笑うに笑えぬそのようなこと

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 ささやかな雪の降った日のことでした
 うっすらとのっかった雪の中に
 ツバキの花が見事な「赤」を誇示していました
 雪は主人公ではない
 この私が主演よと言いたげなそんな咲きっぷりでした

 


 だます方が悪いのか、だまされる方が悪いのか。
 この問題、いつも、私の中で、堂々巡りをしているのです。

 と言うのも、私たちの中に、だまされたいと言う欲求があるからだと思っているからです。

 例えば、マジック。
 私も下手の横好きで、いくつかのマジックのタネを持っているのです。
 もちろん、誰かをだますために持つと言うわけではありません。私の不器用な指先では、人を驚愕させるマジックを演じることはできません。 

 だから、人を手業でだますマジシャンへの憧れが、そうしたタネを求めてきたのだと思っているのです。

 マジシャンの巧妙な手業を見ることは、何よりも好きです。
 だって、そこには、だまされたいと言う欲求を、現実にしてくれるすべてがあるからなのです。

 シドニーのサーキュラキーをそぞろ歩いていた時でした。
 マジシャンが通りで、マジックを披露していました。周りは人だかり、私は少しづつ人ごみをわけで、しまいには最前列で、その方のマジックを憧れの視線でながめていたのです。
 すると、そのマジシャン、私を呼んで、私にマジックをさせるではないですか。
 私、見事に、マジシャンにおもちゃにされ、衆目環視の中で笑われたのです。

 でも、失敬だとは思いません。
 それより何より光栄なことだと思って、そのマジシャンに感謝したのです。

 だって、だまされたいと言う本能をまさぐってくれたのですから。

 ホノルルでも、マジックショーのあるレストランで、私は舞台に上がりました。
 よほど、物欲しそうな顔をしていたに違いありません。

 日系のマジシャンで、アメリカで活躍している有名な方です。
 その時、私は箱に入れらたのです。
 小さな声で、ここに入ったら、指示に従ってなどと小声で言われ、どこから出てきたのか助手の指示に従って、私は箱の裏からそっと出て行ったのです。
 客席から喝采が起こりました。
 私が消えたからです。

 で、私はと言うと、ここにスポットライトが当たるまで黙って座っていてと言われ、客席の端のテーブル席につかされたのです。
 そして、スポットライトが眩しいほどにあたり、私は、もろ手を挙げて、ここにいると。
 拍手喝采を受けて、私は自席に戻り、興奮気味で食事を続けたのです。

 でも、いまだに、あの時、どこをどう歩いて、あの席に着いたのか今もわからないでいるのです。

 先だって、SNSでアメリカの財務大臣を名乗る男からアクセスがあり、彼から、やんやの連絡が来ました。
 日米の財務大臣というのは、おかしな奴が多いと思って、こっちもだまされてやろうと思って、やり取りをしていました。
 いい歳をした財務大臣が、自分のことを「I」と言わずに、若者たちが使う「i」なんて書くのですから、バレバレです。
 それなりに、大臣ぶった口調ではありますが、魂胆も見え見えです。

 さて、いつ、尻尾を出すかと興味深く思っていると、彼はあらぬところで尻尾を私に掴まれてしまうのです。

 その日、大統領の一般教書演説が行われ、テレビで実況されたのです。
 まさか、異国で、ライブで演説がなされるとは、思っていなかったのでしょう。
 私は、テレビで、大統領の前に座る財務大臣を見ながら、それを名乗る男からのチャットを受けたのです。

 私をだまし、翻弄したあのマジシャンたちの巧みな手さばきとは異なり、この男のだましのテクニックは稚拙でありました。

 そうなると、私の中にある種の不満が生まれてくるのです。
 財務大臣を名乗る男、もう少し、夢のあるだましのテクニックを使えなかったものかという不満です。

 狂言に「末広」と題する演目があります。

 天下泰平の時代。果報者が、宴席を設けて、年寄りに扇を贈ろうと考えます。
 そこで、太郎冠者を呼び、「末広」という扇を買ってきておくれと頼みます。
 太郎冠者、「末広」がなんたるかも知らず、安請け合いをします。

 町辻に出て、「末広なるものを買いたい」と叫びます。
 すると、男が出てきて、これが末広だと言って唐傘を売りつけてきます。

 果報者は確か「良質な地紙で骨に磨きがかかり、絵が描かれている」と言っていたが、男が差し出した唐傘には「絵」がないではないかと男に言います。
 すると、男は、「それは、絵ではなくて、枝のことだ」と言いくるめます。
 そうかそうか、「絵」ではなくて、「枝」のことかとすっかりだまされます。

 大金をはたいてそれを買い求めると、その男、言います。
 もし、その果報者が不機嫌になったらと、太郎冠者に一つの歌を覚えさせたのでした。

 戻ると、案の定、果報者はこれは違う、とおかんむりです。
 で、太郎冠者は歌い、そして、舞います。
 『傘を差すなる春日山、これも神の誓いとて、人が傘を差すなら、われも傘を差そうよ』
 すると、果報者も一緒に舞って、めでたしめでたしとなる話です。

 なぜ、めでたいのかって、それは春日山の「かす」が「貸す」にかけられて、大明神が雨や日差しから人々を守ってくれる。神様がそうしてくれるんだから自分もこの唐傘をそう思うよって、そんな歌で、扇が傘に化けたこともすっかり忘れての、狂言らしい、終い方なのです。 

 日本人は、だます方にも洒落っ気を持たし、だまされる方にもそれを持たして、しゃれてきたのですから、これって、いい文化だと思っているのです。 

 ですから、なおのこと、財務長官をかたるあの男の不粋が情けないのです。
 ましてや、若い連中が、年寄りから金をせびり取るなどもってのほかです。
 しかし、ここで怒りを爆発させては、日本古来の狂言の笑いに対して、不粋になりますから、あえて、こう締めくくろうと思っているのです。

 笑うに笑われぬそんなようなことは、するなかれ、させるにまかせるなって。



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意匠の国の旗

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 それは雪の降った日の朝のことでした
 うっすらと雪がバルコニーを覆って
 いつもの世界と異なる世界を作り上げていました
 春夏秋冬ある日本で
 世界を一新させるのは雪だけだなって
 そんなことを思っていたのです
 その雪の日も
 今は懐かしくなりました
 だって
 春がそこにあるのですから
 カーンとキジが鳴き
 ヒバリがホバリングをしながらチーチーと鳴き始めました




 その日は天皇陛下の在位三十年を祝う式典があるというので、ならばと日の丸をウッドデッキに掲げました。

 我が宅の日の丸は、これが二代目になります。  
 今から三十年前、平成という御代が始まったのを機に新しくした日の丸です。

 近くのホームセンターで売っていたなんと言うこともない日の丸です。
 それを、祝祭日には、ウッドデッキに掲揚をしてきたのです。
 我が宅のある道筋で、日の丸を掲揚する家は、他にありませんから、きっと、あのウチは余程の右翼が住んでいるに違いないって思っている人もいるかもしれません。
 まぁ、左翼ではなさそうですから、そう思われてもいいのですが、実は、私は右翼でもないのです。

