気遣いのあまりに

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 今日の雨は
 きっと時代を惜しむ
 名残惜しの雨に違いないって
 育てたチコリの葉を摘んで
 サラダに入れます
 ちょっとした苦味が
 僕の平成であったのだから
 お似合いだって
 



 あれはケンブリッジの駅に向かっている時でした。

 大柄の黒人女性が大きなボストンバックを重たそうに引いて、私と同じく駅に向かっていました。
 「お荷物、お持ちしましょうか」
 そう声を掛けようとした瞬間、その黒人女性の何ということのない視線が私に注がれたのです。

 私に、ちょっとした気持ちの余裕があれば、微笑みを返し、私が予定していた言葉、お荷物お持ちしましょうかって、声をかけられたのです。

 しかし、私は、その何ということもない視線を受けて、臆してしまったのです。

 きっと、この大柄の黒人女性は、東洋人の私を怪訝に見ているに違いない。
 荷物を持ちましょうと言ったら、返事もせずに、無視され、急ぎ足で行ってしまうに違いない。そして、きっとロンドンまで一緒の電車の中で、気まずい思いをしなくてはならない、だったら、声などかけないほうがいい。

 周りの幾人かの人たちだって、声をかけていないって、そんな思いで自分を納得させたことがあったのです。

 ちょっと、想像をしてみました。
 あの時、あの大柄の黒人女性に声を掛けて、重たそうな荷物を持ってやったら、どうだろうかって。
 女性は、声を掛けられるのを待っていた。
 こんな重い荷物を持って逃げるような奴はいないし、何より、気遣ってくれたことに感謝してくれるだろう。
 それが縁で、ロンドンまでいくつかの話題がやりとりされて、退屈もしなかったに違いないって、そんなことを思ったのです。

 「私、あなたに、荷物を持っていただけないかしらって、あなたが私を見てくれた時、思ったの。でも、イギリス人ではないし、ことわられたらと思って、やめたの」

 そんなことも言ったかもしれないと。
 人間関係って、本当に、難しいって、思うんです。

 お互いに、遠慮をして、その余りに、人間関係が成立しないのです。

 そのようなこと、日常生活の中では、往々にしてありうることなのです。
 ショッピングセンターのエスカレーターに乗る時、たまたま、そこに子供を抱えた人が来れば、容易に、お先にって言えるのに、ケンブリッジの駅前では荷物を持ちましょうって言えなかったんです。

 それは、私の中に、荷物など持たれたら、それを持っていかれるのではないかって懸念があるからです。

 特に、私のような、旅のさ中にある人間には、荷物の中には大切なものが入っています。ですから、それを持ちましょうと言われれば、いや、結構と言うはずだと、そういう思いがあったのです。

 だから、きっと、あの時も、私は自分の思いを軸にして、そう思ったに違いないのです。

 香港で、私の友人が、私の手にした革の大きめの財布を気にかけます。
 パスポートも、カードも、現金も、そこに入っています。 

 それは危険だって、目の玉をひん剥いて言うのです。

 香港で、君は明らかに日本人ってわかる姿格好をしている、それに、いつもニコニコしている、そんな君が、手にそれとわかるものを持っていれば、ひったくりにあってしまうって言うんです。

 この友人、元は教師なんです。
 でも、今、香港人の若者を二、三人雇って、カレー屋さんをやっているんです。
 時には、日本に戻ってきて、シャンソンを歌う、そんな奴なんです。

 香港での生活が長いせいか、実に、横柄な奴で、いい奴なんですが、その香港人とのやりとりにはなかなか同意できないでいるんです。
 入ったレストランや土産店では、笑顔を見せない、ぶっきらぼうにものを言い、命令をしているのです。

 これじゃ、日本の恥だと、彼に文句を言ったことがあるのですが、彼は、一向に意に介さず、これでいいんだと、甘い顔をしたら、騙されてしまうって、そう言い張るんです。

 だから、私の無防備なありように、目の玉をひん剥いたのです。

 私だって、ニコニコしているばかりではありません。
 手に持っている方が安全だと、そう思っているからに他ならないのです。
 懐に入れていれば、あの混雑の中、人とぶつかって、スリにやられてしまうかもしれないし、ズボンの後ろポケットに入れておけば、これまた、鈍感な我が尻はそこから抜かれたことなど察知せずにいるやもしれないのです。

 手に持っていれば、一番安全だと、そう思っているのです。

 これが私の気遣いなのです。
 香港の彼には、到底、理解のできないことに違いありません。
 だって、生き馬の目を抜くような世界に生きてきた彼と違って、のほほんとした中に、どっぷりと身を置く、私なのですから。

 騙すことは決してしないと心に決めたのは、何も、教職に就いたばかりではないのです。

 私の中に、騙すくらいなら、騙された方がいいと言う哲学があるからなのです。
 人間を信じて行こうと言う哲学です。

 そんなたいそうな哲学を持っていることを自認しているのに、あの時、ケンブリッジでなにゆえ気遣いのあまりに、荷物を持ってやれなかったのかと悔やむのです。

 そうそう、私、最近、妙な気遣いをしていることに気がついたのです。

 送られてくるメールの端々に見られるあの絵文字です。
 時には、アルファベットのWなどもあって、何を言いたいのかしらって、そう思うのです。

 言葉ではなく、絵文字やアルファベットで、気持ちを表現するのです。

 女から、絵文字でハートマークやら、LOVEなんて書かれたメールをもらったら、きっと、私、気遣いから勘違いをしてしまうのではないかって、そんな心配をしているんです。

 いつになっても、余計なことを煩雑に考える癖が抜けないって、ほとほと嫌になってくるのです。

 今日は平成最後の日です。
 いっそのこと、令和では気遣いをやめて、厚顔無恥にして、斟酌の欠片もない人間に変貌をしようかと、そうも思うのですが、ご退位された天皇陛下の御顔を拝しますと、そうもいかないとよこしまな気持ちを改めるのです。



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待つ人たち

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 桜のすっかり終わった
 公園通りを
 ロードバイクで走っていると
 桃色の壁が
 こんな壁なら
 どこにあってもいいと
 ニコッとしたのです

 

 何でも、待つと言うことは根気のいることです。

 人間は一挙にことを成し遂げることはできません。
 準備があって、そこに努力があって、そして、いくばくかの幸運が加味されて、その「時」はやってくるものなのですから。

