かぎろひの立つ見えて

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神田の書店街。
恒例の古本市。
何の目論見もなく、ブラブラと。
それだけで楽しいのだから。
それにしても、人が少ない。
本を読む人が少ない。



 早朝から取りかかっていた仕事が、思いの外に進捗し、私は満足感とともにそっと書斎にある窓を振り返りました。

 そこからは道向こうにある研究所のアカマツ林が見えます。夏場には、その松林を透かすように太陽の明かりが見えたのですが、十一月も末になると、東の空が明らむのもずいぶんと遅くなります。
 
 私、そうだ「かぎろひ」を見に行こうと、ふと思い立ったのでした。

 我が家から「東の大通り」を越えて、筑波山に通じる低地帯の境目、そこから朝日の昇ってくる様がとてもよく見えるのです。
 昨年の冬は、結構、それを見に早朝に出かけていたものです。
 この晩秋、初の「かぎろひ」を見るには、ちょうど良い頃合いだと自分に言い聞かせ、私は毛糸の帽子を被り、ダウンジャケットを着込んで、まるで、真冬の防寒姿で雪だるまのようになって、ガレージの横の扉からそっと外に出たのです。

 暖かい日の続く日々ですが、やはり、朝方は冷えます。
 足元から冷気が頭のてっぺんまで伝わってくるようです。
 「東の大通り」には、大型のトラックがかなりのスピードを出して走っていました。そして、遠くに見えるコンビニの明るい光を見て、なぜかほっとする自分がいるのを不思議に思います。

 なぜ、お前さんはそんなにまで人恋しくなっているのかって。

 程なく、住宅街に入ります。
 物音ひとつしません。まだ、皆、夢の中にいます。
 向こうに、目安になる、四本の、背の高い松の木がおぼろげに見えてきました。
 あそこを過ぎれば、東の空を一望できる丘の上につきます。

 <ひむがしの野に かぎろひの立つ見えて かへり見すれば月かたぶきぬ>

 ふと、心に『人丸』の歌がこだましました。
 柿本人麻呂を私は『人丸』などと呼んでいます。いや、私が勝手にそう呼んでいるのではなく、ある時代、彼はそう呼ばれていたのです。
 実に興味ある歌人で、梅原先生の『水底の歌』を読んだのはまだ私が十代の頃でした。
 その新進気鋭の学者であった梅原先生の説に、心をときめかせていたのを覚えています。

 しかし、そこに書かれていたのことなどもはやすっかり忘却の彼方に。
 ですから、私は単純にその語呂が誘う音から、その歌を心の中でこだまさせたのでした。

 かびろひには「炎」の字が当てられていました。
 炎のように、東の空が燃えるのです。
 朝の陽がそれとわかるように昇る前、陽は東のきわ一帯を真っ赤に染め上げるのです。
 今、真っ赤と書きましたが、正確にはそのような色ではありません。
 その色を的確に表現することは、どうも、私の語彙力では不可能なようです。
 
 ですから、<かぎろひ色>としておきます。
 その<かぎろひ色>の上には濃紺の空、さらには星の瞬きがいくつか見えるものの漆黒の空が広がるのです。
 そんな「ひんがし」の空なのです。

 丘に着く頃、空は変容を遂げ始めました。
 近くの農家の飼っている鳥がけたたましく鳴き声をあげます。まるで、静寂な空気を切り裂かんばかりの音です。私は、ビクッとして体を震わします。

 人は、夜が明ける時、「しらじらと」という言葉を使います。
 確かに、夏の夜明けのあれは「しらじらと」明けていくことでしょう。
 しかし、晩秋から冬にかけては、冷えた空気の密度も濃くなり、その濃い冷えた空気を通してみる陽の光は、決して、白々としたものではありません。

 ひんがしの空が、染まってきました。
 四本松のシルエットも一段と際立ってきました。遠く、筑波の山並みも同じです。
 「かぎろひ色」の空が、次第に東の方角を染め上げていきました。
 
 人丸は、宮廷歌人です。
 ですから、当代の帝のために、その繁栄を、そして、ここに至るまでの悲しみを歌った歌人です。この歌を詠んだときも、そうした思いを言葉に託していたと言います。

 単に、情景を謳うのではなく、帝の思いをそこに託しているのです。
 傾き落ちていく月、今まさに昇らんとしひんがしの空を染める陽を、亡き父君草壁とその息子軽皇子に当てているというのが通説です。
 
 子が親を思うこれは歌なのだと思うと、情景と相まって、切なささえも感じるのです。
 世の常とはいえ、人が心にもつそれは切なさです。
 そんな切なさを、人は飽きることなく、千年も繰り返しているのです。

 いや、それが人の道であると、その単純とも言える繰り返しが人の道なのだと、そう思うのです。

 そんなことを思うと、身近にある悩みとか、困った出来事など、取るに足らないものだと思うから不思議です。そんなことも、あんなことも、それを繰り返して、人はたった五十年の人生を、今は八十年にもなった人生を生きていくのです。

 <かぎろひ色>と背にして、私は月傾く方角へと向かって足を早め、帰途についたのです。



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事実は小説よりも奇なり

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幻想は時に人に危害を加えますが、時に人に素晴らしい力を与えてくれます。
しかし、それにしても、この世には説明のつかない話があるものだと、続く思うのです。



 空想科学的な物語が好きで、子供の頃から読んできました。
 ガリバーに、少年たちの漂流記。

 教師をしているときは、『桃花源記』の授業で、熱弁もふるいました。
 挙句に『風の島』などという本を出版したりもしたですから、その熱中ぶりがよくおわかりいただけるかと思います。

 拙著『風の島』では、シドニー発の旅客機が太平洋上のとある島の近くに不時着し、主人公が幸運にも生き残るという設定です。
 そして、その島に、あの零戦をベースにした「二式水上戦闘」を発見するんです。
 漂着した島を、「風の島」と名付けた主人公が、その島をあちらこちら巡って生きる算段を取りながら、今でも跳べるように整備されている二式水戦の秘密を探るのです。
 もちろん、売れるような作品にはなりませんでしたが、私としては大いに気に入っている作品なんです。

 見知らぬ場所に行って、見知らぬ人に会うなんて、空想科学の原点のような展開です。

 先日、CNNのサイトで、一枚の写真を見ました。
 ちょっと見た目には、河原か、海岸の砂浜あたりかのところで、一人の人間が右手を掲げている写真でした。
 その写真にコメントが付いていました。

