真に意味ある能動的記号

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 つくばも
 ところによって桜が満開
 まだ三分咲きのところも

 その枝の先に
 見つけた
 夏の雲
 
 ちょっと気が早いのではないかと訝りながら
 



248番目の記号が、明日、政府から発表されます。

元号を記号などとふざけた言い方をするなと言われる方もいるかと思いますが、あえて、ここでは記号という言い方をさせていただきたいと思っているのです。

この記号、これまでのありようとは決定的に違うものがあると思っているのです。

少なくとも、平成、昭和、大正、明治とは決定的にちがうのです。
 お気付きですか?

天皇陛下が崩御されて、即日、あたらしい記号が公にされるのではなく、一ヶ月前に公表されて、しかも、今上陛下は上皇としてあられて、新天皇陛下がご即位されるのです。

つまり、これまでのように、天皇陛下にとっては、受動的な記号のあり方ではなく、極めて能動的な形で、その記号が変わるということなのです。

 そこに気がつかなくてはなりません!

これまで、この記号は、白い雉が献上されたから吉兆として、「大化」から「白雉」に、あるいは、武蔵から和銅が奉納されたから、素晴らしい雲が見えたことでつけられた記号、「慶雲」から「和銅」へと改められて来ました。

いいことがあった、そればかりではありません。

平安末期、世の中が乱れ、親が子を斬り、子が親の首を刎ねるそんな末世の時代になりますと、一代の天皇さまが、何回も記号を替えています。
ときには、疱瘡が流行ったとか、飢饉が起こったとか、時には、彗星が見えたからと、それだけのことで記号を替えたのです。

やがて、武家が跳梁跋扈する時代になりますと、この記号はその色合いを薄めることになります。

江戸の太平の時代、私たちは、天子さまのお名前もさほど知らないことに驚きます。
徳川将軍のお名前は知っていても、その時の、京にあった天子さまのお名前はとんとわからないのです。

ですから、江戸の時代の人々にとっては、この記号は何の意味もなくあったに違いないと思っているのです。

戦国時代の始まりを示す「応仁」、安土桃山時代の始まりを高らかに謳う「天正」、江戸期でも、「元禄」「天保」「寛政」「安政」など、時代を区切る大きな出来事あった時代、あるいは、大いに興隆をみた時代、はたまた、改革や天変地異などがあったときに、この記号を用いるのは、おそらく、幕府お抱えの学者が、あるいは、後世の学者がそう名付けたのであって、江戸の時代の人々が、今年は「弘化三年だ」なんて、そう言っていたとは思えないのです。

庶民には、そのような記号など、頭の端にもなかったにちがいないと思っているのです。

その江戸の時代の最後の記号が「慶応」です。
慶応四年九月八日に、慶応は明治と記号を変えます。理由は、禁門の変などの社会不安、何よりご維新があったことでの記号変化であったのです。

慶応四年九月八日は、西暦にしますと、1868年10月23日となります。
ご即位された明治天皇は、一世一元の詔を発せられました。
慶応四年を一月に遡って、明治元年とし、天皇在位中に記号を変えないことを定めたのです。

これにより、記号は意味あるものとして、私たち日本人に捉えられることになりました。

いささかステレオタイプになりますが、明治は日本人が世界に打ってでていった時代、旧と新がときにぶつかり、無理を承知で、旧を追いやり、新を追いかけた時代でありました。
明治という記号をつけた時代があればこそ、いまがあるそんな気がします。

 近代日本にとっては、いや、日本が選んできた248の記号のなかで、明治なる記号は、もっとも大切な記号のひとつであると思っているのです。

でも、明日、発表される記号は、それを上回って、重要であると考えているのです。

と言いますのは、いまの陛下が、迫り来るお年の影響で、象徴としてのお勤めができかねると、そうお考えになって、2016年8月7日に、国民にメッセージをビデオをつかって、述べられたことから実現に向けて、動いて来たからです。

そういう時のために、皇太子が摂政として、お勤めを代わりにすることもできるのですが、今の陛下は、それでは象徴としての天皇としては勤まらないとお考えになったというのです。
ですから、このたびの248番目の記号は、受動的なそれではなく、能動的な記号であり、これまでになかった、まったくあたらしい理由で記号が替わるそれであるということになるのです。

だとするなら、昨年の12月23日、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」というお言葉を、私たちは真剣にうけとめていかねばならないということになります。

慶応の時代、日本歴史の中での最後の内戦。
明治大正昭和と、日本は世界を相手に戦争をしてきた国です。

1945年からの74年間、日本という国は、世界に類例のない、長の年月、国家の名の下になされる戦争で一人も命を失っていないのです。
 同時に、日本人は戦争で、外国の兵士を一人も殺していないのです。

このことが続いていくために、今の陛下は、象徴としてのお勤めを新天皇陛下に託すのです。

そう、考えているのです。



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国王の謝罪

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 柔らかな
 陽差しを受けて
 すがすがし
 時を歩みし
 お顔拝まん




 和解を進めるために、国王に謝罪を要求したと、そんな記事が新聞の片隅にありました。
 
 いや何、メキシコが、かつての宗主国スペイン国王フェリペ6世とローマ法王フランシスコに対して行なった要求のことなのです。
 かつて、スペインがメキシコの地を侵略したこと、そこにあった文明を破壊し、植民地にした際に人権侵害があったことに対する謝罪を求める書簡を送ったというのです。
 
 それに対して、スペイン政府が異を唱えました。

 500年前のメキシコへの「到達」を、現代の考え方で判断することは出来ないと、謝罪を拒否したのです。

 確かに、歴史の授業で習ったことが思い出されます。
 コルテスというスペイン人がアステカ帝国を征服、その際、残虐なことをしたと。

 しかし、それは16世紀初頭の話です。
 日本では、よたよたの室町幕府の時代、やがて、戦国時代として区分される時代に入る頃のことです。

 この記事を読んで、皆は、どう思うのかと考えたのです。

 侵略されたことをその歴史にもつ国や国民は、そりゃ、何百年経とうが、忘れることはできない。だから、メキシコの行なったことは当然である、ときっと思うのでしょう。
 メキシコが、ローマ法王にも謝罪を求めているのは、あのコルテスがカトリック信者で、その教えのもと、人身供奉を行うアステカの宗教を邪教として弾圧したからだと言います。
 だとするなら、その国のカトリック信者はどう感じるのだろうかって、そんなことも思うのです。

 侵略したとされる国や国民は、大航海時代があって、人類が大海原に出ていくことで、世界は発展をした、だから、「到達」という文言を用いて反論を展開したのです。
 そして、その過程で間違った行為があっても、それを現代の範疇で解き明かすのは到底できないとしたのです。

