レノンの叫び

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 あのような事件がなければ
 私の五月は
 この緑のように
 清々しいものであったに違いないと
 そっと
 手を合わせて
 ご冥福を祈っているのです




 病院の待合室で、皆が、自分の体に課せられるこれからの検査のことより、テレビで報じられる痛ましい事件に、顔を歪めていました。
 誰も、何も言わずに、刻一刻と入ってくる情報に俯いていたのです。

 その中の一人に、私もいました。

 子供たちは、きっと、怖い目にあったに違いない。
 この子たちは、一生、あの怖さを背負って生きていくのだと思うし、それに何より、亡くなられた方のことを思うと、無念であったと、悔しくて仕方がなかったに違いないと怒りを伴って、思いが至るのです。

 待合室の片隅で、自分の名前を呼ばれていることさえも気づかず、私は、子供たちの叫びに耳を塞いでいたのです。

 叫び、と言うのは、めったに聞くことのできないものです。

 あのような場面では、何が起こっているのか、どうなるのか、きっと、子供たちの目には、それがスローモーションのように展開され、叫ぶ暇などもなかったに違いないと思っているのです。

 私の母が、機銃掃射を受けた際の怖さを語ってくれたことが、たった一度ありました。

 亀有で、それを受けたと言います。
 グラマンから放たれた機銃弾を受けた人は、膝を折って、静かにそこに座り込んで、そのまま前のめりに倒れこんだと言います。
 その姿を目にした母は、一つの叫びも発しなかったと言います。
 
 自分には当たらなかった、と言う安堵感。
 爆音が背後から、一瞬にして、前方へと通り抜けていく音の移動を感じ、叫ぶ暇もなかったと言うのです。

 得体の知れない怖さに出くわした人間は、きっと、叫ぶ暇もないのだと、私は、その時から思っているのです。

 叫びを叫びとして、受け止めたことが一度だけありました。

 マザーという曲を最初に聞いた時です。
 あのレノンの叫びが、ど肝を抜かしてくれました。

 そして、歌詞の内容を知って、もう一度、私は、ど肝を抜かすのです。

 だって、お母さん、僕はあなたのものだったけど、あなたは僕のものではなかったと叫ぶのですから。
 お父さん、あなたは僕をすてたけれど、僕はあなたをすてられなかったと続けるのですから。

 お母さんいかないで、お父さん帰ってきてと、彼は十回ほども叫びを続けるのです。

 1970年のことでした。
 若い、まだ、世間のことも何も知らない頃、その叫びを聞いて、私は、愕然としたのです。
 
 レノンは、また、次のような叫びも聞かせてくれました。

 God is a Concept って、冒頭、レノンは言葉を区切ったのです。
 そして、一拍おいて、by which we measure と、音を低くして、言葉を続けたのです。

 測る所の概念としての神とはなんぞやと、その叫びの中に、真実を求めようと、私の頭は回転を早めます。
 そして、our pain と言う言葉が、さりげなく出てくるのです。

 神とは、痛みを測る概念。
 
 神がいるとするなら、それは、救いのためにあるのではなく、神にかこつけて、課せられた苦痛の度合いを計測し、それを神の力で、鎮める、そんな風に私は読み取ったことを覚えているのです。

 診察室の中で、私の名を呼ばれていることに、私が気づいたのは、そんな時でした。
 お身体大丈夫ですかって、歳の幾分いった看護師さんが、心配そうに声をかけてくれました。
 
 造影剤は……

 そんな説明もしっかりと聞き取ることもなく、私は、丸いドームの中で、その発する機械音の中で、私の脳を切り刻む叫びに晒されたのです。



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一里を歩く

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 つくばセンターの商店街
 平日とはいえ
 確かに人がいない
 寂れている
 ネットの威力か
 単に
 人が少なくなったか
 それとも
 これが未来の姿なのか……
 


 病院に行くときは、五キロばかりの道のりを歩いていきます。

 なに、ただいま現在、具合が悪いから病院に行くのではないのです。脳と腎臓の手術をしたその術後経過を検査するために出かけていくのです。
 
 だから、私は、歩いて、隣地に建つ二つの病院には、その折々に歩いて出かけるのです。

 五キロといえば、江戸の時代風にいえば、一里とちょっとです。
 一里塚というのがあるように、人間にとっては、歩くにあたり、この距離が一つの区切れになっていたように思うのです。

 おっと、一里塚だ、一休みして、次の一里塚まで頑張ろうって、江戸の時代の旅人は、そう思って、歩いていたに違いないって、そう思っているのです。

 学生の頃、新聞広告に、芭蕉は忍者だった、そんなコピーの踊った広告を見つけて、本屋に出かけて、それを手に取ったことがあります。

 著者には申し訳ないのですが、店内で、かいつまんで読んで、それで終わってしまったのですが、要は、奥の細道の行程に、到底、現代人では歩き得ない日程上の無理があったという、そんなことであったのです。

 その本を買ってはいないわけですから、具体的に、どこがどうだということは言えないのですが、現代の人間だったら、この宿場から、次の宿場までの移動が難しいのを、芭蕉はそれをいとも容易にこなしているというのです。

 『奥の細道』は元禄十五年に刊行されています。
 元禄十五年と言えば、赤穂の事件があった年です。しかし、さほどに江戸幕府が東北各藩の内情を探るほどに、世の中は緊張していたわけではなく、刊行されるには、儲けがあると判断し、売りに出されるわけですから、どうも、この説は、眉唾ものだなと、本屋の棚に戻して、帰ってきたことを覚えているのです。

 それより、江戸の時代の人間は、現代の私たちとは異なる肉体をもっていたのではないかと、私は考えていたのです。

 だって、雪の降る桜田門外で、大老井伊直弼を討った水戸浪士たち、それを取り巻くように見ていた江戸の人々の服装は、それを絵図で見る限り、実に軽装です。
 もっとも、浪士たちは、これから暗殺に及ぶのですから、血気盛んで寒さなど感じなかったでしょうが、そこにいて、大名行列を見物していた江戸市民は、きっと、寒さにはひときわ強い人種であったのではないかと思っているのです。