 GOKUが暮らすロビーナで、しばらく暮らしていた時のことです。

 広大な住宅街の中に、庭にポールを立てて、一年中、コアラの国の旗を掲揚しているお宅が何件もありました。
 そんなのを見ると、あの人たちが、中国の覇権が自国に及ぼす影響を懸念する、どちらかという白豪主義を唱える人たちなのかなぁって思っていたのです。
 ここは、イギリスから移民してきた人間が作った国、アジア人なんかにきて欲しくないなんて思っているのかしらって。

 そんなある日、ロビーナ・コモンへと抜ける森の木が覆いかぶさるような薄暗い小道を歩いて、そこを抜けた時でした。
 
 一人の口ひげを蓄えた男が、仁王立ちになっているのに遭遇したのです。
 周りには、ブロックが整然と積み重ねられ、建材もその横に丁寧にビニールがかけられて置かれていました。
 ここコアラの国でよく見かける、家は自分で建てることを主義にしている人に違いありません。
 いつものように、微笑みを浮かべてあいさつをします。
 すると、口ひげの男も、私を見て、にっこりと微笑みます。そして、オーストラリア訛りの英語で、話しかけてきました。

 どこか来たのか。
 何しに来たのか。
 いつまで滞在するのか。

 まるで、身上調査です。ですから、正直にそれに応えてやりました。
 そしたら、こんなことを言うのです。

 可愛い孫がいるなら、お前さん、こちらに暮らせばいい。この国には土地は有り余るほどあるんだ。なんなら、私が保証人になってやるって、土地を買って、自分で家を建てなさいよって。
  
 それもいいとは思いつつも、つくばを終の住処と定めた私ですから、そうそう簡単に主旨を変えるわけにもいきません。
 ふと、彼の住まいを振り返ると、そこにはこの辺りでは一番と言われほどの大きなあの濃紺の地に南十字星が描かれ、端にユニオンジャックのある旗が、たなびいていました。

 私、その旗を指差しました。
 
 すると、口ひげの男。
 私は、あなたの国の旗は好きだって言い出したのです。
 だって、単純明快ではないかと。

 世界の国の旗の中で、あれほど、わかりやすい旗はない。お前の国は、昔から意匠の国だから、デザイン性に優れているなんてことを言うのです。

 デザインの国なんて言われたのですから嬉しくなります。
 さまざまな家紋もあり、ハンコだってあります。
 旗だって、日章旗もあれば、旭日旗もあります。Z旗も、七人の侍の旗もあります。紅白の旗など、いまだに好敵手を意味して、学校で、職場で使われているのです。
 
 なるほど、意匠の国かって、私、オージーの男から素晴らしい話を聞かされたと思ったのです。

 だから、なんだか嬉しくなって、あなたの国の宗主国には、女王陛下がいますが、私たちにも天皇陛下がいるんですから、同じような国ですよって、そう言ったのです。
 口ひげの男は、その通りだと言わんばかりに、大きくうなづきました。

 そして、特別な人をいただいていると言うのは素晴らしいことだと言葉を継いだのです。
 
 そうだ、日本もオーストラリアも、もちろん、宗主国イギリスも、「特別な人」をいただき、国をなしているんだと、あらためて自覚をするのです。

 我が宅のウッドデッキに掲揚される「日の丸」は、政治的な思惑ではなく、「特別な人」をいただく国に生まれ育ったことを誇りにする証なのではないかと、私思ったのです。

 オージーがユニオンジャックを片隅に置いて、「特別な方」のいる国の一つだと誇らかに語るように、私も、そうしているんだと思ったのです。

 それにして、春の暖かさに包まれ、青い空の下、紅梅の花を背景に翻る日の丸を眺めて、三十年も戦争のない時代を過ごしえたことに、ありがたいことだと感謝をし、そして、意匠の国の旗であるとした「日の丸」を見て、これって、デザインの最高峰にある旗に違いないって思ったのです。

 今年、時代が変わるのにあわせて、新しい日の丸を用意するかって、そんなことを考えたのです。



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戦車に轢かれてぺっちゃんこ

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 ここは宇宙だ
 だって、何かが生み出され
 ここから発信しているんだから
 地球が高等生物からの電波を受信できないよう
 ここから発信する電波は
 今のところ受信はされていないのだ
 だから
 なおのこと
 ここは宇宙なのだ




 神経質そうに末端がキュッとあがった眉。
 鼻の先端がグッと伸びて、小鼻が押しつぶされたように顔面に張り付く。
 その一重の目は鋭く光っている。

 そんな表情でした。

 李鋭という中国人です。

 一体どういう人かって?

 あの毛沢東の秘書だった人です。
 先だって、亡くなられたんです。
 百一歳という長寿でありました。

 で、なぜ、その方のことを?って、お思いになられるかと思います。

 一九八九年のことでした。
 早稲田の友人で、院に進み、北京大学に留学している友人がいて、その友人の暮らす街で、あの「天安門事件」が起こったのです。
 日本のマスコミも盛んに報道をしていました。
 私も出かけたことのある、あの広場のそこかしこに、「革命」の雰囲気が満ち満ちていて、中国もこれから新しい時代がやってくるんだと、密かに期待をしながら、ニュースを見ていたのです。

 ところが、知っての通り、人民解放軍が実弾を浴びせ、倒れた学生の上を戦車で走り回りました。当時は、ネットもなかった時代ですから、随分と経ってその時の写真を見て、唖然としました。
 人間って、こんなにもぺちゃんこになるんだって。

 そして、さらに、思ったのです。

 ここまで、自国民に凄惨な仕置きをするのかって。

 そんな折、李鋭は、元毛沢東秘書としての権限で、学生の弾圧に反対をしたと言います。
 いや、彼が政権に異を唱えたのは、それが最初ではないのです。
 自分が仕える毛沢東の、最大の失敗とされるあの「大躍進運動」まで批判したのです。
 当時は、自力更生で、外国を頼らずに、自分たちだけで物事を行うという政策をとっていたのですが、そのおかげで、生産活動が滞り、食糧不足が深刻になってしまうのです。
 農民を動員して、鉄を作るというのですから、ばかげた政策です。

 日本が国交が回復して、一番先におこなった事は、高度な製鉄技術を惜しみなく、中国に与えたことでした。
 その時に作られた最新の製鉄所の生産能力が、今の中国の発展を下支えしたのです。
 素人がどんなに頑張っても、鉄は、それも上等な鉄は作れません。
 そのため、悪質な鉄がまかり通り、食べるものが不足、餓死者が大量に出たのです。

 それを、李鋭は批判し、栄光の共産党員資格を剥奪されるのです。
 あの中国においては、それは一切を失うことに相当します。

 さらに、毛沢東が発動した「文化大革命」では、李鋭は紅衛兵により糾弾を受けます。
 あの三角棒を被されて、まだ年端もいかない中学生に両腕をねじ上げられて、自己批判を迫られたのです
 しかし、いわれの無い罪を認めるわけにはいきません。
 彼は、八年も投獄されることになります。

 その彼の報道を、久しぶりに、耳にしたのはあの劉暁波のノーベル平和賞受賞の折のことでした。劉暁波を隔離する政権を批判し、さらに、中国は言論統制をやめるべきだと発信していたのです。

