我が同志 毛さん蒋さん

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今日は雨の予報
つくばは久々の潤いを得ます
冬の陽光がキラキラと輝く中
森を横目に走る車
森の葉の一枚一枚も
キラキラ輝く
そんな冬が
今日は潤いもたらす雨にけぶりはずです



まさかあなた、中華人民共和国建国の巨星マオ・ズードンと、日本と長い戦争を戦い、戦後はその日本に対して、「以徳報怨」と述べたジアング・ジァシーについて述べようというのではないでしょね。

まさか、そんな話ではありません。
  もっと、身近な人の話なんです。

私の教え子に中国からやってきて、私が勤めていた取手の学校に通学していた女子生徒がいました。
北京生まれで、日本育ち、よって、日本語闊達にして、その上、頭がいいときています。
さらに言えば、人柄がとてもいいんです。
いつも、笑顔で、まったく嫌味がない、素直で、人の悪口は決して言わない。

だから、皆から、「マオちゃん」って呼ばれて、私なども「マオちゃん」って、授業中もあてていたくらいなんです。

父上は、映像作家です。
シルクロードに関連する番組を製作したり、日本人スタッフが中国を取材するときには、通訳兼コーディネーターとして同伴したり、それを生業にして、日本で生活をしていました。

母上は、翻訳家です。
と言っても、もともと、そうであったわけではありません。
夫である毛さんと共に、幼子を連れて日本に来た時は、外に一歩でもでられず、少々参ってしまったというのです。

北京第二語言大学では、日本語を専攻し、将来は国家のために日本語に関する仕事に就きたいと願っていたそうです。
ところが、そこに、毛さんがいたというわけです。
猛烈な求婚を受けて、彼女は人生を大きく転換することになったというわけです。

ですから、毛さんから、台本の翻訳をやってみなさいと言われて、彼の台本を日本語にしたり、日本語の企画書を中国語になおして、中国取材に齟齬をきたさないようにしたり、その頃は、結構重要な仕事をしていたのでした。

で、私が「マオちゃん」ばかりではなく、マオさんと知り合いになったのには、ちょっとしたわけがあるのです。

私の上司、結構なワンマンで、この上司の下で働くには相当な覚悟が必要であるといわれるくらいであったのです。
しかし、私は、周りが言うほどではなかったのです。

採用面接の際、まだ、この学校は出来たばかりの学校で、社会的な地位は低いが、我々も生徒も頑張って、一流の学校にするから、あなたも勉強を怠らず、その時には活躍ができるようにしておきなさいって言われたのです。
その言葉通り、私が勤める学校は、次第に成果をあげるようになっていったのです。

しかし、人間は何があるかわかりません。

私の上司は、理事会と対立関係になってしまったのです。
生徒や保護者は、もちろん、懸命に先生方が生徒に対してくれるのはこの上司がいることを十二分に理解していました。
だから、対立が表沙汰になると、保護者たちが、学校に詰めて、上司が作り上げた学校を何とかして守ろうと活動を始めたのです。

その中に、毛さんがいたのです。
北京生まれで、闘争が好きなのは、当然と言えば当然です。
きっと、学生時代は、蒋さんに対する猛烈なアッタク同様、政治闘争に加担をしていたはずです。あの時代のことですから、きっと、四人組を批判し、改革開放に熱をあげていたはずです。

集会が終わって、彼、顔を真っ赤にして、職員室に来ました。
そして、私に出会うのです。

「私に、必要なデータ、写真、動画があれば、ぜひ、ください」

中国語訛りの日本語でまくしたてます。
上司を追い出そうとしている理事会を糾弾するために、映像ドキュメンタリーを作るというのです。そのために、文書から写真、動画まで用意しろというのです。
私はそれは出来ないと断りました。
こんな小さな学校の、言うならば、コップの中の争いです。
そこには、やり手の上司に反発する同僚たちもいるのです。理事会対上司、だけではなく、職場をいつにする仲間たちの対立もあるのです。

しかし、毛さん、これはコップの中の嵐ではない、日本の教育の、成果をあげたそれをくだらない人間関係で潰そうとする企みであり、自分の娘も不幸になるし、二千人いる生徒の多くが不幸になるから、自分はそれを映像に残して、伝えたいのだと、職員室の入り口で唾を飛ばして、私に言い寄るのです。

あまりに職員室で騒がれても困るので、私、上司の所に毛さんを連れて相談に行ったんです。
そしたら、この上司、制作費を払うことはできないことを毛さんに伝え、私には、可能な限り資料を提供しなさいと言うではないですか。

そんなわけで、私、勤務終了後、彼の自宅に伺って、資料の整理を行っり、当時は学校の活動を逐一ビデオで撮っていましたから、それを提供したりと、随分、遅くまで、毛さん、蒋さんと仕事をする羽目になってしまったんです。

上司と理事会の対立は、結局、上司が職を去ることで決着しました。

日本の学校は、理事会の力が大きいのですから仕方がありません。
私にはわからない折衝もあったのでしょう。
毛さんが言うところの「闘争」はあっけなく終わってしまったのです。

でも、その時、毛さんが作ったドキュメンタリー、実は、完成していたのです。

実物は、毛さんが、そして、ダビングしたテープは、私が持っているのです。

我が宅の二階の和室の棚に、私は、学生時代からの録音テープやビデオテープを保管していますが、そこの埃を払っていましたら、コアラの国で買ってきたビートルズの、日本の機器では見ることのできないビデオテープに混じって、毛さんのそれがでてきたのです。

表題は『ドキュメント・梁山泊外伝』。副題は『権力に抗う教師たちの姿』。

毛さんらしいウイットに富んだ題名のつけ方だと私ちょっとおかしくなったのです。
でも、私、それをケースから出して、デッキに差し込み、見る気はしなかったのです。

人間にはいつも触れられたくないなにかがあるのです。

でも、あの日々、毛さんと蒋さんとなんだかんだと議論したことはいまでもたのしい思い出になっていることだけは確かです。
その後、東京の国立大学に合格した娘を残して、彼らは北京に戻ったと言います。

きっと、ハイテクの街ベイジンで、カメラをもってうろついているのではないかと想像しているのです。



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新しきひしゃく

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緑の大地
そこは五月の芽吹く大地ではありません
薄鈍色の空に
春の作業のために耕された畑の黒々とした様
これから動くぞと気張る
そんな緑の大地なのです



 秩父のとある社で、大きな鉄鍋で豆を炒った神事が行われたと、それがニュースになっていました。

 竹の細い枝でしょうか、それを清め、参拝に来た方が鉄鍋をかき回すのです。
 そして、炒られたその豆は、節分の折に、豆まきの豆として使われるのです。

 ハロウインからクリスマスへ、そして、大晦日のカウントダウンと、派手な師走の行事にうつつを抜かして、一転して、今度は、しっとりとした正月を迎え、過ごしてきた睦月もすでにみそかになってしまいました。 