 子供の頃を思い浮かべます。
 戦後まもなくに作られた質素な住宅、隙間風があり、重い布団を二枚三枚と重ねて、それでも寒かったあの日のことを。
 部屋全体を心地よく温めて、冬をやり過ごすのではなく、石油ストーブとこたつだけの、つまり、暖かさが一点に凝縮する中で、生活をしていたのです。
 それが江戸の時代であったなら、コタツだけ、時に火鉢の手をかざす程度の暖かさがあっただけです。
 ですから、時代のありようが人間の寒さに対するありようを確定したいたと。
 それは、暑さもで同じであるのです。
 さらには、歩く速さにも、それは言えると思うのです。

 わらじを履き、肩に荷物を担ぎ、ひたすら、路面を見つめて、さっさと歩く江戸の人々のことを思うと、一里、四キロなど、半時、つまり、一時間もかけずに歩ききったに違いないと、そんなことを考えているのです。

 今、私は、おそらくは健康に異常を来たしているとは思えないこの肉体を、それでも、医師の指示にしたがって、定期的に、検査しに、大学病院に通っているのです。
 研究所の広大な敷地のそばの並木道を通り、横丁に入ると、そこは大学の敷地、うっそうとした森の中の小道を歩むのです。

 速さを競うのではなく、そこに鳥の鳴き声が聞こえれば立ち止まり、花が一輪咲いていれば、胸元からiPhoneを取り出して写真を撮りとゆっくりと歩きます。

 時に、空想をし、その森の奥に縄文人の姿を見たり、あるいは、ここは私のロードバイクを疾走させるコースでもありますから、そんな私の姿を想像したりして、小一時間の歩みを楽しんでいるのです。

 そんなことをしながら歩いていますと、向こうから、古風な笠を被った旅人らしき男が近づいてくるではないですか。
 背中を丸め、視線は足元手前に起き、せっせと歩いています。

 おやっ、タイムスリップをしてしまったか、私はちょっと焦りました。

 だって、目の前に、江戸の時代のなりをした男が、江戸の時代のままのありようで歩いているのですから。
 しかも、よく見ますと、足は草鞋ばきです。

 歌川広重『東海道五十三次之内 四日市 三重川』のあの場面のように、笠が風に吹かれて、飛ばされて、それを男は追いかけていきます。

 おいおい、病院に行くのに、何故、タイムスリップしなくてはならないのかと、そんなことを思っていたら、「カット!」そんな声がして、そうか、学生たちが映画を撮っていたんだと、ちょっと安心して、今日の私は、てくてくと歩を早めて、病院に向かったのでした。



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笑顔の秘密

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 これは侵略だ

 カモマイルが庭先にも
 鉢中にも
 花を咲かせている
 りんごの香りを漂わせて

 こんな侵略なら
 あってもいいと……




 「微笑みは、未来を保証する」

 そんな言葉を、私は知っています。
 でも、誰が、そう語ったのか、もともと、そんな言葉があったのかは、実のところ、承知してはいないのです。

 ただ、その言葉が与えてくれる展望、未来に対するほのかな安堵感を心地よく思っているだけなのです。

 「笑顔は、今が大変だから、苦しいから、とんでもない時代だから生まれる」なんて言葉も、私の中にあります。
 
 人は、あまりに辛いと、その中に浸かっていると、苦痛のために顔を歪めるのではなく、微笑みを浮かべると言うのです。
 本当かなって、若い頃は、この言葉にさほどの信頼を寄せてはいませんでした。
 だって、辛いのに、笑顔を示している方など、見たこともないからです。

 でも、それが本当だとわかるのです。
 
 生きていれば、崖っぷちに立たされることが、人生の中で、一度や二度はあるものです。
 そんな時を体験すれば、人は、そういう時、笑みを浮かべる、というのが事実だと、私は体験からそれを知るのです。

 人間は、笑顔を作るとき、口の両端をちょっと上げて、笑顔をつくろいます。

 今、私は、「つくろう」と書きました。
 「つくろう」とは、整えて格好を付けるという意味です。
 つまり、口の端をあげるのは、笑いを取り繕っていると言う点で、心底、笑みを浮かべていると言う真実性を喪失していると言う点で、芳しくはないと思っているのです。

 だから、そうした笑顔を見せる人を、私は信頼を置くことはできませんでした。
 
 どこか、怪しげな点がある、その笑顔は、背を向けると、即座に消えて、何の感情もない無表情になるって、そう思っていたのです。

 そうかと言って、口の端をあげることは、そうして笑うことは、きっと、誰もがすると思います。
 人間の顔の筋肉が、笑顔になると、そうなるようになっているからです。

 だとするなら、その笑顔が本物かどうかは、私は、目で判断をするのです。
 目は、口ほどにものを言うからです。

 「月目」という言葉があります。

 満月のような目、それとも、三日月のような目と、きっと、思案が巡るかと思います。
 そんなことを思案していていますと、要は、優しさ、親しみやすさが、その目からにじみ出ていればいいのだと気づくのです。

 でも、本当にそうなのかと。ここでも、私は疑義を催すのです。
 
 そして、気がつくのです。
 半跏の思惟像が、私の脳裏に浮かび上がってきたのです。

 台座に、腰掛けて、右足を左大腿部にのせて足を組みます。
 折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索する姿が、半跏の思惟の像の姿です。
 