 そういえば、あの天安門事件の折に失脚した胡耀邦や趙紫陽も、彼は弁護していました。
 二人とも、あの学生たちを擁護し、民主化を志した政治家です。

 そんな経歴を見ますと、随分と勝手なことをしてきた豪放磊落な人物のように思えます。同時に、ひたすら、あの国で、自分の流儀に沿って、生き抜いてきた人物のようにも思えるのです。

 おもねることなく、自分の流儀に沿って生きるなんて、相当に辛いことです。

 家族も大変だったでしょう。
 その家族に、李鋭は自分が死んだら、棺桶に党旗をかけるな、八宝山に葬るなと遺言していたと言います。
 八宝山というのは、党幹部が埋葬される墓地のある場所です。

 そんなに頑な人が毛沢東の秘書になっていたなんてと、いつも思うのです。 

 きっと、毛沢東は、自分に直球を投げてくるこの李鋭という男を信頼していたのではないかと思うのです。
 十億の民を背負って、他国との交流を絶って、中国革命を果たさんとする男の、想像を絶する孤独と震えを、李鋭はよく知り、それがゆえに、寄り添うのではなく、忌憚なく意見を述べて、毛沢東に示唆、あるいは、考察すべき余地を与えていたに違いない、そう思っているのです。

 痛快であったのは、李鋭が放った一つの言葉です。

 昨年、アメリカのマスコミによって取材を受けて、その折に発した言葉です。
 「文化水準がこれほどまで低いとは、まるで小学生並みだ」

 そんな言葉、非公式ですが、聞いたことあります。
 トランプから解任されたマティスの言葉としてです。あの時は確か、大統領は小学生並みの理解力しかないというものでした。
 李鋭は、この言葉を自国の主席に対して放ったのです。

 強烈な一発です。

 果たして、今の主席は、かつての主席のように、その言葉から何かの示唆を受け、何かの思索をいたすのでしょうか。
 そうそう、早稲田の友人、今は大学で教師をしていますが、あの折、日本に帰国していて、歴史的革命事件に立ち会えなかったことをいまだに悔やんでいます。

 戦車に轢かれてぺちゃんこになっていたかもしれないのに……。



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今からでも遅くはないって

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我が宅の紅梅がひときわ紅い花をつけ始めました
ふと目を他方にやれば
そこには枝をさらけ出した木々が
冬と春の空気の中で目覚めようとしているかのようでした




買ってから一度も使わずにあるものがあります。
 一つは、畑を耕す鍬で、いま一つは手斧です。

 なんでそんなもの買ったのって、自分でもよくわからないのです。
 きっと、つくばに家を建てた頃、近くにあった菜園のひと区画を借りて、農作業でもやろうと思っていたのかも知れません。それに、周りは雑木林ですから焚き火用の枝でも斧で叩き割ろうとしていたのかも知れません。

 すっかりと買ったことなど忘れて、これらの道具は、ガレージの隅に放置されたままになっていたのです。

 日曜日も学校に出かけるくらい、どっぷりと教師をしていたのですから、畑作業などできるはずもないのですが、鍬や手斧を買ったのには、きっと、自然と接するそうした生活への憧れがあったのではないかと、いや、きっと、そうに違いないと思ったのです。

 私は、ある種の男たちがそうであるように、まず、形から入る傾向が強い人間なのです。
 何かを始める時、形って大切だと考え、ともかく、一丁前の格好をして見せるのです。

 ロードバイクであれば、自転車を乗るにあたり、それなりの格好を整えます。
 卓球でも、それは同じです。
 なぜなら、服装とか備品というのは、それをするに、最適の恰好を示しているからです。

 ジーンズで自転車に乗っても、なんら差し支えありませんし、ジャケットとニッカポッカを履いて自転車に乗れば、まるでイギリス人になったかのようで痛快です。

 ジャージで卓球台の前に立ったって、何もプロの選手ではないのですから、構うことありません。まさか、浴衣でとは洒落が過ぎますが、でも、私は、それなりのユニフォームを好むのです。
 そんなことを考えると、船はどうかといえば、例えば、濡れても滑らず、気持ちも悪くならないシューズを履いていますし、ズボンもお尻の部分が少々厚めに縫われた、そして、濡れてもすぐ乾く、いつまでもオシメをしているような感覚にならない、さっぱりしたものを用意しているのです。

 だから、恰好ばかりを気にしているのではなく、明らかに、そこには、合理性があって、それをするに適したものをつけて、もっと、楽しみたいという気持ちが作用していることがわかるのです。

 零下の朝の気温も影を潜め、昼間など、ウッドデッキには陽が差し込み暖かいくらいの天気になり、デッキの上に覆いかぶさっている紅梅も花を咲かせた日に、私、片隅に置かれたままになっていた鍬と手斧をウッドデッキに持ってきて、しばし、思案をしていたのです。
 
 両方とも、錆が出て、あかくなっています。
 おまけに、柄もブカブカです。
 鍬など、刃先がスルスルと入ってしまいます。これでは使い物になりません。
 手斧だって同様です。あまりの錆ように、申し訳なる程です。

 さて、錆を落として、柄を入れなくてなりません。

 おいおい、何をする気かと、そんなことを考える自分に、私、問うたのです。
 何をするって、せっかく、鍬があるんだから、この春、庭のひと隅を使って畑を作るというのだから、そこに使ってやるんだ。
 それに裏にほったらかしてある、あれ、そう、暖炉の薪にと、落葉樹の枝を集めてあるあれ、あれをこの手斧でぶった切るんだ。
 電鋸でやればいいのに、その方が絶対に早いって思うんですが、せっかくある手斧だから、使ってやるんだと、答えが戻ってくるんです。
 
 しかし、この手斧、ごくごく一般に見る斧とは違って、西部劇に出てくるインディアンが使う手斧に似ているぞ。もしかしたら、どこかに行って買ってきた土産かも知れないなぁ、なんて考えもするのですが、記憶が曖昧で確としたことはわかりません。

 ガレージから、錆をおとす道具を取り出します。
 金ブラシに、金属磨き、それに砥石と、我が宅の道具置き場にはそれなりのものが揃っているんだと驚きます。そして、それらを使って、せっせと磨きをかけます。
 すると、それなりの輝きを取り戻すのですから大したものです。
 そして、そこにくさびを打ち込みます。

 二時間ばかりで、私は、かつて、理由もわからずに買った二つの道具をいつもで使えるように修繕を完了させたのです。

 そして、ウッドデッキにそれらを置いて、私はデッキアンブレラの下に座って、眺めていました。自分で言うのもなんですが、修理の出来の素晴らしさに惚れ惚れとしていたのです。
 そうしていますと、そうだって、あることに気がついたのです。

 私の書架にある、書籍のことです。
 あれらの本のうち、いまだに読んでいない本が幾冊か、いや、幾十冊かあることにです。
 学生時代、アルバイトしていただいた金を注ぎ込んで買い溜めた、中国関連の史書であり、中国社会科学院の専門書です。
 ついぞ読んでいないなぁって、それに早稲田の中国文学会から送られてくる論文集も積み重なったままです。
 いつか、これは役に立つとあの時は思って買ったはずです。

 しかし、人生はままならぬもので、まるで、時代に流されるように、私は違う方へと、あらぬ方へと行ってしまったのです。
 だったら、今こそ、自分の行く道を修正することができると、そう気がつくのです。

