思います。

 格安航空が集められ、ひどい扱いの成田空港の第三ターミナルで、私は、幼い男の子たちの、素晴らしい心意気を見たような気がしたのでした。



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「腰抜け武士」の遺した教え

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何を見たくないのでしょうか。
それとも、目もくらむ何かに、思わず、目を押さえたのでしょうか。
世の中の理不尽を、かような幼な子に知らせて、一体何になるというのでしょうか。
日本は、平和で安定した国ですが、いつ何時、それが覆ってしまうか、ちょっぴり、不安がかすめるのです。



 あなた方が世界を正しく導くというなら、それにも従いましょう。

 秩序を重んじ、平和のために手立てを講じるというなら、私たちはあなた方が採る政策に与したいと考えているのです。
 でも、あなた方は自分の意に沿わないと我が核心につけいるとは何事かと経済的な圧力をかけてくる。さらに、威嚇をしたり、こっそりと情報を盗みとったりする。
 一体誰が、そんなあなた方に尻尾を振りましょうか。

 慶應四年の皐月のうららかなある日にも、これと似たような言葉のやり取りがありました。

 場所は、新潟は小千谷の慈眼寺。
 対するは、長岡藩家老河井継之助と土佐藩出身二十四歳の新政府軍軍監岩村精一郎でした。
 河井継之助は、目の前の若き統帥を見て、敬意を表し、言葉を謹んで意見を述べました。

 「一方に、新政府あり、また、他方に瓦解した徳川あり。我らはこの二つの勢力の間に入って、天下万民が理不尽な戦で苦しまぬようにとりはからいたい」と。

 新政府は、いうまでもなく薩長を主体にし、欧米の兵器で武装した強力な軍を要し、何よりも、錦の御旗を掲げて、弓引くものは賊軍なりと豪語しています。
 瓦解した幕府軍は、それでも会津を中心に血気盛んなる侍集団を擁し、さらに無傷の海軍も保有しています。

 この二つの軍が真っ向からぶつかれば、多大な犠牲は避けられません。

 「今、あなた方は、強大な軍事力を持って、我が小藩を潰しにかかってきています。いくさは何としても避けなくてなりません。しばらくの猶予をいただきたい。これまで主君として仕えてきた徳川への恩を一朝にして捨てることは武士としてできないことくらい、あなたにもわかるでしょう」と、河井は岩村に言います。

 しかし、岩村は官軍を鼻にかけて、聞く耳を持ちませんでした。
 
 「あなた方が本当に官軍であるならば、我々はすぐにでも恭順をいたします。しかし、私には薩長土肥の幕府に対する私的制裁にしか、今回のことはおもえないのです。帝の師であれば、徳川から三百年にわたって受けたご恩を容易に捨てられないことくらいわかるはずです。」

 極力抑えたつもりの河井の言葉に激昂し、岩村は席を立ちます。

 「我らは、勅を奉じ賊を討つためにここにある。速やかに、恭順すべし。この上、論を左右するならば、兵馬の間にてことを決すべし」と。

 河井はできることならいくさは避けたかったのですが、この土佐の若造の思慮のなさを見て、やむなしと思ったのです。
 「我が長岡は小藩なれども、徳川の恩顧を思う義藩なり。大義のためには孤立をも恐れません。あなた方は、我が藩領を蹂躙し、我が藩民を惑わし、我が藩領の農事を妨げ、まさに奸賊である」と、静かに語ったのです。

 会談はものの三十分ほどで決裂、ここに「北越戦争」が始まるのです。

 新政府軍は、一両日で決着がつくと判断していましたが、長岡藩の抵抗は秀でていました。
 河井は、この日のために、ガトリング銃二門を用意し、また、ゲリラ戦法を取り、分散した新政府軍を包囲殲滅し、さらには、一旦は奪われた長岡城を「八町沖渡渉戦」と称し、奪還するのです。
 薩長の戦死者は一千人に上り、戦争は一ヶ月二ヶ月と経ていったのです。
 