 光陰矢のごとしとはよく言ったものです。ほんに、月日の経つのは速いものです。

 一週間後の二月四日には、あの豆を撒いて、厄除けをする節分が行われます。
 昔、娘たちがまだ小さい頃、特に、コアラの国に行ってしまった下の子は、こちらが恥ずかしくなるほどに大きな声を出して、「鬼は外、福は内」と叫んでいました。
 今、ハロウインで仮装し、クリスマスではツリーに飾りをして、大騒ぎする私の幼な子たちは、すっかり豆まきもしなくなりました。

 幼な子の親たちは、それをしてきたのに、どうやら、和物より洋物の祭りの方を好んでいるようで、それも時代のありようだと、そっと受け止めているのです。

 「立春大吉」

 これ、我が宅では、書いて貼ったことはないのですが、いい言葉だと思って、私の記憶にはあるのです。
 立春の前日の節分に、豆撒きをして、厄を払います。
 そして、立春の日に、これからの一年、いい年になるようにと、自らが筆を取り、「立春大吉」と認めるのです。 

 この四文字、不思議な文字であります。

 昔話ではありますが、例のごとく、こんな日には鬼がやってきます。
 あちらで豆を撒かれ、こちらでも、行き場を失った鬼が、緊張感の希薄な家を探してやってくるのです。

 緊張感がない家に入って、一年間、悪さをしようというのです。
 年寄りが亡くなったり、金に苦労したり、病気になったり、事故にあったりと、その家ではよくないことが起こります。
 だから、人々は玄関先に「立春大吉」と書いて、それを掲げておくのです。 

 鬼が何気に入ってきました。
 おや、さっき、不吉な文字がチラと見えたがと、鬼は、振り返ります。

 「立春大吉」の文字は、人間にとっては吉でも、鬼にとっては不吉です。
 鬼が振り返ると、そこには、薄くはなっていますが、「立春大吉」の文字が見えます。だから、鬼は、こりゃいかんわい、くわばらくわばらと言ったかどうかはわかりませんが、家を出て行ったのです。

 つまり、「立春大吉」は、裏から見ても、「立春大吉」と読めてしまうのです。
 縁起のいい言葉ではあります。
 
 先日、正月に行きそびれた神社にお参りに行ってきました。
 でも、あらたまってのお参りではなく、ロードバイクで近くを通ったので、失礼して、お参りをするという簡素なものです。
 でも、お参りをする以上には、しきたりに沿って、神様に遅れたことを詫び、自分の住所と名前を言って、今年一年、災いに祟りと、それらがなきようお願いをしなくてはなりません。

 まずは、手水舎で手を、しきたりに従って清めます。

 おやっ。
 ひしゃくが新しくなっている、って気づいたのです。
 プラスチックではありません。檜のわっぱに檜の棒を挿した本格的なひしゃくです。
 いい香りがしています。
 これで手を洗い、口をすすぎ、身を清めます。 

 霊験新たかとは、まさにこういうひしゃくでこそなし得るものだと一人悦に入ります。 

 道具というのは、手の延長です。
 手の仕草を見て、人は道具を作ってきたのです。
 ひしゃくは、水を掬い、水をそこに留め置き、私たち人間に清らかな清めの水を与えてくれるのです。

 そんな時です。
 昔、覚えた一首が頭の中に浮かんできたのです。

  袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ

 この歌、存外、厄介なのです。
 「春立つけふ」は、さほどではありません。「立春の今日」という意味ですが、「ひち」「むすび」「とく」という、三つの動詞が厄介なのです。

 現代人があまり使わなくなった動詞ですから。

 「ひち」は、ぐっしょりと濡れるという意味です。
 「むすぶ」は、「結ぶ」ではなく「掬ぶ」の方で、両手でものをすくい取るという意味です。
 「とく」は、固形物を溶かす、つまり、凍っていたの氷を溶かすということです。
 
 あの夏の日、袖を濡らしてすくった水も、冬には凍っていたに違いない、それを今日の立春の風がとかしているだろうか、なんていう意味です。

 思いかげない日の、しかも、ついでのことでの参拝に、このような素晴らしい和歌を思い出すなんて、土地神は、きっと、私に施しを下さったのだと、勝手に解釈をしたのです。

 新しき ひしゃくが我に 与えしは かすかに匂う 春の息吹か

 そんなうたを、私は住所氏名とともに、捧げてきたのでした。



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青い空に負けそうだ

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表題は青い空なのに
イメージはいかにも黒い雲
今にも雨が降りそうな気配
そういえば
このところ雨が降っていない
関東の冬はまったくもって
青い空の透き通る世界なんだ



 いつも不思議に思うことがあるんです。
 江戸の時代、人々はどうやって暖を取っていたのかって。
 
 例えば、大石内蔵助、討ち入り前に、主君浅野内匠頭の奥方瑤泉院のところに伺います。
 今の広尾は、有栖川宮公園の近くにある南部坂と呼ばれている場所です。 
 雪が降っていました。
 奥方の反感を買って、屋敷から出てきて、高下駄をつっかけて、雪の降る中、番傘を指して内蔵助は去っていきます。

 芝居や映画などで、その立ち姿を見ていますと、幾らかは厚着をしているようですが、果たして、そんなんで雪の寒さをふせげたのかと不思議に思うのです。

 安政七年三月三日も朝から牡丹雪が舞っていました。
 雛祭りの日です。

 在府の大名たちは、この日、祝賀のために登城をします。ですから、江戸の市民たちは、『武鑑』なる冊子を手にして、登城する大名たちの行列を眺めるのを楽しみにするのです。

 彦根藩邸の門が開きました。
 桜田門をくぐるまで、半キロほどの、そんな距離です。
 朝の牡丹雪は小雨交じりの雪に変わっていました。
 彦根藩の供回りの侍たちは、厚手の油紙で出来た合羽を着て、刀の柄は濡れてはならぬと雨よけで覆われていました。
 五百メートルほどの行列の最中、あの「桜田門外の変」が起こるのです。
 
 そんな折、『武鑑』を片手に、大名行列を見、思わぬ斬り合いに遭遇した人々は、雪降る中で、どのような姿をしていたのか、どうやって寒さから身を守っていたのかと気になるのです。

 ももひきだけではあの着物姿ではきっと寒かったに違いないって。

 明治になっても、東京の冬は、雪がたくさん降りました。
 記録によれば、明治九年一月には、氷点下九・二度を記録したようです。これは、東京の史上最低気温になっています。

 そういえば、子供の頃、東京では、雪は随分と降っていました。

 あの時の家の暖房ってなんだったろうと、記憶の糸を手繰り寄せます。
 そうだ、コタツがあった。
 電気コタツです。あの赤くなる赤外線のやつ。
 反射鏡のついた石油ストーブはあったかしら、いや、それはもう少し時代がいってからだ、あの頃あったストーブは、天板で煮炊きができる丸いストーブだったと、記憶がつながります。