 <津波被害の調査のため飛行するヘリに向かって弓を向ける住民>って。

 一体全体、何事かと一挙に興味が高まっていくのを感じました。
 そこはインドの北センチネル島という場所です。
 そこに暮らすのはセンチネル族という民族で、地元政府は、彼らの生活を尊重して、外部からの接触を禁止しているといいます。
 彼らは、私たちの世界との接触を断固拒否し、不用意に近づくと攻撃をしてくるというのです。
 部族としては、四百ほどの人口という人もいれば、数十人だという人もいて、詳しくはわからないというのです。
 その北センチネル島に、アメリカ人青年が上陸して、殺害されたというのが、その記事の内容でした。

 今時、マゼランが南の島に降り立ち、現地人に攻撃されたというような話があるんだと、すこぶる興味をかきたてられたしだいなのです。

 おとぎ話であれば、大団円に物語は展開するのでしょうが、このセンチネルの民の話は、どこか殺伐としています。
 この世界に、そうした外部との接触を断固拒否する種族は、百あまりあるといいますが、ジャングル奥深く、まだ確認されていないものを含めると、結構な数になるのではないかと思うのです。
 でも、空想科学的な範疇ではなく、非常に現実的で、しかも、恐怖を感じてしまう話です。

 事実は小説よりは奇なりとはいいますが、まことにその通りだと思うのです。

 先日、私は筑波山の麓に例のごとく愛車マドン号に乗って、秋陽の穏やかな陽射しを背に受けてツーリングを楽しみました。
 きつい坂は体力的に無理があるので、緩やかな坂道を進んでいきました。
 もちろん、初めて通る道です。
 道の両側のところどころに敷地の広い家があります。どれも、個性あふれる家です。
 生活を楽しんでいるなぁって感じさせてくれる家々です。
 どんな人たちが暮らしているだろうと。

 そんな豊かな光景を楽しみながら、ギアーを軽くして、私はせっせとゆるい坂道を上がっていったのです。

 途中、iPhoneで位置を確認しますと、この道は山肌をぬって、右へ右へと曲がり、私のよく知る平沢官衙の遺跡にたどり着くそんな道であったのです。

 よし、もうひと頑張り、この細い道を上がって、平沢官衙まで一気に下って行こうと、私はこぎ出したのです。
 道は車が通るような道ではありません。狭いのです。せいぜい、農家の軽トラックがやっと通れるそんな道です。しかし、道の両サイドは丁寧に刈り込まれ、生い茂る樹木はなく、見晴らしもすこぶるいいのです。
 後ろを振り返れば、筑波のあのツインサミットが見えます。私はペダルを踏んで、どんどんと進んでいきました。

 すると、ちょっとした小川に出たのです。
 そこには我が家の暖炉で使うような薪で作られた小さな橋が架けられていました。

 私はその流れる水の音、何よりも川の中の藻の絶妙に揺れ動く様に心を動かし、マドン号から降りて、橋の袂に佇んだのでした。
 これだけ綺麗な水の流れる小川が筑波山麓にもあるんだと、そして、手袋を外して、その流れに両の手で入れました。水は冷たく、サラサラとしていました。思わず、私は両手でそれをすくい、その川の水を口に含んだのです。
 さっと口中に清々しい感覚が走りました。

 竹で編んだ籠が流れてきたのが私の目に入りました。

 上流の方を見上げると、そこには竹やぶがあり、あたりとは違って鬱蒼としています。
 私は、その籠をすくい取って、もしかしたら、あの竹やぶの向こうに人家があって、これを誤って流してしまった人がいるのではないかと思い、それなら届けてやろうと、川沿いに歩んでいったのです。

 竹やぶは見た目よりは歩きやすく、誰かが通っている道らしきものがありました。

 薄暗い竹やぶを抜けると、目の前が開けて、草原が現れました。筑波の山の中にしては、意表をつかされる草原です。その草原の中に川の流れは続いています。私は奇妙な錯覚に襲われながらも、何かに引き寄せられるように川沿いの道らしき筋を伝っていったのです。

 やがて、一軒の藁葺きの家が見えました。

 きっと、あそこの家から、この籠が流れてきたに違いない、そう思って、私はこんにちはと声を出しながら進んでいったのです。

 すると、藁葺きの家の前で、一人の背の高い、しかも大辛の老人が、こちらを向いて、仁王立ちになりながら、右手を上げて、向こうへ行けと指図しているのです。
 明らかに、こっちへ来いではなく、向こうに行けというサインです。

 私は、手にした籠を高く上げ、ここに置いておくとサインを送り、引き返したのです。
 時折、振り返ると、その老人はこちらを仁王立ちになったまま睨んでいるのが見えました。
 私は、あの竹やぶを通り抜け、マドン号の置かれているあの橋のたもと戻ってきたのでした。

 数日後、私は秋の陽の穏やかにさす休日、あの道をマドン号で再び上っていきました。
 あの水の流れ、あの藁葺きの家、そして、仁王立ちで向こうに行けという老人のことが気にかかったのです。

 しかし、行けども行けども、あの小川と橋が見当たらないのです。
 私はiPhoneが示すように、平沢官衙に通じる坂道に出て、そこを一挙に下るしかなかったのです。



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謝罪を求める社会は住みにくい

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森の木
その中を歩くと気持ちがいいです。
近くに国立博物館の植物園があるんです。たまに出かけて、森の中を歩くんです。
つくばは空気もとてもいいのですが、ここはまたもっといいのです。
森の中ですから。



 先だってのことなんです。
 人並みに、私も、観光地筑波山に紅葉を見に出かけてきました。

 山の上があんなに人であふれかえっているのを見て、地元の山が賑わっているって嬉しいやら、反対に、なんでこんなに人がいるのって、ちょっと興ざめもしたりししていたのです。
 だって、ケーブルカーの山上駅から女体山の山頂に行く山道が行列なんですから嫌になってしまいます。
 
 途中、ガマ石があって、何人かの子供達が小石を投げていました。
 それでも、行き来する人に当たるというのでなかなかできないのですから、そこにいた子供たちはせっかくの楽しみを奪われて残念なことであったでしょう。
 子供というのは、ものを投げるのが好きです。そこに石があれば、そして、池があれば投げたくなります。
 人の通行の合間を縫って、子供たちが石を投げます。
 だから、危ないから気をつけてって、親たちが声をかけています。

 そこへ、二本のトレッキングステッキを操り女体山の方から降りてきたお歳の幾分いった風の男性がきて、「お父さん、お母さん、子供たちをよく見ていないと危ないでしょう」って、立ち止まって、そこにいた親たちをにらみつけて言うのです。
 そんなとき、日本人は、ごく自然に、すみませんと頭を下げてしまいます。
 きっと、子供の頃からのしつけのなせる技なんでしょうが、謝る必要などこれっぽっちもないと、だって、あの若い親御さんたちは注意を喚起していたのですから。
 そう、私、感じたのです。

 ちょっと、遠目にそれを見ていて、さほどに声をあげて、子供たちの行為を、そして、それを制止できないと勝手に判断してあのような声を出すのはどうかなって思ったのでした。