 ものごとの大小はありますが、誰も彼も、そうやって、成就なる果実を得てきているのです。

 それが偉大なことであれば、歴史にも残り、多くの人から讃えられます。
 そうでなくとも、何人かの心に残り、静かに、讃えられていくのです。

 そんなことを考えますと、待つ時間の大切さがよくわかるのです。
 さような大袈裟なことでなくても、待つ時間というものは、人間に多大の影響を与えていくものです。

 街角で、人を待つ女性を遠くから見てしまっている時があります。

 しばらく、それとない風情で、あたりをぶらぶらしながら、さして大きくない交差点の反対側から、そっと伺って、見ているのです。
 きっと、待つ姿に魅力を感じているからなのだろうと思っているのです。

 相手の方に失礼にならないように、いや、怪しい男と思われないように。

 まっすぐに前を見ている女性、何ものにも動じず、その姿は、確信に満ちています。
 待ち人は、程なく来る、そして、相手はちょっと遅れたことを気にかけ、待っていた女性はそれを広い心で許し、二人して、人波の中に消えていくのです。

 こんな人もいました。
 スマホを見たり、あたりをキョロキョロと見回したりしているのです。
 どこか、集中できない、そんな仕草が気にかかります。
 待っているのは、男友達とは限りません。女友達か、あるいは、家族の誰かか。
 そうこうしているうちに、待ち人が現れます。
 男でした。

 そして、女は、男に冷たい視線を送り、男は笑っています。
 なぜ、男は笑っているんだろうと、私、遠目からその後の二人の様子を興味深く観察をします。
 二人は、しばし、立ち話をしています。
 通行人が、その二人の様子を振り返って見たりしています。
 口論でもしているのかしら。
 興味は尽きません。
 やがて、女は男の腕を取り、人波に飲み込まれていきました。
 なんだか、ホッとしました。

 病院の待合室で、診察の順番を待っている時も、私は、そこにいる人たちを垣間見ています。

 診察というのは、だいたいは、予定時間より遅れます。
 診察に思いの外時間がかかる患者が多いのか、それとも医師が時間をかけてしまうのか、私は、じっと自分の名前の呼ばれるのを待つのです。
 その時間、決して、嫌いではないのです。

 だって、たくさんの人の、不安と不快の表情を見ることができるからです。

 もちろん、病気がもたらす不安、不快です。
 そんなものを見て、喜んでいるなんて、なんて下衆な奴だなどと思わないでください。

 人は、己れに、困難を抱えている時ほど、表情は真実に近づくのです。
 まさに、迫真なる表情と言えるものになるのです。

 そんな時、人は、偽りの表情を宿すなんて、悠長なことなどしていられないのです。

 私の左目が、見えなくなった時、そして、その原因がまだ分からなかった時、私はきっとこのまま目が見えなくなってしまうのではないかとそんな気持ちに支配されて、眼科の待合室にいました。

 その時の私の表情は、きっと、不安と不快に支配されていたに違いないと思っているのです。

 無遠慮に、ソファーにどかっと腰を下ろしてくる年寄りがいれば、頭も禿げて、見るからに年を経ているのに、何と無神経な奴なんだと、癪に障るのです。
 きっと、私は、ものすごい形相で、その見えない目で、無神経な年寄りを睨みつけていたはずです。

 具合の悪い子供が泣き止まないのを、しきりになだめている若いお母さん。
 みんな、おめめが痛いって来ているのよ、だから泣かないでねって、周りを気遣う若いお母さんがいることにホッとしたりするから、なおのこと、遠慮のない横柄な年寄りに腹がたつのです。

 医師から、検査の結果、目のほうは何の問題がないこと、それゆえ、脳に問題があるかと思うから、筑波大学病院に紹介状を書いてあげる、そこで精密検査を受けてと言われて、待合室で会計を待っているときの私の表情を思い起こせば、それは突き落とされた人そのものであったと思うのです。

 だって、病院の脳外科に行かなくてはならないと医師は言うのですから。

 人間は、得体の知れない出来事に遭遇することで、内奥のありようが外に、表情に出てくるのです。
 そして、それはまた待つ人の時間の中でも出て来るのです。

 一人、自宅にいるときはもちろん、衆人環視の中にいるときも、待つ時を持たねばならない状況下にある人間の表情は、豊かで、真実を伝えていると、私思っているのです。

 だって、それは讃えられる出来事ではなく、人が耐えて、我慢して、乗り越えていかねばならない待つ時間なのですから
 そんなことから、私、待つ時間を過ごす人たちの表情に興味は尽きないのです。



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春の音、満喫

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 ほら 
 見えます?
 豆が空に向かって
 そそり立っています

 今年は豊作だっ
 そう思っているんです
 
 ウッドデッキでのビール
 今から喉がなります




 この時期になると決まって聞こえてくる音があります。

 雉のカーンという、静寂を打ち破るような高い音ではありません。 
 鶯の心地よい声も、突然に響いて、驚くことがありますが、そのあとに、心に和らぎを与えてくれるそんな音でもありません。

 その音は断続的に響きます。
 それも、低い音で、あちらこちらで呼応し合って、響き渡るのです。

 我が宅の裏手、そこにはつくば名産の芝、白菜に並んで、広い田んぼがいくつもあるんです。

 この連休に、この辺りでは、毎年、田植えが行われるのです。
 あたり一面、水が張られて、筑波のお山もその水面に映り、この辺りは、あたかも水の国になったかのように、変貌を遂げるのです。

 それは、このページの右上、プロフィールに掲載している写真を見ていただければお分かりになるかと思います。

 このような光景になるために、今、トラクターが入って、田んぼをかき回し、水を張るために農家の人たちが盛んに働いているのです。

 そして、耕された田んぼに、じっと、土の中で息を潜めていたのか、そして、暖かい春の日差しを受けて、卵から孵って、オタマジャクシになり、一足早くカエルになったオスたちが、盛んに鳴きだすのです。

 最盛期になると、うるさいほどになります。

 そして、雨が降った後、彼らは、自分たちが暮らす田んぼと雨水であふれる道を混同し、たくさんが車に轢かれて、その死骸を晒すのです。

 中には、大きなガマガエルなどもいます。

 哀れだなと思いながらも、私たちは、それを気にもとめずに道を歩きます。
 それを悼むのか、道の側の田んぼでは、仲間たちがいつにもまして、低い声で、泣き喚くのです。
 いや、そんなことはありません。
 彼らは、メスを求めて、ただ鳴いているに過ぎないのです。
 子孫を残すために、この田んぼの土の中に、来年、また、子孫を孵すために営みを繰り返すのです。