 親が、コタツのスイッチを入れて、ストーブを焚いてくれて、部屋を閉め切って暖めてくれて、そこで着替えをしたことも思い出されました。
 
 この日、つくばにも雪が降ると言う予報が出ていました。
 なんでも、冬将軍がやってくると言うのです。それも強烈な将軍だと言いますから、私、朝からそわそわしていたのです。
 雪が降れば、コアラの国の、雪を知らないGOKUにラインをして、見せてやろうと、そう思って、今か今かと待っていたのです。
 しかし、次第に、晴れ間が出てくるではないですか。
 バルコニーに出て、空模様を伺いますと、すっかり青空、典型的な冬の澄んだ空が広がっています。
 
 正確さを誇る日本の気象予報も、この度は外れたようだと、がっかりしたのです。
 
 こんなに天気がいいなら、家にいる必要はない、出かけよう。
 私はおろしたてのシューズの紐をきつめに締めて、外へ出ました。陽光が降り注ぎ、目的地に着く頃には、着ていた上着を脱ぐ始末です。セーター一枚で、コートを小脇に抱え、私は書店に入ったのです。

 買うほどの本も見つからず、あまりの天気の良さに、遠回りをして帰ろうと私は街の道を足早に進みました。
 商店街を抜けて、芝ばたけの道を進み、うっそうとした林の小道を恐る恐る通り、外国人の働き手が白菜を収穫する畔の道を、人懐っこく笑みを浮かべてあいさつをしてくる彼らに笑みを返しながら、私は、歩いたのです。

 一陣の風が私の頬をさっと切っていきました。

 おやっと、空を見上げますと、筑波山の山の上に大きな黒い雲が出ていました。
 その雲は、やがて東の空を覆うほどに広がっていきます。
 こりゃ、早くに戻らないと、一雨来そうだと、一気に冷たくなった外気から身を守るために、私は手にしていたコートを羽織ったのです。

 顔の前を、小さな雪が舞ってきました。
 私は空を見上げました。
 北から東にかけて空を覆った雪雲からこの小雪が舞っているのです。
 南から西にかけては青空です。

 冬将軍、青い空に負けそうだなって、私思いました。

 時代とともに、冬将軍もその力を失いつつあるんだなぁと、一抹の寂しさを懐に抱きつつ、私は、百八十度見渡せる田畑の畔の道の上で、舞い散る小雪を浴びていたのです。

 それにしても、昔の人は、どうやって、寒さに対応していたのだろうか。

 まさか、体が寒さに適応し、薄着でも一向に構わなかったのかしらって、そんなことを思いながら、家路を急ぎました。



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まったりとしたひと時

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霞ヶ浦を望む公園の一角
ここに来ると
縄文の時代の村も
かくありきなどと
思うのです



 三年前に手術をして取り除いた腎臓ひとつ。

 その後の経過を五年の間、見なくてなりません。ですから、私は半年ごとの検査のために病院を訪れなくてはならないのです。この五月には、私の脳にできた良性の腫瘍のその後の経過を見るために、隣にある大学病院も行かなくてはなりません。 

 私は、我が宅から五キロ先にあるその病院に歩いて通います。

 健康のためもあるのですが、その道筋が素敵だというのが、第一の理由になっているのです。なにせ、日本一のキャンパスの広さを誇る大学の構内の落ち着いた道を歩けるのですから、いろいろな発見があります。
 ですから、大学構内の植物園に立ち寄ったり、落ち葉が掃き清められることなく、長の年月に積み重なったそのふかふかの地面を歩いて、目的地に向かうのです。
 畜産の施設もありますから、牛や豚などのあの特有の匂いも漂ってきます。

 小洒落た並木道に、あの匂い、ここはヨーロピアンスタイルの街なのか、それとも、典型的な田舎の寂れた街筋なのか、私の頭は混乱をしながらも、目的地に向かうのです。

 診察が終われば、私は、さらに南へ、つまり、我が宅とは反対の道筋を歩きます。

 公園通りと名付けられたその道筋は、人が歩くにはもってこいの道です。
 まるで、コアラの国のGOKUが暮らすロビーナの公園と公園をつなぐパスのような道です。違うのは、つくばのその道筋には、日本が誇るロケットが屹立していることです。
 整えられた池も、古民家も、それに、ドームが印象的なプラネタリウムもあるのです。

 私は、そのプラネタリウムに入るための年間チケットを持っています。

 こうした折に、ちょっと立ち寄って、異世界に思いを致すのです。
 でも、今日はここには立ち寄りません。
 駅前にあるショッピングセンターでちょっとした買い物をしたいのです。

 何を買いたいのかといえば、それは水筒なのです。
 いやね、ロードバイクに乗っていて、あれは夏の日でしたが、時速30キロで飛ばして、大汗をかいて、一休みをした時に、さぁ、水を飲もうかとバイクについている水筒の口をつけて飲んだのです。
 そしたら、当たり前のことですが、お湯になっているんです。
 手にした時から、こりゃ、熱いと思っていましたから、やけどをすることはありませんでしたが、これではダメだと、だったら、水筒に水を入れて持つのではなく、途中で、自販機で買えばいい、そう思って、以後は、そうしていたのです。

 先だって、卓球チームの何人かと他流試合に行った時のことです。
 そこは、冷暖房完備の施設で、私たちがやっている体育館とは違っていたのです。それで、いつものように寒いだろうからと厚着をしていったのですが、どうにもこうにも暑くてたまりません。しかし、脱ぐに脱げないのです。まさか、下着で卓球の試合をするわけにも行きません。
 そしたら、この日の試合にやってきていた中国の方が、小さな魔法瓶を持っていて、そこに入れてきた水を飲んでいたのです。

 私、この時、ロードバイクにも魔法瓶を持っていけば良いではないかって、今更のように、気がついたのです。

 何も、ロードバイクだからと言って、広告に乗っているような、かっこい文字やマークが印刷されたボトルを持つ必要はない。魔法瓶なら、あの夏の日でも、水分補給に用意した冷たい水が飲める。寒い体育館でも、休憩時間に暖かいお茶が飲める。
 そう思ったのです。

 で、駅前にある、私が好んで買うモンベルの店に出向いたというわけなのです。

 隣の店に、特価品だと、幾分やすい魔法瓶が売っていました。
 でも、気になったのです。
 それは、片手で蓋を開けられて、いとも簡単に水を口に含むことができるもので、おそらく、もっとも一般的で、人気のある製品だと思います。

 ロードバイクに乗って、道端に止めて、そうして水を飲めるのですから、姿格好も様になります

 しかし、私、頭の中にクエスチョンマークが付いたのです。
 そんなケース、そんなシチュエーション、私にはないのです。
 世代的にそうなのか、私は、なんでもそうなんですが、休む時と活動をしている時を明確に分けたいのです。

 ですから、ロードバイクでツーリングをしている時、休憩を取るのは、決まって、それらしき場所で、自転車を降りて、どこか、それらしき場所に腰掛けて取るのです。

 それに、あの口をつけてそのまま飲める魔法瓶で、実は、やけどをしたことがあるのです。
 もう時間も経っているからと、それを一気に口に注ぎ込んで、えらい目にあったことがあるんです。以来、それがトラウマになって、あの口をつけてのみ魔法瓶には恐怖感がつきまとっているのです。
 