 その時の像の目を見てみますと、ことごとく、その目を閉じています。
 いや、うっすらと目を開けているそのお姿こそが、私、「月目」ではないかって思っているんです。

 もちろん、思索をしているのですから、目をかっと見開いていては形無しです。ぼんやりとした目つきをしていれば、不安定この上ありません。

 その閉じた目こそ、いや、うっすらと開けたその目にこそ、笑顔の秘密があるんだと思っているんです。

 半跏思惟像の代表に、弥勒菩薩があります。
 その菩薩の像に見られる微笑は、アルカイック・スマイルと呼ばれています。

 古代ギリシャの彫像がその発祥であると言われて、それがアジアに伝来するのです。 
 古代ギリシャのそれは、口の端がわずかに上がり、目は大きく開いています。
 その形が、アジアに渡ると、半跏となり、目をうっすらと開き、思惟する姿に変じるのです。

 あの円形の土俵の上で、トランプの笑顔を見たとき、この人の口角を上げたあの笑みは、果たして、どっちなんだろうかって、そんなことを思ったのです。

 未来を保証してくれる笑顔なのか、それとも、その背後で無表情になる得体の知れないものなのかって。



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マドン号とハーレイ号

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 あまりにも理不尽な暑さのなかで
 みどりみどりした
 下草に
 ほっと一息するのです

  

 山坂や、私が勝手に呼ぶアグリロードを走るばかりが、私のロードバイクでの楽しみではないのです。

 時には、筑波のお山の麓に散在する昔からの、まるで、時の流れの中で、置き去りにされたしまったかのような村々を走るのも、楽しみのひとつとしているのです。
ロケットが屹立するつくばの中心から、端っこの藁葺きの屋根が今も残る光景が共存しているのが、わたしの暮らしている街なのです。

 そんな自転車乗りを楽しんでいた時です。
 とあるムラの小路に入り込んで行きました。

 狭い道のわりにしては、あちらこちらに、大きな屋根、それに豪勢な門構えの家が、そして、そこから見える庭の素晴らしいこと。
 大木があり、石庭があり、明らかに、植木屋の手にかかって、美しく保たれているそんな庭ばかりです。

 筑波から、「つくば」と表記を変えて、もう何十年も経ちます。
 ですから、かって、取り沙汰された新住民とか、旧住民とかいう、人間が勝手に区切った大きな壁は、随分と取り払われています。

 私の所属する卓球クラブでも、筑波山の中腹に暮らす方もいれば、自宅に田畑をもつ人たちや、私のように、東京から転居してきてささやかな土地にささやかな家を持つ者が、半々の形で、所属していますが、なんの抵抗もありません。
 ぶっきらぼうな茨城弁を喋る方など、最近は、めったにいないものです。
 あるいは、意図して、そうしないのかもしれませんが、ともかく、いかなる人たちであれ、睦まじくやっていけることを可能にした、典型の街であると思っているのです。

 そんな豪勢なムラの中を進んでいきますと、一人の男が、私のロードバイクを珍しげに目で追っていくのを、私は、察知したのです。

 私の行く先には、緑のトンネルが見えます。私はそこをめがけて前傾姿勢でペダルを踏んでいたのです。
 そんな道を走り抜けるのは、本当に、気持ちがいいのです。
 そこだけ、オゾンがあふれ落ちてくる、思い切り空気を吸うと、あの独特の心地よい香りを嗅ぐことができるのです。
 私は、視線を感じながらも、緑のトンネルに向かって、スピードを上げていきました。
 
 しかし、緑のトンネルの入り口を折れたところで、道は途絶えました。

 仕方がありません。
 私は、踵を返して、いや、ハンドルを切って、今来た道を戻って行ったのです。

 あの私を注視していた男が道端近くに出て、立っていました。

 行き止まりだっただろう、って言うんです。
 私も、ロードバイクを止めて、行き止まりだったですと。

 教えてやろうと思ったんだけんど、あんまりに、スピードを上げて走っていくもんだから、どうすんベェ、って見送ったっていうんです。
 ここらは、袋小路が多いからなって。

 袋小路っていうのは、行き止まりの道ということです。
 関西あたりでは、どんつきって言います。
 ここらあたりでは、そんな野暮な言葉は使いません。

 私の高校時代の友人で、爺さんの代から向島に暮らしている奴がいます。そこへ、私の大学時代の友人で京都育ちの友人を連れて行った時のことを思い出しました。

 ここは、えらくどんつきがありますねぇ。
 向島の男、キョトンとして、私を見つめます。私だって、わかりません。

 チャリンコ、今は関東の人間も使うようですが、当時の私は、その言葉が自転車を意味することは知りませんでした。

 京都の友人ばかりではなく、関西の人というのは、相手構わずに、思い切り、自分たちの街の言葉を使います。
 私の九十九里に暮らす従兄弟と何十年ぶりにあった際に、彼は、クレーンの操縦者で、大阪で仕事をして、今では、すっかり大阪人になってしまったのですが、言葉まで、もっと言えば、ありようまで関西人になってしまっているのですから驚きです。

 関西人っていうのは、色濃いなって、私は思ったのでした。

 向島は、関東大震災や東京大空襲で、随分と痛めつけられた街です。ですから、その度に、人々が適当に家を建て、そのために、袋小路が増えてしまったのです。
 京都だって、幾分広い土地、お公家さんとか、そうした類の家が、土地を手放し、そこに人々が勝手に家を建てたてり、あるいは、社を祀ったりして、どんつきが多くなったなんて話をその後に私は知るのですが、それぞれの土地にあった歴史があり、それがあるとわかるのです。

 「筑波」と言われた頃、この辺りは、大変に裕福なムラでした。

 幕府直轄地であり、あの伊達家の領地さえあるのです。さらには、筑波山のちょっと先には、国府が置かれ国分寺が置かれるなど、太古から、この土地は豊かな物産を育み、それがゆえに、意図的に、袋小路を作り、作物の盗難やら、よそ者を排除してきた歴史もきっとあるのではないかって想像しているのです。

 今となっては、昔語りの出来事です。 

 おじさん、畑仕事していたのって、私、尋ねました。
 いや、違うよ、これから、ガレージに行って、バイクの整備をするんだって、そして、バイクって言ったて、あんたのようなのではなくて、エンジンがついているのって、そして、見るっていうんです。