 今からでも決して遅くはないって、私の前の鍬と手斧が、そう囁いていたのです。



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それを言ったらおしまいよ

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霧のかかった朝でした
信号も停まる車もおぼろげです
そこを自転車に乗る男が走っていきます
この光景って詩的だなぁって
そんなことを思ったのです




 喜劇俳優というのは、舞台や映画では、大いに人を笑わせてくれますが、実生活ではむっつりとして、なんも面白くない、なんて話をよく聞きます。

 喜劇俳優に知り合いがいるわけではないのですが、でも、それは本当かもしれないと想うのです。

 だって、一銭にもならないのに、家族に面白おかしいことをやってもしょうがありません。
 それに、家族のいる家庭では、きっと、人を笑わすためには、必死に、考えを巡らせているはずです。
 人は、そうそう容易には笑ってくれませんから。

 人は、意地悪なものです。
 寄席に行くのは、絶対に笑わないために行くんだという人もいるくらいです。
 反対に、辛いことばかりだから、バカを見に行こうという人たちもいるのです。
 語弊がないように言っておきますが、落語家さんや漫才師さんをバカと言っているのではないのです。
 頭のいい彼らがやるバカを、人は見て、ゼニを払うのです。そういう意味なんです。

 そういえば、私の祖母がよく言っていました。
 利口がやって、馬鹿が見るって。
 テレビばかり見ている子供たちに、そう言ったのです。
 確かに、テレビの向こうで、バカをやっている人たちって、本当は利口なんです。今時のお笑い芸人を見ていると、その才能の豊かさには驚くばかりです。
 むしろ、テレビを見ている私たちの方が、何もせず、何も考えず、クチをあけて、ハラを抱えて、呑気にしているバカではあるのです。

 そんな喜劇役者で、渥美清という人がいました。
 フーテンの寅さんです。

 それを知らない世代も最近は増えているというのですから驚きではあります。
 盆と正月、フーテンの寅さんを見に、映画館は人だかりになるのです。
 テキ屋で、正業にもつかず、親分子分と仁義を切り、情けがあって、恋をしやすい、そんな男です。
 
 その寅さん映画がもてはやされたのは、窮屈な日本社会があったおかげであると思っているのです。

 満員電車に乗って、朝から重労働。
 仕事と言ったって、大した仕事ではない。つまらない仕事に時間を取られ、給料はさほどではない。世の中、ひっくり返ればいいなどと不遜なことを思ったり、大学に入ることが大変であった時代、受験が戦争にも匹敵するほどのおおごとであった時代に、あの映画は、一人の自由人を描いて、多くの日本人に憧れを抱かせていたのです。

 ですから、彼が年をとってテキ屋ができなくなった時、年金があるのかしらとか、老後の資金はとか、病気をして治療費はなどと、そんな現実的な諸問題は考えないようにして、その自由で奔放な生き方にだけ目をやり、憧れを遠望していたのです。

 その寅さんは、あるとき、そっと亡くなりました。

 いや、実際に亡くなられたのは渥美清さんなんですが、その最後となった映画に、体調のいかにも悪そうな寅さんが映っていて、私は、あれだけはもう一度見たいとは思わないでいるのです。

 役者とはいえ、それも喜劇役者とはいえ、一人の人間です。
 その役者が、体調が悪いのを押して、映画に出ているのです。
 人を笑わそうとはしていて、それは面白いのですが、体調の悪さは隠しようもありません。
 だから、切なさが滲み出てしまうんです。

 喜劇映画なんですが、悲劇の、哀れの、切なさの満ちた映画、何より人はこうして最後を迎えるんだと、私には見えなくなってしまったのです。

 その渥美さん、多くの人から愛される反面、浅草の仲間内からは、付き合いの悪くなった、鼻持ちならない男だとか、売れっ子になってツンとした奴などと悪口を叩かれた時期があったと言います。
 それに対する弁解はついぞ聞いたことがないのですが、でも、それなりの理由があったことだと思っているのです。
 浅草の劇場から、日本を代表する喜劇役者になるのですから、そこには筆舌に尽くしがたい苦労があったはずです。

 だから、彼は家庭を公にしなかったのではないかと思っているんです。
 自分ひとり、銀幕で、舞台で、バカをやって、転び、人を笑わせていたのだと思うのです。

 自分の人生を、客が知れば、それ喜劇にならなくなってしまう、それじゃ、いけないとそう思っていたはずなのです。

 そんなことを思えば、彼は表の顔を前面に出して、一斉を風靡した役者であり、決して、裏を見せなかったプロだと、そう思うんです。

 かつてのスターたちは、自分の中にある「裏」を見せることは恥と思っていたのです。
 客に、自分の「表」を見せ、めいっぱい着飾り、見栄を張り、スターを誇張していたのです。
 ゴシップさえもそれを糧にして、スターを気取ったのです。

 そんなことに思いを馳せると、今の時代がなんとキツキツしていることかと思うです。

 裏も表もあからさまにして、二分の遅刻に声を荒げ、お笑いの一方で利発さをにじませ、どこかに、キツキツさが潜んでいるって、そう思うんです。
 
 そういえば、寅さんの口癖がありました。
 それを言ったらおしまいよ。

 なんだか、そのセリフが生々しく聞こえてくるのです。



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電子レンジが見せる世界

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風を描いてみたい
風を表現したい
風はいつも何かを連れてくるからです




 その日の朝、電子レンジをチーンして、昨夕の取り置きのスープを温めて、それをご飯にぶっかけての朝ごはんでした。
 もちろん、浅草で買ってきた大辛の薬研堀もふりかけての朝食です。
 せいぜい、ぜいたくといえばその薬研堀くらいかな。

 朝食は、豊かに、ゆったりと、とりなさいと言いますが、仕事の合間の食事では、いつもこんな具合に、あっさりと済ましてしまうのです。おかげさまで、医者からああでもないこうでもないと言われる「数値」も、このところ幾らかは改善されてきているのです。

 私、電子レンジのタイマーを回して、その間に、他のことをするってなかなかできないんです。 
 性格なんでしょうね。
 じっと、ブーと音を立てて、回っているのを見ているんです。
 トースターでも同じで、随分と時間の使い方が下手だなぁって、自分でも思っているんです。

 電子レンジは、マグネトロンから発生するマイクロ波を食品に照射して、それによる分子振動によって食品が温まる仕組みになっています。
 マイクロ波は水分にのみ反応して加熱するので、陶器であろうがプラスチックであろうが水分のない容器には反応しません。
 しかし、それにしても、よくそんなことを考えたなって、私、チーンと音がなるまでそれを見続けているのです。

 この電子レンジの仕組み、旧日本軍が敵機を攻撃するために活用できないかと随分と思案をしたそうです。しかし、残念ながら、戦時下、欧米の論文も手に入らずに、この研究は日の目を見ませんでした。
 もちろん、アメリカだってこの仕組みに目をつけていました。
 しかし、それは攻撃兵器ではなく、攻撃を予知するレーダーとしての活用でした。そして、こちらは現実に実戦に使用され、日本軍はわけもわからず攻撃されるという羽目に陥ったのです。