 私は、実際には出くわしたことはないのですが、電車の優先席に腰掛けている若い人にこれ見よがしに自己主張をする老人がいると言います。
 自分の権利を大上段に振りかざすだけではなく、その相手を執拗に攻撃をする人たちです。

 私、あのトレッキングステッキをついた老人にそれと同じ様を見てしまったのです。
 意地悪くいえば、あの混雑する山道で、これ見よがしにトレッキングステッキをカチカチ音を立て、降りてくる方がよほど危ないって。

 昔、老人は謙虚であった、混んでいる電車では迷惑にならないように振る舞い、ことさら人混みには出て行かなかった。自分たちはそれは楽しんできたのだから、今度は若い人たちが名所旧跡を楽しめばいい、そんな感じであったと、自分の祖母を見ていて思っていたのです。

 ところが、今の観光地には、老人が一杯です。
 素晴らしい老人たちがほとんどですが、中には、過剰に何かに反応する人たちがいるようで、ちょっと違和感を感じてしまうのです。
 
 そういえば、イタリアの高級ブランドのなんとかと言う会社が制作したコマーシャルが、中国人を侮辱していると不買運動が起こったと言う記事を見ました。
 二人の男性が中国語で謝ってるそんな映像も見ました。
 ネットで、その広告映像を見たのですが、箸でピッザらしきものを突っついて食べようとしている映像でした。
 どこが侮辱しているのかって、私、思ってしまったのです。
 私の感想と同じような人がその会社にいて、その批判に対して、その人が悪態をついたようなのです。ですから、火に油を注ぐ格好になり、炎上したと言う、どうやらそう言うわけなのです。
 
 そうそう、どこかの知事さんが仮装して、これまたどこかの知事さんが、褒め称えた一件もありました。
 母の慈愛という褒め言葉を使って、やんわりと要望らしきことを述べた、そんな感じの発言だったかと思います。
 しかし、女性の知事さん、かみついたのです。
 そして、要望を散らしながらも褒め称えたあの知事さんが謝罪をしたのです。

 母の慈愛と言われて、クレームをつけられては、いかなる言葉を使って賞賛してらいいか、困ってしまいます。
 
 時折、私は鈍感なのかしらって、思ってしまいます。
 呑気な奴で、相手の発する言葉の、そこに隠された悪意ある意図を理解しない大バカ者であるのかしらって、思ってしまうくらいなのです。

 人は、親しくなればなるほど、言葉は辛辣になり、冗談が過ぎて喧嘩にもなります。
 でも、それを許容して、おおらかに受け止めていくのが、私、人の暮らす社会でなくてはいけないと思っているんです。

 学校でのいじめ、時には、強くなれ、気にするなって、いじめられた子を激励してきました。 
 その子の中に、先生を使って、相手を潰しにかかる意図が見え隠れしていたからです。そうではなくて、自分が強くなって、悪意を受け止め、それを善意で返せって。
 しかし、これは、なかなかに難しいことでした。
 いじめられる側に立って、いじめる側を指導し、同時に、いじめられる側の心のうちに入っていくのですから。

 なんだか、大人たちのあれやこれやの謝罪を求めるような振る舞いにこそ、何か決定的な問題があるように思えて、私には仕方がないのです。



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眩いばかりのゆずにサンクスギビング

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あまりに紅葉が綺麗なので、バイクから降りました。
あたりを散策し、iPhoneで写真を撮りました。
すると、わがマドン号が紅葉したドウダンツツジの前でその白い体躯を伸ばしているではないですか。



 秋の収穫を祝う行事は、世界各地で行われていると思います。

 あれはイタリアでしたか大量のトマトを投げたり、アメリカの農夫たちが巨大なかぼちゃを作ってはそれを競う大会がありますが、あれなども秋の収穫を祝う、ある種過激な収穫祭であると思っているのです。

 私の印象の中でもっとも顕著なのが、ドイツの「オクトバーフェスト」というものです。

 かと言って、ドイツでそれを体験したわけではありません。きっと、東京のどこかで、それを模したビール飲み放題の行事に参加したことが印象に残っているだけだとは思うのです。

 アメリカの「サンクスギビング」など、そこに秘められた話を聞くと感動します。

 1620年、マサチューセッツ州プリマスに入植したイギリス人たち、その年の冬の厳しさに、多くの仲間を喪ってしまいました。
 翌年、近隣に暮らす原住民ワンパノアグ族から、この土地にあった作物とその栽培方法を教えてもらい、前年ほどの仲間の喪失は免れたと言います。
 ですから、入植者たちはワンパノアグ族の人々を招待して、ともにご馳走を食べたのが、その始まりだというのです。
 西部劇の影響で、インディアンを悪者扱いすることに慣れてしまていますが、こんな話を聞くと、ほのぼのとした気持ちになります。

 日本での「勤労感謝」はというと、これは法律でその趣旨が定められています。
 『国民の祝日に関する法律』で、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」こととなっているのです。
 ということは、秋の収穫に感謝する、世界に共通する祭りだということになります。
 多くの日本人は、秋の絶景を見に日本各所に出かけて、それを愛で、当地の美味しいものを食べて、秋の収穫の実りに感謝する、そういった日になっているのです。

 この秋の休日は、春のゴールデンウイークに並んで、人々が外に出るそうですから、春の日のあの連休に大渋滞にはまってしまった体験を持つ私は、以来、そのような日に出かけることにトラウマになってしまっています。
 ですから、自然の豊かなつくばの里でのんびりと暮らすことを旨としているのです。

 しかし、この日はもともと歴史的な謂れのある日でもあります。
 それは飛鳥時代、皇極天皇の時代から始まっていました。
 秋の収穫に感謝し、国を統べる神々に感謝し、国家としての蓄えを確固とするための祈りの場であったのです。

 その祭りが、今でも、勤労感謝の日、私たちが美味しいものを食べて、美しい秋の光景に心を穏やかにしたその晩、天皇陛下によりなされているのですから、すごいことです。

 なんでも、それは皇居にある宮中三殿に隣接する「神嘉殿」で執り行われるということです。

 天皇陛下は、純白の御祭服の装束をまとわれて、全国つづうらうらから献上された新穀を神々に供え、自ら食し、国民の安寧を祈られるというのです。

 儀式は、飛鳥のあの時代の作法にのっとり、かがり火だけの光の中で行われます。
 聞こえるのは、厳かに奏でられる雅楽の音色だけです。
 もちろん、暖房や足元を照らすライトなどはありません。
 天皇陛下は、その儀式を夕刻、と明け方の二回行うのです。
 