 よって、現代の感覚で良し悪しを論ずるべきではないとするのも当然のことだとも思うのです。

 どちらの考え方に立脚するかは、自分の国がどちらの立場にあったかで、必然的に変わってくるものであり、さらに、高度な学識、見識を有していれば、二つの立場に理解を示すことも可能でしょう。

 私は、積極的に行動を起こし、現状を打破し、切り開いてきた、そんな日本の歴史を、神話時代も含めてよしとしますから、自ずと見解は、それなりのものとなります。
 
 実は、もう一つ、私の目に留まった記事がありました。
 領土巡る記述に中韓反発という、もう、お馴染みになった文言の記事です。

 文科省がこの間の教科書検定で、政府の領土に関する見解を詳細に書くよう求めたのです。
 竹島や北方領土、尖閣諸島は、我が国の「固有の領土」であるという政府見解に触れるよう規定したのです。
 単に「領土」とした記した教科書には、「児童が誤解するおそれがある」と意見がつき、「日本固有の領土」と変更するよう付箋を挟んだのです。

 この記事を見て、当然と言えば当然であり、我が国の見解を、我が国に暮らす子供たちに教えるのは当たり前だと、私など思うのです。
 それに、奪われた島を取り戻すために、あるいは、国有にした島を確固とするために、身を呈して守り通そうと教え込もうというのではないのですから。

 ですから、日本の子供たちが、日本を旅行する韓国人や中国人に、駆け寄っていって、竹島を返せとか、尖閣は日本のものだなどとは言うことはないと思っているのです。
 それが、「児童が誤解するおそれがある」から、「日本固有の領土」と変更するようにした理由であると思っているのです。

 当然のごとく、韓国は強力に糾弾、即刻撤回を、中国は釣魚島は昔から中国固有の領土と反論を展開するのです。
 しかも、韓国はこのところ日本に対して、かなりの高圧的な振る舞いに出ています。
 そして、中国はアメリカとの関係から、日本に接近しつつも、従来の横柄なる振る舞いには変化が見られません。

 日本だって、そうなれば、黙っていません。

 韓国との防衛協力に、韓国主催の活動に参加を見合わせたり、韓国の出方によっては国防面でだけではなく、経済面でも対応処置に出ることをほのめかすのです。

 奄美と宮古に陸自の駐屯地が置かれることになりました。
 その際、防衛省は、その理由を、中国の軍備増強や海洋進出を踏まえ、抑止力を高めるとし、はっきりと中国という国の名を出したのです。

 特定の国を指すのではなく、一般論としての国防のためにではなく、敵としての認識を示して、抑止するというのですから、日本もなかなか強気に出たなと思うのです。

 まもなく、日本は時代の名が改まります。

 新しい時代になっても、この問題は尽きぬことはありません。
 のんびりと、気長に、付き合っていくしかないのです。

 かつて、韓国を旅する私に、あの仏国寺の境内で、ドクトと叫んで走り去っていく子どもにならないように、あるいは、ブリスベーンの万博会場で、生徒とともに食事している私に、日本は中国を侵略をした国だとささやく大人にならぬように、日本の教育だけはしっかりとしていかなくてはならないのだと思うのです。

 それが、この問題を解決する唯一の方法だと思っているのです。



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そこに海がある国

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 枝の股に太陽の光が来るなんて
 ただそんな時に
 たまたまそこにいただけなのに
 人間っていうのは
 何か特別なことがあるんじゃないかって
 思いもしたくなるんだ

 


 イギリスが困ったことになっています。

 イギリス国会では、EUから、関税やマーケットだけが離脱し、アイルランドの国境問題ではEUのルールに従うのは大いなる矛盾だと、ついには、メイ首相の辞任までに取りざたされている始末なのです。

 同じ島国の日本にとって、イギリスは特別な国で、今もあり続けています。

 明治の時代、イギリスは日本が近代化を果たすために、大いに、貢献をしてくれました。
 何しろ、当時、世界一の経済大国です。
 狭い国土、少ない資源、そして、周りを海に囲まれた島国であることが、日本の手本となりえたのです。

 イギリスは、それゆえに、産業革命を果たし、海軍力をもって、世界の陸地の四分の1を支配する帝国になったのです。
 だから、日本も、文明開化を推進し、海軍力を高めることで、イギリスに続こうとしたのは、至極当然のことであり、実際、国家として、食うものも食わずにというのが大袈裟ではないくらいにして、そのことを果たしたのです。

 私の中に、ある一つの残念な思いがいつもあるのです。

 イギリスは、その強大な海軍力を使って、そして、国民を送り込んで、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドという国を作り上げ、あるいは、インドやシンガポールなどを植民地にして、今も、それらを集めて、広大なイギリス圏を作っています。
 日本ではあまり知られていませんが、イギリス圏内での国際スポーツ大会も行なったり、圏内の学校で得た資格は、圏内のどこでも、イギリス本国でも使えるのです。
 イギリスの学費はバカ高いのですが、学費の安い、オーストラリアの学校で勉強し、その資格でイギリスで働くことも可能なのですから素晴らしいことです。

 しかし、強大な海軍力を作ったのは作った日本でしたが、そこまでは真似はできませんでした。

 アメリカ、イギリスが、その強大な日本の海軍力に脅威を感じ、ともに圧力をかけてきたからです。
 アメリカが先頭になって、中国の5Gを駆逐しようとしている今の動きによく似ています。
 先に、発展し、世界を牛耳ったかつてのイギリス、そして、今のアメリカは、その支配力を失うあらゆる後進の突出した行為に、徹底的な反発、そして、それを叩き潰す策に、今も昔も、出てくるのです。

 もし、あの時、イギリスやアメリカが反発をしなければ、日本は、清王朝の故地マンチュリアに出来た満州国、朝鮮半島、台湾、それに、南太平洋の島々と千島列島および樺太を領有する国になっていたのだと、子供の頃、教科書のあの時代の歴史地図を見て思ったものでした。

 イギリスと同じような形で、日本は、世界に冠たる大国になっていたのだと。

 でも、それはならなかった。
 政治の決断力のなさがいけない、陸軍の横暴は度を超えていた、海軍だって大局を見誤っていたと、今ではなんとも言えますが、当時はそうすることしかできなかったのだとも思っているのです。
 それが、英米支配の世界の現実だったのです。

 そして、ただ一つ、私が思うことがあります。
 日本は、イギリスと違って、明らかに異なることがあるということなのです。

 それは、イギリスにできて、日本にできなかったことです。

 日本には、「ロビンソン・クルーソー」や「宝島」、「十五少年漂流記」と言った物語が作られることはなかったということです。

 政治や軍のせいばかりではなかったのです。
 国民にも、そこにある海の物語を書く力がなかったのだということです。
 ぜいぜい、漫画で、南洋の島の住人を描いたくらいが精一杯であったのです。