 春になって、天候がすっきりとしません。

 雨も多くなり、外に出られないのは、私としては、厄介なことです。
 書斎から、うらやましげに外を伺い、雨音に耳を傾けるのです。

 そういえば、雨音も、ここ、つくばでは、風情があります。

 我が宅の西の空き地に、雨が降る音は、また格別であります。
 人さまの土地ですが、この方は東京で暮らし、一度もここにやってきたことがありません。

 知り合いの不動産屋さんによれば、随分とお年を召され、なんとか売りたいと思っているようですが、なかなか、買い手がつかないとぼやいていました。
 一体、何のために、こんないい土地を買って、ほったらかしにしておいたんだと残念に思うのです。

 そんな土地を、私、もう、かれこれ、二十年近く、草刈りをしているのです。

 ほおっておけば、雑草がはびこり、そのタネがわが宅にも押し寄せて、我が庭は雑草に侵食されてしまいます。
 綺麗にしておけば、害虫も寄ってきません。

 何より、むき出しの土のありようがなんともいえません。
 コンクリートと違うのは、土が陽の光や雨を吸い込んでくれることです。
 反射させるのではなく、それらをスッと吸い込んでくれるのです。

  🎶 雨が空から振れば 思い出は地面に染み込む

 そんな歌詞が思い出されます。

 そんな光景を窓越しに見ていると、別の低い声が響き渡りました。
 姿勢を低くして、我が宅のヤマモモの木を見上げます。
 
 ヤマバトです。
 果たして、わが宅のヤマモモの枝に巣を作るのかしら。
 だとしたら、うるさくなる。
 あの低い声で、クークーポーポーとやられたら、たまらんとまゆをひそめるのですが、それもこれも自然のなすことと思い直したのです。

 あと、耳にしていない音は何かしら?

 雉、雲雀、鶯、カエル、雨音、ヤマバトときて、そうそう、忘れていました。

 お子たちの声です。
 休みで、家にいるお子たちのにぎやかな声です。
 子供が少なくなったと、人がいないと世間では騒いでいますが、ここらあたりはまだ、子供たちであふれています。
 その子供たちのにぎやかな声が、これらに加わるのです。

 そして、私はウッドデッキで、「春の音」のすべてを満喫するのです。



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オセロのごとく

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 枝垂れる姿って
 なんで魅力的なんだろう
 天に向かう枝ぶりとは
 まったく違う
 なんだか
 男と女のありようを
 見ているようだ

 

 いよいよ始まりましたね。

 平成から令和へと、時代の区切りを迎える十日に及ぶ休日の始まりです。
 世界を見ても、これだけの休みを迎える国はないでしょう。
 つくづく、我が国はいい国だと、そっと思っているんです。
 
 今日あたり、きっと、多くの皆さんが、仕事をお休みにして、休日を過ごしていることと思います。あるいは、そんな世間の流れに逆行するかのようにお仕事に精を出されているかも知れません。

 しかし、ともかくも、日本国は、世界のうねるような流れの中にあって、十日というとんでもない休日の時を過ごすことになったのです。

 さて、水戸といえば、茨城県の県庁所在地です。

 私も、教育研修会に参加するために、何度もこの地を訪問しました。
 緑豊か、水清く、水戸っぽは頑固であるけれど、人情味のある、そんな雰囲気がにじみ出ている街だと今でも思っているのです。

 その水戸で生まれたゲームがあります。

 水戸で中学時代を送っていた少年が、挟み碁をヒントに、交互に盤面へ石を打ち、相手の石を挟むと自分の石の色に変わり、最終的に石の多い方が勝ちと言うゲームを考案し、楽しんでいたのです。
 これがオセロになります。
 戦後間もない頃の話だと言います。

 私の幼な子たちが我が宅に来るとき、いつも、決まって、このオセロを持って来て、私に戦いを挑んできます。
 単純なゲームでありながら、奥は深いといつも思って、手加減せずに臨むのですが、いつも負かされてしまいます。

 A minute to learn, a lifetime to master.
  オセロには、そんなことばがあるって娘が言っていました。

 学ぶのは簡単だけれど、マスターするには一生かかるって、将棋も碁も、AIによって、人間は負けが込んでいるようですが、オセロはいまだAIによる解析は十分ではない、いや、それは不可能ではないかと言われているそうで、水戸の少年、なかなかやるではないかと、私、密かに称えているのです。

 で、何故、オセロかといえば、この十連休、決まるまでの政府のありようが、オセロのようだと思ったからなのです。
 
 昔、飛び石連休なることばがありました。
 文字通り、休日が飛び飛びになるのです。

 意外に厄介なのです、これが。
 
 日曜日に休んで、月曜日に学校があって、火曜日がまた休み、てな具合です。
 何が厄介かって、気持ちの持ちようが厄介なのです。

 なんだか、かったるくて、教師も、生徒も、月曜日の表情と言ったらありませんでした。
 心の中に雲が重く垂れ込めて、ため息ばかりが出てくるのですから、いっそのこと、休みにした方がいいと思っていると、議員さんたち、祝日法なるものを改正して、そのような日を「国民の休日」として休みにする秘策を編み出し、正式に休みにしてしまったのです。

 以後、飛び石なる連休はなくなり、それは大型なる連休とことばを変えていったのです。

 あれだけ、休みが欲しかったのに、十日も休みになると、人間ていうのは勝手なものです。
 かつては、国民の多くが賛同したこの春の大型連休も、嬉しくはないとかなりの人が思っているというのですから。

 株をやっている人からすれば気が気でないでしょうし、小さなお子をお持ちの方は万が一の病気の時はどうなるのかとか、お子たちが家にいれば、パートに出ることもままなりません。
 まして、旅に出ることもない御仁であれば、世間から取り残されたような疎外感を持つやも知れません。

 人間の心理に与える影響などは、法律というのは鑑みないのはいつものことですが、それでも、今回の大型連休は、日本の歴史の極めて重大な節目の時でもあるのです。

 ワンジェネレーションとは、三十年を言います。
 親から子へと受け継がれるのが、この三十年という時の流れです。
 まさに、今上陛下から皇太子殿下へと、このワンジェネレーションが引き継がれていくのです。