 今年も、天皇陛下は、この「新嘗祭(にいなめさい)」と呼ばれる祭事におつきになられたということです。
 これが今上陛下最後の新嘗祭になられます。

 その「新嘗祭」、かつては国家的行事であったのですが、日本が戦争に負けて、天皇家の活動が制限を受けた時に、政府はこの日を「勤労感謝」として、名を変えて残したのです。
 そうした歴史の変遷の中、天皇陛下が、それを営々と続けてこられたことに、私は畏敬の念を禁じ得ないのです。

 来年は、新しい天皇陛下がご即位なされます。
 ご即位あそばされた天皇が最初に仕切る「新嘗の祭」は、特に「大嘗祭(だいじょうさい)」と呼ばれます。
 
 これも、実に歴史的な移譲による祭事となるのですから、来年も注目していきたいと思っているのです。

 さて、私の新嘗の日はというと、あの柿を持ってきてくれた仲間が、大量の、今度は、ゆずを持ってきてくれました。
 その香りといい、ゆず色の肌艶といい、秋の感性に満ちた一つ一つでありました。

 これが私にとって、収穫の祭だと思ったのです。
 豊かな実りが、味覚・嗅覚でもたらされるのです。
 そして、手や腕を、ゆずの木特有のトゲで傷をつけながら、それを採り、皆に分け与えてくれるその方の心にサンクスギビングであるのです。

 心の温かさとゆずの香りに満たされた、新嘗の日でありました。



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何事も使いようですよ

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紅葉の美しさは、「彩り」にあります。
ですから、全山紅葉より、紅葉し始めの頃、紅あり、黄あり、緑ありの時にこそ、その「彩り」が見えて、素晴らしいと思っているのです。



 バカとハサミは使いよう、などと、現代では使うこともはばかれるようなことわざがあります。

 でも、単刀直入に、物事のありようを伝えていて、私など含蓄のあるいいことわざだと思っているのです。
 今時のワンコインで売られている安いハサミでも、その切れ味はなかなかのものですが、昔は、ハサミというのは、ともすると、切れ味が落ちてしまったり、留め金が緩んで、刃のかみ合わせが甘くなったりすることも多かったものです。

 しかし、そうそう安いものでなく、すぐに買い換えると言うわけにも行きません。

 だから、そんなハサミでも、力の入れ具合、ちょっとした工夫で切れるようにするのが、昔の人の知恵であり、そこに使い勝手の価値も見出していたのでしょう。

 同じように、能力の劣っている人でも、叱ってばかりではなく、使いようによっては十分に役立てると言うのが上に立つ人の役目だなんて教えていたのだと思います。
 何事も、それを使う人次第だという意味で、言葉の過激なわりには、ものごとの本質を言い当てているではないかと思ったりしているのです。

 最近のことですが、ちょっとした言葉の変更に、私、気がついたのです。

 政治の世界では、言葉の変更は重大事として、その政治家の進退にまで影響を与えるものです。
 ある政治家が過去言っていたことと現在のありようの整合性を問われて窮地に陥ったなんて話、つい最近も聞いたような覚えがあります。

 でも、私が気がついた言葉の変更について、国会ではあまり論議されていないので、野党の先生方あまり重視していないようで、私、少々、がっかりしているのです。

 で、その言葉の変更とは何かということですが、今から二年前、我が国の首相が提唱した「インド太平洋戦略」という言葉なのです。
 トランプがこの言葉に乗っかり、一挙に、この言葉は「一帯一路」に対する<対義語>としての意味合いを強め、今や、国際政治を語る上で欠かせない言葉となりました。

 中国の膨張を抑えるために、価値観を共有する日本、アメリカ、オーストラリア、インドが中心になって、太平洋を国際法が守られる海にしようというのですから、その理念はまことに素晴らしいものです。
 何より、日本発信の理念が言葉となって、それが国際政治のキーワードになっているのですから、すごいことだと思っているのです。

 かつて、「大東亜共栄圏」という言葉がありましたが、今回のこの言葉は、自由で、公平で、ピースフルな理念で、その点でも好感が持てて、私は大いに満足しているのです。

 ところが、八月に開催されたASEAN地域フォーラムあたりから、この言葉のある部分に変更が見られたのです。

 戦略=sterategy から、構想=vision に言葉が変化していたのです。
 ASEANの国々から、sterategy とは、軍事用語である、相手を戦略上うちのめすと言った感触が伝わり、諸手を挙げて賛同しにくいというのです。
 さらに、そうした言葉を使えば、あの中国が反発をして、何をしてくるかわからない、日本のように、根気ある対応ができる海保もないし、相手国が何かをしてくるのを阻む自衛隊のような優れた組織もない、だから……というわけであったのです。

 だったら、意義あるこの理念を、もっと多くの国に認知してもらい、参加をしてもらうことの方が大切というわけで、vision に取って代わったというわけです。

 まさに、言葉は使いようというわけです。
 何も「戦略」にこだわって、中国との軋轢や価値観を共有する国の躊躇を誘うことはないのです。

 日本も、ずいぶんと柔軟にものごとを捉えることができるようになったのだと、感心さえもしたのです。

 ロシアが、仮に、歯舞色丹を日本に返したときに、あの島に米軍基地を置かないよう文書で確約をとるというような記事がありました。
 ちらっと見ただけで、詳しいことはよくわからないのですが、あの千島列島は、ロシアにとっては、アメリカの強力な艦隊からロシアを守る盾のようなものなのです。

 ですから、択捉や国後といった大きな島が日本に返却されて、そこにアメリカ軍が入ってくれば、あの鉄壁の防衛ライン千島列島に風穴が開くことになるわけですから、おいそれと返還はできないというわけなのです。

 ロシアの側に立てば、当然の帰結です。

 だったら、返還された島々には、軍事基地は置かない、日本とロシアの平和の島にすれば良い、そのためには、例えば、<千島構想>なるものを打ち上げて、そこを平和の島、日ロ共同のこれまでにない統治を目指す島にすれば良いなんて、私など安直に考えてしまうのです。

 いや、言葉を軽々に扱っているわけではないのです。
 言葉の扱いは、あの「バカとハサミは使いよう」だと思っているのです。

 トランプが、あれは sterategy でなくてはならぬと言ってきたら、あれは sterategy だと言っておけば良いのです。
 そのくらいの度量がなくては、日本は自国を守ることができません。
 トランプが、米軍の駐留に対してもっと金を出せ、武器を買えって言ってきたら、言葉は、こう反応しなくてはなりません。
 アメリカとは世界一の同盟関係を築いているなんて政治的四方八方丸く収める玉虫色の言葉ではなく、日本は何千億円という税金をアメリカに払って、彼らを「雇用」していると、そう思うような言葉を作り出して、そのことを正当化していけば良い、そんな風に思うのです。