 アメリカには、もう一つ、電子機器を使った兵器がありました。

 ガダルカナル島での攻防戦でこれが初めて使われました。
 米軽巡「ヘレナ」が、襲ってくる日本海軍九九式急降下爆撃機に放った一発がそれです。
 九九艦爆は、日本海軍が誇る急降下爆撃機です。開戦から二年も経つと、当初、大活躍したこの爆撃機も時代遅れの代物にはなっていましたが、それでも威力は絶大です。
 その九九艦爆に放たれた砲弾は、実は、機体に命中をすることはなかったのです。

 そうではなくて、急降下するその機体の航路を予測して撃たれ、そして、金属を探知して、爆発する仕掛けを持つ爆弾であったのです。

 だったら、それは日本の三式弾と一緒ではないかって思うのですが、三式弾は、つまり、榴弾であって、爆発時間を調整して、その時点で爆発し、前方に向かって996個の弾を放ち、航空機を撃ち落とすものです。
 しかし、ガダルカナルでのその弾は、さらに高度に発達したもので、弾の中に高周波発振器が組み込まれ、撃たれた弾は盛んに高周波をだし、周囲に金属を探知すると、それを目安に信管に通電し、爆発をするのです。

 いつだったかNHKの番組で詳しく説明された番組がありましたが、「VT信管」というのがこれです。
 Variable-Time fuzeというわけです。時間可変性信管などとわけのわからない名称をつけて、機密扱いになっていた秘密兵器です。

 いつだったか、そう冷戦の時代のことです。

 アメリカ政府から日本政府に、ココム違反の物品がソ連に供給されていると情報が寄せられました。
 ココムというのは、対共産圏への戦略物資の輸出を規制する条約です。
 日本政府が内々に調べてみると、北海道で、日本の漁船がロシアの船にある物資を渡している事実を突き止めるのです。

 その物資というのが「ビデオデッキ」だったのです。

 漁民がロシアにそれをプレゼントすることで、多少のお目こぼしがあるというのです。
 さほどに高いものではないし、漁にでる時は新品のそれを十数台も積み込んで、オホーツクの海の上で「瀬取り」をするわけです。
 アメリカはそれを衛星監視で突き止め、その物資が軍事転用されていることに危惧を感じ、日本政府に内密に通告をしてきたというわけなのです。

 ビデオデッキの何がそんなに重要なのかというと、ビデオテープを少しの狂いもなく回転させるために組み込まれている部品の中に真球に近い高度に研磨されたベアリングが使われていたのです。この技術、長野にあるベアリング会社が開発したもので、ミサイルなどを目標に正確に当てるために欠かせないセンサーに組み込まれて使われるというのです。
 ソ連は、自国では作り得ない真球に限りなく近いベアリングをビデオデッキから抜き取っていたというのです。

 一方は、戦略兵器を民用産業に活用、一方は、その民用を軍事物資にしていく。

 これもまた、いま、世界を二分する勢力のありようの、しかも、重要な一点であると思っているのです。
 だから、アメリカが自分たちとは異なる思考ベクトルを持つ中国を、そして、その国のファウエイを敵視するのは、まったくもって道理なのです。

 目先の利益によだれを垂らして近づくのではなく、彼らの本質を見て取り、対応をしていかなくてはならないのです。
 だって、彼らの国の軍用品を見ていますと、本当にアメリカのそれと瓜二つです。つまり、設計図が同じってことです。

 第二次大戦末期、ベルリンに進攻したアメリカは、フォン・ブラウンを確保しアメリカに連れて行きました。一歩遅れたソ連は、人間の代わりに大量の設計図を持ち去りました。

そして、数年後、当然のように、ともに同じようなロケットを打ち上げるのです。
 元が一緒なら、同じものができることは当たり前の話なのです。

そんなことを考えれば、アメリカが中国に殊の外強硬に出ていることが納得できるのです。
中国もそこにはやく気がつかないと、アメリカの最終目標、中国共産党の解体まで持っていかれることになります。
時代はそこまで来ているのです。

そんなことを考えていると、チーンと音がして、わたしの朝ごはんができたのです。
それでは、いただきます。



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のびる時間 めぐる時間

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人は曲がりくねった道を好みます
この道だって
最初からそうあったのではなく
人がわざとそのように作った道です
でも
美しいことが
そして
思惑ありげな様が見て取れます
人生でも
人は
まっすぐな道よりも
曲がりくねった道を好むのですから



 時間のありようには、昔から興味深く思っているんです。
 
 『タイムマシン』というSF小説を読んだ小学生の時から、時間は一直線に過去から未来へと進んでいて、誰もが、何物も、すべてのものが、その直線の上を進んでいるって、そう思い続けてきたのです。

 過去の時間は、直線が伸びていくにつれて、縮まっていくんです。
 ですから、歴史は、毎日のとりとめもない出来事は吹っ飛んでしまって、歴史にとって必要なことだけの凝縮されて残ってしまうのです。
 だから、歴史にとって必要でない一般人など、微塵もなく消え去ってしまっているんだなどと想像したりしていたんです。

 いつだったか、どこかの展示会で、江戸時代のお婆さんのミイラを見たことがありました。
 
 私、その前に佇んで、このお婆さん、なんでミイラになんかなったんだろうって、二百年も経って、こうして発見されて、衆目の目に晒されるなんて、江戸の時代のお婆さん、思ってなどいなかったはずだし、歴史に残るような活動もなかったのに、でも、姿を残して、今にあることで、彼女の時間は途切れることなく続いていたんだと思ったりもしたのです。

 過去がそうであるならば、未来へと向かう時間はどうだろうと、当然のごとく考えます。
 今、一歩踏む出したことで、その一歩の先に時間が伸びていきます。
 もし、別の一歩を踏み出したら、その一歩の先に時間が伸びていくのです。
 だとするなら、私たちの未来へと向かう時間は、無限大にあるということになります。

 だったら、私たちは次元の異なる世界で、複数の人生を生きていてもおかしくないということになるのです。
 
 失恋をした男が、死にたくなった。
 でも、そこに、新しい希望を見出すことのできる女性が現れた。
 男は、新しい希望を胸に、その女性と一歩を踏み出した。
 その男の未来への時間が始まったのです。

 でも、別次元で、失恋をしたはずの女性とも、よりを戻し、そこで一歩を踏み出している幻想もあってしかるべきです。

 世間には、自分に非常に似たものが三人はいると言います。
 きっと、その人たちは、次元を異にして、自分を生きている人たちなのだと空想科学的に考察すれば、それもまたありうることだと思うのです。

 そうなると、世界は、たった一つの世界ではなく、次元を超えて、幾つもの世界があることになり、時間に対する興味はまさに尽きることなく、私の心をときめかすのです。

 「雨水」の候でした。
 立春から十五日目の日を「雨水」と古人は定めました。
 雪が雨に変わり、草木が芽吹くとしたのです。
 その二月十九日、つくばに暮らす私の家の周辺でも、確かに雨が降りました。暖かい雨でした。翌日は、季節外れの気温の高さで、だれもが春を実感しました。
 
 そして、ふと、考えるのです。
 古人は、現代人のように、時間を直線とは捉えていなかったのではないかと。
 
 三月の声を聞けば、古人は、それを「啓蟄」と呼んで、地中もあたたまり、虫たちも目覚めるとしたのです。
 植物に次いで、動物も動き始めるのです。
 そして、三月の末には、「春分」です。
 黄経0度になる日です。