 政治や経済ばかりでは、まして、軍事だけでは、物事は立ちいかないのです。

 未知の世界に放り出された人間がどのように生きていくのか、あるいは、十五人の子供たちが親元を離れて、どうやって協調をしながら生きていくか、あるいは、海賊の残した宝物を見つけるというそんな話が、日本には一つもないのです。

 だとするなら、日本とイギリスは、同じ島国でも、根本的に何かが違うのではないかと推測するのです。

 今、イギリスは、面前の大陸、そこにはフランスがあり、ドイツがあり、イタリアがあり、その中世以来の文化が色濃く残る大陸の共同体EUと決別するか否かを模索しているのです。

 EUなどというのは、人工的で、社会主義的であると喝破したのはあのサッチャーでした。
 イギリスが経済的に困窮したのを見て、アルゼンチンがあの小さなフォークランドを奪った時、指をくわえて見ていたか言えば、そうではありませんでした。
 鉄の女は、イギリス海軍を派遣したのです。
 相手は、フランス製のエクノゼというミサイルで攻撃をしてきます。
 多大の犠牲を払いつつも、イギリスはあの小さな島を奪回するのです。

 もう一つ、偉大なイギリスを表明した人たちがいます。

 ビートルズです。
 フランスの男の子たちを熱狂させ、ドイツの若者たちを、アメリカの女の子たちを狂喜乱舞させました。
 もちろん、日本の、私もです。
 たった一人の犠牲も払わずに、彼らは世界を征服したのです。
 しかも、イギリスの産業が喘いでいた最中、一人息巻いて、経済を救ったのです。

 日本には、小さな島を奪われても、それを国家の名誉をかけて奪取する軍はありません。
 まして、ビートルズもいません。

 あるのは、イギリスと同じ海に囲まれた国土だけです。

 どうやら、日本はいまだに、イギリスを師と仰いで、修行をしなくてはならないようです。
 だから、イギリスの動きを私は注視しているのです。

 あの鼻にかかったイギリス英語を喋り、しかし、私たちとよく似た環境下に置かれる国のありよこそ、私たちの参考になるからです。



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あの小生意気な女

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 満開の紅梅に
 鳥たち
 ひさかたぶりの花の色に接し
 どこか楽しそう




 『今の子供たちやこれから誕生する子供たちが,
  成人して社会で活躍する頃には,
  我が国は厳しい挑戦の時代を迎えていると予想される』

 なんともまどろこしい一文です。

 まどろこしいというより、まるで、他人事のような物言いで、私はこの手の文章は好きではないのです。
 一体、どこの誰が書いた文章かといえば、横書きの文章では「カンマ」を用いる、などというところを見るとお役所の文章であることは一目瞭然ではあります。

 そう、これは、文科省の、今度改定される「高等学校学習指導要領 国語」の冒頭の一文なのです。

 確かに、少子化で生産年齢人口が減少し、グローバル化の進展や絶え間ない技術革新等により、社会構造や雇用環境は大きく、また急速に変化して、予測が困難な時代となっているのですが、実はこの一連の文も、冒頭の一節に続くものなのです。

 予測が困難であるからこそ、政府は、それに対する確固たる対応を図らなくてはならないのに、実に、他人事に過ぎることだと、私など思ってしまうのです。
 日本文芸家協会は、このたびの高校国語指導要領の改定を「戦後最大と言ってもいい大改革」と評価、いや、懸念をもって、批判をしているのです。

 それもそのはずです。
 必修に「現代の国語」「言語文化」。
 選択科目として「論理国語」「文学国語」「国語表現」「古典探求」が設定され、受験校では、大学受験に備えて、選択科目として「論理国語」「古典探求」が取られるのは確実だからです。

 だから、文芸家協会は、自分たちの飯の種である「文学」が、ただでさえ、書店の閉店、出版不況で先細っているのに、次代の若者たちから文学離れが起これば、お先真っ暗だと懸念を表明するのは当然のことなのです。

 でも、私、現場にいて、いつも思っていたことなんですが、これまでの戦後国語教育が取り上げてきた「文学」なるものが、果たして、あれでよかったのかと思っているのです。
 漱石の「こころ」、鴎外の「舞姫」あるいは「高瀬舟」、中島敦の「山月記」、太宰治の『富嶽百景』。
 古典では、『源氏物語』の「藤壺巻」、『平家物語』の「木曽の最期」。

 大どころとして、かような作品が取り上げられてきましたし、おそらくは、新しい指導要領の元でも、各教科書会社では大きな変更はないと思うのです。

 いや、このどれも、私個人としては、好きな作家であり、作品であるのす。

 学校で教わり、教えてきたのですから、当然のごとく、愛着があり、教えるということであれば、ちょっとは深く読了をしてきたはずですから、読みの度合いも深いとは思っているのです。

 早稲田の学生の頃でした。
 教師の免許を取るために、国語科教科法という授業を教育学部に出かけて受講していた時でした。一人の教育学部の女子生徒と知り合いになり、語り合ったことがあるのです。

 優秀な学生であったとは思いますが、その彼女が、国語はおもしろくないと言ったんです。
 それでも、国語の教師になりたいのは、そのおもしろくもない国語をおもしろくしたいからだって、そう言ったのです。

 私など「三四郎」ではないですが、この女子学生が「美弥子」に見えてきたのですから、衝撃のほどが、分かる人にはお分かりになるかと思います。

 あの時代、女子がジーンズをはき、髪を伸ばし、闊達に動き回り始めた頃です。
 ヨーコ・オノがニューヨークでレノンと活動し、ジャニス・ジョップリンがあのかすれ声で女の叫びを歌い上げていたことがそれを象徴しています。

 だから、彼女いうんです。
 皆、ダメな男の話ばかりだって。

 友人Kのこころを裏切る青年の話でしょう
 ドイツまで行ってドイツ女に手を出す男でしょう
 野心ばかりが溢れて虎に姿を変える話でしょう
 それに、意志薄弱で富士には月見草が似合うってそんな話ばかりじゃないって。

 私が敬意を表する作家たちの作品をそう酷評するのです。

 源氏だって、年端もいかない女子を見初めて、自分に都合のいいような女に育てるなんて、いけ好かないと、木曽に至っては、空気を読めずに、振る舞った田舎武者の成れの果て、とこれまた酷評するのです。