 世界の政治は、日本が真っ当にものごとを捉えるのとは異なり、極めてあくどい形であるのですから。

 見てごらんなさい。
 かつてのソ連は日ソ中立条約を破って一方的に攻め込んできたのですよ。
 あれだけ毛沢東の中国を支援し、友好関係を重視してきたのに、暴動と威嚇を彼らはし続けているのですよ。 
 すぐお隣の国も国際慣例を無視しての行いに出てきますでしょう。

 日本は、今、本当に「バカとハサミは使いよう」で行かなくてはならないって、真剣に思っているんです。



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義と利のはざま

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木漏れ日
それは秋に似合う
葉を落とした枝の隙間から
青い空と一緒に
陽の光を見るのだから



 義ーそれは人間が人間としてあるべく、長い年月の中で、定めた概念です。
 
 孟子は、羞悪の心が義の端なりと述べています。
 羞悪とは、良くないことをする心を恥じる心性を言います。

 井戸に落ちそうな子を見たら、誰でも救いの手を差し伸べる、その心こそが人に宿る優しい心のありよう、すなわち、「義」であると思うのです。

 でも、人間の世界では、やり過ごしたり、見て見ぬ振りをしたりすることがままあるのも事実です。
 そのようなことは往往にしてあります。 
 いや、むしろ、そのことの方が多く見られるのです。
 
 たまに、川に流された子を救い、自分は溺れ死んだとか、強盗を見つけて、格闘の末捕まえたが怪我を負ったと言う話を耳にします。
 このような人こそ、己の利を考慮せずに、立ち居振舞う「義人」であると感じ入るのです。

 なかなかできることではありません。

 私など、釣り場にいて、万が一、隣で釣りをしている人が海に落ちてしまったら、何も考えずに海に飛び込み、助けに行くことができるかって考える時があります。
 考えるのですから、当然、己の心にためらいがあるのです。
 
 そんなことを考えていくと、「義」の反対は、「利」だと、心底、痛感するのです。

 人の心の中に、「利」なる方向性を持つ観念が確かにあるのです。
 例えば、宝くじです。
 宝くじは、義とか利とかには関係のないものですが、それを買ったとき、己の心の中に、「利」なる気持ちが働くことを誰しも感じたことがあるはずです。
 当たりもしないのに、大金を手にした時のことを思い、しばし、妄想の中に自分を置いてしまうのです。

 その時の、心を分析すると、そこに良いことをしようととか、人のために何かをしてやろうと言う気持ちを上回って、己の固有の「利」だけが、己の心を闊歩していることに、ハッとさせられることがしばしばあります。

 先だって、会社を建て直したと評判のブラジル人が逮捕されました。
 
 あれだけ、報酬を受けているのに、それでも、旅行や住まいといったプライベートに必要な金を会社の会計でやりくりするものかと呆れかえっているのです。
 しかも、あの会社の業績回復は、何万人もの従業員のリストラで成したものです。

 それを、マスコミも、経済界も、政界も諸手を挙げて祝意を示していたはずです。

 人は、人がやらないことをやったことに対して、驚嘆します。
 だから、あの方のやったことは、日本人ができなかったことをやったと言う点で、そして、破格の報酬を受けることに胸を張ったということで、しかも、何らの臆することもなく、びっくりするような報酬を受け取ったことに、彼らは驚嘆をしたのです。

 厚顔無恥な振る舞いも、驚嘆すべきありようであれば天才的な業績として評価されるのです。

 だからといって、マスコミも、経済界も、政界も責めることはできません。
 ただ、人を見る目を持てなかったことを恥じ入り、そっと布団を被っていればいいと思うのです。

 それなりの地位にあると、経費で落とすことに何らの違和感を持たなくなります。
 いや、むしろ、自費で何かをすることが馬鹿らしくなり、何でもかんでも、これは会社のためにやっていることだからと伝票を切ってもらう、そんな気持ちが普通になっていくのです。

 私の上司に、公立学校の校長を退職し、生徒募集のためだけに私学に雇用された事務長と言う役職を与えられた方がいました。
 私が車を運転し、彼を連れて、中学を廻るのです。
 その彼が、いつも、出かけた折には、昼食に、まだ若い私が食べることのできない、豪勢な寿司をご馳走してくれるのです。
 そして、支払いは自分のポケットマネーです。
 当時の学校の仕組みでは、募集活動中であるので、伝票を切れば、その金額は出ることになっています。
 しかし、彼はそれをしないのです。

 「決まりはそうであっても、それは辻褄が合わないだろう。自分たちの昼飯代くらい、自分で出さなくては、バチが当たる」などと言うことを述べていたことを覚えているのです。
 ですから、私もそう言う身分になった時、そうしていたのです。
 自分の下についた者が私に問えば、あの事務長が言ったと同じことを言って。

 人は、よほどの金を手にすると、不思議なことに「ケチ」になるものです。
 
 それは、「義」より「利」が、その人の心に重くはびこってしまうからなのです。
 それはまことに恐ろしい人の心のありようです。

 まもなく、人の心の優しくなる師走を迎えます。
 私の心の中に巣食う「利」なる心が、むくむくと起き上がらないよう、「義」なる心性から道を外さないようにしていかなくてはと、私は、新聞のあまりに恥ずかしい人間の行為を綴った記事を見ながら、己を戒めるのです。



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奴は虎の尾を踏んでしまった……

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iPhoneに入っているフライトレコダーというアプリによれば、この飛行機はインチョンを飛びだって、ロスに向かうコリアン・エアということになります。そんなことを知ると、空を仰いで、湿気のある空に、飛行機雲を残して飛んでいく飛行機もなんだか身近に感じます。


 快晴のゴールドコースト国際空港を、朝の便で離陸します。

 しばらくはオーストラリアの東海岸沿いに、ジェットスターの機体は成田に向かって飛び続けます。
 やがて、大海原だけが視界に、珊瑚海と名付けられた海です。
 さらに、しばらく飛ぶと、いくつかの島、そして、大きな陸地が見えてきます。
 PNG(パプア・ニューギニア)です。

 このあたりのどこかに、あのラバウルもあるんだと、私、飛行機の窓から、一人研究している珊瑚海海戦のことを想い、ラバウル航空隊のことを想うのです。

 北に向かっていく飛行機の右側、もちろん、視界を確認することはできませんが、その向こうには、ソロモン諸島があり、さらには、バヌアツ、フィジー、トンガと島嶼国が連なっているはずです。

 ソロモン諸島の端には、ガダルカナル島があります。

 あの戦争のおり、日本軍が侵攻したのがソロモンのラバウルであり、ガダルカナルであったのです。さらに、フィジーにまでの進軍を意図しましたが、それはかないませんでした。
 ガダルカナルでの激戦で、日本はアメリカに屈してしまったからです。