 まさか、モンベルでもあのようなものしかないのかなと一抹の不安を抱きながら、店に入りました。
 でも、そこにあったのは外蓋があり、内蓋があり、外蓋がコップになるという登山用の頑丈なしかし軽い魔法瓶だったのです。
 500ミリリットルの魔法瓶の形状であれば、ロードバイクのボトルかけにもぴったりと収まります。

 私、店員さんに、これって、激しい運動の中にあっても、壊れませんよねって。
 店員さん、激しい運動ってなんだと思ったのでしょう、こう言うのです。
 仮に、山のてっぺんで落としたとしても、外観は多少傷がついたり、凹んだりはしますが、丈夫にできていますから安心ですって。

 きっと、これを自転車につけて、ゴツゴツの道を走るんですなんて行ったら、それなら、バイク専用のをお使いになった方が無難ですなんて言ったかもしれません。
 ですから、私、それ以上、問いかけるのをやめたのです。

 これだ!と、私の意思は決したのですから。

 私、それを買って、トイレでケースから出して、水で洗って、今、自販機で買ってきたあたたかい紅茶を注ぎいれたのです。
 そして、それを手にして、八キロほどの我が宅までの道を夕景に照らされながら戻っていったのです。

 もちろん、途中の大学構内のバス停で、腰掛けて、紅茶を外蓋に注ぎ、ゆっくりと飲み干しながら、ひとときのまったりとした時間を楽しみました。



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オンザデッキ インザキャビン

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水草の向こうに大きな水車が
そんな光景
港の近くにあります
異国情緒があって
好きな場所なんです



船の上で生活するーなんて、私の尽きせぬ夢であるのです。

いやいや、お前さん、一艘のけったいな船を土浦駅から徒歩三分の港にもっているではないか、常日頃、それを自慢げに語っているではないか、それなのに、おかしいことを言うね。
 いよいよもって、ボケてきなさったかなどと、悪たれを垂れる御仁もおられるのではないかと密かに思っているのです。

今、風速9、西北西の風が吹きすさぶ船の中で、この一文をiPadを膝に乗せて、もやいロープに船体が引っ張られて大揺れの中、手元もぎこちなくキーボードを叩いているのです。

いやね、私が言うのは、例えば、イギリスの川で、あのロングボートを浮かべて、そこで寝食しながら、仕事に行ったり、川伝いに旅をしたり、そんな生活をしてみたいと言うことなんですよ。

私の船は、フイッシュイング・ボートなんです。
ですから、釣った魚を生かしておくためのいけすがあったり、汚れた手や暑い日にかいた汗をさっぱりとさせてくれる簡易シャワーは付いているんですがキッチンはないんです。

港で、船仲間と遊ぶときは、デッキに、乾き物を並べて、ウーロン茶で乾杯なんてやっているんです。
気の利いた仲間がいれば、桟橋にテントとテーブルを並べて、手作りの料理を振舞ってくれるのですが、そうそう、滅多にお呼ばれすることもありませんから、対岸から手を振って、呼んでよと念願するのですが、どうも通じないようで、滅多なことでは呼ばれないということになるのです
でも、一人で、船で過ごすことが好きであるので、呼ばれなくても、一向に差し支えないのです。

 だいたいにおいて、船のオーナーは孤独者なのです。

仕事の煩わしさから逃れたい、ひとときの安息を得たい、そのために、船をもっているのですから。
 それに、船に興味がなければ、船って、本当につまらないんです。
テレビもないし、それに何より、水の上って言うのは、常に動いているんです。
陸での生活が身にしみている人間には、時には耐えられないような、それは動きなんです。

いつだったか、隣のヨットのオーナー、仙台で仕事に行っている方なんですが、友人二人、それも女性、その方々を乗せて沖から戻ってきたのです。
私が港に入ってきた時に、彼のヨットが出て行きましたから、戻ってくるまで、一時間も経っていません。一体どうしたことだろうと何気に様子を伺ってしまったのです。

伺うつもりはなくても、私は、デッキに椅子を出して、傘をさして日陰を作り、iPadで書き物をしていたのですから、どうしてもそれらの一切を見聞きしてしまうのです。

どうやら、おトイレが問題であったようです。

私たちのような小さな船のトイレは、だいたいが手押し水洗です。
つまり、出した後は、隣にあるコックをヒコヒコとさせながら、サイホンの原理で船外に出すわけです。
それに、だいいち、さほどに広くはないのです。

ですから、大柄な私など、ドアは開けっ放しにして、用をたすのですが、慣れていればともかく、はじめての人は、女性であればなおのこと、それはしようにもできないことだとは思います。
ですから、仙台の彼、翌日、私が船に立ち寄ったとき、デッキで一人、寂しくしていたのです。だから、昼飯にと買ってきたあんぱんを一つ差し上げたのです。

きっと、彼が意中とする彼女は、彼が期待するほど、一本マストのヨットには反応しなかったのではないかと思っているのです。

だから、船を持っている人間は、私、概して、孤独であり、懸命の仕事のその苦痛から逃れるために、それを癒しの場としていると考えているのです。

それゆえ、志を同じくする愛しい方と一緒に、船で暮らし、朝焼けを浴びながら、あるいは、夕景を沖で堪能しながら食事し、波に揺られながら、眠るなんて最高だと思うのですが、そうそう、同志は現れないものなのです。

だから、船乗りは独りよがりのロマンチストでもあると、私確信しているんです。

さて、この日、北国あたりでは、車を運転するのも危険なくらいの気象状況です。
太平洋岸は、こういう時、すこぶる天気がいいのですから、皮肉なものです。
しかし、北国を襲っている荒々しい気象の影響は私の船が係留されている港にも押し寄せて、風速9の風を吹かせているのです。
 
台風で港の水かさが増した時、嵐で港に係留されている船という船が同じように激しく揺れ動いる、私、そんな情景が好きなんです。
ですから、午前中に、仕事を終わらせて、午後、船が風に揺られる港に来て、デッキから落ちそうになりながら、乗り込んで、あまりの風なので、キャビンにもぐりこんでいるという次第なのです。

こんな日は、無遠慮なバス釣り師たちも家でくすぶっています。私の船の横に、半畳ほど使って店を出すヘラブナ釣り師も出てきません。
ですから、もやいが船を引っ張る音と、唸る風の音しか聞こえないのです。

夏は嵐の日。冬は北風の吹き荒れる日。
船は最高の哲学の場になるのです。



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かくも多し 懸命なる人

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今日は雪が降るという予報
タイヤを換えて
刻々と変わる予報に耳をそばだて
明日は早くに起きてと
慌ただしく過ごすのに
それが今
悠長に構えて
みぞれでも良いから
雪景色を見せてって
そしたら
コアラの国に暮らすGOKUに
彼らが見たことのない光景を
届けられるって
そんなことを思っているのです