 そう言われてみれば、確かに、そうだと、女の強い言葉を、一杯のコーヒーをとっくに飲み終わり、何杯も注がれた水を飲みながら、オルグられていく自分を発見したものです。

 男である自分は、確かに、女を争う男の嫉妬心も絶対に勝ってやるという男の競争心も分かるのです。異国の姫に憧れたり、偉大なものの前で萎縮する気持ちも、尊大なる自尊心のありようもまた分かるのです。
 でも、女子からすれば、それは男の思いの、あるいは、願望の、もっといえば、欲望の対象でしかないではないかと、そんなものを教材に取り上げられて、そこから何を学ぶのかというのです。

 だから、私、まんざら、立場の弱い男の見解で、彼女のあまりに超越した論調に負けたというのではなく、見事に同調をしたと言った方がいいのです。

 これは、女子からすれば真理なのだと。

 まして、日本は、「移民」と言っては言い過ぎなのかもしれませんが、大量の外国人が日本に入ってくる時代になるのです。中には、日本に定住し、家族を養う人も出てくるはずです。過去の移民を受け入れてきた国がそうであったように、彼らのための教育は必要不可欠になるのです。 

 それに、これまでの価値観ではとらえられない時代になります。

 これまであった職業の大半が、AIの導入でなくなりますし、男と女の関係も、そればかりで良しとする時代ではなくなっているのです。
 価値観は多層性を帯び、多重性をもって、これからの子供たちの眼前にあらわれでてくるのです。
 
 そんな時代に、果たして、不朽の名作だと崇め奉ってきた一連の作品が持ちこたえられるのか、そろそろお役御免となり、新時代を生き抜く子供たちに必要な文学作品が求められるのではないかとそう思っているのです。

 そんなことを思っていたら、あの教育学部の彼女、ちょっと小生意気なあの女、どうしているのかって、妙に懐かしく思ったのです。

 どこかで、角が取れて、いいおばさんになっているのではないかって。

 いや、先鋭的に、今でも、活動をしているのではないかって。
 先だって、テレビで際どい意見を披瀝するどこぞの女性研究者を見ましたが、あれ、あの彼女に似ていると思ったのは、きっと、気のせいだと思いながらも、ありえるかもしれないと、私の中ではいまだにくすぶっているのです。

 だとするなら、大いに結構だと、私、思ったのです。



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AIの奴 おいらを捕捉している

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 絵になるなぁ
 枝にとまる
 一羽の鳥




 久しぶりに、ビル・ゲイツの姿を見ることができました。
 写真を見ると、おや、随分と老けたなって、そんな感じを強烈に受けたのです。

 老けるという感覚は、きっと、本人にはわからないものなのです。
 だって、毎日、自分と対面しているのですから、その変貌ぶりに気がつかないのは当然です。だから、他人が、たまにその姿を認めると、おや、老けたな、老人になったなって思うのです。
 そんなことを、私、感じたのです。

 そのビル・ゲイツ、スタンフォード大学に呼ばれて、AIがもたらす人や社会への影響を研究する会合に出たというのです。
 AIは、製造業や医療の面で格段の恩恵を人類に与えた。しかし、人から職を奪っていった。
 この二つの側面を認識しながら、これからのAIについて考えるという会合でした。

 私は、 AIによって仕事を奪われることは、幸いなことにありませんでした。

 人間のつまらぬ権力争いに巻き込まれて、学校は代わったことがありますが、むしろ、AIはそんな時に、私の心強い力になってくれたのです。私がこうして文を綴っているのも、そもそも、そこから始まっているのです。
 ですから、私にとっては、AIは味方も味方、頼りになる相棒だと思っているのです。

 それに、今は、私の腕に巻かれているApple Watchが、私の心臓を常に見張ってくれています。

 欲を言えば、血糖値や血圧なども測定してくれれば最高だと思っているのです。それも、まもなくであると期待をしながら、技術の進歩を心待ちにしているのです。

 ウエアラブルで、血液が測定分析できれば、ほとんどの病気への対応が可能になります。
 ある日、Apple Watchが皮膚の下を流れる血液からがん細胞を見つけ、それを告げるのです。
 あるいは、老化の兆候を発見し、その改善策を指し示すのです。

 そんな時代がまもなくやってくるかと思うと心もはやります。

 しかし、そんな私にも、心配事があるのです。
 ロードバイクで、走りに走って、見知らぬ土地に入ってしまった時です。
 こういう時って、私、心臓がドキドキするんです。

 島国であり、よその国に入ることなどないし、だからと言って、よそ者がと石つぶてを投げられることもない国なのですが、心臓は見知らぬ土地に入ったことで、興奮のあまり、激しく打ち始めるのです。
 だから、私のApple Watchに赤い心臓のマークが出てきて、計測を始めるのです。

 幾分高いぞ、気いつけなはれって。

 そして、もう一つの報知があるのです。
 自分が今どこにいるのか、私のApple Watchとハンドルに付けてあるiPhoneが私の位置を把握してくれているということです。

 GPS=全地球測位システムが、私の位置を的確に把握しているのです。

 ですから、ハンドルに取り付けたiPhoneのマップを見ますと、私のいる地点を、赤い点の点滅で知らせてくれるのです。
 だから、私は、これからどうやって道を選べばいいか、あるいは、土手沿いに川風を浴びながら行くのがいいか、それを判断していくことができるのです。

 いつだったか、こんな記事を読んだことあります。

 アプリの5割が、位置情報機能を備えていて、その機能をオフにしない限り、四六時中、その人間の位置情報データを集め続けているという記事でした。

 集められているということは、その情報がアプリ運営会社に行っているということです。
 しかも、個人の位置情報は、現段階では、個人情報にはあたりませんから、勝手に集めるなとは言うことができないのです。
 だから、その位置情報を企業間でやりとりして、何らかの利益につながるような仕組みが作られるって言うんです。

 つまり、私は、私が迷った見知らぬ土地で、アプリによって、確実に「捕捉」されていると言うことになるのです。

 例えば、こいついつもと違う場所にいるぞ、きっと、あちこちを見て、不安に駆られているに違いない。よし、あのコンビニに行って、何かを買わせる算段を取ってやろうと、AIが反応するのです。
 すると、私のApple Watchがブルブルって震えて、iPhoneを見ろって知らせます。 
 iPhoneを見ますと、あのコンビニで、私がいつも買うプリンの上にクリームの乗った甘いデザートの写真が出ているではないですか、私は、たまらずに、コンビニで350円のそれを買うというわけです。

 通学する子供や老いた親の見守りにこれを使うのは大いに結構なことです。

 好きなデザートが食べられる機会を与えてくれるのも、まんざら悪いことではないと私は思っているのですが、何か、権力機構、警察とか政府にそれをされるのは喜ばしいことではありません。目星を付けておいた素行悪しき人間の位置情報を捕捉し、犯罪を未然に防ぐためであると権力機構は弁解をするかもしれません。
 そうすれば、銃を持って、多くの人を殺害する事件も未然に防げると言うわけです。
 