 あの時代の日本軍が何故、ソロモン諸島にまで軍を派遣したのか。
 いや、実は、ガダルカナルに派遣されたのは、つるはしを持った作業員がほとんで、軍を派遣したと言うような大げさなものではなかったのです。

 二千名ほどの労働者たちは、人力で飛行場を作らんがためにガダルカナルに入ったのです。日本には、まだ、ブルドーザーという機械はありませんでした。

 それを防備監督する兵士は、わずかに三百でありました。
 三ヶ月後、工事は終わり、日本軍はそれを「ルンガ飛行場」と名付けました。

 このことをオーストラリアからの情報で察知したアメリカは、戦略的危機感を持ちました。

 ハワイの太平洋艦隊、それにアメリカ西海岸海軍基地とオーストラリアのルートが遮断されると言う危機感です。
 そうなれば、南太平洋は日本軍に制空制海権を奪われて、オーストラリアは孤立をしてしまう。
 アメリカも、南太平洋を手放さなくてはならなくなる。

 これは、自由と民主を第一にするアメリカにとって容認しがたいことであると判断されたのです。
 ですから、アメリカは太平洋にある全兵力をガダルカナルに集中させます。

 屈強で優れた戦闘力を発揮する第一海兵師団を中心として、二万人に及ぶ兵力を投入、加えて、三隻の空母を軸に、戦艦、巡洋艦、駆逐艦など五十隻近い大艦隊を編成、さらには、三百機に及ぶ航空部隊も編成し、ガダルカナル島の奪還にあてたのです。

 ルンガ飛行場は、侵攻してきたアメリカ軍に奪われ、名を「ヘンダーソン飛行場」と改められました。
 今、ここは「ホニアラ国際空港」となって、平和の中で多くの観光客を受け入れているのです。

 しかし、今また、南太平洋のこの一帯で、ひと騒動が起ころうとしています。

 PNGで開催されたアジア太平洋会議では、ついに、首脳宣言が出されることはありませんでした。この会議が始まって以来の出来事です。
 原因は、もちろん、アメリカの副大統領のペンスの思いのほかの強硬な発言です。

 アメリカは、かつての日本がガダルカナルに工兵を派遣した時同様、中国の進出に強烈な戦略的危機感を抱いているのです。

 バヌアツには、港の建設が進み、ゆくゆくは中国海軍が基地を作るのではないか。
 フィジーでは、すでに中国海軍の軍艦が寄港し、軍事交流がなされているのです。

 中国からすれば、この南太平洋の島嶼国は、南米各国から中国十億人超の人民を養う穀物を輸入する大動脈であるのです。そこを断たれたら、まさに国家存亡の危機となるのです。
 しかし、アメリカからすれば、八十年近く前、日本軍が意図した、アメリカーオーストラリア分断工作にほかならないのです。

 アメリカという国は、自国の防衛に関しては、実に緻密なプランニングを練り、それを確実に実施する国です。

 相手を敵と認めたなら、その敵が消滅するまで、根気よく対し、いざその時になったら、徹底的に破壊の限りを尽くします。
 それは、アングロサクソンが持つ血筋のなせる技でもあるのです。

 二千の工兵、それを守るための三百の兵士たちに対して、二万の精兵、五十の戦闘艦、三百の航空機を投入するのは、まさに、その血と自国を防衛する生命線は何としても守り通すという確固としたプランニングがあるからなのです。

 そんなことも知らずに、王毅という中国の外相は、あの知ったかぶりの顔で、「ほんの一部の国が文案押しつけた」と遠回しにアメリカのことを批判したのです。
 ペンスの単刀直入な言葉に対して、なんと、遠慮がちで、同時に、横柄な言い回しでしょうか。
 だから、そこに、かえって醜い尊大さえ感じてしまうのです。
 
 果たして、この王毅の言葉が、近々予定されるトランプ習近平会談にいかなるおもしになっていくのか、私、南太平洋のあの雲の下に見えた島々を想い出しながら、見ていこうと思っているのです。



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リンゴが美味しい季節に

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港の出入り口のその向こうの空に
ずいぶんと興味深い
雲が浮かんでいました
いや
どうってことない雲なんですが……



 An apple a day keeps the doctor away.

 これは、私が初めて長期にわたる海外での滞在をした時に、ホームステイ先のヒューさんからおそわった俚諺です。
 りんごは、1日に一個食べれば医者は要らない、と言うものです。

 ヒューさんに連れられて、アデレイドのりんご農家に行ったことがあります。
 丸ごと一個、と言っても、日本のりんごに比べれば一回り小さい青いりんごでした。それを何やら圧縮機の中に入れて、自分の力で押すのです。
 すると、りんごはジュースになって出てくるのです。
 そのジュースの美味しいことと言ったらありませんでした。

 それまで、あまりりんごを好んで食べていなかった私ですが、このことで、一挙に、りんご好きになっていったのです。
 
 ヒューさんの奥さん、ダイアナさんは毎日生徒たちが通っている学校に出かける私にお弁当を作ってくれました。
 おかしなことに、毎日、寸分違わず同じ弁当でした。
 薄切りの食パンにバターを塗って、そこにロースハムをはさんだサンドイッチが一つ。
 それに、丸ごと一個のりんご。

 朝は、コーンフレークだけですから、随分と腹をすかせていたことが、私には、今でも印象強く残っているのです。

 さらに、おかしなことに、オーストラリアでは、イージーティとか言っていましたが、週に一回、実に簡単な夕食で済ますことがあるんです。
 そうでない夜も、決して、豪華なサパーを支度すると言う姿を実は一回も見ていません。
 中には、キッチンが汚れるからと油を使った料理はしないと言う方もいるそうですから、油料理の好きな私など困ってしまいます。
 彼らが豪華な夕食をとると言うときは、自分が持っている最高の衣装に身を包み、外に出て、高級なレストランでそれをとると言うことなのです。

 ヒューさんのところでは、かぼちゃのスープだけが、そのイージーティなる夕食の定番でありました。

 日本人は、夕食にかなりの量を食べる傾向があります。いや、朝食だって、腹いっぱいに食べないと仕事に差し支えも出ますから、きっと多くの人がお腹一杯食べていると思います。
 しかし、オーストラリア人はそうではなかったのです。

 ですから、一ヶ月ほどの滞在で、帰国した時、私の厳しい上司は、私がすこぶる痩せてしまっているのを見て、意外なことに心配をしてくれたほどなのです。

 あの時から、もう何十年も経っていますが、私は毎日一個のりんごを欠かさず、ほぼ毎日実践しているのです。
 夏の季節、日本のりんごはなくなりますが、ニュージーランドから、私がジュースにしたあの小ぶりの青リンゴがスーパーには並びます。
 それを皮ごとかじっているんです。
 この季節には、日本のりんごがあちこちのスーパーには出回ります。
 