 そう言われて、いやいいですとは言えません。

 案内されたガレージには、ハーレーが置かれていました。
それもピカピカに磨き上げられて、一つの埃も許さないといった雰囲気でガレージの中央にそれがあったのです。

 彼は、これを磨き、あの重々しいエンジンを立て、きっと、革ジャンを着て、グラスをかけて、いかつい格好で、あたりを睥睨しながら、この辺り一帯を走っているのです。

 我がトレックのマドン号も、このハレーには太刀打ちできません。
下手な車のエンジンをもしのぐ1800CCが唸りをあげるのです。
 こちらは、五一年製のガタガタの一馬力エンジンひとつしかついていないのですから。

わたしは、彼のガレージで、ひとときを過ごし、彼のウンチクに耳を傾け、ちょっとさびついたエンジンをふかして、家路についたのでした。

 同じような人間がいるんだと、そんな思いを心に持ちながら……。



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煙が目にしみるんだ

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 いやー、暑い
 何もかも暑い
 地球もあちこちで震え
 政治の世界も微妙な震えを醸し
 はてさて……
 どうなることやらと……
 夜のしじまに
 背筋を震わしたのです

 

 The greatest victory has been to be able to live with myself, to accept my shortcomings and those of others.

 いきなりの英語で失礼します。
 Audrey Hepburn の言葉なんです。
 お美しい方です。
 ですから、なおさら、この言葉が心に染み入るのです。

 人間っていうのは、よくよく考えてみると、実に我を張って生きて来た存在であると、痛感もするのです。

 我を張るということは、考えようによっては、自己主張であり、思い通りにことを運ばんとするリーダーシップのことでもあります。
 その方の生きる社会で、いっぱしの人材であれば、そのくらいのことができなくては、誰も認知してくれません。
 
 外野で、ワイワイガヤガヤ、ああでもない、こうでもないと御託を並べて、肝心要のところで、ほおかむりをするような連中ではなく、自分の考えと信念とに従って、行動を起こしているのです。
 ですから、野次も、批判も、何でもかんでも、受け止めて、やって来た証が、私は、我を張るということだとも思っているのです。

 彼女がいかなる人生を歩んできたのかは、実のところ、よくは理解していないのですが、きっと、Audrey Hepburnもその一人ではなかったかって思っているんです。

 その証左が、あの言葉であるとそう思っているのです。

 「わたしにとって最高の勝利は
  ありのままで生きられるようになったこと
  自分と他人の欠点を受け入れられるようになったことです」

 物事を勝敗で判断する仕様は、まさに、男勝りそのものです。
 その我を張って来た女性が、ありのままに生きられることに気がつき、そして、自他の欠点を受け入れられるようになったと告白をしたのです。

 つまり、それまで、世界を一世風靡していたこの女優は、ありのままに生きることもできずに、自他共にもつ欠点をよしとしてこなかったということを、示しているのです。

 私の平々凡々なる人生を見ても、そのことがよくわかるのです。

 会社なり学校という組織に入っていれば、人間、誰しも、ありのままに生きるなんて出来はしないのです。

 上司の顔色を伺い、長じれば、部下の顔を伺い、上司ってそうだったんだと知り、愕然としたり、そんなことに時間を費やして来たのです。
 それにしても、随分と怒りに任せて、不平不満を口にして来たと、若き日の己を反省し、口汚く部下を説諭して来たものだと、今度は、長じた自分のありようにも、愕然とするのです。

 その現場から離れて、初めて、生き方のありように、目を向けることができるのが人間だって、そんなことを思うのです。

 世の中と接点を持っていたいとか、死ぬまで現役で居たいとそんな言葉を聞くことがあります。
 素晴らしいことだと感心をしながら、その言葉を、私は聞いています。

 でも、私は、懸命にやって来たのだから、ここらで、一息入れたいと思っているのです。
 だから、Audrey Hepburn の言葉が、五臓六腑に沁みてくるのです。

 ありのままに生きることを志し、自分のよくない点を理解し、そして、他の人のことをあげつらうことをことさらにしない、そんなことを思えるようになって来ているのです。

 いや、これまでだって、ある程度の束縛の中でも、ありのままの自分を追求して来ていたのです。同時に、我も張って来たのです。
 仕事だからと、それに正当性を持たせて、やって来たのです。
 だから、口角泡を飛ばすことも、目くじらをたてることも、あったのです。
 
 Audrey Hepburn の全盛期の映画を見ることは、その美貌に感嘆することこの上ないのですが、それでも、この言葉を知ってからは、最後の作品になった、それも主演ではなく、脇役として出た、スピルバーグの『Always』という映画での、歳いった彼女の美貌にハッとするようになったのです。
 
 天使の役で、消火活動中に亡くなった消防士の前に現れます。
 天国がそのようなところであれば、ぜひ、行ってみたいと、そして、人の死は、何かしらの手がかりを残すものだと、あの映画が教えてくれたような気がするのです。

 あの映画の主題歌の一節に、こんなのがあります。
 
 When your heart's on fire
 You must realize
 Smoke gets in your eyes

 煙が目にしみるなんて、装いをつくろうなんてしないで、ありのままに涙を流せる人間になるべきだ、そして、心を広く、受け止めていける人間たれと。



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国家のいじめ

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 西陽を浴びて
 いかにも
 暑そうです
 いや
 暑いのです
 風薫る五月ははや古語となり
 今や
 毒々しい皐月と相成り果てました