 アメリカが政府を閉鎖しています。

 信じられない出来事です。
 そこに働く公務員は、給料も出ないと言うのですからえらいことです。だって、中には、住宅ローンを抱えている働き盛りの人もいるだろうし、赤ん坊や子供の養育費や教育費に頭を悩ます人もいるに違いないのですから。
 それよりも何よりも、国民が困るでしょうと、よその国のことながら心配をしてしまうのです。

 まず、日本では考えられないことです。

 むしろ、日本では、いかに景気が悪くなろうとも、公務員は安泰という観念が強くあります。
 事実、「親方、日の丸」という言葉があるように、日本という国が潰れない限り、公務員は安泰であるというのは確かなことではあります。
 だから、つまらない仕事であろうとも、公務員になりたがる、そんな風潮さえあるのです。

 つまらない仕事とはなにごとかと叱られそうですが、私が言っているのではないのです。
 私の知人で、公務員がいて、その人が言っているのです。
 だから、彼、早期退職して、ブドウを栽培し、ジャムなどを作ってそれを売って生活をしているんです。でも、選挙に行くと、投票箱の近くに座っていますから、今だに公務とは縁が切れないものと思っているのです。

 確かに、一日中、そこに座っているだけですから、つまらない仕事であると、私も思うのです

 先だって、その公務職の信頼度調査なるデータを見ました。
 面白いなって思ったのです。
 だって、国会議員の信頼度の低いことったらありゃしないのです。

 今回の8つの部門で、最も信頼できないとするパーセンテージが高いのですから。
 その値、五割を超えているんです。
 国民に選ばれた議員さんたち、これ見て、己れを振り返らないと次回の選挙では立つ瀬がなくなります。

 そんなデータを見ていますと、お騒がせな議員の顔が浮かんできます。
 与野党に限らず、あの顔、この顔、その顔と、私の目の前に出てくるのですから、やはり、五割を越えるというデータはまんざら誇張されたものではないということだとつくづく思うのです。

 次に信頼できないとされたのが、実は、公共の器とされるマスコミです。

 なぜだろうと思うのです。
 くだらない放送ばかりをしているわけでもありませんし、新聞だって、売り上げ部数が減って、各社、必死に読者を引きとめようとあれこれ新しい試みを展開しています。

 信頼できないが、信頼できる率を上回るのがもう一つあります。 
 それが国家公務員です。
 昨今のニュースを見れば、それはまったくもってうなづけるのですが、マスコミがなぜだろうと、私の思いは募るばかりなのです。

 きっと、ここにも、時代の趨勢が反映されているのです。
 つまり、ネットによる情報の発信です。

 確かにマスコミは力を持っていますが、ネットの発信力が、一つ一つは小さな力でしょうが、それが束になって、時代を動かす力を得ていることが大きな原因ではないかと、そこに結論付くのです。
 それは、ともすると、間違った方向へと国や組織を導く懸念もありますから、諸手を挙げてよしとするにはいささかためらいもあるのですが、確かに、ネットの小さな声が時代を作りうる、そんな世の中になってきていることは知っておかなくてはなりません。

 さて、残りの四つは何かと言いますと、これらは信頼できるが、信頼できない率を大幅にうわまっているのです。

 そのトップが自衛隊です。
 これにはちょっと驚きました。
 なんだかんだと言って、日本人、自衛隊が好きなんですね。

 火器レーダー照射の一件でも、おそらく、韓国国防省の言い分はおかしいって思う日本人が圧倒的多数であるはずです。もし、自衛隊がいい加減な組織で、事故はしょっちゅう起こし、基地のある街では事件も頻繁に起きているというのであれば、きっと、自衛隊の言うことは信用できまいよって、一蹴されると思いますが、そうではないのですから、韓国が嘘言っているに決まってらぁ、となるのです。

 それに、災害の多い日本、その現場に駆けつけて、自分は冷たい缶詰で食事し、被災者に暖かいご飯を提供する姿を見れば、信頼度は増します。

 日本人はきっとそうした公務につく隊員の一人一人を見ているに違いないのです。

 それに続く、裁判所、警察官、検察も同様です。
 悪を叩き、つまみ出すのですから、国民から喝采を受けるのも当然です。
 それにしても、あのレバノン人の保釈が認められません。世界がなんと言おうと日本は日本の法律を執行する、その一念には感服します。

 私も不正に財産をため込んだり、悪さをして、支払いをよそに回すことのないよう注意をしなくてはなりません。

 そして、もう一つ出てくるのが、何を隠そう、教師なのです。
 信頼できるが、信頼できないの倍です。
 (ちょっと、微妙かな?)

 でも、教師は確かに信頼されるに足る公共の度合いの高い職なのです。
 だから、残業手当がなくても、子供のためであれば動くのです。家族を後回しにしても、学校での活動を優先するのです。給料をもっといただこうとしてではありませんし、偉くなって校長になるためでもありません。

 そこに生徒がいるからです。

 それを、今、国が、労働者として、教師を扱おうと、率先してやっているのですから、私、ちょっと懸念しているんです。そこそこ名のある評論家と言われる偉い方たちも、先生方の人権の問題だって言うのですから、私、呆れ果てているんです。

 教師は、それこそ、命を掛けないと生徒を指導できません。

 己れを投げ打って、立ち向かわないと、生徒を守り、育成し、教育できません。
 だから、政府が、教師を労働者として区分するようになれば、日本の教育はきっと崩壊すると私は考えているのです。

 でも、そうなったとしても、確かに、本物の教師は生き残るとも確信しているのです。

 私が知る、幾人もの先生方、誰がなんと言おうと、生徒第一で職務にあたっているからです。
 そんなことを考えると、公職に限らず、日本には、懸命に働く人々が、かくも数多いることに気づかされるのです。
 あそこにも、ここにも、そこにも、己れを投げ打って懸命に頑張る若者たちの姿を見て取ることができるのですから、私、とても嬉しく思っているのです。

 それにしても、マスコミ、あの信頼のなさ、なんとかしなくてはなりません!



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人間のことだから

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港といっても
私が船を置く港ではなく
ここはどでかい船が出入りする港
大きな風力発電が
ゴーゴーと音を立てて
回っている



 社会見学、ではないのですが、たまに、普段はあまり出かけない場所に行くことがあります。

 先日は、リサイクル品を売る店を冷やかしに行ってきました。
 驚くほど、なんでもあります。

 例えば、GOKUやLALAがやってきた時など、ベビーカーなどもここで買えば、安くあがるぞなんて思いながら、さほど広くはない店舗内を歩いたのです。
 カウンターでは、そのベビーカーを売りに来ていた夫婦がいました。 
 価格を折衝している風には見えません。
 どちらかといえば、店の言い値でそれを売っているようです。
 きっと、この夫婦にとっては価格よりも、そのものが再び、どこぞの子のために役立つことが大切なのだって思ったのです。

 土浦の港に行ったとき、いつものように、近くにあるコンビニに一杯のコーヒーを買いに行きました

 そうだ、iPhoneに入れてある「origami」という電子マネーでの決済を試みようと、そこには割引クーポンが定期的に送られてくる、幾らかでも安く買えるというのはよいことだなどと思いながら、レジの横にある機械にiPhoneをかざしました。