 でも、私の血糖値を他人が知って、その状態の悪さから、私のiPhoneに、糖尿病の改善には、お近くのネット病院へ、なんて宣伝がなされるのは、ちょっと困りものです。
 あるいは、私の命の期限を把握して、ある日、葬儀の依頼は、我がネット葬儀社になんてやられるのはどうも嬉しくはありません。

 ビル・ゲイツがその会合で、言っていました。

 AIというのは、原子力のように有望であり、同時に危険なものである。だからこそ、高い倫理が求められると。
 まったく、その通りだと、久しぶりの名言を耳にして、一応は、安堵したのですが……。



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悪なる姿は憧れの根本にあり

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 樹木の枝の分かれ目
 その向こうに
 お見えになる
 後ろ姿のお方
 きっと
 ありがたいお方であると
 その背に手を合わせるのです




 世の中は、悪役がいてこそ、正義の旗振る者が目立つ、そんな仕組みになっているのです。

 皆が皆、正義の旗振り役であれば、何ら目立つものではなくなるし、面白くもありません。
 そう考えると「悪」は世界に必要なものとなる、そんな論理が働くのです。

 そして、その対比は、私たち人間には非常にわかりやすい判断材料になります。

 例えば、プロレス。
 人気レスラーが、悪役レスラーにこてんぱんにやられます。
 しかも、悪役は反則を繰り返します。
 レフリーが見ていないすきに、しかも、それを行います。

 観戦する者は、しゃかりきになって、それを訴えますが、レフリーはどうも悪役の味方のようだと気づくのです。
 しかし、そのまま試合が終われば、それこそ、暴動に発展し兼ねません。

 人気レスラーは、一瞬の隙をついて、悪役に対して、必殺の空手チョップをぶちかまします。
 ダウンした悪役に対して、レフリーのカウントは遅く、明らかに一味であることが明らかになります。

 観客はそれを人気レスラーに訴えます。
 人気レスラーが、そのことに気がつき、レフリーにも空手チョップをお見舞いします。

 そうなると、興奮は絶好調となるのです。

 かつて、金曜日のゴールデンタイム。
 日本テレビで放映されていた力道山とデストロイヤーの試合、それを沖レフリーが仕切っている様子です。

 非常にわかりやすいパフォーマンスです。
 日本人にとっては、アメリカ人にしてやられた思いを晴らすには絶好のパフォーマンスでした。

 しかし、そのデストロイヤーが愛すべきレスラーであるとわかる日が来るのです。

 覆面の中に、そのつぶらな瞳を発見した時、彼はお茶の間の人気者になるのです。
 悪役が、正義の味方ではないけれど、悪役ではなくなるのです。
 
 映画が、映画館に人を集め、立ち見まで出していた時代がありました。
 おもちゃのような特撮映画に、夢中になって、手に汗を握った時代です。
 あるいは、ヤクザ映画に、チャンバラ映画にしても、それは同じでした。

 ここでも、悪役ゴジラがいつの間にか愛すべき存在になっていきました。
 そして、やくざ映画でも、チャンバラ映画でも、スター以外の名もなき、斬られ役が脚光を浴びる時代がやってくるのです。
 大部屋に詰めるその他大勢の役者が、一躍脚光を浴びて、主役に抜擢されるのです。
 人々は、彼らの個性を見出し、彼らも、スターを気遣いながら、己をアピールしていくのです。
 
 いつの間にか、日本には、悪役なるものが存在しなくなってしまったのです。
 だから、正義の旗を振るものたちも、当然のごとく、消え失せてしまったのです。

 よくよく考えて見ますと、国際社会でも同様です。

 G20などで、あるいは、サミットで、首脳たちが集い、懇親を深め、おいそれと無謀な戦争に走らなくなった、今はそんな時代なのです。
 
 冷戦の時代、クレムリンのあの壇上に並ぶ位置付けで、ソ連の様相を探る専門家がいました。
 誰それが何番目に立っている、これは権力闘争で勢力をのしてきたに違いない、その男は対米強硬派だから、今後、アメリカもまた強くでて、世界は混乱を余儀なくされるなどと、まことしやかにアナウンスしていたのです。

 つまり、ここでは悪はクレムリンの壇上のその男であり、アメリカは正義の旗振り役であったのです。
 もちろん、反対側から見れば、その逆もまた真となり得たのです。

 ですから、007の映画も真実味をもって、私たちをハラハラドキドキさせながらその顛末を期待しながら映画館に出かけていったのです。

 悪役もいない、それによって、正義の旗振りもいなくなった世の中にいつの間にかなっていることに気がつくのです。
 だから、スパイ映画も、やたら人を斬りまくるチャンバラ映画も、意味をなさなくなってしまってきたのです。
 
 映画やプロレスの世界がそうであるように、日本社会も毒気を抜かれてしまったのではないかと、ふと気になる時がありるのです。

 日本企業は、コンプライアンスを重視しすぎて、何でもかんでも自らが設定した枠の中で縮こまり、面白みを失ってきているのではないだろうか。
 国防では、アメリカからのライセンス生産で、かつて零戦を作り、大和を作ったような独創的な技術が絶えてしまったのではないだろうか。

 私たちの生活も、何事もないのが何よりと、安定ばかりに執着して、無謀にして、遠大、かつ、馬鹿げた一生を送ることなどなくなり、それこそ、つまらない生を過ごしているのではないかって思ってしまうのです。

 これらが、そうなるにはそうなるだけの理由が、もちろん、あってのことです。

 大財閥や成金の横暴が目立つがゆえに、社会にはますます貧富の差が広がり、そして、兵器が優秀であればこそそれを使ってみたくなり、挙句に国土は山河ばかりになってしまった時代が過去確かにあったのです。

 だから、せめて、人生は、波乱万丈などより、安泰を望むのは当たり前のことであるという風になっていったのです。

 でも、どこかに、あのデストロイヤーのごとき悪漢、名もなき憎むべき顔をした斬られ役、得体の知れない国家、破天荒な人生を送る男がいてもいいと思っているのは、どうしてなのだろうかと思うのです。

 きっと、人間の深奥に、悪に対する憧れがあるのかもしれないと、そう思って、悪をやってやろうと、目を怒らせるのですが、どうもままならない自分を発見してしまい、愕然としているのです。



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かぐやよ 声をあげてくれ

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 春よ春よと愛でているものだから
 椿のやつ
 私だってまだ元気よと
 春の空に向かって
 最後の花を咲かせていやがる

 