 独りよがりな子がいて、まわりの子がああでもない、こうでもないと意見をします。
 
 みんながそうしようって言っているんだから、君もそうしなよとか。
 それは皆で使うんだから、君だけが、それをいつも使っているのは良くないよとか。

 そんな生徒のやり取りを、教師であれば、じっと観察を、しなくてなりません。

 生徒間で、なんらかの問題解決を図れるよう、見守るのです。
 先生は、見ているよって、生徒たちに、認識をさせておくのです。

 そんな基本を教師が怠ると、とんでもない事件が、その学校では起こってしまいます。

 先生が見ていないと悟った子供たちは、阿漕な真似をし出すものです。
 周りが結託して、その独りよがりな子に、いじめなる行為を働くようになるのです。

 さて、そうなったら、問題はこじれていきます。
 一方は、正義を行使するために、それをしたと言い張り、他方は、唐突にそれをされたと主張し出すからです。

 そうならないように、教師は、いじめになる行為が発生する前に、解決策を示さなくてはなりません。
 
 とりわけ、独りよがりの子には、協調性の大切さ、その素晴らしさを伝え、根気よく対さなくてはなりません。
 子どもというものは、先生が動いていることを知れば、それ以上は行動を起こさないものです。 

 集団の中の、さまざまな力が働き、均衡を保って、事件を未然に防いでいくのです。
 
 だから、教師は、常に生徒を観察し、双方に対して行動を起こし、良からぬ行為の芽を摘んで行かなくてはならないのです。

 そんなことを、私はして来たのですが、昨今の国際情勢を見ていますと、寄ってたかって、独りよがりの国に、ちょっかいを出していて、まるで、これが学校という世界であったら、いじめ事案になるに違いないって、そう思っているんです。

 その急先鋒の男の子は、独りよがりの子の大切なものを奪い取り、さらには、その子が大切なものだと言っている物の側にまで行って、ちょっかいを出しています。
 さらには、仲間に、あいつと付き合ったら、許さないぞって、凄んでいます。

 だから、皆、急先鋒の男の子の意に沿うように、あれこれと策を講じるようになりました。
 
 独りよがりの子だって、意地があります。
 いや、独りよがりだからこそ、人一倍の意地を持っているのです。

 実は、それこそが、子供たちのいじめの契機となっているのです。
 その芽を摘むとは、子供たちのよこしまな意地を、とんがった意地を、そっと押さえて、へこませてやることなんです。

 でも、国家と国家とでは、そうもいかないようです。

 急先鋒の国は、強大な軍事力を持っています。
 独りよがりの国は、それに近づき、上回ろうと野心を持っています。
 
 それを覇権争いって言います。

 覇権は、急先鋒の国にとっては、もはや手放すことなど考えられない黄金の柄なのです。
 それを一振りすれば、あのドイツも、日本も、それに、味方であったイギリスをもひれふして来たのです。
 
 世界を二分したソ連だって、急先鋒の国の前に、消えて無くなりました。

 これで、天下は、落ち着いたと思っていた矢先、とんでもない国が韜光養晦、日本で言えば臥薪嘗胆でしょうか、そして、一帯一路、日本で言えば、大東亜共栄圏でしょうか、そんな独りよがりの発想で、そして、急先鋒の国に、そっと耳打ちして、太平洋を東西で二つに分けて支配しようと囁いたのです。

 言うことを聞かないのならと、弱い奴をやっつけにかかります。
 バナナはいらない、レアアースはやらないって。

 独りよがりの国がやって来た、まさに、独りよがりの意地悪な手です。

 急先鋒の国は、とんでもないやつだと、仲間を集め、あいつは、俺たちの情報を盗み、ゆくゆくは、おいらに変わり、お山の大将になりたがっている、お前たち、親分にどっちを選ぶんだ。
 自由と平等を大切にするおいらか。
 カメラで監視、情報は遮断、ペチャクチャと大声で喋りまくるあいつかって。

 いやはや、大人のいじめにも困ったものです。
 つける薬がありません。

 いや、教師がいないのです。
 だから、国際社会という学級は、崩壊寸前にまでなってしまっているのです。
 
 さぁ、二十一世紀の人間社会、ここが勝負どころです。

 国技館でのパフォーマンスに喜んでばかりはいられないのです。
 先生を探してこなければなりません。



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土曜の朝の間違い電話

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 孤高とはこのことだと
 なんて洒落ていますが
 これがカー子と名付ける
 私の友です
 ご承知おきを

 

 土曜の朝。
 一週間のうちで、もっとも清々しい朝です。

 私は、学校が職場でしたから、土曜でも、出勤をしていました。
 ご近所が、まったりとした雰囲気でいる中、私は、エンジンを吹かして、出て行くのです。

 それでも、普段と違って、土曜の朝は、気分が多少とも異なっていました。
 半ドンというせいもあったのかも知れません。
 
 その清々しい土曜の朝は、教師を辞めてからも、続いているのです。

 きっと、土曜なんだから、普段と違うんだからという、気分の問題だと思っているんです。

 気分っていうのは、大切なことです。
 「気分が乗る」という言葉がありますが、人間、乗ると、普段は相当に厄介なことでも、やり遂げられるものです。

 だから、人間、生きて行く中で、気分を最高の状態にするというのは、極めて大切なことだと思っているのです。

 土曜の朝が、何故、私の気分を最高の状態にしてくれるのかって、そんなことを考えるのも、土曜の朝であるが故だと思っているのです。

 書斎の窓のカーテンを開けますと、東の空がほんのりあけぼの色に染まっています。
 程なく、鳥たちのチュンチュンという声が聞こえて来ます。

 宅の前の道を走る車もなく、ペタッペタッとジョギングする近所の方の足音だけが時折響いて来ます。
 
 自然のありようは、普段と一向に変わらないけれど、あのジョギングする際の足音が聞こえてくるというのは、明らかに、それが土曜の朝を表していると、そう思っているのです。
 それが走り慣れた人なら、音も立てずに、さらりと通り過ぎて行くのでしょうが、たまに走るものだから、あの土踏まずから地面に足を下ろして、ペタッペタッと音を発するのです。
 
 そんなある日の土曜日の朝、ぼんやりとしていると、一本の家電が鳴り響きました。
 友人であれば、私のiPhoneに通知がありますが、親戚やさほど親しくはない方は家電にかかってくるのです。