 地球の赤道を延長した天の赤道と太陽の通り道の黄道がちょうど交差したところが黄径0度となります。
 「春分」は、太陽が黄径0度、ここを「春分点」と言いますが、そこに到達した瞬間のことを言うのです。
 もっと、わかりやすく言えば、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになると言うことです。

 古人は、この太陽と自分たちの大地の関係をよく知っていたのです。
 だから、時間は、過去は縮まって、未来に一直線に、それも無数の時間があるなどとは一切考えていなかったのです。

 時間は、巡っているものだったのです。
 円を描いて、まるで、太陽が東の空から昇り、西の空に沈んでいく、そうあるかのように、時間は巡ってくるものだったのです。

 歴史に名を遺す人物も、そうでない人間も、この世の生きとし生けるもの皆、その巡る時間の中に、平等に、一切の差別なしに、あったのです。

 そんなことに、今更のように気がつくと、なんだか気が楽になるのです。

 だって、余計なことを考えずに、巡る時間の中で、折々の時間の景色を遠望し、その中に身を浸して生きていくことが、命あるものが行うべき一点であるとつくづく思えるからなのです。
 昨年のことなど、人間はすっかり忘れているのです。
 昨日のことなども、思い出せないのが人間です。
 でも、巡る時間の中で、命をつなぐことだけは繰り返し繰り返し私たちは勤めあげてきているのです。

 そんなことを思うと、「春分」の日の太陽が絶対神のように思えて、早く会いたいものだと、そんな風に思うようになるのです。



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もののふのたましい

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冬の日でした
陽光がふりそそぎあたたかい日でした
それでも北風が時折吹いて
そんな昼下がり
学生たちがグラウンドでサッカーに興じていたのです
眩しい光景でした



 なんだか小馬鹿にされているようで、癪に障ることが多いのですが……

 何に癇癪を起こしているのかって、そりゃそうでしょう、お隣の国のお偉いさんがとんでもないことを言って、あろうことか、我が国を盗っ人だというのですから。

 その向こうにある、大国も、あの海警局を第二海軍って位置付けて、尖閣への圧力を強めるっていうんです。
 それならそれでいいのです。それは彼らの主張なのですから。
 癪に触るのは、一方で、そうしておきながら、友好だって、微笑んでくるその姿勢なんです。

 私からすれば、友好だって言うなら、まず、敵対的な行為をやめて、言葉で、折衝で、物事を解決するそんな姿勢があるべき姿だと思っているんです。

 日本政府のロシアに対する姿勢を見てごらんなさい。

 経済協力をして、文化交流をして、漁船が拿捕されれば、根気よく折衝して、こちらが悪ければそれなりの弁済をして、そうしてやっているでしょう。
 その上で、平和条約を結び、領土問題への解決をしていこうとしているのです。

 自分の国の政府のやることですが、どう見ても、まっとうな在り方だと思っているんです。

 そういえば、かの国の大統領、いつだったか、ふと思いついたように、そして、自分でも、今思いついたのだがと前置きして、なんの条件もつけずに、平和条約を結んで、そこから前進していこうなどと語りました。
 でも、自国民の抗議にあって、あのコスタナイ(すみません、私の育った下町の方言です)外相があれこれと火消しに走っているのです。

 で、なんであの外相がコスタナイかと言えば、彼、いつだったか、外相会談で日本の外務大臣が領土問題を話しあったたことを記者会見で語ったら、すかさず、そんな話はしていないとやって、日本の大臣が茫然自失するということがあったのですが、話し合ったことを否定するそのありようこそコスタナイことだと思っているのです。

 そう言えば、お隣の国も似たようなことをあれこれやっていますから、それは古い形の国際政治なんだと思ってもいるんです。
 第二次大戦まえの欧州で行われた外交の姿です。
 口先三寸、約束を反故にして、攻め込むあのやり方です。

 今読んでいる新聞に、五百旗頭先生の自叙伝があって、毎日、興味深く読んでいる所です。 

 若き日の先生、アメリカに渡り、公文書館で膨大な資料を読み込んでいくそんな時代を描く一節がありました。そのおり、先生、「JWPC385/1」という終戦の翌日の日付の入った文書を見つけるのです。

 そこには、北海道と東北はソ連。中国と九州は英国。四国は中華民国。残りは米国と、まるでドイツと同じように、日本分割占領案が記載されていたというのを発見するのです。
 これが、のちに、新聞に掲載されて、先生の名をたかからしめるのです。

 でも、それが現実になっていたらと思うと、ぞっとするんです。

 四国あたりは、国共内戦の影響を受けて、国民党が大陸から台湾に移りますが、そうなると四国はどうなっていたかって想像するんです。
 きっと、四国は中華人民共和国の飛び地になって、面倒なことになったに違いないってそんなことを思うんです。

 もっときついのは、東北、北海道です。
 でも、きつく感じるのは、私、ソ連の方だと思っているんです。

 江戸の昔から、我慢強い東北人であり、幾度の困難を乗り越えてきた人たちです。いうならば、日本農業人の代表のような人々です。
 こうと思ったらテコでも動かない忍耐強い日本人なのです。

 一方、不屈の開拓魂を持つ武士たちが多い北海道の人々、戊辰の戦役で敗れた幕臣たちが、刀を鍬に持ち替えて開拓をしたところです。理に合わないことを承知するはずがありません。

 だから、ソ連が杓子定規な共産理論をふりかざせばかざすほどに、東北人も北海道開拓民も抵抗を試みるはずだと思うからです。

 ソ連の第二極東方面軍なる軍隊が、北樺太から南樺太に侵攻したのが8月11日です。真岡に至ったのが20日です。
 24日には北海道の留萌上陸が予定されていました。留萌と釧路を直線で結ぶラインの北海道北半分を占領しようとスターリンは画策していたのです。

 一方、南樺太を占領した第二極東方面軍は、8月28日択捉、9月1日色丹、9月2日国後、9月3日歯舞を占領します。

 日本がポツダムを受けたのが8月14日、翌日には終戦の詔勅が出ますから、ソ連はその後に我が国の領土に土足で踏み入ったのです。
 ですから、連合国が、五百旗頭先生が発見した文書に書かれたことをしていたら、東北人も北海道開拓民も、その不義なる行為に徹底抗戦をしたに違いないと私思っているんです。

 そんなことを新聞記事を読みながら、書架から昔買って読んだ本のいくつかを引っ張り出し、ネットで確認をしながら、調べを進めていくと、そうだったのかと言うことに偶然たどり着いたのです。

 私の甥っ子は大学で航空宇宙を勉強していたのですが、卒業後、陸自の幹部学校に入って、一時、富士の戦車部隊で訓練に励んでいました。
 そんな縁もあり、一度、富士の総合火力演習に出かけて行ったこともあるんです。
 日本が誇ると言う「一○式戦車」や「九○式戦車」の軽快な動きと、百発百中の命中弾にひどくおどいたのですが、その折に、いくつかの戦車の砲塔に「士魂」の文字があることを知り、その後もその文字が気になっていたのです。