 目をつむって、彼岸の月満ちた空を、思いました。

 実際にこの目で見るよりも、そうして想うこともまた風情があるからです。
 しかし、どういうわけか、とんでもないお月さんのありさまを想うことになってしまったのです。

 ”サイバー空間や宇宙空間における活動に各国がしのぎを削る時代に、陸・海・空の従来の枠組みにとらわれた発想のままではこの国を守り抜くことはできない”
 日本国首相が、先だっての防大卒業式で述べた式辞の一節です。

 これが、私の風情ある月見を台無しにした元凶であったのです。

 まだまだ先のこと、首相は少々先走っていると、一瞬、私は思ったのですが、どうもそうではないと、気がつくのです。
 これは、日本の安全保障にとって極めて重大な問題なのだと。

 昨年、トランプが「宇宙軍」を作ると言って、大げさなくらいにアピールをしました。

 ほう、ついに陸海空に加えて宇宙軍かって、そのくらいの思いで、まるで、ハリウッド映画の延長線上で、新しいアメリカの方向を、私は見ていました。

 しかし、よくよく計画を見てみますと、スペースシャトルのような、あるいは、ハン・ソロ船長のファルコン号のような船を持つアメリカ宇宙軍が、宇宙空間で、ロシアや中国の敵対する宇宙船を破壊し、ついには、ユーラシアの大部分を国土とするその二つの国に強力なミサイルを放つというのではないとわかるのです。

 そんなことなど、想定をしていないのだと。

 そうではなくて、あくまで、早期警戒、ロシアや中国の核攻撃を察知する能力を優先し、自国民および同盟国を守ることに徹しているのです。
 
 しかし、宇宙開発技術の大部分は、軍事技術への転用が可能です。
 いわゆる、平和と戦争に活用されるデュアルユースと呼ばれる二面性を持っているのです。

 中国やロシアが、日本が核兵器の技術を持つことは容易だと考えるのも、このデュアルユースの考えに立脚しています。

 日本は、核兵器を作るに十分なプルトニウムを、原子力発電のカスとして保管しているからです。それに加えて、技術先進国としての先端技術は世界トップレベルですから、それは当然のことです。

 今、宇宙で先進的かつ活発な活動をなしている国は、アメリカ、日本、中国の三ヶ国です。

 日本とアメリカは、人類の未来のために、その資金と先端技術を使って、活動を展開しています。得たデータはもれなく提供され、世界中の技術者に公開されています。

 ところが、中国だけはそうではないのです。

 月の裏側に探査機を着陸させて、月に基地を作るというのです。
 なぜ、裏側なんだろうと、つまらぬ疑問を持ったりもするのです。
 もちろん、のっけから、地球からの攻撃を避けるために月の裏側に基地を作るとか、月を自国の古来からの領土だって主張するはずはない、それは愚かな危惧に過ぎないとは言っています。
 
 しかし、ある種の事実を、私たちは現実に見てきているのです。

 平和目的だと口では言いながら、岩礁を埋め立てたところにできたのは軍事基地でした。
 返済できないことを承知で、高利で資金を提供、その国の政経全般を吸い取る一帯一路政策を大々的に実施しています。
 
 南シナ海での出来事や、一帯一路のことを思えば、中国の月面基地は、脅威そのものであると思ってしまうのです。

 世界が気が付いた時、月には、中国の宇宙軍基地があるのです。
 日本もアメリカも、月に近寄ると、中国製の電磁波に阻まれるのです。
 そんなことも笑い話ではなくなるのです。
 
 あぁ、あの広々とした大宇宙にも、人類が古来夢見てきた果てしない空間にも、厄介なことで頭を悩ますことがあるのかと思うと、がっかりするのです。

 そんなことを思うと、アメリカがしゃかりきになって、中国封じを行なっていることに賞賛をしたくなるのです。
 
 一党独裁で専制的な国家が世界を牛耳る時代が来たらどうしようと、今、私たちが享受しているプラットフォーム、アップルやアマゾンや、グーグル、フェイスブックやツイッターなどが専制的なシステムの影響を受けるようになったら、空恐ろしいと、だから、アメリカがあらゆる手を使って、それを防いでくれていると思うようになるのです。

 そのために、今、プラットフォームのありようにまで介入していると考えれば、それもわかるのです。

 AIは、私たち人類の未来を作るのに使うものであって、人を監視し、管理するものではないのだと、私たちは声を大にしなくてはならないのです。

 かぐやよ。
 あなたは月の住人。

 今、あなたの住む月はとんでもないことになっているのです。
 さぁ、声をあげてください!

 目をつむって、そう、私は月に向かって念じたのです。



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田舎のだんご屋のぼた餅

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 水温むとはよく言いますが
 この光景は
 大気温むというにふさわしい
 雰囲気だと思うのです
 だって
 かほどに透明なる空気は久方ぶりだったのですから



 この春、樹木を移動をするために、午後の時間、長靴を履いて、作業着を身にまとい、せっせと働いています。
 春の私の、いつもの行事です。

 五年もののもみじの樹を抜き取りました。
 もみじの根っこは、地中深く太い根を突き刺しています。あまりに深く、もはやどうにもならなくなり、地べたに腰掛け、伐採用の小型ノコギリでその根を切らざるを得ませんでした。

 花を咲かせ、実をつけてくれないオリーブの二本の樹も抜き取りました。
 種類の異なるオリーブを植えれば、結実すると言われて、植えたものですが、一向に花を咲かせ、実をつけてくれません。
 これも思い切って、抜き取ります。
 こちらは根を横に長く張っています。

 そして、三つの樹木を用意した大きめの鉢に植え替えたのです。

 果たして、生き延びてくれるだろうか。
 そんな心配をしながら、かれこれ二週間が経過しました。
 もみじは、新芽を膨らませつつあります。
 オリーブもしかりです。

 樹木って、本当に強いって思うんです。

 樹木の命は、例えば、「縄文杉」などと言われるように、人間の命など叶わないほどの長さを誇っています。
 我が宅のように、主人の気ままで、移されたり、勝手に枝を整えられたりする樹木もあれば、人目に触れることもなく、自然の中で巨大になっていく樹木もあります。

 クスノキなどは、その典型です。
 日本の各地にあるクスノキは、巨樹の代表格といっても差し支えありません。
 幹周りが24メートルもあるクスノキを先だってテレビのドキュメンタリー番組で見ましたが、もはや、そうなると神々しさが漂ってきます。
 古代の日本人が、そうした木に神々が宿ると考えたのも、当然のことだと思うのです。

 もし、樹木に意思があり、知能があり、記憶する力があれば、彼らは、人類の歴史をその始まりから今に至るまで、確実におさえているはずなのです。

 卑弥呼が百余国を束ねたことも、ヤマトタケルが日本各地を回って大和朝廷の威光を広めたことも、平安の貴族が優雅に歌を詠んでは我が世の春とめでたことも、武士が天下を奪い取り、戦いに明け暮れたことも、すべてを見てきているのです。