 なんでも、上海や香港あたりでは、日本のりんごは高級品だそうで、豪勢な包み紙でおおわれて、後生大事に売られていると言います。 
 フランスから日本の著名なホテルで働いているシェフの言葉を、何かの折に読んだことがありますが、彼曰く、日本の果物は、世界一だって言うんです。
 甘さと言い、外の皮の美しさと言い、非常に丁寧に作られていて、見た目にも素晴らしいって。
 だから、りんごを使った料理は、フランスよりも、日本が一番上だって言うんです。

 中国の人たちにも、日本の果物の素晴らしがわかるようで、高級であればあるほど、彼らはそれを買って、自宅で食しているのですから、嬉しい限りです。

 ロンドンのパブで、シードルという酒を飲んだことがあります。
 大きめのワイングラスになみなみとつがれたもので、店の人は「サイダー」なんて言っていました。
 果汁にしたりんごが発酵して、アルコールと炭酸ガスに変化した発泡酒になるのです。
 アルコール度数はワインに比べれば低いようですが、私はいい気分になったことを覚えています。なにせ、元はりんごですから、ほのかな果汁の甘さがあり、実に飲みやすいものですから。

 だから、ある時のロンドン滞在中は、「サイダー」は私のパブで注文する唯一の飲み物となっていったのです。

 もう、外の木々はすっかりと紅葉し、我が宅の花桃はその葉を散らし始めました。
 今年は少し遅い木枯らしも、もうまもなく吹くことでしょう。
 あの冷たいつくばおろしの風が吹く季節が到来するのです。

 そうだ、クリスマス・カードを用意しなくてはと、師走になれば、きっとヒューさんとダイアナさんからカレンダーとカードが送られてくるに違いありません。
 昨年は、団扇を送りましたから、今年は何にしようか、あの暑いクリスマス、お正月を過ごす彼らに送るものを見つけてこなくてはなりません。

 可能ならば、日本の美味しいりんごを送りたいのですが、それはかないませんから……。



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陽の光が射してくる迄

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水路
ここは土浦の港
霞ヶ浦に出るためにどうしても通らなければならない路
静かにゆっくりと波を立てずに船は進むのです



 今、私が仕事で使っている MacBook Pro は、学校に勤めていた時から使っていましたから、もうかれこれ七、八年になる代物なのです。

 それでも、アップルはまだ、最新のOSを提供してくれますから、あと二、三年は使えるのではないかと思っているのです。いや、しっかりとした作りになっているマシンですから、もっと持つのかも知れません。

 でも、仕事に使っている以上、これが突然反応しなくなって、何らかの支障が出ることはなんとも避けたいと思っているのです。

 製作したデータは、アップルのクラウドにそこそこの金額を払って蓄積していますから、データが消失してしまうということについてはまったくの心配をしていないのですが、万が一にも、MacBook Pro が耐用年数を超えて動かなくなってしまうことを懸念しているのです。

 そうなると、急遽、新しいMacBook Proを発注しても、それが到着する二、三日、私は仕事ができなくってしまうということになります。

 ですから、私、いくばくかの予算を計上して、ちょっと大げさかも知れませんが、人生最後になるかもしれない 新しいMacBook Pro を購入しようといろいろと算段をしてきていたのです。

 そんな折です。
 iPad Pro 2018 がちょっと遅れた新製品発表会でアップルから出されました。

 ホームページを見ますと、パソコンになりうる iPad Pro をうたっています。さらに、その手の評論家も確かに、そのようなことが可能であると書いています。
 二十万を超えての予算を費やして、MacBook Pro にするか、それとも、五万ほど経費節約できる iPad Pro 2018 にするか、いつものように、しばし、悶々とする日々を過ごしていたのです。

 で、結果はどうなったのかと言いますと、iPad Pro に、私は軍配をあげたのです。

 というわけで、私の机上には、これまで絵を描くのに使っていた 小型の iPad Pro と並んで、バージョンを上げた大型の iPad Pro が仲良く並んでいるといった具合になっているのです。

 なんでも新しいものを取り揃えるという父親譲りの良からぬ癖が一向に改善されないことを、心の片隅で嘆きつつ、iPad Pro 2018 を膝に置いて、それまで MacBook Pro でやっていたように、午後のひと時を暖かい日差しの差し込む書斎で活動をしているのです。

 もちろん、MacBook と iPad では、作りが違いますから、当然、使い方も異なってきます。
 戸惑いながらも、それを克服しながら、私は、新しいマシンを楽しみながら、仕事に精を出している今日この頃なのです。

 その日の朝、私は雨音で目が覚めました。
 天気予報通りだと布団の中で思い、私は起床しました。
 この雨は午後までには上がって、晴れ間が見える、今日はそんな天気なのです。

 APECで首脳宣言がまとまらないというのが、この日のトップニュースでした。
 いうまでもなく、米中の意見が真っ向対立というわけです。
 それを見越していたかのように、トランプは会議を欠席、ペンスが会議に先立ち、日本に立ち寄り、おろらく、首脳宣言はまとめるつもりはないと伝えたものと、私推測しているのです。
 策を弄することでは、四千年の歴史を誇る彼の国は、今回はそんなことも諮らずに、トップがのこのことやって来て、まったりとスピーチをしていました。
 
 それにしても、あのペンスという副大統領、なかなかのスピーチ上手です。
 この会議に先立ち、彼がワシントンで行なったスピーチは、あのチャーチルのスピーチと同列に扱われています。
 あの鉄のカーテン演説です。
 あの時は、ソ連、今のロシアでしたが、ペンスは中国に対して強硬な発言を繰り返したのです。
 
 「態度をあらためよ」って。

 国同士の言い合いで、ここまで上段に構えての発言を私は聞いたことがありません。
 
 「さもなくば、太平洋で名誉ある地位は保証されない」って。
 さらには、「太平洋には、独裁主義や侵略の居場所はない」っていうのですから、驚きです。
 
 もっと具体的にも言っています。
 「主権を危うくする外国の融資を安易に受け取ってはいけない」とまで。

 世界が緊張感を膨張させ、覇を唱える権力同士がせめぎ合いをするときに起こる、それは言葉のありようです。
 日本がかつて太平洋に覇権を唱えようとした時も、日本は鬼畜とアメリカを呼び、アメリカはジャップと口汚く罵ったのです。

 アメリカの戦いはいつもそのようにして始まるのです。

 この会議が開催されている最中、南シナ海には、アメリカの二つの空母打撃群が盛んに戦闘機を発進させて、訓練という名の威嚇を行い、本来、軍の行動は隠密でなされますが、それをあえて公報するのですから、アメリカのこすからさが目に見えます。