 そういう意味では、今日から始まる十日にわたる休日は、私たちはその時代の変換をゆっくりと見て行かなねばならないと思っているのです。

 オセロのように、それまでの平和が、くるりと白から黒になることにならないように。
 
 さて、旅に出る予定もなし、近間で休日の雰囲気を味わうなどという予定もなし、せいぜい、ロードバイクで突っ走って、霞ヶ浦で船を操るとしましょうか。

 オセロのごとく、自転車も船も、ひっくり返らないように、十分と注意をしてね。



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モンブランの萬年筆

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 おや?
 夕日を浴びて
 そこに思考するは
 山から降りてきた
 お猿さんではないか
 何を思い
 何を憂いているのか
 人間世のことか 
 それとも猿山の勢力争いのことか……




 野坂昭如も、五木寛之も、それに、私が殊の外お気に入りのタモリも、実は、私の卒業した大学を中退しているのです。

 私が、早稲田に入った頃、とある週刊誌が、早稲田特集を組んでいて、それを買った記憶があります。
 今でも、本棚のどこかに隠れているのではないかと思いますが、その中で、かなり沢山の先輩が誇らしげに書いていた言葉を覚えているんです。

 ろくに授業に出なくても卒業させてくれたって。

 だらか、いい大学だ、これからバラ色の大学生活が待っているんだと、そんな甘い夢を抱いて通うことになったのですが、現実は、さほどのものではありませんでした。
 
 それでも、体育の授業で、ジーパンを履いたまま、実技に臨んでいると、先生が、古いジャージを持ってきてくれて、これを履け、君にあげるとそんな先生もいて、おお、これこそ青春の門だとえらく感動をしたこともありました。

 そうかといえば、宗教学では、二ヘロクと渾名されていた先生が、キリちゃんとキリストのことを言って、信仰している学生からクレームを受けるという事件がなんと授業中に勃発したこともありました。 
 ちゃんとは敬意を込めた言葉であると、僕にとっては、マホちゃんであり、佛ちゃんであるとそのようなことを述べて、けむに巻いていたことを思い出し、実に早稲田らしいと思っていたのです。

 堅苦しいことなど言いなさんなと、私なども大いに早稲田風に染まっていったのですが、中退した先輩のように、とりわけ才能があるわけでもありませんから、単位を取ることに必死というのが、実は私の早稲田での情けないありようであったのです。

 そんなわけですから、就職試験では惨敗に次ぐ惨敗、ほとほと自分が嫌になったことも覚えています。
 しかし、捨てる神あれば拾う神ありで、私はなんとか教職に就くことが、早稲田の就職部のおかげで出来たのです。

 こんな私でも、長年、教職についていますと、何十年後には、若い人たちの面接をするようなそんな立場にもなります。

 理想に燃えて、面接試験を受けにきてくれる人たちを見ていると、そんな私の若き日のだらしない自分の姿を思い出すのです。
 同時に、それらの若い人たちの立派なことにも感動をするのです。

 だって、自分では到底送れそうにない学生生活を、その人たちはして来ていると感じるからなのです。

 私と同じ早稲田の文学部を出て、おまけに、大学院修士まで出ています。
 それはメガネの奥に光る瞳の輝きが印象的な青年でした。
 
 大学生活では、何を学んできましたかって、問いますと、古文書を読むことで、実証的な姿勢を何事も持つことが必要だと、そして、根気も身につけて来たと思っていますと、その青年は答えました。

 到底、私には答えられないような返答ではありました。

 それだけなら、私の記憶は、きっと保つことも出来ずに、深い闇の中に埋没をするはずですが、その青年、言葉を続けて、私の学生時代は、勉強一途、チノトレーニングをして来ましたと言ったのです。
 その青年のちょっとアクセントが微妙であった分、わたしには聞き取りがむずかしくなってしまったのです。
 
 チノトレーニング、チノ、それって何?てな具合で、私の脳は急速回転をし、それが「知の」だとわかったのです。

 そんなことを大上段に言う奴が我が後輩にいるんだ、でも、こう言ってはなんだかが知のかけらしかまだない子供たちと、この青年、やっていけるかしらって、一抹の不安も私の胸に去来したのです。
 そんな私の表情を読み取ったのか、その青年、立て続けにこう言ったのです。

 私には、子供が好きだと言う特技がありますって。

 その時の、なんとも必死な表情が印象的でした。
 後日、聞くところによれば、何としても就職をしなくてはならない、どこもかしこも落ちて、もう、ここが最後だったと言うのです。
 そこに、ニコニコした私がいて、しかも、早稲田出身と聞いて、藁をもすがる気分だったと言うのです。

 ですから、私は君にとって藁ほどの存在にすぎなかったのかと嫌味を言いますと、彼、今でも恐縮するのです。

 どう言うわけか、わたし達は気のあった先輩後輩で、付き合いも長くなりました。
 私の勤める学校が変わっても、この後輩とは付き合いが続いているのですから、余程、ウマが合うのではないかと思っているのです。

 この四月、辞令を受けて、彼は一校を任せられる立場になったことを、わたしは彼の手紙で知りました。

 中退をして大物にはならなかったけれど、卒業して、その部門で、責任ある立場になるのですから、褒め称えなくてはなりません。
 それも一つの人生であるのす。

 立派だと、私、一筆したため、祝いにモンブランの万年筆を贈ったのです。



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Rの時代を生きる

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 デスク周り
 一番に落ち着くのがここ
 次がウッドデッキ
 次がバルコニー
 でも
 机に向かう時が
 何と言っても
 一番




 弓道部の顧問をしていた時のことです。

 夏の合宿に部員を引率して、長野の清里で一週間ばかり過ごしました。
 最後の日に、隣で合宿をしていたとある大学の学生を交えて、練習試合をすることになったのです。

 そこで、私、用意してしておいた金ピカのカップを審判員席の机の上の置き、その前に『優勝』の二文字を書いて張り出したのです。

 すると、大学生の一人が、先生、それは『優賞』ではないですかって言ってきたんです。

 生徒の前で、学生に間違いを指摘されるなど、メンツは丸つぶれ、だから、意地を張って、これでいいですよって、とぼけたのです。

 でも、心の中では、あれ、本当にいいのかしらって、不安が増幅されて、落ち着かなくなりました。

 今であれば、iPhoneで、すぐに調べることもできますが、当時は、そんなものありません。
 すると、くだんの学生、また、私のところにやってきて、先程はすみませんでした。辞書で調べたら、「優勝」で正しいことがわかりましたって、そう言うのです。