 しかし、樹木は何も言わない。
 何も教えてくれないのです。

 ただ、そこにあって、年輪を増やし、じっと、人の行いを見つめているだけなのです。

 どこであったか、九州のどこかであったかと思いますが、たらちねと呼ばれる巨樹を見て、感動をしたことがあります。
 たらちねとは、枕詞でのあの「垂乳根」のことです。

 イチョウの木だったかと思います。
 気根が地上にあって、大きくふくらみ、まさに異形なる姿でそこにありました。
 その硬いふくらみに手のひらを当てると、ドクドクと言う、命をつなぎとめる音が聞こえてきそうでした。
 本来は、地中にあって、そこから養分を吸い取る根っこが、大気中に出てきて、そこから息をしているのです。
 木には、そうした力もあるのだと、その力のありように驚いたものでした。

 私たち人間だって、この世が水で覆われたら、耳の裏あたりにえらができて、肺に空気を送ることができる機能を備えることができるかもしれません。
 人間だって、大昔は、海で生活した生物から進化したと言うのですから、まんざら不可能なことではないのです。

 肩甲骨あたりが、進化して、翼になったって、それだっておかしいことではないのです。
 尾てい骨が尻尾になって、樹木の枝から枝へと尻尾を巧みに絡めて移動することだって、当然、可能なことであるのです。

 そういえば、人間がかつて描いた絵を思い起こしますと、確かに翼を持った人間も、尻尾を持った人間も描かれています。
 龍だって、鳳凰だって、麒麟だって、学者はそれは想像上の動物だって言いますが、あれって、もしかしたら、かつて本当にいたのではないかと、思っているのです。
 だから、人はそれを思い出して、描いた、それが形をより芸術的にして、今に残る、そんなことではないかって、思っているんです。

 そんな思いを心に描きながら、休憩時間に、私は買ってきた、田舎のだんご屋の、評判のぼた餅を頬張ったのです。



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政治的懐古趣味は蜜の味

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 水面に春を感じます
 だって
 水鳥たちが
 それまでひとかたまりになって
 じっとしていたのが
 この日は
 一羽一羽が勝手に
 自由に動いているのですから




 「紅軍服で延安を訪れた騰訊控股の馬化騰CEOと京東集団の劉強東CEO」なる写真を、新聞で見て、びっくり仰天をしました。

 紅軍服というのは、布靴を履いて、ふくらはぎにゲートルを巻いて、水色の粗末な綿服をつけ、人民帽を被り、左腕に赤い腕章を巻いた、あの姿です。
 
 映画『ラストエンペラー』の場面で、紅衛兵が北京の街を、革命歌を歌いながら練り歩いて、時に、交差点などの広い場所に来ると、数人の紅衛兵たちが赤旗をリズミカルに振って、革命を鼓舞する、そんな場面がありました。
 あの時の紅衛兵の衣服です。  
 ただし、服の色は、この時代になると、茶色へと変化していました。
 
 私が、四人組が捕まって、華国鋒と鄧小平の権力争いの最中に訪中した時、十億の、すべての中国人民は、一人の例外もなく、あの服装でした。
 街行く人、男も、女も、老人も、若い人も、労働者も管理職も、そして、軍人も、皆が皆、まったく同じ格好だったのです。

 ですから、私にとっては、新聞で見た二人のCEOの姿は懐かしき装いであり、懐古の情が沸き起こる姿でもあったのです。

 騰訊控股というと、わかりにくいですが、テンセントといえば、ちょっとは聞いたことのある企業名だと思います。京東集団とは、JDドットコムのことで、両方とも中国を代表するIT企業です。

 その統帥が延安をかような出で立ちで訪問したというのですから、注目せざるを得ません。

 つまり、すべての民営企業は中国共産党の目標の実現に貢献していくとした、あの全人代での発言を裏付けるためのアピールであるからです。

 私など、経済人がなぜそんなことをするのか、不思議でならないのです。

 だって、アメリカがドイツに、5Gでファーウエイを入れるなら、機密事項の開示は今後ドイツに対して行わないと忠告を発していますし、国務長官があえて記者会見をして、中国は人権侵害で突出していると批判をしている最中です。
 さらに、巨大爆撃機を台湾海峡に飛ばしたり、艦船を航海させたりして、軍事的圧力をかけているのは、そうした一党独裁に対する懸念が端緒になっているからです。

 その懸念を無視するかのように、いや、増長させるかのような、それは行為であるからなのです。

 今、中国では「毛沢東ブーム」です。
 こぞって、延安に毛沢東を偲ぶ旅に出て、記念館は行列になっています。
 なぜ、今頃、毛沢東がブームになっているのだろうと考えるのです。

 あの国のことだから、そこにはきっと、極めて重要なサインがあるのではないかって、私、勘ぐるのです。

 おおよそ、中国の権力闘争というのは、そうした人民の関心を煽ってなされてきたからです。
 だったら、毛沢東ブームの背後にあるサインは何なのかって、そう考えるのです。
 
 中国は、世界第2位の経済大国であると、しかし、中国政府は自国は発展途上の国であり続けると述べています。
 途上国であることで経済的恩恵を受けるからだとアメリカが噛み付いていますが、どこ吹く風です。

 日本の経産省の「推計」なるデータを見ました。
 昨今の日本の省庁のデータはあてにはなりませんが、それによりますと、中国で、日本の給与水準と同等の人たちは、6パーセント程度であるというのです。
 反面、日本で低所得と言われる年収200万以下の中国人は何と75パーセントにも達すると言うのです。

 そうは言っても、人口14億の中国にあって、6パーセントは単純計算で1億に近づきます。
 桁が違うと言えばそれまでですが、結構な数です。
 日本人全員が、働き盛りの、その時のレベルの高給を受け取っていると言うことになるのですから。

 その人たちが、銀座や浅草に、北海道や日光にやってくるのです。しかも、最新のファッションを身にまとい、日本製の高級カメラを手にして、驚くほどの買い物をしていくのです。
 毛沢東ブームで、延安に出かけて行って、粗末なありようを目にするのは、果たして、銀座や浅草に姿をあらわす彼らではないのです。

 そうではなくて、残りの13億人、毛沢東時代の、誰もが貧しく、新しい国家建設に夢を託したあの時代への郷愁だと思っているのです。
 それを権力闘争の側面から見れば、圧倒的多数が貧富の差が広がる格差社会の今の中国に対して不満を持っている、その表れではないかと、勘ぐるのです。