 いい言葉だなって、それに、いかにも国土防衛を任務とし、最後の最後に、侵略から我が国を守る尖兵ですから、「士魂」と言う言葉の意味するところが、心に響いたのです。

 で、諸々の件を調べている時、ソ連が終戦後、攻め込んできたとき、占守島の戦いというのがあったことを知るのです。

 ソ連との戦いというと、負け戦ばかりで、逃げ惑う民間人のイメージが強くあったのですが、この戦いでは上陸するソ連軍を徹底的に打ちのめしているのです。

 北海道に派遣されていた日本陸軍は弱小部隊でも、彼らが言う横暴なる部隊でもなかったのです。

 その戦闘力の軸にあったのが、日本陸軍戦車第11連隊、通称「士魂部隊」であったというのです。
 さらに、ネットで陸自のことを調べていくと、北海道に駐屯する陸上自衛隊第11旅団隷下第11戦車大隊が、その部隊番号も同じく、自らを「士魂戦車大隊」としていることを知るのです。

 その前身ともいうべき、「士魂部隊」は、大本営の命令を守ります。
 すなわち、やむを得ない自衛行動を除き18日午後4時までに戦闘を中止せよという命令です。 
 ですから、彼らは理不尽にも攻めてきたソ連軍に徹底抗戦をし、決められた時刻に降伏するのです。

 まさに、軽挙妄動などではなく、これこそ「士魂」が意味する行動であると思ったのです。

 「士魂」とは、<もののふのたましい>ということですが、うそ、そういっては語弊があるのなら、都合によってあれこれ方便を変える隣国に対するには、こちらは<もののふのたましい>でもって対していくことで、五十年先の展望が見えてくるのではないかと思っているのです。



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君の仕業か

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森を切り開いての道
こんな道が
たくさんあります
自然を大切にする人からすればけしからんとなり
便利さを重視する人からすれば仕方のないこととなり
私からすればこれも自然のありようとなるのです




 午後の時間、たっぷりと庭仕事に使っています。
 
 最初は、厚着で作業にあたりますが、ものの三十分もしないうちに、長靴を脱いで、部屋に戻り、セーターを脱ぎます。
 そんな面倒なことをするなら、最初から脱いで作業すればいいではないかと思いますが、作業を始めたての時は、結構、寒さを感じるのです。
 面倒でも、小まめに調整をすることが、春の庭仕事だと思っているんです。

 秋に植えた野菜が実ってきています。
 収穫はあと一ヶ月くらいでしょうか。楽しみです。
 ふと、芽キャベツを見ますと、葉っぱが何者かに食われています。あれ、虫がいるのかな、冬に虫なんてと思いながら、点検をしますが、虫はいませんでした。
 しかし、葉の下の茎には、小さなキャベツがいっぱいなっています。
 収穫して、シチューにして、食べるのを心待ちにしているのです。
 玉ねぎも玉を大きくしてきました。
 この暖かさであれば、この一週間でもっと大きくなると期待をしているのです。

 夏野菜の苗の植え付けはまだ先です。
 で、今、私が庭をいじっているのは、西側のある敷地の整理なんです。
 敷石を退けて、そこを畑にしようと大改造を行っているのです。

 これが応えるんです。
 でも、楽しいんです。
 
 かつて自分で作った庭を、この春を迎えて、大改造するのです。
 植えるのは野菜ですから、美的鑑賞とはいきませんが、夏の暑さを吹っ飛ばしてくれる美味しい野菜が楽しみだからです。

 ある程度まで、作業が進んで、さて、今日はこの辺でいいかと、時間を確認しますと、もう、四時半を過ぎています。
 あれ、随分と日が延びたなぁって、気づくのです。

 庭仕事をするときも、ロードバイクに乗るときも、船に行く時も、常に紅茶を入れたポットをそばに置いておきます。
 この日も、ひと段落をして、ウッドデッキに腰掛けて、その紅茶をコップにもなる蓋にそそぎ、差し込んできた夕日の中で飲みます。

 一番、楽しい時です。
 だって、予定していた項目をすべてクリアできたのですから、私は、満足感を心に宿しながら、一杯の紅茶に口をつけるのです。

 夏の間、私は、このウッドデッキで仕事をします。
 冷房があまり好きではないので、ウッドデッキに、ガーデンアンブレラをさして、扇風機を回して、時には、噴霧器から霧を出して、涼みながら、あの夏の空の下で仕事をするのです。
 これ、教員時代から続いているんです。
 夏休み、午前中に課外授業を終えて、午後はウッドデッキで、自分の仕事をしていたんです。
 そうそう、蚊取り線香も炊きます。

 私にとっては夏の午後の、素晴らしい時間なのです。

 夏の日の、そよぐ風、道向こうの森からはセミの声がかまびすしく聞こえてきます。
 そして、私の視線の先には、春先に自分でコーデイネイトした庭があると言うわけです。
 
 その最高の時間を過ごすためにも、春の庭仕事はきちっとやっておかないとならないのです。
 
 日の延びたことを実感しながらも、まだ、春というにはちょっと早過ぎます。気温が一気に下がってきました。
 私は、道具を片付け、熱く沸かした風呂で、体を休めます。

 翌朝のことでした。
 書斎のブラインドを開けて、下に見えるウッドデッキを見た時でした。
 二羽の鳥が、それもスズメの三倍、いや四倍はある鳥が、私の芽キャベツを漁っているではないですか。

 ヒヨドリです。
 芽キャベツの上に乗って、葉をつっつき、夢中になって食べています。
 私、iPhoneを手にして、書斎の出窓の脇にある窓をそっと開けようとしたのです。
 しかし、かすかに音を出してしまいました。
 ヒヨドリが二羽、振り返ります。
 そして、二階の私の方を見て、最後のひとかじりをして、飛んで行ったのです。

 あの夫婦にとって、冬の間、近所の柿の樹にご馳走があり、春先には、我が宅の芽キャベツの葉がご馳走なのでしょう。
 茎になった小さなキャベツは突っついていません。
 これはこの宅の主が食べるもの、私たちは葉っぱだけいただきますって、そう言っているかのように、これも我が宅の蕾をつけた紅梅の枝で、今度は私と同じ目線で、こちらを見ているのです。
 君か、トカゲを捕まえて、垣根の枝に刺したのはって、私、心の中で問いました。
 すると、くだんのヒヨドリ、こちらを再び見て、うんともすんとも言わずに、二羽して、飛び立って行ってしまったのです。

 前を行くは夫か。後に続くのは妻か。
 いや、今時の鳥たちは、きっと、人間様と同じように、妻が先に、夫は後に飛ぶのかもしれない。そんなことを思いながら、二羽のヒヨドリを見送ったのです。



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自分的政治的人間的感覚

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冬の日っていうのは
時に空気が澄んで澄んで
日頃の光景が一転する時があるんです
この日もそうでした
貴重な冬の日の光景を収められたと思っています
今日は曇りから雨
明日は季節外れの気温上昇
そんな時
私の思考もあらぬ方へと飛んでいくのです




 不思議に思うことがあるんです。

 アメリカの副大統領が欧州訪問で「アメリカは強力な軍事力をもって、力による平和を目指す」と語ると、自然に、そのことを、何の問題もなく、評価する自分がいるのです。
 一方、中国が複数の空母を作り、空母機動部隊を複数編成し、世界の海に出て行くと聞くと、それは評価しない、危険だ、芳しくないとする自分がいることを、私は不思議に思うんです。