 勝負事などに勝利してもらうものについては「優勝」、審査などで選ばれてもらうものについては「優賞」って、出ていましたって。

 そんなようなことを思い起こしますと、私は、いつも漱石先生の逸話も心をよぎるのです。

 夏目金之助という若き学徒が、学校で松山からやってきたちょっと風狂な男に出会い、俳句なるものを始めます。そして、彼から、西晋の孫楚の話を聞くのです。
 
 世の中には自分のまちがいを認めようとせず、無理にこじつけてでも主張を通そうとする、困った頑固者がしばしばいるものだ。
 今の時代を見ていると、それがよくわかる。
 時代を知って、時代を生きている人間は、実に、わずかだと松山の風狂なその男は嘆くのです。

 とりわけ、江戸っ子を自認するものたちには、ほとほと閉口だと、そう言ったかどうかはわかりませんが、金之助の見栄っ張り、頑として引かないそのありようを友情を込めて揶揄したのです。

 一方、金之助は、子規が語る孫楚の話に興味を抱きます。
 もちろん、それを金之助が知らなかったわけではありません。風狂な男のその語りが愉快であったのです。
 
 川の流れでは、それを枕にすることはできまい、河原の小石でもって、口を漱(すす)げまいと、孫楚が、「枕石漱流」と言うべきところを、「漱石枕流」と誤まって述べたことを指摘したのです。
 すると、孫楚、しばしの沈黙の後、まなじりを決して、言うのです。

 枕流と言ったのは、今の時代の聞くに堪えない話を耳にした、けがわらしさを拭うためだと強弁するのです。
 だったら、『漱石』とはなんぞやと友人が問うと、苦し紛れに、歯を石で磨き、鍛えるためだと、これまた強弁をしたと言うのです。

 どうやら、江戸っ子の金之助くんにも、その手の意地が強くあったようで、それはいい、正岡、俺にその言葉をくれと、そう言って、自らの筆名を「枕流」ではなく「漱石」にしたと言うんです。

 で、なぜ「枕流」にしなかったなどと、しばらく考えもしたのですが、「しんりゅう」では、なんとなく格好がつかないと、江戸っ子らしく思ったに違いないと。

 それは「しんりゅう」ではなく、「ちんりゅう」って言うのではないですかって、清里でかつての私に一言言ってきたような学生がいれば、そう言ってくるかもしれません。
 
 国語には、表外読み、あるいは、表外音訓というのがあります。
 常用漢字表にない読み方を言います。
 例えば、「山」という漢字、表内読みでは、「やま」「さん」ですが、表外読みでは「せん」とされているのです。

 そうすると、「枕」は、「しん」も「ちん」も共に表外読みで、ですから、どっちをつかっても間違いではない、ただ、習慣的に、誰が決めたか「ちんりゅう」にしているだけなのです。

 きっと、漱石先生、その点を気にして、「枕流」を避けたのではないかと思っているのです。

 「令和」という元号が発表されると、こころよく思わない連中は、命令する「令」を元号に入れるとは、何事かと、あるいは、日本はそのような国になっていくのだと、あらぬ騒ぎを演じました。

 誠に浅薄なことであると、呆れ返った次第ではあります。

 いや、実は、私も「令」の字に、つやがあるように美しい、そんな意味があることを初めて知ったのですから、そのような人たちを批判することはできません。

 ところで、令和は、REIWAとローマ字で記すと政府が発表しました。

 Rの発音は、日本人は苦手とするところです。
 下を奥に巻き込んで、ラ行を発音しなくてはなりません。もちろん、英語の場合ですけれど、それに、中国語でも、例えば、Ri-Ben、これ「日本」という漢字を中国語で発音するときに付けられるものです。
 ジパングの元になったものです。

 この中国語の、Rもけん舌音って言って、日本語にはないR音なんです。

 なんで、こんな難しい発音を「令」の字に当てたのかってそう思ったのです。
 そしたら、ある学者が、大伴旅人の時代、令の字は、呉音で読まれていたのだから、「れい」ではなく「りょう」と読まれていたはずだ。だとするなら、LEIWAとした方が妥当だと、そんな意見を開陳していました。

 詳しいことは一介の教師風情にはわかりようもありませんが、それもまた日本語だと思うのです。

 令和は、我が国が、初めて、我が国の古典『万葉集』からとった元号であること。
 それは、「美しい調和」なる意味を込めていること。
 そして、REIWAと綴ること。

 漱石枕流なる頑迷なる見解は捨てて、その意義づけられた令和の言葉を受け止め、時代を生きていこうと思っているのです。



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歴史、体感!

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 おや……
 ハーブの向こうに見えるのは……
  ネコさんか?
 いやいや
  植木屋さんで
  200円で売られていた
  フクロウさん
 福をもたらすって
 だから
 我が宅に来てもらったんだ




 人間、生きていて、そうそう、歴史的瞬間なる出来事に遭遇するものではありません。
 
 歴史を動かすには、その立場にいなくてはならないからです。
 国王とか、独裁者とか、あるいは、大統領とか、政治に関与する立場にいなくては、歴史を体感することはできないのです。

 学生時代、歴史の授業を受けていて、教授が、見てきたかのように、フランス革命の話をしてくれたときに、大いに感動して、フランスという国は、自由、平等、博愛なる近代の概念を打ち立て偉大な国家であると思っていたことが、今は、多少違った見方をするようになっていることに気がつくのです。

 だって、そうでしょう。

 シャンゼリゼで、正当な行為であるデモンストレーションを行なっている中に、何やら怪しげな思想、いや、思想などないのかも知れない、そん奴らがまぎれこんで、敷石を外し、放り投げ、車をひっくり返し、放火するんです。

 ノートルダム大聖堂が失火で燃えて、その歴史的遺産の再建を果たせと世界から莫大な金額が寄せられたことに、今度は、福祉をなおざりにしている、路上生活者を救う方が先だと声を上げているんです。

 どこか、何かが違うって、そう感じて、ニュースを見ているのです。

 だから、きっと、フランス革命って言ったって、初めから立派な理念があったわけではないんじゃないかなんて思ってしまうんです。
 混乱と、暴動、リンチの果てに、心地よい言葉をあとで引っ付けたのではないかって、そんな風に斜に構えて見てしまうのです。