 はて、世界はどう転がっていくのか、私はつくばの片隅で、まだ真新しい、手垢の一つもついていない iPad Pro でもって、情報を収集するのです。
 これが使い慣れた頃の世界のありように想いを馳せて、いや、今朝の雨模様が次第に晴れ模様になるのを待ち望んで、まだ慣れないキーボードを叩いているのです。



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幻のモノレール駅

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ビルの彼方に沈みゆく陽の光
これが最後だよと
眩しいばかりの光を注ぐ
空に浮かぶ秋の雲も
大挙して押し寄せてきた
あぁ 秋だ



 私が何度も何度も見た映画、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の、あの一場面を思い出すのです。

 エメット博士が、デロリアンに、マーティ・マクフライを乗せて未来世界に戻った時の話です。
 デロリアンは、道を走るだけではなく、空を飛ぶ車へとレベルアップしていました。
 そのデロリアンが、スカイハイウェイを疾走するのです。

 まさに「絵空事」と見ていたあの映画の一場面が、どうやら「現実味」を帯びてきたらしいのです。

 というのも、我が国の国土交通省と経済産業省が、「空飛ぶクルマ」の実用化に向けたロードマップの素案をまとめ始めたというニュースを新聞で見たからなのです。
 それも、二十年代に都市部にそれを実現するというのです。
 三十年代には、きっと、あのエメットのように、スカイハイウェイを疾走する私たちがいるはずです。

 ロードマップによれば、離島や山間部、つまり、人の少ない地域で、空飛ぶ車の実験も兼ねて実用化を目指し、その間に、運行システムの整備、安全基準の作成に当たると言います。
 
 つくばでは、セグウエイを公道で乗るための実験と、体験搭乗が日常的に行われています。 
 なにせ、つくばは最先端科学技術を運用する学園都市ですから、そんなことは当たり前です。だから、この街にも、比較的早くに「空飛ぶクルマ」がやってくるのではないかと期待をするのです。

 東京からTXでつくば駅に到着して、そこから、空飛ぶクルマで一飛び、筑波山頂に行くのです。
 かかる時間はわずかに三分、そんな世界になるのかと思うと、ワクワクします。

 ヘリポートもあるつくばですから、空中に電子の目が張り巡らされて、空飛ぶクルマは乗車する人が心地よく感じるカーブをそこここに設定されたスカイハイウェイを気持ちよく飛行して、秋は紅葉、春は桜の満開、夏は心地よい風を、そして、冬は研ぎ澄まされた大気の中を飛行するのです。

 そんなことを思うだけで、気分が爽快になります。

 つくばに転居し、ここを終の住処にすることに意を決した時、私の家を建てた地域は、本当に田舎田舎した場所でした。
 東京生まれ東京育ちの子供たちにとっては、ちょっと寂しい思いをさせてしまいました。
 学校に行けば、しゃべっている言葉も違う、まるで、外国のようなところであったのです。
 しかし、今オーストラリアに暮らす下の子は程なく、私がびっくりするくらい、地の言葉に馴染み、茨城人になっていったのです。
 
 そして、あの時の不動産の社長、私と同じく早稲田の出身でした。
 私に、土地はもちろんですが、「稲門会」に入ることを勧めることしきりなのです。
 入ったからと言って、土地や建築の費用が安くなるはずはありません。でも、せっかくのお誘いだからとその会合に顔を出しました。ところが、そこで、公立校の教師の横柄な振る舞い、いや、人を小馬鹿にするその教員独特の、偉そうなありように嫌気がさして、私はそれきり行っていないのです。

 そんな苦い思いもありましたが、あの社長、ある時、私に、そっと囁くように言ったのです。

 <あそこは程なく開発が進み、大型店舗が立ち並びますョ>
 <お宅の前にはモノレールが走り、実に便利になりますョ>
 さらには、<インフラもしっかりとしていますからこれからの生活で不便はなくなりますョ>って。

 確かに、スーパーは複数できましたし、ホームセンターも、それにコンビニなど近くに肩を寄せあるようにできたのですから、あの社長の言葉、まんざらでもないと私思っているのです。

 インフラも、確かにその通りで、とりわけ、私の仕事に欠かせないネット環境で困ったことなは一度もないのです。でも、そのレベルを維持するためにはそれ相応の負担をしなくてはならないのですが、それでも、仕事が円滑に進められるというのは素晴らしいことだと思っているのです。

 しかし、いつの日か、私の家の名を冠した駅名ができるのではないかとワクワクしながら期待していたモノレールは一向にできる気配はありません。
 あの社長、俺様を騙したなと文句を言おうとしても、彼はとうの昔に鬼籍に入ってしまったようです。
 だったら、モノレールの代わりに「空飛ぶクルマ」だって。
 そう思ったのです。
 
 つくばセンターから筑波大学、それに各種研究所を経て、あの名高い高エネルギ〜研究所、そして、筑波山です。
 そんな「空飛ぶバス」も夢ではないと思ったのです。

 足腰も弱り、ロードバイクにも乗れなくなった私、港に行くにも億劫になった私の足代わりに「空飛ぶバス」は、大いに私を勇気付けてくれるに違いありません。

 そして、つくづく思うのです。
 せっかく、この良き時代に、この世に生を受けてきたのだから、それを見てやろうと。
 
 私は膝に、手にしたばかりの最新のiPadを置いて、ソファーに腰掛けて、モノレールの駅が置かれるはずだった赤松の森を眺めるのです。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《8 / 18 💦 Sunday 》
 
🦅 昨日、<カクヨム>にて『まぼろしのフランクフルト中央駅』を発信しました。

 縦横無尽に 

 意識の中を駆け巡るのは 
 人の持つ感性なるもの



この世に、二つの世界があり。
それは、現実世界と仮想世界。

かつては、そんなバカなと思える仮想の世界が、詩になり、絵になり、物語になって、現実世界で堪能されていました。
今、 AIがその仮想世界を現実世界に組み込み、私たちはその境目さえも不明の中で、仮想世界で遊ぶことができるのです。

なんともややこしい時代になったものです。

しかし、仮想の世界、昔から、人間の中にある何かのスイッチに刺激を与えてきました。
想像というスイッチ、さらに進んで、創造というスイッチにも、時には、幻想に、あるいは空想のスイッチとなり、私たちを楽しませてくれたりもしているのです。

フランクフルトの革ジャン男も、我が庭の山法師の木も、そして、日本語の二人称も、すべて、私にとって、現実世界と仮想世界を行き来する契機となったものたちなのです。

下のリンク欄、一番上の<カクヨム>をクリックしてください。


【nkgwhiroの活動】

💝 <Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。 

                                            💝 <Amazon・Kindle>で書籍の販売を行なっています。 ただいま、『一日千秋ーある日ちあきと』を販売しています。値段は3ドル換算日本円になります。
 

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