 「八十里 腰抜け武士の 越す峠」

 これは、この戦で足に銃弾を受けて負傷した河井が会津に落ち延びる時に詠んだという自嘲に満ちた一句です。
 自らを「腰抜け」とするところに、河井の偉大さがあらわれています。

 人は、自らを「強大」としては立つ瀬がありません。
 常に、謙虚に、怒らず、義なるものを修めていかねがならないのです。
 歴史がそれを雄弁に語っています。

 滅び去っていったものは、皆、おごり高ぶり、いっときの栄耀栄華の中にあるだけなのです。

 「岩村」と同様、いまどきの奢った「国家」は、それでも、力に頼って、世界に君臨しようと足掻いていますが、慶應年間の岩村は、きっと、銃槍が元で会津で亡くなった河井の薫陶を密かに受けたのではないかと私は思っているのです。

 龍馬に憧れ、中岡慎太郎の陸援隊に入り、維新の激動の最中、経験も知恵も足りなかった若造が河井継之助という名うての侍に出会うことができたのです。
 きっと、そこから学び取ったのは、龍馬への憧れからは得られなかった、義を重んじ、それでも最悪の場合を想定し、周到な準備を怠らない河井継之助のありようだったはずなのです。

 明治二十年、石川県知事に抜擢された岩村は、新潟の渡辺譲三郎を農業指導員として招聘しました。

 渡辺の妻たみは佐野与惣左衛門の娘。その与惣左衛門の妻は河井継之助の姉になります。
 また、譲三郎の実父は、亡き河井継之助の遺族の面倒を見ていた森源三の兄一馬であるのです。

 きっと、岩村は河井から無形の教えを受けて、そうしたのだと思っているのです。





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隣地は借金をして買えって……

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空を真っ赤に染める夕日
これが筑波のお山を紫に染め上げて
つくばの街に大きなスポットライトを当てるのです



 取手の学校に勤めはじめた頃のことでした。

 ある教師がこわもての上司に、自分たちは「教員」なのか、それとも「教師」なのかと、夏の研修会の折に問うたことがあったのです。

 こわもての上司は、先生方をあごで使っていると、その質問した先生は考えていました。
 少しは、自分たちに敬意を示せって。

 こわもての上司は、先生方は、とりわけこの学校の先生方は「銀行員とか警備員とか、言われたことだけを行う<員>ではなく、自ら考えて、生徒のために尽くす<師>であり、「医師や技師」と同じように専門性を強く帯びた方々ですから、当然、「教師」であり、「教員」ではありませんと答えたのです。

 銀行員や警備員が、医師や技師、ましてや教師とは違って専門性がないと、昔も今も、私は思ってはいませんが、面白い喩えだと思っていたのです。

 「員」や「師」ではなく、「士」とつく人々もいます。
 弁護士に、税理士、それに、建築士など。
 
 それぞれの字に謂れがあり、歴史があり、それぞれに意味があるのだとは思いますが、あの先生は、自分が「教師」であると言われて、満足そうにしていたのを思い出すのです。
 きっと、こわもての上司が説明したように、自分たちは、生徒のために教え導く、専門的な職業に従事する者たちであるということに満足したのだと思うのです。
 ところが、先だって、珍妙な「師」に出会ったのです。

 「地面師」なる「師」です。

 学生の頃、近所に住む社長と懇意になり、彼の経営する人形町界隈の浴衣問屋でアルバイトをしていたことがあります。
 冗談か、本当のことかわかりませんが、この社長の一代記を聞いたことがありました。

 終戦直後、この辺りは焼け野原、空襲で役所の書類は焼けて、不動産登記も証明もままならない。登記簿に名を連ねていた人も、空襲で、あるいは、戦争で亡くなり、にっちもさっちもいかなくなり、まだ若かった社長は、早い者順で、この辺り一帯の土地をものにしたというのです。
 まるで、西部劇で、馬を走らせて、そこに旗を立てて、自分の土地とした、あの出来事同じことが東京の一角でなされたというのです。
 まゆつばものだとは思うのですが、話として面白いものでした。
 