 でも、それが歴史なら、きっと、歴史っていうのは、自分たちの周りにゴロゴロと転がっているに違いないと思ったこともありました。

 学生の頃、六月のそぼ降る雨の中、アルバイト先の御茶ノ水から、電車賃を惜しんで、歩いて、日比谷公園に向かったことを覚えています。
 日米安保条約更新に反対する七十年の集会を見にいくためです。
 思想なんてありはしない、若造の頃です。
 ただ、歴史的瞬間がそこで見られるに違いないと期待してのことです。

 だって、十年前は、死者まで出して、学生がそれに反対をしたのです。
 しかし、七十年のそれは極めて、整然と、組織されたものでした。
 つまり、なにごともなく、ただ、スケジュールに従って、ものごとがつつがなくなされただけのものであったのです。

 若い私は、歴史のまざまざとした瞬間の中に身を置くことはできなかったのです。
 一抹の喪失感と、歴史なんてそんなものと自分を慰めて、私は帰途についたのです。

 歴史に遭遇、いや、歴史を作り上げる現場に立ち会うならば、政治家になるに如かずと、そう思いながらも、私は政治家になる気持ちなどさらさらなく、平凡で、地道な職業を選択をしていったのです。
 私が就いた先で、歴史が作られる気配は一向にありませんでした。

 だって、そうでしょう。
 たとえ、何かがおこっても、それは歴史の流れにも相当しない、他愛もない出来事として、忘れられていくのですから。

 世間では、しかし、さまざまな出来事が起こり、そこに政治家が関与し、日本国の筋道が作られていきました。
 その中で、日中国交回復は、私の志向に変化を与えました。

 私は、それがために、歴史学から転じて、中国文学の学徒になったのですから。

 私がもっと中国語を勉強していれば、中国貿易に就いた友人のようになったかも知れません。
 しかし、私は、歴史の本流の中に身を置かずに、緩やかな時間の流れるそこに腰を落ち着けたのです。

 しかし、そんな悠長な時間の流れる生活を送っている私に、たった一度、歴史を感じた出来事があったのです。

 場所は、名古屋駅新幹線のホーム。
 時は、1991年11月10日。

 私は、ヴァンクーバーから小牧に降り立ちました。しばらく日本を離れていたのです。

 そして、名古屋特有の派手な装飾のバスに乗り、東京に帰るべく名古屋駅ホームに立ったのです。新幹線が来るまでのわずかな間、キヨスクの新聞立てに、普段見ることのない大きな活字が目に入りました。

 ベルリンの壁崩壊!
 えっ、そうなの。そんなことになっているの?

 随分と後になってわかることですが、それは一人の東ドイツ政府のスポークスマンの失言から始まったというのです。

 退屈な定例会見の場、それが終わる頃、一人の記者が、東ドイツ政府が検討してる旅行の自由化はどうなっていると発言しました。
 スポークスマンは、そうだ、それを言わなくてはならないと、うっかり忘れていたことで、少々焦りを感じたのでした。そして、あろうことか、それは直ちに実施されると、明日に正式に発表を控えたそのことを暴露してしまったのです。

 直ちに、速報が東ドイツ国内に流され、同時に、世界にも発信されました。

 民衆は、東西を遮断する国境監視所に殺到します。車は渋滞、人々はすぐに門を開けろと叫びます。ちょっと向こうに行って必ず戻ってくるんだからと、タクシーを雇い、ちょっと見てくるだけだからと……。そうして、国境警備所の責任者が、政府の判断を受けずに、独断でゲートを開けるのです。

 それが始まりで、翌日には、あの壁の上に若者が立って壁を壊したのです。

 新幹線の車内で、夕刊を手にして、ベルリンの壁で三十年近くも閉ざされた交流が、一瞬で可能になることを知ったのです。

 歴史とは、洒落たことをするもんだと、グリーン車のふかふかの座席に腰掛けて、私は思ったのです。

 あの時、私、確かに、歴史を体感していたと思っているのです。
 だって、ドイツの若者と時代を共有したと感じられて、心がウキウキしていたのですから。

 そして、今、2019年の春、私は、もう一つの歴史を体感するのではないかと期待をしているのです。

 三十年の歴史が終わり、新しい時代に切り替わるその一連の出来事を、私は、きっと、テレビを通して、体感するに違いないと、そう感じつつあるのです。



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あなた

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 本棚というのは
 最高のインテリアだと
  カラフルで
  さまざまで
  思いもよらぬデザインが生まれて
 それに
 ちょっぴり
 知性の香りもして



ちょっとした言い合いの場面に出くわしてしまいました。
根っからの野次馬根性が備わっている、自称江戸っ子、ですから、なんだ、なんだと人の中に分け入っていきました。

結構なお年を召した方と、若い男性が言い合っています。

いや、つくばの駅でのことなんです。
あの改札のちょっと先に行ったところで、その二人がやり合っていたんです。

あなたとは何事かと、歳のいった男が若い男を見上げて言っていました。

若い男は、意外にも冷静です。
わたしはあなたの名前など知らない、それをあなたと言ってどこが悪い。それとも、おとうさんとかおじさんとか、横柄で、無礼で、周りの迷惑も考えないご老人とでも言えばいいのですかって、ものの見事に返しているんです。

年を召したといっても、杖をつくとか、頭が禿げ上がっているとか、そんなんではないんです。
老人というにはちょっと早く、壮年というにはちょっといっている、そんな風な具合の男なんです。

ことの発端など、野次馬風情には関係などありません。
要は、この口喧嘩、どっちが勝つか、それが問題なのです。
見るところ、どうも、若い方に分がありそうです。

それを悟ったのか、周りを囲んでいた群集も一人抜け、二人抜けしていきます。
両名とも、なんで争っていたのか、そんなことすっかりと忘れて、売りことばに買いことばってな具合です。

でも、「あなた」って言葉、これが英語だったら、まず問題はない言葉であるはずです。
 なにせ、英語には、相手を指す言葉、「YOU」しかないのですから。

もし、青年が「おまえ」とか、「このクソジジイ」なんてやっていたら、大勢はこの歳をいった男に、野次馬連は傾いていくはずだと推測したのです。

しかし、歳をいった男は、この「あなた」に怒りを示していました。

きっと、会社で、上司から、「きみね、幾つになったんだい。こんなこともわからないでは恥ずかしいよ」と言われていればいいものを、「あなた、いつまでこんなことをしているの?」って言われたのではないかと思うのです。

「きみ」と「あなた」でも、ニュアンスが異なります。

「君」は、目上の者が、目下の者に呼びかける言葉。幾分、親しみも感じられます。それに対して、「あなた」は、同輩の人同士で言い合う言葉。ときに、相手を見くびった感じも伴います。