 嫌だな、こんなに朝早くに電話だなんてと、私は、極めて機械的に、床に臥せっている叔父のことを思い起こしたのです。
 
 人間っていうのは、いつも、なんらかのしがらみの中で生活を営んでいるものです。
 ですから、珍妙な時間に電話があれば、そんな不躾なことを思ってしまうのです。

 しかし、その電話は、なんと言うことのない間違い電話でした。

 その電話の相手は、女性でした。
 間違いと気がつくと、ガチャンと切られるのがオチなんですが、その日は、土曜の朝です。
 私の気分は乗っています。
 清々しさに満ち溢れています。

 ですから、きっと、叔父のことではなく、それが間違い電話であることを知り、ほっとしたのだと思うのです。
 
 そんな気持ちが、相手にも伝わったに違いないと思います。
 ですから、私、こちらの電話番号をゆっくりと述べて、おかけ間違いではありませんかって、そう言ったのです。
 
 すると、相手も、自分のかけた番号を言って、こんなに朝早くに、申し訳ありませんでした。
 お休みになっていたのではないですかって、随分と恐縮して、言うのです。

 そんなことありません。
 土曜の朝の清々しさを堪能していたのですから、どうぞ、お気になさらずに、って、そんな言葉を、私は発したのです。

 きっと、土曜の朝の清々しさを、誰でもいいから伝えたかったのだと思います。
 それに、親戚からの嫌な電話ではありませんでしたから、気分もおおらかになっていたのかもしれません。

 そうですよね、土曜の朝ですものね。
 私も、ウキウキして、番号を間違えてしまったようです。

 そうして、電話は切れたのです。

 受話器を置いて、やはり、土曜日の朝は気分がいいと、私、バルコニーに出て、椅子に座り、外の空気の中で、公園から戻って来たあのペタッペタッて音を立てて走る、ちょっと太めの男性を下に見つめて、それを見送ったのです。



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廃れた義理

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 田植えの済んだ田んぼに
 毎年義理堅く
 やって来ては
 稲の害虫をついばむ
 きっと
 美味しいものは
 田んぼにいるって
 知っているんです




 義理が廃れば、この世は闇よなんて演歌の歌詞が、時に頭の中を、唐突に駆け巡ることがあるんです。
 そんな時って、大抵は、人様の不義理なる行為に腹を立てている時なんです。
 
 先だっては、卓球仲間の横着な連中に腹を立てていました。

 腹を立てたからといって、文句を言ったり、胸ぐらを掴んだり、そんなことではないのです。一人で、口の中でもぐもぐ言って、うさを晴らしていただけなんです。

 いやね、体育館を借りて、練習に来るんだから、準備と後片付けくらいするのは常識だろうって、そう思っているんです。
 それなのに、遅くに来て、早くに帰る人がいるんです。
 早くに帰らなくてならないなら、一番にやって来て、台を出したり、ネットを張ったりするくらい常識だろうって。
 遅くに来たなら、後片付けくらいしていくのが常識だろうって。

 そんなことをもぐもぐ言っていたんです。
 そんな時に、私の頭の中に、義理が廃れば、この世は闇よって、村田英雄の声が囁くのです。
 
 私は、高倉健の任侠映画を映画館に行って観たことはありませんが、なぜか、その場面を思い浮かべることができるんです。

 相手がやりたい放題をして、我慢に我慢を重ねて、そして、あの鋭い目つきで懐のドスに手をかけるんです。
 それでも、忍耐をしますが、ついに、堪忍袋の切れます。
 諸肌を脱ぐと、その背中には見事な入れ墨があると言うあの場面を、私は知っているのです。
 
 あれって、義理も何もない輩に鉄槌を下す瞬間なんです。
 
 現実にはドスを出すなんて、あり得ない在り方なのですが、そんな場面って、日常生活の中で、形を変えて、往往にしてあるものなんです。

 これも卓球の練習の合間の出来事であったのですが、いつもは温厚な方が、怒りに任せて、ボールの入ったケースを蹴って、球が何百個も床に転がってしまったことがあったのです。
 
 で、なんで、その方が怒り心頭になったかといえば、女性の相方がお茶をしていて、なかなか、試合のある台のところに来てくれなかったからだと言うのです。
 我がチームの女性連は、おしゃべりが大好きです。
 お茶菓子を持って来て、合間合間に、モグモグタイム、ああでもない、こうでもないとケラケラと笑っています。
 
 それにいきりたったと言うわけですが、腹を立てた方に、分が悪いのは火を見るよりも明らかです。
 
 短気は損気っていうやつです。
 そんなことをすれば、次回から来づらくなるだろうにと、私など思いますが、そういう人というのは、さほどのことも考えないようです。
 だから、そんなことあったのってな具合で、平気でやってきます。

 そんな時も、義理が廃れば、この世は闇よって、私の耳の周りで、今度は藤圭子の声が巡るのです。

 そういえば、トランプがまもなく国賓としてやって来ます。
 今上陛下の最初の国賓として、いろいろと行事が組まれていることと思います。国のお客様ですから、大切にお迎えをしなくてはなりません。

 でも、あの方の、義理も、随分と廃れていると、私、思っているんです。
 
 だって、習近平に対しても、北の御曹司に対しても、なかなかにやるではないかって、そう、思っているからなんです。

 習近平にも、御曹司にしても、トランプは、尊敬しているとか、友達だとか、そんな風なことを呟いています。
 そんなことを言われたら、誰だって、トランプっていい奴だ、まさか、馬鹿な真似はすまいって思います。