 しかし、カキーンと音を立ててくれません。

 店員さんが、失礼しますと言いながら、私のiPhoneを覗き込み、申し訳ありません、それは、私どもの店では使えませんって、そう言うのです。

 ここは「Family Mart」で、お客様の「origami」が使えるのは、「LAWSON」ですって。 

 それは申し訳ないことをしたと、その時、私思ったのです。
 何が「申し訳ない」ことかといえば、それは、私が「Family Mart」も「LAWSON」も区別がつかなかったことをなのです。
 ですから、私、アップルウオッチをかざして、「Suica」でカキーンとやったのです。

 店を出て、港に戻り思ったことは、コンビニというのは、そういえば、個性がないなということでした。
 「Family Mart」も「LAWSON」も区別がつかないのだから、私が電子マネーで決済できなかったのは、私ばかりの責任ではないぞということでした。

 日本には、複数のコンビニがありますが、私、そこが何という名のコンビニかなんて気にしないで入っています。

 コンビニを、生きる糧にしている独身の忙しい青年には、あそこのサンドイッチは、こちらのより美味しいとか、おにぎりはここに限るとか、あるいは、あそこは自分の店で惣菜を作っているなどと、こだわりもあるようですが、せいぜい、コーヒーかアイスクリームしか買わない私には、コンビニはどこも同じなのです。

 たまに、マッカートニーのチケットを購入する時、「セブンイレブン」で受け取ってくださいと来るから、「セブンイレブン」を探して、行くくらいです。

 コンビニは、そうした観点で見れば、どこも同じ、夜遅くまで、そして、朝早くから店を開けて、今まさに必要なものを売ってくれる、まさにコンビニエントなストアであるということです。

 でも、果たして、消費者はいつまでもコンビニを利用してくれるだろうか。
 土浦の駅前のシャッター街ではありませんが、コンビニもそうなる可能性がないのだろうかって、詮無い心配をするのです。

 店に個性を求めるって、これ、とても大切なことだと思うのです。

 あのリサイクル・ショップだって、地味な看板ですが、店内には品物が山のように積まれています。ここは、新品を、高級に見せて売る店舗と違うと、声を高らかにあげて主張しているんです。

 私の買い物の、今、ほとんどは、実はアマゾンなんです。

 アマゾンではじめて買い物をした頃を思い出します。
 新しく始まったネットでものを買う店、大丈夫かしらって、それになんだか、得体の知れない「名」だって、だから、いくばくかの懸念を抱きながら、私はパソコンのreturnキーを叩いたのです。

 会員登録をして、最初に買ったのは、搬送料が無料になる品物だったかと思います。
 仮に、騙されたとしてもいいくらいの品物であり、金額だったと思います。
 しかし、その品物がきちんと我が宅に送られてきたのです。
 何の問題もありませんでした。
 私のMacには、こんなものもありますとか、あなたの買った品物に採点をしてくださいなんて、メールがやってきて、面倒臭いなと思ったのですが、星をつけたり、こんなものもあるんだって、メールを覗き込み始めたのです。

 私のような人間が、日本各地にあまたいたはずです。世界に拡大すれば、その数は圧倒的多数に及ぶはずです。
 きっと、この新鮮な戦略が功を奏し、アマゾンはさらに巨大化し、企業としての信頼を築き上げたに違いないのです。
 今、私は、少なくとも、この買い物に信頼を置いて、そして、いろいろな商品情報を読むことを暇な時の楽しみにもしているのです。
 しかし、そのことが街の光景を一変させたこともまた事実です。

 うがった見方をすれば、土浦の街をシャッター街にした責任の一端は私にもあるということです。

 口さがない人は、アマゾンはトロール船だと言います。市場を根こそぎ奪っていくからです。
 だったら、このまま、街の店はシャッターを閉めたまま、ゴースト商店街となっていくのかって「街歩き好き」でもある私は心が疼くのです。

 くだんの「Family Mart」の店員さん。
 レシートを私に渡すとき、2月3日まで、このレシートを持ってきてくれば、コーヒーが20円引きになりますからって、両手で丁寧に私に渡してくれました。
 1月中、後3回は港に来る予定にしています。
 私、「では、また来ますって」、そう声をかけて店員に感謝したのです。
 
 時代は巡る、だから、きっと、いつの日か、バーチャルなんていや、リアルな買い物がしたいって、飽きっぽい人間のことだから思うはずです。

 その日のために、リアルな店は、頑張っていくに違いないって、そう思ったのです。



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瞬間、移動

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「そば坊」と銘打たれた
いかにも江戸風の看板
これ
好きなんです
だって
一瞬 時空を移動した雰囲気に浸れるからなのです



 スタイル・チェンジ……
  贅肉のついた体を引き締めて、カッコよくなろうと、そんなことではないのです。

 このところ、つくづく思うのです。
 時代が、明らかに、目に見える形で変化しているんだって。
 
国際情勢だって、そうでしょう。
 冷戦が終わって、アメリカ一強の時代がやってきて、それもまたアメリカみずからが放棄して、今や、世界は混沌とした状況に陥ってしまったのです。

 日本が属するエリアと、そうでないエリアに属するものたちが、表面上は笑顔で言葉を交わしますが、これからの十年、二十年先のイニシャチブを握るか、握らないかで、勢力図は一変するのですから、そりゃ真剣です。
 勢力を失ったものは、勢力を伸ばしたものの下で、従属を強いられるのです。

 仮に、日本が属するエリアが敗北をしたら、悲劇が待ち構えていると思わなくてはなりません。
 そうでないエリアに属する勢力が、かつてのアメリカのように寛大な心を発揮してくれれば、問題はありませんが、どうもその傾向はまったくといっていいほどありません。
 私たちは、24時間監視され、心の中までさらけ出さなくてはならなくなるのです。

 そうなれば、心のあやを描く文学も成立しなくなります。
 スポーツは、それに秀でた者たちだけに許され、せいぜい、私たちは朝の公園で、ダンスを踊るくらいになります。
 政治家の悪口を言って、気を晴らすことさえもできなくなります。

 そうなれば、人間がその根底に持っているアイロニカルな精神さえも消滅していくのです。
 もはや、ディケンズも、老舎も、漱石先生も、ユーモアと悲哀をモチーフにする作品も、人類からは生まれなくなるのです。

 そんなことを思うと、なんだか、未来の人間は、切ない人類になっていってしまうんだなって思うんです。

 そうか!
  そこで、私は、ハタと手を打ちます。
 
 彼らが行なっているのは、それこそ二十一世紀の「共産主義革命」なのかって。
 
 先日、その重苦しい気分を一掃するような出来事に遭遇しました。
 何気に、Macでネットを見ていたのです。
 何かを調べるのではなく、何気に……です。
  実は、私、隠れ乗り鉄なのかもしれないって、そんなことを思いながら……。

 だって、時折、その手のサイトを見て回るんですから。
 昔、若かった頃は、一番小さい、Gパンの尻ポケットに入るあの分厚い時刻表を買っていた私です。
 それを持って、旅に出たこともあるのです。友人が、時刻表を出版する会社に就職が決まったと聞いたときは、嫉妬さえ抱いたのです。