いや、待てよ。

さほどに、私たちの日本語は、きみとあなたに、そのような区分をしていないぞ。
そんなことにも、気がつくのです。

でも、あの歳いった男、若い青年が、あなたとやって、自分と同輩のような、生意気な口をきくと、それで怒っていたにちがいないのです。
もし、若い男が、きみって言っていたら、怒りようはますます激しさを増していたと思っているのです。

貴様と俺とは同期の桜なんて、古い歌がありますが、貴様とは、あの当時は、明らかに敬意を込めたいいかただったんでしょう。
 だって、字そのものに「貴」の字があります。

しかし、「キサマー、テメェって奴は」なんて、書きますと、貴様は一挙にヤクザ言葉に変じるのですから不思議です。

いまね、記者会見をしているんですよ。
そこのあなた、おしゃべりをしているんだったら、出なさいよ。

それでも記者が出て行かないと、キサマデテイケって、そんな政治家がいましたが、これなどは、権力をかさにきた横柄な物言いであり、記者の仕掛けに乗って、有権者に在らぬ姿を見せてしまった、政治家としては体たらくな在り方だと思っているんです。

日本語では、相手を呼ぶときは、気をつけなくてはいけないということです。

学校では、男子にはくんと、女子にはさんと使い分けていました。
女子に、さおりくんなんて言うと、先生、私はこれでもおんなのこですからって、ツンとされてしまいます。
呼び捨てなどすれば、夕方、保護者から上司あてに電話がかかってきて、教師が注意を受ける羽目になってしまいます。

そもそも、あなたなどということばは、かなたと同じ部類のことばであったはずです。
つまり、向こうにいる者に対して、あなたと用いていた言葉であるはずです。
それに、敬意を込めて、遠くに居られるそこの方、もっと丁寧にいえば、あなたさまってな具合に、そう言っていたのです。

思い出しました。

総理大臣が、それが誰だったかもうすっかりと忘れてしまいましたが、これも記者に、あなたとはちがうんだと言ったあの場面。

きっと、このあなたには蔑みの意味を、それを聴いたものは持ったにちがいないのです。

当分、私、あなたと、だれかに言わないようにしようと思います。
でも、あなたって素敵などと言われても見たいと思っているのですから、いやになってしまいます。



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みものおもひ

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 種を取り
 それを増やそうと
 試みるも失敗
 親木も種を宿し
 エネルギーを使い果たしたのか
 枯れてしまった
 だから
 植木屋さんで
 新しいのを買ってきた
 やはり
 オダマキはいい




 あの時、我が宅には、ジェニ・アレンが滞在していました。

 柔道をする、私の足より大きい足を持つ女性です。
 当然、私の靴より大きい靴を持ち、玄関に並べられている二人の靴がこれほど滑稽に見えたことはありませんでした。

 しかし、テレビで伝えられるニュースはけっして滑稽なものではありませんでした。

 東京タワーの灯りも消されました。
 銀座の街には、弔旗が掲げられました。
 銀座ばかりではありません、日本の繁華街の至る所で、静寂が支配していたのです。
 
 ちょうど、三十年前の出来事です。

 「みものおもひ」と言います。

 天皇の死を悼み、喪に服すると言う意味の大和言葉です。
 漢字で書けば、「諒闇(りょうあん)」となります。

 新天皇ばかりではなく、国民のほとんどが、昭和天皇の崩御を悲しんだのです。
 まさに、日本は、諒闇の思いに満ちた国になったのです。

 しかし、このたびはどうだろう、テレビで天皇陛下が伊勢の神宮にご参拝に行かれると、沿道には、多くの人が出て、そのお顔を一目見たいと溢れているのです。

 歓声があがり、感謝の呼びかけがなされ、涙を浮かべる人がいるのです。

 元号は違憲だと、国民の連続した時間を奪うものだと訴訟を起こした人がいると言うことを耳にしましたが、その人たちは、この光景をどう見たのだろうかと思うのです。
 天皇が国会に出るときには、議場に出てこない政党もあります。その政党の人たちは、果たして、これだけ多くの日本人の思いをどう受け止めているかしらって、思うのです。

 時間を奪われたなどと、一つも思っていない。
 天皇制があるから、生活が苦しいなどと一つも思っていない。

 むしろ、時間を共に過ごせたことに、懐かしみと感謝を込めている。
 むしろ、そんな国だから、誇りを持ち、胸を張っていられる。

 そんな風に思えて仕方がないのです。
 
 かたや、新天皇のご即位前に、新元号が公表されるのはいかがなものかと言う反論もありました。
 インターネットで世の中が動く昨今、昔のように悠長にことを進めるわけには行かないのです。
 世界は、社会は、さまざまな準備が必要なのです。
 だから、政府はあえて、それを断行した、いや英断であったと思っているのです。

 おかげさまで、平成の時がそうであったように、初め耳慣れなかった令和も、ここにきて、しっくりとしてきました。
 
 世界には、悲しい哉、独裁者と言われる指導者が今でもいます。
 その指導者を讃える民衆の、演出された表情、どこか冷めたそれを見てしまう私ですが、今回の日本国民のそれには、そのような造作は一切見て取れません。
 きっと、小さな地域に君臨する彼らは、その光景を羨ましく思ったに違いないと思うのです。

 何故、日本の天皇陛下は、かくまで国民から愛されるのかと。

 三十年前、ジェニ・アレンが、私にその日の新聞をくれと言ってきました。
 大きな活字が踊る、あの日の新聞です。

 誠に失礼ながら、記念に持っていきたいと言うのです。
 彼女は、柔道家であり、日本語をオージーの子供に教える教師でもあったのです。
 きっと、これを教材にして、日本の特別な日の、出来事を伝えてくれるに違いありません。
 だから、私、近くのコンビニに走り、そこにあった新聞を買ってきて、彼女に与えたのです。

 おそらく、彼女、日本の素晴らしいあり方を肌で感じ取り、コアラの国で未来のオージーたちに北半球のユーラシアの東の果てに、こんな国があると、メガネの奥に麗しい涙を溜めて授業をしてくれたに違いないと思っているのです。

 WhatsAppで、私のGOKUが、ゲダイマイトと叫んできました。

 キンダーで、先生から教わった、オージー語です。
 オージー独特の英語を喋り、それを教えたくて仕方がなかったと言います。

 これは丸、これはトライアングルと、三角と言えなくなってしまっている幼な子のGOKUですが、この子も、きっと、ジェニ・アレンのような教師に出会って、日本の素晴らしさを教えられ、日本人としての誇りを身につけていくのだと、そう期待をしているのです。