 狭い国土の日本ですから、都心であれば、わずかな土地でも財産になります。
 社長の話は、まさに濡れ手で粟の一代出世物語と相成っているわけです。

 でも、実際、終戦後の期間、そして、90年代のバブル期にあって、この「地面師」たちが暗躍した時代があったというのです。
 終戦直後は、空襲で、書類も焼け、不確かな中で、それ幸いに、詐欺まがいに土地を転がした輩が多数いたと言います。
 バブルの頃は、土地の価格が高騰し、一億で買っても、翌週にはそれが二億になるという馬鹿げた時代が確かにありました。
 金の匂いを嗅ぎつけて、「地面師」たちはうごめいたというのです。

 しかし、今回摘発された「地面師」は、まるで、『スティング』ばりの算段をとって、大手の建築会社を騙したのですから驚きです。

 土地の所有者になりきる女を設定し、その代理人なる人物、物件を扱う業者もまた設定しました。さらに、土地の所有者が確かにその人物であることを証明するためにパスポート、実印と印鑑証明までも偽造したのですから、まさに、組織としての徹底した騙しのテクニックがそこにはあったのです。

 まさに、映画『スティング』ばりの仕掛けです。
 映画では、賭け競馬の設定ですした。
 強欲なギャングの親分を寄ってたかって騙すストーリーが面白く、観客として騙されることに面白さも感じたのですが、50億もの金を損失した会社にとっては腹立たしいことこの上ないことでしょう。

 それを商売にしている会社の人間をも騙すのですから、この「地面師」たち、名うての「師」であったのではないかと思っているのです。

 「教師」の「師」に、満足の表情を見せたあの教師には失礼ですが、「師」は同時に、「ペテン師」にも、「詐欺師」にも使われることを思うと、さほどありがたい名称ではないなと、今更のように思うのです。

 そんなことを考えていましたら、なんとか不動産のものと名乗る男の方が我が宅のチャイムを鳴らしました。

 我が宅の西、奥まったところ、南東は二階建てのアパート、その横には立派な一戸建てが、さらに、西には別に一件、新築の一戸建てがある、ちょっと日の当たりにくいあの土地が売りに出されたというのです。
 格安の物件なので、ぜひ、隣地である我が宅に買ってもらいたいと、その男は笑みを浮かべて言うのです。

 隣地は借財をしても買えって、そんな話を聞いたことがあります。

 土地が大きくなることで活用の幅が増えるとか、家庭菜園や駐車場としての活用も可能、それに、訳のわからない隣人が来るのではないかと言う不安もなくなり、第一、建物が建って風通しが悪くなる心配もない、そんなことから、この言葉があるようなのです。

 我が宅の隣地にまつわる「地面師」のあまりのタイミングの良い登場に、私もまた微笑んだのでした。

 くだんの「地面師」はそれを好感触と捉えたでしょうが、私の口から出た言葉は、「これだけあれば、我が宅はもう十分すぎるくらいです」と言うさりげない言葉であったのす。

 我が宅は、あの何十億もだした会社と違って、借金をして隣地を買うほどゆとりはないのですから、仕方ありません。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《6 / 17 💡 Monday 》
 
🦅 ただいま、<カクヨム>にて『ひとりっていいよな』を発信しています。

  世の中って
  理不尽なるもので
  満ち満ちているんだっ……



誰でも、社会的生活を営んでいれば、心苦しいことに出会うものです。
トップの解任、同僚との確執、職を辞しての新しき生活、そんなさまざまの体験がそれです。
人は、かくも争い、かくも世知辛い思いをするのです。
そして、大切なものをそこで失っていくのです。
失うことを、損得で測れることはできません。
失うことは、糧として、その人間に残れば、それでいいのです。
そして、若き人に、送ることができればそれでいいのです。


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❣️<Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。こちらもご訪問よろしくお願いします。
 

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