 この日、私の目をとりこにしたのは、まだ営業していない鉄道会社のサイトでした。

 時速150キロに達すると、体がふわっと浮くと言うのです。
 当初、車輪走行していた車体が、磁力で浮上、時速500キロにあっという間に加速すると言うのです。

 これが2037年に完成、営業を開始すれば、東京、大阪間は、一時間七分になるのです。
 八年後の2027年には、名古屋までが開通する計画であるといいます。

 まだ、生きていられそうだ。
 あの新幹線ができた以上の鉄道革命が起きるんだと心が「萌える」んです。

 だって、私、中学生の頃、京都に修学に行った時、新幹線はなく、いくつもの東京にある学校が各車両に詰め込まれて行ったクチなんです。
 高校の時に、これまた京都に行きましたが、その時は新幹線になりました。ですから、数年の間に、鉄道の飛躍的な発展を、この身に感じることができた世代であるのです。

 それが、今、再び、大革命を体験できる機会を持てるのですから、冥利に尽きると思っているのです。

 新幹線は、日本に高度経済成長をもたらしました。
 リニアは、超巨大経済圏をもたらすのです。
 首都圏、近畿圏、中部圏が、新幹線以上の経済圏を作り出すのです。

 それは、きっと、ロンドンーパリの鉄道が結ぶ経済圏を軽く超えてしまうでしょう。あるいは、ボストンーニューヨークーワシントンといった世界一のボスウォッシュ経済圏も追い越すでしょう。
 何よりも、鉄道で1時間ちょいで大阪に行くことができれば、日本人は新たな時間と空間の価値を手にすることができるのです。

 新幹線は、日本の経済に大きな影響を与えましたが、きっと、リニアは日本人の暮らし方や考え方、さらには、生き方や死に方さえも、前向きな形に変えるはずです。

 まさに、スタイル・チェンジなのです。
 だから、何としても、日本が属するエリアが、そうでないエリアには勝たなくてはならないのです。
 
 身体がふわっと浮いて、そして、時速は500キロまで、あっという間に伸びていく。
 まさに、磁力が規則正しく発射されるトンネル内を、私たちはあっという間に移動するのです。

 これこそ、何を隠そう「瞬間、移動」へのスタイル・チェンジではないかって、そう思ったのです。



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神のなせる業

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それは曇り空で寒い日でした
これが冬なんだと
気分も滅入ってしまうほどでした
ところが夕方遅く
西の空が割れたのです
そこに陽の光がまるで神の力がそこにあるかのように
差し込んできたのです
この日以来
つくばは陽の光に占拠されているのです



 ショッキングな浮世絵を見てしまいました。
 
 葛飾北斎の「凱風快晴」。
 ご存知ですよね。
 青い空に、たなびく幾重の白い雲、麓の樹林の濃い緑、鮮やかな緑の富士の裾野。
 何より印象的なのは、雪を頂上にいただく赤い富士です。

 その浮世絵に、なんと、4本もの電信柱と、それをつなぐ電線が、さらに念のいったことに数羽のカラスまで描かれているのです。 

 現代の日本では、凱風快晴の富士もかくありきだと、ショックを受けたのです。

 ショックといえば、忘れられない思い出があります。
 1963年11月23日の朝の出来事です。

 父が私を揺すって起こしてくれます。
 アメリカからの宇宙放送(当時は衛星放送ではなく、こう言っていたのです)があるから、それを見るためにいつもより朝早くに起きるからです。
 予定では、ケネディ大統領のメッセージが放送されるはずでした。
 しかし、放送されたのは、ダラスで暗殺されたと言う大きな事件を報道するものでした。

 あの時、私、宇宙放送が特別なものではなくなくなるなら、きっと、私の竹ノ塚の家の周りに張り巡らされた電信柱と電線もきっとなくなり、凧揚げも思うようにできると思ったものでした。
 ところが、あれから何十年も経つのに、ロンドンではすっかり電信柱がなくなっているのに、シンガポールだって、そうなのに、東京はまだそうなっていないって、今度はガッカリして、それなりのショックを受けているのです。

 近代日本最後の国内戦争としての西南戦争。
 あの西郷をいただく士族の新政府に抗する大きな戦いです。あの戦争を新政府軍が勝つことができたのは、何も武器の優劣にばかりあるのではありません。

 速やかな軍の派遣と配置、そのための輸送力と、それに、電信だと言うのです。

 明治政府は、東京長崎間に電信を設備していたのです。
 電信柱を打ち立て、電線を張り巡らして、鹿児島の動きを逐一電信で東京に送り、東京はそれを元に、軍の移動、配置を速やかに行ったのです。
 
 西郷の乱のちょっと前、福岡で神風連の乱と言うのがありました。
 新政府に異を唱える者たちは、熊本にあった鎮台を攻撃し、司令官を殺害します。司令官の奥方であった芸者の小勝は、なんとか難を逃れますが、行った先は電信局でした。
 ダンナハイケナイ ワタシハテキズ(旦那はいけない 私は手傷)
 これを東京の親元に発信したと言うのですから、無粋は知りつつも笑ってしまいます。

 ともかく、明治政府は電信柱を立たせまくって、日本中を網羅し、中央集権の基盤を作り、さらに、長崎釜山間にも海底ケーブルを敷設し、アジアに出て行くのです。
 イギリスなどは、その莫大な国力を背景に、全世界を海底ケーブルで結び、世界に覇権を唱えるのですから、その威力は想像を絶することは、論を待ちません。

 しかし、何事にもプラスもあればマイナスもあります。

 情報は秘密にすることもできますし、それを盗み取ることもできるのです。
 日本が真珠湾攻撃をする時、東京ワシントン間の電信はアメリカ政府にことごとく傍受されていました。そればかりではなく、日本政府の暗号も解読されていたのです。

 アメリカ人はことあるごとに、リメンバー・パールハーバーと言いますが、それを言わなくてはならないのは、私たち日本なのです。
 アメリカ政府は、知っていて、日本に先に手を出させて、国論を動かしたのですから。

 それにしても、日本人というのは、本当に人がいいと思います。

 ミッドウェイだって、アメリカが「ミッドウエイ島には真水が不足している」とフェイク・ニュースを発信し、人の良い日本軍は、「AFは水不足」と打ち返すのですから、すぐに、そこがミッドウェイ だとわかり、アメリカ海軍は日本海軍機動部隊を待ち伏せし、そのため、日本は空母四隻を撃沈させられてしまうのです。
 
 この電信機、実は、あのペリー提督が幕府に二台献上し、しかも、実演をして見せています。
 でも、いかなる仕組みでそうなるのか、それが何の役に立つのかは、当座はわからなかったようなのです。
 しかし、新政府はそのすごさを理解し、早速、東京と外国人が沢山いる横浜、そして、長崎との間に電信を敷設し、あの西南戦争に勝ったというわけなのです。