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春の陽射しがもたらすいっ時の幻

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 0.5ミリのボールペン
 今は
 使われることも少なく
 机の上のケースで
 余生を送っています
 そうだ
 色とりどりの
 このペンで
 連休の日の
 絵でも書こうかと

 

 きっと、春のほのかにあたたかい陽射しのせいだと思っているのです。
 
 ステージに、一人の男が。
 男は、手のひらに、ドローンを載せています。

 そして、その手を高く上げると、ドローンが静かに男の手のひらから離れ、そして、一気にステージを見つめる満席の観客席に向かって飛んでいくのです。
 蝶のように翻ったり、燕のように観客の頭すれすれに飛んだり、そして、鷹のようにステージの一番遠いところから、そして、高いところからステージに向けて、一発の弾丸を発射するのです。
 その弾丸は、ステージの男の心臓に命中したのです。
 
 ついに南シナ海で。

 アメリカの空母打撃群と中国軍が戦闘状態に入りました。 
 圧倒的に強いと思われていた空母打撃群に襲い掛かったのは、コガネムシくらいの大きさの何千何万何十万という小型ロボットです。
 それが空母や駆逐艦の隙間から館内に入り込み、小爆発を繰り返すのです。そうして空母打撃群に所属する訓練の行き届いた優秀な兵士たちを傷つけていったのです。
 米軍の長距離ミサイルが、南シナ海に国際世論の反発も何するものぞと作り上げた人工島の基地を攻撃をしましたが、その上を、ドローンが飛び回り、工兵に最も効果的な修繕を指示し、滑走路は1時間もしないうちに、修復されていったのです。

 顔認識とマシンリーデイング。

 中国ご自慢の顔認識装置。自国民だけではなく、日本人も対象になったのは、日本が中国の5G技術を受け入れてからのことでした。顔認識ばかりではありません。日本のネット全体に対して、マシンリーデイングまでも取り入れたのです。
 中国に批判的な発言を繰り返す言動をこれで発見し、発信を遮断し、顔認識装置で、街角のという街角でその人物の写真を掲げ、威嚇をするのです。
 そうなった人物は、マーケットにも入ることができなくなります。公的な手続きもできなくなるのです。

 ドルも。

 ドルこそがアメリカの最大の情報収拾媒体だと、銀行を介さずに送金できるブロックチェーンを最大限活用してきた中国ですが、コンピューターが異常をきたし、中国は巨額の負債を抱え込んでしまったのです。それまで、中国元にいいようにされていた発展途上国は、これを境に、中国から離れていきました。
 
 私にも。

 ロードバイクに乗って、筑波山への道を快適に走りこんでいく、その私のバイクを追い越していく一人の男がいました。
 後ろ姿に見覚えがあります。
 いや、見覚えではなく、私のそのものです。
 私は、しまった、あの時、私は私のゲノムデータを盗まれてしまったのだと気がつくのです。

 腎臓ガンの定期検査の時でした。
 腎臓の他にガンがないか、ゲノム、つまり、あなたの体が、生まれた時から持っている個人情報を調べて、あなたがガンで命を落とすことのないように致しますと、中国製のAI医師に言われたのです。ガンに蝕まれる前に、それが駆逐できならと、私、同意をしてしまったのです。
 ゲノムはコピーされて、私とまったく同じ人間が作られてしまったのです。
 従順で、身を粉にして働く、ロボットとしての私が、私の前をロードバイクに乗って走り去っていったのです。

 春の陽射しは意地が悪い。
 私は憂うつになってしまいました。

 陽射しが陰ってきたことをいいことに、私は、家の外から中に入って、冷やこいと感じるテレビのある部屋のソファーに腰を落としました。
 そして、何か、ビデオでも見ようと、ストックされている一覧を見たのです。
 そこにあったのは、英語名「HOME ROAD」中国語名「我的父親母親」、日本語名「初恋の来た道」でした。
 監督は、張芸謀。主演は章子怡。

 かくまで愛した男に、一心に思いを寄せる女がいるのだと、敬愛を胸にして、男とささやかな人生を共に生き、貧しさの中でも、最大の幸福を感じ取って生きた女がいたのだと、胸を熱くしたのです。
 中国がまだ貧しく、素朴であった頃合いの話です。
 しかし、それでも政治の影響は計り知れなく、映画でも、男は農村から街へと呼び戻されます。反右派闘争で、批判を受けてしまったのです。
 彼は、大学を出た教師でした。たった、それだけで批判を受けるのです。
 女は、彼が再び村の戻ってくるのをひたすら待ちます。
 その健気さ、純真さ、一途な想いに、私は、愛おしくなるのです。

 男が歳をとって、亡くなります。
 棺を担いで、街の病院から、村の家まで戻ってくることを女は希望します。その道で男は女のいる村に来、女はその道の傍で、男が戻ってくるのを何年も待ったからです。
 村では、さほどの人間を集めることはできないと困惑します。
 しかし、心配は要りませんでした。男の教え子たちが、棺を担いで戻るという話を聞いて、集まってきたからです。
 葬列をあれほど涙してみたことはありません。

 EUがAI倫理指針を公表しました。

 AIは、人間に危害を与えないこと。民主主義、言論の自由を損なわないこと。社会弱者の保護を行うこと。これらを原則とすると。

 これが春の陽射しのいっ時の幻に終わらないようにと願うのです。
 そして、中国の本当の姿は、この映画の女のようにあるのだと、そっと思ったのでした。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《6 / 17 💡 Monday 》
 
🦅 ただいま、<カクヨム>にて『ひとりっていいよな』を発信しています。

  世の中って
  理不尽なるもので
  満ち満ちているんだっ……



誰でも、社会的生活を営んでいれば、心苦しいことに出会うものです。
トップの解任、同僚との確執、職を辞しての新しき生活、そんなさまざまの体験がそれです。
人は、かくも争い、かくも世知辛い思いをするのです。
そして、大切なものをそこで失っていくのです。
失うことを、損得で測れることはできません。
失うことは、糧として、その人間に残れば、それでいいのです。
そして、若き人に、送ることができればそれでいいのです。


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【nkgwhiroの活動】

❣️<Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。こちらもご訪問よろしくお願いします。
 

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