 何もかもがうまくいくって、だから、少々、無理を聞いてもらおうって、だって、尊敬しているって、友だっていうんですから、そのくらいはって思うんでしょうね。

 でも、中国に対してはズバッと関税をかけて、御曹司には席を蹴って会談を無しにしてしまいました。

 これって、習近平や北の御曹司にとっては、義理の廃れたありようだと、彼らの頭の中には、義理も廃れば、この世は闇って……、もっとも、そのような歌詞も、彼らは知らないし、だいいち、彼らだって、思想なるものに、がんじがらめになって、義理などという概念はないはずですから、この情緒的な言葉はきっと浮かんでは来ないことでしょうが……。

 でも、まもなく、日本にやってくるトランプは、日本という国で、不義理はないと、私、思っているんです。

 天皇陛下の前では、義理を尽くすだろうし、国技館や「かが」艦上でも、それなりの義理ある振る舞いに興じると確信しているのです。

 だって、こちらには、義理を貫き通す覚悟が、みなぎっているからです。

 やると思えば どこまでやるさ それが男の魂じゃないかって、義理が廃ればこの世は闇の前にある歌詞です。
 それがあるから、きっと、トランプは義理堅く、日本滞在を楽しんでいくと思っているのです。



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カラフェでひとり酒盛り

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 夏の時期になりますと
 ここまで
 朝日が差し込んできます

 リキュールの瓶を照らすのです
 もそっと
 飲みなさいよって
 
 酒は浮世の憂さを
 洗い流すよって




 衣替えを始めています。
 布団も、着るものも、冬から春、そして、夏へと模様替えを少しづつしているんです。

 先だっては、食器も、と言っても、たいそうなものがあるわけではないのですが、取手の学校にいた時に、卒業記念品としていただいた、それなりの食器が冬から春の食卓を飾っていたのです。 
 それを夏を涼しげにしてくれるガラス食器に入れ替えるといったことなのです。

 食器棚の奥から、カラフェが出て来ました。

 冷酒を飲むときに使う、ポケットのついたあのガラス食器です。
 そのポケットに氷を入れて、酒を薄めずに冷やして飲めるあの食器のことです。

 それを手にして、テイッシュで磨きをかけます。
 しかし、それにしても、このポケット絶妙に器に食い込んでいるなって、私の関心は、いつものことなのですが、横道に逸れていきます。

 そういえば、先だって読んだ新聞に、クラインの壺を紹介したものがあったと、そのポケットの中に、テイッシュを突っ込んで磨いているときに思い出したのです。

 クラインの壺は、私が手にしているカラフェとは異なって、ポケットではなく、口の先端がムニューって伸びて、それがガラスのツボの腹のなかに食い込んで外に抜けていく、そんな形なんです。
 だから、そこに氷を入れれば、それはガラス瓶の中に入り込んでしまうのです。

 大吟醸の冷酒を飲むにもどうして飲んだらいいものか、考え込んでしまう形をしているのです。

 メビウスの帯、というものも連鎖的に、私の頭の中に浮かんできました。
 紙テープを伸ばして、その一端を百八十度ひねります。それを他の一端にセロテープで貼り付けます。
 これをメビウスの帯って言います。

 私の脳みそには、この方が理解しやすいようです。
 このメビウスの帯の特長は、一周してくると向きが逆転するというものですから、カセットのエンドレステープや、タイプのインクリボンに応用されていますから、きっと、私にも、具体化した形で、理解が進んだものだと思っているのです。
 
 百八十度ひねるという点では、クラインのツボも同じようだなって、いや、手にしていたのは、大吟醸を入れ、夏の夕刻、そよ風の吹く中で、蚊取り線香を焚いて、枝豆で一杯やるときの、大事な道具カラフェだったのですが、その磨く手も動くことなく、私は、あらぬ空想の中に入っていってしまったのです。

 もの、皆、形ありって、誰が言ったのか、それとも、自分で考えたのか、そんな言葉が脳裏に浮かんできたのです。

 物理的な形はもちろん、仕組みや仕掛けなども、形があって、機能しています。
 人間が作り上げた先進的なありようというのは、すべて、形が機能して、成立しているのです。
 それを壊そうとすると、波乱が起こります。

 戦争をして島を取り戻そうとか発言する若い議員も、議長席に居座りひんしゅくを買う老いた議員も、あるいは、国際規約を無視して独自の考えで、南シナ海の岩礁を埋め立て、基地を作る国家も、あるいは、これまでの体制をぶっ壊すようなことを繰り返す大国の大統領も、皆、その手の人たちです。

 形を壊そうとして、それが正義であるかのように、振る舞いますから、タチが悪いのです。

 でも、その形、そもそも、それが正しいのか、そうではないのか、実はわからないというのも、困ったものです。
 なぜなら、形は、時に暴力を伴って作られたものであるからです。
 自然的な猛威、あるいは、人為的な暴力でもって、それらは形成されて来たことを、私たちは歴史の中に見ていきているのです。

 人間界の、愚かなる人々の愚行に付き合っている暇などはないと、そうではなくて、私は、手にしているカラフェの器を見つめながら、宇宙の形を想ったのです。

 ビックバンで、大爆発を起こした宇宙は、だから、きっと、放射線状にすべてのものが散っていく、そして、それがいまだに続いているんだと。
 あるいは、その勢いも弱まり、今では、しずくのような形になって、ゆっくりと膨らみをもって広がっているんだと。
 そしてまた、カラフェのように、自然の成り行きに任せず、任意にその口を曲げて、あらぬところに出口を設けて、きっと、別の宇宙に行き着くのではないかって。

 昼過ぎのキッチンで、訳の分からぬことを想いながら、そして、そんなことを思う自分が嫌になり、私、立ち上がり、冷蔵庫の前に立ちました。

 正月に飲んだ酒があること思い出したのです。

 それをカラフェに注ぎ、そのカラフェのポケットに氷ではなく、オレンジリキュールを注ぎ込んだのです。

 それを陽射しにかざして、綺麗だなって、せっかくだから、三時のおやつにいただくかと、カラフェに付属するガラスのお猪口に、酒を注いでいただいたのです。

 昼酒なんど、とんとしたことのない身ではありますが、五臓六腑に染み渡る日本酒のちょっとカビ臭さがこれまたなんとも言えませんでした。
 私の頭から、宇宙も、形の哲学も、見事にすっ飛んで、私は、午後のひととき、銀座の石川県のショップで買って来たしろえびのせんべいをつまみに、大いに盛り上がったのでした。