 おのれの豊かさだけを追求する若者から、毛沢東のような、おのれを犠牲にしてまで、革命に突き進んだあの偉大な英雄に次ぐ、新しい英雄の登場を中国は待ち望んでいるのではないか。
 そして、アメリカはそれを察知して、中国包囲網を作り出しているのではないか、中国における懐古趣味にはそのような政治的思惑があるのだと。

 突然の春の暖かさに、そんなことを思ってしまいました。

 学校も春休みに入ったようです。高校野球も始まります。
 そうそう、テレビでは、懐かしい歌手たちが、往年の美声を披露しています。
 皆、若々しく、その歌声を聞くと、あの青き時代の頭を覆いたくなるような思い出が蘇ってくるのです。

 今時の中国人民も、何か大それたことを起こそうなどと考えるわけもあるまいにと、熱くなった思いをクールダウンさせたのです。



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危うい時代にはやぶさの知恵を

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 春の陽射し
 どことなく暖かさがあり
 何よりも明るさもひとしお
 これであの無粋な風がなければ最高なのだが……




 省庁の統計なるものが問題になっています。

 戦後まもなくのことでした。
 時の首相、吉田茂がGHQに掛け合って、このままで行くと、大量の飢餓が発生して、えらい事になる。
 緊急の食糧支援を願いたいと陳情しました。

 GHQがどのくらいの支援が必要かと言うので、農林省の統計数値によれば、450万トンの食糧が必要であり、それがないと日本中に餓死者が出ると、そう言ったのです。

 ところが、アメリカは70万トンしか支援できなかった。
 GHQは、日本国内に餓死者が出て、暴動が発生し、占領政策に支障をきたすのではないかと心配していました。 

 しかし、暴動も、飢餓も発生しなかったのです。
 日本人は、我慢強く、創意工夫し、あれこれやりくりして、乗り切った、という側面もあるかと思いますが、実は、時の首相、少々、大げさに物事を言ったらしいのです。

 GHQが、首相を呼び出して、あなたは450万トンなければ、えらいことになると言ったが、70万トンでも何も起こらなかったではないかと口を尖らして言ったとか。

 そこで、吉田が語った言葉が実に愉快なのです。

 日本人は類い稀な生きるすべを持ち、工夫して、やりくりしてなどと、そんな弁解じみたことなど、これっぽっちも言わないのです。
 そうではなくて、こんなことを言ったのです。
 日本の統計が正しくあれば、おたくと戦争など、そんな馬鹿げたことなどしやしない、って。

 どの国家も、自分に都合の良いように数値をいじくり、公表して、国威発揚を図ります。

 あの時代であれば、コンピューターもあるわけではなし、都合の悪いデーターがあれば、それを秘匿することなどわけありません。
 天気予報でさえ、極秘事項だったんですから。
 この話が愉快なのは、政府というのは、あるいは、行政というのは、いかようにもデータを作り上げることができるということです。

 それは、現代政治においても随所で見て取ることができます。 

 アメリカのイラクへの一方的な武力行使も、大量破壊兵器などないのに、それを行いました。
 中国やロシアなどは、もっと露骨に、そして、平然とそれを行います。クリミヤにしろ、南沙にしろ、あれを見れば、それがよくわかります。歴史の改ざんといっても良いくらいだと思っているのです。

 しかし、現代の日本では、そうはいきません。

 ルールがあれば、そのルールに従って、統計を取り、それを公表するのが、現代の真っ当な国家のすることです。
 国民がそれを理解して、そうであるならば、何をしなくてはいけないかと考え、行動に移していくのが、今時の国家というものです。

 どうも、世界の行政をかいつまんで見ていますと、いい加減に物事を行なっているそんな気がしてならないのです。
 イギリスのEU離脱だって、あれも、いっときの盛り上がりによる国民投票の結果でした。
 アメリカのトランプだって、あれも、いっときの熱狂によって、トランプのライバルが真っ当かどうかはわかりませんが、正当なる継承より、異端の登場が発生してしまったのです。

 そんなことを考えると、危うい時代だなって思うんです。
 何か、想像を絶するへんちくりんなことが起きなければいいと心配するんです。

 1ヶ月前の2月22日のことです。
 はやぶさ2が、りゅうぐうにタッチダウンして、岩石の採取に成功しました。
 りゅうぐうは、近くて金星の内側を、遠くて火星の外側を公転する、東京スカイツリーの高さよりちょっと高い、その程度の小さな星です。
 その気の遠くなる距離に、地球からデーターを送り、時には、自動制御ではやぶさ2は動いているのです。 
 次回は、りゅうぐうにクレーターを作り、星の内部を観察、データーを収集するというのです

 このくらいの精度を、行政の統計も持つべきであるのです。

 いや、笑い事ではありません。
 私たちは数字には、えらく弱い「人間」なんです。
 計算ができないという弱さではなく、数値にごまかされやすいという性質を持っているのが人間なのです。 

 そんなことを念頭に置きながら、総務省統計局のサイトで、我が国の人口ピラミッドなるものを見ました。

 いくつか横棒グラフが凹んでいるところがありました。
 日中戦争から太平洋戦争にかけて、そして、戦後の時期です。
 国が不幸になると、人口までもが際立って減少するのです。
 それに、昭和41年のひのえうまの年、これは悪しき迷信による減少です。
 
 さらに、ずっと下を見ていきますと、統計用語で年少人口と言われる部分です。
 まったくふくらみがないのです。
 いや、先細りしているのです。
 これはどう説明したらいいのかしら?

  日本弱小化?
   日本消滅?

 さて、国民はどうするか、この的確なデーターを見て取り、新しい時代に即したありようを正しく、適正に整えなくてはならないのです。
 何よりも、新しい日本を背負う子供たちが不幸にならないように、明るい未来を彼ら彼女が作っていけるように、その土ならしをしていかなくてはならないのです。

 さて、私には何ができるかしら。

 とりあえず、コアラの国に、WhatsAppを使って、ビデオ電話でもしますか。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《6 / 17 💡 Monday 》
 
🦅 ただいま、<カクヨム>にて『ひとりっていいよな』を発信しています。

  世の中って
  理不尽なるもので
  満ち満ちているんだっ……



誰でも、社会的生活を営んでいれば、心苦しいことに出会うものです。
トップの解任、同僚との確執、職を辞しての新しき生活、そんなさまざまの体験がそれです。
人は、かくも争い、かくも世知辛い思いをするのです。
そして、大切なものをそこで失っていくのです。
失うことを、損得で測れることはできません。
失うことは、糧として、その人間に残れば、それでいいのです。
そして、若き人に、送ることができればそれでいいのです。


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【nkgwhiroの活動】

❣️<Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。こちらもご訪問よろしくお願いします。
 

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