 ですから、今、話題の5G、この「敷設」に、世界が躍起になっているのは、次の世紀の覇権を握るか否かがかかっているからなのです。
 アメリカを中心にするヨーロッパ、オセアニア、それに、日本が、中国の5Gを追い出しているのは、これからの世紀を中国に一方的に牛耳られたくはないということなのです。

 まさに、真剣勝負なのです。

 そうそう、モールスと言う、あのモールス信号を開発した技術者が、1844年に商業電信を始めました。
 その時、実験で発信した言葉。
 これがイカしているんです。
 
 「神のなせる業(What hath God wrought)」って言うんですから。
 
 その「神のなせる5G」、それが作る新しい画期的な時代が、私は、早く来ないかって思っているんです。
 しかも、人の秘密を盗んだり、管理したりせずに、真に人間的に、幸福になる「神のなせる5G」として。



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風強く吹く日

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朝陽が書斎のソファーに差し込む
日常の
人には見せたくない空間が
朝陽を得て
ちょっとした輝きを



 何が怖いって、あの空気をつんざく風の音ほど恐ろしいものはありません。

 書斎にある暖炉の小口から、不気味な音を立てて、その音が迫ってくるんです。この間は、家まで揺れるんですから困ってしまいます。
 筑波山から吹き降ろされる風は、殊の外強くてうんざりしているのです。

 でも、なんでだろうと、なんで怖いって感じるのだろうって、不思議に思っているのです。
 
 愛読書『平家物語』や、授業で教材として使った『方丈記』の、あの「安元の大火」が印象にあるからだろうかなんて思ったりするのです。

 「七珍万宝さながら灰塵」に、「その費えいくそばくぞ」と書かれた、安元三(1177)年四月二十八日の火事です。
 「風烈しく吹きて靜かならざりし夜」の出来事でした。
 都の三分の一が消失し、死ぬる者数千人と、鴨長明は記録するのです。

 それが私の心に突き刺さっているのかもしれません。
 いや、関東大震災の、祖母から聞いた話が心にいまだに衝撃となってくすぶっているのかもしれないのです。

 私の祖母、くめと言う名の天理教の神様となって祀られている方から聞いた話です、

 住まいは、中川という小さな川のほとり、その向こうに、荒川が流れています。
 二つの川のあいだに、今は高速道路がかけられ、見事な吊り橋がその威容を誇っていますが、その話を聞いた頃は、中川の土手に立てば、遥か彼方まで見通せる良いところでした。
 その荒川の向こうを指して、火柱が上がって、それが巻くように、時々、斜めになって動くんだ。その火柱の下で何万人もの人間が焼け死んだだよって、そう語ったのです。
 
 「火災旋風」と言うやつです。

 大正十二(1923)年九月一日、11時58分32秒に発生した大地震です。
 この日も風が強く吹いていたと言います。
 地震発生時、南南西12.3メートルの風が吹いていました。
 中心気圧は、997hPaの台風の風です。
 風は、西寄りの風から、夕方は西風、夜になると北風に変わり、風速は22メートルになっていきました。
 これが、火災旋風を起こし、避難していた東京市民を襲ったのですから、たまりません。

 きっと、このくめ婆さんの話も、私の心に突き刺さっているに違いありません。

 いや、もう一つあった。
 母から聞いた話です。
 そして、永井荷風の『断腸亭日乗』の記載もまた、私の心に突き刺さっているではないかと。

 昭和二十(1945)年三月十日、その日付が変わった深夜のことです。

 母の話は殊の外リアルでした。
 なにせ、あの中川に、水ぶくれに膨れ上がった人間がプカプカと流れてきたと言うのですから。それも一体や二体ではなく、あたり一面だって言うのです。
 煙に巻かれ、熱さに囲まれ、それから逃げようと、人々は川の中に飛び込んだのです。その上を風に煽られた炎が覆い、人々は窒息、あるいは溺れて、あのザマになったと言うのです。

 この時も、北西からの季節風が強く吹いていました。

 それが、焼夷弾から誘発された火災をさらに大きくしたのです。
 荷風は、9日夜、下町が空襲で焼ける様を遠望し、その火はやがて、自分が暮らす館「偏奇館」をも炎に包む様を描いているのです。
 外遊で得た書物が館と共に燃えていく様に、底知れぬ恐怖感を持ったものでした。

 風が強く吹く日には、とてつもなく恐ろしいことが起こるのだと言う思いが、どうやら私の心には鋭く刺さっているようです。

 あの日、平成二十三(2011)年三月十一日は、どうだっただろうかって。
 私、さほどの恐怖心を、あの時は、感じていないのです。

 その日は、金曜日でした。
 14時46分18秒、職員室の机が揺れ、山積みになった書類の束が崩れ、給湯室にあった食器棚の観音扉が開いて、職員のコップが音を立てて落ちていました。
 断続的に発生する地震の揺れの中で、生徒たちを誘導し、校庭に待機させました。
 雪が舞い散っていました。
 大小の揺れは止むことなく続きます。

 しかし、風はさほどに強くは吹くことはありませんでした。
 
 次第に暗くなるなか、生徒を体育館に誘導し、保護者の迎えを待ちます。
 車のヘッドライトをつけて、体育館内を照らします。
 明け方近く、全生徒を返し、私もまた、家に帰ったのです。

 しかし、私が遭遇したあの未曾有の大災害は、強い風が吹くこともなく、だから、私は、腹をすかせながらも、ある程度冷静にことを運ぶことができたのではないかと思っているんです。

 この日、書斎から、道一本向こうの研究所の松林が一つの生き物のように揺れ動く様を見ると、私は、自分が体験していない、あれらの出来事を思い、心が重苦しくなるのです。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《8 / 18 💦 Sunday 》
 
🦅 昨日、<カクヨム>にて『まぼろしのフランクフルト中央駅』を発信しました。

 縦横無尽に 

 意識の中を駆け巡るのは 
 人の持つ感性なるもの



この世に、二つの世界があり。
それは、現実世界と仮想世界。

かつては、そんなバカなと思える仮想の世界が、詩になり、絵になり、物語になって、現実世界で堪能されていました。
今、 AIがその仮想世界を現実世界に組み込み、私たちはその境目さえも不明の中で、仮想世界で遊ぶことができるのです。

なんともややこしい時代になったものです。

しかし、仮想の世界、昔から、人間の中にある何かのスイッチに刺激を与えてきました。
想像というスイッチ、さらに進んで、創造というスイッチにも、時には、幻想に、あるいは空想のスイッチとなり、私たちを楽しませてくれたりもしているのです。

フランクフルトの革ジャン男も、我が庭の山法師の木も、そして、日本語の二人称も、すべて、私にとって、現実世界と仮想世界を行き来する契機となったものたちなのです。

下のリンク欄、一番上の<カクヨム>をクリックしてください。


【nkgwhiroの活動】

💝 <Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。 

                                            💝 <Amazon・Kindle>で書籍の販売を行なっています。 ただいま、『一日千秋ーある日ちあきと』を販売しています。値段は3ドル換算日本円になります。
 

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