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一生モノを持つ身

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 白い雲が沸き起こってくるような
 その名も
 ハクウンボク
 近くにある大学の植物園に
 満開の花を咲かせていました

  

 メガネ屋さんへと足を運びました。
 いや、実は、その前に、ホームセンターのネジコーナーに立ち寄っていたのです。
 
 メガネの耳にかける部分、これ、テンプルとかつるっていう名称がついていますが、それがレンズと結節するその部分の蝶番がぶかぶかになってしまったのです。
 だから、ネジコーナーに行って、メガネを修理するキットがないかって、探しに行ったのです。

 そこにいたコーナーの専門家に問いますと、お客さんのように、自分で、なんでもやりたいという方が、ちょくちょく、お越しになられますが、メガネだけは、専門家に見てもらった方がいいと思います、てなことを私の顔を覗き込んでいうんです。

 もちろん、そのネジ交換と締め直しくらい、メガネ屋さんに行けば、無料でしてくれることを私は知っています。

 でも、それを自分でしたいと、そんなことを思う人が、私以外にもいるんだと、その専門家の口から聞いて、ちょっと、愉快になったのです。

 キットというのはおいてはないのですが、極小ネジ回しに、各種の精密ネジは置いてありますが、メガネによってそのネジの寸法が異なりますから、よく調べてからでないと、無駄になりますなんて、簡単には売ってくれそうにないのです。

 仕方がなく、私は、移動して、いつものメガネ屋さんに出向いた次第のなのです。

 昼下がりの時間がゆっくりと過ぎていく頃あいに、店に入りますと、あれ以来いつもいる店長さんが声をかけてくれました。

 この方が、何を隠そう、私に、一生モノのメガネを売ってくれた方です。

 この二十年で、髪には、白いものが混じり、それなりにロートルになってきました。
 いつも、物静かな紳士ぶりは一向に変わりありません。

 あの時、メガネの度数が合わなくなり、世間が見えにくくなっていました。だから、レンズを交換してもらうために私は店を訪れたのです。
 色々な機械で私の目の状況を調べ、重たいメガネをかけさせられて、そこにいくつものレンズを重ねられて、私の目の玉の現状が数値で示されていきます。

 随分と近視が進んで、左は幾分乱視も入っていますと、診断が下されました。
 では、それで、お願いしますと、私は新しい、私の目の玉に合うレンズの依頼をしました。

 もう、そろそろ、フレームも変えたらいかがですか、これ、形もデザインも古いし、それに、随分とくたびれていますよって、店長言うんです。

 確かに、太いフレームで、自慢は蝶番のところに、オニキスが入っているもので、確かに時代の先端とは程遠いものです。
 
 これなんかはどうですかって、店長、縁なしのフレームを持ってきました。
 金属部分が極めて少ないメガネです。
 きっと、この様子ならば、レンズ代くらいで、さほどでもないだろうと思ったのです。

 掛けてみると、なかなかにいいではないですか。
 縁なしだから、顔がくっきりとして見えます。それになにしろ、はやりのスタイルです。

 気に入りました。
 念の為、値段を確認します。 

 三十万ですと、店長、何気に言います。
 
 素っ頓狂な表情に、一瞬にして変容した私の顔を察知したのでしょう、店長、すかさず、私にいうのです。
 高いですが、一生モノです。

十年、つければ、年間三万円です。二十年なら、その半額です。
つければつけるほど、お支払いになられた額は価値を生み出していきますって、さらに、それよりなにより、お似合いです。
知性に満ち溢れ、先生であれば、このくらいしなくていけません。

そんなことばにほだされてしまったのです。
 
 そのことばに偽りはなく、あれから二十年余り、私は、その店長が言うように、そのメガネを一生モノとして愛用をしているというわけです。
きっと、あと十年は、持つかも知れません。

 ですから、蝶番が緩めば、店に行き、ネジの交換を頼み、汚れが目立てば、店に置いてある振動によって汚れを落とす機械の世話になっているのです。
 
帰り際、外されたねじ、その幾分曲がったネジを指先において、これ持って行っていいですかって、店長に問いかけました。
いいですよ、いま、袋を持ってきますって、意外にも、丁寧に対応してくれます。

でも、ご自分でやろうなんて、邪な考えはもたないでください。
一生モノのメガネが台無しになってしまいますから。
あなた様のメガネは、素晴らしいメガネなんですから、ちょっとしたことでも、このわたしが面倒をみますからねって、そんなことをいうのです。

どうやら、わたしの魂胆は、どこでも見透かされているようで、ちょっと、一生モノを持つ身にしては情けないと、そっと、メガネに手をかけて、店を出たのでした。



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プロフィール

nkgwhiro

Author:nkgwhiro
ご訪問
ありがとうございます

《6 / 17 💡 Monday 》
 
🦅 ただいま、<カクヨム>にて『ひとりっていいよな』を発信しています。

  世の中って
  理不尽なるもので
  満ち満ちているんだっ……



誰でも、社会的生活を営んでいれば、心苦しいことに出会うものです。
トップの解任、同僚との確執、職を辞しての新しき生活、そんなさまざまの体験がそれです。
人は、かくも争い、かくも世知辛い思いをするのです。
そして、大切なものをそこで失っていくのです。
失うことを、損得で測れることはできません。
失うことは、糧として、その人間に残れば、それでいいのです。
そして、若き人に、送ることができればそれでいいのです。


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【nkgwhiroの活動】

❣️<Twitter>で、『ものかき』として、朝と晩『つくばの街であれこれ』と題して、つぶやいています。こちらもご訪問よろしくお願いします。
 

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