 はて、どうしてだろうかって。

 日本は、いまだにアメリカに占領されているからだって、そう言う人がいます。
 だって、これほどアメリカ軍の基地のある独立国って、世界に類例を見ませんというのがその根拠です。
 いや、占領政策で洗脳され、日本人はアメリカの一つの州に、もはやなってしまっているんだなどと暴言を聞くこともあります。
 そんな意見を聞くと、中国の省の一つになるより、アメリカの一つの州になる方が余程いいと思ったりもする自分がいるのですから、これも不思議に思うことなのです。

 先だって、ODA=政府開発援助に関する新聞記事を読みました。

 日本の首相が、中国に対する新規のODAを停止すると述べたのです。えっ、まだやっていたのかというのが、私のいつわりのない感想でした。  
 だって、GDP第二位の国に、第三位の国が「援助」するなんておかしな話ですから。
 それに、今も続く尖閣に対する嫌がらせ、かつてあったレアアースの日本への輸出停止、加えて、スパイ容疑で日本人が拘束されるなんてことをやる国に、何ゆえの「援助」なのかと、私などは訝るのです。

 中国へのODA、これまで3兆円を超えているといいます。
 私が最初に訪中した翌年のことです。当時の日本国の首相は、豊かな中国があることがより良い世界の構築につながると演説し、ODAを開始したのです。
 若い私は、大いに賛同したものです。
 中国語を勉強していた学徒の身にしては、かつて戦争をしたことを一国民として恥じ、これからは日本の持てる技術、経済システム、そして、何より人的交流を通して、仲良くしていきたいと、意を強くしたものです。
 ささやかな力であるけれど、自分でも何かできるに違いないと希望を持ったものでした。

 だから、来日した鄧小平が、新幹線に乗ったり、宮中で天皇陛下とにこやかに歓談する様子を、テレビニュースで、まさに目を皿のようにして見たものでした。
 鄧小平は、折々に、このODAに「感謝」の意を発していました。続く、胡錦濤、江沢民も同様です。
 しかし、習近平は違いました。
 彼は「感謝」という言葉をこれまで一言も用いていません。「貢献」を評価すると述べているのです。

 思い出すことがあります。
 ブリスベーンで万博が開催されて、ひょんなことで、そこに出かけて行ったことがあります。
 まだ、ODAが盛んになされ、習近平もいない時代のことです。

 私たちがベンチに腰掛けて、ランチをとっていたときでした。
 一人の、そう、三十代くらいの男が、私たちの前にやってきて、中国語で何やら語りかけてきたのです。
 それは、日本はかつて中国を侵略したという内容の言葉でした。
 仲間がいましたから、誰か、勇気を持って、そこにいる日本人の集団に文句を言って来いと「肝試し」でも仕掛けられたのかも知れません。

 私は、中国語を勉強していましたので、当時、有名であったフォークソングの歌詞の一句を投げかけてやったのです。
 「我是不知道戦争的世代」
 すると、その中国人、目の玉が飛び出るような顔をして、逃げて行ったのです。

 まさか、中国語で反応してくるとは思わなかったに違いありません。

 実は、似たような経験を、韓国の古都慶州の仏国寺でも、私は経験しているのです。
 私たちがあの急勾配の階段を登るために順番待ちをしていると、一人の高校生がさっと走り寄ってきて、「ドクト」って叫んで、さっと逃げて行くんです。
 私たちは、その時「ドクト」が何かわからないから、笑顔で返します。すると、その若者、仲間の元に戻って、勝ち誇った様子で、しかも、仲間から祝福されるのです。

 これらって、彼らの本音の中にあるものではなく、きっと、教育のなせるわざであると私思っているのです。

 三十代のあの中国人も、あの韓国の高校生も、教育によって、日本を正しく見ることができないでいるのです。
 きっと、習近平もその一人であるに違いないと、私は思っているのです。

 アジア人は、その昔から、中国古代の哲学者によって唱えられてきた、謙譲の精神とか、相手を敬う気持ち、仁愛といった言葉を得て、その修養に努めてきました。
 日本など、古代の中国から、なにもかも頂いて、今の日本ができていることを知っています。
 漢字なども、あるいは年中行事など、多くが古代中国由来のものです。それを韓国のある半島を経由して、頂いてきたのです。

 だから、戦後、日本は国を挙げて、これらの国に対して、さらには、世界の国々に、持てる力の何分の一かを「援助」してきたのです。
 それは、ひとえに、戦後のもののない時代に、支援をしてくれたアメリカに対する感謝の気持ちが作用しているのです。

 あれだけの「援助」を受けたのだから、それを返さなくてはならない。経済を発展させた日本は、そうして、ODAを使って、世界に「感謝」の意を表明し続けてきたのです。

 これって、立派なことだと思うのです。

 相手から、利益を求めることなく、無償、あるいは極めて低い金利での有償支援をし、それに伴う一切の見返りを求めないのですから。

 自分の国のことを、褒めるのはこそばゆいことですが、日本は、「感謝」を忘れずにいる国であり、「感謝」を相手に沿って続けたいと思っている国であるということに誇りを持つのです。
 それに何より、「教育」がいい。
 日本の学校で、どこかの国はああだこうだとは言わない、自虐的とは批判されるけれど、まず、足元を見る教育がなされていると思っているのです。

 私の孫が、どこかの国の人の前に行って、馬鹿野郎なんて言うようではがっかりします。 
 大人になっても、いい人づらして、相手を責めるなんて格好が悪いと思うのです。
 きっと、日本人は、誰一人として、そのようなことをする輩はいないと思っているんです。

 そうそう、先だって、銀座に行った折、日本橋から歩いて、東京駅まで、ちょっと食べ過ぎた体を燃やそうと歩きました。東京駅の改札で、一人のアメリカ人らしき青年が、「フォーテンバーは何番ホームか」と尋ねてきました。

 私、これは「御殿場」だと気がつき、同時に、この青年が軍人だとわかったのです。だって、御殿場には海兵隊の基地がありますから。 

 にこりと笑って、彼は私が教えた番線に向かっていったのです。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《8 / 18 💦 Sunday 》
 
🦅 昨日、<カクヨム>にて『まぼろしのフランクフルト中央駅』を発信しました。

 縦横無尽に 

 意識の中を駆け巡るのは 
 人の持つ感性なるもの



この世に、二つの世界があり。
それは、現実世界と仮想世界。

かつては、そんなバカなと思える仮想の世界が、詩になり、絵になり、物語になって、現実世界で堪能されていました。
今、 AIがその仮想世界を現実世界に組み込み、私たちはその境目さえも不明の中で、仮想世界で遊ぶことができるのです。

なんともややこしい時代になったものです。

しかし、仮想の世界、昔から、人間の中にある何かのスイッチに刺激を与えてきました。
想像というスイッチ、さらに進んで、創造というスイッチにも、時には、幻想に、あるいは空想のスイッチとなり、私たちを楽しませてくれたりもしているのです。

フランクフルトの革ジャン男も、我が庭の山法師の木も、そして、日本語の二人称も、すべて、私にとって、現実世界と仮想世界を行き来する契機となったものたちなのです。

下のリンク欄、一番上の<カクヨム>をクリックしてください。


【nkgwhiroの活動】

💝 <Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。 

                                            💝 <Amazon・Kindle>で書籍の販売を行なっています。 ただいま、『一日千秋ーある日ちあきと』を販売しています。値段は3ドル換算日本円になります。
 

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